紅葉の京都へ

一条真也です。
28日、JR小倉駅から10時31分発の新幹線のぞみ20号に乗って、京都へ向かいました。

JR小倉駅の前で

JR小倉駅のホームで


陽射しが強いのでサングラスを


のぞみ20号で京都へ!

ブログ「稲盛和夫氏、逝く!」で紹介したように、わたしが尊敬してやまない哲人経営者の稲盛和夫氏が今年8月24日に逝去されましたが、その「お別れの会」が京都で開かれるので、それに参列するためです。夜は、「バク転神道ソングライター」こと京都大学名誉教授の鎌田東二先生とお会いする予定です。いま全国的に新型コロナウイルスの「第8波」の到来が懸念され、また、京都は紅葉シーズンとあって大量の観光客が訪れていると思われます。でも、多くの学びを頂いた稲盛先生の「お別れの会」に行かないわけにはいきません!

のぞみ20号の車内(光と影の世界で


車内では読書しました

 

車内では、いつものように読書をしました。この日は、『そこのみにて光輝く佐藤泰志著(河出文庫)を読みました。著者の佐藤泰志は、1949年、北海道・函館生まれ。高校時代より小説を書き始めました。81年、「きみの鳥はうたえる」で芥川賞候補になり、以降3回、同賞候補になるも落選。89年、『そこのみにて光輝く』で三島賞候補になるも落選。90年、自死ムーンサルトレター第212信に鎌田東二先生が詳しく書かれていますが、佐藤泰志と鎌田先生は國學院大學の同級生で、さまざまな縁があったとのこと。綾野剛主演で映画化もされた『そこのみにて光輝く』は、北の夏、海辺の街で男はバラックにすむ女に出会う物語です。二人がひきうけなければならない試練とは何か。苦さと痛みの彼方に生の輝きを見つめ続けながら生き急いだ作家・佐藤泰志が遺した唯一の長篇小説にして代表作であり、青春の夢と残酷を結晶させた伝説的名作です。非常に考えさせられる小説でした。


JR京都駅に到着しました


JR京都駅は人がたくさん!


JR京都駅の八条口


陽射しが強いのでサングラスを・・・

 

新幹線の中でランチタイムを迎えましたが、この日はお腹が空いていなかったので、昼食は取りませんでした。JR京都駅には、12時59分に到着。想像していたとおり、人がものすごく多いです。コロナの第8波の到来が迫っていることなど、まったく関係ないようです。わたしは、感染しないように注意深く歩きながら、京都駅八条口の近くにあるホテルへと向かったのでした。チェックインを済ませてから、「お別れの会」に向かいます。

 

2022年11月28日 一条真也

光と影の世界で

一条真也です。
27日の夜、カタールW杯グループリーグE組の日本vsコスタリカ戦が行われました。ブログ「ドーハの歓喜!」で紹介したように、初戦は格上のドイツを撃破した日本ですが、2戦目は格下のコスタリカに0-1で負けました。


日本、敗れる!

 

日本は、チャンスをものにできずに終盤の失点に屈しました。ドイツ戦の勝利から連勝とはなりませんでした。攻撃陣が決め切ることをできないまま、後半36分のピンチを決め切られた形です。コスタリカのシュートは4本で枠内シュートは1本。日本は3倍以上の14本を放つも、ゴールネットを揺らすことはできませんでした。1勝1敗となり、第3戦スペイン戦では引き分け以上を狙います。


光と影のコントラスト!

 

ブログ「活動写真への誘い」で紹介した小倉昭和館のイベントから帰宅したわたしは、入浴してからテレビでコスタリカ戦を観ました。その際、サッカーのゲームとは違ったもう1つのドラマにも目を奪われました。太陽光線の当たり具合によるサッカー場の光と影のコントラストです。


眩しかったり、眩んだり・・・

 

試合開始時は日照部分つまり光の部分が多く、日が当たらない影の部分よりも目立ちました。これほど光と影のコントラストが明確だと、眩しかったり、眩んだりして、選手たちはやりにくかったでしょう。最後、日本が1点をコスタリカに奪われたときは、光の部分が少なかったですね。


次第に光の部分が少なくなって・・・

 

日本代表がコスタリカ代表に負けたことは残念でなりませんが、わたしはそれ以上に1つの考えにとらわれました。それは、「この世界には光もあれば、影もある」という厳然とした事実です。現在、わが社は「コンパッション」というものを追求しています。英語の「コンパッション」を直訳すると「思いやり」ですが、わたしが多くの著書で述べてきたように、思いやりは「仁」「慈悲」「隣人愛」「利他」「ケア」に通じます。「ハートフル」と「グリーフケア」の間をつなぐ概念も「コンパッション」です。

 

 

ブログ『コンパッション都市』で紹介した米国バーモント大学臨床教授(パブリックヘルス、エンドオブライフケア)で医療社会学者のアラン・ケレハーの著書の冒頭には「生命を脅かす病気、高齢、グリーフ・死別とともに生きる市民がいます。また家庭でケアを担う市民がいます。そんな境遇にあるすべての市民を手助けし、支援するために組織される地域コミュニティ、それがコンパッション都市・コミュニティです」と書かれ、この用語の中心には、互恵性(reciprocity)と具体的行動(action)という考え方があります」と書かれています。「互恵」とは「互助」ということでもあり、互助共生社会の実現のために具体的行動を続けるわが社にとって、「コンパッション」はドンピシャリのキーワードです。



現在、「SDGs」が時代のキーワードになっていますが、これは2030年で終わり。その後、「ウェルビーイング(wellbeing)」がキーワードになると言われていますが、わが社ではすでに40年も前から使っていました。「ウェルビーイング」は健康や幸福についての包括的概念ですが、じつは決定的に欠けているものがあります。それは「死」や「死別」や「グリーフ」です。



これらを含んだ上での健康や幸福でなければ意味はなく、まさにそういった考え方が「コンパッション」なのです。つまり、「ウェルビーイング」を超えるものが「コンパッション」だと言えます。光と影を共にとらえなければならない。そして、わたしたちは、光と影の共存する世界で生きていかなければならない。そんなことを、日本vsコスタリカ戦を観ながら考えてしまいました。28日は、京都へ行って、故稲盛和夫氏の「お別れの会」に参列します。

 

2022年11月28日 一条真也

活動写真への誘い

一条真也です。
27日の13時からリーガロイヤルホテル小倉で開かれた「澤登翠・デビュー50周年記念九州ツアー 活動写真への誘い」に行きました。ブログ「さよなら、小倉昭和館」で紹介したように今年8月10日夜に発生した旦過市場の火事で焼失した老舗映画館・小倉昭和館のイベントです。


チラシの表


会場の前で


小倉昭和館への応援エールの数々


昭和館名物の物販に取材陣が殺到!


挨拶する小倉昭和館の樋口館主

 

この日は、無声映画活動弁士&音楽伴奏で楽しむイベントで、「忠次旅日記」と「チャップリンの番頭」の2本が上映されました。無声映画の台本・語りは、活動弁士澤登翠さんが務めました。法政大学文学部哲学科卒業。故松田春翠門下。日本独特の話芸「活弁」の第一人者として、国内を始め仏、伊、米他海外にも招聘され好評を博している方です。洋画、現代劇、時代劇とレパートリーも豊富。活弁の継承者としての活動が評価され、これまでに文化庁芸術祭優秀賞、文化庁映画賞他を受賞。無声映画鑑賞会での公演を基盤に国立映画アーカイブや各地の映画祭での公演、大学他での講座、TV番組のナレーション、朗読とその活動は多岐に亘ります。2015年、「文藝春秋」に掲載の「日本を代表する女性120人」に選出、2017年3月には松尾芸能賞特別賞を受賞。周防正行監督最新作映画『カツベン!』では、活動弁士監修を担当しました。


チラシの裏

活弁の第一人者・澤登みどりさん

カラード・モノトーンデュオのお二人♪

 

無声映画音楽伴奏は、カラード・モノトーンデュオでした。楽長:湯浅ジョウイチ(ギター)と鈴木真紀子(フルート)によるデュオ。「カラード・モノトーン」は1994年に結成された無声映画の伴奏音楽(生演奏)を担当する西洋楽器と和楽器とを混成した専属合奏団。ピアノ、フルート、ヴァイオリン、太鼓、パーカッション、三味線、ギター等によって構成。日本独特の活動写真の音楽を地道に研究し、無声映画全盛期における伴奏音楽の再現に取り組む一方で、映画音楽における新機軸を打ち出し、好評を博しています。現在、澤登翠坂本頼光等の活動弁士と共に各地で行っている公演活動は年間数十回(ミニユニットによる演奏を含む)に及びます。高度な演奏技術と共に、日本におけるサイレント時代の映画音楽を再現出来る数少ない演奏家集団としても高い評価を受けています。


最初に上映された「忠次旅日記」ですが、1927年・戦前期の日本映画の名作です。長らくフィルムが紛失しており日本史に残る「幻の映画」として、その存在自体は語り継がれてきましたが、ついに1991年の某所にて残存フィルムが発見されました。欠落部分の補完等を経て今日の復元を果たします。「甲州殺陣篇」「信州血笑篇」「御用篇」の三部曲(作)から成る本作は、“民衆のヒーロー”として語られる江戸後期の侠客・国定忠次の逃亡の旅を描きます。当時新進気鋭の監督を伊藤大輔が勤め、忠次を大河内傅次郎が演じます。
<原作・脚色・監督>伊藤大輔<出演>大河内傅次郎、中村英雄、中村吉次、阪本清之助、磯川元春、澤蘭子、村上英二、秋月信子、尾上華丈、中村紅果ほか


次に「チャップリンの番頭」は、喜劇王チャーリー・チャップリンの56本目、ミューチュアルに移ってからの6本目となる作品で「質屋」と題されることもあります。チャップリンが演じるお調子者の店員チャーリーをはじめとした、同僚や麗しの質屋の娘、したたかな老紳士や怪しい金持ち風の男等、個性豊かなキャラクターが巻き起こす騒動を描きます。中でも質草の目覚し時計をバラバラに解体し持主に返すシーンが有名です。「チャップリン芸術の破綻なき完成を示す玉成的名品」と評されました。
<出演>チャーリー・チャップリン エドナ・パーヴィアンス ヘンリー・バーグマン ジョン・ランド アルバート・オースティン ウェズリー・ラッグルズ エリック・キャンベルほか


樋口館主と『心ゆたかな映画』を持って

 

活動弁士と音楽伴奏による無声映画の鑑賞は、わたしは生まれて初めての体験で、大変面白く、また勉強になりました。トーキー以前の映画というものをリアルに体験することができました。久々にお会いした小倉昭和館の樋口智巳館長もお元気そうで良かったです。じつは、先日、刊行されたばかりの拙著『心ゆたかな映画』(現代書林)を樋口館長にお届けしました。同書の「あとがき」には「ありがとう、小倉昭和館」として、同館の思い出がいろいろと綴られているのですが、それを読んだ樋口館長は大変喜んで下さり、わざわざ御礼の電話をサンレーの社長室までかけてきて下さいました。


わたしも募金しました(⌒∇⌒)

 

そのときのお電話で、この日をイベントを知り、駆け付けた次第です。今後は、わが社ともコラボして、施設などもお貸ししたいと考えています。樋口館長とタッグを組んで、世界一の超高齢都市である北九州市で、高齢者の方々が不安を乗り越えて行くための「老いと死の映画館」を実現させたいと願っています。樋口館長も、御挨拶で「必ず、小倉昭和館を再建しますので、みなさま、ご協力下さい!」と訴えておられました。この日は受付に募金箱がありましたので、わたしも貧者の一灯を捧げさせていただきました。なお、小倉昭和館を応援されたい方は、こちらをクリックされて下さい。頑張れ、小倉昭和館

2022年11月27日 一条真也

「グリーン・ナイト」

一条真也です。
26日、東京から北九州に戻りました。
25日、社外監査役を務めている互助会保証株式会社の監査役会と取締役会に出席した後、日比谷で打ち合わせしました。その後、この日から公開された映画「グリーン・ナイト」をTOHOシネマズシャンテで観ました。ホラーをはじめ世界的にヒット映画を連発しているA24が初めて手がけたダーク・ファンタジー映画です。幻想的な映像が魅力的で、わたしはかなり楽しめました。


ヤフー映画の「解説」には、「『指輪物語』などのJ・R・R・トールキンが現代英語に翻訳した、14世紀の叙事詩『サー・ガウェインと緑の騎士』の原典を実写化したファンタジー。不気味な騎士と遭遇したアーサー王のおいが、それを機にさまざまな試練にさらされていく。監督を務めるのは『永遠に続く嵐の年』などのデヴィッド・ロウリー。『どん底作家の人生に幸あれ!』などのデヴ・パテル、『アースクエイク バード』などのアリシア・ヴィキャンデルのほか、ジョエル・エドガートン、サリタ・チョウドリー、ショーン・ハリスらが出演する」とあります。

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「アーサー王のおいであるものの騎士になれず、人々に誇る英雄譚を持てずにいるサー・ガウェイン(デヴ・パテル)。クリスマスに円卓の騎士が集う王の宴が開かれる中、全身を草木に包んだような異様な姿の騎士が現れ、ガウェインに首切りゲームを持ち掛ける。ゲームに挑んだガウェインによって異様な騎士は首を切り落とされるが、騎士は切り落とされた自らの首を拾って『1年後にわたしを捜し出し、ひざまずいて、わたしからの一撃を受けるのだ』と言い姿を消す。その約束を果たそうと、ガウェインは騎士を捜す旅に出る」です。


この映画の原作というか原典は、『サー・ガウェインと緑の騎士』です。イングランドで書かれた作者名不詳の物語で、韻文です。1300年代後半、イングランド北西部、現在のマンチェスター周辺で書かれたとされています。作者は名前が明らかでないため、この作品の名を取って「ガウェイン詩人」、あるいはもう1つの代表作である『パール』の名を取って「パール詩人」などと呼ばれています。同時代のイングランド詩人であるジェフリー・チョーサーは、宮廷に出仕していたこともあってその名を現代まで残しています。しかし、「ガウェイン詩人」は中世の没個性傾向、つまり神の前では人間はみな平等であるため、その名を公に轟かせることを慎むといった当時の風潮の影響を受けてか、本名が未だ明らかになっていません。


写本が唯一の原典として伝わっていますが、どこをどう探しても作者の名前が見つからないのです。その原典をJ・R・R・トールキンが現代英語に翻訳し、ブログ「ミッドサマー」などのA24が映画化したダークファンタジーが「グリーン・ナイト」なのです。なお、トールキンは、『サー・ガウェインと緑の騎士』について、「中世を理解するための最適な窓」と表現しています。「グリーン・ナイト」の主人公がアーサー王の甥ということで、有名な『アーサー王と円卓の騎士』で知られるキャラクターたちも続々と登場します。アーサー王はもちろん、円卓の騎士たちにも武勇伝という物語がありますが、アーサー王の甥にはそれがありません。「グリーン・ナイト」は、それを探求しに彼が冒険に出かける物語です。


伝説の中では、アーサー王ランスロット卿をはじめとする勇敢で高潔な騎士たちが、貴婦人や乙女を守って大冒険を繰り広げます。馬上試合や華麗な恋愛が花開く中、魔法使いや予言者が闊歩し、邪悪な怪物や恐ろしい蛮族が攻め寄せます。魔法、妖精、聖杯、エクスカリバーなど、後世で「ファンタジー」と呼ばれる文学的要素のほとんどが、アーサー王伝説の中に含まれていると言われます。なにしろ、『指輪物語ロード・オブ・ザ・リング)』も『スター・ウォーズ』も『ドラクエ』も『ファイナル・ファンタジー』も、そのすべてがアーサー王伝説の亜流といって良いほど、強い影響を受けているのです。


アーサー王に仕える騎士たちは「円卓の騎士」と呼ばれます。円卓とは、文字通り、丸いテーブルのことです。アーサー王をはじめ、すべての騎士たちはキャメロット城内に設置された円卓にぐるっと座って会談をします。円卓の大きさは写本によって違っており、定員13名~150名まで、さまざまなヴァージョンがあります。円卓という丸いテーブルだと上下関係の序列がつきません。ですので、「騎士たちは、みんな平等」という理念が示され、まるで民主主義の源流を見るようです。映画「グリーン・ナイト」では、このキャメロット城内で円卓の騎士たちが集っている場に「緑の騎士」が出現するのですが、それは恐ろしいクリーチャーでした。物語が一気にダーク・ファンタジーに突入したことがわかりました。主人公が旅の途中で遭遇する「進撃の巨人」を彷彿とさせる巨人たちの行進も、まことに幻想的で良かったです。


「グリーン・ナイト」を監督したデヴィッド・ロウリーは、ブログ『見るレッスン 映画史特別講義』で紹介した本の著者である映画評論家の蓮實重彦氏(東京大学元総長)のお気に入りの映画人です。なぜ、お気に入りかというと、まずは、ロウリーのショットがことごとく決まっているからです。同書で蓮實氏は「フランシス・フォード・コッポラはともかく、スティーブン・スピルバーグも、マーティン・スコセッシも、『ショット』に対する自覚がやや希薄な人たちだと思います。これだと納得できるショットが彼らにあまりない。いろいろな場面が組み合わさると作品としてそれなりにまとまりますが、印象に残るショットが比較的少ない」と述べています。

 

 

それから、蓮實氏がロウリーを気に入っている第2の理由は、彼の作品はほぼ90分で作られているからです。同書で蓮實氏は「映画というものは、ほぼ90分で撮れるはずなのです。それを最も忠実に繰り返しているのがデヴィッド・ロウリーだと思います。今までの作品はほとんど90分です。もちろん、それにふさわしい上映時間というものがあらかじめ決まって存在するわけではありません。ところが90分ぐらい収まっている作品の中に優れたものが多い。これはなぜなのかというのを突き詰めなければなりません。現在では、どういうわけか2時間20分が平均になっています。そうすると、140分もの間、観客を惹きつけておくだけの価値が彼らの演出にあるかといえば、とてもそうは考えられない。デヴィッド・ロウリーの映画を見ていると、90分に収められるのはなぜかということが理解できるような気がします」と述べます。


さらにロウリー作品について、蓮實氏は「彼のこれまでの作品が2時間20分だったら退屈でしょう。題材としては2時間20分ぐらいになりそうなものですが、それを見事に90分で終えています」と述べていますが、じつは「グリーン・ナイト」の上映時間は2時間10分なのです。さて、蓮實氏の感想が気になりますね。ロウリーの作品といえば、ブログ「A  GHOST  STORY/ア・ゴースト・ストーリー」で紹介した映画があります。わたしも大好きな作品ですが、これは上映時間が92分です。主演はケイシー・アフレックルーニー・マーラ。不慮の死を遂げた男がシーツを被った幽霊となって、遺された妻や世の移り変わりを見守り続ける姿を描いています。不思議な味わいのファンタジーで、何度も観たい名作です。拙著『心ゆたかな映画』(現代書林)でも取り上げましたが、おかげさまで同書は大変好評で、素晴らしいレビューが多数寄せられています。わたしのおススメ映画を100本紹介していますので、まだ未読の方はぜひ御一読下さい!

心ゆたかな映画』(現代書林)

 

2022年11月26日 一条真也

 

「窓辺にて」

一条真也です。
東京に来ています。
25日、互助会保証株式会社の監査役会が始まるまでに、朝一番で日比谷へ。TOHOシネマズ日比谷で日本映画「窓辺にて」の初回上映を鑑賞しました。わたしは、稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾の「新しい地図」の3人を日本を代表する俳優集団として高く評価していますが、この映画に主演した稲垣吾郎の演技は素晴らしかったです!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『半世界』などの稲垣吾郎が主演を務め、好きという感情について描いたラブストーリー。妻の浮気を知りながら何も言い出せないフリーライターが、自身に芽生えたある感情に悩む。監督は『愛がなんだ』などの今泉力哉が務め、本作のために脚本も書き下ろした」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者の妻・紗衣が売れっ子小説家と浮気していることを知りながら、妻にそれを指摘できずにいた。それだけでなく、彼は浮気を知ったときに芽生えた自身の感情についても悩んでいた。ある日、文学賞を受賞した女子高校生作家・久保留亜の小説に心を動かされた茂巳は、留亜に小説のモデルについて尋ねる」です。


この映画の醍醐味は、なんといっても登場人物たちの会話にあります。珠玉の文学作品を朗読しているようなセリフの数々がこれ以上なく魅力的であり、ほとんど会話劇と言ってもいいほどです。タクシーの中で運転手と主人公の茂巳が交わす会話があります。パチンコハマっているという運転手が「『時は金なり』って言いますが、パチンコは時も金も同時に使ってしまうもの。こんなに贅沢なものはありませんよ」というセリフなどは名言でしたね。この映画の脚本は今泉力哉監督が自ら書いていますが、小説家の心中を見事に表現しています。もしかすると、今泉監督自身がもともと小説家志望だったのではないでしょうか。また、映画の中に「村上春樹」という固有名詞が出てきますが、この物語自体が村上春樹的だとも感じました。これも、今泉監督が春樹ワールドの影響を受けているように思えてなりません。ブログ「『村上春樹 映画の旅』展」で紹介したように、前日に春樹ワールドを堪能したばかりでしたので、余計にそのように感じたのかもしれませんね。


「窓辺にて」は上映時間が142分もあるのですが、まったく長さを感じさせず、一気に観てしまいました。ブログ「ファイブ・デビルズ」で紹介した前夜に観たフランス映画と違って、ストーリーも面白かったですし、美しい映像だけでなく、会話、生活音、環境音、そして無音が心地よかったです。タイトルにもなった「窓辺にて」を連想させるように、窓辺から陽の光が差し込むシーンが素敵でした。主人公たちは窓辺の日光を自らの手に当てて「光の指輪」を作ろうとします。それを見て、わたしは「やはり、太陽光線(SUNRAY)は幸福のメタファーなのだ」と思いました。全体を通してスタイリッシュな映画でしたが、「ファイブ・デビルズ」よりもずっとフランス映画っぽかったです。昨夜訪れたヒューマントラストシネマ有楽町では、近く「ジェラール・フィリップ映画祭」が行われますが、「窓辺にて」の稲垣吾郎はとても儚げで美しく、まるで和製ジェラール・フィリップみたいでした。


稲垣吾郎が演じる主人公の茂巳は、妻が不倫をしても少しもショックを受けず、悲しくも苦しくもなく、逆にその事実にショックを受けます。でも、彼はけっして妻を含めて他人に無関心の冷たい人間なのではなく、他人の気持ちに配慮しすぎる温かい人間なのだと思います。彼の愛情は、情愛や恋愛や夫婦愛さえも超越した隣人愛とも呼ぶべきもので、その意味では変人だと言えます。でも、「妻が不倫をしていることが悲しくない」自分に嫌悪感を抱く茂巳が、夫の不倫に苦悩する人妻を見て、「いいなあ、ちゃんと悲しめて」と言う場面があるのですが、これにはちょっとドキッとしました。グリーフケアの研究と実践を重ねていく上で、グリーフについて考える日々なのですが、悲しめない人がいるというのは意表を衝かれました。「いいなあ、悲しめて」は、ブログ「アニメ版『鬼滅の刃』」で紹介した作品の主題歌の歌詞にある「悲しみよ、ありがとう♪」以来のインパクトがありました。


悲しみの歌といえば、この映画にはブログ「Lemon」で紹介した大ヒットソングも登場します。玉城ティナ演じる女子高校生作家の久保留亜が彼氏と別れ話をした5時間の間、ずっと「Lemon」の「あの日の悲しみさえ、あの日の苦しみさえ♪」というフレーズがリピート再生され続けたというのです。それを聴いた稲垣吾郎演じる茂巳は、「それは辛かったねえ」と留亜に同情するのでした。わたしが「Lemon」を初めて聴いたのは、NHK「第69回紅白歌合戦」においてでしたが、まさに「グリーフケア・ソング」だと思ったのでした。この歌は、「愛する人を亡くした人」のための歌です。愛する人を亡くした人は誰でも、「Lemon」の冒頭の歌詞のように、「夢ならば、どれほどよかったでしょう」と思うはずです。また、「未だに、あなたのことを夢に見る」はずです。「戻らない幸せがあることを、最後にあなたが教えてくれた」とも思うでしょう。「今でも、あなたはわたしの光」という言葉も出てきますが、闇の中で光を見つける営みこそ「グリーフケア」ではないでしょうか。


玉城ティナ演じる久保留亜を見ていたら、ブログ「響―HIBIKI―」で紹介した2019年の日本映画を連想しました。マンガ大賞2017で大賞に輝いた、柳本光晴のコミック『響~小説家になる方法~』を実写化した作品で、監督は月川翔、主演は元欅坂46(現在は桜坂46)の絶対エースだった平手友梨奈です。突如として文学界に現れた、鮎喰響(平手友梨奈)という15歳の少女。彼女から作品を送られた出版社の文芸編集部の編集者・花井ふみ(北川景子)は、彼女の名を知らしめようと奔走する。やがて響の作品や言動が、有名作家を父に持ち自身も小説家を目指す高校生の祖父江凛夏(アヤカ・ウィルソン)、栄光にすがる作家、スクープ獲得に固執する記者に、自身を見つめ直すきっかけを与えていくようになるのでした。女子高生作家としてのたたずまいは、響も留亜も似ていました。というより、留亜のモデルはきっと響では?


主演の稲垣吾郎は相変わらず素晴らしい演技力でした。小説家という役柄は、やはり彼が主演したブログ「ばるぼら」で紹介した2020年の日本映画と同じでした。「ばるぼら」は、1973年から1974年に『ビッグコミック』で連載された手塚治虫の異色作を映画化したものです。監督は手塚治虫の息子の手塚眞で、謎めいた少女と暮らす小説家の行く末を描きます。作家として活躍する美倉洋介(稲垣吾郎)は新宿駅の片隅で、ばるぼらという酩酊状態の少女(二階堂ふみ)と遭遇します。洋介は、見た目がホームレスのような彼女を自宅に連れて帰ります。だらしなく常に酒を飲んでいる彼女に呆れながらも、洋介は彼女の不思議な魅力に惹かれていきます。何より、彼女と一緒にいると新しい小説を書く意欲が湧くのでした。作家に限らず、稲垣吾郎は繊細なクリエイターやアーティストの役が似合いますね。

 

 

最後に、映画「窓辺にて」には2組の不倫カップルが登場します。わたしは、アメリカの人類学者であるヘレン・E・フィッシャーが書いた『愛はなぜ終わるのか』という本の内容を思い出しました。愛は4年で終わるのが自然であり、不倫も、離婚・再婚をくりかえすことも、生物学的には自然だと説く衝撃の書です。フィッシャーによれば、不倫は一夫一妻制につきものであり、男も女も性的に多様な相手を求め、結婚を繰り返すことは生物学的な人間性に合致しているといいます。事実、世界の多くの国々で、離婚のピークは結婚4年目にあるそうですが、この4年という数字の秘密を狩猟採集時代にまで遡って解明します。


結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)

 

同書の内容は拙著『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)でも詳しく紹介しましたが、このような現状は、人類の進化の過程に合致するものだとか。もっとも、社会的・文化的な変容はあり、狩猟社会から鋤で耕す農耕社会になってからは女性が男性に従属するなど、イレギュラーなことはありましたが、工業社会になってから女性が働くようになったので、以前のような状況になっているというのです。不倫はいけないこととは思われていても、この世からなくなることはありません。なぜなら、現在の結婚相手と真の意味での「結魂」を果たしているとは限らないからです。人は誰でも運命の「ソウルメイト」がいるというのが、わが恋愛観です。「本当の理想の相手とは?」について考える上でも「窓辺にて」は興味深い映画でした。

 

2022年11月26日 一条真也

「ファイブ・デビルズ」

一条真也です。
東京に来ています。
24日の夕方、銀座で映画関係者と打ち合わせした後、ヒューマントラストシネマ有楽町でフランス映画「ファイブ・デビルズ」を観ました。超常現象が起こるので一応はホラーなのでしょうが、説明不足の印象が強く、ストーリーがよく理解できませんでした。途中で寝てしまいましたし、決して面白い映画ではありませんでしたね。


ヤフー映画の「解説」には、「『アデル、ブルーは熱い色』などのアデル・エグザルコプロス主演のスリラー。特殊な嗅覚を持つ少女が、叔母の来訪を機に母と叔母の記憶に入り込む。監督を務めるのは『パリ13区』などの脚本を手掛けたレア・ミシウス。『ベネデッタ』などのダフネ・パタキア、『アマゾンの男』などのパトリック・ブシテーのほか、サリー・ドラメ、スワラ・エマティ、ムスタファ・ムベングらが共演する」とあります。

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「嗅覚にまつわる不思議な能力を持つヴィッキー(サリー・ドラメ)。その力を用いてひそかに母親ジョアンヌ(アデル・エグザルコプロス)の香りを収集していた彼女の前に、謎めいた雰囲気を漂わせた叔母が現れる。それを機にヴィッキーの嗅覚の能力はさらに力を増し、自分が生まれる前の母と叔母の記憶の世界に入り込んでしまう」


物語は、ファイブ・デビルズというフランスの山奥の村を舞台に、特殊な嗅覚を持つ少女が両親たちの過去にタイムリープして、その真相を知っていく様子を描いています。タイムリープもよくわかりにくいのですが、何より、この映画には白人女性と黒人男性の夫婦とか、白人女性と黒人女性の同性愛とか、いろんな要素がゴチャマゼになっていて、観ていて混乱します。別に黒人と白人の結婚だろうが、同性愛だろうが、今のご時勢、一向に構いません。しかし、とにかく説明不足なので、「どうして、そうなったの?」と疑問に思う点が多々ありました。監督が、多様性を表現したかったのでしょうか?


映画の冒頭で、ファイブ・デビルズに住む少女ヴィッキー(サリー・ドラメ)が「炎上する建物の前で立ち尽くす若かりし頃の母ジョアンヌ(アデル・エグザルコプロス)の夢」を見るシーンが登場します。母を溺愛するヴィッキーは特殊な嗅覚を持っています。自分の好きな匂いを別の何かで再現することができるのですが、嗅覚の超能力という設定はきわめて珍しいですね。ヴィッキーは匂いの主体を小瓶に詰めるのが趣味で、彼女の部屋には「MAMAN」と書かれた母の匂いが再現された小瓶がいくつも置かれていました。ヴィッキーは、まるで調香師のようでもあり、魔女のようでもあります。カラスを煮るところなどは、完全に魔女でしたね。


ヴィッキーは、匂いを嗅いでタイムリープします。つまり、香りが時間を超越させるわけですが、日本のSF作家である筒井康隆の「時をかける少女」を連想しました。放課後の誰もいない理科実験室でガラスの割れる音がしました。壊れた試験管の液体から漂う甘い香り。芳山和子が「このに匂いを私は知っている」と感じたとき、彼女は不意に意識を失って床に倒れてしまいます。そして目を覚ました和子の周囲では、時間と記憶をめぐる奇妙な事件が次々に起こり始めます。思春期の少女が体験した不思議な世界と、あまく切ない想いを描いた名作です。この物語は、NHK少年ドラマシリーズでも「タイムトラベラー」として1972年に映像化されましたが、1983年に角川映画化され、原田知世が和子役でデビューしています。

 

 

また、ヴィッキーが香りによって時を超えるという設定に、わたしはこの映画と同じフランスが生んだ世界文学史上に輝く名作小説を思い起こしました。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』です。物語の語り手であるマルセルはマドレーヌ菓子を紅茶に浸して食べますが、その香りから幼少時代の記憶が一気に思い出されるのです。そして、壮大な物語が始まるのでした。とにかく、この出来事をめぐってフランス語の原書で3000ページもの小説を書き上げたということ自体が驚嘆に値しますし、プルーストの文学的才能を物語っていると言えるでしょう。

香をたのしむ』(現代書林)

 

母親から出されたスプーン1杯の紅茶とマドレーヌを口元に運んだとき、マルセルは身震いし、「すべてを支配する喜び」に満たされます。漠然とした懐かしさに圧倒された彼は、この「いつか嗅いだことのある香り」の原因を必死で突き止めようとします。懸命な努力の結果、ついに記憶はよみがえります。それはマルセルが子どもの頃こと、日曜日の朝に、レオニ叔母さんが紅茶に浸したマドレーヌを彼に食べさせてくれたのでした。この描写は大変なインパクトを世界中の読者に与えました。そして、嗅覚によって過去の記憶が呼び覚まされる心理現象を「無意識的記憶」あるいは「プルースト現象」と呼ばれるまでに至ったのです。この「プルースト現象」については、拙著『香をたのしむ』(現代書林)で詳しく説明しました。

 

2022年11月25日 一条真也

早稲田散策

一条真也です。
東京に来ています。
24日、ブログ「『村上春樹 映画の旅』展」で紹介した展覧会を観るために、久しぶりに母校の早稲田大学を訪れました。ブログ「ホームカミングデー」で紹介した2011年10月16日以来ですから、じつに11年ぶりの母校訪問です。この日は、早稲田カラーであるダークレッド(えんじ色)のコーデで決めました。


「キッチン オトボケ」の前で


これが、ミックスフライ定食だ!


もうトシだけど、食べられるかなあ?


ああ、なつかしい味だなあ!

 

この日は「出版寅さん」こと内海準二さんと一緒だったのですが、キャンパスに入る前に昼食を取ることにしました。赤坂見附でランチ・ミーティングする予定だったのですが、「せっかくなら、早稲田のなつかしい店で食べたい!」と思ったのです。学生時代に通っていた定食屋などはほぼ消えていましたが、奇跡的に行きつけだった「キッチン オトボケ」が残っていました。揚げ物の旨い店で、わたしはオトボケの「ミックスフライ定食」が大好物でした。じつに40年ぶりにボリューム満点のミックスフライ定食を注文しましたが、けっこう食べれました。残念ながら、完食はできませんでしたが・・・・・・。


大隈講堂の前で


大隈講堂を背に


早稲田のシンボル・大隈重信銅像

大隈重信像の前で

 

その後、満腹の腹ごなしに早稲田大学周辺を散策し、キャンパスに入っていきました。大隈講堂を見ると、「花は桜木、男はワセダ」という貼り紙を自分の勉強部屋に貼っていた受験生時代を思い出し、胸が熱くなります。また、大隈重信像を見上げていたら、1年生のときの早稲田祭で、わたしが大隈銅像に扮したパフォーマンスをしたことを思い出しました。「福岡県学生稲門会」の企画でやったのですが、これが意外に受けて、「人間大隈銅像あらわる!」と大きな話題になりました。NHKニュースにも登場し、「蛍雪時代」や「早稲田進学」といった受験雑誌のグラビアにも写真が掲載されて、わたしはちょっとした有名人になったのでした。なつかしい思い出です。まあ、昔からオッチョコチョイだったわけですね。(笑)

早稲田大学演劇博物館の前の内海さん

リーガロイヤル早稲田でアイスコーヒーを飲む


ラウンジの入口に映画の告知が・・・・・・



その後、早稲田大学演劇博物館(enpaku)で開催中の「村上春樹 映画の旅」展を鑑賞した後は、喉が渇いたので、アイスコーヒーが飲みたくなりました。西門の近くに「チェリーロール」というアイスコーヒーの美味しいカフェがあったのですが、なくなっていました。この店は、わたしが早稲田の後輩だった妻に初めて会った場所でした。思い出の店がことごとくなくなっているので、仕方なくリーガロイヤルホテル早稲田のコーヒーラウンジに入りました。見ると、入口に12月2日から公開の日本映画「月の満ち欠け」の告知ボードがあります。このラウンジでロケ撮影が行われたようです。


大和書房から上梓した2冊の宗教本

 

リーガロイヤルホテル早稲田の向かいには、大和書房があります。わたしは、かつて大和書房から『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』、『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益』(ともに、だいわ文庫)を出したことがありますが、その頃、よくこのラウンジで打ち合わせしていました。その2冊も内海さんにプロデュース&編集していただきました。なつかしい思い出です。

ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー

さらに記憶の糸をたどっていけば、1988年に早稲田大学を卒業したばかりのわたしが「ワセダの仕掛人」として処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)を出したときの編集者も内海さんでした。そのとき、「一条真也」が誕生したのです。同書には、「チェリーロール」をはじめ、早稲田の思い出がたくさん書かれています。今年も、最新刊の『心ゆたかな映画』(現代書林)をはじめ、内海さんとタッグを組んで3冊の本を出せて、感謝しています。今日は、母校を散策できて良い日でした!


早稲田大学の先輩と後輩の「映画」の本

 

2022年11月24日 一条真也