「響 -HIBIKI-」

一条真也です。
社員旅行から戻って、15日はまた法令試験の勉強をしました。朝からぶっ通しで過去問をやっていたらだんだん気分が滅入ってきて、「このままでは心が悲鳴を上げてしまう」と思い、14日から公開されたばかりの日本映画「響 -HIBIKI-」をレイトショーで観ました。予想以上に大変面白かったです!

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
マンガ大賞2017で大賞に輝いた、柳本光晴のコミック『響~小説家になる方法~』を実写化したドラマ。突如として文壇に現れた10代の作家が、さまざまな人たちに影響を与えるさまが描かれる。監督は『となりの怪物くん』などの月川翔。欅坂46の平手友梨奈がヒロインにふんし、北川景子アヤカ・ウィルソン高嶋政伸柳楽優弥らが共演する。平手は映画初主演」

 

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ヤフー映画の「あらすじ」には、こう書かれています。
「突如として文学界に現れた、鮎喰響(平手友梨奈)という15歳の少女。彼女から作品を送られた出版社の文芸編集部の編集者・花井ふみ(北川景子)は、彼女の名を知らしめようと奔走する。やがて響の作品や言動が、有名作家を父に持ち自身も小説家を目指す高校生の祖父江凛夏(アヤカ・ウィルソン)、栄光にすがる作家、スクープ獲得に固執する記者に、自身を見つめ直すきっかけを与えていくようになる」

 

響?小説家になる方法? コミック 1-9巻セット

響?小説家になる方法? コミック 1-9巻セット

 

 

原作は大変有名で売れたマンガだそうですが、わたしは知りませんでした。映画の鑑賞後は早速、映画館と同じ商業施設に入っている書店で原作コミックの『響~小説家になる方法~』(小学館)1~9巻を購入しましたけどね。正確には、以前から『響』というタイトルだけは耳にしたことがありましたが、わたしの好きなウイスキーの銘柄と同じであり、「最近、品薄で入手しにくくて困るな」と思った程度でした。
主演の欅坂46の平手友梨奈も、「紅白で倒れた子だよな」くらいの認識しかありませんでしたが、映画「響 -HIBIKI-」を観て、その存在感の大きさと演技力の素晴らしさに魅了されました。すごい才能が出てきたものです。そう、「響 -HIBIKI-」は才能の物語。この作品の場合は、小説を書くという才能の物語が描かれています。

  

この作品で、小説とは「人の心を動かすもの」と定義されていますが、優れた小説はこの世界を変えることもできる・・・そのような可能性を信じたものたちが小説を書き、文芸誌の新人賞に応募し、さらには芥川賞の受賞を夢見ます。夢破れた者は勝者にジェラシーを抱き、世を恨みます。「響 -HIBIKI-」では、そんな残酷な才能の物語が展開されていきます。物語の冒頭で、ヤンキーの高校2年生男子が新入生の女子・鮎喰響に「殺すぞ」とすごんで、逆に手の指を折られてしまいますが、このときから男たちは響に屈辱を与えられるのです。大の男が女の子に負ける、高校生に負ける・・・そんな屈辱と怨恨にまみれた「才能」の残酷な物語。それが「響 -HIBIKI-」です。


映画『響-HIBIKI-』を914倍楽しむためのメイキング、平手友梨奈の魅力満載

 

それにしても、高校の文芸部という設定がなつかしかったです。
何を隠そう、このわたしも小倉高校時代は文芸部に所属して、小説などを書いていました。ブログ「高校の同窓会」で紹介した先月11日に開催した小倉高校の同期会では、同じ文芸部員だった木田君(生徒会長でもありました)となつかしい部活の思い出を語り合いました。木田君は今でも小説を書いているそうです。わたしの本もよく読んでいてくれているそうで、嬉しかったです。

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

「響 -HIBIKI-」では主人公の鮎喰響が15歳という史上最年少で芥川賞を受賞しますが、高校時代のわたしは18歳で史上最年少の芥川賞作家になることを夢見ていました。その後、受験勉強で小説を書くことは中断し、大学に入ってからは六本木に住んだことからディスコ通いにハマり、すっかり小説とは縁遠い生活になってしまいました。その後、『蹴りたい背中』で綿矢りさ氏が19歳で芥川賞を史上最年少受賞したことを知り、自身の高校時代をなつかしく思い出したものでした。

 

 

わたしも高校1年のときに幻想小説風の短編は書いたことがありますが、鮎喰響のように200枚の長編を書き上げるというような経験はありませんでした。わたしの長女は中学生のときに14歳くらいでアニメ映画「ファインディング・ニモ」の後日談となる小説を100枚以上書いたことがありました。彼女は最近も600枚ぐらいのファンタジー長編を書いて、わたしを驚かせました。わたしの知り合いの編集者に娘の原稿を読んでもらったところ、「大変な力作です。登場人物も多く、話も複雑です」「言葉選びは自信をもってください。また、文章も読みやすく、可能性を感じます」などのコメントをいただきました。長女の小説はまだ未完成なので、まずは完成させることが先決ですね。まあ、あまり親馬鹿になってもいけませんので、この話題はくれくらいにしておきます。

 

 

映画「響 -HIBIKI-」には、明らかに村上春樹氏をモデルにしたと思われる世界的人気作家・祖父江秋人(吉田栄作)が登場します。彼の高校2年生の娘・リカ(アヤカ・ウィルソン)も小説家を目指しており、処女作は25万部のベストセラーになります。最初に彼女が「わたし、小説を出版するよ」と報告したとき、父親は「大変だよ」とだけ言います。実際、小説家で食べていくのは大変です。もし、わたしの長女が「小説家になりたい」と言ったら、その可能性は大事にしてあげたいですが、やはり親として「やめておきなさい」と言うと思います。

 

読書という荒野 (NewsPicks Book)

読書という荒野 (NewsPicks Book)

 

  

少し前に幻冬舎社長の見城徹氏が書いた『読書という荒野』を読みました。その第4章「編集者という病」には、「現在の出版シーンで、書けば必ず売れる作家といえば、百田尚樹東野圭吾宮部みゆき北方謙三、そして高村薫である」と書かれてありました。「書けば必ず売れる」どころか「小説だけで生活していける」作家の数も日本では数人にすぎないと「サンデー毎日」の編集長に教えられたことがあります。それほど厳しい世界なのです。しかしながら、作家の中には本物の表現者がいます。見城氏はさまざまな天才と交流してきましが、彼らと密接に関係して、思い知らされたことがあるそうです。本物の表現者は例外なく「表現がなければ、生きてはいられない」という強烈な衝動を抱えていることだそうです。

 

映画「響 -HIBIKI-」には、さまざまな小説家が登場しますが、大人である彼らはみな少女・鮎喰響の才能に嫉妬します。何よりも15歳という若さに嫉妬します。自分より若い人間に成功されることは、自分の過去つまり人生が全否定されるような感覚に陥り、人は不安になることが多いようです。ましてや、小説家などという自意識の塊のような連中はなおさらその不安は大きく、それが敵意に変わるのでしょう。

 

わたしも本を書く人間ですが、若い書き手の登場を喜びこそすれ嫉妬した経験はありません。というのも、わたしは小説などの文芸作品を創造する者ではなく、冠婚葬祭や年中行事といった儀礼文化の意義や重要性を説くような本を書いてきたため、あまり部数とか売上げなどは意識してきませんでした。正直、わたしが本を書くときは「必ず売れる本を書くぞ」という意識はなく、それよりも「自らの使命を果たすぞ」というミッション意識のほうが強いです。これが、わたしも小説やビジネス書などで生計を立てている職業作家だったら、若き才能の出現に心穏やかではいられなかったかもしれません。

世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)

 
 
若い才人に出会ったとき、わたしはいつも『論語』の「子罕篇」にある「子曰く、後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや」という言葉を思い出します。「後生畏るべし」はしばしば「後世畏るべし」と書き誤られます。しかし、本来は「後生」です。文字通り「後から生まれたもの」で、年少の後輩を言う言葉ですね。「先生」といえば、日本語では学校の教師、医者、弁護士、議員など特別の資格を持つ人をいう敬語ですが、中国語では単に先に生まれた人のことであり、その反対が後から生まれた人、すなわち「後生」なのです。ですから「後生畏るべし」とは、「若い人を侮ってはいけない。今と比べて将来どれほど伸びるか分からない(可能性を持っている)のだから」という意味になります。わたしは、いつも自分より年少者に対しても敬意を持つことのできる人間でありたいと願っています。

 

さて、鮎喰響を演じた平手友梨奈は、まさにハマリ役といった印象でした。鑑賞前には「ただのアイドル映画じゃないだろうな」と少し危惧していたのですが、まったくの杞憂でした。平手友梨奈は「撮影中は響として生きた」と語っていますが、納得しました。演技をしているという感じではなくて、本当にそのまま鮎喰響になり切ってしまったようでした。平手友梨奈がもともと持っているある種の「危うさ」が響の「危うさ」にシンクロしたのかもしれません。ということは、このキャスティングを実現させた月川翔監督をはじめとする関係者の勝利ですね。
映画のユーザー・レビューの中には「平手ちゃんの平手打ち!指折り!椅子殴り!飛び蹴り!サイコーっす! 痛快っす! 好きやわ〜」といったコメントもありました。欅坂46の平出ファンにはたまらないシーンが満載だったのでしょうね。

 

ただし、平手友梨奈演じる鮎喰響は、他人に無関心のようでいて、じつは思いやりの心を持っています。人生最後の勝負を賭けた芥川賞に落選して世をはかなんだ小説家・山本(小栗旬)が列車に飛び込んで自殺しようとしたとき、その場に居合わせた響は彼に向かって「死ぬつもり?」「駄作した書けないから死ぬ? バカじゃないの?」「太宰も言ってるでしょ。小説家なら、傑作1本書いて死になさい」と声をかけます。大変なリスクまで冒して(それに伴う映画のエンディングには笑ってしまいましたが)、彼の命を必死に救おうとしたのです。わたしはこのシーンを観て、タレントで元モーニング娘。吉澤ひとみ容疑者が、今月6日、酒に酔ってひき逃げ事件を起こした瞬間の映像を連想しました。吉澤容疑者は、午前7時頃、東京都中野区東中野の路上で酒に酔った状態で乗用車を運転中に自転車に乗った女性に衝突し、そのまま逃走した疑いが持たれています。猛スピードの衝突された女性は転倒し、付近を歩いていた男性にぶつかりました。

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義を見てせざるは勇なきなり! 

 

警視庁は吉澤容疑者を過失運転致傷と酒気帯び運転、ひき逃げの疑いで逮捕しましたが、わたしは映像に映っている周囲の人々の反応に驚きました。車に跳ねられて怪我をしている人がいるのに、隣にいた女子学生たちは何事もなく通り過ぎていったのです。ちょうど響と同い年くらいの女の子たちでしょうか。このシーンを観て、わたしは呆然としました。YouTubeのコメントには「おいおい、なんて周り冷たいねん。これが東京? 吉澤ひとみの悪質さにも驚いたけど、周りのヤツら血通ってんのか?」というものもありました。わたしは、通り過ぎた彼女たちに『論語』の「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉を贈りたいです。


ハートフル・ソサエティ』(三五館) 

 

一方、鮎喰響には熱い血が通っています。
そう、彼女は「義を見てせざるは勇なきなり」を地で行く女の子です。自分への中傷は許せても、友人や知人がいじめられると我慢できません。
彼女が書いた『お伽の庭』という処女作の内容が原作コミックの1巻に簡単に説明されているのですが、それには「舞台は山あいの寒村。描写されている風習、しきたりから百年ほど前の日本を思わせる。ただ、具体的な時代、場所が明記されてるわけではなく、生から死までが小さな社会の中で完結している。作者が描きたかったのは、この世界観と死生観・・・」とあります。
なんとなく、そこで暮らす人々が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然に持つハートフル・ソサエティの物語のような気がしてなりません。

 

そんな響が魂を込めて書く小説を初めて読み、初めて評価し、彼女を必死で守ろうとしたのが北川景子演じる女性編集者・花井ふみでした。編集者とは何か。
ブログ「編集者 パーキンズに捧ぐ」で紹介した映画には「編集者」という職業のすべてが描かれていましたが、見城徹氏は『読書という荒野』でこう述べています。
中上健次が抱えてしまった血の蠢き、村上龍が抱えてしまった性の喘ぎ、村上春樹が見てしまった虚無。宮本輝を動かす宇宙的不条理。そうしたものがあるからこそ、彼らは一心不乱に小説を書き、人々の心を動かしているのだ。一方、僕にはそうした情念がない。だからはっきりと、自分が小説家になるのは無理だと悟った。僕にできることは、彼らの情念を客観的に捉え、それを作品に落とし込むのをアシストすることだけだ。文学において、所詮編集者は偽物の存在だ」

 

見城氏は「結局、作家と編集者は浄瑠璃でいう『道行き』のような関係なのだ。行き着く先は地獄でも、最後の最後まで一緒に道を進むことでしか、新たなものは生まれない。アルチュール・ランボーの『地獄の季節』のなかの『別れ』のように『俺たちの舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、悲惨の港を目指』す関係なのである」とも書いています。すさまじい表現ですが、その通りであると思います。「響 -HIBIKI-」の中で、デビュー前の響を必死で口説き、デビュー後の響を必死で守ろうとする花井ふみは、作家との「道行き」を覚悟した編集者そのものだったと思います。

 

 

それにしても、北川景子は良い女優になりましたね。
パコと魔法の絵本」(2008年)以来、10年ぶりにスクリーンで見たアヤカ・ウィルソンも悪くなかったですが、何よりも平手友梨奈の映画デビューをさらに輝かせた北川景子の熱演が光りました。「響 -HIBIKI-」では、ときどき北川景子の顔が吉永小百合に重なって見えたのですが、彼女は日本映画を代表する大女優になるかもしれませんね。彼女の新作「スマホを落としただけなのに」の予告編が劇場で流れていましたが、これは面白そうですね。わたしはスマホを落としたことはありませんが、運転免許証を落として(盗まれて)、いろいろ大変な目に遭いました。11月2日公開の「スマホを落としただけなのに」はぜひ観たいと思います。

 

2018年9月16日 一条真也