アベノマスク

一条真也です。
本日、アベノマスクがようやく我が家に届きました。
「いつ来るかな」と、ずっと待っていました。

f:id:shins2m:20200601170215j:plain
我が家に届いたアベノマスク

 

6月になって、ようやく届きました。
いま、北九州市は第2波の真っただ中にあります。
他に何も言うことはありません・・・・・・。
当ブログ史上最小の文章量となりますが、悪しからず。

 

2020年6月1日 一条真也

死を乗り越える言葉

一条真也です。
31日に確認された新型コロナウイルスの感染者数は東京が5人で、第2波の真っただ中にある北九州は12人でした。「さあ、これから」というタイミングだったのに、困ったものです。6月になりました。今月もサンレー本社での総合朝礼は中止です。1日は、恒例の本部会議だけマスク姿で行います。産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第23回目がアップされました。タイトルは「死を乗り越える言葉」です。

f:id:shins2m:20200529170510j:plain
「死を乗り越える言葉」 

 

日本では各地で緊急事態宣言が解除されたとはいえ、世界における新型コロナウイルスの感染拡大はいまだ止まりません。そんな中ではありますが、わたしは『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)という新著を上梓しました。「言葉は人生を変えうる力をもっている」というサブタイトルがついた本書の帯には「『グリーフケアの時代』に読みたい一冊」と大書され、上智大学グリーフケア研究所所長で東京大学名誉教授の島薗進先生による「誰もがいつか死ぬ。死の必然をしっかり意識して生きることの重要性は、多くの聖人・賢者・英雄・偉人たちが説いてきた。では、死をどう受け止めればよいのか。明確な答えがあるのか。博識無比の著者は、古今東西の答えのバラエティーを示し、あなたの探求を助けてくれる。読者ひとりひとりが死を問い、答えを得るための頼もしい手がかりを見出すことができるだろう」という推薦の言葉が書かれています。日本における死生学の第一人者から過分な推薦の辞をお寄せいただき、まことに光栄です。

 

さて、わたしは、冠婚葬祭会社を経営しています。日々、さまざまなご葬儀にかかわらせていただく中で、多くの遺族の方々に接してきました。その経験の中で共通して実感しているのが、他ならぬ言葉の力です。『死を乗り越える名言ガイド』には、小説や映画に登場する言葉も含め、古今東西の聖人、哲人、賢人、偉人、英雄たちの言葉、さらにはネイティブ・アメリカンたちによって語り継がれてきた言葉まで、100の「死を乗り越える」名言を紹介しています。

 

上智大学グリーフケア研究所特任教授で京都大学名誉教授の鎌田東二先生は、「葬儀もできない今の新型コロナウイルスによる死の迎え方は、人類史上究極の事態かと認識しています。車間距離のように『身体距離』を取る必要を要請されている状況下、どのようなグリーフケアやスピリチュアルケアがあり得るのかを知恵と工夫を出し合わねばなりません」と述べておられますが、わたしは「身体」の代わりになりうる最たるものは「言葉」であると思います。そのためにも、同書では、わたしの死生観を育ててくれた100の言葉を集めました。

 

グリーフケアという営みの目的には「死別の悲嘆」を軽減することと「死の不安」を克服することの両方があります。新型コロナウイルスの感染拡大で日本中、いや世界中に「死の不安」が蔓延している現在、「死の不安」を乗り越える言葉を集めた本書を世に送り出すことに大きな使命を感じています。本書を読まれたあなたの死別の悲しみが和らぎ、死への不安が消えてゆきますように・・・・・・。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年6月1日 一条真也

『世界史を変えた13の病』

世界史を変えた13の病

 

一条真也です。
30日に確認された新型コロナウイルスの感染者数は東京が14人で、北九州が16人でした。この1週間、毎日、感染症関連の本をご紹介してきました。ここに『世界史を変えた13の病』ジェニファー・ライト著、鈴木涼子訳(原書房)を紹介して、とりあえず一区切りつけたいと思います。著者はニューヨーク在住の作家です。「ヴォーグ」「ニューヨーカー」等の雑誌への寄稿を経て、2015年に初の著書『史上最悪の破局を迎えた13の恋の物語』(原書房)を出版。女性に焦点をあてたエンターテインメント色の強い歴史書を執筆することを目指しているとか。

f:id:shins2m:20200417192155j:plain
本書の帯

 

本書の帯には「多くの犠牲者を生み 文明を崩壊させた 病気と人類の歴史」と大書され、続いて「迷信による不条理な迫害、患者の救済に尽くした人々の闘い、病のイメージが作り出した文化まで、知られざる歴史をときあかす」と書かれています。

f:id:shins2m:20200417192234j:plain
本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

「はじめに」

アントニヌスの疫病
   ――医師が病気について書いた最初の歴史的記録

腺ペスト――恐怖に煽動されて

ダンシングマニア――死の舞踏

天然痘――文明社会を即座に荒廃させたアウトブレイク

梅毒――感染者の文化史

結核――美化される病気

コレラ――悪臭が病気を引き起こすと考えられた

ハンセン病――神父の勇敢な行動が世界を動かした

チフス――病原菌の保菌者の権利

スペインかぜ――第一次世界大戦のエピデミック

嗜眠性脳炎――忘れ去られている治療法のない病気

ロボトミー――人間の愚かさが生んだ「流行病」

ポリオ――人々は一丸となって病気を撲滅した

「エピローグ」
「訳者あとがき」
「原注」

 

「はじめに」では、著者は以下のように述べています。
「あいにく、わたしには病気を撲滅するワクチンや治療法について語れるような科学的知見がない。わたしは未来のノーベル賞受賞者に感銘を受け、応援してはいるが、本書はそういう人々のためだけのものではない。なぜなら、疫病にすばやく対処できるかどうかは、医師や科学者の努力だけにかかっているわけではないからだ。週末に朝寝坊し、映画を観て、フライドポテトを食べて、ありふれた楽しいことをするのが好きな人々、つまり、わたしたち全員にかかっているのだ」

 

続いて、著者は「危機の際に文明人がうまくやっていけるかどうかは、科学者でない一般市民の反応の仕方と深く関わっている。本書で考察する、疫病に対して講じられるさまざまな対策は、驚くほどわかりきったことに思えるだろう。たとえば、罹患者を罪人と見なして、文字どおりにしろ比喩的にしろ火あぶりにしてはならない。この意見にはみな、建前としては同意するだろう。だが、新たな疫病が発生したとき、わたしたちは300年前とまったく同じ過ちを犯す」と述べます。

 

さらに、著者は「わたしの大きな願いのひとつは、現代の人々が過去の人々を親しい(あるいは腹立たしい)知人と考えて、アドバイスを求めることだ。過去の人々が無味乾燥な教科書に出てくる二次元の白黒写真や線画ではないことを、人は簡単に忘れてしまう。彼らは単なるシルクハットをかぶって青白い顔をした人ではない。彼らは生きて、呼吸をして、ジョークを言い、げっぷをする人間で、うれしかったり悲しかったり、面白かったり退屈だったり、冷淡だったりした、あなたが人生で出会う最も時代遅れの人なのだ。彼らはみな、自分たちが現代に生きていると考えていた」とも述べています。

 

そして、著者は以下のように述べるのでした。
「わたしがこの病気の研究に没頭しているのは、過去に病気とどのようにして闘ったかを知ることが未来に役立つと考えているからである。未来まで生きるつもりなら、みなさんも同じように考えてくれることを願っている。非常に分が悪いが、人類の歴史の暗い時代について読み、学ぶことを楽しいと感じてもらえるよう努力する」



「アントニヌスの疫病」では、著者はローマの衰亡につながった疫病に言及し、この病が発疹チフスか麻疹か天然痘か議論が分かれていることを紹介し、1800万ものひとびとが死亡したともいわれるこの疫病について、「ローマの人々は治癒を祈ったかもしれないけれど、望めるのはせいぜい、誰かが社会を最低限機能させ続けてくれることくらいだった。なぜなら、どの時代の市民だろうと、神殿に死体が山積みになったアテネの疫病を繰り返したくはないからだ。歴史上のほぼすべての疫病において、通りから死体を除去するだけで、強力なリーダーシップのある人物が必要となる。ローマは幸運だった。指導者はマキャヴェッリ五賢帝と評された皇帝の最後のひとり、マルクス・アウレリウスだ」と述べています。



「腺ペスト」では、中世ヨーロッパで大流行した疫病について、著者は「社会秩序があらゆる面で崩壊し始めていた。かつては美しかった都市が共同墓地と化した。ボッカッチョによると、フィレンツェでは墓穴が満杯だったため、死者を「船荷のごとく何段にも重ねた。各段に土をかぶせ、穴がいっぱいになるまで積んだ」マルキオンネ・ディ・コッポ・ステファーニいわく、墓穴はラザニアのようだった(オリーブガーデンに行きたくなくなってしまうかもしれない)。しかし、フィレンツェよりもさらにひどかったのがシエナで、年代記編者、アンニョロ・ディ・トゥーラによると、『土にほとんど覆われていない者は犬に引きずりだされ、町じゅうの多くの死体がむさぼり食われた』」と述べ、「これが、通りから死体を除去してくれるマルクス・アウレリウスがいない社会で起こった出来事だ」と言うのでした。

 

疫病は多くの死者を生みます。死者は埋葬されますが、あまりにも多かった場合、それが困難になります。歴史上、疫病はつねに埋葬の問題とセットになっていました。著者は、「通りから死体を除去する」として、「墓穴を掘るのはたしかに大変だ。だが死体を放っておくとノミを持つネズミが集まってくるという理由だけでも、埋葬するべきだ。また、通りに転がっている死体を見ると、人は怯える。アウトブレイク時、恐怖は理性の敵となることを考えれば、通りを清潔に保とうと努めることは得策だ」と述べています。


天然痘」では、その冒頭を、著者は「14世紀から17世紀にかけて、黒死病がヨーロッパの国々に及ぼした影響は、歴史のきわめて恐ろしい章のひとつとして記憶されている。だが、ヨーロッパの文明は持ちこたえた。西洋社会の芸術的な偉業のいくつかは、この疫病と共存した。シェイクスピアのきょうだいと息子は腺ペストで死亡した。シェイクスピアが生きているあいだ、疫病が原因で劇場は閉鎖された。ハンス・ホルバインやティツィアーノは、疫病で死亡する前にすばらしい作品を描いた。彼らは黒死病のない時代に生まれたかっただろうか? 生まれたかった(これは推論ではない。全員に電話して尋ねた)」と書きだしています。この「全員に電話して尋ねた」といったような読者を脱力させるようなギャグが本書には多々見られるのですが、正直、スベっています。「ここまで軽薄な文章を書く必要はない」と感じるのは、わたしだけではないでしょう。

 

しかしながら、続く「梅毒」は本書の白眉で、非常に感銘を受けました。梅毒という病は患者の鼻を奪うことで知られていますが、著者は「わたしの好きな英雄は“鼻なしの会”と呼ばれたロンドンのユニークなクラブについて書かれた、『ブラックウッズ・エディンバラ・マガジン』の1818年版に登場する」として、そこに書かれた「鼻のない人々が集まったところを見たいと思ったある気まぐれな紳士が、ある日彼らを酒場に招待して食事をし、その場で上記の名を冠した協会を結成した」という事実を紹介します。そして、「その紳士、ミスター・クランプトンは大勢を集めたようだ。おそらくその状況で予想されたよりも多くの人を。『人数が増えるにつれて、参加者の驚きは増していき、慣れない気恥ずかしさと奇妙な混乱を感じながら互いに見つめあった。まるで罪人が仲間の顔に自身の罪を見たかのように』」と述べます。

 

続けて、著者は“鼻なしの会”について述べています。
「彼らが罪人と呼ばれていたことは置いておいて、悩みを分かちあえる相手とついに出会えたことがどのようであったかを想像してみよう。ほとんどの人が名前を口にすることすら恐れている病気について、他人と語ることができたのだ。彼らがショックを受けたとしたら、その気持ちは理解できるような気がする。ほとんどの人が、鼻がないのをできるだけ隠すことに多くの時間を費やしていただろう。記事によれば、彼らはほとんどすぐに仲よくなり、冗談を言い始めた。『おれたちが喧嘩を始めたら、どれくらいで鼻血が出るかな?』『いまいましい。この30分、どこを探しても見当たらない鼻の話をするのか』『ありがたいことに、おれたちには鼻はないが口はある。テーブルに並んだごちそうに対しては、いまのところ一番役に立つ器官だ』」

 

“鼻なしの会”について、著者は「楽しそうな集まりだ。鼻がなくても、ユーモアのセンスはある! わたしは普通なら絶望するときに、ジョークを言える人が好きだ。それに、これは梅毒患者が人間でない(天才が作った怪物かただの恐ろしいもの)ように描写されていない最初の記録かもしれない」と書いていますが、この箇所は涙が出るほど感動しました。というのも、わたしはグリーフケアを研究・実践しています。グリーフには死別をはじめ、名誉や仕事や財産などを失うこと、そして身体的喪失にも伴います。顔の中心である鼻をなくすというのは、どれほどその人に絶望を与えたことか。想像することすら難しい絶対的な絶望と言えます。しかも、鼻を奪った梅毒が代表的な性病であることは、当人の名誉も傷つけたことと思います。おそらく“鼻なしの会”のオリジナルな英語名は、“NO NOSE CLUB”ではないかと思いますが、このギリギリのユーモアがグリーフケアにおいて大きな力を発揮したのではないでしょうか。かつて、性病で顔の中心を喪失するという巨大な悲嘆を与えられた人々を救おうとした試みがあったことに、わたしは心の底から感動しました。

 

梅毒によって鼻を失った人々は、世間に人々から大変な侮辱を受けたことと推察されますが、著者は「治療法が見つかっていない病気に感染した人を侮辱するのは、現代でもよくあることだ。ひとつには、その人たちは自分とは違うと思いたいからだ。その人たちはどうにかして自ら病気を招いたと思いたいのだ。だが、病気に考えはなく、賢明にも世界の悪人を選んで殺したりしない。病気やその患者と距離を置けば置くほど、予防について学んだり、治療のための資金を集めたりするのは難しくなる(怪物のような人しかかからない病気を治したいとは思わないだろう)。病人をその苦しみが認識できる形で描写するだけでなく、勇敢で、冗談が言えるユーモアのある人間として描くことで、自分たちとなんの違いもないと思える」と述べています。



20世紀には、二度にわたる世界大戦が怒りましたが、パンデミック(感染の世界的大流行)も発生しました。「スペインかぜ」では、1918年から流行しはじめたスペインかぜが多くの人間の生命を奪い、多くの死体を出現させたことが紹介され、「馬車がフィラデルフィアの通りを走りまわって、歩道で腐敗している死体を集めた。14世紀に逆戻りしたのかと不思議に思うかもしれないが、パンデミックが起こると決まって棺の需要が急増し、価格が高騰するのだ。人々は棺を盗むようになった。子どもの死体はマカロニの箱に詰めこまれた。マカロニの箱はいまより大きかったのだ。政府は葬儀に補助金を支給しなかった。ウッドロウ・ウィルソンマルクス・アウレリウスほど賢明ではなかったから。たとえ自分で棺を作れたとしても、葬儀屋は死体に触れようとしなかったので、家族が愛する者を自分の手で埋めなければならなかった――埋葬できるほど健康な家族がいればの話だが。フィラデルフィア市民は玄関先で、司祭が運転する慈善死体搬送トラックが死体を集めに来るのを待った。死体が山積みになった無蓋のトラックが通りを走っていた。10月のあいだにフィラデルフィアで1万1000人の死者が出て、トラックが何周もした」と述べています。

 

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

 

 

「エピローグ」では、著者は以下のように述べています。
「深く失望したときは、シュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』(1942年)のお気に入りの一節を思いだす。ツヴァイクナチスから逃げて亡命生活を送っていたとき、次のように述べた。『われわれが今日、心を打ち砕かれ、狼狽し、半ば目の見えない状態で手探りしている恐怖のどん底からさえも、わたしはふたたび幼少時代の古い星座を見上げ、いつかはこの退歩も前へ、上へと向かう進歩の永遠のリズムの中休みとなるだけだと考えて自らを慰める』誤りはわたしたちがもっと強く賢く、よくなる道のりの合間の退歩にすぎないと信じるしかない。わたしたちはさらにうまくなる。すべてに関して。その“すべて”のなかに、病気と闘うことも含まれている」

 

昨日の世界〈2〉 (みすずライブラリー)

昨日の世界〈2〉 (みすずライブラリー)

 

 

そして、著者は「わたしたちはもっと思いやりを持てると信じている。もっと賢く闘えると。わたしたちの本性は臆病でもなければ、憎しみに満ちてもおらず、隣人を残酷に扱ったりしないと。わたしたちはみんな親切で賢く、勇敢だと。そのような本能に従う限り、恐怖に屈することも、非難に流れることもなく、病気や、病気に伴う汚名に打ち勝つことができると。人間同士ではなく、疫病と闘えば、わたしたちは病気を打ち負かすだけでなく、その過程で人間性を保てるだろう。前へ、上へ進もう」と述べるのでした。新型コロナウイルスと闘う今のわたしたちに向けられたような言葉です。

 

「訳者あとがき」では、鈴木涼子氏が「14世紀にヨーロッパで腺ペストが流行したとき、人々はユダヤ人が井戸に毒を盛ったせいだという誤った認識によってユダヤ人を虐殺した。ストラスブールでダンシングマニアが発生したときは、地域社会の人々が力を合わせて病気を治癒する方法を考案した。梅毒患者が社会ののけ者とされた時代に、鼻なしの会と呼ばれる互助会を設立した人物がいた。悪臭によって病気が発生するという瘴気説を覆し、コレラの原因を突きとめることができたのは、ジョン・スノウによる根気強い調査研究のおかげだ。ダミアン神父は島に隔離されていたハンセン病患者たちとともに暮らす道を選び、彼らに生きがいを与えた。第一次世界大戦中にスペインかぜが発生したとき、国家の隠蔽工作によって流行が拡大した。ポリオを撲滅できたのは、ルーズベルトの導き、ジョナス・ソークの献身、そして国民のボランティア精神の賜物である」と述べています。本書の内容の見事な要約です。

 

そして鈴木氏は、「本書に登場する英雄たちは、病気を無視したり、病人を侮辱したりせず、勇敢に立ち向かった。過去に病気とどのようにして闘ったかを知ることが未来に役立つ。何より、病人を悪者扱いせず、病人と病気を切り離して考え、病気を全人類の敵と見なすことが大切だと著者は言う。わたしたちは乗りきった病気の存在を忘れ、予防接種もおろそかにし、疫病に対してますます脆弱になっているかもしれない。本書は過去から教訓を学び、二度と同じ過ちを繰り返さないための大きな助けとなるだろう」と述べるのでした。感染症の歴史についての本はたくさん読んできましたが、本書は軽薄な文体の箇所もあるにせよ、非常にライトな感覚でリーダブルであり、「感染症の世界史」をエンターテインメント仕立てにしたような印象の良き読み物でした。

 

世界史を変えた13の病

世界史を変えた13の病

 

 

2020年5月31日 一条真也

『疫病と世界史』

疫病と世界史(上下合本) (中公文庫)

 

一条真也です。
29日、東京都が確認した新型コロナウイルスの感染者数は22人。20人を超えるのは、今月14日以来だそうです。「東京も大変だな」と思っていたら、第2波が襲来したとされる北九州市では、なんと26人でした。参りました。
『疫病と世界史』上・下、ウィリアム・H・マクニール著、佐々木昭夫訳(中公文庫)をご紹介いたします。1974年に書かれた本ですが、翌75年に黒死病の伝播について訂正されています。著者は1917年カナダ・ヴァンクーヴァ生まれ。シカゴ大学歴史学を学び、1947年コーネル大学で博士号取得、同年以来、長い間シカゴ大学歴史学を教えました。現在では引退し、コネティカット州のコールブルックに在住しています。シカゴ大学名誉教授。著者の本を読むのは、ブログ『世界史』で紹介した名著以来です。 

f:id:shins2m:20200513150339j:plain上巻の帯

 

上下巻ともにカバー表紙には骸骨が描かれ、上巻の帯には「今ここにある危機を乗り越えるために」「『世界史』のマクニールが解き明かす」「感染症と人類の攻防」「紀元前500年から期限1200年まで」と書かれています。
上巻のカバー裏表紙には、「アステカ帝国を一夜にして消滅させた天然痘など、突発的な疫病の流行は、歴史の流れを急変させ、文明の興亡に重大な影響を与えてきた。紀元前500年から紀元1200年まで、人類の歴史を大きく動かした感染症の流行を見る。従来の歴史家が顧みなかった流行病に焦点をあてて世界の歴史を描き出した名著。(全二巻)」との内容紹介があります。

f:id:shins2m:20200513150359j:plain下巻の帯

 

下巻の帯には、「現代までの感染症の歴史」「人類は、いかに克服したか」「疫病に焦点をあてたマクニールの世界史」「期限1200年以降」「巻末に『中国における疫病』を付す」と書かれています。下巻のカバー裏表紙には、「かつてヨーロッパを死の恐怖にさらしたペストやコレラの大流行など、歴史の裏に潜んでいた『疫病』に焦点をあて、独自の史観で現代までの歴史を見直す名著。紀元1200年以降の疫病と世界史。『中国における疫病』を付す。詳細な註、索引付き(全二巻)」との内容紹介があります。

 

本書の「目次」は以下のようになっています。

上巻

「謝辞」
「序」
「序論」

第一章 狩猟者としての人類

第二章 歴史時代へ

第三章 ユーラシア大陸における
               疾病常生地としての各文明圏の間の交流
               紀元前500年から紀元1200年まで

「原註」

下巻

第四章 モンゴル帝国勃興の影響による疾病バランスの激変
               紀元1200年から1500年まで

第五章 大洋を越えての疾病交換
               紀元1500年から1700年まで

第六章 紀元1700年以降の医学と
       医療組織がもたらした生態的影響

付録「中国における疫病」

「原註」
「訳者付記」
「文庫版訳者付記」
「索引」



「序」では、今日の飛行機による旅行が、疾病の均質化の過程を加速させ続けているとして、著者は「その意味するところは、あるひとつの新しい、そして特に適応のうまくいった感染症が出現すると、それはまたたく間に地球全体に広がるということだ。インフルエンザ・ウイルスはそうした性質を持ち、ほとんど毎年新しい変種を進化させているから、まさに典型的と言えるが、ほかにも普通はまだ同定されていないウイルスが沢山あって、われわれ人類を絶え間なく苦しめている。ヒトの(そしてヒト以外の)疾病が異常なスピードで進化しつつあるのは明らかで、その理由は単に、われわれ人類の行動の変化が、異なる系統の微生物間の交雑をかつてないほど容易にしているということであり、一方、奔流のように次から次へと生み出される新しい医薬品そして殺虫剤の、厳しく様々に変化する攻撃を受けて、感染微生物の側も存亡の危機にあって抵抗を続けているということである」と述べています。

 

著者によれば、植物も動物もこの疾病均質化の過程をわれわれ人類と共にしているといいます。おそらく、各地の野生動物のポピュレーション(訳註 ひとつの種の生物の群れ。また群れに属する個体の総数)が最も危険にさらされているのだろうと推測しています。その理由は簡単で、「スピードを増し激化している地球大的な人間の往来がもたらすいくつかの感染症に、彼らは今まで出遭ったことがないから」です。その他にも、部分的にあるいは完全に人間の活動によって生息地に様々な変化が生じ、野生の動植物のポピュレーションに影響していますが、著者は「すべてをひっくるめて言えるのは、孤立した多くの種の大量絶滅という事態であり、長い年月の間にその結果がどうなるのか、われわれには予見することが出来ない」と述べています。

 

そして、著者は「われわれは依然として地球のエコシステムの一部であり、食物連鎖に参加し、それゆえ、様々な植物や動物を殺して喰らい、一方われわれの身体は、多種多様の寄生生物に対し、食い物に満ち溢れた沃野を提供している。地球のエコシステムにいかなる変化が起ころうとも、人類のこの本質的条件は変わらない。たとえわれわれの知識と行動が進歩して、病気の発生を防ぎ、食べ物の種類が豊かになろうとも関係ない」と述べるのでした。



「序論」では、「若干の基本概念」として、著者は以下のように述べています。
「疾病や寄生という現象は、生物界全般にわたって、重要な役割を演じている。ある生物体にとっての食物獲得の成功が、そのままその宿主にとっては、いまわしい感染あるいは発病を意味するのである。そしてあらゆる動物が食物を他の生物に依存している。人類も例外ではない。食物の獲得という問題と、これまで人類の共同体が採ってきた種々様々なその方法とは、経済史でおなじみの題目である。ところが、どうすれば他の生物体の食物にされないですむかという問題はそれほどなじみ深いとは言えない。それは要するに、人類はごく初期の段階で、ライオンやオオカミなどの大型肉食動物を恐れなければならない理由が、あまりなくなってしまったからである。にもかかわらずわれわれは、大部分の個々の人間の生命を、病原体による微寄生と大型肉食動物による巨寄生のはざまで、辛うじてつかの間の無事を保っているに過ぎない存在として捉えることができる。そしてこの後者の代表格は、古来一貫してほかならぬ人間仲間に決まっていた」

 

病気とは何か。それは社会的・歴史的産物としての概念であると見る著者は、「言葉が社会的・歴史的産物であるように、広い意味で病気という概念そのものもそうなのである。昔の聖者の中には、今日のアメリカ人が出会ったなら精神病院に送り届けてやりたくなるに違いないような人物も、歴史の記録に無数に見出せる。逆に、近眼とか嗅覚の鈍麻とかいうことは、われわれにとってはいくらでも健康と両立し得るけれども、狩猟人だったわれわれの先祖たちならおそらく致命的な障害と判断したに違いない。だが、このような多様性にもかかわらず、病気の概念には普遍的な硬い核のようなものがある。身体的不調のために期待された仕事ができなくなった人間は、常に仲間から病気と見なされるだろうということである。そしてこの身体的不調の多くが、寄生生物との遭遇から生じる」と述べています。



第一章「狩猟者としての人類」では、アフリカで猖獗をきわめている蠕虫や原生類の寄生生物の多くは、免疫反応を生じさせないことが紹介されます。血液中に抗体を形成しないのですが、この事実は、きわめて精妙で自律的な生態的バランスが保たれることを可能にするとして、著者は「つまり、ヒトの数が増えると感染の度合いも高くなる。人口密度が高くなるに従って、寄生体が宿主から宿主に移動する機会が増大するのだ。そこで、ある決定的な限界を突破すると、感染症は奔流のように過剰感染となって爆発する。こういう、疫病の名に値するような状況は、通常の社会活動を阻害する。慢性の疲労、身体の痛み等の症候は、共同体全体に広がった場合、食物の獲得とか、出産、子育てなどの活動に重大な障害となる。これは直ちに人口の減少を招き、やがて、その地域の人口密度は、過剰感染が発生する危険度以下に低下してしまう。その後、この感染症に侵されない元気な個人が増えるにつれて、人間社会は活力を取り戻し、食物獲得やその他の活動が以前の通り繰り返され、やがて別な感染症が力を振るい始めるか、人口密度が危険な一線を突破して過剰感染が再発するまで続く」と述べています。



人類は地球上で覇者となりましたが、このように、一種類の大型動物が地球全体に展開するということはそれまで一度もなかったとして、著者は「人類がこの離れ業をなし遂げたのは、大幅に異なる種々様々な自然環境のもとで、熱帯生まれの生物たる彼らが生存できるような、ミクロの環境を作り出すことを覚えたからである。各種の衣類と家屋の発明ということがその秘訣で、これが極端な気候から人体を隔離し、氷点下での生存さえ保障したのだ。言葉を換えて言えば、様々な環境に対処する文化的適応と発明が、生物的適応の必要度を軽減してしまったわけである。そこで、地球上の陸地の主要部全体を通じて、生態系のバランスのうちに、破壊性をその本質とし、かつ変動してやまないひとつの重大な要素が導入されることになった」と述べるのでした。



第二章「歴史時代へ」では、著者は以下のように述べます。
「ちょうどよい程度に病気にかかった社会、つまりウイルスとバクテリアによる感染症が風土病として恒常的に根を下ろし、絶えず感受性のある個体に侵入して抗体を形成し続けるといった社会は、単純にして健康な社会と対比するとき、疫学的に言ってこれまた恐ろしく強力な存在なのである。それゆえ、強大な軍事的政治的組織を拡大してゆくことになるマクロ寄生は、バクテリアとウイルスによるミクロ寄生と合した時、ヒトのポピュレーションが生み出す生物学的防衛機能を、有力な援軍として持っていると言える。要するに、戦争と疫病には単なる比喩以上の深い関係があるのであり、悪疫はしばしば軍隊と共に、あるいは軍隊のあとに付いて行進したのだ」

 

著者によれば、旧世界の主な文明のすべてが、都市文明の発生期から紀元前500年までの間に、それぞれ独自の、ヒトからヒトへうつる感染症のひとそろいを備えてしまったということは、記録上のあるいは考古学上の決定的証拠は欠くものの、確実と思われます。そして著者は、「生活用水を通じて、あるいは昆虫を媒介とし、また直接の皮膚の接触等によってうつる感染症も、住民が密集した都市、それにかなりの人口密度の近郊農村地帯に、大規模に広がっていた。このように、病気に侵されていると同時に病気への抵抗力をもっている文明圏の住民は、それほどの恐ろしい感染症群に馴れていない隣人たちにとって、生物学的に危険な存在だった。この事実のおかげで、文明圏の住民は、おのれらの領土の拡張を、その条件が無かったと仮定した場合に比べ、はるかに容易に実行することができた」と述べるのでした。



第三章「ユーラシア大陸における疾病常生地としての各文明圏の間の交流」では、2世紀のローマに起こった疫病について言及しています。ローマにおける疫病の突発は、決して史上初めての事件ではないとして、著者は「リヴィウスは、共和制時代に、紀元前387年のそれを皮切りに少なくとも11回の悪疫の災厄があったことを記している。紀元65年にもローマ市は悪疫に見舞われた。だがそれらの体験も、紀元165年からローマ帝国全域に広がった疫病の前には色褪せる。これは、最初メソポタミアでの軍事行動から帰還した軍隊によって地中海世界にもたらされ、その後数年のうちに全帝国に伝播した。この悪疫の正体は、天然痘あるいはその祖型ではないかとこれまでしばしば言われてきたが、実際のところ、例によって、現存するどんな病気にも当てはまらない。そして、少なくとも15年間猖獗を極め、毎年毎年異なる地方に突発し、時には、かつて一度侵した都市に舞い戻ってくることもあった」と述べています。



また、著者によれば、ローマ帝国の境界内で継続的に人口が減少していった理由のひとつは、重大な未知の悪疫の発生・流行が繰り返されたことであるといいます。「その規模において、紀元165~180年のアントニヌス朝時代の疫病と完全に比肩し得る新しい流行が、251年から266年にかけてローマ世界を襲った。この時の方がローマ市で報告された死亡数ではむしろ多い。最盛期には1日5千人が死んだとされている。そして、地方の人口が受けた打撃は、前の大流行の際よりもむしろ大きかったと信ずべき理由がある」というのです。



ここで、著者はきわめて重要なことを述べます。
繰り返される蛮族の侵入、それに伴う都市の荒廃、職人たちの地方への逃散、読み書きのわざを含めて様々な技術の衰微、国家行政機構の崩壊――、これらが、西ヨーロッパにおけるいわゆる暗黒時代の、誰でも先刻御承知のしるしであることは明らかですが、時を同じくして、キリスト教の発展と確立が、旧来のもろもろの世界観を根底から一変させることになったというのです。著者は「キリスト教徒が同時代の異教徒に対して持っていたひとつの大きな強みは、悪疫の荒れ狂っている最中であろうとも、病人の看護という仕事が彼らにとって自明の宗教的義務だったことである」と重要な指摘を行います。



このキリスト教の宗教的義務について、著者は述べます。
「通常の奉仕活動がすべて絶たれてしまった場合には、ごく基本的な看護行為でも致死率を大きく引き下げるのに寄与するものである。例えば食べ物と飲み水を与えてやるだけでも、体が衰弱していて自力ではそれを手に入れることができず、空しく死を待つほかなかった病人を、快方に向かわせることが大いにありうるのだ。そして、こうした看護によって一命を取り留めた者は、以後、自分の命を救ってくれた人びとに対する感謝の思いと温かい連帯感を抱き続けるであろう。だから、災厄的な疫病は、ほとんどすべての既存の諸制度が信用を失墜したまさにその時代にあって、キリスト教の教会を強化する結果をもたらした。キリスト教徒の著述家たちはこの力の源泉をよく意識していて、異教徒が病人を避け無情にも見捨てて逃げる悪疫流行の日々に、キリスト教徒がいかにお互い同士助け合ったかを誇らしげに記している」



さて、当時の数世紀間におけるローマと中国の歴史には、さまざまな類似の現象が見られるとして、著者は「中国の帝国行政機構は220年漢王朝の滅亡とともに崩壊した。大草原からの蛮族の侵入と統治の細分化がそれに続き、4世紀には中国の北方諸州の覇権を争って16もの群小国家が対峙した。この極度の政治的分割状況と時を同じくして、317年における天然痘とはしか、あるいはそのいずれかの中国への到来と推定される出来事があった」と述べています。また、宗教史の面でも、ローマと中国の間には驚くべき並行現象が見られるとして、「仏教は1世紀に漢帝国に浸透し始め、間もなく高い階層に信者をどんどん増やしていった。仏教が宮廷内の諸集団において公的な支配力を持ったのは、3世紀から9世紀にも達する長い期間だった。明らかにこれは、まさに同じ時期、ローマ帝国においてキリスト教が勝ち得た成功と並行している」と指摘しています。

 

さらに、仏教について、著者は以下のように述べます。
キリスト教と同様、仏教も、現世の苦しみを人びとに対して納得いくよう説明することができた。中国に根付いた形の仏教は、近親の多くを失って生き延びた人びとや暴力と病気の犠牲者に対して、ローマ世界のキリスト教と同様の心の慰めを与えたのであった。言うまでもなく仏教はインド生まれの宗教だが、インドという国は、もっとおだやかな気候帯に位置する諸文明と比較すると、病気の発生率が極度に高かったはずである。そしてキリスト教も、寒冷の人口希薄な土地に比べれば常に感染症の発生が著しかったイェルサレム、アンティオキア、アレクサンドリアなど大都市の環境において形成された。つまり、そもそも誕生の当初から、この2つの宗教はともに、病気による突然の死を人間の生の重要な事実のひとつとして扱わねばならなかった。そこで、両者ともに死を苦しみからの解放と説き、死こそ、祝福された者だけが集まり地上で受けた不当な仕打ちや苦痛が充分に償われる至福に満ちた死後の世界への、喜ばしき入り口であると教えたのは、なんら驚くに当たらないのだ」



では、日本ではどうだったのでしょうか。
日本列島は13世紀になって、中国のそしてその他文明世界の疾病パターンに、ほぼ追いつきました。しかし、それに先立つ600年もの間、繰り返される疫病流行のために日本は、世界のもっと人口密度が高くまたあまり孤絶していない場所に比較して、恐らくずっとひどい被害を受けたとして、著者は「列島の人口が、天然痘とはしかというような恐るべき殺戮者を恒常的な小児病として根付かせてしまうだけの規模に達する以前には、この2つあるいはそれ以外の似たような感染症はほぼ1世代ごとに到来し、繰り返し日本の人口に深い傷を与え、列島の経済的・文化的発展を根底から阻害したのであった」と述べています。



第四章「モンゴル帝国勃興の影響による疾病バランスの激変」では、地上で最も古く、また最も広く偏在している細菌である結核菌について言及されます。結核感染の危険は、人類の出現よりはるか以前から存在していたとして、著者は「石器時代やエジプト古王朝時代の人骨も、結核に侵された痕跡を残すことが、調査の結果分かった。もっとも、肺結核に侵されていた証拠となると、ことの性質上きわめて乏しいのは当然である。現代の諸条件のもとでは、都市的環境が結核菌の伝播に最も好都合である。見知らぬ他人同士が頻繁に接近し、咳やくしゃみで感染が人から人へと移行しやすいからである。もちろん、町という存在は西ヨーロッパで1000年ごろから次第に重要性を増していたが、14世紀よりかなりあとになっても、ヨーロッパ大陸のあらゆる地方で、町の住民が人口に占める割合はごく低かった。だから中世に町が発展した事実は、ハンセン病が肺結核に取って代わられたという推定を説明するには、まるで不充分なのである」と述べています。



興味深かったのは衣料についてのくだりです。
黒死病の大流行の後、ヨーロッパ人の間で感染の道筋を変えた病気は、1つではなく2つありました。その原因について、著者は「皮膚と皮膚の接触が生じる度合いは、住民一般とくに貧しい階層が衣類と燃料を充分に手に入れることができるかどうかに、大きく左右される。冬に暖かい衣料が無く、居住空間を暖める燃料にも事を欠く場合、体の熱を保つ唯一の方法は、特に冬の夜、皆がかたまって体を密着させ合うことしか無い。13世紀に西ヨーロッパの多くの地方で森林がひどく乏しくなったとき、農民が冬の夜の厳しい寒さを生き延びるには、これがただひとつ残された尋常な手段だったであろう」と述べています。

 

ところが、14世紀に大勢の人間が死んだため、1400年には、1300年に比べ同じ地理的スペース内で生命を保つ手段を見出さなければならなかった人は、40パーセントも減っていました。著者は「平均すればこの事実は、木材と羊毛がそれだけ多く出回るようになったことを意味する。さらに、気候が寒冷化して14世紀にははっきり冬の気温が下がったので、体を寄せ合うくらいでは体温を維持するに足りず、13世紀の暖冬のころよりもはるかにちゃんとした衣類を身に付けなければならないことになったのだ」と指摘しています。

 

さらに、著者は衣料と疫病との関係について述べます。
「毛織物の供給が増えたことは、一面、シラミと南京虫にとってまことに好都合だったろうから、発疹チフスのような病気が蔓延しやすいことになった。発疹チフスは1490年、ヨーロッパ各国の軍隊に大きな打撃を与える形で初めて出現したと見られている。もうひとつの大事な副産物は新しくたしなみの観念が生まれたことで、誰もが常に体の大部分を覆って生活しなければならなくなった。周知のように、16、17世紀には、新教国と旧教国とを問わずあらゆる国でピュリタン的風潮が一斉に強まり、性も他の肉体的機能もできるだけ隠蔽することを目指すようになった。これは裸体を隠すに足るだけの衣服が貧困者にも行き渡り得ることを前提とする。このような運動がしきりに進められたということ自体、1347年以後のヨーロッパで衣料が事実豊かになったに違いないという筆者の最初の推定に対する、間接的ではあるが有力な証拠なのだ」



ヨーロッパはペストによって大混乱に陥りました。時と共に、大混乱は次第に鎮静していきましたが、それでも、ヨーロッパ全体の文化と社会に、2つの大きな価値の転換が生じたことがはっきり認められました。それは絶えず更新される恐るべきペスト体験と深い関連を有するとして、著者は「ペストが猖獗を極めているときには、完全な健康を保っている人物が24時間も経たないうちに悲惨な死を遂げてしまうということはざらにあった。このことは、世界の神秘を説明しようとする人間のいかなる努力をも、疑わしいものとするに足りた。トマス・アクイナス(1225~74年)の時代を特徴づける主知的神学への信頼は、このような試練に耐えて生き延びることができなかった。気まぐれで説明のつかぬ破滅をも視野に入れた世界観だけが、ペストの冷厳な現実と両立し得た。常に一部の少数者の間でのことではあったが、刹那的享楽主義、また諦観的ないくつかの異教の哲学の復興は、共に当然の反応だった。だが、それよりずっと一般的かつまともとも言えたのは、澎湃として起こった神秘主義の潮流で、これは、説明も予測もできぬ、深刻で純粋に私的なやり方で神との霊的合一を目指すのである」



それから、儀式も大きな役割を果たしました。
教会の既存の儀式と聖礼典の手法は、前代未聞のペストの出現に対処するにはあまりに不充分で、むしろ信仰心をぐらつかせる結果を広げるほどだったとして、著者は「14世紀には大勢の僧侶が死んだ。そして後継者たちはまだよく訓練されていず、しかも彼らが相手にしなければならなかった群衆は、公然と敵意をむき出しにしてくることこそなくとも、これまでになく冷笑的になってしまった連中だった。ペストが或る人間を斃し他の者を見逃すその不条理のうちには、神の正義など到底求むべくもなかった。秘蹟によって神の恩寵を授ける通例の儀式は、たとえ聖別された高僧が生き残っていてそれを執り行った場合でも、高致死率の感染症と突然の死の統計学的気まぐれには、心理的にとても釣り合いの取れるものではなかった。もちろん、反教権主義はキリスト教のヨーロッパで何ら新しいことではなかったが、1347年以降、これはより公然とまた広い範囲に浸透してゆき、後代のルターの成功を準備するひとつの要因ともなった」と述べています。

 

儀式論

儀式論

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: 単行本
 

 

拙著『儀式論』(弘文堂)において、わたしは儀式の役割について、不安定な「こころ」に「かたち」を与えて安定させることだと訴えましたが、本書を読んで疫病流行の際にも儀式が大きな意味を持ったことを知りました。
すなわち、著者は「致死率の高い悪疫の繰り返しにも心理的に充分対抗できるだけの式次第とシンボルが出来上がったのは、主として対抗改革運動の時代に入ってからだった。聖セバスティアヌスは、初期キリスト教の数世紀間に、昔のアポロ神の属性の多くを既に身に集めていたが、ペストの予防を目的とするカトリックの儀式では聖セバスティアヌスへの祈りが中心となった。矢に射抜かれた瀕死の聖人は、その死がペスト感染の見えざる矢による死の象徴とされ、宗教芸術でも描かれることが多くなった。もう1人重要な聖人は聖ロクである。彼は聖セバスティアヌスとは全然違う性格の聖人で、公的な慈善行為と看護活動のお手本であり守護聖人だった。そうした行いは、ペストに曝されることの最も多い地中海ヨーロッパの諸都市で、ペスト流行の打撃を和らげるものだったのだ」と述べるのでした。



儀式を重んじるのは宗教の信仰者が代表的です。
彼らは聖地を訪れる「巡礼」という行為も重視します。第六章「紀元1700年以降の医学と医療組織がもたらした生態的影響」では、巡礼という行動は疫病の流行を引き起こす点で戦争と同列であるとして、著者はこう述べています。
「病気は神慮によるとする教義は、病気を避けようと意識的に用心するのは神の御意志を妨げる不敬な行為であるという解釈を導きやすい。それにもともと、巡礼の旅に出ることの意義は、聖なるものを求めて敢えて危険を冒そうとするにあった。途中で死ぬとすればそれは神慮であり、斃れた巡礼を神は地上の生の苦しみから救い出され、御許へと運ばれるのである。こうして、病気と巡礼は心理的にも疫学的にも相補うものとなる。戦争についても同じことが言えよう。そこでは、自分にせよ敵にせよ突然の死を遂げることが、そもそも事が起こされた目的の中心なのだ」

 

こうして、習俗や信仰には、人間の共同体を病気から守ってくれそうなものが一方にあれば、他方には病気の突発を招来し接触させるたぐいのものもあるといった具合でしたが、ごく最近まで、医学の理論と治療法はこの矛盾し錯綜した行動様式の編み目にぴったりと納まっていたといいます。「つまり、或る療法は効果があり、或るものはなんの効果もなく、また或るものは、熱病に対して広く行われた瀉血のように、ほとんどの患者にとって害を与える一方だった。民俗的な方法と同じで、医学理論もひたすら経験主義的かつ極度に教条主義的だった。わずかばかりの有名な書物に記載された教義が、動かすべからざる権威あるものとして扱われた」と、著者は述べます。ヨーロッパとイスラム世界におけるガレノスとアヴィケンナ、インドにおけるチャラカがそれであり、中国では、数人の著者の書物が正典としての地位を分けあっていました。実際の経験によって得られた知識も、そうした理論に合わせて解釈され、治療が施されたのです。

 

わたしは儀式の研究が専門なので、どんな本を読んでいても、そこに関心が集中するのですが、本書にも儀式に言及しているくだりが多々ありました。1700年以前の何世紀もの間、中国を初めとするアジアの各地で種痘が人口増に大きく影響していたとしても、それは飽くまで民間の習俗に属する事柄であり、人類が到る所で作り出し、素朴かつ巧妙な多種多様の神話で正当化してきた衛生上の習慣や規則と同類だったとして、著者は「当然ながら小アジアの民間療法でも、ヨーロッパ人が研究し始めるころまでには、人痘種痘という単純な施術にさえ一連の神話と祭儀がたっぷり付着していた。種痘を受ける人物は天然痘を購う者であるとされ、取引きを有効にするため、種痘を施す人物に祭儀的な贈り物をしなければならなかった」と述べているのです。

 

また、種痘は親指と人差し指の間に施したのでその痘瘡ははっきりと誰の目にも見え、その人物は以後、一種の儀礼通過者として遇されることとなったとして、著者は「儀式全体は一種の演じられた商取引きの観を呈したというが、民衆レベルで種痘の普及したのが隊商のメンバーを通じてだったということは、誰でも容易に理解できよう。隊商を組む貿易商人たちは、天然痘への防御ができていればはっきり有利だったからである。だから、種痘が普及していった地方では、彼らが最初まずそれを耳にし、自ら試み、隊商交易が長距離通商の主な形をなしていたユーラシアとアフリカの各地に、民間療法としての種痘を広めていったであろうことは、容易に想像できる」と述べています。



今回の新型コロナウイルスによるパンデミックにおいては、WHO(世界保健機構)が重要な役割を果たしていますが、本書はWHO誕生に至る歴史にも言及しています。正式で公的な性格の国際医療組織の創設は1909年にさかのぼります。「国際公衆衛生局」(International Office of Public Hygiene)がこの年パリに設立され、ペスト、コレラ天然痘発疹チフス、黄熱病の発生を監視することになったのです。「衛生局」はまた、ヨーロッパ諸国に共通の衛生規定や隔離検疫制度を決定しようとしました。さらに、20世紀の2度の大戦の間に、国際連盟は保健部門を設けました。そこではいくつかの特別委員会が、マラリア天然痘ハンセン病、さらに梅毒などの世界における発生状況について討議しましたが、この時期のもっと大きな成果は、ロックフェラー財団によるマラリア・黄熱病制圧の事業でした。その後1948年には、新たにもっと野心的な「世界保健機関」WHOが設立されました。著者は、「国連当局の大きな援助を受けてWHOは、世界のいかなる発展途上の地域といえども、その地方の行政当局が協力を惜しまない限り、最新の医学の恩恵に浴させる仕事を開始した」と述べています。



さらに、過去2、3世紀間の真に驚くべき成果を考えれば、予期しなかった飛躍的進歩が再び実現し、現在考え得る限界を超えて可能性の幅を広げるということが、起こらないとは決して言えないとして、著者は「いつの日か、産児制限による生の統制が死の統制と見合うようなことになるかも知れず、そうなれば、人間の数と資源との間の安定した均衡が見えてくるかも知れない。だが現在のところ、また近い未来にあっても、人類は地球という惑星がいまだかつて経験したことのない巨大な生態的大変動のさなかにある。だから、遠くない過去におけると同様、ごく近い未来に予想されるものは、決して安定などではなく、ミクロ寄生とマクロ寄生の間の現存するバランスに生じる、一連の激しい変化と突発的な動揺に外ならない」と述べています。

 

そして本書の最後で、著者は「過去に何があったかだけでなく、未来には何があるのかを考えようとするときには常に、感染症の果たす役割を無視することは決してできない。創意と知識と組織がいかに進歩しようとも、寄生する形の生物の侵入に対して人類がきわめて脆弱な存在であるという事実は、覆い隠せるものではない。人類の出現以前から存在した感染症は人類と同じだけ生き続けるに違いない。そしてその間、これまでもずっとそうであったように、人類の歴史の基本的なパラメーターであり、決定要因であり続けるであろう」と述べるのでした。これは、新型コロナウイルスに苦しめられている現在の人類へのメッセージにほかなりません。

 

「訳者付記」の冒頭を、佐々木昭夫氏は「専門の医者が語るところによると、今日人びとが恐れている癌や心臓病は遠からず完全に制圧されるという。その暁に、人類が恐れねばならぬ病気はやはり疫病であり、また、人類がその叡智によって核戦争の危機を乗り越えたとしても、予想もつかぬ突然変異を遂げたインフルエンザ菌が、何十パーセントという高死亡率で人類に襲いかかる可能性は充分にある。人類の手による環境汚染もそうした変異を容易にするだろう、と」と書きだしています。

 

また、佐々木氏は「文明圏が周囲の小共同体を飲み込んで広がっていくときの大きな要因として感染症なるものに着目し、世界全体の歴史に視野を広げたのが本書である。その際、単に従来見逃されてきた歴史の一面に光を当てるというのではなく、微生物による微寄生としての感染症とともに、軍事的侵略や経済的収奪も人間による巨寄生と見、両々相まって歴史を進めていくという卓抜な創見が、本書を正統な歴史書たらしめていると言えよう」と述べて、本書を高く評価するのでした。

 

戦争の世界史(上) (中公文庫)

戦争の世界史(上) (中公文庫)

 
戦争の世界史(下) (中公文庫)

戦争の世界史(下) (中公文庫)

 

 

本書を読み終えて、いかに人類の歴史が疫病に支配されてきたかを痛感しました。マクニールには『戦争の世界史』という大著もありますが、まさに疫病と戦争は人類にとって最重要の二大テーマといえるかもしれません。しかし、戦死した人の数よりもはるかに多くの人々が疫病で命を落としたこともまた明らかな歴史的事実です。疫病の発生によって終結が早まった戦争も多く、「唯病史観」とか「史的唯病論」という言葉を思い浮かべてしまいます。すなわち、「唯病論」とでもいうべき概念が成り立つのではないでしょうか。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2017/12/25
  • メディア: 文庫
 

 

もっとも「病」は「死」に直結しているので、「唯死論」が次に控えていますが、死なない人間はいないので、問われるべきは「死」ではなく「葬」というのがわが持論です。ということで、最後は「唯葬論」に行き着くのであります。本書には古今東西の多くの疫病の記述がありますが、いずれの時代も死者の埋葬が重要な問題でした。歴史上、疫病で亡くなり、人間らしく埋葬されなかった膨大な死者がいました。現在も、人類は新型コロナウイルスの感染による死者の葬送に苦慮しています。なんとか、亡くなった方々の尊厳を守らなければなりません。本書を読み、その想いを強くしました。

 

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)
 
疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)
 

 

2020年5月30日 一条真也

『感染症の世界史』

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

 

一条真也です。
新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が全面解除されたばかりなのに、わたしの住む北九州市では第2波が襲来したと騒がれています。まことに感染症は厄介です。
このたびの外出自粛の流れの中で、わたしは自宅で多くの本を読みました。その中には感染症に関連する本も多かったのですが、最も興味深く読んだのは『感染症の世界史』石弘之著(角川ソフィア文庫)です。2014年に洋泉社から刊行された単行本を文庫化したものですが、人類の過去・現在・未来について深く考えさせられる名著でした。



著者は1940年、東京都生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞入社。ニューヨーク特派員、編集委員などを経て退社。国連環境計画上級顧問。96年より東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使北海道大学大学院教授、東京農業大学教授を歴任。この間、国際協力事業団参与、東中欧環境センター理事など兼務。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。主な著書に『地球環境報告』(岩波新書)、『森林破壊を追う』(朝日新聞出版)、『歴史を変えた火山噴火』(刀水書房)など多数。

f:id:shins2m:20200413013059j:plain
本書の帯

 

本書のカバー表紙には、清家舞氏による各種ウイルスと人間の頭蓋骨のイラストが描かれ、帯には「緊急重版」「人類と微生物の40億年にわたる闘争の歴史をたどる」「新型ウイルスの発生は本書で警告されていた」と書かれています。



またカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「地上最強の地位に上り詰めた人類にとって、感染症の原因である微生物は、ほぼ唯一の天敵だ。医学や公衆衛生の発達した現代においても、日本では毎冬インフルエンザが大流行し、世界ではエボラ出血熱デング熱が人間の生命を脅かしている。人が病気と必死に闘うように、彼らもまた薬剤に対する耐性を獲得し、強い毒性を持つなど進化を遂げてきたのだ。40億年の地球環境史の視点から、人類と対峙し続ける感染症の正体を探る」



本書の「目次」は、以下の構成になっています。

 まえがき――「幸運な先祖」の子孫たち

 序章 エボラ出血熱デング熱――突発的流行の衝撃

第一部  二〇万年の地球環境史と感染症

 第一章 人類と病気の果てしない軍拡競争史

 第二章 環境変化が招いた感染症

 第三章 人類の移動と病気の拡散

第二部 人類と共存するウイルスと細菌

 第四章 ピロリ菌は敵か味方か
     ――胃がんの原因をめぐって

 第五章 寄生虫が人を操る?
     ――猫とトキソプラズマ原虫

 第六章 性交渉とウイルスの関係
     ――セックスががんの原因になる?

 第七章 八種類あるヘルペスウイルス
     ――感染者は世界で一億人

 第八章 世界で増殖するインフルエンザ
     ――過密社会に適応したウイルス

 第九章 エイズ感染は100年前から
     ――増えつづける日本での患者数

第三部 日本列島史と感染症の現状

 第十章 ハシカを侮る後進国・日本

 第十一章 風疹の流行を止められない日本

 第十二章 縄文人が持ち込んだ成人T細胞白血病

 第十三章 弥生人が持ち込んだ結核

 終章 今後、感染症との激戦が予想される地域は?

 あとがき――病気の環境史への挑戦

「主な参考文献」 

 

「まえがき――『幸運な先祖』の子孫たち」の冒頭を、著者は「『医学の発達によって感染症はいずれ制圧されるはず』と多くの人は信じてきた。世界保健機関(WHO)が1980年に、人類をもっとも苦しめてきた天然痘の根絶を宣言したとき、そしてその翌年にポリオ(小児マヒ)の日本国内の発生がゼロになったとき、この期待は最高潮に達した」と書きだしています。ところが、天然痘に入れ替わるようにエイズが地球のすみずみまで猛スピードで拡大しました。インフルエンザウイルスも、ワクチン開発の裏をかくように次々に「新型」が生まれ、エボラ出血熱デング熱西ナイル熱といった予防法も治療法もない新旧の病原体が流行し、抑え込んだはずの結核までが息を吹き返しました。

 

微生物が人や動物などの宿主に寄生し、そこで増殖することを「感染」といいます。その結果、宿主に起こる病気が「感染症」です。「伝染病」「疫病」「流行病」の語も使われますが、現在では農業・家畜関連を除いては、公的な文書や機関名では感染症にほぼ統一されています。著者によれば、わたしたちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った「幸運な先祖」の子孫です。そのうえ、上下水道の整備、医学の発達、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、さまざまな対抗手段によって感染症と戦ってきました。

 

しかし、それでも感染症は収まりません。著者は、「私たちが忘れていたのは、感染症の原因となる微生物も、40億年前からずっと途切れることなくつづいてきた『幸運な先祖』の子孫ということだ。人間が免疫力を高め、防疫体制を強化すれば、微生物もそれに対抗する手段を身につけてきた。人間が次々と打つ手は、微生物からみれば生存が脅かされる重大な危機である。人が病気と必死に戦うように、彼らもまた薬剤に対する耐性を獲得し、強い毒性を持つ系統に入れ替わって戦っているのだ。まさに『軍拡競争』である」と述べています。

 

著者は「軍拡競争」という言葉を使いましたが、人類は遺伝子という過去の遺伝情報が詰まった「進化の化石」を解明したお陰で、この軍拡競争の実態や歴史に迫れるようになったのです。本書ではその最先端の研究成果を紹介するとして、著者は「感染症が人類の脅威となってきたのは、農業や牧畜の発明によって定住化し過密な集落が発達し、人同士あるいは人と家畜が密接に暮らすようになってからだ。インフルエンザ、SARS、結核などの流行も、この過密社会を抜きには考えられない」と述べています。

 

地球に住むかぎり、地震感染症から完全に逃れるすべはないとして、著者は以下のように述べるのでした。
地震は地球誕生からつづく地殻変動であり、感染症は生命誕生からつづく生物進化の一環である。14世紀のペストといい、20世紀初期のスペインかぜといい、感染症は人類の歴史に大きく関わってきた。今後とも影響を与えつづけるだろう。微生物は、地上最強の地位に登り詰めた人類にとってほぼ唯一の天敵でもある。同時に、私たちの生存を助ける強力な味方でもある。その絡み合った歴史を、身辺をにぎわす感染症を選んで、環境史の立場から論じたものが本書である。この目に見えない広大な微生物の宇宙をのぞいていただければ幸いだ」



序章「エボラ出血熱デング熱――突発的流行の衝撃」の1「最強の感染症エボラ出血熱との新たな戦い」では、1970年代にアフリカ大陸で流行が始まった感染症について、「病気は流行地域を流れるエボラ川から『エボラ出血熱』と命名された。致死率は5~9割というこれまで経験をしたことがない高いものだった。2004年にはロシアのシベリアにある旧ソ連生物兵器研究所で、女性の科学者が誤ってエボラ出血熱ウイルスの入った注射器を指に刺して死亡した。はからずも旧ソ連がこのウイルスを生物兵器として研究していたことが明るみに出た」と述べられています。



米国バージニア州レストンにある実験動物の検疫施設のヘイゼルトン研究所では、6人の職員に感染の痕跡がありましたが、発病はしませんでした。その後の調査でも人には無害であることがわかっています。研究所は首都ワシントンの近郊にあり、一時は「エボラ出血熱の米国上陸」として大騒ぎになりました。リチャード・プレストン著のパニック小説『ホット・ゾーン』(高見浩訳、飛鳥新社刊)はこの事件をモデルにしています。同書は、その後映画化もされました。また、フランス保健省はリベリアエボラ出血熱に感染した女性が治癒して、病院を退院したと発表しましたが、この女性の治療で認められた薬のひとつに、富士フイルムホールディングス傘下の富山化学工業が開発した抗インフルエンザ薬の「アビガン」が含まれていました。現在、新型コロナウイルスにもアビガンの効果ががあるのではないかという見方もあるようです。


ブログ「アウトブレイク」でも紹介しましたが、「森林破壊が引き出したウイルス」として、著者は「「過去のエボラ出血熱の流行の大部分は熱帯林内の集落で発生した。だが、ギニアの奥地でも人口の急増で森林が伐採されて集落や農地が広がってきた。森林の奥深くでひっそり暮らしていたオオコウモリが、生息地の破壊で追い出されてエボラ出血熱ウイルスをばらまいたのかもしれない。映画『アウトブレイク』のなかで、アフリカの呪術師のこんな言葉が引用されている。『本来人が近づくべきでない場所で人が木々を切り倒したために、目を覚ました神々が怒って罰として病気を与えた』」と書いています。



2「都心から流行がはじまったデング熱」では、最も人を殺す野生動物は「蚊」だという米国獣医学会の調査結果が紹介され、「毒蛇、サメ、クマなどを押しのけて、『10大危険動物』のトップの座を維持している。毎年100万人もの人が、マラリアデング熱、黄熱病などの蚊の運ぶ微生物によって殺されている。英雄のアレキサンドロス大王も一匹の蚊にはかなわずマラリアで死んだ。蚊を熟知していたはずの細菌学者の野口英世も黄熱病で倒れた」と述べられています。

 

また、「日本のデング熱」として、「日本では以前、第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけて、神戸、大阪、広島、長崎などでデング熱が流行し、患者は20万人にも達した。東南アジアからの復員者によって持ち込まれたものだ。当時、京都大学医学部でデングウイルスの研究に取り組んでいた堀田進さん(のちに神戸大学医学部教授)が、1943年に長崎で流行したデング熱の患者からウイルスを分離するのに、世界ではじめて成功した」と書かれています。



第一部「二〇万年の地球環境史と感染症」の第一章「人類と病気の果てしない軍拡競争史」では、その冒頭を著者は以下のように書きだしています。
「約20万年前にアフリカで誕生した現世人類の祖先は、アラビア半島で近年出土した最新の研究では、従来考えられていたのより数万年早い12万5000年前ごろアフリカ大陸を出て、アラビア半島に渡ったとする説が有力になった。その後、5万~6万年前にアラビア半島からユーラシア大陸、さらにはオーストラリア大陸や北米・南米大陸に広がっていった」



「ウイルスの重要な働き」として、著者は、ウイルスが哺乳動物の胎児を守っていることも明らかにされたことを紹介し、「胎児の遺伝形質の半分は父親に由来するもので、移植された臓器のように母親の免疫系にとっては異質な存在だ。通常なら母体の免疫反応によって胎児は生きていけないはずで、長いこと謎になってきた。拒絶反応を引き起こす母親のリンパ球は、一枚の細胞の膜に守られて胎児の血管に入るのが阻止されていた。1970年代に入って、哺乳動物の胎盤から大量のウイルスが発見された。1988年に、スウェーデン・ウプサラ大学のエリック・ラーソン博士らによって、この細胞の膜は体内にすむウイルスによってつくられたものであることが突き止められた。つまり、ウイルスは生命の本質部分をにぎっていることになる」と述べています。

 

また、「人体の防御反応」として、米国ミシガン大学ネッシーランドルフ教授(進化生物学)が、「病気の不快な症状」と忌み嫌っているものの多くが、実は進化の途上で身につけた体の防御反応であり警戒信号であることを明らかにしていることを紹介し、「発熱」「せき」「吐き気」「下痢」「痛み」「不安」といった症状の中でも、「発熱」は微生物を「熱死」させるか、患者が「衰弱死」するかの「我慢くらべ」であることが明かされます。「せき」「吐き気」「下痢」は病原体を体外に排出する生理的反応で、「痛み」や「不安」は病気の危険信号であることも明かされています。

 

人類と感染症の関係も、人が環境を変えたことによって大きく変わってきたとして、著者は「人口の急増と過密化も感染症の急増に拍車をかけている。インフルエンザ、ハシカ、水痘(水ぼうそう)、結核などの病原体のように、咳やくしゃみから飛沫感染するものにとって、過密な都市は最適な増殖環境だ。超満員の通勤電車の中で、インフルエンザ患者がくしゃみをした状況を想像してみてほしい」と述べています。

 

聖書 聖書協会共同訳 引照・注付き SIO43

聖書 聖書協会共同訳 引照・注付き SIO43

 

 

第二章「環境変化が招いた感染症」では、農業の開始によって人類が定住化し、集落が発達するのにつれて人同士あるいは人と家畜が密に接するようになったことが説明され、この結果、人と病気の関係は劇的に変わったと指摘されます。「それは古い記録からも類推できる」として、著者は「『新約聖書』『旧約聖書』や、中国やギリシャの古典、インドの宗教書『ヴェーダ』などには、さまざまな病気が登場する。たとえば、結核ハンセン病コレラ天然痘狂犬病マラリア、肺炎、トラコーマ、インフルエンザ、ハシカ、ペストと考えられる病気だ」と述べています。

 

銃・病原菌・鉄 上下巻セット

銃・病原菌・鉄 上下巻セット

 

 

「動物から人に乗り移った病気」として、著者は「人に病気を起こす病原体は2001年現在、1415種が知られている。細菌が538種、ウイルスが217種、菌類が307種、原虫が66種、寄生虫が287種だ」という、ワシントン大学公衆衛生学部の報告書の内容を紹介します。米国野生動物保護学会は、そのうちの60%までが動物を介して人間に感染する「動物由来感染症」と発表しています。このうち175種がこの半世紀間に出現した「新興感染症」(エマージング感染症)「再興感染症」(リエマージング感染症)であり、その75%までが動物由来感染症です。1万年にわたって家畜と密接な関係を持ち続けてきたことで、少なくとも、人と犬は65種類、牛と55種類、羊と46種類、そして豚と42種類もの病気を共有しているといいます。複数の宿主に感染するものも多く、米国の進化生物学者ジャレド・ダイアモンドブログ『銃・病原菌・鉄』で紹介した著書の中で、「家畜は病気の温床であり、食物生産が感染症を生んだ」と述べます。



「時代を特徴づける大流行」として、著者は「振り返ってみると、各世紀にはそれぞれの時代を背景にして、世界的に流行した感染症があった。13世紀のハンセン病、14世紀のペスト、16世紀の梅毒、17~18世紀の天然痘、19世紀のコレラ結核、20~21世紀のインフルエンザとエイズである」と指摘します。これらの感染症を研究するのが「疫学」ですが、そのはじまりについて、著者は「ロンドンの下水はそのままテムズ川に垂れ流され、濾過も消毒もされない未処理のまま市民の飲料水になった。ロンドンの病院医師だったジョン・スノーはこのとき、ロンドンでコレラが集団発生した地域を集中的に調査した。そして、特定の井戸から流行がはじまったことや、テムズ川を水源にしている利用者ほど患者が多いことも突き止め、それまで『空気感染説』が有力だったコレラが、飲み水が原因であることを証明した。1883年にロベルト・コッホコレラ菌を発見する30年も前のことだ。これが『疫学』のはじまりとされる」と述べています。



感染症は戦争と深い関係にあります。
感染症を蔓延させた戦争」として、著者は「戦争が勃発するたびに、兵士も一般市民も食料不足、不衛生などに苦しめられ、これに感染症の流行が追い打ちをかけた。とくに、軍隊は若い男性が主体の均一的な集団であり、長時間生活を共にするために感染症が蔓延しやすく、天然痘マラリア、ペスト、赤痢コレラチフス結核、インフルエンザ、梅毒、淋病、エイズなどは、軍隊で繰り返し流行が起きた」と述べています。たとえば、第一次世界大戦の総戦死者の972万人中589万人、つまり約60%が戦病死者(餓死を含む)でしたが、大戦末期には連合国軍、同盟国軍の双方にスペイン風邪の感染爆発が発生したことが大量の死者を生みました。じつに戦病死者の3分の1はスペイン風邪によるもので、戦争の継続が困難になったのです。



第二次世界大戦中には、東南アジア戦線ではマラリア、ヨーロッパ戦線では発疹チフスが流行しました。蚊やノミが媒介する感染症であり、連合国軍は殺虫剤のDDTを配備しましたが、それでも50万人の米兵が感染したといわれます。一方、日本軍は対策がなく、ルソン島で5万人以上、インパール作戦では4万人、ガダルカナルでは1万5000人がマラリアで死亡するなど、多くの犠牲者を出しました。著者は、「歴史上、戦争で死亡した将兵の少なくとも3分の1から半数は、病死だったと推定される」と述べています。

 

「環境の悪化と感染症」として、過去半世紀の間に「新興感染症」が突如として出現した中には、エイズ鳥インフルエンザ、SARSをはじめ、ラッサ熱、エボラ出血熱、マールブルグ熱など、野生生物が媒介する死亡率がきわめて高い新顔も含まれていることを指摘し、著者は「次々に新興感染症が出現したこの時期は、環境破壊が世界的に急拡大してきた時期でもある。人口の急増や経済の拡大で、森林の伐採や開墾、鉱工業の拡大、都市の膨張、大規模開発などによって本来の安定した自然のシステムが随所で崩壊した」と述べます。



第三章「人類の移動と病気の拡散」では、「感染症の世界史」というテーマを持つ本書の中で、最もドラマティックな「新大陸の悲劇」が語られます。著者はこう述べます。
「今から1万4000年ほど前、陸続きだったベーリング海峡を越えて人類が新大陸に渡ってきたとき、移動したグループはせいぜい数十人単位、多くても数百人だった。新大陸は、一定以上の人口がないと生き残れない天然痘やハシカのウイルスとは、無縁の存在だった。しかも、地理的に隔離された小集落が多く、家畜の利用もごく一部にかぎられていた。このため、ヨーロッパで流行した病気の免疫はなく、他の大陸のように家畜由来の病気が人に感染することもなかった。そこに、15世紀末になって突然に旧世界から感染症が侵入し、新大陸の先住民に対してほしいままに猛威を振るった。無防備な新大陸の先住民社会がいかに急速に崩壊したかは、コロンブスが最初に到達した島の1つであるカリブ海サントドミンゴ島の例が雄弁に物語っている」



「次々に持ち込まれる病気」として、天然痘サントドミンゴ島に上陸後、アンチル諸島を経てメキシコに伝染し、アステカ帝国を絶滅に追いやったことが説明されます。さらにはパナマ地峡から南米へと殺戮の前線を押し広げ、1525年~26年にはインカ帝国に侵入し、スペイン軍がやってきたときには、すでにインカ帝国の人口は急減し、政治基盤は崩壊寸前だったのです。天然痘の次には、1530~31年のハシカ、1546年のチフス、そして1558~59年のインフルエンザ、さらにおたふくかぜ、肺炎、チフスなどのヨーロッパからの感染症が大流行しました。著者は「これらの病気の追い打ちで、すでに天然痘の大流行で消耗していた人びとに壊滅的な打撃を与えた。1500年当時の世界人口は約5億人と推定されている。このうちの約8000万人(4000万人から1億人まで各説がある)が南北の新大陸に住んでいたとみられる。それがコロンブスの到着後わずか50年で1000万人に激減してしまった」と述べています。



今回の新型コロナウイルスの感染拡大を予言するような記述もあります。「交通発達がもたらしたSARS」として、著者は以下のように述べているのです。
「今後、どんな形で新たな感染症が私たちを脅かすのだろうか。それを予感させるのが、中国を震源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の突発的な流行であろう。この強烈な感染力を持ったウイルスは、2002年11月に経済ブームでわく広東省深圳市で最初の感染者が出た。当時、地方から多くの若者が出稼ぎのために集まってきた。広東省では、野生動物の肉、つまり『野味』を食べる習慣が根づいており、『野味市場』にはヘビ、トカゲ、サル、アザラシ、イタチ、ネズミ、センザンコウなどさまざまな生きた動物やその肉が売られている。野味市場や野味を提供する料理店で働いている出稼ぎの若者に、野生動物からウイルスが感染したと考えられる。発病すると、高熱、咳、呼吸困難などの症状を訴え、衰弱して死んでいく」



その病原体は新型のコロナウイルスであることが判明、「SARSウイルス」と命名されました。強い病原性と医療関係者への感染は、世界中を恐怖に陥れましたが、2003年3月12日にWHOが世界規模の警報を出したときには、流行は中国の広東省山西省からトロント(カナダ)、シンガポールハノイ、香港、台湾に広がっていました。結局、収束した2003年9月までに、WHOによると世界の30ヵ国・地域で8098人の感染者、774人の死亡者が確認されたのです。著者は、「元の自然宿主は当初、野味市場で売られていたハクビシンが疑われたがこれは中間的な宿主で、コロナウイルスが分離されたキクガシラコウモリ震源とみられる。だが、既知のどのコロナウイルスとも遺伝子構造が大きく異なる新しいものだった」と述べています。今回の「COVID-19」と命名された新型コロナウイルスが最初に武漢を中心に感染拡大したとき、中国当局はコウモリなどの野生動物を扱う武漢の海鮮市場で働く人に感染者が多いと発表したことは世界中で知られています。



SARSの次は、MARSが登場しました。
感染症の新たな脅威」として、著者は「人間の社会の変化のすきをついて侵入してくる病原体は、それぞれ異なった場所や時期に根を下ろし、その後は人間同士の接触を通じて新たな地域に広がっていく。もしかしたら、第2、第3のSARSや西ナイル熱がすでに忍び寄って、人に侵入しようと変異を繰り返しているかもしれない。すでにその心配が出てきた。2012年暮れから13年5月にかけて、サウジアラビアカタールチュニジアなどの中東で、SARSに酷似した呼吸器病『MERSコロナウイルス感染症』が発生した。Middle East Respiratory Syndromeの略である」と述べています。そして、SARS,MARSに続いて、COVID-19が登場し、人類社会を大きく揺るがせました。著者の予言は当たっていました。



第二部「人類と共存するウイルスと細菌」の第四章「ピロリ菌は敵か味方か――胃がんの原因をめぐって」では、「急増するアレルギー」として、「20世紀前半の日本人の三大死因は『肺炎』『胃腸炎』『結核』の感染症だった。だが、20世紀後半以後、栄養や衛生環境の改善、治療や医療制度の進歩でこれらは急激に減って、死因の上位は『がん』や『生活習慣病』に取って代わられた。つまり、感染症が退治されるのに反比例するように、アレルギーが急増してきた」と述べられます。厚生労働省の「アレルギー疾患対策報告書」(2011年)によると、花粉症を含むアレルギー性鼻炎は国民の47%以上、アトピー性皮膚炎は約10%に達した。人口の2人に1人はアレルギーという国民病になった。世界的にも増加傾向にあり、WHOは全人類の30%はなんらかのアレルギーを持っていると、「アレルギー白書」で指摘しています。著者は「皮肉なことに、感染症にかかりにくくなったら、今度はアレルギーに悩まされるようになった。両者はシーソーのような関係だったのだ」と述べています。



第六章「性交渉とウイルスの関係――セックスががんの原因になる?」は、非常にショッキングな内容でした。この章の冒頭を、「セックスはタバコなみに危険」として、著者は以下のように書きだしています。
「近ごろはタバコの恐ろしさばかりが強調されるが、セックスだってがんの原因になる。肝臓がんを引き起こす『B型肝炎ウイルス』や白血病の原因になる『成人T細胞白血病ウイルス』、エイズで有名になったカポジ肉腫を起こす『ヒトヘルペス・ウイルス8型』など、いずれもセックスでも感染してがんを引き起こす。世界保健機関(WHO)によると、世界のがんによる死亡の20%は、性交渉から感染するウイルスが原因になるとしている、タバコが原因のがん死は全体の22%とされるから、セックスはタバコ並みに危険だ」



また、若い女性に急増する子宮頸がんなどの原因となる「ヒトパピローマ・ウイルス」(HPⅤ)は性感染症のなかでもっとも感染者が多く、よく話題になる細菌性の性感染症クラミジアよりも多いそうです。著者は「米国対がん協会は『がん撲滅キャンペーンは、タバコからHPVに重点を移すべき』と提案しているほどだ。禁煙標語をもじれば、『セックスはいのちを縮める生活習慣』ということになるのだろうか」と述べます。子どもを産み、子孫を残すための夫婦の性交渉ががんの原因になるとは、きわめて深刻な問題ですね。



第八章「世界で増殖するインフルエンザ」では、中国の広東省で発見された「H5N1亜型」の鳥インフルエンザに言及し、鳥インフルエンザウイルスが変異を起こして「鶏から人へ」だけでなく「人から人へ」と伝染する事態になれば、「感染爆発」の危険性が高まってくるとして、「もしも最悪のパンデミックが発生した場合には、500万人から1億5000万人の死者が出る可能性があることを、WHOが2005年9月に警告した。近年の流行は香港亜型とソ連亜型が出現してから30年以上経過しており、過去の流行史からすると、そろそろ強烈な『新型ウイルス』が誕生しても不思議ではない。ウイルスの変異のスピードが当初の予想よりはるかに速いことを考えると、どこかに潜んで人に致命的な姿に変身できる日をうかがっているのかもしれない」と、再び今回の新型コロナウイルスの感染拡大によるパンデミックの不気味な予言が述べられています。



終章「今後、感染症との激戦が予想される地域は?」でも、背筋が凍るような予言が書かれています。「感染症の巣窟になりうる中国」として、著者は「今後の人類と感染症の闘いを予想するうえで、もっとも激戦が予想されるのがお隣の中国と、人類発祥地で多くの感染症の生まれ故郷でもあるアフリカであろう。いずれも、公衆衛生上の深刻な問題を抱えている。とくに、中国はこれまでも、何度となく世界を巻き込んだパンデミック震源地になってきた。過去3回発生したペストの世界的流行も、繰り返し世界を巻き込んできた新型のインフルエンザも、近年急速に進歩をとげた遺伝子の分析から中国が起源とみられる。13億4000万人を超える人口が、経済力の向上にともなって国内外を盛んに動き回るようになってきた。春節(旧暦の正月)前後にはのべ約3億人が国内を旅行し、年間にのべ1億人が海外に出かける。最近の12年間で10倍にもふくれあがった大移動が、国内外に感染を広げる下地になっている」と述べているのです。まさに、今年の春節で、中国人観光客が大移動したことによって世界中に新型コロナウイルスが感染拡大されました。



感染症の歴史を俯瞰すれば、人類にとっての最大の強敵が感染症であることがよく理解できます。そして、誰でも感染症のない世界を夢見ることでしょう。著者も、「病気のない世界」として、「病気のない世界は、いつの時代にあっても人類の夢だった。日本全国のいたるところに、疫病退散を祈願する神社仏閣やお祭りがあるのは、先祖たちの願望の表れであろう。その夢が今にも実現しそうな期待感も何回かあったが、あっという間に微生物は逆襲してきた。水虫、虫歯、ものもらい、にきびなど慢性的な感染症に悩まされている人も多い。私たちの祖先は、たえず人類に襲いかかる飢餓、自然災害、感染症を運良く生きのびて、現存の子孫を残すことに成功した。だが、この幸運が今後もつづいて無事に子孫を残しつづけることができるかは、保証のかぎりではない。恐竜を絶滅させたような巨大隕石の衝突、気候を一変させて人類を絶滅寸前にまで追い込んだ7万4000年前のインドネシアのトバ火山のような超巨大噴火が、いつ起こるかわからない」と述べています。



また、「膨張する感染症の温床」として、国連の将来人口予測(2013年)が紹介されています。それによると、世界人口は2050年に96億人を超えます。20世紀初めには世界の都市居住者は人口の15%にすぎませんでしたが、2008年前後には都市人口が農村人口を上回りました。2030年までに、都市人口は50億を超え、人口の70%を超えると国連は推定します。このような人口増について、著者は「人間の勢力圏の拡大につれて、森林や低湿地の破壊で野生動物の生息地は狭められ、新たな宿主を求めて人に寄生場所を変えてきた。コウモリが原因になった、西アフリカのエボラ出血熱ボルネオ島のニパウイルスの感染爆発がその好例である。人口増で食肉の生産量も増えていく。国連食糧農業機関(FAO)の予測によると、世界の食肉消費量は2010年から2050年の間に1.7倍になるという。増える家畜は、感染症の拡大や新たな病気の発生にもつながっている」と述べています。



そして、著者は以下のように述べるのでした。
「人と大きさを比べると、ウイルスは10億分の1、細菌は100万分の1でしかない。人の遺伝子が3万数千個もあるのに対し、ウイルスは多くても300個、細菌は1000~7500個ぐらいだ。地上でもっとも進化した人と、もっとも原始的な微生物との死闘でもある。ときには膨大な数の犠牲者を出す代償を払って人側が免疫を獲得し、あるいは巨額の研究費で開発された新薬で対抗すると、微生物はそれをかいくぐって新手を繰り出してくる。微生物との戦いはまだ先が見えない。『赤の女王』との追いかけっこが今後ともつづくことになるだろう」
「赤の女王」とは、ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物です。彼女が作中で「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」と発言したことから、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられています。



「あとがき――病気の環境史への挑戦」で、著者は「人は病気の流行を招きよせるような環境をつくってきたが、今後ますます流行の危険は高まるだろう。というのも、日本をはじめ世界各国が、歴史上例のない人口の集中化と高齢化の道を突っ走っているからだ。両者は感染症流行の温床である。これから感染症流行のさらなる「二次災害化」も進むと予感している。阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも、「震災関連死」の患者が高齢者に集中した。とくに、肺炎による死者が目立った。避難所の環境や過密がその主な原因だ。日本の将来への不安が高まっている。末期的症状になりつつある少子高齢化のみならず、近い将来に襲来するはずの超弩級の大地震、荒々しさを増す異常気象・・・・・・。凶悪な感染症の大流行もそのひとつにあげておく必要がある」と述べています。これも、新型コロナウイルスの感染拡大を予言していたように思われます。著者がこの本を書いたのは2014年ですが、読んでいるうちに今年になってから書かれたような錯覚をおぼえました。このたびのコロナ禍を乗り越えるためにも、これからも新型コロナと共生していくためにも、1人でも多くの日本人に読んでほしい名著です。

 

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

 

 

2020年5月29日 一条真也

『感染症と文明』

f:id:shins2m:20200413113218j:plain

 

一条真也です。
27日、社外監査役を務めている互助会保証の監査役会および取締役会にリモート参加しました。この日はZoomではなく、Microsoft  Teamsを利用しましたが、ここのところリモート会議の連続ですっかり慣れました。コロナ終息後も、この方式は続きそうですね。もっとも次回会議は7月21日ですので、緊急事態宣言の解除された東京に行く予定です。
さて、『感染症と文明』山本太郎著(岩波新書)を読みました。いま、岩波新書の中でも最も読まれている本で、「共生への道」というサブタイトルがついています。著者はブログ「葬式ごっこを許すな!」で紹介した元国会議員と同姓同名ながらも別人で、1964年生まれ。1990年、長崎大学医学部卒業。医師、博士(医学、国際保健学)。京都大学医学研究科助教授、外務省国際協力局を経て、長崎大学熱帯医学研究所教授。専門は国際保健学、熱帯感染症学。アフリカ、ハイチなどで感染症対策に従事。

 

本書のカバー前そでには、以下の内容紹介があります。
感染症との闘いは人類に勝利をもたらすのだろうか。防疫対策による封じ込めは、大きな悲劇の準備にすぎないのかもしれない。共生の道はあるのか。感染症と人類の関係を文明発祥にさかのぼって考察し、社会が作り上げてきた流行の諸相を描き出す。共生とは理想的な均衡ではなく、心地よいとはいえない妥協の産物ではないか」

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

プロローグ 島の流行が語ること

第一章 文明は感染症の「ゆりかご」であった

   1 狩猟採集社会の感染症

   2 疫学的転換

第二章 歴史の中の感染症

   1 古代文明の勃興

   2 ユーラシア大陸における疫病交換

   コラム1「文明の生態史観」

第三章 近代世界システム感染症

      ――旧世界と新世界の遭遇

   コラム2「伊谷純一郎晩年の講義」

第四章 生態学から見た近代医学

   1 帝国医療と植民地医学

   2 「感染症の教科書を閉じるときがきた」

   コラム3「野口英世と井戸泰」

第五章 「開発」と感染症

   コラム4「ツタンカーメン王と鎌状赤血球貧血症」

第六章 姿を消した感染症

   1 姿を消した感染症

   2 新たに出現した感染症

   3 ウイルスはどこへ行ったのか

エピローグ 共生への道



プロローグ「島の流行が語ること」では、北大西洋にあるフェロー諸島で1846年に麻疹が流行したことに言及し、7800人の島民のうち約900人が最後まで感染を免れたことを紹介した後で、著者は以下のように述べます。
「19世紀イギリスで起こった天然痘流行の際にも、ひどい流行にもかかわらず、感染を免れた人たちがいた。当時、最も多くの支持を得た仮説に、人から人へ感染を繰り返している間に、天然痘ウイルスの感染性が低下するというものがあった。すべての人が感染する前に流行が終息する理由として、この仮説はもっともらしいものだった」



しかし、モデル計算によれば、流行が終息していく理由として、病原体の感染性が低下する必要はありません。著者は、「流行の進展とともに、感染性をもつ人が接触する人のうち、感受性をもつ人の割合が低下する。そのことが流行終息の主な理由であることがわかる。言い換えれば、最後まで感染しなかった人は、すでに感染した人々によって守られたといえる。専門用語でいえば、これを『集団免疫』と呼ぶ」と述べます。最近、新型コロナウイルスの感染拡大についても、この「集団免疫」という言葉がよく使われますね。



また、「麻疹と人類史」として、著者は「麻疹は、人類最初の文明が勃興した頃、イヌあるいはウシに起源をもつウイルスが種を越えて感染し、適応した結果、ヒトの病気となった。ヒトが野生動物を家畜化し、家畜化した動物との接触が感染適応機会の増大をもたらした。ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地方(肥沃な三日月地帯)が、麻疹誕生の地となった。理由は、この地が人類史上初めて麻疹の持続的流行を維持するに充分な人口を有したからにほかならない」と述べています。

 

続いて、著者は「麻疹が社会に定着するためには、最低でも数十万人規模の人口が必要だという。それ以下の人口集団では、感染は単発的なものにとどまり、恒常的に流行することはない。数十万人という人口規模をもつ社会は、農耕が始まり文明が勃興することによって初めて地上に出現した。以降、人類は都市を作り、産業を興し急速に人口を拡大させていった。もちろん数百万年に及ぶ人類史のなかでは、こうした出来事も、きわめて近い過去のものでしかない」と述べます。

 

さらに、麻疹について、著者は「紀元前3000年頃メソポタミアに誕生した麻疹が、20世紀半ば、グリーンランドを最後についに『処女地』をなくす。麻疹が地球の隅々まで到達し定着するのに要した時間は、約5000年だった。これほど感染力の強い病気が、処女地をなくすのに5000年を要したとは。そのことに驚く」と述べています。

 

そして、著者は以下のように述べるのでした。
「5000年という時間をかけて、麻疹は処女地をなくし、あらゆる感染症のなかのありふれた病気の1つになった。麻疹の生物学的特性が、そうした時間を必要としたわけではない。むしろ人間社会の変化が、ついに麻疹をしてその処女地を失わせ、ありふれた病気の1つに押しやったというほうが正しい。大量輸送を含む交通手段の発達や、世界全体が1つの分業体制に組み込まれていく近代世界システムへの移行が、麻疹流行の様相を変えた。地球上のどのような辺鄙な場所であろうと、疫病的流行をするほど長く、麻疹の流入から隔絶される社会はもはや存在しなくなったのである」



第1章「文明は感染症の『ゆりかご』であった」では、「疫学的転換」として、人類と感染症の関係において転換点となったのは、農耕の開始、定住、野生動物の家畜化であったことが指摘されます。また、「病気とは何か」として、著者は「健康と病気は、ヒトの環境適応の尺度とみなすことができる。ここでいう環境とは、気候や植生といった生物学的環境のみでなく、社会文化的環境を含む広義の環境をいう」と述べています。

 

この考えは「健康と病気は、生物学的、文化的資源をもつ人間の集団が、生存に際し、環境にいかに適応したかという有効性の尺度である」というリーバンの定義と重なります。病気とは、ヒトが周囲の環境にいまだ適応できていない状況を指すわけです。一方、環境は常に変化するものであり、環境への適応には、適応する側にも不断の変化が必要になることを意味します。こうした関係は、小説『鏡の国のアリス』の中で「赤の女王」が「ほら、ね。同じ場所にいるには、ありったけの力でもって走り続けなくちゃいけないんだよ」と発言した言葉を思わせます。

 

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

  • 発売日: 1998/02/10
  • メディア: 文庫
 

 

第2章「歴史の中の感染症」では、「ギルガメッシュと疫病神」として、約1万1000年前に始まったメソポタミア文明の地における疫病の様子が、19世紀にアッシリア遺跡から発見された遺物のひとつ『ギルガメッシュ叙事詩』に記されていることが紹介されます。叙事詩の名は、主人公ギルガメッシュが、シュメールの都市国家ウルクに実在した王であることからこの名が付いたとされています。

 



叙事詩の中で、「大洪水よりまし」な4つの災厄の1つとして、疫病神の到来が挙げられています。著者は、「これは、麻疹や天然痘といった急性感染症が文明を周期的に襲ったことを示しているのかもしれない。メソポタミア文明は、急性感染症が定期的に流行するために必要なだけの人口規模を人類史上初めてもちえた文明であった。大洪水によって文明が消滅することがなかったように、急性感染症も文明を完全に破壊することはなかった。逆に、急性感染症の存在が、文明の中心地を狙う周辺の人口集団に対する生物学的障壁として働いた可能性もある」と述べています。

 

また、メソポタミア、中国、インド亜大陸、それぞれの地で興った文明と風土、感染症と社会について概略を見て後、そこには、「感染症と文明」を巡るいくつかの基本構造が存在することに気づくとし、著者は4つの基本構造を指摘します。第1は、文明が「感染症のゆりかご」として機能したということです。「メソポタミアに代表される文明は、人口増加を通して、麻疹や天然痘、百日咳に流行の土壌を提供した。結果として、これらの感染症はヒト社会に定着することに成功する」と述べています。

 

第2は、文明の中で育まれた感染症は、生物学的障壁として文明を保護する役割を担うということです。「メソポタミア文明にこの構造の原型を見る」と述べています。第3は、文明は、文明の拡大を通して周辺の感染症を取り込み、自らの疾病レパートリーを増大させるということです。「文明が自ら取り込んだ感染症は、その後、文明を守るための生物学的防御壁となる。同時に、文明の拡大を支援する強力な道具となった。中国文明およびインダス文明に、この構造の原型を見る」と述べています。

 

そして第4は、疾病の存在が社会のあり方に影響を与えるということです。「インド亜大陸に興った文明と社会に、その原型を見ることができる。多様な感染症の存在を考慮することなく、インドの社会や宗教を理解することはできないと語る研究者は多い」として、さらに「それぞれの文明がどのような感染症を「原始感染症」として選択するかは、文明がもつ風土的、生態学的、社会学的制約によって規定される。ひとたび選択された疾病は、文明内に広く定着し、人々の生活に恒常的な影響を与えると同時に、文明に所属する集団に免疫を付与する。その結果、感染症は、文明の生物学的攻撃機構、あるいは防御機構として機能する。こうした考え方は、歴史の中で感染症と文明を理解するための1つの枠組みを提供する」と述べています。


感染症と文明」というテーマでは、シルクロード、すなわち「絹の道」の存在を忘れることはできません。著者は、「『絹の道』の成立は、ユーラシア大陸の各文明がもつ原始疾病の交換を促した。中国起源のペストが大陸の西側に持ち込まれたのも、そうした交換と均質化の1つであると考えられる。この時期、共和政ローマ(紀元前509~紀元前27年)では、少なくとも10回以上の悪疫流行があった。また、2世紀にローマ帝国全域に広がった疾病は、メソポタミアでの軍事行動から帰還した軍隊によってもたらされ、15年以上にわたって地中海世界で流行を続けたという」と述べています。「絹の道」は「文明の道」であるとともに、「病の道」でもあったのです。



次に「コンスタンティノープルとペスト」として、著者は以下のように述べています。「ペストは、542年から750年にかけて、首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を繰り返し襲った。特に542年の流行は『ユスティニアヌスのペスト』と呼ばれ、最盛期には首都コンスタンティノープルだけで1日1万人が死亡したという。ペストは港から内陸へと広がり、地中海世界人口の4分の1が死亡した。遺骸はあまりに多く、埋葬が間に合わなかった。コンスタンティノープルにあった砦は、死体を高く積み上げることができるように屋根が取り払われ、一部は筏で海へと流された。これが契機となって、東ローマ帝国は衰退し、以降、西アジアに本拠地を置くイスラム教徒が、地中海世界で活発に活動を開始することになる」



同じ時期、中国でも人口の減少が記録されています。589年、隋が南朝の陳を滅ぼして中国統一を果たしました。西晋以来、じつに405年ぶりのことでした。しかし、高句麗遠征の失敗、大規模土木事業による財政難によって、統一からわずか30年余の618年に隋は滅亡します。その隋の末期、610年に、ペストが流行したことが記録されています。著者は、「その後半世紀の間に、ペストは少なくとも7回流行した。ユーラシア大陸の西で、皇帝ユスティニアヌスの夢を破ったペストは、同じ大陸の東で隋の崩壊に手を貸した。人口減少、繰り返されるペストの流行、帝国の衰退。この時期、大陸の東西でいくつかの共通点が見られる。偶然の一致か、何らかの蓋然性があったのか」と述べています。

 

デカメロン 上中下合本版

デカメロン 上中下合本版

 

 

中世ヨーロッパにおけるペストの流行については、ジョヴァンニ・ボッカチオの『デカメロン(十日物語)』に、当時のヨーロッパ社会がいかにこの病気を恐怖したかが詳しく描かれています。「ボッカチオが描いたペスト」として、以下のように説明されています。
「『デカメロン』は、1348年に流行したペストから逃れるために邸宅に引きこもった男3人、女7人の計10人が退屈しのぎにした小話を集めたという趣向の物語である。10人がそれぞれ1日1話を語る全100話は、艶笑に満ちた恋愛話や失敗談からなる。人文主義文学の傑作とされているが、作品の背景には、ペストに喘ぐ当時の社会状況が色濃く反映されている」



その『デカメロン』には、以下のような記述があります。
「1日1000人以上も罹病しました。看病してくれる人もなく、何ら手当てを加えることもないので、皆果敢なく死んで行きました。また街路で死ぬ人も夜昼とも数多くありました。また多くの人は、家の中で死んでも、死体が腐敗して悪臭を発するまでは、隣人にはわからないという有様でした」
「墓地だけでは埋葬しきれなくなりまして、どこも墓場が満員になると、非常に大きな壕を掘って、その中に一度に何百と新しく到着した死体を入れ、船の貨物のように幾段にも積み重ねて、一段ごとに僅かな土をその上からかぶせましたが、仕舞には壕も一ぱいに詰まってしまいました」



また、「ペスト以降のヨーロッパ」として、ペストがヨーロッパ社会に与えた影響が少なくとも3つあったことが指摘されています。第1に、労働力の急激な減少が賃金の上昇をもたらしたこと。第2に、教会はその権威を失い、一方で国家というものが人々の意識のなかに登場してきたこと。第3に、人材が払底することによって既存の制度のなかでは登用されない人材が登用されるようになり、社会や思想の枠組みを変える1つの原動力になったことです。著者は、「結果として、封建的身分制度は、実質的に解体へと向かうことになった。それは同時に、新しい価値観の創造へと繋がっていった」と述べています。



続けて、著者は「半世紀にわたるペスト流行の恐怖の後、ヨーロッパは、ある意味で静謐で平和な時間を迎えた。それが内面的な思索を深めさせたという歴史家もいる。気候の温暖化も一役買った。そうした条件が整うなかでやがて、ヨーロッパはイタリアを中心にルネサンスを迎え、文化的復興を遂げる。ペスト以前と以降を比較すれば、ヨーロッパ社会は、まったく異なった社会へと変貌した。変貌した社会は、強力な国家形成を促し、中世は終焉を迎える」とも述べます。

 

さらに、「結核の増加」として、著者は「結核菌は古い病原菌で、人類との関係が長い。近年行われた遺伝子解析から、結核菌の共通祖先が約3万5000年前に遡ることが明らかになった。人間と長い間共存してきた結核が、14世紀のヨーロッパにおいて流行した原因として、気候の寒冷化にともなう屋内居住時間の増加や毛織物供給の増大、公衆浴場の普及、栄養状態の悪化といった、この時代の社会変化を挙げる研究者もいる。しかし、確かな因果関係はわかっていない」と述べるのでした。



第3章「近代世界システム感染症――級世界と新世界の遭遇」の冒頭を、著者は「ペスト流行の終焉と同時にヨーロッパ近代が幕を開けた。それは、やがて世界中の各地域が近代世界システムという名の分業体制に組み込まれていく前触れでもあった。交通や通信の発達によって、諸地域間の分業体制が形成され、固定され、再編されていく『世界の一本化』の始まりである。この動きは、大航海時代の16世紀以降本格化し、現在もなお進行中であるとされている」と書きだしています。

 

銃・病原菌・鉄 上巻

銃・病原菌・鉄 上巻

 

 

旧世界と新世界の接触は、「感染症をもつもの」と「もたざるもの」の遭遇でした。「生物地理学者ダイアモンドの説明」として、ジャレド・ダイアモンドは著書『銃・病原菌・鉄』で世界史を次のように読み解いたことが紹介されます。
「新世界になく旧世界が保有した感染症の大半は、家畜に起源をもつ。文明が、その初期に保有する感染症は、文明がどのような家畜を保有していたかに左右される。現在、世界で飼育されている家畜は、羊、山羊、牛、馬、豚、ラクダ、ロバ、ラマ、ヤクなど20種類に満たない。大半は、ユーラシア大陸に起源をもつ。新世界に起源をもつものは、わずかにラマやアルパカのみである。こうした家畜はすべて、数千年から1万数千年前の文明の勃興期に飼育されはじめた。以降、人類にとって主要な家畜となった野生動物はいない。このことは、家畜となる潜在的可能性をもつ野生動物はすべて、この時期に家畜化されたことを意味する。とすれば、文明がその初期にどのような家畜を保有したかは、地域固有の生態によって決められたということになる。具体的にいえば、文明が勃興した地域に、家畜に適した野生動物が存在していたか否かが決定的要因だったということになる」

 

銃・病原菌・鉄 下巻

銃・病原菌・鉄 下巻

 

 

続けて、「家畜だけではない。農耕の開始も、地域の生態学的条件が大きな影響を与えた。現在、世界で消費される農作物の約80パーセントは、わずか数十種類の植物から供給されている。具体的にいえば、小麦、米、大麦、トウモロコシといった穀類、大豆などのマメ類、ジャガイモ、キャッサバ、サツマイモといった根菜類である。こうした植物も、数千年以上前に栽培されるようになったものばかりである。人々は、地域固有の植物群のなかから食料生産に適したものを選択した。メソポタミアの肥沃な三日月地帯は、麦と羊の原産地だった。それが農耕と家畜をもたらし、文明を育んだ。一方、エジプトやヨーロッパは、農耕や家畜を先進的技術として移入した。先進技術の移入に影響を与えたのは、大陸が広がる方向という地理的自然環境だった」というダイアモンドの説明が紹介されます。さらには、拡大したユーラシア大陸感染症レパートリーが、16世紀以降本格化した「世界の一体化」と分業体制(近代世界システム)のなかで、ヨーロッパを中心とする世界を作り上げることに寄与しました。つまり、「旧世界と新世界の遭遇の結果は、何十万年も前から決まっていた」というのが、ダイアモンドの説明です。



第4章「生態学から見た近代医学」の1「帝国医療と植民地医学」の冒頭を、著者は「アフリカに進出したヨーロッパの前にたちはだかったもの、それが感染症であった」と書きだしています。また、「熱病を引き起こしたのは土着の感染症であった。これがヨーロッパ人のアフリカ侵出に対する生物学的障壁となった。マラリアであり、アフリカ・トリパノソーマ症(眠り病)である。ヒトはマラリア、ウシやウマはトリパノソーマ症で倒れた。そのためアフリカは長く『暗黒大陸』と呼ばれた」と述べています。

 

また、「帝国医療・植民地医学」として、著者は「近代医学は、熱帯地域の医療実践から多くの発見と知見を得た。西洋医学は、熱帯地域で、それまでに経験したことのない、多くの謎の病気に出会った。熱帯熱マラリアであり、アフリカ・トリパノソーマ症であり、黄熱であり、さまざまな寄生虫性疾患であった。そうした病気の原因を探り、感染経路や自然経路を明らかにし、病原体の生活環を解明し、さらには治療法や予防法を開発することで、植民地医学は近代医学の発展に大きく貢献した。それは、西洋近代医学が科学の体系として、他の医学体系を圧倒する理由の1つとなった」と述べています。



「国際防疫体制の確立と感染症対策の政治化」として、著者は、1894年に香港で起こったペスト流行を紹介し、国際協力の成功によって、隔離検疫が有効に機能した結果、欧米へのペスト移入は予防できたと指摘します。そして、香港のペスト流行が与えた教訓は2つあるとして、「第1に、とにもかくにも、それまで欧米社会が植民地経営を通じて蓄積した医学的経験が十全に発揮されたこと。国際協力下での検疫体制がなければ、この時のペスト流行が世界規模での惨禍となった可能性もあった。第2は、感染症とその対策が、近代国際政治の表舞台に登場してきたことである。そうした事例は現在でもある。重症急性呼吸器症候群(SARS)や新型インフルエンザは、近年における例であるし、根絶された天然痘ウイルスの保管をめぐって、国際社会のパワーポリティクスが働いたこともある」と述べます。



さらに「帝国主義がもたらした流行」として、著者は「第一次世界大戦末期の1918年から19年にかけて流行したスペイン風邪は、世界全体で5000万人とも1億人ともいわれる被害をもたらした。最も大きな被害を受けた地域や国が、アフリカやインドであった。サハラ以南アフリカでの被害は、約238万人と推定されている。当時のアフリカの人口の2パーセントに相当する。これほどの人口が1年から2年という短期間に死亡したことは、アフリカ大陸における人口学的悪夢だった」と述べています。



1918年から流行し始めたスペイン風邪についても、著者は「植民地のスペイン風邪」として、こう述べています。
スペイン風邪は、インドでも被害を出した。インドだけで2000万人もの死者を出した。追い討ちをかけたのは飢饉だった。飢饉による栄養失調がインフルエンザに対する抵抗性を減弱させ、インフルエンザが労働力の低下をもたらした。穀物生産量は5分の1に低下し、食料価格は数倍に高騰した。にもかかわらず、重要な戦時物資であった穀物は、戦時下であったイギリスへ輸出された。悪循環に拍車がかかった。こうして見てくると、第一次世界大戦は植民地を巻き込んだ総力戦だったことがわかる。アフリカにおける列強の代理戦争がインフルエンザ拡大の土壌を提供し、植民地経営の屋台骨を支えた鉄道がインフルエンザを運んだ。被害を悪化させたのは、植民地からの収奪であった」


第5章「『開発』と感染症」の冒頭を、著者は「先進国の人々が感染症制圧というバラ色の夢を見ていたころ、地球の裏側では、開発という名の環境改変のなかで、感染症が静かな流行を始めていた」と書きだし、さらに「産業革命以降、とりわけ20世紀以降、『開発』という名の自然への介入は、それまでとは比較にならない規模と速度と複雑さをもつようになった。そして、その規模と複雑さと速さゆえ、副次的に引き起こされる変化はしばしば予想困難であり、想定を超えるものとなった。そうした開発によって引き起こされる疾病を『開発原病』という」と述べています。



第6章「姿を消した感染症」では、「超ばら撒き人」として、著者は以下のように述べています。
「SARSの流行では、超ばら撒き人(スーパースプレッダー)の存在が疑われた。超ばら撒き人とは、多数の人に病原体をばら撒く人をいう。SARS患者がウイルスを広める人数は、通常多くても3人程度である。しかしなかには、10人以上、多い例では数十人にウイルスを広めた人がいた。香港メトロポールホテルに宿泊し、少なくとも12名を感染させた広東省在住の腎臓学の老教授や、WHOの感染症専門官ウルバニが初発患者と報告した中国系アメリカ人、あるいは、メトロポールホテルからカナダやベトナムに飛び立ち、そこで病気を流行させた人々は、病原体の超ばら撒き人となった。体質的に、病原体が体内で増殖しやすく、多数の病原体を保有し、容易に他人に感染を起こす人もいただろうが、多くの場合、行動範囲や交友関係が広い人たちが、超ばら撒き人となった。超ばら撒き人がいなければ、これほど広範囲な流行はなかったかもしれない」

 

エピローグ「共生の道」では、「適応の限界」として、著者は「適応に完全なものはありえないし、環境が変化すれば以前の環境への適応は、逆に環境への不適応をもたらす。その振幅は適応すればするほど大きくなる。過ぎた適応の例を、私たちは、マラリアに対する進化的適応である鎌状赤血球貧血症に見た。過ぎた適応による副作用は、社会文化的適応にも見られる。狩猟がうまく行きすぎると、生態系のバランスは崩れる。牧畜がうまく行きすぎても牧草地は荒廃する。ある種の適応が、いかに短い繁栄とその後の長い困難をもたらすか。感染症と人類の関係についても、同じことが言えるのではないかと思う。病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた『適応』といえなくはないだろうか。感染症の根絶は、過去に、感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対し中立化する。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものになる可能性がある」と述べています。

 

最後に、著者は「感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかも知れない。大惨事を保全しないためには、『共生』の考え方が必要になる。重要なことは、いつの時点においても、達成された適応は、決して『心地よいとはいえない』妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものでありえないということを理解することだろう。心地よい適応は、次の悲劇の始まりに過ぎないのだから」と述べるのでした。東日本大震災が発生した2011年に刊行された本書ですが、9年後に日本を襲う国難を予見していたかのような箇所が多々ありました。本書を読めば、「文明」と「感染症」は人類交流の「光」と「闇」であることがよく理解できます。

 

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

  • 作者:山本 太郎
  • 発売日: 2011/06/22
  • メディア: 新書
 

 

2020年5月28日 一条真也

『感染症対人類の世界史』

感染症対人類の世界史 (ポプラ新書)

 

一条真也です。
緊急事態宣言が全面解除された翌日の26日、北九州市の北橋市長はツイッターで「これまで23日間新規患者ゼロでしたが、3日連続で陽性患者計12人の判明」を報告し、「感染第2波の入口に立っています」と市民に注意喚起しました。ネットでは「大丈夫なのか?」「油断大敵」と衝撃が走りましたが、とにかく今、世の人々の最も関心あるテーマは新型コロナウイルスの感染です。出版界でもウイルスや感染症に関する本が売れまくっています。おそらく今年のベストセラー・ランキングには何冊も入るのではないでしょうか。ブログ『新型コロナウイルスの真実』で紹介した本と並んで、よく売れているのが『感染症対人類の世界史』池上彰&増田ユリア著(ポプラ新書)です。

 

著者の池上氏は1950年、長野県生まれ。慶応義塾大学卒業後、NHKに記者として入局。事件、事故、災害、消費者問題、教育問題等を取材。2005年に独立。2012年から16年まで東京工業大学教授。現在は名城大学教授。増田氏は、神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのレポーターを務めました。本書のカバー表紙には著者2人の写真が使われ、「感染症との戦い方は歴史から学べ」「デマや差別に人類はどう対応してきたか?」と書かれています。

 

また、カバー裏表紙の上部には「人類は感染症とどう向き合い、克服してきたか――?」として、「幾度となく繰り返されてきた感染症と人類の戦い。天然痘、ペスト、スペイン風邪・・・・・・そして、新型コロナウイルスシルクロードの時代から人と物の行き来がさかんになり、感染症も広がっていった。現代と変わらないような民族対立やデマの蔓延の一方で、人類史に残る発見もあった。感染症の流行が人類に問うてきたことから冷静に向きあう術を学ぶことができる」「未来への挑戦!」と書かれています。

 

さらに、カバー裏表紙の下部には「生きる希望は歴史にあり!」として、「感染症拡大で起きたデマや差別にどう対応してきたのか」「日本の天平の大疫病の時に行われた復興政策とは」「ヨーロッパを何度も苦しめペストは、社会構造を大きく変えた」「死の前では貴族も農民も平等。感染症流行が社会構造を変えた」「米ソが手を取り合って天然痘根絶へ」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

第1章 シルクロードが運んだ病原菌

コラム●カミュの不条理小説『ペスト』

第2章 世界史をつくった感染症――天然痘

コラム●「ミイラ」の作り方
コラム●『女の平和』はこの頃書かれた
コラム●伝染病と香辛料

第3章 世界を震え上がらせた感染症――ペスト

コラム●感染症と差別的行動
コラム●「万有引力の法則」の発見とペスト
コラム●ルネサンスを理解するために
コラム●ボッカチオの『デカメロン

第4章 感染症が世界を変えた――日本編

コラム●銅は山口県から、金は宮城県から
コラム●鄧小平の「正三請負制」
コラム●仏像の楽しみ方

第5章 世界大戦の終結を早めた「スペイン風邪

コラム●原因が不明だったので名付けられた病気

第6章 人類の反撃始まる

第7章 今も続く感染症との戦い

「おわりに」
「参考文献」



「はじめに」では、「歴史から見えてくる感染症と人間のあり方」として、以下の対話が展開されます。

池上 どうやったら対処できるかわからないことが多い新しいウイルスが蔓延している、こういう世界の状況下で争っている場合ではないですよね。世界中が一致団結して、ウイルスと戦わなければなりません。感染症によって戦争が収まったり、戦争していたために感染症が広がってしまったりという歴史があります。そういった過去に今、私たちは学ぶ必要があります。 
増田 人間は、なんでも封じ込めることができて、対策を立てれば対応できると勘違いしているところがあると思うんです。でも、こういう新しいウイルスが出てきたときに、人間も自然の一部で無力な部分もあるのだと、謙虚な気持ちで向き合っていく必要があると思います。 
池上 私たちが謙虚な気持ちを持つためのきっかけにすることもできるかもし れません。人類の歴史というのは、感染症に翻弄されてきたわけですよね。私が学生時代に習った世界史では、こういった戦争がありました、あるいは、教会の権威が徐々に落ちましたといった書かれ方をしていることが多いですけれど、その裏には感染症が大きな影響を及ぼしていた。そんなことを知ると、驚くんですよね。単に私の勉強が足りなかっただけかもしれませんけれど(笑)。

 

また、「自然に翻弄されてきた人間を知ることで見えるもの」として、増田氏が「感染症はじめ病気に立ち向かってきたからこそ、宗教の力もヨーロッパでは大きいんです。宗教というよすががないと、日々の生活の中で生きていけなかった」と言えば、池上氏は「困難なことが多いから、どうしても何かに頼りたくなる。例えば、それが日本では、奈良の大仏につながっていくわけだね」と言います。さらに、増田氏が「おもに8世紀、奈良時代の歴史が書いてある『続日本紀』を読んでいくと、ウンカという害虫の発生や不作、凶作といった記述があって、そのたびに元号を変え、都を転々と移すわけです。そうした中、疫病、このときは天然痘の流行があって、聖武天皇が大仏造立を命じました。太刀打ちできない病気が 憂延すると、人は何かよすがを求めて平和を祈ってきたんです」と語れば、池上氏は「『聖書』の中にも、バッタが大量発生したといった話があります。今また、アフリカからパキスタン、そして中国へと大量のバッタが迫っています。人間は常に自然に翻弄されてきたんです」と述べるのでした。



じつは、感染症の歴史に関しては、わたしは多くの本を読みました。それで本書に書かれてある内容も知っていることが多かったのですが、やはり対談本なので、2人の語り口で知識の理解が深まりました。たとえば、第3章「世界を震え上がらせた感染症――ペスト」では、「教会の権威が崩れ、ルネサンスへ」として、以下の対話があります。

増田 結局、ペストの流行によって、宗教の力が及ばないものがあるではないか、という意識を社会が持つことになるわけですよね。
池上 感染症が流行ると、どんなに祈ったところで、バタバタと人が死んでいくわけですから。結局、約2500万人、当時の人口の4分の1くらいが亡くなっているわけです。
増田 そうすると、宗教の権威も下がります。「死の舞踏」という絵があります。この絵には、王様をはじめ、身分の高い人たちが描かれ、その横に死神らしきものや骸骨が描かれています。病気の前には身分も関係なく、平等に倒れてしまう。そんな状況が風刺されています。
池上 一方で、ペストの犠牲者が増え、労働力が減った分、働く人たちの賃金が上がって、お金を手にした人たちは、それで自由を手に入れることも可能になるんですよね。

f:id:shins2m:20200417153029j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

その結果、教会の言うことを聞かない者も当然出てきます。増田氏は「教会の権威の失墜によって、もっと人間らしい自然な生活を取り戻そうという思いを持つ人たちが増えるのです。そんな個々の思いや活動が積み重なって、大きな潮流となり、ギリシアやローマ時代の文化を再生、復興しようというルネサンス(フランス語で「再生」)の時代へとつながっていきます」と述べ、池上氏は「ルネサンス感染症から生まれた」ということになるわけですね」と述べるのでした。この発言から、わたしは大きなインスピレーションを与えられました。というのも、100冊目の「一条本」となる『心ゆたかな社会』(現代書林)を6月11日に上梓するのですが、同書では、ポスト・パンデミック時代の社会ビジョンについて書きました。新型コロナが終息すれば、人は人との温もりを求め合います。ホスピタリティ、マインドフルネス、セレモニー、グリーフケアなどのキーワードを駆使して、来るべき「心の社会」を予見したのですが、そのメッセージは要するに感染症の後はルネサンス(再生)の時代が到来するということなのです。本物のルネサンスパンデミックの後に訪れたという史実を知れば、改めて自分の考えを確信することができました。



ルネサンス宗教改革の素地をつくって、プロテスタントが生まれました。その信者が増えていくと、カトリックの側の危機感も高まります。増田氏は「プロテスタントの教えが広がっていくと、自分たちの存在意義を高めないといけないという人たちが出てくるわけです。そんな彼らが対抗措置として行ったのが、世界へ航海して宣教することでした。カトリックの改革運動とも言えます。それが、イエズス会です」と述べます。池上氏は「こうしてカトリックが世界に布教を始めることになり、宣教師たちが南米に感染症を持ち込むことになるわけですね。歴史は本当につながっていますね」と言うのですが、本当に歴史のダイナミズムを実感します。こうやって知識をつなげていけば、歴史の理解も深まりますね。そして、増田氏は「人類の歴史という視点で考えると、感染症が流行ると、その時代の権威が揺さぶられる。そして大きな変化が生まれる。その繰り返しなんです」と述べるのでした。



西洋における感染症の歴史のハイライトが中世ヨーロッパなら、日本では奈良時代が興味深いです。第4章「感染症が世界を変えた――日本編」で、以下の対話が展開されます。

増田 奈良時代に、日本でも天然痘の大流行がありました。8世紀、735年から737年にかけての出来事で、天平の大疫病と呼ばれています。
池上 奈良の東大寺の大仏が疫病対策でつくられたことくらいしか知りません。
増田 聖武天皇は743年、国内の不穏な状況を仏教の力に頼って鎮めようとします。「鎮護国家」という言い方を教科書ではしていますね。精神復興のために大仏をつくることを決め、大仏造立の詔を出します。またそれに先だって741年には、国分寺国分尼寺建立の詔が出されています。
池上 だから東京にも国分寺という地名があるわけだよね。
増田 当時から残っているということですよね。全国にある国分寺国分尼寺が、その際に国ごとにつくられたわけですから。
池上 それほど当時は全国的にひどい状況だったわけですね。



聖武天皇が即位したのは724年です。この頃、旱魃や飢饉が続き、734年には大きな地震が起こり、被害も甚大でした。そんな状況が続く中で疫病が広がったわけですが、この時代の疫病によって政治の中枢にいた藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟も相次いで亡くなり、以下の対話に続きます。

池上 権力争いが続く中で疫病のため、藤原四兄弟は亡くなってしまったと。
増田 そうなんです。その後、740年には、藤原広嗣大宰府で朝廷に反旗を翻し挙兵しますが、鎮圧されています。社会はもちろん、政治も不安定化していて、混乱した時代だったと思うんです。
池上 まさに感染症の流行が政治や社会に大きな影響を与えたわけですね。
増田 そうなんです。飢饉や地震、そして疫病もあった。そういったことが、当時の律令政権が自分たちで国の歴史をまとめた六国史には書いてあるんですね。その中の8世紀末にまとめられた『続日本紀』には、この時代のことが書いてあって、何か悪い出来事があるとその度に元号を変えて、都も転々としていたことがわかります。



第7章「今も続く感染症との戦い」では、「グローバル停戦の呼びかけ」として、国連のアントニオ・グレーテス事務総長の「ウイルスの猛威は、戦争の愚かさを如実に示しています」という発言を紹介します。さらにグレーテス事務総長は「COVID-19対策で歩調を合わせられるよう、敵対する当事者間でゆっくりとでき上がりつつある連合や対話から、着想を得ようではありませんか。しかし、私たちにはそれよりもはるかに大きな取り組みが必要です。それは、戦争という病に終止符を打ち、私たちの世界を荒廃させている疾病と闘うことです。そのためにはまず、あらゆる場所での戦闘を、今すぐに停止しなければなりません。それこそ、私たち人類が現在、これまでにも増して必要としていることなのです」



そして、最後にグレーテス事務総長は「今回の危機の現段階では、決定的な戦いは人類そのものの中で起こる。もしこの感染症の大流行が人間の間の不和と不信を募らせるなら、それはこのウイルスにとって最大の勝利となるだろう。人間どうしが争えば、ウイルスは倍増する。対照的に、もしこの大流行からより緊密な国際協力が生じれば、それは新型コロナウイルスに対する勝利だけではなく、将来現れるあらゆる病原体に対しての勝利ともなることだろう」と述べるのでした。このグレーテス事務総長の発言に、わたしは深く共感しました。


3月11日、WHOのテドロス事務局長は、新型コロナウイルスの感染の拡大と深刻さ、それに対策のなさに強い懸念を示し、「パンデミックに相当する」と表明しました。いわゆる「パンデミック宣言」です。もちろん憂慮すべき事態ですが、世界中のすべての人々が国家や民族や宗教を超えて、「自分たちは地球に棲む人類の一員なのだ」と自覚する契機になると、わたしは思いました。「宇宙船地球号」とは、アメリカの思想家・デザイナーであるバックミンスター・フラーが提唱した概念・世界観です。地球上の資源の有限性や、資源の適切な使用について語るため、地球を閉じた宇宙船にたとえて使われています。安全保障についても使われることがあり、「各国の民は国という束縛があってもみんな同じ宇宙船地球号の乗組員だから、乗組員(国家間)の争いは望まれない」というように使われます。わたしたちが「宇宙船地球号」の乗組員であることを自覚する、その最大の契機を今回のパンデミック宣言は与えてくれるのではないでしょうか。



今回のパンデミックですが、わたしは新しい世界が生まれる陣痛のような気がします。なぜなら、この問題は国際的協力なくしては対処できないからです。アメリカと中国とか、日本人と韓国人とか、キリスト教イスラム教とか、そんなことを言っている余裕はありません。人類が存続するためには、全地球レベルでの協力が必要とされます。もはや、人類は国家や民族や宗教の違いなどで対立している場合ではないのです。その意味で、「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じようなものです。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にしてくれる外敵なのですから。よく考えてみると、こんなに人類が一体感を得たことが過去にあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国がある。自然災害なら被災国と支援国がある。しかし、今回のパンデミックは「一蓮托生」ではありませんか。「人類はみな兄弟」という倫理スローガンが史上初めて具現化したという見方もできないでしょうか。

f:id:shins2m:20200312220227j:plain
ワンチームで行こう! 

 

今回のパンデミックを大きな学びとして、人類が地球温暖化をはじめとした地球環境問題、そして長年の悲願である戦争根絶と真剣に向き合うことができることを望むばかりです。人類はこれまでペストや天然痘コレラなどの疫病を克服してきましたが、それは、その時々の共同体内で人々が互いに助け合い、力を合わせてきたからです。韓国と北朝鮮も新型コロナ対策について電話会議を行いましたが、この動きをぜひ世界的に広めなければなりません。あわせて、新型コロナはITの普及によって全世界にもたらされている悪い意味での「万能感」を挫き、人類が自然に対しての畏れや謙虚さを取り戻すことが求められます。このようなポスト・パンデミックのメッセージを、わたしは近刊『心ゆたかな社会』の中で強く訴えました。

 

感染症対人類の世界史 (ポプラ新書)
 

 

2020年5月27日 一条真也