『ストーナー』

ストーナー

 

一条真也です。
ストーナージョン・ウィリアムズ著、東江一紀訳(作品社)を読みました。ブログ『二十五年後の読書』ブログ『この地上において私たちを満足させるもの』で紹介した乙川優三郎氏の小説に登場する本書は実在の小説であり、しかも半世紀も前に書かれた小説です。本書は第1回日本翻訳大賞の「読者賞」を受賞しています。静かな物語ですが、魂が揺さぶられるような素晴らしい作品でした。心の底から感動しました。

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第1回日本翻訳大賞「読者賞」受賞!

 

著者のジョン・ウィリアムズ(John Edward Williams)は1922年8月29日、テキサス州クラークスヴィル生まれ。第二次世界大戦中の1942年に米国陸軍航空軍(のちの空軍)に入隊し、1945年まで中国、ビルマ、インドで任務につきます。1948年に初の小説、Nothing But the Nightが、1949年には初の詩集、The Broken Landscapeが、いずれもスワロープレス社から刊行されました。1960年には第2作目の小説、Butcher's Crossingをマクミラン社から出版。また、デンヴァー大学で文学を専攻し、学士課程と修士課程を修めたのち、ミズーリ大学で博士号を取得しました。1954年にデンヴァー大学へ戻り、以降同大学で30年にわたって文学と文章技法の指導にあたります。1963年には特別研究奨学金を受けてオックスフォード大学に留学し、さらにそこでロックフェラー財団奨学金を得て、イタリアへ研究調査旅行に出かけました。1965年、第3作目の小説、STONERを出版。1972年に出版された最後の小説、Augustusは、このときの取材をもとに書かれた作品で、翌年に全米図書賞を受賞しました。1994年3月4日、アーカンソー州フェイエットヴィルで逝去。

f:id:shins2m:20190916223337j:plain本書の帯

 

本書の帯には「これはただ、ひとりの男が大学に進んで教師になる物語にすぎない。しかし、これほど魅力にあふれた作品は誰も読んだことがないだろう。――トム・ハンクス」「半世紀前に刊行された小説が、いま、世界中に静かな熱狂を巻き起こしている。名翻訳家が命を賭して最期に訳した、“完璧に美しい小説”」と書かれています。

f:id:shins2m:20190728190258j:plain本書のカバー裏表紙

 

カバー裏表紙には、「美しい小説・・・・・・文学を愛する者にとっては得がたい発見となるだろう。――イアン・マキューアン」「純粋に悲しく、悲しいまでに純粋な小説。再評価に値する作品だ。――ジュリアン・バーンズ」「『ストーナー』は完璧な小説だ。巧みな語り口、美しい文体、心を深く揺さぶる物語。息を呑むほどの感動が読む人の胸に満ちてくる。――『ニューヨーク・タイムズ』」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、以下のように書かれています。
「読んでいると、さざ波のようにひたひたと悲しみが寄せてくる。どのページの隅にもかすかに暗い影がちらつき、これからどうなるのだろう、ストーナーはどうするだろうと、期待と不安に駆られ、もどかしい思いでページを繰らずにはいられない。(・・・)しかしそんな彼にも幸福な時間は訪れる。しみじみとした喜びに浸り、情熱に身を焦がす時間が・・・・・・。ぎこちなく、おずおずと手を伸ばし、ストーナーはそのひとときを至宝のように慈しむ。その一瞬一瞬がまぶしいばかりの輝きを放つ。なんと美しい小説だろう。そう思うのは、静かな共感が胸に満ちてくるからにちがいない。(「訳者あとがきに代えて」より)」

 

一段組で330ページに少し満たないこの長編を読み終えると、不思議な感覚にとらわれます。よく「読者で他人の人生を疑似体験する」などと言いますが、それが完全な形で実現されたように感じるのです。わたしは自らの人生とは別のウィリアム・ストーナーという人物の人生を生きたかのような錯覚に陥りました。わたしだけでなく、多くの読者がそのような体験をしたのではないでしょうか。うまくいったのか、うまくいかなかったのか、よくわからない人生。職場の仲間とうまくやれなかったこと。結婚相手とうまくやれなかったこと。ストーナーの人生は、あらゆる人々の共感を呼ぶでしょう。なぜなら、人生とはみな似たりよったりだからです。

 

ミズーリ大学というアメリカの地方大学の英文学の助教ストーナーの一生は、教え子との不倫を除けば、とりたてて変わったことのない平凡な人生でしたが、それが圧倒的に美しい文章で描かれています。たとえば、貧しい農家の実家から、あるチャンスを得て、ミズーリ大学に入学したストーナーは親戚の農家の屋根裏部屋に住んで、大学図書館の本を読み漁りますが、その描写が美しいです。

 

 図書館では、何万冊もの本を収めた書庫のあいだを歩き回って、革の、布の、そして乾き行くページのかびくささを、異国の香のようにむさぼり嗅いだ。ときおり足を止め、書棚なら一冊抜き出しては、大きな両手に載せて、いまだ不慣れな本の背の、硬い表紙の、密なページの感触にくすぐられた。それから、本を開き、この一段落、あの一段落と拾い読みをして、ぎこちない指つきで慎重にページをめくる。ここまで苦労してたどりついた知の宝庫が、自分の不器用さのせいで万が一にも崩れ去ったりしないようにと。(『ストーナー』P.18)

 

 友人はなく、生まれて初めて孤独を意識するようになった。屋根裏部屋で過ごす夜、読んでいる本からときどき目を上げ、ランプの火影が揺れる隅の暗がりに視線を馳せた。長く強く目を凝らしていると、闇が一片の光に結集し、今まで読んでいたものの幻像に変わった。そして、あの日の教室でアーチャー・スローンに話しかけられたときと同じく、自分が時間の流れの外にいるように感じた。過去は闇の墓所から放たれ、死者は棺から起き上がり、過去も死者も現愛に流れ込んで生者にまぎれ、そのきわまりの瞬時に、ストーナーは濃密な夢幻に呑み込まれて、取りひしがれ、もはや逃れることはかなわず、逃れる意思もなかった。トリスタンが、金髪のイゾルデが、目の前を歩いていく。パオロとフランチェスカが、身を灼く闇の中を漂っている。ヘレネと王子パリスが、咎を負った苦々しい顔で薄闇から浮かび上がってくる。そういう登場人物たちとストーナーが絡んだ絆は、大学の同輩たちとはけっして結ぶことのできないものだった。(『ストーナー』P.18)

 

本好きなら、このくだりを涙なしには読めないでしょう。これほど書物への憧憬、読書への愛情が描かれた文章が他にあるでしょうか。わたしは稀代の読書家であった故渡部昇一先生のことが思い出されました。
さて、ストーナーの人生には、誰にでもあるように「婚」と「葬」がありました。本書には、たくさんの結婚と死の場面、結婚式と葬儀の描写が登場します。妻となるイーディスとストーナーとの結婚式のシーンは以下のように描かれています。フィンチというのは新郎新婦をお互いに紹介したストーナーの友人です。

 

 白いドレス姿は、部屋に射し込む冬の陽のようだった。ストーナーは思わず歩み寄ろうとしたが、フィンチが腕をつかんで制止した。イーディスは青白い顔をしながらも、ストーナーに小さな笑みを投げた。それからそばに来て、ふたりで歩いた。丸襟の服を着た見知らぬ男が前に立っていた。小柄で、太りじしで、つかみどころのない顔、その男が、手にした白い本を見て、何やら言葉を発している。ストーナーは沈黙に反応する自分の声を聞いた。隣りでイーディスが震えているのを感じた。それから、長い沈黙が訪れ、またざわめきが起こって、笑い声がした。誰かが「花嫁にキスを!」と言う。振り向くと、フィンチのにやけ顔があった。ストーナーはイーディスに微笑みかけ、なよやかに揺れて見えるその顔にキスをした。ふたりの唇は同じように乾いていた。(『ストーナー』P.77)

 

ストーナーの父の葬儀は、次のように描かれています。

 

 家の中には、見覚えのない近所の住人が何人かいた。黒のスーツに白のシャツ、紐タイといういでたちのひょろ長い男が、上体をかがめて母に話しかけている。その母は、父の亡骸を納めた細長い木の箱のわきの簡素な椅子に坐っていた。ストーナーはそちらへ歩を進めた。ひょろ長い男がそれを見て、歩み寄ってきた。上薬を塗った陶器のような、灰色の平べったい目をしている。太くよどみないバリトンの声で、取り入るように、内緒めかした言葉を口にした。ストーナーを“兄弟”と呼び、“死は奪う”とか“神に召され”とかいう文句をちりばめて、祈りをともにしようと誘いかける。ストーナーは男の横をすり抜け、母の前に立った。母の顔が揺らいで見える。ぼやけた視界の中で、母がうなずき、椅子から立ち上がった。息子の腕を取って、言う。「父さんにごあいさつなさい」(『ストーナー』P.123)

 

また、ストーナーの母の葬儀は、次のように描かれています。

 

 ストーナーは母を父の隣りに葬った。埋葬が終わり、数少ない葬送の客が去ったあと、ストーナーは十一月の寒風の中にひとり立って、ふたつの墓を見下ろした。一方は新しい屍のために開かれ、一方は盛り土されて、和毛のような草に覆われている。父母と似た境遇の人々が眠る木もなく殺風景な墓所を見渡し、その向こうの平らな荒地越しに、自分の育った、そして母と父が生涯を過ごした能條の方角を見はるかした。年々土に対して支払う代価のことを想った。土は昔と同じ土で、おそらく少しづつ痩せてきて、少しづつ収穫に手間取るようになってきた。その流れはずっと変わっていない。父母の人生は歓びのない労働に費やされ、意気は砕かれ、知力は麻痺させられた。ふたりは今、人生を捧げてきたその土にいだかれ、年々ゆっくりと土に同化していく。ゆっくりと、湿気と腐敗が屍を納めた松材の箱を侵し、ゆっくりと屍そのものに触れ、ゆくゆくはその物理的存在の最後の名残までを食い尽くす。そして、ふたりは遠い昔に身を献じた不屈の大地の名もなき一部となり果てるのだ。(『ストーナー』P.126)

 

そして、ストーナーの愛娘グレースの結婚式も描かれています。グレースは学生時代に妊娠してしまったのですが、相手のエドワード・フライという名の男子学生と結婚することになりました。娘の突然の妊娠はもちろんショックでしたが、お腹の子の父親であるフライと娘が一緒になれることに安堵もしたのでした。

 

 結婚式は、治安判事の散らかった書斎で行なわれた。ストーナーとイーディスだけが立ち会い、がらがら声でしかめっ面をした白髪の判事夫人は、式のあいだ台所仕事をしていて、終わったあと、立会人の署名だけした。一九四一年十二月十二日、寒風が肌を刺す午後のことだった。
 式の五日前、日本軍が真珠湾を爆撃していた。ウィリアム・ストーナーは、いままでにない複雑な思いで式の進行を見守った。同時代を生きた多くの人々と同様、ストーナーは麻痺状態としか呼びようのない無感覚にとらわれていたが、それはかかえきれないがゆえに認識もできない深さと熾烈さを持つ感覚の集合体であることを知っていた。それは公の悲劇の力だった。恐怖と苦悩がかぎりなく広がっていき、私的な悲劇や個人の不幸はまったく別次元の代物へと姿を変える。だが周囲の景観の広大さゆえにそれはかえって強調され、大砂漠にぽつんと建つ墓標のように際立ってしまうのだ。ストーナーは無関心に近い憐みの目で、悲しくささやかな婚礼を眺め、娘の従順で冷ややかな美しさと新郎の鬱とした捨てばちな顔に妙な感動を覚えた。(『ストーナー』P.287~288)

 

 式のあと、新郎新婦はフライの小型車にもの憂げに乗り込み、相手方の両親と新居が待つセントルイスに向かった。玄関で見送るストーナーの胸には、とても幼いころ、遠い昔のあの部屋に並んで坐り、楽しげな澄まし顔を父親に向けたグレースの姿しか浮かばず、それは死んで久しい愛児を偲ぶ行為にも似ていた。結婚後二カ月で、エドワード・フライは陸軍に召集された。グレースは出産までセントルイスにとどまることを、みずから決断した。六カ月後、フライは太平洋の小島で戦死した。日本軍の進攻を食い止めるための決死の戦闘に送り込まれた新兵のひとりとして・・・・・・。一九四二年ろくがつ、グレースの子どもが誕生した。男の子だった。グレースは、わが子の姿を目にすることなく、愛でることもなく逝った父親の名前を付けた。(『ストーナー』P.288)

 

ここでふと、わたしは気づきました。自らの人生とは別のウィリアム・ストーナーという人物の人生を生きたかのような錯覚に陥ったとか、人生とはみな似たりよったりだとか言っても、わたしはストーナーのように父母の葬儀も、娘の結婚式も経験していないということを。つまり、わたしは未だストーナーの境地まで至っていないのです。

 

ただ、わたしとストーナーに共通点があるとすれば、自らが結婚していることと、自著を持っていることでしょうか。じつは、ストーナーが人生を卒業する場面では、彼の自著が登場します。それはとても美しく悲しく、わたしは読みながら涙が止まりませんでした。

 

 ストーナーは首をめぐらせた。わきテーブルには、長いこと触れずにいる本が山積みになっている。ひとりでに手がそちらへさまよっていった。自分の指のか細さに驚き、屈伸してみて、間接の複雑な結合ぶりに感動を覚えた。そこに力がみなぎるのを感じ、ストーナーはテーブル上の本の山から一冊を抜き取った。自分の著書だ。とうの昔に色あせ、すり切れたなつかしい赤い表紙を見て、ストーナーは笑みを浮かべた。
 この自著が忘れ去られて久しいこと、なんの役にも立たなかったことは、もうどうでもよかった。いつの時代であろうと、この本に価値があるかどうかは些末なことだ。古びた印刷物の中に自分を見出せるとも思っていなかった。しかし自分のごく一部が確かにそこにあること、これからも存在し続けることは否定できない。(『ストーナー』P.326~327)

 

 開いたとたん、本は自分のものではなくなった。ページを繰ると、まるで紙の一枚一枚が生きているかのように、指先をくすぐった。その感覚が指から、筋肉へ骨へと伝わっていく。ストーナーはそれらをかすかに意識し、全身がその感覚に包まれるのを待った。恐怖にも似た古い興奮が、横たわった体の動きを封じるのを・・・・・・。窓から射し込む陽光がページを照らしていたが、そこに何が書いてあるのか、もうストーナーには読めなかった。指からの力が抜け、手にした本がゆっくり傾いて、動かぬからだの上を素早くすべり、部屋の静けさの中に落ちていった。(『ストーナー』P.327)

 

わたしは、『ストーナー』という小説はグリーフ文学の名著であると思いました。この小説を読めば、誰でも「自分の人生は生きるに値するものだろうか」「自分の人生は生きるに値したことがあっただろうか」という思いが沸々と湧いてきて、大きな悲しみに包まれるでしょう。「訳者あとがきに代えて」でも、担当編集者の布施由紀子氏が次のように書いています。
「とても悲しい物語とも言えるのに、誰もが自分を重ねることができる。共通の経験はなくとも、描き出される感情のひとつひとつが痛いほどによくわかるのだ。そこにこの作品の力があると思う。イギリスの作家ジュリアン・バーンズは、二〇一三年十二月十三日付『ガーディアン』紙に掲載されたエッセーの中で、『ストーナー』に描かれる悲しみは、『文学的な悲しみではなく、もっと純粋な、人が生きていくうえで味わう真の悲しみに近い。読み手は、そうした悲しみが彼のもとへ近づいていくのを、自分の人生の悲しみが迫りくるように感じとる。しかも、それに抗うすべがないことも承知しているのだ』と書いている」

 

それにしても、本書の訳文は美しいです。まさに、名訳とは本書のような文章を言うのでしょう。じつは翻訳者である東江一紀氏は多くの訳書を世に出されながらも、癌のため、7年におよぶ闘病の末に62歳で他界されました。本書は東江氏の遺作となった。亡くなる1カ月ほど前には、本書の翻訳は残り55ページのところまで来ていたそうです。そこから緩和ケアに入りながらも、東江氏は少しづつ翻訳に取り組まれ、最後は意識の混濁と闘いつつ、ご家族に口述筆記を頼んで訳了をめざされました。

 

しかし、とうとう1ページを残して力尽き、翌日に息を引き取られたそうです。この壮絶な東江氏の闘いぶりを知って、わたしはまた泣きました。担当編集者として東江氏を支え続けた布施氏は、「人は誰しも、思うにまかせぬ人生を懸命に生きている。人がひとり生きるのは、それ自体がすごいことなのだ。非凡も平凡も関係ない。がんばれよと、この小説を通じて著者と役者に励まされたような気持ちになるのは、わたしだけだろうか」と書いています。

 

いや、布施さんわたしも同じ気持ちになりました。
そして、「人がひとり生きるのは、それ自体がすごいことなのだ」ということを痛感しました。わたしの本業は冠婚葬祭業ですが、日々お世話をさせていただく結婚式や葬儀の1件1件をかけがえのないものとして、これまで以上に心を込めてお手伝いさせていただきたいと思います。人生に悩んでいる人、得体のしれない虚しさを感じておられる方には、ぜひ、この「完璧に美しい小説」を読まれることを勧めいたします。

 

ストーナー

ストーナー

 

 

 2019年11月12日 一条真也

『この地上において、私たちを満足させるもの』

この地上において私たちを満足させるもの

 

一条真也です。
金沢から小倉に帰ってきました。『この地上において私たちを満足させるもの』乙川優三郎著(新潮社)を読みました。ブログ『二十五年後の読書』で紹介した著者の前作に登場した小説で、同書の刊行後にすぐ本書も刊行されました。著者は1953年東京生まれ。ホテル勤務などを経て、1996年小説家デビュー。2001年『五年の梅』で山本周五郎賞。2002年『生きる』で直木三十五賞。2013年初の現代小説『脊梁山脈』で大佛次郎賞。2016年『太陽は気を失う』で芸術選奨文部科学大臣賞。2017年『ロゴスの市』で島清恋愛文学賞を受賞しています。

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本書の帯

 

本書の帯には「戦後の暴走半島からヨーロッパ、アジアへ」「そこでは灰色の人生も輝き、希望に染まる季節だった。」「長篇小説『二十五年後の読書』(2018年10月刊)と連続刊行」「小説家の誕生と歳月、死生観 記念碑的書下ろし長篇」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

また帯の裏には、「その旅は聖地のない巡礼であった。」として、「高橋光洋の古い記憶のフィルムがまわりはじめる。終戦後の混沌と喪失、漂泊したパリ、マラガ、マニラの日々、死線を越えてからの小説家デビュー・・・・・・」と書かれ、さらには「猫のように泰然とし、一羽の蝶の軽さでありたい」という言葉が添えられています。

 

 

アマゾンの「内容紹介」には、次のように書かれています。
「戦後の房総半島からヨーロッパ、アジア、そして日本で。そこでは灰色の人生も輝き、沸々と命が燃えていた。あのとき、自分を生きる日々がはじまった――。縁あって若い者と語らううち、作家高橋光洋の古い記憶のフィルムがまわり始める。戦後、父と母を失い、家庭は崩壊、就職先で垣間見た社会の表裏、未だ見ぬものに憧れて漂泊したパリ、コスタ・デル・ソル、フィリピンの日々と異国で生きる人々、40歳の死線を越えてからのデビュー、生みの苦しみ。著者の原点と歳月を刻む書下ろし長篇」

 

二十五年後の読書

二十五年後の読書

 

 

前作『二十五年後の読書』において、作家の三枝昴星は年齢を重ねていくうちに筆の衰えを自覚します。彼は残りの人生も少なくなる中で、書き手としての煌めきを今一度放ちたいという願いを込めて『この地上において私たちを満足させるもの』という小説を書き上げます。『二十五年後の読書』の中では、主人公で書評家の中川響子が手にして『この地上において私たちを満足させるもの』を読む場面は登場しますが、その内容はわかりませんでした。ただ、「美しい小説」「完璧な小説」をめざして書かれたものということだけはわかりました。そう、「完璧に美しい小説」と呼ばれるジョン・ウィリアムスの小説『ストーナ-』のような・・・・・・。その幻の小説である『この地上において私たちを満足させるもの』をついに読むことができるわけです。わたしの胸は期待で高鳴りました。そして、本書は「老い」を含む「人生」というものを見事に描いた傑作でした。

 

ストーナー

ストーナー

 

 

本書の主人公である作家の高橋光洋は明らかに著者・乙川優三郎の分身と思われます。乙川と同じく、高橋もその青春時代に世界を放浪します。「丘の上の下町」という章の冒頭は、以下のように書きだされています。

 

 安泊まりのホテルでアスピリンと軽い朝食をとったきり、なにも腹に入れていなかったが、フランクフルトからザールブリュッケンを経てパリに着くまで光洋は空腹を忘れていた。始発駅からお喋りと寝息をたっぷり詰めて列車はすすんでいたが、漂泊の旅を隠せない東洋人のとなりに座る人はなく、チョコレートをすすめてくれる人もいなかった。もっとも腹には前夜過ごした酒が残り、方にはドイツ文化を堪能したあとの重たい充足と疲れが溜まっていたから、気晴らしに食堂車を除く気にもなれなかった。かわりに彼は本を読んでいたが、それも傍目には貧しい旅行者の気取りに見えていたかもしれない。くたびれた表紙の本は原書で、モームの「雨」であった。(『この地上において私たちを満足させるもの』P.60)

 

雨・赤毛: モーム短篇集(I) (新潮文庫)

雨・赤毛: モーム短篇集(I) (新潮文庫)

 

 

メスヴィルから乗り込んできたらしい青年が光洋の膝の上の本を見て、「単なる人生の素人」と英語で話しかけてきました。彼は光洋に「古い本が好きらしいな」とも言いましたが、そこにはいくらかの嘲りが込められていました。「傑作は古くなりませんから」「それを傑作と思うのが古いね、部分的には素晴らしいところもあるが、結末が見えてしまうのはよくないし、主人公の人間性もお粗末で共感できない」「読書の意義は共感することよりも自分とは違う人間を見つめることにあると思う、芸術家には尻で発想する人もいますから、頭で向き合うと不遜なことになります」「おもしろいことを言うじゃないか」と、二人は読書論議を交わすのですが、非常に興味深かったです。著者は「そういう彼も文学をこよなく愛する創作科の学生で、気がつくと二人は旧友のように語り合っていた。フランスの田舎を走る列車の中でドイツ人と日本人が語らうさまは、モネなら一幅の絵になる」と書いています。

 

光洋には遅い結婚で一緒になった早苗という編集者の妻がいましたが、彼女は末期の膵臓癌に侵されておりおり、もはや緩和処置を受けるしかありませんでした。気力を費消した反動からか一度観念すると食欲がぶっつり絶えて、モルヒネで痛みをやわらげるだけの自宅療養を続けました。死期が迫ってきても、編集者である妻は作家である夫の仕事を案じます。

 

 病床の1日は付き添う光洋にも長く、一月(ひとつき)は短かった。十年にも満たない歳月がふたりの歴史であったが、繰り返した日々の底に濃縮された喜びが溜まった。光洋はそれが自分たちの結晶だろうと思い、早苗は未練の泥だと言った。
「あなたとやりたいことが一杯あったのよ」
 あるとき彼女は言った。
「編集者として高橋光洋を海外へ売り込みたかったし、なにもかも捨てて1年だけ気儘な旅もしてみたかったわねえ」
「どこへ行きたい」
「まず世界の果て」
「それなら簡単だ。東京から見れば世界一周の果ては富山あたりだろう」
 光洋が言うと、作家がそんな夢のないことを言ってはだめよ、と窘めた。彼女の理想の旅は光洋とふたりでタイタニックのような客船に乗り、地中海をスペインへゆくことであった。そこで飲んで、笑って、思い切り踊りたいという。コスタ・デル・ソルの眩しさを知っている光洋は彼女にぴったりの目的地だと思った。しかし外山への旅すら叶いそうになかった。(『この地上において私たちを満足させるもの』P.178)

 

 彼女を虚ろにさせる貞井の心残りは人間としてなにかを成したという実感の希薄なことであった。ただ精一杯生きたというだけでは充たされない、美しくも欲張りな心の持主である。目の前の1日を愉しむことに才能を発揮しながら、千日の努力の向こうを見ているような編集者でもある。生きることの目標になにかしら美の要素があることが重要であったが、それも行きながら探すことになるので実現はむずかしい。彼女のような人には人生が短く感じられる原因でもあろう。光洋はそのあたりまで早苗を理解していたから、日々の生活に追われて突きつめずにきてしまったことが悔やまれた。しかし今になりそういうことを話すのは手遅れであるばかりか、非常な仕打ちになりかねない気がした。
 目を閉じている時間が長くなっても、なにも考えていないわけではないので、できるだけそばにいて聞けるときに聞いてやるのが彼の務めになった。彼も彼女も唯物論者ではないが、あの世や神や魂を信じているとも言えない。ただなにかあるという気がするのは2つの心がときおり通信するからであった。(『この地上において私たちを満足させるもの』P.179)

 

 早苗の死後、抜け殻のようになった光洋はタヒチを訪れます。そこに彼の担当編集者であり、早苗の後輩の女性編集者である佐川がやって来ます。彼女は、光洋に新作を書く決意を固めさせようとして、はるばる南の島まで飛んで来たのでした。二人はラグーンの浅瀬に白い丸テーブルと二脚の椅子を置いた海のレストランでランチを取ります。ビーチパラソルの日陰はささやかですが、テーブルクロスの上には一流レストランと同じテーブルウェアが並べられ、脇には大きなワインクーラーが突き立てられて、シャンパンやヒナノビールが冷えていました。食材を載せたボートが近くに停泊していて、その場でシーフードをグリルしてくれるのでした。このようなリゾートビジネスをはじめとしたハートビジネスもまた、「この地上において私たちを満足させるもの」の1つであることを、著者は見事に表現していました。料理はみちろん、パンもスープもきれいに平らげた後、佐川は「最高ですねぇ」としみじみと言い、光洋は「タヒチアン顔負けの健啖家に乾杯」と言った後で、次のように語るのでした。

 

「早苗の骨をここに散骨しようと思う、この明るさ、このラグーンそのものが彼女の墓所だと思えば私の気も休まる」
「ティアレの木立が見守るでしょう、奥さまにふさわしいお墓だと思います」
タヒチアンは今もゴーギャンの墓にティアレの花を供えるそうだ、小さな墓は海を望む丘の斜面にあって、あまり人もゆかないらしいが、誰か優しい人がいるのだろう、このラグーンならそんな心配もいらない」
 そう言ってオテマヌ山を仰ぐ男のさっぱりした顔を見て、
「これ以上の鎮魂はありませんね」
 と佐川も言った。
「それからもうひとつ、正直に言おう、きのうから君を見ていて仕事をしたくなってきたよ、どんなものが書けるかは分からないが、気持ちがそっちへ動いている」
「ありがとうございます。ここ、やっぱり最高ですねぇ」
「早苗もここなら満足だろう、今はあの山の上から私たちを見ているかもしれないな」(『この地上において私たちを満足させるもの』P.201~202)

 

 その後、光洋は房総半島の太平洋側の漁師町に手ごろな別荘地を求め、野良猫付きの中古住宅を購入して移り住みます。空の広いこと、陽射しの強いこと、月のやたら大きいことになぐさめられて、彼は久しぶりの自然を満喫するのでした。このあたりは、本書が房総半島の御宿を終の棲家としたボヘミアン乙川優三郎の自伝的長編であることが明示されています。

 

 小鳥の棲む林があって野良猫がいるのも自然のうちであろうし、小さな命を愛おしむようになっていた彼は空き家のときから棲んでいる猫をそのまま飼うことにした。母親とその子供らしい二匹の猫で、食事を与えるとじきに馴れて家にも上がるようになった。この口をきけない仲間の存在がことのほか張り合いになって、新生活は淋しいこともなく流れていった。
 晩年を意識して好きなように暮らしてみると、小説を書くことにもより気高い目標が生まれた。老いても精魂を傾けることがあるのは幸せだと思う。念願の傑作はまだ書けていないが、生きることの目的は残る命の幅に絞られ、日々の充足は言葉との闘いのうちにもたらされた。思うように書けないことが煩悶ではなく踏み継ぎとなって、明日の張り合いに変わるという昇華も経験した。(『この地上において私たちを満足させるも』P.207)

 

 病後の体は頼りないものの、酒を飲めるうちは大丈夫だという気もする。手術で半分になった胃袋が少食しか受け付けなくなったように、男ひとりの世間も小さくなって、すべてに恬淡としてきた。よいのか悪いのか、創作に向かう情熱だけが埋み火のように燃えつづけて、雑多な1日を切り盛りする男の心棒になっている。たとえ10行でも佳い文章が書ければ作家の両親を維持できるし、美味い酒が飲めれば休らう。それで差し支えもないのが、また自由であった。もっとも電話をくれる編集者は少なく、猫のほかに話し相手のいない日常であったから、不意に人恋しくなって街のバーへ出かけたりもした。
「お手伝いさんを世話しましょうか」
 そう言ってくれた人がいたが、田舎の中古住宅をやっと手に入れた男にそんな経済力はなかった。作家といってもピンからキリまであって、収入で言うなら光洋はキリであった。働いてどうにか食べてゆける人間に過ぎない。だから気儘に見えるサーファーが羨ましくもあった。(『この地上において私たちを満足させるもの』P.208)

 

しかしながら、光洋は素晴らしいお手伝いの女性を迎えます。彼女はソニアといって、フィリピンから来た学生でした。かつて、光洋が若い頃にフィリピンの貧しい母娘に大金を与えたことがあったのですが、その後、サラジェーンという名の娘はそのお金を学費にして女医になっていました。そのサラジェーンが「人生の恩人」である光洋への恩返しとして、ソニアを日本に送ってくれたのでした。ソニアに日本語や日本文化を教えながら、光洋は心満たされる日々を過ごします。

 

断っておきますが、大金を与えた母娘とも、ソニアとも、光洋は一切、男女の関係を持っていません。「清い関係」などという陳腐な表現を使うよりも、お互いに人間として認め合って、高め合っている関係と言えるでしょう。わたしたちが思っているほど、この世界は悪くないし、人はずっと優しい・・・・・・この小説を読んで、わたしはハートフルな気分になりました。この上なく美しい日本語で書かれていますし、生きる気力が湧いてきます。人生を卒業する勇気も持てます。ブログ「人間失格 太宰治と3人の女たち」で紹介した映画のように、荒んだ人生を送った太宰治のような人が本書を読んだら、どのような感想を抱いたでしょうか。ふと、そんなことを考えました。

 

この地上において私たちを満足させるもの

この地上において私たちを満足させるもの

 

 

2019年11月11日 一条真也

『二十五年後の読書』

二十五年後の読書

 

一条真也です。金沢に来ています。
『二十五年後の読書』乙川優三郎著(新潮社)を読みました。著者の小説を読むのは初めてです。タイトルから「読書」をテーマとした内容かと思いましたが、ちょっと違いました。著者は1953年東京生まれ。ホテル勤務などを経て、1996年小説家デビュー。2001年『五年の梅』で山本周五郎賞。2002年『生きる』で直木三十五賞。2013年初の現代小説『脊梁山脈』で大佛次郎賞。2016年『太陽は気を失う』で芸術選奨文部科学大臣賞。2017年『ロゴスの市』で島清恋愛文学賞を受賞しています。

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本書の帯

 

本書の帯には「『完璧に美しい小説』があった。もう一度見せてほしい、あの不敵な美しさを。」「書下ろし長篇『この地上において私たちを満足させるもの』(2018年1月刊)と連続刊行」「文芸の極みと女の旅 成熟の世界を描く記念碑的長篇」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

また帯の裏には、「『しかし悲観はしていない。人間には良心があるうちは文学は』因果なことに二人は文学に生かされていた。『良質な酷評は作家の望みです』『良心を読みなさい』と囁かれた気がした」と書かれ、さらには「南洋パラオの出会い、書評家と円熟期の作家、傍らにカクテルグラス」という言葉が添えられています。

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連続刊行の2冊

 

アマゾンの「内容紹介」には、次のように書かれています。
「書下ろし長篇(12月刊)と連続刊行! 著者の原点と歳月を刻む記念碑的長篇。時に人は過ぎ去った日々から思いもかけない喜びを受け取ることがある。だからだろうか、響子は新たな世界へ繰り出し、追い求めた。完璧に美しい小説と馴れ合いでない書評を、カクテルのコンペティション、数十年来のパートナーとの休らいを。『この地上において私たちを満足させるもの』(12月刊)と対をなす長篇小説」

 

本書の主人公である中川響子は55歳の独身女性。旅行業界の新聞社に長年勤めたのち、書評を生業として暮らし始めているます。彼女はその響子は妻子のいる作家の谷郷敬(やごうたかし)と25年にも及ぶ不倫関係を続けています。谷郷は「三枝昴星(さえぐさこうせい)」というペンネームで日本語の美に挑戦し、三部作も完成させますが、年齢とともに繊細な美に分け入る創造力が衰えていきます。三枝昴星の文章の煌きに共感し続け、彼とともに生きてきた響子にとって、谷郷の作家としての劣化を前にして、自身の人生も失われるような不安をおぼえるのでした。

 

 谷郷に限らず、どのジャンルでも、作家らしき人が、らしき文体で、らしきものを書いて自画自賛する時代であった。文学が秘蔵し、ひたぶるに追い求めれば見つかる新世界への鍵を誰も持たない。大事なドアを閉ざして新機軸を気取ってみたところで、黴臭い空想や観念に溺れて本物は書けない。ロストキーの時代ではないかという気がする。かつて新世界を匂わす傑作を生んだ谷郷も、鍵をなくした今は享楽に流され、上辺だけの名声に甘んじている。平成明朝浮薄体とでもいうべき今の文章は軽く読み流せるが、読者が味わうべき日本語の格調はなく、本当に読みやすい文章とも違う。(『二十五年後の読書』P.42)

 

 現実の惨さを実感したこともなく絶望や虚無や修羅の世界を創り、陰々滅々とした孤独も知らずにあなたはひとりではないなどと訴えるなら、まず経験者から学び、彼らが口にできない思いを文章で伝えなければならないが、田郷はそこを飛ばしてしまったような気がする。実社会から題材を拾ってくる男にしてはリアリティが希薄なのも気になる。加齢による集中力の低下ではすまされない。作家の姿勢の問題であろうし、自分の文章に唾を吐くくらいの気力が少しでも残っているなら、もう一度余力を絞って、あの三枝昴星の不敵な美しさを見せてほしいと思う。女に尤もらしい文学論をぶっておいて、今さらできないとは言わせない。そう思うことにも情が絡んで、もどかしい気持ちであった。(『二十五年後の読書』P.42~43)

 

本書にはカクテルにまつわるエピソードもサイドストーリーとして展開され、それはそれで魅力的な物語となっています。しかし、やはり文学論というか、小説や書評についての論考は非常に深く、考えさせられます。当然ながら、著者の乙川氏の考えが反映されているのでしょうが、売れっ子の書評家となった響子は昨今の書評や評論について次のように思うのでした。

 

 ときおり目にする辛口の書評や評論の中には分析として優れたものもあるが、根本にあるべき文学への愛情を欠いていたり、文学青年ばりに初(うぶ)な指摘もあって、評論家を名乗る前に人間を磨いてほしいと思うことすらある。しかも文章がひどく拙い。時評ともいえる書評のそれは急ぎ足の出前持ちのような粗さを感じさせるし、評論のそれは学術的な異臭を放ってひたすら読みづらい。同業を意識し、同人へ向けて書いているとしか思えない文章がよくある。文学が研究や評論の対象になるのは自然なことだが、そもそも誰のためにあるのかを失念しているとしたら笑止である。なぜ思うことを分かりやすい言葉で大衆に向けて書かないのか。論理的な文章から見えてくるのは通俗嫌い、孤高の心境、専門家の自負、他者の文体に批判的でありながら自身の文体は寛容な性質などで、普通人ではない。高度な表現を好み、数少ない読者に三思を求め、正しく理解するまで読み返すことを強いる文章はしかし、言語としてお粗末である。思弁的な考察をまず分析しなければならないのは筆者自身であろう。(『二十五年後の読書』P.161~162)

 

さて、独身生活の長い響子は、1人の自由な暮らしを楽しんでいます。書評を書く日々の間、急にアメリカ風の朝食をとりたくなって、彼女は冷蔵庫を覗きます。観ると材料は結構あって、いつもより贅沢な食事を作ろうとします。食卓も明るくしたいと考え、赤いプレイスマットにナイフとフォークを並べ、パン皿にチーズロールを載せて、ワイングラスに水をそそぎます。卵とベーコンとハムを焼き、あり合わせのフルーツを切り、スライスしたバナナにはヨーグルトをかけて彩りに生野菜を添え、最後にオレンジジュースとコーヒーを運ぶと、ホテル並みの朝が演出されました。彼女が最もほしいのは多死かな1日の実感でしたが、美しい食卓に充たされながら、まだ何か足りないという思いが消えません。

 

 しばらくして、欠いているのは夫でも子でもなく、いつも孤独を和らげてくれる新聞や本だと気づいた。食べながら読むわけではないが、そばにあれば落ち着く重宝な仲間である。新聞の見出しは社会への窓口であり、物語を包む美しい装幀は目の保養であった。本に埋もれる日常を繰り返すうちに造形としても美しい本を欲するようになっていたが、その少なさに呆れることの方が多かった。だから1冊の美しい本に出会うと飽くことなく眺める。気がつくと、枕許やティーテーブルの上にそんな本を見るだけでも安らぐ人間になっていた。(『二十五年後の読書』P.134~135)

 

ストーナー

ストーナー

 

 

そんな本好き、読書好きの響子が手にとる本に、ジョン・ウイリアムズの『ストーナー』の訳本がありました。本書には、「半世紀も前にアメリカで出版されたものが今も読み継がれている。帯の紹介文にある『完璧に美しい小説』を信じて響子は買ってきたが、どうであろう。1922年生まれの作家の文章に期待して読みはじめると、英文学らしい簡潔な導入がなかなかいい。英語で生きる人の処世でもある理屈を並べながら、地味な物語が紗幕を開ける印象だが、じわじわと嵌まりそうな気がする」と書かれています。この『ストーナー』という小説は実在しますが、わたしも含めて本書で初めて『ストーナー』の存在を知った読者は多いでしょうね。

 

この地上において私たちを満足させるもの

この地上において私たちを満足させるもの

 

 

三枝昴星は年齢を重ねていくうちに筆の衰えを自覚します。彼は残りの人生も少なくなる中で、書き手としての煌めきを今一度放ちたいという願いを込めて『この地上において私たちを満足させるもの』という小説を書き上げます。響子が同作品をにして読む場面は登場しますが、その内容はわかりません。ただ、「美しい小説」「完璧な小説」をめざして書かれたものということだけはわかりました。そう、「完璧に美しい小説」と呼ばれるジョン・ウィリアムスの小説『ストーナ-』のような小説を三枝昴星は書き上げたのです。そして、その『この地上において私たちを満足させるもの』は、2018年10月に刊行された本書『二十五年後の読書』に続いて、2カ月後の12月に実際に刊行されたのでした。ある意味で、本書は『この地上において私たちを満足させるもの』に至る長い長い序章と言えるかもしれません。

 

二十五年後の読書

二十五年後の読書

 

 

2019年11月10日 一条真也

サンクスフェスタ金沢   

一条真也です。
8日、金沢に入りました。9日、「サンクスフェスタin金沢紫雲閣」を視察しました。みやこひばり歌謡ショー、ルパンのマジックショーをはじめ、お楽しみ大抽選会、野菜激安100円市、子供祭り縁日などの人気企画が盛りだくさんで、2000人近いお客様で大いに盛り上がりました。

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ひょっこりはん

f:id:shins2m:20191109123632j:plain金沢紫雲閣の前で

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大抽選会のようす

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「みやこひばりショー」のようす

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サンレー北陸施設一覧の前で

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会場のようす

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互助会コーナーにて

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入棺体験コーナー

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わたしも入棺してみました!

金沢紫雲閣のサンクスフェスタを視察したのは久しぶりですが、多くのお客様の姿を見て安心するとともに、さまざまな改善点も発見しました。今後は、北九州だけではなく、各地のサンクスフェスタを見に行きたいと思います。金沢のスタッフのみなさん、今日はお疲れ様でした!

 

2019年11月9日 一条真也

人間に最も大切なものは「機」というものだ(安岡正篤)

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一条真也です。
言葉は、人の人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、陽明学者・安岡正篤の言葉です。首相をはじめとした多くの指導者を指導した安岡は、「人間に最も大切なものは『機』というものだ」と喝破しました。

 

安岡正篤一日一言

安岡正篤一日一言

 

人間のみならず、自然もすべて機に満ちています。
したがって人生とは、すべて機によって動いていると言ってもよいでしょう。のんべんだらりとしたものではなくて、常にキビキビとした機の連続です。機というものはツボとか勘どころとかいうものであって、その1点ですべてに響くようなものです。そこで機を外すと動かない、つまり活きません。人間の身体もそういうツボや点で埋まっているわけです。

 

優れた物理学者たちは、シンギュラー・ポイントというものをよく知らなければならないといいます。シンギュラー・ポイントは「特異点」と訳され、現象の世界には常に伴うものです。例えば、水を沸かすとします。しばらくは何の変化も異常もありません。そのうちに湯気が立ったり、泡が出たりしますが、それだけのことで別に何のことはありません。

 

ところが、何のことはないと思って安心していると、それこそあっという間に急激に沸騰し始めます。いかにもその沸騰が当然起こったような気がするものですが、その沸騰点こそがシンギュラー・ポイントなのです。そして、「おや、煮えくり返っているぞ」と思っているうちに、異常なスピードでぐんぐん水が減っていって、時には噴き出したり、破裂したり、といった大異変が起こったりします。この沸騰してから後の半分のスピーデイな変化の推移をハーフ・ウェイといいます。

 

1本のタバコの吸殻が大きな山火事を起こすこともあれば、第一次世界大戦のように、セルビアの1人の青年がオーストリアの皇太子を傷つけたサラエボの一弾から大戦争が勃発したりします。人間というものは、シンギュラー・ポイントにならないと、意識しない、自覚しない、ちょうどガン患者と同じだと、安岡は嘆きます。ガンというものは決して当然変異ではなく、時間をかけて来るものですが、誰もそれに気づきません。

 

たまたま気がついても、それを打ち消して自分で自分を慰めます。心配して医者にかかっても、医者からガンだと指摘されることを本能的に避けて、「ガンではありません。心配ないですよ」と言ってくれる医者を探して歩きます。人間にはこのような心理がありますが、本当にガンが明らかになった時にはもう手遅れなのです。

 

マーケティングの第1機能は変化に気づくことですが、経営者は常に社会や会社のシンギュラー・ポイントに細心の注意を払い、命をつないで社員ともども生き残ることはもちろん、常に商機を活かさなければならないと思っています。なお、この安岡正篤の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

 

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

 

2019年11月9日 一条真也

花の香り   

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山奥の谷にひっそりと咲いている蘭の花は、自分から主張しているわけではないのに、その良い香りははるか遠くまで伝わっていく。(『高野雑筆集』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2019年11月9日 一条真也

葬祭責任者会議  

一条真也です。
6日、東京で冠婚葬祭文化振興財団の社会貢献基金の運営委員会会議に参加、助成を行っている各種団体から中間報告を受けました。7日の朝、羽田空港からスターフライヤーで北九州へ。迎えの社用車に乗って、サンレー本社へ。
この日、サンレーグループの全国葬祭責任者会議が開催されました。今回は、特別ゲストとして、上智大学グリーフケア研究所島薗進所長をお招きしました。

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グリーフケアの歴史と文化」講演会場のようす

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講演する島薗先生


会議そのものは13時45分から開始されましたが、14時40分から、小倉紫雲閣の大ホールで島薗先生の御講演がスタート。演題は「グリーフケアの歴史と文化」。「Ⅰ.悲しみを表現し、共鳴を求める」では、西田幾多郎の哲学や新実南吉の童話を紹介しながら、キサーゴータミーの逸話、宮澤賢治鈴木三重吉にも言及されました。

f:id:shins2m:20191107152814j:plain悲しい歌をともに歌う

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講演する島薗先生

 

「Ⅱ.悲しい歌をともに歌う」では、島薗先生は見田宗介『近代日本の心情の歴史―流行歌の社会心理史』、金田一晴彦『童謡・唱歌の世界』といったテキストの内容に沿いながら、野口雨情、金子みすずなどの詩を紹介されました。特に、この日の午前中に下関の金子みすず関連の場所を回ってこられたこともあって、話には熱がこもっていました。「Ⅲ.グリーフケアの集いの形成」では、1985年8月12日の御巣鷹山での日本航空ジャンボ機墜落事故の遺族の連絡会の活動を紹介されました。

f:id:shins2m:20191107155800j:plain東日本大震災と悲嘆のスピリチュアリティ

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悲しみを表現し、共鳴を求める新たな形

f:id:shins2m:20191107160946j:plain質問も活発に出ました

f:id:shins2m:20191107161518j:plain質問も活発に出ました

 

さらに、「Ⅳ.東日本大震災と悲嘆のスピリチュアリティ」では、東日本大震災の傾聴ボランティア「カフェ・デ・モンク」の活動などを紹介しながら、グリーフケアとしての災害支援について話されました。そして、「おわりに」として、「悲しみを表現し、共鳴を求める新たな形」を提唱。「童謡・童話の時代(1920年代~70年代)」から「グリーフケアの時代(80年代以降)」を指摘され、90分にわたる講演は終了しました。非常に深い内容のお話でした。わが社の「おくりびと」たちも良い勉強になったと思います。質問も活発に出ていました。

f:id:shins2m:20191107163054j:plainわたしも訓話をしました

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演題は「グリーフケアと3つのメソッド」

 

続けて、16時半から、わたしが「グリーフケアと3つのメソッド」という話をしました。3つのメソッドてゃ、ずばり、読書・映画鑑賞・カラオケです。まずは読書ですが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。

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グリーフケアとしての読書」について

 

本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。

死が怖くなくなる読書』(現代書林)

 

長い人類の歴史の中で死ななかった人間はおらず、愛する人を亡くした人間も無数に存在する。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で紹介しました。同書で取り上げた50冊の本についても1冊づつ紹介し、最新のおススメ本にも言及しました。 

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「ハートフル・ファンタジー」について

 

さらに、わたしはグリーフケアに絶大な力を発揮する「ハートフル・ファンタジー」について話しました。わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。

涙は世界で一番小さな海』(三五館)

f:id:shins2m:20191107172025j:plain物語こそが死の本質を語れる!

 

一度でも関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、5つの物語には込められています。「死」を説明するために、人は「医学」や「哲学」や「宗教」を頼りにしますが、他にも「物語」という方法がある。いや、物語こそが死の本質を語れるのかもしれません。

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

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映画について語りました

 

「読書」の次は「映画鑑賞」です。『死を乗り越える映画ガイド』をテキストとしましたが、同書のテーマは、そのものズバリ「映画で死を乗り越える」です。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみます。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を封印する芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。

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映画と儀式との関連性について 

 

時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないか。『唯葬論』(サンガ文庫)でも述べたように、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。

f:id:shins2m:20191107172237j:plain臨死体験としての映画鑑賞

 

暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。

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世界三大「葬儀映画」を紹介 

 

その後は、個別の映画作品について語りました。『死を乗り越える映画ガイド』の章立てをもとに5つのテーマに分け、1「死を想う」では「サウルの息子」を、2「死者を見つめる」では「おみおくりの作法」と「おくりびと」を、3「悲しみを癒す」では「岸辺の旅」を、4「死を語る」では「エンディングノート」を、5「生きる力を得る」では「リメンバー・ミー」を取り上げました。

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リメンバー・ミー」について語りました

 

グリーフケア」にしろ、「修活(終活)」にしろ、一番重要なのは、死生観を持つことだと思います。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の方が、そのような死生観を持てるようにするには、読書と映画鑑賞が最適だと思います。本にしろ、映画にしろ、何もインプットせずに、自分1人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。ですから、死の不安を乗り越えるには、読書で死と向き合った過去の先人たちの言葉に触れたり、映画鑑賞で死に往く人の人生をシミュレーションすることが良いと思います。 

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カラオケについても語りました 

 

読書・映画鑑賞に続けて、さらにカラオケについても語りました。わたしはブログ「グリーフケア・ソングス ベスト」で紹介したカラオケ動画のDVDを作りましたが、これはブログ「ハートフル・ソングス」ブログ「ハートフル・ソングス2」ブログ「ハートフル・ソングス3」ブログ「ハートフル・ソングス4」ブログ「ハートフル・ソングス5」ブログ「ハートフル・ソングス6」ブログ「ハートフル・ソングス7」で紹介したディスク15枚、209曲の中から厳選したものです。これらはすべて、グリーフケアのための歌を発見する営みでした。けっして道楽でやっていたわけではありません。

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グリーフケア・ソングについて
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カラオケPVを流しました

 

そして、ついに200曲を超える歌の中から、「グリーフケア・ソングス ベスト」のDVDを作成しました。ケースの表面には、「悲しみの歌、癒しの歌・・・・・・『喪失の悲嘆』に寄り添う名曲が、ここに初めて集結!」と書かれ、喪服を着て数珠を持ったわたしの写真が使われています。これは「葬儀こそ最高のグリーフケアである」というわが信条を示しています。もともと、歌には「癒し」の力があります。新元号「令和」の出典は『万葉集』の和歌ですが、『万葉集』には多くの挽歌、つまり鎮魂の歌が収められています。わたしは日本人のためのグリーフケア・ソングを選び、ロック、ポップス、ニューミュージック、フォークソング、演歌まで、さまざまなナンバーを歌いました。

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カラオケPVを流しました

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会場から、どよめきが起こりました

タイトルに「涙」「悲しい」「悲しみ」という単語の入った歌は膨大な数が存在します。わたしは、それらのほとんどを歌ってみましたが、多くは単なる失恋ソングであることに気がつきました。そこで、失恋以外の悲嘆である死別や鎮魂の歌を極力選び、失恋の歌でも深みのある「喪失の悲嘆」を表現した歌を厳選して、「Grief Disc~悲しみ盤」にまとめました。また、「喪失の悲嘆」を乗り越えて未来への希望を見出す歌をセレクトし、「Care Disc~癒し盤」にまとめました。この盤の最後に収録されている「また会えるから」はわたしが作詞したグリーフケア・ソングですが、自ら歌ってみました。そのプロモーションヴィデオをこの日、大スクリーンに流すと、「おおっ!」というどよめきが起こりました。こうして、わたしはグリーフケアのための読書・映画鑑賞・カラオケという「3つのメソッド」について語ったのでした。

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懇親会のようす

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冒頭に挨拶をしました

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島薗進先生と

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懇親会のようす

 

社長訓話後はサンレー本社から松柏園ホテルに移動して、懇親会が開催されました。今回は島薗先生にもご参加いただき、わが社の「おくりびと」たちとの交流が図れました。その後は、同ホテルのラウンジで二次会も開催され、大いに情報交換、意見交換し、親睦を深めました。島薗先生は翌朝早く東京に戻られるそうですが、わざわざ北九州までお越しいただき、まことに光栄かつ嬉しく感じました。

f:id:shins2m:20191107193249j:plain最後は「末広がりの五本締め」で

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ラウンジでの二次会のようす

 

 2019年11月8日 一条真也