有縁社会

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「有縁社会」という言葉を取り上げることにします。『隣人の時代』(三五館)のサブタイトルである「有縁社会のつくり方」において、初めて使われたキーワードです。

 

隣人の時代 有縁社会のつくり方

隣人の時代 有縁社会のつくり方

 

 

2010年、NHK「無縁社会」キャンペーンが大きな話題となりました。番組は菊池寛賞を受賞し、「無縁社会」という言葉は同年の流行語大賞にも選ばれました。同年末には、朝日新聞紙上で「孤族の国」という大型企画がスタートしました。「家族」という形がドロドロに溶けてしまいバラバラに孤立した「孤族」だけが存在する国という意味だそうです。「孤族の国」の内容はNHK「無縁社会」とほぼ同じです。NHKへの対抗心から朝日が連載をスタートさせたことは明白ですが、「無縁」とほぼ同義語の「孤族」という言葉を持ってくるところが何とも情けないと思いました。なぜならば、「無縁社会」キャンペーンに対抗するならば、「有縁社会」キャンペーンしかありえないからです。

 

無縁社会 (文春文庫)

無縁社会 (文春文庫)

 

 

そもそも、「無縁社会」という言葉は日本語としておかしいのです。なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味です。ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味なのです。
「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。

 

孤族の国 ひとりがつながる時代へ
 

 

「孤族」も同様で、日本語としておかしいと言えます。これは、産経新聞論説委員である福島敏雄氏が指摘していましたが、「孤」と「族」は反対の概念なのです。貴族や暴走族、さらには家族などのように、「族」には群れやグループという意味があります。一方、「孤」とは孤独や孤立を表します。「孤」が群れをなすということはありえません。なぜなら、群れをなした時点で「孤」ではなくなってしまうからです。つまり、「孤族」も「無縁社会」と同じく表現矛盾だと言えるでしょう。

 

 

NHKは「無縁社会」キャンペーンなどと謳っていましたが、どうも、「無縁社会」を既成事実として固定し、さらにはその事実を強化させているように思えます。そもそも現実を変えていくのがキャンペーンの意味であって、現実を追随し問題を固定化させ、強化することはキャンペーンとは呼べません。日本には「言霊(ことだま)」という考え方があります。言葉には魂が宿るという考え方です。たしかに、言葉は現実を説明すると同時に、新たな現実をつくりだします。 

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西日本新聞」2019年6月18日朝刊 

 

無縁社会」だの「孤族の国」だのといったネガティブなキーワードを流行させることは現実に悪しき影響を与える(これを日本では「呪い」といいます)可能性が高いのです。いたずらに「無縁社会」の不安を煽るだけでは、人類が滅亡するというトンデモ予言と何ら変わりません。それよりも、「有縁社会」づくりの具体的な方法について考え、かつ実践しなければなりません。サンレーでは、冠婚葬祭や隣人祭りや冠婚葬祭のお手伝いをすることによって血縁や地縁の再生に実際に取り組んでいます。

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サンレーがサポートする「隣人祭り」のようす

 

さて、「有縁社会」には「うえんしゃかい」と「ゆうえんしゃかい」という2つの読み方があります。『広辞苑』などの辞書では、「有縁」は仏教用語として「うえん」と読まれています。でも講演やスピーチなどで話す場合、「うえん」では「むえん」と聞き間違えられる危険があります。そこで、わたしは事前に断った上で、意図的に「ゆうえん」と言うことが多いです。これなら聞き間違えもなく、一発で意味もわかるからです。サンレーがサポートする「隣人祭り

 

 

「うえん」と読んでいる人には僧侶など仏教関係者が多いようです。もともと「無縁」も「有縁」も仏教用語ですが、僧侶には訓読みにするという習慣があるようなのです。一般的に「ちょくそう」と読まれている直葬をわざわざ「じきそう」と読んだりすることなどが好例です。もしかしたら僧侶の世界では、「音読みするのは俗人」という考え方があるのかもしれません。わたしたちが訴えている「有縁社会」は封建的な印象の強い(戦前に代表される)従来の有縁社会とは違う新しい意味での有縁社会であり、「うえん」ではなく「ゆうえん」がふさわしいと思います。

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西日本新聞」2019年6月4日朝刊 

 

2020年12月3日 一条真也