『日本SF誕生』

日本SF誕生―空想と科学の作家たち

 

一条真也です。
今日で11月も終わりですね。明日から師走です。
『日本SF誕生』豊田有恒著(勉誠出版)を紹介します。サブタイトルは、「空想と科学の作家たち」です。著者は1938年前橋市に生まれ。慶応義塾大学医学部中退、武蔵大学経済学部卒業。1961年『時間砲』で第1回空想科学小説コンテスト佳作入賞。『エイトマン』『鉄腕アトム』など、黎明期のアニメ界にシナリオライターとして参加、日本アニメのオリジナル・シナリオライター第1号となる。以後、SF翻訳家を経て、SF作家として独立。87年、日本SF作家クラブ会長。2000年より島根県立大学教授。現在、同大学名誉教授。著書多数。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、左から大伴昌司、著者、小松左京矢野徹星新一筒井康隆といった若き日のSF作家たちの写真が使われ、帯には「小松左京星新一筒井康隆・・・日本のSFが若かったころ。1960年代初頭、SFは未知のジャンルだった。不可思議な現象と科学に好奇心を燃やし、SFを広めようと苦闘する作家たちの物語。『SFマガジン』『宇宙塵』から『宇宙戦艦ヤマト』へ」と書かれています。

f:id:shins2m:20200606170155j:plain本書の帯の裏

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「日本のSFが若かったころ――日本SFが、かつての空想科学小説というジャンルからアウフヘーベンして、あらたに確立したのは、1960年代の初頭からである。当時、日本の出版界では、ひとつのジンクスが語られていた。西部小説とSF小説を出版すると、その出版社は倒産するというものである。SF小説は、いわば未知の文学ジャンルだった。多くの同志とともに、日本にSFを広めていく過程は、いわば一種の文学運動だった。これは、ひとつの文学ジャンルを確立するまでの、SF作家たちの苦闘と、哀愁と、歓喜の交友の物語である。今、日本SFが根を下ろすまでの事情を、いわば遺言として書き残すことが、馬齢を重ねた同志としての使命かもしれないと考え、あえて語ることとした。もともと書誌学のようなものには疎いほうだから、年譜的な記録を残すつもりはない。いわばSF作家交遊録と言った体裁になるが、これまで書かれていない破天荒なエピソードなども紹介しながら、筆を進めていきたいと思う。筆を進めると、書いてしまった。今ならキーボードを叩くと書くべきだろうが、あれから半世紀以上、科学の進歩は、われわれSF作家の想像を超えるテンポで進行した」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第一章 人類の夢、近代SFへの道
第二章 SFマガジン創刊
第三章 日本SFコンテスト
第四章 同人誌『宇宙塵』と『Null』
第五章 SF作家クラブ始動
第六章 SFの普及と発展
第七章 日本SF作家と映像の関わり
    ――アニメ(人形アニメも含む)、特撮など
第八章 SF作家 交友録
第九章 SFの浸透と拡散
第十章 国際SFシンポジウム(1970年)
第十一章 SFの未来へ

 

「はじめに」の冒頭を、著者は「日本SFが、かつての空想科学小説というジャンルからアウフヘーベンして、新たに確立したのは、1960年代の初頭からである。それまで、日本ではSFという単語すら、知られていなかった」と書きだしています。アメリカSFは、1950年代すでに、ロバート・A・ハインラインアイザック・アシモフレイ・ブラッドベリー、A・E・ヴァン・ヴォークト、ポール・アンダスンなど、数多くの有力作家を輩出し、いわゆるゴールデン・エイジを築き上げていました。著者は、「こうしたトレンドは、もちろん日本へも伝えられていたものの、いまだブームには程遠かった。当時、日本の出版界では、1つのジンクスが語られていた。西部小説とSF小説を出版すると、その出版社は倒産するというものである」と述べています。

 

 

第一章「人類の夢、近代SFへの道」では、「『本当の話』――古代の夢とイマジネーション」として、著者は「人類は、古代から、宇宙への畏怖と関心を持ち続けてきた。宇宙SFは、今や欧米や日本のSFの大きなテーマのひとつだが、その起源は、遙か古代にさかのぼる。古代ギリシアルキアノイスは、『本当の話』という短編集で、人類史上はじめて月世界旅行を描いている。ギリシアと書いたが、現在のシリア方面の人で、著書はギリシア語で著している。地球人が月へ行くと、体が葡萄の幹になっている月人がいるという設定である」と述べています。

 

ギリシア神話☆〔新装版〕☆

ギリシア神話☆〔新装版〕☆

  • 作者:呉 茂一
  • 発売日: 1994/08/24
  • メディア: 単行本
 

 

『本当の話』は、しばしば『真の歴史』と訳されることがあるそうです。印欧語では、歴史と物語という単語が、いまだ分化していません。ドイツ語ではGeschichte、スペイン語ではHistoria、フランス語ではhistoire。いずれも、「歴史」「物語」の2つの意味となります。英語では、かろうじて分化していて、history,story、ですが、もともと同語源です。著者は、「この例でも判るように、人類は、古くから未知なるもの、神秘なるものへ、尽きせぬ興味、関心を抱き続けてきたのだ。古代ギリシアでは、多くの神話が語られていたが、それらは、いわばエンターテイメントのように、多くの神話作家たちに継承され、新たなイマジネーション、アイデアを加えられ、進化し続けたのである」と述べています。

 

完訳 天球回転論

完訳 天球回転論

 

 

しかし、SFにつながる奔放な夢とイマジネーションは、その後、断絶します。ヨーロッパ世界が、キリスト教支配下におかれ、いわゆる中世の暗黒時代に突入したからでした。「ルネッサンス――SFの萌芽」として、著者は「ようやく、暗黒時代を脱して、いわゆるルネッサンス期を迎え、SFの萌芽となる作品が書かれるようになる。ルネサンスは、しばしば文芸復興、学芸復興と訳されるが、はじめからキリスト教と対立するものではなかった。コペルニクスは、敬虔なキリスト教の牧師であり、よく当たる占星術師だった」と述べています。

 

 

ルネッサンスの当時、天文学(Astronomy)は、いまだ占星術(Astrology)と分化していませんでした。著者は、「ふつう、なんとかロジーと着く単語は、ジャパノロジー(日本学)という例からも判るように、なんとか学と訳されることが多いのだが、星学ともいうべき占星術(Astrology)のほうが、天文学(Astronomy)よりも、むしろ主流だったことになる。ケプラーは、当時の天文学の最新の知見をベースに、月旅行のSFを書いているが、動力としては、精霊の力を利用したとしている。ともあれ、これが、史上初の宇宙SFと呼べる作品だろう」と述べます。

 

日月両世界旅行記 (岩波文庫)

日月両世界旅行記 (岩波文庫)

 

 

その後、宇宙SFの流れは、17世紀のシラノ・ド・ベルジュラックに受け継がれていきます。ブログ「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」で紹介したエドモン・ロスタンの戯曲の主人公として知られるシラノは実在の人物で、『月世界旅行記』というSFを著しています。この作品は、史上初めて、動力を噴射して宇宙を飛ぶという設定をいたものとして、著者は「特筆すべきであろう」と述べています。また、16世紀初頭、SFのジャンルのうち、のちのちまで受け継がれ、多くの作品に連なるユートピアディストピアも含む)テーマとしては、トーマス・モアが、文字通りの『ユートピア』を著し、このテーマの謂いとなるジャンルを拓くことになります。

 

太陽の都 (岩波文庫)

太陽の都 (岩波文庫)

 

 

この系譜は、ユートピア小説というSFのジャンルの一つへと成長していきました。イタリアのカンパネラは、『太陽の都』を著していますが、著者は「長くスペインの支配下にあったイタリア南部に、いわば希望を与える目的があったのである」と述べています。ユートピア小説、あるいはそのアンチテーゼとしてのディストピア、アンチストピア小説という系譜は、その後も続いていきます。サミュエル・バトラーの『エレホン(erehwon)』は、どこにもない場所(nowhere)の逆綴りになっている。モアのユートピアへのオマージュです。このジャンルは、やがて、ジョージ・オーウェルの『1984』で、結実することになります。

 

 

一方、19世紀になるとメアリー・シェリーが有名な『フランケンシュタイン』を著し、のちにブライアン・オルディスなどから近代SFの祖としての評価を与えられます。メアリーが創出した怪物(creature)は、のちに怪奇映画の登場人物として、なくてはならない存在となりますが、原作は、生命の創造(creation)という神の領域を、人が犯すという問題意識を問うたものでした。著者は、「しばしば誤解されるが、フランケンシュタインとは、博士の名であり、怪物(creature)には名がない。creatureとは、神が創造したもの、つまり生きとし生けるものすべてを指している。また、神そのものが、造物主(Creator)なのである。怪奇映画などで、怪物をcreatureと呼ぶのは、ここからきている」と説明します。

 

ロボット (岩波文庫)

ロボット (岩波文庫)

 

 

このテーマは、ロボットものの系譜に発展していきます。チェコカレル・チャペックは、『R・U・R』という戯曲で、初めてロボットという概念を提示。また、「二人の巨匠――ジュール・ヴェルヌH・G・ウェルズ」として、19世紀になると、仏英で、近代SFの開祖と言われるジュール・ヴェルヌH・G・ウェルズが登場し、今日でも書きつがれている多くのSF的なアイデアを披露したことが紹介されます。

 

地底旅行 (岩波文庫)

地底旅行 (岩波文庫)

 

 

ジュール・ヴェルヌについて、著者はこう説明します。
「フランスのロワール地方の港町ナントで、1828年に生まれた。生家は、河口に近い中州のフェイド島にあった。父親は、謹厳な弁護士だったが、母親は、船乗りの家に生まれたため、ナントに集まる貿易商人とも交流があり、内外の各地の噂話、ニュース等に、興味関心のある人で、幼いヴェルヌの人格形成に、おおいに影響があったという」

 

タイム・マシン (創元SF文庫―ウェルズSF傑作集)
 

 

また、H・G・ウェルズについても、「中流下層の商人の家に生まれた。はじめ教員をめざしたが、階級社会のイギリスでは、前途を閉ざされ、さまざまな職種を転々としたのち、奨学金を得て、科学師範学校に入り、トマス・ヘンリー・ハクスリーから進化論を学んだ。ヴェルヌと比べると、ウェルズの作品に理系色が強いのは、こうした学歴のせいであろう。タイムマシンをはじめ、現代SFのテーマとなる多くのジャンルが、ウェルズによって創始されている」と説明しています。



ヴェルヌ、ウェルズという近代SFの二大始祖は、同時にSFと映像の関わりにおいても最初の栄誉を担ったとして、著者は「ジョルジュ・メリエスは、1902年、早くも『月世界旅行』を製作しているが、砲弾が月に命中する有名な前半のシーンはヴェルヌの『月世界旅行』、月人が登場する後半はウェルズの『月世界最初の人間』に準拠している。当時、ヴェルヌもウェルズも存命だったから、権利関係はどうなっていたのか、いぶかしいところだが、まだ著作権など確立していなかった時代だから、硬いことは言わなかったのかもしれない」と述べています。

 

 

ヴェルヌ、ウェルズというSFの二大始祖のほか、もう一人忘れてはならない作家がいます。コナン・ドイルです。ドイルと言えば、シャーロック・ホームズで有名ですね。著者は「推理作家のイメージのほうが強いものの、『失われた世界』は、1つの新しいSFジャンルを拓いたものとして、高く評価すべきである。南米のギアナ高地に、恐竜が生き残っている世界があるという設定には、ぼくも中学時代、胸を躍らせたものである。失われた世界テーマの作品は、その後、たくさん書かれるようになる」と述べています。ちなみに、ヴェルヌの『地底探検』(『地底旅行』)とドイルの『失われた世界』は、わたしの小学生時代の二大愛読書でした。

 

 

SFの世界史をざっと俯瞰した後、著者は日本史についても言及します。日本SFが本格的に始動する前史として、いわば日本のヴェルヌ、ウェルズに当たる2人の作家として、南洋一郎海野十三を紹介します。南洋一郎は、1893年、没落した士族の家に生まれました。幼いころに父を亡くし、丁稚奉公に出されるなど苦労しましたが、向学心に燃え、英語学校に通ったり、アテネフランスでフランス語を学んだりしました。また、語学力を買われて、コペンハーゲンのジャンボリー(ボーイスカウト世界大会)に参加したりしています。「こうした素養が、ほぼ全作品を網羅した怪盗ルパン全集につながる」と著者は述べています。

 

 

もう1人の日本SFの祖とされる海野十三は、徳島県に生まれ。神戸で高校を卒業し、早稲田大学理工学部へ進み、電気工学を専攻しました。「海野は、南洋一郎と異なり、まっとうな職に付いた。逓信省電気研究所で、技師として働いたため、本名を憚って、海野十三という筆名で通したのである」と著者は述べます。

 

S-Fマガジン 1960年02月号 創刊号 (通巻1号)

S-Fマガジン 1960年02月号 創刊号 (通巻1号)

  • 発売日: 1959/12/25
  • メディア: 雑誌
 

 

第二章「SFマガジン創刊」では、1959年、早川書房から『SFマガジン』が創刊されたことが書かれています。前述したように、西部小説とSF小説を出版すると、その出版社は倒産するというジンクスが、もっぱら出版界で語られている時代でした。著者は、「西部小説のほうは、映像ならともかく、アメリカ人しか感情移入できない部分があるから、今もって日本では根付いていないが、SF小説のほうは、その後の成り行きを見れば、当時としては先見の明だったことになる」と述べています。

 

また、「早川書房の編集者たち」として、早川書房が、当時としては、冒険とも思えるSF出版に乗り出した背景には、アメリカ出版界の動向に、常に目配りしていたという事情があったからではないかと、著者は推測します。翻訳出版の早川書房と言う評価を確立するのは、そのためだったというのです。早川が手がけた最初のジャンルは、アメリカのミステリーでした。「SFマガジン」に先立ち、アメリカの「エラリークィーンズ・ミステリーマガジン」の日本版が刊行されました。初代編集長は都築道夫、さらに小泉太郎(生島治郎)、常盤新平など、後に作家として名をなす人材が輩出しました。

 

 

第三章「日本SFコンテスト」では、「福島正実と南山宏――SFの鬼と知恵袋」として、著者は「日本におけるSFの普及におおいに貢献した功労者として、福島正実の名を忘れてはなるまい。福島は、SFの鬼とまで呼ばれた怖い編集者だったが、SFに賭ける執念に近い情熱は、誰にも負けなかった。SFに対して無理解な批判を浴びせる人間には、どんなに権威のある相手であっても、怒りを露にして立ち向かった。福島の強烈な個性がなければ、今日の日本SFは存在しなかったと言えよう」と述べています。

 

 

ただ、初期のSFマガジンを支えたのは、福島だけではありませんでした。森優(南山宏)の貢献も忘れることができないとして、著者は「剛の福島に対して、柔の森とでも呼ぶべきだろう。穏やかな人柄で、ともすれば対立しがちな作家と福島のあいだを取り持ったのは、両三度にとどまらない。また、森優=南山宏は、多くのSF作家の知恵袋的な存在でもあった。南山は、のちに超常現象研究者として、多数の著書を著すことになる。ネス湖だの、マヤ、エジプトのピラミッドだの、コスタリカの真円球だの、SF作家の飯の種になりそうな場所を、飛び回って取材している。こうした超常現象に関する資料を教えてもらった経験は、多くのSF作家に共通している」と述べます。

 

世界怪奇スリラー全集 (6)世界の円盤ミステリー

世界怪奇スリラー全集 (6)世界の円盤ミステリー

  • 作者:南山 宏
  • 発売日: 1973/03/20
  • メディア: 単行本
 

 

しかし、その実、南山自身は、UFOを含めて超常現象をすべて信じているわけでもなかったそうです。外語大出身の語学力を生かして、日米欧のUFO撃談を紹介したり、また日本国内にとどまらず、多くのUFO目撃者をインタビューしたりしたものの、自分は未だにUFOを見たことがないとか。著者は、「南山が、宇宙考古学の権威エーリッヒ・フォン・デニケンを批判した言葉が、印象に残っている。南山は、こう言った。『なんでも、宇宙人のせいになってしまいますが、デニケンの言う宇宙人来訪とは、いつのことなんですかね。インカやアステカは、室町時代の話です。これと古代エジプトを同列に論じることが、出発点からして変です』まさに正論だろう」と述べます。

 

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

第四章「同人誌『宇宙塵』と『Null』」では、数多くのSF作家たちとの交流の様子が書かれていて、非常に興味深かったです。たとえば、「光瀬龍は、コンテストの同期で、すでに『宇宙塵』の同人だった。生物学の高校教師だと聞いたので、ぼくは、生意気にも動物談議を挑んで、かるく一蹴された記憶がある。のちのち光瀬から貰った『小動物の飼い方』は、我が家の子供たちのバイブルとなり、光瀬は、星、小松、筒井などより、我が家では別格扱いの存在となっていた。初対面で潔く負けを認めたせいか、なにか動物学に関して判らないことがあると、光瀬に電話する癖がついてしまった。生前、照れ臭いので、礼を言う暇がなかったが、あらためて感謝したい」と書かれています。

 

ねらわれた学園 (講談社文庫)

ねらわれた学園 (講談社文庫)

  • 作者:眉村 卓
  • 発売日: 2012/09/14
  • メディア: 文庫
 

 

また、「眉村卓は、面倒見のいい兄貴のような初印象だった。どんなテーマが好きかなどと訊かれるので、タイムトラベルものを書きたいというようなことを答えているうちに、ひとりでにSF談義が始まった。眉村とのこうした関係は、おたがいプロとして、忙しくなるまで続く。眉村も、書きかけのアイデアをしゃべる。ぼくも、同じことをする。たがいに感想と意見を話す。眉村のアドバイスで、違う要素を加え、書き上げた話もある。相互モニター関係とでも、呼べばいいのだろう。まだ、未熟だったころ、眉村のアドバイスは、貴重だった。それに対して、ぼくが生意気にも口にしたアドバイスめいたことが、眉村にとって、どれほど役に立ったか、はなはだ疑問である」とあります。

 

復活の日 (角川文庫)

復活の日 (角川文庫)

  • 作者:小松 左京
  • 発売日: 2018/08/24
  • メディア: 文庫
 

 

さらに、小松左京と文通を始めたという著者は「『エイトマン』のシナリオで、やや食べていけるようになったものの、そうそう大阪まで行けるわけがない。近況や、興味のあるテーマなど、葉書いっぱいに書いて送ったところ、葉書の表面下段まで、お馴染の体格に似合わしくない細かい文字で、ぎっしり返事を書いてよこした。歴史、文化、民俗など、あらゆるジャンルに関して博識だった。こっちも嬉しいので、すぐに、共通する話題、人種、歴史、生物などに関して、あれこれ書き送る。人類進化については、よく勉強したつもりだが、小松のほうが詳しい。あとで知ったのだが、小松は、母校京大の霊長類研究所とも関わりがあり、霊長類学にはとりわけ精通していたのだ。こうして、小松とは、今でいうメル友のような関係ができあがった」と述べます。なんとも豪華な交友録ですね。

 

角川文庫 日本アパッチ族

角川文庫 日本アパッチ族

  • 作者:小松左京
  • 発売日: 1971/12/20
  • メディア: 文庫
 

 

そして、著者は「64年になると、SFはブーム寸前の状態まで、ブレークした。みんなが、誰でもいいから、メジャーなところにデビューして、SFを広める第一段階となってほしいと、願っていた。同志的な結束が芽生えていたからだ。小松左京が先鞭をつけた。光文社から『日本アパッチ族』を上梓し、週刊誌『漫画サンデー』に『エスパイ』を連載しはじめたのである。当時、平井の『エイトマン』がテレビ化されることになり、TBSの漫画ルームへ通うようになっていたぼくは、むさぼるように読みふけった。このとき、平井と1週づつ交代で『漫画サンデー』を買ったものである。まだ収入の乏しい時代だったから、毎週だと懐に響くからだ」と回想するのでした。

 

第六章「SFの普及と発展」では、SFが一大ブームを起こしていく様子が生き生きと描かれていますが、SF作家クラブのメンバーたちは各地の温泉地などに親睦旅行で出かけ、酒席でSF談義を熱く交わす日々が続きました。この頃、SF作家クラブで、1つの不文律ができあがったそうです。それは、星新一小松左京は、移動の際、同じ車に乗せないというもので、著者は「事故でもあって、万一、二人の身になにかあったら、できたばかりのSF界は、崩壊してしまう。つまり、危機管理というわけだ。ちょっと前のことになるが、与党の大物議員の葬儀に参席するため、与党議員が幹部も含めて、全員が同じ飛行機で、葬儀が行われる地方都市へ出向き、問題になったことがある。もし航空機事故が起こったら、与党はおおよそ壊滅してしまう。国政に対する自覚がない議員ばかりだったのかもしれない。それよりずっと前から、SF作家クラブでは、それくらいの配慮は、行なっていたのだ」と述べています。



第七章「日本SF作家と映像の関わり――アニメ(人形アニメも含む)、特撮など」では、当時のSF作家たちがSFアニメに関っていく経緯が語られます。平井和正らとともに、著者は「エイトマン」の制作などに関わっていました。著者の場合は、「たまたま、虫プロの同僚だった山本暎一から、SFアニメの新作を企画しているプロデューサーがいるから、会ってほしいという連絡をもらった。こうして、武蔵高校の先輩にあたる西崎義展に出会い、松本零士に引き合わされた。松本とは、初対面から意気投合し、今に至っている」と述べます。新SFアニメは、なにも決まっていませんでした。松本零士の原作があるわけではないので、基本設定を考えてくれという話になったとか。



以後、著者はテレビ版、劇場版など、初期の10作品のすべてのSF設定を担当することになりました。こうして誕生したのが『宇宙戦艦ヤマト』です。その経緯に関しては、著者が書いた『宇宙戦艦ヤマトの真実』(祥伝社刊)に詳しく書かれています。著者は、「なにぶんにも前例のないジャンルだけに、『宇宙戦艦ヤマト』の実現には、大きな抵抗があった。スタッフ全員で、力を合わせて、新しいアニメのジャンルを確立したのである。口はばったい言い方になるが、ヤマトの成功がなければ、『機動戦士ガンダム』も実現していなかったろう」と述べています。わたしは、ガンダムのルーツは永井豪原作の『マジンガーZ』だと考えていますが、たしかに『宇宙戦艦ヤマト』の影響もあったかもしれませんね。

 

 

第九章「SFの浸透と拡散」では、星新一について書かれています。著者は、「星新一は、偉業1000篇のショートショートが、達成される遥か以前に、いつも一人の作家の存在を口にしていた。それは、帝政ロシアアントン・チェーホフである。星は、チェーホフが、未訳のものも含めて4000編の作品を残したという。一時期、アメリカのフレデリック・ブラウンの名をあげることもあったが、60年代から、すでに、チェーホフを意識していた。また、一見、星は、欧米SFとは関わりのない独自の世界を築いたため、ともすれば、英米SFのトレンドと無縁のように見えるが、ジョン・ウィンダムの『海竜めざめる』を、自ら翻訳するなど、英米SFへの関心は、低くはなかった」と述べています。興味深いエピソードですね。

 

星新一ショートショートセレクション(全15巻セット)

星新一ショートショートセレクション(全15巻セット)

  • 作者:星 新一
  • 発売日: 2013/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

星新一は、日常は、小松左京に匹敵するほど博識だったそうです。いつもジョークを言っていましたが、それも教養がないと笑えない場合すらありました。ところが、作品となると、その教養、博識が、微塵も出てこないとして、著者は「星のショートショートの中に、どこかの文献、資料からの引用など、まったく出てこない。すべて、星の頭の中で、組み立てられたものなのである。そこが、星ショートショートの凄みなのだが、その点について、評論家は、あまり言及していない」と述べています。星新一の非凡さがよくわかりますね。

 

さて、本書には日本SF史を語る上で避けて通ることができない「匿名座談会事件」についても触れられています。福島正実は初代「SFマガジン」編集長であり、それまで日本の出版界では商業的に成功しなかったSFを日本に定着させるため、様々な分野で精力的に活動し、「SFの鬼」と呼ばれました。しかし、晩年は覆面座談会事件において匿名で気鋭の作家らを誹謗中傷し、業界の分断と停滞を招いたとされています。著者は、「60年代も末、1969年、日本SFの勃興期を締めくくるように、ひとつの不幸な事件が起こる。福島正実は、SFマガジン誌上で、みずからも出席して、日本作家をこき下ろす匿名座談会を、催したのである。ほとんどの作家が、きわめて酷評された。ぼくなど、酷い扱いで、『他人が書くと、すぐ真似して書く』と評された。もちろん、後に福島の発言ではないと判明するが、日頃、福島から罵倒に近い言葉で、評されていたことと矛盾する」と述べます。

 

「匿名座談会事件」について、さらに著者は「多くの日本人作家が激怒した。公式に抗議しようということになった。もちろん、作家それぞれ、態度は異なる。温厚な眉村卓光瀬龍は、内心では不服だったのだろうが、とくだん抗議めいたことはしなかった。一方、小松、星、筒井、平井、ぼくなどは、熱海の文春の保養所で、一泊して対策を練ることにした。さすがの福島も、星には一目置いていたと見え、あの座談会でも褒められている。ただし、他のメンバーは、みんな激怒している」と述べます。すると、だしぬけに星のジョークが飛び出したそうです。それは「飼い犬に手を噛まれるという話は、よくあることだが、飼い犬のほうが、飼い主に尻を噛みつかれたようなものだ」というジョークでした。著者は、「まさに、星のジョーク通りである。われわれ第一期の日本人作家は、みんなSFマガジンから出てきた。その意味では、まさに福島の飼い犬のようなものだった」と述べています。

 

その星のジョークで、殺気だっていたその場がなんとか和らいだというのですから、大したものです。第十章「国際SFシンポジウム(1970年)」には、星のジョークの傑作がもうひとつ紹介されています。ある夜、とつぜん星から電話がかかってきて、「豊田くん。世界三大Qというものを発見した」と勢いこんで話しはじめたそうです。「えっ!三大Qって、なんですか?」と著者が聞くと、星は「モンテスキューとバーベキューと、オバQだ」と言ったそうです。著者は、「大のおとなが、それを言いたいため、わざわざ、夜、電話してきたのだ。その夜、最初に小松に電話したらしい。小松が不在だったので、面白がってくれそうな相手に、ぼくを選んだらしい。受話器を置いてからも、笑いが止まらなかったものだ」と述べていますが、星新一人間性がわかる「いい話」ですね。



最後に、1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」について、著者は「日本でも、7000万人の入場者を集めた大阪万博は、戦後のエポックの1つとなり、その後、揺り戻しのような反動が生じた。折からの公害問題の浮上とともに、高度成長への反省が過激化したのか、ノストラダムスなど終末論が流行し、原発は手のひらを返したように公害の元凶に仕立て上げられた。槍玉にあがったのが、SF作家と未来学者である。バラ色の未来を売りまくったのが、けしからんというわけだ。SFは、ペつだんバラ色の未来ばかり描いてきたわけではない」と述べています。

 

日本沈没(上) (角川文庫)

日本沈没(上) (角川文庫)

  • 作者:小松 左京
  • 発売日: 2020/04/24
  • メディア: 文庫
 

 

しかし、SF作家たちは、こうしたマスコミ様の変節に憤りました。「それでは望み通りバラ色でない未来を描いてやろうではないか」と、小松左京は『日本沈没』を著わしました。著書がSF設定を引き受けた『宇宙戦艦ヤマト』も同様に、こうした社会的な背景から、地球が破滅しかかるという未来からスタートするものとしたそうです。そして著者は、「幸いというべきか、その後、日本は破滅するどころか、さらに発展し続け、やがて20世紀末のバブル崩壊を迎えたことは、記憶に新しいところである」と述べるのでした。本書は、SFの歴史もわかりやすく説明されていますが、日本のSFを支えてきた作家たちの素顔を知ることができて、とても楽しい読み物でした。

 

日本SF誕生―空想と科学の作家たち

日本SF誕生―空想と科学の作家たち

  • 作者:豊田有恒
  • 発売日: 2019/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年11月30日 一条真也

『未踏の時代』

未踏の時代 (ハヤカワ文庫JA)

 

一条真也です。
『未踏の時代』福島正実著(ハヤカワ文庫)を紹介いたします。「日本SFを築いた男の回想録」というサブタイトルがついています。著書は1929年生まれ。編集者、作家、翻訳家、評論家。明治大学文学部中退後、早川書房に入社。1957年、都筑道夫とともに〈ハヤカワ・SF・シリーズ〉を立ち上げる。1959年12月、〈S‐Fマガジン〉を創刊。初代編集長として敏腕をふるい、それまで商業的に成功しなかったSFを日本に定着させるため、さまざまな分野で精力的に活動。1969年、早川書房退社後も、〈S‐Fマガジン〉誌上に、創作、翻訳、ブックレビュー、科学エッセイなど旺盛に執筆。「未踏の時代ーー回想のSFマガジン」を執筆中の1976年没。著書に『ロマンチスト』『月に生きる』『SFの夜』。訳書も多いですが、ブログ『夏への扉』で紹介したハインラインの名作の翻訳があまりにも素晴らしかったので、本書を読んでみたくなりました。

 

夏への扉

夏への扉

 

 

カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「1959年12月、〈S‐Fマガジン〉が創刊された。初代編集長は福島正実。それまで商業的に成功したことのなかったSFを日本に根づかせるため、彼の八面六臂の活躍がはじまる。アシモフ、クラーク、ハインラインに代表される海外のSF作家を紹介するとともに、小松左京筒井康隆光瀬龍などの“新人作家”を世に出し、SFのおもしろさ、その可能性を広く紹介してゆく・・・・・・SF黎明期における激闘の日々を綴る感動の回想録」

 

S-Fマガジン 1960年02月号 創刊号 (通巻1号)

S-Fマガジン 1960年02月号 創刊号 (通巻1号)

  • 発売日: 1959/12/25
  • メディア: 雑誌
 

 

本書には「目次」はなく、時系列で出来事やその感想を著者が綴っています。〈S‐Fマガジン〉(SFM)の創刊は1960年2月号でした。実際には、その前年、1959年12月ということになります。そして、SFMが企画されたのは、その年の春頃でした。著者は、「その頃の早川書房編集部には、都筑道夫、小泉太郎(のちの生島治郎)それに常盤新平などがいた。都筑道夫は、いうまでもなく、1956年に創刊され、すでに3年近くになっていたEQMM(エラリイ・クィーンズ・ミステリ・マガジン)の編集長であった。この頃の編集会議に、SF雑誌の出版を提案したのは、都筑道夫である」と述べています。早川書房は、それよりもさらに2年前――1957年末から、〈ハヤカワ・ファンタジィ・シリーズ〉と銘うつ海外SFのシリーズを刊行していました。『盗まれた街』(フィニィ)『ドノヴァンの脳髄』(シオドマク)『火星人ゴーホーム』(ブラウン)『吸血鬼』(マティスン)『宇宙の眼』(ディック)『鋼鉄都市』(アシモフ)『呪われた村』(ウィンダム)などが、その頃までに出た主なSFです。

 

SFMが創刊された60年代初頭の当時のジャーナリズム一般の空気は、SFに対して、全く否定的だったようです。著者は、「SFを読み、あるいは語ることは、アブノーマルなものへの関心を自白するようなものだった。変りもの扱いにされることを覚悟しなければならなかったのだ。そんな体験からも、ぼくは、日本におけるSF出版の可能性に対して、かなりの程度に悲観的だった。現実にしか目を向けることができず、未来や空想は、絵空事としてひとしなみに軽蔑してかかることしか知らない人々が、あまりにも多すぎた。そうした人々に、SFの効能をいかに説いても、所詮は馬の耳に念仏としか思えなかった。そのとき、唯一の希望を与えてくれたのが、ロウティーン以下の年少読者たちだった。彼らにとっては、空想が生活の貴重な一部であり、未来は、彼らの現実の中に組み込まれるべき時間の一部だった。そうした彼らには、SFは、きわめて魅力的な世界を提供できるはずだ」と述べています。



1962年、キューバへのソ連のミサイル配備に抗議したアメリカがキューバを封鎖し、米ソの対立が核戦争の危機となりました。最終的には両国首脳の直接交渉でソ連がミサイルを撤去、危機は回避されました。この「キューバ危機」について、著者は「一触即発という言葉が、このときほど身近に感じられたことはなかった。なにかしようとしても、もしいま、この瞬間にも、米ソいずれかの、あるいは双方のミサイル発射ボタンが押されていたら、と思うと、やりきれない無力感に押しまくられ、押し流されて手がつかない。そういってしまっては身も蓋もないかもしれないけれども、全世界が破滅して、放射能まみれの塵埃の塊と地球が化してしまって、なんのSF、なんのSFマガジンだと、思わずにはいられなかったのです」と述べています。

 

著者はさらに、「あの緊張の2日ばかり、なんど、ミサイルがこの空の奥にと思って、真昼の空をまた夜空を見上げたかわかりません。それだけに、フルシチョフの譲歩によって一応の危機が去ったときの、あの途方もない安堵感も、それまでのものとは比較にならない真実味がありました。そして、思ったことでした――世界と人類とを救うものは、この恐怖の再認識しかない、と。ボタンの一押しが世界の破滅につながるという、まさにSF的なシチューエーションの再認識しかない、と」と述べます。このくだりは、SFの本質や存在意義を考える上でも非常に興味深いと思います。というのも、現在のコロナ禍を語る際に、よく小松左京の『復活の日』が話題になるように、SF的想像力というのは現実の危機的状況に何らかのヒントを与えるものであると思うからです。

 

1963年になると、日本作家の活動も、軌道に乗ってきました。星新一小松左京光瀬龍などが、着々と、自己のSF世界を構築する意欲的な作品を発表しつづける一方で、自らを新しい波として自任する豊田有恒平井和正半村良などの活躍も目立ってきつつありました。著者は、「豊田有恒が彼の仕事のメインとなる歴史SFの端緒をつかむ作品を発表しはじめたのもこの時期だし、平井和正が、SFの中に強烈な情念のドラマを持ちこんだ虎のイメージによる連作を書いて、やがて彼のその後のキャリアを決定づける道を歩きはじめたのも、同じこの時期であった。ただ、この頃の半村良は、明らかに、自己の稟質である風俗小説的要素と、SFとの結合に苦慮して、低迷を余儀なくされていた――この低迷は、もちろん、当時の半村の本業であった広告業界での仕事の盛衰という事情もあいまって、数年後、伝奇小説のかたちで開花するまでの間かなり長くつづき、彼を苦しめることになったのである」と述べています。

 

出版界はSFという新しいジャンルに注目し始めました。倒産した東京創元社が新社として復活し、従来のミステリー路線よりも優先させて、SFを文庫スタイルで刊行しはじめました。著者は、「これは、早川書房にとって、無視できない強敵の出現だった。もともと、東京創元社は海外ミステリー出版の時以来のライヴァルである。当然、両者間で、これ以後、かなり激烈なSFの翻訳権取得合戦がくりひろげられることになる。創元社も、早川書房も、先を争って、目ぼしいSFの版権を確保しておこうとした。それが、いつ出版できるかは二の次でさえあった。その結果、両社とも、限られた数のSF翻訳家では、とうてい処理できない数の翻訳権をかかえ――当然、そのための投資額も、ばかにならない金額になった――つぎには、翻訳者争いにまで発展することになったのである」と述べています。結果的に、両社の競争があったからこそ、日本のSF界は発展したように思います。やはり、強力なライバル同志がってこそ、そのジャンルは活性化するのです。

 

わたしが生まれた年である1963年の秋頃には、以下のような批評があったそうです。執筆者は当時、「ヒッチコック・マガジン」の編集長をやっていた中原弓彦小林信彦)でした。
推理小説ブームはすでに終り、これからはSFだというかけ声があちこちで聞かれる。現にいくつかの出版社が〈書きおろしSF〉を企画しているし、早川書房の雑誌でも、『EQMM』より『SFマガジン』の方が売れ行きが伸びているそうである。そういう現象的なことはどうでもいいが、どうでもよくないのは、作品の〈面白さ〉ということだ。(中略)私の如き科学嫌いの人間が、時々SFを読むのは、そうした〈面白い小説〉への強い欲求からなのである。(中略)それにしても、SFがここまで普及したのは、やはり『SFマガジン』編集長の福島正実氏の力が大きかったといえるのではないか。SFを一部マニアの手から広い読者層に解放したのは氏の努力の賜物である」

 

これだけの賞賛があっても、著者はSFの将来を楽観視していませんでした。「SFのためのマーケットは、いくらか拡がったとはいえ、SF(ショート・ショート)だけを書いて食っていけるのは、この頃でもまだ、星新一くらいのものだった。ほかの作家たちは、それぞれ、さまざまのところで、さまざまの仕事をしなければならなかった」そうで、すでにかなり売りだしてきていた小松左京でさえ、この頃、大阪朝日放送のPR誌「放送朝日」に、瀬戸内から滋賀、若狭、紀伊半島一帯を歩きまわって取材したルポの連載を開始しました。その他にも、電波関係の仕事や、PR関係の仕事もやっていたといいます。光瀬龍は高校教師として、眉村卓はコピーライターとして、そして筒井康隆はコマーシャル・デザイン工房〈ヌル・スタジオ〉の経営者として、半村良は広告会社のアドマンとして、それぞれの勤務を持っていた他に放送関係、PR雑誌の原稿、その他何でもこなしていました。

 

さて、SFとは「Sience Fiction」の略ですが、著者は、サイエンティフィックであることをあまり強調しすぎると、必然的に、ひどくおかしなことになると言います。その理由は、サイエンティフィックなアクチュアリティを、いかに厳密に演出しようとも、それがSFである限りにおいて、類推の部分がなければならず、したがって、時代とともに進歩する科学・技術によって、その類推の間違いが実証されてしまう場合があるからです。著者は、「サイエンティフィックなSFの価値は、つねに相対的だということになります。ベルヌもウエルズも、その意味では、書かれた当時よりもサイエンティフィックでなくなり、したがって、価値が減少したということになる。だから、もしサイエンティフィックであることがSFの必須条件であるとするなら、SFは、時代とともに、片端からその価値を失っていくことになるのです」と述べています。SFの価値についての、きわめて鋭い意見であると思います。

 

さらに、著者はSFについて以下のように述べます。
「SFは、科学を意識した心で思索し空想する小説です。アメリカのある作家は、SFを定義して、面白いことをいっています。彼はSFをWhat if~の小説だというのです。つまり、「もし何々が何々であったならばその結果はどうなるか?」ということを考える小説だというのです。いいかえればSFは仮説の文学、スペキュレーションの小説だということです。だとすれば、SFは、必ずしも、現代になってはじめて現われたものともいえなくなります。伝統的な幻想文学も、怪奇文学も、18世紀のゴシックロマンも、すべてその系譜の中に入るはずです。SFは、そうした、未知のものを求める人間精神の生んだすべてのイマジナティヴ・フィクションにつながるものです。それが、科学の曙光をあびることによって、SFというかたちをとったのです」

 

 

著者は、SFに本格的に取り組んだ、数少ない文学者の1人であるキングズレイ・エーミスを取り上げ、彼がそのSF論『地獄の新地図』の中で、SFとジャズの相似性について語っている内容を紹介します。エーミスによれば、ジャズは、1人のベートーベンも持たずに、大衆の熱烈な愛好によって盛りあげられて今日の隆盛を生みました。SFも、1人のトルストイも持たずに、大衆のヴァイタリティそのものをエネルギーとして、根強い力を持つ文学ジャンルとなろうとしているというのです。著者は、これを洞察力に富んだ卓見であるととらえ、「私は、そうした意味での、日本流のSFの育ち方を、期待したいのです。強いヴァイタリティを持ち、自由で闊達な、新しい小説としてのSFを」と述べています。

 

著者は、SFの定義をめぐって、文芸評論の第一人者であった荒正人と論争しています。63年2月、「宝石」誌が著者と荒正人と、作家で評論家の石川喬司の3人で「日本のSFはこれでいいのか」と題する座談会を開催し、『別冊宝石3・特集 世界のSF』号に掲載されました。その内容の一部が非常に興味深く、著者のSF観を見事に表現していますので、以下に紹介します。

石川 ファン大会などでアンケートをとると、S派とF派というのがはっきり分れています。F派はルキアノス以来のファンタジーや怪談などをそっくりSFの中にひっくるめて考えようとする。S派の方は、それは邪道で、純粋に科学的なものでなければだめだと考える――。
 ファンタジーも入れるとなると『アラビアンナイト』でも『西遊記』でもSFだということになる。どこかでボーダーラインを引かなければならないでしょう。
福島 ぼくは、ファンタジーも現代SFも、源流は同じイマジナティヴな文学の流れに入ると思うのです。そして、近代以後、科学の洗礼を受けたものがSFとなった、というふうに考えたい。つまりSFは、大きな幻想文学という流れと、現代的な幻想文学という流れとの、現代的な位相であると思うんです。

 

復活の日 (角川文庫)

復活の日 (角川文庫)

 

 

1964年8月、小松左京の『復活の日』が早川書房の〈日本SFシリーズ〉の第1巻として出版されました。続いて11月には光瀬龍の『たそがれに還る』が、そして12月には星新一の『夢魔の標的』が出た。〈日本SFシリーズ〉はこうして、1964年スタートし、日本SFの本舞台の幕は開いたのでした。翌1965年には、小松左京の第三長篇『エスパイ』(実業之日本社週刊漫画サンデー連載)佐野洋の『透明受胎』(最初のラインナップの『海底樹林』が途中で『交換染色体』に変り最終的にはこの表題になった)筒井康隆の『48億の妄想』とつづいていくことになります。

 

日本アパッチ族 (角川文庫)

日本アパッチ族 (角川文庫)

 

 

じつは、小松左京は『復活の日』の前に『日本アパッチ族』を光文社の〈カッパ・ノベルズ〉から出しています。『日本アパッチ族』が小松の処女長篇で、『復活の日』は第二長篇です。単なる行き違いでそうなったのですが、ずっと一日千秋の思いで小松の長篇小説を待っていた著者は非常にショックを受けたそうです。しかし、その後数年たって、出版社を辞めてからぼくは、この当時を振りかえってはじめて、小松左京の処女長篇が、『復活の日』でなく『日本アパッチ族』であったことが、小松個人のみならず、日本SF界全体にとっても、なかなかに意味のあることだったのではないか、と思いはじめたそうです。ちなみに、著者は「『復活の日』は、そのなかに、小松一流の精緻で周到でアップ・トゥ・デートな科学理論の展開をもつ、きわめてモダンな破滅SFで、その意味でも、日本ではじめての本格的プローパーSFであった。これに対して、『日本アパッチ族』は、そうしたリアリスティックSFのアクチュアリティを捨ててかかった、いわば徹底した寓話SFであった」と述べています。

 

著者は、『日本アパッチ族』について、「そうした寓話SFであるこの作品は、いわゆるプローパーSFの枠を、最初から大きくはみだしていた。というより、小松のいう通りだったとすれば、ずっと以前、意識的にSFとしてでなく書きはじめられたこの作品には、もともと、コンヴェンショナルなSF的結構の中におさまりきれない種々雑多な、だが一つ一つが彼にとっていとおしく、それ故にきわめて重要な彼自身の断片が、ぎゅう詰めになっていたはずだった。その断片は、戦争によってゆがめられ、戦後によって傷つけられ、安保によって破粋された、小松左京という作家の魂の断片であり、作品はそれを寄せ集めることによって生まれたアラベスクなモザイクだった・・・・・・」と述べ、さらには「およそプローパーSFの枠からはみだした――そして、きわめてエンターテナブルではあっても、単なるエンターテインメントではない『日本アパッチ族』が、戦後の日本SFの出発点においてすでに存在したということは、小松左京はもちろんのこと、わが国のSF作家たちが、より高次のSFの達成を目指してなお前進するということの、よい辻占であったように思うのだ・・・・・・」と述べるのでした。

 

東海道戦争 (中公文庫)

東海道戦争 (中公文庫)

  • 作者:筒井 康隆
  • 発売日: 1994/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

1965年の時点で、次の新人として著者が特に力を入れはじめたのは、筒井康隆でした。著者は、「筒井はデビュー以来、コミックな――というよりややニューロティックな笑いを盛りこんだSF――自らスラップスティックSFと名づけていた――を得意として、独得な作風で頭角を現わしはじめていたが、この頃から、その傾向をいっそう推し進めた疑似イベントSF――これも彼自身の命名である――を書きはじめた。その最初のものが65年7月号に掲載された『東海道戦争』である」と述べています。また、筒井康隆の『堕地獄仏法』とそれを掲載した「SFマガジン」に対して、創価学会員から激しい非難攻撃の火の手が上がったことを回想し、以下のように述べています。
「増刊号が店頭に出てしばらくたつと、編集部には、激怒した学会員からの投書が舞いこみはじめた。そしてやがて、学会の機関誌〈週刊言論〉にも、ヒステリックな反論が載り、いずれも『堕地獄仏法』が学会に対する故なき中傷であり、無知蒙昧な悪意以外の何ものでもない、こんな愚作を載せた。SFマガジンという雑誌は低級この上なく、こんな企画をした編集長は品性下劣にちがいないというような意味のことが激越な調子で書かれていた」

 

堕地獄仏法/公共伏魔殿 (竹書房文庫)

堕地獄仏法/公共伏魔殿 (竹書房文庫)

 

 

1965年から66年へかけての筒井康隆は、みるみる、第一線のSF作家へと成長していきました。そのハイ・スピードぶりは、人々の目を見はらせるものがあったとして、著者は「彼は、他の作家たちとは全くちがう分野に、自分の天性を生かすものを発見し、それを自ら引きのばしていった。彼の場合とくに目ざましかったのは、そうしたSF作家としての成長が、SFファンのみならず一般読者、とくにヤング層の人気にじつに効率よくつながっていったということであった。星新一の場合には、かなり長い浸透の時期があってのちショートショートという分野の確立とともにその実力と魅力とが認められた。小松左京の場合も、最初熱狂したのはSFファンであり、その作家的力量がSF界以外に認められるためには、相当量の作品の蓄積という重みが必要だった。それに較べて筒井の場合、本格的に書きはじめてから、認められるまでの時間は非常に短かった。彼は、ややオーバーな表現を使うなら、またたくうちに、星、小松なみのポピュラリティーを、獲得してしまったのである」と述べています。

 

48億の妄想 (文春文庫)

48億の妄想 (文春文庫)

 

 

また、筒井康隆は、『東海道戦争』スタイルの疑似イベント路線をさらに推し進めた最初の長篇『48億の妄想』を、すでに65年末に完成していたとして、著者は「大衆の飽くことなき好奇心と新しい見世物はしさの欲求は、テレビをあらゆるものの価値判断の基準にしてしまう。新しい〈事件〉は、発生するのではなく、テレビのために〈発明〉される。そこには、事件に先がけてテレビが到着して、事件のなま中継をするべく準備がととのえられている。もちろん、人々はすべて、それを意識して演技する。あらゆるものが演出され、ショーとなる」と述べています。さらに、「面白いことに、このサイケデリックな気違い世界は、10年後の昭和51年いま現在に現実のものになることになっている!」として、「彼は、SF的な極限状況の設定をかりて、彼が現代人の心理の中に見出したニューロティックな傾向を、徹底的にパロディ化し、茶化し、デフォルメしてみせたかったのにほかならない。そしてこの作風こそ、彼が、早くから、SF読者の枠を越えた一般領域の読者を誘きつけた理由である。簡井SFは、もともと、いわゆるSFの枠の中には収まっていなかった。一種独得のブラック・ユーモア小説に、より近かったのだ」と述べるのでした。



1966年の年末、1970年に大阪で開催されることが決定した日本万国博の、さまざまの影響が、SF界にもおしよせてきつつありました。小松左京は、政府の万国博テーマ委員の1人となっていましたが、著者は三菱グループのパビリオンのプロデュースを依頼された東宝田中友幸氏の依嘱を受け、その基礎的なアイデアづくりのためのプロジェクト・チームを編成しました。著者は、「星新一矢野徹真鍋博、それにぼくがメンバーとなったこのチームは、すでにこの年、何回かの会合を重ねて、アイデアを練りつつあった。こうした雰囲気にも如実に反映しているように、この年から翌67年にかけては、わが国にも、世界の先進国で高まりつつあった未来論ブームが、押し寄せてきたのである」と述べています。

 

本書の「解説」は評論家の高橋良平氏が担当していますが、高橋氏は大伴昌司構成の「SFを創る人々」(〈S‐Fマガジン〉1964年7月号)で、「SFがもつ要素で魅かれるものは?」という質問に対して、著者が「僕は唯物論者で、人間は元素に始り元素にもどることを信ずるが、同時にそこに生まれる一種の虚無感をも、信じている。“愛”のように、抽象的な観念を、たとえば兄弟愛とか夫婦愛というかたちで誰でもかんたんに認めているが、その本質は一種の執着にすぎない。執着を執着として認識することが僕の場合重要で、そういった、小説でも実人生でも衣を着せられてもてはやされているものを、裸にしたい気持がある。そして、これを自由にやれるのが、SFという文学形式だと思った。僕は復讐という人間心理がとても好きだが、復讐という行為は、現実回復の手段だ。実生活では実行できない。それがSFの場合はたやすくしかも徹底的にできる」と答えたことを紹介します。ここには、SFに対する著者の想いが正直に語られています。SF出版にかける著者の熱い想いは、「ハヤカワ・SF・シリーズ」のスタートから足掛け13年、122冊の〈S-Fマガジン>を通じて終始変わりませんでした。また、世界に類をみない『世界SF全集』全35巻(早川書房)を企画・編集し、人生を卒業していったのです。

 

 

2020年11月29日 一条真也

「鬼滅の刃」の本、書いてます!

一条真也です。
28日、サンレー本社で人事委員会が開催され、さまざまな重要事項を話し合いました。コロナ禍であっても、会社の未来のために全集中の呼吸で頑張ります!
全集中の呼吸といえば、いま、社会現象にまでなった『鬼滅の刃』の本を書いています。



ブログ『鬼滅の刃』ブログ「アニメ版『鬼滅の刃』」ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」には大量のアクセスがありました。たとえば、劇場版のブログは映画公開から1ヵ月以上も経ってからUPしたにもかかわらず、グーグル検索の全1700万件中の第4位となっています(11月28日現在)。
ブログを読まれた出版社の方から連絡があり、今月の25日に東京・日比谷の帝国ホテルで面会しました。そして、『なぜ、コロナ禍で「鬼滅の刃」は大ヒットしたのか』という本を書くことになりました!



今月になって、「鬼滅の刃」に興味を抱きました。
あることがきっかけで、猪の被り物をした伊之助の姿をTVで観て、衝撃を受けたのです。すぐ、アニメ全26話を観たいと思いました。Netflixに加入すれば観れることを知り、その場で加入。その日のうちにほぼ全話を一気に観ました。翌日は、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」も観ました。そして、さらにその翌日、アマゾンから届いた原作コミックス既刊22巻を一気読みしました。つまり、アニメ、映画、コミックの順で2日半で制覇したことになります。

f:id:shins2m:20201116145023j:plain運命の出会い!

 

本当は、「鬼滅の刃」のように、あまりにも流行になったものはスルーしたいと思っていました。しかし、プレジデント・オンラインに桶谷功氏(インサイト代表)が寄稿した「『鬼滅の刃にはあるが、ワンピースにはない』敏腕マーケターが見抜く決定的違い」という記事を読んで考えが変わりました。桶谷氏は、「これだけヒットしているのなら、一度は見ておかねばなりません。家族とは都合が合わなかったので、オジサン1人で映画館に行ってきました。ちなみに、このようにブームを巻き起こしているものがあったら、たとえ自分の趣味ではなかろうが、軽薄なはやりもの好きと思われようが、必ず一度は見ておくべきです。社会現象にまでなるものには、どこか優れたものがあるし、『時代の気分』に応えている何かがある。それが何なのかを考えるための練習材料に最適なのです」と述べていますが、「その通りだな」と思えました。

f:id:shins2m:20201116144906j:plain冒頭から巨大なグリーフが発生!(アニメ版より)

 

それで、実際に体験してみて、「社会現象にまでなるものには、どこか優れたものがあるし、『時代の気分』に応えている何かがある」というのは大当たりでした。まず、この物語のテーマとは、わたしが研究・実践している「グリーフケア」ではないですか! 
鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それを鬼殺隊に入って鬼狩りをする人々は、復讐という(負の)グリーフケアを行います。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉でしょう。わたしは、大いに感銘を受けました。

f:id:shins2m:20201129162555j:plain鬼滅の刃』を読み解きます!
 

炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。これは教育上にも良い漫画だと思いました。さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのです。

f:id:shins2m:20201128164359j:plain
全集中の呼吸で書きます! 

 

版元は、なんと年内の刊行を希望しています。これまで、わたしが書いた原稿を活用できるにしろ、あまりにもスケジュールがタイトです。まあ今年は忘年会ラッシュから解放されるでしょうから、師走に執筆の時間も取れるでしょう。「オレはやれる! 絶対にやれる! 俺はやれる男だ!」「がんばれ! 人は心が原動力だから」という炭治郎の言葉を我がこととして、頑張ります。その後の編集者との打ち合わせで、もしかしたら、『「鬼滅の刃」に学ぶ』とか『「鬼滅の刃」のここに学べ!』などのタイトルになるかもしれませんが、とにかくサイは投げられました。
コロナ禍にもかかわらず社会現象にまでなった大ヒット作品を通じて、わたしは儀式やグリーフケアの本質と重要性を説き、さらには日本人の宗教観にも迫ってみたいと思います。どうぞ、お楽しみに!

 

2020年11月28日 一条真也

『いまこそ「小松左京」を読み直す』

いまこそ「小松左京」を読み直す (NHK出版新書)

 

一条真也です。
27日の午後、新型コロナウイルスの感染者が過去最多の570人となった東京を離れ、北九州に戻りました。現在、アニメ映画「日本沈没2020  劇場編集版 シズマヌキボウ」が公開中ですが、その原作者は小松左京です。『いまこそ「小松左京」を読み直す』宮崎哲弥著(NHK出版新書)を紹介いたします。
書名からわかるように、日本SFの巨匠であった小松左京の作品と思想を論じた本です。ブログ『SF魂』ブログ『小松左京自伝』で紹介した本を読んだとき、小松作品のスケールの巨大さに感動し、「いつか小松左京についての本を書きたい」と思ったものですが、本書の存在を知ったときは「先を越されたな」と感じました。著者の本を読むのは初めてです。SFの定義付けから始まって、素晴らしい論考でした。

 

著者は、1962年、福岡県生まれ。相愛大学客員教授慶応義塾大学文学部社会学科卒業。専門は仏教思想・政治哲学。サブカルチャーにも詳しいそうです。近著に、『仏教論争―縁起」から本質を問う』(ちくま新書)、『ごまかさない仏教―仏・法・僧から問い直す』(新潮選書、佐々木閑氏との共著)、『知的唯仏論―マンガから知の最前線まで─ブッダの思想を現代に問う─』(新潮文庫呉智英氏との共著)、『さみしさサヨナラ会議』(角川文庫、小池龍之介氏との共著)など多数。

f:id:shins2m:20201128185258j:plain本書の帯

 

帯には書斎での小松左京の写真が使われ、「大規模自然災害、ウイルス・パンデミック、科学技術の進歩と限界・・・・・・。「戦後最大の知識人」の問題意識の淵源に迫る!」「危機の予言者か?それとも――」と書かれています。帯の裏には「SFの可能性を拡張した代表作を読み解く!」と書かれ、本書で取り上げた小松作品が章立てとともに紹介されています。

f:id:shins2m:20201128185317j:plain本書の帯の裏

 

アマゾンの内容紹介には、こう書かれています。
「戦後日本を代表するSF作家として知られる小松左京。その作品は、大規模自然災害、ウイルス・パンデミック、科学技術の進歩と限界等、現在の私たちが直面し、未だ解決できない問題を先取りするかのようなリアリティを持っていることから、いまふたたび注目を集めている。彼は危機の予言者なのか? それとも――。作家としての出発点『地には平和を』、日本SFのオールタイムベスト『果しなき流れの果に』、460万部超の大ベストセラー『日本沈没』、カルト的な人気を誇る『ゴルディアスの結び目』、未完の遺作『虚無回廊』等、小松の仕事を画期する代表作群を読み解き、時代を超える洞察の淵源をさぐる。小松左京を『SF作家』にとどまらない、戦後最大の知識人として捉えなおす試み!」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに「 戦後日本SFとは何だったのか
         ――小松左京を通じて」
第1章  現実に「木戸銭」を払って
     ――「銃後」から「廃墟」へ
『地には平和を』『戦争はなかった』『ヤクトピア』
第2章  宇宙を超えるための「闘争」
『果しなき流れの果に』『神への長い道』『彼方へ』
第3章 滅びとエクソダス
日本沈没
第4章 トラウマとブラックホール
『ゴルディアスの結び目』
第5章 虚と実の通路
『虚無回廊』『結晶星団』
『雨と、風と、夕映えの彼方へ』
「世界と出会い直すために
  ――あとがきにかえて」


「はじめに 戦後日本SFとは何だったのか――小松左京を通じて」では、SFの定義をめぐる著者の見識が素晴らしいです。著者は、こう述べています。
「そもそもSFとは何でしょうか。この問いに対しては、単純に『サイエンス・フィクション、即ち空想科学小説』などという通り一遍の訳語を示すだけではすまない『定義し難さ』について語らねばなりません。 仮にSFのSが『サイエンス』の略だとしても、この『サイエンス』とは一意に自然科学を指すのでしょうか。世の通念ではそうかもしれません。しかし多くのSFの書き手、熱心な読み手はこの「定義」におそらく満足しないでしょう。そこで『サイエンス』を『合理的に体系化された諸学』、即ち近代以降の自然科学、社会科学、人文(科)学の総体を示すと解釈し、SFとはその総体を題材とする小説である、と看做すならば、かなり満足水準に近づくかもしれません」



けれども、まだ十全には程遠く、SFの根源的な批判性や自在性を表し尽くせていないように思えるという著者は、「あえていえばSFは、その組織化され、テリトリー化された学知の根拠、『合理性』や『体系性』に批判的です。あるいはそれらを支える『近代性』や『知性それ自体』を異化し、相対化できるのです。今日のSFが『トランスサイエンス』の領野、つまり『サイエンス』が未だ答えを出せない問題域に入っているといわれるのはこうした理由からです。あるいはまた、『サイエンス』を体系化された諸学と捉え、SFはそれらを横断しながら進んでゆく『物語』であるとしても、その対象に人文(科)学が含まれていることから、それは哲学や宗教の範疇にある問題を、もっといえば人間の実存の問題(「私は『在る』のか」「私は何故にここにこうして在るのか」「私を在らしめているのは何か」「私達は何を求め、いずかたに往くのか」等)をも問うことができます。抽象的にも、具象的にも」と述べています。



さらに著者は、「宗教や哲学が主題にしてきた宇宙や時空間についての問いを、文学が無視できるはずはありません。文学には、その問題構造の抽象性と具体性を『物語』によって架橋するという、他に類のない性能が備わっています」「SFは、科学技術や経済構造などの大域的変動と超ミクロな個の実存感との関連や無関連(疎外)を、物語として描き出すことができる。この類い稀な自在性こそがSFの真骨頂といえます」「宇宙の構造と人間、あるいは人間型知性のあり様、そして個の存在の意味を繋ぐ『物語』としてのSF。これは小松SFのメインストリームである、いわば“宇宙構造探究系”の作品に共通する根源的なテーマです」と述べるのですが、言葉を畳みかけるようにSFの意味を解く著者の姿勢には感銘を受けました。



さて、「ここで私達はある逆説に突き当たります」として、著者は「自然科学をはじめ、先端的なテクノロジーや哲学、心理学、認知科学言語学、論理学、社会学などを横断的に素材として取り込んできたSFが、機能としては古代から伝承されている神話や宗教的説話に近づいているという逆説です。神話や説話、黙示文学、叙事詩(以下、「神話類」と総称する)の多くは、世界の起源、宇宙の開闢、そしてその終末を描き出しています。しかもそれは当然にも、往々にして、神などの超越的、外部的、あるいは形而上学的な存在の「御業」によると説かれた。そうして創造された世界(宇宙)において、個々、各私の生存の起源や由来、意味が定位される。『神話類』とは、このようにマクロな世界観からミクロな個々の生の意義までを一貫 して基礎付け、総体的な世界構造を示唆する『大きな物語』です」と述べます。



SFが「神話類」に近づいているといっても、「神の死んだ」現代において、古の神話説話や中世の叙事詩がそのまま反復されるわけではないけれども、世界の存在理由、宇宙の存立構造を解き明かすことで個々の実存の意味を定める、という古来「神話類」が果たしてきた役割を、近現代において担ってきたのはSFであると指摘し、著者は「元来、広義の文学は神話説話や宗教叙事詩を含み、かかる機能性を具備していたのですが、近代文学の成立とともに『神話類』が駆逐されてしまいます」と述べています。

 

死霊(1) (講談社文芸文庫)

死霊(1) (講談社文芸文庫)

  • 作者:埴谷 雄高
  • 発売日: 2003/02/10
  • メディア: 文庫
 

 

また、著者は「戦後文学でいうなら、埴谷雄高の『死霊』のような優れて思弁的な小説や、大江健三郎の神話性が濃密に立ちこめる幾つかの作品を例外として、主流派の文学は全宇宙の意味や知性の存在理由といった哲学的、宗教的な問いをなかなか主題化できませんでした。また、仮にそれら超越的、超巨視的な事象に書き及んだとしても、既存宗教の、細々と余喘を保っているリアリティに事寄せてする場合がほとんどで、アクチュアルな、主体的なテーマになることはありませんでした」とも述べています。

 

SF魂 (新潮新書)

SF魂 (新潮新書)

  • 作者:小松 左京
  • 発売日: 2006/07/14
  • メディア: 新書
 

 

小松の著書『SF魂』によれば、小松が少年時代に最も影響を受けた文学作品がダンテのキリスト教叙事詩神曲』であり、青年期には、埴谷の『死霊』に傾倒したそうです。逆に読書欲が旺盛な時期にも自然主義文学や白樺派には「全く興味がなかった」と切り捨てています。著者は、「小松は、大学時代の親友だった高橋和巳の編著に寄せた論考で、文学を近代以降の『小説』に限定してしまう一般的傾向に異を唱え、『神話類』、つまり民話、伝承、神話こそが文学の濫觴(物事の始まり、起源)であると確論しています」と述べるのでした。

 

第1章「現実に『木戸銭』を払って――『銃後』から『廃墟』へ」では、「SF作家、小松左京が生まれるまで」として、著者は「現在のSF論には、『Science Fiction』とはオクシモロンなのではないか、という説すら出ています。オクシモロンとは『饒舌なる沈黙』とか、『喧噪のなかの静けさ』とか、『生ける屍』といった相矛盾する語句をあえて繋ぎ合わせることで表現の効果を狙う語法のこと。『サイエンス』と『フィクション』は端的に矛盾するのに、その2語が合わさって1ジャンルを表わしているとはオクシモロンに違いない、といういささか皮肉な見方です」と述べています。

 

半世紀ほど前には、「SFとは思弁小説“Speculative Fiction”である」という再定義も考案されました。一部でそれなりに流通しましたが、著者には「空想科学小説」よりはかなりマシであるものの、まだ狭い気がするそうです。「はじめに」では、SFを主に機能的な側面からみて、それは古代の神話や宗教説話、中世の宗教叙事詩に近い性質を有すると論じましたが、著者は「同時にSFには、そうした『神話類』を志向する私達の意思や知のあり方をも異化し、相対化する力能が内蔵されている、と指摘しました。科学的認識を前提とするか否かは、SFと形而上学的な『神話類』とを分かつメルクマールとしてのみ有意なのかもしれません」と述べます。

 

神曲【完全版】

神曲【完全版】

  • 作者:ダンテ
  • 発売日: 2010/08/26
  • メディア: 単行本
 

 

「ダンテ『神曲』との出会い」として、著者は、小松が中学2年生のとき、図書委員を務め、図書館に揃っていた新潮社の『世界文学全集』を繙いたエピソードに注目します。なかんずく小松少年に多大な影響を及ぼし、後に「私の文学観を決めた」とまでいわしめたのが、全集第1巻に収められていたダンテ・アリギエーリの長編叙事詩神曲』でした。著者は、「ローマの詩人、ウェルギリウスによって導かれ、地獄、煉獄を経巡り、ベアトリーチェの案内で天界に昇り、やがて至高天に達し、神を直観するという物語は、小松の宇宙構造探究系SFのストーリー展開のモデルとして影響を及ぼします」と述べています。

 

S-Fマガジン 1960年02月号 創刊号 (通巻1号)

S-Fマガジン 1960年02月号 創刊号 (通巻1号)

  • 発売日: 1959/12/25
  • メディア: 雑誌
 

 

1960年、小松は「S‐Fマガジン」が募集した第1回空想科学小説コンテスト(後のハヤカワSFコンテスト)にわずか3日で400字詰原稿用紙80枚を書き上げた短編『地には平和を』を投稿します。結果は選外努力賞でしたが、63年に同人誌「宇宙塵」に掲載され、第2回空想科学小説コンテスト入賞作『お茶漬けの味』と併せて63年下半期の直木賞候補となりました。この『地には平和を』が書かれた1960年代のこの時期、小松左京は大阪万国博覧会の準備作業、日本未来学会の創設に邁進していました。

 

そんな小松について、著者は「まさに戦後を超えて、未来へと向かう日本と世界の足どりを確認し、その歩みをサポートする仕事に携わっていたわけです。もちろん未来学は『バラ色の明日』を称揚するものではありません。過去の未来観の理非や成否を確かめ、将来の危険を見据えて、未来に向かいよりよき経路を探っていこうとする学際領域です。しかしそれでもなお、建設的、向日的な性格は否定できません。かかるプロジェクトに関わる実務家的な資質と、いかなる進歩も成長も繁栄も、大掛かりな虚構とみてしまうニヒリスティックな性質の共存が小松SFの魅力にもなっています」と分析します。

 

地には平和を (角川文庫)

地には平和を (角川文庫)

  • 作者:小松 左京
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: 文庫
 

 

著者は、『地には平和を』に描かれた「国の滅びから民の再建へ」というヴィジョンは後の『日本沈没』のモーティヴに繋がっていくと指摘し、「また、われわれの歴史や進化を、より“上位”の立場から管理、統整する者の存在とそれへの抵抗というプロットは、『果しなき流れの果に』のような本格的な時空SFから『エスパイ』のような活劇色の濃い国際サスペンスにまで受け継がれます。さらに『レーゼドラマあるいは長篇のためのエスキース』という副題が添えられた短編『人類裁判』では、『汎宇宙精神体連合』なる上位審級が『太陽系地球種知的生命体』即ち人類に対し、普遍的倫理規範に基づく裁判というかたちの介入を行います」と説明するのでした。

 

ホメロス オデュッセイア 上 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア 上 (岩波文庫)

 

 

第2章「宇宙を超えるための『闘争』」では、大作『果てしなき流れの果に』が取り上げられます。小松は同作の全体のプロットを説いて、「いなくなった人がいつか帰ってくる。その間に昔のことを知っている人はいなくなっている」話、「時空の果てをとめゆきて、涙さしぐみ帰り来ぬ」という物語だと述べ、ホメーロスの作とされる古代ギリシャの長編叙事詩オデュッセイア』や「浦島伝説」、イプセンの『ペール・ギュント』などを原型として挙げました。さらには、森鴎外の短編を劇作家の宇野信夫が新作歌舞伎に仕立てた『ぢいさんばあさん』も「エピローグ」の描写の参考にしたそうです。

 

楽園の泉

楽園の泉

 

 

この小説には、地表から静止軌道まで行き来するための大掛かりな昇降機「宇宙エレベーター」が登場します。『果てしなき流れの果に』が書かれた14年後、アーサー・C・クラーク宇宙エレベーターの建設をテーマにした『楽園の泉』が書かれましたが、現在では実現可能性が追求されているこの未知の移動手段のみならず、小松左京は、先端的な科学理論や未完のテクノロジーを小説の道具立てとして積極的に取り入れます。著者は、「核酸だけで増殖、感染する病原体(“増殖する化学物質”!)の存在を予見した『復活の日』や、長年学界で僻説扱いされてきたプレートテクトニクス理論を大胆に取り入れた『日本沈没』など枚挙に暇がないほどです。余談ですが、『復活の日』の『増殖する化学物質』と呼ぶに相応しい病原体、ウイロイド(ヴァイアロイド)の存在が植物病理学者のセオドール・ディーナーによって確認されたのは、「復活の日」刊行から7年の後、71年のことでした」と述べています。

 

新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)

新装版 果しなき流れの果に (ハルキ文庫)

  • 作者:小松左京
  • 発売日: 2018/06/13
  • メディア: 文庫
 

 

現在では「日本SFのオールタイムベスト」とまで絶賛されている『果てしなき流れの果に』ですが、小松左京は、この日本SF史に刻された記念碑的な大作の出来に満足しなかったようです。「初版あとがき」によれば、脱稿直後、疲れ果ててベッドに倒れ込み、美しい朝の訪れをぼんやりと眺めているうちに「いつかもう一度、この主題について書こう、今度はもっと慎重に、もっと充分に準備して、体力や気力も充実させて、今度こそ、何一つ書きもらすことなく書いてやろう」と奮起し、「その時はじめて、本当に、SFというものが全身でぶつかって行ってもいいほど、やりがいのある仕事かも知れない、という気がしてきました」と書いています。

 

神への長い道 (角川文庫)

神への長い道 (角川文庫)

 

 

小松自身が最も気に入っていた自作は『神への長い道』でした。著者によれば、この中編のラストには『果てしなき流れの果に』の終章でいささか性急に示された宇宙観、あるいは小松思想がより洗練された表現で、物語の自然な流れに沿うかたちで謳い込まれているといいます。また、『神への長い道』について、著者は「“鏡像”が存在として自立していくプロセスが、生命=意識=情報体の発展段階として示し直され、本作では十分に展開できなかった『鏡の中に虚像自体を出現させれば、存在の方も出現するようになる』機制もかなり具象的に説明されています」と解説しています。

 

 

宇宙の真の相を知った『神への長い道』の主人公はラストで、遙か700光年の旅をともにした女性と情交を結びます。著者は、「自棄でも逃避でもなく、未来の“違う可能性”を絶やさぬために。彼女をかき抱きながら、胸裡に『宇宙よ・・・・・・しっかりやれ!』と、無数の生命や意識や星々などを包み込む広大な時空へのメッセージを思い浮かべるのです。批評家の東浩紀はこの場面について、小松が『異星人の知性拡張装置に適合できなかった主人公とエヴァ、21世紀人と22世紀人の二人が「猿」としてセックスをする場面で終わらせていることには留意されたい。小松は神への道を描いただけではない。神になれない、すなわち動物としての人間にもまた、優しい視線を注ぎ続けた作家だった』と総括しています。物語に対するコメントとして実に正鵠を得ており、また、この3年後に書かれる小松の短編SFの最高傑作の1つで、切なくも美しい究極の恋愛小説『袋小路』にも繋がるロマンティシズムを的確に押さえた批評といえましょう」と述べています。

 

さらに著者は、小松の小説には、人(的存在)のセックスと新しい宇宙の創出とが類比的に描かれることが少なくないことを指摘し、「『神への長い道』のラストの情事は、その2つのイメージを重ね合わせたシークェンスと解釈することも可能です。例えば『はじめに』でも触れたように、連作『ゴルディアスの結び目』第4作『あなろぐ・らう゛――または、“こすもごにあⅡ”――』では、宇宙の創生が『セックスをのぼりつめて行く時の女は、まったくいたいたしいほどに赤裸々になる』という一文から始まる、性の描写によって綴られます。これは優れて神話的な寓意であり、と同時に科学による神話の相対化、そして文学的想像力による科学の相対化の発露としてもあり得ることは、すでに指摘しました」と述べます。このような統整と壊乱の反復が、SFの「文学の文学性」を担保しているのだと、著者は言います。

 

日本沈没(上) (角川文庫)

日本沈没(上) (角川文庫)

 

 

第3章「滅びとエクソダス」では、1973年に刊行され、上下巻併せて累計460万部に達する空前の大ベストセラー『日本沈没』が取り上げられます。この小説について、著者は「ストーリーとしてとてもシンプルですが、その単純なプロットにリアリティを吹き込むための工夫は並大抵のものではありません。地質学、地震学、火山学、惑星科学から潜水.工学、社会工学政治学文化人類学民俗学まで、幅広い領域の、当時としては最新の知見が随所に盛り込まれ、作者の博捜ぶりに舌を巻きます。しかも、それらを退屈で冗長な『科学解説』に終わらせていない。SF的発想の醍醐味がたっぷり染み込ませてあります」と解説します。また、「現実的認識から一気にSF的想像へと飛び立つ瞬間が描かれています。まさにSFならではの、リアリティを異化することによって新たな、自由な視点を得る感動、『センス・オブ・ワンダー“sense of wonder”』の飛躍といえるでしょう」と高く評価しています。

 

日本沈没(下) (角川文庫)

日本沈没(下) (角川文庫)

 

 

さて、人類学者の梅棹忠夫社会学者の加藤秀俊文化人類学者の川喜多二郎、経済学者の鎌倉昇、フランス文学者にして大衆文化研究家の多田道太郎らとともに、小松は1964年に設立された「万国博を考える会」に参加します。これは梅棹を中心とした知的サロンでしたが、万博プロジェクトと並行して「未来学研究会」を派生させます。この研究会をもとに1968年7月6日「日本未来学会」が設立されます。万博と未来学。この二つのプロジェクトに関わって、小松は何を得たのか。著者は、「1つはアカデミアにおける人脈形成です。梅棹忠夫加藤秀俊との交際、協働を契機として、京都大学の人文科学研究所や霊長類研究所などの学者たちと接点ができました」「もう1つは実務家、実践家たちの生態を身を以て知ることができたことです。とくに万博準備を通じて、小松は官界、政財界の人々と直に交わり、ときに厳しい折衝に臨んだり、協力関係を築いたりしました。この経験が、『日本沈没』における政治家、官僚、財界人の動きの描写に生きていると思われます」と分析しています。



「希望の未来、絶望の未来」として、著者は「なぜSFは人類や国家の滅亡を好んで描くのでしょうか」と問いかけ、小松が自身のSFマニフェストともいえる『拝啓イワン・エフレーモフ様』に書いた「〈破局〉を設定することによって、はじめて人間が、人類が、そのモラルが、社会機構や文明や歴史が、いわばこの世界が“総体”として問題にされるのです。世界がその全貌をわれわれの前に現わすのは、それが総体的に否定される時であり、〈破局〉の仮定は、単純でしかも力強い否定の様式の一つにちがいありません。そして現代社会においてはSFこそが、繊細な肥大漢と化して、それ自体の内面性との間に甘い対話をつづけながら身動きとれなくなった20世紀前半文学に対して、単純で荒々しい破局の姿を提出しつづけているのであります」という文章を取り上げ、『日本沈没』の意図は、全壊全滅の危機に瀕している状況を媒介として、戦後日本社会の「総体」を明確に炙り出すことにあったと指摘します。これも一種の「思考実験」でした。



第4章「トラウマとブラックホール」では、カルト的な人気を誇る『ゴルディアスの結び目』が取り上げられます。この作品によく似た着想に基づくハリウッド映画があります。「イベント・ホライゾン」です。後に「バイオハザード」シリーズの監督として有名になったポール・W・S・アンダーソンの手で1997年に作られた作品です。サム・ニールローレンス・フィッシュバーンと手堅いキャスティングでしたが、興行的には成功しませんでした。しかし、カルト的な人気は得ました。その理由について、著者は「それもそのはず、この映画は科学的な道具立てによって、神も信仰も失われた時代における地獄の実在性、地獄の恐怖を表現しようとした稀有の映像作品なのです」と述べています。

 

ゴルディアスの結び目 (角川文庫)

ゴルディアスの結び目 (角川文庫)

 

 

著者は、この映画の脚本を書いたフィリップ・アイズナーが、小松の『ゴルディアスの結び目』を読んだかどうかは確認できませんが、相通ずる世界観に基づきこのSFホラーの佳作のプロットが組み立てられていることは否定できないと断言します。そして、小松が『自伝』で宗教や神学に関して「神とか仏とかそういうのを全部、一種の止揚をすると、宇宙になるだろうと思う」と述べてたことを紹介します。小松は、「人間がなぜ存在するかは昔から哲学が問題にしてきたけど、そのうち知性と情念が出てきて、知性は科学に、情念は文学になっていく。だけど科学的宇宙論、それから生命科学や進化論を含めた科学的文明論。僕はそういったものがこれから全部収斂していって、新しい科学的神学になるんじゃないかという気がするんだ。だから哲学者と神学者をもう一度来世紀にかけて復活させなきゃいけない」と書いています。

 

続けて、小松は「宇宙を物理現象として扱うんじゃなくて、何かもうちょっと大きくて高度な目的があると考えれば、宇宙は神学の対象になるだろう。地球は生命が発生して進化したけど、あのとき余計なことをしてくれたおかげで、いま僕たちが非常に悩んだり苦しんだりする。逆に僕たちが存在していることが、宇宙にとっては迷惑かもしれない。だから宇宙がなぜできたかというのは、やっぱり神学が解かなきゃいけないことなんだ」と『自伝』に書いています。著者は、「かかる問題意識から、『神とか仏』ならぬ悪魔や地獄の存在、延いては本質的悪が、宇宙論的神学においてどのように位置づけられるかを物語によって追求したのが中編『ゴルディアスの結び目』だ、といえるでしょう」と述べるのでした。

 

氷の下の暗い顔 (角川文庫)

氷の下の暗い顔 (角川文庫)

 

 

第5章「虚(イマジナリー)と実(リアル)の通路」では、小松左京が、物理学が検証可能性の枠から抜け出して、「モデル形成の時代」に入っていることを示唆したこと、それによって学問全体が「魔法の体系」つまり虚の領域に食い込んできていると述べたことを紹介し、著者は「かかる認識を前提として、小松の本格SFは構築されているのです。彼の本格SF、“宇宙構造探究系”のSFは『果しなき流れの果に』(1966年)に始まり、『神への長い道』(1967年)、『袋小路』(1970年)、『BS6005に何が起こったか』(1971年)、『結晶星団』(1972年)、『ゴルディアスの結び目』(1976年)、『劇場』(1979年)、『雨と、風と、夕映えの彼方へ』(1980年)、『氷の下の暗い顔』(1980年)などが連なります」と解説します。



また、「目的論への傾向」として、著者は「小松左京の進化観は非常に目的論的だと指摘されることがあります。これまでみてきたように、作品世界を貫く思想が、目的論に大きく傾ぐものである点は否定できないでしょう。この性向は進化論に留まらず、宇宙論や実存観にも及びます。しかし目的論的説明というのは、ノーマルな科学が――それが自然科学であれ、社会科学であれ――極力回避しようとしてきたものなのです。このことは小松自身もとりあえず承認しています」と述べています。小松の作品世界には、あからさまに目的が求められたとして、著者は『果しなき流れの果に』の第四章「審判者」の中の「なぜ、無限の星の中で、ある限られた星だけが、生命体をになわなければならないのだ? なぜ、生命体のある種だけが、知性とよばれるものを発達させねばならんのだ? なぜ、君は存在し、ここに存在しなければならんのだ?」という言葉を紹介します。

 

この小松の言葉を紹介した後、著者はこう述べます。
「これらの『なぜ』に“答え”がある、というのです。“それは偶然の結果に過ぎず、「しなければならない」という当為などどこにもない”と切り捨てるのではなしに・・・・・・。小松作品の登場人物たちは問い掛けます。生命進化には本当に何の目的もないのか。知性が宇宙に生じた意味とは何か。知性の目指すところは何なのか。人類の文明はどこに向かうのか。宇宙は何のために存在するのか。私はどうしていまここに在るのか・・・・・・。『だが、なんのために?』そうして、留保付きだったり、暫定的であったりはしても、その都度、何らかの“答え”は出される。つまり宇宙の、生命の、知性の、実存の、意義=目的が示されるのです」

 

ハートフル・ソサエティ

ハートフル・ソサエティ

 

 

さらに、「『人間原理』と『現代の神話』」として、著者は小松思想には「人間原理」への傾斜が見られることを指摘します。この「人間原理」は、拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「神化するサイエンス」で「人間原理宇宙論」として取り上げました。現在、わたしたち人類がこの宇宙のなかに存在しているわけですが、物理的考察をすると、人類が宇宙の中に存在しうる確率は、ほとんどありえないものとする考え方です。つまり、あたかも神によって「人類が存在できる宇宙」が必然的に選ばれたかのごとくに、さまざまな事柄が調節されて、初めて人類が宇宙のなかで誕生し、存在することが可能である、いや、そうとしか考えられない、そのように宇宙をとらえるものが「人間原理宇宙論」です。



宇宙の中にある物質の量とか、宇宙の曲率とか、あるいは原子核同士が核融合反応を起こすときの核反応率とか、その他もろもろのあらゆる物理的諸条件の値が少しでも違っていたら、太陽も地球も誕生せず、炭素もできず、炭素型の生命体である人類の存在もなかったわけです。このように、現在の宇宙の様子をいろいろと調べると、わたしたち人間が存在するためには、きわめて計画的に、ものすごい微調整をしなければなりません。偶然にこうした条件が揃うようなことはまずありえないでしょう。ですから、人類のような高度な情報処理のできる生命が存在しているという事実を説明するときに、「これはもう、人類がこの宇宙に生まれるように設計した神がいたのだ」という発想が出てくるわけです。



この「人間原理」は目的論宇宙観とは相容れません。特に、「強い人間原理」はマルチバース(多宇宙)を前提にして、物理法則や物理定数のファインチューニング(微細調整)を説明します。著者は、「しばしば小松SFには『並行宇宙』や『別の宇宙』『新しい宇宙』などが舞台設定や理論的装置として登場しますが、これらの想定は『強い人間原理』が前置するマルチバース論とは理路が異なっています。なおかつ、小松SFで知性体は人間に限定されないので、『知性体原理』といった新語を立てるべきかもしれません。目的論と知性体原理。どちらの志向も、現代においては科学的というよりは、宗教的、神学的といえます。もちろんこれらを大前提に据えなければ、『大きな物語』を構想しづらいという事情もあるでしょう。また文学によって科学を相対化するために欠かせない理念転換の局面でもあります」と述べています。

 

著者は、小松の「神話の中に集団の秩序維持とか、宗教的・心情的連帯感の保証とかいった、実用的な意味や役割りをはなれた「起源神話」とか「説明神話」というものがたくさんふくまれ、それがよりプリミティヴな層を形成している所をみると、神話というものは、やはり、人間の大脳の中に、所与においてふくまれている根源的能力と傾向――ある事象に対して、「なぜか」(どうしてそうなったか)といった疑問を抱いてしまい、それの答えを発見しようと、あれこれ理屈を考える、といった、どうしようもない傾向に由来するものではないかと思います。(「未来社会の文学」高橋和巳編『文学のすすめ』所収、筑摩書房)」という発言を紹介し、「かかる意味において小松SFは『現代の神話』と位置づけられるのです」と述べるのでした。

 

「世界と出会い直すために――あとがきにかえて」では、著者は、小松SFについて、「この世界が“総体”として問題にされる」とは、即ち「この世界と出会い直す」ことに相違ないとし、SFの想像力とは「逸脱的思考」を作品として結晶させるものであり、取りも直さずそれは、世界と出会い直すための文学なのであると述べます。また、著者はSFという自由度の高い表現手段は、『世界像』の1つを破壊するのみならず、『言語ゲーム』そのものを可視化し、異化してしまうことすらできるのだいずれにしてもそれらの物語においては、あまりに自明であるため意識に上せらるることもなかった『透明』な『世界像』が打ち砕かれ、混濁した不透明な世界が現出する。そう想像することこそが世界と『出会い直す』契機となる。小松左京が実然的とされる世界のあり方に対して、イマジナリーな世界像や本質的に異なる現実の可能性を対置してみせるのは、そのような『出会い直し』の機会に出会わせるため、なのである」と述べますが、ここはまさに小松SFの本質を衝いていると思います。

 

復活の日〔新版〕

復活の日〔新版〕

 

 

そして、小松にとって意想外で、そして少しばかり不幸だったのは、「言語ゲーム」を異化してみせるために仕込んだ、あり得そうであり得ない破局なのに、その設定に近い事態が実際に出来してしまったことだろうとして、著者は「その都度、彼の小説が『予言の書』として思い出され、話題になり、多くの読者を獲得するところとなった。例えば、地震や噴火、津波による大きな災害が起こる度に『日本沈没』が参着され、アメリカに孤立主義を標榜する政権が登場するや『アメリカの壁』が読み直され、新型ウイルスを病原体とする感染症が流行すれば『復活の日』が改めて話題になる、といった次第である。そうした接し方が間違っているというのではない。さらに物語の表層の奥にある小松左京の思想を読み取って欲しい。件の若き哲学者のように。そんな思いを込めて本書を執筆した。これは小松左京氏へのささやかな恩返しである」と述べるのでした。いま話題の『復活の日』にほとんど言及されていないのは残念でしたが、本書を読んで、もう一度、小松SFの数々の名作を読み直してみたくなりました。また、著者・宮崎哲弥氏の他の著書も読んでみたくなりました。現在公開中の「日本沈没2020  劇場編集版 シズマヌキボウ」の評価はあまり高くないようですが・・・・・・。

 

2020年11月28日 一条真也

「ザ・ハント」

一条真也です。
26日の夜、全互協の広報・渉外委員会の志賀委員長(セレモニー社長)の計らいで、2名の映画関係者とキャピトル東急ホテルで会食しました。お二人とも超大物ですが、名は秘しておきます。グリーフケアをテーマにした映画を作る話で大いに盛り上がりました。その後、TOHOシネマズ日比谷で映画「ザ・ハント」をレイトショーで鑑賞。終了時はもう深夜でしたが、非常に面白かったです。ブログ「泣く子はいねぇが」で紹介した日本映画の10倍は面白かった! 



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「富裕層が娯楽目的で行う人間狩りを描いたバイオレンススリラー。標的として集められた男女のサバイバルを、アメリカ社会への風刺を盛り込み活写する。『ゲット・アウト』など数々のヒット作を送り出してきたジェイソン・ブラムが製作、『コンプライアンス 服従の心理』などのクレイグ・ゾベルが監督を務めた。オスカー女優のヒラリー・スワンク、ドラマシリーズ「GLOW:ゴージャス・レディ・オブ・レスリング」などのベティ・ギルピン、『パロアルト・ストーリー』などのエマ・ロバーツらが出演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「広々とした森の中で12人の男女が目覚めると巨大な木箱があり、中には1匹の豚と数多くの武器が入っていた。状況が飲み込めないまま何者かに銃撃された彼らは武器を手に逃げ惑う中、あるうわさが本当であったことに気付く。それは、『マナーゲート』と呼ばれる一部の富裕層によるスポーツ感覚の『一般市民狩り』だった。一方、狩られる側の1人であるクリスタル(ベティ・ギルピン)が反撃を開始する」



このハチャメチャな映画から学ぶことは2つ。1つは、SNSへの書き込みの恨みは怖いということ。もう1つは、女は強いということです。全米各地で誘拐された男女が富裕層の娯楽として狩られる物語ですが、最初はとにかく意味不明で不条理のきわみです。みんな、「どうして、ここにいるのか?」「なぜ、猿轡を噛ませられているのか?」「どうして、正体不明の相手から殺されなければならないのか?」など、まったく理解できません。わたしは、「ソウ」に代表されるシチュエーション・スリラー映画を連想しました。限定された空間・設定・場所で巻き起こる現象や恐怖を描いたジャンルですが、確かに「ザ・ハント」の前半はその要素があります。



誘拐された人々の中で最初に登場するのは、金髪の可愛い子ちゃん(エマ・ロバーツ)です。あまりにも可愛いので、「この娘が主人公かな?」と思いましたが、なんと、次の瞬間には死んでしまいました。この衝撃的なシーンを見て、わたしは70年~80年代の有名なホラー映画の数々を思い出しました。それらの映画では、最初にとびっきりの美女が殺されるのです。もちろん、「ザ・ハント」では美女以外も殺されますが、その殺され方が非常にエグイです。かつてのスプラッター映画も真っ青なくらいのグロテスク描写なので、R15+指定を受けるのは当然ですね。



さて、この映画、冒頭に「大統領はバカ」などとLINEでやり取りするシーンが出てきます。アメリカ映画なので、大統領とはもちろん、ドナルド・トランプのことです。この映画自体が、反トランプ陣営がトランプ陣営を粛正することを暗示した内容と見る向きもあるそうです。トランプは激怒して、この映画を上映中止にしようとしたとか。

 

Wikipedia「ザ・ハント」の「風刺要素に対する批判と製作サイドの釈明」には、「本作のストーリーは『富裕層が一般人を娯楽として殺害する』というものだが、保守層は本作を『リベラル・エリートがトランプ大統領の支持者を虐殺していく様子を描いた映画だ』と批判した。2019年8月9日、ドナルド・トランプ大統領は自身のTwitterで『リベラルを標榜するハリウッドは怒りと憎悪に燃える最悪のレイシストだ。(中略)。近日公開予定の映画は社会に混乱をもたらすために製作された。ハリウッドは自らの手で暴力を生み出し、異なる思想の持ち主を糾弾しようとしている。ハリウッドは真のレイシストであり、我が国にとって害悪である』とツイートした」と書かれています。


トランプ大統領は作品名を挙げていませんが、マスメディアは「ザ・ハント」に対する批判であると解釈して報道しました。「試写会に参加した者の中に、本作の政治風刺に対して不快感を露わにした者がいた」「当初、本作のタイトルは『Red State Vs.Blue State.』だった」という報道もありました、ユニバーサル側はそのような事実はないと否定しています。なお、ゾベル監督は「『ザ・ハント』は分断されて闘争を繰り広げる両サイドを風刺するものであって、どちらかの側に立った映画ではない」という趣旨のことを述べています。いずれにしても、ゾベル監督がトランプ大統領に好意を持っていないことは明らかのようですね。



映画の冒頭からプライベートジェットやシャンパンやキャビアが登場しますが、こういうアイテムを富裕層のシンボルとして描いているところは逆に「貧乏くさいな」と思いましたが、ヒラリー・スワンク演じるアシーナの別荘のキッチンは非常にスタイリッシュでセレブ感に溢れていました。このオシャレなキッチンで、アシーナはベティ・ギルビン演じるクリスタルと死闘を繰り広げます。



この映画、とにかく男はみんな弱くて、女はみんな強いのですが、最後に最強の女戦士2人が闘うシーンはド迫力です。キャットファイトどころではない、牝ライオン同士の闘いのようです。戦闘本能剥き出しで殺し合いをする女2人の姿には少々引いてしまいましたが、最後に、ジョージ・オーウェルの『動物農場』の話題になって、2人ともその本を読んでいたことがわかって奇妙な親近感が芽生えるところが面白かったです。殺伐とした闘いの後の読書談義は究極の「平和」をイメージさせてくれました。



それにしても、強い女性には問答無用で圧倒されます。強い女性といえば、ワンダーウーマン。そういえば、わたしの大好きなガル・ガドット姐さん主演の「ワンダーウーマン1984」が来月18日(金)から公開されます。この日も予告編で流れました。この映画だけは観ないと、年が越せません!(笑)


2020年11月27日 一条真也

紀伊國屋書店本店「命」フェアで拙著が選ばれました!

一条真也です。
東京に来ています。26日、東京で新たに481人感染確認、重症者60人で緊急事態宣言後最多となりました。この日、わたしは互助会保証株式会社の監査役会および取締役会に出席しました。会議終了後、新宿に向かいました。ブログ「紀伊國屋書店」で紹介した日本一の書店の新宿本店を訪れるためです。

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紀伊國屋書店新宿本店の前で

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日本一の書店です!

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入口は『鬼滅の刃』コーナー!

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「命 読みます」ブックフェアが開催中!

 

なぜ、紀伊国屋書店の新宿本店を訪れたかというと、「【フェア】新宿本店スタッフ厳選『命 読みます』開催中!」というブックフェアのことを知ったからです。「命 読みます」というネーミングはもちろん三島由紀夫の『命売ります』のパロディですが、その厳選された本の中に拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)が入っているという情報を得て、わたしは全集中の呼吸で現場に駆け付けたのでした。

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お客さんが途切れませんでした!

 

「命 読みます」フェアには、100冊の本が集められており、壮観でした。ここに全体を俯瞰した写真を掲載していますが、じつはこの写真を撮るまで10分くらい待ちました。ずっとお客さんがひっきりなしに来て、なかなか無人状態にならず、シャッターチャンスを待たなければならなかったのです。それぐらい、人気のコーナーでした。

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説明板が掲示されていました

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説明板に書かれた文章

 

「命 読みます」フェアには、説明板のようなようなものが掲示されていました。見ると、以下のような文章が書かれていました。
「事件、事故、自死に病死、『死』は常にそこにあるものだとして、今年ほどその存在を身近に感じることがこれまであったでしょうか。何よりも重い、と謳われているのに、いとも簡単に失われていく『命』。と思えば絶体絶命のピンチを乗り越え、繋がれていく「命」もあります。この捉え処のない『命』を題材に、古来フィクション、ノンフィクションを問わず、様々な作品が出版されてきました。今回、私たちがご紹介する100点余りは、そのほんの一握りです。無造作に人が殺されるミステリー、失われていく命と丁寧に向き合う姿を描いた家族小説、人の死因にフォーカスした奇書、科学或いは倫理学から『命』の神秘にアプローチしようという意欲作まで、多種多様な顔ぶれとなりました。スタッフのこれまた十人十色のコメントPOPとともにご高覧いただければ幸いです」

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拙著につけられたPOP

 

厳選された100冊の本を見て驚いたのは、ほとんどわたしが読んだことのある本ばかりだったことです。一体なんなんだ俺は?(笑)ブログ『「死」とは何か』をはじめ、ブログ『死の壁』ブログ『死と生』ブログ『悼む人』ブログ『虐殺器官』ブログ『乱反射』ブログ『その日のまえに』ブログ『月の満ち欠け』などで紹介した本も入っていました。そして、わが『死を乗り越える映画ガイド』も! 添えられたPOPには、スタッフさんの手書きで「作家であり、映画通であり、冠婚葬祭サービスを提供する会社を営む著者が、5つの章で『死』の映画を紹介、読むだけでも納得」と書かれています。いやあ、嬉しいですね! 選んで下さった方、本当にありがとうございました!

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知人が教えてくれたツイート 

 

紀伊國屋書店新宿本店を出たところでスマホをチェックしたら、知人が情報を提供してくれていました。それは、うつ病自死を考えていた方が拙著『死が怖くなくなる読書』(現代書林)を読み、思いとどまってくれたというツイートでした。これを知ったわたしは、「本を書いて本当に良かった」と思いました。同書の編集を担当していただいた「出版寅さん」こと内海さんに転送すると、「涙が出ます!」との返信が届きました。これからも売れる本よりも、人を幸せにする本を書いていきたいです。
ちなみに、『死が怖くなくなる読書』は増補・改訂して、『死を乗り越える読書ガイド』として生まれ変わっています。姉妹本である『死を乗り越える映画ガイド』ともども、よろしくお願いします。
「命 読みます」フェアは2020年11月30日(月)までです。東京をはじめ、首都圏にお住まいの方は、ぜひ、お立ち寄り下さい!

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/09/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
死を乗り越える読書ガイド 「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド
 

 

2020年11月26日 一条真也

「泣く子はいねぇが」

一条真也です。
25日、東京に来ました。出版社との打ち合わせの結果、『鬼滅の刃』についての本を書くことになりました。打ち合わせの後、日本映画「泣く子はいねぇが」をレイトショーで鑑賞。「鬼」に関連した伝統行事の物語だったので、次回作のヒントになるかと思ったのですが、残念ながら期待に反してつまらない作品でした。脚本も最悪で、とにかく物語の進行が遅く、ダラダラ感がハンパありませんでした。「生き方に迷う、すべての大人たちに贈る、青春グラフィティ!」というキャッチフレーズもダサすぎるぞ!

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『ガンバレとかうるせぇ』などの佐藤快磨が、オリジナル脚本でメガホンを取ったドラマ。秋田・男鹿半島の伝統行事なまはげを題材に、いつまでも大人になりきれない若者たちが迷いながら成長していく過程を描く。『静かな雨』などの仲野太賀が主演を務め、『見えない目撃者』などの吉岡里帆、『下忍 赤い影』などの寛 一 郎、山中崇余貴美子柳葉敏郎ら多彩な顔ぶれが集結」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「秋田・男鹿半島のさびれた港町、娘が生まれたのにいつまでも父親の自覚を持てないたすく(仲野太賀)に、妻ことね(吉岡里帆)は愛想をつかしていた。大みそかの夜、『悪い子はいないか』となまはげたちが練り歩く街の様子を生中継していた全国放送のニュース番組に、全裸のなまはげが全力疾走する姿が映る。そのなまはげの正体は、妻との約束を守れず泥酔したたすくだった」



正直言って、しょーもない映画でした。主人公は絵に描いたようなダメ男です。クズ男と言ってもいいでしょう。わたしにとって、最大のクズ男は子どもを育てる甲斐性もないくせに女に子どもを産ませる男ですが、この映画の主人公・たすくはまさにそんな存在です。しかも、彼は「なまはげ」の神事の夜に「なまはげ」の面を被ったまま泥酔して全裸になり、しかもぞれがテレビで放映されて、不特定多数の多くの人々にチ〇ポを見られるという、馬鹿馬鹿しい、でも本人にとっては深刻なトラウマを抱えます。さらに彼の愚行は、伝統行事である「なまはげ」の存続をも危ういものとするのでした。

 

鬼と日本人 (角川ソフィア文庫)

鬼と日本人 (角川ソフィア文庫)

 

 

 「なまはげ」とは何か。それは、「まれびと」です。ブログ『鬼と日本人』で紹介した本で、民俗学者小松和彦氏は「蓑着て笠着て来る者は・・・・・・もう1つの『まれびと』論に向けて」では、「『まれびと』としての鬼」として、著者は「鬼とはなにか」と読者に問いかけます。そして、「これにひと言で答えることは難しい」としながらも、「鬼とは人間の分身である、ということになる。鬼は、人間がいだく人間の否定形、つまり反社会的・反道徳的人間として造形されたものなのだ」と述べています。また、「鬼を打つ」として、著者は「鬼は正月に来訪する『まれびと』であった。だが、この『まれびと』は、『まれびと』という概念を創り出した折口信夫が考えていた『まれびと』とはあまりにもかけ離れている。これは折口の『まれびと』を逆立ちさせた『まれびと』、裏返しにされた『まれびと』である」と述べます。

 

まれびとの歴史

まれびとの歴史

 

 

さらに、小松氏は「折口にとって、『まれびと』とは異界から来訪する善なる神霊である。『まれびと』はこれを迎える人間の側の『あるじ』の饗応を受け、人間を苦しめる『土地の精霊』(悪霊)を鎮撫、制圧する。こうした『まれびと』観念をもっともよく表現しているのが、古代のスサノオ神話である。天から出雲に下ったスサノオ国津神(大山住命)に迎えられ、ヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを妻とする。すなわち、この神話ではスサノオが『まれびと』、国津神が『あるじ』、ヤマタノオロチが『土地の精霊』、そしてクシナダヒメが饗応の品の代表ということになる」と述べるのでした。

 

また、「『ナマハゲ』の鬼――その二面性」として、著名な寺院や地方寺院の修正会の鬼は、小正月の頃の晩に出現したと指摘し、小松氏は「これとほぼ同じ小正月の晩に、民俗社会でもさまざまな『まれびと』に混じって鬼が登場する儀礼を行なうところがあった。民俗社会は江戸や京、大坂などの都市社会と農山村の村落社会に大別できる。このいずれにも鬼が登場する儀礼があるのだが、都市の鬼、それを排除される邪悪なイメージを強調した鬼(これは疫病神に代表される)の儀礼については、高岡弘幸の論文などで紹介されているが、『なまはげ』秋田・男鹿半島の伝承行事【みちしる】ここでは農村部の、それもやはり小正月の晩の頃に登場する鬼の儀礼に目を向けてみよう。その代表が有名な秋田県男鹿半島の『ナマハゲ』である」と述べています。



続けて、小松氏は以下のように述べます。
「もっとも、ナマハゲは、修正会や節分の鬼のように、牛玉杖で打たれたり、つぶてや豆をぶつけられて退散するのではなく、家の主人の歓待を受け、餅や金銭を貰って立ち去っていく。饗応された方も、この年の豊作や家人の無病息災などの祝福の言葉を述べる。この点に注目すれば、ナマハゲも異界から人々を祝福するためにやってくる『まれびと』ということになる。ナマハゲはこうした二面性をもっている。この二面性を相手に応じて発揮させるのだ」



さらに、ナマハゲの攻撃の標的になるのは、子どもであり、まだ子どもが生まれていない若妻や、他所から来た養子あるいは奉公人たちであったとして、小松氏は「ナマハゲを演じる青年たちは村落共同体における権威をやがて手にする人々であり、ナマハゲという神秘的存在の力をかりて、充分にそうした権威になじんでいない、いうならば共同体の周縁にとどまっている子どもたちや新参者たち、ときには警官などの外部の者を攻撃し、村落共同体の権威の存在を明示しそれへの服従を強制するのである。それゆえに、そうした共同体の権威を身につけている家の主人は、その来訪を歓迎=歓待するというわけである」と述べています。



ナマハゲは、村落の一員として好ましい〈人間〉をつくり出すために呼び招かれた恐ろしい鬼なのだとして、小松氏は「子どもや新参者たちに対しては恐ろしくも乱暴な鬼として臨み、社会の中心部を占める人々には善良なる神格として臨むナマハゲは、言いかえれば、村落共同体が飼いならした鬼、コントロール可能になった鬼といえよう。鬼の儀礼に限らず、儀礼とは元来そういうものなのである」と述べます。



この「泣く子はいねぇが」という映画、日本の民俗的風景を舞台にダメ青年が再生する物語という点では、宮崎県の椎葉村を舞台としたブログ「しゃぼん玉」で紹介した日本映画に似ています。「しゃぼん玉」は、直木賞作家である乃南アサの小説を基にしたヒューマンドラマです。強盗や傷害を重ねて逃亡中の青年が、ある老人と彼女が暮らす村の人々と触れ合ううちに再起を決意するさまが描かれます。監督はテレビドラマ「相棒」シリーズなどの東伸児で、主演は林遣都でした。

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毎日新聞」デジタルより

「泣く子はいねぇが」で重要な役割を果たす「なまはげ」ですが、「毎日新聞」11月24日夕刊の「新型コロナ なまはげも社会的距離 秋田・男鹿市長が要請 大声出す時は離れて/訪問は短く」には、「新型コロナウイルスの影響が、秋田県男鹿半島に伝わる大みそかの伝統行事『なまはげ』にも及んでいる。実施方法について菅原広二・男鹿市長は記者会見で、市内87町内会に感染症対策を依頼する文書を郵送したと発表。家々への訪問を短くしたり、『ウオー』と大声を出す時には間隔を空けたりするなど、今年の男鹿は異例の大みそかになりそうだ」とあります。



それでも、東北を代表する祭りである「ねぶた祭」をはじめ、今年の夏は多くの祭りが中止になりました。いろいろと規制があるにしても「なまはげ」が中止にならなかったことは良かったと思います。冠婚葬祭、年中行事、そして祭り・・・・・・コロナ禍で中止になった文化はどれも「かたち」です。つねに不安定に「ころころ」と動くことから「こころ」という語が生まれたという説も「こころ」が動揺していて矛盾を抱えているとき、この「こころ」に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の内部にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。



 人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。
人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどがあります。それらの不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。

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日本人の「こころ」の「かたち」を知る

 

冠婚葬祭のみならず、さまざまな年中行事、日本全国の祭りはいずれも「こころ」を安定させる「かたち」であり、コロナ禍によってそれらが中止になっていけば、ボディブローのように日本人の「こころ」がダメージを受けているのではないかと本気で心配しています。最後に、この映画、吉岡里帆だけは良かったです。ラストで、突然訪れた「なまはげ」を迎え入れる彼女の表情には鬼気迫るものがありました。彼女がいつものように「あざと可愛い」女ではない一面を見せてくれて、つまらない映画の中の救いとなりました。

 

2020年11月26日 一条真也