「どん底作家の人生に幸あれ! 」

一条真也です。
24日の日曜日、シネプレックス小倉で英米合作のコメディドラマ映画「どん底作家の人生に幸あれ!」を観ました。2019年の作品ですが、いわゆるミニシアター系の映画を公開日に小倉のシネコンで鑑賞できるとは嬉しいですね。正直言って違和感も覚えた部分もありましたが、全体的には面白かったです。



ヤフー映画の「解説」には、「イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの半自伝的小説「デイヴィッド・コパフィールド」を、『スターリンの葬送狂騒曲』などのアーマンド・イアヌッチ監督が映画化。不遇な幼少期を過ごした作家の波乱に満ちた半生を描く。『LION/ライオン ~25年目のただいま~』などのデヴ・パテルが主演を務め、ドラマシリーズ『ドクター・フー』などのピーター・キャパルディ、ドラマシリーズ『Dr.HOUSE -ドクター・ハウス-』などのヒュー・ローリーのほか、ティルダ・スウィントンベン・ウィショーらが共演する」とあります。 

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「優しい母と家政婦と共に幸せに暮らしていたデイヴィッドは、母の再婚相手によって都会の工場に売り飛ばされてしまう。過酷な労働に明け暮れる中、最愛の母が亡くなり独りぼっちになったデイヴィッド(デヴ・パテル)は、やがて唯一の肉親である変わり者の伯母(ティルダ・スウィントン)に引き取られる。伯母の助けで進学した上流階級の名門校を卒業後、恋に落ち、法律事務所に職を得てようやく幸せをつかみかけた矢先、事態が暗転する」



この映画、ディケンズの自伝的要素が入った小説である『デイヴィッド・コパフィールド』を、自分の人生を織り込んだ小説を書く青年の話に翻案していますが、いろいろ気になるところがありました。まず、白人の役をアジア人や黒人が演じていますが、観ていてかなり混乱しました。今どきの「ダイバーシティ」を意識しているのでしょうが、舞台ならまだしも、映画でこれをやられると観客が混乱します。もちろん人種差別は絶対悪ですが、ディケンズという文豪の大いなる遺産に政治的メッセージなどは込めないでいただきたいですね。アーマンド・イアヌッチ監督の「スターリンの葬送狂騒曲」もWOWOWで鑑賞しましたが、政治臭が強いのに我慢できずに途中で観るのを止めたことを思い出しました。



この映画には、イギリス史の中でも特に暗いとされているヴィクトリア朝時代を懸命に生きようとした人々が次々に登場します。みんな非常に個性的ですが、それぞれの役を素晴らしい名優たちが演じています。映画そのものも波乱万丈で面白かったですが、デイヴィッドの艱難辛苦ぶりは観ていて同情せざるを得ませんでした。ヴィクトリア朝時代の工場で働く子どもの悲惨さも胸が痛みました。ストーリーが起伏に富んでいますが、幼少の頃より、さまざまな名前で呼ばれて不遇の人生を歩んできたデイヴィッドが、生まれたときの名前であり父の名前を選び取るという物語であることがわかりました。それならば、「どん底作家の人生に幸あれ!」などといったショボい邦題など付けずに、「デイヴィッド・コパフィールド」というタイトルで直球勝負をしてほしかったです。そでないと、文豪ディケンズにも失礼ではないですか! 



名優揃いの中でも、ユライア・ヒープを演じたベン・ウィショーの怪演には圧倒されました。現在40歳の彼は、英国王立演劇アカデミーを卒業後、舞台・映画・テレビ映画とさまざまな作品に出演。2005年公開の「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」でザ・ローリング・ストーンズキース・リチャーズを演じました。また、トレヴァー・ナン演出の舞台「ハムレット」のタイトルロールを演じて批評家から絶賛され、この舞台を見た監督のトム・ティクヴァ、プロデューサーのベルント・アイヒンガーの目に留まり、映画「パフューム ある人殺しの物語」の主演に抜擢。その後、「007  スカイフォール」にて、ジェームズ・ボンドを支えるQ役に起用されています。これから、ますます楽しみな役者ですね。



原作者であるチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(1812年~1870年)は、ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家。主に下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を発表しました。英語圏では、彼の本、そして彼によって創造された登場人物が、根強い人気を持って親しまれています。『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』などは、忘れ去られることなく現在でも度々映画化されており、英語圏外でもその作品が支持され続けていることを反映しています。

ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー

 

この映画、さまざまな人生の苦難を最後にペンの力でひっくり返したところが爽快でした。じつは、わたしは単位の取得を間違えて、大学を1年留年したことがあります。そのとき、同級生たちが就職して先に社会人になったのに、自分だけがあと1年も大学に通わなければいけない状況に落ち込みましたが、「それならば、この1年を人生で最も価値のある1年にしてやろう!」と考えました。そして、その1年間で、わたしは生涯の伴侶となる妻と出会い、かつ処女作『ハートフルに遊ぶ』を書き上げて、翌年入社したばかりの東急エージェンシーの出版事業部から刊行することができました。その後、妻とは30年以上も連れ添っており、著書も100冊以上書いたのですから、まさに人生でも「最も価値のある1年」であったと思います。

f:id:shins2m:20210123110646j:plain「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

父から「何事も陽にとらえる」という考え方を受け継いではいましたが、もともと、わたしは負けず嫌いなのだと思います。それで、「失意の年を未来への飛躍となる年に変えたい」と発想したのだと思います。この発想法は30年以上経った2020年にも発揮され、新型コロナウイルスであらゆる予定が台無しになった1年を意味のあるものにしたいと願い、年末も押し迫ってから最新作『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を書き上げたのです。今月28日発売の同書は、現在、紀伊國屋書店新宿本店やクエスト小倉本店などで先行販売されていますが、ありがたいことに非常に売れ行きが良いようです。

f:id:shins2m:20210123165436j:plain恵まれない作家の人生に幸あれ! 

 

もし同書がベストセラーになったら、「黒を白に変換する」オセロゲームのような展開になります。これは「何事も陽にとらえる」という思考法が「何事も陽に変える」という行動力に進化したようにも思えます。これまで、わたしは多くの本を書いてきました。もちろん、社会的に大切なメッセージを発信し続けてきたという自負はありますが、本の売れ行きという面ではけっして恵まれていたとは思いません。内容がド直球過ぎたのでしょう。さすがに「どん底作家」とまでは呼ばれたくありませんが、「恵まれない作家の人生に幸あれ!」というのが新著にかける願いです。

 

2021年1月25日 一条真也

「さんかく窓の外側は夜」

一条真也です。
日本映画「さんかく窓の外側は夜」を鑑賞。昨年10月30日に公開予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で公開延期となり、今年の1月22日に公開された作品です。岡田将生と志尊淳のW主演で、平手友梨奈がヒロインを演じ、さらには心霊ホラーだというので楽しみにしていましたが、イマイチでした。画面がずっと暗いので、睡魔との戦いでした。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「漫画家ヤマシタトモコによるミステリーコミックを、岡田将生と志尊淳の主演で実写映画化。霊をはらうことができる除霊師と、霊が見える書店員がコンビを組み、連続殺人事件に挑む。物語の鍵を握るヒロインに平手友梨奈がふんし、滝藤賢一マキタスポーツ新納慎也桜井ユキ和久井映見筒井道隆らが共演。『おじいちゃん、死んじゃったって。』などの森ガキ侑大が監督を務め、『本能寺ホテル』などの相沢友子が脚本を手掛けた」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「幼いころから霊が見える特異体質に悩む書店員の三角康介(志尊淳)は、除霊師の冷川理人(岡田将生)に能力を見い出され彼の助手になる。コンビを組んだ二人はさまざまな依頼を受けて除霊作業に関わる中、刑事の半澤(滝藤賢一)から1年前に起きた連続殺人事件について相談される。調査に乗り出して間もなく遺体を発見するが、その遺体には呪いがかけられていた。真相を追ううちに、二人は死んだ殺人犯の声を耳にする」です。



霊が見える書店員と除霊師の男が心霊探偵コンビを組んで、除霊や連続殺人事件の謎を追うミステリー・ホラーということですが、同性愛的な設定も含め、いろんなものを詰め込み過ぎて消化不良を起こした印象です。原作漫画は「MAGAZINE×BOY」(リブレ)にて、2013年4月号から2021年1月号まで連載されていますが、長期にわたって描かれた漫画を2時間弱で映画化するのに失敗しています。この物語の世界観とか、主役2人のこれまでの人生などがゴチャゴチャし過ぎて、わかりにくい。脚本の失敗です。漫画が現在の実写映画でも優れた作品は多いですが、この映画は残念でした。



あと、この映画の霊の描き方はまったくダメでした。霊が怖くもないし、哀しくもない。わたしは古今東西にわたって心霊ホラー映画はかなり観てきたつもりです。霊が見える人間の物語で好きなのは、M・ナイト・シャマランの「シックス・センス」(1999)で、映画館での鑑賞のみならず、DVDでも何度も観ました。主人公の少年コールには死者を見る能力としての「シックス・センス(第六感)が備わっていますが、コールの死者への接し方にはオカルトを超えた仏教的な世界観さえ感じました。。最後には予想もつかない真実が待ち受けており、サスペンス・スリラー映画としても最高傑作であると思います。



さて、原作の『さんかく窓の外側は夜』は基本的にミステリー・ホラー漫画ですが、ブロマンスに近いことから「匂い系」のボーイズラブ漫画と見られることもあるそうです。「ブロマンス」というのは「2人もしくはそれ以上の人数の男性同士の近しい関係のこと。性的な関わりはないものの、ホモソーシャルな親密さの一種とされる」そうですが、まあ、「男同士のアツい友情」みたいなものですね。映画版でも、岡田将生が霊をよく見るために志尊淳に抱き着くシーンは限りなくBL的でした。まあ2人のルックスなら絵になりますけどね。岡田将生は現在31歳ですが、やはり美しいですね。わたしの中では、三浦春馬のイメージと重なるところがありますが、1歳年下だった三浦春馬が演じるはずだった役なども、これからは岡田将生に回ってくるのではないでしょうか。



霊が見える書店店員の三角は、志尊淳が演じました。勤務中に冷川に見出されて助手となった三角は、幼い頃から母と2人暮らしの設定です。母親役は和久井映見が演じ、なかなか良い味を出していました。わたしが志尊淳を初めて知ったのは、2017年にNHKで放映されたドラマ「植木等とのぼせもん」でした。植木等小松政夫の師弟の物語でしたが、山本耕史植木等を演じ、志尊淳は小松政夫を演じました。このときの演技に光るものがあり、彼の存在がわたしにインプットされたのです。その翌年に、トランスジェンダーの役で主演を務めた「女子的生活」(NHK)は、第73回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門で放送個人賞を受賞するなど高い評価を受けました。



でも、この映画の最大のウリは、なんといっても、謎の女子高校生である非浦英莉可を平手友梨奈が演じていることでしょう。非浦英莉可は「呪い師」ですが、この映画では「霊」と同様に「呪い」の描き方も中途半端だったことが残念でした。あと、彼女が能力を使った後に必ず鼻血を出しているのは、NETFLIXオリジナルドラマ「ストレンジャー・シングス  未知の世界」の影響を受けているのではないかと思いました。でも、平手友梨奈の演技は良かったです。ブログ「響 -HIBIKI-」で紹介した作品以来の彼女の出演作ですが、やはり只ならぬ存在感があります。この作品で、彼女は「第31回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞」の新人賞、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞、2018年度日本インターネット映画大賞 日本映画ニューフェイスブレイク賞、第28回日本映画批評家大賞の新人女優賞などを受賞しています。



平手友梨奈は女性アイドルグループ「欅坂46」の不動のセンターでしたが、体調不良などもあって、ちょうど1年前の2020年1月23日、グループを脱退することが公式サイトで発表されました。これによって、デビューから脱退まで全てのシングル表題曲・カップリング曲でセンターポジションを務めた存在となりましたが、センターしか経験せずグループを離れたアイドルは、秋元康プロデュースのグループでは初めてとのこと。同年12月9日にフジテレビ系列「2020FNS歌謡祭 第2夜」に生出演し、自身が作曲にも参加したオリジナルのソロ曲「ダンスの理由」を初披露。同月22日、自身のYouTubeチャンネルを開設し、「ダンスの理由」ミュージックビデオを公開。このMVの完成度は非常に高く、彼女のダンスは観る者の心に響いてきます。



平手友梨奈といえば、正直言って、気難しいイメージがあります。よく「周りに媚びない性格」などと表現されることもあります。しかしながら、人見知りで正直すぎる性格ゆえに他人に心を開くまでに時間がかかったり、思ってもいないお世辞は言えなかったりするだけで、一度心を開いた人間には子供のように甘えたり、心からの笑顔を見せたりする一面もあるそうです。そういえば、「響 -HIBIKI-」で共演した北川景子に抱きついたり、ジャれたりしているメイキング動画を見ると、それがよくわかります。そこには19歳の女の子の等身大の姿がありました。それにしても、コロナ禍の日本の映画館をスクリーンジャックしている感のあった北川景子が本当に一瞬だけ、「さんかく窓の外側は夜」に出演したのには驚きましたね。だって、本当に一瞬だけなんですから。



あまり面白くはなかったこの映画ですが、岡田将生、志尊淳、平手友梨奈のファンたちは劇場へ足を運んだことでしょう。結局、この映画の見どころは、魅力に溢れた役者を楽しむことぐらいだと思います。もっとも、彼らの良さを生かし切っていないので、もったいなかったですけど。

 

2021年1月24日 一条真也

『遊びの神話』と「バブル」の本質

一条真也です。
23日、小倉は雨が降っています。ブログ「Yahoo!ニュースに登場しました」で紹介したように、昨年9月26日にコラムニストの尾藤克之氏が拙著『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)についての記事を書いて下さいましたが、今度は『遊びの神話』(東急エージェンシー出版事業部)を取り上げて下さいました。

f:id:shins2m:20210123114342j:plainJ-CASTニュースより

10以上のサイトに掲載されたという記事は「咲くだけで実をつけなかった「バブル」の本質を理解したいアナタへ!【尾藤克之のオススメ】」のタイトルで、いわゆるバブル時代について解説し、その本質が理解できる1冊として、1989年5月20日に刊行された『遊びの神話』を紹介しています。たとえば、「『ディスコ』とはどういう場所か」として、著者の一条真也さんがディスコを解説する箇所があります。ディスコで踊ることに、どのような意味があるのか書かれています」とし、以下の箇所を引用しています。
「宗教人類学者の伊藤幹治氏は『宴と日本文化』において、沖縄の与論島で正月七日に行なわていた『ウタカキ遊び』という行事を紹介している。ウタカキ遊びの当日、島の老若男女が晴着を着て酒と肴をたずさえて丘に集まり、そこで飲食を楽しんだ。その限りでは別に珍しくも何ともないが、その際、若い男女が別々に集まって円陣をつくり、互いに歌を掛け合ったり、踊りをおどったりして楽しんだという」
「さらにおもしろいのは、中にはこれが縁となって結ばれる男女もあったというのである。これはディスコでのダンパなどで、現代の若者たちが円陣をつくって『フーフー』とか『フェイフェイ』とか言いながら踊り、ナンパし、なかには結婚する者がいるのとまったく同じではないか! ウタカキ遊びのような例は、他にも世界各地に見られる」

f:id:shins2m:20210123114341j:plainJ-CASTニュースより 

 

尾藤氏は「『男女が集い、酒を飲みかわし、音楽を楽しみ、踊りをおどるようなコミュニケーションは世界の至るところで見られていたのです。そのうえで、「ディスコとは野外の宴を吸収した空間である」と、一条さんは言います』として、「ディスコで踊りまくるとハイになれるのは、そこにおわす神と交信できるからかもしれない。では、ディスコにはどんな神がいるのかと聞かれると、正直言って、ぼくにはまだわからない。これから、つきとめていくつもりである」というわたしの言葉を引用されています。


遊びの神話』(東急エージェンシー

 

最後に、尾藤さんは「本書では、主にイベントの歴史と未来について説明されています。レジャーランドなら、プレジャー・ガーデンから、ディズニーランドの誕生、日本での成功の理由、これから流行すると思われるテーマパークが主題です。また、咲くだけで実をつけなかった、『バブル』という徒花(あだばな)を掘り下げることができる歴史書としても価値があるように思われます」と書かれています。たしかに、TDLをはじめとするテーマパークの成功は単なる経済的理由だけではなかったように思います。その意味で、『遊びの神話』は経済と文化がクロスオーヴァーした本だったのかもしれません。その後、このスタイルは、その後の一連の著書にも受け継がれました。

f:id:shins2m:20210123110646j:plain「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

遊びの神話』 の刊行から30年以上が経過しましたが、わたしはこのたび、同書と同じ手法というか、同じ思考法で新しい本を書きました。『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)です。漫画、アニメ、映画の3つの分野でそれぞれ史上最高のヒット作となった「鬼滅の刃」は関連グッズの売れ行きも相まって、その経済効果はコロナ禍で疲弊する日本経済の救世主のようになっています。以前、広告代理店のマーケティング・プランナーとして、各種プロモーションから商品開発、イベント企画などに携わってきた経験を持つわたしは、このブームに大きな興味を持ちました。そして、経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質を発見しました。『「鬼滅の刃」に学ぶ』は尾藤氏にも送らせていただきましたが、早速、読んで下さったそうです。次は、ぜひ新著についての記事を期待しております!

 

2021年1月23日 一条真也

『さよなら、プロレス』

さよなら、プロレス (伝説の23人のレスラー、その引退の真実と最後の言葉)

 

一条真也です。
『さよなら、プロレス』瑞佐富郎著(standards)を読みました。「伝説の23人のレスラー、その引退の〈真実〉と最後の〈言葉〉」というサブタイトルがついています。著者は愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。シナリオライターとして故・田村孟氏に師事。フジテレビ『カルトQ・プロレス大会』優勝を遠因に、プロレス取材等に従事したそうです。本名でのテレビ番組企画やプロ野球ものの執筆の傍ら、会場の隅でプロレス取材も敢行しています。著書に『新編 泣けるプロレス』(standards)、ブログ『平成プロレス30の事件簿』ブログ『プロレス鎮魂曲』で紹介した本などがあります。また、ブログ『『証言UWF完全崩壊の真実』ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』ブログ『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。

f:id:shins2m:20201209220357j:plain本書の帯 

 

本書のカバー表紙には、引退して花道を引き揚げていくアントニオ猪木の後姿が描かれ、帯には「阿修羅原/アントニオ猪木ザ・グレート・カブキ前田日明ジャンボ鶴田/スタン・ハンセン/浅子覚/垣原賢人/馳浩/SUWA/ミラノコレクションA.T/力皇猛/小橋健太/田上明佐々木健介井上亘天龍源一郎スーパー・ストロング・マシンアブドーラ・ザ・ブッチャー飯塚高史長州力獣神サンダー・ライガー中西学」と書かれ、「なぜリングを去ったのか。その引退の〈真実〉を描く。」と大書されています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いて行くのだと思います」アントニオ猪木、「本当に怖いのは、自分の信念を曲げずに、生き残っていくこと」前田日明、「引退できなかった三沢さんにも届いてると思います」小橋建太、「今は何もしないことが幸せ」天龍源一郎といった、プロレスラーたちの引退メッセージとともに、「偉大なるレスラーがリングを降りるのは〈理由(わけ)〉がある。プロレスに別れを告げた男たち、その引退の舞台裏を熱く描く」と書かれています。

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アマゾンより 

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
阿修羅 原
 「大切な人に大切な思いが伝わる。それが生きていて、一番うれしい」
アントニオ猪木
 「人は、歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いて行くのだと思います」

ザ・グレート・カブキ
「毒霧の正体? 順を追って話そうか」
前田日明
 「本当に怖いのは、自分の信念を曲げずに、生き残っていくこと」
ジャンボ鶴田
「自分が思った以上にファンの温かさを感じて……」
スタン・ハンセン
「手術の痕は、見せないよ」
浅子 覚
 「自分みたいなコンディションの者が上がっては、それはプロレスに失礼なんじゃないかって」
垣原賢人
 「僕のプロレス人生、ハッピーエンドだったと思います!」
馳 浩
「引退表明なんて、しなきゃよかったと思ってますよ」
SUWA
「こんな終わり方したレスラー、いないでしょ! 」
ミラノコレクションA.T
「今度は俺が人の体を治していく」
力皇 猛
「プロレスをやってきて13年間、幸せで素晴らしい時間を過ごすことができました」
小橋建太
「引退できなかった三沢さんにも届いてると思います
 田上 明
「家に帰って、横になりながら、酒でも飲みたいよ」
 佐々木健介
 「プロレスが好きだからこそ、未練がない」
井上 亘
「自分が好きな選手、おもいっきり声援してあげてください! 」
天龍源一郎
 「今は何もしないことが幸せ」

スーパー・ストロング・マシン
「マシンは、今日で、消えます」

アブドーラ・ザ・ブッチャー
「そろそろフォークを置く時が来た」

飯塚高史
 「・・・・・・」

長州力
 「そのうちリングは降りるだろうけど、また引退試合をやろうとは思わない」

獣神サンダー・ライガー
「やり残したことは、ない」

中西 学
「一度プロレスラーをしたからには、死ぬまでプロレスラーやと思ってますんで」
「あとがきに代えて~ジ・アンダーテイカー引退~」


アントニオ猪木」の章には、第8代WWF(現WWE)ヘビー級王者のボブ・バックランドが登場します。彼は大学時代、レスリング部の90kgエースとしてAAU4連覇。活躍の舞台をプロに移しても、その実力は凄かったです。WWFを主戦場にしているのに、ライバル団体NWAの前会長エディ・グラハムが、「WWFの枠だけにいるのはもったいない。NWAの王者になるべき」と絶賛したほどでした。バックランドがWWF王者時代に挑戦を退けた選手の顔ぶれも凄く、ハーリー・レイスニック・ボックウィンクル、リック・フレアー、そして日本で、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン藤波辰巳(辰爾)・・・・・・。



しかし、彼のトレードマークであるボブ・スマイルが、控室のドアを閉じた途端に曇った試合がありました。彼は「・・・・・・強いよ。今まで戦った中で、一番強いかもしれない」と、マネージャーのアーノルド・スコーランに言ったそうです。著者は、「1978年6月1日、日本武道館アントニオ猪木との初シングルを終えた直後だった。試合はWWF(当時WWWF)ヘビーと、猪木の保持するNWFヘビー両王座のWタイトルマッチ。結果は61分時間切れ引き分け(3本勝負のうちの1本を猪木がリングアウト勝ちし、そのままタイムアップ。タイトルの移動はなし)。俯瞰的にはあくまでドローだが、『噂に聞いていた以上だった』とも、バックランドは言った。当時のWWFの総帥、ビンス・マクマホンから、『ストロングスタイルのプロレスで最強なのは、おそらく日本にいる猪木だろう。ラフにも強いし・・・・・・』と伝えられていた」と書いています。

 

その猪木の引退試合は1998年4月4日に東京ドームで行われましたが、猪木の弟子であるリングス総帥・前田日明は引退セレモニーに登壇するために、会場に入っていました。当日は、スペシャルゲストとしてモハメド・アリも来ていましたが、前田はアリに会いに行きます。もともと、前田はプロレスラーになる気はなく、アリの弟子にしてくれるという約束で猪木の新日本プロレスに入ったという経緯がありました。たどたどしい英語で自己紹介する前田に対して、アリは当時すでにパーキンソン病を患っていたにもかかわらず、「そんなこと言って、お前は俺を倒しに来たんだろう?」と英語でまくしたてたそうです。前田は通訳のケン田島に向かって、「そんな! そんなわけないじゃないですか! 違うと言ってください、田島さん!」と言いますが、田島の流暢な英語も効果はありませんでした。「違うね。お前は俺を倒しにきた」「いいから構えてみろ」と言うアリに対して、前田は「違う。違いますってば・・・・・・」と戸惑う前田に、アリは「いいから構えるんだ!」と言い放つのでした。

 

その後の様子を、著者はこう書いています。
「『いいから構えるんだ!』アリに言われた前田は、言われるがまま、ファイテイング・ポーズを取った。アリもおぼつかない手つきながら、同様に構えたという。そして、次の瞬間、言った。『今のパンチが見えたか?』『・・・・・・はあ?』『見えなかっただろう? 俺は今、お前に、10発パンチを見舞ったんだぜ』そういって、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。前田も一気に相好を崩した。『さ、さすがは、アリ・ザ・グレイテストです! You are the greatesut!!』顔を上気させ、何度も頭を下げる前田。『何か、ものすごく嬉しくてねぇ。控室まで、スキップで帰ったんや』と、最初で最後となった、アリとの邂逅を振り返った。その時の胸のパスには、アリのサインが燦然と輝いていた」



ジャンボ鶴田」の章では、‟最強王者”と呼ばれた鶴田のデビュー当時について、初心者は馴れないロープワークも達者にこなし、スープレックスなどの練習で教えた動きもあまりに正確に再現できるので、師匠のドリー・ファンク・ジュニアが‟ミスター16ミリ”という綽名をつけたことを紹介し、著者は「とはいえ、後にルー・テーズに学んだ伝家の宝刀・バックドロップは、落下の際、右足が流れることも多かった。だが、これについても恐るべきエピソードがある。しっかりと両足をつけて見舞ったところ、食らったハーリー・レイスが、試合後、激怒して控室まで乗り込んで来たという。曰く、『あんなこと、この場でもう一度、俺にやれるのか!?』。右足が流れる理由を、後年、鶴田はこんな風に語っている。『そうしないと、怪我人が出ちゃうから』」と書いています。

 

デビュー直後から、御大・ジャイアント馬場のタッグ・パートナーを務めた鶴田ですが、馬場は鶴田の飄々とした闘魂を感じさせない態度に不満を抱いていたといいます。著者は、以下のように書いています。
「『猪木みたいな、必死さがないんだよなあ』と、まさにライバル団体のエースを引き合いに出され、大師匠に苦言を呈されたことがあるという。それも、全日本プロレスの会場で、他の選手たちがいる控室において、である。『コブラツイストの時、猫背になってる。ピンと背筋を伸ばさなきゃ! お前は手足も長いのに。必死にやらなきゃ、迫力も力強さも出ないよ』と言ったのは意外にも、ジャイアント馬場であった。曰く、『お前はドリー(・ファンク・ジュニア)と一緒で、そういう表情がない』・・・・・・」



鶴田は引退時に「戦いたかった」相手として、前田日明の名前を挙げました。その理由について、鶴田は「前田選手が真剣勝負を掲げてUWFという団体を作った頃、『ロープに振って戻ってくるのはおかしい』なんてプロレス批判をしましたよね。そんなにプロレスを蔑視するならやってやろうと思っていたんですよ」と語っています。もっとも、前田はブログ『猪木力:不滅の闘魂』で紹介した本の中の猪木との対談で、鶴田と対戦しても負けた気はしないと明言していますが・・・・・・。



その前田の新日本プロレスの同期で、前座で火の出るような死闘を何度も展開したのが平田淳嗣。後の、スーパー・ストロング・マシンです。著者は、「前田のキックで平田の唇の破片がキャンパスに落ちれば、平田は前田の顔面にドロップキックを炸裂。受け身を取ると何かが背中に刺さったので見てみると、散らばった前田の前歯だったという。ヒロ斎藤齋藤弘幸)との試合も前座名物で、こちらは意外にも、猪木のお気に入りだった」と書いています。



最後に、プロレス界を代表する悪役であった‟黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーのエピソードが非常に良かったです。プロデビューから57年が経ったブッチャーは、2018年10月、翌年2月の「ジャイアント馬場没後20年追善興行」での引退セレモニーを発表。ブッチャーといえば、テリー・ファンクを血だるまにしたフォークを凶器にした攻撃がトレードマークでしたが、「そろそろフォークを置く時が来た」と語りました。著者は、「引退当日は、猪木、ドリー・ファンク・Jr、スタン・ハンセン、ミル・マスカラス初代タイガーマスクら、まさにかつて争ったオールスター達が大集合。しかし、その中でマイクを取ったブッチャーのメッセージは、彼らには触れぬ、意外なものだった」と書いています。

 

そのブッチャーの言葉とは、「若い人たちに言いたい。自分の親が年を取っても、決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことはするな。いずれはお前たちも年を取ってそういうことになるんだから、ちゃんと親を大事にしろ。それだけを言いたい。忘れるんじゃないぞ」でした。極貧の子ども時代を過ごしたブッチャーは非常な親思いだったそうで、立派な家も建ててあげたそうです。ホッコリとする話ですね。

 

 

2021年1月23日 一条真也

『妻たちのプロレス』

妻たちのプロレス: 男と女の場外バトル

 

一条真也です。
『妻たちのプロレス』ターザン山本・福留崇広著(河出書房新社)を読みました。「男と女の場外バトル」というサブタイトルがついています。山本氏は1946年、山口県岩国市生まれ。元「週刊プロレス」編集長として、部数を爆発的に伸ばす。著書多数。福留氏は1968年、愛知県生まれ。國學院大学文学部哲学科卒業。92年、報知新聞社入社。現在、コンテンツ編集部所属。プロレス、格闘技、大相撲、ボクシング、サッカー等を取材。著書に、ブログ『さよならムーンサルトプレス』で紹介した本があります。 

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本書の帯

 

本書の帯には、力道山の妻・田中敬子「主人は別の部屋で一人、涙を流していました」、髙山善廣の妻・奈津子「私は、格闘技よりプロレスのほうが怖いんです」、剛竜馬の妻・八木幸子「三人の子どもを産んだ私の勝ちですね」、葛西純の妻・三知代「危険なことはして欲しくないけど、デスマッチで生活が成り立っているんです」、藤波辰爾の妻・伽織「新しい藤波を、長州さんが引き出しているって気付きました」、ジャイアント馬場の妻・元子「女が純愛スナイパーになるとき」「妻だけが知るプロレスラーの苦悩と栄光」「男女のディープ・ストーリーを描きながら、謎に包まれたプロレスの真実をすべて明かす、新しいノンフィクションの誕生!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「レスラーが社会の偏見と真っ向から闘ってきたとしたら、妻たちはそれ以上に心理的葛藤を体験してきたはずだ。社会的な負を夫と共有すること。その底力は計り知れないものがある――ターザン山本」「妻たちのプロレスへの視線はひとつだけだった。すべては夫を通じて感じたリングであり、称賛でありブーイングであり、闘いだった。この一筋の視線があることを今回の取材で知った――福留崇広」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
プロレスの「負」を共有する女たち
 ――「まえがき」にかえて(ターザン山本
第1章 力道山の妻・田中敬
――今もあの笑顔を胸に(文=福留崇広)
第2章 髙山善廣の妻・奈津子
――ケガと病気と闘う日々のその先に
(文=福留崇広)   
第3章 剛竜馬の妻・八木幸子
――男と女、ミックスド・デスマッチ十番勝負
(文=ターザン山本
第4章 葛西純の妻・三知代
――血に染まった夫のシャツを脱がせた日々
(文=福留崇広)
第5章 藤波辰爾の妻・伽織
――妻だけがプロレスラーを分かってあげられる
(文=福留崇広)
第6章 ジャイアント馬場の妻・元子
――女が純愛スナイパーになる時(ターザン山本
妻だから見える「プロレスの生命力」
 ――「あとがき」にかえて(福留崇広)

 

「プロレスの『負』を共有する女たち――『まえがき』にかえて」では、ターザン山本氏が「プロレスは他に比類なきジャンルと言われてきた。世の中から常に白眼視、差別された歴史がある。いわゆる八百長というレッテルのことである。これがレスラーの怨念、コンプレックス、情念というマグマに成長していったこともたしかだ。そこから世間を敵視して生きるというアイデンティティが誕生していった。そんなレスラーと結婚。その夫人になることは相当な覚悟が必要。前途には大きなハードルが待っていたはずだ」と書いています。

 

また、山本氏は「彼女たちは惚れられたのか? 見初められたのか? どっちだ。そこには特別な出会いと偶然というドラマがあったはず。レスラーとの結婚には両親、家族、親族が反対する。当然だ。そのレスラーが社会の偏見と真っ向から闘ってきたとしたら、彼女たちはそれ以上に内的、心理的葛藤を体験。どんな風にその時分と向き合ってきたのだろうか」とも述べるのでした。



第1章「力道山の妻・田中敬子――今もあの笑顔を胸に」では、ジャイアント馬場アントニオ猪木大木金太郎という後のプロレス界を背負う若手選手の中で、敬子夫人の目から見て力道山は誰に将来を期待していたのだろうかという福留氏の問いに対して、敬子夫人は以下のように答えます。
「主人は、弟子にはあまり接してはいませんでした。ただ、唯一、猪木さんだけは、自宅に呼んでマッサージをさせていました。猪木さんのことを『アゴ』って呼んでいたんですけど、よく『アゴを呼べ』って合宿所から部屋へ呼んでいました。主人が朝鮮半島から日本に来たように、ブラジルから自分がスカウトしてきた猪木さんのことは自分の息子みたいに思っていたのかもしれません。猪木さんは、あのころからだが細かったので、主人は大相撲で懇意にしている元横綱前田山の高砂親方に頼んで、体を大きくするため2年間、相撲界に預けて、プロレスに復帰させる計画を持っていました。その話は私がいる前で主人が高砂親方に頼んでいたので間違いありません」



力道山は晩年、相模湖のレジャー施設などをはじめ、さまざまな事業に乗り出していました。突然の死で事業はすべて頓挫し、莫大な借金が残ります。敬子未亡人は生前に買収した土地を売却するなどで返済、最終的には2人が住んでいたリキ・アパートを20億円ほどで売り、没後からおよそ30年をかけて完済しています。英雄の妻から、まさかの急逝で借金を抱え「主人と結婚しなければこんな思いをしなかたのに」という思いが頭をよぎったこともあったそうですが、福留氏はこう書いています。
「それでも、敬子は前を向いて79歳になる今まで生きてきた。思い返すのは、あの3歳の時に見た火の海に包まれた横浜の街とB-29の轟音だった。『横浜だけでなく広島、長崎は原爆を投下されて、日本中があれだけの焼け野原になったんです。そんな傷ついた戦後の日本人を主人は、勇気づけていたかと思うと、本当にすごいことで・・・・・・誰が何を言おうとそれだけは絶対に動かない、主人が残したすごいことだと、今、思うんです』ひとしきり涙を流すと、敬子は何かを思い出したかのように微笑んだ」



第2章「髙山善廣の妻・奈津子――ケガと病気と闘う日々のその先に」では、「帝王」と呼ばれた男の夫婦物語が紹介されます。ブログ「がんばれ髙山善廣!」に書いたように、2017年5月4日のDDT豊中大会において、高山善廣選手が回転エビ固めを行った際、頭から落ち、そのまま動けなくなり、救急搬送されました。高山さんは「頸髄損傷および変形性頚椎症」と診断されました。それ以来、髙山はずっと入院しており、奈津子夫人は看病を続けています。2人が結婚したのは出会いから9年目、髙山が36歳、奈津子夫人が34歳の秋でした。髙山がトップレスラーの仲間入りをした頃でした。



福留氏は、「結婚するころから髙山は、リング上でさらに充実の時を迎える。2002年9月7日、大阪府立体育会館小川良成を破りノアの最高峰『GHCヘビー級』王座を奪取しデビュー以来、初めてシングルの頂点を極めた。さらに新日本プロレスにも参戦し翌2003年1月4日、東京ドームでアントニオ猪木が全盛期に保持していた『NWFヘビー級』王座が復刻された王座決定戦で高坂剛を破り、初代王者に輝いた。そして、同年5月2日の東京ドームで新日本の頂点となる『IWGPヘビー級』のタイトルを獲得した。このころ、髙山は『帝王』と呼ばれ、プロレス界で不動の地位と人気を手にした」と述べています。



2004年夏、髙山は新日本プロレスの真夏の最強決定戦「G1クライマックス」に参戦し、大阪府立体育会館佐々木健介と対戦しますが、試合後に脳梗塞を発症し、会場近くの脳神経科へ緊急搬送されます。脳梗塞から復帰した高山は、再び「帝王」に相応しくマット界を縦横無尽に闊歩し、復帰から3年後の2009年3月14日、全日本プロレス両国国技館大会でグレート・ムタを破り、三冠ヘビー級王座を獲得、全日本の頂点となる三冠奪取で新日本、全日本、ノアとプロレス界の三大メジャー団体が制定するシングル、タッグのすべてのベルトを史上初めて完全制覇したレスラーとなりました。



髙山はプロレス以外にも、総合格闘技のPRIDEで活躍し、特にドン・フライとの壮絶なドツキ合いは今でも語り草になっています。一般にプロレスよりも格闘技の方が危険度は高いとされていますが、奈津子夫人は「私としては、プロレスの方が大変だと思います。なぜかって言うと、格闘技は、試合でヤバくなるとレフェリーが試合をストップしてくれるので、見ていて安心だなって思いました。だけど、プロレスは、ヤバくなっても、もう動けないよって私が思っても止めてくれないんです。というより、そこからが勝負みたいな世界ですよね。なので、プロレスの方がずっと危険だと私は思います。これは誤解していただきたくないんですが、だからプロレスの方が格闘技よりエライとか言っているんじゃないんです。ただ、私は、プロレスの方が怖いんです」と語っています。わたしは、プロレスも格闘技も、多くの試合を観てきましたが、本当に奈津子夫人の言葉の通りだと思います。



第5章「藤波辰爾の妻・伽織――妻だけがプロレスラーを分かってあげられる」では、藤波辰爾人間性に感動しました。中学を出てすぐプロレス入りして早くから家族と離れた藤波は、父親が生きているうちに家を建ててあげるのが目標だったそうです。昭和53年11月30日に父親が亡くなりますが、その日、藤波は広島県民体育館で剛竜馬と対戦し、試合後に訃報が届いたのでした。本書には、「亡くなった人が家族のもとに帰ってくると言い伝えられる初盆までに大分のふるさとに家を建て、父を新居で迎えようと決断した」と書かれています。相談を受けた夫人もその決断を受け入れ、家を建てる資金がなく会社と銀行から借金をしたそうです。



当時のことを、伽織夫人は「会社からお金を借りたんですけど、毎月の給与全額を返済に充てたので、給与明細の支給額がゼロでした。報酬がなかったのは2年間ぐらい続きました。ただ、当時は、幸いサイン会とかのイベントが多かったので、そのギャランティーで何とか生活をつないでいけました。それで念願をかなえて、初盆までに家を建てました。この時、藤波は、リスクがあっても自分がこうと決めたことは曲げない、そんな人だということを改めて知りました」と回想しています。



藤波といえば、長州との「名勝負数え唄」が有名ですが、突然、主人に敵意をむき出しにしてきた長州に対して、伽織夫人は憎しみさえ抱いていたといいます。しかし、ある共通の知人のパーティーに出席した時に伽織夫人は思わぬ経験をします。ケガで出られない夫に代わって足を運んだのですが、立食式パーティー会場の片隅に立っていた時、長州があいさつをしてきたのです。それまで長州と会話を交わしたことは一度もなく、思いもかけない行動に驚いた伽織夫人に向かって、長州は「今、僕があるのは藤波さんのおかげです。だから、今はゆっくり休んでください。それまで僕は、待っています。必ず戻ってくるまでリングを守っています」と告げました。夫を思うライバルからの言葉に自然と涙がこぼれたそうです。いい話ですね。



第6章「ジャイアント馬場の妻・元子――女が純愛スナイパーになる時」では、ターザン山本氏がハワイにある馬場のマンションを訪れたときの思い出が書かれています。馬場から「あしたはハワイで一番、美しいものをそっちに見せてやるよ」と言われ、楽しみにしていた山本氏は翌日、馬場のマンションのベランダに連れて行かれ、下を見せられました。そこには目の前をどこまでも広大な太平洋が続き、青い海と空しかありませんでした。波が白くこちらに向かって繰り返し押し寄せていました。山本氏は、「馬場さんは普段、死を意識していたところがあった。人間は最後は死べき存在である。馬場さんの頭の中にはその認識がガチッと鍵がかかって収められていた。先輩、同僚、部下、あるいは外国人のレスラーたち、その死を見続けてきた。だからこそ永遠という時間に対するかなわぬ思い。その象徴が馬場さんにとってはもしかするとあの波だったのか」と書いています。「世界の巨人」が死に対して敏感だったこと、初めて知りました。



さて、本書は山本氏と福留氏の共著となっていますが、山本氏の文章で印象的なのは馬場の死生観のくだりぐらいで、あとは福留氏の文章ばかりが光っていました。もともとは福留氏の単著の企画だったそうですが、「共著にする必要があったのか?」と疑問に思いました。「妻だから見える『プロレスの生命力』――『あとがき』にかえて」では、福留氏が「ターザン山本さんと共著になった理由は、銀座の居酒屋『三州屋』での雑談がきっかけだった。令和元年の初夏、ビールを飲みながら藤波伽織さんから聞いた話を山本さんに打ち明け『いつかプロレスラーの妻を書きたいんです』と明かしたときに突然、『オレも書きたい! 会いたい人がいる』と絶叫し右手を挙げた。そして、かつて剛竜馬さんの自宅に招かれた時に会った妻・幸子さんとの再会を熱望し、卍固めをかけられたように山本さんに手足をロックされ、具体的に行動を開始した」と書いています。福留氏はまた、「表現者として敬愛する山本さんと共著になったことは光栄であり喜びである」などとも書いていますが、心中お察しいたします。

 

最後に、福留氏は「実は、取材から執筆は今年1月に終えていた。しかし、その後、出版に至る道の中で新型コロナウイルスの世界的流行で日常が激変した。日々、揺れ動く現実は、呆然の連続でどんな言葉も何と無力かとうつむくこともあった」と明かします。そんなときに思い出したのが、力道山の妻・田中敬子さんと髙山善廣さんの妻・髙山奈津子さんの2人が明かした同じ言葉だったそうです。その言葉とは、「とにかく生きなくちゃ。生きていれば何とかなりますよ」というものでした。そして福留氏は、「この本を読んでいただいたすべての方にプロレスラーの妻への言葉が明日への糧になることを心から願っている」と述べるのでした。

 

個人的には、本書の続編をぜひ福留氏に書いていただきたいです。それも、夫を亡くした未亡人の談話だけで1冊作っていただきたい。冒頭の田中敬子さんのお話がすごく良かったので、このテーマはグリーフケアの範疇にも入ると感じました。個人的には、マサ斎藤上田馬之助ラッシャー木村ジャンボ鶴田三沢光晴、冬木正道、橋本真也の未亡人のお話をお聞きしたいです。

 

妻たちのプロレス: 男と女の場外バトル

妻たちのプロレス: 男と女の場外バトル

 

 

2021年1月22日 一条真也

『週刊プレイボーイのプロレス』

週刊プレイボーイのプロレス (G SPIRITS BOOK)

 

一条真也です。
20日の夜、延岡から小倉に戻りました。
週刊プレイボーイのプロレス』佐々木徹著(辰巳出版)を紹介します。かつて、「週刊プレイボーイ」に掲載されたプロレスラーのインタビュー内容と、インタビュアーを務めた著者の回想がまとめられています。わたしが愛読していた「週刊ファイト」「週刊プロレス」「週刊ゴング」とはまた違った味わいのインタビューを読み、レスラーたちの知られざる一面を知ったような気がしました。著者は、フリーライター&フリーエディター。『写真集・門外不出!力道山』『無冠 前田日明』『船木誠勝物語 ストレイト』などのプロレス関連の著書・共著多数があります。また、松山千春をはじめ、多くのアーティストの月刊本をプロデュースしています。

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本書の帯

 

カバーと同色の赤みがかったオレンジ色の帯には、「週プレ編集部が企てた超ド級のプロレス企画 それは・・・・・・‟究極の切り札”BI対談!!」「3日後に、Hさんから連絡が入った。『よかったな、馬場ちゃん、OKだってよ。ただ、ひとつだけ条件があるらしい』『条件?』『年末にハワイでやりたいそうだ、猪木との対談を』」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

また帯の裏には、「プロレスマスコミの喉元を食いちぎる記事を作れ!」と大書され、「第2次UWF分裂問題、孤立した前田日明のリングス旗揚げ、“黒船"ヒクソン・グレイシーの来襲、ジャイアント馬場ジャンボ鶴田の急逝、橋本真也vs小川直也の遺恨抗争、三沢光晴全日本プロレス社長辞任&新団体設立――ウネリまくるマット界と対峙しながら、著者がレスラーたちの本音を引き出し、誌面で伝え続けた『週刊プレイボーイのプロレス』とは?」「『週プレが第2次UWFを応援した理由』、『三沢が橋本との越境対談を断った経緯』、『夫人が明かしたヒクソン新日本プロレス3連戦』、『リングス・ロシア大会で起きた軍部による拘束事件』、『前田リングス・ラストマッチのカード編成会議』、そして『幻に終わったBI対談inハワイの舞台側』・・・・・・などなどリアルタイムでは書けなかった取材秘話も全部出し!」と書かれています。

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本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「ちょっと長めのプロローグ――
            週刊プレイボーイの『殺し』」
第1章 週刊プレイボーイの馬場と三沢
第2章 週刊プレイボーイの第2次UWF
第3章 週刊プレイボーイのアフターU
第4章 週刊プレイボーイのプロレス
     ~日本人レスラー編~
第5章 週刊プレイボーイのプロレス 
     ~外国人レスラー編~
「エピローグ――
 『週刊プレイボーイのプロレス』よ、永遠なれ」



著者は80年代後半から90年代後半までの音楽担当のフリーライターとして、数多くの海外アーティストをインタビュー取材してきたそうです。その中にはポール・マッカートニーフレディ・マーキュリー、スティング、マドンナ、ジョン・ボン・ジョヴィスティーヴン・タイラーなどの超大物もいました。日本のアーティストでも、80年代から2000年初頭までに取材していない国内アーティストは、B'zと中島みゆきとドリカム、ZARDぐらいだというから、凄いですね。しかも、これらのアーティストの取材は常に1人で行ってきたというから驚きます。

 

もちろん、プロレスラーは有名どころにはすべて取材しています。初めて取材したレスラーがジャイアント馬場で、それも著者1人でインタビューしたそうです。「ちょっと長めのプロローグ――週刊プレイボーイの『殺し』」で、著者は「なんにせよ、私にとって幸運だったのは日本がまだ本格的なネット社会を迎えていなかったこと。今では多くの著名人が例えば自分の宣伝活動をする際、SNSやブログを活用する。そのためテレビ以外の媒体の取材を‟面倒臭い”を理由に受けたがらない。大事なことは自分のHPなどで発表するから、取材は受けない。最近ではその流れがどのジャンルにせよ、主流になってしまった。しかし、あの頃の週刊誌のインタビューは取材される側にとって、まだまだ広報活動においての大切なツールのひとつだったのである」と述べています。



本書には膨大なプロレスラーのインタビューが収められていますが、その内容のほとんどはすでに知っていることばかりでした。同時代のプロレスマスコミもそうですが、最近の宝島社から出ている一連のプロレス「真相」本シリーズや、多くのレスラーたちがYouTuberとなり、自身の動画チャンネルで語り始めたため、わたしを含めたファンは非常に「事情通」「物知り」になったのです。しかし、中には本書に紹介されたインタビューで初めて知った興味深い事実もありました。まずは、1997年のジャイアント馬場へのインタビュー記事でした。ここで、馬場はプロレスの本質について、興味深いことを語っています。



馬場は、プロレスに詳しくない著者に「あんた、プロレスのルールの中で絶対にやっちゃいけないことってなにかわかるかい?」と問い、「電流爆破ですか?」などとトンチンカンな答えを述べる著者に対して、「それは闘う相手の“虚”を突いてはいけないということ。いいかい。レスラーは『殴りなさい』と構えることが大事なんだ。そうすると、相手は殴るわな。で、また殴りなさい構える、相手が殴る。その‟流れ”がプロレス。この流れを無視した攻撃などは、絶対にプロレスにおいてやってはいけないんだよ。だからこそな、殴られても痛くない体を作ってからリングに上がりなさいと俺は言うんだ」と語ったとか。

 

さらに、馬場は「俺は、ウチの選手を教える時には、まず相手の攻撃を受けることから教えるわけ。やられてから、どうやって反撃するかを教える。だけども、他の団体では攻撃することだけ教えている。そうなると、相手の“虚”を突くような試合しかできなくなるよ。体も鍛えていない、攻撃だけしか勉強していないレスラーの試合でも、あんたたちから見たら同じプロレスになる。そうみられるのは、俺からしたら、やはりいい気持ちはしない。本当にな、悔しくてしょうがないんだ」と語ります。馬場がここまでプロレスの本質に関わる発言をするのはきわめて珍しく、プロレス専門誌ではありえなかったことだと思います。その貴重発言を著者が引き出したことは素晴らしいです。



1998年、著者は、全日本プロレスのエースだった三沢光晴にインタビューします。その中で、当時大きな話題になっていたアルティメット大会やヒクソン・グレイシーについても質問するのですが、三沢は「興味はあるよね。そうだな・・・アルティメットのルールでヒクソン・グレイシーと闘ってみたいという気持ちは・・・持ってるよ」と答えます。著者は、「意外ですよね、そういう発言が三沢選手の口から出てくるというのは」と言いますが、三沢は「いや、本当にあのルールで彼と闘うことに抵抗はない。ただ、闘う可能性が低いから今まで口にしなかっただけのことだよ」と言うではありませんか。



ヒクソン・グレイシーについて、三沢は「彼とは闘うスタイルが違うからね。でもね、ひとつだけはっきりしているのは、僕らは彼のようなスタイルで闘うことはできるけれども、彼は僕らのスタイルでは闘えないということ。この差は大きいと思うよ。その差に僕らはプライドを持っているしね。プロレスって、そう簡単にできるもんじゃないだよ。まあ、彼も殴ったり蹴ったりはできるだろうけど。それとね、もしだよ、彼が全日本プロレスのリングに上がって、三沢というレスラーと闘ってもいいと言ったとしても、闘う前に聞いてみたいよね。‟どうしてお前のギャラはそんなに高いんだ?”って(笑)。僕らのようなレスラーが高額なギャラをもらうのは当然だけど、なんでお前がそんな高額な金を取らなきゃいけないんだと突っ込みだけは入れておきたいよ(笑)」と語ります。これまた、三沢のプロレス観が明示されている発言ですね。



じつは、ヒクソン・グレイシーは本書の最重要人物であると思えるほど、各所に登場しますし、また興味深いエピソードの宝庫です。ご存じのように、ヒクソンは1997年10月11日に東京ドームで行われた「PRIDE.1」で髙田延彦に完勝しました。その後、98年10月11日に開催された「PRIDE.4」で髙田と再戦し、これも完勝で終わるのですが、じつは同年9月にヒクソンは東京ドームで前田日明と闘うことが決まっていました。前田がヒクソン戦を決意した動機は、かつての盟友・髙田にあると見た著者は、前田から「髙田がヒクソンの腕ひしぎ逆十字固めで負けた時、やるせない気持ちになってね。というか、あの瞬間、今まで俺が歩んできた道のりが走馬灯のように駆け巡ったんだ」との発言を引き出します。


前田は、「特にさ、髙田と初めて知り合った頃の映像が鮮明だったよね。俺、ユニバーサル・プロレスのエースとして頑張っていた時期があるじゃない? そんな俺を助ける意味で、髙田と藤原(喜明)さんがユニバーサルのマットに上がったんだ。(中略)俺は感謝しているんだ、藤原さんにも髙田にも。3年前、ウチのリングスとUWFインターの間で確執があったけど、あんなもん、俺は単なる兄弟喧嘩としか思ってないから。その髙田が負けたんだ、俺の目の前で。俺がプロレスラーとして一番苦しんだ時期、客の入らないユニバーサルで苦しみながら闘った、あの時期を一緒に経験した髙田が負けたんだ。苦労するのはわかっていたのに俺についてきてくれた髙田が負けたんやで。俺がヒクソンを倒さなきゃあかんやろ? 俺がケリをつけなきゃあかんやろ!」



現在、絶縁関係にある前田と髙田ですが、わたしはこの前田の発言を読んで、彼のピュアな心に胸を打たれました。実際は、髙田が前田に無断でヒクソンとの再戦を決めてしまい、前田vsヒクソン戦は宙に浮いた形になりました。髙田との2連戦後、2000年に東京ドームで開催された「コロシアム2000」でヒクソンと闘って惜敗した船木誠勝は、「まだ前田さんがヒザを壊していなかった新生UWFの段階でヒクソンと闘っていた場合、前田さんの勝ちもあったと思う」と自身のYouTubeチャンネルで語っています。YouTubeといえば、前田も2019年2月から自身のYouTubeチャンネルを開設しています。そして、今年10月からYouTubeに進出。初回は、なんと「PRIDE.1」のヒクソン戦の秘蔵テープを公開しています。秘蔵テープの中には、前田が髙田の控室を訪問した映像も残っているはずで、ぜひ見たいです。さらには、恩讐を超えた前田と髙田のYouTubeコラボ対談を見たい!


前田vsヒクソンに話を戻しましょう。まだ両者の対戦プランが流れていなかったとき、前田は「ヒクソンは自分で言っているじゃない。‟私は侍である。だから死ぬのは怖くない”って。アホなこと言いなさんなって。死ぬのが怖くない奴がロープを掴むなと文句を言うんじゃないよな。だろ? 死ぬのが怖くないなんて口に出さずに自分の中で思ってろって。そんな、死ぬのが怖いの怖くないのとほざいている奴と最後に子供のようにムキになってヤリあってもええかなと思ってるんだよね。その試合で俺がわからせてやるよ。死ぬことより生き抜くことのほうがよっぽど怖いことをね。死ぬなんて簡単なことだよ。本当の恐怖は、この人生を信念を曲げずに生き抜くこと、生き残ることなんだから」と語っています。前田のいう「人生を信念を曲げずに生き抜くこと」は恐怖というより、最も難しいことであり、それゆえに価値のあることです。

 

初代タイガーマスクであり、修斗創始者である佐山聡が1995年4月20日に日本武道館で開催した「バーリ・トゥード・ファイティング・チャンピオンシップⅡ・ジャパンオープン1995」の1回戦で、リングス所属の山本宜久ヒクソンと対戦したとき、山本は敗れはしたものの、ロープを掴んで闘う戦法でヒクソンを大いに苦しめました。そのときの苦い教訓から、ヒクソンは髙田戦のルールに「ロープを掴む」行為の禁止を加えたのです。当時のリングスには、エースの前田日明を筆頭に、山本宜久田村潔司高阪剛といった日本人ファイターがいました。リングスではヒクソン側と3試合契約を結ぼうとしていたようです。すでに対戦を終えている山本を除く前田、田村、高阪が続けてヒクソンに挑むというプランです。前田には「万が一、自分が負けても、田村か高阪が何とかしてくれる」という思いがあったようです。ちなみに、多くの総合格闘技ファンが「高阪ならヒクソンに勝てた」と思っていたとか。



しかし、リングスとヒクソンの試合契約は成立しませんでした。前田vsヒクソン戦も夢と化してしまいました。その後、ロシアでリングスの試合をするためにエカテリンブルグを訪れた前田は、現地の記者から「前田選手のヒクソン・グレイシーへの挑戦は、その後、どうなったのですか?」という質問がありました。そのとき、前田は「ヒクソン個人に関しては、髙田延彦という選手が負けたことによって興味が湧いてきました。ですが、残念なことに彼は私との闘いから逃げてしまったのです。もちろん、リングス・ネットワークの選手は彼のように直前になってから対戦を拒否するような選手はひとりもおりません。もし、闘ったら? ヴォルク・ハンやハンス・ナイマンたちと闘ってきている私が負けるはずはありません」と即答しています。著者は、「日本から遥か遠く、ロシアのエカテリンブルグで発せられた前田のこの発言は、ヒクソン・グレイシーに対する〈最終決着決別宣言〉でもあったような気がする」と述べています。



ヒクソンを日本に初めて招聘したのは、初代タイガーマスク佐山聡でした。1996年に行った佐山へのインタビューで、著者は「いま、プロレス界には厄介な問題がひとつある。それはグレイシー柔術を一気にブームに押し上げたバーリ・トゥード(なんでもありの試合形式)。その大会に出場したレスラーはみんな返り討ちばかり。まあ、その大会を主催したのが佐山さんだというのが皮肉っぽいのですけど、それにしても、惨敗記録が続いている現状を見るとレスラーは強いんだという佐山さんの主張が少し信じられなくなってきます」と佐山に向かって言います。すると、佐山は「いえ。あれはね。レスラーが弱いから負けているのではなくて単純にレスラーが柔術の技術を知らないから負けるわけです。その技術は何かというとマウント・ポジションとチョーク・スリーパー。相手がマウント・ポジションの体勢にもっていく。さあ、自分の首を狙ってきた・・・そこでかわす技術も知らないのに試合に出ちゃダメです。負けるために試合をするようなものです愚かですよね」と答えます。1996年当時に、こんな正論を堂々と言えた佐山は、やはりプロレスも総合格闘技も知り尽くしていた達人でした。



リングスからの3試合契約のオファーを断ったヒクソンですが、その後、新日本プロレスからも3試合のオファーが来たそうです。ヒクソンの伴侶であるキム夫人から著者が聞きだしたのですが、1試合目のヒクソンの相手は飯塚高史、2試合目は佐々木健介、そして最後の3試合目は長州力でした。ここで、飯塚、健介戦はグレイシー側に花を持たせ、最後は長州に花を持たせるというワークだったことが判明します。長州vsヒクソン戦のプランが存在したことは知っていましたが、新日マットでのワーク3連戦の構想があったことは初めて知りました。著者は、キム夫人に対して「それはこれまで新日本が外敵に取ってきた戦略です。決めるのはそちらですけど、今の話を聞く限り、私はヒクソンさんが新日本のリングに上がるのはどうかな、と思いました。3試合ともリアルファイトならいいですけど、どうでないのなら、億のギャラに背を向けてでも、グレイシー柔術ヒクソンさんの強さのプライドを守るべきだと思います」と言ったそうです。えらいぞ、佐々木徹!



著者の心ある言葉に対して、キム夫人も「ええ、私もそう思っていたんです」と言いますが、新日本は諦めませんでした。なんと、新しい提案として、最後の長州戦は何らかのハプニングを生じさせ、勝敗はうやむやにすると言ってきたそうです。それでは、第2回IWGPの決勝戦であるアントニオ猪木vsハルク・ホーガン戦に長州が乱入して試合を壊したのと同じではありませんか! しかも、あの試合は観客の怒りを買って暴動騒ぎとなり、その後の新日本プロレス凋落の始まりとなったことで知られています。夫人の言葉を受けて、著者は「お話をうかがっている限り、参戦を決めた瞬間、リング上の勝敗以前にグレイシー柔術の負けが決まってしまうような気がします。もちろん、ヒクソンさんは圧倒的な強さを見せるでしょう。しかし、新日本のリングに上がったイメージはグレイシー柔術の未来に暗い影を落とすかもしれません」と言うのですた。またまた、えらいぞ、佐々木徹! 結局、ヒクソンは新日マットに上がりませんでした。



ヒクソンと闘えなかった前田には引退が迫っていました。98年の終り、著者は糸井重里事務所の会議室で、前田の現役最終戦の対戦相手を決めるミーティングに参加していました。当時、糸井氏は前田の重要なブレーンだったのです。対戦相手ですが、まず前田が空手少年だったことから、K-1で活躍中だった極真空手フランシスコ・フィリオの名前が出ましたが、その案は同席していた前田がすぐさま、「フィリオは体が小さすぎる。ウィリー・ウィリアムスくらいのガタイがあればいいけど、勝負にならない」と言って却下しました。


著者が推したのは天龍源一郎でした。それも本名の嶋田源一郎として、元幕内力士のキャリアを踏まえて格闘家の意味合いを強くするという提案でした。前田の長州顔面蹴撃事件は天龍の輪島に対するエグい顔面キックから焦りと刺激を受けての顛末だったことは有名ですし、なかなか興味深いプランです。しかし、これも前田は「天龍さんをこっちの闘いに誘ってはいけないんだよ。それは天龍さんのプロレスのキャリアをないがしろにすることにもなる。絶対にしてはいけない。いくら本名で闘うといっても、やっぱり天龍さんに対して失礼になる」とあっさり却下したそうです。


意外なことにヒクソン・グレイシーの名前は出ませんでした。2度目のヒクソンvs髙田戦後、前田は著者に対して、「俺もいろいろ研究をしたけど、とどのつまりがグレイシー柔術って面取りゲームなんだよ。リングをね、例えば16分割にする。その16のマスをいかにして自分で埋めていくか。それで勝負が決まる。これまでのグレイシー柔術の試合を観てればわかるけど、グレイシーの連中は自分が有利になるポジション取り、マスを埋めるのが抜群にうまいわけ。だから逆に、俺たちはヤツらが奪われちゃいけないと考えているマスを埋めていく動きを先にすればいい。そうすると、自然にヤツらは自分が思ったようにマスが取れない焦りから隙を見せていく。防御が甘くなる。そこに乗じて攻撃を繰り返していけば必ずや突破口は見つかる。髙田の場合、ヒクソンが焦るマス取りをする前に負けただけ。なんにせよ、そういう攻防ってゲームみたいだろ(笑)。その結論に達してしまうと、グレイシー柔術に対して興味が湧かなくなった」と語ったそうです。その後の‟グレイシー・ハンター”桜庭和志の快進撃や、リングス出身のエメリヤーエンコ・ヒョードルのPRIDEでの無敵ぶりを見ても、前田の見方が正しかったことがわかります。やはり、佐山と同じく前田も総合格闘技の達人でした! 



そして、前田の引退試合の相手は、会議が停滞したときにリングス・スタッフがボソッと言った「冷蔵庫かなあ」の言葉で決まりました。糸氏氏がすかさず「なにそれ?」と突っ込むと、「ええっと。ロシアのアレクサンダー・カレリンのことです」「おおおお、あのカレリン!」「そうえす。そのカレリンです。なんでも彼は背中に冷蔵庫を担いで山道を駆け上がる練習をしているそうで。いや、誰か実際に見たわけじゃないですが」と、スタッフが申し訳なさそうに言ったのを糸井氏は手で制し、「見てはいないけど、カレリンならするだろう、と思わせてしまうのが彼の凄さだよね。いいじゃない、カレリン。オリンピック3大会連続の金メダリストだしさ」と言ったのでした。出席者一同、すぎに同意して、前田vsカレリンが決定したのでした。言うまでもなく、カレリンはロシアの国宝のような存在であり、その存在感はかつて前田の師である猪木が闘ったモハメド・アリにも匹敵するものでした。そんな歴史的ビッグマッチのプランが出た会議に同席した著者もすごいぞ!



猪木の名前が出たところで、1998年に著者が山本小鉄にインタビューした内容が面白かったです。著者は、「単純な質問なのですが、小鉄さんにとって猪木さんはどういう存在なのですか?」と聞くと、小鉄は「そうですねぇ。ことプロレスに取り組む姿勢や技術、強さは素晴らしいですね。ただね、事業がヘタなんだよな(笑)。つまりね、プロレスラー・アントニオ猪木は大好きだけど、事業家の猪木さんは大嫌い(笑)」と言い放ちます。「そんなに実業家・アントニオ猪木は嫌いですか」と訊く著者に向かって、小鉄は「嫌い。だってね、猪木さんは誰でも信用してしまう悪い癖があって、すぐに会社のお金を使ってしまうんだ。猪木さんに近寄ってくる人たちの中にはそりゃ立派な人もいますけど、金儲けのために猪木さんを利用してやろうと考えている人たちもいるんですよ」「普通ね、会社のお金を運用する場合は綿密な計画とか必要なのに、猪木さんにはそういう用心深さがまったくない。悪い人の言葉を簡単に信用しちゃうんだな」と言うのでした。ちなみに、小鉄によれば、新日本プロレスを旗揚げした28歳からハルク・ホーガンが売り出してきた頃の35歳前後までが猪木の全盛時代で、1976年12月にパキスタンのカラチで猪木がペールワンの腕を折った試合の頃が最強だったそうです。これは納得ですね!



その「誰でも信用してしまう悪い癖」のある猪木は、豊登というギャンブル好きの先輩プロレスラーを信用して日本プロレスを脱退し、東京プロレスを旗揚げしたこともありました。そのとき、ハワイで猪木が豊登にそそのかされたとして、「太平洋上の猪木略奪事件」として知られています。本書のハイライトである「週刊プレイボーイ」誌上でジャイアント馬場アントニオ猪木のBI対談の企画が持ち上がったとき、馬場は「猪木のことは別に、なんとも思っちゃいないよ。昔から2人は不仲だとかライバルだとか言われていたが、それは周りが勝手にやいのやいの騒いでいただけのこと。7つも歳が違うしな。ライバルだとか特別視したことはないんだ。けどな、猪木に関してはどうしても拭えない黒いシミのようなものがあって。それが今でも消えないんだな」と語っています。馬場のいう「黒いシミ」とは、まさに「太平洋上の猪木略奪事件」のことでした。



馬場は、ハワイでの猪木の行動について、「あのやり方はいかん。まったく筋が通っていない。わしと吉村(道明)さんは待ってたんだ、猪木のことを、ハワイで。いや、豊さんと一緒に行動するのはいい。日本プロレスに背を向け、死んだ引退を作るのもいい。それは猪木の人生なんだから、好きにすればいい。けど、わしは別にしても吉村さんには‟豊さんと行きます”ぐらいのことは言うべきじゃなかったのか。ハワイではそれなりに時間があったわけだから。ナンボでも吉村さんたちに伝えるチャンスがあったんだし。それが人としての道理だろ。礼儀だと思うな。それなのに、何も言わず豊さんと一緒に日本に帰った。あの時の猪木の行動がわしの中で黒いシミとなって、今でも残っとるんだ」と語ります。これを読んで、わたしは馬場の発言に共感するとともに、馬場という人を改めて見直しました。‟世界の巨人”は「礼」を重んじる人だったのです。本書の帯にもあるように、猪木との対談の条件として、馬場は対談の場所をハワイとすることを求めました。著者は、「馬場さんはハワイの地で66年に戻り、改めて猪木さんにこだわりをぶつけ、自分の中に残っている黒いシミを消し去ろうとしているのかも。いや、そうに違いない」と書いています。



最後に、本書の冒頭で馬場や三沢が素晴らしいプロレス観を示したことを紹介しましたが、両者の中間の世代であったジャンボ鶴田も自身のプロレス観を語っています。1998年に著者は鶴田にインタビューしていますが、その直前に引退した長州力の話題が出ました。長州の引退について、鶴田は「彼は相撲の力士の考え方と一緒だと思うんだ。第一線でがんばれなくなったら、そこで引退するという考え方ね。翻って、僕や、還暦を迎えた馬場さんは引退に対して違う考え方を持っている。つまりね、僕や馬場さんはシャンソン歌手のようなレスラーだと思っているのね」と語ります。驚いた著者が「シャンソン歌手!」と言うと、鶴田は「うん。本物のシャンソンというのは、かなり年季が入ってないと歌えないんだ。なぜなら、シャンソンは人生を歌っているからなんだよね。だから、シャンソン歌手は人生の辛い経験を積み重ねなければ多くの人々の共感を得ることができないわけ。同じように、僕や馬場さんもリングの上で人生を歌うために闘っている(笑)。僕らじゃないと表現できない人生の味わいがあるということだな(笑)」と語ります。



いやあ、本書に登場する全プロレスラーの発言の中で、この鶴田の「プロレス=シャンソン」発言がある意味で一番セメントだったかもしれません! 少なくとも、ここには鶴田の本音が晒されています。「全日本プロレスに就職します」と言ってプロレス入りした鶴田らしいといえば、鶴田らしいですね。呆気にとられた著者が「では、そのシャンソンというか、人生の歌に登場してきたレスラーの中で、いちばん手強かった相手は誰だったのですか?」と質問すると、鶴田は「外国人レスラーでは、やっぱり亡くなってしまったけど、ブルーザー・ブロディだろうね。で、日本人選手になると長州、天龍。このふたりは外せないよね」と答えるのでした。本書に多く登場する前田日明のプロレス観とジャンボ鶴田のプロレス観はあまりにも違います。それは、そのまま彼らの師であるアントニオ猪木ジャイアント馬場のプロレス観にも通じるのでしょう。しかし、一見、両極に位置する意見がともに魅力的に感じられるのは、著者が一流のインタビュアーであり、何よりもプロレスを愛していることの証ではないでしょうか。

 

週刊プレイボーイのプロレス (G SPIRITS BOOK)

週刊プレイボーイのプロレス (G SPIRITS BOOK)

  • 作者:佐々木 徹
  • 発売日: 2020/10/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2021年1月21日 一条真也

弘法大師に『「鬼滅の刃」に学ぶ』のベストセラーを祈願

一条真也です。
20日、ブログ「宮崎祝賀式典」で紹介した会社行事を無事に終えた後、ブログ「日本一の弘法大師像」で紹介した今山大師を訪れ、参拝いたしました。

f:id:shins2m:20210120163559j:plain今山大師 にて

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鬼滅本のベストセラー祈願しました

わたしはコロナの終息と社業の繁栄を祈りましたが、『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)のベストセラー祈願もしました。今山大師真言宗の寺院で、九州49院薬師霊場の第18番札所です。 1839年(天保10年)、延岡の地で疾病が猛威を振るいました。そこで延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峰寺まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請して「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」の祈願のために大師庵を経てたことが縁起となっています。1889年(明治22年)に今山八十八ヵ所を開山、1918年(大正7年)には開基1世の円帰哲禅住職が大師堂を建立しました。

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日本一の弘法大師像を背に新刊を持つ 

 

今山大師といえば、何といっても高さ18メートルの「日本一の弘法大師銅像」が有名です。先の戦争は当時の人々の心に大きな傷跡を残しました。そこで終戦の年、戦争によって心に大きな傷跡を残された人々の願いもあって、第2世・野中豪雄住職が戦没者の慰霊と戦後の復興を祈り、弘法大師銅像建立を発願したのです。そして、1957年(昭和32年)4月に世界平和と平和幸福を願って、信徒の浄財1700万円で建立されました。以来、60年以上の間、弘法大師銅像は平和のシンボルとして延岡の地に立っています。

超訳 空海の言葉』を奉納

 

ブログ「空海本奉納」で紹介したように、今山大師には『超訳 空海の言葉』を奉納したこともあります。同書を監訳中、本が無事に完成して出版されることを祈願したところ、ブログ「最新刊の2冊がベストセラー1位に!」で紹介したように、『超訳 空海の言葉』は、発売直後にアマゾンの「仏教入門」および「密教」カテゴリーでベストセラーの1位に輝いたのです。これはもう、弘法大師の御利益としか思えませんでした。そのため、2014年1月9日、空海ゆかりの今山大師に『超訳 空海の言葉』を奉納させていただきました。


奉納式のようす

「夕刊デイリー」2014年1月10日号

 

ブログ「今山大師に最新著書を奉納」で紹介したように、地元紙に奉納式の記事も掲載されました。記事には、野中玄雄住職にわたしが本をお渡ししている写真も掲載されています。記事は「今山大師に最新著書を奉納」の大見出しで、「サンレー社長で作家の一条真也さん」「『超訳 空海の言葉』 弘法大師の教えを分かりやすく」との見出しが続き、奉納に至った経緯、本で紹介した空海のメッセージ、さらには、わたしと延岡との関わりなどが詳しく書かれています。

f:id:shins2m:20210102150905j:plain皇産霊神社の瀬津神職とともに

 

このブログ記事を読んだ皇産霊神社の瀬津神職からは、「弘法大師は日本の繁栄のため、様々な業績を残した僧であり、なおかつ今山大師は疫病退散のための寺院とのことで、天下布礼と疫病による喪失の慰撫を目的としたご著書の成功を必ずや加護されると存じます。世界宗教史屈指な天才に見守られた御本がベストセラーになりますように私もお祈り申し上げます」とのLINEが届きました。有難いことです。あらゆる神仏の御力をお借りして、『「鬼滅の刃」に学ぶ』を世に広めたいと願っています。

 

 

2021年1月20日 一条真也