稲盛和夫氏、逝く!!

一条真也です。
わたしが心から尊敬する経営者である稲盛和夫氏が、8月24日午前8時25分、老衰のため、京都市伏見区の自宅で亡くなられました。90歳でした。葬儀・告別式は近親者で行ったそうです。後日、お別れの会が開かれる予定とのこと。心より御冥福をお祈りいたします。


ヤフーニュースより

 

30日配信の「京都新聞」には、「稲盛氏は1932(昭和7年)年1月、鹿児島市で生まれた。鹿児島大工学部を卒業し、京都の碍子メーカーに就職した。その後独立して59年に京都セラミツク(現京セラ)を設立。セラミックを応用した電子部品を次々と開発して事業を拡大し、一代で世界的な電子部品メーカーに育て、電子産業の発展に貢献した。通信事業分野では規制緩和の先駆けとなり、85年に第二電電(DDI)を設立した。現在のKDDIへの統合を進め、NTTの独壇場だった通信事業に自由化をもたらした。84年、紫綬褒章を受章。95年にワコール創業者の故塚本幸一氏から指名を受け、京都商工会議所会頭に就任した。97年、八幡市円福寺で得度。99年には、古都税問題で関係が悪化していた京都市と京都仏教会の和解を仲介するなど京都の発展にも尽くした」と書かれています。これだけでも、素晴らしい人生です。


しかしながら、さらに「京都新聞」には、「科学技術や文化事業にも力を注ぎ、私財を投じて稲盛財団を設立、数多くのノーベル賞受賞者を輩出する京都賞を創設した。2004年には京都府精華町児童福祉施設を建設するなど社会福祉の向上にも努めた。スポーツ分野では京都サンガに出資し、積極的に支援した。若手経営者を育てる『盛和塾』では、後進の指導にも取り組んだ。05年に京セラ取締役を退いた後は、中国や欧米をはじめ世界各国との交流に心血を注いだ。中国天津市経済顧問、パラグアイ共和国名誉領事などを務めた。政界にも大きな影響力を持った。09年の総選挙では民主党を応援し、政権交代の立役者となった。民主党政権行政刷新会議の民間議員に就き、内閣府特別顧問も務めた。10年には会社更生法の適用を申請した日航の会長を引き受け、戦後最大規模の企業再生を主導した」とも書かれています。あまりにも偉大です!


鎌田先生より稲盛和夫氏を紹介される

 

ブログ「稲盛和夫氏にお会いしました!」に書いたように、2015年9月13日、わたしは稲盛氏に初めてお会いしました。場所は、京都ホテルオークラでした。当時、わたしは「京都大学こころの未来研究センター」連携研究員を務めていたのですが、同センター主催のシンポジウムに参加したのです。冒頭、稲盛氏が祝辞を述べられることになっていました。そして、来場された稲盛氏を同センターの教授であった鎌田東二先生が、シンポジウムの開始前に紹介して下さったのです。


名刺交換させていただきました

 

わたしは、つねづね稲盛和夫氏を尊敬申し上げていました。しかし、実際にお会いするのはこの日が初めてでした。稲盛氏とわたしは2012年に第2回「孔子文化賞」を同時受賞させていただいております。でも、授賞式には弟の稲盛豊実氏(稲盛財団専務理事)が代理で出席され、ご本人とお会いすることは叶いませんでした。


お名刺を頂戴しました

 

それを鎌田先生が「孔子文化賞を同時受賞された一条真也さんをご紹介いたします」と名刺交換の機会を与えて下さったのです。稲盛氏は「おお、あなたが一条さんですか!」とわたしのことをご存知で、まことに感激いたしました。稲盛氏からも丁重にお名刺を頂戴しました。この名刺はわたしの宝物です。日本経済界最高のリーダーであるにもかかわらず、稲盛氏は腰の低い素晴らしい人格者でした。わたしは、胸いっぱいで「心より尊敬申し上げております。御著書はすべて拝読させていただきました。今日は御挨拶させていただき、まことに光栄でございます」と言うと、稲盛氏はニッコリと微笑んで下さいました。


今後とも、よろしくお願いいたします!

 

この日、わたしは憧れの方にお会いできて、本当に感激しました。孟子が会うことのなかった孔子に私淑(この言葉の出典は『孟子』です)したように、平田篤胤が会うことのなかった本居宣長に夢の中で弟子入りしたように、わたしも稲盛氏とお会いする機会がないのかと諦めていました。全互協の事業継承委員長時代に稲盛氏と懇意であったラックの柴山文夫社長(故人)に相談して、稲盛氏の講演会を企画しようともしましたが、残念ながら諸般の事情で実現しませんでした。


この名刺はわたしの宝物です!

 

わが夢を叶えて下さったのは鎌田東二先生その人です。まさに、鎌田先生こそは最高の「現代の縁の行者」でした。心より感謝いたします。わたしは私淑する渋沢栄一翁や松下幸之助翁や出光佐三翁にはお会いすることはできませんでしたが、稲盛和夫翁にはお会いできました。まさに本居宣長賀茂真淵と運命の邂逅を果たした「松坂の一夜」ならぬ「京都の朝」でした。わたしは、稲盛氏の著書の多くをブログなどで取り上げ、またその名言も紹介させていただきました。何よりもその経営理念を学ばせていただき、サンレーの経営に当たってきました。稲盛氏の教えにならって、経営は「利他」の心で行うことを心掛けています。

 

 

稲盛氏は戦後日本を代表する「哲人経営者」でした。日本人にいま求められていることは、「人間は何のために生きるのか」という、最も根本的な問いに真正面から向かい合い、哲学を確立することだと訴えました。政治にしても、経営にしても、倫理や道徳を含めた首尾一貫した思想、哲学が必要であることは言うまでもありません。しかし、政治家にしても経営者にしても、その大半は哲学を持っていません。そのような中で、「動機善なりや、私心なかりしか」と唱え続けた稲盛氏こそは、経営における倫理・道徳というものを本気で考え、かつ実行している稀有な経営者でした。わたしは氏の考えに多大な影響を受けましたが、特に以下の言葉に学ばせていただきました。
動機善なりや私心なかりしか
真の勇気をもつ
会計がわからなければ真の経営者にはなれない
全宇宙に存在するものすべてが存在する理由があって存在している
人生・仕事の結果=考え方 × 熱意 × 能力
PASSION

お客様から尊敬される
人間として正しいことを追求する


わたしがお会いした日の稲盛和夫

 

これらの言葉以外にも、わたしがいかに稲盛氏をリスペクトしているかについては、こちらをクリックしてご覧下さい。今年、日本は石原慎太郎安倍晋三という偉大な方々を失いましたが、今また稲盛和夫氏が人生を堂々と卒業されていきました。不遜ながら、見事な人生でございました。衷心より哀悼の誠を捧げさせていただきます。合掌。



2022年8月30日 一条真也