『イノセント』  

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第139回が掲載されています。今回は、『イノセント』島本理生著(集英社文庫)を取り上げました。

f:id:shins2m:20191030193029j:plainサンデー新聞」2019年11月2日号 

 

『ファーストラヴ』で第159回直木賞を受賞した若手女流作家の代表作です。1983年生まれの著者は、多くの恋愛小説を書いてきました。有村架純らが主演した映画「ナラタージュ」の原作も著者の小説です。『イノセント』の物語は、イベント会社代表の真田幸弘が、函館で比紗也という若い女性に出会う場面から始まります。

 

数年後、真田は比紗也と東京で再会しますが、彼女は幼い息子を抱えるシングルマザーになっていました。真田は、美しく謎めいた比紗也に強く惹かれていきます。一方、若き神父・如月歓は比紗也と知り合い、語り合ううち、彼女を救おうと決意します。しかし、彼女は男たちが容易に気づくことのできない深い絶望を抱えていたのでした。この3人の想いが、ひとつの物語を織りなしていきます。

 

この小説は函館から物語が始まりますがちょうどわたしが函館に向かう飛行機の中で読み始めたので、情景描写を含めて心に自然に入ってきました。読む前から、「この小説は、わたしのための物語かもしれない」という予感があったのですが、その予感は的中し、読後、わたしは非常に大きな感動に包まれました。特に、わたしの専門テーマのひとつである「グリーフケア」についての考えと想いを深めてくれました。

 

比紗也が抱いた問題。そのひとつは、夫の芳紀を東日本大震災で失っていることでした。彼女の夫は自宅に取り残された両親を救うために車で駆け付ける途中、津波にさらわれて行方不明になっていたのです。比紗也が夫を失ったのは東北の海でしたが、修道院で生活していた函館の海を眺めながら、彼女は「胸に空いた空白はこれから先も埋まらない。いなくなった者の代わりなんているわけがない。違う人間なのだから。だから、埋まらないままでいいのだ。空いたままだって、生きられる。そうやって誰しも生きている」ということに気づきます。

 

拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で、わたしは「死は決して不幸な出来事ではありません。愛する人が亡くなったことにも意味があり、あなたが残されたことにも意味があります」「おだやかな悲しみを抱きつつも、亡くなられた人のぶんまで生きていくという気持ちになってくれることを信じています。それは、何よりも、あなたの亡くした愛する人がもっとも願っていることなのです」と書きましたが、これは比紗也のような人に最も伝えたいメッセージです。『イノセント』はもちろん恋愛小説の傑作でもあるのですが、それ以上にグリーフケア小説の名作であると思いました。すべての愛する人を亡くした人に幸あれ!

 

イノセント (集英社文庫)

イノセント (集英社文庫)

 

 



2019年11月2日 一条真也

グリーフケアの大切さ、広める

一条真也です。
九州を代表する経済誌である「ふくおか経済」11月号が届きました。「THE FACE 2019」として、わたしが紹介されています。ブログ「『ふくおか経済』取材」で紹介したインタビュー取材の記事です。

f:id:shins2m:20191101113524j:plain「ふくおか経済」2019年11月号

 

記事には「グリーフケアの大切さ、業界内外に広める」として、こう書かれています。
「今年6月、サンレーのセレモニーホール『小倉紫雲閣』と『北九州紫雲閣』を災害時に予定避難所として使用する協定を北九州市と結んだ。両施設とも24時間365日体制でスタッフが常駐し、バリアフリーやプライバシー対応が行き届いているほか、なにより地域での認知度の高さが万一の際にもスムーズに活用できると期待されている。佐久間社長は『今回の提携は、相互扶助の精神をもとにした互助会の真骨頂だ』と熱く語る。
その紫雲閣はこの秋にも新規開設があり、今や全国で80カ所を超えた。全社業績も昨年度に過去最高を記録するなど好調だ。ただ、その要因はハード面というよりも、佐久間社長が訴え続けた『グリーフケア』の重要性が社員に浸透し、一枚岩になれたからだ。
というのも、佐久間社長はグリーフケア研究の第一人者でもあり、上智大学グリーフケア研究所で民間企業出身者として初の客員教授を務める。8月には著名な宗教学者らと専門書『グリーフケアの時代』を共著で上梓。その中で読書や映画鑑賞、歌といった新しいグリーフケアの方法も提唱。加えて、専門人材養成のための試験・認定制度も計画中だ。グリーフケアの大切さを業界内外に広めることで『儀式産業の地位を上げたい』と力を込めた」

 

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う
 

 

2019年11月1日 一条真也

秋の「隣人祭り」に300人

一条真也です。
九州を代表する経済誌「ふくおか経済」11月号が届きました。表紙には、福岡市の高島宗一郎市長の写真が使われています。本を開くと、ブログ「隣人祭り・秋の観月会」 およびブログ「月への送魂」で紹介したイベントの記事が掲載されていました。

f:id:shins2m:20191101112338j:plain「ふくおか経済」2019年11月号より

 

記事は「秋の『隣人祭り』に300人 ハートウェル21」のタイトルで以下のように紹介されています。「NPO法人ハートウェル21佐久間進代表)は10月11日、北九州八幡西区のサンレーグランドホテルで秋の観月会を兼ねた『隣人祭り』を開催した。『隣人祭り』はフランス発祥で近隣者同士の親睦を深める催し。同法人ではいち早く2008年から導入し、毎年この時期に観月会とともに実施している。当日は近隣住民250人が参加し、月見御膳を味わいながらフラダンスショーやソプラノステージといったアトラクションを楽しんだ。クライマックスは、月へ魂を送る神事『月への送魂』。神職が魂弓(たまゆみ)で魂の乗り物である『霊座』としてレーザー光線を月に当てると、来場者から拍手と歓声が沸いた」

 

2019年11月1日 一条真也

グリーフケアの時代へ

一条真也です。
11月になりました。1日の朝、サンレー本社で行われる月初の総合朝礼と北九州本部会議に参加しました。この日は、WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第16回目がアップされました。タイトルは、「グリーフケアの時代へ」です。

f:id:shins2m:20191031092607j:plainグリーフケアの時代へ」

 

この連載のテーマは「供養」ですが、供養と密接な関係にあるのが「グリーフケア」です。「グリーフケア」という言葉を知らない人のために簡単に説明しますと、「悲嘆からの回復」ということになるでしょうか。「悲嘆」といっても、さまざまな種類があります。

 

 上智大学グリーフケア研究所の前所長である高木慶子氏は、著書『悲しんでいい』で次に挙げる「悲嘆を引き起こす7つの原因」というものを紹介しておられます。

1.愛する人の喪失――死、離別(失恋、裏切り、失踪)

2.所有物の喪失――財産、仕事、職場、ペットなど

3.環境の喪失――転居、転勤、転校、地域社会

4.役割の喪失――地位、役割(子供の自立、夫の退職、家族のなかでの役割)

5.自尊心の喪失――名誉、名声、プライバシーが傷つくこと

6.身体的喪失――病気による衰弱、老化現象、子宮・卵巣・乳房・頭髪などの喪失

7.社会生活における安全・安心の喪失

 

わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれています。東日本大震災の被災者の人々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者でした。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失ってしまいました。

 

しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは計り知れないといえるでしょう。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあります。死者を悼み、様々な方法でその冥福を祈る供養も、生者にとってはグリーフケアの一環とみることもできます。

 

最近、『グリーフケアの時代』(弘文堂)という本が出版されました。「『喪失の悲しみ』に寄り添う」というサブタイトルが付されています。上智大学グリーフケア研究所所長を務める島薗進氏(東京大学名誉教授)、同研究所副所長で特任教授の鎌田東二氏(京都大学名誉教授)、そして同研究所客員教授であるわたしの3人の共著です。

 

全3章のうち、島薗氏は第1章「日本人の死生観とグリーフケアの時代」を、鎌田氏は第2章「人は何によって生きるのか」を担当。わたしは第3章「グリーフケア・サポートの実践」を担当し、「ケアとしての葬儀の取り組み」「ケアとして遺族会の役割」「ケアとしての『笑い』」「ケアとしての『読書』」「ケアとしての『映画鑑賞』」について詳しく述べました。

 

葬儀とその直後のご遺族をサポートさせていただく中で、わたしは数多くの悲嘆を目撃してきました。これからもグリーフケアの理論と方法について研究していくとともに、その実践と普及に励みたいと思います。

 

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う
 

 

2019年11月1日 一条真也拝 

小倉紫雲閣で「風と共に去りぬ」を観る

一条真也です。ブログ「『1939年映画祭』のお知らせ」で紹介したように、わが社のセレモニーホールで画期的なイベントを開催中です。 ブログ「友引映画館」で紹介したように、わが社では互助会の会員様や高齢者の方向けに無料の映画上映会を行っていますが、ついに映画史に残る三大名作を上映いたします。

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1939年は映画史における奇跡の年でした。西部劇の最高傑作「駅馬車」、ラブロマンスの最高傑作「風と共に去りぬ」、そしてミュージカルおよびファンタジー映画の最高傑作「オズの魔法使い」の3本が誕生したからです。その3つは、すべて、その年のアカデミー賞を受賞しています。そして、それぞれが現代作品にも多大な影響を与え続ける、名作中の名作たちが今年で製作80周年を迎えました。この3作を愛してやまないわたしは、わが社のコミュニティセンターの施設数がこのたび80となったことを機に、「1939年映画祭」を開催することにいたしました。

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本日の看板の前で

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上映会場となる大ホールの前で

 

ハロウィンの日である31日には、小倉紫雲閣の大スクリーンで「風と共に去りぬ」が上映されました。「風と共に去りぬ」は、わたしが生まれて初めて観た本格的長篇映画であり、わたしにとって歴代ベスト1の名作です。

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おかげさまで満員になりました!

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「1939年映画祭」のオープニングロゴ

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主催者挨拶をしました

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ご来場いただき、ありがとうございます!


上映に先立って、主催者挨拶があり、わたしが登壇しました。わたしは、超満員の観客席に向かって一礼してから、以下のように挨拶しました。
「みなさん、こんばんは。本日は、友引映画館へご来場いただき、ありがとうございます。映画上映に先立ちまして、わたしどもサンレーがこの映画上映会を行っている理由を簡単にご説明いたします。サンレーでは日ごろお世話になっている地域の皆さまに対し、社会貢献として少しでも還元する意味で、各地にあるセレモニーホール紫雲閣を葬儀だけでなく、趣味の会などの行事にも活用できるように無料開放しております。本日の映画上映会もその一つで、葬儀が行われることが比較的少ない友引の日に主に実施するということで昨年7月に始まりました」

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これから「風と共に去りぬ」を上映します!

 

また、わたしは以下のように述べました。
「今月から12月にかけて合計8回上映するのは、いずれも1939年のアカデミー賞を受賞した、西部劇の『駅馬車』、ラブロマンスの『風と共に去りぬ』、ミュージカルの『オズの魔法使』の3本です。3つの作品とも制作されて80年となりますが、ちょうどわたしどもの紫雲閣の数がこの度全国80カ所に達したのを記念し、いわば『末広がり』の80つながりで開催することにいたしました」

f:id:shins2m:20191031173347j:plainどうぞ、最後までお楽しみください!

 

さらに、わたしは以下のように述べました。
「本日の上映作品は、『風と共に去りぬ』ですが、この作品は上映時間が3時間40分余りの大作でございますので、間に一度15分程度のトイレ休憩の時間を挟んで上映いたします。どうぞ自由な席にお座りいただき、大きなスクリーンで映画館の感覚を味わっていただければと思います。『風と共に去りぬ』はわたしが一番好きな映画です。わたし自身、とても楽しみにしています。どうぞ、最後までお楽しみください!」

 

わたしは、小学6年生のときに『風と共に去りぬ』と出合いました。本よりも映画との出合いのほうが先で、1975年10月にテレビの「水曜ロードショー」で2週にわたって放映された「風と共に去りぬ」を観たのです。たしか、新聞のテレビ欄を見ていた母が「テレビで『風と共に去りぬ』が放送される。すごいね!」と言っていた記憶があります。普段は夜遅くまでテレビを観ることは許されないのに、その日の夜は母と一緒に「風と共に去りぬ」を観たのでした。主役のスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーの美しさに子ども心に一目惚れしたわたしは、「将来、この人に似た女性と結婚したい!」と思いました。

 

すっかり「風と共に去りぬ」とヴィヴィアン・リーの虜になってしまったわたしは、少しでも関連情報を得たくて、「スクリーン」や「ロードショー」といった映画雑誌の定期購読を始めました。映画音楽のLPの全集なども買いましたね。そして、雑誌で紹介されているブロマイドやスチール写真の通販を買い求め、ついにはレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)とスカーレットが抱き合っている巨大パネルを購入して勉強部屋に飾っていました。ずいぶんマセた小学生でしたが、このパネル、なんとわたしが結婚したときに寝室にも飾ったのです。幼かった長女がその写真を見て、「パパとママ」と言っていたことが思い出されます。わたしの妻が本当にヴィヴィアン・リーに似ていたかどうかは秘密です。(笑)


サンデー毎日」2016年10月9日号

 

さて、「水曜ロードショー」では、ヴィヴィアン・リーの吹き替えを栗原小巻さんが担当したが、ラストシーンの「明日に希望を託して」というセリフが子ども心に深く残りました。原作では"Tomorrow is another day."というセリフですが、訳書では「明日は明日の風が吹く」と訳していました。それをテレビでは「明日に希望を託して」というセリフに変えて、栗原さんが力強く言い放ったのです。わたしは非常に感動し、わが座右の銘となったのでした。「風と共に去りぬ」をリアルタイムで上映した小倉昭和館の77周年祝賀会で、栗原小巻さんにお会いしました。わたしは、栗原さんに少年時代の感動のお礼を申し上げました。栗原さんは、とても喜んで下さいました。



初めてテレビで観た本格的な長編映画も「風と共に去りぬ」でした。それまでTVドラマは観たことがあっても、映画それも洋画を観るのは生まれて初めてであり、とても新鮮でした。まず思ったのが「よく人が死ぬなあ」ということ。南北戦争で多くの兵士が死に、スカーレットの最初の夫が死に、二人目の夫も死に、親友のメラニーも死ぬ。特に印象的だったのが、スカーレットとレットとの間に生まれた娘ボニーが落馬事故で死んだことです。わたしは「映画というのは、こんな小さな女の子まで死なせるのか」と呆然としたことを記憶しています。

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明日に希望を託して!

 

このように、わたしは人生で最初に鑑賞した映画である「風と共に去りぬ」によって、「人間とは死ぬものだ」という真実を知ったのです。多くの愛する人を亡くしたスカーレットは、最後には最愛のレットにも去られますが、深い悲しみの中で「明日に希望を託して」と宣言します。わたしは、「風と共に去りぬ」とは大いなるグリーフケアの物語であったことに今更ながら気づきました。

f:id:shins2m:20191031162021j:plain大いなるグリーフケアの物語 

 

逆に、「スクリーンの中で人は永遠に生き続ける」と思ったこともありました。中学生になって、北九州の黒崎ロキシーという映画館で「風と共に去りぬ」がリバイバル上映されたことがあります。狂喜したわたしは、勇んで小倉から黒崎まで出かけ、この名作をスクリーンで鑑賞するという悲願を達成したのです。そのとき、スクリーン上のヴィヴィアン・リーの表情があまりにも生き生きとしていて、わたしは「ヴィヴィアン・リーは今も生きている!」という直感を得ました。

f:id:shins2m:20191031161838j:plainヴィヴィアン・リーは今も生きている!

 

特に、彼女の二人目の夫やアシュレーがKKKに参加して黒人の集落を襲っているとき、女たちは家で留守番をしているシーンを観たときに強くそれを感じました。椅子に座って編み物をしているヴィヴィアン・リーの顔が大写しになり、眼球に浮かんだ血管までよく見えました。それはもう、目の前にいるどんな人間よりも「生きている」という感じがしたのです。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

それを観ながら、わたしは「こんなに生命感にあふれた彼女が実際はもうこの世にいないなんて」と不思議で仕方がありませんでした。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)の中で展開した「映画は不死のメディア」という考えは、このときに生まれたのかもしれません。

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感動しました!

 

黒崎ロキシーで初めてスクリーンで「風と共に去りぬ」を観た時も感動しましたが、それから40年後、わが小倉紫雲閣の大スクリーンで「風と共に去りぬ」を観ることができ、本当に感無量です。「友引映画館」では、これからも感動の名画を続々と上映していく予定です。無料ですので、よろしければ、ぜひお越し下さい!

 

2019年10月31日 一条真也

「財界九州」新年号取材   

一条真也です。
10月31日、「財界九州」新年号の取材を受けました。
今年の取材場所は、 松柏園ホテルです。

f:id:shins2m:20191031145029j:plain写真撮影のようす

 

「財界九州」の新年号に登場させていただくのも、早いもので、もう19回目です。第1回目は、社長に就任した2001年の暮れに取材を受けました。本日は最初に松柏園ホテルのメインバンケットである「グランフローラ」で写真撮影を行いました。それからインタビュー取材に移り、財界九州社・企画編集部の鳥海副部長の質問に答えました。

f:id:shins2m:20191031140143j:plain写真撮影のようす

 

最初に、わたしは以下のような話をしました。北九州市の高齢者比率は、ついに30パーセントを超えました。全国に20ある政令指定都市の中でも最も高い数字となっており、日本一の超高齢都市といえます。「高齢化社会」「多死社会」を迎えるにあたってこれまでの「葬儀を行う施設」から「葬儀も出来る施設」への転換、つまり「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」の転換が求められていると考えられます。つまり、「葬儀をする施設」から「葬儀もする施設」への転換です。この日もブログ「『1939年映画祭』のお知らせ」で紹介したイベントが開催され、小倉紫雲閣の大スクリーンで「風と共に去りぬ」が上映されます。

f:id:shins2m:20191031150134j:plainインタビュー取材のようす

 

施設数が80を超えた紫雲閣についても今後の展開について質問を受けました。現在、新規にオープンを控えている紫雲閣も多いです。また、「三礼庵」という紫雲閣とは別ブランドの高級会館も展開しています。ここは、葬儀会場だけではなく、茶道や華道の教室でもあります。後はセレモニーホールをシニア世代が日頃から集える交流施設として活用することにより高齢者が安心して楽しく生活できる街づくりを目指します。また、独居老人の増加やコミュニティの崩壊による孤独死の問題などにコミュニティセンター化を行うことが問題の解決の糸口となるのではないか考えます。

f:id:shins2m:20191031150038j:plain2019年を振り返りました

 

ブログ「北九州市災害時支援協定調印式&記者会見」で紹介した北九州市と株式会社サンレーの間で結んだ「災害時における施設の使用に関する協定」についてお話しました。協定の締結は「NHKニュース」のトップでの報道をはじめ、ほとんどの全国紙でも大きく扱われました。北九州市民の方々の反響と期待も想像以上に大きいです。「葬儀をする施設」から「葬儀もする施設」へ。セレモニーホールからコミュニティセンターへ。互助会の理念である「相互扶助」の実現をめざして、そして地域に不可欠な施設としてこれからも地域に貢献させていただきたいと願っています。

f:id:shins2m:20191031150152j:plain2020年の展望を語りました

 

昨年から、わたしは上智大学グリーフケア研究所客員教授に就任しましたが、そのこともいろいろ聞かれました。わたしは、グリーフケアの普及こそ、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題であると考えており、サンレーでも自助グループを立ちあげてグリーフケア・サポートに取り組んできました。これまで自分なりに冠婚葬祭業界で実践してきたことを踏まえて、さらなる研究を重ね、充実した講義を行いたいと思います。今年はブログ『グリーフケアの時代』で紹介した本を出版することができました。来年からは、全互協と上智大学グリーフケア研究所のコラボを実現し、互助会業界にグリーフケアを普及させるとともに、グリーフケアの資格認定制度の発足にも取り組みます。

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「財界九州」2019年新年号

 

いつも、この時期に「財界九州」の取材を受けると、「もう今年も終わりか」と思います。わたしは、今後の施設展開、予定しているイベント、さらには社会貢献事業などの内容に触れながら、わが社のミッションについて説明しました。そして、「天下布礼」への意気込みを大いに語りました。

 

2019年10月31日 一条真也

首里城焼失!

一条真也です。
沖縄のシンボルであり、世界遺産でもある首里城が燃えたというニュースには驚きました。31日午前2時40分頃、那覇市首里城で火災が発生。沖縄県那覇署などによると消防車十数台が消火に当たりましたが「正殿」と「北殿」「南殿」などの主要部分がほぼ全焼しました。大ショックです。1日も早い再建を願っています。

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「ヤフーニュース」より


わが社は沖縄で冠婚葬祭事業を展開していますが、沖縄は「守礼之邦」と呼ばれます。首里城には「守礼門」があり、わたしはもう数えきれないぐらい、訪れています。昨年6月13日、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の第60回定時総会の観光でも首里城を訪れました。


守礼門の前で


わが社のミッションは「人間尊重」です。それは「礼」ということでもあります。サンレーグループは、人間尊重思想を世に広める「天下布礼」によって、人間関係を良くするお手伝いをしたいと願っています。
「礼」といえば、沖縄は「守礼之邦」と呼ばれます。本来、琉球王国宗主国であった明に対して忠誠を尽くすという意味だったそうです。しかし、わたしは沖縄が「礼」すなわち「人の道」を守る王国であることを示している思っています。なぜなら、沖縄ほど「人の道」を大切にしている場所はないからです。


正殿を背にして

 

かつての日本社会には「血縁」という家族や親族との絆があり、「地縁」という地域との絆がありました。日本人は、それらを急速に失っています。その結果、「無縁社会」なるものが到来してしまいました。では、わたしたちが幸せに生きるためには、どうすべきか。何よりも、先祖と隣人を大切にすることが求められると思います。沖縄の人々は、日本中のどこよりも先祖と隣人を大切にします。

天下布礼」の幟を持って

          

大切にするのは先祖と隣人だけではありません。「いちゃりばちょーでい」という言葉は、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのですね。まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり!
「守礼之邦」は大いなる「有縁社会」でもあるのです。すべての日本人が幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。わたしは、この沖縄から日本を再び「有縁社会」にしたいと願っています。


琉球新報」2005年8月15日朝刊

 

2005年8月15日、終戦60年の日、わが社は「琉球新報」に広告を出しました。「おきなわの力」「守礼の心」というコピーで、沖縄から世界へ平和のメッセージを発信。このとき、首里城の「守礼門」が初めて民間企業の広告で使われました。これからも、サンレー沖縄は「守礼企業」をめざします。首里城の再建を心から願っています。

 

2019年10月31日 一条真也