オンライン葬儀スタート!

一条真也です。
ハッピー・ハロウィン! しかも、今夜は満月!
コロナ禍の中で、オンライン葬儀が話題を呼んでいますが、わが社サンレーでも、11月1日より、福岡県エリアの紫雲閣にて、「紫雲閣オンライン」のサービスがスタートします。紫雲閣オンラインは、これまで主流であった電話での訃報連絡をスマートフォンからのメールやLINEで簡単に共有いただけるサービスです。共有された故人ごとの専用訃報ページから供物のご注文や弔電を送ることができるサービスで、12月からは香典を送る機能も追加予定です。

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 紫雲閣オンラインは、ご葬家にも参列者にも便利にご活用いただけるサービスとなっています。ご葬家の視点から考えると、「故人がお世話になった多くの皆さんに訃報を知らせたいけど、ご葬儀の打ち合わせなど忙しく、全ての人には電話できない」という状況が考えられます。その結果、一部の方にしか訃報が行き届かず、ご葬儀のあとに「なんで知らせてくれなかったの」とか「故人には大変お世話になったので、きちんとお別れがしたかった」と残念に思う方がでてきます。これは非常に寂しいものです。こうして参列できなかった方は、後日自宅にお参りに来られることもあると思います。しかし、ご葬儀がおわって様々な手続きで忙しい中、お参りに来られると、きちんとした対応ができなくてお互いに残念な思いをしてしまいます。やはり訃報はきちんと皆さんに知らせ、ご葬儀というお別れの場に来ていただくことが大切です。

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訃報トップページ 

 

紫雲閣オンラインでは訃報を多くの方へ簡単に知らせることができます。LINEのアイコンをタップすると送信先選択画面がでてきて、送りたい人を選ぶとすぐに訃報を複数の方に送ることができます。メールも同様です。受け取った方も同じく転送が簡単にできるので、同じ町内の仲間や趣味のグループなど別のコミュニティにいる方にもきちんと訃報が伝わります。また、ご葬儀会場や開始時間などの伝言ミスもなくなります。近しい方にはこれまで同様にお電話で生前のお礼とご葬儀のご案内をしていただき、その補助ツールとしてご活用いただけます。

f:id:shins2m:20201029235919j:plain訃報LINEのイメージ

 

12月から開始予定の香典サービスも、ご葬家の負担を軽減できる機能が備わっています。その一つとして経済的負担の軽減に期待ができることがあります。コロナ禍の影響や、訃報をきちんと知らせないことにより参列者の数が減ると、当然ながらいただく香典も少なくなります。ご葬儀には祭壇などの固定費と人数によって変わる変動費があります。家族葬や小規模葬だと全体の費用は抑えられているように感じますが、香典がいただけない分、実質負担は一般的なご葬儀より大きくなることも多いのです。ご葬儀の規模や、形式を問わず、きちんと訃報を知らせることで「どうしても都合がつかず参列できないけど、せめて香典だけは送りたい」とか「親族のみのご葬儀だと聞いたけど、香典を送らせて欲しい」といった方から香典をいただくことが増えると思います。これにより、経済的な負担が軽減できるのです。多くの方々から少しずつ香典が集まり、ご葬儀というセレモニーの実質負担が軽減できる。このシステムはまさに互助の精神が「かたち」になったものです。

f:id:shins2m:20201030000017j:plain訃報ページトップ画面

 

一方で、参列者にも便利な機能が沢山あります。弔文のメッセージや、簡単に供物や生花を注文できるオンラインショップ、前述の香典サービスなど、参列者の故人に対する偲ぶ気持ちや感謝の思いを「かたち」にすることができるのです。供物の注文や香典のサービスは、パソコンやスマホからクレジット決済が可能となっています。ご承知の通り、コロナ禍により社会全体に大きな変化が起きています。紫雲閣では変化に対応したアップデートを行いながらも、これまで同様に、お客様に寄り添うサービスを提供してまいりたいと思います。最後に一言。コロナ禍で冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることは絶対にありません!

 

2020年10月31日 一条真也

『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』

一条真也です。
ハッピー・ハロウィン! しかも、今夜は満月!
31日、125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第150回分が掲載されています。取り上げた本は、『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』P・M・フォルニ著、大森ひとみ監修、上原裕美子訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。ついに記念すべき150回目を迎えましたが、1冊にまとめて、来春には『心ゆたかな読書』のタイトルで現代書林から刊行する予定です。お楽しみに!

f:id:shins2m:20201028153558j:plainサンデー新聞」2020年10月31日号

 

コロナ禍にあって、わたしは改めて「礼」というものを考え直しています。特に「ソーシャル・ディスタンス」と「礼」の関係に注目し、相手と接触せずにお辞儀などによって敬意を表すことのできる礼法、中でも小笠原流礼法が「礼儀正しさ」におけるグローバル・スタンダードにならないかなどと考えています。日本人古来の徳である「礼」の価値が、世界的に見直されるかもしれません。

 

本書の著者は、アメリカ・メリーランド州ボルチモアに本部を置くジョンズ・ホプキンス大学のイタリア文学教授です。長年、礼節をテーマにした講義やワークショップを行なってきた著者が、「礼節とは何を意味するか」について、以下の結論を挙げています。
・礼節とは、複雑なもの。
・礼節とは、よいもの。
・礼節とは、ていねいに、礼儀正しく、
 行儀やマナーを守ること。

・礼節は哲学や倫理学の領域にあるもの。

 

この4点に沿って本書を書いたという著者は、「礼節ある人間でいるということは、つねに他人の存在を意識して、その意識のすみずみに寛容さと敬意と配慮を行き渡らせることです。礼節とは善意の表れです。誰か個人に親切で配慮ある態度をとるだけでなく、地域や地球全体のすこやかさに関心を持つことでもあるのです」と述べています。

 

礼節(=Civility)という言葉の由来は、都市(=City)と社会(=Society)という言葉にあります。著者は、「礼節という言葉の背景には、都市生活が人を啓蒙する、という認識があるのです。都市は人が知を拓き、社会を築く力を伸ばしていく場所なのです。人は都市に育てられながら、都市のために貢献することを学んでいきます」と述べます。そして、礼節とは「よい市民になること」「よき隣人であること」を指しているといいます。

 

著者は、「礼節ある生き方を選ぶということは、他者や社会のために正しい行動を選ぶということです。他者のために正しく行動すると、その副産物として人生が豊かにふくらむのです」と述べ、さらに「他人に親切にするのはよいことである」という真理は永久に色あせないと主張しています。

 

そして、「人生で最も重要なのは他者とのふれあいである」と断言し、「ふれあいの質の改善を、最優先事項とするべきではないでしょうか。礼節を守るのは、人と人とのふれあいの質を上げる最も確実な方法です。ふれあいの質が高まれば、人生はうるおいます。とてもシンプルなことなのです。」と提言するのでした。まったく同感です。

 

CHOOSE CIVILITY 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である

CHOOSE CIVILITY 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である

 

 



2020年10月31日 一条真也

『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』

力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝

 

一条真也です。
力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』森合正範著(東京新聞)を読みました。名作漫画『あしたのジョー』の力石徹のモデルになった、天才空手家の全貌を紹介する本です。ブログ『強者の流儀』で紹介した本の著者である格闘家の朝倉未来極真空手出身で身長177センチですが、本書の主人公である山崎照朝は極真の第1回全日本選手権大会で優勝した空手家ですが、身長がやはり177センチ。体重も朝倉未来とほぼ同じということで、興味深く読みました。ちなみに、わたしの身長も177センチなので、体格のイメージがよくわかります。

 

著者の森合正範氏は1972年、横浜市生まれ。スポーツ新聞社を経て、2000年、中日新聞社に入社。東京中日スポーツでボクシング、ロンドン五輪を取材。中日スポーツ中日ドラゴンズを担当し、2015年から東京新聞運動部記者として、ボクシングとオリンピック競技を中心に取材活動をしています。本書の内容は、2013年に「東京中日スポーツ中日スポーツ)」で連載した「山崎照朝空手バカ一代記」を大幅に加筆、再構成したものです。インタビューでは山崎自身が師・大山、先輩・芦原英幸への偽らざる思い、後継者、理想の空手道を熱く語っています。

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本書の帯

 

本書のカバーには、「あしたのジョー」の漫画家ちばてつやが描いた力石徹とともに、空手着姿の山崎照朝が構えている写真が使われています。帯には、漫画家・板垣恵介が描く範馬刃牙の回し蹴りの絵とともに、「『山崎照朝がいなければ、バキのあの回し蹴りは生まれなかった』『刃牙』シリーズ 板垣恵介」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、上半身だけ空手着で、下はキックボクシングのトランクス姿の山崎照朝が蹴りを放っている写真が使われ、「本人の証言と関係者の取材で初めて明かされる」「梶原一騎から寵愛され大山倍達の空手を体現し、『キックの鬼沢村忠と並び称されたクラッシュ・ギャルズの師匠の半生」「山崎空手の真髄『待ち拳』を動画で紹介!」と書かれています。

 

カバー前そでには、「梶原が書斎から大きな体を揺らし、ゆっくりと現れた。山崎の目をじっと見て、少し興奮した口調で言った。『ジョーにライバルができた。力石っていうんだ。おまえがモデルだ』。その言葉を聞いても、何も感じなかった。ただうなずくだけだった。(本文より)」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 力石徹はおまえだ
第2章 大山倍達石橋雅史 
第3章 「戦国キック」参戦
第4章 第1回全日本選手権の衝撃
第5章 梶原兄弟との決別
第6章 クラッシュ・ギャルズ
第7章 空手道おとこ道
山崎照朝を語る
1.浜田剛史「冷たい水のような冷静さ」
2.及川宏「不器用な生き方をする天才」
3.佐藤勝昭「品格が高い空手を実践」
4.大石代悟「まねできない異次元の才能」
5.山崎照道「ずば抜けたスピード、切れ」
6.長与千種「他人の敷いたレールを歩かない」
7.ライオネス飛鳥「『任された以上は』の責任感
Interview「極真の竜」、語る
山崎空手の真髄「待ち拳」
山崎照朝の軌跡
参考文献

 

本書の主人公である山崎照朝は1947年生まれ。国際武道連盟「逆真会館」館長。空手道の段位は七段。異名は「極真の龍」。空手道の1つの理想的な組手を、フルコンタクト空手で示したことにより、歴史に残る空手家だと評価されています。アメリカの武道雑誌「ブラックベルト」にもその名は刻まれており、真剣を思わせる切れ味鋭い技で、自らは傷を負わずに対戦相手をバッサリ斬ってとるファイティングスタイルから、キックボクシングでも「幻の名選手」と評されました。選手を退いてからは「中日スポーツ」「東京中日スポーツ」の格闘技評論家・ジャーナリストとして活躍し、ボランティアで空手を指導。日本大学獣医学部卒業。



その山崎がモデルになったという力石徹とは、梶原一騎原作・ちばてつや漫画の「あしたのジョー」に登場するボクサーで、主人公・矢吹丈の最大のライバルです。本書の第1章「力石徹はおまえだ」では、ボクシング漫画の金字塔である「あしたのジョー」について、以下のように書かれています。
全共闘世代の間で『手にはジャーナル(朝日ジャーナル)、心にマガジン』が流行語になるほど、『週刊少年マガジン』は若者の心をつかんでいた。その中でも『あしたのジョー』は一部の若者たちからバイブルのような扱いを受ける。どん底から這い上がってきたジョーは反体制側。白木財閥の後ろ盾を得ている力石は体制側。登場人物の二人はそれぞれの象徴とされ、『あしたのジョー』は時代と重ねられた」



力石はジョーとの激闘の末、勝利しながらも絶命しました。過酷な減量が彼の命を奪ったのです。1970年(昭和45年)3月24日、「力石徹が死んだ あしたのジョーのファンの集い」と題された力石の葬儀・告別式が実際に行われました。場所は東京都文京区の講談社6階の講堂。葬儀はアングラ劇団の「天井桟敷」を主宰する寺山修司が中心となり、午後3時から5時まで約800人の弔問客が駆けつけました。会場は人であふれ、入りきれなかった100人にはお土産を渡し、帰ってもらったといいます。力石の存在の大きさには、列席した梶原・ちばコンビも驚いたようです。彼らには体制云々の意図はなく、この場の反響にも複雑な思いがありましたが、身震いするような責任も感じたそうです。帰りの車中で、二人は「物書き冥利には尽きると言えば尽きるな。だけど、これからが大変だ」と語り合ったとか。

 

 

 「あしたのジョー」の原作者として時の人となった梶原一騎は、ボクシングから空手に題材を変え、「空手バカ一代」をスタートさせます。梶原が気に入った空手家が山崎照朝でした。「山崎の強さに惚れ込んだ梶原」として、著者は「1971(昭和46)年5月から『週刊少年マガジン』で梶原原作の『空手バカ一代』(作画・つのだじろう影丸譲也)の連載が始まる。極真会館創始者である大山倍達の半生、その後は芦原英幸を中心に大山の高弟が築く極真空手の隆盛を虚実交えて描いた漫画である。その中で梶原は山崎を『日大の竜』『極真の竜』と名付け、極真の第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に優勝するまでの軌跡をたどった。その後も『天才』『華麗』と称し、随所に山崎を登場させた」と書きます。



空手を修行しようとしたキッカケは、山梨県立都留高等学校の入学式に番長グループから「身体がデカイのが気に入らない」と因縁を付けられたことでした。番長グループの1人が空手使いだったことから、このとき空手道という武道があることを初めて知り、興味を抱いたそうです。八王子市にある最も近い道場にその空手使いが通っていたことから、他を探していたところ、池袋にある空手道場の広告を見つけました。東京都に住んでいた姉へ遊びに行くことを口実にして、見学してみようと極真会館本部道場を訪問。当時は「空手なんて不良がやること」という風潮があり、山崎の両親が空手の修行に反対することはわかっていたので、極真への入門は内緒にしていました。そのため、東京へ通う口実として「歌手になりたいから、東中野にある歌謡スタジオに行きたい」と頼んで了承をもらったのでした。

 

山崎が入門した極真会館大山道場から刷新された直後。指導内容は大山道場時代からのものをそのまま踏襲しており、館長の大山倍達を筆頭に、大山道場時代からの師範代である石橋雅史黒崎健時らが指導を行っていました。先輩には「空手バカ一代」の天才空手少年・有明省吾のモデルである安田英治をはじめ、大山茂・大山泰彦・郷田勇三・藤巻潤中村忠・加藤重夫・藤平昭雄・芦原英幸らがいて、共に稽古を重ねました。後に芸能界で活躍する千葉真一藤巻潤もいました。今から考えたら、すごいメンバーです。当時の極真の組手はノールールで、何でもありでした。著者は、「練習では当たり前のように顔面を狙ってくる。手にタオルを巻いているのは組手をおもんぱかってのことではない。自らの拳をけがしないため、相手を床にたたきつけることもあれば、急所だって蹴ってくる。投げるだけでなく、髪の毛をつかんで引きずり回す者もいた。それも技のうちだった。一方が『参りました』と言うまで組手は続いた」と述べます。



そんな中で、山崎と切磋琢磨し、のちに「城西の虎」「極真の虎」と呼ばれる添野義二との出会いがありました。添野は山崎に最初に会った日のことを覚えており、「俺は高校のときに暴れてネリカン(東京都練馬区にある東京少年鑑別所)に入れられて、空手をやっちゃいけないと・・・。その後、道場に戻ってきたらあいつが来ていたんだ」と語っています。2人は同じ1947年(昭和22年)生まれですが、添野のほうが山崎より3ヵ月ほど早く極真の門を叩きました。まだ池袋の本部道場が完成する前で、前身の大山道場の頃でした。小学校から柔道に励み、空手は極真の前に別流派の和道流の道場に通い、腕を磨いていました。添野は、「やっぱり極真は荒かったよな。山崎は本人も努力したんだろうけど、普通の人とはちょっと違うよな。初めて会った瞬間から光るものを感じたから。努力型ではなく天才型だよ」と語っています。



道場でひときわ存在感を放っていたのは、「ケンカ十段」の異名を持つ芦原英幸でした。その空手は荒々しく、ケンカそのものでした。著者は、「多くの強者が芦原を敬遠する中、会うたびに『お願いします』と言って、手合わせをした。芦原はニタッと笑い、『よし、やろうぜ』と勢いよくやってくる。山崎は守るのに精一杯だった。だが、絶対に下がらない。芦原が向かって来たら、山崎も前に出る。1ミリたりとも下がらない。どんな体勢になっても、倒れたとしても芦原から目をそらさない。そう心掛けていた」と書いています。山崎は、「俺は芦原先輩がいたから強くなったんだ。強い奴らにはあらゆる手を使ってでも勝ちにいく。先輩からそういう姿勢を学んだ。極真は荒っぽくて有名だったけど、俺にとっちゃ当たり前。他の空手を知っていたら『こんなの空手じゃない』と言えるけど、俺はあれが当たり前の空手だと思っていたな」と語っています。



極真会館館長の大山倍達は稽古後に必ず訓示を述べましたが、剣豪・宮本武蔵や武士道について説くことが多かったそうです。親交のあった史上最強の柔道家木村政彦や彼を「昭和巌流島の一戦」で倒したプロレスラーの力道山がいかに稽古をしていたかをしていたかを語り、「それに引き換え、君たちは・・・」と説教に及ぶこともありました。山崎は、「館長が『木村政彦は激流の川で何時間も砂取りをして足腰を鍛えた』と言うんだ。俺も普段の生活を稽古に変えようと考えた。山梨の畑仕事でも仕事と思うと辛い。でも、トレーニングと思うと楽しくなってくる。頭を切り替えて、畑に行くのは体力作り。彼は道場で磨けばいい。山道をジャンプして歩いたり、河原に行けば、石を割ったりしてな」と語っています。

 

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

 

 

ブログ『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で紹介した本に詳しく書かれていますが、木村は「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」「鬼の木村」とうたわれた最強の柔道家です。著者は、「山崎は自らを木村の鍛錬と重ねることによって、師・大山に少しでも近づこうとしたのである。ぶどうや桃の荷運びだけでなく、重労働の土方仕事や石運びのアルバイトにも精を出した。重い壁石は約30キロもある。それを2つ、約60キロ背負い、足場の定まらない山道を歩く。道場に行けない日はアルバイトに励んだ。日常生活が稽古になっていた」と書いています。



山崎は入門2年4ヵ月で黒帯という最短記録を残します。茶帯になった頃から、道場破りの相手をすることも多くなりました。道場破りが来ると、大山は「よく教わりなさいよ」と野太い声で言いましたが、これは極真の道場生だけが知る隠語でした。山崎は当時を思い出して、「館長が『よく教わりなさいよ』と言ったら、相手を殴れ、倒せ、伸ばしちゃえ、ということ。館長はじっと黙って見ている。それで『うーん・・・』と唸りだしたら、何をやっているんだ、早く伸ばせ、ということ、それはもう緊張感があったな」と語っています。隠語は他にも「当てるな」というものがありましたが、これも「よく教わりなさいよ」と同じ意味でした。相手を伸ばさないで道場から帰すと、大山からひどく叱られたそうです。



第3章「『戦国キック』参戦」では、K-1ブームを上回る往年のキックボクシング・ブームについて書かれています。1969年1月、TBS・日本テレビに続き、NET(現、テレビ朝日)が「ワールドキックボクシング」の放映をを開始します。NETはムエタイ選手や日本拳法空手道ら空手の各流派に出場要請をして選手集めをする他、極真会館へも同年2月に参戦依頼をしてきました。大山倍達は当時の高弟から山崎・添野義二・及川宏を選出して極真ジム所属のキックボクサーとして参戦させ、彼らは「極真三羽烏」と紹介されました。



山崎は「目立つのが好きじゃないし、プロになるつもりはなかった。だがNETは「キックの鬼」として有名だった沢村忠の30連勝をストップしたルンピニーランカーのカンナンパイ・ソントーンを対戦相手に用意していることに心引かれ、『1、2戦のみだけではだめですか? キックボクシングがどういうものか知りたいし、そのカンナンパイと戦ってみたいのですが・・・』と大山館長にお願いした」と吐露しています。極真ジムとして参戦していたので、セコンドには佐藤勝昭など門下生がサポートしましたが、山崎ら3名にとって、わずか2ヵ月の準備期間で他格闘技のリングに上がることは無謀でした。



その頃の山崎は「俺は極真カラテ一筋。他格闘技は意地でも習わない」という考えでしたので、まさに「空手対キックボクシング」の異種格闘技戦でした。山崎は「米軍のキャンプ座間の道場生には身長2m近く、体重が90kg以上の身体が大きい者ばかりが十数人いて、中にはボクシングをやっている道場生もいた。彼らを相手にして体力負けしない技を研究し、組手していたから、同じ体重なら絶対負けないという自信はあった。パンチもある程度慣れていたし、それが試合をする時に支えになった」と述懐しています。大田区体育館でデビュー戦を迎えた山崎の対戦相手は、ムエタイのライト級6位のピサタン・ラートカモルでした。左前蹴りから右上段回し蹴りと繋ぎ、ラートカモルがよろめいたところを右ストレートで2R45秒でKO勝ちしました。



2戦目で希望していたカンナンパイとの対戦が実現。試合開始後、山崎は第1戦と同様に前羽の構えで相手からの攻撃を待っていました。カンナンパイはしばらく様子を見ていましたが、微動だにせずにいる山崎に痺れを切らし、右ローキックで攻撃してきました。山崎は左脛でブロック後、逆襲に転じます。左右の前蹴りをカンナンパイの鳩尾へ入れ、息を詰まらせ戦意を失いかけているカンナンパイに止めの右ストレートを打ち込み、1R1分33秒でKO勝利しました。カンナンパイは「山崎のパンチは石で殴られたような強烈なものだった」と敗戦のコメントを残しています。カンナンパイは試合後、あまりの山崎のパンチの痛さと硬さを信じられず「ヤマザキはグロープの中に石を入れている!」と抗議したほどでした。



第4章「第1回全日本選手権の衝撃」では、1960年代後半、日本船舶振興会笹川良一が会長を務める伝統空手の全日本空手道連盟全空連)が極真に対して傘下に入るよう提案するも、大山が拒否した経緯が説明されています。以後、寸止めの伝統派と極真は対立しました。空手が柔道のように1つになることはなかったのです。大山いわく、柔道においては武徳会、講道館があった時、互いが切磋琢磨して日本の黄金時代がありました。空手界を1つの集合にするのはナンセンスであり、互いに競い合うところに空手の発展があるのではないかということです。



そして、1969年9月、極真会館主催の第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会が開催されました。他流派の空手選手はもちろん、柔道家やキックボクサーまで加わった参加選手は48名でA・B・Cとトーナメントが分けられ、それぞれ勝ち上がった選手同士で決勝リーグ戦を行う形式でした。選手権前の心境を山崎は「直接打撃は問題ないが、『オープントーナメント』と謳っている以上、どのような挑戦者がエントリーしてくるのか、気がかりであった。架空の敵を想定しながら稽古を続け、大山倍達館長も色々と細かいアドバイスをして下さり、大変参考になり何より心が落ち着いた」と振り返っています。その一方で、「何としても負けられない。私か添野義二か、どちらかが全日本のチャンピオンになると・・・。もし、我々極真カラテの黒帯が他流派や他の格闘技者に負けたら極真カラテはそこで終わってしまう」と、精神的重圧が相当なものであったことを認めています。



このプレッシャーに負けず、山崎はキックボクシングで使った前羽の構えや、円心の構えを対戦相手に応じて変え、従来の空手道にムエタイの技を加えた攻撃で、ほとんどの試合を一本勝ち。決勝リーグ戦に進出し、残り2つのトーナメントから添野・長谷川一幸が勝ち上がってきました。この三者で行われましたが、山崎は添野を判定で優勢勝ち・長谷川には回し蹴りで一本を決め、見事に優勝を飾りました。当時は「組手試合」の他に、厚さ2.8センチメートルの杉板を使用した「試割り試合」もあり、正拳3枚・足刀4枚・手刀5枚・エンピ4枚の計16枚で優勝を果たし、ダブルタイトルを獲得。山崎はこの喜びを白帯時代に指導を受けた石橋雅史へ連絡し、謝意を示しています。



大会後、師・大山からは「きみ、木村政彦は10連勝だよ!」と声をかけられ、山崎は「押忍」と答えています。著者は、「山崎の優勝は大山にとって至極当然。祝福より、出てきたのは先を見据えた言葉だった。大山は、希代の柔道家で全日本王者に13年間君臨した木村政彦の名を挙げ、山崎を鼓舞した。『1000人の弟子よりも、1人強い男がいれば格闘界を制圧できる』という思惑があり、山崎を空手の象徴にしたかったのである」と書いています。しかし、山崎の心に大山の言葉は響きませんでした。彼は、「日本一といえども、空手には流派があって、これはたかが一流派の大会。それは柔道だったら違うのかもしれないけど、俺には優勝とか連覇の価値が分からなかったし、まったく興味が湧かなかった。元々、俺はルールのある試合に勝ちたいのではない。喧嘩に強くなりたくて始めた空手だからな」と語っています。



しかし、「全日本優勝の歴史的意義」として、著者は「山崎の思いとは裏腹に、海の物とも山の物ともつかない第1回大会で優勝した意味は大きかった」と述べています。「妖刀村正」の異名を持つ大石代悟は、山崎が果たした歴史的役割について、「もしあのとき、他流派に負けていたら今の極真はない。大山倍達の名に傷がついた。山崎先輩がいたから今の極真がある。1ページ目があるから今のページがあるんです」と解説します。著者は、「『牛殺し』の大山は世に知られていても、実際に大山の試合を見た人はいない。大山の悲願、全日本選手権大会で『喧嘩空手』『実戦空手』が本物であり、華麗であることも証明した。当時はタブーの大会。それでも今なお50年以上続く極真の全日本選手権大会。師・大山の空手を第1回優勝者の山崎が体現したのである」と書いています。



山崎はキックボクシングでも活躍しました。「キックの鬼沢村忠を倒したサマンソー・アディソンやカンナンパイ・ソントーンといった本場タイの強豪を破ったことによって、同じライト級ということもあり、「沢村と山崎はどちらが強い?」と言われました。沢村が活躍したTBSのキックボクシングには「演出主体」という声が多かったことも事実ですが、沢村は紛れもない実力者でした。1969年末から70年にかけて、玄人筋の間では沢村より山崎の評価が高かったようです。ただし、沢村は1966年(昭和41年)から76年(昭和51年)までの10年間で241戦232勝228KO5敗4分けですが、山崎は8戦6勝(6KO)2敗です。対戦相手は全員タイ人。黒星は1969年(昭和44年)のカンナンパイ戦と71年(昭和46年)のビラディック戦。いずれも、すでに、一度KO勝ちした相手でした。山崎にとって「再戦」は余興だったのです。



1970年の第2回オープントーナメント全日本空手道選手権大会では、再び決勝リーグ戦を山崎・添野・長谷川一幸の三者で争われました。山崎と添野の対戦は回し蹴りと突きとの応酬となりましたが、2回の延長戦(6分間)の後、山崎が下段逆突きを決めて添野に勝利。続いて長谷川との対戦では試合開始から約20秒が経過し、山崎が間合いを詰めてすり寄ってきたところ、長谷川が絡み倒して下段正拳突きをピタリと顔面に止め、一本となり山崎に勝ちました。長谷川は添野にも勝ち、長谷川の優勝。山崎は準優勝で終わりました。その後、山崎は選手を引退しています。



1972年の秋、選手を引退していたものの大山倍達の命令で、山崎は第4回全日本選手権に2年ぶりに参戦。決勝リーグ戦進出を決める試合で英国のハワード・コリンズと対戦します。戦前の予想では山崎が圧倒的有利でしたが、コリンズの右上段回し蹴りが首を捉え、山崎はガクっと膝をついてしまいます。技ありを取られた山崎は残り時間に必死の反撃をしますが、試合は終了し、コリンズの勝利となりました。コリンズは「山崎センパイに勝てたのは偶発的なもの。決して実力ではなかった。万にひとつの奇跡に近い勝ち方だった」とコメントし、山崎は「負けは負け。言い訳はできないよ」とそれぞれ語っています。



この第4回大会では、Aブロックがコリンズ、Bブロックが三浦美幸、Cブロックが佐藤俊和が勝ち上がり、決勝リーグは三者で争われることになりましたが、「まだ外国人を優勝させるわけにはいかない」という大山倍達の意向が大会特別主審の中村忠と大山茂に伝えられたといいます。それを知った山崎は怒声混じりで「そんなの構わないですよ、正々堂々とやらせてあげてください」と懇願。結果、優勝は三浦で、コリンズは準優勝でした。山崎は、「(第4回の)コリンズの話もそうだけど、当時の極真はそういう大会だったと思う。全部のカード、館長が決めている。館長の手の中にある。館長の思惑や私情が入るのが、俺が出ていた頃の大会。俺が自分から『極真チャンピオンです』と言わないのはそういうこと。館長はアメリカでプロレスを見て来たからヒーロー、スターをつくるのがうまい。梶原先生が描きやすいストーリーというのかな。第5回大会もどういう大会になるのか、だいたい分かっていた。世界大会の話も出てきて、そこも視野に入っていたんだろうな」と語っています。



1973年の第5回オープントーナメント全日本空手道選手権大会は決勝リーグ戦がなくなり、64人の選手が参加する1日のトーナメントとなり、決勝まで進めば6試合を行う形式となりました。山崎はゼッケン64のシード選手でエントリー、準々決勝までを華麗というほかはない技の冴えで対戦者を圧倒して、快調に勝ちあがっていました。準決勝戦の相手は佐藤俊和。序盤から俊和が前蹴り・左上段回し蹴り・右中段回し蹴りで攻めてきました。山崎はそれぞれ受けた後、右ローキックから左右のハイキック2連発、左前蹴りと逆襲。今度は俊和が右下段回し蹴りを出しましたが、それを山崎が左脛でブロックし、右のハイキックで逆襲しようとしたら、いきなり俊和が足を引きずり場外へ自ら出ました。主審の中村忠が試合を中断して、リングドクターに俊和の右足を診断させます。ドクターは続行無理と進言。中村は山崎のTKO勝ちを宣言し、山崎は決勝戦に進出しました。



勝戦佐藤勝昭を破った盧山初雄が対戦相手でした。試合開始後、山崎は円心の構え、盧山は前羽の構えで対します。山崎が間合いをつめ、右ローキックから左ハイキックの2連発、軽快なフットワークから左前蹴りを繰り出せば、盧山は右ローキック、右の正拳突きで逆襲。盧山は右の三日月蹴りを出しますが、山崎は左肘と左膝で挟み受け。山崎の蹴りに合わせる様に、盧山は中段に正拳突きを出します。盧山が突き、山崎は懐の深さで捌いて上段に蹴りを放ちます。そんな緊迫した攻防に観客だけでなく、関係者のほとんどが息をひそめるように見入っていました。キックボクシングを体験した両者は、当時主流であった限度間合いからの攻撃ではなく、誘導間合いか相応間合いで積極的に攻防して、試合が終了しました。判定に持ち込まれ、4対1で盧山が初優勝。山崎は惜敗したものの、選手権大会前の状況を知っている関係者は、山崎への賛辞を惜しみませんでした。



第7章「空手道おとこ道」では、「刃牙」シリーズで知られる漫画家の板垣恵介が登場します。著者は、「板垣は漫画のキャラクターに実在の人物を投影させることが多い。範馬刃牙は格闘家の平直行愚地独歩大山倍達中村日出夫、渋川剛気は合気道の達人、塩田剛三。山崎に関して言えば、モデルにしたことはない。言い換えれば『特別』なのかもしれない」と書いています。板垣は、「照朝さんはもっぱら回し蹴りだな。回し蹴りのシーンがあると照朝さんのことを思い出しながら描くんだ。俺は回し蹴りを描きたいんだよ。大好きなんだよ。描いていて気持ちがいいし、ああここで、回し蹴りのチャンスだな、と思ったら、俺は出すもん。この流れでいったら、出せるなというときは必ず描くんだから」と語っています。著者はさらに、「梶原一騎が山崎を力石徹のモデルにした『あしたのジョー』。板垣が山崎の回し蹴りを投影した『刃牙』。昭和を代表するボクシング漫画と、平成を駆け抜け、令和をも突き進む格闘技漫画が山崎を通じて結びついた」と書いています。素晴らしい名文ですね。



 Interview「『極真の竜』、語る」では、著者の「取材中や雑談のとき、山崎さんは冗談でも大山館長のことを一切悪く言わなかったですね」という問いかけに対して、山崎は「言うわけないじゃん。館長は儒教の教えだと思うんだよな。俺のお袋がいつも『侍は・・・』と言っていたのと、館長の言葉が重なるんだよ。『男は敷居を跨いだら七人の敵あり』『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす』とかよく格言を言うんだ。それが素直に入ってきたな。大山倍達を尊敬しているよ。俺はずっと館長に『押忍』と言ってきた。もし、少しでも疑問があったら、付いていかないよ。技一つでもそう、館長がこうやって(構えて)も誰もまねをしないんだ。大山茂先輩とか、あのへんのクラスしかやらない。ましてや、大会が始まってからは誰もやらなくなった。俺はさ、その大山倍達の構えを組手や試合で使ったんだよ。だから、館長は喜んだ。俺は実践した。体現したから、館長(の強さ)を証明している。構えからさばきから、納得したから使ったんだよ」と答えています。



また、「あとは芦原英幸さんのことも強調されていましたね。インタビューが掲載された雑誌などで誤解されていると話していました」という著者の問いかけには、山崎は「要するにね。、芦原先輩の凄さを知らない。道場では当てっこなんだよ。顔面、金的、急所でもいい。反則というのは技なんだよ。反則だから使わないというのはその人の考え方。だけど、反則も技と考えたらそれを極めるのが一番強い。そういう論理。組手を教えてくれたのが芦原先輩。顔面や金的をすぱっと蹴る。百発百中でできる人はいない。外れたら、反動がある。組手は『巧いことをやりやがって』と向かってくる。そのリスクも計算の上でやるから。そういうのをさらっとやるのが芦原先輩。普通の技のようにやるんだよな」と答えていますが、凄い話ですね。



そして、「第1回大会の動きが理想だったと話していましたね。あとは新聞連載(2013年)から、空手で大きく変わったことがあります。東京五輪の追加競技に選ばれました。山崎さんは記者として、寸止めの全空連全日本空手道連盟)を精力的に取材していますね」という著者の問いかけに対して、山崎は「フルコン(フルコンタクト、直接打撃制)は寸止めできない、寸止めは実戦ができない、と思っているだろ? でもな、同じなんだよ。何で区切るんだよ。ルールになったら、そのルールでやればいい。両方ともできなきゃいけないんだ。極端に言えば、急所(攻撃)も技とし(て認められ)たら、それで練習をする。寸止めの時にはそれを省いた中でやればいいんだ。なぜ、そういう発想にはならないの? 発送を変えればいい。それなのに、フルコンと寸止めを頭から区切るんだもん。それでは自分を磨けないよ」と答えるのでした。



本書を読み終え、わたしは「山崎照朝こそは真のサムライだな」と思いました。会社勤めをしながら、十分に納得できる稽古を積めずギリギリまでやった山崎は、限界まで来たと決断して大山倍達に道着を返しました。結果的に第5回全日本選手権が最後の出場となりましたが、参加した選手権全てに入賞する安定した成績を残しました。山崎は「空手をメシのタネにしようとは思わなかった。それは武道を汚すことだし、僕には多年培ってきた極真精神だけでよかった」と語っています。実にあっさりした引退でしたが、その後も空手の指導料も一切取らず、空手に関する著書の印税も極真会館に寄付する徹底ぶりです。まったく金に執着しなかった山崎ですが、「空手バカ一代」のレコードB面の「空手道おとこ道」を歌っているとは知りませんでした。A面のアニメ主題歌は子門真人が歌っていますが、歌唱力では負けていません! ちなみに、この歌の歌唱印税梶原一騎から貰ったものの、空手仲間(盧山初雄)がヤクザを伸ばした慰謝料のために全額カンパしたとか。どこまで漢なんだ、山崎照朝!

 

力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝

力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝

  • 作者:森合正範
  • 発売日: 2020/08/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年10月30日 一条真也

解散という儀式

一条真也です。
週刊女性PRIME」が配信した「ジャニーズは「解散」という美学を忘れたのか、“名ばかりグループ”を増やす罪」という記事は考えさせられました。

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週刊女性PRIME」より 

 

ライターの薮入うらら氏が、「もはや不祥事以外で、解散という道はないのか?」と書きだし、闇パチスロ店に出入りしたことを「文春デジタル」に報じられたジャニーズJr.の4人組ユニット「宇宙Six」の山本亮太(30)との専属契約をジャニーズ事務所が解除したことを報告しています。藪入氏は、「宇宙Sixはデビューこそしていませんが、ジャニーズのグループとしてSMAP以来の解散です(退所グループはあり)。事実上の解散、というグループはたくさんありますが、なぜか解散しない。その理由としては、ジャニー(喜多川)さんが作り、強い思い入れがあったグループだからなどいろいろありますが、解散を発表しないのは潔さがない。未練タラタラなんですよね」との芸能リポーターの発言を紹介しています。



また、藪入氏は「つい先日、少年隊の植草克秀(54)と錦織一清(55)が今年いっぱいで退所することがわかった。東山紀之(53)だけはジャニーズ事務所に残る。事実上の解散だが、少年隊という名前だけは残すという」と述べ、さらに「来年3月に、長瀬智也が退所するTOKIOも、残った城島茂国分太一松岡昌宏が株式会社TOKIOを作ることで『TOKIOの〇〇です』と名乗ることになる。年内いっぱいで大野智が活動休止に入る嵐も、解散ではなく活動休止を選択しますが、芸能界から距離を置きたい大野がまたグループ活動に戻る可能性は低い。デビュー当時は9人組だったNEWSは今年、手越祐也が退所したことで3人になったがグループ存続を選んだ。どうして解散を選ばないのか、ファンクラブの存続問題などがあるとは思いますが、解散という美学を忘れてしまっているというか、そんな感じがしますね」とのスポーツ紙記者の発言を紹介しています。



かくして不祥事でも起こさない限り、ジャニーズ事務所には解散しそびれたグループの一部メンバーが残り続けることになるわけですが、これは明らかに異常なことです。藪入氏は、「解散という儀式を通過できないファン」として、「自分の人生をかけ、好きなタレントを必死に推すアイドルファン。解散する日が来ないことを祈りつつも、解散という儀式を通過することによって、ファン自身もそれまでの応援活動にピリオドを打ち、清々しく散る気分を味わえる」と書いています。まったく同感です!

 

 

この「解散という儀式」という言葉は、『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』の著者の1人であるライターの速水健朗氏も使っていました。同書の文庫版刊行記念企画として、「Real Sound」が配信した「“解散”を迎えられたことは幸せなことでもあるーー『バンド臨終図巻』著者座談会」という記事で、「解散は“儀式”として大事なこと」として、速水氏は「ファンが続いてほしいと思うのは常だけど、ほとんど何もしないままファンクラブの会報だけ届いたり、ファンクラブだけ解散を決めたりするのが、一番中途半端。SMAPファンが本当に不憫でならないのは、区切りの気持ちの持って行き場がないというところ。せめて直接声が聞こえる場で解散しますという言葉を生で聞かないと成仏できませんよ」と述べ、さらには「解散はやっぱり儀式として大事。まだ惜しんでくれるファンがいて、グループの実体があるからできるんだよね。その意味では、この本で取り上げた臨終しているグループは幸せかもしれない」と語っています。


サンデー毎日」2017年1月29日号

 

しかし、解散しただけでは幸せとは言えません。
それを儀式として完成させるなら、解散コンサートとか卒業コンサートのようなファイナル・セレモニーで「有終の美を飾る」ことが大切です。
じつは、わたしはSMAP解散について、多くの文章を書いてきました。「サンデー毎日」に連載していた「一条真也の人生の四季」の第64回目のタイトルは、「有終の美を飾らないということ」でした。2016年の大晦日、国民的アイドルと呼ばれたSMAPが引退しました。期待されていたNHK紅白歌合戦への出場も辞退しました。彼らのために空けておいた時間を埋めるためでしょうか、紅白では謎の演出が目立ちました。とにかくグダグダ感、ドタバタ感に溢れた紅白でしたが、やはり常連だったSMAPのラスト・ステージが見たかったです。報道によれば、紅白が放送されている頃、キムタクを除くメンバーは六本木の焼き肉店で打ち上げをしていたといいます。



同年12月26日のフジテレビ系「SMAP×SMAP」最終回にも彼らは生出演しませんでした。ファンへの挨拶も、別れの言葉もありませんでした。残念ながら、SMAPの解散は、ジャニーズ史上、いや日本の芸能界史上で「最悪の解散劇」となりました。ここまでメンバー間の人間関係のドロドロが露わになるのも珍しいです。解散後の1月3日にファンクラブ会員限定サイトには5人の直筆メッセージが公開されたものの、それぞれ140字にも満たない「つぶやき」のレベルでした。「解散撤回」を願う署名を37万人分以上も集めたファンたちは納得したのでしょうか。

 

SMAPは「スマスマ」最終回および「紅白」で、5人揃って出演し、最後にはファンに別れを告げ、「有終の美を飾る」べきであったと思います。その後、この「最悪の解散劇」は彼ら自身の責任ではなく、彼らが所属するジャニーズ事務所の責任だと判明しました。じつは、「有終の美を飾らない」は「葬式は、要らない」に通じています。この2つの言葉はともに「愛のない時代」を象徴するキーワードであると言えます。そして、グループ活動を修める、人生を修めるという「修活」の失敗でもあります。

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ブログ「『グリーフケアと葬儀』オンライン講義」で紹介した上智大学の特別講義でも話したのですが、わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式であると考えています。たとえば、七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式ではないでしょうか。そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。結婚式も、やはり卒業式だと思います。なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのでしょうか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからではないでしょうか。

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西日本新聞」2020年3月17日朝刊

 

そして、葬儀こそは「人生の卒業式」です。
わたしは、いわゆる「終活」についての講演依頼が非常に多い。お受けする場合、「人生の卒業式入門」というタイトルで講演させていただくようにしています。わたしは、「死」とは「人生の卒業」であり、「葬儀」とは「人生の卒業式」であると考えているからです。日本人はよく、人が亡くなると「不幸があった」などと言いますが、昔から違和感がありました。人の死を「不幸」と表現しているうちは、日本人は幸福になれないと思います。わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。なぜなら、そう呼んだ瞬間、自分は将来かならず不幸になることが確定するからです。死は不幸な出来事ではなく、人生を卒業することにほかなりません。そして、葬儀とは「人生の卒業式」と言えるでしょう。

 

2020年10月29日 一条真也

「グリーフケアと葬儀」オンライン講義

一条真也です。
10月28日、『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)が発売されました。
この日の夜、上智大学グリーフケア研究所客員教授として特別講義を行いました。わたしにとって、生まれての初めてのオンライン講義です!

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オンライン講義のようす

 

社会人の受講生も多いので、18時45分から講義を行いました。ただし、いつもの東京・四谷の上智大学キャンパスからではなく、小倉の松柏園ホテルのメインバンケット「グランフローラ」からのオンライン講義です。上智大学グリーフケア研究所島薗進所長もオンラインで参加して下さいました。

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最初に自己紹介しました

 

冒頭、わたしは姿勢を正して、「わたしは、冠婚葬祭業を本業としております。この仕事に心から誇りを持っています。これまで、わたしが学んできたこと、行ってきたことのすべて、いわば人生のすべてをかけて、グリーフケアの研究と実践に尽力したいと考えています。どうぞ、よろしくお願いいたします」と受講生のみなさんに対して深く一礼いたしました。

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オンライン講義スタート!

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葬儀四部作の紹介

講義のテーマは「グリーフケアと葬儀」です。
まずは、「葬儀」についての自分の考えを明らかにしました。わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。

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葬儀の5つの役割

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葬儀は「物語」の癒し

つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなるように思えてなりません。葬儀という「かたち」は人類の滅亡を防ぐ知恵なのではないでしょうか。

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水の入ったコップを掲げる

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「こころ」と「かたち」のメタファー

それから、「グリーフケア」について話しました。わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。

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グリーフ・ソサエティについて

f:id:shins2m:20201028193924j:plain月あかりの会」について

2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。同会の活動をはじめ、「隣人祭り」や「ともいき倶楽部」「笑いの会」など、これまで実践してきた実例を紹介しながら、無縁社会=グリーフ・ソサエティを超える方策についての私見を語りました。

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途中で動画を流しました

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グリーフケア動画放映のようす

上智大学グリーフケア研究所といえば、以前は髙木慶子先生が所長を務めておられました。かつて、わたしはブログ『悲しんでいい』で髙木先生の著書を紹介しました。そして現在の所長は、日本を代表する宗教学者である島薗進先生です。島薗先生の所長就任は2013年4月1日のことで、ブログ「島薗進先生からのメール」に書かせていただきました。さらには、ブログ「鎌田東二先生からのメール」に書いたように、2016年4月から「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が上智大学グリーフケア研究所の特任教授に就任されました。

f:id:shins2m:20201028195514j:plainグリーフケアの時代』を紹介

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島薗先生とのやりとり

わたしは、島薗・鎌田両先生との御縁で16年・17年と2年連続で特別講義を担当し、2008年の4月から客員教授を拝命しました。今年は3人で『グリーフケアの時代』(弘文堂)という共著も出すことができました。佐久間庸和とは、わたしの本名です。島薗先生は東京大学名誉教授、鎌田先生は京都大学名誉教授でもあり、ともに日本の宗教学の世界のツートップです。このお二方と小生の名前が並ぶとは、今も信じられません。

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講義後、質問をお受けしました

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真摯にお答えしました

 

こうして、生まれての初めてのオンライン講義は無事に終了しました。講義後の質疑応答では、3名の方が興味深い質問をして下さいました。わたしも、真摯に答えさせていただきました。これまで自分なりに冠婚葬祭業界で実践してきたことを踏まえて、さらなる研究を重ね、充実した講義を行いたいと願っています。次回、11月11日は「グリーフケアと読書・映画鑑賞」をテーマにした講義をオンラインで行います。

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次回は、11月11日です!

 

2020年10月29日 一条真也

『強者の流儀』

強者の流儀

 

一条真也です。
10月28日になりました。この日は、『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)の発売日です!
『強者の流儀』朝倉未来著(KADOKAWA)を読みました。著者は総合格闘家、YouTuber。階級はフェザー級。1992年愛知県豊橋市生まれ。喧嘩に明け暮れた中学・高校時代を送り、「路上の伝説」とも称される。2013年にTHE OUTSIDERに参戦、史上初の二階級王者となる。2018年にRIZINデビュー、2019年末時点で6戦全勝。トライフォース赤坂に所属し、同ジムのインストラクターも務める。2019年5月にはYouTuberとして活動開始。2020年9月現在の登録者数は150万人を超え、21年3月には200万人突破が予想されています。 

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本書の帯

 

カバー表紙には、白のロングTシャツに、サングラス、ペンダントといったファッションの著者の上半身の写真が使われ、金色の帯には「THE OUTSIDER 史上唯一の二階級王者」「総合格闘技団体RIZIN 6戦全勝」「令和最速でチャンネル登録者数75万を突破した最強YouTuber」「‟路上の伝説”が語る成功哲学とは?」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

また帯の裏には「朝倉未来 初の著書!」と大書され、「愛知・豊橋で最強伝説を築き、不良少年から今や総合格闘技界を代表する選手へと成り上がった朝倉未来。日本中が注目するそのカリスマ的思考の根源が今、明かされる――」「自分を客観視できることが強さ」「真の自由には責任が伴う」「強い格闘家は頭がいい」「強者は状況を修復する」「アンチ活動は今すぐやめろ」と書かれています。さらにカバー前そでには、「国内最強を誇るフェザー級総合格闘家にして、令和最速でトップYouTuberに上り詰めた‟路上の伝説”朝倉未来が語る強者の流儀とは?」と書かれています。



当ブログの記事で、ひそかに高い人気があるのが格闘技&プロレス関連本の書評記事です。それはアクセス数を見てもわかりますし、初めてお会いした方から「いつもプロレスの記事、読んでます」などと言われて驚くことが最近増えました。わたしが読んできた格闘技やプロレスの本は、ブログで取り上げた後、書評サイトである「一条真也の読書館」の「プロレス・格闘技・武道」のコーナーに保存しています。そこに本書『強者の流儀』を加えるか、どうか、かなり悩みました。というのも、もともと、わたしはヘビー級や無差別級のファイターを好み、フェザー級などの中量級には関心がないのです。



しかし、著者の身長が177センチと知って、少し考えが変わりました。わたしと同じ身長ではないですか! それに試合では66キロ以下にまで絞ってきても、著者の減量前のウエイトは70キロ台だそうです。著者が活躍するRIZINの統括本部長を務める髙田延彦氏を相手に2度も完勝したあの「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーも身長178センチであることを考えれば、これぐらいの体格で最強戦士がいてもおかしくありません。


その後、「みなさま、ごきげんよう!」の挨拶で始まる著者のYouTube動画を観たら、とても面白く、著者自身に好感を持ちました。
じつは、少し前の「街のケンカ自慢をスパーリングに誘う」とか「北九州の成人式に突撃してみた」などの動画はたまたま観たことがあったのですが、そのときは「プロのくせにヤンチャな奴だな」とか「北九州を馬鹿にしやがって!」と思いましたね。「こっちが北九州の成人式を正常化しようと奮闘しているのに、ふざけんなよ!」とも。

 

また、恩人である前田日明氏と対談したときの動画のタイトルが「前田日明と対談してみた」となっており、「年長の恩人を呼び捨てとは何事か! そこは前田日明さんだろう!」と腹が立ったのです。でも、対談の最中は「前田さん」と言っていましたけどね。その後も彼の他の動画を観続けたら、そんなに悪い奴ではないことがわかりましたし、何よりも格闘技の実力は本物とわかって、一気に興味を持ったのです。

 

そして本書を読むことに決めたのですが、その前に本書のアマゾン・レビューに目を通してみました。最も参考にされているレビューは1点でした。droさんというレビュアーが「強者の意味を履き違えていると思う」のタイトルで、「ケンカ時に、公園にある自転車で攻撃していたと書いてあるのを見て読むのをやめた。自転車には所有者がおり、その方はどう思うのか、そんな簡単なことも考えることができないのか。いい歳した大人がこんなことを堂々と本に書く精神年齢の低さに呆れましたケンカ自体も、空手を習っていたのであればそれは勝つでしょう。それはただの弱いものイジメです。優位な勝負ばかりでケンカに明け暮れたと言うことでしょうか。そもそも格闘家のほとんどは、自分を律しケンカ自体を買わないよう努めています。普通にそういった方達の方が強者に該当するのではないでしょうか」と書いています。なるほど。



次に参考にされているレビューは5点で、らなとーむさんというレビュアーが「自分自身に生きるということ」のタイトルで、「YouTubeで『ぼったくりバー』と検索すると上位にくる動画がある。その1つが再生数1千万回を超える著者の動画である。バーに入店→会計→法外な料金を請求される→断る→威嚇されるという定番の流れになるのであるが、彼は怯えるのでも声を荒げるのでもなく淡々と対応し極々自然体のうちに店員を納得させてしまい、当初の約束通りの前金のみを支払い店を後にする――多少強面ではあるものの若干20代の青年が、である。視聴された方ならば彼の豪胆さと神経のず太さに舌を巻いたであろう」と書かれています。なるほど、なるほど。ここで紹介した2人のレビュアーの発言には、それぞれ共感するところがあります。このようなアンチもファンもたくさんいて、いわゆる「朝倉未来現象」といえるブームが起きているのでしょう。


本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
朝倉未来とは何者か」
第一章 強者の流儀
第二章 強者の準備
第三章 強者のメンタル
第四章 強者のYouTube
第五章 強者の人間関係
「おわりに」

 

「はじめに」では、著者は「この本には『強者の流儀』と銘打ちました。自分のことを強者と言ってしまうのは微妙ですが、少なくとも、強くあろうと思っていることは確かです。そうでなければ、総合格闘技のリングに上がり、闘い、そして、勝ち続けることはできません。言わば、この本に書いているのは、何もしないでいたら弱い存在である僕が、それでも強くあり続けるために持ち続けている考え方であり、習慣です」と述べています。

 

朝倉未来とは何者か」では、「僕は1992年7月15日に愛知県豊橋市で生まれました。父は設備関連の職人で、母は看護師でした。下には同じく総合格闘家をしている弟の海と、妹がいます」「小学生になると空手と相撲を始めました。小さい頃から、強くなりたいと思っていたんです。体力もあって、マラソン大会ではいつも優勝していましたし、空手の大会でも全国2位までにはなりました」「中学生ぐらいから、いわゆる不良の道に入りました。なりたくてなったわけではなく、親や学校、先輩などからの押しつけや、社会に対する違和感に反発していたら、いつのまにか不良と呼ばれていたんです」と自己紹介しています。



第一章「強者の流儀」の「強い人には余裕がある」では、著者は、日常においても、格闘技においても「余裕がある人には強さを感じますね」と言います。では、余裕があるとはどういうことかというと、日常的なところでは、あまり怒らない、動じないということだそうです。わたしは気が短いので、けっこう耳が痛い言葉ですが、著者は「怒っている方からしても、意図して怒っているんでなければ、非常に損だし不幸なことですよ。だって、すでに起こってしまったことに囚われて、イライラしてしまっているわけですから。時間というのは巻き戻らないので、起こってしまたことのためにイライラして、悪い気分のまま時間を使ってしまうというのが一番不幸です。そういう点では、人を許せる余裕があることが、強さなんだと思います」と述べています。20代にして、この達観ぶり。うーん、一本取られた!(笑)



「攻守のバランスは将棋から学んだ」では、著者が子どもの頃に父親から教わった将棋をずっとやっていて、今でも携帯のアプリなどで楽しんでいることが明かされます。将棋の戦略に基づいた考え方を人生にも当てはめているような感じがするそうですが、それくらい将棋から学べるものは多いとして、著者は「攻めてばかりでは勝てない、というのがその分かりやすい学びの1つですね。僕はもともと攻め一辺倒だったので、最初の頃はなかなか将棋で勝てなかったんですよ。単純に攻めているだけでは守りが疎かになってしまう。格闘技でも同じですね。それから将棋の場合、様々な特徴を持った駒を使いますよね。それが自分の兵隊になるのですが、兵隊ごとの特徴をしっかり活かすようにすないと効率がよくならない。駒を生かすも殺すも、そして勝負に勝つも負けるも僕次第です」と述べます。非常に説得力のある将棋論だと思います。



「陰口は言うな」では、万が一、自分がアンチ活動をしてしまっている側だという人がいたら、絶対に今すぐやめたほうがいいと忠告し、さらに「陰口のようなアンチ活動をしている時点で、日常のコンディションとしてもうダメだと思いますが、もしもその人の生活を見ることができたら、人間関係に問題があったり、金銭面に問題があったり、職業に問題があったり、その他の行動で問題があったりと、様々な悪い環境、悪環境にのまれていることだと思います。逆に、そういう行動をやめれば、日々の生活を切り替えて、変わっていけるかもしれない。だから、いずれにしても陰口やアンチ活動は、今この瞬間にやめるのが吉だと思います」と、著者は述べます。成功者の考え方ですね。



「強い格闘家の四要素」では、著者が具体的に強い格闘家について考えます。RIZINに関連する格闘家では堀口恭司選手、那須川天心選手、それからK-1の武尊選手らの名前を挙げる著者は、このレベルの選手の第一の共通点として「頭がいい」ということを指摘します。いわゆる学校の勉強ができるとかそういう意味ではなく、頭を使って準備し、闘っているという意味です。それに加えて必要なのが「基礎的な身体能力の高さ」です。それを持った上で必要なのが「努力の継続」です。最後が「意志の強さ」です。まさに、最後にものを言うのがこれで、著者は「特に、実力が拮抗した選手同士の対戦の場合、最後に勝敗を分けるのは気持ちの部分です。もちろん気持ちだけでは勝てませんが、何としても勝つという強い意志を持っていなければ、厳しい勝負を取り切ることはできません」と述べています。



「人生のテーマは『自由』」では、自由に生きるために必要なものとして、「ぶれない軸」「信頼できる少しの仲間」「お金」とともに「責任」を挙げているのが印象的でした。著者は、「過去の若気の至りではありますが、昔、僕は暴走族をやっていたことがありました。そのときの僕は、暴走族をやることで凄く自由を感じていたんですよ。社会のルールに縛られず、昼も夜もなく、風を感じながら好きにバイクに乗ったり喧嘩に興じたりしていた。でも、それって非常に無責任な状態だったんですよ」と述べます。



続けて、著者は「自分で生計を立てているわけでもないし、法律に触れているからいつ逮捕されるかもわからない。逮捕されるからには誰かに迷惑をかけていたということだし、逮捕によって当然家族や周りの人にも迷惑がかかります。こんな無責任な自由っていうのは本物じゃない。偽物なんですよ。本当の自由とは何か。それは自分が全ての行動の責任を持っているということ。自由がそういうものだと知った上で、何かの行動の結果に対して、いつも解決したり対応できたりということができる状態のことです。自分の身勝手な行動のせいで、自分の周りの人に迷惑をかけたり、悲しませたりしているようでは、自由ではないんです」と述べるのでした。まったく、その通りですね。



第二章「強者の準備」の「練習は量より質」では、著者は「練習で重要なのは量ではなく質であり、そして継続」であると言い切ります。また、無駄なことをしないとして、ウェイトトレーニングもランニングも一切しないことを明かします。なぜなら、総合格闘技の試合で勝利することに直接結びつかないからだそうです。著者は、「ベンチプレスやランニングの危険なところは、とりあえず体に負荷はかかるから練習を『やった気になる』というところ」だとか。とにかく、スパーリングを中心にした練習をやっているそうです。



総合格闘技の奥深さ」では、現在の総合格闘技の状況を見ると、ボクシングが強くてテイクダウンディフェンスが上手い人たちが現在のトップ層に位置しているとして、著者は「柔術がめちゃくちゃ強かったとしても、組技に持っていくことができない。組技になったとしても、パウンドの強さに差があってそれでやられてしまう。日本人選手は打撃に苦手意識があるので、組技で勝とうとしますが、フィジカル差で負けてしまうことが多い。さらに近接の打撃戦を嫌ったり、撃ち合いになると目を瞑ったりする。これでは勝てません。外国人のトップファイターはみんな打撃ができているので、この点では日本人だけが遅れていると僕は思います。まずは打撃で勝利することを考えるべきです」と述べています。



「臆病に考える」では、試合が決まるということは対戦相手が決まるということなので、その相手に勝つことを目的として練習するとして、著書は「その際にいつもしているのは、相手を過大評価するということです。本当の実力は、正直、試合の映像を見れば分かってしまうのですが、それでもそれより相手を強く見積もっておきます。そうすると、試合後に『こんなものか』と思うのですが、その状態こそが勝利の秘訣です」と述べます。一例として、谷地祐介選手との試合では、谷地選手が自分よりも重い階級の選手なので相当なパワーだと想定して練習したそうです。おそらくテイクダウンされるだろうと想定し、テイクダウンされたときにすぐに起き上がれるように練習しました。実際の試合ではテイクアウトされることはありませんでしたが、仮にそうなっても大乗なように準備をしていたので、余裕をもって試合を展開できたわけです。



「RIZIN グスタボ戦はこう備えた」では、著者の試合の歴史で最大の山場となったルイス・グスタボ戦について語っています。
グスタボは直前のRIZINで谷地選手と試合をしてKO勝利していたので、この試合は何度も見たそうですが、その際気づいたのは、テイクダウンされたときに下からの対処があまりできていないということでした。著者は、「相手の攻撃でポイントになるのは右ハイキックと飛び膝蹴りかなと見ていたので、そこに合わせる練習を考えました。印象としては、攻撃はできるなという感じでしたね。僕は相手の弱いところで戦うことができるので、試合によってスタイルが変わります。もし試合中に想定外のことが起きたら、プランも変更しないといけないですし。そもそもプランも1個だけで試合に臨むことはなくて、大体10個は持っていきます、あまりプランが潰れずに済んだら、ラッキーという感じですね。ただ、それまでの人生ではプランを使い切るなんてことはなかったんですけど、グスタボ戦ではほとんど使い切ったという印象です。それで焦ったということはないですが、厳しい勝負になりました」と述べています。



第三章「強者のメンタル」の「メンタルの強さの根源は‟死ぬ覚悟”」では、著者は「プロ格闘家と他の職業の人を比較したときに、決定的に違うのは、リング上で死ぬ可能性があるということです。そうでなければリングドクターが常に試合についているなんてことはないですよね」と述べます。ステージでパフォーマンスをしているときの事故などとは全然違うし、減量や水抜きに失敗して命を落とすこともあるとして、「格闘家は武士に似ていますね。すぐ近くに死の可能性がある。だから、逆に言えば覚悟がなければリングの上には立てないと思います。少なくとも、僕はリング上で死ぬことへの恐怖感はほとんどないんです。いつ死んでもいいな、とすら思っています」と述べます。



また、著者は以下のようにも述べるのでした。
「本当に死んでもいいと思っているからこそ、心の底から開き直れるのだと思います。死んでもいい、どんな怪我をしてもいいから、リング上では死ぬ気でやろう。その気持ちが背中を押してくれる。開き直ると、僕は生を感じます。死ぬことを実感するとき、生きていることもまた実感できるんです。不良時代、いつも危ない戦いをしてきました。ひどいときは、悪い人から殺害予告などを受けていました。こういう危険な境遇でのストリートファイトが好きだったのは、そんな戦いの中でだけ、自分の生を実感できていたからなのだと思います。そういう乗り越えの中で、自分のメンタルも鍛えられてきたのでしょう。本当に死んでもいいやと思えるなら、目の前の壁を必ず越えることができるでしょう。もしもあなたが死んでもいいと思っている状況なら、他にできることが必ずあるはずです」



「夢への挑戦が人を変える」では、「夢を持ち、挑戦するということは非常に大切なことです」と訴え、著者は「挑戦しないと失敗もしない。そして、失敗やミスがあったら、それを改善していけばいい。そうしたら最終的には失敗じゃなくなります。これは仮定の話ですが、もしも僕がとてつもなく強い相手と試合をすることになり、仮にそれで負けたとしても、その試合をしなかった場合の僕よりも、試合に臨んだ僕の方が間違いなく強くなっています。成長できるからです。だから、挑戦においては短期的な成否や勝ち負けは関係ありません。それを通じて自分を成長させていけば、最後には目標を達成することができます」と述べています。著者には、いま、プロボクシング5階級制覇のフロイド・メイウェザーJrとの夢の対戦が噂されています。軽量の那須川天心を子ども扱いしたメイウェザーですが、「朝倉未来なら、やってくれるかも?」と期待しているファンは多いと思います。この試合が実現したら、わたしも観に行きたいですね。



「不安は『努力』で乗り越える」では、「こんなに努力してもダメだったらもう仕方ない」と思えるかどうかが重要だとして、著者は「格闘技の試合の場合は相手がいるのでどうなるか分からないところもありますが、僕は死んでも負けたくない、リング上では死んでもいいという覚悟で戦っているので、それでも負けたなら仕方がないですよ。ただ、相当なところまで諦めないでしょうし、負けるときですら、人が感動するくらい格好よく負ける自信があります。世界で戦うということは、自分が負けるなんて想像もしたことがないような強者たちと競い合うということなので、何があるか分かりません。そういうところで戦うためにも、限界まで努力する必要があるんです」と述べます。



第四章「強者のYouTube」の「ただ物事をやるだけの企画は面白くない」では、日本でもトップレベルの人気を誇るYouTuberとなった著者が、人気動画を創る秘訣について語っています。著者は、「僕の動画の企画では、僕が主にシナリオや構成を考えています。その僕から見て、企画をやるときに重要なのは、視聴者の意表を突く、ということです」と述べます。確かに、著者の動画はよく寝られていて、面白いです。他の格闘技の選手とのコラボやスパーリングもいい。特に、ボクシングや空手、K-1の選手など、打撃系の選手とのスパーリングを見ると、格闘家としての著者の天才ぶりがよく分かります。

 

ただし、初期の頃からの企画である素人の喧嘩自慢とスパーリングをするというのはいただけませんね。観ていて不快な気分になります。著者はプロの格闘家なのですから、もっとプライドを持ってほしい。最近、YouTubeを軸に活動しているお笑い芸人の宮迫博之酒気帯びなのに著者とスパーリングして、「脳が揺れる」などと悲鳴を上げていましたが、あれは本当に危険です。取返しのつかない事故に繋がりかねません。素人とのスパーリングは止めたほうがいい。

 

それから少し前に、6キロの巨大ラーメン完食に挑戦する大食い企画がありましたが、これもアスリートとしては有り得ないでしょう。第一、身体に良くないです。前田日明氏も「水抜きは腎臓を悪くするぞ」と心配していたではないですか。格闘家を引退した後のこととか、動画作成のためのスタッフの生活などを考えて、YouTuberとしての活動も大切にしているのでしょうが、このままでは本末転倒になってしまう不安を感じます。著者は、もっと自分を大切にするべきです。なんといっても、著者は日本格闘技界の希望の星なのですから!

 

強者の流儀

強者の流儀

 

 

2020年10月28日 一条真也

「財界九州」新年号取材

一条真也です。
10月27日、毎年恒例の「財界九州」新年号の取材を受けました。取材場所は、 松柏園ホテルです。

f:id:shins2m:20201027140127j:plain写真撮影のようす

 

「財界九州」の新年号に登場させていただくのも、早いもので、もう20回目です。第1回目は、社長に就任した2001年の暮れに取材を受けました。本日は最初に松柏園ホテルの日本庭園で写真撮影を行いました。それからインタビュー取材に移り、財界九州社・企画編集部の鳥海副部長の質問に答えました。

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写真撮影のようす

 

わたしは、以下のような話をしました。昨年からプロジェクトチームの座長として取り組んでいるグリーフケア資格認定制度が、11月4日に始動。グリーフケアに関係する冠婚葬祭互助会業界のトップが北九州に集結するのです。 わが社の小倉紫雲閣の大ホールで、「グリーフケア資格認定制度」のキックオフ・セレモニーが行われます。今ほど、不安定な「こころ」を安定させる「かたち」としての儀式、悲しみに対処するグリーフケアが求められる時代はありません。

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インタビュー取材のようす

 

葬儀の方ですが、最近、「葬祭業はエッセンシャルワークですね」とよく言われます。エッセンシャルワークとは医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活に不可欠な仕事です。同じように大切な仕事と思われてきた教育はエッセンシャルワークではありません。日本中の大学の多くは未だに閉鎖されています。神社や寺院や教会といった宗教もエッセンシャルワークではありません。コロナ前から「神社崩壊」や「寺院消滅」が叫ばれていたことが思い出されます。しかし、葬儀はエッセンシャルワークです。 

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いろいろ質問を受けました

葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。エッセンシャルワークは社会的インフラとなります。このたびの台風10号では、100人以上の避難者の方々を受け入れました。「魂を送る場所」であった紫雲閣が「命を守る場所」となったことは画期的であり、「セレモニーホール」が「コミュニティホール」へと進化しました。

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今後の展望を話しました

 

また、冠婚の方も大事です。日本は、いま最大の国難に直面しています。それは新型コロナウイルスの問題でも、中国の領土侵犯の問題でも、北朝鮮のミサイル問題でもありません。より深刻なのが人口減少問題です。人口減少を食い止める最大の方法は、たくさん子どもを産むことですめには、結婚するカップルがたくさん誕生しなければならないのですが、現代日本には「非婚化・晩婚化」という「少子化」より手前の問題が潜んでいます。菅首相は、自民党総裁に選ばれた直後の挨拶で「私の目指す社会像は、自助・共助・公助、そして絆であります」と述べられました。自助・共助・公助、そして絆の社会とは、まさに相互扶助の互助社会です。互助の精神で「GoToウエディング」の実施を切に願う次第です。

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笑顔の絶えないインタビューでした

 

冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる社会インフラとしての文化装置なのです。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません! このコロナ禍の中で、わが社の施設は続々とオープンし続けています。福岡市に建設する2施設の起工式を終え、後は完成を待つばかりです。日本全国のサービス業の赤字決算が確実視されるコロナ禍の中、わが社はなんとか今年も黒字で終わる見込みです。さらに、わが社は「買い物代行サービス」や「墓参り代行サービス」も開始しました。これからも、総合生活支援サービスを推進したいと思います。

f:id:shins2m:20201027143034j:plain新しいサンレー CMをお見せしました

 

さらに、前川清さんをイメージキャラクターとする素晴らしいCMも完成しました。サンレーグループ篇とセレモニー篇の作品ですが、桑田佳祐福山雅治もリスペクトする国民的歌手の前川清さんがオリジナルソングの「ありがとう」を歌い、最後は「サンレー~♪」とか「紫雲閣~♪」とかのサウンドロゴを歌い上げてくれたという事実が、今でも信じられません。iPhoneで新CMの動画を見せると、鳥海副部長は「これは贅沢ですね!」と言ってくれました。

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「財界九州」2019年新年号

 

いつも、この時期に「財界九州」の取材を受けると、「もう今年も終わりか」と思います。わたしは、今後の施設展開、予定しているイベント、さらには社会貢献事業などの内容に触れながら、わが社のミッションについて説明しました。そして、「天下布礼」への意気込みを大いに語りました。

 

2020年10月27日 一条真也