『世界の幽霊出現録』 

世界の幽霊出現録

 

一条真也です。
わが家で幽霊騒ぎがありました。昨夜わたしが帰宅すると、ちょうど妻が門のところにいて、「あなたが帰る直前に、誰かが玄関から家に入っていった」と言うのです。じつは長女が門のポストから郵便物を取り出して家に入ったのに妻が気づかずに動揺していたのでした。世の幽霊騒ぎには、意外とこんな正体は枯れ尾花的エピソードが多いのかもしれないと思いました。ということで、『世界の幽霊出現録』ブライアン・インズ著、大島聡子訳(日経ナショナル ジオグラフィック社)を紹介したいと思います。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には古い大きな邸宅に出現した女性の幽霊の絵が描かれ、帯には「本当に出た!」「この世ならざるものたち」「ひっかきファニー、セイラムの魔女、グラームスの怪物、ロチェスターのラップ音、幽霊船フライング・ダッチマン・・・ほか世界中から集めた全65話」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「嘘か真か。」と大書され、「紀元前から現代まで、各地に残る幽霊の目撃情報。いつ、どんな場面で、どんな幽霊が現れ、何が起きたのか。科学では解明されない不思議な世界を味わおう」と書かれています。

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アマゾン(出版社より)

 

また、カバー前そでには、「本書で紹介する話に、悪霊の仕業だとされているものはほとんどない。研究によれば、最も世間を驚かせたポルタ―ガイストのケースでも、『悪意』は人から生じている可能性が高いという。人がこの世のものでも人間のものでもない力の場を利用して、心霊現象を起こしていたのだと。(「はじめに」)」と書かれています。

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アマゾン(出版社より)

 

アマゾン「出版社からのコメント」には、「彼らが見たものは、この世のものならざるものだったのか。著者ブライアン・インズは、いずれのケースでも断定を避け、淡々とした語り口で冷静に筆を運びます。本当に『それがいた』かどうかはわかりませんが、『それを見た』と証言する人たちが実際にいることは事実であり、報道や書物、手紙のなかに、文章や写真で資料がたくさん残っています」

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アマゾン(出版社より)

 

続けて、「出版社からのコメント」には、「取り上げているのは、スピルチュアル研究の発端となった『ロチェスターのラップ音』や、『セーラムの魔女』のように社会事件に発展したもの、多くの小説や舞台の題材となった『幽霊船フライング・ダッチマン』、生きている人の命を救い続けるとされる『401便の幽霊』など、バラエティーに富みます。こうした世界は恐怖やホラーとして捉えられがちですが、もちろんそうしたケースも多いのですが、そうではないケースも多くあります。まずは気軽な気持ちで手に取れば、いつもの日常を少し離れ、別の日常を味わうことができるでしょう」とあります。

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アマゾン(出版社より)

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
1章 大昔の幽霊
エンドルに現れた霊
マラトンの幽霊
ギィ・ド・トルノの声
テッドワースのドラマー
ヴィール夫人の最後の旅
ジェフェリーじいさん
ひっかきファニー
もう一人の人影
2章 19世紀の幽霊たち
チェイス家の墓地
ウィリントンのミルハウス
馬に乗った中尉の霊
キャプテン・タウンズの肖像
3章 幽霊屋敷
アテネの幽霊屋敷
グラームスの怪物
ファイビー城のグリーン・レディー
オード・ナンス
死の決闘
ベアリング=グールド家の霊
バークレイ・スクエアの恐怖
叫ぶドクロ
イングランドで一番の幽霊屋敷
失われたバラの木
クリフトン・ホールの叫び声
何かがいる部屋
4章 心優しき幽霊たち
『ボストン・ポスト』を読む
ゴーストダンス
研究熱心な幽霊
ゴーストタウンの幽霊たち
ベルサイユ・アドベンチャー
献身的な幽霊
グリニッジ・ビレッジの謎だらけの亡霊
死者のためのミサ
401便の幽霊
聖域
5章 邪悪なもの
セイラムの魔女
ベル家の魔女
ルーマニアの悪魔
幽霊とダウジング
アミティビル怪奇現象の真相
ビバリーヒルズの火事
日本の幽霊
6章 亡霊と生霊
ジョン・ダンの妻
パイロットの帰還
航空事故
湖を渡る老人
幻の自分
7章 動物や無生物の霊
ブラックドッグ
ロンドン塔で
幽霊船フライング・ダッチマン
キラキー邸のネコ
8章 いたずら好きな精霊
ル・マンに訪れた者
ストックウェルのポルターガイスト
ロチェスターのラップ音
瓶に潜む霊
イースターにやってくる客
機械の中の幽霊
エンフィールドの魔女
フライング・キラー・テレフォン
幽霊のベッド
9章 消えたヒッチハイカ
   /都市伝説
エレベーターの中の霊
他人の死が見える
氷のような女の子
ユニオンデールの幽霊
消えたのか、それとも……
イムリーな警告
付録
大昔の人々にとっての霊とは
霊魂と霊界
体外離脱と臨死体験
あの世からの創作、オートマティスム
つまるところ、幽霊とは?
フィクションのなかの幽霊
「索引」
「図版クレジット」


「はじめに」で、由来はどうあれ、幽霊という言葉を知らない人はいないし、わたしたちはその意味を十分理解しているつもりだとして、著者は「しかし、問題はどう理解しているかである。1950年代に、オックスフォード大学の哲学者で超心理学に詳しいH・H・プライスは、『幽霊を信じますか?』と問われたとき、その言葉が定義されるまで答えることはできないと言った。プライスと同時代の哲学者C・E・M・ジョードも、『幽霊という言葉をどういう意味で使っているかによる』と答えている」と述べています。


また、いつも冷静に客観的にものを見る人でも、「そこにいない」はずの何かを感じた経験はいくらでもあるだろうとして、著者は「その不思議なものを表す言葉は、『幽霊』のほかにもたくさんある。亡霊、生霊、霊、魂、精霊、お化け、妖怪、ゴースト、スピリット、ファントム、ポルターガイスト。そこにもう1つ、ハルシネーション(幻)も加えておこう」と述べます。



「過去の文化に見られる幽霊」では、紀元前5世紀頃のソクラテスの時代には、ダイモニオンという言葉は、悪い行いをしないように自分の魂を導いてくれる「内なる声」という意味だったと紹介されます。しかし、キリスト教の理論家たちは、悪の手下やデーモン、デビルといった邪悪な存在を表す言葉としてこの言葉を使い始めたと指摘し、著者は「何百年もの間、キリスト教ではすべての霊を、悪い魂かサタン自身が現れたものと見なしていた。ポルターガイスト現象を引き起こしたり、トランス状態になってしゃべりだしたりする人は、『取り憑かれ』ているのだから、魂を取り戻すために戦わなければならないとされたのだ」


中世初期からの幽霊話が、グレゴリウス1世の『対話編』(590~604年)に数多く収録されています。それによると、その頃の幽霊たちは煉獄でずいぶん苦しんでいる。しかしその苦しみは魂のための祈りを捧げられることで、かなり和らげられたとも語られていると紹介し、著者は「だからデーモンが出没するような場所では、ベルと聖書とろうそくを用いて魔除けの儀式を行わなければならなかった。やがてキリスト数は内部に異端がいることを恐れるようになり、想像上のデーモンに戦いを挑むという名目で、何千人もの罪のない人々が焼かれて死んだ」と述べます。


第1章「大昔の幽霊」の「もう一人の人影」では、イングランド、サリー州ロンドン郊外の幽霊が取り上げられますが、ヒストリック・ロイヤル・パレスの主任学芸員ルーシー・ワースレイが、2015年3月のデイリーメールで指摘したところによると、19世紀より前の幽霊といえばもっぱら男性で、白い布をかぶった姿で目撃されていたといいます。著者は、「なぜ、白い布か。それは16世紀や17世紀には、死人は皆、頭から足先までそのような布でくるまれて埋葬されていたからだ。19世紀に入ってからは、グレーや黒の正装姿の幽霊が断然多くなるのだが、それはその時代の喪服がそうであったからで、つまり幽霊も時代を反映しているということだろう。また、19世紀から降霊術が盛んに行われるようになったのだが、霊媒師は圧倒的に女性が多かった。それに合わせるように、女性の幽霊が多く報告されるようになったというところも興味深い」と述べています。


第5章「邪悪なもの」の「幽霊とダウジング」では、『幽霊とダウジングの棒』(1963)のなかで、イギリスの民俗学者トム・レスブリッジが「流れる水はエネルギーの場を形成する。そのエネルギーの場は、電流を送るケーブルを囲んだようなもので、そばにいる者にぴりぴりとした感覚を与えることもある。そして、このエネルギーの場は、どういうわけか印象さえも伝えることができるという。印象とは、その場所で、ものすごく強い感情によって引き起こされた出来事の「記録」だ。(この説を使えばダウジングによって水脈を見つけることの説明も少しはつく)」という自説を展開していることが紹介されます。


レスブリッジは、さまざまな物質の上に振り子をかざし、エネルギーの場について調査しました。そして、いささか非現実的ともいえる考えを思いつきました。著者は、「古代の人は、自然のなかに『魂』が宿っていると考えていた。水の精霊のナーイアスや森の精ドリュアス、岩山の精オレイアデス。つまりそれは、古代の人々も、自然のなかのエネルギーの場に気づいていたという証拠ではないか。そして、雷が鳴り稲妻が走るのがそうであるように、エネルギーの場も超常的な力によって生じたものだと信じていた。レスブリッジは、残りの人生のほとんどを、その研究に費やしている。ブランスクームでは、あることを知って、エネルギーの場に関する自分の考えに自信を持った。ミーナが飛び降りたい衝動にかられた崖では、下のほうで小川が海へと流れ込んでいた。そこは、数年前に男性が自殺をしていた場所だったのである」と述べます。

 

「日本の幽霊」では、英国ほど幽霊話の多い国はないが、ライバルを挙げるなら断然、日本だろうとして、著者は「日本古来の宗教である神道は、死んだあとも魂が永遠に残ると教えている点で、世界的な大宗教にも通じるところがある。神道にも魂を鎮めるための幽冥界という領域があるが、そこからこの世に未練のある幽霊が戻ってきて、生きている間に自分を苦しめた人間に取り憑き、復讐するという。そのため、神道ではたくさんの儀式が行われるようになった。西洋人はそれを、先祖を崇拝するためのものと考えることが多いようだが、実は死者の魂がこの世をさまよい続けないよう、なだめ、鎮めるためのものである」と述べています。


神道は、動物や植物、無生物などの自然にも霊性があると考える、古くからある自然崇拝であると指摘する著者は、「その信仰を土台にして数多くの民間伝承が生まれてきた。そのなかでよく描かれているのが、亡霊の持つ悪意と人に対する凶暴さである。仏教が日本に伝わってから、神道も少しずつ変化し、亡霊は幽霊界からではなく地獄からやってくるものと考えられるようになったことで、亡霊はすさまじい悪意を持つものというイメージが定着したのかもしれない」と述べます。この描写はちょっと神道と仏教がゴッチャになりすぎた印象がありますね。


付録1「大昔の人々にとっての霊とは」では、「死者は生き返るか」という問いが、わたしがはるか昔から抱えてきた疑問であり、初期の神話や伝説などは、その答えが核心に描かれているものがほとんどであるとして、著者は「多くの宗教の原型ともいえるアニミズム信仰は、木や石、山、川、湖などあらゆるものに精霊が宿っているとした。人々は精霊に呼びかけ、その力を敬ったり、鎮めたりしてきた」と述べています。


そのうち、大勢の精霊たちにも力の強さによる階層があり、上位には優れた神々がいるという考えが生まれました。そして、ついには唯一神が生まれ、ほかの精霊はそれに従属するものとして扱われるようになります。では、この中で、「人間はどういう位置づけになるのか」という疑問について、著者は「人間が魂を宿しているのは明らかだ。宗教的な思想の体系ができ始めたばかりの頃でも、人の魂は死ぬと体から解き放たれ、ほかの魂たちと交わるようになると信じられていた」と述べています。


付録2「霊魂と霊界」では、ネクロマンシーが取り上げられています。ネクロマンシーとは、死者を呼び出す降霊術のことで、昔から「黒魔術のなかで最も邪悪なもの」とされてきました。本書には、「15世紀から16世紀にかけて、この術を行うために墓から死体が掘り出されるということがよくあり、1542年に制定された妖術禁止法では、『法に逆らい、霊を呼び出すまじないを唱える者』を糾弾している。したがって、『この世を去った人たち』との交流を前提とするスピリチュアリズムも、存続していくためには自分たちの教会を持ち、儀式の形を整えていくなどして、一つの宗教として国に認められる必要があった」と書かれています。


もともと心霊現象への関心から始まったスピリチュアリズムですが、次第に宗教のようなものへと変容していったとして、著者は「スピリチュアリストたちは、キリスト教に代わる信仰の体系を模索するようになり、霊界との交流に適した環境を作るためと称してミサのようなことも行うようになった。実際、キリスト教とかなり似てきており、1870年代までには多くの組織が『教会』を名乗るようになっていた。スピリチュアリストたちが信じているものは何か。一概には言えないが、だいたい共通しているとみられる信念がある。それは、人間は二つの要素、滅びる運命の肉体と、永遠にあり続ける魂とでできているということである」と述べます。


また、人は死ぬと、魂が肉体を離れて「霊界」へ入るとされます。著者は、「そこには7つの界層があり、1番下が地上である。その次は『サマーランド』と呼ばれることもある界層で、ここは地上ととても似ているが、痛みや苦しみがない。そして地上よりも、霊的な進化を遂げるチャンスがある。悪人のまま死ぬと、霧に閉ざされたリンボ(辺獄)のようなところをさまようことになる。スピリチュアリストの団体のなかには、そのような迷える魂を悔い改めさせるために『救済サークル』を結成しているところもある。物質的な物に執着しすぎると、魂は地上から離れることができない。その魂が、人の目には幽霊に見えるのだと、スピリチュアリストたちは信じている」と述べるのでした。


「霊界からのメッセージ」では、死者との交流を図る実験が、心霊研究協会(SPR)のメンバーによって行われたことが紹介されます。著者は、「参加者は、自分の死後、生きている仲間にメッセージを送ろうと試みる。信ぴょう性を高めるために、送るメッセージは小分けにして、すべてがそろわないとその意味するところが明らかにならないようにする。参加者には、著名な古典学者のF・W・H・マイヤースやエドマンド・ガーニーがいた。二人とも、SPRの設立に重要な役割を担った人物だ。その後、古典学者のヘンリー・ブッチャーとやはり古典学の第一人者であるA・W・ベロール博士も加わった。この実験で得られた界からのメッセージは、『交叉通信』と名づけられている」と述べています。


付録3「幽体離脱臨死体験」では、生きている人の霊が目撃されることについて研究者たちは「幽体離脱(アストラルプロジェクション)」ではないかと考えることが紹介されます。それらは大きく2つに分類され、「パラソマティック」と「アソマティック」と呼ばれます。パラソマティックタイプとは、体験者が自分の肉体そっくりな「複体(ダブル)」の中にいると認識している状態です。もう一方のアソマティックタイプは、体を持たない意識だけの自分が、離れた場所から自分の肉体を眺めるという体験です。意識が体から離脱した状態。「ピンポイントの存在」と呼ばれることもあります。


驚くことに、この「アストラルプロジェクション」を行っている人々は、体から離脱して、どこか知らない場所へ「流れて」いき、戻ってきてから、その場所の様子を詳しく語ることができるといいます。そしてその情報は、実際にその通りであることが多いとか。著者は、「これは、一種のテレパシーと考えられるかもしれないが、さらに不思議な体験もしている人もいる。『アストラルトラベラー』は、友人の寝ている部屋に入っていき、テーブルの上や棚の中の物を荒らすことができるというのである。それだけでなく、会話を交わすことさえあるらしい」と述べます。


付録4「あの世からの創作、オートマティスム」では、「ベートーベンは今でも交響曲第十番に取り組んでいるのか。アインシュタインは宇宙の謎を解き明かそうと考え続けているのか。ピカソの頭の中にはまだイメージが渦巻いていて、それをキャンバスにぶつけたくてうずうずしているのだろうか」と書かれています。そのようなことを思うのは、オートマティスムという不思議な心霊現象を目の当たりにしたからだとして、著者は「芸術作品、例えば絵画や楽譜、小説、詩、哲学の本などを、自動で生み出している」と述べます。


オートマティスムとは、人が自分の意識の外で作品を生み出す現象のことをいいます。本書には、「心理学では、この夢遊病や記憶喪失、チック症状、多重人格障害、異言、トランス障害などに見られる『解離』状態とよく似ており、心理学ではそこに明確な線引きはしていない。しかし、オートマティスムで作品を作る人々と彼らを支持する人々は皆、芸術家の霊と直接コミュニケーションを取っていると信じて疑わない」と書かれています。


そして、オートマティスムについて、「古代ギリシャデルフォイの神託に始まり、預言者の残した数々の預言の書のことはさておき、自動筆記で書かれた初期の書物といえば、英国スピリチュアリズムのバイブルとされるW・ステイトン・モーゼスの『霊訓』(1883年)や、W・T・ステッドの『死後』(1897年)などが挙げられる。しかし、この辺りのものは、心理学者のウィリアム・ジェームスが、『哲学の水割りのようにひどくぼんやりしていて、あたかも霊のメッセージの半分以上を作家自身が創作したかのようだ』と批評しているように、後世になって書かれたものとはだいぶ違っている」と述べるのでした。


付録5「つまるところ、幽霊とは?」では、著者は「幽霊とは何か。スピリチュアリストはもちろん普通の人々にとっても、その答えは簡単だ。幽霊とは死者の魂で、まだ上の界層へ『渡っていない』か、生前暮らしていた場所へ『戻ってきた』もののことである。一方、物理学者にとっては、この質問はなかなか答えにくい。ある科学者が観察して得た結果は、同じ条件下で技術と設備さえ整っていれば、別の科学者が行っても同じ結果になるというのが科学である。幽霊はカメラで確実に捉えるということができないし、ポルターガイストの音はたとえ録音できても状態が悪くきちんと分析できることがない。それに、指定した時間に現れて、わかりやすく物理的な心霊現象を起こしてくれるように頼むこともできない」と述べています。


「幽霊とテレパシー」では、霊的な存在(エンティティー)がこの力の場にあり続ける様子をわかりやすくするために、著者は以下のような例え話をします。
「穏やかな晚に湖の上を静かにボートをこぐと、水から引き上げられたオールが小さく激しい渦を作り、渦は水をらせん状にかき回す。これらの渦は湖の上を流れていき、徐々にエネルギーを失いながらも、ボートがそこにいたことを表している。同じように、強烈な経験、例えば痛みやショックなどが、力の場に渦を生じさせることがある。死後エネルギーはそこに残り、誰かに受信されることもある。ポルターガイスト現象も、この力の場の仮説を用いれば、ほかのどの説よりもうまく説明できる」

 

「パラレルユニバース(平行宇宙)」では、時間の性質をうまく利用して幽霊を説明しようとする理論もあるとして、著者は「『時間の矢』というように、ほとんどの科学者は、時間というものは前にしか進まないと考えている。そして時間をさかのぼれないのと同じように、未来を見にいくことも不可能であると。しかしアインシュタインは時空連続体の概念を構築中に、3次元の空間と1次元の時間は互いに切り離すことはできないことに気づき、日常の体験はすべて、その4次元の枠の中で行われていると指摘している」と説明します。


ここから発展させて、空間次元がどの時間にも存在するのと同じように、すべての時間、つまり過去・現在・未来は、無限に並ぶパラレルワールドに同時に存在するということもできると説明し、著者は「アインシュタインの理論をここまで発展させたのは、エンジニアでもあり数学者でもあるJ・W・ダンである。ダンは幽霊について言及していたわけではない。しかし、幽霊が『見えている』というのは、自分たちの時間枠から、別の時間枠で起こっている出来事を見ている状態ではないかと考えてしまうのである」と述べます。この考えは、ブログ「インターステラー」で紹介したSF映画の幽霊像によく似ていますね。

 

 

付録6「フィクションのなかの幽霊」では、どこから見てもフィクションであるという幽霊は18世紀半ば、「ゴシック」小説が流行し出した頃に登場すると指摘し、著者は「例えば、『オトラント城奇譚』(1765年)の著者のホーレス・ウォルポールは、「自分の中にあった想像力やイメージ、情熱を自由に働かせて」書いている。ゴシック小説には、必ずといっていいほど幽霊城や墓場、心を揺さぶられるような美しい情景が描かれていた。後にこの分野では、メアリー・シェリー、エドガー・アラン・ポーシェリダン・レ・ファニュなどが出てきて活躍した。しかし、彼らの話は純粋に超常的なものというより、ホラー的な要素のほうが強かった。19世紀初めにはワシントン・アービングが、米国に早くに入植していたオランダ系移民たちの言い伝えに手を加えて、『スリーピーホロウの伝説』などを発表した。しかしなんといっても、完璧な『幽霊譚』は、ディケンズの『クリスマス・キャロル』(1843年)が最初だろう」と述べています。

 

 

また、著者は以下のようにも述べています。
「19世紀の終わりには、幽霊譚は文学の一ジャンルとして確立され、『カンタヴィルの亡霊』(1887年)のオスカー・ワイルドのように、著名な作家たちも数多く書いていた。そして、ヘンリー・ジェイムズが「不用心な読者へのわな」を仕掛けてあると言った『ねじの回転』(1898年)は非常に不気味で、古典的名作とされている。悪意を持つかつての使用人ピーター・クイントと、彼と関係があったという前任の家庭教師ミス・ジェスル、そして彼らの犯した、屋敷の子どもたちに対する罪。恐怖の上に恐怖を重ねていく描写が見事である」

 

 

さらに、幽霊が登場する物語について、著者は「聖書学者のM・R・ジェイムズの『好古家の怪談集』(1904年)は、恐怖を描いた珠玉の短編を集めたもの。ジェイムズのライバルに、アルジャーノン・ブラックウッドがいる。彼は1906年に短編集『空家』で小説家デビューを果たしてから、実に30冊以上もの本を出している。20世紀に入り懐疑主義が台頭してくると、幽霊話は二つに分かれて歩み始めた。H・P・ラブクラフトの小説のように、強烈な恐怖の世界へさらに深く入り込んでいくものか、もしくは軽い、娯楽の要素の強いものである」と述べるのでした。

 

「映画の中の幽霊」では、100年以上も前に映画というメディアが世に現れてからというもの、幽霊はより本物らしく表現されるようになったと指摘し、著者は「例えば、ノエル・カワードの戯曲を原作とした『陽気な幽霊』に出てくるのんきな女性の幽霊や、友だちのような『キャスパー』、怖いけど憎めない『ゴーストバスターズ』のお化けたち。『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)では、現世に残る恋人の元を離れられないロマンティックな幽霊が描かれている。しかしもちろん観客を震え上がらせるホラー映画も健在である。スティーブン・キングの小説をスタンリー・キューブリックが映画化した『シャイニング』(1980年)。スティーブン・スピルバーグ製作の『ポルターガイスト』(1982年)は、優れた特殊効果を駆使して視覚に訴えた」と述べています。


また、著者は、幽霊が登場する映画について、「心理描写が秀逸な古典的ゴシックホラー映画としては、ヘンリー・ジェイムズの小説『ねじの回転』を映画化した『回転』(1961年)や、『回転』と似た設定で幽霊屋敷ものの伝統を踏襲している『アザーズ』(2001年)などが挙げられる。また、『シックス・センス』(1999年)は、死者の姿が見えるという少年に向き合っていく小児精神科医の心理を丁寧に描いた恐怖映画だ」と述べます。


そして、著者は「100年前と変わらないくらい、現在の私たちも幽霊を信じていると仮定するなら、小説家や映画制作者はこれからもフィクションの幽霊物語を語り続けるだろう。喜劇、恋愛もの、心温まるもの、ゾッとするもの、ショッキングなもの、どんな幽霊物語でも」と述べるのでした。ここに挙げられた「回転」も、「アザーズ」も、「シックス・センス」も、さらには「シャイニング」も、わたしの愛する映画たちです。本書は、全65話の実際の幽霊エピソードも興味深いですが、「付録」として巻末で展開される幽霊トリビアが楽しくて仕方がありませんでした。結局、わたしは幽霊がたまらないほど大好きなのだという事実を再確認しました。

 

 

2021年12月2日 一条真也

12月度総合朝礼

一条真也です。
ついに12月になりました。今年も、あと1ヵ月!
1日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。空調やソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

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開始前のようす

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最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20211201084913j:plain社歌斉唱のようす

f:id:shins2m:20211201085056j:plainマスク姿で登壇しました

 

全員マスク姿で、社歌の斉唱および経営理念の唱和を小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしがレディッシュパープルの不織布マスクに同色のネクタイをつけて登壇。わたしは、まず、「昨年18日、わが社は創立55周年を迎えました。何とかここまで来られたのは社員の皆様のおかげです。心から感謝しております。日経新聞の一面で『志を探して』という連載が開始しました。いよいよ、アンビショナリー・カンパニーの時代が到来したことを実感させます」と言いました。また、コロナの新規感染者は減少しましたが、新たにオミクロン株が登場しており、油断はできません」と言いました。

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オミクロン株に御用心!

f:id:shins2m:20211201105309j:plainマスクを外しました

 

さらに、以下の話をしました。11月23日、京都で「日本人と死生観」と題するシンポジウムが開催されました。会場は京都大学稲盛財団記念館で、やまだようこ氏(ものがたり心理研究所所長・京都大学名誉教授)、鎌田東二氏(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授)、広井良典氏(京都大学こころの未来研究センター教授)とともに、わたしも出演しました。やまだ先生は物語研究の、鎌田先生は宗教哲学の、広井先生は定常型社会、すなわちSDG´sの、わが国における第一人者です。わたしは儀式研究の専門家として登壇し、「死生観の『かたち』」について発表しました。

f:id:shins2m:20211201115446j:plain社長訓示のようす

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熱心に聴く人びと

 

日本人の死生観の「かたち」である葬儀は、昨今、家族葬直葬に代表されるように「薄葬」化しています。現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものです。そこで、わたしは「永遠葬」を打ち出しました。「人は永遠に供養される」という意味です。日本仏教の特徴の1つに、初七日から百ヶ日の忌日法要、一周忌から五十回忌までの年忌法要があります。

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「成仏」とは何か?

 

五十回忌で「弔い上げ」を行った場合、それで供養が終わりというわけではありません。故人が死後五十年も経過すれば、配偶者や子どもたちも生存している可能性は低いと言えます。そこで、死後半世紀も経過すれば、死者の霊魂は宇宙へ還り、人間に代わってホトケが供養してくれるといいます。つまり、「弔い上げ」を境に、供養する主体が人間から仏に移るわけで、供養そのものは永遠に続くわけです。まさに、永遠葬です。有限の存在である「人」は無限のエネルギーとしての「仏」に転換されるのです。これが「成仏」です。あとは「エネルギー保存の法則」に従って、永遠に存在し続けるのです。つまり、人は葬儀によって永遠に生きられるのです。葬儀とは、「死」のセレモニーではなく「不死」のセレモニーなのです。

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四大「永遠葬」について語る

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熱心に聴く人びと

 

そして、現在取り組んでいる葬イノベーション――四大「永遠葬」を紹介しました。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが対応したスタイルで、「樹木葬」、「海洋葬」、「月面葬」、「宇宙葬」となります。その中でも、月面葬がこれから注目されると思われます。月は死者の霊魂が赴く死後の世界だとされています。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然です。夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものと言えます。かくして、月に地球人類の墓標としての「月面聖塔」を建立し、レーザー(霊座)光線を使って地球から故人の魂を月に送る「月への送魂」を、わが社は提唱しています。

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最後に道歌を披露しました

 

2025年に大阪万博が開催されます。高度成長の只中に行われた1970年の大阪万博は「人類の進歩と調和」がテーマでしたが、25年の万博は「老いと死」がテーマのようです。ならば、前回のシンボルが「太陽の塔」なら、今回は「月の塔」とするべきではないでしょうか。ずっと月を追い求めてきたサンレー思想が大阪万博に反映されることを大いに楽しみにしています」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

太陽を見上ぐる人は生追えど

  老いと死ならば月を見上げん

 

f:id:shins2m:20211201090656j:plain「今月の目標」を唱和

f:id:shins2m:20211201105833j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、サンレー北九州本社の本部会議を行います。昨年はなんとかコロナイヤー1年目を黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。泣いても笑っても、今年もあと1ヵ月。これから日毎に寒くなりますが、体調に気を配り、新型コロナウイルスの感染にも万全の注意を払いながら、気を引き締めていきたいです。

 

2021年12月1日 一条真也

交霊術としての読書

一条真也です。
ついに12月になりました。師走です。
今年も残り1ヵ月なんて信じられませんね。
1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第41回目がアップされます。今回のタイトルは、「交霊術としての読書」です。

f:id:shins2m:20211130095244j:plain「交霊術としての読書」

 

今年の「読書週間」(10月27日~11月9日)はたくさん本を読みました。わたしは、読書という行為は死者と会話をすること、すなわち交霊術であると考えています。というのは、著者は生きている人間だけとは限りません。むしろ古典の著者は基本的に亡くなっています。つまり、死者です。死者が書いた本を読むという行為は、じつは死者と会話しているのと同じことです。このように、読書とはきわめてスピリチュアルな行為なのですね。

 

わたしは、三島由紀夫の小説を読むときは「盾の会」の制服を着た三島が、小林秀雄の評論を読むときは仕立ての良いスーツを着た小林秀雄が目の前にいることを想像します。古代の人でも同じです。『論語』を読むときは孔子が、プラトン哲学書を読むときはローブ姿のプラトンが、わたしの目の前に座って、わたしだけのために話してくれるシチュエーションを具体的にイメージします。

 

ある著者を気に入ると、その著者が書く本すべてが面白くなることがあります。それは個別の作品ではなく著者そのものに関心を持てている状態です。著者に関心を持つというのは、大切な態度で、そのとき読者は著者の霊魂と共鳴しているのです。著者が死者ならば、これはもう交霊術という他はありません。

 

さらに、読書には死の不安をなくす力もあります。人間にとって最大の不安は「死」にほかなりません。その正体がわかないがゆえ、人間は「死」に対して限りない恐怖を感じているのです。誰でも、死ぬのは怖い。しかし、「死」について書かれた本を読むことで、ある程度、その恐怖は軽減されるのです。あえて意識的に「死」を考えることによって、「死」は主観から客観へとシフトし、距離を置いて自らの「死」を見ることができるのです。

 

人類の歴史の中で、ゲーテほど多くのことについて語り、またそれが後世に残されている人間はいないとされているそうですが、彼は年をとるとともに「死」や「死後の世界」を意識し、霊魂不滅の考えを語るようになりました。『ゲーテとの対話』では、聞き手であるエッカーマンに対して「私にとって、霊魂不滅の信念は、活動という概念から生まれてくる。なぜなら、私が人生の終焉まで休みなく活動し、私の現在の精神がもはやもちこたえられないときには、自然は私に別の生存の形式を与えてくれるはずだから」(木原武一訳)と語っています。

 

これほど、読書するわたしを勇気づけてくれる言葉はありません。『ゲーテとの対話』はわたしの愛読書の1つですが、読むたびにゲーテの霊がわたしの眼前に座っているような気がしてなりません。ちなみに、最近、『心ゆたかな読書』(現代書林)という名著のブックガイドを書きました。『論語』から『鬼滅の刃』まで、古今東西の本を150冊紹介しています。ご一読下されば幸いです。

 

 

2021年12月1日 一条真也

『ビハインド・ザ・ホラー』

ビハインド・ザ・ホラー ホラー映画になった恐怖と真実のストーリー

 

一条真也です。
『ビハインド・ザ・ホラー』リー・メラー著、五十嵐加奈子訳(青土社)を読みました。「ホラー映画になった恐怖と真実のストーリー」というサブタイトルがついています。三度の飯よりホラー映画が好きなわたしには、この上なく面白い読み物でした。ホラー映画の題材となった実際の事件や出来事がたくさん盛り込まれており、合計21本の映画と、それぞれの背景にある実話が紹介されています。著者は、イギリス生まれ、カナダを拠点に活動する犯罪学者で、猟奇殺人や性犯罪を専門とし、未解決事件の調査にも貢献しているそうです。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、ヒグチユウコ氏による不気味なイラストが使われています。子どもたちが動物のマスクを被り、手には風船を持っている姿が描かれています。帯には「『エクソシスト』『ジョーズ』から『ゾンビ伝説』『羊たちの沈黙』まで」「大ヒットしたホラー映画の数々は実際にあった戦慄の犯罪、心霊現象にインスパイアされて製作されていた――」「――エド・ゲインからセイラム魔女裁判まで、映画の背後に潜む戦慄のストーリーを、気鋭の犯罪学者が鮮やかに描き出す」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
『M』(1931年)
ワイマール共和国のシリアルキラーたち
『ロープ』(1948年)
ボビー・フランクス殺人事件
『サイコ』(1960年)
悪魔のいけにえ』(1974年)
エド・ゲインの犯罪
『フレンジー』(1972年)
ジョン・クリスティ
ネビル・ヒース
ジャック・ザ・ストリッパーの犯罪
エクソシスト』(1973年)
ローランド・ドゥの悪魔祓い
ジョーズ』(1975年)
ニュージャージー鮫襲撃事件
インディアナポリス号の沈没
フランク・マンダス
『日没を恐れた街』(1976年)
テクサーカナ月光殺人事件
悪魔の棲む家』(1979年)
オーシャン・アベニュー112番地の心霊現象
ポルターガイスト』(1982年)
シーフォードのポルターガイスト
エルム街の悪夢』(1984年)
原因不明の夜間突然死症候群
『ゾンビ伝説』(1988年)
クレルヴィル・ナルシスの奇妙な話
羊たちの沈黙』(1991年)
テッド・バンディ
グリーンリバー・キラー
ゲイリー・ハイドニック
エドモンド・ケイパー
ジェリー・ブルードス
ルフレッド・バリ・トレヴィノ
アンドレイ・チカティー
フィレンツェの怪物
『スクリーム』(1996年)
ジャネット・クライストマンの殺害と
ゲインズビル・リッパーの犯罪
プロフェシー』(2002年)
ウェストバージニア州ポイントプレザントの蛾男
『ウルフクリーク/猟奇殺人谷』
(2005年)
イヴァン・ミラットの犯罪と
ピーター・ファルコニオの殺害
死霊館』(2013年)
アナベル死霊博物館』
(2014年)

死霊館エンフィールド事件』
(2016年)

ペロン農場の心霊事件
アナベル人形事件
エンフィールドのポルターガイスト
『ウィッチ』(2015年)
ライトハウス』(2019年)
セーラム魔女裁判とスモールズ灯台の悲劇
「訳者あとがき」
「図版クレジット」
「原注」



最初に取り上げられる映画は、『M』(1931年)です。太古の昔から、巷にはシリアルキラーが存在したとしながらも、そうした殺人者が特に多く生み出された時代や場所があるとして、著者は「アメリカでは、1960年代半ばから90年代にかけてシリアルキラーの数が急増した。いわゆる『ボストン絞殺魔』に始まり、ジェフリー・ダーマーで終わる時代だ。ヴィクトリア朝時代のイギリスも同様に、シリアルキラーが大量に生まれた。また、ドイツではワイマール期(1918~33年)――第1次世界大戦と第2次世界大戦のはざまの不運な共和制時代――にシリアルキラーがやたらと出現した。そこから生まれたのが、1931年に公開されたフリッツ・ラングの不朽の名作『M』に登場する架空の幼女殺し、ハンス・ベッケルトだ」と述べています。

 

この映画よりも4年早く封切られたアルフレッド・ヒッチコックの『下宿人』と同様、『M』もまた、殺人者をただ冷酷な“悪者”として描くのではなく、性的殺人にまつわる心理的・社会的要因を掘り下げ、新境地を開いたと指摘し、著者は「苦悩に苛まれる、一見恐ろしそうには見えないベビーフェイスの殺人者をみごと演じきったピーター・ローレは世界的スターとなり、『M』は名作映画として不動の地位を得た。ハンス・ベッケルトの人物像には、ワイマール期に出現した6人のシリアルキラーが大なり小なり影響を与えている。ヨハン・メイヤー、フリードリヒ・シューマン、カール・グロスマン、フリッツ・ハールマン、カール・デンケ、そして最も大きな影響を与えたと思われる、『デュッセルドルフの吸血鬼』ペーター・キュルテンだ」と述べています。


ヒッチコックの名作『サイコ』(1960年)も登場します。この映画を「20世紀最高のホラー映画」だと評価する人は多いですが、著者は「フリッツ・ラングの『M』やアルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』は残虐な殺人に焦点を当てたサイコロジカル・スリラーだが、ヒッチコックの『サイコ』の公開によって、「スラッシャー」と呼ばれる新ジャンルが誕生したとされる。『サイコ』では、はりつめたシーンがしばらく続いたあと、狂気を帯びたノーマン・ベイツが不意にナイフで襲いかかり女性をめった刺しにして殺す」と述べています。


『サイコ』に続いて、『悪魔のいけにえ』(1974年)が取り上げられます。『サイコ』はサイコロジカル・スリラーだと主張する評論家も多く、『サイコ』が最初のスラッシャー映画かどうかは異論があるかもしれないとして、著者は「トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』が『誰もが認めるスラッシャー』なのはまちがいない。『スラッシャー第1号』の栄誉を『サイコ』と『悪魔のいけにえ』のどちらに与えるかは別として、この2本の映画のモデルとなったのは、実在の殺人者エド・ゲインである」と書いています。



Wikipediaによれば、エド・ゲイン(1906年8月27日―1984年7月26日)は、アメリカ合衆国の殺人犯、死体泥棒。「プレイン・フィールドの屠殺解体職人」、「プレイン・フィールドの墓荒らし」との異名を取りました。ウィスコンスィン州プレイン・フィールドにある墓場から死体を盗掘し、その死体の皮膚や骨を使って創り上げた「記念品」を州当局が発見したことにより、その名を知られるようになりました。1954年に居酒屋の女主人、メアリー・ホーガンを、1957年に金物工具店の女主人、バニース・ウォーデンを殺害したことを告白。専門家委員会がゲインについて最終評価を行った結果、彼は精神病院に送られました。



著者は「エド・ゲインは殺人罪で裁判を受けるには不適格であり、裁判所への出廷が可能と見なされる日まで精神病院に収容するべきとの判断がなされた。1958年3月20日木曜日、空き家となっていたゲインの古いファームハウスで原因不明の火災が発生し、家は灰と化した。この奇妙な悲報を聞いた彼は、『かえって良かった』と、ただ肩をすくめるだけだった。1968年11月7日、エドワード・セオドア・ゲインはようやく、バーニス・ウォーデン殺害の罪で裁判を受けることが可能と判断された。結果的に、ロバート・H・ゴルマー判事は心神喪失による無罪の判決を下し、ゲインはふたたび州立中央病院へ戻された。1984年7月26日、呼吸不全により、ゲインは78歳で世を去った」と書いています。

 

エクソシスト』(1973年)の項では、冒頭に「悪魔にとりつかれた『ローランド・ドー』」として、「1949年に密かに行なわれたカトリックの悪魔祓いを題材にしたウィリアム・フリードキン監督の超常現象ホラー映画『エクソシスト』は、一部の観客に深刻な影響を及ぼした。そこから、この映画によって引き起こされた顕著な精神的苦痛をあらわす新たな精神医学用語――『シネマティック・ニューロシス(映画神経症)』――が誕生した」と書かれています。また、著者は「フリードキンのこの映画の原作は、ウィリアム・ピーター・ブラッティによる同名の小説だ。ブラッティの『エクソシスト』は、1949年4月に密かに行なわれた悪魔祓いから多くの題材を得ている。悪魔祓いを受けたのは、『ローランド・ドー』という仮名でのみ知られる10代の少年だった」と述べます。


他の多くのキリスト教宗派とは異なり、カトリック教会では、悪魔の憑依はたしかに存在し、悪魔祓いによってのみ救済できるとされているとして、著者は「じつはプロテスタントによる宗教改革以前には、キリスト教世界全体で、悪魔やその能力が人間の体に宿ると信じられ、悪魔を追い払う具体的な方法まで伝えられていた。聖書によれば、イエス自身もたびたび悪魔祓いを行なったとされるが、ルーテル派を含むプロテスタント教会はのちに、たんにイエスが土着の民俗信仰に合わせて行なった行為だと位置付けている。カトリック教会は憑依の存在を信じているが、実際に助言を求められたケースは歴史上ごくまれだ。ローランド・ドーの両親はルーテル教会に所属していたが、息子のケースはまちがいなく悪魔憑きだと感じていた。カトリックの司祭に相談すべき時が来ていた」と述べています。


悪魔憑きだとされた少年ローランドが退院したあと、彼がいた病室は封鎖され、2度と開けてはならないと指示が下されました。のちに、この病院は取り壊されます。イエズス会にもまた、悪魔祓いとそれにまつわる出来事をけっして口外してはならないと箝口令が敷かれたとして、著者は「40年以上にわたり秘密はほぼ保たれたが、わずかに漏れ出た断片的な話をヒントに書かれたのが、ウィリアム・ピーター・ブラッティの1971年の小説『エクソシスト』で、その2年後に映画化された。そして1993年、トーマス・B・アレンの『Possessed(悪魔憑き)』でついに事の詳細が公になった。この本はレイモンド・ビショップ神父がつけていた日記を元にしたものだが、かなり懐疑的に受け止められ、特にメリーランド州歴史学者マーク・オプサスニックから酷評された」と述べています。


ローランドはとんでもないいたずら好きで、手の込んだ悪だくみで他の子どもたちや、自分の母親までも怖がらせて喜んでいた事実を紹介し、著者は「あるクラスメートは、ローランドがもうひとりの少年とどちらが遠くまで唾を飛ばせるかを競い合い、約3メートル先まで正確に唾を飛ばす超人的なわざを身につけたことを思い出した。もし彼がその特異な才能をイエズス会の司祭たちに対して用いたならば、彼らは悪魔にしかできない離れ業と結論づけたかもしれない。ローランドの親友のひとりは、ブレードンズバーグ中学校で1948年に起きたある出来事を覚えていた。それは、ローランドが自分の机をものすごい速さで振動させたというものだ。教師にやめなさいと注意されたローランドは、自分は何もしていないと答え、教室から追い出された。当然ながら、彼は学校嫌いだったと記録されている」と述べます。


また、ローランドが長く伸ばした爪で自分の体に文字を書くのを目撃した司祭も何人かいました。著者は、「だがどうやら、それは警戒信号とはならず、悪魔憑きの兆候のひとつと解釈されたようだ。じつを言えば、リッター大司教から最初に調査を任されたイエズス会士――哲学の教授――は、悪魔憑きの説を一蹴し、報告された現象はすべて自然の法則に沿って説明できると結論づけていたのだった」と述べ、「彼は注目を浴びたかった。また、住んでいる土地を離れてセントルイスヘ行きたかった。そのために怒りを爆発させた。彼は自作自演のゲームを始め、その努力が実り、何人もの司祭を・・・・・・過分な愛情を注いでくれる司祭たちを味方につけた」と結論づけます。


エクソシスト』に続いてホラー映画ブームを起こした作品に『悪魔の棲む家』(1979年)があります。著者は、「『悪魔の棲む家』は映画史上初の、真に人気を博したホーンテッドハウスものと言えるだろう。その成功は、巧みなマーケティングキャンペーンと、アカデミー賞にノミネートされたサウンドトラック、そしてアンサンブル・キャスト形式による優れた演技に拠るところが大きい。だがおそらく最大の勝因は、このストーリーが“実話”であった点だろう。原作はジェイ・アンソンによる同名の本『The Amityville Horror』(邦訳版のタイトルは『ドキュメント アミティヴィルの恐怖 悪魔の棲む家徳間書店)。そこには、ラッツ一家が1975年12月に経験したとされる数々の出来事が詳細に綴られている。オーシャン・アベニュー112番地で1974年に起きた残虐な大量殺人はまぎれもない史実だが、ラッツ一家が引っ越してきてから実際に何があったのかについては、いまなお論争の的となっている」と述べています。


1977年に出たアンソンの本を読み、それを映画化したさまざまな作品を見た何百万人もの人々は、いわゆる“アミティヴィルの恐怖”は残念ながら、ほぼでっちあげだったことを知ったとして、著者は「まず、ラッツ一家のあとに問題の家に住んだ誰からも、なんらかの超常現象が起きたとの報告はなされていない。皮肉なことに、本に登場するロングアイランドのニューズディ紙は、近所の人々やカトリック教区の神父、警察に相談したとするラッツ夫妻の主張を裏付ける証拠を何ひとつ発見できなかった。疑念を抱いた組織や出版界がラッツ夫妻の主張を調査し、作り話が少しずつ暴かれていった。ラッツ一家が去った直後にオーシャン・アベニュー112番地を購入したジェームズ・クロマティと妻のバーバラは、スケプティカル・インクワイラー誌のインタビューに答え、家にはいまもアンティークの錠前や蝶番、ドアノブがついていると語った。ラッツ夫妻の主張では、それらはすべて破壊され、場合によっては何度も交換されたはずだった」と述べるのでした。


ポルターガイスト』(1982年)の項の冒頭には、「シーフォードのポルターガイスト」として、著者は「1982年の大ヒット映画『ポルターガイスト』は、崩れ落ちそうなゴシック様式の館から、観客の誰もが身近に感じることのできる、どこにでもある郊外の一軒家に舞台を移すことで、幽霊屋敷を現代によみがえらせた。監督のトビー・フーパーと脚本を手がけたスティーヴン・スピルバーグは、制作に必要なアイデアのすべてを、ロングアイランドのシーフォードを舞台としたハーマン一家にまつわる奇妙な物語から得た」と述べています。また、著者は「興味深いことに、『ポルターガイスト』も、もうひとつの伝説的なホーンテッドハウス映画『悪魔の棲む家』も、どちらもニューヨーク州ロングアイランドで暮らす一家に起きた出来事を題材にしている」と指摘します。



ポルターガイスト』は『悪魔の棲む家』よりもあとにできた映画ですが、フーパー&スピルバーグ合作のこの映画の元となった出来事は、ラッツ一家がアミティヴィルに引っ越してくる18年前に起きています。著者は、「『悪魔の棲む家』は最初から『実話』を宣伝文句にしていたが、『ポルターガイスト』のほうは――実話を売りにすることは十分にできたはずだが――そのようなマーケティング戦略を用いていない。その代わり、御客がみずから映画のストーリーの由来、すなわち1958年2月3日にレッドウッド通り1648番地で起きた出来事をたどれるようにしたのだ。なお、なんの変哲もない郊外の家で起きたその出来事によって、現代の世界に『ポルターガイスト』という言葉が一気に広まったのである」と述べるのでした。


エルム街の悪夢』(1984年)の項の冒頭には、「夜間突然死症候群」として、「1984年に公開されたウェス・クレイヴン監督の傑作ホラー映画『エルム街の悪夢』に登場する若者たちに、安らかな眠りは訪れない。代わりに眠りがもたらすものは、醜く焼けただれた顔に病的な目つき、刃付き手袋をはめた恐怖のシリアルキラー、フレディ・クルーガーだ。夢には、人を殺す力がある――そのことをありありと示したこの映画に着想を与えたのは、嘘のような実際の出来事、謎の連続突然死だ」と書かれています。また、「『M』の表現主義的スタイルや『エクソシスト』の不穏な比喩的描写など、多くのホラー映画では超現実的手法が効果的に用いられている。しかし、実際に超現実的恐怖を描いたホラー映画は、ウェス・クレイヴン監督の傑作『エルム街の悪夢』が初めてだ」と述べます。


クレイヴン監督が若い頃、夜寝ている間に突然死するラオスのモン族の人々の話を「ロサンゼルス・タイムス」紙で知りました。彼は「男たちはなぜ死んだのだろう」と考え、「夢を見たせいで死んだのだとしたら? 夢が実際に彼らを殺したのだとしたら? 全員が同じ悪夢を見たのだとしたら?」などと思いを巡らしていると、ゲイリー・ライトの1975年のヒット曲『夢織り人』が聞こえてきたそうです。著者は、「シンセサイザーが奏でるどことなく不吉なイントロ(それがそのまま、『エルム街の悪夢』の音楽のヒントとなった)と『Dream Weaver,I believe you can get me through the night(夢織り人よ、一緒ならこの夜を越えていける)』というコーラスの歌詞を聴き、クレイヴンは『夢のなかだけに存在するヴィラン(悪役)をつくりあげる』だけでなく、そこからさらに一歩進めて、夢そのものを織り上げ、自由自在に変貌させるヴィランをつくりあげた」と紹介します。

 

クレイヴンはまた、子どものころに悪夢を見て、目覚めたあと、「一緒に夢のなかへ入っていってぼくを守って」と母親にお願いしたのを思い出したといいます。『エルム街の悪夢』の項の最後に、著者は驚くべき事実を明かしています。「エルム街」という名前についてですが、このストリート名は、クレイヴンが映画学校に通ったニューヨーク州ポツダムにある並木道に由来するそうです。そして著者は、「だが驚くなかれ、じつはこの傑作ホラー映画のなかで『エルム街』という名が口に出されることは一度もないのだ」と書いているのです。なんとも面白い話ですね!

 

羊たちの沈黙』(1991年)の項では、この映画に登場するシリアル・キラーのモデルとなった犯罪者リストとして、テッド・バンディ、グリーンリバー・キラー、ゲイリー・ハイドニック、エドモンド・ケイパー、ジェリー・ブルードス、アルフレッド・バリ・トレヴィノ、アンドレイ・チカティーロ、フィレンツェの怪物というふうに、なんと8人も名前が挙がっています。たしか、『サイコ』や『悪魔のいけにえ』のモデルとなったエド・ゲインも『羊たちの沈黙』に影響を与えたはずです。著者は、「ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』は、ハンニバル・レクター博士と『バッファロー・ビル』という架空のシリアルキラーを映画ファンにお披露目した。じつはこの二人はいずれも、ロシアからメキシコ、アメリカ西部、イタリアと、世界各地に出没した実在の殺人者を融合させたキャラクターなのだ」と書いています。


映画でアンソニー・パーキンスが怪演したハンニバル・レクター博士は、著名な精神科医であり猟奇殺人犯です。彼は投獄されていながら、他の殺人犯を逮捕するアドバイスをします。著者は、「投獄された知性派のシリアルキラーが別のシリアルキラーを逮捕するために警察に協力するというアイデアは、テッド・バンディが『グリーンリバー・キラー』を追う二人の刑事デイヴ・ライカートとロバート・ケッペルに協力を求められたエピソードに由来する。また、元FBIプロファイラーのジュン・ダグラスは、ジャック・クロフォードのモデルは自分だとたびたび自慢していた」と書きます。


しかしながら、『羊たちの沈黙』の真のすばらしさは、二人のシリアルキラーがもつ魅力にあるとして、著者は「本名よりもむしろ『バッファロー・ビル』として知られるジェイム・ガムは、実在する6人の殺人者を融合させた悪夢のようなキャラクターだ」と述べます。その6人とは、エド・ゲイン(人皮に異常な関心を示した)、テッド・バンディ(巧妙な手口で犠牲者をおびきよせた)、「グリーンリバー・キラー」(死体を川に遺棄した)、ゲイリー・ハイドニック(被害者を地下の穴に監禁した)、エドマンド・エミール・ケンパー3世(自身の犯罪を幼少期の虐待のせいにした)、そしてジェリー・ブルードス(彼の殺人には、服装倒錯の要素が含まれる)です。

 

プロフェシー』(2002年)の項では、この映画が1975年に刊行されたUFO研究家ジョン・キールの著書『モスマンの黙示』と、それに続く『UFO超地球人説』を元にしていることを紹介し、著者は「キールは1966年にUFOの調査を本格的に開始したが、以前はその手のものを易々と信じない『ハードボイルドな懐疑派』だったそうだ。ところが1967年になると、彼のもとに『宇宙人』からの奇妙な電話が頻繁にかかるようになる。さらに、忽然と消える黒いキャデラックや派手な空飛ぶ乗り物に追跡され、また、たまたま目についたモーテルに入ると、なぜかすでに予約されていて、電話に理解不能なメッセージが残されていることもたびたびあった。キールが最初にウェストバージニア州ポイントプレザントを訪れたのは、その地域で相次いだ奇妙な報告について調べるためだった。彼に伝えられた数々の不気味な話は、そのあとに起きたさまざまな悲劇的出来事に照らして考えると、よりいっそう恐ろしさが増す」と書いています。


ジョン・キールによると、1966年から67年にかけて、100人を超える大人が翼のある巨大な怪物(モスマン=蛾人間)の目撃を報告しています。オハイオ川流域の住民の大半がモスマンとの遭遇を恐れる中、50歳のウッドロー・デンバーガーは、どうやら謎の存在との個人的関係を築くのに成功したといいます。このデレンバーガーの体験談を、ジョン・キールはかなり詳しく記述しています。著者は、「モスマンやUFOの目撃談が無数に存在したことから、ウッドロー・デレンバーガーが宇宙人の実験で妊娠させられたという噂がオハイオ川流域に広まりはじめたとき、人々はそれを一蹴するよりも、むしろおおかた真に受けた。さらに1年がたつころには、この一帯で多発するおかしな現象に慣れすぎて、人々はもはや何があっても驚かなくなっていた」と述べます。


ウッドロー・デレンバーガーの話を総合的に評価したキールは、最終的に「彼は世界で最も説得力のある嘘つきで、妻や子ども、友人たちにもうまいこと嘘の片棒をかつがせたか、UFO研究の限界を超えるきわめて特異な経験をしたかのどちらか」だと結論づけました。1967年12月15日、アメリカのウェストバージニア州オハイオ州を結ぶシルバー橋がラッシュ時の交通で満杯になった時に崩壊し、46名が死亡しました。この災難は、モスマンキールに予告していたものでした。著者は、「シルバー橋の事故のあとまもなく、キールがインタビューしたコンタクティや目撃者の多くが不幸な出来事に見舞われた。離婚した者もいれば、みずから命を絶った者、自然死した者、精神を病み施設に収容された者もいた。ジョン・キールはその後もUFOや超常現象の研究を続け、2009年7月、ニューヨーク市で79年の生涯を閉じた」と述べます。


死霊館』(2013年)、『アナベル死霊博物館』(2014年)、『死霊館エンフィールド事件』(2016年)の項の冒頭には、「『死霊館』は、近年で最も評価が高く、商業的にも成功したホラー映画のひとつだ。現に、その成功はかなりのもので、続々とフランチャイズ映画が生まれ、『死霊館ユニバース』と呼ばれる一大シリーズを形成している。そしてこの死霊館シリーズには、ひとつの共通点がある。それは、どの作品もエド&ロレイン・ウォーレン夫妻が手がけた実際の事件をベースにしている点だ」と書かれています。また、著者は「心霊研究家のエド・ウォーレンとその妻で透視能力者のロレインは、1970年代から90年代にかけて手がけた数々の功績によりアメリカで最も有名なゴーストハンターとなった、賛否両論はあるが魅力的な人物だ。ジェームズ・ワン監督は夫妻の『事件ファイル』を大胆に使い、21世紀で最も成功したホラー映画シリーズとなる『死霊館ユニバース』をつくりあげた」と述べます。その最新作が、ブログ「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」で紹介した作品です。


死霊館』(2013年)は、1970年代初頭に、英国植民地時代に建てられたロードアイランド州のファームハウスに引っ越してきたペロン一家の物語です。著者は、「悪魔にとりつかれたその家で、一家は怪現象に苦しめられ、救いの手をさしのべたウォーレン夫妻は、その地所にはバスシーバ・シャーマンという名の、わが子を悪魔のいけにえに差し出そうとした魔女の霊がとりついていることを知る。やがて一家の母親キャロリン・ペロンがバスシーバの霊にとりつかれ、自身の子どもたちをいけにえにしようとしたため、エド・ウォーレンはやむをえず、キャロリンの体から悪魔を追い払うために、悪魔祓いの儀式を行なうことになる。この映画にはまた、霊にとりつかれたアナベル人形も登場する」と述べています。


『ウィッチ』(2015年)と『ライトハウス』(2019年)を紹介する項では、著者は「『ウィッチ』は、歴史に忌まわしい名を残したセイラムの魔女裁判と、それを生んだピューリタン文化をベースとした作品で、ブラックフィリップの特徴やヤギと悪魔とのつながりは、ヨーロッパ大陸の美術や文学に根差したものだ。一方の『ライトハウス』は、ウェールズ南西岸沖で1801年に起きた『スモールズ灯台の悲劇』をベースにして描いた作品だ。二つの映画は異なる世紀が舞台だが、どちらも歴史を振り返り、孤独のなかで困難や奇妙な現象に直面したときに、ごく普通の人々がどう考え、何を信じるのかに目を向けている」と述べています。


まず、有名な「セイラムの魔女裁判」について、著者は「ボストンの北東約20キロ、ダンバーズ川の河口に位置するマサチューセッツ州セイラムの町は、1626年にピューリタンが入植した場所だ。もともとはナアムキーグという名だったが、不毛な土地に植民地が建設されると、まもなく漁業と農業がさかんな町となり、1629年、「平和」を意味するヘブライ語の「shalom」にちなんで「Salen(セイラム)」と改名された。1692年に行なわれた悪名高き魔女裁判のおもな舞台となったのは、この町のはずれにある別の入植地、セイラム村である」と説明します。


また、ずっと前からピューリタン文化には魔女狩りの種が蒔かれていたとして、著者は「ヨーロッパの歴史にはその前例があり、教会や神権国家の統治者たちが異教信仰を根絶しようとしたことから、1490年代から1650年代にかけて、火刑や絞首刑により推定5万人が虐殺された。現代人にはそうした過剰反応がばかばかしく思え、当時のヨーロッパの人々にとって魔女がいかに恐ろしい存在であったかをつい忘れてしまうのだが、魔女が行なうとされた数々の恐ろしい行為のひとつに、まだ洗礼を受けていない赤ん坊の腸を使いほうきで空を飛べるようになる膏薬をつくるというものがあった。また、毒を盛るという話もよくあり、エリザベス朝時代のイングランドで魔女として告発されたある女性は、子どもたちに毒入りのリンゴを与えたと噂された」と述べます。



さらに、著者は以下のように述べるのでした。
啓蒙主義の夜明けとともに、従来の神中心の思想に代わって、科学的手法や非宗教的統治が台頭すると、旧世界では魔女狩りに終止符が打たれた。しかし、おもに英国国教会との信仰上の相違から新世界に移住したピューリタンたちは、そうした新たな文化の届かない隔絶された場所に住んでいた。さらにまた、彼らは出エジプト記22章17にある『呪術を行う女を生かしておいてはならない』(聖書協会共同訳)という言葉を、文字通り厳格に解釈していた。この言葉は神学的に魔女の存在を裏付けているばかりか、魔女への対処法まで示している」


ブログ「ライトハウス」でも紹介した映画のモデルとなった「スモールズ灯台の悲劇」については、グリフィスとハウエルという二人の灯台守を紹介した後、「1800年から1801年にかけての冬、二人は1カ月間の任務につくため、船でスモールズ灯台へ運ばれた。そして1、2週間が過ぎたころ、グリフィスが病気になったが、ハウエルには彼を助けるすべがなかった。遭難信号を出し、二人は辛抱強く船の到着を待つ。だが、やってきたのは船どころか、桁外れに大きな嵐だった。海のなかにぽつんとある岩のかたまりへ到達できる船はなく、グリフィスは何週間も苦しんで衰弱し、ついに息絶えてしまう」とあります。



同僚が死んだと気づいたとき、ハウエルは恐ろしい結論に達しました。「もし遺体を海に捨てれば、本土の人々は彼がグリフィスを殺し、隠蔽のために証拠を海に捨てたと思うかもしれない」というのです。著者は、「万が一にもそうなっては困ると、ハウエルは救助の船が来るまで遺体を灯台に置いておくことにした。棺代わりの箱をこしらえ、そこにグリフィスの遺体を入れて蓋をし、極力そのことを考えまいとする。しかし嵐の勢いはいっこに衰えず、何週間も、何カ月も続いた」と述べます。


そのうちに、腐敗が進むグリフィスの遺体が放つ臭気にもはや耐えられなくなったハウエルは、棺を室内からデッキに出して手すりにくくりつけ、棺はそこで3週間雨ざらしにされたことを紹介し、著者は「やがて吹き荒れる強風で棺の蓋が壊れ、グリフィスの腕が飛び出したが、次に何が起きたかについては風説によって大きく異なる。おおかたの説は、死んだ男の手が風にあおられて灯台の窓に打ちつけられ、ハウエルがそれをグリフィスの幽霊が窓ガラスを叩いていると思いこんだ、というものだ。一方、遠くを航行する複数の船が、デッキで男が自分たちに向かって手を振っていると思い、灯台では何も問題が起きていないと判断したために遭難信号を黙殺してしまったという説もある」と述べています。


4ヵ月後、ようやく天候が安定し、ミルフォード・ヘイヴンから交代の灯台守を二人乗せた船が来て、スモールズ灯台に錨を下ろします。著者は、「彼らがトーマス・ハウエルのもとへ到着したとき、彼は髪が真っ白になり、飢餓と寒さで死にかけ、狂気の縁をさまよっていたと伝えられる。苦難に見舞われながら、彼はずっと灯火をともしつづけた。グリフィスの遺骸とともに本土へ連れ戻されたトーマス・ハウエルは、親しい友人が見ても彼だとわからないほど変わり果てていた。このスモールズ灯台の悲劇をきっかけに、イギリスでは灯台への人員配置が大きく変わった。以後、つねに3人で灯台を守るようになり、少なくとも1980年代の大規模な自動化で灯台守が必要なくなるまでは、それが踏襲されていた」と述べるのでした。


わたしは、本書に取り上げられた映画をすべて観ています。ですので、「あの作品のモデルは、こんな事件だったのか」とか「あの不可解な事件には、こんな解釈があったのか」と大いに楽しめました。本書の大部分を占めるのは連続殺人の記録ですが、わたしには心霊現象の真相を探る箇所が興味深かったです。悪魔や幽霊の仕業とされた超常現象の裏には宗教的思い込みや故意の捏造が存在したという指摘は、映画そのものよりも怖さを感じました。

 

 

2021年11月30日 一条真也

「一礼」という振る舞い

一条真也です。
28日、福岡国際センターで行われた大相撲十一月場所(九州場所)が千秋楽を迎えました。そこで、立ち合い不成立で力士が一礼する場面がありました。その礼儀正しい振る舞いに、相撲ファンから反響がありました。

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ヤフーニュースより

 

「ABEMA TIMES」が配信した「『サーセン』『ええよ』立ち合い不成立で力士が一礼 礼儀正しい振る舞いに相撲ファンから反響」という記事には、「前頭七枚目・宇良(木瀬)と前頭十五枚目・千代丸(九重)の取組で、立ち合い不成立となった際に両者が申し訳なさそうな仕草をする礼儀正しい一幕があり、視聴者から反響が寄せられた。制限時間いっぱいとなり、蹲踞の姿勢を取った両者。1度目の立ち合いで千代丸が両手をついて突進すると、一方の宇良とタイミングが合わず、行司から「まだまだ」と立ち合い不成立の指摘が入った。すると両力士は、互いに手を取り合うような素振りを見せ一礼。その後、揃って正面審判にも一礼した」と書かれています。


2度目の立ち合いは成立し、千代丸が上手投げで宇良を下しました。“スー女”と呼ばれる女性ファンたちは、人気の力士同士が一礼するシーンに、視聴者は「サーセン」「ええよ」「かわいいvsかわいい」「ほんわかするわ」とコメント欄で盛り上がっていました。力士の一礼といえば、ブログ「礼をしない横綱」で紹介したように、2016年の九州場所で礼をせずに土俵を下りた横綱白鵬の行為は言語道断でした。なぜなら、相撲は礼に始まり、礼に終わるからです。「礼」の専門家として、わたしはそう思います。「礼」を知らない横綱がようやく引退したことは、今年の大相撲界の最大の収穫でした。


「一礼」といえば、今年は大相撲だけでなく、プロゴルフの世界でも話題になりました。ブログ「『一礼』と『一同礼』」で紹介したように、4月11日に開催された男子ゴルフの米マスターズ・トーナメントでは、日本男子として初制覇した松山秀樹選手を支えた早藤将太キャディーの振る舞いが話題を呼びました。松山選手の優勝後、早藤キャディーは最終18番のグリーンでピンをカップに戻した後、脱帽してコースに向かって一礼したのです。この姿はSNSで拡散され、世界中から称賛コメントが多く寄せられました。元世界ランキング1位のリー・ウェストウッド(イングランド)は「これまで目にしたゴルフ、スポーツにおいて、おそらく最も敬意があり、相応しいことだ。ヒデキ、彼のキャディ、そして日本は素晴らしかった」と投稿しています。

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イラストでわかる 美しい所作と振る舞い』より

 

わたしは、このエピソードに静かな感動をおぼえました。それは、早藤キャディーの「一礼」に対してはもちろんですが、日本人なら何ということのない「一礼」が世界中の人々に感動を与えた事実を素晴らしいと思いました。今年、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、莫大な費用をかけて東京五輪が強行開催されましたが、礼をするというノーコストのふるまいで世界中の人の心を動かし、日本のイメージを大いに向上させたことは快挙ではありませんか。わたしは、このエピソードを『イラストでわかる 美しい所作・振る舞い』(メディア・パル)の冒頭で紹介しました。同書はおかげさまで大変好評で、ベルコ、レクスト、サン・ライフ、117といった冠婚葬祭互助会の名門企業からも大量注文が相次いでいます。ご購入いただいた互助会各社様には、心より感謝申し上げます。

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2021年11月29日 一条真也

『それでも映画は「格差」を描く』

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)

 

一条真也です。
『それでも映画は「格差」を描く』町山智浩著(集英社インターナショナル新書)を読みました。ブログ『「最前線の映画」を読む』ブログ『映画には「動機」がある』で紹介した本の第3弾です。わたしは映画評論家としての著者のファンであり、その独特の視点にはいつも刺激を受けています。この最新刊は、グローバル化とコロナ禍でますます加速する「格差」と「貧困」についてを考える映画を取り上げています。マスメディアが伝えない「真実」を世界の名監督はどのように描いたかを探り、「世界と映画」を熱く語っています。

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本書の帯

 

本書の帯には、腕組みをした著者の上半身の写真が使われ、「『天気の子』はなぜ雨を止めないのか?」「『ジョーカー』はなぜチャップリンを観るのか?」「『ノマドランド』の街はなぜ消えたのか?」「世界の映画作家たちは現代社会を覆い尽くす『格差と貧困』をどのように描いたのか?」と書かれています。カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「映画は世界を映す窓だ! ギグワーカー、非正規雇用ワーキングプア・・・・・・言い方はさまざまだが、その実態は世界中、みな同じ。労働者から人権を奪い、生活限界まで搾取する。その傾向は突如襲ったコロナ禍によってますます拍車がかかっている。このディストピア的な状況を前に、世界の映画作家たちは各々のアプローチで「現代の資本主義」を描こうとしている。『パラサイト 半地下の家族』『天気の子』『万引き家族』などを徹底解剖!」

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
#1『パラサイト 半地下の家族』
   ――したたり落ちるのは雨だけ
#2『ジョーカー』
   ――最も恐ろしきハッピーエンド
#3『ノマドランド』
   ――映画が与えた「永遠の命」とは
#4『アス』
   ――私たちこそモンスターだ
#5『ザ・スクエア 思いやりの聖域
   ――「善きサマリア人」は、どこだ?
#6『バーニング 劇場版』
   ――格差が生んだ「大いなる飢え」
#7『ザ・ホワイトタイガー』
   ――インドのラスコーリニコフ
#8『ロゼッタ
   ――格差と貧困を描く
     「ダルデンヌ・スタイル」とは
#9『キャシー・カム・ホーム』
   ――世論を動かした、ケン・ローチの「原点」
#10『わたしは、
    ダニエル・ブレイク』
   ――貧しさは罪なのか?
#11『家族を想うとき』
   ――「個人事業主」という罠
#12『万引き家族
   ――ビルの谷間の「スイミー」たち
#13『天気の子』
   ――愛にできるものはまだあるよ
「あとがき」


「はじめに」では、「グローバル世界の中で、今、起きていること」として、著者は以下のように書いています。
「ここ数年、世界各国で、経済格差を描く映画が増えています。本書はそこに反映された現実、込められたテーマを体系的に横断的に論じていきます。たとえば、カンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールの受賞作品をご覧ください。16年はイギリスのケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』、17年はスウェーデンリューベン・オストルンド監督『ザ・スクエア 思いやりの聖域』、18年は日本の是枝裕和監督『万引き家族』、19年は韓国のポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』(以下、『パラサイト』)でした。『パラサイト』は翌年のアカデミー作品賞も受賞しています。さらにその翌年のアカデミー作品賞は中国系アメリカ人のクロエ・ジャオ監督『ノマドランド』でした。どれも、経済格差と貧困をテーマにしています」


「『自己責任』という名の弱肉強食」として、80年代以降、アメリカ、英国、日本、韓国などの国で経済格差が広がり続けていることを指摘し、著者は「それは偶然ではありません。これらの国の政府はいわゆる『新自由主義』的経済政策をとったのです。具体的には、富裕層の所得税率や大企業の法人税率を大幅に下げました。株や不動産取引の規制を緩和し、資本家たちのマネーゲームを活性化させました。雇用の規制も緩和し、解雇をしやすくし、非正規雇用を増やし、企業の人件費を軽減しました。これで企業の利益も株価も不動産価格も上昇し、豊かな者はもっと豊かになりました。だが、それ以外の人たちはどうなったでしょう? 税率が下がった分、福祉や公共事業は削減され、富の再分配は抑えられました。リストラが増え、非正規雇用が増えて、雇用は不安定になり、昇給や昇進も少なくなりました。不動産価格だけが上がって給料が追い付かなくなりました。貧しいものはもっと貧しくなったのです」と述べます。


「自己責任」を訴える新自由主義者たちは経済格差を肯定し、貧困を描いた映画をバッシングします。「チャップリンもまた石を投げられた」として、著者は「喜劇王チャーリー・チャップリンの名作『キッド』(1921年)が今、公開されたら、何と言われるでしょう。チャップリンはボロボロの服を着て、スラム街の屋根裏でなんとか暮らしている失業者。道端に捨てられた赤ん坊を拾って育て始めます。その男の子が5歳になると、ふたりで商売を始める。男の子が石を投げて民家の窓ガラスを割ります。家の人が出てくると、そこにチャップリンがガラスを背負って通りかかります。こんにちは、通りがかりのガラス屋ですが、お困りのようですね。『これは詐欺ではないか』『子どもを犯罪に加担させるなんて』そんな批判が浴びせられるに違いありません」と述べます。


「弱者と子どもへの共感」として、現実を描かれるのを嫌がる人々はいつもどこの国にもいることを指摘し、著者は「デ・シーカもケン・ローチポン・ジュノもそれぞれの国で『左翼』『国辱』と攻撃されました。彼らはみんな、チャップリンを継ぐ者たちかもしれません。『キッド』に影響されて、デ・シーカは『自転車泥棒』を作りました。アントニオとブルーノが路上に並んで座るシーンは『キッド』へのオマージュです。そして、『自転車泥棒』に影響されてケン・ローチダルデンヌ兄弟は映画を撮り始めました。是枝監督もまた『キッド』やケン・ローチに影響されて映画を撮っています」と述べます。


そして、本書でこれらの映画を論じていくうちに、いつの間にかチャップリンの血をたどる作業になっていたという著者は、「弱者への共感以外に、これらの映画を貫くものがもうひとつあります。子どもです。『ジョーカー』も含めて、本書で扱った映画はどれも貧しさの中に生まれてしまった子どもたちの物語です。貧しさを選んで生まれてくる子どもはいません。子どもには何の責任もありません。貧しい子どもの存在は、自己責任論に対する最も根源的な反論です」と述べるのでした。


「#1『パラサイト 半地下の家族』――したたり落ちるのは雨だけ」では、ソウル市内の半地下の部屋に住む貧しいキム家の奇想天外な物語が展開されますが、著者は「キム家のように半地下に住む人が、ソウルでは約23万世帯、69万人もいる。それはソウル市民の6%にあたる。『半地下』はもともと、北朝鮮の攻撃に備えた防空壕だった。68年、北朝鮮武装ゲリラが、ソウルの青瓦台にある大統領府を襲撃してパク・チョンヒ大統領を暗殺しようとした事件がきっかけになって、ソウルの住宅には地下シェルターが義務付けられた」と説明します。


最初は物置きとして使われていた地下シェルターですが、70年代から、住居用に改造して賃貸されるようになりました。その理由は、ソウルに人口が集中して、安いアパートが不足したことです。著者は、「半地下の家賃はソウル市の普通のアパートの半額で、そこに住む世帯の平均年収も、ソウル市民の平均の約半分という。しかし、1日中薄暗く、風通しも悪く、湿気がひどく、ゴキブリも多い。だからキム一家は路上に撒かれた殺虫剤を部屋に取り入れようとすする。それにカビ臭い。その臭いは住人の服や体に染み込んで取れない」と書いています。


「#2『ジョーカー』――最も恐ろしきハッピーエンド」の冒頭を、著者は「ジョーカーがトランプで最強のカードなのは何にでもなるからだ。そして、ジョーカーがバットマンにとって最強の敵なのは、何も持たないからだ。ジョーカーには人並外れた能力は何もない。しかし、弱みもない。自分の命すら惜しいと思っていない。護べきものがない者は最強で最凶だ。そのジョーカーが何もかも失って、最強になるまでを描いたのが、トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』(2019年)だ」と書きだしています。


「ロンリー・チャップリン」として、『ジョーカー』の中で、ゴッサムシティの金持ちが『モダン・タイムス』を観て笑うことが指摘されます。『モダン・タイムス』は、ベルトコンベアーによる流れ作業が導入されて、チャップリン演じる主人公の男が機械のように働かされるうちに精神を病む様子が描かれています。まったく笑い事ではない貧困層の悲劇をチャップリンは喜劇として描いたのです。チャップリンは、「人生はクローズアップで撮れば悲劇だ。だが、それをロングショットで撮ればコメディになる」と言いました。著者は、「バナナの皮で滑って転ぶ人を遠くから見れば笑ってしまうが、腰を打ったその人の歪む顔を近くで見れば苦痛と屈辱が見る者の心にも浸みる。つまりクローズアップはそのキャラクターの内面に観客を引きずり込む。『ジョーカー』はクローズアップで撮った『モダン・タイムス』だ」と述べるのでした。


「#3『ノマドランド』――映画が与えた『永遠の命』とは」では、フランシス・マクマーランド演じるファーンという主人公の物語が取り上げられます。ファーンは、30年以上前に夫とともにネバダ州の砂漠の中の街・エンパイアに住み始め、夫が亡くなった後も住み続けましたが、電気もガスも水道も止まったので、価値がゼロになった家を捨てて、キャンピングカーで寝泊まりしています。著者は、「アメリカン・ドリームとは本来、自分の家を持つことだった。ヨーロッパの貧しい小作人たちが、自分の土地を持つ夢がかなう国、それがアメリカだった。彼らは移民として大西洋を渡り、幌馬車で荒野を旅して約束の地を求め、どこかにたどり着いて家を持った。だが、すべては奪われた。ファーンが夫と住宅ローンを払い続けたであろう家は、ただの廃墟になった。画面に登場しない夫ボーは死んでしまったアメリカン・ドリームを象徴している」と述べています。


「#4『アス』――私たちこそモンスターだ」では、アメリカの平凡な一家が、囚人服のようなツナギを着た、彼らそっくりのドッペルゲンガーたちに襲われるホラー映画が取り上げられます。襲撃者たちは自らをデザード(縛られた者たち)と呼びます。なぜなら、彼らは地下の刑務所のような施設に閉じ込められていたからです。著者は、「実際、アメリカでは200万を超える人々が刑務所に収監されている。その数はやはり80年代から急激に増加した。その圧倒的多くが大麻所持罪だった。レーガン大統領が『ドラッグとの戦い』を宣言し、路上の職務質問大麻所持者を片っ端から逮捕したからだ。この約40年間に全米の収監者数は4倍に増え、全人口に対する収監者の率は世界一になった。そのうち3人にひとりが黒人、6人にひとりがラテン系だ」と述べます。

 

「#6『バーニング 劇場版』――格差が生んだ『大いなる飢え』」では、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を原作とする韓国映画について語られます。若い女性が消えるという奇妙な物語ですが、現代の韓国を反映しているとして、著者は「韓国では女性に過剰に美しさを求める。だから、いい服や、化粧品や、整形に金がかかる。それに韓国の女性差別は日本と同じように過酷で、男性に比して就職先も限られ、賃金も低い」と説明します。「女三界に家なし」という言葉がありますが、「三界」は社会全体を意味します。かつて中国、韓国、日本の家父長制度の下では、女性は子どもの頃も差別されて、結婚して旦那が死んでも財産を相続できませんでした。自分の息子よりも地位が低かったのです。


そんな韓国では、キャンギャルなどで必死に稼いでも支出に収入が追い付かなくなる女性も多く、消えた女性のキャンギャル仲間は「だから女の子は突然消えちゃうんだよ」と言うのでした。著者は、「クレジットカードの破綻で夜逃げしたかもしれない。夜逃げならまだいい。00年代に日本でも報じられたが、クレジットカードのローンを抱えた女性たちが、サラ金などに手を出し、海外に送られて売春をさせられていた。その頃、日本で韓国系デリヘルが大量に発生したのはそのためだ。アメリカではマッサージパーラーの地下に不法に入国した女性たちが監禁されて売春を強制されており、国土安全保障省が全米で一斉に摘発して女性たちを救い出した」と述べています。


「#7『ザ・ホワイトタイガー』――インドのラスコーリニコフ」では、イギリスで最も栄誉ある文学賞ブッカー賞を受賞したアラヴィンド・アディガのベストセラー小説を映画化したネットフリックス作品が取り上げられます。インドの貧困層出身の青年が、裕福な一家の使用人として働く中で理不尽な現実に直面する物語です。主人公バルラムは貧しい村の貧しい家に生まれましたが、学校では飛び抜けた頭の良さを示します。教師からは「君はホワイトタイガーだ」と呼ばれますが、それは「極めて珍しい」という意味でした。インドの政治家は「我が国は世界最大の民主主義国家」と自慢しますが、実態はいまだ身分制度に支配され、最下層の者は生まれてから死ぬまで、地主たちに徹底的に管理され搾取されるのでした。


しかし、バルラムはそこからの脱出を図り、村を支配する地主の運転手になろうとします。著者は、「この部分は、99年のインド映画『Minsara Kanna』(K・S・ラヴィクマール監督。日本未公開)にヒントを得たのではないか。娘に恋をした男が運転手として入り込んで、それから自分の家族をどんどんその富豪の使用人にしていくというコメディで、『パラサイト 半地下の家族』の元ネタとも言われた。だが、バルラムは弱肉強食のホワイトタイガーだ。彼は前任の運転手を尾行して彼がイスラム教徒だと突き止め、イスラム嫌いの地主に密告して解雇させ、その後釜に座る。バルラムは、のし上がるためなら何でもするインドのラスコーリニコフ(『罪と罰』の主人公)なのだ」と述べています。


「#11『家族を想うとき』――『個人事業主』という罠」では、ケン・ローチの映画で描かれる現代の雇用問題が浮き彫りになります。著者は、「必要な時だけ呼び出される雇用状況は世界に拡がっている。一般人によるタクシー・サービスのウーバーや、料理の出前のウーバーイーツもそうだ。これはギグ・エコノミーと呼ばれている。たとえばウーバーイーツの賃金は、1回の配達ごとに計算されるから、待機中は無給だ。だから、1日働いても、時間で割ると最低賃金を下回ってしまうことが多い。明日の仕事もわからないゼロアワー契約は限りなく失業状態に近いが失業状態ではない。だから失業手当は請求できないし、失業者数にも算入されない。いわば見えない失業者が500万人以上いるわけだ」と述べています。


「#12『万引き家族』――ビルの谷間の『スイミー』たち」では、東京の下層社会で生きる家族を描いた是枝裕和監督の代表作が取り上げられます。高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀が転がり込んで暮らしています。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝(樹木希林)の年金でした。足りない生活費は、万引きで稼いでいました。著者は、「初枝は死んだが、葬儀など出せない。治も信代も初枝の血縁ではないのだから。しかたなく、治たちは初枝の遺体を床下に埋めます。初枝の死を隠した信代たちは初枝の年金を受け取り続けますが、これは実際の事件に基づいています。


ブログ「万引き家族」にも書きましたが、わたしはこの映画を認めません。この映画に登場する人々は本物の家族ではありません。いわゆる「疑似家族」です。彼らは情を交わし合っているかのように見えますが、しょせんは他人同士の利益集団です。もちろん、家族などではありません。家族ならば樹木希林扮する初枝が亡くなったとき、きちんと葬儀をあげるはずです。それを彼らは初枝の遺体を遺棄し、最初からいないことにしてしまいます。わたしは、このシーンを観ながら、巨大な心の闇を感じました。1人の人間が亡くなったのに弔わず、「最初からいないことにする」ことは実存主義的不安にも通じる、本当に怖ろしいことです。初枝亡き後、安藤サクラ演じる信代が年金を不正受給して嬉々としてするシーンにも恐怖を感じました。


そもそも、「家族」とは何でしょうか。哲学者ヘーゲルは、ブログ『精神現象学』で紹介した主著において、「家族の最大の存在意義とは何か」を考察しました。そして、家族の最大の義務とは「埋葬の義務」であると喝破しました。家族は、死者を埋葬することによって、彼や彼女を祖先の霊のメンバーの中に加入させるのです。これは「自己」意識としての人間が自分の死を受け入れるためには、ぜひとも必要な行為なのであると、ヘーゲルは訴えました。わたしも同意見です。「万引き家族」を批判する者が多いそうですが、万引きや年金の不正受給が「アンモラル」だからのようです。しかし、わたしは家族を弔わなかったことを認めるという最悪の「アンモラル」映画であると思います。この映画の評価だけは、著者の町山氏と大いに異なります。絶対に認めるわけにはいきません。


「#13『天気の子』――愛にできるものはまだあるよ」では、大ヒットしたアニメ映画が取り上げられます。「雨のディストピア」として、著者は「『天気の子』は、新海誠監督の作品の最大の魅力だった青空をほとんど封じて、雨か曇天ばかりにすることで、逆に空の美しさ、雲の美しさ、晴天の美しさを強調している。雨の描写も素晴らしい。アニメーションの最大の魅力は、あたりまえすぎて人々が見過ごしているものをアニメとして意図的に描くことによって、その美しさに気づかせる効果があるが、『天気の子』では、たとえば、窓についた雨のひとしずくひとつひとつの中に映る逆さまの小さな風景までも描き尽くす。さらに、その美しい自然描写と対置されるのが、猥雑な東京の描写。ここまでリアルに東京を描き尽くしたアニメがかつてあっただろうか」と述べています。秀逸な感想であると思います。


「貧しい豊かさ」として、著者は「今の日本では数百円あれば、コンビニやファストフードでアメリカやヨーロッパの高級レストランよりもおいしいものが食べられてしまう。酒場になんか行かなくても200円のストロングゼロをっ買えば、充分酔っ払って浮世を忘れられる。100円ショップでたいていのものは手に入る。何でも買える。困らない」と述べ、『天気の子』の主人公である陽菜の部屋にもモノが溢れていることを指摘します。また、著者は「モノや情報やノイズやちょっとした食べ物に囲まれていれば寂しくない。24時間営業のコンビニ、100円ショップ、歌舞伎町のネオンサイン、バニラバニーラ、携帯、ネット・・・・・・たいていのものは安く簡単に手に入る。『天気の子』の壮絶な量の看板、ネオン、社名、商品名は、そんな安っぽいものなら何でもある日本の現状を示している。でも、そこには大事なものがない。未来だ」と述べます。この練りに練られたコメントはシビレます!


「あとがき」で、戦後30年間、日本人は力を合わせて働いてきたこと、最高税率は75%だったので、富は集中せずに公共事業や福祉、教育で国民に再配分されたこと、そして雇用は法律で守られ、給料は毎年上がり、国民全体の底が上がって「一億総中流」と呼ばれたことなどが紹介されます。著者は、「でも、それから40年あまり経った今、豊かな者の年収はビルのようにどんどん高さを増していきますが、その足元には切り捨てられた焼野原が拡がっています。自然にそうなったわけではありません。富裕層の税率を下げ、大企業の利益を上げるために非正規雇用を増やし、賃金を抑え、簡単に解雇できる社会にする政策を政府が採ってきたからです」と述べるのでした。


本書には、「格差」と「貧困」の現実を伝える、あるいはその解決方法を考える映画が13本紹介されています。「映画で世界を変えることができるか」は永遠のテーマです。総合芸術である映画には、観る者の心にメッセージを届ける大きな力があります。そして、社会をより良き方向に変えていきたいというメッセージを伝える映画は、これまでも、これからも存在します。最近、人間にとっての真の幸福とは、他者の幸せを願う「志」からしか生まれてこないような気がしてなりません。その意味では、「万引き家族」を除いて本書に登場する12本の映画には志があるように思います。わたしは、今度、『心ゆたかな社会』『心ゆたかな読書』(ともに現代書林)の続編として『心ゆたかな映画』という本を書こうと考えているのですが、本書はそのための有益なヒントに溢れていました。

 

 

2021年11月29日 一条真也

『ポップス歌手の耐えられない軽さ』

ポップス歌手の耐えられない軽さ (文春e-book)

 

一条真也です。
『ポップス歌手の耐えられない軽さ』桑田圭祐著(文藝春秋)を読みました。わたしが愛してやまない国民的バンド・サザンオールスターズのボーカリストであり、日本を代表するポップス歌手である著者が「週刊文春」に連載したエッセイをまとめた本です。もう、最高でした!

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本書の帯

 

表紙カバーには、海でサーフィンに興じる著者の後ろ姿の写真が使われ、帯には「曲が書けないほど 全力で書いちゃったよ・・・・・・(涙)」と大書され、「マイクをペンに持ちかえて、不埒に、真面目に、時に感傷的に。時は図らずもコロナ禍という非常事態、『週刊文春』というステージで綴られた全66篇 〝魂〟のエッセイ!!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「アタシはこんなことが言いたかった!」として、「親父と茅ヶ崎と/日本のロック、舐めんなよ!!/芸術は「模倣」だ!!/あの青学の時代(とき)を忘れない/『稲村ジェーン』秘話/やっぱりライブはいいよね!!/邦題をナメルな!!/日本の四季と情緒はどこに行った!?/無人島に持っていきたいアルバム&シングル/ボブ・ディランって、どこがいいの??/このウイルスにワクチンはない/一番歌が上手いって何だ!?/仕事をください!!/メンバー紹介が一番好き!!/みんなビートルズが教えてくれた/アタシが選ぶ日本の三大名曲!!/おそらく、一生音楽人宣言」とあります。


アマゾンの「内容紹介」には、「サザンオールスターズのリーダーにして日本の音楽シーンの先頭を走り続ける桑田佳祐が、『頭もアソコも元気なうちに、言いたいことを言っておきたい!』という想いを出発点に、『週刊文春』で2020年1月から2021年4月にかけて連載したエッセイを一冊に結集! これまで音楽のこと以外はほとんど語ってこなかった桑田が初めて明かす、自身の原点や現代の世相への思い。そこには故郷・茅ヶ崎での少年時代や家族との絆、サザンが結成された青山学院時代の思い出、プロレスやボウリングへの愛、さらに『自主規制』がはびこる日本の現状への憂いや、60代となってからの『人生の目標』などが率直に綴られています。もちろん音楽についても、自身のサウンドに大きな影響を与えたザ・ビートルズエリック・クラプトンボブ・ディランらへの畏敬の念や、佐野元春内田裕也沢田研二尾崎紀世彦など敬愛する日本のミュージシャンたちへの賛歌、サザンのメンバーやサポートスタッフへの感謝の想い、そしてコロナ下で行った無観客ライブの裏話など、桑田、サザンファンならずとも興味深い話題が満載です。書籍化にあたって大幅な加筆&推敲を施し、さらに秘蔵カットも掲載! “ポップス歌手”桑田佳祐が『言葉』として残しておきたかったテーマを全身全霊、縦横無尽、天衣無縫に書き尽くした全432ページ、永久保存版の一冊です!」とあります。


本書には66篇のエッセイが収められていますが、1「頭もアソコも元気なうちに」には、こう書かれています。
「年齢も年齢なものでして。今年(2020年)2月の誕生日がくれば64歳になります。さすがに残された時間は少ないと、強く意識するようになってきました。後悔したくないから、やるならすぐ。何事にも貪欲でありたいと思うこの頃です。今回は、自分が曲がりなりにも40年以上音楽活動を続けて来られた源泉となってきたもの、それをご披露しておきましょう。それは、日々の雑談と妄想です(笑)。昔も今も交友関係は極めて狭いのですが、その小さい輪の中でいつも、脈絡のない雑談を漫然と繰りひろげてきたものです。そこから、数多くの「楽曲コンセプト」や「歌詞」だって生まれて来た気がします」


音楽活動を続けてきた40年以上の間に時代も変わったようで、著者は「何でもかんでも『コンプライアンス云々』などと言われるようになりました。若いミュージシャンなんかも、跳ねっ返りの強い事をやろうとすると、今は周りからすぐに止められちゃうんじゃないかな!?(汗) アタシなんかも、『転ばぬ先の杖』じゃないけど、ちょっと意見を言う前に、必ず“擁護するわけじゃないけど”とか、“誤解して欲しくないけど”なんて枕ことばを付けて、自分の立場を安泰にするクセが付いちまった。サザンオールスターズではかつて『マンピーのG★SPOT』だの、『女呼んでブギ』だの、『マイ フェラ レディ』だのというタイトルを平気で付けていましたけど、今の若い人が、同じ事をやれるかといえばなかなか難しいだろうね(誰もやりたかないでしょうけど)」と書いています。


2「親父と茅ヶ崎と」では、著者は父親について、「親父はアタシがまだ小さい頃、茅ヶ崎で映画館「国際劇場」の雇われ支配人をしていたんです。通っていた小学校のすぐ近くだったから、放課後に立ち寄っては、「モギリ」のおねぇさんや売店の従業員さん達ともよく遊んだものでした。親父は戦前、家族と満州大連に渡って、戦後に地元の北九州へ引き揚げて来ました。そこから、どうやら大船にあった松竹撮影所あたりに職を求めて、茅ヶ崎に流れ着き、映画関係や写真を撮る仕事をするようになったそうで。その親父が言うには、自分は小津安二郎監督の運転手もやっていた事があるのだとか、新聞記者をやっていたとか・・・・・・。今となっちゃあ本当かどうか、確認しようがないんですけど(汗)」と書いています。



著者の父の故郷が北九州というのも初めて知りましたが、があの小津安二郎監督の運転手もやっていたというのは興味深いですね。著者は、「まあ、たしかに小津さんの住まいは鎌倉で、茅ヶ崎の『茅ヶ崎館』という旅館を定宿にして台本などをお書きになっていたというから、あり得ない話でもないんですが。それで親父が、『小津監督と女優の原節子は明らかにデキてたぞ』『岸惠子は性格はキツかったけど、俺にだけは優しかった』『堺駿二の息子のマチャアキはイタズラで困った』とか、自分の子どもに向かってまことしやかに話すんですよ。どこまで本当だったんだか?(汗)」と書いています。面白すぎますね!


3「テレビはつらいよ」では、サザンオールスターズのデビュー当時の音楽シーンについて、著書は「1970年代末期の昭和の世の中、その頃は歌謡曲が燦然と輝いていたし、自然とそれを『仮想敵』にして、『新しい時代を担うオレ達の音楽で、お茶の間に殴り込みだ!!』くらいの大層な思い込みがありました。ちょうどツイストやCharさん、もんたよしのりさん、ゴダイゴなんかが、同じようにテレビをプロモーションに使っていることもあって、自分達も強気でいられたんだと思います。『何? ジュリー? バカ言うなよ。歌謡曲なんかに負けないよ! こちとら洋楽がバックボーンだし!!』とばかりに、今思えば、甚だ勘違いのノリでやっておりました」と書いています。TBSの「ザ・ベストテン」などの音楽番組でサザンが熱唱していた頃がなつかしいです。


「『何? ジュリー? バカ言うなよ』と言っていたという著者ですが、ジュリーこと沢田研二のことはリスペクトしていたようで、17「音楽番組が好きだ!!」には、「ジュリーさんはいつも《テレビ》と闘っておられた!! 毎回趣向を凝らし、新曲と自分の魅せ方に、テレビ的な演出とエネルギーを注ぎ込んでいらした!! あのルックスなんだから、何もしなくたってイイのに・・・・・・なんていう考え方は、御本人にはサラサラ無かったんでしょうな。照れ臭そうに(そんなフリをして)司会者とのトークを終えると、まるで阿弥陀如来か殺し屋のような表情でマイク・スタンドの前に立ち、自らのヒット曲にオトシマエをつけるばく、全身全霊で“歌と相対峙する”お姿が実に神々しくも艶めかしい!! 『人生も歌も闘いのロマンなんだよ!!』たぶん、そんな思いで絶叫する沢田研二。こう言ってはナンだけど、デヴィッド・リンチジョン・レノン以上に、“この人はヤバ過ぎる”と思った!!」

 

18「T・レックスとグラム・ロックの世界」でも、著者は「我らサザンオールスターズがデビューした1970年代後半、日本のエンターテインメント界の頂点に君臨しておられたのは、かの沢田研二さんでございました。もともとの優れたルックスを、いっそう際立たせるド派手にして華麗なる衣装、そして歌舞伎役者もかくやと思わせるようなお化粧。そのお姿、艶めかしいこと、この上ありませんでしたね。歌番組の初登場をジョギパン姿でこなしたアタシらとしては、いろんな意味で大きな格差を感じさせられたものです(汗)」と書いています。


著者のジュリーへのリスペクトはとどまるところを知らず、58「そうだ、京都へ行こう」でも、京都出身の沢田研二に言及し、「大スターとして、当時のジュリーさんは、どこか凄まじいオーラを放たれていて、近寄りがたいと言うか畏れ多いと言うか・・・・・・ただでさえ萎縮しがちなアタシは、あの方を遠巻きに眺めるだけで、精一杯であった(汗)。だからと言って、『気さくで軽口を叩くジュリー』なんて、絶対イヤだけどね。その頃は、今じゃ想像も出来ないくらい、テレビの影響力がやたらと強く、中でも生の歌番組は花形。視聴率だって、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』なんて、毎回30%以上あったからね」と書いています。


そういう番組で、メインを張る事の緊張感と気迫が、ジュリーの佇まいからはヒシヒシと伝わって来たとして、著者は「メイン・イベンターとしてスポットライトを浴び、歌声を上げる数分間に、己の全てを懸けておられたと思う。スタジオ中のカメラや照明さえも味方につけての、『自己演出』もお見事だった。手先、指先、流し目、ソフト帽投げ、酒瓶ラッパ飲み、ラメ、アイシャドウ、カラーコンタクト、ずぶ濡れトレンチ・コート、パラシュート・・・・・・。ジュリーさんのやるコトなす事、一挙手一投足がモーゼのように海を切り裂き、お茶の間に感動と衝撃を与える!!」と書き、最後は「沢田研二という超ド級パフォーマーアントニオ猪木が『燃える闘魂』なら、まさにこの人は『燃える唱魂』(商魂じゃないからね)だったのである」と締めるのでした。



ここで「アントニオ猪木」の名前が出てきましたが、著者は生粋のプロレス・ファン、それも猪木信者として知られています。9「アントニオ猪木vs大木金太郎」では、「アタクシは生まれてからこの方、ずっとプロレスの味方であります!! というとすぐ、「あんなのどうせ八百長じゃねえか」と非難する声が聞こえてくるのもまた事実。ウチの親父なんて、結構皮肉屋でしたから、『アレはなぁ、技も勝負も、最初から全部決めてあるんだよ、試合が終わったら、アイツら敵も味方もなく控え室でビール飲んでるからね』。まるで、シナリオや舞台裏を見た事があるぞと言わんばかりに“したり顔”で、いたいけな我が子に、人生の裏側を教え諭したものでした。そりゃ“もし本気でやったら、人間死んじゃうよ”くらいの事は、アタシだって感づいてましたよ(汗)。大袈裟すぎる外人レスラーのやられっぷりに、スゲエ違和感感じたコト、ありますって(大汗)」と書いています。


また、著者は「アタシにとってのプロレスとは!? それはもう、アントニオ猪木こそが『プロレス』であり、プロレスとは『アントニオ猪木』の人生、人間そのものなのであります!!そんな猪木さん。あのモハメド・アリをプロレスのリングに上げたり、タイガー・ジェット・シンと抗争を繰り広げたり、倍賞美津子さんと結構したり(おっぱいデカイし羨ましい!!)、ビートたけしが送った刺客、ビッグバン・ベイダーに負けて客が暴動を起こしたり、イラクで人質を解放したり・・・・・・。世間を味方に付けたり敵に回したり、そしてある時は“国会に卍固め”してみたり・・・・・・(選挙に出た時の公約が、コレと「消費税に延髄斬り」でした)。とにかく、紆余曲折と荒唐無稽を繰り返しながらも、猪木の闘いは続いたのです!!」とも書いています。「ザ・ベストテン」で本物の猪木からコブラツイストを掛けられたときの著者は本当に嬉しそうでしたね!


沢田研二は日本歌謡界の、アントニオ猪木日本プロレス界のカリスマですが、日本ロック界のカリスマといえば、ご存知、矢沢永吉。わたしは永ちゃんもサザンも大好きでカラオケで歌う定番ですが(コロナ以後は歌っていません・・・涙)、なんと著者は永ちゃんのことも書いています。6「愛しきミュージシャンたち」で、「ザ・グレイテスト矢沢永吉さんね。実は、何度かお見かけした事はあったのですが、恐ろしくて・・・・・・じゃあなくて、畏れ多くて、こっちから名乗り出るなんて出来やしません。最初は1980年代でしたが、代官山のフレンチ・レストランに我が女房、原由子と入ったら、何故か通された店の一番奥の席の近くに、矢沢さんがいらっしゃった!! こちらはすぐに気づきます。何しろ、あの矢沢エイちゃんですから。あっ!! と思って、大先輩にご挨拶に伺うか、どうしようかと・・・・・・。運ばれて来た料理すら、満足に味わうことなく、原坊とクヨクヨ・オドオド小声で相談してたんだけど、矢沢さんのあまりの『存在感』に圧倒されて、とうとう席を立つ事さえ出来ませんでした(泣)」と書いています。


また、著者は「2度目も、西麻布のバーで飲んでいたら、入り口あたりがいやに騒々しい。見たら『ジャーンッ!!』と、ヒーロー映画の効果音(?)が聴こえるほど、華々しくあの矢沢さんが御登場なさった!! 『Hi、エイちゃん!! ヨロシク~!! オレがサザンのヴォーカルですぅ!!』などと言えるはずがなく、この時も、先方のあまりのテンションの高さに気圧され、不覚にもまたご挨拶は叶わず・・・・・・。結局、ちゃんとお話し出来た例しがないまま今に至ります」と書いています。それにしても、著者ほどの大スターが緊張するのですから、矢沢永吉おそるべし!

 

さらに、著者は「でも、いつも思っております。その強烈な『ロック・ヴォイス』や『キャラクター』に隠れてしまいがちだけど、彼こそが“せつなさ”を歌わせたら、最強の『ポップス歌手』である事を、アタシはよく呑みの席でコンコンと人に語るのであります。だから、近づくとマゴついちゃうんだろうね(このヘタレめが!!)。今度、もし機会があったら、ちゃんと挨拶しような!!(菓子折り持って行こうかな? な、情け無い!!)」と書いています。永ちゃんの「時間よとまれ」「YES,MY LOVE」「I LOVE YOU,OK」「A DAY」「ひき潮」の切ないバラードをこよなく愛するわたしとしては、この著者の意見には大賛成です。もっとも著者も最強の「ポップス歌手」であり、矢沢永吉と桑田圭祐こそは日本ポップス界の両雄だと思っています。いつか両雄が同じステージで共演することがあれば素晴らしいですね!


しかし、著者に最大の影響を与えたポップス歌手は、前川清でした。35「『内山田洋とクール・ファイブ』にシビれた!!」では、著者は「生まれて初めてアタクシに、『歌声にシビれる』どころか、『その人の魂が乗り移る』ような経験をさせてくれたのは誰であったか・・・・・・。はい。それは、前川清さんであります!!」と告白し、さらに「1969年に内山田洋とクール・ファイブのヴォーカルとしてデビュー。『長崎は今日も雨だった』がいきなり大ヒットし、その後も『逢わずに愛して』『噂の女』『そして、神戸』『中の島ブルース』『東京砂漠』・・・・・・。歌い継がれる楽曲を続々と世に放ちます!!」と書いています。


著者は、「前川さんの、あの顰めっ面した表情と、喉奥から“愚痴でも吐くように”絞り出されるみたいな歌声。幅広のネクタイと細身のスーツを纏い、長身を直立不動にしてマイクを握り佇むそのお姿・・・・・・。さらに、背後からは最強のドゥー・ワップ・コーラスが援護射撃する!! それをアタシは、彼がデビューの頃からずっとこの目に焼き付けて参りました。もちろんテレビを通して、なんですけれども・・・・・・。当時は、数多あるテレビの歌番組に、毎日何度もお出になられていたので、クール・ファイブさんの新曲が出ると、レコードが発売される前から、ブラウン管(古くてゴメン)にかじり付いては、あっという間に歌詞を覚えた!!」とも書きます。ポップス歌手・桑田圭祐の原点はクール・ファイブでした!


さらに著者は、「腹の底からシャウトする前川さんは、ムード歌謡界ではかなりの異端児であり、斬新だった!! 作詞、作曲、および編曲家の先生方が、音楽的に指定した『本来の歌い方』とは、ちょいと違う『ノリ方』『解釈の仕方』で彼は啼(な)き、慟哭(さけ)ぶ!! クール・ファイブのデビュー6作目『愛のいたずら』なんて3拍子のナンバーは、まさに前川清の真骨頂!! もちろん、この頃の先達の演奏陣もアレンジもぶっ飛んでいるのだが、前川さんの歌唱はジョン・コルトレーンエリック・クラプトンのアドリブ並みにファンキーでフリーでカッコいい!!(ま、この辺の話はテキトーに聞き流してください)」とも書いています。


続けて、著者は「三橋美智也北島三郎のような、日本民謡をルーツに持つ人たちの歌唱も素晴らしいが、前川さんのルーツは多分に洋楽的な影響が大きいと、アタシは確信するのでありました。明らかに『夜の酒場演歌』とは違うノリを持つ前川節!! その辺の『日本のロック』なんかより、よっぽどガッツのある『ロッカー』であり、『R&Bシンガー』なのであります!!」と書いていますが、名曲「中の島ブルース」などを聴くと、前川清が日本最強のR&Bシンガーであるということがよくわかりますね。


そして著者は、「今だからこそ断言しよう。『日本のロックにおいて日本語と英語の壁を取っ払ったのは、はっぴいえんどでも矢沢永吉でもサザンでもなく、誰あろうそれは内山田洋とクール・ファイブである』と!! だってそうなんだもん。前川さんの場合、よく言われる『大袈裟なヴィブラート』だって、実は泥臭い洋楽(的な)の発生だった。曲も良かった。無口で顰めっ面を貫いた前川清のキャラ作りも秀逸だった。藤圭子さんをはじめ、多くの女性歌手に彼はモテまくった!!(悔しい・・・・・・。チ、チクショー!!)で、何より前川さんの『俺、東京なんか来るんじゃなかった』みたいな、嘆き節とも取れる仏頂面唱法が、堪らなく功を奏し、圧巻だったのである!!」と書くのでした。



それにしても、前川清という素晴らしい歌手にCMソングおよび社名のサウンドロゴを歌っていただくなんて、なんとわが社はラッキーなのでしょうか! 本書には、ブログ「一番歌が上手い歌手は誰か?」で紹介したエッセイも登場します。54「一番歌が上手いって何だ!?」では、著者は「誰が一番、歌が上手いのか!?」というよくあるランキング・ネタに言及し、「そもそも歌とは、技術や正確性を競うものなのか? いや、ごく当たり前の答えだが、アタシは違うと思う。歌とはすなわち、その善し悪しや好き嫌いは、あくまでもその歌を楽しみ享受してくれる人、すなわちファンの皆様が決めるものだ」と述べています。



そして、55「続・一番歌が上手いって何だ!?」では、著者は「アタシの経験値、世代感覚、単なる好みから選出すると、日本の歌謡曲史上『最強の男性歌手』は、尾崎紀世彦さんである!!」と書いています。《好きな理由 その①》は、桑田さんと同じ茅ケ崎出身であること。《好きな理由 その②》は、「1970年、遅咲きながらも衝撃的で華麗なるデビューを果たし、『また逢う日まで』では、当時、世の中に漂う沈鬱なムードを、全部、ぜーんぶ持っていってくれた!!」こと。《好きな理由 その③》は、カントリー、ハワイアン・ミュージックを音楽的基盤に持ち、シンガーとして日本語の歌謡曲を『ポピュラー・ミュージック』の領域に押し上げたこと。《好きな理由 その④》は、「ここが一番本題かもしれないが、言わずと知れた『声質』『声量』の豊かさは超一級品!!」。



そして、《好きな理由 その⑤》は、顔が、元「フリー」「バッド・カンパニー」のヴォーカル、ポール・ロジャーズに似ている(笑)こと。尾崎紀世彦について、著者は「洋楽を歌う時、英語の発音がメチャ素晴らしい。これは、歴代の日本の男性歌手の中では圧倒的である!! 尾崎さんの場合、単に『外国人ぽい』というのではなく、『尾崎紀世彦の洋楽』にしてしまうから凄い!! やっぱり、あのモミアゲの太さはダテではない(笑)」と最大級の賛辞を送ります。



著者は、「そして女性歌手だったら、『最強』は、ちあきなおみさんだ!! 」と述べます。1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューして以来、「四つのお願い」や「喝采」といったヒット曲を次々と放ちました。まさに(総合格闘技でいう)「『寝てよし、立ってよし』とは彼女の事だ」と著者は評します。また、「クレパスのような二十四色濃淡溢れる歌声。物語性の強い、歌唱難易度がすこぶる高い楽曲も、見事に歌いこなすその実力はまさに天下一品!!」と絶賛するのでした。



ちあきなおみはデビューからしばらく経つと、取り上げる曲の雰囲気が変化しますが、著者は「もっと音楽的なチャレンジがしたい」「‟私の歌”をさらに深堀りしたい」「ちあきなおみを演出するのは、自分自身以外にはいない」という思いを本人が強く持ったのではないかと想像しています。さらに桑田さんは、「とびっきりの才能をお持ちな彼女の事。自負や目指すところがあまりに高く、周囲や日本の芸能界の慣習と、なかなか折り合いのつかない事も多々あったのかもしれない」と想像しています。

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カラオケでよく歌いました♪

 

著者が「最強の男性歌手」に尾崎紀世彦、「最強の女性歌手」にちあきなおみの名前を挙げたのは大いに納得しました。かの「ひとり紅白歌合戦」からもわかるように日本の歌謡曲を愛し抜いている著者ならではのチョイスだと思います。蛇足ながら、わたしなら男性歌手に前川清沢田研二、女性歌手に美空ひばり、MISHAをエントリーしたいと思いますが・・・・・・。じつは、尾崎紀世彦また逢う日まで」はわがカラオケ・レパートリー曲なのであります。2019年7月3日にメモリード創立50周年記念祝賀会前夜祭として長崎で行われた互助会経営者カラオケ大会で、わたしは「また逢う日まで」を歌ったのですが、なんと優勝しました!(笑)

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喝采」も大好きな名曲です♪

 

そして、ちあきなおみ喝采」もわがカラオケ・レパートリー曲です。もちろん現在はコロナでカラオケ自体に行きませんが、コロナ以前はよく歌いました。この歌は元恋人の葬儀の場面を歌ったナンバーですが、そこには悲しい物語があって、しみじみと心に沁みる名曲ですね。著者は、「尾崎紀世彦さんと、ちあきなおみさん。少し『お題』と方向は逸れたが、大好きなお二人の話が出来て本当に良かった。結局、歌の上手さとは何なのだろう!? 1つ言えるのは、その曲に出逢い、上手く寄り添って、その結果として曲の妙味を最大限に引き出せた人こそが、最も上手い歌手なのだと思う」と述べています。

 

最後に、桑田さんは「アタシにとっての『最強の歌手』とは、人物としても大変魅力的で、色っぽい人の事だったんだね!! 偉大なる大先輩方の事は、決して忘れません。尾崎紀世彦さん、ちあきなおみさん、本当にありがとうございました」と述べるのでした。ちなみに、わたしが一番好きな歌手は、本書の著者である桑田佳祐その人です。桑田さんの歌で、どれだけ人生が豊かになったか計り知れません。いつかお会いして、直接、感謝の言葉を述べたいと思っています。


かくも日本の歌謡曲に詳しい著者ですが、64「アタシが選ぶ日本の三大名(ポップス)!!」では、「『いい歌』って、そもそも何なのだろう? 時代や演奏、歌唱、色んなものをひっくるめて、『名曲』たる要素を存分に孕んでいる曲とは、何であろうか? 今回は、日本が誇る名曲中の名曲選。読者の皆さんは意外に思われるかもしれないが・・・・・・。アタシが、今の気分で考える『日本の三大名曲』を大発表して参ろう!!」と書いてくれるのですから、嬉しいではありませんか! その三大名曲とは? 1曲目は植木等の「ハイそれまでョ」で、著者は「この人がいなければ、戦後ニッポン社会の様相も、おそらくは違っていたのではないか?」と書いています。


続いて、2曲目は笠置シヅ子の「買物ブギー」で、著者は「これの何がスゴイって、大阪弁で歌われる圧倒的なノリ!! 《大阪人=音楽的には外国人説》を立証するのが正にこの曲なのである」と述べます。さらに3曲目は、なんと「祇園小唄」。著者は、「美空ひばりの『リンゴ追分』にしようか迷ったが」としながらも、「この曲、知らない人も多かろう。そりゃそうだ。昭和5年、藤本二三吉の作品である」と説明するのでした。というわけで、「ハイそれまでョ」「買物ブギー」「祇園小唄」が日本の三大名曲だそうです。うーん。わたしならば、北島三郎の「まつり」、矢沢永吉の「I LOVE YOU,OK」、そしてサザンオールスターズの「TSUNAMI」を選びますけどね。


歌手・桑田圭祐やバンド・サザンオールスターズに影響を与えたのは、もちろん日本のポップスだけではありません。その原点には、世界の音楽史に燦然と輝く偉大なバンドの存在がありました。ザ・ビートルズです! 61「みんなビートルズが教えてくれた」では、著者は「純粋に音楽の原点に立ち返ろうとする時、いつもアタシの頭の中を過ぎる、大きな大きな存在がある。それはやっぱり・・・・・・。《ザ・ビートルズ》なのである!! 曲を書いたり、レコーディングをしたり、仕事や人生に行き詰ったり、素敵な女性と巡り逢った時(いつの話だよ?)・・・・・・。「ココはビシッとキメようぜ!!」という大一番になると決まって・・・・・・、「こんな時、ビートルズならどうするだろう?」って、人生の3分の2は考えて来た(by jun Miura)」と書いています。


Blue Note Tokyoでも演った「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」も、ビートルズへの憧憬をモロに歌ったものであると告白する著者は、「とにかく、アタシが作り歌う音楽の『キモ』の部分には、必ずあのビートルズがドーンと居座っている。『クイーン』だろうが、『オアシス』だろうが、『マルーン5』だろうが・・・・・・、他のどんな音楽も、どこかでビートルズを基準にして聴いている自分がいる!! アタシにとって、ビートルズこそが『人生の道標』。なんなら『宗教』と呼んでも差し支えないだろう(笑)」とまで言い切ります。また、62「続・みんなビートルズが教えてくれた」でも、「ザ・ビートルズこそ、アタクシの音楽人生の礎、原点なのである!! 今さらそんな事は大声で言うまでもない。世界中の大抵の音楽人の根っこには、ビートルズが住み着いているものだ。今じゃ、音楽の世界で当たり前になっている事の多くは、元を辿ればすべてビートルズに行き着くのである」と述べます。



それでは、著者自身の音楽についてはそう書かれているのでしょうか? 4「ありがとう、平和の祭典」には、「アタシの場合は『歌』を作る時に、だいたい曲=メロディが先に出来るんです。今回も、メロディがほぼ固まるところまでは、何とか早く漕ぎ着けられました。ただ、歌詞作りは非常に難航しましてね。例えばサザンの『東京VICTORY』なんかもそうだけど、この手の“応援歌”っぽい曲の歌詞は、意外と作るのが難しいんです。偽善的というか、独善的というか・・・・・・、とにかく『夢』だの『希望』だの、耳触りの良い言葉を乱用しがちになるんです。一体これはどうしたものか、無い知恵を絞ってずいぶん悩みましたね」と書いています。


13「芸術は『模倣』だ!!」では、著者は芸術の本質に言及し、「ここはひとつハッキリ言い切ってやろうと思います。《芸術は、いやすべての音楽は模倣だ!!》と。若気の至りの、お恥ずかしい話からいたしやしょう(ベ、ベン、ベン、三味線が鳴る)。学生の頃なんて、楽器持ったら何でも模倣=コピーだったりするじゃないですか? 気の合うメンバーが集まりゃあ、コピー・バンドから音楽を始めるしね。ナンか似てりゃあ、それだけで嬉しかったもんなぁ、あの頃は!! 実際のところアタシだってデビューした頃は『模倣』のオン・パレード!! 『勝手にシンドバッド』の『ラララ』のイントロだって、あの頃流行ってたスティービー・ワンダーの『Another Star』を・・・・・・まぁ、ノリで拝借したわけである。エッヘン(威張るな!!)」と書いています。


初期のアマチュアイズムというのは、とても無邪気で偉大なものだったとして、著者は「自分がワクワクしたり、物凄くハマった感動を自分の表現に『まんま』してしまいたい!! そんな素朴な想いだったわけです(ちと古いが、あの「常磐ハワイアンセンター」の発想か?)」と告白し、「『芸術、すべての芸能や音楽は模倣である』というフレーズが、どれだけ深いものか? 人間をはじめすべての生物は、DNAのミクロ単位レベルからコピー(物真似)を始めます。まさに音楽もコレと同じく『遺伝情報の継承』なのだと言いたい。模倣こそ音楽、大いなる再生産の美学なのだ!! DNAレベルで、我々は誰かのコピーであり、模倣の連続が生み出した生き物・存在なのだと。ほら、アタシやあなた達の喋り方や生き方だって、広義ではたぶん誰かの模倣、真似から始まっていると思いませんか?」と述べます。この著者の意見に、わたしは全面的に賛同します。


さらに、著者は以下の衝撃の告白をします。
「そもそも、『勝手にシンドバッド』ってタイトル自体が、当時の沢田研二さんの『勝手にしやがれ』と、ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』を半分ずつ拝借して、ガッチャンコさせたものだってことは、文春さん、じゃなくて皆さんご存知ですよね? 何ぶんにも古い話で恐縮ですけど。しかもですよ。さらに言ってしまえば『勝手にシンドバッド』というフレーズ自体が、実はアタクシの考案したモノではないのであります!! サザンがデビューするほんの少し前に、たまたまテレビを観ていたら、『8時だヨ!全員集合』で、ザ・ドリフターズ志村けんさんが、『じゃあ、勝手にシンドバッドだ!』ってセリフを、コントの中で既にお使いになっていたんですよ!!」と述べるのでした。「8時だヨ!全員集合」のそのシーンは今もYouTubeで観れますが、そんなコントをデビュー曲のタイトルにした著者は本当に凄い人ですね!

 

また、「音感がイタコ状態」として、著者は「アタクシは、『遠い記憶』や『既視感』をツテに曲を書いています。そのすべては、学究的に鍛錬されたものではなく、借りモノの知識とか経験を総動員したり、自分の幼い頃からの記憶やら思い出やら、好きで観たモノ聴いてきた音、それらを引っ張り出してはあれこれ切り貼りなんかして、自分なりのカタチにしていくのです。ごく一部の天才や特別なエリートの人を除けば、物づくりはそうやって進めるモノなのであります」とも述べています。


22「『稲村ジェーン』秘話」では、著者が1990年に初めて監督した映画「稲村ジェーン」が北野武によって批判されたことが触れられます。著者は、「アタクシの映画が公開される前年、1989年に発表されたのが北野監督のデビュー作『その男、凶暴につき』。観る者の度肝を抜く、凄まじい作品でしたよね。タイトルの通り全編ヴァイオレンスな雰囲気に満ちていて、同時に独特の“映像美”があって。お笑いの世界で頂点に立つビートたけしが監督した映画とは思えない!! 誰もが当時これを観て、そう驚愕したものでございます。先走ってお話しすれば、その北野武さんには、完成したアタクシの作品を『オモシロくない』と厳しく批評されてしまったんです」と振り返ります。


北野武による批判について、「稲村ジェーン」公開初日にマスコミからどう思うかと聞かれた著者は、「『老舗大旅館の価値観で、アタシのような新興ビジネス・ホテルの事を、どうのこうのと語って欲しくない』みたいな事を言ったんですな、アタシが。たけしさんからズバリと言われて、ムッとしたのも事実でしたが、自分の作品の出来に、内心では確固たる自信が持てなかった“後ろめたさ”もあった。話題の作品として持ち上げられる中、わざわざ観て頂いた挙げ句、“北野監督”に見抜かれた瞬間の言い知れぬ“怖さ”を、その時大いに感じたものでした。ともかく、“機運”だけはありそうだ。たけしさんの批判も、即座にメディア受けしそうな言葉で切り返すほど、プロレスチックで確信犯なアタシがそこにはいたのです」と述べます。わたし個人の感想では、「稲村ジェーン」はMV(ミュージックビデオ)映画の傑作だと思いました。名曲「真夏の果実」をはじめ、挿入歌がどれも素晴らしかった!


32「続・邦題をナメるな!!」では、「脱力こそ『創造』の源」として、著者は「アタシの曲で『波乗りジョニー』というのがある。あれは大学1年の時の事。通学の東海道線に乗っていて、ふと「『波乗りジョニー』ってフレーズ・・・・・・イイな」と、思った。曲どころかメロディのカケラも浮かんでいないのに、その言葉だけが浮かんで来たのである。それから20年以上経って、アタシはプロとなり曲を作った時「あ、あの時の『波乗りジョニー』ココで使っちゃおう!!」となった。ずいぶん“お気楽な稼業だ”と思われるだろうが、『いとしのエリー』も『真夏の果実』も『悲しい気持ち』も・・・・・・、あまり悩むことなくスンナリと付けられたタイトルほど、楽曲の出来栄えと相まってハマりも良かったと思う。逆に言えば、悩み抜いた題名を冠した曲ほど、出来栄えもイマイチなものが多かった(汗)」と書いています。やはり、著者は天才です!


44「続・素晴らしき哉、坂本冬美!!」では、演歌歌手である坂本冬美の「ブッダのように私は死んだ」の製作を担当したエピソードが披露され、著者は「坂本冬美さんの新しい可能性を追求したかった!! などと言うとおこがましいが、あの方は『歌う海綿体』と言われるくらい(言われてないけど)、色んな局面や方向性に対応できるし、アタシはお逢いする以前から、《音楽的な吸収力と表現力が抜群である》というイメージを彼女に持っていた。当たり前だが、坂本冬美・・・・・・。その歌声の色艶と響きは天下一品、唯一無二のお宝だ!! まだ世に出ていない曲を、しかも小生の作ったモノが、目の前で彼女によって歌われる光景は、まさに『恍惚』と『カタルシス』の極みであった!!」と彼女を絶賛します。


著者は、「ブッダのように私は死んだ」のイマジネーションをどこから得たのか? じつは、「ブッダ~」が出来た直接的な理由は、ちょうどその頃、Netflixの米テレビ・ドラマ「ベイツ・モーテル」を著者が観ていた事にも起因するそうです。著者は、「映画『サイコ』シリーズの主人公、アンソニー・パーキンスが演じたノーマン・ベイツの少年時代を描いたお話で、ストーリーだけじゃなく映像も素晴らしい。とても怖くてグロいが、その《キモ可愛い》世界観にどハマりして、大いに刺激と影響を受けたのだ」と述べています。いやあ、素敵過ぎますね!


本書には、日本の随筆の伝統を感じさせるような名文もあります。36「日本の四季と情緒はどこに行った!?」がそれで、著者は「異常気象で自然から感じられる情緒・風情が無くなると、『命を守る行動を取る』なんて事が最優先になり、我々にとって生活はおろか、物事を嗜む余裕なんかも、どんどん失せてしまうのであります。我らが音楽にだって、少なからず影響が出て来ますよ。そりゃそうですよね。民謡、演歌、歌謡曲、ポップスやロックに至るまで、そもそも音楽ってのは、人の『情』を表すものだったんですから!!」と述べています。


また、特に日本では、古来「うた」と言えば和歌のようなものが中心にあったと指摘し、著者は「そこで謳い上げられて来たものとは、何だったでしょうか?? 1つには、“花鳥風月”といった自然を愛でて慈しむこと。もう1つには、恋情を中心とした人の心の移り変わりですよね。つまりは、『もののあはれ』と『ひとのなさけ』。そうした濃やかな心情を、日本人は『うた』に乗せて巧みに表現してきたわけであります」と述べます。


56「仕事をください!!」では、コロナ禍で毎日がつまらないのでしょうか、著者は「なんかさあ、面白いコト無いかねえ? 今よりももっと、いやチョットだけでもいいからさぁ。新鮮で刺激的で、やり甲斐のある仕事がしたい!!」と嘆き、「アタシに限らず、皆さんの日常だって、大抵同じ事の繰り返しではないか?? そう、それぞれの『マイ・ルーティン』で仕事や人生が成り立っている事は、すでに“わかっちゃいるけど、やめられない”ところであろう。表現の世界だってそうだよね。伝統芸能たる歌舞伎や落語なんて、それこそ江戸の時代から掛かっている演目がザラにある。相撲の土俵のしつらえや仕切りの型だって、何百年も変わらないし。土俵入り、番付表、化粧廻し、なんてのも、江戸時代からまるで変わらないって言うんだから。アタシの好きなプロレスだって、まさに『マンネリズムの総合百貨店』だ。『その展開、待ってました!!』ってのが一番の見せ所なわけで。試合を締めくくるお馴染みの大技・決め技があってこその、一流のスター選手と呼ばれるんだからね」と述べます。

 

前向きに解釈すれば「偉大なるマンネリズム」こそ、人の営みの根幹と言えるのだろうとして、著者は「毎年繰り返される四季の中、アタシたちは飽きもせず花見をして花火を上げ、紅葉狩りをして初詣に行くのを喜びとして生きて来たのである。最近じゃあ、ハロウィーンなんて似合わない事もやってないと、日本人のマンネリズムが風邪を引いちまいそうだし。あゝそうか、コロナ禍の生活の息苦しさって、こういう『愛すべきマンネリ』が断ち切られることに対する違和感、心の痛みなんだろうね!! マンネリは、物事を長く続けていく原動力である。アタシらはマンネリを愛し、そこに共生して生きる単細胞生物なのだ!!」と述べるのでした。


66「おそらく、一生音楽人宣言」では、著者は以下のように書いています。
「震災から半年が経った時、宮城で2日間ライブをやらせて頂いた。その時の会場の皆さんの歓声が、今も頭から離れない。簡単に形容してはいけないかもしれないが、『我々は、そもそも“悲しいから”歌うんじゃないか?』『苦痛を伴う人生があってこその、音楽なんじゃないか?』 そんな思いが、当時の皆さんの歓声や表情に触れた時、アタシの胸をかすめていった。東北と向き合って、何が出来るか自問することはこれからも続くだろう。『オマエの歌が東北にとって何の足しになるんだ? 』と言われれば、ごもっとも。『音楽人=特別な才能、人を救える』などとは思っていない。ただ、皆さんと『思い』を共有するコトにおいての、歌そのもののチカラだけは信じてみたい」と述べています。著者の真摯な言葉には、いろいろと考えさせられます。


「あとがき『女房の日記』」では、著者の奥様である原由子さんが「桑田家は明治初頭、小倉の城下町に住んでいた。丁度森鴎外が小倉に赴任して、『小倉日記』を書いた頃と重なる。戸籍の住所を見るとすぐ近くなので、桑田家と森鴎外もご近所付き合いがあったかもなんて楽しみながら『小倉日記』を読んだ。現在はかなりの繁華街のようだが、当時は閑静な町だったらしい」と書いています。桑田家のルーツが小倉だったとは知りませんでした。小倉生まれの小倉育ちで、今も小倉に住んでいるわたしは、もう大感激です!

 

また、原さんは本書について、「2020年のお正月から始まった連載。『頭もアソコも元気なうちに、言いたい事を言っておく!』なんて言ってたけど、連載を始めてみたら、言いたい事は、子供の頃から影響を受けたりお世話になった人達への感謝と礼賛だったようだ。連載が始まって間もなくコロナ禍に見舞われ、医療従事者の方々始め日本中が大変な思いをされてる中、音楽界も窮地に陥り、私達に何が出来るのか試行錯誤の日々。まさかサザンオールスターズが、デビュー43年目の記念日に無観客の配信ライブをやるなんて! この時は文春の原稿書きとライブの準備が重なり、殆ど眠れない日々が続いていたっけ」と書いています。いやあ、このご夫婦、いいですねえ。ますますサザンが好きになりました!。最後に、有名人が著者であることは別にして、本書は間違いなく名著です!

 

2021年11月28日 一条真也