「ミッドサマー」  

一条真也です。
21日、東京から北九州に戻りました。
働き方改革」会議に集まったサンレーグループの責任者たちとの懇親会に出席してから、レイトショーでこの日から公開された映画「ミッドサマー」を観ました。もちろん疲れてはいましたが、グリーフケアや儀式にも関係する内容だと聞いていたので、少しでも早く観ておきたかったのです。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「長編デビュー作『へレディタリー/継承』で注目されたアリ・アスターが監督と脚本を務めた異色ミステリー。スウェーデンの奥地を訪れた大学生たちが遭遇する悪夢を映し出す。ヒロインを『ファイティング・ファミリー』などのフローレンス・ピューが演じ、『ローズの秘密の頁』などのジャック・レイナー、『メイズ・ランナー』シリーズなどのウィル・ポールターらが共演」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「思いがけない事故で家族を亡くした大学生のダニー(フローレンス・ピュー)は、人里離れた土地で90年に1度行われる祝祭に参加するため、恋人や友人ら5人でスウェーデンに行く。太陽が沈まない村では色とりどりの花が咲き誇り、明るく歌い踊る村人たちはとても親切でまるで楽園のように見えた」



「ミッドサマー」という邦題ですが、映画の冒頭は「ミッドウィンター」というべき雪のシーンから始まります。物語の舞台となる北欧のスウェーデンの冬景色なのでしょうが、非常に寒々しい印象です。スウェーデンを代表する映画監督であるイングマール・ベルイマンアリ・アスターが敬愛しているそうです。その後、観客の心を凍りつかせるような出来事が起こります。主人公である女子大生ダニーの家族がガス漏れ事故で亡くなるのです。ダニー以外の家族、父親、母親、妹がガス中毒で死亡するのですが、家族の中で自分だけ取り残されたダニーの絶望は凄まじいほどでした。じつは、わたしは、しこたま酒を飲んでから映画館に入ったため、眠くなりました。しかし、心中に至る緊迫感溢れるシーンでは集中して鑑賞していたのですが、その後に少しだけ寝落ちしてしまいました。すると、なぜか自分が大学生の頃に戻って東京で一人暮らしをしており、郷里の父と母と弟が3人とも不慮の事故で亡くなる悪夢を見てしまいました。



そのスウェーデンのホルガ村には奇妙な風習や儀式が残っており、90年に1度行われる祝祭では老若男女を問わずに人々が白の衣装を着て踊り続けます。この白い衣裳、かつてのオウム真理教やパナ・ウェーヴの信者のように見えないこともありませんが、葬儀での死装束やお遍路の格好を見てもわかるように、「白」は異界に続く色なのです。わたしは白い衣裳で踊るホルガ村の少女たちを見て、1975年のオーストラリア映画「ピクニックatハンギング・ロック」を思い出しました。オーストラリアで実際に起こった謎の女生徒失踪事件を映画化した作品です。1900年2月24日、名門女子学園の生徒たちハンギング・ロックへとピクニックに出掛けますが、その中の数名が神隠しに遭ったかのごとく忽然と姿を消しました。白い衣装に身を包んだ美しい少女たちの姿と、全編をつらぬく幻想的なムードが強く印象に残っています。



「ミッドサマー」は、花と緑に包まれた幸福感溢れる状況の中で冷酷な殺人が行われるという恐ろしい話です。楽園かと思っていたら、地獄のような場所だったというのは「ザ・ビーチ」(1999年)を連想しました。レオナルド・ディカプリオ主演のミステリアス・アドベンチャーで、刺激を求めてタイのバンコクへとやって来たリチャード(ディカプリオ)はそこで、地上の楽園と呼ばれる伝説の孤島の噂を耳にするのでした。自由を求めて未開の地へ冒険する主人公を通して、現実感を喪失した現代のリアルな若者像を浮き彫りにしてゆく映画でした。楽園の住人ほど怖いものはないという設定は、本作「ミッドサマー」に通じています。



「ミッドサマー」の監督であるアリ・スターは、ブログ「ヘレディタリー/継承」で紹介した映画で長編デビューを果たしました。家長の死後、遺された家族が想像を超えた恐怖に襲われるホラーです。「ヘレディタリー/継承」の冒頭には、グラハム家の家長である老女エレンの葬儀の場面があります。予告編の印象から、わたしはエレンが魔女か何かで、その血統を孫娘が受け継ぐ話かなと思っていたのですが、その予想は完全に裏切られました。「継承」には、もっと深い意味があったのです。ちなみに、わたしは日常的に「継承」という言葉を使っています。一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の副会長として儀式継創委員会を担当しているのですが、儀式継創というのは儀式の「継承」と「創新」という意味なのです。

儀式論』(弘文堂)

 

「ヘレディタリー/継承」には葬儀の他にも、さまざまな儀式が登場します。それは死者と会話する「降霊儀式」であったり、地獄の王を目覚めさせる「悪魔召喚儀式」であったりするのですが、『儀式論』(弘文堂)を書いた「儀式バカ一代」を自認するわたしとしては、これらの闇の儀式を非常に興味深く感じました。そのディテールに至るまで、じつによく描けていました。ブログ「来る」で紹介した日本映画は和製儀式映画でしたが、「ヘレディタリー/継承」は西洋儀式映画と言えるかもしれません。



「ヘレディタリー/継承」は話題のホラー映画だったので早く観たかったのですが、北九州では上映されておらず、東京でも観る時間がなかったため、やむなく、一昨年の博多のシネコンで鑑賞しました。それが「ミッドサマー」は堂々たる全国ロードショーで、小倉のシネコンシネプレックス小倉」でも上映されました。2番目に小さいシアター9でしたが、23時終了のレイトショーにもかかわらずほぼ満員で驚きました。正直、わたしは「こんなTHEカルト映画みたいな作品、小倉の人は理解できるかな?」と思いましたけど・・・・・・。「ミッドサマー」を一言でいうと、じつに嫌な映画でした。ダニーが家族全員を喪失するというオープニングかたら「グリーフケア映画」の予感もしたのですが、その正体は「儀式映画」でした。それも、イカれた連中による狂気の儀式を描いた映画です。



イカれた連中による狂気の儀式を描いているといえば、1973年のイギリス映画「ウィッカーマン」があります。カルト映画として、あるいは「フォークホラー」の代表作として知られていますが、スコットランドに古くから伝わる原始的宗教が生き残る島を描いた、ミステリアスなフォークミュージカル風恐怖ドラマです。「ウィッカーマン」とは、ガリア戦記に記述されている柳の枝で編まれた巨大な人型の檻で、ドルイド教徒が生贄となる人間を入れて燃やしたものです。キリスト教以前のペイガニズムが信仰されるのどかな島で、熱心なキリスト教徒が異教徒に迫害される世界を描いています。



ウィッカーマン」は、2006年にニコラス・ケイジ主演、ニール・ラビュート監督でリメイクされました。その物語の構成は「ミッドサマー」によく似ています。「ウィッカーマン」に登場するドルイド教徒たちは生まれ変わりを信じ、太陽を信仰し、子供たちに生殖と豊作を願うための性的なまじないを教え、大人たちは裸で性的な儀式に参加します。「ミッドサマー」に登場するスコットランドの現地人たちも同じです。彼らも明らかにキリスト教以前の大地母神信仰の持ち主で、生殖と豊作を願うための性的なまじないを教え、大人たちは裸で性的な儀式に参加するのです。おそらくは、アリ・アスター監督は「ウィッカーマン」の影響を受けているのでしょう。



「ミッドサマー」には90年に1度の秘祭が登場しますが、わたしは沖縄県南城市にある久高島で12年に1度行われる「イザイホー」という秘祭を連想しました。久高島で生まれ育った30歳以上の既婚女性が神女となるための就任儀式です。この儀式を描いた映画が ブログ「久高オデッセイ」で紹介した作品です。製作者は「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生で、株式会社サンレーが協賛、わたしも協力者に名を連ねています。「ミッドサマー」に出てくる祭礼や儀式は興味深いことは興味深いのですが、カルト集団による麻薬や幻覚剤を用いており、狂気性が強調されています。来訪者の生命も奪います。こういう映画がホラー映画として人気を呼ぶと、世界中にまだまだ存在している珍しい祝祭や儀式に対する偏見が生まれたり、助長されてしまいます。

 

秘祭 (新潮文庫)

秘祭 (新潮文庫)

  • 作者:石原 慎太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/07
  • メディア: 文庫
 

 

じつは、ホラー小説のジャンルでも、近代国家が存在を許さなかった「邪教」が伝わる場所を舞台とした伝奇ミステリーは多いです。すなわち、辺鄙な地方に伝わる奇怪な風習を描いた作品で、民俗学的興味にあふれた「奇習もの」とでも呼べるジャンルです。多くの作品がありますが、たとえば石原慎太郎氏の『秘祭』などもその1つです。沖縄の離島とか、中国地方の山奥(横溝正史の世界がまさにそう!)とかに伝わる異常な怪奇習俗をテーマにしたものが多く、過疎地に対する悪質な偏見であると批判する見方もあるようです。鎌田東二先生も、明らかに八重山諸島を舞台とした『秘祭』には離島に対する差別意識があると憤慨されていました。


映画「ミッドサマー」も、辺境に伝わる奇怪な祝祭や儀式を描いていますが、お約束のようにイカれた地元民が登場します。もちろん「フォークホラー」というジャンルがあることは知っていますが、不愉快なことこの上ありません。わたしの2大テーマは「儀式」と「グリーフケア」ですが、家族を失った主人公がその喪失感から「うつ」になり、それを癒すためにも恋人たちと一緒に旅に出て変な儀式を執行するカルト集団に捕まったという笑えない物語になっています。これでは、「儀式」にも「グリーフケア」にも負のイメージが付着される映画としか言えません。しかしながら、大きなグリーフを抱いた「うつ」状態の人がカルトな新興宗教に入会するというのはよくある話なので、もしかすると、アリ・アスターはその危険性を訴えたかったのかもしれません。そういえば、この映画、アスター監督の実体験に基づくそうですが、これは興味が湧きますね。一体どんな体験?

 

2020年2月22日 一条真也