一条真也です。
109冊目の「一条真也による一条本解説」をお届けいたします。『心ゆたかな映画』(現代書林)です。「HEARTFUL CINEMAS ハートフル・シネマズ」のサブタイトルがついています。480ページのボリュームで、2022年11月15日に刊行されました。
『心ゆたかな映画』(現代書林)
本書の帯
本書の帯の裏
本書の帯には、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」「ネットで大人気の映画レビューが待望の書籍化!!」「世界的大ヒット作からミニシアターの佳作までを網羅した厳選の100本」と書かれています。
本書は、『心ゆたかな読書』(現代書林)の姉妹本です。読書と映画鑑賞は教養の両輪だとされていますが、ともにその目的は心をゆたかにすることにあります。わたしがブログを書き始めたのは2010年からですが、多種多様な記事の中で、最も人気があるものの1つが本の書評であり、映画の感想です。本書に収めた100本の映画レビューも、わたしの公式ブログである「一条真也の新ハートフル・ブログ」に掲載した記事をもとに構成されています。
「一条真也の映画館」のTOPページ
もともと、読書ブログには大量のアクセスが寄せられていましたが、最近は映画ブログも負けないくらいに注目されてきたようです。新作映画の感想をブログにアップした直後から膨大なアクセスが集中することもしばしばで、ネットの検索結果でもよく1位になっています。ブログ記事は「一条真也の映画館」という映画レビュー専門サイトにも再掲載していますが、こちらもよく読まれています。
本書の目次は、以下の通りです。
「まえがき」
第1章 ミュージック&ミュージカル
「ロケットマン」
「エルヴィス」
「美女と野獣」
「アラジン」
「レ・ミゼラブル」
「ラ・ラ・ランド」
第2章 ラブロマンスに酔う
「マリアンヌ」
「蝶の眠り」
「ラストレター」
「糸」
「スパイの妻」
第3章 ヒューマンドラマに涙する
「ミナリ」
「羊と鋼の森」
「いのちの停車場」
第4章 ファンタジーで夢の世界へ
「異人たちとの夏」
「夜叉ヶ池」
第5章 SF映画でワクワクする!
「シン・ゴジラ」
「ワンダーウーマン」
「イエスタデイ」
「テネット」
「レミニセンス」
第6章 ホラーだって心ゆたかに!
「マザー!」
「ファーザー」
「ライトハウス」
「アンテベラム」
第7章 死生観とグリーフケア
「アマンダと僕」
「魂のゆくえ」
「永い言い訳」
第8章 社会を持続させるシネマ
「ムーンライト」
「グリーンブック」
「ジョーカー」
「朝がくる」
「189」
「梅切らぬバカ」
第9章 歴史とドキュメンタリー
「キングダム」
「花戦さ」
「最後の決闘裁判」
「彼らは生きていた」
「ホテル・ムンバイ」
第10章 アニメーションの楽園
「かぐや姫の物語」
「思い出のマーニー」
「君の名は。」
「この世界の片隅に」
「竜とそばかすの姫」
「リメンバー・ミー」
「あとがきに代えて~ありがとう、小倉昭和館」
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
わたしが映画の本を書くのは、『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)に続いて、本書が二冊目です。前作では、「あなたの死生観が変わる究極の50本」というサブタイトルのとおりに、映画館の暗闇の中で生と死を考える作品を厳選しました。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる映画、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などを集めてみました。
わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると考えています。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。すなわち、写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。
だからこそ映画の誕生以来、時間を超える物語を描いたタイムトラベル映画が無数に作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思います。
『死を乗り越える映画ガイド』を刊行した後も、わたしはたくさんの映画を観ました。すると、今度は奇妙な現象が起きました。どんな映画を観ても、グリーフケアの映画だと思えてきたのです。ジャンルを問わず、どんな映画にも死者の存在があり、死別の悲嘆の中にある登場人物があり、その悲嘆がケアされる場面が出てきます。この不思議な現象の理由として、わたしは3つの可能性を考えました。1つは、わたしの思い込み。2つめは、映画に限らず物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした映画が増えているということです。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしていました。
わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知った宗教哲学者の鎌田東二先生からメールが届きました。それによれば、何を見ても「グリーフケア」に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも「グリーフケア」の要素があるのだといいます。哲学者アリストテレスは『詩学』第六章で、「悲劇」を「悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある」と規定しましたが、この「カタルシス」機能は「グリーフケア」の機能でもあるというのです。しかし、アリストテレスが言う「悲劇」だけでなく、「喜劇」も「音楽」もみな、「カタルシス」効果を持っているので、すべてが「グリーフケア」となり得る。そのような考えを鎌田先生は示して下さいました。なるほど、納得です!
グリーフケア映画の講義もしました
死別の悲嘆に寄り添うグリーフケアは、わたしの人生と仕事におけるメインテーマのひとつです。わたしが経営する冠婚葬祭会社では2010年から遺族の方々のグリーフケア・サポートに取り組んできましたし、副会長を務めた一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会では、グリーフケアPTの座長として、グリーフケア士の資格認定制度を立ち上げました。2018年からは上智大学グリーフケア研究所の客員教授も務めさせていただき、そこでは、「グリーフケアとしての映画」をテーマに、具体的な作品の紹介も含めて講義をしました。
『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
さらには、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とするグリーフケア映画「君の忘れ方」の製作も決定し、2025年1月の公開を予定しています。「グリーフケア」とは心の喪失を埋める営みであり、わが造語である「ハートフル」にも通じます。そして、わたしは映画評にとって最も大切なこととは、それを読んだ人がその映画を観たくなることだと思っています。グッドコメントであれ、バッドコメントであれ、読者がその映画を観たいと思うレビューを心がけて書いてきました。本書で知った映画を観て、心ゆたかになっていただければ、こんなに嬉しいことはありません。
2024年5月4日 一条真也拝