会計がわからなければ真の経営者にはなれない(稲盛和夫)

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一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、現代日本を代表する経営者である稲盛和夫氏の言葉です。企業における数値は会計という部門に集約されますが、稲盛氏は「会計がわからなければ真の経営者になれない」と喝破しました。わたしはこの言葉を知ったとき、それまで会計に関心の薄かった自分を猛烈に恥じ、会計の本を読みまくりました。

 

稲盛和夫の実学―経営と会計

稲盛和夫の実学―経営と会計

 

稲盛氏は著書『稲盛和夫実学』(日本経済新聞社)において、会計の重要性を力説しています。わたしたちを取り巻く世界は一見複雑に見えますが、本来は原理原則にもとづいたシンプルなものが投影されて複雑に映し出されているものでしかありません。これは企業経営でも同じです。会計の分野では、複雑そうに見える会社経営の実態を数字によってきわめて単純に表現することによって、その本当の姿を映し出そうとしているのです。 

 

稲盛氏は言います。もし、経営を飛行機の操縦にたとえるならば、会計データは経営のコックピットにある計器盤に表示される数字に相当する。計器は経営者たる機長に、刻々と変わる機体の高度、速度、姿勢、方向を正確かつ即時に示すことができなくてはならない。そのような計器盤がなければ、今どこを飛んでいるかわからないわけだから、まともな操縦などできない、と。

 

ですから、会計というものは、経営の結果を後から追いかけるだけのものであってはならないのです。いかに正確な決算処理がなされたとしても、遅すぎては何の手も打てなくなります。会計データは現在の経営状態をシンプルにまたリアルタイムで伝えるものでなければ、経営者にとって何の意味もないと、当世一の「経営通」と自他ともに認める稲盛氏は喝破します。

 

人は誰でも、自分の健康に関する数値データには敏感です。わたしも毎朝、体重と血圧を測ることを欠かしません。しかし、経営者たる者は、それ以上に自社の健康に関する諸々の数値データに最大の関心を示さなければなりません。人間でも会社でも、病に冒されたら、それは確実に数値データに表れます。数字は絶対にウソをつかないのです。なお、今回の稲盛和夫氏の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

 

 

2020年4月10日 一条真也

山の天候  

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雲が湧きあがってきて谷を覆ったせいで、深い谷もすっかり浅くなったように見える。雷が、空の上でまるで地面を走るような音を立てながら鳴り響いている。颯々と吹く風が、わたしの小屋を満たし、雨は音もなく烈風をまといながら降り続けている。(『納涼坊望雲雷』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2020年4月10日 一条真也

『世界は四大文明でできている』

シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ 世界は四大文明でできている (NHK出版新書 530)

 

一条真也です。
「緊急事態宣言」は「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!『世界は四大文明でできている』橋爪大三郎著(NHK出版新書)を読みました。「[シリーズ]企業トップが学ぶリベラルアーツ」の1冊です。ブログ『ふしぎなキリスト教』ブログ『世界は宗教で動いている』ブログ『ゆかいな仏教』ブログ『正しい本の読み方』で紹介した本も書いている著者は1948年、神奈川県生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1995~2013年、東京工業大学教授。

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本書の帯

 

本書の帯には、ホワイトボードを前に講義をする著者の写真とともに、「中谷巌氏主宰の『不識塾』。有名企業の幹部に向けた白熱講義、新書化!」「『キリスト教文明』『イスラム文明』『ヒンドゥー文明』『中国・儒教文明』世界63億人の思考法を一気につかむ!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「宗教をベースに、四大文明圏の人びとの行動原理を明快に説く。これが『本物の教養』だ!」として、以下のように書かれています。

キリスト教文明圏で自然科学が発達した秘密とは?

・IPS細胞、LGBT、市場のメカニズム――

 キリスト教文明圏ではどう捉えられているか?

英米法と異なるイスラム法の特徴とは?

カースト制度はなぜ3000年も続いたのか?
    そのメリットは?

儒教中国共産党はどのような関係にあるのか?

四大文明圏に属さない日本は、

 グローバル世界でどう振る舞うべきか?

 

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
ビジネスパーソンこそ『リベラルアーツ=本物の教養』を学べ!『キリスト教文明』『イスラム文明』『ヒンドゥー文明』『中国・儒教文明』――現下世界を動かす四大文明の内実とは? 各宗教が文明圏の人びとの考え方や行動にどのような影響を与えているのかを明快に説く。世界63億人の思考法が一 気につかめる! 有名企業の幹部に向けた白熱講義を新書化するシリーズ、第1弾」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」(「不識塾」塾長 中谷 巌)

第1章  世界は四大文明でできている

第2章  一神教の世界
               ヨーロッパ・キリスト教文明と、イスラム文明

第3章    ヒンドゥー文明.

第4章    中国・儒教文明

第5章    日本と四大文明

「参考文献」

「あとがき」

 

「はじめに」で、著者はリベラルアーツの重要性を訴えます。リベラルアーツ(liberal arts)とは、かつてヨーロッパの大学で学問の基礎とみなされた七科目のことで、現在は広く「人を自由にする学問」とされています。著者が塾長を務める「不識塾」では、ビジネスパーソンが習得すべきリベラルアーツを「日本という国の文化、歴史をしっかりと理解すること。自国のことを深く知ること」、「海外の人たちの価値観や行動原理を、歴史や哲学、宗教の理解をとおしてきちんと把握すること」の二本の柱に即して考えているそうです。これは、わたしが主宰する「平成心学塾」の考え方と完全に一致します。

 

では、なぜ今、リベラルアーツなのでしょうか?
著者は、以下のように述べています。
グローバル化といっても、単に英語ができればいいというわけではもちろんありません。身近な例を挙げます。1時間のビジネスミーティングで、外国人とさまざまな交渉をするとき、その半分くらいは雑談です。実はこの雑談こそ重要なのですね。相手は雑談を通じて、貴方の「品定め」をしているからです。これで自らを信頼に足る人間としてアピールできるかどうかが、その後のビジネスに大きく影響するわけです」

 

ところが、多くの日本人は雑談が苦手であると指摘し、著者は「自らのアイデンティティについての意識が希薄なので、自分をうまく相対化して語ることができない。相手の国の歴史も宗教も理解していないので、相手の琴線にふれる話ができない。私の知り合いの外国人はかつて、日本人のビジネスパーソンはまじめで能力も高いけれど、あまりにも話題が貧困で、世界に通用する常識というものを持っていないと嘆いていました。反面、欧米のエリート層は若い時からリベラルアーツ教育ですごく鍛えられています」と述べます。

 

続けて、著者は「こんな例からも、歴史や宗教にもっと関心を持たないと、グローバルな場に出ていってもまったく話にならないことがわかるでしょう。企業トップのみならずあらゆるビジネスパーソンに、リベラルアーツを身につけていただきたいのです」と述べます。日本では、戦後の実学志向のなかでリベラルアーツ教育は軽視されてきましたが、幸いこの数年で風潮が変わり、大手企業でも人事研修のときは、リベラルアーツを組み込まないとまずいという感覚が芽生えてきたといいます。著者は「リベラルアーツは経営トップだけが学べばいいということでは決してなく、あらゆるビジネスパーソンにとって、いや、誰にとっても必要な人生の栄養素です」と述べています。

 

第1章「世界は四大文明でできている」の冒頭を、著者は「世界の四大文明」として以下のように書きだしています。
「21世紀は、『グローバル化』の時代です。
グローバル化』(globalization)とはなにか。世界が、ひとつになった。でも、世界の人びとがひとつに『融合』したわけではない。違う種類の人びとのまま、「隣人」になった、ということです。『人』だから、トラブルも起こります」

 

また、著者は「いま世界には、4つの集団ができました」として、「ひとつが、10億人、20億人という巨大な集団です。左から順番に、ヨーロッパ・キリスト教文明。ヨーロッパを中心に、新大陸にも拡がっています。これがいちばん人数が多い。そして、ここ500年、人類をリードしている有力なグループです。人数は、25億人。キリスト教をベースにしています。2番目は、イスラム文明。中東(ミドル・イースト)という場所を中心にしています。が、中央アジア、アフリカの北半分、インドの両脇。東南アジア(マレーシア、インドネシア)にも拡がっている。15億人です。イスラム教をベースにする。3番目は、インドの、ヒンドゥー文明。人数は、10億人。ヒンドゥー教をベースにしています。最後、4番目は、中国の儒教文明。人数は、13億人。儒教をベースにしています」と、世界を俯瞰します。

 

このように世界の四大文明は、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教儒教といった宗教をベースにしています。「宗教とはなにか」として、著者はまず、「文明」(Civilization)とはなにかと問いかけ、「文明とは、多様性を統合し、大きな人類共存のまとまりをつくり出すものです。文明の特徴は、文字をもつこと。法律や社会制度が整っていること。帝国のような政治的まとまりや、教会のような宗教的まとまりをもっていること。暦や、生産技術や、軍事力や、経済活動や、貨幣や、交通などの社会インフラや、・・・をそなえていること。歴史学の本には、そう書いてあります」と述べます。

 

文明とは、ばらばらになってしまう人々の多様な社会(個別の文化)を、それより高いレヴェルに統合する試みであると言えます。では、「文化」とはなにか。著者は
「文化は、民族や言語など、自然にできた人びとの共通性にもとづいています。それに対して、文明は、多くの文化を束ねる共通項を、人為的に設定することです。文明のほうが文化より、レヴェルが高いのです。ではなぜ、世界の四大文明は、どれも宗教をベースにしているのか。それは、宗教が、個別の言語や民族や文化を超える、普遍的な内容のものだからです。『普遍的』(universal)とは、時間や空間に限定された特殊なものでなく、もっと一般的だ、という意味です」と述べています。

 

かりに、これらの宗教がなかったら、どうなるか。
この問いについて、著者は、「人類は、文明という大きなまとまりを形成することができずに、言語や人種・民族や文化ごとに、もっと小さなまとまりをつくるしかなかったでしょう。10億人~20億人といったサイズではなく、100万人とか、1億人とかいったサイズになります。すると、となりの集団とは共通点がないので、争いになり、人類はもっと混迷を深めていたはずです。宗教は、世界の平和に貢献しているのです。これを踏まえて、宗教の機能を、つぎのようにのべることができます。《宗教とは、人びとが、同じように考え、同じように行動するための、装置である。》」と答えています。

 

さらに、著者は「正典(カノン)」として、「日本人があまり意識しない、宗教文明のポイントがあります。それは、どの文明も、正典をそなえていることです。正典がある。これが、世界標準なのです。日本には、正典がない。大変だ、世界標準に外れている、と思わなければならない。正典とは、なにか。ラテン語でいえば、カノン(canon)。規準になるテキスト、という意味です。カノンはもともと、ものさし、という意味でした。それが、規準という意味になり、音楽では『繰り返し形式』という意味になり、正典という意味になります。なお、聖典(holy scripture)という言葉もあります。似ていて、重なる部分もありますが、キリスト教では『聖典』は聖書のこと、『正典』は教会法のこと、と使い分けていました」と述べています。

 

 

ユダヤ教の『旧約聖書』、キリスト教の『新約聖書』、イスラム教の『クルアーン』、ヒンドゥー教の『ヴェーダ聖典』、儒教の『五経』・・・・・・宗教ごとに正典は違っていて、その内容もさまざまです。けれども、その機能からみると、これらの正典はすべて、共通していると、著者は述べます。それは、どの正典も、《人間は、このように考え、このように行動するのが、正しい。》と述べているというのです。その宗教を信じる人びとにとって、正典とは正しさの規準になるのです。

 

クルアーン:やさしい和訳

クルアーン:やさしい和訳

 

 

それでは、正典にはどういう効果があるのか。
著者は、「同じ正典を参照する人びとが、『同じように考え、同じように行動する』ので、相手に対する予測可能性が高まります。どう考え、どう行動するか、読めるようになるのです。予測可能性が高まると、仲間として、協力しやすくなります。ビジネスができます。同じ法律に従うこともできます。一緒に、政府(帝国)をつくることもできます。教会や官僚組織のような、大きな機構をつくることもできます。軍隊を組織することもできます。文化・芸術を花開かせることもできます」と述べます。

 

このように、正典があれば、総じて、文明の名に値する、さまざまなよいことを行なうことができるのです。ひと口で言うなら、正典の機能は「相手の予測可能性を高める」という点にあります。著者は、「正典は、古い書物で、人間が書いたのではないと考えられている。それを書き換えることができる人間も、いないと考えられている。ゆえに、正典は、変化しません。変化しない規準として、社会を『固定化』する作用があります」と述べています。

 

さらに著者は、「グローバル世界の課題」として、以下のように述べています。
グローバル化する世界を前に、宗教を学ぶ意味はなにか。もう明らかでしょう。ビジネスも、外交・安全保障も、文化芸術も、世界の異なる文明に属する人びとがパートナーです。パートナーの考え方や行動様式を、理解し、予測する。国際社会でなにかしようと思うとき、まっ先にやるべきことではないでしょうか」

 

第4章「中国・儒教文明」では、「儒家の誕生」として、著者は孔子について、「孔子の業績は、大きく2つあります。第1に、古典を編纂したこと。当時、漢字で書かれた古い書物が多く伝わっていました。孔子はそれを収集し、整理し、編纂した。孔子が着手し何世代かかかってまとまったのが、儒教の経典です。第2に、教育のシステムを考え、学校を開いたこと。孔子の学校は、プラトンアカデメイアより古く、世界最古だと言えます。漢字は、習得するのに、訓練が必要な文字です。孔子の学校システムは、中国で必須のものでした」と述べています。

 

論語 (岩波文庫)

論語 (岩波文庫)

 

 

儒教のテキストといえば、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書、それに五経があります。著者は以下のように述べています。
儒教のテキストは、もっともランクの高いのが、経。そのつぎが、論。その注釈が注、疏です。易経書経詩経礼記、春秋を五経といいます。孔子の言動を弟子がまとめた『論語』は、論でした。のちに孔子が、聖人とみなされるようになると、経にかぞえられるようになりました」

 

ここで「聖人」という言葉が登場しました。
「聖人君子」として、著者は、「儒教の主張を要約すると、『立派な政府をつくり、よい政治をしましょう』です。なかみから言えば、政治学としか思えない。にもかかわらず、儒教は宗教だと考えられます。第1に、皇帝が天を祀っている。天を祀る儀礼は、儒教の宗教儀礼です。第2に、人びとが祖先を祀っている。祖先を祀る儀礼は、儒教の宗教儀礼です。天も、祖先も、目の前にはいない。宗教的な対象なのです」と述べています。「聖人君子」とはすなわち、「経をはじめとする古典を学びましたから、私(君子)を政府職員として採用してください」なのです。これこそ儒教の本質であると、著者は強調します。

 

第5章「日本と四大文明と」では、著者は「はじめに」に続いてここでも「多様性を抱えているがゆえに、普遍性を強調する。これが、文明なのです」と強調しています。そして「カミと仏」として、「日本人は、宗教と文明をめぐって、何を考えてきたのでしょうか。日本人にとっての、重大問題。それは、仏と、カミと、天皇と、この関係をどう考えるかということでした。中国文明接触してからの1500年あまり、日本の知識人たちはこのことを、考えてきたと言っていいのです」と述べます。

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

 

 

では、カミとは何か。著者は、国学者本居宣長の整理によれば、カミには3種類あるとして、「第1は、古事記日本書紀に出てくるカミ。第2は、神社に祀られているカミ。たとえば菅原道真は、天神さまとして祀られているが、古事記日本書紀には出てこない。豊臣秀吉徳川家康明治天皇靖国の英霊、乃木希典東郷平八郎、なども神社に祀られているが、やはり古事記日本書紀には出てこない。第3。これが、宣長の説明の、キモです。人間でも、動植物でも、海や山のような自然でもよいので、なにかが平均値を逸脱していて、こちらが感動して『あはれ』と思ってしまう場合を、カミというのである」と説明します。人間が規準だから、いいカミ、悪いカミが存在するわけですね。

 

 

本居宣長について、著者は、「宣長の特筆すべき業績は、古事記を科学的な方法で読解したことです。徂徠は、儒教の古典を、古代の外国語と考えよ、と教えた。宣長は、同じ視線を、日本の古典に向けます。古事記は、漢字で表記されているが、書かれているのは、無文字時代にさかのぼる口誦伝承である。音を写し取った万葉仮名の部分は、温故知新をウェングージーシンと読んだのと同じことになる。古代の言語が、漢字を通して、現前しているのだ。文例を集め、この古代の言語を復元しよう。連立方程式を解くような、精密で根気のいる作業である。そこから古事記の、正しい意味が浮かび上がって来る」と述べています。

 

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

 

 

このように、本書は世界の四大文明から日本の文化まで、じつにわかりやすく理解できる内容となっています。特に宗教についての説明が秀逸です。著者の師は評論家の小室直樹氏ですが、小室氏には『日本人のための宗教原論』という著書があります。わたしも何度となく読み返した大変な名著です。本書を読んで、わたしは「さすがに小室直樹の一番弟子が書いた本だ」と感心しました。また、正典や聖典に対する著者の見方は『儀式論』(弘文堂)の姉妹本として『聖典論』の執筆を構想しているわたしにとって非常に参考になりました。

 

 

2020年4月9日 一条真也

スーパームーン

一条真也です。
福岡県に緊急事態宣言が発令された翌日の8日、小倉の自宅からスーパームーンを見上げました。今年最大の満月がよく見えました。夜空の月は日本のみならず、中国も、アメリカも、ヨーロッパも、中東も、アフリカも照らしてくれます。わたしは、スーパームーンに向かって合掌しました。そして、国内で103人、世界で8万人以上となった新型コロナウイルスで亡くなられた方々に心からの祈りを捧げました。

f:id:shins2m:20200408223500j:plain小倉の自宅から見たスーパームーン

 

この日、国内で新型コロナウイルスへの感染が確認された人が503人となり、1日に感染が確認された人数がはじめて500人を超えました。不安な日々が続くというか、不安がますます増大している印象ですが、夜空の満月を眺めていると、不思議と安らかな気分になってきます。それは月が、わたしたちの魂の故郷だからであると思います。

f:id:shins2m:20200408223241j:plain強烈な光を放っていました

 

多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然でしょう。世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きており、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月なのです。



 わたしは、故人の霊魂を霊座(レーザー)光線に乗せて月へ送る「月への送魂」という儀式を提唱し、デモンストレーションを行っています。「葬」という字には草かんむりがあるように、草の下、つまり地中に死者を埋めるという意味があります。「葬」にはいつでも地獄を連想させる「地下へのまなざし」がまとわりついているのです。一方、「送」は天国に魂を送るという「天上へのまなざし」へと人々を自然に誘います。「月への送魂」によって、葬儀は「送儀」となり、お葬式は「お送式」、葬祭は「送祭」となります。そして「死」は「詩」に変わります。

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慈経 自由訳』(現代書林)

 

わたしは『慈経 自由訳』(現代書林)を上梓しましたが、ブッダは8月の満月の夜に「慈経」を説いたと伝えられています。満月は、満たされた心のシンボルなのです。「月の経」の別名を持つ「慈経」を重視するミャンマーなどの上座仏教の国々では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。



仏教のみならず、神道にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。そのように、わたしは考えています。月こそは宗教も民族も超えた「世界平和」のシンボルではないでしょうか。そして、満月の夜にブッダによって説かれた「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれます。わたしはスーパームーンに向かって合唱し、「慈経」を唱えながら、新型コロナウイルスで亡くなったすべての死者の御冥福を祈りました。

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この第3弾が出ます!

 

今夜、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生との満月の夜のWEB往復書簡である「ムーンサルトレター」を交換しました。2005年10月20日の夜にわたしが第1信を書いてから、ちょうど丸15年の第180信になります。第1信から第60信までは『満月交感』、第61信から第120信までは『満月交遊』にまとめました。第121信から第180信までは、『満月交心』のタイトルで今秋までに刊行したいと思っています。お楽しみに!
今宵のスーパームーンが、世界中の悲しみを和らげてくれますように。そして、1日も早く新型コロナウイルスの感染拡大が終息し、世界に平穏な日々が訪れますように。

f:id:shins2m:20200408223500j:plain世界に平穏が訪れますように・・・・・・

 

2020年4月8日 一条真也拝 

『洞窟壁画を旅して』

洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年

 

一条真也です。
「緊急事態宣言」は「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!『洞窟壁画を旅して』布施英利著(論創社)を読みました。「ヒトの絵画の四万年」というサブタイトルがついています。美術批評家・解剖学者の著者は1960年生まれ。東京藝術大学美術学部卒業。同大学院博士課程修了(美術解剖学専攻)。学術博士。その後、養老孟司教授の下での東京大学医学部助手(解剖学)などを経て、現在に至る。解剖学と美術が交差する美の理論を探究。これまでの著書には、28歳の大学院生のときに出した『脳の中の美術館』を皮切りに、『構図がわかれば絵画がわかる』『遠近法がわかれば絵画がわかる』『色彩がわかれば絵画がわかる』の三部作、『人体 五億年の記憶』『子どもに伝える美術解剖学』など約50冊があります。 

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本書の帯

 

本書の帯には「ヒトはなぜ、絵を描くのか?」と大書され、続けて「ショーヴェ洞窟壁画、ラスコー洞窟壁画、レゼジー村洞窟壁画群人類最古の絵画を、美術批評家の布施英利が息子と訪ねた二人旅。先史時代の絵画から人間はなぜ絵を描くのかという根源的な問題について、旅の中で思索する。その先に見えた答えとは?」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」には、「東京芸大で美術を専攻し、さらに養老孟司の元で解剖学を学んだ美術解剖学スペシャリスト、数多くの著作もある布施英利は、以前からラスコーなどの壁画群を見て、絵画の根源を探ろうと考えていた。そして2017年夏、美術を専攻する息子を伴い、洞窟絵画を探る旅に出た。日本の古墳壁画や星野道夫のアラスカの写真などと比較しながら、絵画の本質は何かを考察する。旅の記録とその考察が文体を変えて交互に現れ、人はなぜ絵を描くのか?という問題に迫ろうとする」とあります。

 

また、アマゾンの「出版社からのコメント」には、「フランスにある3万6000年前のショーヴェ洞窟壁画、2万年前のラスコー洞窟壁画、さらにドルドーニュ地方レゼジー村の洞窟壁画群。 それら人類最古の絵画を、解剖学者・美術批評家の布施英利が息子と訪ねた二人旅。先史時代の絵画を幼児の絵画とも重ねつつ、ヒトはなぜ絵を描くのか、という根源的な問題について、旅の中で思索する。その先に見えた答えとは」とあります。

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

第一日 最も古い絵画……明日香村・キトラ古墳壁画へ

第1章 夜の語り
……旅の準備として「先史時代の洞窟壁画」についての、

第二日 ショーヴェ洞窟壁画への旅……人類最古の絵画

第2章 夜の語り
……ネアンデルタール人と絵画の起源をめぐる、

第三日 旅の途中……中世ロマネスクの村へ

第3章 夜の語り……西洋美術の歴史をめぐる、

第四日 レゼジー村の洞窟壁画への旅
……本物の洞窟壁画を見る

第4章 夜の語り
……写真家・星野道夫のアラスカをめぐる、

第五日 ラスコー洞窟壁画への旅
……ラスコー2とラスコー4

第5章 夜の語り……狩猟と解体の世界をめぐる、

第六日 パリへ……そして旅の回想

最終章 ヒトの絵画の四万年

「参考図書」

 

「はじめに」の冒頭を、著者は「これは、先史時代の洞窟壁画についての本です。1万数千年前とか、4万年前とかに洞窟の壁に描かれた絵画は、これまで自分が世界の美術館や遺跡、寺院などで見てきた芸術作品のなかで、いちばん心を動かされたものの1つです。ヒトが絵画を描くということを、これほど純粋に、これほど力強く描いた絵というのは、他にあまりありません」と書きだしています。

 

続いて、著者は、「この本は、2017年の夏、私と息子の琳太郎が、フランスの先史時代の洞窟壁画を見に行った旅行記です。その夏、フランス南西部のレゼジーという村や、ヴァロン・ポン・ダルクという村に、レンタカーを借りて息子と2人旅をしました。途中、中世の寺院に立ち寄り、また旅の始まりと終わりには都市に滞在し、イタリアのミラノや、パリの美術館で、レオナルド・ダ・ヴィンチを始め、たくさんの美術作品を見ました。そういう旅のあれこれが、この本では綴られます」と書いています。洞窟壁画を求めて息子さんと2人旅なんて、最高に素敵ですね!

 

第一日「最も古い絵画……明日香村・キトラ古墳壁画へ」では、奈良県高市郡明日香村の南西部の小高い丘の上にあるキトラ古墳について、著者は、「古墳とは、いうまでもなく、死者の亡骸を収めるための場所だ。その棺が置かれた石室の壁に絵が描かれ、天井は、金の点々が輝く星座の絵になっている。だから棺の中の死者は、星空の下で宇宙空間に包まれている、ということになる。生前は、たとえ大変な権力者であっても、目の前の悩みに翻弄されてもいただろう。人は『ここ』の苦しみの中で生きている。しかし死後は、そういう些事も消えて、遥かなる宇宙という『かなた』の世界に包まれる。キトラ古墳の天井画パネルを見ながら、死者に星空というのは、よく似合う組み合わせだ、とそんなふうに考えた」と書いています。

 

その星が描かれた石室空間には、棺の中に死者が安置されていました。著者は、「壁画も、棺も、その他の装飾品も、どれも人工物だが、その古墳の石室内に、1つだけ、人工物ではない、自然のものがある。それが棺に収められた死者だ。死体だ。キトラ古墳の石室には、星座に包まれた幻の光景がある。それと対峙するように、そこには死体がある。死者を祀るために、美しく飾り立てられた、美術館のような空間だ」と述べています。

 

ふと、著者の頭には「死体と星座の美術館」という言葉が浮かんできました。音の数を数えたら12あります。十二支のように、12の音が作る言葉の「死体と星座の美術館」、それが自分が見たキトラ古墳を要約しているようにも思えました。著者は「そこは、死体と星座がある美の空間なのだ」と書いています。

 

第1章「夜の語り……旅の準備として『先史時代の洞窟壁画』についての、」では、後期旧石器時代について、著者は次のように年代を付けて整理しています。

 

 オーリニャック文化(4万年~3万4000年前)

         

 グラヴェット文化(3万4000年~2万5000年前)

         ↓

 ソリュートレ文化(2万5000年~2万年前)

         

 マドレーヌ文化(2万年~1万4500年前)

 

著者は、この4つの文化の特徴を、それぞれ簡単に、「オーリニャック文化を代表するのが、ショーヴェ洞窟の壁画で、小さな彫刻の女性像や動物像も作られました。次のグラヴェット文化は、歴史の教科書でもご存知の『ヴィレンドルフのビーナス』をはじめ、ビーナス像が増加した時代です。そしてソリュートレ文化の時代には、石器が印象的で、薄い葉っぱのような形の、左右対称の精巧な石器が作られました。最後のマドレーヌの文化を代表するのがラスコー洞窟壁画で、写実的で洗練された洞窟壁画がたくさん残されました」と説明しています。

 

ラスコー洞窟について、著者は「初めてラスコー洞窟壁画を見に行ったのは、2003年の年の暮れのことでした。はっきり年月を覚えているのですが、それはちょうどサダム・フセインが拘束され、そのニュースが世界を駆け巡っているときだったからです。旅先のフランスのどの町でも、雑誌の広告の巨大なポスターに、サダム・フセインの髭を伸ばしやつれた顔写真がありました。かつてサダム・フセインは、自身の権力誇示のプロパガンダのため、イラクの国中の街角に、自身の肖像画を立てていましたが、逮捕のニュースによって、彼の顔はイラクだけでなく世界中の町に、あたかもプロパガンダ肖像画のようにばらまかれたのです」と述べています。

 

続けて、著者は、「その光景だけ見れば、サダム・フセインは世界制覇という自信の野望を、メディアを通して成し遂げた、というふうに見えなくもありませんでした。その頃、フランスを旅しながら、そんなことを考えていたのですが、それはラスコー洞窟壁画を見に行こうという自身の目的とも無縁の話ではなく、ビジュアルによって何かを伝えるという、先史時代の壁画と、現代のメディアの広告の共通点を、どこかで感じていたからでもあります」と述べます。とても興味深い指摘だと思います。

 

スペイン北部にあるアルタミラ洞窟の近くには、アルタミラ洞窟壁画のレプリカがあります。これについて、著者は、「見上げると、そこにはウシなどの動物の絵が描かれています。上にあるので、動物が浮いているようにも見えます。宙に浮遊する動物たち。それを見ていて、何かに似ているな、と思いました。・・・・・・? そうだ、星座ではないか。星座には、おうし座とか大熊座とか、動物の形をしたものが多い。アルタミラの洞窟壁画に描かれているのは、動物ではなく、星座なのではないか(もちろん、動物でもある)。そう思うと、見上げている天井に描かれた絵がしっくりとしました」と述べています。

 

続けて、「後日、画家の千住博さんに『アルタミラ洞窟壁画に描かれているのは、星座ではないかと思った』とメールのついでに書いたら、千住さんから『そうなんです! 洞窟壁画は、先史時代のプラネタリウムだと、自分も考えています』という返事がきました。頭の上に浮遊している動物なんて、鳥はともかく、いないし、見上げると動物の姿が見える、というのは、やはり星座なのではないでしょうか。もちろん、それを確証できる根拠なんてありませんが、『夜の思索』としてなら、そういう見方があっても、悪くはないのではないでしょうか」とも述べています。「夜の思索」とは、ロマンティックですね!



スペインの旅は、バルセロナから入り、著者はそこでアントニオ・ガウディの建築を見ています。不定形の窓枠、斜めに伸びる柱、過剰な装飾など、ガウディ建築はまるで人工の洞窟のようでした。著者は「まずこういう洞窟空間があって、それから近代になってガウディの建築が現れたのですね。そのガウディを凌駕するような空間で、何万年も前に、おそらく何千年間にもわたって、壁画が描かれ、そして音楽や踊りや、宗教的あるいは政治的な儀式(の原型のようなこと)が行われてきたのです。私たちの芸術も、宗教も、哲学も、すべてが長い長い時間の中で、こういうところで培われてきたのです」と述べています。わたしも哲学・芸術・宗教はすべて洞窟の中から生まれてきたと考えているので、著者の意見に同感です。

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「エル・カスティーリョ洞窟の壁画を見て、何より驚いたのは、それが古い芸術を指し示すことのある言葉、『プリミティブ』というものとはまったく違い、洗練された線、洗練された形の把握、洗練された動きや空間の把握で描かれていることでした。炭で描かれたウシの顔の絵を見ながら、いまの美大受験生が木炭デッサンで修練した果てに獲得できる線や形のリズムと同じ造形性が、いや同じではなく、それより高いクオリティの描写がそこにあり、その造形的なテクニックに、いったいかつてのクロマニョン人は、どのようにしてその技術を身につけたのかと、こちらの想像力を超える世界が展開されていました」

 

第二日「ショーヴェ洞窟壁画への旅……人類最古の絵画」では、ブログ「世界最古の洞窟壁画」で紹介したショーヴェ洞窟が紹介されます。フランスのヴァロン・ポン・ダルクという村の近くにありますが、著者は、「壁画は、1994年に発見された。洞窟の名前は、発見者の洞窟学者ジャン=マリー・ショーヴェの名にちなんだものだという。壁画は、3万6000年前の、オーリニャック期に属するもので、洞窟内には1000点ほどの絵が残されている。現在のところ、世界最古の絵画、とも考えられている。稚拙な絵はほかにもあるかもしれないが、自分が旅した2017年現在、少なくとも世界最古のもっとも『優れた』絵画だ。いま、世界のどこに行っても、これ以上古く素晴らしい絵はない。だから、フランスまでやってきたのだ」と述べています。

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「ショーヴェ洞窟の壁画が発見された後、2000年にイタリアのブロンボス洞窟で、7万5000年前と考えられる幾何学模様が刻まれた石が発見されたが、稚拙な三角形模様を重ねたもので、それに比べるとショーヴェ洞窟の壁画は、圧倒的な描写力に溢れ、ともあれ、『すばらしい絵画』としては、4万年近く前に描かれたショーヴェ洞窟の壁画が、いまは人類最古といって間違いがない」

 

著者は、かつて訪れた古代ギリシアの遺跡について、「デルフォイやバッサイという、神殿がある聖地は、どこも高い山の上にあった。とても人が日常生活を送れるようなところではない。いまは舗装された道を車で行くことができるが、当時は、たいへんな山道を登って、ようやくたどり着いたことだろう。そんな山の上に、デルフォイやバッサイの神殿はあった。山は、山並みとして続いているので、神殿がある山の上に立って見ると、向かいの大きな山が見える。その上には、大きな空が広がっている。夜には、星があふれていたことだろう」と述べています。ギリシアの神殿のある土地に立って、著者は「ここは、地上で宇宙にいちばん近い場所だ」と思ったそうです。アテネの街の中にあるパルテノン神殿でさえも、アテネの街から見れば、街の中にある丘の上に建っています。神殿を見上げると、神殿の背後には空があり、夜は星空と一体化して見えるのでした。

 

先史時代の洞窟壁画があるロケーションも、まったく同じ地形でした。著者は、「聖地が山の上にあるというのは、古代文明の時代に始まったことではなく、有史以前の先史時代でも、すでにそうだったのだろう。自分(と息子)は、ショーヴェ洞窟がある荒々しい山の光景を眺めながら、壁画を描いた人が持っていた、崇高さへの畏れ、風景を見る眼のことを想った。壁画は、たんに洞窟の壁や天井に描かれた絵ではなくて、その洞窟の外側に広がる大自然と、宇宙と、きっと呼応していたのだ」と述べ、さらには「先史時代の洞窟壁画は、現代の画家でさえもなかなか到達できないような、高度な絵画の境地に至った驚くべき絵も多い。ここ100年ほどに存在した現代の画家で、それに匹敵する力量を持ったのは、ピカソくらいではないか、いや『ピカソ以上ではないか』と思えるほどの発想力と描画力によって描かれた絵画が、洞窟のあちこちに見られるのだ」と述べるのでした。

 

第3章「夜の語り……西洋美術の歴史をめぐる、」では、著者は「それにしても、なぜヒトは絵を描いたのか?」という問いを立て、「それは芸術のための芸術として絵を描いたのだとか、多産や豊猟を願っての実用的な祈りだったとか、呪術や神への恐れであったとか、いろいろな意見が言われます。しかし『何のために』など、そもそもなくて、『はじめに絵が描かれた』と考えたらどうでしょうか。絵画は、何かのためにあるのではなく、クロマニョン人の身体へ進化という、器用な手と複雑な働きをする脳と、目の能力によって、ふと生まれたものであったとしたら。つまり絵画実存主義とでもいうべきか、絵画の存在が、絵画の本質に先立つとしたら。私には、そんなふうに思えます」と述べています。

 

第四日「レゼジー村の洞窟壁画への旅……本物の洞窟壁画を見る」では、著者ピカソのあるエピソードを紹介しています。ピカソが列車で旅をしていたとき、前の席に座っている紳士から声をかけられました。ピカソは有名人ですから、すぐに素性がバレてしまいますが、その日も見知らぬ他人から、ピカソさん、と声をかけられ、「ピカソさん、あなたの絵は、何が描かれてあるか、さっぱりわからない」と言われます。ピカソはそれに対して、逆に、「では、あなたが考える、わかる絵とは、どんなものですか」と尋ねます。その紳士はポケットから妻の写真を出し、「たとえば、こんなところに」と言いました。

 

写真みたいな絵が「わかりやすい絵」だと、その紳士は言うのです。それを見たピカソは、「へー、あなたの奥さんは、ずいぶん小さいのですね。それに平べったい」と答えました。これについて、著者は「ピカソは、写真などと言うものは『写真』に過ぎず、それはリアルとは別のものだと考えた。それはピカソが考えるリアルな絵と言うものと裏返しのもので、絵というのも世界を単に写し取ったものではなく、絵画という描き方とサイズに、世界を翻訳したものなのだ」と述べています。

 

第4章「夜の語り……写真家・星野道夫のアラスカをめぐる、」では、アラスカに魅せられ、最後はヒグマに襲撃されて死亡した写真家・星野道夫が取り上げられ、著者は以下のように述べます。
星野道夫は、なぜアラスカに魅せられたのか、その理由はわかりません。詩人の心をもった写真家として、ある直感のようなものに導かれ、アラスカの自然を選んだのでしょう。しかしそれは結果として、洞窟壁画が描かれた時代のフランスと、とても似た気候の、大自然の世界だったのです。星野道夫は、何かに導かれるように、アラスカのその先にある、我々人類の心のふるさとである洞窟壁画の世界に向かっていったのかもしれません。つまり、星野道夫の写真とは、20世紀になって復活した『現代の先史時代』だったのです」
著者は、星野道夫の写真世界が、先史時代の洞窟壁画と「重なる」ということに気づきますが、それはフランス洞窟壁画を見る旅から帰った後のことでした。著者は「星野道夫は、先史時代の洞窟壁画を描いた人と、同じ世界に生きようとしたのです」と述べています。

 

第五日「ラスコー洞窟壁画への旅……ラスコー2とラスコー4」では、本書の記述について、著者は述べます。
「この本では『と思う』という表現を多用している。しばしば厳格な学術論文を好む学者は、学生に対して『と思う』とか『と考える』という文章表現は避けるようにという指導をする。論文は、主観を羅列する場ではない。そういう意見があることがわかったうえで、私はあえて『と思う』を多用している。『と思う』という記述を削っていってしまったら、つかむことのできない、表すことのできないものが多々あって、自分はそれを切り捨てたくないと思うからだ。ヒトが、思う・考えるということは、それもヒトならではの行いだ。私は、ヒトの丸ごと全体を、本として形にしたい」
この著者の考え方に、わたしは心から同意します。

 

そして著者は、「ラスコー洞窟には、たくさんの謎がある。しかしラスコー洞窟壁画には『謎』なんてものはない。自分は、そうも考える。ラスコー洞窟壁画にあるのは『それは優れた絵画である』という事実だけだ。その事実だけで、十分ではないか。では、どのように優れた絵画か、それをここまで見てきた。ヒトの絵画の4万年。その頂点の1つが、この洞窟にあった」と述べるのでした。

 

本書を読むと、イメージがふくらんで、脳に良い影響が及ぶような気がしました。本当は今月は業界の海外視察研修でギリシャとイギリスを訪れるはずだったのですが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、もちろん延期になりました。その代わりと言っては何ですが、本書で空想の旅を楽しむことができました。それにしても、息子さんと2人で洞窟壁画をめぐる旅をするなんて、なんて素敵なことでしょうか。わたしには娘しかいませんが、このような旅を親子で実現できる著者は本当に幸せな方であると思います。

 

洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年

洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年

 

 

2020年4月8日 一条真也

緊急事態宣言→読書宣言

一条真也です。
ついに、緊急事態宣言が発令されました。
7日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍首相は改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の「緊急事態宣言」を発令したのです。

f:id:shins2m:20200407191520j:plain官邸から「緊急事態宣言」を発令する安倍首相

 

安倍首相は同日午後7時に記者会見し、国民向けに説明しました。対象地域は、感染が拡大している東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の7都府県で、期間は大型連休が終わる5月6日までとしました。感染者や死者の多い北海道、愛知県、京都府が入っていないのは意外でしたが、ともかくも「緊急事態宣言」は発令されたわけです。



4月には東京出張の予定もたくさん入っていましたが、各種の会合、会議、株主総会などは中止もしくは延期になります。わたしも、なるべく不要不急の外出は控えます。もちろん、サンレーの本社には出勤しますので、そこで各地の事業部に指示を出したり、業界の打ち合わせなどもするつもりです。「緊急事態宣言」の発令で、これまで以上の外出自粛が求められますが、ずっと家に巣ごもりしていて、ストレスがたまっている方も多いと思います。巷では「コロナ離婚」も増えているとか。でも、何事も「陽にとらえる」ことが大切ではないでしょうか? せっかく自宅にいる時間が長いわけですから、DVDやBlu‐rayやNetflixをはじめとしたネット動画配信サービスなどで名作映画を鑑賞するのもいいですし、何よりも読書をされてはいかがでしょうか?

f:id:shins2m:20200408112410j:plain4月8日の各紙朝刊の1面


わたしは、今回の「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえることをお勧めします。こういう時にこそ、普段は読めない本を読むといいです。『論語』や『古事記』や『ギリシャ神話』や『聖書』といった「こころの世界遺産」を読むのもいいし、この際、『源氏物語』とか『千夜一夜物語』とか『失われた時を求めて』などの超長編に挑戦するのもいいでしょう。若い頃に愛読した夏目漱石芥川龍之介太宰治川端康成三島由紀夫シェイクスピアゲーテドストエフスキー、ヘッセ、ヘミングウェイを読み返すのもいい。さらには、ノンフィクション、歴史小説幻想文学、ミステリー、SF・・・好みのジャンルを極めてみられてはいかがですか? 大人だけではなく、お子さんも児童文学の名作を片っ端から読むのがいいと思います。一生の宝である「読書習慣」を身につける最大のチャンスではないでしょうか?

f:id:shins2m:20200408105430j:plain一条真也の読書館

 

考えてみれば、本ほど、すごいものはありません。自分でも本を書くたびに思い知るのは、本というメディアが人間の「こころ」に与える影響の大きさです。わたしは、本を読むという行為そのものが豊かな知識にのみならず、思慮深さ、常識、人間関係を良くする知恵、ひいてはそれらの総体としての教養を身につけて「上品」な人間をつくるためのものだと確信しています。読書とは、何よりも読む者の精神を豊かにする「こころの王国」への入り口です。わたしが企業の経営者として、業界の責任者として、大学の客員教授として、なんとかやっていけるのも、すべて読書のおかげです。

f:id:shins2m:20200408182546j:plainこの2冊の続編がもうすぐ出ます!

 

現在の日本社会はこのような大混乱のきわみですが、今月、わたしの著書が2冊上梓される予定です。『死を乗り越える名言ガイド』、『心ゆたかな社会』の2冊で、いずれも版元は現代書林です。前者は『死を乗り越える読書ガイド』(『死が怖くなくなる読書』を改題)と『死を乗り越える映画ガイド』の続編です。古今東西の聖人、哲人、賢人、偉人、英雄たちの「死」についての前向きな言葉を集めました。読書・映画・名言が揃い、これで「死を乗り越えるガイド」三部作が完成します。

f:id:shins2m:20200408182607j:plain『死を乗り越える名言ガイド』のカバー案

 

本にせよ、映画にせよ、名言にせよ、その数の多さに驚かされました。いかに生きるか、と同じく、いかに死を考え、いかに死を迎えるのか、さらに愛する人を亡くした人がいかにその喪失感から立ちなおれずにいるか――人類にとってその重要性は、どんなデータを示すより、死をテーマにした本や映画、名言の数の多さを知れば納得できるのではないでしょうか。『死を乗り越える名言ガイド』には、わたしが厳選した100の名言が集められています。


この本のアップデート版がもうすぐ出ます!

 

また後者は、わたしが15年前に書いた『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を大幅に加筆したアップデート版です。もともとは『ハートフル・ソサエティ2020』という書名を考えていたのですが、内閣府が発表した「Society5.0」の本質と可能性を探り、ポスト・パンデミック時代の社会ビジョンについて書きました。グリーフケア、セレモニー、ホスピタリティ、マインドフルネスなどのキーワードを駆使して、来るべき「心の社会」を予見し、さらには「心ゆたかな社会」のビジョンを描き出します。

f:id:shins2m:20200408103500j:plain『心ゆたかな社会』のカバー案

 

じつは、『死を乗り越える名言ガイド』は99冊目の、『心ゆたかな社会』は100冊目の「一条本」となります。100冊達成を記念して出版関係者のみなさんや友人たちが祝賀会を開いてくれるプランもありましたが、こんなご時世なので、もちろん辞退しました。こんな不安な時期に世に問う2冊ですが、いずれも今の不安を解消する内容となっています。もうすぐアマゾンにもUPされますので、ぜひご一読をお願いいたします。

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この第3弾も出ます! 

 

明日、8日はスーパームーン。今年最大の満月が見えるそうです。明日の満月をもって、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生とのWEB往復書簡である「ムーンサルトレター」も、丸15年の第180信に!
こちらも、『満月交感』、『満月交遊』の続編『満月交心』として今年の秋までには刊行したいと思っています。ということで、みなさん、今回の「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、ご自宅で多くの良書をお読み下さい!

 

2020年4月7日 一条真也

結婚は最高の平和である

一条真也です。
7日、ついに緊急事態宣言が発布されますね。福岡県も加えられるので大変ですが、そんな中、この日の「西日本新聞」朝刊に「令和こころ通信 北九州から」の第23回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「結婚は最高の平和である」です。

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西日本新聞」2020年4月7日朝刊

 

新型コロナウイルスの猛威が収まらない中、先日、神戸を訪れました。同業者のご子息の結婚披露宴に出席するためです。この時期に開かれた結婚披露宴に、全国からマスク姿の方々が参集、新郎新婦を祝福しました。その姿を見て感銘をおぼえました。

 

先日、ついに東京五輪の延期が決定しました。さらに最近では、結婚式などのキャンセルも相次ぎ、冠婚葬祭業界も混乱しています。しかし、一件の結婚式はオリンピックよりも重いとわたしは思います。「五輪は平和の祭典」などと言いますが、結婚とは「最高の平和」であり、結婚式こそは「最高の平和のセレモニー」だからです。

 

「戦争」という言葉の対義語は「平和」ではなく、「結婚」ではないでしょうか。「平和」という語を辞書で引くと、意味は「戦争がなくて世が安穏であること」となっています。平和とは、戦争がない状態、つまり非戦状態のことなのです。しかし、戦争というのは状態である前に、何よりもインパクトのある出来事なのです。単なる非戦状態である「平和」を「戦争」のような強烈な出来事の反対概念に持ってくるのは、どうも弱い感じがします。

 

また、「結婚」の反対は「離婚」と思われていますが、これも離婚というのは単に法的な夫婦関係が解消されただけのこと。「結婚」は戦争同様、インパクトのある出来事でです。戦争も結婚も共通しているのは、別にしなければしなくてもよいのに、好き好んでわざわざ行なう点です。だから、戦争も結婚も「出来事」であり、「事件」なわけです。

結婚には、異なるものと結びつく途方もなく巨大な力が働いています。それは、陰と陽を司る「宇宙の力」と呼ぶべきものです。同様に、戦争が起こるときにも、異なるものを破壊しようとする宇宙の力が働いています。つまり、「結婚」とは友好の王であり、「戦争」とは敵対の王なのです。

 

人と人とがいがみ合う、それが発展すれば喧嘩になり、それぞれ仲間を集めて抗争となり、さらにはテロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまいます。逆に、まったくの赤の他人同士であるのもかかわらず、人と人とが認め合い、愛し合い、ともに人生を歩んでいくことを誓い合う結婚とは究極の平和であると言えないでしょうか。

 

結婚は最高に平和な「出来事」であり、「戦争」に対して唯一の反対概念になるのです。わが社では、日々お世話させていただくすべての結婚式が「世界平和」という崇高な理念を実現する営みであるととらえ、心からのサービスに努めています。

 

2020年4月7日 一条真也