『奇譚を売る店』

奇譚を売る店 (光文社文庫)

 

一条真也です。
26日の朝、東京に出張します。新型コロナウィルスの感染が拡大する中、国内では最も危険とされている東京にはあまり行きたくないのですが、互助会保証株式会社の監査役会および取締役会に参加するため、仕方がありません。せいぜいマスクをして、細心の注意を払います。
『奇譚を売る店』芦辺拓著(光文社文庫)を読みました。第14回酒飲み書店員大賞(こんな賞があるなんて、初めて知りました!)の受賞作です。わたしはファンタジー小説やホラー小説の類に目がないのですが、何か新作はないかとアマゾンで探したところ、『おじさんのトランク』芦辺拓著(光文社)を見つけました。これがなかなか面白かったので、著者の他の作品も読んでみたくなり、本書を読んだのです。

 

おじさんのトランク 幻燈小劇場

おじさんのトランク 幻燈小劇場

 

 

本書『奇譚を売る店』は「小説宝石」に2011年から2013年の間に掲載され、2013年7月に光文社より刊行された単行本を文庫化したものですが、とても面白かったです。著者は1958年大阪生まれ。同志社大学法学部卒。86年「異類五種」で第2回幻想文学新人賞佳作入選。90年『殺人喜劇の13人』で第1回鮎川哲也賞を受賞。この人は本格ミステリ作家として有名だそうですが、「幻想小説家としての資質も具えている」と評されており、ホラー小説のアンソロジーなども編んでいます。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、ひらいたかこ氏の幻想的(日野日出志の絵みたい)なイラストが使われています。帯には「本とお酒が好きな千葉近辺の書店員と出版社営業がおススメの1冊を選ぶ!」「第14回酒飲み書店員大賞受賞!」「本の中にいつの間にか入り込む、小説ならではの面白さだと思います。(文敬堂書店 浜松町店 加藤麻由美さん)」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「『また買ってしまった』。何かに導かれたかのように古書店に入り、毎回、本を手にして店を出てしまう『私』。その古書との出会いによって『私』は目眩く悪夢へと引きずり込まれ、現実と虚構を行き来しながら、背筋を寒からしめる奇妙な体験をしていく・・・・・・。古書蒐集に憑かれた人間の淫靡な愉悦と悲哀と業に迫り、幻想怪奇の魅力を横溢させた、全六編の悪魔的連作短編集!」

 

本書には、6人の本好きが手にした『帝都脳病院入院案内』『這い寄る影』『こちらX探偵局/怪人幽鬼博士の巻』『青髭城殺人事件 映画化関係綴』『時の劇場・前後編』『奇譚を売る店』という世にも奇妙な古書(本当に、よくぞこんな変わった本ばかり思いついたものです)をめぐる6つの幻想奇譚が収められています。すべての作品には「私」が登場しますが、おそらくは別人です。もっとも、6人それぞれが著者の一面を反映しているとは思われますが・・・・・・。また、すべての作品の冒頭は「また買ってしまった」で始まります。

 

楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)

楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)

 

 

『帝都脳病院入院案内』には、まるでゴシック小説の舞台となる西洋の古城のような戦前の精神病院の怪しい冊子の物語です。そこには緑色治療所だとか、電気痙攣療法(エレクトロクランプフテラピー)とかも出てきて、まことに怪しいこと、この上ありません。「私」はその冊子に描かれた図面を参考にジオラマの病院を作ります。そして、その中に何か動くものの影を見つけて、彼はトワイライトゾーンに入ってゆくのでした。この精神病院は、『楡家の人々』を書いた作家で精神科医もある北杜夫の生家で、実在した青山病院がモデルだそうです。SF作家フレドリック・ブラウンの『未来世界から来た男』収録された「人形」という短篇を連想させる作品です。

 

未来世界から来た男 (創元SF文庫 (605-1))

未来世界から来た男 (創元SF文庫 (605-1))

 

 

『這い寄る影』には、戦後、大量生産されたエログロB級大衆雑誌に毒々しいタイトルのチープな作品ばかり書いている三流探偵小説家の悲運が描かれています。『こちらX探偵局/怪人幽鬼博士の巻』は少年漫画雑誌がテーマで、名探偵・十文字竜作と助手の江楠君の痛快きわまりない冒険談と、そこに秘められた秘密が語られています。『青髭城殺人事件 映画化関連綴』は、映画が最高の娯楽だった時代撮影秘話ですが、不死人の恐怖が描かれており、これが一番ストレートな怪奇小説だと言えるでしょう。

 

『時の劇場・前後編』は、読んだものの過去の人生と今後の未来が書かれている大河ロマンの稀覯本に対するマニアの異常な情熱と、古書オークション落札の狂気が描かれています。そして、最後の『奇譚を売る店』では和文タイプライターが登場。小学校しか出ていない人が多かった時代に、漢字を多く含む文章では一般の人が理解できないということで、カナの多用を推奨した「カナモジカイ」という団体があったことを初めて知りました。1920年に設立されたこの団体の運動が成功していたら、簡易漢字を採用した中国、母国語をハングルのみで表記するようになった韓国のように、日本語もカナだけになっていたかもしれなかったというので驚きました。

 

「あとがき――あるいは好事家のためのノート」で、著者は以下のように書いています。
「古本屋という異空間――まさに‟奇譚を売る店“に通い始めてかれこれ40年余。もっと年少のときから古本漁りに日参していたとか、マニアの猛者たちにまじって高価な本を買いまくっていたという人たちには及びませんが、それでも相当な時間と金銭を投じてきたのは確かです。にもかかわらず、すでに前例も多々ある書店ネタにあえて手をつけてこなかったのは・・・・・・たぶん生来のひねくれ者だからか。自分の本質に触れるのがこわかったのかのどちらかでしょう」

 

「解説」では、書評家の小池啓介氏が、「何かひとつの物事を究めようとするには、相応の時間と労力が必要だ。それらを費やした分だけ、毎日は大きなよろこびに満ちていく。だが、ひとたに探求の努力が行き過ぎてしまえば、楽しかったはずのその行為は心を疲労させ、ときに人間を歪ませる要因にすらなる。マニアの語源は‟狂気“であるという。狂気と紙一重の‟書物”の蒐集家、コレクターの日常にまつわる業と悲哀を稀代の物語作家が怪奇幻想短篇の数々に昇華させた作品――それが『奇譚を売る店』なのである」と述べます。

 

また、小池氏は「それぞれの‟古書“のもつ内容からは過ぎ去りし時代の香を封じ込めた懐かしさ、あるいはレトロモダン風味がたっぷりと感じられる」とも書いています。正直言って、本書に収められた短篇たちにはB級感も漂っているのですが、そこがまた戦前の「宝石」とか「新青年」に掲載されていたいかがわしい怪奇幻想の香高い探偵小説を連想させて、たまらない魅力になっています。

 

奇譚を売る店 (光文社文庫)

奇譚を売る店 (光文社文庫)

 

 

 2020年2月26日 一条真也

「スキャンダル」

一条真也です。
天皇誕生日の振替休日となる24日、残り少ないマスクを着けてシネコンに出かけ、映画「スキャンダル」を観ました。セクシャルハラスメントがテーマということで、会社経営者のコンプライアンス研修のつもりで観たのですが、ハラスメントとは人間の尊厳を喪失する悲嘆を招く行為であり、グリーフケアにも通じているのだと悟りました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「2016年にアメリカのテレビ局FOXニュースで行われたセクシュアルハラスメントの裏側を描いたドラマ。テレビ局で活躍する女性たちをシャーリーズ・セロンニコール・キッドマンマーゴット・ロビー、数々のセクハラ疑惑で訴えられるCEOを『人生は小説よりも奇なり』などのジョン・リスゴーが演じる。『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』などのジェイ・ローチがメガホンを取り、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』などのチャールズ・ランドルフが脚本を手掛けた」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「大手テレビ局FOXニュースの元人気キャスター、グレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)が、CEOのロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)をセクハラで提訴する。メディアが騒然とする中、局の看板番組を背負うキャスターのメーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)は、今の地位をつかむまでの軌跡を振り返って動揺していた。一方、メインキャスターの座を狙うケイラ・ポスピシル(マーゴット・ロビー)は、ロジャーと対面する機会を得る」



セクハラがテーマと聞くと、正直言って、物語の展開は読めます。被害者となった女性が勇気を奮って告発し、最後は加害者の男性が敗北するという展開です。映画「スキャンダル」も大筋はその通りなのですが、さすがはハリウッドを代表する女優たちを使っているだけあって、なかなか楽しめるエンターテインメントに仕上がっていました。わたしの好きなニコール・キッドマンが最初の告発者となるグレッチェン・カールソンを演じましたが、リアルな演技はさすがです。「アイズワイドシャット」(1999年)や「アザーズ」(2001年)の頃の眩しいぐらいに妖艶な魅力はもう感じませんが、年輪を重ねたうえでの重厚な演技は、大物女優の貫禄たっぷりですね。

 

メーガン・ケリー役のシャーリーズ・セロンも良かったです。つねに毅然とした女性を演じました。大統領候補時代のドナルド・トランプからの攻撃を受けて苦悩するTVキャスターの役ですが、もちろんこれは事実に基づいています。日本で総理大臣の候補者が1人の女性キャスターを個人攻撃することなどありえませんが、アメリカではこんなことでも通用してしまうのですね。あと、この映画を観て、アメリカ人がいかに政治好きかということを改めて知りました。選挙権のある国民はすべて「トランプか、ヒラリーか」、支持する候補をはっきり決めている印象です。政治意識の低い国民が多い日本では想像できません。大統領選挙などは一大イベント、まさに「まつり」です。

 

そして、マーゴット・ロビーがすごく良かった。オーストラリア出身ということで、それこそニコール・キッドマンの再来ですね。2人とも、伝説のセクハラの巨匠で金髪フェチのアルフレッド・ヒッチコック監督が生きていたら、絶対に気に入られていたでしょう。ブログ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で紹介した映画で、マーゴットを初めてスクリーンで観ました。シャロン・テートの役を生き生きと演じていましたが、本当に美しく、「THEハリウッド・ビューティー」といった感じでしたが、あまり美貌のことに言及するのはセクハラ的にアウトですかね?(苦笑) 
でも、この「ハリウッド」を観た男性なら、誰でも「マーゴット・ロビーはいい女だなあ!」と言いたくなるでしょう。もしかすると、この映画はそういう問題発言を男性から引き出すための罠なのかもしれませんね。(笑)

 

ブログ「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」で、わたしは「なんだかんだ言っても、映画には美女が出演していないと楽しくありません」と書きましたが、それは本心です。でも、別に若い美女には限りません。日本人女優でいえば、若尾文子岩下志麻北川景子白石麻衣広瀬すず浜辺美波・・・・・・みんな美しいですし、彼女たちの姿は目の保養になります。年齢は関係ありません。「スキャンダル」に出演している女優でも同じことで、52歳のニコール・キッドマン、44歳のシャーリーズ・セロン、29歳のマーゴット・ロビーは3人とも美しい。美しいものを「美しい」というのは美意識の発動にして感性の自由であり、そこにハラスメントの問題など関係ありません。

 

 

ハラスメントといえば、ブログ『ハラスメントの境界線』で紹介した白河桃子氏の著書は大変勉強になりました。同書の第2章「女性から見たハラスメント」では、「イリノイ州立大学の、セクハラ研究のパイオニアといわれるジョン・プライヤー教授は、ワシントンポストの記事の中で、セクハラをする人には3つの共通した特徴があると述べている。3つとは、(1)共感力の欠如、(2)伝統的な性別の役割分担を信じている、(3)優越感・権威主義だ。そのうえで、プライヤー教授は「(セクハラを行う人を)とりまく環境も大きく影響している」と指摘している。そうした傾向のある人を、そういったことが許される環境に置けば、歯止めが利かない。Impunity(免責状態)にあることが、(セクハラを行うか行わないかに)大きく関連する。(岡本純子「エリート官僚がセクハラを否定する思考回路」『東洋経済オンライン』2018年4月24日)」という文章が紹介されています。



また、同書の第5章「#MeToo以降のハラスメント対策最新事情」では、「求められる管理職の多様性」として、白河氏は以下のように述べています。
「教育、雇用などの社会的機会の平等が求められる欧米からすれば、『男性だけの同質集団』は時代遅れで『リスクがある』ものに映るでしょう。海外のクライアントが、同じような年齢、性別の集団しか出てこない企業に対して『取引するのをやめておこうか』『投資をやめよう』とためらう可能性は大いにあります。それほどに『同質性』のリスクは『日本型組織』の脆弱性として、看過できないものになっているのです」



「#MeToo」運動といえば、映画界も震源地になりました。米国映画界の実力者として、業界内で非常に大きな影響力を持ち、業界の人々から恐れられ、逆らいがたい存在となっていたハーヴェィ・ワインスタインがセクハラで告発されたのです。もともと、2006年に若年黒人女性を支援する非営利団体「Just Be Inc.」を設立したアメリカの市民活動家タラナ・バークが、家庭内で性虐待を受ける少女から相談されたことがきっかけで、2007年に性暴力被害者支援の草の根活動のスローガンとして提唱し地道な活動を行ったのが「#MeToo」の始まりですが、2017年にニューヨーク・タイムズが、2015年から性的虐待疑惑のあった映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数十年に及ぶセクシャルハラスメントを告発したのです。これは後に「ワインスタイン効果」と呼ばれるほどの大反響がありました。



2015年にワインスタインの名を出さずに問題のセクハラを告発していた女優のアシュレイ・ジャッドら数十名が実名でセクハラを告発、雑誌「ザ・ニューヨーカー」も10ヶ月に及ぶ被害者への取材記事をウェブ版で発表し、大きな話題になりました。セクハラや性的暴行が発覚したことで、ワインスタインが経営するワインスタイン・カンパニーは経営が悪化、2018年3月19日に連邦破産法の適用申請手続きが行われました。また、被害者たちによって申し立てられていた性的暴行の件で、2018年5月25日にニューヨーク市警によって逮捕され、その姿はマスコミにもさらされ、訴追されました。そして、なんと、わたしが映画「スキャンダル」を観た今月24日当日、ニューヨークの裁判所の陪審はワインスタイン被告に有罪評決を出しました。FOXのセクハラ騒動もいいですが、わたしは個人的にこのワインスタインのスキャンダルの映画を観たいです。いずれは映画化されるのでしょうか?

礼を求めて』(三五館)

 

セクシャルハラスメントパワーハラスメントの両方を合わせて「セ・パ両リーグ」などと呼ぶようですが、わたしは、ハラスメントの問題とは結局は「礼」の問題であると考えています。「礼」とは平たく言って「人間尊重」ということです。この精神さえあれば、ハラスメントなど起きようがありません。今から約2500年前、中国に「礼」を説く人類史上最大の人間通が生まれました。言わずと知れた孔子です。彼の言行録である『論語』は東洋における最大のロングセラーとして多くの人々に愛読されました。特に、西洋最大のロングセラー『聖書』を欧米のリーダーたちが心の支えとしてきたように、日本をはじめとする東アジア諸国の指導者たちは『論語』を座右の書として繰り返し読み、現実上のさまざまな問題に対処してきたのです。



さて、世間ではコロナウィルスの感染拡大の話題で持ち切りですが、映画産業への影響はどうなのでしょうか。「スター来日中止の流れも、シネコンは通常活況。長期的には? 現時点の新型コロナウイルスの映画界への影響」というネット記事では、来日を予定していたスターの動向にも影響が出ているそうです。先日のアカデミー賞で「ジュデイ 虹の彼方に」で主演女優賞を受賞し、今月下旬に来日予定だったレネー・ゼルウィガーは、キャンセルの方向で動いているといいます。各種イベントが中止や延期になっている中で、映画館の営業は通常どおり続いているようです。この3連休の初日も映画館はいつもの週末のような賑わいを保っていたとか。



ブログ「パラサイト 半地下の家族」ブログ「1917 命をかけた伝令」で紹介した人気作品も数字はまあまあで、ブログ「ミッドサマー」で紹介した映画などは完売が続いているとか。映画ジャーナリストの斉藤博昭氏は、同記事に「人々が激しく動き回るわけではない映画館は、感染のリスクが少ないという報道も耳にしたりするものの、韓国の大邱の教会で起こったような感染が、もし日本の映画館で起こってしまえば、シネコンは全国規模での営業停止となる可能性もあり、予断は許さない。その映画館営業停止で何より深刻な状況なのは中国で、北京や上海といった大都市を含め、国内ほぼすべての映画館は休業のまま」と書いています。うーん、そのうち、日本でも映画館が危険ゾーンになるのでしょうか。ここ最近で、だいたい観たい映画は全部観たので、もうすぐマスクも尽きることだし、しばらく映画館に行くのは控えようかなあ? ちなみに、カラオケはこのところずっと行っていません。はい。

 

2020年2月25日 一条真也

嫉妬は狐色に焼く

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一条真也です。」
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助の言葉です。
企業に限らず、組織という人間の集まる場において嫉妬は避けられない問題です。松下幸之助は「嫉妬は狐色に焼くのがよろしい」という素晴らしい名言を残しています。

 

リーダーになる人に知っておいてほしいこと

リーダーになる人に知っておいてほしいこと

 

嫉妬は女の特質であり、男は嫉妬しないという人もいます。たしかに『字訓』を著した漢字学の大家・白川静によれば、「嫉」とは疾に通じ、疾病や疾悪という意味につながります。もともとが、その情は「女人において特に甚だしい」ことから、嫉の字を用いたといいます。「ねたむ」「そねむ」の意味を持つ「妬」も、女偏を持つのは同じことです。

 

ところが、男も嫉妬します。古代ギリシャの政治家テミストクレスは「まだ自分は妬まれたこともないので、何ひとつ輝かしいことはしていない」と語りました。しかし、彼はその後、紀元前480年のサラミスの海戦でアケメネス朝ペルシャの海軍を撃破しながら、市民の強烈な嫉妬と反感にあって陶片追放の市民投票で死刑を宣告され、皮肉なことにペルシャに亡命したのです。

 

中国では、病的なやきもちを「妬癡(としつ)」と呼びます。
唐の時代に李益という男がいました。この人物は自分の妻の貞操を疑い、明けても暮れても苛酷なまでに妬癡したために、男の妬疾の甚だしいことを「李益の疾」というくらいでした。この点でいえば、むしろ男の嫉妬のほうが始末におえないのかもしれません。

 

たしかに、自分が他人より劣る、不幸だという競争的な意識があって心に恨み嘆くことを嫉妬であると考えるならば、古くから仕事の上で競争にさらされてきた男の場合こそ、嫉妬心を無視するわけにはいきません。そうした一見愚かに見える感情もまた、人間の備えている自然の性質の一部であり、それゆえ無理やり抑えつけてはならないとの人間観を示した人物こそ、松下幸之助でした。

 

人間通 (新潮文庫)

人間通 (新潮文庫)

  • 作者:谷沢 永一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: 文庫

 

松下幸之助は「嫉妬は狐色に焼くのがよろしい」と言いました。ちょうどせんべいを焼くように、焼きすぎてもいけませんし、焼き足らないのもいけません。適度に焼けば、香りが立って、人間性に具合よく味付けできるものです。そういう嫉妬なら反面活力につながりますから、むしろ好ましいと言えるでしょう。それが松下が言いたい要点でした。ベストセラー『人間通』を書いた国文学者の故・谷沢永一は、この「嫉妬は狐色に焼く」を松下幸之助一代の名言であると絶賛しています。

 

わたしも大学卒業後、入社したばかりの会社から著書を出版してもらったり、業界では最年少で社長に就任した際、他人からのジェラシーを強く感じた経験があります。今思い出しても不快になるぐらい、嫌な思いもしましたし、大きなストレスも感じました。何よりも嫉妬する男たちが醜悪に見えて仕方がありませんでした。以来、あんな醜い真似は自分は絶対にしたくないと思うようになりました。

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 

 

ブログ『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で紹介した村上春樹氏のベストセラー小説では、主人公が親友たちから唐突に絶交されます。その理由については、彼にまったく思い当たるところがありませんでした。物語の後半で理由らしきものが明かされますが、わたしはジェラシーが大きな原因だったように思えます。5人の仲良しグループのうち、4人とも地元の名古屋の大学に進学したのに対して、主人公の多崎つくるだけが東京の大学に進んだからです。とにかく、思い当たる節がないのに急に他人から悪意を向けられた場合、その原因は嫉妬である可能性が高いでしょう。もちろん、わたしも男たちが狐色の活力で発奮することには大賛成ですが・・・・・。なお、今回の松下幸之助の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

 

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

  • 作者:一条 真也
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 2007/06/22
  • メディア: 単行本
 

 

2020年2月24日 一条真也

春の雨と秋の霜   

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柳の葉は
春の雨に出会うことで芽を開き、
菊の花は
秋の霜に出会うことで花びらを散らす。
(『遊山暮仙詩』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2020年2月24日 一条真也

「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」 

一条真也です。
22日、前日に公開されたばかりの日本映画「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」を観ました。ブログ「スマホを落としただけなのに」で紹介した映画の続編です。前作同様に「リング」シリーズの中田秀夫監督の作品ですが、中田監督は清水祟監督とともにJホラーの二大巨匠とされています。清水監督の新作はブログ「犬鳴村」で紹介した映画を観たので、今度は中田監督の新作を観ようと思いました。あまり怖くはなかったですけど。前作では千葉雄大成田凌の顔の見分けがつかなくて混乱しましたが(苦笑)、今回はそんなことはありませんでした。ヒロイン役の白石麻衣の演技も良かったです。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「恋人がスマートフォンを紛失したために思いも寄らぬ恐怖に見舞われるヒロインの運命を描いた『スマホを落としただけなのに』の続編。連続殺人事件が解決してから数か月後、同じ現場から新たな死体が発見される。前作で刑事にふんした千葉雄大が主演を務め、彼が逮捕した獄中の殺人鬼を成田凌が続投。事件に巻き込まれるヒロインを乃木坂46の白石麻衣が演じ、前作と同じく中田秀夫監督がメガホンを取った」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「長い黒髪の女性が狙われた連続殺人事件が解決してから数か月後、同じ現場から新たな身元不明の死体が見つかる。事件を追う刑事・加賀谷(千葉雄大)はかつて自分が逮捕した連続殺人鬼・浦野(成田凌)を訪ねると、獄中の彼は自身が師と仰ぐ『M』という人物の存在を明かす。やがて恋人の美乃里(白石麻衣)が何者かに狙われていることを知った加賀谷は、やむなく浦野に捜査協力を依頼する」



前作となる「スマホを落としただけなのに」は、文学賞このミステリーがすごい!」大賞で隠し玉作品に選ばれた志駕晃のサイバーミステリーを実写映画化したものです。恋人がスマートフォンを紛失したことで、事件に巻き込まれる派遣社員の姿を描いていますが、主人公の稲葉麻美を北川景子が、その恋人を田中圭が演じました。続編となる「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」の冒頭は、麻美と恋人の結婚披露パーティーのシーンです。そこに招待客として、千葉雄大演じる加賀谷と白石麻衣演じる美乃里が訪れます。麻美が美乃里に「次はあなたたちの番ですね」と語りかけるシーンがあるのですが、それは、次は美乃里たちが「結婚する番ですね」ではなく、結果的に「狙われる番ですね」であり、「怖い目に遭う番ですね」となったのでした。



それでも、北川景子白石麻衣も「美人さん」なので、わたしは嬉しくなりました。なんだかんだ言っても、映画には美女が出演していないと楽しくありません。さらには「福岡で一番可愛い女の子」こと今田美桜まで登場して、目の保養といった感じです。特に結婚披露パーティーでドレスアップした北川景子白石麻衣の対決はまさに「美人さんvs美人さん」といった感じです。この2人の美のオーラに勝てるのは、もはや年増が好きなら若尾文子岩下志麻、若い子が好きなら広瀬すず浜辺美波の強力コンビぐらいではないでしょうか。わたしは、みんな好きですけど。(笑)



前作では、恐怖に脅える北川景子の表情がとても良かったです。本作でも、白石麻衣が恐怖に脅えますが、これまた非常に良い表情でした。ホラー映画というのはただ怖いだけでなく、「絶叫クイーン」という言葉に代表されるような美女の存在が欠かせません。中田監督の「リング」シリーズには、松嶋菜々子中谷美紀竹内結子深田恭子池田エライザ、清水監督の「呪怨」シリーズには、奥菜恵伊東美咲酒井法子新山千春市川由衣といった美女たちが恐怖の絶叫シーンを演じてくれました。



それにしても、こういうITをテーマにした映画は勉強になります。サイバーミステリーとしての前作「スマホを落としただけなのに」は、ITの専門家から見ると、ツッコミ所が多いと言われました。リアリティのない箇所が多いと揶揄されました。一方、ブログ「search/サーチ」で紹介した韓国映画はIT専門家たちにも受けが良かったようです。「スター・トレック」シリーズなどのジョン・チョーを主演に迎えたサスペンスで、失踪した娘を捜すために彼女のパソコンを操作する父親の姿を描いた作品です。ストーリーもよく練られていて、わたしもハラハラドキドキしました。



今回の「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」ですが、面白いことは面白いのですが、細部にリアリティの欠けた箇所がいくつかあって残念でした。「映画なんだから、少しぐらい現実離れしててもいいじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、ミステリー、ホラー、SF、ファンタジーといった非日常的な物語ほど細部のリアリティが大切というのが、わが持論なのです。本作の場合は、なんといっても囚人に嫌がらせで自分の小便を飲ませる刑事が登場したことが最大の汚点でした。その場面を見た瞬間、わたしは一気に引いてしまいました。いくらなんでも、やりすぎです!

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シネコンのトイレに張られたシール

 

他に、髪に特徴のある犯罪者が堂々と海外逃亡できるところなども気にはなりましたが、「小便刑事」のインパクトにはかないません。小便といえば、映画鑑賞後にシネコンのトイレに入ったら男性用小便器の前に本作のシールが貼られていました。QRコードも付いており。「映画の詳細はこちら!」「このQR、安全ですか?」と書かれていました。(笑)最後に、成田凌演じる連続殺人鬼・浦野には不思議な魅力を感じました。日本映画には珍しい名悪役になる予感がします。井浦新演じる新キャラクターも登場し、しばらくはシリーズ化されそうで楽しみです。

 

2020年2月23日 一条真也

「ミッドサマー」  

一条真也です。
21日、東京から北九州に戻りました。
働き方改革」会議に集まったサンレーグループの責任者たちとの懇親会に出席してから、レイトショーでこの日から公開された映画「ミッドサマー」を観ました。もちろん疲れてはいましたが、グリーフケアや儀式にも関係する内容だと聞いていたので、少しでも早く観ておきたかったのです。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「長編デビュー作『へレディタリー/継承』で注目されたアリ・アスターが監督と脚本を務めた異色ミステリー。スウェーデンの奥地を訪れた大学生たちが遭遇する悪夢を映し出す。ヒロインを『ファイティング・ファミリー』などのフローレンス・ピューが演じ、『ローズの秘密の頁』などのジャック・レイナー、『メイズ・ランナー』シリーズなどのウィル・ポールターらが共演」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「思いがけない事故で家族を亡くした大学生のダニー(フローレンス・ピュー)は、人里離れた土地で90年に1度行われる祝祭に参加するため、恋人や友人ら5人でスウェーデンに行く。太陽が沈まない村では色とりどりの花が咲き誇り、明るく歌い踊る村人たちはとても親切でまるで楽園のように見えた」



「ミッドサマー」という邦題ですが、映画の冒頭は「ミッドウィンター」というべき雪のシーンから始まります。物語の舞台となる北欧のスウェーデンの冬景色なのでしょうが、非常に寒々しい印象です。スウェーデンを代表する映画監督であるイングマール・ベルイマンアリ・アスターが敬愛しているそうです。その後、観客の心を凍りつかせるような出来事が起こります。主人公である女子大生ダニーの家族がガス漏れ事故で亡くなるのです。ダニー以外の家族、父親、母親、妹がガス中毒で死亡するのですが、家族の中で自分だけ取り残されたダニーの絶望は凄まじいほどでした。じつは、わたしは、しこたま酒を飲んでから映画館に入ったため、眠くなりました。しかし、心中に至る緊迫感溢れるシーンでは集中して鑑賞していたのですが、その後に少しだけ寝落ちしてしまいました。すると、なぜか自分が大学生の頃に戻って東京で一人暮らしをしており、郷里の父と母と弟が3人とも不慮の事故で亡くなる悪夢を見てしまいました。



そのスウェーデンのホルガ村には奇妙な風習や儀式が残っており、90年に1度行われる祝祭では老若男女を問わずに人々が白の衣装を着て踊り続けます。この白い衣裳、かつてのオウム真理教やパナ・ウェーヴの信者のように見えないこともありませんが、葬儀での死装束やお遍路の格好を見てもわかるように、「白」は異界に続く色なのです。わたしは白い衣裳で踊るホルガ村の少女たちを見て、1975年のオーストラリア映画「ピクニックatハンギング・ロック」を思い出しました。オーストラリアで実際に起こった謎の女生徒失踪事件を映画化した作品です。1900年2月24日、名門女子学園の生徒たちハンギング・ロックへとピクニックに出掛けますが、その中の数名が神隠しに遭ったかのごとく忽然と姿を消しました。白い衣装に身を包んだ美しい少女たちの姿と、全編をつらぬく幻想的なムードが強く印象に残っています。



「ミッドサマー」は、花と緑に包まれた幸福感溢れる状況の中で冷酷な殺人が行われるという恐ろしい話です。楽園かと思っていたら、地獄のような場所だったというのは「ザ・ビーチ」(1999年)を連想しました。レオナルド・ディカプリオ主演のミステリアス・アドベンチャーで、刺激を求めてタイのバンコクへとやって来たリチャード(ディカプリオ)はそこで、地上の楽園と呼ばれる伝説の孤島の噂を耳にするのでした。自由を求めて未開の地へ冒険する主人公を通して、現実感を喪失した現代のリアルな若者像を浮き彫りにしてゆく映画でした。楽園の住人ほど怖いものはないという設定は、本作「ミッドサマー」に通じています。



「ミッドサマー」の監督であるアリ・スターは、ブログ「ヘレディタリー/継承」で紹介した映画で長編デビューを果たしました。家長の死後、遺された家族が想像を超えた恐怖に襲われるホラーです。「ヘレディタリー/継承」の冒頭には、グラハム家の家長である老女エレンの葬儀の場面があります。予告編の印象から、わたしはエレンが魔女か何かで、その血統を孫娘が受け継ぐ話かなと思っていたのですが、その予想は完全に裏切られました。「継承」には、もっと深い意味があったのです。ちなみに、わたしは日常的に「継承」という言葉を使っています。一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の副会長として儀式継創委員会を担当しているのですが、儀式継創というのは儀式の「継承」と「創新」という意味なのです。

儀式論』(弘文堂)

 

「ヘレディタリー/継承」には葬儀の他にも、さまざまな儀式が登場します。それは死者と会話する「降霊儀式」であったり、地獄の王を目覚めさせる「悪魔召喚儀式」であったりするのですが、『儀式論』(弘文堂)を書いた「儀式バカ一代」を自認するわたしとしては、これらの闇の儀式を非常に興味深く感じました。そのディテールに至るまで、じつによく描けていました。ブログ「来る」で紹介した日本映画は和製儀式映画でしたが、「ヘレディタリー/継承」は西洋儀式映画と言えるかもしれません。



「ヘレディタリー/継承」は話題のホラー映画だったので早く観たかったのですが、北九州では上映されておらず、東京でも観る時間がなかったため、やむなく、一昨年の博多のシネコンで鑑賞しました。それが「ミッドサマー」は堂々たる全国ロードショーで、小倉のシネコンシネプレックス小倉」でも上映されました。2番目に小さいシアター9でしたが、23時終了のレイトショーにもかかわらずほぼ満員で驚きました。正直、わたしは「こんなTHEカルト映画みたいな作品、小倉の人は理解できるかな?」と思いましたけど・・・・・・。「ミッドサマー」を一言でいうと、じつに嫌な映画でした。ダニーが家族全員を喪失するというオープニングかたら「グリーフケア映画」の予感もしたのですが、その正体は「儀式映画」でした。それも、イカれた連中による狂気の儀式を描いた映画です。



イカれた連中による狂気の儀式を描いているといえば、1973年のイギリス映画「ウィッカーマン」があります。カルト映画として、あるいは「フォークホラー」の代表作として知られていますが、スコットランドに古くから伝わる原始的宗教が生き残る島を描いた、ミステリアスなフォークミュージカル風恐怖ドラマです。「ウィッカーマン」とは、ガリア戦記に記述されている柳の枝で編まれた巨大な人型の檻で、ドルイド教徒が生贄となる人間を入れて燃やしたものです。キリスト教以前のペイガニズムが信仰されるのどかな島で、熱心なキリスト教徒が異教徒に迫害される世界を描いています。



ウィッカーマン」は、2006年にニコラス・ケイジ主演、ニール・ラビュート監督でリメイクされました。その物語の構成は「ミッドサマー」によく似ています。「ウィッカーマン」に登場するドルイド教徒たちは生まれ変わりを信じ、太陽を信仰し、子供たちに生殖と豊作を願うための性的なまじないを教え、大人たちは裸で性的な儀式に参加します。「ミッドサマー」に登場するスコットランドの現地人たちも同じです。彼らも明らかにキリスト教以前の大地母神信仰の持ち主で、生殖と豊作を願うための性的なまじないを教え、大人たちは裸で性的な儀式に参加するのです。おそらくは、アリ・アスター監督は「ウィッカーマン」の影響を受けているのでしょう。



「ミッドサマー」には90年に1度の秘祭が登場しますが、わたしは沖縄県南城市にある久高島で12年に1度行われる「イザイホー」という秘祭を連想しました。久高島で生まれ育った30歳以上の既婚女性が神女となるための就任儀式です。この儀式を描いた映画が ブログ「久高オデッセイ」で紹介した作品です。製作者は「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生で、株式会社サンレーが協賛、わたしも協力者に名を連ねています。「ミッドサマー」に出てくる祭礼や儀式は興味深いことは興味深いのですが、カルト集団による麻薬や幻覚剤を用いており、狂気性が強調されています。来訪者の生命も奪います。こういう映画がホラー映画として人気を呼ぶと、世界中にまだまだ存在している珍しい祝祭や儀式に対する偏見が生まれたり、助長されてしまいます。

 

秘祭 (新潮文庫)

秘祭 (新潮文庫)

  • 作者:石原 慎太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/07
  • メディア: 文庫
 

 

じつは、ホラー小説のジャンルでも、近代国家が存在を許さなかった「邪教」が伝わる場所を舞台とした伝奇ミステリーは多いです。すなわち、辺鄙な地方に伝わる奇怪な風習を描いた作品で、民俗学的興味にあふれた「奇習もの」とでも呼べるジャンルです。多くの作品がありますが、たとえば石原慎太郎氏の『秘祭』などもその1つです。沖縄の離島とか、中国地方の山奥(横溝正史の世界がまさにそう!)とかに伝わる異常な怪奇習俗をテーマにしたものが多く、過疎地に対する悪質な偏見であると批判する見方もあるようです。鎌田東二先生も、明らかに八重山諸島を舞台とした『秘祭』には離島に対する差別意識があると憤慨されていました。


映画「ミッドサマー」も、辺境に伝わる奇怪な祝祭や儀式を描いていますが、お約束のようにイカれた地元民が登場します。もちろん「フォークホラー」というジャンルがあることは知っていますが、不愉快なことこの上ありません。わたしの2大テーマは「儀式」と「グリーフケア」ですが、家族を失った主人公がその喪失感から「うつ」になり、それを癒すためにも恋人たちと一緒に旅に出て変な儀式を執行するカルト集団に捕まったという笑えない物語になっています。これでは、「儀式」にも「グリーフケア」にも負のイメージが付着される映画としか言えません。しかしながら、大きなグリーフを抱いた「うつ」状態の人がカルトな新興宗教に入会するというのはよくある話なので、もしかすると、アリ・アスターはその危険性を訴えたかったのかもしれません。そういえば、この映画、アスター監督の実体験に基づくそうですが、これは興味が湧きますね。一体どんな体験?

 

2020年2月22日 一条真也

「彼らは生きていた」

一条真也です。
東京に来ています。
新型コロナウィルスの感染拡大で、20日に参加予定だった経営者コンプライアンス研修会が中止になりました。夕方の打ち合わせまで時間ができたので、前から観たかった映画「彼らは生きていた」を渋谷のシアター・イメージフォーラムで鑑賞しました。ブログ「1917 命をかけた伝令」で紹介した映画と同じく、第1次世界大戦の映画ですが、こちらはドキュメンタリーです。鮮やかにカラーで蘇った100年以上前の映像に驚嘆し、第1次世界大戦をリアルタイムで体験したような錯覚にとらわれました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
終結後、約100年たった第1次世界大戦の記録映像を、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどのピーター・ジャクソン監督が再構築したドキュメンタリー。イギリスの帝国戦争博物館が所蔵する2200時間を超える映像を、最新のデジタル技術で修復・着色・3D化して、BBCが所有する退役軍人のインタビュー音声などを交えながら、戦場の生々しさと同時に兵士たちの人間性を映し出す」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「第1次世界大戦中、戦車の突撃や激しい爆撃、塹ごうから飛び出す歩兵など、厳しい戦闘が続いていた。だが、死と隣り合わせの兵士たちも、時にはおだやかな様子で休息や食事を取り、笑顔を見せる」



この映画、ピーター・ジャクソン監督が、第1次世界大戦の記録映像を再構築して製作したドキュメンタリーです。第1次世界大戦の終戦から100年を迎えた2018年に、イギリスで行われた芸術プログラム「14-18NOW」と帝国戦争博物館の共同制作により、同博物館に保存されていた記録映像が再構築されました。そして、最終的に1本のドキュメンタリー映画として完成したのです。2200時間以上もある100年前の記録映像はモノクロであることはもちろん、無音でした。さらには経年劣化が激しく不鮮明でしたが、これを修復・着色するなどし、BBCが保有していた退役軍人たちのインタビューなどから、音声や効果音も追加しました。映画の冒頭はモノクロ・フィルムが延々と上映され、ちょっと眠くなってしまったのですが、開始から30分近くなって、突如として画面に色が着きます。そこからは、リアルタイムで戦争を目撃しているような感じでした。

 

ブログ「1917 命をかけた伝令」にも書きましたが、第1次世界大戦には、人間の「こころ」の謎を解く秘密がたくさん隠されているような気がしてなりません。毒ガスはもちろんですが、それ以外にも、飛行機・戦車・機関銃・化学兵器・潜水艦といったあらゆる新兵器が駆使されて壮絶な戦争が行われました。「PTSD」という言葉この時に生まれたそうですが、わたしは「グリーフケア」という考え方もこの時期に生まれたように思えてなりません。それは人類の精神に最大級の負のインパクトをもたらす大惨事だったのです。21世紀を生きるわたしたちが戦争の根絶を本気で考えるなら、まずは、戦争というものが最初に異常になった第1次世界大戦に立ち返ってみる必要があるでしょう。



「1917 命をかけた伝令」は非常にリアルな戦争映画であると思ったのですが、本物の戦争ドキュメンタリーである「彼らは生きていた」には到底かないません。「1917 命をかけた伝令」でリアルに感じた死体の描写も、「彼らは生きていた」はさらにリアルで、人間や馬の死体にたかるハエやウジまで写り込んでいます。ただでさえ悲惨な映像に色が着くと、スクリーンの向こうから死臭が匂ってくるようでした。過酷な戦場風景のほか、食事や休息などを取る日常の兵士たちの姿も写し出しており、死と隣り合わせの戦場の中で生きた人々の人間性を見事に描いています。いくら「戦争は悪である」と頭で考え、「戦争反対!」と口で叫んでも、この映画の圧倒的な迫力の前には無力です。



もしも、この映画が第1次世界大戦の終了直後に作られ、世界中で上映されたとしたら、第2次世界大戦は起こらなかったのではないでしょうか。それぐらいの説得力がありました。ベッドのない塹壕で寝ること、トイレのない場所で排泄すること、肥溜めに落ちても何週間も身体を洗えないこと、足が腐って壊疽となって切断すること、毒ガスで目をやられて見えなくなること、被弾して胸に穴が開いて呼吸できなくなること、前を歩いていた仲間の頭が吹っ飛ぶということ、まだ少年の敵兵を殺すということ・・・・・・わたしたちには想像もできない極限の状況が延々と続き、観客も次第に気が滅入ってきます。まさに究極の「リアル」がここにはあります。



20世紀は「戦争の世紀」であると同時に「映像の世紀」でもありました。「彼らは生きていた」はドキュメンタリー映画ですが、この作品を観ながら、わたしは映画の本質について考えました。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書きましたが、映画というメディアは、時間は超越するタイムマシンではないでしょうか。映画の原点とされるD・W・グリフィス監督の「イントレランス」(1916年)を日本武道館で初めて鑑賞したとき、徹底的にリアリズムを追求したセットと5000人もの大エキストラによって、あたかもわたしは実際に古代バビロン時代に撮影されたフイルムを見ている錯覚をおぼえました。そして、わたしはこの錯覚こそが映画の本質ではないかと思ったのです。



すぐれた映画において、観客はスクリーンの中の時代や国にワープし、映画のストーリーをシミュレーション体験します。これは過去でも未来でも関係ありません。「イントレランス」以後の作品では、「風と共に去りぬ」(39年)は南北戦争時代のアメリカに、「ベン・ハー」(59年)は古代ローマに、そして「ターミネーター」(84年)では2029年の近未来都市に、わたしたちはタイム・トリップできるのです。子どもの頃、黒澤明監督の「羅生門」(50年)は平安時代に、溝口健二監督の「雨月物語」(53年)は戦国時代に撮影されたものだと思っていたし、19世紀初頭のウイーンを描いた「会議は踊る」(31年)など、完全に記録映画だと信じていました。



映画という魔術によって、わたしは本物とシミュレーションの区別がつかない映像の迷宮に入っていくわけですが、「彼らは生きている」という本物のドキュメンタリー映画を観て、さらなる魔術にかかったような気がします。それは、死者と生者との垣根を超えるというか、彼岸と此岸に橋を架けるようなスピリチュアルな魔術です。この映画に登場する膨大な数の兵士たちは、すでにこの世の人ではありません。出演者全員が死者です。でも、その死者が動き、行進し、戦い、食べ、タバコを吸い、酒を飲み、笑う・・・・・・そんな姿を見ていると、まさに「彼らは生きていた」というより、「彼らは生きている」と感じてしまいます。実際、スクリーンの中で彼らは生きています。そして、それを現代の生者が観ることは、死者にとっての供養になるのではないでしょうか。



この映画を観た人の中には、スクリーンの中に自分の先祖を見つける人もいるのではないでしょうか。ちなみに、「1917 命をかけた伝令」は製作者の祖父の実話を基に作られたそうですが、「彼らは生きている」のエンドロールにも実際に従軍した「祖父に捧げる」という製作者のメッセージが流れます。今はすでに存在しないけれども、「彼らは生きていた」ということを確認することが、「彼ら」という死者にとって最大の供養になるのです。それは「彼ら」の生に意味を与えることです。考えてみれば、葬儀という営みも故人の人生に意味を与えることにほかなりません。この映画には無数の死体が登場しますが、戦場に放置された屍はけっして美しくはありません。というよりゴミのようにも見え、死者の存在は無意味に思えます。そこに彼という人間がこの世に存在したことを確認し、その人生を思い起こし、意味を与え、彼の死を悔やむ儀式が葬儀です。「無名兵士」という言葉がありますが、きちんと埋葬されなかった兵士の亡骸はそのまま土に還るだけでした。もし、この映画に映っている兵士で遺体が家族のもとに帰らなかった者がいるなら、この映画そのものが彼にとっての葬儀だったのではないでしょうか。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

それにしても、「彼らは生きていた」を観ると、戦争の悲惨さを思わずにはいられません。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で、わたしは、「20世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代だった」と述べました。何よりも戦争によって形づくられたのが20世紀だと言えるでしょう。もちろん、人類の歴史のどの時代もどの世紀も、戦争などの暴力行為の影響を強く受けてきました。20世紀も過去の世紀と本質的には変わりませんが、その程度には明らかな違いがあります。本当の意味で世界的規模の紛争が起こり、地球の裏側の国々まで巻きこむようになったのは、この世紀が初めてなのです。なにしろ、世界大戦が一度ならず二度も起こったのですから・・・・・・。


その20世紀に殺された人間の数は、およそ1億7000万人以上といいます。アメリカの政治学者R・J・ルメルは、戦争および戦争の直接的な影響、または政府によって殺された人の数を推定した。戦争に関連した死者のカテゴリーは、単に戦死者のみならず、ドイツのナチスなど自国の政府や、戦時中またはその前後の占領軍の政府によって殺害された民間人も含まれます。また、1930年代の中国など国際紛争によって激化した内戦で死亡したり、戦争によって引き起こされた飢饉のために死んだりした民間人を含みます。その合計が1億7180万人であるとルメルは述べています。



では、21世紀になると、人間は戦争で死ななくなったかというと、そんなことはありません。未だに世界の各地では紛争や戦争で多くの人々が死んでいます。この日に訪れたシアター・イメージフォーラムでは、「娘は戦場で生まれた」というイギリス・シリア合作映画の予告編が流れていました。カンヌ国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品です。今月29日からの公開ですが、機会があれば観てみたいと思います。それから、『ハートフル・ソサエティ』のアップデート版として『ハートフル・ソサエティ2020』を書き上げましたが、タイトルを『心ゆたかな社会』として、近く現代書林から刊行されることになりました。どうぞ、ご期待下さい!

 

2020年2月21日 一条真也