新道喜道氏お別れの会

一条真也です。
札幌に来ています。19日の朝、京王プラザホテル札幌の客室で目を覚ましたら、窓の外が一面銀世界で驚きました。気温は-2度でした。この日、11時から同ホテルであいプラングループの代表であった新道喜信様のお別れの会が開かれ、わたしも参加しました。


札幌は大雪でした


お別れ会に参加しました


お別れの会の祭壇の前で


遺影はとても優しい表情でした

 

あえて故人を新道社長と呼ばせていただきますが、わたしは新道社長の生前大変お世話になりました。わたしは2014年に全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長に就任しましたが、わたしの1つ前の会長が新道社長でした。わたしが全互連の会長になるにあたって、新道社長はわざわざ札幌から小倉までお越し下さり、わたしの父である佐久間名誉会長(当時は会長)に挨拶をして下さいました。そのとき、礼儀作法にうるさい父が「新道さんのお辞儀は素晴らしい!」と感動していたことを記憶しています。


メモリアル・コーナーにて


故人の思い出の品々

故人の思い出の品々

故人の思い出の品々

故人の思い出の品々(ドラム・セット)

故人の思い出の品々(愛したLPレコード)


故人の人生を紹介したボード

 

お別れの会会場の隣りは、故人の思い出の品を展示したメモリアル・コーナーになっていました。スーツの他、ゴルフウェアやスキーウェア、サッカーのユニフォームなども展示されていましたが、ひときわ目立ったのがドラムのセットです。なんでも、新道社長は大学時代は軽音楽部の部長を務められていたそうで、こよなくジャズを愛されていました。また、社長になられてからはクラシック文化の支援にも熱心で、札幌交響楽団を応援されていたそうです。さらには、演劇の劇団やサッカーチームの支援もされており、広く文化・スポーツ界へ貢献をされた方でした。


お別れの会の冒頭はビデオ上映


挨拶される神田実行委員長


弔辞を読む全互協渡邊会長


弔辞を読む全互連の山下会長


お礼の挨拶をされる新道いくみ新社長


心して拝聴しました

 

お別れの会は故人の生前の功績を紹介するビデオの上映から始まり、お別れの会の実行委員長である日本セレモニーの神田会長の挨拶に続いて、全互協の渡邊会長、全互連の山下会長らが弔辞を読まれました。いずれも故人への愛惜と感謝の念が込められており、故人の在りし日の姿が甦ってくるようでした。最後は、故人のご長女で新社長に就任された新道いくみ社長がお礼の挨拶をされました。突然の父との別れの悲しみが胸にこみあげてきたのか、涙とともに語らえた真心の挨拶を聴いて、同じ年頃の娘を持つわたしは涙が止まりませんでした。


献花のようす


わたしも献花をしました

 

新道社長は1月18日に旅立って行かれましたが、その前日の17日にわたしは言葉を交わしています。全互協理事会が開催される直前だったと思いますが、わざわざわたしの席に来られて、「このたびの能登半島地震のお見舞いを申し上げます」との御挨拶を下さいました。大先輩からの丁重なお言葉に恐縮するばかりでしたが、本当に「礼」のある方でした。そして、その直後の理事会では業界の今後について積極的に発言をされました。正々堂々と正論を述べられる「勇」のある方でした。業界は、本当に惜しい方を亡くしました。わたしは、本当にお世話になりました。


本当に、お世話になりました!

 

2014年に全互連の熊本総会で会長を交代したとき、わたしは新会長として前会長である新道社長に感謝状を贈呈させていただきました。今また、新道喜信様に心からの想いを込めて「人生の感謝状」を贈呈させていただき、「お疲れ様でございました。そして、ありがとうございました!」と言いたいです。最後に、新道喜信様の御冥福を衷心よりお祈りいたします。合掌。


新道社長、ありがとうございました!

 

2024年3月19日  一条真也

デューン2を札幌のIMAXで再鑑賞しました

一条真也です。
札幌に来ています。18日の夜、夕食を済ませた後、サッポロ・ファクトリーという商業施設に向かい、そこに入っているユナイテッドシネマ札幌で、ブログ「デューン 砂の惑星PART2」で紹介したSF大作映画のレイトショーを再鑑賞しました。終わったのは23時45分です。


映画怪人、札幌にあらはる!

 

わたしは基本的に時間貧乏にもかかわらず多くの映画作品を観たい人間なので、同じ作品を映画館で再鑑賞することはまずありません。もう一度観たいときはDVDを購入して観ます。60年の人生を振り返っても、映画館で再鑑賞した映画というのはジェームズ・キャメロン監督のタイタニック(1997年)ぐらいではないでしょうか。そんなわたしが、27年ぶりに同じ映画を初鑑賞からわずか3日後に映画館で観たことは、わが人生の大事件です!


テーマパークシアター誕生!!


圧倒的体感をしてみたい!

 

なぜ、わたしは、「デューン 砂の惑星PART2」を映画館で再鑑賞したのか? それは、同作を公開初日にシネプレックス小倉の4番シアターで観たからです。そこは、いわゆる通常のシアターなのですが、その後に続々とUPされた同作のYouTube解説動画のほとんどすべてに「この映画は絶対にIMAXで観て下さい!」と書かれていたのです。当然ながら、わたしの心は疼きました。


特に、最近わたしが注目している茶一郎さんという映画通の【最高峰の映画体験にして “神” を浴びる神話体験】というデュ―ン2の解説動画を観て、「これは、もう一度、IMAXで観ないとダメだな」と思ったのです。茶一郎さんの「とにかく大きい映画」「動く宗教画」「言葉を失う。現段階で最高峰の映画体験では?」「IMAXで、即ち現行の上映設備でこれ以上の映画体験が今後できるのか?」「到達点にして限界とすら思ってしまう圧巻の出来。圧倒され、言葉が出なかった」「『デューン 砂の惑星PART2』を観ていると、到底、自分と同じ人間が作ったとは思えない」「同じ人間が作ったと思えない巨大なパワーと神々しさ、荘厳さ」などの言葉が心に響きました。


また、茶一郎さんは「IMAX上映でより魅力がわかるIMAXに特化したシリーズ」「世が世なら規制されてもおかしくない暴力的ともいえる映像」「IMAX映画体験の最高峰」「見事な映像設計と圧巻の映像圧力」「千年後には信仰の対象になる巨大な神話映画」「普通の映画では刺激が足りなくなる中毒性の高い映画体験」とも語り、もうこれ以上ないほどの最大級の賛辞を送っています。決め手は、「昔、わし、あの時この『ューン 砂の惑星PART2』を映画館でIMAXで観たんじゃと自慢できる」という一言でした。これはもうIMAXで観るしかありません。小倉にもコロナワールドシネマにIMAX設備があるのですが、ちょうど札幌に出張する予定があったので、ユナイテッドシネマ札幌で観たわけです。


いやあ、IMAXで観る「デューン 砂の惑星PART2」は本当にド迫力でした。映画鑑賞というよりも、テーマパークのアトラクションのシミュレーション施設に入った感じです。画面も大きく、本当に砂漠の中にいるようでしたし、音響もリアルです。この映画はデビッド・リーン監督のアラビアのロレンス(1962年)に強い影響を受けているそうですが、よく理解できました。これほど砂漠を雄大に描いた映画は「アラビアのロレンス」以来でしょうし、砂漠の民フレメンを率いるターバン姿のポールはまさにアラブ人を率いるロレンスに重なりました。


ユナイテッドシネマ札幌の入口で


IMAXシアターの前で

 

ユナイテッドシネマ札幌の11番シアターがIMAXでしたが、ちょうど全体のど真ん中の通路側の席を取りました。座席の前には鉄パイプの柵があり、いかにもテーマパークのライドといった感じです。座席の前の空間が狭くて窮屈でしたけど。あと、外国人の観客が多いことに驚きました。TOHOシネマズ六本木でも、こんなに外国人はいませんよ。IMAXの迫力に圧倒されて、166分の上映時間はあっという間に過ぎました。前回はちょっと寝落ちしましたが、今回は一睡もしなかったです。また、鑑賞直前に大量のサッポロビールを飲んでいたにもかかわらず1度もトイレに行かなかったことは自分でもビックリ!


館内には公開予定作品の大看板も・・・

 

再鑑賞効果で、最初はよくわからなかった「デューン 砂の惑星PART2」の謎のシーンの意味も理解することができました。一度観てストーリーは頭に入っているので、細かい部分の確認や、演出そのものを堪能できますね。1つ気になったことは、ポールの父親が残した大量の核兵器について「大いなる力」などと肯定的に語られていたことです。実際、ポールは香料工場を核爆弾によって破壊すると皇帝を脅して、自身が権力を握ります。このように核を背景にした権力者誕生の物語というのはいかがなものか?


次は、いよいよ「オッペンハイマー」!

 

核兵器が誕生したのは、1945年7月16日、米国ニューメキシコ州ビンガム近くで行われた「トリニティ実験」においてです。ポール・アトレイデスが核兵器で皇帝を脅した8245年前に核融合実験を成功させた男の名は、ロバート・オッペンハイマー。そういえば、「デューン 砂の惑星PART2」の上映前には第96回アカデミー賞で7冠に輝いたオッペンハイマーの予告編がIMAXで流れ、すごい迫力でした。この「原爆の父」の伝記映画は全米では昨年7月21日に公開されたので、今年3月1日公開の「デューン 砂の惑星PART2」よりも前です。核兵器の開発者の伝記映画が大ヒットした直後に、核兵器肯定の大作映画が作られたことに嫌な予感がするのは、わたしだけでしょうか? いずれにせよ、次は、いよいよ、今月29日から日本公開される「オッペンハイマー」を観なければ!


2024年3月19日  一条真也

雪の札幌へ

一条真也です。
18日、ブログ「春季例大祭」で紹介した儀式とブログ「水と火と産霊」で紹介した天道塾を終えた後、わたしは福岡空港に向かいました。ここから札幌に飛ぶのです。

福岡空港の前で

福岡空港にて

 

業界の大先輩である新道喜信氏(あいプラングループ代表)の「お別れの会」に参列するため、札幌に飛びます。故人はわたしの一代前の全互連の会長で、生前は大変お世話になりました。亡くなられる前日、全互協の理事会の合間に、わたしは故人から能登半島地震のお見舞いの言葉を頂戴しました。


機内ではマスクを着けました


機内では読書をしました

 

この日は、14時15分発のJAL3515便に搭乗しました。北海道へ行くのは久しぶりです。現地ではインフルエンザが猛威を奮ってというので、マスクを着けました。機内では、いつものように読書しました。この日は、『読書と人生』寺田寅彦著(角川ソフィア文庫)を読みました。ブログ『天災と日本人』で紹介した本を再読したら、著者の先見性と見識に感嘆したので、他の著書も読みたくなったのです。科学啓蒙家でありながら、過度に科学を信仰する学徒を警めた寺田寅彦。大患を契機とした彼の随筆の転換であるとともに、近代市民精神の発見ともなった「丸善三越」をはじめ、「読書論(十章)」「人生論(十八章)」「科学に志す人へ」「アインシュタインの教育観」「『徒然草』の鑑賞」「『漱石襍記』について」等29篇が収録されています。


北海道は雪でした


新千歳空港に着きました


新千歳空港にて

ベゴニアの花がありました


快速エアポートで札幌へ


快速エアポート車内のようす


車窓からの雪景色


快速エアポートの車内で


車窓から見えた雪景色


札幌駅に到着with鉄っちゃん


JR札幌駅にて

 

新千歳空港には定刻の16時30分に到着。気温は-1.0度で、雪でした。やはり寒いです。わたしは、持参した厚手のマフラーを首に巻きました。空港のロビーには、赤いベゴニアの大きな鉢がありました。空港からは快速エアポートに乗りました。車内は混雑していましたが、わたしは窓の外の雪景色を眺めながら、札幌まで行きました。

夕暮れの札幌の街で


京王プラザホテルの前で


ご当地キャラの「シマエナガ


シマエナガとツーショット😊


夕食のタラバ蟹ラーメン

いただきます!

札幌駅からは宿泊する京王プラザホテルまで歩きましたが、けっこう距離がありました。そのときは雪は降ってはいませんでしたが、夕暮れ時で暗い上に寒かったですが、頑張って歩きました。明日の「お別れの会」の会場も京王プラザホテルなのです。ロビーには、ご当地キャラの「シマエナガ」がいました。もちろん、ツーショットで記念撮影しました。現地ではインフルエンザが猛威を奮っているので、けっしてマスクは外しませんでした。チェックインした後は、ホテル内の飲食店で食事しました。タラバ蟹ラーメンは味噌バター味でしたが、美味しかったです。身体が温まりました。食後は、映画館に行く予定です。北海道の映画館は初めてなので、楽しみ!

 

2024年3月18日 一条真也

水と火と産霊 

一条真也です。
18日の早朝から、ブログ「春季例大祭」で紹介した神事が行われ、朝粥会が開かれました。その後、松柏園ホテルで恒例の天道塾が行われました。最初にわたしが登壇して、まずは開塾の挨拶をしました。


天道塾前のようす

最初は、もちろん一同礼!

冒頭、挨拶をしました

社長講話を行いました

 

一同礼をして挨拶を終えると、わたしは社長講話を行いました。まずは、「春季例大祭を無事に終えて安心しました。能登半島珠洲はもちろん七尾さえもまだ水道が復旧しておらず、断水状態が続いています。能登半島地震では、珠洲市の下水管被害(1月末時点)が総延長の約94%となり、被災自治体の中で突出していることが分かりました。104.3キロのうち97.9キロが被害を受けたとみられ、下水管とつながるマンホールが道路から突き出た光景があちこちで見られました。市は飲料水確保へ上水道の復旧を急ぎますが、生活排水を流す下水の復旧にはさらに時間がかかる見通しです」と述べました。


水と葬儀は大切!

 

それから、わたしは以下のような話をしました。
人が生きていく上で、一番大切なものは「水」です。そして、水の次に大切なものが「葬儀」だと思います。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったそうです。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。水がなければ、人は生きられません。そして、葬式がなければ、人は旅立てないのです。水を運ぶものは水桶であり、遺体を運ぶものは棺桶です。この人間にとって最も大切なものをテーマにした映画があります。



その映画とは、新藤兼人監督の名作「裸の島」(1960年)です。瀬戸内海に浮かぶ小さな孤島に4人家族が住んでいました。夫婦と2人の息子たちです。島には水がないので、畑を耕すためにも、毎日船で大きな島へ水を汲みに行かなければなりません。子どもたちは隣島の学校に通っているので、彼らを船で送り迎えするのも夫婦の仕事です。会話もなく、変化のない日常が続いていましたが、ある日、長男が高熱を出し、島には病院がないので亡くなってしまいます。夫婦は亡き息子の亡骸を棺に入れて墓地まで運びます。


「裸の島」について語る

 

そう、「裸の島」夫婦が一緒に運んだものは水と息子の亡骸の入った棺でした。二人は、ともに水桶と棺桶を運んだのです。その2つの「桶」こそ、人間にとって最も必要なものを容れる器だったのです。水がなければ、人は生きられません。そして、葬儀がなければ、人は旅立てないのではないでしょうか。悲嘆にくれる母は、息子を失った後、大切な水を畑にぶちまけて号泣します。葬儀をあげなかったら、母親の精神は非常に危険な状態になったでしょう。喉が渇けば、人は水を必要とし、愛する人を亡くして心が渇けば、人は葬儀を必要とするのです。



第96回アカデミー賞授賞式が3月11日(日本時間)、アメリカ・ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催されました。オッペンハイマーが作品賞を含む7冠に輝きました。クリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた伝記映画です。興行的にも、全世界興行収入9億5000万ドルを超える大ヒットを記録。実在の人物を描いた伝記映画作品として、歴代1位の記録を樹立しています。日本では今月29日からの公開ですので、かなりの観客動員が見込まれると思います。


オッペンハイマー」について語る

 

3・11という日本人にとってのグリーフ・デーの当日に、日本人にとって最大のグリーフといってもよい原爆の開発者についての映画がアカデミー賞で旋風を起こしたというのが、どうにも複雑な気分であります。原爆というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。ですから、被爆国である日本の人々は、当事者として、映画「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があると思いますした。当然のことではないでしょうか?


オッペンハイマー」はどういう映画か?


熱心に聴く人びと

 

わたしは、「オッペンハイマー」が日米同時公開されるとばかり思っていました。それが、日本だけ非公開だった事実が釈然としませんでした。この映画で、原爆開発の倫理的責任はどう描かれているのか。試作弾頭「トリニティ」の臨界実験の描写は凝りに凝ったCGと音響で圧倒的なインパクトが強いそうですが、それが、原爆の恐怖を表現しているのか、それとも開発成功を称える高揚シーンになっているのか。さらには、広島・長崎の惨状はどう描かれているのか?


セカンド・グリーフを負わせるな!

 

本当は、「オッペンハイマー」は昨年8月6日の「広島原爆の日」までには公開されているべきだったと思います。ということで、わたしはまだ「オッペンハイマー」を観ていないわけですが、日本人のグリーフを無視した映画がアカデミー賞作品賞を受賞した事実によって、日本人はセカンド・グリーフを負ったように思えてなりません。アカデミー賞の審査員たちには、「ポリコレとか多様性とか言う前に、もっと大事なことがあるだろう!」と叫びたい!



その後、ヒロシマナガサキという2007年のアメリカ映画を紹介しました。日系米国人映画監督スティーヴン・オカザキがインタビューアとなって広島原爆・長崎原爆の被爆者14名と、投下に関与した米国側の関係者4名に取材したドキュメンタリー映画です。オカザキ監督は当初、1995年の「原爆投下50周年」にあわせての映画制作を構想していたが、エノラ・ゲイスミソニアン博物館への展示が政治問題となり、企画は頓挫した。だが、2005年の「原爆投下60周年」のタイミングで、再度企画がスタートし、この映画を完成させることとなった。アメリカでは2007年8月6日夜、ケーブルテレビHBOが全米に放映。原爆投下の正当性を根強く信じる米国人がどう受け止めるか、注目を浴びました。また、この映画は国連でも上映されています。



続いて、この世界の片隅にという2020年の日本のアニメ映画を紹介しました。テレビドラマ化もされましたが、わたしは2016年の11月にシネプレックス小倉でこの名作を観ました。もう、泣きっぱなしでした。主人公すずが船に乗って中島本町に海苔を届けに行く冒頭のシーンから泣けました。優しくて、なつかしくて、とにかく泣きたい気分になります。きっと、日本人としての心の琴線に触れたのだと思います。この映画は本当に人間の「悲しみ」というものを見事に表現していました。玉音放送を聴いた後、すずが取り乱し、地面に突っ伏して慟哭するシーンがあるのですが、その悲しみの熱量のあまりの大きさに圧倒されました。エンドロールでグリーフケアが描かれたことにも感動しました。わたしは、この映画も全米や国連でぜひ上映するべきだと思います。



今回のアカデミー賞では、ブログ『君たちはどう生きるか』で紹介した宮崎駿監督のアニメ映画が長編アニメ映画賞に輝いた他、ブログ「ゴジラ-1.0」で紹介した山崎貴監督のSF怪獣映画が視覚効果賞を受賞しました。「ゴジラ-1.0」は、ゴジラ生誕70周年となる2024年に先駆けて製作された、実写版第30作品目となるゴジラ映画です。1954年に公開された1作目の「ゴジラ」は、当時、ビキニ環礁の核実験が社会問題となっていた中、水爆実験により深海で生き延びていた古代生物が放射能エネルギーを全身に充満させた巨大怪獣が日本に来襲するという物語でした。すなわち、明確な反核映画だったのです。「ゴジラ」で中では銀座や日比谷を蹂躙したゴジラが皇居の前まで来ると回れ右をするシーンがあります。ゴジラとは太平洋戦争で亡くなった日本兵たちの霊魂の集合体という見方もできるのです。



ゴジラ-1.0」が「オッペンハイマー」とあわせて注目されていることについて山崎監督は、「作っている時はまったくそういったことは意図されていなかったと思いますが、出来上がった時に世の中が非常に緊張状態になっていたというのは、運命的なものを感じます。『ゴジラ』は、戦争の象徴、核兵器の象徴であるゴジラをなんとか鎮めようとする話ですが、鎮めるという感覚を世界が欲しているのではないか。それがゴジラのヒットの一部につながっているんじゃないかと思います」と見解を述べました。さらに、「『オッペンハイマー』に対するアンサーの映画は、個人的な思いとしてはいつか、日本人として作らなくてはいけないんじゃないかな、と思っています」と秘めていた思いを明かしていました。


原爆と火の柱について

 

わたしは、他のノミネート作品に比べて製作費が破格に少なかった「ゴジラ-1.0」が受賞したのは、同じ第96回アカデミー賞において「オッペンハイマー」旋風を吹かせることに対する免罪符ではないかと思えてなりません。さて、「ヒロシマ ナガサキ」に登場する広島で被爆した男性が「原爆が落ちた直後、きのこ雲が上がったというが、あれはウソだ。雲などではなく、火の柱だった」と語った場面が印象的でした。その火の柱によって焼かれた多くの人々は焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を・・・」と言って死んでいったといいます。


命を奪う火、命を救う水

 

命を奪う火、命を救う水という構造が神話のようなシンボルの世界ではなく、被爆地という現実の世界で起こったことに、わたしは大きな衝撃を受けました。考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーでした。火焔放射器という、そのものずばりの兵器などもあります。拙著リゾートの思想河出書房新社)やリゾートの博物誌(日本コンサルタントグループ)にも詳しく書いたように、楽園とは豊かな水をたたえた場所です。人類における最初の戦争は、おそらく水飲み場をめぐっての争いではなかったでしょうか。それほど、水は人間の平和や幸福と深く関わっていると思うのです。

火は文明のシンボル


熱心に聴く人びと


そして、火は文明のシンボルです。いくら核兵器を生んだ文明を批判しても、わたしたちはもはや文明を捨てることはできません。歴史的に見れば、戦争が文明を生み出したと言えるでしょうが、その不思議な戦争の正体とは間違いなく火であると、わたしは思います。そして、自動車もエアコンもパソコンもスマホも、みな火の子孫なのです。その最たる子孫こそが原子力発電所であったように思います。わたしたちは、もはや火と別れることはできないのでしょうか? しかしながら、水が人類にとって最も大切なものであることも事実です。ならば、どうすべきか?

火と水を結んで「火水」を求める

 

わたしは、人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかないと思います。人類の役割とは、火と水を求めて「火水(かみ)」を追い求めていくことではないでしょうか。「火水(かみ)」とは「神」です。これからの人類の神は、決して火に片寄らず、火が燃えすぎて人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように、常に消火用の水を携えてゆくことが必要ではないかと思います。現在、世界には広島型原子爆弾の40万個分に相当する核兵器があると言われています。9.11テロ以降、世界的緊張とともに核拡散の危機が急速に高まり、核兵器による大量殺戮が現実化する恐れも出てきました。こうしている今も、ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ戦争が続いています。わたしは、葬儀というセレモニーは「世界平和」と「人類平等」への祈りであると思えてなりません。



最後に、わたしはブログ「葬送のカーネーション」で紹介したトルコ映画について語りました。トルコ南東部。年老いたムサ(デミル・パルスジャン)は、故郷に埋葬するという亡き妻との約束を守ろうと、彼女の遺体を納めた棺を孫娘のハリメ(シャム・シェリット・ゼイダン)と共に運びながら故郷を目指す物語です。「人間とは何か」「死とは何か」「葬とは何か」といった問題を観客に問う哲学的な映画でしたが、葬儀とは、人間の存在理由に関わる重大な行為であることが訴えられていました。ネアンデルタール人は死者に花を手向けたとされていますが、祖母の墓に捧げられたのは、ハリメが描いた故人の似顔絵と1輪の赤いカーネーションでした。その花を見たとき、わたしは「ネアンデルタール人と同じだ!」と思いました。



映画といえば、ブログ「グリーフケアの時代に」で紹介したドキュメンタリー映画が公開され、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とする映画「君の忘れ方」がもうすぐ完成しますが、さらにグリーフケアという考え方が、世の中に広まり、愛する人を亡くした人の悲嘆が少しでも軽くなることを願っています。特に、「グリーフケアの時代に」は、ロシアの大統領、中国とか北朝鮮の主席にも見ていただきたいです。愛する人を亡くす悲嘆の大きさ、グリーフケアの大切さを知っていただきたい。グリーフケアが広まることは戦争のない平和な世界が来ることだと思っています。

時代に合わせたアップデートを!

 

それから、「葬儀やグリーフケアも時代に合わせてアップデートします。4月15日には、いよいよ『ロマンティック・デス』最新版と『リメンバー・フェス』が同時刊行されます。5月には宗教学者東京大学名誉教授の島薗進先生との対談本『いま、宗教を問う』が弘文堂から刊行されます。5月末には芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久先生と「佛教と日本人」をテーマにした対談も行います」と言いました。最後に、詩人でもある鎌田東二先生の「春だ 春だよ 春だから 身も心も魂も 軽くなるのだよ」という詩を紹介し、最後に「今日、春季例大祭も行いました。みなさん、春は近いです。わが社の春も近いです!」と笑顔で述べてから、わたしは降壇しました。

最後は、もちろん一同礼!

 

2024年3月18日 一条真也

春季例大祭

一条真也です。
18日の早朝から、松柏園ホテルの神殿で春季例大祭が行われました。わたしは桜模様の淡いピンクのネクタイに同色の春コーデで参加しました。皇産霊神社の瀬津禰宜が執り行って下さいました。わが社は「礼の社」なので、こういった祭りや儀式はきちんと行うのです。

神事の最初は一同礼!


春を呼ぶ神事です

やはり季節の神事をきちんと行うと、安心します。「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生は「『古事記』には、日本人の生存戦略が書かれている。それは『まつり』と『うた』である」と言われましたが、会社の生存戦略においても「まつり」と「うた」が最重要であると思いました。


玉串奉奠で拝礼しました


東専務と一緒に柏手を打つ


東専務にならって一同拝礼

神事の最後は一同礼!

 

この日は祭主であるサンレーグループ佐久間進名誉会長が欠席でしたので、わたしが玉串を奉奠しました。わたしは、社員とその家族の健康・幸福、わが社の発展を祈願しました。それから、各地で行われている戦争の終結能登半島地震の被災者のみなさんに一日も早く日常が戻ることを祈願しました。春季例大祭によって、いよいよ本格的に春になります。

朝粥会のようす

朝粥会で挨拶しました

春の訪れを寿ぎました

瀬津禰宜の音頭で神酒拝戴

神酒拝戴の前に柏手を打ちました

神酒を拝戴しました

松柏園の朝粥

朝粥会のようす

朝粥会のようす

 

それから、参列者全員で朝粥会を開きました。これは、春季例大祭直会に当たります。佐久間名誉会長の代わりに、最初にわたしが挨拶しました。続いて、皇産霊神社の瀬津禰宜による音頭で神酒を拝戴しました。その後、全員で「いただきます」を唱和し、食事がスタートしました。みんなで、松柏園の美味しいお粥を食べました。

朝粥会IN北陸

朝粥会IN大分

朝粥会IN宮崎

朝粥会IN沖縄

 

北陸、大分、宮崎、沖縄の各事業部でも朝粥会が開かれました。「共食信仰」という言葉がありますが、共に食事をしてこそ「こころ」は1つになります。たとえ、場所は離れていても、サンレーグループ は1つです!
朝粥会の後は、恒例の「天道塾」が開催されました。

 

2024年3月18日 一条真也

「星の旅人たち」

一条真也です。
17日の日曜日、アメリカ・スペイン合作映画「星の旅人たち」をDVDで観ました。ブログ「コットンテール」を読んだ映画通の方が、「一条さんは『星の旅人たち』を御覧になりましたか? 『コットンテール』と同じく、遺灰を持ち歩いて旅をし、最後は散骨する物語です」とのLINEを送って下さったのです。未見だったわたしは、DVDを入手して鑑賞しました。心が洗われるようなグリーフケア・ムービーの名作でした。現在、アマゾン・プライムでも視聴することができます。未見の方は、ぜひ!


ヤフーの「解説」には、「『ボビー』などで監督としても活躍する、エミリオ・エステヴェスによるヒューマン・ドラマ。スペイン北部のキリスト教巡礼地を回れずに急死した息子の遺志を継ぎ、彼の代わりに旅をする父親の姿を温かなタッチで見つめていく。エステヴェス監督の実父である『地獄の黙示録』などの名優マーティン・シーンが、旅を通じて溝が生じていた息子への思いをかみしめる主人公を好演。舞台となる、スペイン北部ガリシア地方の美しくも牧歌的な風景にも心を奪われてしまう」とあります。

 

ヤフーの「あらすじには、以下の通りです。
「息子のダニエル(エミリオ・エステヴェス)が、ピレネー山脈で嵐に遭遇して死んだと知らされたトム(マーティン・シーン)。キリスト教巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラを巡る旅を果たせなかった息子をとむらい、彼が何を考え巡礼に臨んだのかを知ろうとトムは決意。ダニエルの遺品と遺灰を背負い、800キロメートルの道を歩く旅に出る。その途中、夫のDVに苦しんだサラ(デボラ・カーラ・アンガー)や不調に陥った旅行ライターのジャック(ジェームズ・ネスビット)と出会い・・・・・・」

 

 

『星の旅人たち』(The Way)は、2010年のアメリカ・スペイン合作のドラマ映画です。 俳優エミリオ・エステヴェスが、実父マーティン・シーンを主演に起用し、自らの監督・脚本・製作・出演で制作したロードムービーです。エミリオ・エステヴェスによるオリジナルストーリーとジャック・ヒット(英語版)による書籍『Off the Road: A Modern-Day Walk Down the Pilgrim's Route Into Spain』に含まれるいくつかのストーリーを原案としています。


父のトム・エイヴリー


息子のダニエル・エイブリー

 

米国カリフォルニアで眼科医院を開いているトム・エイヴリー(マーティン・シーン)は、ある日、自分探しの放浪の旅に出たまま疎遠になっていた1人息子ダニエル(エミリオ・エステヴェス)が、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の初日にピレネー山脈で嵐に巻き込まれて亡くなったと知らされます。生前の父子は折り合いが悪かったのですが、巡礼の旅に向かう息子を空港へ送るとき、父は「生き方は違うが、私は今の人生を選んだ」と言います。すると、息子は「人は人生を選べない。生きるだけ」と言います。なかなか深いセリフだなと思いました。この映画は、すれ違った父子の魂が結ばれ合う物語です。


ダニエルを火葬にすることを決心


悲しみを抱く者同士の「悲縁」がありました

 

息子の遺体を引き取りに、スペインとの国境近くのフランスの町サン=ジャンにやって来たトムは、現地の警察官に同情されます。その警察官も息子を失ったことがあるのでした。悲嘆を共にする縁としての「悲縁」によってトムと警官には絆ができます。ダニエルを火葬にしたトムは、その遺灰を箱に入れて、遺品のバックパックの中に収めます。そして、そのバックパックを背負って、ダニエルが辿るはずだった巡礼の旅に出ることにするのです。


サンティアゴ・デ・コンポステーラは、イエスの12使徒の1人である聖ヤコブの墓がある聖地です。サンティアゴとは聖ヤコブスペイン語ですね。紀元44年、時のユダヤ王アグリッパに迫害され斬首されたヤコブは、12使徒中で最初の殉教者となりました。当時の殉教者はすぐに列聖されたため、ヤコブは聖ヤコブとなりました。聖ヤコブの死を悼んだ弟子のテオドロとアタナシオはその遺骸をこっそり小舟に乗せ風に行く先を任せた所、たどり着いたのはガリシアパドロンの港、イリア・フラビア。弟子たちはその地に聖ヤコブの遺骸を埋葬しましたが、時の流れの中、いつしか聖ヤコブの亡骸は行方不明になり存在も忘れされたものになってしまいました。月日が流れ、9世紀に星の導きで聖ヤコブの墓が見つけられ、その場所にアルフォンソ2世が教会を建て、カンポ(野原)とステーラ(星)を合わせた意味のコンポステーラという地名が付けられたと言われています。


巡礼者として、1人で歩くトム

ダニエルの遺灰を撒き、祈りを捧げるトム

 

現在、スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラは、ローマ、エルサレムと並びキリスト教大巡礼地のひとつとされます。聖ヤコブの遺骨が発見されたとして大聖堂が建立されました。フランスから続く巡礼路のうち、スペイン国内の道は、1993年にユネスコ世界遺産にも登録されました。この聖地を目指す巡礼の道は1000年以上の歴史を持ち、巡礼者は年間に約30万人以上に上ります。巡礼者の1人となったトムは、行く先々でトムはダニエルの遺灰を撒き、祈りを捧げます。そんなとき、トムはダニエルの存在を強く感じるのでした。


巡礼者はさまざまな道をたどりますが人気があるのは「フランス人の道」です。出発地としては、フランス側のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーや、巡礼証明書が発行される条件を満たすサンティアゴから100Km地点のサリアを選ぶ人が多いそうです。遠くからでは、伝統的なフランスの町(ル・ピュイ、アルル、ヴェズレーなど)から出発する人や、さらに遠くからフランス内の道を目指す人、中世にならって自分の玄関から出発する人もいるとか。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからすべて歩くと780~900kmの距離で、1日平均20~25km歩くと1か月以上かかります。四国遍路を連想してしまいますね。

旅人を迎える宿泊施設の世話人


巡礼者たちの「隣人祭り

 

スペインと南フランスには、巡礼者に一夜の宿を与える宿泊施設(アルベルゲまたはレフーヒオ)が点在し、クレデンシャル(巡礼手帳)を持つ人は誰でも泊めてくれます。アルベルゲには公営と私営の施設があります。公営のものは教会や各地の村等が経営しており、寄付で賄っているところや有料で泊まれる宿などがあります。これらの施設は原則として予約はできず通常は1泊に限られます。私営のアルベルゲは公営よりも宿泊費がやや高くなっていますが、特色ある施設となっている楽しさもあります。各アルベルゲにはオスピタレロと呼ばれる世話人がいて、巡礼者のさまざまな問題や疑問に答えてくれます。映画「星の旅人たち」にも彼らが登場しますが、「ホスピタリティ」の原点を見るようでした。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

拙著ハートフル・ソサエティ(三五館)の「ホスピタリティが世界を動かす」に書きましたが、ホスピタリティを人類の普遍的な文化としてとらえると、その起源は古いです。人類がこの地球上に誕生し、夫婦、家族、そして原始村落共同体を形成する過程で、共同体の外からの来訪者を歓待し、宿舎や食事・衣類を提供する異人歓待という風習にさかのぼります。異邦人を嫌う感覚を「ネオフォビア」といいますが、ホスピタリティはまったくその反対です。異邦人や旅人を客人としてもてなす習慣もしくは儀式というものは、社会秩序を保つ上で非常に意義深い伝統的通念でした。これは共同体や家族という集団を通じて形成された義務的性格の強いものであり、社会体制によっては儀礼的な宗教的義務の行為を意味したものもありました。


隣人の時代』(三五館)

 

隣人の時代(三五館)にも書いたように、キリスト教の根底をなすのは「神への愛」ですが、人間社会では「隣人愛」が求められます。そして、隣人愛はホスピタリティの別名でもあります。「hospitality(ホスピタリティ)」の語源は、ラテン語のhospes(客人の保護者)に由来します。本来の意味は、巡礼者や旅人を寺院に泊めて手厚くもてなすという意味です。ここから派生して、長い年月をかけて英語のhospital(病院)、hospice(ホスピス)、hotel(ホテル)、host(ホスト)、hostess(ホステス)などが次々に生まれました。これらの言葉からもわかるように、それらの施設や人を提供する側は、利用者に喜びを与え、それを自らの喜びとしています。両者の立場は常に平等です。ゲストとホストは、ともに相互信頼、共存共栄、あるいは共生の中に存在しているのです。そういえば、キリスト教の聖地への巡礼の道中にある宿泊施設では、常に「隣人祭り」が開かれていました。


旅の道連れが4人に

ここにも悲縁がありました

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラキリスト教カトリックの巡礼地ですが、キリスト教徒以外でも歩くことは問題なく、様々な動機や背景を持った人々が巡礼に訪れます。トムは、偶然出会ったオランダ人のヨスト、カナダ人のサラ、アイルランド人の作家ジャックと共に旅をすることになります。はじめのうちは彼らに頑なに心を開こうとしなかったトムも、さまざまな出会いと経験を通じて徐々に打ち解けて行くのでした。特に、サラは夫のDVから逃れるため、娘を手放したことによる深いトラウマとグリーフを抱いています。「娘の鳴き声を想像するわ」「時々、あの子の声が聴こえるの」「ひどい母親よ。母乳もあげられなかった」と嘆くサラと、息子を亡くしたばかりのトムの間にも悲縁というものが存在したのです。


ジプシーの「隣人祭り」に参加


ムシーアの海での散骨を提案される

 

ある日、トムはダニエルの遺灰が入った大事なリュックをジプシーの子に盗まれます。必死で後を追ったトムと仲間たちでしたが、結局は泥棒の子を見失ってしまいます。途方に暮れるトムの前に、イズマエルと名乗るその子の父親が息子とともに現れます。彼はトムに対して深く謝罪し、「わたしたちジプシーは、ヨーロッパで忌み嫌われ、差別を受けている。しかし、誇り高く生きることを心掛けている。今回の息子のやったことは、一族の恥である。心からお詫びしたい」と言うのでした。彼から招待を受けて、トムたちはジプシーの隣人祭りに参加します。そして、イズマエルはダニエルの遺灰をムシーアの海に散骨することを提案します。差別の中で生きるイズマエルと、息子を失ったトム・2人の間には、コンパッションの交換とでもいうべきものが行われていました。


ついに目的の聖地に到着!


大聖堂では荘厳な儀式が・・・・・・

 

そして、ついに4人は、目的の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに辿り着きます。大聖堂では毎日正午に巡礼者のためのミサが開かれ、巡礼者の祖国と出発地が唱えられます。聖ヤコブの祝日である7月25日やカトリックの祝日などにはボタフメイロという儀式を見ることが出来るでしょう。大聖堂へ入って巡礼の無事達成に感謝をささげた後、巡礼事務所へ足を運び、巡礼証明書を貰います。手続きの際には国、出発地、巡礼の方法(徒歩、自転車)、動機を用紙に記載し、最後の100km/200km踏破を証明するためのスタンプが押された巡礼手帳(クレデンシャル)を添えて申し込むのです。トムは最初は自分の名前で証明書を貰いましたが、ダニエルの名前に修正してもらいます。最初は不審に思ったものの、すぐに事情を察した担当者の思いやりが胸に沁みました。


ムシ―アに到着した4人


ムシ―アの海に向かい合う4人


亡き息子と魂の会話をする


亡き息子の遺灰を海に撒く父

 

4人は目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラで別れるつもりでしたが、トムのムシーアへの旅に他の3人も付き合うことにします。それは旅の途中で出会ったジプシーの男イズマエルがトムに告げた「息子の遺灰をムシーアの海に撒け」との言葉に従う旅でした。ムシーアの海を前にした4人。トムを残して3人がその場を去ると、トムはダニエルの存在を強く感じながら、ダニエルの遺灰を海に撒きます。そしてトムはかつてのダニエルのように旅に出るのでした。現在、わが社のお客様でも海洋散骨を希望する方が増えており、来月は毎年恒例の沖縄での散骨に立ち会います。「なぜ、故人の遺灰を海に撒くのか」という問いの答えは、この映画の中にあるように思いました。


人生は「幸せ」を求めて歩き続ける旅

オズの魔法使」(1939年)より

 

それぞれ不安や悲しみを抱えた4人が救いを求めて巡礼する様子を見て、わたしは映画史に燦然と輝くミュージカル映画の名作オズの魔法使(1939年)を連想しました。カンザスの草原から竜巻に巻き上げられて家ごと吹き飛ばされた少女ドロシーと小犬のトトを中心に、かかし、ブリキの木こり、気の弱いライオンが、さまざまのできごとに出会いながら、不思議の国オズに住む魔法使いを訪ね、ついにもとのカンザスに戻るまでの奇想天外な冒険の物語です。ドロシーたちは幸せの国を目指して進んでいきますが、それが「星の旅人たち」の4人の姿に重なりました。人はみな、「幸せ」を求める人生の旅の旅人なのです。わたしも、いつか、サンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れてみたいです。最後に、素敵な映画を紹介してくれた方に心から感謝いたします。

 

 

2024年3月18日  一条真也

『上級グリーフケア士が 一条本を読む』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。このたび、久々に新しいブックレットが完成。ただし、わたしは著者ではなく監修者です。

『上級グリーフケア士が 一条本を読む』

 

今回の新しいブックレットのタイトルは、『上級グリーフケア士が 一条本を読む』です。 金沢紫雲閣の大谷賢博総支配人が20冊の「一条本」を読んだレビューが収められています。大谷総支配人は日本初の上級グリーフケア士の1人ですが、大変な読書家です。また、能登半島地震で被災し、実家が全壊して避難所に入っていました。現在、その被災体験とケアの実践を彼が語ったグリーフケア動画が冠婚葬祭互助会業界で注目を浴びています。

「ご挨拶」

 

ブックレットの冒頭には、「ご挨拶」として、わたしの文章が載っています。そこには、こう書かれています。
「読書とは、何よりも読む者の心をゆたかにする『こころの王国』への入口です。わたしは自分でも本を書きますが、そのたびに思い知るのは、本というメディアが人間の『こころ』に与える影響の大きさです。
わたしは『本を読む』という行為そのものが豊かな知識のみならず、思慮深さ、常識、人間関係を良くする知恵、そしてグリーフケア、ひいてはそれらの総体としての教養を身につけて『上品な人間』をつくるものだと確信しています。また、わたしが作家だけでなく、企業の経営者として、大学の客員教授として、なんとかやっていけるのも、すべて読書のおかげです。わたしは、ハートフルに遊ぶ東急エージェンシー)で1988年にデビューして以来、10年間の休筆期間をはさみながらも、これまで115冊の本を様々なテーマで上梓してきました。ありがたいことに、わたしの著書について、インターネットのレビューやお手紙で、丁寧に感想や書評を書いてくださる読者の方々も少なからずいらっしゃいます。
その皆様へ深い感謝の念を抱くとともに、拝読させていただくのですが、拙著を客観的に捉えることができ、大変参考になっています。本当にありがとうございます。そうした読者のお一人に、日本初の上級グリーフケア士の一人である大谷賢博さんという方がいらっしゃいます。わたしへの過分な評価には恐縮するばかりですが、グリーフケアのプロフェッショナルである大谷賢博さんの読み方には大きな気づきを与えられました。今回、大谷さんの了承をいただき、拙著より、グリーフケアに関連する20冊について、読書ガイドとして編集いたしました。皆様の一助となれば幸いです」

「目次」

 

本書には、以下の20冊の一条本のレビューが収められています。
 1 『ロマンティック・デス
 2 『愛する人を亡くした人へ
 3 『葬式は必要!
 4 『のこされた あなたへ
 5 『永遠葬
 6 『唯葬論
 7 『死を乗り越える映画ガイド
 8 『葬式に迷う日本人
 9 『儀式論
10 『死を乗り越える名言ガイド
11 『心ゆたかな社会
12 『死を乗り越える読書ガイド
13 『満月交心
14 『心ゆたかな読書
15 『論語と冠婚葬祭
16 『心ゆたかな映画
17 『葬式不滅
18 『供養には意味がある
19 『ウェルビーイング?
20 『コンパッション!

ロマンティック・デス』のレビュー

巻末ページ

 

グリーフケアの専門家にして読書の達人が、20冊の一条本を読み解いた本ブックレットの内容は、死別の悲嘆の淵にある方や、生きることに疲れた方などに、心を軽くするヒントを与えてくれるような気がします。このブックレットは各地の紫雲閣のロビーのブックレット・コーナーに置かれますので、どうぞ、ご自由にお持ち帰り下さい。

 

2024年3月17日  一条真也