『見るレッスン 映画史特別講義』

見るレッスン~映画史特別講義~ (光文社新書)

 

一条真也です。
『見るレッスン』を読みました。「映画史特別講義」というサブタイトルがついています。著者は、1936年東京生まれ。映画評論家、フランス文学者。60年、東京大学文学部仏文学科卒業。65年パリ大学大学院より博士号取得。東京大学教養学部教授を経て、東京大学第26代総長。映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長も務めました。77年『反=日本語論』で読売文学賞、83年『監督 小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、89年『凡庸な芸術家の肖像』で芸術選奨文部大臣賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。99年、フランス政府「芸術文化勲章」を受章。著書に、ブログ『ハリウッド映画史講義』ブログ『ショットとは何か』で紹介した映画に関する本の他、『夏目漱石論』『表層批評宣言』『「ボヴァリー夫人」論』などがあります。


本書の帯

 

本書の帯には「他人の好みは気にするな、勝手に見やがれ!」「誰よりも映画を愛する教授が初めて新書で授業」と書かれています。帯の裏には、「映画史におののく必要はない、ただし見るからには本気で見よ」として、「まず読者の皆様にお伝えしたいのは、世間で評判になっている映画だけを見るのではなく、評判であろうとなかろうと、自分にふさわしいものを自分で見つけてほしいということです。とにかく、ごく普通に映画を見ていただきたい。蓮實個人の視点など学ばれるにはおよびません。もっぱら自分の好きな作品だけを見つけるために、映画を見てほしい。(「はじめに」より)」と書かれています。


本書の帯の裏

 

カバー前そでには、「見る上で重要なのは、異質なものに晒され、葛藤すること」として、「映画は自分の好きなものを、他人の視点など気にせず自由に見ればいい。ただし優れた映画には必ずハッとする瞬間があり、それを逃してはならない。映画が分かるということは安心感をもたらすが、そこで満足するのではなく、その安心を崩す一瞬にまずは驚かなければならない。そして、驚きだけを求めてはいけないし、安心ばかりしているのも否。その塩梅は、画面と向き合う孤独というものを体験することのみで得られる。どのような瞬間に目を見開き、驚くべきかは実際にある程度分かるものであり、その会得のために見ることのレッスンは存在する。サイレント、ドキュメンタリー、ヌーベル・バーグ、そして現代まで120年を超える歴史を、シネマの生き字引が初めて新書で案内」とあります。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに「安心と驚き」
第一講  現代ハリウッドの希望
第二講  日本映画 第三の黄金期
第三講  映画の誕生
第四講  映画はドキュメンタリー
               から始まった

第五講  ヌーベル・バーグ
               とは何だったか?

第六講  映画の裏方たち
第七講  映画とは何か
「あとがき」

 

「はじめに 安心と驚き」の冒頭を、著者は「まずこの書物を読んでくださる方々にお願いしたいのは、世間で評判になっている映画ばかりを見るのではなく、評判であろうとなかろうと、自分にふさわしい作品を、その国籍や製作年代をこえて、自分自身の目で見つけてほしいということです。そのためには、妙に身がまえることなく、ごく普通に映画を見ていただきたい。著者である蓮實個人の視点など学ばれるにはおよびません。もっぱら自分が心から共感できる作品を見つけるために、映画を見ていただきたい」と書きだしています。



 一条本の次回作となる『心ゆたかな映画』(現代書林)で、ブログ「ボヘミアン・ラプソディ」ブログ「カメラを止めるな!」ブログ「シン・ゴジラ」ブログ「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」ブログ「トップガン マーヴェリック」ブログ「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」などで紹介した作品の数々のように、著者の言う「世間で評判になった映画」をたくさん取り上げてしまったわたしなどは、著者から叱られるかもしれません。しかし、その一方で古い時代の名作も好きで、ジョン・フォード溝口健二の映画などもDVDで楽しんでいます。



気に入ったものを発見して、ある程度好みがかたまってきたと感じたなら、今度はちょっと違うものにも触れてみようという気持ちを持つことも必要であるとして、著者は「とにかく映画の歴史というのはサイレントから始まり、かりにサイレントで映画が終わっていたとしても、エリッヒ・フォン・シュトロハイムにせよフリッツ・ラングにせよ、人類の資産としては素晴らしいものが十分すぎるほどあるわけですから。そうすると、その後なぜ、映画がこんにちまで生き延びてきたのかを考える時、『アベンジャーズ』(2012~)シリーズの最終巻の1本ではそれは分かりません」と述べます。それはそうかもしれませんね。



著者いわく、映画がある程度分かるという気持ちは安心感をもたらすものだといいます。しかし、その安心感を崩すような瞬間が映画には必ずあります。だから、映画を見て、まず驚かなければならないし、どぎまぎしなければならない。しかし、そのどぎまぎする感覚をいかに「これは映画だ」という安心感の中で得られるか、どれだけ驚けるかということが、見ることのレッスンだとして、著者は「さらに、驚きばかりを求めるだけでは駄目だし、安心ばかりしていたのでもいけない」と言います。



安心と驚きの中で、絶対に崩してはならない平衡状態のようなものはないという著者は、「ある時はひたすら驚いても構わない、またある時はひたすら安心しても構わないということが、まず映画を見るうえで一番重要なことです」と述べ、さらに「一篇の娯楽映画を安心してずっと見ていたとしても、これは一向に構わない。ただし、その安心の中でも、ふとした時にある装置の一ヵ所が非常にうまく作動することがある。映画には必ずそういう瞬間が紛れ込んでいるはずです。逆に言うと、それがないようなものは駄作」と言い切ります。


なぜ、わたしたちは映画を見るのか。映画など見なくたって、人類は生きていけるにもかかわらず、わたしたちの生活次第では「見る」ということが決定的な行為になるとして、著者は「先日の京都アニメーションの放火事件で、現場に詰めかけた人たちが、『京都アニメによって私たちは救われていた』ということを語っていましたが、それは映画を見ることとは違います。映画は『救い』ではない。救いとなる映画はあるかもしれませんが、救いが目的では絶対になくて、映画とは現在という時点をどのように生きるかということを見せたり考えさせたりしてくれるものです。時には見たくないものを見なければいけないこともある。だから、「救い」という言葉が使われた時にわたしは無闇に腹が立ちました」と述べます。



そして、著者は「『救い』を求めて映画を見に行ってはならない。似たようなニュアンスの言葉に『絆』や『癒し』などもありますが、そんなもののために映画ができたわけではありません。映画を見る際に重要なのは、自分が異質なものにさらされたと感じることです。自分の想像力や理解を超えたものに出会った時に、何だろうという居心地の悪さや葛藤を覚える。そういう瞬間が必ず映画にはあるはずなのです。今までの自分の価値観とは相容れないものに向かい合わざるをえない体験。それは残酷な体験でもあり得るのです」と述べるのでした。


第一講「現代ハリウッドの希望」の「ショットを心得た新しい才能」の冒頭を、著者は「わたくしは、基本的に『映画90分説』を掲げております。いうまでもなく、それは上映時間の問題です。近年注目しているアメリカの監督デヴィッド・ロウリーによる新作『さらば愛しきアウトロー』(2018)は、まさに90分と少しで収まっています。彼は何を見せ、何を見せずにおくかという選別を視覚的にわきまえており、この作品でも不必要な妥協など全くせずに、自分自身のやりたい方法で撮っています」と書きだしています。


なぜ著者がデヴィッド・ロウリーに執着するかというと、彼は明らかにアメリカ映画を刷新してくれたからだといいます。どのように変えたかというと、著者は『セインツ』(2013)を取り上げ、「話としてはよくある題材ですが、それを90数分で堂々と描き切っており、時間の設定がまことに秀逸なのです。それから、ロマンチックでありながらセンチメンタルにならない。しかも、ショットがことごとく決まっている。これだけの人材は最近のアメリカ映画にはいなかったというのが、『セインツ』を見た時の強い印象です。フランシス・フォード・コッポラはともかく、スティーブン・スピルバーグも、マーティン・スコセッシも、『ショット』に対する自覚がやや希薄な人たちだと思います。これだと納得できるショットが彼らにあまりない。いろいろな場面が組み合わさると作品としてそれなりにまとまりますが、印象に残るショットが比較的少ない」と述べています。


ショットは、構図や光線だけではなく、被写体との距離というものも決定的な要素であるとして、著者は「『セインツ』は、監督としての処女作に近いものですが、彼は被写体との距離をほとんど本能的に心得ています。例えば一本道を遠ざかって行く母と娘とを撮る時にはどのような場所にキャメラを置いて撮るかとか、人物を撮る場合にはどこでクローズアップ的なものを入れるかということを、ほとんど感覚として身につけている。ルーカスはともかく、コッポラやスピルバーグ、その次のトニー・スコットといった人たちの世代を超えて、全く新鮮なアメリカ映画を撮ってくれたと深く感動しました」と述べるのでした。


「90分ですべては描ける」では、著者は「映画というものは、ほぼ90分で撮れるはずなのです。それを最も忠実に繰り返しているのがデヴィッド・ロウリーだと思います。今までの作品はほとんど90分です。もちろん、それにふさわしい上映時間というものがあらかじめ決まって存在するわけではありません。ところが90分ぐらい収まっている作品の中に優れたものが多い。これはなぜなのかというのを突き詰めなければなりません。現在では、どういうわけか2時間20分が平均になっています。そうすると、140分もの間、観客を惹きつけておくだけの価値が彼らの演出にあるかといえば、とてもそうは考えられない。デヴィッド・ロウリーの映画を見ていると、90分に収められるのはなぜかということが理解できるような気がします。彼のこれまでの作品が2時間20分だったら退屈でしょう。題材としては2時間20分ぐらいになりそうなものですが、それを見事に90分で終えています」と述べます。デヴィッド・ロウリーの作品といえば、ブログ「A  GHOST  STORY/ア・ゴースト・ストーリー」で紹介した映画などがあります。


90分というと、ジャン=リュック・ゴダールウディ・アレンの監督作品がほぼ90分だそうです。著者は、「計ったようにそこに来ます。ゴダールの最新作『イメージの本』(2018)はちょうど90分です。ウディ・アレンの作品については、わたくしは知的には分かっても、感性的な悦びは全くありません。面白いものはいくつかありますが、様々な映像を重ね合わせた『カメレオンマン』(1983)はまずまずだということを言ったら、淀川長治さんが「あんたがそれを好きだというのはよう分かる」とおっしゃり、ご自身もお好きだったようです」と述べます。また、映画を見ている時に大事なことは、物語をたどることではなく、そのつど被写体がどのようなキャメラに収まっているかを確かめることなのだといいます。しかし、上映時間90分の作品の語り方はほぼできあがっていますが、上映時間150分を超える作品の撮り方は、ハリウッドにおいてさえ、まだ定着していないそうです。


第二講「日本映画 第三の黄金期」の「海外も注目する若手たち」では、日本映画『寝ても覚めても』(2018)の主演女優である唐田えりかが取り上げられます。著者は、「唐田えりかさんは非常に魅力的でしたが、堤防に行って海を見る場面は、わたくしには若干の不満がありました。あっさり男と別れてしまい、数万人の命を奪ってしまった怖い場所に1人で向かい、海と対峙する。泣けるシーンです。けれど、あそこで彼女を映さず海だけ見せるという選択もできたのではないかとわたくしは思ったのです。でも、彼女を真正面から撮っていました」と述べます。


「純粋な美形の不在」では、いわゆる典型的な美形が日本映画から消えてしまったのはなぜなのかという問題を取り上げ、著者は「もしかすると我々はそういうものを望んでいないのかもしれません」としながらも、著者の教え子である黒沢清監督の『LOFT ロフト』(2005)の主演女優である中谷美紀は例外的な美形であるとして、「彼女は実際に会ってみるとちょっとドキドキするタイプの人かもしれませんが、その後、あまり映画に出ていませんね」と述べます。わたしも、中谷美紀は美形だと思います。実際に会って、ドキドキしてみたいです。


また、著者は『きみの鳥はうたえる』の石橋静は、例外的に美形でやっていける女優だという印象を持ったそうで、「典型的な美形ではないけれども、いくらでも美しく撮ることのできる女優さんだと思いました。だから、三宅さんも彼女が出てくるとガラリと画調を変えています。ただ、三宅さんは彼女を単に美形としてではなく、あくまで興味深い対象として撮っています。けれども、彼女は美形として成立する女優だと思います」と述べています。石橋静という人は知りませんでしたが、確かに綺麗な人ですね。著者とわたしの女優の好みは似ているかもしれません。


第三講「映画の誕生」の「原型は『モノクロ・スタンダード』」では、結局のところ、モノクロ・スタンダードの時代が実質的に一番長かったと指摘し、著者は「ジョン・フォードという監督は1910年代に、モノクロ・スタンダードのサイレントの西部劇でキャリアをスタートさせました。その後トーキーを撮り、カラーを撮り、ビスタビジョンからシネマスコープへ、さらには『西部開拓史』(1962)でシネラマの3Ⅾを撮り、しかもテレビのモノクロームの中編映画も数編撮っていますから、ほとんどあらゆる画面サイズに触れているといえます」と述べています。


「監督が編集権を握る日本」では、小津安二郎を取り上げ、著者は「おそらく小津ほど自己の信念を貫いた監督は世界でも稀ですが、これは松竹という製作会社がいわゆるディレクター・システムをとっていたから可能だったのです。だが、結局のところ、世界のほとんどの監督たちは、苦労しながらプロデューサー・システムの中で撮っていた。だから、小津を見ることがやはりきわめて重要になってくるのです。例えば、ジョン・フォードの場合、有名な『荒野の決闘』(1946)だって、プロデューサーによって30分も切られている。さいわい、脚本家出身のダリル・F・ザナックというプロデューサーはかなりの編集能力を持っていたので、フォードは撮ったものをポイと彼に預け、自分の大型ヨットに乗ってどこかへ行ってしまう。しかも、あれほどみんなが「素晴らしい、素晴らしい」と言っていた『荒野の決闘』をどう思うかと聞かれ、『俺は見とらん』と答えています。嘘か本当か分かりませんが、たぶん本当だと思う」と述べます。初めて知りました。


なにしろ、プロデューサーが30分も切ってしまったので、彼はそれを自分の映画とは思っていないというのです。そうしたプロデューサーの圧政というものを、小津は全く受けていなかったそうです。溝口健二もなかったそうです。そういう点では、おそらく日本人の監督は、監督として世界で強いのではないかと推測し、著者は「フランスでも、多くの作品がかなり切られています。例えば、ジャン・ルノワールをとってみると、その『ボヴァリィ夫人』(1933)だってばっさりと切られている。その点、日本の監督たちは、プロデューサーにおべっかを使ったりなんかしながら撮っていたとしても、最後まで編集権を握っていました」と述べます。


フォードの場合、会社の方針で一番切られた作品が『荒野の決闘』と『シャイアン』(1964)だそうです。著者は、「晩年の『シャイアン』のほうはほとんどあきらめていたような感じですが、『荒野の決闘』の場合は、とにかく撮っているショットがどれもこれも緊密な構図におさまっているので、どんなに短く切っても、わたくしたちが見ているショットの連鎖はすべて素晴らしいものであるわけです。ただ、フォードは、プロデューサーが切ったりほかの監督が撮った場面が入っていたりする映画を自分の映画とは考えていない」と述べています。


日本ほど監督が編集権を最後まで握っていた国は少ないと主張する著者は、「まあ、デンマークのカール・テオ・ドライヤーなど、かなり自分なりの力を発揮できたと思います。日本では、溝口健二にしても小津にしても、あるいは、かなり妥協したと言われている成瀬巳喜男などでも、やはり編集権は自分が持っていた。編集権を持たないアメリカの監督の場合、フォードは、どう考えてもこのように編集しなければいけないというショットを撮っていたといいます。だから、バッサリと切ってしまう以外になかったのでしょう。確か東宝はプロデューサー・システムでしたが、松竹の場合はディレクター・システムでした。だから、その辺は少し強調しておいていいのかなという気がします。エリッヒ・フォン・シュトロハイムなど、自分が気に入った作品は1本もないといってもいいほど、プロデューサーによって切られていいます」と述べるのでした。


「プリント発掘こそ評論家の使命」では、溝口健二が取り上げられます。彼の場合は、非常にリアルなものも描くけれども、ふと反リアルなものが映画の中に紛れ込んでくる。そこが非常にうまい人であると指摘し、著者は「おそらくそれを『狂恋の女師匠』では素晴らしくやってのけていると思うのですが、これが見られない。わたくしが本ものの映画評論家であるかどうかはともかく、映画評論家たるものの1つの使命は、見られない作品を何とか見つけ出すことにあるはずだと思っています。ですから、小津も、溝口もずいぶんと探し回りました。でも最終的には出てこなかった。ところが、ポンと『和製喧嘩友達』(1929)みたいなものが出てきたりする。だから、プリントはどこかに絶対あるはずです。どう探せばいいのかということが問題なのです。わたくしは、パリのシネマテーク・フランセーズをよく探せば、溝口は絶対に出てくるはずだと、いまだに信じている。『狂恋の女師匠』のプリントは、とにかく戦前にフランスに行っているし、ドイツにも行っています。川喜多長政さんが持っていきました」と述べています。



「『バス映画』の金字塔」では、失われたフィルムを探すことは重要ですが、80歳を超えた著者は、いま見られる映画さえ十分に追い切れていないとして、「少なくとも映画が好きな人は、溝口の戦前の映画、特に無声映画は絶対に見てほしいと思います。溝口の素晴らしさは、一本の映画を超えてしまっているようなところがあるからです。つまり、一人の女優なら女優を徹底的に美しく撮ろうとしている。『残菊物語』(1939)などがそうだと思います。森赫子という女優が素晴らしい。先日、4Kデジタル修復版が作られ、世界に紹介されましたので、この作品の評価が改めて高まってきています」と述べます。『残菊物語』の4Kデジタル修復版はわたしも観ましたが、素晴らしかったですこのような日本映画の名作が、『駅馬車』『風と共に去りぬ』『オズの魔法使』と同じ1939年に作られたことに深い感慨をおぼえます。1939年というのは、世界において映画がピークだった年でした。


「『スピオーネ』を見ずしてラングを語るな」では、著者はフリッツ・ラングの『スピオーネ』(1928)を絶賛します。この映画は冒険活劇であり、スパイ活劇でもあるのですが、著者いわく「これほど徹底して、アクションと人間の振る舞いとが1つになった作品はない」そうです。『スピオーネ』のプリントは、しばらく失われたと思われていましたが、最近発見されました。著者は、「不幸にしてというつもりはありませんが、『カリガリ博士』という題名が有名である。それから、フリッツ・ラングは『M』や『メトロポリス』(1927)が有名である。それは『M』だって素晴らしいし、『メトロポリス』だって素晴らしいのですが、それとは異なる運動とサスペンスの自在な結合といったようなものが『スピオーネ』にはあるのです。『スピオーネ』が理解できない人は映画を見るな、といいたいほどです」と述べます。


キートンの動きを誰も超えられない」では、ハリウッドは、音を持ったことで、3人の偉大な監督を殺してしまったといいます。それはシュトロハイムであり、グリフィスであり、そしてバスター・キートンです。日本語で『キートンの蒸気船』(1928)というタイトルがついた作品があります。著者は、「あの映画のキートンの何気ない振る舞いがことごとく素晴らしい。例えば、大嵐で家が自分のほうに倒れてきたのに、ばたんと壁が倒れたというのに、彼はキョトンとした顔をして地面のドアの隙間に立っている。あんな瞬間は、どんなCGを駆使したって、誰もできていないわけです。あの運動と不動の素晴らしい同居ぶりには到達しえていない」と述べています。


「昔の映画」がよかったということではなくて、それはまさに映画の「現在」として素晴らしいとして、著者は「カラーではないから現代的ではない、画面が小さくてモノクロームだから現代的ではない、などということではなく、映画において重要なのは、いまその作品が見られている『現在』という瞬間なのです。映画監督たちは、その題材をどの程度自分のものにして、画面を現在の体験へと引き継いでいるかということが重要であるような気がします。ジャッキー・チェンとかトム・クルーズとか、いまでも体を張った演技をする俳優はおりますし、それなりに頑張っていますけれども、キートンの自由闊達さとは比べ物にならない」と述べるのでした。それにしても、『残菊物語』といい、『スピオーネ』といい、『キートンの蒸気船』といい、いずれもYouTubeで映画を全編観ることができるのは素晴らしいですね。映画好きにとっては、本当に良い時代になったと心から思います。


第四講「映画はドキュメンタリーから始まった」の「小学2年で初鑑賞」では、戦前には、よく学校でドキュメンタリー映画を上映するということがあったことが紹介されます。著者が最初に見たドキュメンタリーは、小学校2年生くらいの時に学校の講堂で上映された『或日の干潟』(1940)という作品だったとか。「日本で今撮られるドキュメンタリー」では、そもそも映画というのは、ドキュメンタリーとして生まれました。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895)や『工場の出口』(1895)はドキュメンタリーです。著者は、「彼らのキャメラマンは明治初期の日本にもやってきて、当時の映像をずいぶん残しています。まさに『記録』(ドキュメンタリー)です。しかも、彼らの映像には演出が全くないわけではない。だからフィクションでもあるといえるのですが、泳いでいた人たちが丘に上がってきたところへ、たらいで水をぶっかける映画があり、わたくしはこれが大好きです。水を撒く人とホースを踏んづけている人の映画があり、これは明らかにフィクションとして撮っていますが、それよりも、海から上がった水着の男女に水をぶっかけるというだけの映画のほうが、わたくしは好きですね」と述べています。


マイケル・ムーアという人がいます。著者は、「彼のやっていることが全く無意味だとは思いません。しかし、必ず何かの証明にしようという被写体へのキャメラの向け方が真の意味でのドキュメンタリーではないと思っています。彼は、知らぬ間にPC(ポリティカル・コレクトネス)の人になってしまっている。だから、政治的な態度の表明で終わってしまっているのです。ドキュメンタリー作家としては、もっと危ういことをしなければならないのに、安全圏に逃れてしまったような感じがしています。ドキュメンタリーとは、その定義からして、作家にとっては不穏なものです。不穏さとは、撮られている被写体が、いつの間にか、撮っている作家の意識を超えてしまうことにほかなりません。キャメラを回すということは、そうした不穏さに出会うための貴重な体験なのです」と述べるのでした。


第五講「ヌーベル・バーグとは何だったか」の「『勝手にしやがれ』の思い出」では、フランソワ・トリュフォーが取り上げられます。著者は、「トリュフォーマルセル・カルネが好きでした。そういう、自らを育ててくれた占領期の映画の記憶が、ゴダールにはほとんど感じられませんが、トリュフォーからはその時代の作品や役者へのオマージュが伝わってきます。特に『天井桟敷の人々』(1945)がトリュフォーは好きなのです。しかしわたくしはこの作品を、有楽座で公開された時に見たのですが、ジャン=ルイ・バローのあまりの大げさな演技に思わず笑ってしまい、周りの友達からずいぶん怒られたことがあります」と述べています。このエピソードは著者らしいですね。


天井桟敷の人々』は、当時観た人たちのほとんどが褒めていたそうです。しかし、著者はカルネの作品があまり好みではなかったそうで、「北フランスの港町のル・アーブルを舞台とした『霧の波止場』(1938)などには惹かれるものがありましたし、『悪魔が夜来る』(1942)も決して嫌いではありませんでしたが、パリを舞台とした『北ホテル』(1938)などは全く感心できなかった。それは、おそらくルイ・ジューベという役者が大嫌いだったからかもしれません」と述べます。さらに、「『天井桟敷』も、主演女優のアルレッティはよかった。ただ、この作品は当時は反ドイツ、かつ反戦映画のようにとられていましたが、占領下のアルレッティは、ドイツ軍の兵士と平気で寝たりしていたわけです。『私の心はいつもフランスにあるけれども、私のあそこはドイツに占領されたのよ』といったことを平気で口にしていましたが、彼女は、戦後はしばらく映画に出られませんでした」と述べています。わたしはアルレッティが好きで、特に『悪魔が夜来る』の彼女が好きでした。でも、ドイツ軍の兵士と平気で寝ていたことは知りませんでした。ちょっとショックです。


「日本で唯一の作品」では、著者は、日本で唯一、ヌーベル・バーグの作品と呼べる映画を紹介します。中島貞夫監督の『893愚連隊』(1966)です。著者は、「まさにあれはヌーベル・バーグの何かを体現していて素晴らしい作品でした。弱冠30歳ぐらいの作品で、思いのままに撮っている。京都の町が本当に魅力的に映っています。駅前のタクシーに乗るところなど、あの画面はまさにヌーベル・バーグです。それから、渡瀬恒彦が出ている『狂った野獣』(1976)もいいのですが、ヌーベル・バーグとは異なります。また、芸術的な映画を製作・配給したATG作品の『鉄砲玉の美学』(1973)は残念ながらそれほどでもない。したがって結局、日本で本当にヌーベル・バーグに対応する作品と言えるのは、『893愚連隊』だけでしょう」と述べています。これを読んだからには、『893愚連隊』を絶対に観なくては!


「批評家出身者たちの成功」では、ヌーベル・バーグは、フランスという国の性格が大きく影響していることが指摘されます。すなわち、新しい動きを国家プロジェクトにしようという政治家が必ずいるというのです。著者は、「当時の文化大臣は作家のアンドレ・マルローで、トリュフォーを世界的に売り出そうとするなど、そういう政治的な支えもあったのはフランスだけでした。ドイツの場合はそうではなかった。ヌーベル・バーグの定義は正確にどこまでなのかは誰にも分かりませんが、そういう名前に惹かれて、いろんなところからお金が出て映画を作れたという点では特別だと思います。もう1つ、トリュフォーなどは風俗映画と思われても仕方がないようなものを撮っている。ところが、それは真の風俗ではなくて、やはり映画になるかならないかというところを非常に強く意識して作っていた。この前、『ピアニストを撃て』を見直し、確かに原作はあるけれども、これは映画でしか存在し得ない作品だと思いました。最後に雪に中で女優がスーッと滑っていくシーンのように、映画でなければできないことをトリュフォーはやっていたのです」と述べるのでした。


第六講「映画の裏方たち」の「日本の名監督を支えたキャメラマン」では、小津安二郎の名作『東京物語』(1953)が取り上げられます。著者は、「『東京物語』で原節子が演じる寡婦は、一見したところあまりにいい人すぎます。当然、小津さんはそうではない原節子の側面も知っていますが、それをはっきりとは見せない。最後のほうの場面で彼女が泣きじゃくったりしますが、実はこの場面の原節子はとても変なのです。あなたはいい人だという自分の義理の父親である笠智衆に向かって、『とんでもない』と喧嘩越しの口調で反抗していたりするからです。しかしそれを不自然に感じさせないところに小津さんの気遣いが表れていたのではないかと思います。単に美貌の未亡人ではないという側面も知ったうえで、小津さんは本気で考えて映画を撮った。それに比べると、すべてをさらけ出してしまうような黒澤明はやはり脇が甘い」と述べています。


「脚本と映画の関係」では、著者はシナリオというものが映画にとっていかなる存在であるかということがいまだによく分からないとして、「おそらくシナリオどおりに撮っている映画というのはこの世に存在しないのではないかと思います。だから、題材の提示という意味では、例えば日活ロマンポルノの特に後半あたりはずいぶん面白かったと思います。多彩で変わった題材がたくさんありました。ただし、それが本当にシナリオライターのものなのかどうかというのがわたくしにはよく分かりません。ジョン・フォードは撮影中、プロデューサーから『ちょっと、遅れてるぞ』と言われると、『これで大丈夫だから安心して』と、シナリオの数頁をパッと破いて捨ててしまったそうです。これは、ゴダールが『フォーエヴァー・モーツアルト』(1996)の映画監督に、プロデューサーから撮影が遅れているといわれて、フォードと同じようにシナリオの数頁を破らせて、フォードにオマージュを捧げています。どうも映画というのは、そのほうが良くなるような気がしています」と述べています。


また、ブログ「シン・ゴジラ」で紹介した大ヒット怪獣映画に言及し、著者は「わたくしは『ゴジラ』というものが面白いと思ったことがありません。『モスラ』のシリーズで、ザ・ピーナッツの双子の姉妹が、『モスラモスラ』なんて歌うところはおかしいなと思ったくらいです。一応、60年代まではゴジラ映画も全部見ていましたが、それ以後は、あまり見ていません。アメリカで撮ったものも面白くないし、『シン・ゴジラ』(2016)なんて全く駄目だと思いました。政治家が出てきたり、官僚が出てきたりと、あんなものは全く要らないと思いました。さらに肝心のゴジラの存在感がない。それこそ脚本の失敗ではないでしょうか」とまで言っています。ちなみに、この映画の脚本は庵野秀明監督が担当しました。大ヒット映画に対し、ここまで言い切るのが著者の真骨頂ですね。


美術監督という仕事」では、著者が唯一会ったことのある外国の美術監督であるアレクサンドル・トローネルが取り上げられます。トローネルが映画と関わり始めたのは30年代の後半からで、マルセル・カルネ監督の『北ホテル』(1938)や『悪魔が夜来る』(1942)などを手掛け、彼の師でルネ・クレールなどの装置をしていたラザール・メールソンの名前を挙げると、「どうしてお前はそんな名前を知っているんだ」となって、彼をインタビューしたことがあるそうです。その時に、『悪魔が夜来る』に出てくる城の話になり、「あの城は白く見えなければならない。白く見せるために、太陽光がさしているから、壁を全部薄バラ色に塗った」と言ったとか。すると真っ白に見えるわけですが、。そういう工夫をいろいろしていたといいます。彼はユダヤ系でしたが、第二次世界大戦中、アメリカには逃れなかった数少ない中の1人で、南仏に隠れていました。そして、『天井桟敷の人々』(1945)を撮る時に、南仏から指示を送って撮らせたといいます。



トローネルはビリー・ワイルダーとも仕事をしていて、ワイルダーに「お前さん、撮ってくれ」と言われ、アメリカに招聘されたそうです。トロ―ネルはとにかく大きなものをごく小さなセットで撮ることが得意でした。例えば、ワイルダーの『アパートの鍵貸します』(1960)には、すごく大きなオフィスの中でジャック・レモンが事務仕事をしているシーンがあります。遠くまで部屋が見渡せる感じがしますが、あれの遠くのほうはすべて絵だといいます。それからオペラ座のシーンでも、劇場を借りるお金がないので、小さなシャンデリアを作って、人物の向こうにオペラ座の客席が見えるような工夫をしました。また、ハワード・ホークスの『ピラミッド』(1955)で、サラサラサラッと砂が流れ始めると、どんどん大きな石が滑り落ち、ピラミッドの墓ができるというシーンがありますが、あれもトローネルが作っています。


第七講「映画とは何か」の「今も複製芸術として存続」では、映画は括弧つきの「近代」を支える複製技術のうえに成立しているとして、著者は「それは、まず視覚的な複製から始まり、次に聴覚的な複製へと移っていきました。ですから、サイレント映画という時期が30年ぐらい続いたわけです。すなわち、複製技術なるものは、視覚的なものと聴覚的なものが両者全く無関係に進歩してゆきました。エジソンは録音機なども作りましたが、なぜか『音』の部分の同調が遅れたというところが、映画史上に大きな意味を持つことになります」と述べています。その後、様々な技術的な発展を経て、今や映画ははたして「複製手段」によって成立しているかどうかさえきわめて怪しくなっているとして、著者は「ほとんどの映像作品は、確かに複製技術をもとにしているけれども、もはや複製ではないものを画面上に表現することができるので、そろそろ複製技術としての、つまり括弧つきの『近代』の表象手段としての映画は終わりかけているのかもしれません」と述べます。


「8Kに挑む黒澤清」では、それだけ長く生き残ってきた映画が普遍的な娯楽形式なのかというと、本当に人間がそれを欲望しているかどうかさえ、いまでは分からなくなっているとして、著者は「世界で最初にリュミエールが映画を上映した際、それが本当に人々の望んでいたものであったかどうかということさえ、結局のところは誰にも分かりません。また、それぞれの領域で、例えばフィルムの質が改良される、あるいはデジタル技術が向上して、映画の画面の解像度がひどく高くなっている。ところが、それにふさわしい題材というものは何であるのか。はたして『スター・ウォーズ』(1977~)の連作がそれなのかという問題が生じてしまっています。なぜなのか理由は分かりませんが、『カメラを止めるな!』(2017)といった原始的なかたちのものが、人々をひきつけたりする現象さえ起こっているわけです」と述べています。

 

 

著者は、以下のようにも述べています。
「映画はスペクタクルではないということですから、結局のところ、物語があるかないかが大きな分かれ目になってきます。そして、その物語はいまだに惰性体として続いているということです。ここで考えてみると、物語がある娯楽というのは、小説と映画しかありません。もちろん舞台芸術としての演劇というのもありますが、舞台を見るというのは同じ空間を占有するわけで、それはどこかで見世物になる。ところが、映画というのはそれとは違ったかたちで物語を表現する。ですから、物語のない映画というのは存在せず、やはり人々は物語を求めているのです」

 

 

著者自身は、映画における物語はさほど重要なものではないと思っています。映画や小説における物語は、ギリシャ以来存在していた西欧の芸術学とは違ったところで生まれました。ですから、カントも、ヘーゲルも、映画などというものが生まれるとは思っていなかったし、小説というものが19世紀にこれほど盛んになるということさえ全く予想していなかったというのです。著者は、「芸術学の観点からすれば、小説はどこにも属さない。劇文学でもなく詩文学でも叙事詩でもない散文芸術というものが19世紀に登場し、それが、小説が行き詰まった行き詰まったと言われながらも惰性体としていまだに書かれており、毎年賞が出る。もちろん素晴らしいものがあるかどうかというのは別の話ですが、それと同じことが映画についても言えると思います。だから、映画に未来があるかどうかということは実はどうでもよい問題なのです。未来があろうがなかろうが、惰性体としての映画が今後も続いていくことはほぼ間違いないからです。誰も映画を撮らなくなる時代はまず来ないと思っています」と述べるのでした。


「『存在の色気』が驚きを生む」では、映画に物語は不可欠ですが、物語だけを表現してみせるのであれば、それは本当に見世物になってしまうとして、著者は「それ以外のところに映画の面白さというものがあることも間違いない事実です。その面白さの1つは、『細部が見せる一種の色気』というべきものだと思います」と述べ、さらに「映画においては、女優が美人だから、美しい女性が描かれるのではありません。例えば、ヒッチコックの『めまい』(1958)のキム・ノヴァックが美しいという時、ヒッチコックで出ている女優でいうなら、例えば『汚名』(1946)のイングリッド・バーグマンや『裏窓』(1954)のグレース・ケリー、あるいは『レベッカ』(1940)のジョーン・フォンテインのほうが、美貌という点でははるかに美しいかもしれない。けれども、『めまい』のレストランで、ジェームス・スチュアートに見られていることを意識しながら彼の目の前で振り返る瞬間のキム・ノヴァックのショットの連鎖は他を圧して美しく、その瞬間的な美しさが、見ている者を驚かせるのです」と述べます。


もっとも、あらゆる人が映画に驚きを求めているかというと、ほとんどの人はむしろ安心を求めているといいます。著者は、「この映画に出てきたあのような人間は、現実の社会にも存在していると納得したいのです。絶対にこの地上に存在しないような人が出てきたら、それは恐ろしいものだからです。何らかの類似があるということは、安心を誘う。それは、映画が被写体の見た目をほぼ正確に表象しているという点から来ているのです。ところがある時、例えば、『めまい』でジェームス・スチュアートに見られていることを意識しながらふり返るショットの美しさは、被写体となっている女優が美人であるか否かを超えて、見る者を魅了しつくす驚きにみちている。映画は、そのように、視覚的な表象性を超えて、存在することそのものの『艶』というか『色気』のようなものを、画面にとらえることがあるのです」と述べます。説得力がありますね。

 

ブレッソンと手の動き」では、著者は「つまるところ、わたくしたちが映画を見るのは、驚きたいからです。ところが、同時に安心したいという気持ちもある。驚きというのは安心とは逆のものであり、こんなもの見たことがないというような不思議な世界に連れていかれることですが、同時に、不思議な世界というのがことによったらどこかの何かに似ているかもしれないと思わされるのが映画です。驚きと安心とが巧みに塩梅されているものが映画なのだと思います」と述べます。ところが、安心だけで映画を見る人、驚きだけで映画を見る人がいますが、驚きだけ求めるならブニュエルの『アンダルシアの犬』(1929)で十分なわけであるとして、著者は「ところが映画の本質はそうではなく、驚きが安心であり安心が驚きであるような不思議な世界というものが、実はキャメラを通じて作られる映画というものの表象性を支えているのだと思います」と述べるのでした。


「映されたものはすべてフィクションである」では、著者は「巷でよく聞かれる言葉に、フィクションの中にはリアルが、リアル、例えば実話やドキュメンタリーなどの中にはフィクションが必要だというものがあります。とはいえ、キャメラを向けて撮れば、すべてがフィクションになってしまうということに気づかねばなりません。それは視覚的な限定というものがあるからです。われわれが見ている世界とは別に、キャメラという視覚的な限定があったなら、必ずフィクションになります。だから、リュミエールの時代から作られてきたのはすべてフィクションなのです」と述べています。

 

 

「あとがき」の冒頭を、著者は「これという確かな理由もないまま、わたくしは、「新書」というものだけは書くまいと、長らく思っておりました。それにふさわしい原稿の文字数というものが、なぜかあまり好きになれなかったからです。あるいは、ことによると、大学院時代にふと買ってしまった丸山真男の『日本の思想』(岩波新書、1961)という短い書物のあまりの趣味の悪さに嫌気がさしたことが、トラウマになっていたのかもしれません。この書物については、その後、あれこれ悪口を書き綴った記憶もありますが、詳しいことは覚えておりません。いずれにせよ、この出版形態は、どこかしら自分の発想にふさわしくないと、長らく思っておりました」と書いています。わたしも『日本の思想』が大嫌いな人間ですので、著者に大変共感しました。本書は、わたしの知らない映画に関する知識の宝庫で、まことに勉強になりました。さすがは日本を代表する映画評論家の本は読み応えがありました!

 

 

2022年10月15日 一条真也