小倉紫雲閣で「風と共に去りぬ」を観る

一条真也です。ブログ「『1939年映画祭』のお知らせ」で紹介したように、わが社のセレモニーホールで画期的なイベントを開催中です。 ブログ「友引映画館」で紹介したように、わが社では互助会の会員様や高齢者の方向けに無料の映画上映会を行っていますが、ついに映画史に残る三大名作を上映いたします。

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1939年は映画史における奇跡の年でした。西部劇の最高傑作「駅馬車」、ラブロマンスの最高傑作「風と共に去りぬ」、そしてミュージカルおよびファンタジー映画の最高傑作「オズの魔法使い」の3本が誕生したからです。その3つは、すべて、その年のアカデミー賞を受賞しています。そして、それぞれが現代作品にも多大な影響を与え続ける、名作中の名作たちが今年で製作80周年を迎えました。この3作を愛してやまないわたしは、わが社のコミュニティセンターの施設数がこのたび80となったことを機に、「1939年映画祭」を開催することにいたしました。

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本日の看板の前で

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上映会場となる大ホールの前で

 

ハロウィンの日である31日には、小倉紫雲閣の大スクリーンで「風と共に去りぬ」が上映されました。「風と共に去りぬ」は、わたしが生まれて初めて観た本格的長篇映画であり、わたしにとって歴代ベスト1の名作です。

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おかげさまで満員になりました!

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「1939年映画祭」のオープニングロゴ

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主催者挨拶をしました

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ご来場いただき、ありがとうございます!


上映に先立って、主催者挨拶があり、わたしが登壇しました。わたしは、超満員の観客席に向かって一礼してから、以下のように挨拶しました。
「みなさん、こんばんは。本日は、友引映画館へご来場いただき、ありがとうございます。映画上映に先立ちまして、わたしどもサンレーがこの映画上映会を行っている理由を簡単にご説明いたします。サンレーでは日ごろお世話になっている地域の皆さまに対し、社会貢献として少しでも還元する意味で、各地にあるセレモニーホール紫雲閣を葬儀だけでなく、趣味の会などの行事にも活用できるように無料開放しております。本日の映画上映会もその一つで、葬儀が行われることが比較的少ない友引の日に主に実施するということで昨年7月に始まりました」

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これから「風と共に去りぬ」を上映します!

 

また、わたしは以下のように述べました。
「今月から12月にかけて合計8回上映するのは、いずれも1939年のアカデミー賞を受賞した、西部劇の『駅馬車』、ラブロマンスの『風と共に去りぬ』、ミュージカルの『オズの魔法使』の3本です。3つの作品とも制作されて80年となりますが、ちょうどわたしどもの紫雲閣の数がこの度全国80カ所に達したのを記念し、いわば『末広がり』の80つながりで開催することにいたしました」

f:id:shins2m:20191031173347j:plainどうぞ、最後までお楽しみください!

 

さらに、わたしは以下のように述べました。
「本日の上映作品は、『風と共に去りぬ』ですが、この作品は上映時間が3時間40分余りの大作でございますので、間に一度15分程度のトイレ休憩の時間を挟んで上映いたします。どうぞ自由な席にお座りいただき、大きなスクリーンで映画館の感覚を味わっていただければと思います。『風と共に去りぬ』はわたしが一番好きな映画です。わたし自身、とても楽しみにしています。どうぞ、最後までお楽しみください!」

 

わたしは、小学6年生のときに『風と共に去りぬ』と出合いました。本よりも映画との出合いのほうが先で、1975年10月にテレビの「水曜ロードショー」で2週にわたって放映された「風と共に去りぬ」を観たのです。たしか、新聞のテレビ欄を見ていた母が「テレビで『風と共に去りぬ』が放送される。すごいね!」と言っていた記憶があります。普段は夜遅くまでテレビを観ることは許されないのに、その日の夜は母と一緒に「風と共に去りぬ」を観たのでした。主役のスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーの美しさに子ども心に一目惚れしたわたしは、「将来、この人に似た女性と結婚したい!」と思いました。

 

すっかり「風と共に去りぬ」とヴィヴィアン・リーの虜になってしまったわたしは、少しでも関連情報を得たくて、「スクリーン」や「ロードショー」といった映画雑誌の定期購読を始めました。映画音楽のLPの全集なども買いましたね。そして、雑誌で紹介されているブロマイドやスチール写真の通販を買い求め、ついにはレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)とスカーレットが抱き合っている巨大パネルを購入して勉強部屋に飾っていました。ずいぶんマセた小学生でしたが、このパネル、なんとわたしが結婚したときに寝室にも飾ったのです。幼かった長女がその写真を見て、「パパとママ」と言っていたことが思い出されます。わたしの妻が本当にヴィヴィアン・リーに似ていたかどうかは秘密です。(笑)


サンデー毎日」2016年10月9日号

 

さて、「水曜ロードショー」では、ヴィヴィアン・リーの吹き替えを栗原小巻さんが担当したが、ラストシーンの「明日に希望を託して」というセリフが子ども心に深く残りました。原作では"Tomorrow is another day."というセリフですが、訳書では「明日は明日の風が吹く」と訳していました。それをテレビでは「明日に希望を託して」というセリフに変えて、栗原さんが力強く言い放ったのです。わたしは非常に感動し、わが座右の銘となったのでした。「風と共に去りぬ」をリアルタイムで上映した小倉昭和館の77周年祝賀会で、栗原小巻さんにお会いしました。わたしは、栗原さんに少年時代の感動のお礼を申し上げました。栗原さんは、とても喜んで下さいました。



初めてテレビで観た本格的な長編映画も「風と共に去りぬ」でした。それまでTVドラマは観たことがあっても、映画それも洋画を観るのは生まれて初めてであり、とても新鮮でした。まず思ったのが「よく人が死ぬなあ」ということ。南北戦争で多くの兵士が死に、スカーレットの最初の夫が死に、二人目の夫も死に、親友のメラニーも死ぬ。特に印象的だったのが、スカーレットとレットとの間に生まれた娘ボニーが落馬事故で死んだことです。わたしは「映画というのは、こんな小さな女の子まで死なせるのか」と呆然としたことを記憶しています。

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明日に希望を託して!

 

このように、わたしは人生で最初に鑑賞した映画である「風と共に去りぬ」によって、「人間とは死ぬものだ」という真実を知ったのです。多くの愛する人を亡くしたスカーレットは、最後には最愛のレットにも去られますが、深い悲しみの中で「明日に希望を託して」と宣言します。わたしは、「風と共に去りぬ」とは大いなるグリーフケアの物語であったことに今更ながら気づきました。

f:id:shins2m:20191031162021j:plain大いなるグリーフケアの物語 

 

逆に、「スクリーンの中で人は永遠に生き続ける」と思ったこともありました。中学生になって、北九州の黒崎ロキシーという映画館で「風と共に去りぬ」がリバイバル上映されたことがあります。狂喜したわたしは、勇んで小倉から黒崎まで出かけ、この名作をスクリーンで鑑賞するという悲願を達成したのです。そのとき、スクリーン上のヴィヴィアン・リーの表情があまりにも生き生きとしていて、わたしは「ヴィヴィアン・リーは今も生きている!」という直感を得ました。

f:id:shins2m:20191031161838j:plainヴィヴィアン・リーは今も生きている!

 

特に、彼女の二人目の夫やアシュレーがKKKに参加して黒人の集落を襲っているとき、女たちは家で留守番をしているシーンを観たときに強くそれを感じました。椅子に座って編み物をしているヴィヴィアン・リーの顔が大写しになり、眼球に浮かんだ血管までよく見えました。それはもう、目の前にいるどんな人間よりも「生きている」という感じがしたのです。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

それを観ながら、わたしは「こんなに生命感にあふれた彼女が実際はもうこの世にいないなんて」と不思議で仕方がありませんでした。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)の中で展開した「映画は不死のメディア」という考えは、このときに生まれたのかもしれません。

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感動しました!

 

黒崎ロキシーで初めてスクリーンで「風と共に去りぬ」を観た時も感動しましたが、それから40年後、わが小倉紫雲閣の大スクリーンで「風と共に去りぬ」を観ることができ、本当に感無量です。「友引映画館」では、これからも感動の名画を続々と上映していく予定です。無料ですので、よろしければ、ぜひお越し下さい!

 

2019年10月31日 一条真也