「月刊フューネラルビジネス」に『グリーフケアの時代』が紹介されました

一条真也です。
31日になりました。ハッピー・ハロウィン!
島薗進先生、鎌田東二先生との共著である『グリーフケアの時代』(弘文堂)がおかげさまで好評です。冠婚葬祭業界のオピニオン・マガジンである「月刊フューネラルビジネス」2019年11月号の「Book Review」のコーナーでも紹介されました。

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「月刊フューネラルビジネス」2019年11月号

 

「月刊フューネラルビジネス」の紹介記事ですが、「上智大学グリーフケア研究所グリーフケアの時代』」の題で、以下のように書かれています。
上智大学グリーフケア研究所3氏による『グリーフケアの時代「喪失の悲しみ」に寄り添う』が弘文堂から刊行された(定価2,500円+税)。同研究所所長の島薗進氏による第1章「現代日本人の死生観」、同研究所特任教授の鎌田東二氏による第2章「人は何によって生きるのか」において、“死生観”についての考察がなされている。そして第3章では、同研究所客員教授サンレー社長の佐久間庸和氏が悲嘆の原因とプロセスを整理したうえで、サンレーの取組みを紹介している。佐久間氏は、『死者が遠くに離れていくことをどうやって表現するかが、葬儀の大事なポイントの1つである。それをドラマ化して、物語とするところに、葬儀の存在意義がある』と説くことで、悲嘆を捉え直す糸口が段階的に見出すことができる章立てになっている」

 

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う
 

 

2019年10月31日 一条真也

『こども六法』

こども六法

 

一条真也です。
29日、東京で全互協の儀式継創委員会に出席しました。冒頭の担当副会長挨拶では、拙著『儀式論』(弘文堂)の内容に触れながら、ブログ「即位の礼」で紹介した「即位礼正殿の儀」をはじめ、儀式の重要性と意義について話しました。
さて、ベストセラーになっている『こども六法』山崎聡一郎著、伊藤ハムスター絵(弘文堂)を読みました。『儀式論』の編集者である外山千尋さんが手掛けられた本で、わざわざ送って下さいました。クスっと笑えるようなユーモアをたたえた動物のイラストで法律をわかりやすく説明しています。著者は1993年、埼玉県生まれ。教育研究者、写真家、俳優。合同会社Art&Arts代表。慶應義塾大学SFC研究所所員。慶應義塾大学総合政策学部卒業、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。修士社会学)。2013年より「法教育といじめ問題解決」をテーマに研究活動と情報発信を行う。劇団四季ノートルダムの鐘」に出演するなど、ミュージカル俳優としても活躍中。f:id:shins2m:20191021104049j:plain
本書の帯

 

本書のカバー表紙には、伊藤ハムスター氏のイラストが描かれ、帯には「きみを強くする法律の本」「いじめ、虐待に悩んでいるきみへ」「法律はみんなを守るためにある。知っていれば大人に悩みを伝えて解決してもらうのに役立つよ!」と書かれています。f:id:shins2m:20191021104228j:plain
本書の帯の裏

 

アマゾンの「内容紹介」には「●法律は自分を守る武器になる。いじめ・虐待をなくすために」として、以下のように書かれています。
「いじめや虐待は犯罪です。人を殴ったり蹴ったり、お金や持ち物を奪ったり、SNSにひどい悪口を書き込んだりすれば、大人であれば警察に捕まって罰を受けます。それは法律という社会のルールによって決められていることです。けれど、子どもは法律を知りません。誰か大人が気づいて助けてくれるまで、たった一人で犯罪被害に苦しんでいます。もし法律という強い味方がいることを知っていたら、もっと多くの子どもが勇気を出して助けを求めることができ、救われるかもしれません。そのためには、子ども、友だち、保護者、先生、誰でも読めて、法律とはどんなものかを知ることができる本が必要、そう考えて作ったのが本書です。小学生でも読めるように漢字にはすべてルビをふり、法律のむずかしい用語もできるだけわかりやすくして、イラスト付きで解説しています。大人でも知らないことがたくさんある法律の世界、ぜひ子どもと一緒に読んで、社会のルールについて話し合ってみてください」

 

ブログ「法令試験合格!」で紹介したように、わたしは昨年の秋に石川運輸支局で、一般貸切旅客自動車運送事業の法令試験を受けました。本来は1年半かけてやる勉強を実質1ヵ月半で仕上げました。分厚い『自動車六法』(3000ページ以上!)を手にしたときは途方に暮れました。字も小さくて読みにくいので、ハズキ・ルーペをかけて一生懸命読みました。今では内容のほとんどは頭に入りました。たぶん全問正解の満点で合格したと思いますが、そのときに「法律を知らないと損をする!」と痛感しました。

f:id:shins2m:20191028170633j:plain『こども六法』の「もくじ」 

 

『こども六法』の「もくじ」は以下の通りです。

「まえがき」
「凡例」

第1章 刑法
「これをやったら犯罪」のリスト
安全な生活を守るためのルールだよ!

第2章 刑事訴訟法
犯罪の捜査と裁判のためのルール
罪を犯したと疑われている人の権利も守るよ!

第3章 少年法
子どもが犯罪行為をしたときのルール
社会で生きていけるように教育を与えるよ!

第4章 民法
みんなの「あたりまえ」を支えるルール
人と人との争いを解決する基準だよ!

第5章 民事訴訟

民事裁判で争うためのルール
こじれたケンカを解決する最終手段だよ!

第6章 日本国憲法

すべての法律の生みの親
国のしくみと理想が書いてあるよ!

第7章 いじめ防止対策推進法

大人にはいじめから子どもを救い
いじめをなくす義務がある!

「いじめで悩んでいるきみに」
「大人向けのあとがき」
スペシャルサンクス」
「監修者紹介」
「謝辞」
「制作チーム紹介」
「著者紹介」

  

「まえがき」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「あなたは法律にどんなイメージがあるでしょう。法律は、大人も子どもも、日本に暮らす人、日本に旅行でやってきている人も含めて、すべての人が守るべきルールです。でも、法律はわたしたちにきゅうくつな思いをさせるためのものではありません。むしろ、わたしたちの自由で安心な生活を守るためのものです。もし、人に暴力をふるったり、物を奪い取ったりしても、何もペナルティがなかったらどうでしょう? 急になぐられたり、お財布を盗まれたりしたときに、誰も助けてくれない国では、安心して生活できませんよね。そうです。法律は、みんなの安心で安全な生活を守るために決められたルールなのです」

 

第1章「刑法」では、著者はこう書いています。
「人を殺す、ケガをさせる、人のものを盗む・・・・・・そんなことをすれば警察につかまってしまうことを、わたしたちはニュースやドラマで見て、あたりまえだと思っています。でもそれは『刑法』という法律があるおかげなのです。刑法には、何をしたら犯罪になるか、そしてその犯罪に対する刑罰が書いてあります。『こんなことをしたら、こういう罰を受けますよ』というルールをまとめた法律が刑法です。刑法には、罪の重さによって罰金や懲役、死刑といったペナルティが決められ、必ず従わせる強い力があります。罪を犯した人に罰を与えることで、それを見た人が『ルールを破ると罰を受けるから悪いことをするのはやめておこう』と考え、その結果、犯罪が減って暮らしやすい社会になるという効果が期待できるのです」

 

第4章「民法」では、著者はこう書いています。
「誰かと何かを約束したら守る。人に借りたものは返す。友達をいじめたり、悪口を言ったりしてはいけない。『そんなのあたりまえ!』って思いますよね? 民法はそのような人と人との約束や関係についての『あたりまえ』を決めた法律です。あたりまえのことは、普段は意識することもありませんが、いざもめごとが起きたときにはそれを解決する基準になります。民法の内容は、財産についてのルールと家族についてのルールの2つに大きく分けられます。財産についてのルールは、お金や物の貸し借りなど、人と人が何かを約束するときの決まりと、他人を傷つけてしまって、その責任を負うときの決まりです。そして家族についてのルールは、結婚や離婚、どこまでが家族かなどについての決まりをまとめています」

 

いかがですか? 六法の根幹をなす「刑法」と「民法」について、これほどわかりやすく書かれた文章を他に見たことがありません。これは子どもだけでなく、大人でも勉強になります。全編にわたって掲載されているコラムも興味深く、たとえば「法律は国によって違う?」と題されたコラムには次のように書かれています。
「放火をはじめとする火災に関係する犯罪に対しては、日本では罰則が重いと言われています。これは日本の住宅は木造が基本で、江戸時代には多くの命が失われた大火災が3回もあったなど、火災と密接な関係を持つ歴史があるからです。法律はこのようにそれぞれの国の歴史や文化を色濃く反映します。たとえば中国の場合、麻薬を作ったり売ったり、運んだりすると、最も重い刑罰は死刑です。これはかつて中国が清という国家だった時代に、アヘンという麻薬の一種のやり取りと流行によって国を亡ぼすほど大変な経験をした反省なのです」

 

このように読み物としても本書は非常に面白いのですが、著者は本書を「いじめ」をなくすために書いたそうです。「いじめで悩んでいるきみに」と題した文章では、著者は次のように書いています。
「いじめはどんな理由があろうとやってはいけないことです。また、いじめられても仕方のない理由などありません。きみがつらい思いをするようなことをされているなら、それはもちろんいじめです。『もしかしたら自分にも原因があるのでは』と考えるかもしれませんが、きみはけっして悪くありません。もし、きみがいじめにあっているなら、一人で悩まずに、信頼できる大人に相談してみてください」

 

本書には、いじめで悩んでいる子ども向けに、いろんなアドバイスが示されているのですが、その中に「●日記をつけてみよう」というものがあり、「いじめがずっと続いているのであれば、日記をつけておくことも大切です。書くだけで気持ちが落ち着くこともあります。日記には、いつ、どこで、誰に、何をされて、自分はどう思ったのか、具体的に書いておくと、後から思い出すときの助けになります」と書かれていました。これは、じつに適切なアドバイスであると思います。

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週刊文春」2019年10月24日号

 

本書の大ヒットによって、「週刊文春」の取材を受けた外山さんは、同誌の2019年10月24日号で、次のように語られています。
「法律の研究は細分化されており、本書のように法律全般に及ぶ内容を専門家がひとりで書くのは困難です。著者が法律の専門家だったらまず考えつかない斬新な企画であり、また、いじめの元当事者がいじめ防止を目的とする本を書くことの強い思いを応援したい気持ちもあって、法律の専門書を主に手掛ける弊社からの刊行を決めました」「身近にある問題を見て見ぬふりしている大人の、心の逃げ道を塞ぎたい気持ちもありました。いじめと全く無縁に育った人って、この国にはほとんどいないんですよね。児童虐待や、痴漢などの性犯罪もそう。はっきりと法で許されない行為だと知れば、そうしたものをただ黙って見過ごしてしまうことも、減ると思うんです」

 

 

わたしは、自分の担当編集者である外山さんがベストセラー本を作られて、それを献本して下さったのが本当に嬉しくて、外山さんに以下の内容のメールを送りました。
「『こども六法』、届きました。ありがとうございました。まず、この本、アイデアが秀逸ですね。それから、イラストが素晴らしい! もちろん、内容はわかりやすいです。出版というのは世の中のためになる営為だと思いますが、まさにそんな本です。この本は、ハートフル・ソサエティにつながっていると思います。以前、村上龍氏の『13歳のハローワーク』という本がベストセラーになりました。しかし、きっと『こども六法』のほうが長く残るでしょう。外山さん、本当に良書を手掛けられましたね!」

 

13歳のハローワーク

13歳のハローワーク

 

 

すると早速、外山さんから以下のメールが届きました。
「『こども六法』をお褒めいただいてありがとうございます。ハートフル・ソサエティにつながる、と感じていただき光栄です。ご高察どおり、世の中を変えたいというメッセージをしっかり込めました。『13歳のハローワーク』は大好きですが、総ルビでないことを残念に思っていたので本書は総ルビにしました。イラストの内容もコピーも苦労もしましたが、結果として多くの方に喜んでいただけて本当によかったです」
たしかに、総ルビにしたのは大成功でした。もちろん内容も良いのですが、もしかすると本書がヒットした最大の原因は、総ルビと動物のイラストにあるかもしれません。総ルビと動物のイラストといえば、わたしには思い当たる著書があります。『はじめての「論語」』(三冬社)という本です

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵』(三冬社)

 

同書には「しあわせに生きる知恵」というサブタイトルがついています。わたしにとって初めての児童書で、お子さんやお孫さんと一緒に『論語』を学ぶことをイメージして書きました。今から2500年前ほど昔の中国の国に、孔子という人物がいました。孔子は「人がしあわせに生きるためには、どうすればいいか」ということを考えた人で、孔子とその弟子たちの言葉や行動をまとめた本が『論語』です。
最近、ブログ「論語と算盤」で紹介した渋沢栄一が1万円札の新しい顔になることが決定し、今また『論語』に熱い注目が集まっています。


わたしもイラストで登場します

 

孔子は、紀元前551年に生まれました。同じ頃、インドには釈迦、つまりブッダが生れ、それから80年ほどしてギリシャソクラテスが生れています。孔子儒教ブッダは仏教、そしてソクラテスは哲学の祖だとされています。こういった偉人たちがほぼ同じ頃に活躍していたというのは、考えてみれば不思議です。さらに紀元4年にはイスラエルにイエスが生まれています。そう、キリスト教の祖です。この孔子ブッダソクラテス、イエスの四人は「四大聖人」と呼ばれ、明治時代の日本では非常に尊敬されました。中でも、孔子ブッダの2人はそれ以前の江戸時代からよく知られ、わたしたち日本人に大きな影響を与えてきました。そして、孔子の教えが書かれた『論語』は、千数百年にわたって、わたしたちの祖先に読みつがれてきたのです。


「仁」のイラストはこんな感じです

 

論語』ほど日本人の「こころ」に大きな影響を与えてきた本はないのではないでしょうか。特に江戸時代には、あらゆる日本人が『論語』を読みました。武士だけでなく、町人たちも『論語』を読みました。そして、子どもたちも寺子屋で『論語』を素読して学んだのです。なぜ、それほどまでに日本人は『論語』を学んだのでしょうか。それは、『論語』に書いてある教えを自分のものとすれば、立派な社会人になることができ、人の上に立って多くの人を幸せにすることができ、さらには自分自身が幸せになれるからです。そこに「いじめ」などという馬鹿げた行為はありえません。


なぜ「礼儀」を大事にしなければいけないの? 

 

江戸時代、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』という本が大ベストセラーとなり、多くの日本人に読まれましたが、その中にも『論語』の教えが書かれています。すなわち、「仁義礼智忠信孝悌」です。

「仁」とは、愛と思いやりのことです。

「義」とは、悪いことをにくむ気持ちです。

「礼」とは、人として生きる「道」を守ることです。

「智」とは、善いことと悪いことの違いを知ることです。

「忠」とは、誰にでも真心で接するということです。

「信」とは、自分を信じ、人を信じて、ともに成長することです。

「孝」とは、自分と親、ご先祖さまへと続く「いのち」のつながりです。

「悌」とは、年齢が違っても、人の長所を認め、大切にすることです。


「礼」のイラストはこんな感じです

 

これらの8つの教えは、『論語』の教えを日本人向けにまとめたもので、とてもわかりやすくなっています。そして、これら8つを自分のものとした人のことを「君子」と呼びます。『論語』には「君子」という言葉がたくさん出てきますが、はじめは地位のある人のことでした。それから、徳のある人をさす言葉になりました。人間界で最も素晴らしい人を「聖人」といいます。孔子はまさに聖人ですが、君子は聖人ではありません。あくまで、この現実の社しゃかい会に存在する立派な人格者で、生まれつきなれるものではありません。『論語』には「君子は上達す」という言葉がありますが、努力すれば誰でもなれる人、それが君子なのです。


自分だけが正しいと思っていませんか?

 

そんなことをいうと、「なんだか、かた苦しいなあ」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。孔子は大いに人生を楽しんだ人でした。きれいな色の着物を好み、音楽を愛した人でした。『論語』には「楽しからずや」「悦よろこばしからずや」といった前向きな言葉がたくさん出てきます。同じ聖人でも、ブッダやイエスの言葉には人間の苦しみや悲しみについては出てきても、楽しみや喜びなどはまず見当たりません。この点、『論語』に前向きな言葉が多いのは、本当に素晴らしいことだと思います。孔子は、とにかく「どうすれば、幸せに生きることができるか」を考えた人なのです。 f:id:shins2m:20191021130743j:plain『こども論語』を書きたい!

 

『こども六法』を読んでいて、気づいたのですが、『はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵』は『こども論語』としてアップデートすべきです。『はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵』は子ども向きに書いたのですが、それでもまだ難しいところが多々あったように思います。それをどのように書き直したらよいかが『こども六法』を読んでいてひらめきました。もともと古代中国では、孔子孟子荀子に代表される「儒家」と李斯、商鞅韓非子に代表される「法家」の両方を学ぶのが好ましいとされていました。「礼」と「法」を学べば「鬼に金棒」というわけです。

f:id:shins2m:20150725122557j:plain司法修習生への講演のようす 

 

ブログ「司法修習生への講演」でも紹介したように、数年前まで、毎年わたしは司法修習生のみなさんに「礼と法について」という講演を行ってきました。講演の最後には、わたしはいつも司法修習生の方々に向けて、「法律的には許されても、人間として許されないことがある」と述べます。たとえ、酒気帯び検査を切り抜けたからといって、飲酒運転は絶対に許されません。相手が泣き寝入りしようが、セクハラを許してはなりません。いくら証拠がなくても、ウソを言って人を騙してはなりません。結局は、法律とは別に「人の道」としての倫理があり、それこそが「礼」なのです。現実世界における法律の影響力は非常に絶大です。しかし、大切なのは「礼」と「法」のバランス感覚なのです。講演の最後は、「よく学び法を修めし人なれば 礼も修めて鬼に金棒」という道歌を若き法曹の徒に贈りましたが、大変喜ばれました。

f:id:shins2m:20110416182500j:plainよく学び法を修めし人なれば 礼も修めて鬼に金棒 

 

『こども六法』は本当に素晴らしい本です。この世から「いじめ」をなくす魔法の杖になるかもしれません。ただ、『こども六法』を読むのは、いじめている子どもではなく、いじめられている子どもさんが圧倒的に多いような気もします。いじめっ子に対しては、両親や祖父母が「法」よりも人の道としての「礼」を説くのが効果的のように思えます。もともと、わたしは「国に憲法、人に礼法」という信条の持ち主であり、「法」も「礼」も両方必要だと考えています。もし機会があれば、『こども六法』を補完する『こども論語』を書きたいです。

 

童子問 (岩波文庫 青 9-1)

童子問 (岩波文庫 青 9-1)

 

 

ブログ『決定版日本人の論語』ブログ『伊藤仁斎『童子問』に学ぶ』でも紹介したように、江戸時代に『論語』を「宇宙第一の書」と絶賛した伊藤仁斎は『童子問』という子ども向け『論語』を書きました。
わたしは、令和版『童子問』を書きたいです。
本当に、いじめをなくすためにも・・・・・・。

 

こども六法

こども六法

 

 

2019年10月30日 一条真也

『情緒と日本人』

情緒と日本人

 

一条真也です。
29日の朝、スターフライヤーで東京に飛びます。
全互協の儀式継創委員会に出席するためですが、冒頭の担当副会長挨拶では、ブログ「即位の礼」で紹介した「即位礼正殿の儀」について話そうと思っています。
『情緒と日本人』岡潔著(PHP研究所)を再読しました。著者は1901年、大阪市生まれ。22年に京都帝国大学物理学科入学、数学科に転科、同大を卒業。29年、28歳でフランスに留学、帰国後広島文理科大助教授となります。教授職を辞してからは、純正数学の研究に没頭し「多変数複素函数論」の分野における「三大問題」といわれる難題に解決を与え、世界的な数学者として認識されました。60年、文化勲章受章。63年に毎日出版文化賞受賞。79年、勲一等瑞宝章受章。78年没。


本書の帯


本書の帯には、以下のように書かれています。「世界的数学者にして憂国のエッセイストが日本人に伝え残したこと――没後三十年、数々の言葉がいま甦る」


本書の帯の裏


また、アマゾン「内容紹介」には以下のように書かれています。「世界的数学者にして、憂国のエッセイストが、われわれ日本人に伝え残したかったこととは――。没後三十年、著者が鳴らし続けた警鐘は、ますます真実味を帯びてきている。『情緒』という言葉を定義し、日本人としてのあり方を説き続けた著者の切なる想いが込められた名著『春宵十話』、また小林秀雄との歴史に残る対談本『対話 人間の建設』、司馬遼太郎井上靖石原慎太郎といった著名な有識者たちとの対談がおさめられた『岡潔集』など、数々の名著から印象深い文章、言葉を選り抜き、箴言集のスタイルでまとめあげたのが本書である。(編集・解説は、評伝『天上の歌――岡潔の生涯』を書いた帯金充利氏が担当)」


本書の「目次」は、以下のようになっています。

はじめに――解説にかえて

第一章  情緒と日本人

第二章  日本民族

第三章  数学と芸術と文学と

第四章  教育

 付章  松下幸之助との対話 


それぞれの章には、心に沁みこむ言葉がちりばめられています。まさに、日本人が忘れてはならないものがここにあります。それでは、わたしの心に残った名言の数々をご紹介したいと思います。


人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です。(『岡潔集』第五巻)


たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る見方です。これらに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る見方です。情緒と見たばあいすみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています。(『風蘭』)


こころというと、私は何だか墨絵のような感じをうける。彩りや輝きや動きは感じられない。こころの彩りや輝きという観念は、私たちは西洋から学んだのかもしれない。そういったものが感じられる言葉を使った方が、心を詳しく見るに都合がよいから、私は「こころの一片」という代りに「1つの情緒」ということにしたのである。(『春風夏雨』)


私はこころと言うと、何だか色彩が感じられないように思ったから、「情緒」という言葉を選んだのである。「春の愁ひの極りて春の鳥こそ音にも鳴け」と佐藤春夫は歌っているが、何もこれだけがそうではなく、情緒は広く知、情、意及び感覚の各分野にわたって分布していると見ているのである(この言葉の内容をそう規定しているのである)。(『紫の火花』)


人として一番大切なことは、他人の情、とりわけ、その悲しみがわかることです。これについては釈迦も孔子もキリストも口をそろえてそういっています。夏目漱石は『草枕』の初めに「情に棹させば流される」と書いているではないかという人もありますが、終りまで読んでください。「憐」という字に終わっていますから。(『春風夏雨』)


人の中心は「情」であって、情の根底は「人の心の悲しみを自分のからだの痛みのごとく感じる心」すなわち観音大悲の心である。(『月影』)


刹那に悠久を見るのが美です。美術というものは悠久の影です。(『岡潔集』第一巻/石原慎太郎との対話)


あなた方にぜひおすすめしたい本に、フランスの作家サン=テグジュペリの日本語訳「星の王子さま」というのがあります。童心を知るまことによい本です。そうすると、きっと気づくでしょうが、日本人と情緒がまったく同じであること、ただちがうのは、表現がひどく歯切れがよい、ということです。(『風蘭』) 

 

情緒と日本人

情緒と日本人

 

 

2019年10月29日 一条真也

『幸せになる法則』

幸せになる法則―正しく生きる人が幸福をつかむ

 

一条真也です。
『幸せになる法則』丸山敏雄著(PHP研究所)を再読しました。ブログ『一粒の麦 丸山敏雄の世界』ブログ『丸山敏雄一日一話』でも紹介した丸山敏雄は、宗教家から社会教育者になった人物です。

 

アマゾンの「著者略歴」には、こう書かれています。
「明治25年、福岡県生まれ。広島高等師範学校を卒業し、師範学校などの教諭として奉職。その後、37歳で広島文理科大学に入学。日本の精神文化・歴史を研究するとともに、書道・和歌などでも研鑚を積む。その後、宗教や道徳などの研究を土台に自らの実践体験を積み上げ、『人間生活の法則=すじみち』を研究し、戦前の道徳を超える生きた生活法則を発見。これを『純粋倫理』と名づけ、その体系化に心血を注ぐ。昭和20年に倫理運動を興し、『新世文化研究所』(後の倫理研究所)を創立。自ら普及活動の陣頭に立ち、教育や講演に情熱を注ぐ。昭和26年12月14日逝去」

 

また、アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「日本人が共通して願うのは『商売繁盛』『家内安全』『無病息災』であるという。すなわち誰もが経済的に豊かで、心安らぐ家庭に暮らし、健康で長生きすることを求めているということだ。しかし、これがなかなか思った通りに行かない。丸山敏雄は、誰もがこうした幸福な人生を送るにはどうしたらよいのかを探求し、たどりついたのが理にかなった正しい生活(倫理生活)であった。たとえば朝早く起きる、呼ばれたら『ハイ』と返事をする。こんなささいなことであっても、続けるうちに徐々に周囲が変わり、自分も大きく変わってくる。そして物事がうまく回転するようになってくる。こうした原理はすべて丸山自身が実践し、検証した事実に基づいている。正しく生きること。これこそが幸福への王道なのだ。本書は、丸山敏雄が到達した原則のエッセンスを短い文章でコンパクトにまとめてある。迷ったとき、悩んだとき、人生の羅針盤となってくれる一冊である」

 

本書の「目次」は以下のような構成になっています。
「まえがき」
人生の主役として
日々を大切に生きる
はたらきは幸福の原動力
志を立てる
家族を愛する
生命の本質
心を鍛える
美は心の糧
「出典一覧」
「丸山敏雄略歴」

 

「まえがき」では、丸山敏雄の孫で、倫理研究所理事長の丸山敏秋氏が以下のように述べています。
「すでに半世紀前、日本人が魂のふるさとを失いつつあることを憂えた丸山敏雄は、我々の生活の拠り所となる規範を提唱した。それは日本の伝統精神に土台をおきながらも、丸山敏雄自身が日々実践・実証することによって発見した人間生活の法則=すじみちであった。正しい生き方をすれば、誰もが幸福になれる。このシンプルな哲理こそ、丸山敏雄が真に訴えたかったことであり、同時に現代人の頭からすっぽりと抜け落ちていることである」

 

「人生の主役として」の章では、冒頭に「万人幸福の道」として以下のように書かれています。
「何時、何処で、誰が行なっても、常に正しい、皆幸福になれる『万人幸福の道』をつづめてみると、
  明朗 ほがらか
  愛和 なかよく
  喜働 よろこんではたらく
 ことの3つであり、今一歩おし進めてみますと、
  純情 すなお
の1つになります。ふんわりとやわらかで、何のこだわりも不足もなく、澄みきった張りきった心、これを持ちつづけることであります」

 

「日々を大切に生きる」の章では、「食事は『和』の精神の現れ」として、以下のように述べられています。
「和は、障壁を撤して同じ心になって、他とともに喜ぶというところに、和の真実があるのです。たとえば、火鉢をかこむというように、日本でもどこでも、皆が食卓をかこんで食べる、というのがその実践であります。つまり一緒に食べるということが、『和』の精神を現わすのであります。今でも、会食をすることによって、和をはかって仕事をやろうということをしますが、これも和の倫理の活用であります」

 

また、著者は「祭り」について、こう述べています。
「祭りというのは、神と人と、ともに食事をすることで、これは神と人との和の形式なのであります。一ツ鍋をつつくとか、一ツ釜の飯を食うということは、このように意味が深いのであります」

 

「一切は統一の中にある」として、著者は「縁」について以下のように述べています。
「空中には何もないようだが、親子・夫婦・兄弟・交友・その他の間には無形の紐帯にむすび合わされて社会がつくられている。これを『えにし』(縁)と言う。これはすべての物質障碍を透過して、互いに相作用しあう」

 

「はたらきは幸福の原動力」の章の冒頭では、「はたらきは幸福の原動力」として、著者は以下のように述べています。
「人の価値は、その人の働きによって定まる。
 働きが人生である。
 働きは生命であり、宇宙は働きである。
 真の働きにのみ、最高無限の美しさと喜びとがともなう」

 

意外なことに、著者はお金にも言及しています。
「おかねは天の『めぐみ』」として、こう述べます。
「おかねは、喜んで働く者に、物の代わりとしてめぐまれる、社会の『あたえ』で、天の『めぐみ』であります。その心で感謝し、喜んで使う時、ほんとうに生きてはたらくのであります」

 

「家族を愛する」の章では、「孝は子が人となる方途」として、以下のように述べています。
「孝行というは、子が親につくすことによって、親の純情にふれるのである、知るのである。そして子そのものが、ものになる、人になる。故に、孝は、親のためにするのではない。己自身の純情に生まれ変わる至上のみちたるにある。いわゆる神の愛は、親の愛を高め深めたものに外ならぬ。故に『孝は百行の本』というのは、孝は、人が人となる方途であり、やがて神に至る門である」

 

「生命の意味」の章では、「死は最高次の生」として、著者は以下のように述べています。
「死というは、生存中、呼吸の主体として、人間の肉体にまで出張して来ていた霊魂が、故郷にかえるのである。死が荘厳にして、入り日を仰ぐごとく目出たくゆかしいのは、本体にかえるからである。死が悲しいのは、永の別れであるからではない。初めて会った時が、一種何とも言えない、不可思議の心情になるように、この世での別れとなると――これっきりとなると――神秘な高い感情に打たれて、ただ頭が下がるのである」
そして、この章の最後で、著者は「死は、最高次の生であり、永遠のかがやきである」と述べるのでした。

 

「心を鍛える」の章では、「芸術は心のふるさと」として、「芸術の境地こそ、実は私どもの心のふるさとなのです、心の本体なのです、親もとなのです、生れ故郷なのです。その心の故郷、美の世界――芸術境――は、みな共通なので、1つなのです。そして、そこに多少は往ったりきたりしているのです」と述べられています。 

 

幸せになる法則―正しく生きる人が幸福をつかむ

幸せになる法則―正しく生きる人が幸福をつかむ

 

 

2019年10月28日 一条真也

『「成功」と「失敗」の法則』

活学新書 「成功」と「失敗」の法則 (活学新書 1)

 

一条真也です。
26日、東京から北九州に戻りました。
『「成功」と「失敗」の法則』稲盛和夫著(致知出版社)を再読しました。日本が誇る哲人経営者の名著です。現代において、わたしが最も尊敬する経営者こそ稲盛和夫氏です。

 

著者は昭和7年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。34年、京都セラミック株式会社(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、平成9年より名誉会長。昭和59年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任、平成13年より最高顧問。22年には日本航空会長に就任し、代表取締役会長を経て、25年より名誉会長。昭和59年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰しています。また、若手経営者のための経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注がれました。


本書の帯

 

本書の帯には著者の顔写真とともに「稲盛哲学のエッセンスをポケットに!!」「素晴らしい人生を送るための原理原則」と書かれています。
また帯の裏には「人生における『真の成功』とは、この世に生まれたときより、少しでも美しく善い人間となれるよう、その魂を高め、浄め、磨き上げていくことにあると、私は信じている」という著者の言葉が紹介されています。
さらにカバー前そでには、「仕事にも人生にも法則がある。その法則にのっとった人間は成功し、外れた人間は失敗する」と書かれています。


本書の帯の裏

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「『「成功」と「失敗」の法則』は弊社から平成20年に出版され、11万部を超えるベストセラーになっている。経営破綻したJALの再建に稲盛氏が当たるのはその直後のことだが、人生と経営の基を成す不変の哲理はここでも貫かれ、同社を僅か2年8か月で再生へと導いた。本書は『素晴らしい人生を送るための原理原則』をテーマに綴られたものだが、 より多くの人に繰り返し読んでいただこうと、このたび新書判として発刊することとなった。
稲盛氏は27歳で京セラを創業し、KDDIの起業にも成功し、常勝経営を続けてきた。その間、数々の試練に遭いながらも、誠を尽くし、誰にも負けない努力を重ねてきた。その稲盛氏が言う『成功』とは、高名を馳せ、財を成すようなことではない。
『「真の成功」とは、この世に生まれたときより、少しでも美しく善い人間になれるよう、その魂を高め、浄め、磨き上げていくことだ』
稲盛哲学のエッセンスに満ちた本書をぜひお手元に置いていただき、繰り返しひもといていただきたい」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
第一章●人生の目的
          試練を通じて人は成長する
          心が決める地獄・極楽
          なぜ哲学が必要なのか
          今日よりよき明日のために
第二章●思いの力
          善き思いをベースとして生きる
          動機善なりや、私心なかりしか
          幸福は心のレベルで決まる
          人生とは心の反映である
第三章●自らを慎む
          才能を私物化してはならない
          誠を尽くし、誰にも負けない努力を続ける
          豊かさとは「足るを知る」こと
          反省ある日々を送る
第四章●道をひらくもの
         働くことの大切さ
         ひたむきに打ち込む
         人間としての正しい生き方
         徳に基づき、組織を治める
        「知恵の蔵」をひらく
「あとがき」
「初出一覧」

 

第一章「人生の目的」の「試練を通じて人は成長する」では、「成長の分岐点」として、著者はこう述べています。

 

人生を終えるときに、立派な人格者になった人もいれば、そうでない人もいます。その違いは、人生を歩む中で、自らを磨き人格を高めることができたかどうか、ということにあると私は考えています。

 

私は「試練」を経験することが、人間を大きく成長させてくれるチャンスになると考えています。実際、偉大なことを成し遂げた人で、試練に遭ったことがないという人はいません。

 

「試練をどう受け止めるか」として、著者は述べます。

 

私は、その「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと考えています。人間にとって、成功さえも試練なのです。

 

成功した結果、地位に驕り、名声に酔い、財に溺れ、努力を怠るようになっていくのか、それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その後の人生は、天と地ほどに変わってしまうのです。つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試しているのです。

 

苦難に対しては真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。また成功に対しては謙虚にして驕らず、さらに真摯に努力を重ねる。そのように日々たゆまぬ研鑽に励むことによってのみ、人間は大きく成長していくことができるのです。

 

「なぜ哲学が必要なのか」では、「道を誤らぬための羅針盤」として、著者は次のように述べています。

 

才覚が人並みはずれたものであればあるほど、それを正しい方向に導く羅針盤が必要となります。その指針となるものが、理念や思想であり、また哲学なのです。そういった哲学が不足し、人格が未熟であれば、いくら才に恵まれていても、せっかくの高い能力を正しい方向に活かしていくことができず、道を誤ってしまいます。これは企業リーダーに限ったことでなく、私たちの人生にも共通して言えることです。

 

この人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれながらに持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、私たちの人格は陶冶されていくわけです。

 

「人間として正しいかどうか」として、著者は述べます。


どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。

 

嘘をついてはいけない
人に迷惑をかけてはいけない
正直であれ
欲張ってはならない
自分のことばかりを考えてはならない

 

「今日よりよき日のために」では、「人生でただ一つ滅びないもの」として、著者は以下のように述べます。

 

私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。その根本的な問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。

 

死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。だから、「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。

 

「試練は魂を磨く絶好の機会」として、著者は述べます。

 

様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦まず弛まず一所懸命に生きていく。その日々を磨砂として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。

 

試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人、さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人――そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。

 

第二章「思いの力」の「善き思いをベースとして生きる」では、「善き思いは善き結果をもたらす」として、著者は「素晴らしい人生を送るためには、『心に抱く思いによって人生が決まる』という『真理』に気づくことが大切です」と述べています。さらに著者は以下のように述べます。

 

なぜ善き思いを抱けば、善き結果を得ることができるのでしょうか。それは、この宇宙が、善き思いに満ちているからです。宇宙を満たす善き思いとは、生きとし生けるものすべてを生かそうとする、優しい思いやりにあふれた思いです。私たちが、この優しい思いやりに満ちた思いを抱けば、愛に満ちた宇宙の意志と同調し、必ず同じものが返ってくるのです。

 

「動機善なりや、私心なかりしか」では、「少年院からの感想文」として、著者は以下のように述べています。

 

「他に善かれかし」と願う、美しい「思い」には、周囲はもちろん天も味方し、成功へと導かれる。一方、いくら知性を駆使し、策を弄しても、自分だけよければいいという低次元の「思い」がベースにあるなら、周囲の協力や天の助けも得られず、様々な障害に遭遇し、挫折してしまうのです。

 

「幸福は心のレベルで決まる」では、「勤勉、感謝、反省の大切さ」として、著者は以下のように述べます。

 

仏の教えに、「足るを知る」ということがあるように、膨れあがる欲望を満たそうとしている限り、幸福感は得られません。反省ある日々を送ることで、際限のない欲望を抑制し、いまあることに「感謝」し、「誠実」に努力を重ねていく――そのような生き方の中でこそ、幸せを感じられるのだと思います。

 

幸福になれるかどうか、それは心のレベルで決まる――つまり私たちがどれだけ利己的な欲望を抑え、他の人に善かれかしと願う「利他」の心を持てるかどうか、このことこそが幸福の鍵となるということを、私は自らの人生から学び、確信しています。

 

「人生とは心の反映である」では、「なぜ成功が長続きしないのか」として、著者は以下のように述べています。

 

私は、この宇宙には、すべての生きとし生けるものを、善き方向に活かそうとする「宇宙の意志」が流れていると考えています。その善き方向に心を向けて、ただひたむきに努力を重ねていけば、必ず素晴らしい未来へと導かれていくようになっていると思うのです。

 

第三章「自らを慎む」の「誠を尽くし、誰にも負けない努力を続ける」では、「成功に特別な方法はない」として、著者は以下のように述べています。

 

人間は弱いもので、困難に遭遇するとそれに正面から挑戦することなく、すぐに言い訳を考え、逃げ出そうとしてしまいます。しかし、それでは決して成功することはできません。どのような厳しい状況にあっても、それを正面から受け止め、誠を尽くし、誰にも負けない努力を続けることが、困難に打ち克ち、成功するためには必要なのです。

 

「豊かさとは『足るを知る』こと」では、「利己から利他へ」として、著者は以下のように述べます。

 

結局、豊かさというものは「足るを知る人」しか実感できないものであり、「足るを知る」という精神構造があってはじめて実感できるものなのです。日本人がまだ豊かさを実感できないとすれば、それは貧弱な精神に由来するとしか思えないのです。

 

日本の社会をより素晴らしいものにしようとするのであれば、まず日本人の心を浄化することから始めなければなりません。利己にとらわれない正しい判断基準、価値観を持つことができるようになってはじめて、私たちは「足るを知る」ことができ、心から「豊かさ」を実感することができるようになるのです。

 

「反省ある日々を送る」では、「利己的な心を浄化する」として、著者は以下のように述べています。

 

仏教で、「一人ひとりに仏が宿っている」と教えるように、人間の本性とはもともと美しいものです。「愛と誠と調和」に満ち、また「真・善・美」、あるいは「良心」という言葉で表すことができるような、崇高なものであるはずです。人間は「反省」をすることで、この本来持っている、美しい心を開花させることができるのです。

 

第四章「道をひらくもの」の「働くことの大切さ」では、「与えられた仕事を天職と考える」として、著者は以下のように述べます。

 

一所懸命に働くことが、人生を素晴らしいものに導いてくれたのです。働くことは、まさに人生の試練や逆境さえも克服することができる「万病に効く薬」のようなものです。誰にも負けない努力を重ね、夢中になって働くことで、運命も大きく開けていくのです。

 

「人間としての正しい生き方」では、「人間として正しいことを追求する」として、以下のように述べています。

 

「人間として正しいことを追求する」ということは、どのような状況に置かれようと、公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるものを最も大切な価値観として尊重し、それに基づき行動しようというものです。

 

「特に基づき、組織を治める」では、「経営はトップの器で決まる」として、著者は以下のように述べています。

 

企業経営とは永遠に繁栄を目指すものでなければならず、それには「徳」に基づく経営を進めるしか方法はないのです。実際に、経営者の人格が高まるにつれ、企業は成長発展していきます。私はそれを、「経営はトップの器で決まる」と表現しています。会社を立派にしていこうと思っても、「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」というように、経営者の人間性、いわば人としての器の大きさにしか企業はならないものなのです。

 

「『知恵の蔵』をひらく」では、「創造力の源」として、著者は以下のように述べています。

 

汲めども尽きない「叡知の井戸」、それは宇宙、または神が蔵している普遍の真理のようなもので、その叡知を授けられたことで、人類は技術を進歩させ、文明を発達させることができた。私自身もまた、必死になって研究に打ち込んでいるときに、その叡知の一端に触れることで、画期的な新材料や新製品を世に送り出すことができた――そのように思えてならないのです。

 

美しい心を持ち、夢を抱き、懸命に誰にも負けない努力を重ねている人に、神はあたかも行く先を照らす松明を与えるかのように、「知恵の蔵」から一筋の光明を授けてくれるのではないでしょうか。

 

最後に、「あとがき」の冒頭を、著者は以下のように書き出しています。

 

人生における「真の成功」とは、この世に生まれたときより、少しでも美しく善い人間となれるよう、その魂を高め、浄め、磨き上げていくことにあると、私は信じている。

 

本書は、1996年から2007年にかけて断続的に、月刊誌「致知」に寄稿した、著者の巻頭言を再構築したものです。人生と経営について考える、すべての人に本書を読んでほしいと思います。わたしは、第2回「孔子文化賞」を著者と同時受賞させていただきました。このことは、わが生涯における最良の出来事の1つでした。

 

 

2019年10月27日 一条真也

「ボーダー 二つの世界」

一条真也です。
東京に来ています。25日は台風19号以来最大の大雨で全身ビショ濡れになりました。傘を差していても濡れる嫌な雨です。同日の午前中、西新橋で一般財団法人・冠婚葬祭文化振興財団の社会貢献基金委員会の会議に出席しました。会議終了後は、全互協の山下会長(117社長)、広報渉外委員会の志賀委員長(セレモニー社長)と3人で新橋で蕎麦を食べながらのランチ・ミーティング。その後、出版関係の打ち合わせなどをして、夜は「出版寅さん」こと内海準二さんと一緒に、ヒューマントラストシネマ有楽町で映画「ボーダー 二つの世界」を観ました。奇妙な味わいの映画でした。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第71回カンヌ国際映画祭『ある視点部門』でグランプリを受賞したミステリー。驚異的な嗅覚を持つ孤独な女性が、生活が一変する事件に巻き込まれる。監督のアリ・アッバシが、『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの著作を基にして、リンドクヴィストと共に脚本を手掛けた。出演はエヴァ・メランデル、エーロ・ミロノフら」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「違法なものを持つ人をかぎ分けることができる税関職員のティーナ(エヴァ・メランデル)は、ある日、勤務中に風変わりな旅行者のヴォーレと出会う。彼を見て本能的に何かを感じたティーナは、後日自宅に招いて離れを宿泊先として貸し出す。ティーナはヴォーレのことを徐々に好きになるが、彼はティーナの出生の秘密に関わっていた」



この映画、ジャンル分けがじつに難しいです。
ホラー、ファンタジー、スリラー、ミステリー、SFのようでもありながら、厳密には違います。かといってヒューマンドラマかというと、まったく違います。ネタバレ覚悟で書くと、ティーナもヴォーレも人間ではないのですから・・・・・・。内容は一言で表現すると「みにくいアヒルの子」の現代版なのですが、ともかく「奇妙な味の映画」とでも言うしかありません。わたしは基本的に映画のスクリーンでは美男美女を堪能したいほうなので、その意味では主人公がフリーキッシュな風貌をしたこの映画はまったくダメでした。でも、外見的にはけっして美しいとは言えない男女が織りなすドラマには超弩級の迫力がありました。



この映画は「トロル」の伝説に基づいています。
トロルとは北欧神話や民話に出てくる精霊です。山、湖、川などに住み、巨大で醜怪な姿をしているが,小さく姿を変えることもできるといいます。Wikipedia「トロル」の「概要」には、こう書かれています。
「北欧ではトロルド、トロールド、トラウ、トゥローと呼ばれる。当初は悪意に満ちた毛むくじゃらの巨人として描かれ、それがやがて小さい身長として描かれている。変身能力があるのでどんな姿でも変身できる。どのような存在であるかについては様々な描写があり、一定しない。ただし、鼻や耳が大きく醜いものとして描かれることが多い。(中略) 一般的なトロルについてのイメージは、巨大な体躯、かつ怪力で、深い傷を負っても体組織が再生出来、切られた腕を繋ぎ治せる。醜悪な容姿を持ち、あまり知能は高くない。凶暴、もしくは粗暴で大雑把、というものである」


トロルは、J・R・Rトールキンの『ホビットの冒険』では、初代冥王の被造物として登場します。「ロード・オブ・ザ・リング」として映画化された続編の『指輪物語』では、冥王サウロンによって生み出された凶暴な上位種『オログ=ハイ』が登場。その身を巨大な剣や鎧で武装しており、知能、戦闘能力も向上します。また太陽光を浴びても石化しません。サウロン配下の中でも単純な近接戦闘においては無類の強さをみせ、兵士というより洗脳された生物兵器として運用され、前線突破や城壁破壊などに投入されました。「1つの指輪」が破壊され力の源泉たるサウロンが滅びると、共に滅びました。さらには、J・K・ローリングの『ハリー・ポッターシリーズ』でも、トロルは巨漢の一種族として登場し、悪臭を放つとされます。



トロルといえば、ヨーロッパでは「取り替え子」の伝説が有名です。自分の子供が、トロルによって醜い子供に取り替えられるというヨーロッパの伝承ですが、このテーマで作られたハリウッド映画が「チェンジリング」(2008年)です。クリント・イーストウッドアンジェリーナ・ジョリーを主演に迎え、1920年代のロサンゼルスで実際に発生したゴードン・ノースコット事件の被害者家族の実話を元に映画化されました。いるはずの人間がいなくなる恐怖というのは「実存的恐怖」そのものであり、人が亡くなっても葬儀を挙げないことにも通じると思うのですが、とにかく怖い映画でした。


「ボーダー 二つの世界」は本当に奇妙な映画でレビューが書きにくいのですが、一言でいうと「大人のおとぎ話」です。「大人のおとぎ話」といえば、「スウェーデンスティーヴン・キング」と呼ばれている同じ原作者の映画「ぼくのエリ 200歳の少女」(2010年)もそうでした。孤独な少年がバンパイアと初めての恋に落ち、戸惑いながらもその現実を受け入れていく過程を詩情豊かに綴ります。カーレ・ヘーデブラントとリーナ・レアンデションという無名の子役たちが主役を演じましたが、彼らのピュアな魅力が光りました。残酷ではかなくも美しい愛の物語に魅了されました。

 

また、この映画はヒューマントラストシネマ有楽町の最後列の右端の席で鑑賞したのですが、ブログ「A  GHOST  STORY/ア・ゴースト・ストーリー」で紹介した映画のときも同じ劇場の同じ席でした。この映画は、斬新ながらもどこか懐かしさを感じさせるシーツ姿のゴーストが主人公の物語です。これまでありそうでなかった、ゴーストの視点から見た「死後の世界」が描かれています。自分のいなくなった世界で、残された妻を見守り続ける、ひとりの男の切なくも美しい物語なのですが、これも「大人のおとぎ話」と言えるかもしれません。



吸血鬼や幽霊も、人間ならざる者という意味で「異人」ですが、「ボーダー 二つの世界」に登場するティーナとヴォーレはまさしく異人でした。映画で明かされた彼らの種族は現実を超越したものですが、わたしは「ユダヤ人」であり、「在日」であり、はたまた日本の江戸時代に生まれた被差別民の人々のことを連想しました。優れた物語というのは、観る者の心象にあわせて変幻自在のところがありますが、この映画もそうだと思いました。映画館を出たとき、呆然とした表情の内海さんが「いやあ、こんな映画、初めて観た。すごくショックを受けた」とつぶやいているのが印象的でした。内海さん、別れ際は放心状態のように見えましたが、無事に帰宅できましたか?

 

2019年10月26日 一条真也

『心。』

心。

 

一条真也です。
10月25日になりました。
今日は、次女の20歳の誕生日です。ついこの前生まれたばかりと思っていたのに、もうハタチになったとは驚きです。心から「おめでとう!」と言いたいです。
『心。』稲盛和夫著(サンマーク出版)を読みました。
「人生を意のままにする力」というサブタイトルがついています。著者は1932年、鹿児島生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミック株式会社(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。また、84年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。10年には日本航空会長に就任。代表取締役会長、名誉会長を経て、15年より名誉顧問。1984年には稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰しています。著書多数。

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本書の帯

本書の帯には「すべては〝心〟に始まり、〝心〟に終わる。」と大書され、「当代随一の経営者がたどりついた、究極の地平。」「ミリオンセラー『生き方』続編!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「よりよき人生を送るための、究極の極意。」として、こう書かれています。
「人の心のもっとも深いところにある『真我』にまで到達すると、万物の根源ともいえる宇宙の心と同じところに行き着く。したがって、そこから発した『利他の心』は現実を変える力を有し、おのずとラッキーな出来事を呼び込み、成功へと導かれるのです。――プロローグより――」

 

カバー前そでには、以下のように書かれています。
「人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。それらはまるで映写機がスクリーンに映像を映し出すように、心が描いたものを忠実に再現しています」

 

また、アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「京セラとKDDIという2つの世界的大企業を立ち上げ、JAL(日本航空)を〝奇跡の再生〟へと導いた、当代随一の経営者がたどりついた、究極の地平とは? これまで歩んできた80余年の人生を振り返り、また半世紀を超える経営者としての経験を通じて、著者がいま伝えたいメッセージ――それは、『心がすべてを決めている』ということ。人生で起こってくるあらゆる出来事は自らの心が引き寄せたものであり、すべては心が描いたものの反映である。それを著者は、この世を動かす絶対法則だという。だから、どんな心で生きるか、心に何を抱くかが、人生を大きく変えていく。それは人生に幸せをもたらす鍵であるとともに、物事を成功へと導く極意でもあるという。つねに経営の第一線を歩きつづけた著者が、心のありようと、人としてのあるべき姿を語り尽くした決定版。よりよい生き方を希求するすべての人たちに送る、『稲盛哲学』の到達点」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

プロローグ

第1章 人生の礎を築く。

第2章 善なる動機をもつ。

第3章 強き心で成し遂げる。

第4章 正しきを貫く。

第5章 美しき心根を育てる。 

 

プロローグの冒頭を、著者は「人生のすべては自分の心が映し出す」として、以下のように書きだしています。
「これまで歩んできた80余年の人生を振り返るとき、そして半世紀を超える経営者としての歩みを思い返すとき、いま多くの人たちに伝え、残していきたいのは、おおむね1つのことしかありません。それは、『心がすべてを決めている』ということです」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。それらはまるで映写機がスクリーンに映像を映し出すように、心が描いたものを忠実に再現しています。それは、この世を動かしている絶対法則であり、あらゆることに例外なく働く真理なのです。したがって、心に何を描くのか。どんな思いをもち、どんな姿勢で生きるのか。それこそが、人生を決めるもっとも大切なファクターとなる。これは机上の精神論でもなければ、単なる人生訓でもありません。心が現実をつくり、動かしていくのです」

 

生き方

生き方

 

 

また、「善なる動機をもてば、成功へと導かれる」として、著者はこう述べています。
「人がもちうる、もっとも崇高で美しい心――それは、他者を思いやるやさしい心、ときに自らを犠牲にしても他のために尽くそうと願う心です。そんな心のありようを、仏教の言葉で『利他』といいます。利他の動機として始めた行為は、そうでないものより成功する確率が高く、ときに予想をはるかに超えためざましい成果を生み出してくれます。事業を興すときでも、新しい仕事に携わるときでも、私は、それが人のためになるか、他を利するものであるかをまず考えます。そして、たしかに利他に基づいた『善なる動機』から発していると確信できたことは、かならずやよい結果へと導くことができたのです」

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さらに、「燃える闘魂もまた、『善なる動機』から生まれる」として、著者は以下のように述べます。
日本航空の会長に就任した際、私はすべての従業員に向けて、次のような言葉を紹介しました。
――新しき計画の成就は、ただ不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に――
これはインドでヨガの修行をして悟りをひらき、日本でその思想と実践に基づく生き方を伝えた哲人・中村天風の言葉で、かつて成長を続けていた京セラにおいて掲げたスローガンでもあります。私はこの言葉をあらためて、日本航空の全社員に向けて紹介したのです」



この中でも大切なのは、「気高く」という言葉であるとして、著者は述べます。
「美しい気高い心を根幹にもっているからこそ、ひたすらに強く揺るぎのない『思い』をもつことができる。何が何でも成し遂げるという強烈な思い、どんな苦境にも負けずに進もうという揺るぎない意志が、事を貫徹するためには必要です。そういう思いのもと、かかわる人たちが一丸となって最大限の努力をなしたときに、事は成就する」
その根幹となるのも、美しき利他の思いなのだといいます。

 

そして著者は、「人生の目的は心を磨き、他に尽くすこと」として、こう述べます。
「人生の目的とは、まず1つに心を高めること。いいかえれば魂を磨くことにほかなりません。ともすると私たちは、富を手に入れたり、地位や名誉を求めたりすることに執着し、日々自らの欲得を満たすために奔走してしまいがちです。しかし、そうしたことは人生のゴールでもなければ目標でもありません。生涯の体験を通して、生まれたときよりもいくばくかでも魂が美しくなったか、わずかなりとも人間性が高まったか。そのことのほうが、はるかに大切なのです」

 

続けて、著者は以下のように述べるのでした。
「そのためには、日々の仕事に真摯に取り組み、懸命に努力を重ねること。それによって心はおのずと研鑽され、人格は高められて、より立派な魂へと成長を遂げる。まずはそのことに私たちが生きる意味があります。そしてもう1つ、人生の目的をあげるとすれば、人のため、世の中のために尽くすこと。すなわち『利他の心』で生きることです」

 

第2章「善なる動機をもつ。」では、「利他という土台の上にこそ、成功という家が建つ」として、著者は以下のように述べています。
ベンチャー企業の創業者のなかには、自らが財産を築きたい、名声を得たいという思いから事業をスタートさせる人も多いでしょう。しかし、経営をするときの『エンジン』となるものが経営者の私利私欲、功名心や名誉心のみにとどまっていたら、一時はうまくいっても、永続的に会社を発展させつづけることはできません」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「動機とは、いわば物事を進めるときの『土台』ともいうべきもので、揺るぎない強固な土台があれば、そこには立派な建物を建てることができる。一方、貧弱な土台にはいくら豪奢な家を建てようとしてもかなわないように、動機が不純なものであれば、何事もうまくいきません」

 

鹿児島出身の著者は、郷里の英雄である西郷隆盛を深く敬愛し、西郷の「敬天愛人」という言葉を座右の銘にしていることで知られますが、本書でも西郷のエピソードを紹介しています。「欲を減らし、思いやりを礎にした文明を築く」として、以下のように述べています。
西郷隆盛が藩主の怒りを買って南海の小島に流刑され、その島で子どもらに学問を教えていたとき、一人の子が『一家が仲睦まじく暮らすにはどうしたらいいか』と質問した。西郷はその問いに対してこう答えたといいます。『みながそれぞれ、少しずつ欲を減らすことだ』」

 

著者は、この西郷の言葉について、「おいしいものがあれば、独り占めするのではなく、みなでいただく。楽しいことがあれば、みなでその楽しみを共有する。悲しいことがあったならば、みなで悲しんで慰め合い、支え合う。仲睦まじい家庭をつくるには、このひと言がわかっていないとできません」と説明しています。

 

著者は、同じく西郷が「おのれを愛するは善からぬことの第一なり」という言葉で、自己愛を強く戒めてもいることを紹介します。この言葉については、「人間の過ち、驕りや高ぶり、事の不成功、みんな自分を愛する心が生み出す弊害である。自己愛、私心、利己といった、おのれへのこだわりこそが人間の欲望の正体であり、したがって、その欲望を減らしたぶんだけ心から自我が削られ、代わりに真我の領分が広がってくるのです」と説明しています。

 

第5章「強気心根を育てる」では、「どんなときでも、心の手入れを怠らない」として、著者は「運命とは、その人の性格の中にある」という芥川龍之介が次のような言葉を紹介します。また、文芸評論家の小林秀雄の「人の性格に合ったような事件にしかでくわさない」も紹介し、「人格が変われば、心に抱く思いも変わってくる。すると、その思いが生み出す出来事も、自然に変わってくるのです」と説明しています。

 

成功の実現

成功の実現

 

 

「人生を拓く心のあり方を説いた哲人」として、著者は以下のように述べています。
「心こそが人生をつくるもっとも大切なファクターであるということを教えてくれた『師』の1人に、中村天風という方がいます。師とはいっても、実際にお目にかかったことはありません。おもに書物を読み解きながら、また生前に親交のあった方々を通して、いわば私淑しながらその思想を学び、糧としてきたのです」

 

盛大な人生

盛大な人生

 

 

その天風の哲学について、著者はこう述べています。
「心次第で人生は限りなく拓けていく、というのが天風の教えでした。宇宙はどんな人にでも、すばらしい人生が拓けることを保障している。だから、いまどんな境遇にあろうとも、心を明るく保ち、暗い気持ちをもったりマイナスな言葉を口にすることなく、すばらしい未来が訪れることを信じることだといいます」

 

心に成功の炎を

心に成功の炎を

 

 

天風の師は、西郷隆盛の弟子で玄洋社創立者であった頭山満でした。この師弟の信じられないようなエピソードを著者は紹介しています。
「イタリアから有名な猛獣使いが来日したときのこと。当時天風の面倒を見ていた頭山満にひと目会いたいと訪ねてきたそうです。猛獣使いは頭山満の顔をひと目見ると『この人は猛獣の檻に入っても何事もない』という。そして同席していた天風のほうを見やると、『ああ、この人も大丈夫だ』といったといいます。そしてまだ訓練もしていない虎が3頭入った檻の前に来ると、頭山が天風に向かって『おまえ、檻の中に入ってみろ』といった。天風が檻の中に入っても、3頭の虎は立っている彼を取り囲んでおとなしくうずくまっていたそうです」

 

「それほどまでの奇跡的な話ではありませんが」と断った上で、著者は自身が周囲の人にいつも驚かされることの1つに「天気」があるとして、以下のように述べています。「私が仕事で地方や外国に行くとき、たいていは晴天に恵まれるのです。仕事の所用で海外に赴くと、私が着く寸前まで荒天だったのが一転して雲ひとつない青空になる。私が滞在している数日間はよい天気に恵まれ、私が空港から飛行機に乗り込んでその地を発つと、そのとたんに暗雲がたちこめ、にわかに雪が降り出す。その類いのことが、これまでに幾度となくありました」
天皇晴れ」という言葉を連想するような不思議なエピソードですね。

 

続けて、著者は以下のようにも述べています。
「私のまわりにいる人たちはたびたびこのような出来事があるので、すっかり慣れて当たり前のように思われていて、私はよく『太陽を背負って歩いている』などといわれたものです。ただ、この『魔法』は仕事のときに限って効くようで、旅行やゴルフのようなプライベートのときは、からきし効果がないのです。また、同じような例で、私が乗り込んだ車は、どんなに道路が混んでいるときでも、不思議と渋滞に巻き込まれず、すいすいと目的地まで到着する。そんなことも多々あります」

 

じつは、わたしも「晴れ男」と呼ばれ続けていることを告白しておきます。わたしが関わる会社や業界の行事のときは、どんなに雨が降っていても、わたしが現地入りするとピタリと雨が止むのです。著者とわたしは2012年に「孔子文化賞」を受賞していますが、じつは孔子が追求した「礼」の力は天気をコントロールする力でもありました。というのも、孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。なぜなら、雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げることだからです。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じなのです。

 

さらに、「すべては心に始まり、心に終わる」として、著者は述べます。
「人生は心のありようですべてが決まっていきます。それは実に明確で厳然とした宇宙の法則です。どんな人であっても、与えられているのはいまこの瞬間という時間しかありません。そのいまをどんな心で生きるかが人生を決めていきます。幸運が訪れることもあるし、逆境に沈まざるをえないこともあるのが人生で、すべては自然がもたらしてくれたものです。ですから、いまどんなにつらい境遇にあるとしても、それにめげることなく、気負うこともなく、ただ前向きに歩んでいってほしいのです」

 

続けて、著者は最後にこう述べるのでした。
「そう考えれば、人生とは実にシンプルなものといえます。利他の心をベースに、日々の生活の中で、できうるかぎりの努力を重ねていく。そうすればかならずや運命は好転し、幸福な人生が訪れます。そして、いかなるときも自分の心を美しく、純粋なものに保っておくということが大切です。それこそが自分の可能性を大きく花開かせる秘訣であり、幸福な人生への扉を開く鍵なのです」

 

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

 

 

本書は著者の思索の集大成とでもいうべき内容ですが、正直、経営者が書いた本というよりも、宗教家が書いた本のようです。同じ版元から刊行されているジェームズ・アレンの著書『「原因」と「結果」の法則』が何度も引用されていますし、本書はいわゆる「引き寄せの法則」を説いた本であるとも言えます。拙著『法則の法則』(三五館)で詳しく述べたように、「引き寄せの法則」とはニュートンが発見した「万有引力の法則」の精神版で、「思考は現実化する」という考え方です。もともとはアメリカの宗教思想である「ニューソート」から生まれ、日本では「生長の家」などに受け継がれました。

 

法則の法則: 成功は「引き寄せ」られるか

法則の法則: 成功は「引き寄せ」られるか

 

 

それにしても、ここまでスピリチュアルな内容をストレートに書けるのは、現実のビジネスの世界で圧倒的な成功を収めた著者にしか許されない特権であると思いました。他の経営者、たとえばわたしのような小僧が本書のような本を書いても、「この著者は宗教がかっているな」と思われて終わりでしょう。さすがに著者はすごいというか、「稲盛和夫の前に稲盛和夫なく、稲盛和夫の後に稲盛和夫なし」といった印象です。そんな偉大な哲人経営者である著者と「孔子文化賞」を同時受賞させていただいたことは、わが人生でも最高の名誉な出来事でした。

f:id:shins2m:20150913092205j:plain著者と名刺交換させていただきました

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今夜、孔健会長と再会しました

 

ちょうど今夜、わたしは本書の書評ブログをUPしようと思っていたのですが、稲盛氏と同時受賞させていただいた「孔子文化賞」を認定する一般社団法人・世界孔子好協会の孔健会長とバッタリ再会して驚きました。ブログ「孔健会長に再会しました!」にも書きましたが、シンクロ二シティというか、不思議なご縁を感じました。これも「心」のなせる作用なのでしょうか?

 

心。

心。

 

 

2019年10月25日 一条真也