光と影の世界で

一条真也です。
27日の夜、カタールW杯グループリーグE組の日本vsコスタリカ戦が行われました。ブログ「ドーハの歓喜!」で紹介したように、初戦は格上のドイツを撃破した日本ですが、2戦目は格下のコスタリカに0-1で負けました。


日本、敗れる!

 

日本は、チャンスをものにできずに終盤の失点に屈しました。ドイツ戦の勝利から連勝とはなりませんでした。攻撃陣が決め切ることをできないまま、後半36分のピンチを決め切られた形です。コスタリカのシュートは4本で枠内シュートは1本。日本は3倍以上の14本を放つも、ゴールネットを揺らすことはできませんでした。1勝1敗となり、第3戦スペイン戦では引き分け以上を狙います。


光と影のコントラスト!

 

ブログ「活動写真への誘い」で紹介した小倉昭和館のイベントから帰宅したわたしは、入浴してからテレビでコスタリカ戦を観ました。その際、サッカーのゲームとは違ったもう1つのドラマにも目を奪われました。太陽光線の当たり具合によるサッカー場の光と影のコントラストです。


眩しかったり、眩んだり・・・

 

試合開始時は日照部分つまり光の部分が多く、日が当たらない影の部分よりも目立ちました。これほど光と影のコントラストが明確だと、眩しかったり、眩んだりして、選手たちはやりにくかったでしょう。最後、日本が1点をコスタリカに奪われたときは、光の部分が少なかったですね。


次第に光の部分が少なくなって・・・

 

日本代表がコスタリカ代表に負けたことは残念でなりませんが、わたしはそれ以上に1つの考えにとらわれました。それは、「この世界には光もあれば、影もある」という厳然とした事実です。現在、わが社は「コンパッション」というものを追求しています。英語の「コンパッション」を直訳すると「思いやり」ですが、わたしが多くの著書で述べてきたように、思いやりは「仁」「慈悲」「隣人愛」「利他」「ケア」に通じます。「ハートフル」と「グリーフケア」の間をつなぐ概念も「コンパッション」です。

 

 

ブログ『コンパッション都市』で紹介した米国バーモント大学臨床教授(パブリックヘルス、エンドオブライフケア)で医療社会学者のアラン・ケレハーの著書の冒頭には「生命を脅かす病気、高齢、グリーフ・死別とともに生きる市民がいます。また家庭でケアを担う市民がいます。そんな境遇にあるすべての市民を手助けし、支援するために組織される地域コミュニティ、それがコンパッション都市・コミュニティです」と書かれ、この用語の中心には、互恵性(reciprocity)と具体的行動(action)という考え方があります」と書かれています。「互恵」とは「互助」ということでもあり、互助共生社会の実現のために具体的行動を続けるわが社にとって、「コンパッション」はドンピシャリのキーワードです。



現在、「SDGs」が時代のキーワードになっていますが、これは2030年で終わり。その後、「ウェルビーイング(wellbeing)」がキーワードになると言われていますが、わが社ではすでに40年も前から使っていました。「ウェルビーイング」は健康や幸福についての包括的概念ですが、じつは決定的に欠けているものがあります。それは「死」や「死別」や「グリーフ」です。



これらを含んだ上での健康や幸福でなければ意味はなく、まさにそういった考え方が「コンパッション」なのです。つまり、「ウェルビーイング」を超えるものが「コンパッション」だと言えます。光と影を共にとらえなければならない。そして、わたしたちは、光と影の共存する世界で生きていかなければならない。そんなことを、日本vsコスタリカ戦を観ながら考えてしまいました。28日は、京都へ行って、故稲盛和夫氏の「お別れの会」に参列します。

 

2022年11月28日 一条真也