アニメ版「鬼滅の刃」

一条真也です。
etflixに初めて加入して、アニメ版「鬼滅の刃」全26話を観ました。大正時代を舞台に主人公が鬼と化した妹を人間に戻す方法を探すために戦う姿を描く和風剣戟奇譚ですが、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在ですが、わたしはかつて節分祭において、「鬼は外 豆を投げれど 赤鬼の泣いた顔見て 鬼も内へと」という歌を詠みました。

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吾峠呼世晴の漫画を原作に、アニプレックスプロデューサーの高橋祐馬がアニメーション企画を立ち上げ、2019年にアニメスタジオ・ufotableの制作によりテレビアニメ化、同年4月から9月にかけてTOKYO MAX他で放映されました。



コミック『鬼滅の刃』既刊22巻を読む前にアニメ版を鑑賞したのですが、正直言って、原作よりもアニメの方が格段にレベルアップしている印象を持ちました。アニメとは単なる漫画の動画化ではなく、それ自体が優れたアートのジャンルであることを思い知りました。ヤフー・ニュースの記事に‟maz”という方が「鬼滅のヒットは素晴らしいアニメ化に大きな要因があると思う。原作を改変せず、キャラデザは原作を踏襲しつつアニメ用に安定させ、エピソードも、漫画のコマとコマの間もちゃんと補完して映像化し、もちろん作画崩壊も起こさない。たった数コマの話を数分に膨らませてアニメーションにする。あるべきとも言える王道のアニメ化、これができていたのが、鬼滅だと思う」と書かれていますが、まったく同感です。最強剣士である「柱」たちも魅力的に描かれています。



原作では戦闘シーンがくどく、誰と誰が戦っていたのかもわからなくなるのですが、アニメではそれがありません。ものすごいスピードで移動したり、空間そのものが変転するなどの設定も、アニメーションなら忠実に再現できています。わたしが気になってたまらない伊之助が猪突猛進する姿も、漫画だと単なるドタバタの絵だけですが、アニメだと臨場感あふれる猪突猛進が見れます。あと、主人公の炭治郎が吐く数々の名セリフ「失っても、失っても、生きていくしかない」「まっすぐに前を向け! 己を鼓舞しろ! がんばれ炭治郎! がんばれ!」「オレはやれる! 絶対にやれる! 俺はやれる男だ!」「がんばれ! 人は心が原動力だから」などの名言も、原作の活字で読むよりも、アニメで声優のセリフを聴いた方がグッときますね。



主題歌の「紅蓮華」も大ヒットし、2019年に続いて、2020年のNHK紅白歌合戦でも歌手LiSAが熱唱します。この「紅蓮華」には、「ありがとう 悲しみ」という歌詞が登場します。大きな悲しみがあったからこそ強くなれたという前向きな意味ですが、わたしはこの言葉に衝撃を受けました。かつて、安全地帯は「悲しみにさよなら」を歌い、フランソワーズ・サガンは『悲しみよ、こんにちは』を書きましたが、「ありがとう 悲しみ」とは驚きました。グリーフケアの新次元を象徴するような言葉だと思います。

 

さて、アニメでさらに印象深く描かれているのは、「呼吸」と「痛み」です。「鬼滅の刃」の鬼殺隊の剣士たちはみな、それぞれが「呼吸」という流派に属し、技を繰り出します。呼吸には、日・炎・水・雷・岩・風・月・恋・蛇・花・蟲・音・霞・獣などがあります。呼吸の始まりは、日とされています。そこから、炎・水・雷・岩・風の5つの基本呼吸と月が生まれます。さらに、炎から恋、水から蛇・花・蟲、雷から音、風から霞へと派生。獣は伊之助の我流です。
ちなみに、「水の呼吸」の使い手は、竈門炭治郎・冨岡義勇・鱗滝左近次・村田など。「花の呼吸」の使い手は、胡蝶カナエ・栗花落カナヲなど。「蟲の呼吸」の使い手は、胡蝶しのぶなどです。「鬼滅の刃」は「呼吸」の物語ともいえます。



また、「鬼滅の刃」は「痛み」の物語でもあります。剣士たちは鬼からの攻撃を受け、人体の各所を破損します。鬼ならば手足を斬られてもすぐに復元しますが、生身の人間である剣士はそうはいきません。足が折れたり、アバラ骨が折れるのも日常茶飯事です。長期入院することもあります。主人公の炭治郎は持ち前の精神力で「痛み」を克服しようとします。「オレは長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった」という名セリフを吐くのですが、この言葉は長男であるわたしのハートに見事にヒットしました。「きずな(絆)」という言葉の中には「きず(傷)」が入っています。傷を共有している者には本物の絆が生まれるのです。「痛み」による「傷」を共有した炭治郎ら鬼殺隊の面々は強い絆で結ばれるのでした。

命には続きがある』(PHP研究所)

 

ちなみに、東大病院で救急部・集中治療部部長を務められ、現在は東京大学名誉教授の矢作直樹氏は、わたしとの対談本である『命には続きがある』(PHP研究所)の中で、人の亡くなり方においても「呼吸」と「痛み」がポイントであると述べておられます。亡くなり方はさまざまでも、問題は「最期をどう迎えるか」ということ。そう、矢作氏は指摘します。すなわち、緩和ケアをどうするかという問題に焦点が当てられるわけですが、緩和のポイントが「呼吸と痛み」だというのです。矢作氏は、「いかに呼吸をしやすくし、いかに痛みを除くかという点が重要なポイントになります。その2つがクリアできれば、慢性疾患の場合、まるで眠るように亡くなることが可能です。一般に大往生と言われる逝き方はこのケースに相当します」と述べています。ブログ「対談には続きがある」で紹介した矢作氏との再対談では、このことをお話し、他にも「鬼滅の刃」の話題で盛り上がりました。




最後に、ブログ『鬼滅の刃』で、わたしは、『鬼滅の刃』という物語のルーツは『西遊記』であり、そこに手塚治虫のDNAも流れ込んでいるというアイデアを示しましたが、それはアニメ版においてより明確になっています。アニメ版「鬼滅の刃」のホラー的雰囲気はアニメーションと特撮の合作作品であった手塚原作の「バンパイア」、鬼と人間との戦闘は同じく手塚原作の「どろろ」を連想させますが、最も関連性の高い作品が手塚の『ぼくの孫悟空』をアニメ化した「悟空の大冒険」ではないでしょうか。





というのも、「鬼滅の刃」は竈門炭治郎、竈門禰豆子、我妻善逸、嘴平伊之助の4人の道行きの物語でもあり、その途中で遭遇した鬼=妖怪を倒し続けるわけですが、これは「悟空の大冒険」のオリジナルである中国古典の「西遊記」とまったく同じ構造なのです。そう、炭治郎が孫悟空、髪型のユニークな善逸が沙悟浄、獣の顔をした伊之助が猪八戒なのです。そして、炭治郎が箱に入れて大切に運んでいる禰豆子こそは三蔵法師でしょう。そういえば、TVドラマの「西遊記」では、女優の夏目雅子三蔵法師を演じていました。これ以上は立ち入りませんが、この推測にわたしは自信を持っています。そして、アニメの最終話である第26話のラストは、そのまま「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」へと繋がっていくのでした。



2020年11月22日 一条真也