「プアン/友だちと呼ばせて」

一条真也です。
タイ映画「プアン/友だちと呼ばせて」を観ました。アジアの巨匠ウォン・カーウァイと『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』の監督がタッグを組んだことで話題となりサンダンス映画祭で絶賛された「One For The Road(原題)」が、「プアン/友達と呼ばせて」の邦題で公開。予告編から予想していたように、グリーフケア映画と呼べる内容でした。ちなみに「プアン」とは、タイ語で「友」のことですね。


ヤフー映画の「解説」には、「『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』などのナタウット・プーンピリヤ監督による人間ドラマ。余命宣告を受けた青年とその親友の旅を描き、サンダンス映画祭ワールドシネマドラマティック部門で審査員特別賞に輝いた。『花様年華』などのウォン・カーウァイが製作総指揮を担当。『ゴースト・ラボ:禁断の実験』などのトー・タナポップ、『ハッピー・オールド・イヤー』などのチュティモン・ジョンジャルーンスックジン、アイス・ナッタラットらが出演する」とあります。

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
アメリカ・ニューヨークでバーを営むボスの元に、タイ・バンコクで暮らす友人ウードから久々に電話が入る。がんに侵され余命宣告を受けたという親友の頼みを聞くためタイに帰国したボスは、元恋人たちを訪ねるウードの旅のドライバーを任される。彼の体調を気遣いながらも楽しい時間を共にし、旅も終わりにさしかかったころ、ウードがある秘密を打ち明ける」


わたしは、この映画を「グリーフケア映画」だと書きました。グリーフケアには、2つの働きがあります。1つは、死別の悲嘆を軽くすること。もう1つは、自身の死の不安を乗り越えることです。白血病で余命宣告を受けた青年・ウード(アイス・ナッタラット)は、父親の葬儀にも参列できなかったという悲嘆と、自分はもうすぐ死んでしまうという不安の両方を抱えています。そんなウードには、死ぬ前に3人の元カノに会って、大切な忘れ物を彼女たちに届けたいと言う願いがありました。必ずしも彼女たちは再会を喜んではくれません。「死ぬ前に愛した人に会いたい」というのはウードのエゴであって、彼女たちにとっては過去の辛い思い出が蘇って傷つくこともあるからです。また、当然ながら、新しい恋人や夫もいるかもしれません。会いに行くなら、元カノや元カレは止めた方がいいかもしれませんね。ウードが元カノとの再会を果たすたびに、スマホで相手の連絡先を削除するシーンはいかにも現代的で印象に残りました。

死ぬまでにやっておきたい50のこと

 

拙著『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)には、「お世話になった人に会いに行く」という項目があります。お世話になった人とは、恩師や上司や先輩だけでなく、同級生や同僚もいれば、後輩や部下などもいるでしょう。その他、1人の人間が長い人生の中でお世話になる人の数は無数とも言えます。その人たちに会いに行って伝えることは「謝」の一文字だと思います。二文字ならば、「謝罪」と「感謝」です。すなわち「ごめんなさい」と「ありがとう」です。人生を卒業する前に、「「ごめんなさい」と「ありがとう」だけは言うべき相手に伝えてから旅立ちたいものです。ちなみに「ありがとう」は「有難う」と書きます。人と人との出会いはすべて奇跡的であり、有難い、あり得ないことなのです。その奇跡を「縁」と呼びます。そして、目に見えない「縁」が見える化されるのが葬儀に代表される冠婚葬祭です。


元カノ巡りをしたいウードは、ニューヨークでバーを経営する親友のボス(トー・タナポップ)に連絡して、彼にバンコックまで来てもらいます。2人は車で旅しますが、その終着点で思わぬ出来事が起きます。映画の予告編で、「クライマックスから、新たなストーリーが始まる」とありましたが、まさに意表を衝かれる展開でした。「男と男の友情」がテーマだと思っていたら、急に「男と女の恋愛」にテーマが変わるのですが、この構成は非常に新鮮で、脚本も素晴らしかったです。
「人間関係は酒と同じ。気を緩めると、飲まれてしまう」とか「誰かと関わったら、その時間が長くても、短くても、思い出が心に残ることは変わらない」などの名言が印象に残りました。ウードからの思わぬ告白で、ボスの過去が明らかになり、その未来も大きく変わります。ラストシーンは、なかなか感動しました。

 

また、この映画ではバーが主要な舞台で、各種のカクテルが登場します。中でも最もよく登場した「ニューヨーク・サワー」というカクテルが美味しそうでした。いつか、マンハッタンのバーで、ニューヨーク・サワーを飲んでみたいと思いました。そして、この映画、音楽が素晴らしかったです! ウードの父親が伝説のDJという設定で、彼のラジオ番組を録音したカセットテープが大活躍します。ボスのカクテル作りのBGMとして流れるのは、ブログ「セッション」で紹介した映画でも流れた「Whiplash」です。他にも、エルトン・ジョンフランク・シナトラキャット・スティーブンスザ・ローリング・ストーンズといった歴史に残るミュージシャンたちの名曲が続々と流れますが、これらはプーンピリヤ監督がチョイスしたそうです。これらの音楽が友情と恋愛とグリーフケアを主軸とした物語、ニューヨークやバンコックやパタヤを背景にした美しい映像と見事にマッチしています。音楽映画としても秀逸な作品でした。

 

2022年8月1日 一条真也

さよなら、青木新門さん!

一条真也です。
記録的な大雨の後は猛暑が続くと予想されている北陸から、悲しいニュースが届きました。6日午前8時52分、詩人で作家の青木新門さんが肺がんで亡くなられたのです。心より御冥福をお祈りいたします。

北國新聞」2022年8月7日朝刊

 

青木さんは、ブログ『納棺夫日記』ブログ『それからの納棺夫日記』で紹介した本の著者です。『納棺夫日記』は、ブログ「おくりびと」で紹介した日本映画の名作の原案となったことで知られています。ちょうど今日の深夜0時にブログ『死を乗り越える映画ガイド』をUPし、その記事に「おくりびと」の動画も紹介した直後だったので、その偶然に驚き、故人との御縁を感じました。


青木新門さんと

 

ブログ「青木新門さんにお会いしました」に書いたように、2016年6月6日、わたしは富山に入り、その夜、青木新門さんにお会いしました。場所は、JR富山駅前にあるオークスカナルパークホテル富山です。青木さんは、同ホテルを運営する冠婚葬祭互助会であるオークス株式会社の顧問を務めておられました。わたしにとって、冠婚葬祭互助会業界の大先輩でした。


映画「おくりびと」といえば、第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞、第81回米アカデミー賞外国語映画賞を受賞してから、ずいぶん時間が立ちましたが、あの興奮は今でも憶えています。日本映画初の快挙でした。この映画で主演の本木雅弘さんは、「ある本」に出会って大いに感動し、映画化の構想をあたためていたそうですが、その本こそ『納棺夫日記』。平成5年(1993)に単行本として桂書房から出版されベストセラーになった名作ですが、現在は版を重ね『定本納棺夫日記』と銘打って刊行され、文春文庫にも入っています。

 

 

その本の著者こそ、青木新門その人なのです。青木さんは昭和12年、富山県下新川郡入善町のお生まれで、ながらく「納棺師」として葬儀の現場でご尽力しておられました。その尊いご体験が『納棺夫日記』には綴られているがゆえに、読み手の心を強く揺さぶる作品となっています。『納棺夫日記』を原案とした映画「おくりびと」が公開されたことは葬祭業界においても非常に大きな出来事でした。葬祭スタッフがお客様と話をする際に「おくりびと」という共通の話題と認識があることは、葬儀を担当する上でどれだけ助けられたことでしょうか。映画の中での美しい所作と儀式は、お客様が望むことを映画というメディアで表現してくれました。ご遺族が大切にしている方をこうもやさしく大事に扱ってくれるということはグリーフケアの上でも大切なことでした。『納棺夫日記』と「おくりびと」のおかげで葬祭スタッフに対する社会的地位も変わったのではないかと感じるところもあります。何よりも、自分の仕事へのプライドを彼らに与えてくれました。

 

永遠葬

永遠葬

Amazon

 

ブログ「『永遠葬』に反響続々!」で紹介したように、昨年上梓した拙著『永遠葬』(現代書林)を青木さんに献本させていただいたところ、氏はご自身のブログ「新門日記」の記事に以下のように書いて下さいました。
一条真也氏(=佐久間庸和 (株)サンレー代表・全国冠婚葬祭互助会連盟会長)から8月4日発売の新著『永遠葬』が送られてきた。内容は島田裕巳氏の『葬式は、要らない』や近著『0葬』を批判した『葬式は要る』という立場で、なぜ要るのかということを多くの事例や理由をあげて書かれた本である。島田氏が個の命にとらわれているのに対して、一条氏は永遠を見据えているのがいい。氏は京都大学こころの未来研究センターの研究員でもある。私も島田祐巳氏が『葬式は、要らない』を出した時、当時本願寺の教学研究所の所長をしておられた浅井成海師と対談形式で『葬式は要る』と題して出版する計画があった。ところが企画したPHP出版と打ち合わせていたら浅井氏が末期癌で急逝され、出版の話はたち切れとなってしまった。あの時島田氏の本を読んで感じたことは、NHKのクローズアップ現代のように、葬式や宗教を社会現象学的に取り上げているだけだと思った。事物の現象の本質が全くわかっていない人だと思った。現象の本質がわかっていないということは、死の本質がわかっていないということであり、宗教の本質がわかっていないということでもある。後から島田氏はマックスウェーバーの流れをくむ橋爪大三郎氏の弟子だと知って、なるほどと思ったものだった。こういう現象の上辺をなでたようなものを書いて時流に乗るのがうまい学者の本はよく売れるが、酒鬼薔薇聖斗の近著『絶歌』が売れるのと同じような市場経済優先の社会現象のように私には映るのだった。しかしそのことが多くの人を惑わす結果になるから困るのである」


ブログ「新門日記」より

 

わたしは、このブログ記事を拝読して、大変感激いたしました。青木さんからはメールも頂戴し、「一度ぜひお会いしましょう」と言っていただきました。本当に光栄であり、ありがたいことでした。その後、メールのやりとりなどを重ねて、このたびの対面に至ったわけです。いろいろとご尽力いただいたオークスの牧常務(当時)には心より感謝申し上げます。


青木さんよりチベットの鳥葬について学ぶ

 

会食のメンバーは、青木さん、牧常務(当時)、わたし、サンレー北陸の西課長の4人でした。オークスカナルパークホテル富山内にあるモダン和食店WAZA」の美味しい料理をいただきながら、わたしたちはさまざまな話で盛り上がりました。青木氏からはご著書『転生回廊』(文春文庫)を頂戴し、そこに写真が掲載されていたチベットの鳥葬についてのレクチャーも受けました。わたしも、チベットを訪れてみたくなりました!

 

 

当時、わたしは宗教学者島田裕巳さんと往復書簡を交わしていたのですが、そのことなども話題に出ました。その往復書簡は、島田さんとの共著である『葬式に迷う日本人』(三五館)に全文収録されています。また、青木さんは「月への送魂」にご感心がおありとのことですので、その年の「隣人祭り 秋の観月会」にご招待させていただきたいと思っていました。しかし、諸般の事情から実現せず、まことに残念でした。一度、「月への送魂」を青木さんに見ていただきたかった!


『転生回廊』をプレゼントされました

 

その他にも、青木さんから貴重なアドバイスもたくさん頂戴しました。わたしにとって、葬儀の意味を改めて学ぶことができた有意義な時間となりました。最後に青木さんは「葬儀は絶対になくなりませんよ」と言われました。「『葬式は、要らない』じゃなくて、『葬式は、なくならない』ですよ」とも言われました。さらに、青木さんは「新門日記」の「6月6日(月)晴れ」で以下のように書いて下さいました。ありがとうございます。
「自宅近くのオークスカナルパークホテルへ出向く。明日全国互助会連盟の定例総会があるため前泊された会長の佐久間庸和氏と会食する約束をしたからだった。佐久間氏は、小倉や金沢の冠婚葬祭会社サンレーの社長だが、一条真也というペンネームで『ハートフル・ソサエティ』『唯葬論』『死が怖くなくなる読書』といった本も出しておられる。氏は、新時代の葬儀の一つとして、月へ魂を送る『月への送魂計画』を提案する。超日月光を信じる私は違和感を覚えるが、奇抜なアイデアとして面白いと以前から思っていたので、一度お会いしたいと思っていたのであった。氏は、大変な読書家で豊富な知識を持っておられ、共通の知人も多かった。そんな方に会うと、話が弾む。しかし2時間の会食を終えて別れた後、余計なことまで話していたことを後悔しながら帰路の夜道を歩いていた」

 

 

さて、青木さんのいう「余計なこと」とは何でしょうか?
青木さんとの会話はすべて楽しく有意義な内容でしたが、特に青木さんが「月への送魂」に興味を持っておられたことは意外でした。浄土真宗に代表される伝統的な葬儀しか認めておられないイメージがあったからです。青木さんが仏教に深い造詣を持ちながらも、非常に柔軟な発想をされる方であることがわかり、嬉しくなりました。



そのブログの最後に、わたしは「今度は、ぜひ、九州の夜空に上った満月を見上げながらお話したいです。青木新門先生、今日はお会いできて光栄でした。『一条さん、あなたに会いたかったんですよ』とのお言葉、嬉しかったです! 今後とも、御指導下さいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます」と書きました。その後、一度、京都駅のホームで偶然お会いしましたが、ゆっくりと葬儀談義をする機会には恵まれませんでした。青木さんが訴えられた葬儀の意義と重要性は、日本の葬祭業界のみならず、日本人の死生観に広く影響を与えられました。青木さんは、島田裕巳さんの著書『葬式は、要らない』『0葬』に対する反論書を本当は自分でお書きになられたかったと思います。しかし、わたしが先に『葬式は必要!』と『永遠葬』を書いてしまいました。それでも、青木さんは「良い本を書いてくれました」と喜んで下さいました。まことに、感謝の気持ちに耐えません。

 

 

今、三たび、島田裕巳さんはブログ『葬式消滅』で紹介した最新刊を発表されました。前の2冊と比較しても、今度の本が一番強力のように思います。わたしは、その反論書『葬式復活』を書くことを決意しました。本が完成したら、青木さんの霊前に捧げさせていただきたいと存じます。また、今朝、映画プロデューサーの志賀司さん(セレモニー社長)と「青木さんの供養のためにも、『おくりびと』を超えるグリーフケア映画を作りましょう!」と誓い合いました。青木さんが言われた「葬儀は絶対になくなりませんよ」という言葉が、わたしの心の中で何度も繰り返されています。納棺夫としての青木さんの葬儀への想いや死者への祈り、さらにはご遺族への思いやりは、いま、日本各地で続々と誕生しているグリーフケア士たちにも確実に受け継がれています。改めて、業界の偉大なる先達である青木新門氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2022年8月7日 一条真也

『死を乗り越える映画ガイド』

一条真也です。
82冊目の「一条真也による一条本」紹介は、『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)です。「あなたの死生観が変わる究極の50本」というサブタイトルがついています。本書は、2016年9月17日の刊行です。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

カバー表紙には映画館の館内のイラストが描かれ、帯には「『風と共に去りぬ』から『アナと雪の女王』まで」「暗闇の中で人は生と死を考える」「さあ紙上上映会の始まりです。生きる力と光を放つ50本」と書かれています。


本書の帯

 

本書は、同じ現代書林から上梓した『死が怖くなくなる読書』(その後、『死を乗り越える読書ガイド』としてアップデート版が刊行されました)の続編です。前作では、読書という行為によって死の「おそれ」や死別の「かなしみ」を克服することができると訴えました。

死が怖くなくなる読書』(現代書林)の続編です

 

今回は映画です。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる映画、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などを集めてみました。本書の「目次」は、以下の通りです。



はじめに「映画で死を乗り越える」

第1章 死を想う

永遠の僕たち」――死を見つめる切ないラブストーリー

母と暮せば」――優霊映画の定番ゆえに泣ける1本

はなちゃんのみそ汁
 ――大切なことを伝えたい母の思い

そして父になる」――先祖へつながる家族の絆

東京家族」――「東京物語」へのオマージュ

悼む人
 ――「死者を忘れるな」という強烈なメッセージ

四十九日のレシピ」――限りない家族への希望

涙そうそう」――冠婚葬祭と家族愛を描いた沖縄の映画

オール・ユー・ニード・イズ・キル
 ――戦闘シーンがリアルな日本人原作のSF

サウルの息子
――「人間の尊厳」と「葬」の意味を問う名作

コラム●映画から死を学んだ



第2章 死者を見つめる

おくりびと
 ――世界に日本の儀式の素晴らしさを発信

おみおくりの作法
 ――孤独死した人々へのやさしいまなざし

遺体 明日への十日間
 ――
何が人間にとって本当に必要か

蜩ノ記」――「死ぬことを自分のものとしたい」

おかあさんの木」――樹木葬をイメージする戦争映画

ハッピーエンドの選び方
 ――イスラエル版「おくりびと

世界の涯てに
 ――生きる目的を探す不思議な三角関係

バニー・レークは行方不明
 ――観る者に実存的不安を与える名作

コラム●ホラー映画について



第3章 悲しみを癒す

岸辺の旅
 ――世界は「生者のような死者」と「死者のような生者」にあふれている

ポプラの秋」――「死者への手紙」に託す想い

想いのこし」――成仏するための作法

ニュー・シネマ・パラダイス
  ――「人生最高の映画」「心に残る名画」への違和感

アバウトタイム〜愛おしい時間について〜
 ――タイムベル映画の新境地

ファミリー・ツリー
 ――家族の絆は別れ際にあり!を実感

インサイド・ヘッド
 ――ピクサーのヒット作。葬儀で泣くということ

リトル・プリンス 星の王子さまと私
  ――ハートフル・ファンタジーの力を再確認

アナと雪の女王
 ――男女の恋愛話だけがアニメの世界ではない

風立ちぬ」――最大のテーマは「夢」

コラム●SF映画について



第4章 死を語る

エンディングノート」――「死」を迎える覚悟の映画

オカンの嫁入り
 ――日本映画の王道の冠婚葬祭映画

縁〜The Bride of Izumo
 ――日本の美に涙する1本

お盆の弟
 ――「無縁社会」を打ち破る「血縁」映画

マジック・イン・ムーンライト
 ――大好きなウディ・アレンの佳作

マルタのことづけ
 ――「死」を覚悟して笑顔で旅立つ姿に感動

海街diary」――この上なく贅沢で完璧な日本映画

クラウド アトラス
 ――輪廻転生を壮大なスケールで描く

永遠と一日
 ――名作は必ず「愛」と「死」の両方を描く

天国は、ほんとうにある」――臨死体験することの意味

コラム●ファンタジー映画について



第5章 生きる力を得る

海難1890
 ――トルコと日本の国境を越えた大いなる「礼」の実現

6才のボクが、大人になるまで。
 ――時間というのは現在のことだ

アリスのままで」――アルツハイマー病の現実を描く

博士と彼女のセオリー」 

 ――絶望を希望に変えてくれる名画

マリーゴールド・ホテルで会いましょう
 ――ホテル業ほど素敵な商売はない

アルバート氏の人生
 ――自分らしい生き方を模索する姿に共感

シュガーマン 奇跡に愛された男
 ――生きる希望を与えてくれる傑作

セッション」――音楽と教育の力を実感する1本

ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日
 ――青年を成長させてくれる漂流映画

レヴェナント 蘇りし者
 ――生きることの過酷さを実感する巨編

ゼロ・グラビティ
 ――死者に支えられて生きていることを実感できる

インターステラー
 ――親は、子どもの未来を見守る幽霊

あとがきにかえて「最後にもう一本」裸の島
 ――『葬式は、要らない』に対する答え


映画とは何か

 

「映画で死を乗り越える」というのが本書のテーマですが、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。


写真と映画の相違

 

それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。


映画の誕生

 

そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしには『唯葬論』(三五館)という著書があるのですが、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。そう、映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーオードリー・ヘップバーングレース・ケリーにだって、三船敏郎高倉健菅原文太にだって会えるのです。


洞窟の中で生まれた宗教儀礼

 

古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。


映画館という「洞窟」の内部

 

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。


儀式としての映画(日常から非日常へ)


儀式としての映画(非日常から日常へ)

 

三島由紀夫著『ぼくの映画をみる尺度』には「忘我」という秀逸なエッセイが収められていますが、そこで三島は「どうしても心の憂悶の晴れぬときは、むかしから酒にたよらずに映画を見るたちの私は、自分の周囲の現実をしばしが間、完全に除去してくれるという作用を、映画のもっとも大きな作用と考えてきた」と書いています。わたしは三島と違って酒も飲みますが、どうしても現実を忘れたいときに映画を観るのは彼と同じです。そこで、わたしは現世の憂さを忘れるのですが、最も忘れている現実とは「死すべき運命にある自分」なのかもしれません。本書に紹介した映画はDVDやブルーレイで購入あるいはレンタルできるものばかりですが、観賞の際はぜひ部屋の照明を暗くして映画館のような洞窟空間を演出されることをお勧めいたします。なお、来月には映画についての最新刊『心ゆたかな映画』(現代書林)を出版予定です。お楽しみに!



2022年8月7日 一条真也

『世界のビジネスエリートが知っている教養としての茶道』

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第171回分が掲載されています。今回は、『世界のビジネスエリートが知っている教養としての茶道』竹田理絵著(自由国民社)を取り上げました。

サンデー新聞」2022年8月6日号

 

本書は、茶道500年の歴史を習得するための本です。著者は、株式会社 茶禅の代表取締役。一般社団法人 国際伝統文化協会理事長。日本伝統文化マナー講師。茶道裏千家教授。「はじめに」で、著者は「祖父は掛け軸の職人、母は茶道の先生という家庭の中、和の空間があたりまえと思って育ってきました。社会人となり(中略)外国人から『日本の文化について』説明を求められた際に何も答えられずに(中略)チャンスを逃した人をみて、寂しい気持ちになり、茶道を中心とした日本の伝統文化の素晴らしさを伝えたいと思うようになりました」と述懐します。

 

退職後、銀座の歌舞伎座の隣りにお茶室「茶禅」を開きましたが、年間30カ国以上の人々が日本の文化を求めて訪れるそうです。ビジネスパーソンとして求められているのは、ただ仕事ができるだけではなく、人間的な幅や厚みを身につけ、豊かな心を持った教養ある人であるという著者は、「そのような時代に、日本の伝統文化や精神について説明できることが益々重要になっています。茶道は書道、華道、香道、着物、建築、和食など、日本の美意識が全て入った総合伝統文化といわれています。教養として茶道を学ぶことは、幅広い日本の伝統文化を学ぶことにもなります。日本人として、日本の伝統文化についての教養を身につければ、国際人として真の自信を持つことができます。」と茶道を修める意味と効能を語ります。

 

「おわりに」では、著者は「今、私たちが一番求めていることは、心の平静、安定ではないでしょうか。新型コロナウイルスの影響もあり、手の汚れを落とすことは生活の一部になりましたが、目にみえない心の汚れや曇りを意識したことはありますか?」と読者に問いかけます。そして千利休に「茶道とは何ですか?」と尋ねると、「渇きを医するに止まる」と答えた逸話を提示し著者は、「これは、お茶が単に喉の渇きを癒すだけでなく、心の渇きも癒すのだと答えたのです」と述べます。

 

最後に、「水を運び、薪を取り、湯を沸かし、茶を点てて、仏にそなえ、人に施し、吾も飲む」という千利休の言葉を紹介し、著者は「水を運び、取ってきた薪で湯を沸かし茶を点てる。お茶は仏様に備え、お客様にも召し上がっていただき、自分も飲む。それが茶の湯です」と本書を締めくくるのでした。わたしは、「茶道はヘルスケア・アートであり、スピリチュアルケア・アートであり、グリーフケア・アートでもある」と考えているのですが、本書を読んで、その考えが間違っていないことを確認しました。とてもわかりやすくて、興味の尽きない茶道入門書です。令和の時代の『茶の本』と言えるでしょう。

 



2022年8月6日 一条真也

広島原爆の日

一条真也です。
5日は、埼玉県大宮市で行われた業界の大先輩の通夜式に参列。6日、北九州に戻ります。今日は「広島原爆の日」です。世界で初めての核兵器が使用されてから、77年目を迎えました。広島の原爆では、14万人もの方々が即死しました。その事実に改めて心が凍りつく思いです。

2022年8月6日の各紙朝刊

 

広島原爆といえば、ブログ「この世界の片隅に」で紹介したアニメ映画を思い出します。テレビドラマ化もされましたが、わたしは2016年の11月にこのアニメ映画を観ました。もう、泣きっぱなしでした。主人公すずが船に乗って中島本町に海苔を届けに行く冒頭のシーンから泣けました。優しくて、なつかしくて、とにかく泣きたい気分になります。日本人としての心の琴線に何かが触れたのかもしれません。

 

「この世界の片隅で」の舞台は広島と呉ですが、わたしの妻の実家が広島です。映画に登場する広島の人々の方言が亡くなった妻の父親の口調と同じで、わたしは義父のことをしみじみと思い出しました。この映画は本当に人間の「悲しみ」というものを見事に表現していました。玉音放送を聴いた後、すずが取り乱し、地面に突っ伏して泣くシーンがあるのですが、その悲しみの熱量の大きさに圧倒されました。

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 広島平和記念資料館の前で

 

ブログ「広島平和記念資料館」に書いたように、わたしは8年前の2013年8月15日に広島平和記念資料館を訪れました。多くの来場者の間を縫い、わたしは館内をくまなく見学しました。そこで、わたしは人類の「業」について考えました。人類はどこから来たのか。人類とは何なのか。人類はどこに行くのか。そんなことを考えました。アメリカが原爆を日本に投下した時点で、人類は1回終わったのではないのか。そんなことも考えました。館内には英語で話している白人もたくさんいました。彼らは、ここで何を感じたのでしょうか。出来るものなら、彼らの本音を聞いてみたかったです。


原爆ドームを訪れました

 

また、ブログ「原爆ドーム」に書いたように、8年前の猛暑の広島で放心状態になりながら、わたしは原爆ドームを眺めました。もちろん人類史を代表する愚行の象徴なのですが、このような建物が当時の状態のままで保存されていることは、本当に凄いと思います。なんだか神々しく思えてきました。もはや神殿の雰囲気さえ醸し出しています。


そう、ブログ「伊勢神宮」に書いた日本最高の神社にも似て、人間の愚かさとサムシング・グレートの実在というべきものを感じさせてくれるのです。戦後、どれほど多くの人々が原爆ドームを訪れ、写真を撮影し、スケッチをし、眺め、何かを考えたことでしょう。その想念の巨大さを思うだけで、眩暈してしまいます。



この世界の片隅に」というアニメ映画の名作には、「死」と「死別」がリアルに描かれています。ちょうど5年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自ら自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。

 

般若心経 自由訳

般若心経 自由訳

 

 

2022年8月6日 一条真也

「長崎の郵便配達」 

一条真也です。東京に来ています。
5日は夕方から埼玉県大宮市にお通夜に行きましたが、朝一番で編集者と打ち合わせ。その後、シネスイッチ銀座に向かい、この日から公開のドキュメンタリー映画「長崎の郵便配達」の初回上映を観ました。「広島原爆の日」の前日に公開されたわけですが、タイトルからもわかるように、これは長崎原爆についての映画です。ブログ「長崎原爆の日」に書いたように、長崎に落とされた原爆は、もともと小倉に落ちるはずでした。小倉生まれで小倉育ちのわたしは、祈るような気持ちでこの映画を観ました。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ピーター・タウンゼントさんのノンフィクション『ナガサキの郵便配達』を基に、娘のイザベル・タウンゼントさんが長崎で父親の足跡をたどるドキュメンタリー。2018年に来日したイザベルさんが、父親のボイスメモに耳を傾けながら長崎を訪ね歩く。『あめつちの日々』などの川瀬美香が監督などを手掛け、『親密な他人』などに携わってきた大重裕二が構成などを担当する。ピーターさんや核廃絶活動家の谷口稜曄さんらが出演している」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「元イギリス空軍所属のピーター・タウンゼントさんは、後にジャーナリストとなり長崎を訪れる。彼はそこで、16歳のときに郵便配達中に被爆核廃絶のための運動に生涯をささげてきた谷口稜曄さんと出会い、1984年に谷口さんへの取材をまとめたノンフィクションを出版する。2018年8月、ピーターさんの娘である女優のイザベル・タウンゼントさんが長崎を訪問し、父親の本に登場する場所をめぐる」です。


わたしは、ピーター・タウンゼントという人を知りませんでした。英王室の元侍従武官で、マーガレット王女との世紀の恋で有名だそうです。映画「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーン演じるアン王女が恋をした新聞記者のモデルだとか。新聞記者を演じたグレゴリー・ペックは知的な風貌をしていますが、モデルとなったタウンゼントもなかなかの知的なハンサムです。王女が恋に落ちたのも納得できます。そのタウンゼントの娘であるイザベル・タウンゼントさん、さらにそのお嬢さんたちも気品のある容貌をしていました。やはり、知性や人間性は顔に表れますね。映画「長崎の郵便配達」は、イザベルさんが亡き父親の面影を求めて、長崎の街を巡るドキュメンタリーです。父であるピーター・タウンゼントが来日してインタビューを重ねた相手が、谷口稜曄(スミテル)でした。

Wikipedia「谷口稜曄」の「概要」には、「1929年(昭和4年)1月26日、福岡県糟屋郡志賀島村で谷口家の三人目の子供として生まれる。『光が届かない場所を隅々まで照らす』という意味を込めて、稜曄と名付けられた。翌年母が亡くなり、父は一人満州に渡り南満州鉄道(満鉄)に就職。稜曄を含む三人の子供は長崎市の母方の実家に預けられる。1943年(昭和18年)、淵国民学校(高等科)を卒業し、本博多郵便局で働き始める。1945年(昭和20年)8月9日、16歳のとき自転車に乗って郵便物を配達中、爆心地から1.8km地点の長崎市北郷(現:長崎市住吉町)で被爆。原爆の爆風で自転車は大破し、激しい熱線により背中と左腕に大火傷を負う」と書かれています。彼の被爆直後の写真は有名ですが、あまりに無残で正視に堪えません。この写真が、核廃絶運動に与えた影響は計り知れないと思います。


谷口稜曄は、戦後、原爆によって被害を受けた自らの体験をもとに、核兵器廃絶のための活動を続けました。2012年8月8日、ハリー・S・トルーマンの孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルと面会した際に、谷口は服を脱ぎ、被爆で背中などに負ったやけどの痕を見せました。 ダニエルは「この星に住む全ての人が見るべきだ」と述べ、核兵器廃絶の決意をあらためて示しました。谷口は「原爆を投下したのは戦争を早く終わらせるためだったと聞いている。広島の後、なぜ長崎にも落としたのかが疑問」と話し、「被爆の事実を知ってほしい」との思いから服を脱ぎました。面会後、ダニエルは「心が破れるような思いをした」と述べています。2017年8月30日、谷口稜曄は十二指腸乳頭部がんにより長崎市で死去。享年88歳。


ピーター・タウンゼントは、「自分は戦争で人を殺した。物書きとして、その責任を取りたい」と語っています。彼にとっての責任の取り方が、長崎を訪れて谷口稜曄を取材し、『ナガサキの郵便配達』を書くことでした。そして、彼の娘がその映画化を実現します。郵便配達とは、誰かの想いを誰かに届ける職業のことですが、その意味で作家も映画監督も女優も、その本質はみんな郵便配達なのかもしれません。長崎の高校生(長崎県立東高等学校生徒)が制作した「長崎の郵便配達」上映会の予告映像があります。2021年8月9日に、彼らが企画に参加した「中高生上映会」が開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により直前に中止になってしまっていました。そこで、映画の全国公開決定を受けて、2022年6月29日に【ジャパンプレミア高校生試写会】としてリベンジ開催されたのです。ここで、平和への想いを胸に刻んだ多くの新しい郵便配達が誕生したことだと思います。


挨拶する川瀬美香監督


挨拶するイザベル・タウンゼントさん

 

この日、シネスイッチ銀座に入場しようとしたら、入口で行列ができていました。公開初日の初回上映につき、「長崎の郵便配達」の舞台挨拶があるということでした。上映が終了した後に、川瀬美香監督とイザベル・タウンゼントさんが登壇して、舞台挨拶が行われました。複数のマスコミも取材に来ていました。わたしは最後列の中央通路側のO-11(シネスイッチ銀座でのわが指定席)から舞台挨拶を眺めましたが、川瀬監督もイザベルさんもマスク姿のままで淡々と映画への想い、そして平和への想いを語りました。この映画は、谷口稜曄とピーター・タウンゼント両氏の鎮魂の作品であることはもちろん、長崎原爆の犠牲者への供養にもなったように思います。前日は、同じシネスイッチ銀座ブログ「島守の塔」で紹介した日本映画を観ました。長崎原爆も、沖縄戦も、後世に必ず語り継いでいかなければならない出来事ですが、それらの映画を同時に上映しているのは素晴らしいことだと思いました。


舞台挨拶のようす


頑張れ、シネスイッチ銀座

 

わたしは、正直言って、シネスイッチ銀座という映画館が苦手です。施設は老朽化しているし、トイレも和式だし、何よりもスタッフが愛想も糞もないからです。また、この映画館の代名詞ともなったブログ「ニューシネマ・パラダイス」で紹介したイタリア映画も、世間では過剰なまでの高評価を受けているようですが、わたしはまったく評価していません。観たい映画の上映館がシネスイッチ銀座だと知ったとき、ちょっと憂鬱な気分にもなります。それでも、ウクライナで戦争が行われているこの時期に、沖縄戦と長崎原爆の映画を上映するというのはやはり素晴らしい。日本で公開される映画の70%は全映画館のスクリーンのわずか6%を占めるだけのミニシアターでしか公開されません。もし、ミニシアターがなくなったら、シネコンで上映される大作映画しか観れなくなってしまいます。その意味で、日本におけるミニシアターの先駆的存在であるシネスイッチ銀座には、いつまでも頑張ってほしい! 

2022年8月6日 一条真也

「島守の塔」

一条真也です。
石川県が記録的大雨とのことで、大変心配しています。
北陸と沖縄は、わが社にとって大切な大切な土地です。
東京に来ています。4日、ヒューマントラストシネマ有楽町でブログ「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」で紹介したフランスを映画を観た後、シネスイッチ銀座に移動して日本映画「島守の塔」を観ました。沖縄の人々の深いグリーフに接し、魂を揺さぶられました。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第2次世界大戦末期、住民を巻き込む壮絶な地上戦が行われた『沖縄戦』を描くドラマ。戦況が悪化する中、沖縄県民の命を守ろうと奔走する知事と警察部長、そして沖縄戦に翻弄された人々の葛藤を映し出す。『地雷を踏んだらサヨウナラ』などの五十嵐匠がメガホンを取り、同監督作『二宮金次郎』などの柏田道夫が共同で脚本を担当。知事を『BOX 袴田事件 命とは』などの萩原聖人、警察部長を『夕方のおともだち』などの村上淳が演じるほか、吉岡里帆、池間夏海、香川京子らが共演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「第2次世界大戦末期の1945年。沖縄が戦場となる危機が迫る中、知事として本土から赴任した島田叡(萩原聖人)は、自分が来る以前から県民の疎開に尽力していた沖縄県警察部長の荒井退造(村上淳)と共に県民の安全確保を目指す。4月、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し日本軍との間で激しい戦闘が行われ、住民を巻き込む凄惨な地上戦へと突入。島田は住民を追い詰める軍の指令に苦悩しながらも、荒井と共に県民の命を守るために奔走する」


ブログ「沖縄『慰霊の日』」にも書いたように、今から77年前の1945年4月1日、アメリカ軍は、ついに沖縄本島への上陸作戦を開始。日本で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられ、住民の死者は9万4000人に上りました。沖縄県民の4人に1人の命が失われたのです。けっして忘れてはならない悲劇です。その沖縄戦の悲劇を描いた「島守の塔」を観て、わたしは涙が止まりませんでした。また、無残に命を落としていく非戦闘民、すなわち沖縄県民の姿が目に焼き付きました。ブログ「セルビアン・フィルム」で紹介したホラー映画は「史上最悪のトラウマ映画」と呼ばれているようですが、わたしの場合は、フィクションならば、いくら描写が残酷でも絶対にトラウマにはなりません。しかし、実話を基にしたノンフィクションの残酷描写はトラウマになります。


「島守の塔」の主人公である島田叡は、1901年兵庫県神戸市生まれ。1922年に東京帝国大学法学部へ入学。東大卒業後、1925年に内務省に入省。主に警察畑を歩み、1945年1月、沖縄への米軍上陸が必至とみられている状況の中、辞令を受け、県知事として着任しました。沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力。戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「命どぅ宝、生きぬけ」と伝え、逃しました。最期は荒井警察部長とともに壕に留まり、後に摩文仁の森にて消息を断ちました。今日まで、その遺体は発見されていません。享年43歳。


島田叡と運命を共にした荒井退造は、1900年栃木県宇都宮市生まれ。明治大学夜間部を卒業、同年内務省に入省。1943年、沖縄県警察部長に就任。沖縄が戦場となる危機が迫る中、戦況を楽観視していたため疎開政策に消極的だった当時の知事に代わり、県民の疎開・保護に尽力。島田叡が沖縄県知事着任後は二人三脚で奔走し、1945年3月までに県民7万3000人の県外疎開に成功。米軍上陸により県外疎開が不可能となった状況でも島田知事と共に延べ20万人の命を救いました。最期は島田知事と摩文仁の森へ向かった後、消息を断ちました。今日まで、その遺体は発見されていません。享年44歳。


映画「島守の塔」は、荒井退造の故郷である栃木県で撮影されました。映画は新型コロナの影響で撮影が1年8カ月延期されるなど苦難を経て制作されましたが、奇しくも沖縄の本土復帰50年の年に公開となりました。東京で開催された映画の特別試写会で、五十嵐監督は「内務官僚の2人が苦悩をしながら沖縄の人たちを助けたことを知るにつれ、今だから、ウクライナの戦争もあるが撮影する意義があると考えた。(荒井退造は)地味ではあるが魅力的な方」と語っています。また、荒井退造役の村上淳は、「映画界や世界に一石を投じる作品になった。先人たちが平和というタスキを渡し続けている。見ていただく観客の方々にタスキを渡せたら」と語り、島田叡役の萩原聖人は「(島田叡知事は)発する言葉に二言がない。とにかく『人間』を見てほしい。昔の話ではなくこれからを考える人たちに見てほしい」と語りました。


この映画の俳優陣の中では、沖縄県出身で軍国主義に染まった県職員の比嘉凛役を演じた吉岡里帆の演技が素晴らしかったです。鬼気迫る表情で「生きて虜囚の辱めを受けず!」と叫び、「神国日本は必ず勝つ!」「最後は神風が吹く!」と絶叫する姿には圧倒的な迫力がありました。正直、吉岡里帆というグラドル出身の女優を見直しました。特別試写会で、彼女は「心が押しつぶされるような思いに何度も何度もなった。伝えようとエネルギーを放出しないと伝わらない。想像以上にエネルギーを込めないとと思った」と語っています。しかし、彼女の熱演を心から称賛した上で、比嘉凛役を吉岡里帆にしたのはミスキャストだと思います。京都出身の「京女」である彼女に、沖縄の女性は似合わないからです。それは比嘉凛の妹をはじめ、沖縄の女学生を演じた女優たちにも言えます。どうして、戦時中の沖縄の女学生たちが色白の八頭身の美女ばかりなのか? こういうリアリティを無視したキャスティングには大きな違和感をおぼえます。


女学生たちはガマ(洞窟)の中で従軍看護婦を務め、多くの兵士の最期を看取りました。その姿は、ひめゆり部隊を彷彿とさせます。女学生の1人が、亡くなった兵士たちの亡骸の上に、ひめゆりの花を1輪捧げるシーンがあります。それは7万年前のネアンデルタール人が死者に花を捧げたという姿を連想させました。それを見た別の女学生が、「この人たちは花を供えてもらえて幸せだ。わたしらが死んだら、誰も花を供えてくれない」と言います。また、ガマの中に投げ入れられた手榴弾で絶命するとき、「こんな所で死んだら、わたしがここで死んだことがわからなくなる。わたしのお墓参りもできなくなってしまう」と言い放った女学生の言葉が心に刺さりました。何よりも死者への想い、先祖の供養を大切にする沖縄の「唯葬論」的世界観や死生観を垣間見ることができ、感動しました。


沖縄は今、新型コロナウイルス感染拡大の第7波により、医療崩壊の危機が叫ばれています。わたしは、医療逼迫により沖縄の病床数が足りなければ、観光客やゴルフ客などの県外からの感染者は入院させるべきではないと思います。そもそも、こういう非常事態の中で、行動制限がないのをいいことに沖縄を訪れる来訪者には怒りさえ感じます。かりゆしを着たぐらいで沖縄を愛しているフリをしても無駄で、そんなパフォーマンスだけでは沖縄県民の目を誤魔化せません。沖縄を本気で愛しているのなら、服装だけでなく行動で示す必要があります。


現在、新型コロナ対策で苦境にある玉城デニー知事は、命がけで沖縄県民の命を守ろうとした島田叡知事を見習っていただきたいです。先の戦争で米軍が真っ先に沖縄に上陸してきたように、台湾有事の際には中国軍が沖縄に上陸する可能性も大です。デニー知事は、中国軍の前に、まずはコロナから沖縄県民を守らなければなりません。そのためにも、観光やゴルフを目的とした県外からのレジャー客の来訪禁止を掲げてもいいぐらいです。逆に沖縄に遊びに来る連中には、「もしコロナ感染で重症化しても、入院できないという覚悟で来い!」と言いたいです。映画「島守の塔」には、エイサーやカチャーシーの場面もありましたが、豊かな精神文化が根付く守礼之島をこれ以上「悲しみの島」にしてはなりません。映画のラストで沖縄の海上に浮かんだ太陽の光(SUNRAY)が胸に染みました。

 

2022年8月5日 一条真也