「リメンバー・フェス」という矢 

一条真也です。          
18日、朝粥会の後は、同じく松柏園ホテルのメインバンケット「グラン・フローラ」で恒例の「天道塾」が開催されました。この日も佐久間会長が欠席でしたので、最初にわたしが登壇して開塾の挨拶をしました。

最初は、もちろん一同礼!

天道塾のようす

 

そのまま、わたしが講話もしました。冒頭、「今年の夏は本当に暑かった。北九州もですが、金沢も暑かった。中津も暑かった。ヒートアイランドの東京は殺人的な暑さでした。わたしは熱中症にならないように、ボルサリーノのハットを被って各地を歩きました。でも、今年より来年はもっと暑いし、もっと大雨が降ると思った方がいいです。地球温暖化とは、そういうことです」と言いました。


わたしが講話を行いました

 

そんな暑い夏を過ごす中で、非常に驚いた出来事がありました。わが社の社歌を作って下さった京都大学名誉教授の鎌田東二先生が、クマに襲われた女性を救ったというニュースです。11日、比叡山にクマが出没し、トレイルランナーの女性が怪我をしました。その場面に鎌田先生が遭遇されたというのです。この一報に接したとき、わたしは飛び上がるほど驚きました。だって、鎌田先生はステージ4のガン患者なのです。信じられませんでした。


比叡山のクマ出没について

 

比叡山にクマが出没したのは20年ぶりとのことですが、鎌田先生は「地球温暖化の影響で、台風のかたちも変わり、生態系にも大きな、そして、微妙な変化が起きています。いっそうの注意と覚悟が必要です」とメールに書かれていました。それにしても、ステージ4のガン患者でありながら、女性の悲鳴を聴いて谷を3つも越えて駆け付けた鎌田先生はまさに「超人」だと思います。また、クマに襲われるという極限の恐怖体験をした女性に対しての優しい語り口は、まさに「ケアの達人」だと感服いたしました。

8月は死者を想う月

 

続いて、わたしは「8月は、日本全体が亡くなった人々を思い出す『死者を想う月』です。6日の『広島原爆の日』、9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山の『日航機墜落事故の日』、そして15日の『終戦の日』、3日置きに日本人にとって忘れてはならない日が訪れます。15日6時24分、妻の義兄が亡くなりました。総合商社を退職して起業され、軌道に乗った矢先のことでした。志半ばにして世を去る故人の無念を思うと、胸が痛みます。心よりご冥福をお祈りいたします。ただ、『終戦の日』に亡くなられたことは、ご家族だけでなく、親戚、友人、仕事仲間をはじめすべての縁者の記憶に残り、故人の命日を絶対に忘れないとも思いました」と述べました。


高校の同窓会について

 

それから、わたしは以下のように話しました。
妻の義兄は、学年はわたしよりも1つ上ですが、まだ誕生日を迎える前で享年60歳でした。「今の自分がこのままこの世から去ったとしたら」と思うと、いろいろと考えさせられます。わたしはいつも「今日は、残りの人生の最初の1日」と思って生きていますが、「今日が人生最後の1日」になるかもしれないのです。それは、ここにおられるみなさんも同じです。お盆休みの初日、ここ松柏園で小倉高校の同窓会を開きました。60歳になった同級生がほとんどなので、「還暦同窓会」です。わたしも5月10日に誕生日を迎えました。挨拶の冒頭で、「わたしが今日、赤いジャケットを着ているのは派手好きだからでも頭がおかしいからでもありません。還暦なので魔除けのために着ています」と言いました。

 

また、わたしは「同級生の中には亡くなった人もいます。病と闘っている人もいます。みなさん、よくぞご無事で集まってくれました!」と言いました。それから、「無縁社会などと呼ばれて、血縁や地縁が希薄になっていく嫌な時代ですが、同じ学び舎で同じ時を過ごした者同士の学縁を大切にしたいものですね。と言いました。さらに、わたしは「ここだけの話ですが、こういう同窓会に積極的に来られる方は幸せな人生を歩まれるような気がします。幸せな人しか同窓会には来ないなどとよく言われますが、それは違うと思う。同窓会のような機会を大事にして、人間関係や縁を繋いでいく人が幸せになれるのだと思います」とも言いました。この話は、その後も「素晴らしい言葉だ。その通り!」と何人からも言われました。


供養には意味がある!

 

同窓会は学縁を確認するイベントですが、あらゆる縁の中でも最も重要な血縁を確認するのが「お盆」です。ヤフーニュースでも紹介された拙著『供養には意味がある』(産経新聞出版)にも書きましたが、「盆と正月」という言葉が今でも残っているくらい、「お盆」は過去の日本人にとって楽しい季節の1つでした。1年に1度だけ、亡くなった先祖たちの霊が子孫の家に戻ると考えたからです。日本人は古来、先祖の霊に守られて初めて幸福な生活を送ることができると考えていました。その先祖に対する感謝の気持ちを供養という形で表したものが「お盆」なのです。1年に1度帰ってくる先祖を迎えるために迎え火を焚き、各家庭の仏壇でおもてなしをしてから、送り火によってあの世に帰っていただくという風習は、現在でも盛んです。


なぜ、先祖を供養するのか?


熱心に聴く人びと

 

それでは、なぜ先祖を供養するのかというと、もともと2つの相反する感情からはじまったと思われます。1つは死者の霊魂に対する畏怖の念であり、もう1つは死者に対する追慕の情。やがて2つの感情が1つにまとまっていきます。拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)に詳しく書きましたが、死者の霊魂は死後一定の期間を経過すると、この世におけるケガレが浄化され、「カミ」や「ホトケ」となって子孫を守ってくれる祖霊という存在になります。かくて日本人の歴史の中で、神道の「先祖祭り」は仏教の「お盆」へと継承されました。そこで、生きている自分たちを守ってくれる先祖を供養することは、感謝や報恩の表現と理解されてくるわけです。


お盆行事を続けていくためには?

 

ところで、わが社の本業は冠婚葬祭互助会です。毎年、お盆の時期には盛大に「お盆フェア」などを開催して、故人を供養することの大切さを訴えています。しかしながら、小さなお葬式、家族葬直葬、0葬といったように葬儀や供養に重きを置かず、ひたすら薄葬化の流れが加速している日本にあって、お盆という年中行事が今後もずっと続いていくかどうかは不安を感じることもあります。特に、Z世代をはじめとした若い人たちは、お盆をどのように理解しているかもわかりません。決定版 年中行事入門』(PHP研究所)にも書いたように、お盆をはじめとした年中行事は日本人の「こころの備忘録」であり、そこにはきわめて大切な意味があります。

 サンレー互助会のシネパンについて

 

そんな折、ブログ「互助会シネマパンフレット大好評!」で紹介したように、わが社は冠婚葬祭互助会のパンフレットをシネコンに設置していますが、大変好評です。表紙である外側右ページには、ディズニー=ピクサー風のイラストが描かれ、「喜びにも哀しみにも寄り添う、人生の伴走者でありたい。Sun  Ray  Aid  Society サンレー互助会」のタイトルが書かれています。このパンフレットを見た出版プロデューサーの内海準二さんは、「デザイン力、ありますね。まさにファンタジー。祭りをフェスというように、お盆も何かアップデートしてください」とのメッセージをLINEに送ってきてくれました。


お盆を「リメンバー・フェス」と呼ぼう!

 

内海さんのメッセージを見て、ひらめいたことがありました。ブログ「ディズニー&サンレー」で紹介したように、ある日のシネコンには、わが社の互助会パンフレットの隣に似たようなデザインのチラシが置かれていました。見ると、なんとディズニーのチラシではないですか! 「ディズニー100 フィルム・フェスティバル」のタイトルで8本の名作アニメの名シーンが描かれ、「100年分の夢と魔法を――映画館の大スクリーンで。」と書かれています。子どもの頃から愛してやまなかったディズニーのチラシとサンレーのパンフレットが並んでいるなんて夢のようでした。あるいは、魔法をかけられたようでした。そのとき、わたしの頭の中で「そうだ、お盆を『リメンバー・フェス』と呼ぼう!」という考えがひらめいたのでした。


動画に見入る人びと

 

リメンバー・フェス」は、ブログ「リメンバー・ミー」で紹介したディズニー&ピクサーの2017年のアニメ映画からインスパイアされたネーミングです。リメンバー・ミーは第90回アカデミー賞において、「長編アニメーション賞」と「主題歌賞」の2冠に輝きました。過去の出来事が原因で、家族ともども音楽を禁止されている少年ミゲル。ある日、先祖が家族に会いにくるという「死者の日」に開催される音楽コンテストに出ることを決めます。伝説的ミュージシャンの霊廟に飾られたギターを手にして出場しますが、それを弾いた瞬間にミゲルは死者の国に迷い込んでしまいます。カラフルな「死者の国」も魅力的でしたし、「死」や「死後」というテーマを極上のエンターテインメントに仕上げた大傑作です。

死者を忘れないということ

 

リメンバー・ミー」を観れば、死者を忘れないということが大切であると痛感します。わたしたちは死者とともに生きているのであり、死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。最も身近な死者とは、多くの人にとっては先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書きましたが、わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。


「盆踊り」は死者のため

 

さて、お盆といえば、「盆踊り」の存在を忘れることはできません。日本の夏の風物詩ですが、もともとはお盆の行事の1つとして、ご先祖さまをお迎えするためにはじまったものです。今ではご先祖さまを意識できる格好の行事となっています。昔は、旧暦の7月15日に初盆の供養を目的に、地域によっては催されていきました。盆踊りというものは、生者が踊っている中で、目には見えないけれども死者も一緒に踊っているという考え方もあるようです。照明のない昔は、盆踊りはいつも満月の夜に開かれたといいます。太鼓と「口説き」と呼ばれる唄に合わせて踊るもので、やぐらを中央に据えて、その周りをみんなが踊ります。地域によっては、初盆の家を回って踊るところもありました。太鼓とは死者を楽しませるものでした。わたしの出身地である北九州市小倉では祇園太鼓が夏祭りとして有名ですが、もともと先祖の霊をもてなすためのものです。


太鼓も花火も死者のため

 

さらに、夏の風物詩といえば、大人気なのが花火大会です。そのいわれをご存知でしょうか? たとえば隅田川の花火大会。じつは死者の慰霊と悪霊退散を祈ったものでした。時の将軍吉宗は、1733年、隅田川の水神祭りを催し、そのとき大花火を披露したのだとか。当時、江戸ではコレラが流行、しかも異常気象で全国的に飢饉もあり、多数の死者も出たからです。花火は、死者の御霊を慰めるという意味があったのです。 ゆえに、花火大会は、先祖の供養という意味もあり、お盆の時期に行われるわけです。大輪の花火を見ながら、先祖を懐かしみ、あの世での幸せを祈る。日本人の先祖を愛しむ心は、こんなところにも表れています。つまり、盆踊りも、太鼓も、花火も、死者のためのエンターテインメントだったわけです。


忘れられたとき、死者は本当に死ぬ

 

9月からクラインクインする映画「君の忘れ方」の原案である拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で紹介しましたが、アフリカのある部族では、死者を二通りに分ける風習があるそうです。人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうというのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。映画「リメンバー・ミー」の中でも、同じメッセージが訴えらえました。死者の国では死んでもその人のことを忘れない限り、その人は死者の国で生き続けられますが、誰からも忘れられてしまって繋がりを失ってしまうと、その人は本当の意味で存在することができなくなってしまうというのです。

「世界共通のリメンバー・フェスの日」を夢見て

 

わたしたちは、死者を忘れてはなりません。それは死者へのコンパッションのためだけではなく、わたしたち生者のウェルビーイングのためでもあります。映画「リメンバー・ミー」から発想された「リメンバー・フェス」は、なつかしい亡き家族と再会できる祝祭ですが、都会に住んでいる人が故郷に帰省して亡き祖父母や両親と会い、久しぶりに実家の家族と語り合う祝祭でもあります。そう、それは、あの世とこの世の誰もが参加できる祭りなのです。日本には「お盆」、海外には「死者の日」など先祖や亡き人を想い、供養する習慣がありますが、国や人種や宗教や老若男女といった何にもとらわれない共通の言葉として、わたしは「リメンバー・フェス」という言葉を提案します。将来、ニュースなどで「今日は、世界共通のリメンバー・フェスの日です」などと言われる日を夢見ています。「世界共通隣人祭り」があるなら、「世界共通リメンバー・フェス」があってもいいではありませんか!

「お盆」と「供養」のイメージを変える

 

わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。それを、わたしは「矢を放つ」と表現しています。新しい言葉(思想)とは1本の矢であり、それが放たれることによって、人々の心に刺さっていきます。そして、世の中は確実に変わり始めます。言葉には力があるのです。「ハートフル」も、「ロマンティック・デス」も、「グランドカルチャー」も、「結婚は最高の平和である」も、「死は最大の平等である」も、「有縁社会」も、「修活」も、「悲縁」も、「礼欲」も、すべてわたしが放った心の矢です。そして、今回は「リメンバー・フェス」という矢を放つわけですが、これは「お盆」のイメージをアップデートし、供養の世界を大きく変える予感がします。


「CSHW」とは何か?

 

最近では、「WC」や「GM」とともに、「CSHW」というものを発表しました。WCとは、ウェルビーイング&コンパッション。GMとは、グリーフケア&マインドフルネス。そして、CSHWは、Compassion(思いやり)⇒Smile(笑顔)⇒Happy(幸せ)⇒Well-being(持続的幸福)を意味する「ハートフル・サイクル」のことです。真の思いやりをもったケアやサービスは、必ずお客様を笑顔にしていきます。そして、笑顔となったお客様は当然、幸せな気持ちになります。同時にお客様を笑顔にすることができた社員自身も幸せを享受することができると思います。つまり、コンパッション・ケア、コンパッション・サービスはお客様にも提供者にも笑顔と幸せを広げていくことができるのです。



婚礼においても、ご葬儀においても、セレモニーが終わればすべて終わり。というわけではありません。婚礼においては、夫婦としての幸せな結婚生活が続いていきます。時には、ケンカしたり上手くいかないこともあるでしょう。こうした時に、思い出されるのは、結婚式や披露宴のシーンではないでしょうか。神様の前で愛を誓い、親族をはじめ、たくさんのお友だちや会社の方々に祝福された“あの時”を思い出し、「自分が悪かった。仲直りしよう」とか「あの時の気持ちを思い出して二人でこれからも歩んでいこう」など、お互いに思いやりを持って歩み寄ることができます。そうすれば、きっと仲直りをすることができると思います。こうして、二人の間には持続的幸福が続いていくことでしょう。



一方、ご葬儀においては、「故人を故人らしく、しっかりとお見送りできた」このこと自体が持続的な幸福につながってきます。なぜならば、ご葬儀をすること自体がグリーフケアの側面をもっているからです。加えて、わが社では、グリーフケア士によるご遺族の悲嘆ケアにも注力しています。また、ご遺族の会である「月あかりの会」や、同じ悲嘆をもつ自助グループ「うさぎの会」など様々な角度から、持続的な心の安定(幸福)をサポートさせていただいています。ちなみに、二大キーワードである「ウェルビーイング」と「コンパッション」を繋ぐブリッジワードが「ケア」であり、その中核が「グリーフケア」です。

WCツインブックスについて

 

わたしは、幸福の追求をテーマとした『ウェルビーイング?』(オリーブの木)、思いやりの実践をテーマにした『コンパッション!』(オリーブの木)のWCツインブックスを同時に書きました。現在、「SDGs」を超えるキーワードとして「ウェルビーイング(wellbeing)が流行していますが、わが社ではすでに40年も前から使っていた言葉です。「ウェルビーイング」は幸福についての包括的概念ですが、じつは決定的に欠けているものがあります。それは「老い」や「病」や「死」や「死別」や「グリーフ」です。これらを含んだ上での幸福でなければ意味はなく、まさにそういった考え方が「コンパッション(compassion)なのです。つまり、「ウェルビーイング」を補完するものが「コンパッション」です。


動画に見入る人びと 

 

わたしは、以前はウェルビーイングを超えるものがコンパッションであると考えていましたが、この2つは矛盾しないコンセプトであり、それどころか2つが合体してこそ、わたしたちが目指す「心ゆたかな社会(ハートフル・ソサエティ)」が実現できることに気づきました。ウェルビーイングが陽なら、コンパッションは陰。そして、陰陽を合体させることを産霊(むすび)といいます。陰陽といえば、火と水が代表的です。火と水の陰陽和合を描いたのが、ブログ「マイ・エレメント」で紹介したディズニー&ピクサーのアニメーション映画です。異なる特性のエレメントとは関われないというルールがある街を舞台に、火のエレメントである少女と、水のエレメントである青年の出会いを描いています。二人の合体は「奇跡の化学反応」と予告編で表現されますが、これはまさに「産霊」のこと。わが社は、「奇跡の化学反応」を起こす会社なのです!

ハートフル・サイクルの起点となろう!

 

幸福の正体は、ウェルビーイングだけでは解き明かせません。また、コンパッションだけでも解き明かせません。陰陽の2本の光線を交互に投射したとき、初めて幸福の姿が立体的に浮かび上ってくるように思います。それは、「死」があるからこそ「生」が輝くことにも通じています。CSHWのハートフル・サイクルはそこで回り続けるのではなく、周囲を巻き込みながら拡大し「思いやり」を社会に拡散をしていくサイクルなのです。まるで「持続性のある台風」のようではありませんか。このハートフル・サイクルが社会に浸透した状態が「ハートフル・ソサエティ」であり、「心ゆたかな社会」であり、「互助共生社会」なのです。最後に、わたしは「サンレーは、その起点となるべく、ハートフル・サイクルを回していきましょう!」と言ってから降壇しました。


最後は、もちろん一同礼!


ついに矢が放たれました!

 

2023年8月18日  一条真也