悲縁

 

一条真也です。
9月27日、安倍晋三元首相の国葬が開かれます。
本来なら日本中が悲しみに包まれる日となるはずですが、国葬への反対意見が多く、抗議活動も活発化しています。本当に、この世は悲しいことばかりだと思えてきます。
さて、わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「悲縁」という言葉です。


「悲縁」について語ったパネルディスカッション

 

「悲縁」という言葉は、ブログ「全互協新年行事」で紹介した2020年1月22日に東京で開催された一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)のパネルディスカッションで初めて披露した言葉です。このとき、上智大学グリーフケア研究所島薗進所長(当時)とともにパネリストとして登壇したわたしは、冠婚葬祭互助会とグリーフケアの関係について発言しました。わが社は、グリーフケアのサポート活動に取り組んできました。葬儀という儀式の外の取組みとして、2010年(平成22年)に「ムーンギャラリー」という施設を作り、同時に「 月あかりの会」というわが社でご葬儀を行われた遺族の方々を中心とした遺族の会を立ち上げました。

2010年に「 月あかりの会」が発足

 

遺族の会では愛する人を亡くしたという同じ体験をした遺族同士の交流の中で少しでも自分の「想い」や「感じていること」を話すことが出来る場を提供することが出来ました。ひとりひとり喪失の悲嘆に対しての感じ方は異なりますが、同じ体験をしたという共通点を持ち、お互いに尊重しあい、気づかう関係性となっています。また交流を行う場の提供により「愛する人を喪失した対処から、愛する人のいない生活への適応」のサポートにもなっていると感じています。施設の中ではそれぞれが交流しやすいようにフラワーアレンジメントや囲碁や将棋など趣味や興味のあることが行えるようにしており、それぞれが交流しやすい場となっています。

月あかりの会」の発会式で

 

気をつけていることは活動についてスタッフもお手伝いはしていきますが、こちら側からの押し付けにならないように、あくまでもそれぞれの自主性を大切にするようにしています。すでに10年以上活動を続けていますが、最初の頃に参加された方は新しく参加された方へのケアのお手伝いをしたいなど新しい目標を見つけ、生きがいとなっている方も増えてきています。葬儀の現場を見てみても、地方都市においては、一般的に両親は地元に、子息は仕事で都市部に住み離れて暮らす例が多く、夫婦の一方が亡くなって、残された方がグリーフケアを必要とれる状況を目の当たりにすることが増えています。この他には亡くなった方を偲び、供養のお手伝いとして毎年地域ごとに分かれセレモニーホールを利用して慰霊祭を行い、1周忌・3回忌を迎える方に参加していただいています。


隣人の時代』(三五館)

 

わたしは、冠婚葬祭互助会こそグリーフケアに取り組むべきなのであると考えています。グリーフケアは、互助会にとってCSR(社会的責任)の1つです。かつて冠婚葬祭は、地縁、血縁の手助けによって行われていました。家族の形の変化や時代の流れのなかで、冠婚葬祭互助会という便利なものが生まれ、結婚式場や葬祭会館ができ、多くの方にご利用いただくようになりました。図らずも互助会は、無縁社会を進行させた要因の一部を担ってきたといえるのかもしれません。同様に死別の悲しみも、近所の方、近親者の方によって支えられてきましたが、地縁、血縁が薄くなる中で、グリーフケアの担い手がいなくなっています。生まれてから「死」を迎えるまで人生の通過儀礼に関わり、葬儀やその後の法事法要までご家族に寄り添い続ける互助会が、グリーフケアに取り組むことは当然の使命だと思うのです。


愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

また、グリーフケアには死別の悲嘆を癒すということだけでなく、死の不安を軽減するというもう1つの目的があります。超高齢社会の現在、多くのお年寄りが「死ぬのが怖い」と感じていたら、こんな不幸なことはありません。死生観をもち、死を受け入れる心構えをもっていることが、心の豊かさではないでしょうか。人間は死の恐怖を乗り越えるために、哲学・芸術・宗教といったものを発明し、育ててきました。グリーフケアには、この哲学・芸術・宗教が「死別の悲嘆を癒す」「死の不安を乗り越える」ということにおいて統合され、再編成されていると思います。特にご高齢の会員を多く抱えている互助会は、2つ目の目的においても使命を果たせると思っています。それらのミッションを互助会が果たすとき、「心ゆたかな社会」としての互助共生社会の創造に繋がっていくことでしょう。

心ゆたかな社会』(現代書林)

 

悲嘆や不安の受け皿の役割は、これまで地域の寺院が担ってきました。しかし、宗教離れが進み、人口も減少していく中で、互助会は冠婚葬祭だけでなく、寺院に代わるグリーフケアの受け皿ともなり得ると思っています。「月あかりの会」を運営して気づいたのは、地縁でも血縁でもない、新しい「縁」が生まれていることです。会のメンバーは、高齢の方が多いので、亡くなられる方もいらっしゃいますが、その際、他のメンバーはその方の葬儀に参列されることが多いです。楽しいだけの趣味の会ではなく、悲しみを共有し、語り合ってきた方たちの絆はそれだけ強いのです。「絆(きずな)」には「きず」という言葉が入っているように、同じ傷を共有する者ほど強い絆が持てます。たとえば、戦友や被災者同士などです。

グリーフケアの時代』(弘文堂)

 

月あかりの会」のような遺族の自助グループには、強い絆があります。そして、それは「絆」を越えて、新しい「縁」の誕生をも思わせます。この悲嘆による人的ネットワークとしての新しい縁を、わたしは「悲縁」と呼んでいます。寺院との関係が希薄になっているいま、紫雲閣を各地に展開するわが社をはじめ、地域にセレモニーホールを構える互助会は、コミュニティホールの機能を担うことができますし、また、担っていかなければいけないと思います。そして、そのコミュニティを支えるものは「悲縁」となるのです。悲縁は、ブログ「大正大学公開講座」で紹介した島薗進先生が発表された「慈悲共同体」や「コンパッション都市」の中核をなすものであるように思います。

 

2022年9月27日 一条真也