「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」

一条真也です。
7日の夜、ブログ「モンテ・クリスト伯」で紹介したフランス・ベルギー映画を観た後、日比谷から有楽町に移動。アイルランドアメリカ・ベルギー映画ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」をヒューマントラスト有楽町で観ました。本作は、今年観た170本目の映画です。

 

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
ナチスに反抗した実在のドイツ人牧師ディートリヒ・ボンヘッファーの半生にフォーカスしたドラマ。ユダヤ人迫害や聖職者のアドルフ・ヒトラーへの崇拝を危惧したボンヘッファーがスパイになって「ヒトラー暗殺計画」に加わる。メガホンを取るのは『戦場のレジスタンス』などのトッド・コマーニキ。『屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ』などのヨナス・ダスラー、『復讐者たち』などのアウグスト・ディールのほか、デヴィッド・ジョンソン、モーリッツ・ブライブトロイらが出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「第2次世界大戦下のドイツ。牧師のボンヘッファー(ヨナス・ダスラー)は、ユダヤ人迫害を推し進めるアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権に怒りを覚え、聖職者にもヒトラーを崇拝する人が現れていることに危機感を抱く。宗教にまで影響をおよぼすヒトラーを全人類の脅威と見なしたボンヘッファーは、ドイツの教会を守るために反ヒトラー勢力に加わる。スパイとして活動するボンヘッファーは、やがて『ヒトラー暗殺計画』に加担する」



アドルフ・ヒトラーは幼少期にキリスト教に触れ、聖職者になることを夢見た時期もあったそうです。でも、これは信仰心よりも儀式や建物への憧れが強かったようです。実際、ナチスの儀式や建物、そしてデザインは明らかにカトリックの影響を受けています。ナチスは、初期にはキリスト教の教義を自らのイデオロギーに取り込もうとし、一部の信条を「積極的キリスト教」として掲げましたが、これはナチスの人種主義と結びついたものでした。



ナチスユダヤ人を迫害しましたが、そもそもキリスト教の開祖であるイエスユダヤ人として生まれ、ユダヤ人のメシア(救世主)であると信じられていました。イエスユダヤ教の律法に従い、シナゴーグ(会堂)に通い、ユダヤ教の祭りに参加するなど、ユダヤ人としての生活を送っていました。イエスの教えや生涯を記した新約聖書の最初の節では、イエスアブラハムダビデの子孫だと記されています。


ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教

 

拙著ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教(だいわ文庫)に書いたように、イエスは、ユダヤ教徒が待ち望んでいたメシア(救世主)として、神の愛と隣人愛を説きました。イエスユダヤ教を批判的な形で継承し、神の国がすでにこの世に実現されつつあると教えました。イエスの死後、弟子たちはイエスを「キリスト」とみなし、彼らの信仰と宣教の対象として原始キリスト教が成立したのです。ちなみに、『旧約聖書』はユダヤ教キリスト教の共通聖典です。

 

ナチスは、ユダヤ人の迫害(ホロコースト)と並行して、ドイツ国内のキリスト教に対しても弾圧を行いました。ナチスが掲げる人種主義や国家への絶対的な忠誠と、キリスト教の教義が対立したからです。ナチスは、国家のイデオロギーに沿わない教会やキリスト教徒を抑圧し、宗教団体を国家統制下に置きました。ナチスに批判的な聖職者を投獄したり、教会関係者の行動を監視したりしました。これに対し、ディートリヒ・ボンヘッファー牧師のように、ナチスに抵抗する活動に身を投じたキリスト教徒も存在したのです。

 

トッド・コマーニキ監督が「キリスト新聞」の取材を受けているのですが、「聖書の十戒に『殺してはならない』とあるように、牧師が殺人計画へ参与することは深刻な存在論的矛盾と言えるほどに困難な問題が伴うように感じます」というインタビュアーの発言に対して、監督は「まさしくその点こそ、ボンヘッファーが死の刻まで抱えた問いであったはずです。これについて友人との会話が遺されていますが、ボンヘッファーはそこで、『ヒトラー暗殺、神はこれをすることを罪とみなすだろうか。あるいは、これをせざることを罪とみなすだろうか』と問うているのです」と答えています。

 

ディートリヒ・ボンヘッファー(1906年~1945年は、ドイツの古プロイセン合同福音主義教会(ルター派)の牧師でした。20世紀を代表するキリスト教神学者の一人とされています。反ナチ主義者として知られた彼は、第二次世界大戦中にヒトラー暗殺計画に加担し、別件で逮捕された後、極めて限定された条件の中で著述を続けました。その後、暗殺計画は挫折。ドイツ降伏直前にフロッセンビュルク強制収容所で処刑。ベルリン州立図書館の一階には、絞首台のロープが首にかけられたボンヘッファーを描いた大理石の胸像が展示されています。

 

 

それにしても、ナチスを題材とした映画の数の多さには驚きます。ブログ『ナチス映画史』で紹介した馬庭教二氏の著書によれば、近年、ヒトラーナチスを題材とする映画が多数製作、公開されています。2015年から2021年の7年間に日本で劇場公開された外国映画のうち、ヒトラーナチスを直接的テーマとするものや、第2次大戦欧州戦線、戦後東西ドイツ等を題材にした作品は筆者がざっと数えただけで70本ほどありました。この間毎年10本、ほぼ月に1本のペースでこうした映画が封切られていたことになるわけで、異常なまでの数の多さです。さすがにネタ切れになってきたため、新手のネタとしてブログ「関心領域」で紹介したアメリカ・イギリス・ポーランド映画 ブログ「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」で紹介したイギリス・オーストリア・ドイツ・スイス合作映画、そして本作「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」のような作品が生まれたという見方もできます。これからもナチスヒトラーを描いた映画は続々と作られ、公開されるでしょう。

 

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2025年11月9日  一条真也

渡辺正行さんにお会いしました

一条真也です。
8日、ブログ「サンクスフェスタ小倉」で紹介したように、「サンクスフェスタ in小倉紫雲閣」が行われました。メインイベントの「渡辺正行トークショー」も大盛況でした。

渡辺正行さんと

 

トークショーの後、サンレー本社の貴賓室で渡辺正行さんと面談しました。渡辺さんは、1956年千葉県生まれ。明治大学在学中にラサール石井、小宮孝康と出会い、コントグループ「コント赤信号」を結成。1980年にフジテレビ花王名人劇場にてデビューし、暴走族コントなどで人気を博しました。コント赤信号のリーダーとして活躍するとともに、数々の番組に出演されています。

とても礼儀正しい方でした


お笑い界の四方山話をしました

 

また、渡辺さんは若手お笑い芸人の育成に熱心で、「ラ・ママ新人コント大会」を主宰し、後進の育成に尽力しています。そして、剣道、ゴルフ、絵画、ピアノなど多彩な趣味を持ち、仕事に家庭にと人生を謳歌しています。講演は第一線で活躍し続ける渡辺さんが、同世代に向けて人生を楽しく生きる方法を伝える内容でした。満場のお客様は大喜びで、最高の盛り上がりでした。


渡辺正行さんと

 

渡辺さんのトークは軽妙で面白く、「さすが達人だなあ!」と感心することしきり。わたしも講演やトークショーを行う機会が多々あるので、大変勉強になりました。でも、実際にお会いしてみて、その腰の低さというか、礼儀正しさに感心しました。お辞儀も大変丁寧にされる方でした。生き馬の目を抜くような芸能界で生き残っていく最大の武器こそ「礼」なのだと思います。わが社も施設が多いので、また渡辺さんにイベント出演をお願いしたいです!

これからも、よろしくお願いします!

 

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2025年11月8日  一条真也

サンクスフェスタ小倉 

8日の朝、東京は有明のホテルで目を覚ましました。今朝の気温は12度で、けっこう寒かったです。ここ数日わりと暖かかった東京ですが、一転しました。わたしは朝食を取ってから羽田空港へ向かい、スターフライヤーで北九州へ!


チラシ(表)

チラシ(裏)

 

この日、「サンクスフェスタ in小倉紫雲閣」が行われました。北九州は快晴で、最高気温22度。暖かい陽射しの中、大勢のお客様がお越しになられました。

小倉紫雲閣の外観

小倉紫雲閣の入口で

 

「サンクスフェスタ」とは何か。それは、わが社の会員様やお客様に対して「ありがとうございます」という感謝の気持ちをお伝えするイベントです。「ありがとう」という言葉はどこの国にもあります。それは、「ありがとう」が人間にとって非常に大切なものだからです。「お金」はなくても何とかなるが、これがなくては生きていけないというぐらい大切なものなのです。

わが社の施設一覧の前で

開場待ちするお客様

受付のようす

互助会コーナーのようす


大抽選会のようす

世界平和をイメージした祭壇


通過儀礼コーナーの前で

「ムーンギャラリー」コーナーで

婚礼衣装コーナー

通過儀礼コーナー

入棺体験コーナー


わたしも死んでみました


生き返って感謝!

 

「ありがとう」と言われた人は気分がいいし、「ありがとう」と言った人も気分がいい。こんなにお互いに「いい気分」になるのであれば、わたしたちは、もっともっと「ありがとう」という言葉を使うべきです。心から、そう思います。金もかからず手間もいらず、こんなに便利なものはありません。それで、みんなが元気になれれば、こんなに幸せなこともありません。まさに「ありがとう」は、他人も自分も幸せにする魔法の言葉ですね。


渡辺正行トークショーのようす

渡辺正行トークショーのようす


大いに盛り上げてくれました!


お客様も大喜び!

 

本日のサンクスフェスタのメインイベントは、タレントの渡辺正行さんのトークショーです。渡辺正行さんは、1956年千葉県生まれ。明治大学在学中にラサール石井、小宮孝康と出会い、コントグループ「コント赤信号」を結成。1980年にフジテレビ花王名人劇場にてデビューし、暴走族コントなどで人気を博しました。コント赤信号のリーダーとして活躍するとともに、数々の番組に出演しています。また、若手お笑い芸人の育成に熱心で、「ラ・ママ新人コント大会」を主宰し、後進の育成に尽力しています。そして、剣道、ゴルフ、絵画、ピアノなど多彩な趣味を持ち、仕事に家庭にと人生を謳歌しています。講演は第一線で活躍し続ける渡辺さんが、同世代に向けて人生を楽しく生きる方法を伝える内容でした。満場のお客様は大喜びで、最高の盛り上がり!

小笠原古流の茶道コーナー

これぞ一期一会の瞬間!

思い出記念写真館のようす

人形供養祭のようす

書籍コーナーで一条本を販売


おかげさまで大好評でした!


高齢者写真である「グランフォト」のブース、人形供養祭なども人気でした。また、松柏園ホテル特製のビーフカレービーフシチューの販売コーナーにも行列ができました。さらに恒例の書籍販売コーナーには、佐久間庸和の最新刊であるロマンティック・デス』『リメンバー・フェス(ともに、オリーブの木)、ロングセラーの『人生の修活ノート』(現代書林)などが販売されました。おかげさまで、「一条本」がたくさん売れました!


お菓子つかみ取り


福祉販売コーナー

紫雲閣オンライン」のご案内

松柏園ホテルカレー&ビーフシチュー販売

野菜販売コーナー

生花販売コーナー

 

「ありがとう」の話に戻ります。人生には1つのムダも、1つのマイナスもありません。起こっていることすべてには意味があるのです。みんな「有ること」が「難しい」ことに「当たる」から、「有難当(ありがとう)」なのです。冠婚葬祭互助会であるわが社にとって、最も感謝するべき対象とは何か?それは互助会の会員様であり、冠婚葬祭の各施設のお客様です。それらの大切な方々に対して、わが社「サンクスフェスタ」を開催させていただくのです。


終礼のようす

終礼で挨拶しました


この日の実績を発表しました

最後に「サンクス!」と言いました

 

今日は、いろんな意味で大成功を収めることができました。来場して下さったお客様はもちろん、スタッフのみなさんには、わたしから「ありがとうございます」と言いたいです。終礼に参加したわたしは、「今日、東京から戻ってきました。今朝の東京は寒くて気温は12度だったのですが、北九州空港に着いたら22度もあって驚きました。きっと、みなさんの熱意が北九州の気温を上げたのだと思います」と言いました。そして、この日の実績を報告して「素晴らしい結果に終わって感謝です!」と述べた後、最後に大きな声でみなさんに「サンクス!」と言いました。

 

 

2025年11月8日 一条真也

「モンテ・クリスト伯」

一条真也です。
東京に来ています。7日、いくつかの打ち合わせをした後、フランス・ベルギー映画モンテ・クリスト伯をTOHOシネマズシャンテで観ました。壮大なスケールのヒューマンドラマでしたが、上映時間178分は長過ぎた!

 

ヤフーの「解説」には、「アレクサンドル・デュマの小説『巌窟王』を原作に描く復讐劇。無実の罪で投獄された男性が脱獄して財宝を手に入れ、自分を陥れた者たちへの復讐を開始する。監督を務めるのは『フェイク・ライフ‐顔のない男‐』などに携わってきたアレクサンドル・ド・ラ・パトリエールとマチュー・デラポルト。『ブラックボックス:音声分析捜査』などのピエール・ニネ、『12日の殺人』などのバスティアン・ブイヨンのほか、アナイス・ドゥムースティエ、ロラン・ラフィットらが出演する」とあります。

 

ヤフーの「あらすじ」は、「無実の罪で投獄された若き航海士ダンテス(ピエール・ニネ)は、獄中で次第に無気力になっていく中、脱獄を計画する老司祭と出会う。やがて少しずつ未来を信じられるようになっていったダンテスは学問と教養を司祭から伝授され、さらにテンプル騎士団の隠し財宝のありかを打ち明けられる。そして投獄されてから14年後、彼はついに脱獄に成功する」となっています。

 

巌窟王『ああ無情』(『レ・ミゼラブル』の児童版)とともに海外児童文学の定番なので、わたしも小学校の頃に読んでいました。しかしながら、大人の映画である「モンテ・クリスト伯」は株価操作とか生々しい話が多くて、ちょっとロマンがなかったですね。児童版の『巌窟王』ではもっと牢獄での描写が詳しかったように思いましたが、この映画での牢獄のシーンは「4年後」とか「10年後」とか景気よく時間が過ぎ去るので、「3時間もあるんだから、もっと牢獄の場面をしっかり描けよ!」と思ってしまいました。

 

原作者のアレクサンドル・デュマは19世紀フランスを代表的する作家です。『椿姫』を書いた息子アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)と区別して、「大デュマ」と呼ばれます。1802年、パリ近郊に生まれ、劇作家になることを夢見てパリへ。シャルル・ノディエに才能を見出され、ユゴー、ミュッセらと交流。ヴォードヴィル演劇から出発して最初に成功した『アンリ三世とその宮廷』(1829年)、『ネールの塔』(1832年)、『キーン』(1836年)などの歴史ドラマを書き、一躍有名になります。その後、小説『三銃士』(1844年)、『二十年後』(1845年)、『ブラジロンヌ子爵』(1847年)の三部作を始め、モンテ・クリスト伯(Ⅰ844-1846年)などの歴史小説を発表、さらに王妃マルゴ(1845年)、『モンソローの婦人』(1846年)など多作家として一世を風靡しました。大いなるフランスの国民作家です。

 

モンテ・クリスト伯』と同じく『三銃士』も何度も映画化されていますがバイオハザードシリーズのポール・W・S・アンダーソン監督が映画化したアクション・エンターテインメントが三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船(2011年)です。17世紀フランス、銃士にあこがれを抱きパリにやってきたダルタニアン(ローガン・ラーマン)は、気が強く向こう見ずな性格が功を奏したか、あることがきっかけで三銃士の仲間入りを果たすことに。その後、フランス国王側近の裏切りで奪われた王妃の首飾りを取り返すため、イギリスへ向かうことになりますが、彼の前には事件の鍵を握るバッキンガム公爵(オーランド・ブルーム)と正体不明の美女ミレディ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が立ちはだかるのでした。

 

また、アレクサンドル・デュマの小説の映画化では、王妃マルゴ(1994年)が有名です。宗教革命に揺れる動乱の16世紀フランスの宮廷を舞台に、「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャーニが、愛に生きた女--王妃マルゴを演じた一大ラブ・ロマンスです。16世紀末、野望渦巻くフランス宮廷。国王を擁する旧教徒カトリックのヴァロワ家と、新教徒プロテスタントブルボン家との間で内乱が勃発。事態を鎮静化するため、ヴァロワ家の母后は実娘マルゴ(イザベル・アジャーニ)の美貌を利用し、新教徒の指導者アンリ(ダニエル・オートゥイユ)との政略結婚を画策しますが、初夜を頑なに拒んだマルゴは宮殿を抜け出し深夜の町へ。そこで運命の男ラ・モール(ヴァンサン・ペレーズ)と出会うのでした。

 

総じて「時間ばかり長くて、あまりピンとこなかった」と感じた「モンテ・クリスト伯」ですが、スクリーンの中に絶世の美女を発見しました。主人公エドモン・ダンテス(後のモンテ・クリスト伯)に命を救われたヒロイン・エデを演じたアナマリア・ヴァルトロメイです。「MUSE」の取材で、現在26歳の彼女は「どういう物語かは知っていたんですが、じつは私自身は原作小説を読んだことがなく、今もまだ読まずにとってあるんです。監督は私が演じるキャラクターを小説とはだいぶ違う描き方にすることを決めていて、“読んでいないならそのままで”と言われました。それで読んでいないんですが、父がこの小説の大ファンで(笑)。ものすごく喜んでくれましたし、正直言って今でもこの作品に関われたことが信じられない気分です」と語っています。 

 

アナマリア・ヴァルトロメイは、1999年生まれ。フランスとルーマニアの国籍を持っています。エバ・イオネスコ監督の「ヴァイオレッタ」(2011年)で子役としてデビュー。写真家の母親が5歳から13歳の頃の娘を撮影し、ヌードも含まれた官能的な写真集を発表したスキャンダラスな実話を、当事者の娘が監督となり映画化したドラマです。エスカレートしていく母親の要求に、被写体である幼い娘が母に気に入られようと大人っぽいポーズにも挑み、退廃的な少女へと変わるさまを綴ります。監督は、女優でもあるエヴァ・イオネスコ。母親を演じるのはイザベル・ユペール。過激な役どころを果敢に演じるアナマリア・ヴァルトロメイの、当時10歳とは思えない繊細な演技に驚嘆します。

 

驚いたのは、アナマリア・ヴァルトロメイがブログ「タンゴの後で」で紹介した2025年公開のフランス映画に主演していたことです。1972年製作のベルナルド・ベルトルッチ監督作ラストタンゴ・イン・パリに出演した女優の人生に迫る人間ドラマです。19歳のマリア・シュナイダー(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、新鋭監督のベルナルド・ベルトルッチと出会います。そして彼の監督作「ラストタンゴ・イン・パリ」への出演によりまたたく間に彼女はトップスターへと上り詰めます。しかしその一方で、48歳のマーロン・ブランドマット・ディロン)との過激な性描写シーンの撮影により、彼女はその後の人生で大きなトラウマを抱えることになるのでした。このときにシュナイダーを演じたのがアナマリア・ヴァルトロメイだったとは、まったく気づきませんでした。同作での彼女の美貌はあまり記憶に残っていないのですが、本作「モンテ・クリスト伯」のエデ役は輝くばかりの美しさでした。

 

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2025年11月8日  一条真也

クリスマス・アフタヌーンティー

一条真也です。ブログ「四季を愛でるアフタヌーンティー」で紹介したように、2022年に開始の松柏園ホテルアフタヌーンティーが大好評です!

クリスマス・アフタヌーンティーフェア

 

待望の新作をお届けします! 松柏園ホテルのリゾートレストラン「ザ・テラス」より、心ときめく「クリスマス・アフタヌーンティーフェア」の開催をお知らせいたします。大人気の当フェアは、11月11日(火)から12月26日(金)までの期間限定、完全予約制です。

インスタ映えも抜群!

 

今回の主役は、寒い季節に心身ともに温まる松柏園ホテルのスペシャリテビーフシチュー」。ル・クルーゼに入れてご提供する濃厚な極上シチューは、アフタヌーンティーの概念を超えた贅沢な一品です。スイーツは冬の味覚を凝縮した大人のラインナップになっており、定番人気のモンブランや、コーヒーとマスカルポーネの風味が絶妙なティラミス、カシスとフレーズの酸味がアクセントのタルトショコラなど、パティシエが趣向を凝らした逸品が並びます。

素敵な時間をお過ごし下さい!

 

さらにショコラのヴェリーヌやバニラロール、キュートなコーンデザートも登場し、目でも舌でもお楽しみいただけます。セイボリーは、林檎とポークのパテ、スモークサーモンクレープ、小海老とポテトサラダのサンドイッチといった充実の内容。また、プレーンとショコラの2種のスコーンは、ソムリエセレクトの香り高い紅茶と相性抜群です。

ヌン活女子も大満足!

 

広々とした開放的な空間の館内は華やかなクリスマスデコレーションで彩られ、非日常なリゾート気分をさらに盛り上げます。料金はお一人様3,400円(税込)で、プラス500円(税込)でスパークリングワインもサービス。※完全予約制のため、ご予約はお早めにどうぞ。詳しくは、松柏園ホテルHPの「こちら」まで!
■期間:
2025年11月11日(火)~12月26日(金)
■料金:
お一人様 3,400円(税込)
※+500円(税込)でスパークリングワインをご提供いたします。
※完全予約制
2日前までに要予約。2名様より承ります。

 

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2025年11月7日  一条真也

「旅と日々」

一条真也です。東京に来ています。
7日、ブログ「ヒポクラテスの盲点」で紹介した日本のドキュメンタリー映画を観た後、日本のドラマ映画「旅と日々」をTOHOシネマズシャンテで観ました。公開前夜の舞台挨拶付です。第78回ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)を受賞した作品ですが、しみじみと面白かったです。

 

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
つげ義春のコミック『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』を原作にしたドラマ。旅先である宿に泊まった脚本家が、宿主の男性との出会いをきっかけに人生を見つめ直す。監督は『夜明けのすべて』などの三宅唱。『ブルーアワーにぶっ飛ばす』などのシム・ウンギョン、『木の上の軍隊』などの堤真一らが出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「旅に出た脚本家の李(シム・ウンギョン)は、ある宿に泊まり、そこで宿主のべん造(堤真一)と出会う。ぶっきらぼうなべん造が営む宿は、雪の重みによってすぐにでも落ちそうな屋根で、暖房や食事もなく、布団も自分で敷くのだった。ある晩、李はべん造から呼び出され、雪原に向かう」

 

原作者・つげ義春は、昭和12年生まれの漫画家・随筆家です。幻想性、叙情性の強い作品のほか、テーマを日常や夢に置きリアリズムにこだわった作風を特徴とし、旅をテーマにした作品も多いです。伝説の劇画誌「ガロ」を通じて全共闘世代の大学生を始めとする若い読者を獲得。1970年代前半にはねじ式」「ゲンセンカン主人」などのシュールな作風の作品が高い評価を得て、熱狂的なファンを獲得。漫画界以外にも美術・文学界からも評価され、作品を読み解く試みを誘発し、漫画評論の発展にも影響を与えています。

 

つげ義春の漫画はこれまでに何度か映像化されています。1976年にNHKで「紅い花」が、1998年にテレビ東京つげ義春ワールド」が全12回でドラマ化された他、1991年には竹中直人の初監督作品として無能の人が映画化されています。第34回ブルーリボン賞主演男優賞(竹中直人)、1991年ヴェネツィア国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞しています。多摩川で拾った石を売る助川助三(竹中直人)。かつては漫画家として名をなしたこともありましたが、時流に乗り遅れ、数々の商売に失敗した結果、思いついたのが元手のかからない石を売るという商売でした。

 

1993年には、「無能の人」で話題を呼んだつげ義春の「李さん一家」「紅い花」「ゲンセンカン主人」「池袋百点会」という著名な短編4本を原作に映画化した映画「ゲンセンカン主人」が公開されました。つげ自身も家族ともども映画のラストに登場しオマージュを捧げられています。監督・脚本は「暴力戦士」(1979年)以来14年ぶりの劇場映画となる石井輝男。つげをモデルにした主人公の漫画家・津部を佐野史郎が演じています。売れない漫画家の淡々と過ごす日常の中で出会う奇妙な出来事を、4つのエピソードを織り混ぜて描くドラマとなっています。

 

1998年には、つげの代表作ねじ式がついに映画化。監督は「ゲンセンカン主人」に続いて石井輝男。売れない貸本漫画家のツベ(浅野忠信)は、どん底生活の果てに遂に内縁の妻の国子(藤谷美紀)と離れて暮らすことになります。国子は世田谷にある会社の寮の賄婦として住み込みで働くようになり、ツベは知り合いの木本(金山一彦)のアパートに転がり込みます。ところが、ツベは国子が浮気をしているのではないかと心配でなりません。そんなある日、彼は国子が別の男の子供をはらんでいることを聞かされ、ショックで自殺を図ります。木本のお陰で一命を取りとめたツベは、その後、放浪の生活と妄想に浸る日々を送るのでした。

 

2003年には、つげ義春のロングセラー・エッセイ『蒸発旅日記』が映画化。監督は、寺山修司のスタッフとして活躍し、10年ぶりにメガホンを取った山田勇男。美術は日本映画界の重鎮・木村威夫。日々の暮らしに行き詰まりを感じた主人公漫画家の津部(銀座吟八)は、ありったけの金と時刻表だけを持って、顔も知らない、まだ会ったこともない女性・静子(秋桜子)のもとへと旅立ちました。津部は自分の作品の愛読者だという彼女と結婚できさえすれば、今とはまったく違う生活が得られると思っていたのでした。

 

2004年には、顔見知り程度でしかなかったふたりの青年が織り成す、おかしくせつない旅を描いたオフビート・コメディリアリズムの宿が公開されました。監督は山下敦弘つげ義春による会津の釣り宿」リアリズムの宿という2編の漫画を、向井康介と山下監督が共同で脚色しました。駆け出しの脚本家・坪井(長塚圭史)と、同じく駆け出しの映画監督・木下(山本浩司)は、顔見知りではあるが友だちではない微妙な間柄でした。旅行を計画した共通の友人・船木が遅刻した為、仕方なく2人で温泉街を旅することになった彼らでしたが、あてをつけていた旅館は潰れているは、新たに見つけた宿では風変わりな外国人主人に金や酒をふんだくられるは・・・・・・散々でした。

 

リアリズムの宿」からじつに20年ぶりに映画化されたのが、2024年の「雨の中の慾情」です。つげ義春の短編コミックをベースにしたラブストーリーです。貧しい町・北町に住む売れない漫画家の義男(成田凌)は、アパートの大家・尾弥次(竹中直人)から自称小説家の伊守(森田剛)と共に引越しの手伝いを頼まれ、そこで福子(中村映里子)に出会う。義男は離婚したばかりの福子に魅了されるが、彼女には恋人がいる様子だった。やがて義男は伊守が企画する北町のPR誌を手伝うようになるが、彼の家に福子と伊守が転がり込んでくるのでした。

 

そして、本作「旅と日々」です。原作の「海辺の情景」も「ほんやら洞のべんさん」も好きな作品ですが、映画化としてはちょっとイマイチな感じがしました。主演のシム・ウンギョンが演じた脚本家の役はもともと男性でした。それを女性に変える必然性がまったく理解できませんし、仕切りもない同じ空間で宿屋の親父と女性客が一緒に寝るという設定にはリアリティがありません。ただし、宿主のべん造を演じた堤真一は良かったです。彼は1964年生まれの61歳で、わたしより1歳下ですが、演技力はピカイチですね。ブログ「アフター・ザ・クエイク」で紹介した村上春樹原作の映画に続いての枯れた初老の男の役でしたが、しみじみとした味がありました。日本映画界を代表する名優ですね。

 

「旅と日々」は夏編と冬編の二部構成になっているのですが、夏編に日本アカデミー賞最優秀主演女優の河合優実が登場しています。ただ、本当に地味というか、個性も何もない役で、ちょっと彼女を使うのは「もったいない」と思いました。やはり、河合優実といえば、ブログ「あんのこと」ブログ「ナミビアの砂漠」で紹介した映画での熱演が記憶に残っています。彼女はずばりクセの強い役が似合うのですが、本作「旅と日々」ではクセのない役なので「宝の持ち腐れではないか」と思いました。ちなみに、10月22日にTOHOシネマズ六本木で行われた舞台挨拶では河合優実が黒のドレス姿で登壇しましたが、7日のTOHOシネマズシャンテでの舞台挨拶には姿を見せず。今を時めく彼女のトークを間近で聴きたかったのに残念でした。

 


TOHOシネマズシャンテにて


舞台挨拶でのフォトセッション

 

*よろしければ、本名ブログもお読み下さい!

 

2025年月日  一条真也

「ヒポクラテスの盲点」

一条真也です。東京に来ています。
6日、いくつかの打ち合わせの後、日本のドキュメンタリー映画ヒポクラテスの盲点」シネスイッチ銀座で観ました。大きな衝撃を受けました。どんなホラー映画よりも恐ろしい内容で、すべての日本国民が観るべき問題作です。

 

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
新型コロナウイルスのワクチン後遺症問題を描くドキュメンタリー。新型コロナウイルスがまん延する中で接種が始まったワクチンによる後遺症について多方面から検証する。監督を務めるのは『プリテンダーズ』などに携わってきた大西隼。ほんべつ循環器内科クリニック理事長の藤沢明徳氏、医療法人社団それいゆ会理事長の児玉慎一郎氏、京都大学名誉教授の福島雅典氏らが出演している」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
新型コロナウイルスの感染が広がる中、従来のワクチンとは異なる新技術で開発された新型コロナワクチンの接種が始まる。一方で、ワクチンには副作用の後遺症と考えられる症状を指摘する向きもあり、ほんべつ循環器内科クリニック理事長の藤沢明徳氏らは、専門家らと共にその影響を究明しようと『ワクチン問題研究会』を発足させる」

 

わたしの周囲でも、ここ数年で50代~60代で亡くなった人が多いのですが、この映画を観て、それが全国的な現象であると知りました。また、コロナ禍以降、日本人の死亡率が急激に上昇し、平均寿命が一気に下がったことを知って愕然としました。それは決して、新型コロナウイルスに感染して亡くなっただけではありません。ワクチンの接種を繰り返したことによって心臓などに負担がかかり、多くの人々を死に至らしめたというのです。

 

新型コロナワクチンは、国が推奨した“救世主”のはずでした。新型コロナウィルス蔓延という未曽有の危機を経て国の感染症対策は変化を重ねました。しかし、今となってさまざまな情報が報道され始めているのが、従来のワクチンとは根本的に異なる点です。新技術で開発された新型コロナワクチン(mRNA遺伝子製剤)による後遺症被害の問題はあまりにも大きいです。過去に例のない「新薬」の認可と流通は、大変な危険を伴った賭けであったことが医学的に明らかになりつつあるのです。「ヒポクラテスの盲点」は、大手メディアがほとんど報道しない、科学と事実に基づいた驚愕のドキュメンタリー映画でした。

 

当初からその安全性を不安視する声もあったが、ワクチン接種はあくまで強制ではなく努力義務・推奨とし、思いやりという同調圧力が日本中を覆っていました。多くの国では2~3回接種までが主流でしたが、日本ではその安全性に「重大な懸念はない」とされ、一度も中断することなく特に高齢者らに対して7回目のブースター接種まで推奨が続けられました。ちなみに、わたしは2回しか接種していませんが、昨年88歳で亡くなった父は6回接種しています。この映画を観て、アメリカでも新しいワクチンの危険性が訴えられてきたことを知り、そんな重要情報を報道しなかった厚生労働省に強い疑問を抱きました。

 

大西隼監督は、これまでNHK系の「欲望の資本主義」シリーズ、「欲望の時代の哲学」「アナザー・ストーリーズ 田中角栄編」「ニッポンのジレンマ」などのディレクターを務めてきました。YouTubeには大西隼監督の「人間スタジオ」という動画がUPされています。前編では、「ヒポクラテスの盲点」の制作のきっかけ、医師へのアプローチ・取材で見えてきた真実。決して推進・反対だけではないコロナワクチン検証の今への思いなどを語っています。後編では、東大理学博士課程修了後、映像業界に入るという異色の経歴の監督がなぜ映像制作に携わることになったのか、その原点など監督自身についてもたっぷり語っています。

 

この映画のタイトルは有名なヒポクラテスの誓い」をもじったものです。ヒポクラテスの誓いは、古代ギリシャの医師ヒポクラテスに由来するとされる、医師の倫理や任務を定めた宣誓文です。この誓いは、患者に害を与えない、患者の秘密を守る、師やその子孫を敬い、知識を誠実に伝えるといった内容を含みます。患者への義務としては、「患者に害をなす治療法を決して行わない」「人を殺す薬や流産させるための道具を与えない」「患者の身分や自由・奴隷の区別なく、不正をしない」などです。現在では、現代の倫理観に合わせて改変された「ジュネーブ宣言」が後継とされています。

 

ヒポクラテスの誓い」は古代ギリシャが発祥ですが、日本には「医は仁術」という言葉があります。医術は単なる技術ではなく、人を思いやり、慈愛の心をもって病人を助けることが本来のあり方であるという格言です。損得を考えず、人命を救うことを第一とするのが医の道であるという意味です。この考え方は、江戸時代に広く用いられ、現代の医療倫理の基盤にもなっています。 人命を救う博愛の道:人命を救うことは、博愛の精神に基づいたものであるという考え方で、「コンパッション」にも通じますね。

 

ヒポクラテスの誓い」は医学的に専門性が高い内容も含まれ、わたしには難しい箇所もありましたが、多くの学びを与えられ、「医療とは何か」について考えさせられました。そして、この映画の主役ともいえる京都大学名誉教授の福島雅典医師の情熱がスクリーン越しに伝わってきました。福島名誉教授は、国内での65歳から79歳までのワクチン接種回数ごとの死亡率と重症化率のデータを開示するよう厚労省に請求しましたが、厚労省は開示しないと決定。その決定を取り消すよう東京地裁に提訴しています。映画の冒頭で、福島氏は生後5か月の乳飲み子を残してワクチンの後遺症で亡くなった患者を想って泣かれていました。福島氏の闘いは「死者との共闘」だったのです。わたしは深い感銘を受けましたが、氏の「インフルエンザのワクチンだって効いてるかどうかわからん」という発言は、1週間前にインフルエンザの予防接種をしたばかりのわたしの胸を直撃しました。

 

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2025年11月7日  一条真也