「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男の真実~」

一条真也です。
東京に来ています。8日、冠婚葬祭文化振興財団の経営会議、グリーフケア委員会の会議に出席後に予定されていた忘年会がコロナ禍で中止に。時間が空いたので、夜は吉祥寺まで足を伸ばし、映画「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男~」を吉祥寺アップリンクで観ました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「イギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」のメンバーとして知られる、ジョン・レノンの故郷リバプールを中心に撮影されたドキュメンタリー。ジョンの生い立ちや人となり、彼の音楽に影響を与えた出来事などを、友人や関係者へのインタビューによって映し出す。監督などを手掛けるのはロジャー・アップルトン。ザ・ビートルズの歴史研究家デイヴィッド・ベッドフォード氏と、詩人のポール・ファーリー氏が語り手を務めている」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「ザ・ビートルズジョン・レノンは、1940年にイギリス・リバプールで生まれる。ティーンエイジャーになった彼は、ザ・ビートルズの前身バンドであるザ・クオリーメンを結成する。リバプール・カレッジ・オブ・アートに進学後、バンドにのめり込んだジョンは、後にザ・ビートルズのメンバーとなるポール・マッカートニーらと出会う」となっています。

心ゆたかな映画』(現代書林)

 

新刊『心ゆたかな映画』(現代書林)がおかげさまで好評のようですが、同書の第1章「ミュージック&ミュージカル」では、 ブログ「ボヘミアン・ラプソディ」ブログ「ロケットマン」ブログ「エルヴィス」で紹介した音楽映画を取り上げました。それぞれ、フレディ・マーキュリーエルトン・ジョンエルヴィス・プレスリーといった偉大なミュージシャンたちの伝記映画ですが、やはり、ザ・ビートルズ、そしてその中心的存在であったジョン・レノンの伝記映画が観たいとずっと思っていました。ちなみに、ザ・ビートルズは「史上最も売れたアーティスト」で不動の1位です。2位はリアーナ、3位はマイケル・ジャクソン、4位はエルヴィス・プレスリー、5位はエルトン・ジョン、6位がマドンナ、7位がレッド・ツェッぺリン、8位がピンク・フロイドとなっています。


ジョン・レノンの映画なら、音楽映画の真打的存在のはず。それなのに、なぜ上映館が極端に少ないのか? 東京では池袋シネマ・ロサアップリンク吉祥寺ぐらいしか上映されておらず、しかも池袋は1日1回限り、吉祥寺も1日2回しか上映しないのです。「どうして、ジョン・レノンがこんな扱いを受けるのか?」と疑問でしたが、映画を観て納得。この映画、「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケットマン」「エルヴィス」みたいに俳優がミュージシャンの役を演じるドラマではなく、純粋なドキュメンタリーだからです。しかも、ジョン・レノン本人はほとんど出演せず、周囲の人々の証言で構成されているのです。さらに、ビートルズ結成までしか描かれていません。さらにさらに、ビートルズのナンバーも原曲ではなく、なぜか(見たこともない)他のミュージシャンがカバーで歌っています。正直、「なんじゃ、こりゃ?」と思いましたね。


それでも、「あらゆる映画を面白く観る男」であるわたしは、ブログ「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」で紹介したディズニーの大コケ映画に続いて、「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男~」を前向きに鑑賞しました。ジョンの母親が不倫をしていたこと、ジョンがエルヴィス・プレスリーに憧れていたこと、彼は母親と親友の死によってグリーフを抱えていたこと、彼がチャリティーをたくさん行った理由は若い頃の悪行を償うためだったという説があること・・・・・・などなど、わたしが初めて知る事実がいくつかありました。吉祥寺アップリンクの狭い4番シアター内は満員でしたが、白人の外人さんが何人かいて、映画が終わった瞬間、「ハッピーバースデー、ジョン!」と叫んで拍手をしていました。わたしは、「えっ、今日って、ジョン・レノンの誕生日だったの?」と驚きましたが、調べてみたら命日ではないですか!


ジョン・ウィンストン・オノ・レノンは、1940年10月9日に生まれて、1980年12月8日に亡くなりました。この映画の冒頭では、彼を「人類で最も有名な人物の1人」、ビートルズを「地球で最も成功したポップ・バンド」と紹介しています。ジョン・レノンは、イギリス出身のシンガーソングライター、ギタリスト、キーボディスト、平和運動家です。ビートルズを立ち上げたリーダーでボーカル、ギターなどを担当するとともに、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティング・チームを組み、多くの楽曲を作曲しました。1965年にはMBE・大英帝国第5級勲位を受章しています。1970年のビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また妻で芸術家のオノ・ヨーコ小野洋子)と共に活動しました。1975年から約5年間音楽活動を休止した後、1980年に活動を再開しますが、同年12月8日ニューヨークの自宅アパート前において銃撃され死亡。この日は、彼の42回目の命日でした。


JR吉祥寺駅のホームで

 

ところで、吉祥寺へは電車で行きました。四ツ谷駅から中央線の高尾行快速に乗ったのですが、ちょうど帰宅時間で通勤ラッシュに逢いました。もう身動きできないほど超満員で、韓国のハロウィン事故を連想して恐怖を感じました。まるで押しくら饅頭のようでしたが、押し潰されること以上に怖かったのが、痴漢に間違えられることでした。不可抗力で近くの女性に手などが触ることがありますが、それが痴漢に間違えられるのは恐怖以外の何物でもありません。しかも最近、知り合いの人から「痴漢の冤罪で捕まって、会社が倒産した社長さんがいる」と恐ろしい話を聞いたばかりなのです。痴漢の冤罪を防ぐ方法は、「片手で吊革を掴み、片手でバッグを持つ」か「片手で吊革を掴み、片手でスマホをいじる」の2つの方法しかないというので、それを実行しました。ちょうど、わたしは四方を若い女性に囲まれていたので、ドキドキしました。


映画館が入ったPARCOの前で

 

ようやく、JR吉祥寺駅に到着して、満員電車を降りたときはホッとしました。わたしにとっては大冒険でしたし、東京で電車通勤をされている方の大変さがよくわかりました。吉祥寺アップリンク吉祥寺駅のすぐ近くにあるPARCOの地下にありました。PARCOを訪れるなんて、30年ぶりぐらいです。といっても、わたしがよく訪れたのは吉祥寺ではなく、渋谷のPARCOでしたが。映画館は、ビートルズに思い入れがありそうなコジャレた高齢者の方が多かったですね。その中には、音楽関係者もかなりいたのではないかと思われます。


帰りの中央線は空いていたので、iPhoneでジョン・レノンのアルバム「ダブル・ファンタジー」を聴きながら座席に座って帰りました。「ウーマン」が流れたとき、ブログ「月の満ち欠け」で紹介した日本映画を感動が甦ってきました。FMラジオから流れてきた「ウーマン」を初めて聴いたとき、わたしは「こんなに優しくて、美しいメロディがこの世にあるのか!」と非常に感動して、涙を流しました。「イマジン」にも大きな影響を受けました。世界平和と人類平等を高らかに謳い上げたこの名曲から、わたしは「ハートピア」という考え方を得たのかもしれません。ジョンの42回目の命日であるこの日は、今年最後の満月「コールドムーン」が夜空に上っていました。その満月を見上げながら、わたしは、世界が平和であることと、ジョン・レノンの魂が安らかであることを祈りました。



2022年12月9日 一条真也

「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」

一条真也です。
東京に来ています。
7日の夕方、日比谷での打ち合わせの後、TOHOシネマズ日比谷でウォルト・ディズニー・アニメーションの最新作にして、100周年記念作品である「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」を観ました。ブログ「ソウルフル・ワールド」で紹介した名作の続編のようなイメージで観たのですが、正直、ビミョーな内容でした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「冒険家のクレイド一家を主人公に、奇妙な世界で繰り広げられる冒険を描くアクションアドベンチャー。謎に包まれた『ストレンジ・ワールド』に迷い込んだ一家が、そこである真実を知ることになる。第87回アカデミー賞長編アニメ賞を受賞した『ベイマックス』などのドン・ホールが監督を担当。ホール監督作『ラーヤと龍の王国』で脚本を手掛けたクイ・ヌエンが共同監督などを務める」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「有名な冒険家の息子だが冒険嫌いのサーチャー・クレイドは、農家として妻や息子と穏やかに暮らしていた。ある日、彼は家族と共に冒険の旅に出ることになり、もう1つの幻想的な見知らぬ世界『ストレンジ・ワールド』にたどり着く。そこにはまるで生きているかのように動く地面や、キラキラと光を放ち動く未知の生命体など、見たことのないものばかりが存在していた」

 

この「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」、ディズニー・アニメーションの最新作にして、100周年の記念作品にしては、あまり話題になっていない印象ですが、一見して、「ストーリーが弱い!」と思いました。ストーリーに重きを置かずに、アニメの作画、それも風景描写などに力を入れているのでしょうが、ブログ「すずめの戸締り」で紹介した新海誠監督のアニメ映画などに比べても絵の力は弱いように感じました。架空世界の表現としても、今月17日に公開される「アバター ウェイ・オブ・ウォ―ター」には敵わないという予感がしてなりません。


ブログ「リメンバー・ミー」ブログ「ソウルフル・ワールド」で紹介したディズニー・アニメの前作が絵はもちろん、ストーリーも素晴らしかったのに対して、「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」のストーリーはまことに貧弱で残念でしたが、「父と息子の対立と和解」というアメリカ映画の定番テーマをダブルで盛り込んでいました。つまり、祖父・父・息子といったように父親―息子の関係が2組登場するのです。ブログ『キネマの神様』で紹介した原田マハ氏の小説では、その正体を知れば映画関係者なら誰でも驚くというローズ・バッドというブロガーが、アメリカ映画の本質は「父性」にあると述べます。



『キネマの神様』で、ローズ・バッドは「アメリカにおける父性の問題は、しばしば製作者の大いなるコンプレックスとしてスクリーンに現れることがある。スティーブン・スピルバーグにとっても、長いあいだ関心を寄せるテーマのひとつだった。彼は、『フィールド・オブ・ドリームス』と同年に公開された『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』においてすら、このやっかいなお題目を取り上げようとした後年になってからも、『ターミナル』でその片鱗が垣間見られる。トム・ハンクス演じる主人公がなんとしてもアメリカにやってこなければならなかったのは、父親が固執するジャズメンのサインを手にするためという、なんとも荒唐無稽で馬鹿げた理由だった」と言います。

 

続いて、ローズ・バッドは「アメリカ人でもない男が、父親のためにすべてを賭けてアメリカに入国するという理由を捻出したあたり、スピルバーグの父性への執着が垣間見られて滑稽ですらある。ちなみにティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』の製作にも『父と息子の和解』を求めてスピルバーグは触手を伸ばしたともいう。『父性』のテーマには大監督すらおろおろと落ち着かなくなってしまうものなのだ」(文春文庫『キネマの神様』p.198〜199)と言うのでした。このように「父親―息子の対立と和解」はアメリカ映画に一貫して見られる普遍的なテーマなのですが、それを濃密に表現したのが「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」と言えるでしょう。

 

「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」の舞台となる世界は、バーチャル世界のようでも、他の惑星のようでもありますが、その正体は一個の生命体であるという設定が明らかになったとき、わたしは「ここは奇妙な世界のようでも、実体は地球だな」と悟りました。そして、「ブログ『ガイア理論』のジェームズ・ラブロック死去」で紹介した今年7月26日に103歳で死去した世界的に有名なイギリスの科学者の「ガイア理論」を連想しました。ラブロックは、地球をひとつの生命体と考え、気候変動に関する先駆的な研究で知られていました。

 

 

わたしは、学生時代にラブロックの『地球生命圏――ガイアの科学』星川淳訳(工作舎)を読んで以来、ガイア仮説に魅了されました。科学的かどうかは別にして、そのロマンティックな考え方に夢中になったのです。ブログ『リゾートの思想』で紹介した1991年2月に上梓した一条本は、人間にとっての理想の土地、すなわち「理想土」について考察した本ですが、その第2章「リゾートのキーワード=20」の14「ネイチャー」でガイア仮説を紹介しました。当時のわたしは1989年10月に設立した(株)ハートピア計画(東京都港区西麻布)の代表取締役として、リゾート開発のコンセプト・プランニングなどの業務を行っていました。

リゾートの思想』(河出書房新社

 

リゾートの思想』の中で、わたしはこう書いています。
「現在、自然環境の問題はリゾートに限らず、また日本に限らず、全地球的なレベルでの最大の問題となっている。酸性雨、砂漠化、フロンガスによるオゾン層の破壊、二酸化炭素による温暖化、森林伐採による熱帯林の減少など、ほころびの目立つ地球環境をめぐって、大きな国際会議がいくつも世界各地で開かれている。1992年には環境開発国連会議も開催される。21世紀のグランド・キーワードは間違いなく『地球』と『神』だろう。ここで、われわれがどうしても知っておかねばならない理論がある。地球全体を一個の生命体ととらえた『ガイア仮説』である。イギリスのフリーの科学者J・E・ラブロックによって唱えられているものだ。新世代(ニュー・エイジ)の地球像は、『宇宙空間から眺めた地球は、文字通り一つの生命体だった』という宇宙飛行士たちの証言に代表される。NASAの字宙計画の共同研究者として火星の生命探査計画に参画したラブロックは、この宇宙飛行士たちの啓示を、大気分析、海洋分析、システム工学などを駆使して実証科学に置き換えた。出発点となった『一つの生命体としての地球』の名前は『ガイア』。ギリシア神話の大地の女神で、天文神ウラノスの母でもあり妻でもあったという初源の神の名である。地理学(ジオグラフィー)や地質学(ジオロジー)の語源ともなっている」

リゾートの思想』より

 

また、わたしは以下のようにも書いています。
「ラブロックは大気分析を通して火星には生命が認められないことを実証した後、改めて地球の大気の特異性に着目した。そして、バクテリアから人間まで、地上の生きとし生けるものはもとより、大気や海などの環境も含めて1つの生命体と見なす『ガイア仮説』を打ち出したのである」
ラブロックは、『地球生命圏』で以下のように述べます。
「母なる大地」という概念や、ギリシア人たちが速い昔<彼女>をガイア(Gaia)と呼んだような考え方は歴史上ひろくみられるものであり、いまなおもろもろの大宗教に説かれるひとつの信条の基盤ともなってきた。自然環境に関する事実の集積と、生態学の進展にともなって、最近、生命圏(バイオスフィア)は土壌や海洋や空中を自然生息地とするありとあらゆる生き物たちの単なる寄せ集め以上のものではないかという推測がなされるようになっている。古来の信条と現代の知識は、宇宙飛行士たちがわが目で、われわれがメディアを介して、宇宙の深い聞に浮かぶまばゆいばかりの美しさに包まれた地球を見たときの驚異の中に融合したといえよう。けれども、この感覚がいかに強いものであれ、それだけで母なる地球が生きているという証拠にはならない。宗教的信条と同様、それは科学的に検証不可能であって、さらなる理論的考察に耐えることができないのである。


さらに、わたしは以下のように述べています。
「宇宙空間への旅は、地球を見る新たな視座を提供するという以上の意味をもっていた。外空間からはまた、地球の大気や表面についての情報が送り返されて、惑星の生物と無機物間のさまざまな相互作用に関する新しい洞察をもたらしてくれたのである。ここからひとつの仮説、モデルが現われた。つまり、地球の生物、大気、海洋、そして地表は単一の有機体とみなしていい複雑なシステムをなし、われわれの惑星を生命にふさわしい場所として保つ能力をそなえているのではないかという仮説である。ラブロックはガイアを、地球の生命圏(バイオスフィア)、大気圏、海洋、そして土壌を含んだ1つの複合体と定義している。つまり、この惑星上において生命に最適な物理化学環境を追求する1つのフィードバック・システム、あるいはサイパネティック・システムをなす総体である。積極的なコントロールによって様々な条件を比較的安定した状態に保つという現象は、<恒常性(ホメオスタシス)>という術語でうまく表現できる」

 

そして、わたしは「もしガイアが存在するとすれば、彼女とその複雑な生命システムの中で最も優勢な動物種である人間との関係、そしてその両者の間で逆転しつつあるとおぼしき「力のバランス」が重大問題となるのは明らかだ。ガイア仮説は自然を、鎮圧され征服されるべき未開の力と見なす悲劇的な見方に対する代案(オルタナティヴ)であり、われわれの惑星を、操縦士も目的もなく永遠に太陽の内軌道をめぐる狂った宇宙船と見る、気の滅入る地球像への代案でもある。われわれはガイアのパートナーとして、汚染によって病んでいる彼女を癒さなければならない。何よりもまず、彼女を愛さなければならない。地球は生きている。そして、われわれは生きた地球の一部としての生きたリゾートをつくるのである。生きたリゾートにおいて、われわれはガイアの息吹や心臓の鼓動を感じるに違いない」と述べるのでした。


いま、『リゾートの思想』を読み返すと、今から30年以上も前に現代社会のキーワードである「SDGs」も、「ウェルビーイング」も、「マインドフルネス」も、すべて視野に入れて、またそれらが新時代のキー・コンセプトであることを自覚して論じていることに、われながら驚きます。この本を書いたのは28歳でしたが、明らかに現在のわたしの考え方がよく示されていることに気づきます。わたしにとって、「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」は、乗り越えるべき「父」と「母」なる地球が同時に描かれた一種の家族映画のような印象を持ちました。



2022年12月8日 一条真也

師走の東京へ 

一条真也です。
7日の朝、わたしは北九州空港に向かいました。そこから、スターフライヤー78便に乗って東京に飛ぶのです。早朝の小倉の気温が5度でずいぶん寒かったので、厚手のコートとマフラーを持っていきました。

北九州空港の前で

本日の北九州空港のようす

いつも見送り、ありがとう💛

それでは、行ってきます💛

 

今回の東京出張は、副理事長を務める冠婚葬祭文化振興財団の経営会議、委員長を務めるグリーフケア委員会の会議、それにこの日が発売日の『葬式不滅』のプロモーション打ち合わせ、次回作『供養を忘れた日本人』(産経新聞出版)の打ち合わせなどです。時間があれば、東京でしか鑑賞できない映画も観たいと思います。

スターフライヤーの機内で

 

この日は10時10分発のスターフライヤー78便に搭乗。乗客率は7割ぐらいといった感じでしょうか。この日のわたしは、シャツ、ネクタイ&ポケットチーフ&不織布マスクをパープルでコーディネイトしました。ブログ「マスクを楽しむ!」のように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機では、必ず不織布マスクを着用します。

機内で、読書しました

 

機内では、いつものようにコーヒーを飲みながら読書をしました。この日は、現在ベストセラーになっている『死は存在しない』田坂広志著(光文社新書)を読みました。著者は、1951年生まれ。1974年東京大学卒業。1981年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。1987年米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。1990年日本総合研究所の設立に参画。取締役等を歴任。2000年多摩大学大学院の教授に就任。現名誉教授。同年シンクタンク・ソフィアバンクを設立、代表に就任。著者は、本書を、「死」を直視すべきときを迎えている方々、「科学」にも「宗教」にも疑問を抱かれている方々、最先端量子科学の「仮説」に興味を持たれている方々、人生で「不思議な体験」が起こる理由を知りたい方々、肉親の「死」について切実な思いを抱かれている方々、「死」についての思索を深めたい方々などに読んでほしいと思って書いたそうです。わたしには馴染みの考え方なども多く書かれており、すらすらと面白く読めました。

羽田空港に到着

いつものラーメン店に入りました

 

羽田空港には15分早い11時25分に到着しました。気温は14度で、厚手のコートだと暑かったです。ランチタイムが近かったので、わたしは、いつものラーメン店に入って「醤油ラーメン」を注文しました。わたしは九州の豚骨ラーメンよりもシンプルな醤油ラーメンの方が好きなのです。食後は、赤坂見附の定宿に向かいました。その後は、日比谷で打ち合わせです。

今日は、シンプルな醤油ラーメン!

さあ、行動開始です!

 

2022年12月7日 一条真也

「ふくおか経済」年末取材 

一条真也です。
6日の16時から、「ふくおか経済」の取材を受けました。金子大介さんが来社されました。取材のテーマは、年末恒例の「2023年の抱負」です。わたしは、ネクタイ、ポケットチーフ、不織布マスクをオレンジのコーディネートで臨みました。


本日の取材のようす

 

冒頭、翌7日に発売される110冊目の一条本となる『葬式不滅』(オリーブの木)について話しました。同書は、宗教学者で葬式無用論の代表的論客である島田裕巳氏の著書『葬式消滅』に対する反論の書です。当初、わたしは同書のタイトルを『葬式復活』にしようと考えていました。誤解のないように言うならば、葬式はけっして消滅していません。ゆえに復活させる必要はありません。では、なぜゆえ『復活』と考えたのか。それは、超高齢社会を迎えたわが国にとって、葬式も変わらなければいけないと思っているからです。

葬式不滅』について語りました

 

ましてや、コロナ禍の今、ポストコロナ時代を見据えて、葬式は変わらなければいけません。要・不要論ではなく、どう変化していくかです。わたしはそれを「アップデート」と呼びたいと思います。その結果、わたしは『葬式復活』ではなく、『葬式不滅』であると思い至りました。同書は、わたしにとって、『葬式は必要!』(双葉新書)、『永遠葬』(現代書林)に次ぐ「葬式三部作」の完結編となる書であり、使命と志の書でもあります。


コンパッション都市について

 

同書の中では、わたしが全互協の副会長時代に取り組んできたグリーフケア資格認定制度についても説明していますし、最後は「コンパッション都市」についても言及しました。今年5月に上梓した『論語と冠婚葬祭』(現代書林)とともに、葬式必要論の中核をなすと考えます。なお、『論語と冠婚葬祭』は12月10日付の「日本経済新聞」の葬式特集で、『葬式消滅』と一緒に取り上げられます。

心ゆたかな映画』について語りました

 

次に、現在話題の最新刊『心ゆたかな映画』(現代書林)について話しました。わたしは今年、100回以上映画館に足を運び、映画鑑賞しました。北九州市は人口1人当たりの映画館数が日本一の映画都市です。わが社は、市内のシネコンで全上映作品にCMを流しています。その北九州市でオールロケを敢行した日本映画「レッドシューズ」(雑賀俊朗監督)が北九州で先行上映されます。9日に行われる記念舞台挨拶で、わたしは主演女優の朝比奈彩さんに花束を贈呈する予定です。というのも、この映画に出演したからです。といっても、チョイ役です。セレモニーホールでのシーンに、主人公・真名美の親戚の役で出演しました。交通事故で亡くなった真名美の両親の葬儀のシーンですが、わが社の小倉紫雲閣で撮影されました。


最近の映画との関わりについて説明

 

小倉紫雲閣で撮影された映画といえば、2018年に公開された「君は一人ぼっちじゃない」(三村順一監督)でも舞台になりました。この映画では、松柏園ホテルでの宴席シーンも登場し、わたしは地元の富豪の佐久間社長(笑)に接待される経営者役で出演。「佐久間さん、今日はご馳走様。先にカラオケに行ってるからね」という間抜けなセリフもありました。映画といえば、拙著『愛する人を亡くした人へ』を原案とした映画「愛する人」(仮題)の製作が決定しています。驚くような有名俳優が出演する予定です。さらには、文部科学省の推奨を受けたグリーフケアドキュメンタリー映画の製作も決定しました。こちらにも、不肖わたしが出演します。


映画「愛する人へ」について

 

先日、旦過市場の大火で消失した老舗映画館の「小倉昭和館」のイベントを訪れました。無声映画活弁士付きで上映するイベントでしたが、高齢者の方々で満員だったので驚きました。映画好きの高齢者は多いということを痛感しました。コロナ前、わが社は互助会の会員様や高齢者の方向けに無料の映画上映会を行ってきました。紫雲閣の「セレモニーホールからコミュニティホールへ」の進化の一環です。最初は2018年7月21日に 小倉紫雲閣の大ホールで開催された「友引映画館」でした。この上映会は、葬儀や告別式の比較的少ない友引の日に、映画を通じて交流を深めていただこうという意味で「友引映画館」と名付けました。ステージには大スクリーンが掲げられ、通常の映画館と変わりない迫力で映画が楽しめます。


いろんな質問をお受けしました

 

2019年には友引映画館で「1939年映画祭」を開催しました。1939年は映画史における奇跡の年で、西部劇の最高傑作「駅馬車」、ラブロマンスの最高傑作「風と共に去りぬ」、ミュージカルおよびファンタジー映画の最高傑作「オズの魔法使」の三本が誕生しました。この三大名作が製作80周年を迎えた2019年に、わが社が3作を同時上映するという世界初の映画祭を開催したのです。多くの高齢者の方々が楽しんで下さいました。


さまざまな縁で「有縁社会」の再生を!

 

わたしは、同じ映画を観て心を通わせるというのは素晴らしい縁であり、映画の縁としての「映縁」だと思いました。映縁は永遠の心の結びつきとなります。映画による「映縁」、読書による「読縁」、囲碁による「碁縁」、俳句による「句縁」、温泉による「湯縁」、そしてグリーフケアによる「悲縁」・・・・・・わが社は、さまざまな「縁」づくりのお手伝いをして「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生したいと考えています。


わが社の商品名は「おもいやり」

 

さらに、わが社は「悲しみを共にする共同体」としての「コンパッション都市」づくりに貢献したいと考えています。老い・病・死・死別の悲嘆をケアするコミュニティです。英語の「コンパッション」を直訳すると「思いやり」ですが、多くの著書で述べてきたように、思いやりは「仁」「慈悲」「隣人愛」「利他」「ケア」に通じます。なんと、わが社の互助会商品名は「おもいやり」というのです。わが社は、もともと、コンパッション都市ならぬコンパッション企業だったのです。


コンパッショナリー・カンパニーへ!

 

これまで、わたしの代名詞的な言葉であった「ハートフル」と「グリーフケア」の間をつなぐものも「コンパッション」であることに気づきました。ついに、究極のキーワードに巡り合った思いです。これからのサンレーは、「コンパッショナリー・カンパニー」を目指しますが、「ミッショナリー」から「アンビショナリー」、そして、「コンパッショナリー」へ。わが社が目指す企業コンセプトのアップデートの歴史はまるで大河ドラマのようです!

「ふくおか経済」2022年新年号

 

2022年12月6日 一条真也

施設の児童ら晴れ着姿撮影

一条真也です。
ワールドカップで日本がクロアチアに敗れ、今朝は悲しい気分で目を覚ましました。でも、熱いコーヒーを飲みながら「読売新聞」を開くと、ホッコリと温かい気分になりました。わが社の記事が掲載されていたからです。


「読売新聞」2022年12月6日朝刊

 

記事は「施設の児童ら晴れ着姿撮影」の見出しで、以下のように書かれています。
「経済的理由で七五三などの行事に参加できない子どもたちに、一生に一度の機会を記念に残してもらおうと、冠婚葬祭業のサンレー(本社・北九州市佐久間庸和社長)が5日、園児らに晴れ着を着てもらい、記念写真を撮影するサービスを行った。同社が昨年から始めた取り組みで、今年は年内に北九州市内7か所の児童養護施設から計20人が参加を予定している。この日は、児童養護施設『双葉学園』から4~7歳の園児や児童5人が同市小倉北区松柏園ホテルで撮影に臨んだ。着付けなどは無償で行われ、子どもたちは晴れ着を身にまとい、笑顔で写真に納まっていた。同施設ケアワーカー室の籾井真由美担当係長(45)は『今日の撮影が決まった時から、子どもたちはわくわくしてカウントダウンするなどしていた。記念に残ってありがたいし、子どもの成長にも感動できた』と話していた」


天使育児園からのお礼の色紙(掲載許可を頂いています)


松柏園スタッフも大感激!

 

サンレーグループでは、各地で児童養護施設に入所されているお子さんたちに七五三や成人式の晴れ着の無償レンタルを行っています。今回、七五三でお世話をさせていただいた児童養護施設社会福祉法人天使育児園のお子さんたちからのお礼の色紙が松柏園ホテルに届きました。このように感謝の気持ちを「かたち」として表現する教育をされている天使育児園の先生方に心からの尊敬の念を抱きます。松柏園のスタッフたちも感激していました。


わが社の互助会商品名は「おもいやり」

 

七五三は不安定な存在である子どもが次第に社会の一員として受け容れられていくための大切な通過儀礼です。成人式はさらに「あなたは社会人になった」というメッセージを伝える場であり、新成人はここまで育ててくれた親や地域社会の人々へ感謝をする場です。長寿祝いも含めて、すべての人生儀礼は「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの成長をこの世界は祝福している」という存在肯定のセレモニーです。万物に光を降り注ぐ太陽のように、サンレーはすべての人に儀式を提供したいという志を抱いています。「コンパッション」は日本語に直訳すると「思いやり」ですが、わが社の互助会商品名は「おもいやり」。わが社は、互助会部門でも施行部門でもコンパッションの提供を願っています。キリスト教の「隣人愛」、仏教の「慈悲」、儒教の「仁」などを英語にすると「コンパッション」ですが、松柏園ホテルはコンパッション・ホテルを、紫雲閣はコンパッション・ホールを、そして、サンレーはコンパッショナリー・カンパニーを目指します!

「おもいやり」を届けたい!

 

2022年12月6日 一条真也

サムライの涙

一条真也です。
本当に残念でした。ブログ「日本、よく頑張った!」にも書いたように、ワールドカップ決勝トーナメントで、日本はPK戦でクロアチアに敗れました。前田大然が値千金の先制点を奪取し、大きなアドバンテージを得て前半を終了しました。後半10分にクロアチアが1点を返すまでは、日本のサッカーの歴史の中で最も輝いた時間でした。



しかし、前大会の準優勝国・クロアチアは強かった! 
最後は、悪夢のようなPKでの幕切れでした。でも、日本はよくやりました。強豪を相手にもっと苦戦するかと思っていましたが、まったく互角の死闘を演じました。

涙の色サムライブルー

 

選手たちは泣いていました。観客も泣いていました。多くの日本人も深い喪失感に包まれることでしょう。ある意味で、今日の日本人はグリーフケアが必要かもしれません。日本は、いま、「悲縁」で包まれています。そして、選手たちの涙の色サムライブルー。この涙は日本人の「こころ」を1つにしてくれたのではないでしょうか?

涙の色サムライブルー

 

わたしは非常に涙もろいです。感動する話を聞いても、悲しい映画を観ても、涙が溢れ出ます。長女の結婚式では、ボロ泣きしました。社員の頑張りや仕事への熱い想いなどに触れたときにも、涙腺がよく緩みます。でも、わたしの涙に気づいた社員は、何か悪いものでも見たかのようにあわてて目をそらすことが多いです。おそらく、「社長ともあろう者が、泣くなんて」と驚いているのでしょう。



一般に大人の男は涙など流すものではないとされています。しかし、昔の武士などはよく泣いたようです。武田信玄の『甲陽軍艦』には、「たけき武士は、いづれも涙もろし」とあります。戦に勝ったといっては泣き、仲間が生き残っていたといっては泣いたようです。偽りや飾りのきかない、掛け値なしの実力稼業。それは、情緒、感動においてもむきだしのあるがままに生きることだったのです。



時代は下って江戸時代の末期、つまり幕末の志士たちもよく泣いたようです。吉田松陰なども泣癖があったとされています。松陰は、仲間と酒を飲み、酔って古今の人物を語るのを好みましたが、話題が忠臣義士のことにいたると、感激のあまりよく泣いたといいます。わたしは松陰ほど純粋な心の持ち主はいなかったと考えており、彼の真心が明治維新を呼び起こしたと思っています。



坂本龍馬もよく泣いたそうです。司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』(文藝春秋)にそのあたりの様子が生き生きと描かれています。かの薩長連合がまさに成立せんとしたとき、薩摩藩西郷隆盛を前にした桂小五郎が、長州藩の面子にこだわりを見せました。その際、龍馬は、「まだその藩なるものの迷妄が醒めぬか。薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」と、すさまじい声で呼び捨てにし、「われわれ土州人は血風惨雨……」とまで言って、絶句したという。死んだ土佐の同志たちのことを思って、涙が声を吹き消したのです。

 

 

そして、「薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩摩藩長州藩のためではないぞ。君にせよ西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人・薩摩人なのか」という有名な言葉はおそらく泣きじゃくりながら言い放たれました。この時期の西郷と桂の本質を背骨まで突き刺した龍馬の名文句であり、事実上この時に薩長連合は成ったと言えますが、西郷や桂を圧倒した龍馬の涙の力も大きかったのではないでしょうか。



龍馬をめぐるエピソードで涙に関するものがもう1つあります。徳川幕府の最後の将軍、徳川慶喜が古い政治体制の終焉によって大きな混乱と犠牲が日本の社会に強いられることを避けようと大政奉還する決意をしたとき、それを後藤象二郎からの手紙によって知った龍馬は、顔を伏せて泣いたといいます。龍馬が泣いていることに気づいた周りの志士たちは、無理もないであろうとみな思ったそうです。この一事の成就のために、龍馬は骨身をけずるような苦心をしてきたことを一同は知っていたからです。



しかし、龍馬の感動は別のことでした。やがて龍馬は、泣きながら「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」と言いながら慶喜の自己犠牲の精神をたたえて、さらに涙を流したといいます。そのときの言葉と光景は、そこにいた中島作太郎や陸奥陽之助たちの生涯忘れえぬ記憶になったといいます。龍馬が画策した革命の流れのなかで、大方の革命に必然な血なまぐさい混乱を慶喜が自ら身を退くという犠牲によって回避したということを、革命の仕掛け人である龍馬こそが他の誰よりも評価したに違いありません。



司馬遼太郎が言うように、徳川慶喜坂本龍馬は、日本史のこの時点でただ2人の同志でした。慶喜はこのとき坂本龍馬という草莽の士の名も知らなかったでしょう。龍馬も慶喜の顔を知りません。しかし、この2人はただ2人だけの合作で歴史を回転したのです。もちろん『竜馬がゆく』は小説ですから、以上のエピソードは完全な史実ではないでしょう。しかし、坂本龍馬という人の感情の豊かさをよく表わしていると思います。同じく司馬の『翔ぶが如く』を読むと、西郷隆盛もよく泣いたことがわかります。

 

 

維新の志士たちは司馬の言葉を借りれば、「感情量が大きかった」のでしょう。人間は近代に入ると泣かなくなりました。中世では人はよく泣きました。中世よりもはるかに下って松陰や龍馬や西郷の時代ですら、人間の感情量は現代よりもはるかに豊かで、激すれば死をも怖れぬかわり、他人の秘話を聞いたり、国家の窮迫を憂えたりするときは、感情を抑止することができなかったようです。

 

 

涙を流すと、人は心をさらけ出し、この上なく人間らしくなります。「聖人」として多くの人々に仰がれた孔子も感情量の豊かな人だったようです。『論語』の「先進」篇には孔子が大泣きした場面が登場します。愛弟子である顔淵が死んだとき、「ああ、天はわれをほろぼした」と叫んで人前もはばからず慟哭したのです。周囲の者は驚きましたが、孔子は「この人のために泣かなくて、一体誰のために泣くのか」と言ったといいます。弟子たちの感動ぶりが目に浮かぶようです。

 

 

人間が泣くと、涙が出ます。この涙には大きな秘密が隠されているように思います。涙とは、つまるところ、共感のかたち。童話作家アンデルセンは、「涙は人間がつくるいちばん小さな海」という有名な言葉を残しています。わたしたちは、小さな海をつくることができます。その小さな海は大きな海につながっているように、それぞれの人間の心も深い人類の集合的無意識でつながっています。

 

 

たとえ人類が、民族や国家や宗教によって、その心を分断されていたとしても、いつかは深海において混ざり合う。泣くこと、そして涙を流すことは、人間同士がつながっていることの証なのです。そして、人類はSDGsからウエルビーイングを経て、悲しみを共にする「コンパッション」の次元へと向かっていくのではないでしょうか。なお、「涙」については、『孔子ドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


本当にお疲れ様でした!

 

それにしても、サムライジャパンはよく頑張りました。ドイツとスペインを連破し、ある意味で「新しい景色」を日本人に見せてくれました。森保監督には「夢をありがとう!」と言いたいです。日本代表のみなさん、本当にお疲れ様でした。立派な戦いぶりでした。この悔しさと経験をぜひ未来につなげて下さい!

 

2022年12月6日 一条真也

日本、よく頑張った!

一条真也です。
ワールドカップ決勝トーナメント1回戦の日本vsクロアチアは総力戦でした。死闘でした。最後は、PKで日本は敗れました。日本は「新しい景色」を見れませんでした。

日本、PKで敗れる!

 

7大会連続7度目のワールドカップ出場となるサッカー日本代表は、ドイツ、スペインに勝利してグループリーグを1位で通過、ベスト8をかけてクロアチアと戦いました。このブログ記事の直前記事はブログ「祈」ですが、わたしは祈るような気持ちでABEMA観戦しました。


日本は気迫に満ちていた

 

わたしは、森保ジャパンが発足時に掲げた「ベスト8以上」という目標を成し遂げる日がついに来たと思っていました。かつて3度、阻まれたラウンド16という高い壁を乗り越える戦いが始まりましたが、試合開始早々、わたしは「今日はいける!」と思いました。日本代表のメンバーたちが気迫に満ちていたからです。


クロアチアも気迫に満ちていた

 

しかし、相手のクロアチア代表も気迫に満ちていました。W杯で優勝経験のあるドイツやスペインに比べて格下のように思われるクロアチアですが、前大会の準優勝国であり、実力には定評があります。ましてや、クロアチアといえば、かの「格闘サイボーグ」と呼ばれたミルコ・クロコップの母国です。彼らが闘争心の塊であることはすぐわかりました。ミルコみたいな奴が11人いたら怖いですね!

前田が先制点を奪取!

 

前半は、互いに相手の隙を狙う、にらみ合いのようなゲームが展開されました。日本はクロアチアの長短を使い分ける巧みなゲームプランに惑わされ、連係不足でピンチを作るシーンもありましたが、先制点を許しません。時間の経過とともにペースは日本に移り、次第に中盤の争いで優位に立ちます。この流れで得たCKから、前田大然が値千金の先制点を奪取。大きなアドバンテージを得て試合を折り返しました。

死闘の末に敗れる!

 

日本は1点リードで後半へ。開始10分、クロアチアが1点を返しました。追加点を狙う中、一進一退の展開が続きました。そして1―1のまま延長戦に突入。延長前半終了間際には三笘がドリブルで突破し、強烈なシュートを放ちました。その瞬間、わたしは「入った!」と思いましたが、が相手GKの好セーブに阻まれました。そして延長後半までいきましたが、120分で1―1で引き分け。PK戦の末、3人が失敗して敗れました。日本は過去3度、決勝トーナメントに進出。2010年南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦でPK戦まで持ち込みましたが、敗れています。このときも悪夢を見た思いでした。


日本代表、よく頑張った!

 

本当に、PKほど残酷なものはないと思います。
2010年のPK敗戦を体験している本田圭祐がABEMAの解説者を務めていましたが、彼は「PKは見れない」と何度もつぶやいていました。よほど深いトラウマがあるのでしょう。彼は「PKは運ですよ」とも言っていました。そうかもしれません。日本は惜しくも敗れましたが、本当によく頑張りました。W杯でドイツとスペインを連破したことは偉業であり、必ず今後の日本サッカーに大きな影響を与えることと思います。


サッカーは「相互扶助」のスポーツ

 

いつもながら、ワールドカップを観戦すると、いろんなことを考えます。日本で唯一ゴールを決めた前田は、「チームのためのボールを待っていれば、いつか自分のためのボールが来るんです」と言いました。わたしは、ブログ「ワールドカップに学ぶ」にも書きましたが、サッカーは「相互扶助」のスポーツであると改めて認識しました。サッカーは言うまでもなく団体競技であり、個人競技ではありません。会社をはじめとした組織もしかり。個人の力だけではやれることに限界があり、すぐれた業績をあげるには必ずチームプレーを必要とするものなのです。


何事もパスとガードが必要!

 

特にサッカーほど選手間の協力が必要なスポーツはなく、パスし合ってガードし合って、初めてゴールという結果になる。まさに「相互扶助」を形にしたものの1つがサッカーだと思います。スポーツにおける相互扶助がサッカーで、社会における相互扶助がボランティア。そして、経済における相互扶助システムこそ、わが社のような冠婚葬祭互助会ではないでしょうか? 互助会という職種も相互扶助そのものですが、わが社も相互扶助の心で、社員がお互いにパスやガードをし合って、見事にゴールを決めたいものだと強く思いました。そして、社長をはじめとしたリーダーはつねに「何事も陽に」とらえ、ポジティブなメッセージを現場に発信したいものです。


サッカーは「スピード」のスポーツ

 

また、サッカーは「スピード」のスポーツでもあります。90分以上を全速力で走り回るのもすごいことですが、単にスピードということだけなら、陸上や水泳もそうでしょう。しかし、サッカーが陸上や水泳と違うのは「変化への対応のスピード」を必要とすることです。攻守の状況は一瞬にして変化する。それに応じてすばやく動く。まさに、わが社の「S2M」にある「スピード・トゥー・マーケット」そのものです。市場の変化への迅速な対応なのです。

サッカーは「情報ネットワーク」のスポーツ

 

なぜ、サッカー選手は変化への迅速な対応が可能なのか。それは、サッカーが「情報ネットワーク」のスポーツだからです。各人がそれぞれに情報を得たら、すばやく他の選手に伝える。サッカーとは、11角形の情報ネットワークが常にアメーバのように形を変えながら動いている競技だと思います。先ほどの「相互扶助」とも重なりますが、わが社も社員全員が必要な情報を共有して、互いが得た情報をすばやく交換して、市場の変化に対して迅速に対応できる会社でありたいものです。今回の日本vsクロアチアの死闘を見て、そんなことを考えました。いつか、日本が「新しい景色」が見れる日を信じています。


2022年12月6日 一条真也