『定年後に見たい映画130本』

定年後に見たい映画130本 (平凡社新書1006)

 

一条真也です。
『定年後に見たい映画130本』勢古浩爾著(平凡社新書)を読みました。著者は、1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に34年間勤務の後、2006年に退職。市井の人間が生きていく中で本当に意味のある言葉、心の芯に響く言葉を思考し、表現し続けているとか。1988年、第7回 毎日二十一世紀賞受賞。著書にブログ『それでも読書はやめられない』で紹介した本の他、『定年後のリアル』(草思社文庫)、『わたしを認めよ!』(洋泉社新書y)、『ひとりぼっちの辞典』(清流出版)、『会社員の父から息子へ』(ちくま新書)、『最後の吉本隆明』(筑摩書房)、『定年バカ』(SB新書)、『人生の正解』(幻冬舎新書)など多数。


本書の帯

 

本書の帯には、アカデミー賞のオスカー像の写真とともに、「刑事もの/サスペンス/社会派時代劇/スポーツ/定年・老後ものetc.」「映画こそ最高の娯楽!」「感動した、しんみりした、考えさせられた、勇気づけられた作品の数々」と書かれています。また、カバー前そでには、「自由な時間が比較的多く取れる定年後の趣味には、手っ取り早く気軽に楽しめる映画はお薦めである。著者が若い頃は、映画は娯楽であると同時に教養でもあったので、義務であるかのように名画・名作の類もたくさん見たという。でも今は、? 見るんだったらおもしろいのが一番?だ。人間ドラマからアクション&ミステリー、老年映画まで、かつての名画・名作も少しだけ織り交ぜつつ、定年後世代の著者が130作品を紹介する!」とあります。


本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「まえがき」
 第1章 人間ドラマは映画の王道
 第2章 なんでもできる人間ドラマ
 第3章 映画は凡作だけど、個人的に好きだ
 第4章 わたしの一番好きな
     アクション&ミステリー映画

 第5章 日本映画の光と影
 第6章 社会派映画はリアルさが命
 第7章 スポーツ映画があまりヒットしない理由
 第8章 人間の業と戦争映画
 第9章 定年・老年映画が心に沁みる
第10章 これは傑作だ!? わたしのベスト15
「あとがき」


友引映画館」での主催者挨拶

 

本書のタイトルを最初に見たとき、「やられた!」と思いました。まさに、こういうテーマの本をわたし自身が書きたいと思っていたからです。ブログ「友引映画館」で紹介したように、コロナ前は自社のセレモニーホール(コミュニティホール)で高齢者向けの映画鑑賞会を開催していたわたしは、映画は高齢者に「老い」と「死」についての学びを与えてくれると思っています。また、著者の勢古浩爾氏の本はブログ『それでも読書はやめられない』で紹介した読書論が好著で、非常に面白かったので、今度は映画論ということで大いに期待しました。「読書」と「映画鑑賞」は教養の両輪だからです。ですが、正直言って、本書はちょっと期待外れでした。各章で紹介している映画の数がバラバラ(わたしは、こういうのは絶対ダメ)ですし、それぞれの映画評もストーリーの紹介が中心といった印象で物足りなかったのです。それでも、いくつか参考になった箇所がありました。

 

 

「まえがき」で、著者は「近年、人々はあまり映画を見なくなったのではないか。コンピュータ・ゲームという強敵が現れたからか。いや、映画は次々と作られ、若者たちが劇場につめかけている場合がテレビに映し出されたりしている。あれは舞台挨拶の上映のときだけの光景なのか。観客は、3回泣きました、とかいっている。それでもわたしたちの世代と比べて、最近の若い人たちは映画をそれほど見なくなったような気がする。見るのは、アニメか人気のタレントが出演する映画ばかりであろう」と述べます。


著者は団塊の世代の人ですが、「まずまず本を読み、そこそこ映画を見た」最後の世代であると自認します。著者の青春時代は、「名画」といわれるものが量産されていた時代であり、「名監督」もたくさんいました。著者は、「わたしたちはなぜか、『灰とダイヤモンド』とか『王女メディア』『華氏451』『気狂いピエロ』など、『名画』といわれる映画を、だれに強制されたわけでもないのに、ある種の強迫観念のように、義務として見ていた。いま考えれば、けっこうめんどくさい時代だった。映画は娯楽であり、同時に、勉強(教養)でもあったのだ」と述べます。


著者は映画好きではありますが、最近は映画館には行かず、ネットフリックスなどの映画配信サービスも使わず、もっぱら映画鑑賞にはTSUTAYAのレンタルDVDに頼っているそうです。わたしの自宅の近くのTSUTAYAはすべて閉店してしまいました。TSUTAYAに限らず、レンタルビデオ店自体を見かけることが少なくなりました。しかし、著者は「現在でも、わたしは毎週のTSUTAYA通いがやめられない。おもしろそうな新作が入っていると、すこしうれしくなる。本と映画はわたしの趣味の両輪である。どちらか、ひとつだけになってしまうと、わたしは気持ち的に不完全になるような気がするのである。なにかお互いが補完しあっているようなのだ」と述べています。


著者が見る映画は、人間ドラマ、ミステリー映画、刑事映画、戦争映画が多いそうで、恋愛映画、ホラー映画、SF以外はほとんど見るとか。それも多くは洋画で、日本映画は少ないそうです。著者は、「わたしはDVDを借りるときは5本まとめて借りるのがつねである。本は5冊選べば2、3冊はおもしろい。音楽はアルバム12曲のなかで気に入った曲が2曲あるかどうか。映画も、それほどおもしろいものの確率は高くない。5本借りたなかで1本でもおもしろいものがあれば儲けものである。2本あれば大当たりだ。5本すべてが全滅ということだってある」と述べるのでした。


第1章「人間ドラマは映画の王道」の「映画を見る理由」では、アクション映画であれ、ホラーやサスペンス映画であれ、SFや恋愛ものであれ、あるいは戦争映画であれ、すべては人間ドラマであるとして、著者は「ただ、わたしは恋愛映画が苦手で、というか、若いカップルの恋であれ、中年の『大人』の恋であれ、男と女がどうしたこうしたという映画など、もうまったく見る気がしない。昔は、それでも『プリティ・ウーマン』や『ブーベの恋人』、『卒業』などは見た」と述べています。ちなみに、「ブーベの恋人」は、わたしの両親がデートで観た映画だそうです。それにしても、「プリティ・ウーマン」(1990年)と「ブーベの恋人」(1963年)、「卒業」(1967年)の2作品は、ずいぶん時代が違いますね。


また著者は、「そんな俗な映画では見たうちに入らないといわれるなら、ソフィア・ローレンの『ひまわり』とか、ルルーシュ監督の『男と女』ジャック・ドゥミー監督の『シェルブールの雨傘』(いずれも古い)や、『イングリッシュ・ペイシェント』なども見た。しかし歳を取るにつれて、そんな映画はもうどうでもよくなったのである」と告白します。ここで著者が挙げた映画はすべて、わたしの人生観や恋愛観に多大な影響を作品ばかりなのですが。(笑)さらに、著者は「映画に望むことは単純さで、感動したり、スカッとしたり、幸せな気分になることである。英語で『感動した』が『I was moved.』であるように、心が動かされたいのだ。それも気持ちが晴々する方向に」と述べるのでした。


本書には5本のコラムも収められていますが、コラム3「日本映画にはほんとうの役者がいなくなった」が一番面白かったです。著者は、「日本映画の最大の問題は、役者がテレビ番組に出すぎることにある。もっとも、役者といっても、いまやだれが役者なのかがわからない。伝統芸能である歌舞伎の役者が、テレビタレントと変わりなくなっているくらいだから。それともうひとつ、映画界にとって情けないのは、右の傾向とは逆で、芸人やタレントたちが映画に出すぎることである。笑福亭鶴瓶リリー・フランキーのような芸人やタレントがどういうわけか重用されて、本人たちもいつの間にかけっこうな役者気取りである。それが好きではない。わたしの好き嫌いなど、映画制作者や大多数の観客にとってはどうでもいいことだが、わたし個人にとっては重大である。なぜなら映画を見るのは、このわたしだからである。鶴瓶岩倉具視を演じても所詮『家族に乾杯』で、リリー・フランキーはまじめくさった演技をしても、CMでお馴染みの『ヒノノニトン』じゃないか」と書いているのですが、これには笑いました。


また、「孤狼の血 LEVEL2」で、いかに鈴木亮平が冷血極悪を演じても、著者は「ほんとは世界遺産好きの知的な、また世界の食べ物のなかで餅が一番好きな気のいいお兄ちゃんやん」と思ってしまうと言いながらも、「とはいえ、わたしは鈴木亮平は好きである」とも言うのでした。さらに、「わたしにとっては、いまや日本映画は風前の灯のように見える。しかしそれにしては、日本映画は続々と作られているようである。その多くが、わたしの知らない監督と若い出演者たちによって作られている映画である。思うに、それらの映画に共通する動機と、出演者の資格は、『かわいい』『カッコいい』『おもしろいこと』の3つではないか。これは映画と人間の価値観に限定されない。現在の日本の社会全体の根底にある価値観になっているのではないかと思われる」と述べます。この意見には共感をおぼえました。


さらに、「1987、ある闘いの真実」という韓国映画の紹介のページで、著者は「わたしは韓国の俳優をまったく知らず、全員初めて見る俳優ばかりである。それだけによけいリアルで、つい俳優が演じていることを忘れてしまう。こいつ、ほんまもんじゃないのかと思わせられるのは、そういう意味である。日本の俳優はその分、損をしている。松坂桃李がいくらすごんでも競馬CMのお兄ちゃんで、妻夫木聡は宝くじのお兄ちゃん、滝藤賢一はCMならなんでもやるおじさん、というイメージが強すぎるのだ」とも述べています。確かに、そうですね!


先に述べたように、本書で紹介されている映画の感想はストーリーの紹介が中心で淡泊な記述なのですが、中には面白いものもあります。たとえば、ブログ「インターステラ―」で紹介したSF映画について、著者は「この映画は科学映画が幻想映画になってしまっている。内容がほとんど理解できず、まったく荒唐無稽なのに、こんなにおもしろい映画はない。実際、わけわからんのである。しかし制作した連中は大した才能である。それなのに、ただひとつ、アメリカ人は、どこに行っても、どんな状況になっても、星条旗を立てるというばかばかしさ。これはアメリカ人だけではないか」と書いています。


また、 ブログ「異人たちとの夏」で紹介した日本映画については、途中で断ち切られた家族が、もう一度、家族を再開する幻の物語だと指摘します。主人公の原田(風間杜夫)は何度も両親の住むアパートを訪ね、子どもに戻って無上の時を過ごします。一方で、名取裕子演じる独身女性との恋も同時進行するのですが、著者は「そのことはどうでもよくはないが、とりあえずどうでもいい。両親との別れのときがくる。浅草今半での最後の場面は、わたしの映画史のなかで最高の場面のひとつである。父と母が子を思う言葉と、子が父と母に述べる感謝の言葉は至極である」と書いています。


スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の「プライベート・ライアン」の紹介ページでは、著者は「ライアンが年老いて、家族や孫たちと共に、ミラー大尉の墓に詣でる。妻に訊く。「私はいい人間かな?」。最後に墓に敬礼する。このシーンが無上にいい。『プライベート・ライアン』は、わたしには文句なしの名作である。敬礼はいいものである。敬礼が印象に残る映画がある。『駅』の泣き笑いのいしだあゆみ、『秋刀魚の味』のにこやかな笠智衆、『太陽の帝国』の可愛らしいジェイミー。敬礼ではないが、『ラスト・サムライ』の最後の場面で、政府軍が渡辺謙の死に対して全員正座平伏をするシーンも忘れ難い」と述べています。敬礼が好きとは、著者に好感を持ってしまいます。「礼」を重んじる人なのかもしれない、と思ってしまいました。


プライベート・ライアン」は戦争映画ですが、本書には ブログ「1917 命をかけた伝令」で紹介した戦争映画も登場します。全編ワンカット撮影が話題になった作品ですが、著者は「映画は全編ワンカットで撮られているというのが前評判で、そんな映画の技術的なことは見るものには関係ないのだが、一旦そうと知ってしまえば、カットが途切れないか気になり、気が散る。カメラは延々とふたりを撮りつづける。実際にはワンカットではないらしいが、わたしたちはかれらと同じ位置にいるような感覚になる。泥濘と大きな窪地と鉄条網と敵の塹壕。緑の丘陵と廃屋の広大な戦場。しかしこのふたり、思いの他、不用心でとんまである。途中、ひとりが死に、若い娘や赤ん坊が出てきたりするが、どうも緊張感がたるむ。やっと大隊にたどり着くのだが。英軍の不格好なヘルメットのように、しまりのない映画だった」と述べます。


最後の130本目は、 ブログ「ラ・ラ・ランド」で紹介したミュージカル映画が取り上げられます。女優になることを夢見ながらカフェで働くミアと、自分の理想的なジャズバーを経営することが夢のピアニストのセブの物語ですが、著者は「ミアはオーディションに落ち、セブはレストランをクビになる。ふたりは恋に落ちる。しかし、ひとりはすこしずつ夢に近づき、ひとりは失意に落ちていく。生きる道が分かれていく。生きたいと思った人生と、生きられることのなかった人生、そしていま生きている人生。その悲しみの上に、あきらめた先にあったしあわせと、あきらめなかったらあったはずのしあわせが重なるところに、この映画の真の面目がある。ほんと、人生とはうまくいかないものだね」と述べるのでした。この一文は、わたしの心にしっくりきました。


最後に、「北野武が選ぶベスト10」を紹介します。1「天井桟敷の人々」、2「2001年宇宙の旅」、3「時計じかけのオレンジ」、4「七人の侍」、5「L.A.大捜査線/狼たちの街」、6「ガルシアの首」、7「ダークマン」、8「狂い咲きサンダーロード」、9「ワイルド・アット・ハート」、10「鉄道員」の10作品なのですが、著者は「唖然としてしまった。人の好悪はこうも違うのか。1位は『天井桟敷の人々』か。わたしは見ていない。たしか戦前に作られた古いフランス映画だったはずだ。それだけでなく、5、7、8、9も見ていない。2位、3位には驚いた。これははっきりいって、駄作ではないのか・・・・・・」と書いています、いくら何でも、これは著者の見識を疑われる発言であると思います。1位の「天井桟敷の人々」は映画ファンなら必見の名作ですし、著者が「駄作」と切り捨てた「2001年宇宙の旅」も、「時計じかけのオレンジ」も、映画史に燦然と輝く傑作ではないですか。あと、この発言は、北野武に対しても失礼きわまりないですね。いくら敬礼が好きでも、失礼はいけません。「礼」は形も大切ですが、もっと大切なのは心です。
最後に、ブログ「さようなら、小倉昭和館」に大量のアドレスが現在も寄せられていますが、わたしの老後は昭和館でたくさん映画が観たかった!(涙)


焼失した小倉昭和館の跡地(撮影:一条真也

 

 

2022年8月13日 一条真也

唯葬論

 

一条真也です。
わたしはこれまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「唯葬論」という言葉を取り上げます。

唯葬論』(三五館)

 

拙著のタイトルではありますが、「唯葬論」は単なる書名ではありません。それは、1つの思想なのです。わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であり、発展基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。


「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、確かに埋葬という行為には人類の本質が隠されていると思います。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。

 

 

世の中には「唯物論」「唯心論」をはじめ、岸田秀氏が唱えた「唯幻論」、養老孟司氏が唱えた「唯脳論」などがありますが、わたしは本書で「唯葬論」というものを提唱します。結局、「唯○論」というのは、すべて「世界をどう見るか」という世界観、「人間とは何か」という人間観に関わっています。わたしは、「ホモ・フューネラル」という言葉に表現されるように人間とは「葬儀をするヒト」であり、人間のすべての営みは「葬」というコンセプトに集約されると考えます。

儀式論』(弘文堂)

 

カタチにはチカラがあります。カタチとは儀式のことです。儀式は、地域や民族や国家や宗教を超えて、あらゆる人類が、あらゆる時代において行ってきた文化です。わたしは冠婚葬祭会社を経営していますが、冠婚葬祭ほどすごいものはないと痛感することが多いです。というのも、冠婚葬祭というものがなかったら、人類はとうの昔に滅亡していたのではないかと思うのです。


わが社の社名である「サンレー」には「産霊(むすび)」という意味があります。神道と関わりの深い言葉ですが、新郎新婦という2つの「いのち」の結びつきによって、子供という新しい「いのち」を産むということです。「むすび」によって生まれるものこそ、「むすこ」であり、「むすめ」です。結婚式の存在によって、人類は綿々と続いてきたと言ってよいでしょう。



最期のセレモニーである葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供など大切な家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。


オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突きつけることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。


すべては「葬」から始まった!

 

言うまでもありませんが、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさら言う必要なし。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということです。問われるべきは「死」でなく、「葬」なのです。そして、「葬」とは死者と生者との豊かな関係性を指します。

 

 

よって、わたしは『唯死論』ではなく、『唯葬論』という書名の本を書きました。同書の「宇宙論」からはじまって「葬儀論」へと至る章立ては、2012年に逝去した偉大な思想家である吉本隆明氏の名著『共同幻想論』(角川文庫ソフィア)をイメージしました。同書は、その後の唯幻論や唯脳論の母体ともなった画期的な書物でした。不遜を承知で言えば、わたしは『唯葬論』を『共同幻想論』へのアンサーブックとして書きました。

魂をデザインする』(国書刊行会

 

もう30年以上も前、わたしは『魂をデザインする』(国書刊行会)という本で、2013年に逝去した文化人類学者の山口昌男氏と対談したことがあります。その時、山口氏は「葬式は無駄なこと。しかし、人類は無駄をなくすことはないよ」と言われました。弔いをやめれば人が人でなくなるのです。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。吉本氏や山口氏をはじめ、『唯葬論』は多くの死者たちのサポートによって書かれました。同書を書きながら、わたしは「生者は死者によって支えられている」と改めて痛感しました。

唯葬論』(サンガ文庫)

 

未知の超高齢社会を迎えた今、万人が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つことが求められます。そのためには「生者と死者との豊かな関係」が不可欠であり、「人生の卒業式」としての葬儀に対する前向きなイメージと姿勢が重要となります。葬儀を行うことをやめれば、わたしたちは自身の未来をも放棄することになるのではないでしょうか。葬儀は人類にとっての最重要問題なのです。


生きることは、死者のために祈ること

 

2022年8月12日 一条真也

日航機墜落事故の日

一条真也です。
8月12日になりました。1985年の日航ジャンボ機墜落事故から37年目になります。振り返れば、あの事故は40回目の「終戦の日」の3日前のことでした。1985年8月12日、日航機123便が群馬県御巣鷹山に墜落、一瞬にして520人の生命が奪われたのです。単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。

2022年8月12日の各紙朝刊より

 

遺体の確認現場では、カルテの表記や検案書の書式も統一されました。頭部が一部分でも残っていれば「完全遺体」であり、頭部を失ったものは「離断遺体」、さらにその離断遺体が複数の人間の混合と認められる場合には、レントゲン撮影を行った上で「分離遺体」として扱われたそうです。まさに現場は、「この世の地獄」そのものでした。


御巣鷹山日航機123便の真実

 

当時、群馬・高崎署の元刑事官である飯塚訓氏が遺体の身元確認の責任者を務められました。ブログ「『墜落遺体』『墜落現場』」で紹介した飯塚氏の著書を読むと、その惨状の様子とともに、極限状態において、自衛隊員、警察官、医師、看護師、葬儀社社員、ボランティアスタッフたちの「こころ」が1つに統合されていった経緯がよくわかります。わたしは、何度も読み返しました。

 

看護師たちは、想像を絶するすさまじい遺体を前にして「これが人間であったのか」と思いながらも、黙々と清拭、縫合、包帯巻きといった作業を徹夜でやりました。そして、腕1本、足1本、さらには指1本しかない遺体を元にして包帯で人型を作りました。その中身のほとんどは新聞紙や綿でした。それでも、絶望の底にある遺族たちは、その人型に抱きすがりました。亡き娘の人型を抱きしめたまま一夜を過ごした遺族もおられたそうです。その人型が柩に入れられ、そのまま荼毘に付されました。



どうしても遺体を回収し、「普通の葬儀をあげてあげたかった」という遺族の方々の想いが伝わってくるエピソードです。 人間にとって、葬儀とはどうしても必要なものなのです。そのことは、「沈まぬ太陽」や「クライマーズ・ハイ」といった、日航ジャンボ機墜落事故をテーマにした映画を観たときも痛感しました。

  

 

わたしは、ブログ『沈まぬ太陽』で紹介した山崎豊子氏の小説をはじめ、くだんの『墜落遺体』『墜落現場 遺された人たち』、さらには日航機墜落事故の遺族の文集である『茜雲〜日航御巣鷹山墜落事故遺族の30年』(本の泉社)も含めて多くの資料を読みました。拙著『葬式は必要!』(双葉新書)に感想を書きましたが、葬儀とは「人間尊重」の実践であるという思いを改めて強くしました。

 

 

さらに、ヒトは葬儀をされることによって初めて「人間」になるのではないでしょうか。ヒトは生物です。人間は社会的な存在です。葬儀に自分のゆかりのある人々が参列してくれて、その人たちから送ってもらう。それで初めて、故人は「人間」としてこの世から旅立っていけるのではないでしょうか。葬儀とは、人生の送別会でもあるのです。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

 

 

1人の人間が亡くなることは大事件です。宇宙的事件だと言ってもいいでしょう。東日本大震災の直後に北野武氏が「2万人の人間が死んだんじゃない。1人の人間が死ぬという大事件が2万回起こったんだ」という名言を残されていますが、まさにその通りだと思います。それなのに、現代日本では通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」が流行し、さらには遺体を焼却後、遺灰を持ち帰らずに捨ててしまう「0葬」も登場。あいかわらず葬儀不要論も語られています。そういった風潮に対して、わたしは『唯葬論』(サンガ文庫)を書きました。絶対に、死者を忘れてはなりません。いつか、520名の犠牲者が昇天した“霊山”であり、4名の奇跡の生存者を守った“聖山”でもある御巣鷹山に登ってみたいです。

 

ちょうど4年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。最後に、御巣鷹山で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

 

2022年8月12日 一条真也

さようなら、小倉昭和館!

一条真也です。
11日は「山の日」ですが、暑いですね。わたしは、いま、悪夢を観ているような信じられない気持ちでいっぱいです。10日夜に発生した小倉の旦過市場の火災で、ブログ「小倉昭和館」で紹介した老舗映画館が焼失したからです。わたしの思い出が多く詰まった、大切な大切な映画館でした。わたしは、いま、深いグリーフの中にいます。

ヤフーニュースより

 

みなさんもご存知のように、ブログ『仕事と人生に効く 教養としての映画』をUPしたばかりです。また、昨日から次回作『心ゆたかな映画』(現代書林)の初校をチェックしています。わたしの仕事と人生において映画の存在は限りなく大きいのですが、そんなわたしを作り上げたのは他でもない小倉昭和館だと思っています。毎日新聞が配信した「老舗映画館『小倉昭和館』も焼失 館主『貴重なフィルムが・・・』」には、「館主の樋口智巳さん(62)は、同館が焼け落ちる様子をぼうぜんと見つめ、『昭和館は20日に創業83年を迎える。当日は子供たちのために無料上映会を予定していた。4月の火事で生き残り、旦過のためにこれからお役に立ちたいと考えていたのに・・・・・・』と立ち尽くした。館が焼けたこと以上に、配給会社から預かっていたフィルムを持ち出せなかったことを悔い、配給会社に次々と電話をかけて『貴重なフィルムをお預かりしていたのに、本当に申し訳ございません』と涙声でわび続けた」と書かれています。
映画館が消失したことを悲しむよりも、配給会社から借りていたフィルムが焼けたことを詫びる樋口さんのお気持ちを察すると、涙が出てきます。


ブログ「旦過市場の大火事」で紹介したように、。市場周辺では今年4月にも「新旦過横丁」などを中心に、42店舗計約1900平方メートルが焼けた火災があったばかりでした。それから4ヵ月も経たないうちにまた大火事が発生し、「まさか!」という思いです。旦過市場が出来たのは、大正時代の初期です。隣接する神嶽川から魚の荷揚げ場として成立したのです。その後、田川や中津方面からの野菜が集積され、現在のような市場となったそうです。市場はアーケードになっており、鮮魚・青果・精肉・惣菜などを扱う店が並んでいます。九州を代表する市場として、よく福岡市の柳橋連合市場と並び称されることが多いです。その旦過市場に小倉昭和館は隣接していました。



1939年創業の小倉昭和館は、福岡県内最古の映画館であり、北九州市に唯一残る個人経営の映画館でもありました。座席数228席の1号館と98席の2号館があり、現代の映画館では使用が減っている35ミリフィルムの映写機も稼働していました。樋口さんは同県中間市出身の俳優、高倉健さん(2014年死去)らとも親交があり、4月の火災後は俳優の仲代達矢さんや光石研さんらからも被害を心配して連絡があったそうです。


サンデー毎日」2016年9月18日号

 

2016年に小倉昭和館が創業77周年を迎えたとき、わたしはその祝賀会に参加しました。わたしは、小倉昭和館には高校時代から大変お世話になってきました。2館並んでいて、それぞれ2本立て。現在は、洋画・邦画、そしてヨーロッパ・アジアのミニシアター系作品が上映されていました。この映画館には舞台がありました。昭和の初期、片岡千恵蔵阪東妻三郎長谷川一夫らの芝居が行われていたのです。時は流れて映画が主流になりましたが、情緒はそのまま、設備は近代化されて「小倉昭和館ここにあり」といった存在感を漂わせていたのです。ブログ『キネマの神様』で紹介した原田マハ氏の名作小説には、「イタリアの感動名画 豪華2本立て」として「ニュー・シネマ・パラダイス」と「ライフ・イズ・ビューティフル」を併映するような名画座が登場しますが、小倉昭和館はまさにそんな感じの素敵な映画館でした。


サンデー毎日」2016年10月9日号

 

かの松本清張が愛したことで知られる小倉昭和館ですが、「風と共に去りぬ」もリアルタイムで上映したという老舗映画館でした。じつは、わたしが初めて観た長編の洋画が「風と共に去りぬ」なのです。小学6年生のとき、テレビの「水曜ロードショー」で観ました。まず思ったのが、「よく人が死ぬなあ」ということでした。南北戦争で多くの兵士が死に、スカーレットの最初の夫が死に、2人目の夫も死に、最愛の父親も死に、親友のメラニーも死にます。特に印象的だったのが、スカーレットとレットとの間に生まれた娘ボニーが落馬事故で死んだことでした。わたしは「映画というのは、こんな小さな女の子まで死なせるのか」と呆然としたことを記憶しています。このように、わたしは「風と共に去りぬ」によって、「人間とは死ぬものだ」という真実を知ったのです。また、主役のスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーの美しさに子ども心に一目惚れしました。「水曜ロードショー」では、ヴィヴィアン・リーの吹き替えを栗原小巻さんが担当しましたが、ラストシーンの「明日に希望を託して」というセリフが子ども心に深く残りました。


原作では“Tomorrow is another day”というセリフなのですが、翻訳者の大久保康雄は「明日は明日の風が吹く」と訳していました。それをテレビでは「明日に希望を託して」というセリフに変えて、栗原さんが力強く言い放ったのです。小学生だったわたしは非常に感動し、わが座右の銘となりました。その「風と共に去りぬ」をリアルタイムで上映した小倉昭和館の77周年祝賀会で、栗原小巻さんにお会いしました。わたしは、栗原さんに少年時代の感動のお礼を申し上げました。栗原さんは、とても喜んで下さいました。小倉昭和館には、そんな思い出もあります。また、いま校正している『心ゆたかな映画』で取り上げる最初の作品がまさに「風と共に去りぬ」で、不思議な縁を感じてしまいました。

炎に包まれる小倉昭和館(撮影:上入来尚)

 

映画「風と共に去りぬ」といえば、ヒロインであるスカーレット役の女優探しが難航したことが有名です。製作者セルズニックが理想のスカーレット女優と出会うまでに費やした時間はじつに2年に上りました。アトランタで行われたオーディションには500人もの自称スカーレットが殺到しました。キャサリン・ヘプバーンベティ・デイヴィスジョーン・クロフォードなど、数多くの大物女優が候補に挙がっては消えていきました。カメラテストでポーレット・ゴダードが最有力候補となった直後、運命の女神はヴィヴィアン・リーに微笑みました。彼女はアトランタ大炎上のシーンの撮影が終りかけていたスタジオに偶然見学に来ていた新人女優でした。それは、1938年12月10日、小倉昭和館が誕生する直前のことでした。ニュース動画で小倉昭和館が炎に包まれた映像を見たとき、わたしは映画史に残る「風と共に去りぬ」のアトランタ大炎上シーンとオーバーラップし、不思議な感覚をおぼえました。


1939年映画祭」のポスター

 

1939年は映画史における奇跡の年でした。西部劇の最高傑作「駅馬車」、ラブロマンスの最高傑作「風と共に去りぬ」、そしてミュージカルおよびファンタジー映画の最高傑作「オズの魔法使」の3本が誕生したからです。その3本は、すべて、その年のアカデミー賞を受賞。そして、それぞれが現代作品にも多大な影響を与え続ける、名作中の名作たちが2019年で製作80周年を迎えました。この3本を愛してやまないわたしは、わが社のコミュニティセンターの施設数が80となったことを機に、2019年10月から12月にかけて、「1939年映画祭」を開催しました。そして、いま気づいたのですが、小倉昭和館も1939年に誕生していのですね。小倉が誇った名画座は、偉大な世界の三大名作と同じ年に生まれていたのです。映画を愛する映画館にふさわしい偶然と言えるでしょうが、この事実に気づいて、また泣けてきました。


トークショーのポスター

上映作品のポスターの前で

小倉昭和館の樋口館主と

 

ブログ「映画で学ぶ人生の修め方」に書いたように、終戦70年となる2015年の夏、わたしは小倉昭和館で生まれて初めてのシネマトークを行いました。ブログ「おみおくりの作法」およびブログ「マルタのことづけ」で紹介した小倉昭和館で上映されている映画について語るイベントでした。コーディネーターは館主の樋口さんでした。 


盛大な拍手に迎えられて入場しました

最初に花束を贈呈されました

 

最初に樋口館主が今回のシネマトークの趣旨を説明されました。そして、「それでは、一条真也さん、ご入場下さい。どうぞ!」と言われて入場しました。盛大な拍手を受けて感激しましたが、自分の席に着いて客席を見ると、知っている人がたくさんいたので驚きました。北九州市立文学館今川英子館長、それになんと父であるサンレーグループ佐久間進会長の姿もあったので、ちょっと動揺しました(苦笑)。また、このシネマトークは、拙著『唯葬論』『永遠葬』のダブル出版記念ということで、2冊の新刊の発売を記念して昭和館さんから花束を贈呈され、驚きつつも感動しました。



おみおくりの作法」について話しました

 

まず最初に、わたしはイギリス・イタリア合作映画「おみおくりの作法」について語りました。ヨーロッパ版「おくりびと」として話題になった映画です。感動のラストシーンが用意されていますが、わたしがステージに上がったときはちょうど「おみおくりの作法」が上映された直後だったので、観客のみなさんの目が赤くなっていました。「おみおくりの作法」の映画の主人公であるジョン・メイは、孤独死のお世話をするという仕事をしながらも、豊かな教養の持ち主として描かれていました。クロスワード・パズルなど、彼に解けない問題はありません。そんな該博な知識を誇る彼が他人の「死」と向かい合い続けているという事実に、わたしは「死生観は究極の教養である」という持論を改めて再認識しました。



「マルタのことづけ」について話しました

 

続いて、メキシコ映画「マルタのことづけ」について話しました。わたしは、最初に「老いない人間、死なない人間はいません」と言いました。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。このには、人生を修める知恵、そして人生をアートのように美しくする方法が描かれています。太陽の国メキシコの「修活」から日本人が学ぶことは多いはずです。あなたも、「死ぬまでにしたいこと」「死ぬまでにするべきこと」、そして「愛する人へのことづけ」を考えてみませんか? そんな話をしました。


たくさんの拍手を頂戴しました

拍手の中を退場しました

 

トーク後の質疑応答の時間では、上品な貴婦人から「家族葬についてどう思われますか?」という質問を受けました。わたしは、「家族葬というのは誤解されています。『身内だけで弔いますので、外部の方はご遠慮します』と言うのはおかしい」と申し上げました。「家族葬」は、もともと「密葬」と呼ばれていました。身内だけで葬儀を済ませ、友人・知人や仕事の関係者などには案内を出しません。本来、1人の人間は家族や親族だけの所有物ではありません。多くの人々の「縁」によって支えられている社会的存在です。家族が生前お世話になった方をお招きして、故人になりかわって御礼を述べる・・・これが本当の「家族葬」であると述べました。その貴婦人は満足されたように微笑んで下さいました。質疑応答も終わると、満員の客席からまるで名作映画を観終わったときのような盛大な拍手が起こり、とても感激しました。大きな拍手に包まれながら、退場しました。それにしても、映画館のトークショーでたっぷりと葬儀について語った人間は、世界広しといえども、わたしぐらいではないかと思います。


上映&シンポジウムのポスター


さらには、2018年6月5日、 ブログ「久高オデッセイ」で紹介した映画の完結篇「風章」の上映会が小倉昭和館で行われました。あいにくの大雨でしたが、多くの方が来場されて満員になりました。この映画には株式会社サンレーが協賛し、わたし個人も協力者の1人です。上映会には父も来てくれました。


シンポジウムのようす

パネリストの3人

 

映画の上映前には、製作者である「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が法螺貝を吹かれました。映画の上映後はシンポジウムが開催されました。ブログ「『久高オデッセイ』シンポジウム」で紹介したように、テーマは「久高の魂と自然島の霊性」で、「古代以前の時代、先人たちの足跡、人々の生と死、育まれる命の息吹、死にゆく命の鼓動、人生儀礼としての祭祀。人間の魂が身体を脱ぎすて、海の彼方へ、原郷へ」などが語り合われました。


シンポジウムのようす


沖縄について大いに語りました!

 

登壇したわたしは、映画を観た感想を語りました。わたしは「久高オデッセイ 風章」を観て、まず、「これはサンレーのための映画だ!」と思いました。サンレー沖縄は、沖縄が本土復帰した翌年である1973年(昭和48年)に誕生しました。北九州を本拠地として各地で冠婚葬祭互助会を展開してきたサンレーですが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。サンレーの社名には「太陽光線」「産霊」「讃礼」という3つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接に関わっています。以上のような話をしました。小倉昭和館には、本当にたくさんの思い出があります。今は、ただ、「ありがとう」と「さようなら」の言葉しかありません。わたしの心の中に、小倉昭和館は永遠に生き続けています!


上映前の小倉昭和館にて


ありがとう、小倉昭和館

 

2022年8月11日 一条真也

『仕事と人生に効く 教養としての映画』

仕事と人生に効く教養としての映画


一条真也です。
『仕事と人生に効く 教養としての映画』伊藤弘了著(PHP研究所)を読みました。「日本一わかりやすい」映画講師として紹介されている著者は、1988年生まれ。愛知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。現在は関西大学同志社大学甲南大学で非常勤講師を務めています。また、東映太秦映画村・映画図書室にて資料整理の仕事を行なっています。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学の今日的あらわれ」(『neoneo』6号)で「映画評論大賞2015」を受賞。本書が初の単著です。

f:id:shins2m:20220415105117j:plain
本書の帯

 

本書の帯には「こう見ればよかったのか!」「『東京物語』(1953)から『パラサイト』(2019)まで超戦略的シネマ鑑賞法」「佐藤優氏 楠木健氏 激賞」と書かれています。

f:id:shins2m:20220415105051j:plain
本書の帯の裏

 

帯の裏には、「映画を通じて他人の人生を疑似体験できる。仕事と人生の幅を広げるための最良のツールが映画だ。」(作家・元外務省主任分析官 佐藤優)、「ほんと映画は教養の両輪。優れた読書論は多いが、優れた映画鑑賞論は希少だ。映画から教養を獲得するための待望の一冊。」(一橋ビジネススクール教授 楠木健)「仕事がデキるあの人も、映画を見ている。」と書かれています。

本書のカバー前そでには、「あの作品の知られざるエピソード&豆知識が満載!」「ヨーロッパでは溝口健二、ハリウッドでは黒澤明が愛される理由」「映画史に残るエジソンの功績と挫折」「『カメラを止めるな!』はなぜヒットしたかetc」と書かれています。

 

本書のカバー後そでには、「絶対にもう一度見返したくなる作品批評」「ヒッチコック『裏窓』に隠されたトリック」「『万引き家族』お風呂シーンの意図」「『ボヘミアン・ラプソディ』はフィクションだった!?」「小津安二郎の隠れた傑作『オナラ映画』etc」とあります。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
プロローグ 「トイ・ストーリー」は難しい?
第1講 映画を見たらどんないいことがあるか
    ――人生が劇的に変わる5大効用
●映画の効用1
 感情の起伏を経験し、内省を深めることができる
●映画の効用2
 他人の人生を疑似体験できる
◎INTERMISSION
 『トイ・ストーリー』の大ヒットと
  スティーブ・ジョブズの復活劇
●映画の効用3
 異文化に触れることができる
●映画の効用4
 知識を身につけるきっかけになる
●映画の効用5
 人間としての魅力が増す
コメンタリー「ベラルーシ映画旅行記
第2講 映画史を知ればビジネスの基本がわかる
    ――イノベーションと産業の歴史
コメンタリー「なぜ映画の日は『1日』なのか」
第3講 「日本の古典映画はなぜ世界で評価されるのか
    ――黒澤・溝口のすごい仕事術
コメンタリー「三船敏郎のデビュー秘話」
コメンタリー「ヌーヴェル・ヴァーグってなんだ?」
コメンタリー「隠れた名作『近松物語』」
第4講 絵画のように映画を見る
      ――人間の真実を描いた小津の『東京物語
コメンタリー「小津映画に反映された『絵画性』」
◎INTERMISSION
 小津安二郎の「グルメ手帖」
第5講 「映画で考える「家族のあり方」
     ――是枝裕和『海街diary』の視線劇
◎INTERMISSION
 是枝映画の入浴シーン
第6講 映画のトリックに騙されてみる
   ――ヒッチコックから学ぶ
     「バイアス」にとらわれない方
コメンタリー「眠る人を撮り続けた反映画」
◎INTERMISSION
 映画の著作権保護期間
  ――『東京物語』の著作権は有効?無効?
第7講 映画の「噓」を知る
   ――人の心を動かす映像戦略
コメンタリー「高まる『応援上映』」
◎INTERMISSION
 映画資料の保存と活用
最終講 あなたの感想が世界を変える
    ――情報を整理し、表現する力

コメンタリー「映画の引用について」
コメンタリー「『映画を見る会』を開こう」
◎INTERMISSION
 そのアウトプットは誰のためのもの?
「あとがき」
「参考・引用文献」
付録 必見!!
  世界と日本の名作映画111選/映画鑑賞ノート


プロローグ「『トイ・ストーリー』は難しい?」では、著者は「映画研究者=批評家としての立場から、私は『映画を意識的に見ることは、人間としての能力の底上げや人生の向上につながる』という確信を抱いています」と述べています。第1講「映画を見たらどんないいことがあるか――人生が劇的に変わる5大効用」の「映画は『オワコン』ではない」では、2020年はコロナ禍の影響もあって観客数、興行収入ともに2019年の55%弱に落ち込んでしまいましたが、そのような状況のなかでブログ「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」で紹介したアニメ映画が歴代最高の興行収入を記録したことは注目に値するとして、著者は「人々には依然として映画に対する強い欲求があり、機会があれば困難な状況下でも映画館に足を運ぶということが証明されたからです」と述べます。


映画鑑賞について、著者は「『映画館で見たい映画を見ること』は、実は依然として都市部に暮らす人間にのみ許された贅沢です(地方には近くに映画館のない地域がいくらでもあります)。しかし、映画ソフトのレンタルや動画配信サービスの充実によって、現代の日本に生きる私たちは、人類の歴史上もっとも映画にアクセスしやすい環境にあるのです(その一方で、戦前の作品を中心に、オリジナル・フィルムの消失によって二度と見ることのできない映画が大量に存在していることは銘記しておかなければなりません)」と述べています。


「映画館だからヒットした『カメラを止めるな!』」では、途中で離席されることをそれほど恐れなくてもいいというのが映画製作上の強みとなると指摘した上で、 ブログ「カメラを止めるな!」で紹介した2018年に日本中を席巻した上田慎一郎監督作品は、そうした強みを存分に利用した快作でした。著者は、「この作品は前半40分弱が後半のための伏線になっていて、その部分だけを見るとむしろ退屈なつくりになっています。ですが、映画館で本作を見た観客の多くは、その退屈な時間に耐えることができました。そして、映画を最後まで見ると退屈に思われた前半部分がいかに重要であったかが理解され、大きな満足(カタルシス)を得られる仕掛けになっているのです」と述べます。


「映画鑑賞の5大メリット」の映画の映画の効用1は、「感情の起伏を経験し、内省を深めることができる」です。 ブログ「君の名は。」で紹介したで紹介した新海誠監督のアニメ映画を例にしながら、著者は「人は、基本的に感情を揺さぶられることに快を覚える動物です。この場合の感情の揺らぎには、『楽しい』『興奮する』といったポジティブなものだけでなく、『怖い』『悲しい』といった一見するとネガティブなものも含まれます。人間は、涙を流すために進んでメロドラマ映画を見に行き、恐怖を感じるためにホラー映画を見に行く倒錯した生き物なのです。



また、著者は「映画という擬似現実を通して感情の起伏を経験できること。映画の特別な楽しみは、このようにも言うことができるでしょう。魂が揺さぶられるような大きな感情の変化の積み重ねは、あなたの人生をより彩り豊かなものにしてくれるはずです。誰しも、自分の実生活のなかで過度の恐怖や悲しみは感じたくないものです。ですが、映画というフィクションを通してであれば、リスクを負うことなくそうしたネガティブな感情に浸ることができます(感情の起伏それ自体がしんどいので映画自体『あるいは特定のジャンルの映画』を見るのが苦手だという人の存在は承知しています)」とも述べています。


「“スマホ疲れ”にも効果的」では、映画を見ることは、ある種のデジタルデトックスになると説明します。集中して映画を見ている間は、デジタル機器からの刺激をシャットアウトできるからです。著者は、「映画を見ている時間とは、自分の心の動きを見つめる時間にほかなりません。映画を通して感情の起伏を積み重ねていくと、自分の感情の振れ幅がわかるようになります。自分はどういう状況に喜びを見出したり、怒りを覚えたり、悲しみを感じたりするのか。つまりは、自分はどういう人間なのかを知ることにつながります。自らの感情の動きを知り、内省を深めてそれをコントロールできるようになること。このようにして磨かれていくのが『感性』と呼ばれるものの核心ではないかと私は考えています」と述べています。

 

 

「『一生』を2時間に凝縮」では、映画の効用2として、「他人の人生を疑似体験できる」が紹介されます。観客は一定の時間をかけて映画の登場人物たちに感情移入していき、彼らの人生を擬似的に生きながら感情の変化を味わえます。しかも、わたしたちは、複数の映画を見ることでいくつもの人生を擬似的に生きることができるといいます。映画のこの特質については、大の映画通としても知られた時代小説家の池波正太郎も著書『映画を見ると得をする』(新潮文庫)で、「すぐれた映画とか、すぐれた文学とか、すぐれた芝居とかというのを観るのは、つまり自分が知らない人生というものをいくつも見るということだ。もっと違った、もっと多くのさまざまな人生を知りたい・・・・・・そういう本能的な欲求が人間にはある」と書いています。池波はここで文学や芝居にも言及していますが、同時に「やっぱり映画には映画ならではというところがある」とも言っています。映画の特権として、「2時間かそこら」の「ごく短い時間で」、「まるで自分の隣の人がやっているように見せる」ことのできる点を挙げているのです。

 

 

また、文章から情景を想像するのが小説の醍醐味だとすれば、登場人物や街並みをすべて映像で見られるのが映画の特色であるとして、著者は「『罪と罰』は19世紀のサンクトペテルブルク帝政ロシアの当時の首都)が舞台となっています。21世紀の日本に生きる私たちが、文章のみを手掛かりにして異国の過去の都市の情景を想像するのは困難ですが、すぐれた映画はきちんとした時代考証に基づいてそれを正確に再現してくれるのです。他の人の人生を2時間ほどの短時間で疑似体験できること。これが『なぜ映画を見るのか?』という問いへの池波正太郎なりの回答です」と述べます。



さらに、映画の真骨頂は、疑似体験した複数の人生を現実の自分の人生に持ち込むことができる点にあると指摘し、著者は「映画ではしばしば危機的な状況や困難な状況が描かれます。そうした状況を打開するために登場人物たちが見せる知恵や勇気、決断力は、分野を超えて私たちに多くのことを教えてくれます。切羽詰まった状況下では、冷静な主人公たちを際立たせるために、自己中心的な人物や愚かな行動に走る人物が描かれるものです。そうした振る舞いを反面教師とすることもできるでしょう。たくさんの人生を知っている人は、それだけ他者への想像力を働かせることができ、広い視野から物事を眺められるようになるのです」と述べています。


「お金がなくても海外に行ける」では、池波による映画の効用3として「異文化に触れることができる」が紹介されます。池波正太郎が、外国映画を見ることでそれぞれの国の国民性や文化、あるいは都市の構造に自ずと通じていくことができると述べたことを紹介し、著者は「池波の実体験として、曲がりなりにも40年間フランス映画を見続けていたおかげで、初めてパリを訪れた際にもまったくまごつくことなく、よさそうなお店や場所が感覚的にわかったという話を紹介しています。彼はフランス語がわからないにもかかわらずです。海外旅行の際に、初めて訪れる場所でスムーズに行動できて、より深く現地を堪能できるとなれば、たしかにお得ですよね」と述べます。


加えて、その国の映画を知っていることはそれ自体が「武器」になるとして、著者は「どの国にもかつて大ヒットした映画、国民の誰もが知っている有名な映画や俳優が存在するものです。そうした話題を提供することができれば、相手との心理的距離を一挙に詰めることができるでしょう。日本にきた外国人がジブリ作品のことを嬉しそうに話してくれたら、聴いているこちらも嬉しくなるのと同じことです」と述べるのでした。


「無知を知る」では、池波による映画の効用4として「知識を身につけるきっかけになる」が紹介されます。ウイルス感染の脅威、アポロ計画の実態、原発事故の現場、リーマン・ショックの背景など、映画は実に多彩な題材を取り上げることを指摘し、著者は「こうしたテーマを書籍や文献で学ぶのはもちろん重要なことですが、いきなり専門的な書籍に当たるのはハードルが高いですよね。その点、映画は視覚的なイメージから入ることができます。しかも多くの映画は一般的な観客の理解力をシビアに計算してわかりやすく作られていますので、無理なくその分野に馴染むことができます。非常にコスト・パフォーマンスがよいのです」と述べます。最後に池波による映画の効用5は「人間としての魅力が増す」です。映画を意識的に見続けると、池波は「粋な人間になって行く」「人間の『室』が違ってくる」などと表現しています。


第2講「映画史を知ればビジネスの基本がわかる――イノベーションと産業の歴史」の「ハリウッド誕生の背景」では、撮影された映画は当時どこで上映されていたのかという疑問について、著者は「最初期の映画は遊園地や地方巡業の見世物の1つとして上映されていましたが、その後の映画館文化への接続という点で重要なのは、ヴォードヴィル劇場と呼ばれる見世物小屋です。ヴォードヴィルは17世紀末にパリの大市に出現した演劇形式です。アメリカのヴォードヴィル劇場では、歌や踊り、手品やコントといった雑多なショーが上演されていました。ここに映画の上映がくわえられ、人気を得るようになります」と述べます。


映画の人気は、ヴォードヴィル劇場で従来行なわれていた各種パフォーマンスを凌ぐようになり、やがて映画の上映のみでプログラムを組む劇場があらわれます。こうして、1905年ごろに映画の常設館が生まれたのです。著者は、「アメリカに登場した初期の常設映画館は、入場料の5セント硬貨がニッケルであったことにちなみ、ニッケルオデオンと呼ばれます。入場料金の安価さからもわかるように、ニッケルオデオンは庶民のための娯楽場でした」と説明しています。


ここで、リュミエール兄弟ともに映画の発明者の1人とされるトーマス・エジソンが登場します。映画から得られる利益を独占しようと目論んだエジソンは、映画会社に対して特許をめぐる裁判を連発。1908年には、相次ぐ裁判で消耗した大手映画会社を抱き込み、モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー(MPPC)という映画(カメラ)の特許を管理するトラストを結成します。本書には、「ニッケルオデオンの成功によって財を成していた経営者たちは、このエジソンの強権的な支配に反発します。高額な特許料の支払いから逃れるために、彼らが築いた新天地こそがハリウッドでした」と書かれています。


ハリウッドは映画製作に最適の場所でした。ニューヨークから遠く離れ、いざとなれば国境を越えてメキシコに避難することもできたこの土地は、くわえて気候にも恵まれており、映画撮影のための絶好の条件を備えていたのです。著者は、「アメリカ映画といえば真っ先に西部劇を連想する方も多いでしょうが、最初期につくられた西部劇はじっさいの撮影をアメリカ東部で行なっていました。ロサンゼルスに拠点を移したことで、本物の西部の景観を思う存分撮影することができるようになり、数々の名作が生み出されることになったのです」と述べています。


ユダヤ系経営者に支えられたビジネス・モデル」では、初期のハリウッドを支えたのはユダヤ系の経営者たちであったとして、著者は「彼らによって1910~20年代にかけて設立された会社が、のちにハリウッドを支配する大会社へと成長していきます。パラマウント、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザーズ、RKO、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)といったメジャー映画会社は、いずれもこの時期に設立されました。(前身となった会社を含みます)」と説明しています。


「『見せる』映画から『物語を語る』映画へ」では、初期の映画は異国の物珍しい風景や各種のパフォーマンス、好奇心を煽るような衝撃的な出来事など、それ自体が魅力を持つ対象を「見せる」ことに重点を置いていたことが紹介されます。映画研究者のトム・ガニングは、1906年ごろまでに製作された初期映画の特徴を「ショックや驚きのような直接的な刺激を強調」している点に求め、それらの映画を「アトラクションの映画」と名付けました。しかし、「見せる」ことを重視していた映画は、やがて「物語を語る」ことへとシフトしていきます。この時期に活躍した映画監督D・W・グリフィス(1875~1948)は、物語を効果的に語るための各種技法を洗練させ、映画を芸術の域に高めたと見なされています。物語映画の様式は、1910年代終盤までにほぼ確立していたと考えられています。今日の映画にまでつながる基礎的な技法は、すでにこの時代に編み出されていたということです。


映画研究者のデイヴィッド・ボードウェルは、1917年から60年までにハリウッドで製作された映画に特定のスタイルがあることを明らかにし、この時代の映画を「古典的ハリウッド映画」と呼びました。「効率的な語りとは」では、古典的ハリウッド映画の最大の特徴は、何よりもまず「物語を優先する」点にあることを指摘し、著者は「各種の技法は、効率的な語り(語りの経済性)を実現させるために動員されています。これによって観客を映画のなかに引き込み、我を忘れて物語に熱中する『夢の時間』を作り出すのです。登場人物の動機や物語の因果律(原因と結果)を明白に示し、ハッピー・エンドで締めくくること(あるいはあいまいさの残らない完結したエンディングにすること)も特徴の1つです」と延べます。


また、古典的ハリウッド映画の製作方法について、本書には以下のように書かれています。
「プロデューサー主導のもと、映画製作の各プロセスは徹底的に分業化され、スターやジャンルを最大限に活用した画一的な映画が量産されました。スタジオ・システム下における映画の大量生産の仕組みは、しばしばT型フォードの流れ作業(ライン生産方式)になぞらえられます。映画の文脈に経済性を求めるのは違和感があるかもしれませんが、観客は、経済的な語りのおかげで映画を楽しく見ることができるのです」

 

 

「歴史を学んだら『地図』を描く」では、映画史に限らず、歴史を知るということは、自分の現在の立ち位置を確かめることにつながると指摘されます。歴史家のE・H・カーは、「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」であると述べました。著者は、「過去の出来事を通して現在を知り、また未来を見通すことができるのです。それは、よりよく生きるための指針ともなるでしょう。私は、歴史は地図に似たところがあると考えています。自分がどこから来て、どこに向かっているかを教えてくれるのが地図であるとすれば、やはり歴史にも同じような機能を見出すことができるのではないでしょうか」と述べています。


◎INTERMISSION「『トイ・ストーリー』の大ヒットとスティーブ・ジョブズの復活劇」では、「ピクサーの躍進とジョブズの凱旋」として、著者は「ピクサーでの華々しい成功を手に、ジョブズは業績不振に陥っていたアップルに復帰し、暫定CEOに就任して辣腕を振るうことになります。その後、iPodやMacBook、iPhone、iPadといったヒット商品を世に送り出したのはみなさんもご存知のとおりです。ハードウェアの販売という当初の思惑は外れてしまったものの、ジョブズピクサーのアニメーション制作技術を信じて赤字時代を支え続けていなければ、その後の復活やそれに続くヒット商品の連発も起こらなかったかもしれません。『トイ・ストーリー』の成功は、文字通り世界を変えたのです」と書いています。


第3講「日本の古典映画はなぜ世界で評価されるのか――黒澤・溝口のすごい仕事術」の「よく見ることは、よりよく生きること」では、小津安二郎の『お早よう』(1959年)の中のシーンが「大人たちの形式的なあいさつや紋切型の世間話を無駄だと切り捨てる子どもたちを前にして、彼らに英語を教えている男性登場人物(佐田啓二中井貴一のお父さんです)は次のように言うのです。『でも、そんなこと、案外余計なことじゃないんじゃないかな。それ言わなかったら、世の中、味も素ッ気もなくなっちゃうんじゃないですかねぇ。僕ァそう思うなァ』」というふうに紹介されます。「無駄があるからいいんじゃないかなァ、世の中――」「僕ァそう思うなァ」というこのシーンを見返すたびに著者は言いようのない感動に襲われるそうで、「人間社会の真実を鋭く言い当てた名場面」と述べています。

一条真也の映画館」TOPページ

 

わたしは、日々、多くの映画を観て、その感想をブログに書き、さらには「一条真也の映画館」にレビュー記事を掲載しています。なぜ、映画について人は文章を書かずにいられないのか。著者の大学院修士課程時代の指導教員である映画研究者=批評家の加藤幹朗は、ある研究書の「あとがき」に、「映画について書く暇があれば、映画を見に行ったほうがよいというひとがいるかもしれない。しかしわたしは映画をもう一度見るために書く。書くことは、よりよく見ることだからである」と書いています。著者はこの考え方に全面的に同意し、「もっと言えば、『書くこと』『よりよく見ること』は、『よりよく生きる』ことと地続きではないかと思います。私はおそらく、映画をよく見てそれについて書くことが、よりよく生きることにつながると信じているのです。そうして書かれたものが、読んでくれた誰かにほんの少しでも気づきを与えて、その人の人生を豊かにすることができたとしたら、これに勝る喜びはありません」と述べています。わたしも、著者とまったく同じ気持ちです。

 

 

「小津と黒沢の意外な関係」では、黒澤の自伝『蝦蟇の油 自伝のようなもの』(岩波書店)の内容が紹介されます。同書には、検閲官たちからいかに的外れな批判を浴びせられ、それに対して黒澤がどれほど腹を立てたかが克明に記述されています。黒澤が自身のデビュー作である『姿三四郎』(1943年)の検閲試験に業を煮やして席を立とうとしたとき、小津が立ち上がって「百点満点として『姿三四郎』は、120点だ! 黒澤君、おめでとう!」と言って合格が決まったそうです。著者は、「小津は50年代の黒澤作品について批判的な言葉を口にするようになりますが、黒澤はのちのちまでこのときの小津への感謝を忘れなかったようです。小津の『一声』がなければ、黒澤映画は日の目を浴びなかったかもしれません。日本映画の『黄金世代』はこうした巨匠たちの切磋琢磨とリスペクトのなかで醸成されたとも言えます」と述べています。


「ヨーロッパは溝口、ハリウッドは黒澤がお好き」では、総じて溝口健二がヨーロッパ、とくにフランスのシネフィル(熱心な映画愛好家)に受け入れられる傾向にあり、それに対して黒澤明はハリウッドで高い評価を得たことを指摘し、著者は「これにはヌーヴェル・バーグが掲げていた『作家主義』という戦略も大いに関わってきます。溝口のような独創的なスタイルを持った映画は彼らの理念に合致していたと言えるでしょう。一方、西部劇の神様ジョン・フォードを尊敬していた黒澤の映画には、ハリウッド映画的な要素が色濃く組み込まれていました。このことは、当のハリウッドの映画人たちに親しみを抱かせたと考えられます。あるいは、一見して娯楽性の高い黒澤作品に映画の本流を見たのかもしれません」と述べます。


第4講「絵画のように映画を見る――人間の真実を描いた小津の『東京物語』」では、一生をかけて付き合い続けることのできる映画との出会いはそうそうあるものではありませんが、そうした作品と出会えた人は幸福であるとして、著者は「そんな映画と出会うと、それまでとは世界の見え方が変わってきます。心の拠り所となるような作品の存在は、その人を強くしてもくれます。私の場合は、それが小津映画でした。ぜひみなさんにも『運命の1本』と出会い、その映画について考え続ける幸福な人生を経験してほしいと思います」と述べています。小津映画といえば、似たようなテーマが繰り返し描かれるのも特徴で、『晩春』『麦秋』『秋日和』『彼岸花』『秋刀魚の味』はいずれも「娘の結婚」をめぐる話であることが紹介されます。


「小津映画が描く普遍的な人間の姿」では、ゆるやかに崩壊へと向かう家族の日常を描いた小津の映画は、人間の普遍的な姿を映していたのかもしれないとして、著者は「1950年代当時、黒澤や溝口の時代劇が海外で脚光を浴びるなか、あまりに日本的な生活を描いていた小津のホームドラマが国際映画祭に出品されることはほとんどありませんでした。しかし、サムライやニンジャには興味を惹かれないという外国人であっても、その人生において「家族」と無縁であることはまずありません」と述べています。小津に私淑しているドイツのヴィム・ヴェンダース監督は、『東京画』(1985年)というドキュメンタリー映画の冒頭で「小津の作品はもっとも日本的だが国境を越え理解される。私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る。私の父を、母を、弟を、私自身を見る。・・・・・・小津の映像は20世紀の人間の真実を伝える。われわれはそこに自分自身の姿を見、自分について多くのことを知る」と語りました。


第5講「映画で考える『家族のあり方』――是枝裕和『海街diary』の視線劇」の「批判的思考力を磨く」では、「批判」はたんに悪口を言うことではないことが訴えられます。この言葉の第一義的な意味は「物事に検討を加えて、評価・判定すること」であり、そこには良い点を見つけることも含まれます。「批評」もこれとほぼ同じ意味をもつ言葉です。著者は、「映画は私たちの生きる同時代の社会を反映する鏡です。映画の流行を追うことは、時代の潮目を見極める能力を鍛えることにつながるでしょう。話題の新作映画を見ることで世の中の流行にキャッチアップしつつ、批判的思考力を磨いていけば、刻々と移り変わっていく社会情勢のなかで確固とした存在感を発揮できるようになるはずです」と述べています。


「是枝作品が問いかけるテーマ」では、ブログ「海街diary」で紹介した日本映画が取り上げられ、「『海街diary』では、母親の違う四女(父親は3人の姉たち家族を捨てて四女の母である女性と家を出た人物です)がそのことに負い目を感じつつ、三姉妹と正真正銘の家族になっていく過程が描かれていくのですが、この映画に見られる「家族にとって大事なのは血のつながりなのか、それともともに過ごした時間や思い出なのか」という問いは、是枝作品にしばしば登場する重要なテーマです。赤ん坊の取り違えを描いた『そして父になる』(2013年)は、このテーマに正面から切り込んだ作品でした。『万引き家族』はまさに血のつながりのない家族の物語でしたし、代表作の1つである『誰も知らない』(2004年)は全員父親の違う兄弟姉妹たちの話でした。また、『歩いても 歩いても』(2008年)をはじめとして再婚相手の連れ子という設定もよく見られます」と書かれています。


是枝裕和小津安二郎の共通点」では、是枝裕和はしばしば小津の影響を指摘される監督であるとして、著者は「是枝自身は家族をテーマにしている作品が多いからといって、それだけで安易に小津と比較されることにうんざりしているようです。ただ、私が見る限りでは、登場人物の視線を一致させたりずらしたりすることによってその関係性を描き出す点は2人の監督に共通しているように思います」と述べます。また、「フラッシュバック(回想シーン)を用いない点も両者に共通しています。小津も是枝も、登場人物の思い出はすべて会話のなかで処理していきます。一般的な映画であればそこから回想シーンが始まりそうな場面であっても、2人の映画ではフラッシュバックの使用が厳に禁じられているのです。2人の監督は、記憶というものは客観的な映像によって安易に提示できるようなものではないと考えているのでしょう」と述べます。


ブログ「小津安二郎展」にも書きましたが、わたしは小津安二郎の映画が昔から大好きで、ほぼ全作品を観ています。小津の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。小津ほど「家族」を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台だと知っていたのでしょう。小津の後継者と見られている是枝監督の「海街diary」には葬式のシーンが登場します。著者は、「葬式とは、参列者の視線がいっせいに遺影へと注がれる儀式にほかなりません。序盤に登場した三姉妹の写真に四女の居場所はありませんでしたが、直接関わりのあった二ノ宮の遺影には彼女なりに思うところがあったはずです」と述べています。


第7講「映画の『噓』を知る――人の心を動かす映像戦略」の「『ボヘミアン・ラプソディ』はフィクション?」では、 ブログ「ボヘミアン・ラプソディ」で紹介した音楽映画が取り上げられます。クイーンのフレディ・マーキュリーの人生を描いた実話映画と思われているこの作品にじつは多くのフィクションが混ざっていることを指摘し、著者は「映画というのは、ときに嘘によって真実以上に真実らしさを描き出すことのできるメディアであると指摘し、著者は「『嘘』という言葉は、一般的にはネガティブな印象を与えるかもしれません。ですが、私たちの文化は嘘と真実が曖昧に混じり合って成立しています。また、だからこそこれほどの豊かさを獲得しているのです。嘘を嘘であると知りながら、それでもなおその嘘と軽やかに戯れるすべを知っている人は、成熟した精神の持ち主ではないかと思います」と述べています。


最終講「あなたの感想が世界を変える――情報を整理し、表現する力」では、小津の「彼岸花」(1958年)に関する著者のツイートがバズったことを紹介。この映画では、お嫁に行く娘(有馬稲子)とそれを送り出す母(田中絹代)が茶の間で語り合うシーンがあるのですが、母は結婚指輪をしていますが、未婚の娘はしていません。また、画面に写っているグラスの中の液体や皿は女優の手と同じ高さに調整されていることを指摘し、著者は「この場面に見られるグラスや皿の高さの統一は、女優の手のための空間を用意し、指輪の有無を際立たせる働きをしているのではないかというのが私の解釈です。つまり、小道具の高さを利用して観客の視線を自然に女優の手元へと誘導しているわけですね。その手元の対比を通して、最終的には映画のテーマである親世代と子ども世代との価値観(結婚観)の対立にまで議論を展開していきました」と述べています。


さらに「彼岸花」について、著者は「映画の公開当時はちょうど見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転する直前に当たっており、自分たちと同じように娘も親の認めた相手と見合い結婚をして当然だと思っている父親と、自分の結婚相手くらい自分で見つけて何が悪いと考える娘の価値観が衝突しているのです」と述べるのでした。この見方には、心底感服しました。本書から、わたしは多くを学びました。何よりも、著者の映画に対する深い愛情に感銘を受けました。もうすぐ上梓する拙著『心ゆたかな映画』(現代書林)を書く上で非常に参考になったことを告白するとともに、最高の映画入門として広くオススメいたします!

 

 

2022年8月11日 一条真也

死を乗り越える中村天風の言葉

 

明日に死を迎えるとしても、
今日から幸福になって
遅くないのです。(中村天風

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、異色の哲学者として知られた中村天風(1876年~1968年)の言葉です。彼は、実業家、ヨーガ行者、自己啓発講演家としても活躍しました。「天風」という号は、彼が最も得意とした随変流抜刀術の「天風」(あまつかぜ)という型からとられたものです。



異色の哲学者である中村天風は、政治高官をはじめ、多くの経営者が迷ったときに、意見を求めた人です。それゆえにフィクサー、影の首相などとも呼ばれていました。この天風の言葉を接すると、彼によってどれだけ勇気づけられたリーダーたちがいたのかと納得させられる気がします。



「老い」というと、将来がないという負のイメージかもしれませんが、幸福というものを追い求める気持ちは年齢に関係ないことを、この言葉は教えてくれます。では、どうすれば幸福になれるのかというと、感謝というものが大切です。天風は、生涯を通じて感謝の重要性を説きました。

 

 

「ありがとう」という気持ちを持ち続けていれば、不平、不満、怒り、怖れ、悲しみなどは自然に消えてなくなると訴えたのです。究極のポジティブ・シンキングですが、「とにかく、まずはじめに感謝してしまえ」という言葉を遺しています。わたしたちは、感謝すべき出来事があって、その後に感謝するのが普通です。しかし、いまここに「生きている」というだけでも、大きな感謝の対象になるというのです。こんな感謝の気持ちを持てば、幸福になれるに違いありません。この中村天風の言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

 

2022年8月10日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「見」です。

 

 

論語』をはじめとする中国の四書には、人を見る目の明るさが乱世を生き抜く知恵として重視されると記されています。何をもって相手を見極めるかといえば、主に4つあります。第1に、人相を見る。第2は、出処進退の退を見る。第3は、応答事例を見る。つまり、言葉のやりとり、態度を観察する。第4は、修己治人。己をおさめ、徳の人であるかどうかを見る。このように、人を見るのは難しいものです。

 

 

つねに「活眼」というものの重要性を訴えた安岡正篤は、人間は特に目が大切であると言っています。すなわち、物が見えなければなりません。しかし、単なる肉眼では目先しか見えず、すこぶる危険です。わたしたちは外と同時に内を見る、現在と同時に過去も未来も見る、また現象の奥に本体を見るということを心がける必要があります。



仏教では「五眼」(ごげん)というものを説いています。肉眼(にくげん)、天眼、慧眼(えげん)、法眼、仏眼の5つですが、とにかく肉眼以上のものを「心眼」としておきましょう。その心眼で見ると、わたしたちの生活も宇宙の活動も結局は1つのものであり、マクロコスモスとしての宇宙とミクロコスモスとしての人間の生活は、大と小の違いこそあれ、その本質においては共に同じです。マクロ、ミクロ、いずれのコスモスもエネルギーの運動であり、変化であると言うことができます。



そして、わたしたちの生活を支配しているこのエネルギーの作用には、潜在エネルギーと顕在エネルギーの2種類があります。わたしたちの体格とか肉づきとかいったものは、現われている顕在エネルギーです。ところが、そのように現われ、明らかに外面に出ているエネルギーはその人が持つ全エネルギーのきわめて一小部分であり、むしろ隠れている潜在エネルギーの方がはるかに強い力、大きな存在です。それはちょうど氷山と同じことで、水面に現われている部分はごく一小部分であって、水面下に潜在している部分の方が、水面上に現われている部分の少なくとも八倍くらいはあります。それだけ潜在面とは大きいものであり、わたしたちの潜在エネルギーも非常に強い力を持っているのです。



見かけはもことに弱そうに見えながら、何かやらせるととても精力的な不撓不屈の人もいます。これは顕在エネルギーは貧弱であるけれども、氷山みたいに潜在エネルギーが旺盛なのです。どうも人間は自然の物質よりも複雑で、どちらかというと、見てくれのいい人よりも、見てくれのさほどでない人に潜在エネルギーの旺盛な人が多いようです。「柳に雪折れなし」などというのも、意味が相通ずるものがあります。歴史を見ても、英雄とか哲人とかいわれる人に、案外見てくれのそれほどでない人が多いものです。人を見るときには、その人間の潜在エネルギーを見る心眼を持たなければならないのです。

 

 

また、和漢の古典を広く学んだ安岡は、「聖賢の智慧」の大切さを唱え続けましたが、それは「ものの見方の三原則」として結晶化しています。人間は、迷っている者や目先の利かない者に対して、教え助けることもできる。そこで、ものを考えるうえに大切な原則は次の3つです。
1.目先にとらわれず、長い目で見る。
2.物事の一面だけを見ないで、
  できるだけ多面的、全面的に観察する。

3.枝葉末節にこだわることなく、根本的に考察する。

 

 

とかく人間というものは、手っ取り早く安易にということが先に立って、そのために目先にとらわれたり、一面から判断しなかったり、あるいは枝葉末節にこだわったり、というようなことで、物事の本質を見失いがちです。これでは本当の結論は出てきません。物事というものは、大きな問題、困難な問題ほど、やはり長い目で、多面的に、根本的に見ていくことが大事です。特に人の上に立つリーダーほど、これは心得なければならないことであると安岡は言います。

 

 

よく「後継者に帝王学を授ける」などということが言われますが、それは帝王としての立ち居振る舞いを教えるということではなく、ものの見方、考え方を教えるということです。物事を長期的視野のもとで、多面的・全体的・根本的に観察し、その本質を洞察するように努めたとき、事態にうろたえてしまって、失敗するということはありません。部下が上司に求めるものはそれです。だからこそ人の上に立つ者は、自分の経験の範囲内で処理するのではなく、つねに古典などを読んで聖賢の智慧に触れ、自己研鑽することが大切なのです。

 

 

リーダーとは見る人です。人を見る。現場を見る。そして、機を見る。その場合、旅というものが重要な意味を持ってきます。吉田松陰の学問は見聞という実践でした。黒船の実物を見るべく乗り込もうとしたほどです。松陰は、とにかくその短い生涯にわたってよく旅をしました。一般的な事跡を知るぐらいは万巻の書をひもとけば十分理解でき、それ以上のことは必要ないでしょう。



しかし、松陰はこう考えました。人の欠点は読書するのみで博学な知識をもて遊んでいるばかり、あえて思考を広げることをしないところにある。あちこちを旅して、さまざまなものを見る。心は常にころころと動き、活きているものは必ず「機」つまり発動のはずみがある。機はいろいろなものによって発し、感動してまた動く。発動させるには、まず旅をして、何かを見て、初めて真の利益が得られるのである、と。なお、「見」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年8月10日 一条真也