立花隆さん死去

一条真也です。
「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆(本名・橘隆志)さんが4月30日、急性冠症候群のため亡くなられていました。80歳でした。葬儀は故人と遺族の意思により家族葬で行われたそうです。

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毎日新聞」2021年6月23日朝刊 

 

毎日新聞」6月23日朝刊には、「立花隆さん、死去」「調査報道の先駆者」の見出しで、立花さんの経歴を紹介しています。それによれば、立花さんは1940年、長崎市生まれ。両親ともクリスチャンの家庭で育ちました。教員だった父が赴任していた中国・北京で敗戦を迎えました。東京大文学部仏文科を卒業した64年、文芸春秋に入社し雑誌記者となるが66年に退社、フリーとなりました。67年に東京大文学部哲学科に学士入学。在学中から雑誌などにルポや評論などを発表。

 

 

74年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。首相だった田中氏の政治手法を入念な取材と裏付け調査で明らかにし、田中氏退陣のきっかけとなった。同企画は「調査報道の先駆」「雑誌ジャーナリズムの金字塔」として高く評価されました。

 

 

その後は「日本共産党の研究」など政治をテーマとした執筆を続ける一方、米国のアポロ計画で月に渡った宇宙飛行士を取材し、その内面の変化をたどった「宇宙からの帰還」や、人の死、人が生きていくことの意味を問うた「脳死」「脳死再論」、さらには「臨死体験」など科学分野でも多数の意欲作を残しました。

 

 

後進の育成にも力を入れました。東京大で非常勤講師や客員教授などを歴任。ゼミ出身者が作家や記者、編集者などになりました。2007年にがんの告知を受けて手術。以後自らの体験を雑誌に発表するなど、がんに関する取材・執筆を続けました。他の主な著作に「中核VS革マル」「農協 巨大な挑戦」「ロッキード裁判傍聴記」「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」「天皇と東大 大日本帝国の生と死」「武満徹・音楽創造への旅」など。多分野に及ぶ活躍で菊池寛賞(83年)や毎日出版文化賞(87年)、司馬遼太郎賞(98年)などを受賞しています。

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わが書斎の立花隆コーナー

 

故人についての思いは、わたしは、ブログ「立花隆講演会」ブログ『立花隆の本棚』ブログ『知の旅は終わらない』などに書きました。ちなみに、わたしは立花さんの本をたくさん読んでいますが、代表作といえる『田中角栄研究』も『中核vs革マル』は読んでいません。著者の書いた本の中で特に強く影響を受けたのが『宇宙からの帰還』と『臨死体験』です。この両書を参考文献として、わたしは『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会幻冬舎文庫)を書きました。

 

 

『宇宙からの帰還』は最初のベストセラーとなりました。同書を書いた理由について、立花さんは「僕の興味の中心は、宇宙体験という、人類史上もっとも特異な経験をした宇宙飛行士たちは、その体験によって、内的にどんな変化をこうむったかということでした。人類が170万年間もなれ親しんできた地球環境の外にはじめて出るという体験は、それがどれだけ体験者自身に意識されたかはわからないけれども、体験者の意識構造に深い内的衝撃を与えずにはおかなかったはずだと考えたのです」と述べています。

 

宇宙からの帰還 (中公文庫)

宇宙からの帰還 (中公文庫)

 

 

実際の取材については、立花さんは「宇宙飛行士というのは、基本的にはボルトとナットで出来ているタイプが多いと言われています。技術屋であまりロマンティックな人々ではない。ボーッと地球に見とれていたために、大気圏突入のための操作の時間がちょっと狂ってしまって、あやうく宇宙に弾き飛ばされかけた宇宙飛行士がいたくらいだから、基本的にはボルトとナット型じゃないと務まらないわけです。特に旧ソ連では、宇宙飛行士は同時に模範的共産党員でなくてはならないわけで、ガチガチの唯物論者で、内面の問題なんかにはまったく関心がないというタイプが多いんですね」と述べています。一方、アメリカという国は、非常に熱心な宗教国家の側面があり、底の部分ではみんな内面への関心を持っているといいます。著者が取材した飛行士の多くが、「こんなことを聞かれたのは、はじめてだ。よく聞いてくれた」とか「いままで人に充分に伝えられなかったことを、やっと伝えられたような気がする」と言ってくれたそうです。

 

脳死 (中公文庫)

脳死 (中公文庫)

 

 

『宇宙からの帰還』は今読み返しても素晴らしい名著ですが、その後、立花さんは「死」について関心を持つようになりました。長い間、「人の死とは何か」というテーマを追いかけますが、1980年代後半から90年代前半にかけては、脳死問題に取り組み、死の定義について徹底的に考え抜きました。「死後の世界」について、立花さんは「死後の世界が存在するかどうかというのは、僕にとっては解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません」と述べています。立花さんは、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の「語りえないものの前では沈黙しなければならない」という言葉を引き、「死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのは確かですが、沈黙しなければなりません」と述べています。

  

臨死体験 上 (文春文庫)

臨死体験 上 (文春文庫)

 

 

しかし、立花さんは「死」を直視し、「臨死体験」というテーマを追うようになります。かなりの時間を割いて仕事にしてきましたが、まず、NHKと作った「臨死体験 人は死ぬ時何を見るのか」(1991年放送、視聴率16.4%)、そしてその後に書いた『臨死体験(上・下)』(文春文庫)が大きな反響を呼びました。ブログ「NHKスペシャル『臨死体験〜死ぬとき心はどうなるのか』」で紹介した2014年に放送された2度目の番組は、前回以上に、臨死体験が起こる仕組みの解明に鋭く迫りました。立花さんいわく、それが可能になったのは23年前よりも脳科学がはるかに進歩したからだといいます。立花さんは「なにしろ2回目の番組は、脳科学の最新の知見を踏まえて、臨死体験は死後の世界体験ではなく、死の直後に衰弱した脳が見る『夢』に近い現象であることを科学的に明らかにしたものだったのです」と述べています。

 

臨死体験 下 (文春文庫)

臨死体験 下 (文春文庫)

 

 

同番組のエンディングで立花さんが述べた「死ぬのが怖くなくなった」というメッセージに多くの視聴者が共感したことを紹介しつつ、立花さんは「テレビの怪しげな番組に出まくって、霊の世界がどうしたこうしたと語る江原啓之なる現代の霊媒のごとき男がいますが、ああいう非理性的な怪しげな世界にのめりこまないと、『死ぬのが怖くない』世界に入れないのかというと、決してそうではありません。ごく自然に当たり前のことを当たり前に、理性的に考えるだけで、死ぬのは怖くなくなるということをあの番組で示せたと思っています」と述べています。

 

死はこわくない (文春文庫)

死はこわくない (文春文庫)

 

 

「死後の世界とは、夢である」と主張する立花さんでしたが、「いい夢を見るために気をつけたいことが1つあります。いよいよ死ぬとなったとき、ベッドは温かすぎたり、寒すぎたりしないようにすることです。暑すぎたり寒すぎたりすると、臨死体験の内容がハッピーじゃないものになってしまうからです。死に際の床を、なるべく居心地良くしておくのが肝腎です」とも述べています。これは傾聴すべき意見であると思いました。ちなみに、わたしも基本的に「死後の世界とは、イメージ・アート」であると考えており、人生を卒業する際には幸福で美しいイメージを描くことが大切であると思います。

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ヤフーニュースより

 

立花隆さんは、いい夢を見ながら人生を卒業されたのでしょうか? 「知の巨人」は、コロナ禍や東京五輪の強行開催について、どのように感じ、考えていたのでしょうか?  わたしはの立花さんほどの重要人物の逝去を「毎日新聞」だけが報道したことに違和感を抱いたのですが、4月30日に亡くなられていたと知って、納得しました。毎日が独自の取材で得たスクープ的情報だったのですね。それにしても、「知の巨人」がもう2カ月も前に亡くなっていたとは! 正直言って無常を感じてしまいますが、今は立花隆さんの御冥福を心よりお祈りいたします。

 

2021年月日 一条真也

沖縄 慰霊の日

一条真也です。
6月23日になりました。
強行開催される東京五輪の開幕式まで、あと1カ月となりましたが、この日は沖縄の「慰霊の日」でもあります。

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ヤフーニュースより 

 

「慰霊の日」は、太平洋戦争末期の地上戦の犠牲者を追悼する日です。22日午後、最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁で「前夜祭」が催され、参列者は「平和の鐘」に合わせ、犠牲者に黙とうを捧げました。その時間に合わせて、わたしも数珠を持って、小倉で黙とうしました。


今から76年前の1945年4月1日、アメリカ軍は、ついに沖縄本島への上陸作戦を開始。日本で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられ、住民の死者は9万4000人に上りました。沖縄県民の4人に1人の命が失われたのです。けっして忘れてはならない悲劇です。


那覇から北西へ約60kmには粟国島があります。1945年6月、この小さな島にアメリカ兵が上陸し、防空壕に身をひそめる島民に投降を促しました。市民を巻き込んだ戦いは2カ月以上にも及びましたが、ついにアメリカ軍は地下壕に隠れる市民へ投降を呼びかけました。


日本軍の目的は、大本営(主に日本海軍軍令部)が特別攻撃隊を主力とする航空攻撃により連合国軍に大打撃を与えて、有利な条件で講和を結ぶ「一撃講和」を目指していたのに対し、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」(持久戦)を意図するという不統一な状況でした。第32軍はサイパンの戦いなどで失敗した水際防御を避け、ペリリューの戦い硫黄島の戦いで行われた内陸部に誘い込んでの持久戦(縦深防御)を基本方針として戦い、特に首里北方で激戦となりました。海上では、大本営の決戦構想に基づき特別攻撃隊を中心とした日本軍航空部隊が攻撃を繰り返し、戦艦「大和」などの日本海軍残存艦隊による「沖縄特攻」も行われました。日本中が巨大なグリーフに覆われました。


1945年(昭和20年)5月末に第32軍の首里司令部は陥落し、日本軍は南部に撤退しましたが、6月下旬までに組織的戦力を失いました。そして、6月23日には牛島満司令官らが自決。その後も掃討戦は続き、連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言し、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式が行われたのは9月7日でした。


前夜祭は昨年同様、新型コロナウイルスの影響で規模が縮小され、参列者は10人ほどにとどめられた。同日夜には、犠牲者の名を刻んだ平和祈念公園内の「平和の礎」上空に向け、5本のサーチライト「平和の光の柱」を照射。光の柱には、日米英、朝鮮半島、台湾の戦没者を区別なく慰霊する思いを込めたとか。まさに仏教の「怨親平等」であり、平和の理想であると思います。拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)にも書いたように、日本人の心の中には「怨親平等」の精神が流れているように思います。

f:id:shins2m:20210623112609j:plainヤフーニュースより 

 

東京五輪の強行開催まで1カ月となりましたが、わたしはこの状況下で五輪が開催されるという信じられない現実を前に、大きな無力感を抱いています。わたし以外の多くの日本人もそうではないかと思います。何にも増してショックなのは、日本という国のトップが76年前から何も進歩がないこと、何も学んでいないことに尽きます。利権・金権・政権の「3権」を最重視する人々の体質は何も変わっていません。スーパー・ハイブリッドの東京五輪株の誕生で、戦争の犠牲者を上回る死者を出す可能性さえあるのです。いつの日か、わたしは糸満市にある「平和の礎」を訪れ、平和の祈りを捧げたいと思います。

f:id:shins2m:20210623132513j:plainヤフーニュースより  

 

わたしは、これまで「広島原爆の日」「長崎原爆の日」「終戦の日」などの記事を毎年ブログに書いてきましたが、これからは「沖縄慰霊の日」のことも書いていくつもりです。驚くことに、全国的に「慰霊の日」の存在は知られておらず、日本人の75.5%の方が知らないそうです。小生のささやかな記事によって1人でも多くの方に沖縄戦の史実に関心を持っていただき、犠牲者を追悼する機会になればと願っています。最後に、沖縄戦の犠牲となられたすべての方々の御冥福をお祈りいたします。合掌。

 

2021年6月23日 一条真也

『書き替えられた聖書』

書き替えられた聖書―新しいモーセ像を求めて (学術選書)

 

一条真也です。
『書き替えられた聖書』秦剛平著(京都大学学術出版会)を読みました。「新しいモーセ像を求めて」というサブタイトルがついています。ブログ『異教徒ローマ人に語る聖書』で紹介した本の続編です。イエスと同時代の人物が『旧約聖書』の「創世記」を異教徒であるローマ人に再話した内容をもとにした興味深い本で、わたしが執筆準備中の『聖典論』のための参考文献です。著者は、1942年生まれ。国際基督教大学京都大学大学院修士課程修了後、博士課程へ進学、後に退学、ドロプシー大学大学院(フルブライト、1970年-75年)、ペンシルバニア大学上級研究員(1989年-90年)、オックスフォード大学客員教授(1999年-2000年)。現在、多摩美術大学教授(1984年以降)、同大学新図書館館長。専攻はヘレニズム・ローマ時代のユダヤ教

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本書の帯

 

帯には、「ヨセフスが再話した聖書物語を平易な言葉で解説する」「かくしてモーセは救われた」と書かれています。カバー裏表紙には、「旧約聖書モーセは、イスラエルの民を引き連れエジプトから脱出する出エジプト、神より授かった“汝殺すなかれ”等の戒律を含む十戒などの話で名高いが、物語はモーセによる大量虐殺などの事件を含み、矛盾に満ちあふれる。ヨセフスによる再話は、巧妙に改変して聖書とは異なった歴史物語にしている。ユダヤ教キリスト教研究の世界的権威が、聖書がどのように理解され読まれたかを、軽妙な語り口で紹介する」との内容紹介があります。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 モーセ誕生の前史
第2章 モーセの誕生
第3章 成人後のモーセ
第4章 エジプトに戻ったモーセ
第5章 エジプト脱国と
    エリュトラ海での奇跡

第6章 シナイ山への行進
第7章 シナイ山での十戒の授与
第8章 シナイ山からカナンの地へ
第9章 モーセの最期
「あとがきに代えて」
「参考文献」
「索引」
「図版一覧」

 

「はじめに」の冒頭を、著者は「旧約聖書出エジプト記は、創世記と同様、イスラエル民族の建国物語、というよりは建国神話の大きな一翼を担う書物であるが、その出エジプト記の大きな部分を占める『モーセ物語』は、単純であると同時に複雑である」と書きだしています。

 

旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)

旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)

  • 発売日: 1969/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

出エジプト記によれば、モーセは「神の山」ホレブ山で神から「十戒」の刻まれた石板を授けられましたが、著者は「わたしたちはすでに創世記で神が人語を発する者であることを知ったが、わたしたちは出エジプト記ではじめて、神がヘブル文字を石板に刻む芸達者な方であることを知るが、人語を口にし、文字を書くのであれば、神は『神』(テオス)ではなくて、『職人』(デーミウルゴス)あるいは職人衆の『親方』となる。神が職人であっても、職人の親方であっても構わないが、もしそうならば、神は信仰の対象になり得ないと思われるが、人類の一部はそれを、一神教の神として信仰の対象にし、他の神々を多神教の神として排除・排斥してきたのである」と述べます。



モーセ物語の理解を複雑にするのは、その後のユダヤ民族の歴史の中でこの物語がフィクションから「史実」へと格上げされて信仰と絡まったからであると指摘し、著者は「その結果、モーセ出エジプトの出来事でイスラエルの子らを救い出した民族の英雄とされたからである。英雄にされれば、その英雄のもつ暗い部分は問題にされなくなる。出エジプト記によれば、歴史と思われるものへのモーセの登場は、彼によるエジプト人監督官の『殺人』と『死体遺棄』と『逃亡』という『犯罪の三点セット』にはじまる。モーセ物語を建国神話のフィクションと見なす者にとっては、この『犯罪の三点セット』などはどうでもいい話になるが、そうでない者たちはこの三点セットを問題にしなければならない。しかしそれが取り上げられることはない。不思議である」と述べています。

 

旧約聖書を美術で読む

旧約聖書を美術で読む

  • 作者:秦 剛平
  • 発売日: 2007/05/10
  • メディア: 単行本
 

 

著者は、これまでに出版した『旧約聖書を美術で読む』や『あまのじゃく聖書学講義』(青土社刊)その他で、出エジプト記の物語を評して「壮大ではあるが、出来の悪いフィクションである」とくさしてきたそうです。「壮大である」というのは、出エジプトを試みた者たちの数が女子供を入れれば100万とか200万というとんでもない数になるかもしれない大群が、エジプトから脱国したとされるからであるとして、著者は「何とも壮大な話ではないか? 腰を抜かしてもおかしくない壮大さである。しかもこの大群は、エジプト脱国後、昼は灼熱の、夜は零度近くにまで冷え込むシナイの荒れ野を40年にわたって彷徨したというのである。40日ではない。400日でもない。40年である。思わず絶句するほどの壮大さである。眉に唾する暇などない、目眩を覚えてしまう壮大さである。しかも彼ら一行を率いるのは80歳のモーセである。彼は気息奄々たる老人ではなく、生気みなぎる80歳の老人なのである」と述べています。

 

あまのじゃく聖書学講義

あまのじゃく聖書学講義

  • 作者:秦 剛平
  • 発売日: 2006/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

では、なぜ著者は出エジプトの物語を出来の悪いフィクションとくさすのか? その理由は簡単明瞭であるとして、著者は「それはこの物語のどこからも、モーセが率いた100万以上の民の生活臭が漂ってこないからである。100万を超す民族の大移動であれば、毎日のように何十、何百という新しい生命の誕生があり、また毎日のようにそれ以上の数の者が荒れ野の自然の厳しさの前にばたばたと倒れていかねばならないが、生命の誕生に伴う喜びの光景や死に伴う悲しみの光景は出エジプト記のどこにも描かれてはいないのである」と述べます。

 

これだけの途方もない数の彷徨であれば、小は窃盗事件から大はレイプや殺人事件にいたるまでのさまざまな事件が日常茶飯事的に天幕の内や外で起こってなければおかしいが、その描写はどこにもないのであるとして、著者は「40年の彷徨であればまた、そこには日の落ちた荒れ野の岩場の陰や天幕の中で売春行為や買春行為があり、後家になっても男をもとめる創世記のタマルのような女も続出したと想像しなければ不自然であるが、その記述はどこにもないのである。わたしはこの『ない』という事実の連鎖から、『出エジプト記』を『出来の悪いフィクション』であると断じるのである」と述べるのです。なるほど、言われてみれば、そうですね。



第9章「モーセの最期」では、「モーセの告別の挨拶」として、著者は「ここでは『全人類にとっての繁栄の唯一の源が恵み深き神』であることが強調され、その恵み深き神から幸福を得る唯一の方法は神の戒め(である律法)を守ることであり、徳行に励むことだと強調されております」と述べます。ここで、『ユダヤ古代誌』第1巻の「はしがき」に書かれてあったヨセフスの言葉を想起するはずであるとして、著者は「彼はそこで『古代誌』執筆の目的を読者に向かって次のように述べているのです。『ところで、一般的に言って、この歴史物語を読んでくださる方がそこから学ばれる大きな教訓は、およそ次のことであろう。すなわち、神のご意志に率直にしたがい、(わたしたちの)すぐれた律法に違反すまいとつねにおそれ慎んでいる者は、すべてにおいて自己の期待以上の成果をあげ、同時に神からその褒賞として祝福をたまわるということ、これに反し、(万一にも)律法の遵守をおろそかにすれば、その人は、実現できることも実現できなくなり、また、追い求めるせっかくの幸福も、結果的にはすべて取り返しのつかない災禍となって返ってくる、ということである」と(『異教徒ローマ人に語る聖書』の第2章参照)。

 

 

著者によれば、モーセの告別演説のこの部分はまさに『古代誌』の「はしがき」部分でのヨセフスの宣言に見事に対応するものであり、ここでのその宣言の繰り返しは、ヨセフスの「律法の目的」理解を如実に物語るものとなっているのだといいます。「ユダヤ民族の者たちよ、幸福を手にしたかったら、律法を守るのだ。律法を守ることで手にした幸福こそ真の幸福だ」というわけです。

 

 

「あとがきに代えて」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「本書は、先行した拙著『異教徒ローマ人に語る聖書――創世記を読む』に接続するもので、紀元後1世紀のユダヤ人の物書きフラウィウス・ヨセフス(37年-100年ころ)がその著作『ユダヤ古代誌』全20巻(拙訳、ちくま学芸文庫所収)の最初の第2巻、第3巻、そして第4巻を費やして再話した『モーセ物語』を取り上げたものである。この『古代誌』の前半の11巻では天地創造にはじまりヨセフスの時代にまでつづくユダヤ民族の歴史が聖書(旧約聖書)の正典や外典文書にもとづいて再話されているが、そこで再話されるモーセ物語こそ、ヨセフスにとっては、もっとも重要なものであったに違いない。なぜならば、ヨセフスがその読者と想定する彼ら異教徒たちは、ユダヤ民族の英雄モーセをレプラ患者であったとか、エジプトを追放されたレプラ患者の群れを率いた人物であるとさんざんなことを口にしていたからである」

 

 

また、著者は「なぜヨセフスはモーセ物語を大胆に語り直すことができたのか?」と問いかけ、「それには2つの理由があるように思われる。ひとつは彼の語りかける異教徒たちがユダヤ民族の五書などを知らず、知ろうともしなかったことである。もしそうであれば、ヨセフスは五書で語られている世界を大胆に単純化し、そこにモーセを登場させるしかない。彼はそれをしたのである。もうひとつの理由は、ヨセフスが『古代誌』を著作していた時代、五書の正典化が進行しつつあったとはいえ、ユダヤ教徒の間での合意は緩やかな合意でしかなかったことである。よく知られていることだが、神殿の祭司階級の大半を占めたサドカイ派の者たちは五書しか認めていなかったが、70年秋の神殿炎上後は、エルサレムの神殿に寄生していた祭司たちはすでにいないのである。五書だけの重要性を声高に叫ぶ者たちはもはやいないのである」と述べます。

 

 

さらに、著者は「パレスチナユダヤ人たちを襲った民族の災禍を生き延びたパリサイ派の者たちは、神殿なきユダヤ教の再建のために彼らの日常はそれなりに結構忙しかったが、彼らはサドカイ派の者たちとは異なり、五書以外の書物の重要性を最初から認めていた。とはいえ、彼らの間でも正典文書の重要性に関してはさまざまな見解があったであろうし、それらの見解がパレスチナの外のディアスポラユダヤ人たちにどこまで共有されていたのかはよく分からない事柄である。ヘレニズム・ローマ時代のユダヤ教を、正典文書や、外典文書、偽典文書、死海文書、フィロンの著作など介して学ぶ者は、そこにはもはや規範的なユダヤ教とか、規範的なユダヤ教理解などが存在しないことを承知する。彼らはまた、この時代の正典文書のテクスト史(テクストの伝承史)に関心を払えば、絶対的な規範となりうる正典文書のテクストなどはもはや存在しないことを承知する」と述べています。

 

そして、著者は「ヨセフスは規範的ユダヤ教などが存在しないことを知っていた。それを知るに至ったのは多分ローマにおいてであり、ローマのユダヤ人共同体に出入りして彼らの理解するユダヤ教を知り、さまざまなギリシア語訳が出回っていることを知ったときであろう。彼は対ローマの戦争で敗北し、ユダヤ教の象徴である神殿を失ったとき、パレスチナユダヤ人たちがさまざまな仕方で『神殿なきユダヤ教』を定義しようとしていたことをローマにおいて知っていたであろうし、そのためには正典文書として括られる文書や、外典文書、偽典文書――もちろん、その当時には『外典文書』や『偽典文書』などという言葉は存在しなかった――に分類されるさまざまな文書を熱心に学び、そこから多くを学び、そこからも規範的ユダヤ教などがもはや存在しないことを確認していたであろう。ローマでのヨセフスは、自分たちの民族が生み出したさまざまな文書に取り囲まれていたばかりでなく、異教徒の物書きたちが残したさまざま歴史資料や文学資料などをも収集し、彼らには彼らの世界があることを知るようになると同時に、そこからも多くのことを学んだのである」と述べるのでした。本書を読んで、ユダヤ教の本質、モーセの正体がわかったような気がしました。

 

書き替えられた聖書―新しいモーセ像を求めて (学術選書)
 

 

2021年6月23日 一条真也

『異教徒ローマ人に語る聖書』

異教徒ローマ人に語る聖書―創世記を読む (学術選書)

一条真也です。
『異教徒ローマ人に語る聖書』秦剛平著(京都大学学術出版会)を読みました。「創世記を読む」というサブタイトルがついています。イエスと同時代の人物が『旧約聖書』の「創世記」を異教徒であるローマ人に再話した内容をもとにした興味深い本で、わたしが執筆準備中の『聖典論』のための参考文献です。著者は、1942年生まれ。国際基督教大学京都大学大学院修士課程修了後、博士課程へ進学、後に退学、ドロプシー大学大学院(フルブライト、1970年-75年)、ペンシルバニア大学上級研究員(1989年-90年)、オックスフォード大学客員教授(1999年-2000年)。現在、多摩美術大学教授(1984年以降)、同大学新図書館館長。専攻はヘレニズム・ローマ時代のユダヤ教

 

カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「わが国におけるユダヤ教キリスト教研究の第一人者が、イエスの同時代人であるフラウィウス・ヨセフスが書き残した『ユダヤ古代誌』を随時参照しながら、軽妙な語り口でヨセフスによる旧約聖書『創世記』の「再話」物語を紹介する。天地創造、人類の誕生と堕落、アブラハムとその子孫の物語について、随所に図版を織りまぜながら大胆に解釈することで、聖典の文字に隠れた真意が見事にあぶり出される」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 ヨセフスとその生涯
第2章 『ユダヤ古代誌』のはしがき
第3章 天地創造と人間の創造
第4章 人類の堕落・神の処罰と和解
第5章 アブラハムとイサク物語
第6章 エサウヤコブ物語
第7章 ヨセフ物語
「あとがき」
「参考文献」
「索引」
「図版一覧」

 

 

「はじめに」の冒頭を、著者は「本書はイエスの同時代人フラウィウス・ヨセフスが書き残した『ユダヤ古代誌』全20巻(拙訳、ちくま学芸文庫)の最初の10巻で語られている聖書物語の中のもっとも重要な部分、すなわち創世記を取り上げ、ヨセフスがローマで想定する彼の読者に向かって、どのようにしてそれを再話したかを語るものである」と書きだしています。

 

 

ヨセフスは『古代誌』に先立って『ユダヤ戦記』全7巻(秦剛平訳、ちくま学芸文庫)を、『古代誌』と同じく、ギリシャ語で著しています。その読者はあくまでもローマ人でした。しかし、ヨセフスが次に著作した『古代誌』の読者は、もちろんローマ市民を一義的には含みましたが、それをはるかに越える世界の者たちでした。『古代誌』の読者には、地中海世界の大都市に住むギリシア人たちが付け加えられたのです。



では、なぜヨセフスは、その著作『古代誌』を媒介にして、ローマ人市民ばかりでなくギリシア人たちとも「異文化コミュニケーション」を図ろうとしたのだでしょうか? 著者は、「考えられるそのひとつの理由は、彼らギリシア人たちも、ローマ市民と同じく、自分たちの周囲にいる離散のユダヤ人たちの生活慣習を奇異の目で見ては彼らの生き方を嘲笑し、ユダヤ民族の英雄モーセについて、『やつはレプラ患者だった』とか、『レプラ患者の集団を率いてパレスチナに入った野郎だぜ』と、ユダヤ民族からしてみればとんでもない誤解を口にしていたからである。ヨセフスは、『戦記』の完成後、この者たち――この者たちの多くは知識人でもあった――の誤解を解くためにも、ユダヤ民族の歴史を天地創造から語り直さねばならないと、使命みたいなものを覚えたのである」と述べます。

 

また、著者は「わたしは、2000年前のユダヤに生まれたベン・マタッティアス、後になってローマ名フラウィウス・ヨセフスと名乗るようになった男が、『古代誌』の中で、創世記をどのようにして再話したかを本書の読者に紹介し、古代世界における異文化コミュニケーションを彼がどのようにして構築しようとしたかを紹介してみたいと願っている」とも述べています。

 

第1章「ヨセフスとその生涯」では、「イエスの同時代人ヨセフス」として、著者は「これからわたしが語ろうとする人物は、イエスとほぼ同時代に、パレスチナで生きた人物です。その生涯のある時期をイエスの宣教活動の場となったガリラヤで過ごした人物です。彼は、イエスとは違って、波瀾に満ちた生涯を送りました。彼は、イエスとは違って、異文化の世界に身を置きました。彼は、イエスとは違って、多くの著作を書き残しました。彼は、イエスとは違って、聖書について語りました、再話という形で。この人物はヘブライ名でベン・マタッティアス(「マタッティアスの子」の意)、ローマ名でフラウィウス・ヨセフスと呼ばれる男です」と述べています。

 

また、「ヨセフス身が語るその出自」として、ヨセフスは『自伝』の冒頭部分で、彼の一族が代々祭司であったばかりか、王家の血をも受けているエルサレムの由緒ある者たちであると誇らしげに述べていることを紹介し、著者は「聖霊で生まれたイエスとは大違いです。イエスと比べれば非常に世俗的です。ヨセフスは世俗世界に身を置く者としてこの世に生を受けたのです。ヨセフスが幼いときに受けた教育は英才教育です。父親がその幼児教育の段階で、モーセ五書、すなわち聖書の最初の五つの書を彼の頭にたたき込んだらしく、彼は『自伝』九で、『まだ少年だった14歳のころ、わたしの学問にたいする情熱はすでにだれひとり知らない者はないぐらい有名となり、大祭司たちや都の指導者たちが、合い連れだってしばしばわたしのもとにやって来た』と述べる始末です」と述べます。

 

「ヨセフス、『ユダヤ古代誌』を著す」として、ヨセフスが、天地創造のときから彼の時代までの期間を5000年としていることを紹介し、著者は「天地創造にはじまるこの5000年に民族の歴史が由緒あるものであることを訴えるときに、その5000年に途切れや中断があってはなりません。問題はその5000年の期間を埋める十分な資料があるかということです。彼は聖書を第一次資料としますが、聖書だけでは彼の時代までの歴史を語れません」と述べます。アレクサンドロス以降の歴史などは、聖書の中ではほとんど語られていないのです」と述べます。

 

ヨセフスはその資料収集のために相当な時間を、しかも精力的に費やしたはずだとして、著者は「そのため彼は聖書に取り込まれなかった文書、すなわちわたしたちが現在旧約の外典とか偽典と分類している文書までを第一次資料として利用するのです。もちろん、もしそれが直接・間接にユダヤ民族の歴史と関係するものであれば、ローマ側の資料をも遠慮なく使用いたします。ヨセフスの『古代誌』全20巻は二つの部分に大きく分けることができます。前半の10巻は、創世記の天地創造のときにはじまり、族長時代、出エジプト・荒れ野時代、カナン征服・士師時代、南北分裂王国時代を経て、ユダ王国単立時代の終わりまでの歴史を扱っております。後半の10巻は、バビロン捕囚からの帰還(前538年)と神殿再建にはじまるペルシア時代、ギリシア・ヘレニズム時代を経て、対ローマのユダヤ戦争の勃発する紀元後66年までの歴史を扱っております」と述べるのでした。

 

第2章「『ユダヤ古代誌』のはしがき」では、ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の「はしがき」の最後部で、「賢者モーセース」、「律法制定者モーセース」、「神や世界の形成に人びとの目を向けさせたモーセース」、「神が完全完璧な徳の保持者であることを人びとに教えたモーセース」に言及した後、それを「ともあれ今は、わたしたちの聖なる文書に記されている、世界の創造について語ったモーセース(モーセ)の言葉を起点として、諸々の出来事を語っていくことにしよう。モーセースの語る物語は以下のとおりである」という言葉で結んでいると紹介します。

 

この結びの言葉で明らかにされるのは、ヨセフスが聖書の最初の五つの書(創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記)の著者をモーセとしていることです。ヨセフスは非常に合理主義的な考えをする人です。その彼がこの五書の著者をモーセだと大まじめで信じていることを本当に信じていたのかと疑問を投げかけ、著者は「ヨセフスと同時代のアレクサンドリアフィロン(前20―後30ころ)の著作のひとつ『世界の創造』(野町啓ほか訳、教文館)などを読みますと、彼も明らかにモーセを五書の著者であると信じております(図17)。その活躍の場こそ異なれ、フィロンとヨセフスはユダヤ人であり、同時代人でもあります。このことは、ヨセフスが、フィロンと同様、『五書』をモーセの著作だと信じていた可能性を示すものとなります」と述べています。



この「はしがき」を書いているヨセフスは、ローマに来てすでに20年近くも経っていることを指摘し、著者は「それは予想もしなかった長い歳月です。この間の彼は、ローマで、ユダヤ民族の英雄モーセについて、さまざまな機会に、さまざまな者たちの口の端に上るのを耳にしたはずです。それというのも、歴史の僥倖で残された文書資料によれば、ユダヤ民族の中でモーセくらい異教徒たちによって語られた人物は他になく、モーセくらい異教徒たちによって誤解された人物は他にいなかったからです。このような状況を背景にして想像すれば、異教世界でのモーセについての偏見や謬見を正し、彼を民族の英雄であることを今一度声を大にして訴えるために、ヨセフスはモーセが『五書』の著者でありえぬことを百も承知で、彼を五書の著者に格上げしたのではないでしょうか? わたしはそう想像するのです。もしこの想像が正しければ、ヨセフスは非常に戦略的な物書きとなります。戦略的な語り部となります。彼には、『戦略的物書き』『戦略的語り部』の肩書きを用意しておかねばなりません」と述べるのでした。



第4章「人類の堕落・神の処罰と和解」では、「ノアの巨船」として、神がノアに作り方を教えた箱船について、「メートル換算では、長さは120メートル、幅は約20メートル、高さは約12メートルの堂々たる箱船となります。いや、箱船なんていうものではなくて、巨船となります」と書かれています。「創世記」によれば、それは3階層ですが、ヨセフスによれ4階層です。3階建てのマンションが4階建てのマンションと大きく異なるように、3階層の箱船と4階層の箱船では大違いです。収容面積がまるで違うものとなります。ヨセフスが粗忽者で3階層を4階層にしてしまったのでしょうか?



実は、アレクサンドリアフィロン(前20―後50)が著した『モーセの生涯』が言及している籍船も4階層であることを紹介し、著者は「フィロンが手元においている創世記のテクストは間違いなくギリシア語訳ですので――彼は聖書をヘブライ語ではなくてギリシア語訳で読んだとされます――、ここでのヨセフスも4階層と読んでいるギリシア語訳のテクストにしたがっていたと想像するのが正しいのかもしれません。このギリシア語訳の背後にあるヘブライ語テクストの読みも4階層だったのかもしれません。わたしはすでにヘレニズム・ローマ時代のユダヤ人共同体にはさまざまなヘブライ語テクストがあったと申し立てております」と述べています。

 

創世記(旧約聖書) (岩波文庫)

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  • 発売日: 1967/08/16
  • メディア: 文庫
 

 

また、「古代の人たちが長寿であった理由」として、ヨセフスは「創世記」の記事にもとづいて、「ノーコス(ノア)は洪水後、350年の幸福な生活を送り、950歳でこの世を去った」と述べます。彼は先行する箇所で洪水前の父祖たちの長寿に触れており、そこでもノアの長寿が言及されていることを紹介し、著者は「彼は聴衆や読者に神話を語っているような印象を与えることは出来ません。そのためには、古代の者たちが長寿だった理由を説明しなければなりません。彼は次のように申します」と述べます。

 

さらにヨセフスは、「ところで読者諸氏は彼らの寿命を自分たちの寿命の短さと比べて、彼らについての記録にまちがいがある、などと勝手に想像し、今ではこのように長命の人はいないから、彼らもそれほど長命であったはずはなかろう、などと推量しないでもらいたい。これには理由がある。まず第一に彼らは神に愛されたもの、神ご自身によってつくられた人びとであり、また彼らの食べ物も長寿に適していた。したがって、彼らがそのような長命であったのもきわめて自然だったのである。次に彼らのこのような長所とならんで、彼らのなした天文学幾何学における諸発見の利用を奨励するためにも、神は彼らの長命をお授けになったのである。なぜなら、大年の完全な一周期である600年を生きるのでなければ、彼らは何事も正確に予知できなかったからである」と書いています。

 

第7章「ヨセフ物語」では、「結びに代えて」として、著者はこう述べています。
「ヨセフスがこの創世記の再話で試みた異文化コミュニケーションの第一のターゲットとする者たちは、ギリシア語を解するローマの知識人たちや市民たちであったでしょうが、彼の著作がギリシア語で書かれた事実は、そのターゲットの中に、ギリシア人知識人や、ギリシア語を解するその他の異教徒たちも入っていたことを示します。なぜヨセフスは彼らに向って聖書の再話を試みようとしたのでしょうか? それは第一には、彼ら異教徒たちにユダヤ民族の歴史をその始元に遡って語り、そうすることで、彼らの周囲にいる離散のユダヤ人たちの歴史は、天地創造のときに遡る古いものであることを訴え、対ローマのユダヤ戦争で敗北の民と化したものの、ユダヤ民族は由緒ある歴史をもつ誇り高い民族であり、そのためそれなりの敬意を払われるに値する民族であることを訴えるためであったでしょう」と述べています。

 

当時の民族の優劣は古い歴史をもつか否かであったことは、ヘレニズム・ローマ時代に書かれたべーローソスの『カルデア史』や、マネトーンの『エジプト史』、ハリカルナッソスのディオニュシオスの『ローマ古代誌』、ティトゥスリーウィウスの『ローマ史』のいずれもが、その歴史の起源を太古の神話時代にまで遡らせていることから分かるとして、著者は「民族の古さに民族の歴史の継続性がドッキングしたときはじめて、それは民族の優秀性を保証するものとなったのです。ユダヤ民族の歴史の古さと継続性を保証する第一の証言は、創世記をその冒頭に置くモーセ五書であり、それに続く諸文書ですから、もし他民族の者にユダヤ民族の優秀性を訴えたいのであれば、彼らの前にモーセの五書のギリシア語訳などを投げ出せばよいことになりますが、いったいだれがそのギリシア語訳を読むでしょうか? 第一に、それはあまりにも長大な文書群なのです。第二に、その翻訳は必ずしも達意の読みやすいものではなかったのです。第三に、それはユダヤ人の共同体やシナゴーグで使用されていたとはいえ、貸し出し用のものではなかったのです。貸し出し用のための転写が行われた話は聞いたことがありません」と述べます。

 

ここに、聖書物語やそれに続く歴史を語り直す必要が生じてくるとして、著者は「その再話に必要なことは、いかに物語を簡潔に語り、いかにそれを面白く語るかにあったはずです。人は簡潔に語られるときにはじめて耳を傾けるものです。固有名詞や地名などが列挙されれば、勘弁してくれよと言います。重複記事が語られれば、顔をしかめるはずです。脈絡のない話が語られれば、首をかしげます。人は簡潔にしかも面白く語られるときにはじめて耳を傾けるのです。聖書が世界一のベストセラーであると言われても、それは世界一読まれない書物であることは衆目の認めるところですが、その理由は簡単明瞭です。それは聖書の中で物語が簡潔に語られていないし、面白く語られていないからです」と述べます。

 

そして、著者は「再話の技法を身につけた具体的な場所がどこであれ、ヨセフスは『古代誌』全20巻の最初の第1巻から第10巻までで、身につけたその技法で、聖書物語を語り直し、そこから先のユダヤ戦争の直前までの長い歴史を語り、語り直したりしているのです。本書から分かるように、ヨセフスによる物語の再話で顕著なのは、そこに彼自身の個人的な体験やトラウマ、あるいは同胞民族への願いや思いが入り込んでいることです」と述べるのでした。わが国におけるユダヤ教キリスト教研究の第一人者というだけあって、著者の意見はいずれもエビデンスに基づいており、説得力がありました。「創世記」をもう一度読み直してみたくなりました。

 

異教徒ローマ人に語る聖書―創世記を読む (学術選書)

異教徒ローマ人に語る聖書―創世記を読む (学術選書)

  • 作者:秦 剛平
  • 発売日: 2009/12/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2021年6月22日 一条真也

『ノアの箱舟の真実』

ノアの箱舟の真実──「大洪水伝説」をさかのぼる

 

一条真也です。
ノアの箱舟の真実』アーヴィング・フィンケル著、宮崎修二訳、標珠実訳(明石書店)を読みました。「『大洪水伝説』をさかのぼる」というサブタイトルがついています。わたしは、子どもの頃からノアの箱舟の物語に魅了されていますので、非常に興味深く本書を読みました。著者は、大英博物館・中東部門副館長。同博物館の楔形文字文書をはじめとするメソポタミアの古代文書の総責任者。博物館の展示や公開講座、テレビ番組などを通じて、広く一般に古代メソポタミアの文化を紹介しつつ、第一線の研究者として研究論文を多数発表。 

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本書の帯

 

カバー表紙には箱舟らしきものに乗り込む人々のシルエット写真が使われ、帯には「丸い箱舟、ついに現れる!」と大書され、「〈箱舟の書板〉と呼ばれる楔形文字の粘土書板に書かれていた『ノアの箱舟』に関する驚きの事実。メソポタミアの洪水伝説が旧約聖書に組み込まれていく過程を解明しながら、われわれの“常識”を覆す真実が次々と明らかになっていく」「スリリングな傑作歴史ノンフィクション」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「センセーショナルに扱われることの多い『ノアの洪水』『箱舟』をめぐる探訪は『聖書の記述をもとにすれば・・・・・・』という一定の留保をもって進められる。しかし、十分に信頼できると思われる前提の蔭にこそ、突破の糸口があることを本書は示している。ひとつひとつは小さい偶然のあつまりが〈箱舟の書版〉という縦糸の出現によって大きな物語を織りなしていく。華やかな大発見よりも、小さな発見が既成の概念を大きく変えるときの方が喜びは大きいかもしれない。〈箱舟の書版〉からもたらされたのは既存の設計図の『正しい』読み方という小さな事実だけである。それによって、様々な関連事項に新しい解釈の可能性が示され、古びて見向きもされなかったような既成の説明に新たな一文が書き足された――――訳者あとがきより」と書かれています。

 

さらに、アマゾンの「内容紹介」には、「大英博物館に持ち込まれた楔形文字の小さな石板。そこには古代バビロニアの大洪水と巨大な船の作り方が書かれていた。しかもそれは創世記の『ノアの箱舟』伝説とは全く異なるものだった。メソポタミアの洪水伝説が旧約聖書に組み込まれていく過程をたどるうちにノアの箱舟の驚くべき形が明らかになる」と書かれています。



本書の「目次」は、以下の構成になっています。
   第1章 この本について
 第2章 現代に打ち込まれた楔
 第3章 言葉と人々
 第4章 洪水物語
 第5章 箱舟の書板
 第6章 洪水の予告
 第7章 箱舟の形
 第8章 箱舟をつくる
 第9章 舟に乗せられた生き物
第10章 バビロンと聖書の大洪水
第11章    ユダ人の経験
第12章    何が箱舟に起こったのか
第13章 〈箱舟の書板〉とは何か
第14章 結論
     ──洪水物語と箱舟の形

第15章 円形の箱舟、あらわる
補遺1 亡霊、魂、輪廻
補遺2 〈ギルガメシュ第XI書板〉を精査する
補遺3 箱舟建造 技術報告書
補遺4 〈箱舟の書板〉を読む



第1章「この本について」の冒頭を、著者は「1872年、イギリスから遠く離れたニネヴェで新たに発掘された『楔形文字の粘土書板』に創世記の洪水物語と酷似した物語を発見し、世界中を驚かせたのは、紙幣原版の彫り師から大英博物館の助手に転職するという変わった経歴をもつジョージ・スミス(1840-76年)という人だった。その新しく発見された物語には、人間の行いゆえにバビロニアの神々が大水を起こして人類を滅亡させようとし、その寸前にひとりの男によってすべての生物が全滅を免れるという聖書の『ノアの洪水』とよく似た物語が語られていた。その男は大水が引いて世界が元に戻るまで、すべての種の雄と雌をひとつがいずつ住まわせる『箱舟』をつくる。この発見はもちろんジョージ・スミスにとっても驚くべきことであったが、これによって楔形文字の裏方研究者であった彼が一躍世界中に名を知られる存在となった」と書きだしています。


その後、著者はその書板と差し向かいで、電灯とレンズと先の尖った鉛筆を手に解読作業に取りかかります。解読は途切れ途切れにしか進まなかったとして、著者は「私は呻き、罵りの言葉を洩らし、ますます興奮しながら――服は脱いだりせず――作業を進めた。数週間後、私は突然光が差したような感じがして、書板から目をあげて瞬きをした。後に〈箱舟の書板〉として知られるようになるシモンズの粘土書板は事実上、箱舟のつくり方を記した詳細な説明書であったのだ。私は1文字1文字、こつこつと解読し続けた。徐々に内容が明らかになってきたので、私は時折、解明されつつある内容をダグラスに知らせていた。当時ブリンク・フィルム社と制作していた大掛かりなドキュメンタリー番組で書板のことが取り上げられ、私がこの本を執筆することになったのをダグラスはとても喜んだ。しかし、悲しいことに、2011年3月に彼は亡くなった」と述べています。



この本を執筆するにあたっては文献学、考古学、心理学、民族学、造船技術、数学、神学、聖書釈義、美術史等の知識が必要であったという著者は、「そうした知識を通して私たちは胸躍る探検の旅へと誘われるのだ。そもそも『楔形文字』とは何なのか。それを記したバビロニア人とはどのような人々であったのか、それを理解することはできるのだろうか。本書はシモンズの粘土書板に書かれていることを正確に説明し、すでに知られている洪水物語と比較しながら検討した上で、洪水物語がどのようにしてバビロニア楔形文字からヘブライ語のアルファベット文字へと変換され、創世記の中に組み込まれることになったのかを検証していく」と述べるのでした。

 

第3章「言葉と人々」では、古代メソポタミアで発展した大いなる文化は尋常なものではないが、現代社会がそこから被っている恩恵にはほとんど気づかれることがないとして、著者は「聡明な子どもは一度ならず、10進法の方がわかりやすいのに、なぜ分や秒などの時間の単位は60進法なのか、円はなぜ360度に分けられるのかといった質問をするものだ。その答えは古代メソポタミアにおいて文字体系とともに発展し、10進法に脅かされることなく、60進法が好んで使われていたことに見出される。60進法はメソポタミア人から、ギリシャの真面目な数学者を経由して今日に伝えられた。ギリシャの数学者たちは前1000年紀末にバビロンの町とその記録に接し、あらゆることに60進法が使われているのを見て、60進法の潜在力に気づき、進んでそれを取り入れた。その結果が今日、私たちの手首を飾る腕時計というわけである。メソポタミアにおける考古学の功績には今後も高い地位が与えられるだろう。車輪や土器、町や宮殿、青銅器や黄金、美術品や彫刻などが地中から出土している。しかし、文字はすべてを変えたのである」と述べています。



著者は、古代人と現代人について、こう述べています。
「古代の人々のことを同じ人間として身近に感じ、理解できると思えるかどうかは、彼らが残した文書に対する解釈の仕方に多大な影響を及ぼす。古代メソポタミア人の考え方は遠い昔の理解し難いことと決めつけてしまうようなことはしたくない。しかし、古代との距離はたびたび強調される。それは宗教に関してとりわけ顕著である。私は人間が生まれつきもっている“ソフトウェア”は共通しており、その表面が地域性や伝統などの様々な化粧板で飾られているだけで、それは現代の人々と全く同様に、古代中近東の人々にも当てはまると思っている。生きていく環境はその人の人間形成に大きく関わり、場合によっては圧倒的な圧力にもなる」



生活する共同体が閉鎖的であればあるほど、そこに暮らす人々は共同体の意向に従っているように見えますが、大きく見れば、そのような違いは上辺のもので、儀礼的で、ある意味、皮相的なものであるとして、著者は「人間は表面的には無数の姿をしているとしても、ひとつの種族なのである。私の考えでは、古代に楔形文字を書いた人のことは、その人を近く感じられる正しい向きで望遠鏡を覗かなくてはならないのである」と述べています。



また、著者はメソポタミアのウル第三王朝における埋葬の習慣について、「前2400年頃、ウルの最上層の人たちは永遠の眠りにつくとき、望む限りの貴重な財宝だけでなく、忠実な僕たちもともに埋葬させた。そのような墓は3、4基、発見されているが、「死の大穴」と呼ばれている墓は特に規模が大きく、72体もの遺体が整然と横たえられていた。死んだ王族に仕えた僕たちが主人とともに埋葬されるという考えは衝撃的であり、非常に原始的である。エジプトでも前王朝時代にそうした埋葬が短期間行われていたが、すぐに『ウシャブティ』というファイアンス〔ス石英を主原料とした焼き物。ガラス質の光沢がある〕製の人形が考案され、必要なときには奉仕できるよう、死者とともに埋葬されるようになった。ウルでの発見については、毒を盛られたのではないか、戦争の捕虜ではないか、死んでから埋葬されたのではないかなど、様々な解釈が飛び交った。このような疑問と並んで、より大きな疑問も浮かび上がる」と述べます。



死後の世界で必要になるからといって、大勢の若く美しい宮廷の使用人たちをともに埋葬するということは容易に納得できることではないと指摘し、著者は「賢明なことに、この習慣はその王朝の終わりとともに完全に消滅し、再び行われることはなかった。このような展開は理解できないことではないが、そもそも従者を捧げるという習慣は、どのようにしてウルにもたらされ、その社会に根づいたのだろうか。これについては2とおりの解釈しか考えられない。この埋葬法は古くからの習慣で、たまたま他の例が古代中東世界で発見されていないだけということか、特定の歴史的重要人物にまつわる出来事から、このような埋葬法が着想されたかである。そのような人物の候補として挙げられるのは、メソポタミアではギルガメシュしかいない」と述べています。


残されている伝承を総合すると、ギルガメシュは権力とカリスマを備えた人物であったとして、著者は「その影響力は死後も長く続いた。その名を広めることになった一連の物語がそれを証明しており、アレクサンドロス大王と同じレベルの人物であったのではないかという印象を受ける。アレクサンドロス大王については、その死があまりに衝撃的であったため、当初その生涯や時代については歴史家の冷静な判断とは思えない様々な物語が生み出された。このような観点からすれば、ギルガメシュの死に際し、『ハムレット』のレアティーズのように未来に絶望した忠実な臣下が墓に身を投げ出し、その埋葬法のきっかけとなったと考えられないこともない。ギルガメシュの死を語るシュメール語の文書はウルの王墓から復元される埋葬の様子としばしば比較されてきた。この原始的な習慣は文字どおりギルガメシュの死を起源とし、かなり後になるまでウルクの習慣であったのではないだろうか」と述べるのでした。



第4章「洪水物語」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「洪水によって世界が滅ぼされようとしているとき、舟に乗った英雄が人間と動物を絶滅から救うという物語は、世界各地の文学に見られる。(地球規模の)洪水物語の中心テーマは人間存在の弱さ、神の摂理の不確かさであり、もし火星人が「人間百科」を編纂したら、洪水物語は非常に興味深い項目として大きく扱われることだろう。この物語の豊かなテーマは多くの思想家、作家、画家の感性を刺激し、聖書や宗教を超えて、文学だけでなく現代オペラや映画にも影響を与えている」



また、著者は「多くの学者があらゆる種類の洪水物語を虫取り網で捉えては標本にし、科や種属ごとに分類しようと試みてきた。広義の洪水物語(天災は洪水とは限らないので、“大災害物語”としてまとめられることもある)はメソポタミア、エジプト、ギリシャ、シリア、ヨーロッパ、インド、東アジア、ニューギニア、中央アメリカ、北アメリカ、メラネシアミクロネシア、オーストラリア、南アメリカの各地で記録されている」



第10章「バビロンと聖書の大洪水」では、「なぜ洪水が起きるのか。主人公は何者なのか」として、著者は「バビロニアの物語がヘブライ語聖書に移植されたことは確かだが、バビロニアの物語の筋とユダにおけるその再利用の間にある重要な違いがここに凝縮されている。楔形文字での物語では神々の都合のみが洪水の原因とされているが、聖書では人間の道徳性が問題とされている。至高の被造物である人間が悪しき行いゆえに創造主の不興を買ったのである。この大災害の理由がメソポタミア文学の中で最も重要な『ギルガメシュ叙事詩』に一切記されていないのは大きな驚きであろう」と述べています。



第11章「ユダ人の経験」では、ユダ人が楔形文字伝承と出会った“時”と“場所”はバビロン捕囚時代のバビロンであったはずであるとして、著者は「この基本的な考えはすでに多くの人によって提案されてきたことであり、はっきりさせるべき新たな留意点はあるが、そのものとしては驚くようなものではない。バビロニアの洪水物語からの借用が起きたのは、すでに存在していたユダの資料をもとにヘブライ語聖書が最初にまとめられたときのことであり、借用の理由はそのとき初期の物語が必要とされたからと“説明”されるはずである。私が知る限り、これは今までにない新しい考え方である」と述べています。



続けて、著者は「伝達の“仕組み”は、ある重要な地位にあったユダ人が楔形文字の読み書きを学んで、バビロニアの物語に直接親しむようになり、自分たちの目的に沿うように新たな指針を付け加えて再利用したということであろう。私の知る限り、これもまた今までにない考えである。この“時”“場所”“説明”“仕組み”という4部構成の推論の妥当性と一貫性を確実に立証することは可能だろうか」と述べています。



箱舟と洪水の関連で重要なのは、少なくとも聖書の一部はすでに存在していた他の文書資料から抽出されたものであり、それが聖書の文脈に沿った新しい意味の中に置かれたということであると指摘する著者は、「総じて聖書本文の作成の背景には、このような編集の過程がある。口承にせよ書かれたものにせよ、“偉大なる作品”の編者が手にすることのできた様々な記録で聖書の物語は構成されている。洪水物語にも同じことが言える」と述べています。



第12章「何が箱舟に起こったのか」では、箱舟はどの版の物語でも、洪水が引いた後、貴重な荷を積んだまま無事に山の頂に着いたとされているとして、著者は「地上の生き物はどうにか洪水を逃れ、人間と動物の世界は立ち直り、新たな活力を得て、以前どおり存続することができた。これ以降、この巨大な舟が実際に着いた場所と、それに何が起こったのかが重要になった。舟が着いた山については様々な伝説が生まれた。この古代バビロニアの物語はユダヤ教キリスト教イスラム教において常に重要であり続けたからである」と述べます。



第14章「結論――洪水物語と箱舟の形」では、最も重要なのは箱舟の形が変化したにもかかわらず、船底の面積がほぼ変わっていないという事実であることを指摘し、著者は「ウトナピシュティムの箱舟は平面図が円形から正方形に変わったにもかかわらず、はじめにエンキ神からアトラ・ハシースに伝えられた“最初の”床面積を維持している。これは参考にした古バビロニア時代の文書では常に面積が同じだったからに違いない。形が円形から正方形へと変わったことについて、当初はボタンを掛け違えたような違和感があり、その解消は困難と思われたが、最終的にはそれほど劇的な変化とはならなかった。古バビロニア時代の舟の「長さ」と「幅」が円を定義する文脈から切り離されれば、それを正方形の辺と考えるのは自然なことであり、1万4400平方アンマという舟の底面積はそのまま維持されたのである」と述べています。

 

第15章「円形の箱舟、あらわる」では、大きな洪水が起こった場合、生き残る可能性が最も高いのは舟に乗っている人であり、メソポタミアに地球規模の大洪水があったとすれば、救いは舟によってもたらされると考えるのは当然であったとして、著者は「伝統的な物語の中では舟が中心的な役割を果たし、常に変わらず物語の主要な構成要素であったが、時とともにその舟が話題として文学上の発展を見せ、拡張していった。さらには、救いのための最終手段として登場したメソポタミアの箱舟には、未来においても同じ役割を果たすという意味が込められるようになる。つまり、洪水が再び起これば、いつでも新たな箱舟が登場すると考えられた。ヘブライ語聖書では、もう二度とこのような洪水は起こらないという全く異なる絶対的に確かな約束となり、象徴的な虹が架けられることでそれが保証された」と述べるのでした。



「訳者あとがき」の最後には、宮崎修二氏が「古くから繰り返し論じられてきたメソポタミア神話と聖書の関係が『箱舟の形』を通じて再認識され、それをきっかけとしてメソポタミア文学と聖書、ユダヤ教キリスト教、あるいはギリシャ神話との関連について、思索の可能性が活性化されたように思う。〈箱舟の書板〉は今後、聖書の入門書や概説書で必ず取り上げられる話題となっていくだろう。聖書研究の新常識となるような発見を日本語で紹介できたことを静かに喜びたい」と述べています。



さて、ブログ「ノア 約束の舟」にも書きましたが、わたしは、子どもの頃から「ノアの箱舟」というものに心惹かれて仕方がありませんでした。小学校低学年の頃は、父がプレゼントしてくれた『原色 聖書物語』サムエル・テリエン編、高崎毅・山川道子訳監修(創元社)を愛読していました。全3巻ですが、1・2巻が「旧約聖書」、3巻が「新約聖書」でした。とても絵がきれいで、すぐさま「旧約聖書」の幻想的な世界に惹かれました。ここに、わたしのファンタジー好きの原点があるように思います。その中でも「ノアの箱舟」の描写に特に心がときめきました。


ノアの大洪水(『原色 聖書物語』第1巻より

 

わたしは「ノアの箱舟」に関する絵本を買い集めて、それらを何度も読みました。特に、つがいの動物たちが行儀よく整列して箱舟に乗り込む場面、または箱舟から降りる場面が大好きでした。クリスマス用のショップで「ノアの箱舟」の木製玩具を見つけたときの喜びは言葉では表現できません。毎年クリスマスの時期になると、わが家のリビングルームのピアノの上では、つがいの動物たちが箱舟から陸地へ降りる場面が再現されます。


ノアの箱舟」の絵本各種

箱舟に乗り込む場面各種

ピアノの上の「ノアの箱舟

 

長じて、キリスト教関係の専門書や大洪水についての考古学の本なども読み漁るようになりました。ずっとノアの箱舟に魅了され続けてきたわたしにとって、本書は本当に素晴らしい読み物でした。訳者の宮崎氏は「聖書研究の新常識となるような発見を日本語で紹介できたことを静かに喜びたい」と述べていますが、わたしはこんな興味深い本が読め、刺激的な知識を得ることができたことに静かに感動しています。

 

 

2021年6月21日 一条真也

父の日

一条真也です。
6月20日(日)は、「父の日」であります。
早朝、LINEの着信音で目覚めました。何かと思ったら、長女からのLINEでした。開くと、父の日の「お父さん、ありがとう」のメッセージ・スタンプでした。

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この「父の日」スタンプは、ブログ「ハートフル・スタンプ3できました!」で紹介した、わたしのオリジナル・スタンプ第三弾です。長女も買っていてくれたのですね。これまで、わたしのいろんなシチュエーションにおけるスタンプが多種公開されてきました。

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今年4月8日に発売された 第三弾は「年中行事篇」で、正月・節分・桃の節句端午の節句・七夕・盆踊り・ハロウィン・クリスマスなどのスタンプが勢揃いしました。これだけ年中行事がコレクションされているスタンプは初めてだそうです。また、花見・月見・雪見といった四季を愛でるスタンプ、母の日・父の日・敬老の日・バレンタインデー・ホワイトデーなどのハッピーデイのスタンプも揃えました。ぜひ、ご活用下さい。ちなみに、ちょうど正午には、次女から「HAPPY FATHERS DAY!」「いつもありがとうございます」という洒落た動画のスタンプが届きました。感激!

f:id:shins2m:20210621100550j:plain実家の前庭で、父と

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訪問を喜んでくれました

 

わたしと妻はプレゼントを持って実家を訪れました。いつもは午前中に訪問することが多いのですが、今日は母から指定された午後3時に行きました。「父の日」のお祝いに、LANVINの派手めのシャツを贈ったところ、父はとても喜んでくれました。妻が記念にツーショット写真を撮ってくれました。

 

 

さて、「父の日」は6月の第3日曜日です。「母の日」に比べて、「父の日」はどうも盛り上がりに欠けます。拙著『決定版年中行事入門』(PHP研究所)にも書きましたが、もともと「父の日」とは20世紀の初頭にアメリカで生まれた記念日で、ワシントン州スポケーンの女性、ソノラ・スマート・ドッドの発案によるものです。彼女の母は早く亡くなり、父は男手ひとつで6人の子どもたちを育てました。当時、すでに「母の日」は始まっていましたが、ソノラは「母の日があるなら、父に感謝する日もあるべき」と牧師協会に嘆願したといいます。


世界初の「父の日」の祝典は、1910年6月19日、スポケーンで行われました。16年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪問。そこで「父の日」の演説を行ったことにより、アメリカ国内で「父の日」が認知されるようになったそうです。また66年、第36代大統領リンドン・ジョンソンは、「父の日」を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を「父の日」に定めました。正式に「父の日」が国の記念日に制定されたのは72年のことです。


このように、「父の日」そのものは非常にアメリカ的なのですが、日本においても必要であると思います。なぜならば、「父の日」でもなければ、世のお父さんたちは子どもたちから感謝される機会がないではありませんか! 人間関係を良くする「法則」を求めた儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬式をあげて弔うことを何よりも重んじたというのも、結局は「親に感謝せよ」ということでしょう。

 

 

親とは最も近い先祖です。「いのち」のつながりを何よりも重んじた儒教では、祖先崇拝を非常に重要視しました。そして、それは「孝」という大いなる生命の思想から生まれたのです。どうか、「父の日」をお忘れなく! そういえば、いま、 ブログ「ファーザー」で紹介したアンソニー・パーキンス主演の映画が公開中です。「父の日」にこの映画を観に行かれる方も多いのでは?



2020年6月21日 一条真也

「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」 

一条真也です。
19日、シネプレックス小倉で映画「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」を観ました。ブログ「クワイエット・プレイス」で紹介した映画の続編です。ホラー映画史に残る社会現象級大ヒットとされた前作に続いて、新体感のサバイバル・ホラー映画でした。今回は、子どもの成長や家族愛の描き方が見事で、とても感動しました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「音に反応して人間を襲う何かが支配する世界で暮らす一家のサバイバルを描いた『クワイエット・プレイス』の続編。夫を失いながらも生き延びた母子が、新たな脅威に遭遇する。前作に続きジョン・クラシンスキーがメガホンを取り、母役のエミリー・ブラント、娘役のミリセント・シモンズ、息子役のノア・ジュープが続投。新たに『プルートで朝食を』などのキリアン・マーフィ、『ブラッド・ダイヤモンド』などのジャイモン・フンスーが出演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「世界は、音に反応し人間を襲う何かによって荒廃していた。夫のリー(ジョン・クラシンスキー)と家を失ったがかろうじて生き延びた妻のエヴリン(エミリー・ブラント)は、赤ん坊と2人の子供(ミリセント・シモンズ、ノア・ジュープ)と一緒に、新たな避難場所を探しに行く」


2018年10月に日本公開された前作「クワイエット・プレイス」は、音に反応し人間を襲う何かが潜む世界で、音を立てずに生き延びようとする一家を描いて、大反響を得ました。生活音が未曽有の恐怖を生み出し、一家に次々と危機が訪れます。リーとエヴリンの夫婦は、聴覚障害の娘ら3人の子供と決して音を立てないというルールを固く守ることで生き延びていました。手話を用い、裸足で歩くなどして、静寂を保ちながら暮らしていたのですが、エヴリンの胎内には新しい命が宿っていたのでした。


正直言って、「クワイエット・プレイス」という映画を観たとき、じつにツッコミ所が多いと感じました。地下室へ降りる階段には剥き出しの釘が飛び出ており、それが物語で重要な役割を果たすのですが、これはどう考えても不自然でした。これほど用心深い一家が、剥き出しの釘を放置しておくのも信じられませんでした。さらには、こんな超弩級の非常時に母親が妊娠・出産というのが信じられませんでしたね。「映画史上最恐の出産」という触れ込みですが、実際にはあり得ないと思います。赤ちゃんだって、もっと大きな声で泣き叫ぶはずですよ。「映画だからいいじゃないか」というわけにはいきません。ホラーやファンタジーやSFのような非日常の物語にこそ、その細部にはリアリティが求められると思います。


しかし、続編ではそんなツッコミ所や違和感も気にならず、非日常の物語にスッと入っていけました。冒頭シーンがテンポが良くて成功していましたね。「クワイエット・プレイス」は映画館でポップコーンを食べる音、コーラを飲む音、さらには呼吸の音さえ恐怖と感じる極度の緊張感を観客に強いる新感覚ホラーでしたが、何よりも理不尽に人間を襲う「何か」の存在が最大の恐怖でした。続編となる「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」では、その「何か」が出現した最初の1日の様子が克明に描かれます。それから物語は一気に474日後に飛び、父親と住む家をなくしたエヴリン一家に立ちはだかる危険の数々が観客を再び恐怖に打ち奮わせます。


母親役のエミリー・ブラント、相変わらず美しかった!
現在38歳の彼女は、わたしの大好きな女優さんの1人なのですが、10歳から吃音症の症状が気になり始め、なかなか治らず苦しんだそうです。12歳の頃には、話すことを諦めてしまうほどだったとか。しかし、その後、「違った声で何か演じてみて」と学校の先生に言われて、北部訛りで話したことがきっかけとなり克服したとのこと。この経験から「もっと誰か他の人を演じてみたい」と志望するようになり、女優の道に進んだといいます。ゴールデングローブ賞助演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)を受賞したテレビ映画「ナターシャの歌に」(2005年)のナターシャ役、ロンドン映画批評家協会賞助演女優賞を受賞した「プラダを着た悪魔」(2006年)のエミリー・チャールトン役で一躍注目されました。


エミリー・ブラントは、50ヵ国で空前のベストセラーとなったミステリー小説を映画化した「ガール・オン・ザ・トレイン」(2016年)で英国アカデミー賞および全米映画俳優組合賞の主演女優賞にノミネートされています。「ガール・オン・ザ・トレイン」はわりと好きな映画でしたが、当時はそんなに感じなかったのですが、2年後の「クワイエット・プレイス」での彼女は魅力たっぷりのクール・ビューティーに見えました。この映画の監督で父親役も演じたジョン・クラシンスキーとは本物の夫婦ですが、夫婦で主演した低予算映画が大ヒットしたわけで、2人とも笑いが止まらなかったでしょうね。


クワイエット・プレイス」と同じ2018年には、彼女はミュージカル映画メリー・ポピンズ・リターンズ」で主役のメリー・ポピンズを演じました。同作は、第37回アカデミー賞の5部門で受賞した名作「メリー・ポピンズ」のおよそ半世紀ぶりとなる続編でした。前作の20年後の大恐慌時代を舞台に、再び現れたメリー・ポピンズが起こす奇跡を描いています。この作品で、彼女はゴールデングローブ賞をはじめ、各映画賞の主演女優賞にノミネートされました。ミュージカル映画といえば、「イントゥー・ザ・ウッズ」(2014年)でもパン屋の女房役を演じて、ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされています。ミュージカルからホラーまで、役柄の広い女優さんですね。


メリー・ポピンズ」はディズニーの楽しいミュージカル映画ですが、母親を亡くした子どもたちの悲しみに寄り添うグリーフケア映画でもありました。そして、「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」もグリーフケア映画の要素が強いです。というのも、前作で勇敢に家族を守った父親の不在を描いているからです。耳の不自由なろう者の長女が「君はお父さんに似ている」と言われて涙ぐむシーンがあるのですが、全篇を夫を亡くした妻の悲しみ、父を亡くした子どもたちの悲しみが覆っています。そして、この映画、とにかく女性たちが強い。母親も長女も信じられないほどのストロングハートで「何か」と果敢に戦います。


一方、父の死によって家族で唯一の男となった長男は怯えてばかりで、また怪我をしてしまって家族の足手まといになります。スクリーンを観ながら、わたしは「おまえ、男なんだから、もっとしっかりしろ!」と心の中で何度も叫んだのですが、最後の最後で、彼が成長を遂げて、家族を守るシーンには思わず感動してしまいました。別の場所では同時並行で、長女も大活躍していたのですが、子どもたちの成長の陰にはおそらく死者である父親の見えないサポートがあったように思えてなりません。「生者は死者によって支えられている」というのはわが信条ですが、父親というものは死ぬまで、また死んだ後も家族を守り続ける存在であると思います。そういえば、20日は「父の日」。2人の娘たちから何かメッセージが届くといいな!

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2021年6月20日 一条真也