ロマンティック・デス

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「ロマンティック・デス」という言葉を取り上げることにします。

ロマンティック・デス』(国書刊行会

 

この言葉は、もちろん、『ロマンティック・デス』(国書刊行会)で初めて提示した言葉です。「ロマンティック・デス」とは、「死」に意味を与える思想です。 近代工業社会はひたすら「若さ」を賛美し、「生」の繁栄を謳歌してきましたが、忍び寄る超高齢化社会の足音は、私たちに「老い」と「死」に正面から向き合わなければならない時代の訪れを告げています。そして、そこで何より求められているのは「生老病死」の幸福なデザインだと言えるでしょう。特に核心となるのは「死」のデザインです。

ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫

 

日本人は人が死ぬと「不幸があった」と言いますが、これは絶対におかしいと私は思います。私たちはみな「死」を未来として生きている存在です。もし、死が不幸な出来事だとしたら、死ぬための存在である私たちの人生そのものも、不幸だということになります。最初から死という「不幸」な結末の見えている負け戦に参加し続けているうちは、日本人の幸福などありえません。


日本人が真に幸福になるためにはまず「死」を「詩」に変える必要があります。そのために、わたしは「月」という最高にロマンティックな舞台を用意したのです。かつての日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表れでした。



死と志も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知る。有名な坂本龍馬の言葉「世に生を得るは事をなすにあり」こそは、死と志の関係を解き明かしたものにほかなりません。『葉隠』に「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」とあるように、この国の武士たちは、その体内に死と志を矛盾なく共存させ、そこに美さえ見出したのです。もともと、日本に「ロマンティック・デス」は存在したのです。

 

2021年9月12日 一条真也