死を乗り越える親鸞の言葉

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明日ありと思う心の徒桜、
夜半の嵐の吹かぬものかは
親鸞

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、親鸞(1173~1262年)の言葉です。法然を師と仰ぎ、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承、発展させました。浄土真宗の宗祖です。

 

歎異抄 (文庫判)

歎異抄 (文庫判)

  • 発売日: 2002/12/13
  • メディア: 文庫
 

 

親鸞は90歳まで生きた人です。臨終に立ち会った弟子は、顕智と専信、家族は五番目の子供の益方と末娘の覚信尼のみだったといわれています。しかし、おそらく彼には寂しさなどなかったことでしょう。親鸞は、「生きているときに苦悩の根元が断ち切られたならば、死ぬと同時に、阿弥陀仏の浄土に往く。しかし、苦しみ悩む人がいる限り、自分だけ極楽浄土で楽しんでいることはできない」と言いました。

 

親鸞聖人(絵本)

親鸞聖人(絵本)

  • 作者:小川 一乘
  • 発売日: 2011/05/01
  • メディア: 新書
 

 

この「明日ありと思う心の徒桜、夜半の嵐の吹かぬものかは」という歌は、『親鸞上人絵詞伝』に出てきます。仏門に入る決意を固めたとはいえ、わずか9歳の子どもが詠んだというのですから驚かされます。「明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、そんなことはない」とあります。親鸞の無常観とともに、強く訴えあけるような力が感じられます。わたし自身も歌を詠みますが、歌の力を感じます。親鸞は、どんな人でも、煩悩あるがままで、苦悩の根元が断ち切られて、本当の幸せに救われる、日本的な仏教の極致のひとつを明らかにしたのです。

 

親鸞 単行本全6冊セット

親鸞 単行本全6冊セット

  • 作者:五木 寛之
  • 発売日: 2014/11/19
  • メディア: 単行本
 

 

死を迎えたとき、人はなかなかその現実を受け入れられないものです。死への恐怖を拭い去ってくれることが宗教の大きな役割です。法然が生きた時代は、末法思想の中にありました。末法思想とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(=正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(=像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のことです。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年10月10日 一条真也拝   

「ふくおか経済」取材

一条真也です。
今日は10月9日。新日本プロレスvsUWFインターナショナルが全面対決したプロレス史に残る伝説の対抗戦「10・9」から25年目の日です。この日の14時から、月刊「ふくおか経済」の取材を受けました。九州の名門経済誌で、わたしも愛読しています。わが社も、よく取り上げていただきます。

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インタビュー取材のようす

 

今回は、同誌の11月号に掲載される「The  FACE」というページの取材でした。少し気が早いですが、今年を振り返り、来年を展望する内容のインタビュー記事です。いつものように、同誌の八尋修平さんがカメラマンの方と一緒に来て下さいました。松柏園ホテル の貴賓室でインタビュー取材を受けました。
f:id:shins2m:20201009134820j:plain松柏園ホテル の貴賓室 で


最初に、わたしは以下のような話をしました。
菅内閣が誕生しましたが、菅首相にお願いしたいことがあります。菅首相は一連のGoToキャンペーンを主導してこられた方ですが、日本人が結婚式を挙げやすい政策を立てていただきたいと思います。結婚式の費用とか交通費などを助成する「GoToウエディング」です。これは「GoToトラベル」のように業界救済、つまり経済のためではなく、社会のために行うものです。日本は、いま最大の国難に直面しています。それは新型コロナウイルスの問題でも、中国の領土侵犯の問題でも、北朝鮮のミサイル問題でもありません。より深刻なのが人口減少問題です。

f:id:shins2m:20201009163156j:plain「GoToウエディング」について 

 

人口減少を食い止める最大の方法は、たくさん子どもを産むことですめには、結婚するカップルがたくさん誕生しなければならないのですが、現代日本には「非婚化・晩婚化」という「少子化」より手前の問題が潜んでいます。菅首相は、自民党総裁に選ばれた直後の挨拶で「私の目指す社会像は、自助・共助・公助、そして絆であります」と述べられました。自助・共助・公助、そして絆の社会とは、まさに相互扶助の互助社会です。互助の精神で「GoToウエディング」の実施を切に願う次第です。

f:id:shins2m:20201009135525j:plainエッセンシャルワークについて 

 

葬儀の方ですが、最近、「葬祭業はエッセンシャルワークですね」とよく言われます。エッセンシャルワークとは医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活に不可欠な仕事です。同じように大切な仕事と思われてきた教育はエッセンシャルワークではありません。日本中の大学の多くは未だに閉鎖されています。神社や寺院や教会といった宗教もエッセンシャルワークではありません。コロナ前から「神社崩壊」や「寺院消滅」が叫ばれていたことが思い出されます。しかし、葬儀はエッセンシャルワークです。 

f:id:shins2m:20201009135815j:plainコミュニティホールへの進化について

 

葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。エッセンシャルワークは社会的インフラとなります。このたびの台風10号では、100人以上の避難者の方々を受け入れました。「魂を送る場所」であった紫雲閣が「命を守る場所」となったことは画期的であり、「セレモニーホール」が「コミュニティホール」へと進化しました。

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新しい施設について説明 

 

冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる社会インフラとしての文化装置なのです。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません! このコロナ禍の中で、わが社の施設は続々とオープンし続けています。福岡市に建設する2施設の起工式を終え、後は完成を待つばかりです。日本全国のサービス業の赤字決算が確実視されるコロナ禍の中、わが社はなんとか今年も黒字で終わる見込みです。

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新CM動画を見せました


前川清さんをイメージキャラクターとする素晴らしいCMも完成しました。サンレーグループ篇とセレモニー篇の作品ですが、桑田佳祐福山雅治もリスペクトする国民的歌手の前川清さんがオリジナルソングの「ありがとう」を歌い、最後は「サンレー~♪」とか「紫雲閣~♪」とかのサウンドロゴを歌い上げてくれたという事実が、今でも信じられません。iPhoneで新CMの動画を見せると、八尋さんは「素晴らしいですね!」と言ってくれました。

f:id:shins2m:20201009135313j:plainコロナ・ショックではなく、コロナ・チャンス!

 

わたしが、「わたしは、コロナ・ショックではなくて、コロナ・チャンスだと考えています。何事も陽にとらえて、施設も作ったし、CMも作成しました。昨日も営業の総合朝礼を行いましたが、これなら行ける!という感触を得ました。これからも、高い志を持って、「 天下布礼」の道を突き進みたいと思います」と言うと、八尋さんは、「コロナ禍の中で、多くの方が不安を抱かれていると思います。こんな不安な状況下では何をすればよいのでしょうか? 作家というか思想家として質問させていただきます」と言われました。わたしは、即座に「それは簡単です。‟生活の古典”としての冠婚葬祭や年中行事を淡々と行えばいいのですよ」と答えました。冠婚葬祭と年中行事は儀礼文化の二大ジャンルです。

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水とコップで説明しました

 

わたしは、目の前にあった水の入ったコップを持って説明しました。水は「かたち」がなく不安定です。それを容れるものがコップです。そして、水は「こころ」のメタファーです。「こころ」も形がなくて不安定だからです。だから、「こころ」は「かたち」に容れる必要があります。その「かたち」には別名が存在します。「儀式」です。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。 

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「かたち」としての儀式の力を信じよう!

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子供が成長するとき、子供が大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。その不安な「こころ」を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。 また、正月や節分や雛祭りや端午の節句や七夕やお盆があるのです。日本人は、もっと「かたち」としての儀式の力を信じるべきではないでしょうか。それを聞いた八尋さんは涙目になって「すごく感動しました! 心から納得できました! わたしは、そういうお話が聞きたかったんです。ぜひ、すべての福岡県民を対象に講演で今のお話をしてください!」と言うので、「コロナで講演は難しいので、ぜひ、わたしの本をお読みいただきたいですね!」と言いました。

f:id:shins2m:20201009141254j:plain心ゆたかな社会』を持って

 

そこから作家活動の話になり、記念すべき100冊目の「一条本」である『心ゆたかな社会』(現代書林)について話しました。 ブログ「『紫雲閣』年内6店新設へ」 で紹介したように、同書は「ふくおか経済」8月号でも大きく取り上げられました。

f:id:shins2m:20201009141228j:plain満月交心 ムーンサルトレター』を持って

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終始なごやかなムードで進みました

また、見本が出たばかりの『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)を読書家の八尋さんにプレゼントすると、とても喜んでくれました。わたしが「この本には、コロナ後の世界をどう生きるかのヒントがたくさん書いてあります。今話したような儀式の意味とかグリーフケアの重要性についても述べています」と言うと、八尋さんは「必ず読みます! 読んで、感想をお伝えいたします!」と言っていました。

f:id:shins2m:20201009143837j:plain写真撮影のようす

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写り具合をチェックしました


インタビュー取材の終了後は、 松柏園ホテル新館「VILLA LUCE(ヴィラルーチェ)」で写真を撮影しました。このインタビュー記事は「ふくおか経済」11月号に掲載されます。お楽しみに!

f:id:shins2m:20191101113524j:plain「ふくおか経済」2019年11月号

 

2020年10月9日 一条真也

『パンデミック』

パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス (ele-king books)

 

一条真也です。
8日の東京都の新規感染者数は248人でした。広瀬すずドナルド・トランプまで感染して、「本当に誰でも感染するんだな」と思った人は多いでしょうね。もはや、ロシアン・ルーレット状態です!
パンデミックスラヴォイ・ジジェク著、斎藤幸平監修・解説、中林敦子訳(Pヴァイン)を読みました。サブタイトルは「世界をゆるがした新型コロナウイルス」です。ラカン精神分析で文明批判を試みる著者の緊急出版で、コロナ禍を精神分析しています。著者は、1949年スロヴェニア生まれ。哲学者。リュブリャナ大学社会科学研究所上級研究員、ロンドン大学バークベック人文学研究所インターナショナル・ディレクター。哲学や政治理論における新地平を切り拓き、文学や映画を縦横無尽に論じています。

f:id:shins2m:20200923100039j:plain本書の帯

 

本書の帯には、「COVID-19以後の世界に訪れる『野蛮』という危機」「それを回避する唯一の道とは何なのか?」「『最も危険な哲学者』による緊急提言!」と書かれています。アマゾンの内容紹介には、「世界はどうなってしまうのか――トイレットペーパーがダイヤモンドほどの価値をもち、愛する人と距離を置くことが最大の愛情表現となる時代。いかにこの未曾有の危機を乗り越えるのか」と書かれています。

f:id:shins2m:20200923100103j:plain本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
序章  我に触れるな
第一章 我々はみな、同じ舟に乗っている
第二章 何をこんなに、いつも疲れているのか?
第三章 欧州のパーフェクトストームに備えて
第四章 ようこそ、ウイルスの砂漠へ
第五章 感染流行の五段階モデル
第六章 イデオロギーのウイルス
第七章 冷静にパニクれ!
第八章 監視と処罰?ええ、お願いします!
第九章 人の顔をした野蛮が我々の運命か
第十章 共産主義か野蛮か。それだけだ!
補遺  友人からの二通の有益な手紙
サマラの約束:古いジョークの新しい使い方
解説「リュブリャナの約束 
古い理論の新しい使い方?」(斎藤幸平)

 

 

序章「我に触れるな」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「『我に触れるな』。ヨハネによる福音書20章17節によると、復活したイエスに気づいて近づこうとしたマグダラのマリアに、イエスがそう言ったとされる。キリスト教無神論者を自認する私は、この言葉をどう理解すればよいのだろうか。まず、キリストの復活をどうやって知るのかという弟子の質問に対するキリストの答えと、この言葉を合わせて考えてみる。キリストは、信者の間に愛がある時には、いつも自分はそこにいると答えた。触れることのできる人としてではなく、人々の間の愛や連帯の絆として存在する。だから、『我に触れるな。愛の精神をもって他者に触れ、他者と関わりなさい』と」



しかし、今日、新型コロナウイルスの感染拡大の只中で、まさにわたしたちはみな、「他者に触れるな、自らを隔離せよ、適切な身体的距離を維持せよ」という呼びかけの集中砲火を浴びているとして、著者は「これは、『我に触れるな』という命令に対して何を意味するのだろうか。両手を伸ばしても相手に届かない。お互いにアプローチできるのは、『内』からのみである。そして、その『内』に対する窓は我々の目である。今日、親しい人(あるいは見ず知らずの人でも)と出会い、適当な距離を置いて向かい合う時、相手の目を深く見つめることで、直接触れ合うこと以上に心を開くことができるのだ」と述べています。



著者によれば、身体的距離が逆に他者とのつながりの密度を高めるという希望があるといいます。今、近しい人の多くを遠ざけなければなりませんが、「私が彼らの存在を、彼らの私に対する重要性を、深く体験できるのは今だけなのだ」として、著者は「ヘーゲルは、歴史から我々が学べることは、歴史から我々は何も学ばないということだけだと言った。だから、私もこの感染拡大が我々を賢くするとは思わない。唯一明らかなのは、ウイルスは我々の生活の基礎そのものを打ち砕き、途方もない量の苦しみを生むだけでなく、ことによると大恐慌よりひどい経済的大混乱を引き起こすことだろうということである。もう平常への復帰はない。古い生活の廃墟の上に、新しい『平常』を構築しなければならなくなるだろう」と述べます。

 

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)で、わたしは「『パンデミック』は『宇宙人の襲来』と同じようなものです。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を『ワンチーム』にしてくれる外敵なのですから」と書きましたが、本書の第一章「我々はみな、同じ舟に乗っている」では、「現在のコロナウイルスの流行を、H・G・ウェルズの『宇宙戦争(The War of the Worlds)』(1897年)の逆ヴァージョンととらえることもできる。このSF小説では、火星人に地球を制圧されたあと、打ちひしがれた主人公が表に出てみると、火星人が免疫を持たない地球の病原体によって、すべて死に絶えていたという結末になっている」と書かれ、「人類のあらゆる武器や策略は無効だったが、神がその叡智によってこの地球に創りたもうた最も些末な物が、彼らの破滅をもたらした」という一文が『宇宙戦争』から引用されています。

 

宇宙戦争 (創元SF文庫)

宇宙戦争 (創元SF文庫)

 

 

ウェルズによると、彼がこの筋書きを思いついたのは、英国がタスマニア先住民に及ぼした壊滅的な影響について、弟のフランクと話していた時に「英国がタスマニア人にしたことを、火星人が英国にしたらどうなるだろう」と聞いたときだそうです。しかし、タスマニア先住民は、侵略者を打ち負かすような致死的な病原体は持っていなかったそうで、著者は「おそらく、人類を全滅させるような脅威となる感染の流行は、ウェルズの小説を逆にしたものとして扱われるべきであろう。すなわち、情け容赦なく地球上の生命を利用し破壊し尽くす『火星からの侵略者』は、我々人類自身である。高度に発展した霊長類による自衛のためのあらゆる武器や策略は奏功しない。そして、『神がその叡智によってこの地球に創りたもうた最も些末な物』、ただやみくもに自己複製し、突然変異する馬鹿げたウイルスに、我々が今、脅かされているのだ」と述べています。



著者は、現在の感染拡大を何かもっと深い意味を持つものと思いたい誘惑には抗うべきだと言います。それは、地球上の他の生命に対する容赦ない搾取に対して、人類は残酷だが当然の罰を受けているのだといった考え方だというのです。そのような隠されたメッセージを求めるなら、わたしたちは、この宇宙をコミュニケーションの相手として扱うという前近代に留まることになるとして、著者は「確かに、我々は天罰を受けるとか、全宇宙が(地球外の誰かですら)人間の存在に関与しているとかいう考え方には、たとえ生存自体が脅かされる事態も、安心させる何かがある。自分たちは、一種、根本的な意味で重要なのだと思いたい。だから真に受け入れがたいのは、今起きている感染拡大が最も純粋な意味での自然の偶然性の結果であり、ただ発生したというだけで、深い意味など隠されていないという事実である。ものごとの大きな道理の中で、我々人類という種には、特別の重要性はないのだ」と述べています。



コロナウイルスが引き起こした脅威に迅速に対応して、イスラエルのベンジャミン・ネタニエフ首相は、直ちにパレスチナ当局に支援と協議を申し出ました。これについて、著者は「善意や人道的配慮からではない。単に、ユダヤ人とパレスチナ人を分けられないからである。一方がやられると、もう一方の犠牲も避けられない。これこそ、我々が政治に反映させるべき現実である」と述べます。「アメリカ(いや、どこの国でも)・ファースト」の旗印は下すべき時だという著者は、マーチン・ルーサー・キング博士が半世紀前に言った「我々はみな、違う船でやって来たかもしれない。だが、今、同じ舟に乗っている」という言葉を紹介するのでした。



第二章「何をこんなに、いつも疲れているのか?」の冒頭を、著者は「新型コロナウイルスの流行拡大によって、日常の暮らしの中に2つの対照的な存在が生まれている。一方は、医療や介護に携わる、過重労働のため疲労の限界にある人たち。もう一方は、強制的あるいは自主的に自宅にこもり、何もやることがない人たちである」と書きだしています。また、「不安定な知的労働者と経営者は、メールやテレビ会議で協力し合うことができるので、自宅にいても仕事は何とか問題なく回る。「自己開発=搾取」の時間は逆に増えるかもしれない。しかし、自宅以外の工場や田畑、店舗、病院、公共交通機関などで行うしかない労働はどうだろう? ほかの人を自宅隔離で生き延びさせるためには、多くの仕事が安全でない自宅外で行われるのだ・・・・・・」とも述べています。



著者は、「忘れてはならないのは、労働に対する自己規律や献身を批判したり、『気楽にいこうぜ』的な態度を広めたりする誘惑には抗わなければならないということだ」と述べ、ナチスが残酷な悪用をしたとはいえ、「Arbeit macht frei!(働けば自由になる)」は、今も正しいモットーであるとして、「そうだ。感染流行の様々な影響に対応している多くの人々には、厳しい疲労困憊する仕事がある。しかし、コミュニティーの利益にとってそれは意味のある仕事であって、仕事自体の満足感をもたらす。市場で売上げを伸ばそうなどという愚かな努力ではない。超過勤務で死ぬほど疲れている医療従事者や、過大な負荷でくたくたになっている介護従事者は、取りつかれたような昇進を動機とする疲労とは全く違う理由で疲れているのだ。その人たちの疲労こそ、値打ちがある」と述べるのでした。



第四章「ようこそ、ウイルスの砂漠へ」では、数年前、米国の思想家フレドリック・ジェイムソンは、小惑星が地球上の生命を脅かすとか、ウイルスが人類を滅亡させるといった破局的事態を扱う映画の中にある、ユートピアの可能性を指摘したことが紹介されます。全人類共通の脅威が世界的な連帯を生み、我々のささいな違いは意味を失い、解決法を求めて皆が協力するわけですが、著者は「そう、今、現実に我々はその状況にある。決して、自分たちの大義に役立つなら、広がる苦しみをサディスティックに喜ぼうというのではない。逆に、破局的事態がなければ、自分たちが暮らす社会の極めて基本的な特徴を考え直すことができないという哀しい事実を、じっくり考えよと言っているのである。そうした世界的な協調の、漠然とではあるが最初のモデルが世界保健機関(WHO)である。通常の官僚主義的なたわ言ではなく、パニックを起こすことなく正確な警告が発せられている。このような機関にはもっと強い執行権が与えられるべきである」と述べています。



イランのイラジ・ハリルチ保健副大臣は記者会見に出席し、「コロナウイルス拡大は大したことではない、大規模な封鎖は必要ない」と発表した翌日、ウイルスに感染して自主的な隔離をしていると短い声明を出しました(テレビに映っている間も、発熱など辛そうな症状を見せていました)。ハリルチ副大臣は、「このウイルスは民主的で、金持ちと貧乏人、官僚と一般市民を差別しない」と声明に付け加えています。著者は、「この点、彼は極めて正しい。我々はみな同じ舟に乗っているのだ。他者と密接に接触するな、自己隔離せよと求める厳格な命令下の日常生活の中で、団結と世界的な連帯を促すものが表れてきているという事実には、最高の皮肉を見ざるを得ない。さらに、我々が抱える問題はウイルスの脅威だけではない。そのほか様々な破局的事態も姿を現し始めている。いや、すでに起こりつつある。干ばつ、熱波、巨大な台風など、枚挙にいとまはない。こうした事例すべてにおいて、正しい解はパニックではなく、効率的な世界の協調を打ち立てるという、難しいが急を要する作業である」と述べています。



今後もウイルスの流行があるたびに、他者や身の回りの物体(自分の身体を含む)との最も初歩的な関わり方に影響が出るのだろうと予想する著者は、「これに関する指示はたくさんある。(目に見えない)汚染があるかもしれない物には、触らない。怪しいものは避ける。公衆トイレで座らない。公共の場所のベンチにも座らない。ハグや握手は避ける。特に、自分の身体や自然に出るしぐさを注意してコントロールする。洗わない手で鼻を触ったり、目をこすったりしない。もちろん、オナニーもだめ。要は、我々をコントロールしようとするのは国家や機関だけではない。自分自身を管理・自制することを、我々は学ばなければならないのだ! 安全なのはヴァーチャル・リアリティぐらいで、オープンな空間を自由に移動することは、超富裕層が所有する小島だけで許されるのだろう」と述べています。



しかし、思い出すべきは、ヴァーチャル・リアリティやインターネットの世界では、ここ10年以上、「ウイルス」や「ヴァイラル」という言葉が、ネット空間に感染するデジタル・ウイルスを指して使われていたことであるとして、著者は「少なくともその破壊力(データやハードディスクを破壊する力)が行使されるまで、我々はその存在に気づかなかった。今我々が目にしているのは、この言葉の元々の文字通りの意味への大規模な回帰である。ウイルス感染は、リアルとヴァーチャルの両方の次元で、関連しながら作用するのである」と述べています。この発言は、非常に説得力がありますね。



さらに、著者は以下のように述べるのでした。
「この感染拡大による好ましい副作用についても、恐れずに言及すべきだろう。忘れることのできない感染拡大のシンボルのひとつが、大型客船に幽閉された乗客たちである。私に言わせれば、ああいう卑猥な船とはついにおさらばだ。もちろん、孤島や富裕層向けのリゾートへの旅は、数十年前の空の旅がそうだったように、少数の金持ちの独占的な特権にはもう二度とならないよう注意しておかなければならないが。アミューズメントパークは、ゴーストタウンになった。すばらしい。ディズニーランドほど、退屈でばかばかしい場所はない。自動車製造業は深刻な影響を受けている。よろしい。マイカーへの執着を見直さざるを得なくなるだろう。他にも、いくらでもある」

 

 

著者は、新型コロナウイルスの感染拡大に我々が示す反応について、精神科医エリザベス・キューブラー=ロスから学べることがあると言います。ロスは著書『死ぬ瞬間(On Death and Dying)』の中で、死に至る状況にあると知った人が辿る反応を、有名な死の受容の5段階モデルにまとめました。最初、患者は、事実を単純に拒否し、「否認」する(「そんなことが私の身に起こるはずがない」)。その後、「怒り」の段階(「どうして私がこんな目に合わなくてはならないんだ」)等を経て、最後の第5段階において、人は、死を真に「受容」します。キューブラー・ロスによると、死だけではなく、人生におけるさまざまな不幸や破局に対する態度においても――たとえば失業や破産や失恋などに関しても――、人は同じステップを歩むのです。後にキューブラー=ロスは、この5段階を様々な破局的な個人的喪失(失業、愛する人の死、離婚、薬物中毒)に応用したが、5つの段階は必ずしも同じ順序で起こらないし、5段階すべてを患者全員が体験するわけではないことも強調しています。



ペストが流行した中世には、町の人々がその兆候に対して、ロスの「死の受容の5段階モデル」と同じ反応を示したとして、著者は「最初は否定、次に、罰せられるような罪深い生き方に対する怒り、あるいは、それを許している残酷な神に対する怒りすらあった。そして、取引(それほど大したことではない、罹った人を避けよう)、抑うつ(もう人生は終わった)、さらには、興味深いことに乱痴気騒ぎ(人生が終わるなら、酒とセックスで楽しいことは全部やってから死のう)まであり、最後に受容(ここまできたら、普通の生活が続くかのように装い、できる限りちゃんとした振る舞いを続けよう)が訪れた」と述べています。



そして、2019年末に発生したコロナウイルスの流行に対する我々の反応も同様なのではないかとして、著者は「まず、否定があった(何も深刻なことは起こっていない、無責任な一部の個人がパニックを広げているだけ)。次に、怒り(人種差別や反国家的な形をとるのが常で、中国人のせいだとされたり、自国政府が有効な手段を講じていないためだとしたり)。次に取引(わかったよ、確かに犠牲者が出ている。でも、SARSよりはましだし、被害はくい止められる)。これがうまくいかないと、抑うつが起きる(甘く見るのはよそう。もう絶望的だ)。では、最終段階の受容は、いったいどのようなものになるのだろうか。奇妙な真実として、この流行拡大は、フランスや香港で見られたような、最近の社会的抗議活動に共通の特徴を示している。爆発しなければ、その後消え去る。根強く残れば、恒久的な恐怖と脆弱性を我々の生活にもたらす」と述べます。

 

我々が受容し折り合いをつけなければならないのは、生命のサブレイヤーの存在であるという著者は、「生き物がどうかも定かでない、馬鹿みたいに増殖を繰り返す、生殖機能もないウイルスが常にあり、暗い影として我々と共存し、我々の生存自体の脅威となり、我々が全く予想しないような時に爆発する。そして、もっと広い意味で言うと、ウイルスの流行は、我々の暮らしの究極の不確実性と無意味さを再認識させる。人類がどれほど素晴らしい精神的な体系を打ち立てたとしても、ウイルスや小惑星のような愚かな自然の不確実性は、それをすべて終わらせることができる。そして、環境破壊の教訓を挙げるまでもなく、我々人類も知らず知らずのうちに、その終焉に加担しているのだ」と述べるのでした。



第六章「イデオロギーのウイルス」の冒頭を、著者は「新型コロナウイルスの感染拡大から提起された疑問の中に、私のような統計学の素人にも興味深いものがある。どこまでがデータで、どこからがイデオロギーなのかという疑問である」と書きだしています。また、「ひとつ、確かなことがある。新しい壁を作ろうと、さらに厳しい封鎖をしようと、隔離だけでは効果はないということだ。完全な無条件の連帯と世界的に強調した対応が必要なのであって、それはかつて共産主義と呼ばれたものの新しい形でもある。取り組みをこの方向に向けない限り、今の武漢が我々の未来の都市の典型になるかもしれない。実は、多くのディストピア小説がすでに同様の未来を想像している。家にいて、コンピュータで仕事をして、テレビ会議でコミュニケーションをとり、自宅オフィスの一角のマシンで運動し、時々ハードコアポルノを映すスクリーンの前でマスターベーションをして、デリバリーで食事をとり、ほかの人類と決して直接顔を合わさない未来である」と述べています。



第七章「冷静にパニクれ!」では、著者は「この2、3年、SARSやエボラ出血熱の流行のあと、新しい未知の病気の流行は時間の問題だ、問題は起こるかどうかではなく、いつ起こるかだと何度も繰り返し聞かされてきた。我々はこうした悲観的な予測が真実であると納得はしていたが、どこかで真剣に受け止めておらず、十分な準備の行動を起こすことを渋っていた」と述べます。実際、この問題が扱われた場所は、ブログ「コンテイジョン」で紹介した終末論的な映画の中だけであったとして、著者は「この対比が我々に教えてくれるのは、パニックは現実の脅威に立ち向かう正しい方法ではないということである。パニックになって反応する時、実は我々はその脅威を真剣には捉えておらず、むしろ逆に、脅威を矮小化しているのである。死につながるような感染拡大の真っただ中で、トイレットペーパーの十分な確保が重要だなどという考えが、どれほど馬鹿げているか考えてみればよい」と述べています。



第八章「監視と処罰?ええ、お願いします!」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
コロナウイルスの流行拡大によって、国民を管理・規制する施策や、西側民主主義社会ではこれまで考えられなかったような対策が、正当化され助長されてしまう状況ついて、多くのリベラルや左派のコメンテーターが発言している。イタリア全土のロックダウンは、まさに、全体主義者の最も野蛮な願望が実現したようなものだ。当然ながら現況では、デジタル化された社会統制が普及している中国こそが、壊滅的な流行拡大に対処する体制が最も整備されていることが証明された。では、これは、少なくともある側面では、中国が我々の未来だという意味なのだろうか」



また、問題は、たとえいつかは生活が見かけ上の通常に戻るとしても、感染発生の前に我々が経験していた「通常」と決して同じではないということであるとして、著者は「日常生活の一部として慣れ親しんでいたものは当然ではなくなり、絶え間ない脅威に晒されながら、脆弱になった生活を送る術を学ばなければならないだろう。生活について、あるいは様々な生命体の中の生物としての我々の存在について、態度を完全に変える必要が出てくるだろう。つまり、『哲学』を人生の基本方針の名称として理解するのなら、我々は本当の哲学的革命を経験しなければならないということである」と述べています。



通常の言葉の意味では、ウイルスは生きても死んでもおらず、いわゆる「リヴィング・デッド」です。著者は、「自己複製する活動においては生きているが、一種のゼロレベルの命であり、ウイルスは死の欲動よりもむしろ生の欲動、それも最も馬鹿げたレベルの反復と増殖をする生の欲動の生物学的な風刺なのである。しかし、ウイルスは、そこから複雑な生命が進化していくような基本となる形でもない。純粋に寄生性で、より進化した生命体に感染することで自己複製を行う(ウイルスが人に感染すると、人は単なるウイルスのコピー機と化す)」と述べています。

 

精神現象学

精神現象学

 

 

著者によれば、わたしたちは、ここで、ヘーゲルが「思弁的判断」と呼んだもの、最高と最低の同一性の表明に行き当たるといいます。ヘーゲルの最もよく知られた例示「精神は骨である」は、『精神現象学』の骨相学の分析から生まれましたが、我々の例示はさしずめ「精神はウイルスである」だろうとして、著者は「人の精神は一種のウイルスである。ヒト動物に寄生し、自己複製のためにそれを利用し、時にはそれを破壊するぞと脅す。そして、精神の伝達手段が言語である限り、最も基本的なレベルで、言語は何か機械的なもの、我々が学び従わなければならない規則でもあるということを忘れてはならない。リチャード・ドーキンスは、ミームは『心のウイルス』であるとした。ヒトの心に『コロニーを作』り、自分を増殖させる手段としてそれを使う寄生性の存在である」と述べます。

 

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 

 

しかし、著者は「この発想の発案者は、ほかでもないレフ・トルストイである」とも述べています。「人は感染した脳を持つヒト科の動物で、膨大な数の文化的共生生物の宿主であり、これらを可能にしているのが言語と呼ばれる共生のシステムである」というダニエル・デネットの一説は、純粋にトルストイではないかとして、著者は「トルストイの人類学の基本的分類は、『感染』である。ヒト対象者は受動的な空虚な培地であり、人から人へ広がる細菌に感染するように、個人から個人へと広がる感情を含んだ文化的な要素に感染する。ただ、トルストイはここで終わりにしており、本当の精神的な自律を、この感情の感染の拡大と対比させてはいない。感染性の細菌の排除を手段として成熟した自律的な倫理主体へと自分を教育する、大胆なビジョンを打ち出していない」と述べます。

 

トルストイ 聖書

トルストイ 聖書

 

 

そして著者は、以下のように述べるのでした。
「唯一の闘争は、良い感染と悪い感染の間の闘争であり、キリスト教の信仰自体が、感染なのである。トルストイにとっては、良い感染なのだが。おそらく、これは、現在のウイルス感染拡大から我々が学びうる最も憂慮すべき教訓であろう。つまり、自然がウイルスをもって我々を攻撃している時、ある意味、我々自身のメッセージが我々に送り返されているのだ。そのメッセージは、こうだ。『あなたたちが私にしたことを、今後は私があなたたちにしているのです』」



第九章「人の顔をした野蛮が我々の運命か」では、著者は「我々は3つの危機に巻き込まれている。医療の危機(感染拡大そのもの)と、経済の危機(感染拡大の結果が何であれ、ダメージは大きい)、そして心理的な危機である。何億人もの日常の暮らしの基本的な座標が崩壊しつつあり、その変化は休日の飛行機移動から単なる身体の接触まで、すべてに影響している。だから我々は、株式市場と利益の座標から離れて考えることを学び、必要なリソースを生産・分配する別の方法を見つける必要がある。ある企業が販売の好機を狙って数百万のマスクをため込んでいるのを当局が知ったら、交渉の余地なく、そのマスクは接収されるべきなのだ」と述べています。



補遺「友人からの二通の有益な手紙」の冒頭を、著者は「個人的な告白から始めたい。私は、自分のアパートに閉じ込められ、読書と仕事に必要な時間が十分あるという状態が、好きだ」と書きだします。また、著者の友人で、ラカン派の精神分析医としてリオデジャネイロで働いているガブリエル・トゥピナンバからのメールにあった「今一番不安で、最悪の無気力の幻想に晒されているのは、以前から家で働いていた人たちだ。なぜなら、彼らにとっては、日常生活に現れたこの状況の特異性の境界を、習慣の変化によって定めることができないから」という言葉を紹介します。著者は、「彼の論点は複雑だが明確である。日々の現実に大きな変化がない場合、コロナウイルスの脅威は亡霊のような幻想として経験される。だからこそよけいに強烈なものになる。ナチス時代のドイツでは、ユダヤ人の数が非常に少ない地方のほうが、反ユダヤ主義が極端であったことが思い出される。見えないことがユダヤ人を恐ろしい亡霊にしてしまったのだ」

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2018/06/20
  • メディア: 新書
 

 

パンデミックの只中に生きるという精神的なプレッシャーに耐えるために何ができるかとして、著者は「私の第1のルールは、今は、この人間の存在の究極の奈落に対峙するために、何か精神的な真正性を求めようとする時ではないということ。故ジャック・ラカンの表現を用いるなら、恥じることなく自分の症候と同一化する努力をせよ、それは(ここは少し単純化するが)、あらゆるささいな儀式、決まり事、癖など、日々の暮らしの安定に役立つことをちゃんと実行せよという意味である」と述べます。この一文には感銘を受けました。わたしが生業とする冠婚葬祭は新型コロナウイルスの感染拡大で深刻な影響を受けましたが、日本人には冠婚葬祭と並ぶもう1つの儀式文化の柱として、年中行事があります。コロナ禍の中、雛祭り、端午の節句、七夕、お盆など、日々の暮らしの安定に役立つことをちゃんと実行した人は多いと思います。

 

 

「サマラの約束:古いジョークの新しい使い方」では、生物学的なウイルス、デジタル・ウイルス、ウイルス的存在としての資本というさまざまなレベルのウイルスの存在に間のの「つながり」を正しく把握するためには、新しいアプローチが必要になるとして、著者は「その道筋を示したのが、ブルーノ・ラトゥールである。コロナウイルスの危機は来るべき気候変動に対する『最終リハーサル』だと強調している彼は、正しい。『(気候変動は)次の危機であり、我々皆に対する課題として、生活条件の方向転換が余儀なくされることになる。日々の生活の詳細についても、慎重な分別を学ばなければならなくなる』と言う。新型コロナウイルスの感染拡大は、世界的に長く続く環境危機のひとつの契機として、『伝統的な社会の定義――人間の中にある人間――は、もはや意味をなさないという、突然の苦痛に満ちた認識を』容赦なく我々に突きつけるのだ」と述べています。



また、著者はアルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ」の中の、第2の殺人(探偵アルボガストが殺害される)を取り上げます。この殺人は、あの悪名高いシャワーシーンさえも上回る、不意打ちだったとして、著者は「シャワー中の殺害も予測しない驚きであるが、探偵がいるので、我々は何かショッキングなことが起きようとしていると分かっている。シーン全体がそれを示唆するように撮られているのだが、実際にそれが起きると驚く。なぜか。実際に起きると知らされているのに、なぜ最大級の驚きが生まれるのか。答えは明白。それが起きるとは、どこかで信じていなかったからだ。同じことがコロナウイルスの拡散にも起きたのではないだろうか。疫学者たちはウイルスに警告を発していたし、正確な予測もされて、それが正しかったことはすでに証明されている」と述べます。



そして、この感染拡大の最もあり得る結果は、新しい野蛮な資本主義の蔓延であるとして、著者は以下のように述べるのでした。
「体の弱った高齢者が、多数犠牲になって亡くなる。労働者は、生活水準の大幅な低下に甘んじるしかなくなる。生活に対するデジタル管理は、永続的なものになる。階級格差は、生か死かの問題に直結するようになる。今、権力者がやむを得ず導入している共産主義的な措置は、果たしてどれほど生き残るだろうか。だから、『ウイルス危機のおかげで、我々の暮らしの本当の意味を突き詰めることができる』などというニューエイジのスピリチュアルな瞑想で、無駄にしてよい時間はない。本当の闘争は、どんな社会の形が放任資本主義の『新社会秩序(New World Order)』にとって代わるのかをめぐって行われる」

 

Pandemic!: COVID-19 Shakes the World (English Edition)

Pandemic!: COVID-19 Shakes the World (English Edition)

 

 

解説「リュブリャナの約束 古い理論の新しい使い方?」の冒頭を、大阪市立大学経済学研究科准教授の斎藤幸平氏が「本書は『Pandemic! Covid-19 Shakes the World』という4月のOrbooksから刊行されたばかりの書籍を、現在の緊急事態についての理解を深めるべく、急遽翻訳したものである。ジジェクの筆の速さには驚くばかりであるが、この間インターネット上に現れた、一連の新型コロナウイルスをめぐる言説の整理に留まらない独自の論考になっているのは、流石というべきだろう。コロナ禍を『コミュニズム』への契機として昇華する可能性を探っており、ジジェクコミュニズム論としても読むことができるのだ」と書きだしています。

 

 

イタリアの哲学者アガンベンは人々のパニックを国家が都合のいいように利用して、「例外状態」を作り出しているとして批判し、民主主義を守るべく、過剰なウイルスへの反応を止めるよう警告しました。
しかし、本書の著者であるジジェクは、アガンベンと意見を異にするとして、斎藤氏は「ソーシャル・ディスタンスは、ひとつの『社会的連帯』であり、これはうちに引きこもることによって、他者との繋がりをこれまで以上に感じる契機になる。一方、現在の政府の対応は場当たり的で、パニックになっているのは、統治に失敗している権力者たちだと言うのである」と解説しています。



また、今回の「自粛」は、私たちの生活を成立させるのに本当に必要な仕事、「エッセンシャルワーク」の存在を際立たせているとして、斎藤氏は「医療、物流、介護、保育、農業などテレワークが不可能な従事する人々への感謝の念が、日本社会でも、かつてないほどに高まっている(怒鳴り散らすトンデモ客はもちろんどこにでも存在するが)」と指摘します。エッセンシャルワークに従事する彼らの「疲れ」は、「クリエイティヴ産業」と呼ばれる意味のない仕事からの「疲れ」とまったく違い、前者の疲れには新しい社会的連帯の契機があるとジジェクは言います。


ちなみに、わたしは葬祭業もエッセンシャルワークであると考えています。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。



さらに、資本主義が機能不全に陥っているとして、斎藤氏は「先進国は、マスクや人工呼吸器といった生活に必要不可欠な物資すらも、自分たちで十分な量を作ることができないのである。遂には、政府も耐え切れなくなり、私企業に対して、人工呼吸器や医療用防護服、消毒用アルコールを作成するよう要請するようになっている。これは、一種の計画経済化に他ならない。コロナ禍は新自由主義を過去の遺物にした。それどころか、利潤を追求するだけの市場原理主義の限界を暴き、人々は、社会の再生産にとって必要な「使用価値」の生産に重きを置くような経済のあり方を求めるようになりつつある」と述べます。ジジェクによれば、これは社会が生き残るためのコミュニズム、「戦時共産主義」だというわけです。一般にコロナ後の世界についての論考には悲観論が多いのですが、本書は「パンデミック」を新たな連帯の契機として楽観的に論じており、何事も陽にとらえる『心ゆたかな社会』の著者としては大いに共感できました。

 

パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス (ele-king books)

パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス (ele-king books)

 

 

2020年10月9日 一条真也

営業推進部総合朝礼

一条真也です。
8日の11時から、サンレー北九州本部の営業推進部の総合朝礼に参加しました。営業推進部の総合朝礼は、わが社にとって非常に大切な行事ですが、新型コロナウイルスの感染拡大のために、ずっと開催できませんでした。7月10日に久々に開いて以来、3ヵ月ぶりの開催です。わたしは、黒マスクに赤ネクタイという、トランプ大統領のような恰好で入場しました。

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黒マスクに赤ネクタイで入場!

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営業推進部総合朝礼のようす

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勇壮なふれ太鼓

f:id:shins2m:20201008125048j:plain最初は、もちろん一同礼!

 

ブログ「営業推進部総合朝礼」で紹介した行事以来ですから、3ヵ月ぶりの開催です。会場は、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールです。参加者全員がマスク姿で、ソーシャルディスタンスをしっかり取りました。司会は、営業推進部の辻社員です。わたしが入場すると、営業推進部の武田課長による勇壮なふれ太鼓が鳴り響きました。それから「開会の辞」があり、社歌が流れました。今日は、マスクの下から小声で斉唱しました。それから、小倉営業所の林所長による経営理念およびS2M宣言がありました。いつもは全員で唱和しますが、今日は林所長に合わせて、小声で唱和しました。

f:id:shins2m:20201008110231j:plain社歌を小声で斉唱しました♪

f:id:shins2m:20201008110329j:plain経営理念&S2M宣言を唱える林所長

f:id:shins2m:20201008115015j:plain黒マスク姿で登壇しました

f:id:shins2m:20201008112121j:plain黒マスクを外して訓話を行いました

 

そして、わたしが登壇して社長訓話を行いました。9月16日、安倍晋三内閣が総辞職し、菅内閣が誕生しました。菅首相は、全日本冠婚葬祭互助会政治連盟の最高顧問です。今回は政治連盟から5人の大臣が出ました。素晴らしい快挙であり、互助会業界も政治力が以前より格段に強くなってきました。ちなみに、政治連盟の初代会長はわが社の 佐久間進会長です。佐久間会長は、全互協の初代会長でもあり、互助会事業の法制化を実現しました。わたしは、現在、全互協と政治連盟ともに副会長を拝命しています。

f:id:shins2m:20201008110729j:plain「GoToウエディング」の実現を! 

 

ぜひ、菅首相にお願いしたいことがあります。菅首相は一連のGoToキャンペーンを主導してこられた方ですが、日本人が結婚式を挙げやすい政策を立てていただきたいと思います。結婚式の費用とか交通費などを助成する、いわば「GoToウエディング」です。「GoToウエディング」は「GoToトラベル」のように業界救済、つまり経済のためではなく、社会のために行うものです。日本は、いま最大の国難に直面しています。それは新型コロナウイルスの問題でも、中国の領土侵犯の問題でも、北朝鮮のミサイル問題でもありません。より深刻なのが人口減少問題です。人口減少を食い止める最大の方法は、言うまでもなく、たくさん子どもを産むことです。そのためには、結婚するカップルがたくさん誕生しなければならないのですが、現代日本には「非婚化・晩婚化」という、「少子化」より手前の問題が潜んでいます。

f:id:shins2m:20201008140748j:plain結婚よりも結婚式のほうが優先する!

 

わたしは、結婚式は結婚よりも先にあったと考えています。一般に、多くの人は、結婚をするカップルが先にあって、それから結婚式をするのだと思っているのではないでしょうか。でも、そうではないのです。結婚よりも結婚式が優先する! 日本人の神話である『古事記』では、イザナギイザナミはまず儀式をしてから夫婦になっています。つまり、結婚よりも結婚式のほうが優先しているのです! 他の民族の神話を見ても、そうでした。すべて、結婚式があって、その後に最初の夫婦が誕生しています。結婚式の存在が結婚という社会制度を誕生させ、結果として夫婦を生んできたのです。結婚式があるから、多くの人は婚約し、結婚するのです。結婚するから、子どもが生まれ、結果として少子化対策となります。観光や外食よりも、結婚式は社会の維持のために絶対に必要です。冠婚業はけっして単なるサービス産業ではありません。日本という国を継続させていくエンジンのような存在です!

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熱心に聴く人びと

菅首相は、自民党総裁に選ばれた直後の挨拶で「私の目指す社会像は、自助・共助・公助、そして絆であります」と述べられました。自助・共助・公助、そして絆の社会とは、まさに相互扶助の互助社会ではありませんか! ぜひ、互助の精神で「GoToウエディング」の実施を切に願う次第です。結婚式も大事ですが、葬儀も重要です。葬儀がなければ、家族や友人・知人・恋人などの「愛する人」を亡くした悲嘆から、うつ・自死の連鎖が起こって、人類は滅亡していたというのが、わたしの仮説です。

f:id:shins2m:20201008152404j:plain葬祭業はエッセンシャルワーク !

 

最近、「葬祭業はエッセンシャルワークですね」とよく言われます。エッセンシャルワークとは医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活に不可欠な仕事です。同じように大切な仕事と思われてきた教育はエッセンシャルワークではありません。日本中の大学は未だに閉鎖されています。神社や寺院や教会といった宗教もエッセンシャルワークではありません。コロナ前から「神社崩壊」や「寺院消滅」が叫ばれていたことが思い出されます。しかし、葬儀はエッセンシャルワークです。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。

f:id:shins2m:20201008111923j:plain家族葬罪と罰」とは? 

 

葬儀といえば、某週刊誌が終活特集を組み、「家族葬罪と罰」というテーマで取材を受けました。わずらわしい人間関係を避けつつ、あまりおカネをかけたくない人たちが家族葬を選んでいるといいます。結局、その根本にあるのは、「なるべく労力をかけたくない」という本音です。しかし、わたしは「葬儀は、面倒だからこそ意味がある」と指摘しました。人がひとりこの世からいなくなってしまうというのは大変なこと。骨になってしまえば、生の姿を見ることは二度と出来ません。取り消しがつかないからこそ、憂いは残さないほうがいいのです。億劫という気持ちはいったん脇において、関係のあった多くの人に声をかけ、故人と最後の挨拶を交わす場所を用意してあげるべきである。選択を誤れば、最期を迎える自分自身も無念が残るし、家族にも「罪と罰」という意識だけを抱かせてしまうのではないでしょうか?

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熱心に聴く人びと

 

家族葬」の本質は「密葬」です。身内だけで葬儀を済ませ、友人・知人や仕事の関係者などには案内を出しません。そんな葬儀が次第に「家族葬」と呼ばれるようになったのです。しかしながら、本来、ひとりの人間は家族や親族だけの所有物ではありません。どんな人でも、多くの人々の「縁」によって支えられている社会的存在なのです。「密葬」には「秘密葬儀」的なニュアンスがあり、出来ることなら避けたいといった風潮がありました。それが、「家族葬」という言葉を得ると、なんとなく「家族だけで故人を見送るアットホームな葬儀」といったニュアンスに一変し、身内以外の人間が会葬する機会を一気に奪ってしまいました。家族葬をはじめとする密葬的な葬儀が進むと「無縁社会」が一層深刻化する。家族葬で他人の死に接しないことが、他人の命を軽視し、末恐ろしいことにつながらなければ良いと真剣に思います。

f:id:shins2m:20201008112141j:plain冠婚葬祭がなくなることはありません!

 

このたびの台風10号では、100人以上の避難者の方々を受け入れました。「魂を送る場雲閣が「命を守る場所」となったことは画期的であり、「セレモニーホール」が「コミュニティホール」へと進化しました。冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる社会インフラとしての文化装置なのです。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません! この1ヵ月の間にも、若宮紫雲閣宮田紫雲閣ゆくはし三礼庵の3つの施設がオープンしました。コロナ禍の中にあっても、わが社はなんとか今年も黒字で終わる見込みです。黒字だから、わたしは今日は黒マスクをつけているのです。赤字なら、赤いマスクをつけます(笑)。

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イメージキャラクターの前川清さんについて

 

最後に、「素晴らしい方がわが社のイメージキャラクターになって下さいました。前川さんが出演するCMも作成し、現在TVで流れています。わが社は、毎週日曜日の12時からテレビ朝日系で放送の「前川清の笑顔まんてんタビ好キ」も提供しています。前川さんがいろんなお宅を訪問する番組ですが、突然の訪問を受けた側の反応は3つのパターンがあるとか。1つは、有名人の出現に驚くパターン。1つは、前川さんの大ファンが狂喜するパターン。そしてもう1つは、「帰れ!」と罵声を浴びせられるパターンです。

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人びとの魂を結びて魂送るわが礼業は不滅なりけり 

 

NHK紅白に29回も出場した国民的歌手の前川さんでも、そんな目に遭うのです。営業のみなさんも、訪問したお宅から厳しい拒否にあっても、どうか落ち込まないで下さい。あとで、前川さんのCMを流しますから、お楽しみに! そして、わたしは「新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、儀式文化を基軸とした『人間尊重』というわが社のミッションは永久に不滅です。一緒に力を合わせて、心ゆたかな社会を創造しましょう!」と述べてから、次の道歌を披露しました。

 

人びとの魂(たま)を結びて魂送る

     わが礼業は不滅なりけり

 


 

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CM上映のようす

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CM上映のようす

 

わたしが降壇した後、新CMを紹介しました。
サンレーグループ篇とセレモニー篇の作品ですが、桑田佳祐福山雅治もリスペクトする国民的歌手の前川清さんがオリジナルソングの「ありがとう」を歌い、最後は「サンレー~♪」とか「紫雲閣~♪」とかのサウンドロゴを歌い上げた圧倒的な事実を前に、みんな感動していました。上映後は会場が割れんばかりの盛大な拍手が起こったのは言うまでもありません。

f:id:shins2m:20201008113642j:plain決意表明のようす

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がんばりま~す!

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情熱的に決意を述べる!

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爆笑の五輪コント(吉本に入れたい!)

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マスクの下でも思わず笑いが・・・

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折尾のパワーを見よ!

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小倉南のチームワーク!

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福岡もやります!

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SIRIを使った決意表明

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ドラえもんのび太のやりとり


社長訓話の後は、各営業所長およびブロック長による決意表明が行われました。北九州だけで3ブロック・12営業所および研修センターがあるのですが、それぞれに趣向を凝らした決意表明でした。いつもは営業所長の音頭に合わせて、営業員さんたちが声を揃えたり、拳を突き出したり、「達成」などと書かれた団扇を振ったり、歌を歌ったりするのですが、感染防止のために今回は控えめに行いました。それでも、熱気はビンビン伝わってきました。みなさん、まことにユニークで楽しい決意表明を見せてくれました。特に「TOKYO2020」コント、SIRIのテクノロジーを使ったコント、ドラえもんのび太のコントは面白く、思わずマスクの下で笑ってしまいました。

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森さんが社長への手紙を朗読

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ハンカチで目頭を押さえました

 

また、ホロリと来た場面もありました。行橋営業所の決意表明の際に、わが社が誇るスーパースターの森シゲ子さんから「社長へ」と題する手紙が朗読されました。森さんは冒頭で、「いつも働かせていただいて、ありがとうございます。また、ゆくはし三礼庵をオープンしていただき、本当にありがとうございます」と感謝の言葉を述べ、最後に「社長にお願いがあります。わたしは、この仕事が大好きです。ぜひ、わたしを100歳まで働かせて下さい。必ず、社長のお役に立ってみせます!」と言いました。それを聞いたわたしは、思わずハンカチで目頭を押さえました。

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ボヤく田川営業所の所員たち

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清澄さんからのお願いとは?

また、田川営業所の決意表明では、所員たちが「ゆくはし三礼庵っていいわよね~。あんな素敵な施設があったら、いくらでも互助会取れるわよね~。たしか行橋営業所よね~。それから、若宮紫雲閣宮田紫雲閣っていいわよね~。あんな立派な施設があったら、いくらでも互助会取れるわよね~。たしか飯塚営業所よね~。うちも添田町あたりに新しい施設が欲しいわよね~」とボヤき、「そうだ、清澄さんに相談しましょう!」と言って、もう1人のスーパースターである清澄千恵子さんにマイクを渡しました。清澄さんは、「社長、わたしは素晴らしい仕事があって、幸せです。この仕事に強い誇りを持っています。この仕事が大好きです。森さんが100歳なら、わたしは110歳まで働かせて下さい!」と言いました。場内は大爆笑でしたが、この清澄さんの言葉にも感動しました。

f:id:shins2m:20201008121101j:plain決意表明の講評を行いました

f:id:shins2m:20201008121337j:plainみなさんなら、必ず、やれます!

 

すべての決意表明が終わった後、わたしは「コロナの時代の素晴らしい決意表明でした。なによりも明るいのがいい。森さんや清澄さんの言葉には感動しました。コロナ禍の中で休業されていた方も多いでしょうが、中には『働くのは面倒だ』『外に出るのは面倒くさい』『やりたくない』などと思われる人がいるかもしれません。しかし、ネガティブに考えると、どんどん悪い方向に転がるものですが、何事も陽にとらえて、前向きに明るくしていれば必ず好転します。もともと仕事とは楽しいものであり、互助会の口数が取れることは大きな喜びです。みなさんなら、その楽しさや喜びをよく知っているはずです。マスクから覗いた目はランランと燃えています。みなさんなら、必ず、やれます!」と講評しました。

f:id:shins2m:20201008121628j:plainこれが「和のこえwithコロナ」だ!

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「がんばろー!」を3回唱和

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最後は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20201008130040j:plain退場のようす

f:id:shins2m:20201008124732j:plainさあ、これからが勝負です!

 

1年前の営業推進部総合朝礼では、わたしは黄金の法被を着て、北島三郎の「まつり」とTHE YELLOW MONKEYの「太陽が燃えている」を熱唱しましたが、まるで夢か幻のようです。みんなでカラオケを歌ったり、握手をしたり、全員で手をつないで「ガンバロー!」と3回唱和するなど、今では絶対に考えられません。そんなことをするのは狂気の沙汰です。わずか数ヵ月で、ここまで世界が一変するとは誰が予想したでしょうか? しかし、ラストは小谷部長代理による「和のこえ」でした。コロナで手が繋げないので、各自が拳を突き上げて「がんばろー!」と3回唱える「和のこえwithコロナ」です。わたしは「これなら行ける!」と思い、猛烈なファイトが湧いてきました。さあ、これからが勝負です!

 

2020年10月8日 一条真也

『満月交心 ムーンサルトレター』

一条真也です。
7日、金沢から小倉に戻ったら、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生との共著『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)の見本が届いていました。102冊目の「一条本」です。鎌田先生とのWeb往復書簡「ムーンサルトレター」の第121信から第180信までが収められ、約580ページのボリュームです!

f:id:shins2m:20201007131729j:plain満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)

f:id:shins2m:20201007131809j:plain本書の帯

 

本書のカバー表紙には夜空に浮かぶ満月のイラストが使われ、帯には「儀式とグリーフケアを語り尽くす!」「バク転神道ソングライター鎌田東二VS儀礼文化イノベーター一条真也」と書かれています。

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本書の帯の裏

帯の裏には、「●『絶歌』●オウム真理教事件終戦七〇周年記念映画●『唯葬論』●「母と暮せば」●「世界の涯てに」●死亡体験館●パゾリーニ●「シン・ゴジラ」●「君の名は。」●『葬式に迷う日本人』●『古事記』モスクワ公演●『儀式論』●サンレー創立五〇周年●成人式改良計画●『古事記』小倉公演●「沈黙~サイレンス」●『人生の修め方』●『日本人は死んだらどこへ行くのか』●グリーフケア読書&映画●「ヴィラルーチェ」完成●サンレー創立五〇周年記念祝賀会●冠婚葬祭の「巨人の星」●天皇制と大相撲●『唯葬論』文庫版●「リメンバー・ミー」●『天河大辨財天社の宇宙』●「冠婚葬祭4.0」●『日日是好日』●「ヘレディタリー/継承」●「ボヘミアン・ラプソディ」●礼儀のアップデート●「ファースト・マン」●『震災と向き合う子どもたち』●新元号「令和」●「ヘレーネ・クリムトの肖像」●令和最初の「終戦の日」●『グリーフケアの時代』●即位の礼●大嘗宮の儀●互助会とグリーフケア新型コロナウイルスパンデミックとオリンピック・・・など」と書かれています。

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満月に魅せられた二人 

 

アマゾンの「内容紹介」には、「儀式とグリーフケアを語り尽くす! バク転神道ソングライターこと宗教哲学者・鎌田東二儀礼文化イノベーターこと作家・一条真也が、満月の夜に交わした往復書簡第三弾(2015年7月15日:第121信から、2020年4月8日:第180信までを収録)、ついに刊行! コロナ禍の今、心を通わせた二人のやり取りが日本人の今後の生き方のヒントになる」とあります。

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本書の「目次」

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

「まえがき」一条真也

第121信
『絶歌』  オウム真理教事件

第122信
「久高オデッセイ」  大重潤一郎

第123信
終戦70年記念映画  大重潤一郎監督を偲ぶ会

第124信
『満月交遊 ムーンサルトレター』  「能舞奉納」

第125信
サンデー毎日」  出雲大社参拝

第126信
バリ島   『唯葬論』

第127信
「母と暮せば」  横尾龍彦先生

第128信
「世界の涯てに」   自然治癒力

第129信
インド    地獄谷温泉

第130信
『世界聖典全集』   スサノヲノミコト

第131信
グリーフケア   救援救助ボランティア活動

第132信
死亡体験館   パゾリーニ

第133信
青木新門   神道ソングライター

第134信
連続講義    大重祭り

第135信
島田裕巳    「シン・ゴジラ

第136信
君の名は。」   鳴鏑の矢

第137信
『葬式に迷う日本人』 「古事記」モスクワ公演

第138信
『儀式論』   聖地巡り

第139信
サンレー創立50周年  大乱世

第140信
成人式改良計画  三島由紀夫と阿部公房

第141信
古事記」小倉公演  「沈黙~サイレンス」

第142信
台湾   「最後の誘惑」

第143信
『人生の修め方』  『遠藤周作文学全集』

第144信
中国訪問   東北被災地めぐり

第145信
『日本人は死んだらどこへ行くのか』 『平家物語

第146信
『言霊の思想』  空海

第147信
グリーフケア読書&映画    七冊の小説

第148信
盆踊り   恐山と瞑想の科学

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本書の「目次」

 

第149信
「ヴィラルーチェ」完成   マルチプレーヤー

第150信
創立50周年記念祝賀会  冠婚葬祭の「巨人の星

第151信
天皇制と大相撲   『新古今和歌集

第152信
『唯葬論』文庫版   南方熊楠

第153信
はれの日   石牟礼道子

第154信
桃の節句  トップアスリート

第155信
客員教授   「リメンバー・ミー

第156信
中欧訪問    五月連休

第157信
多死社会    「アカインコ」

第158信
久高島と沖縄本島    天河との出会い

第159信
常世の時軸』 『天河大辨財天社の宇宙』 

第160信
『天河曼荼羅』   東大寺

第161信
「冠婚葬祭4.0」  「六六六×三」

第162信
日日是好日』   「禁じられた遊び

第163信
初講義   魂の三兄弟

第164信
「ヘレディタリー/継承」
ボヘミアン・ラプソディ

第165信
礼儀のアップデート  『津軽のカマリ』

第166信
ファースト・マン
『震災と向き合う子どもたち』

第167信
『決定版 冠婚葬祭入門』    韓国行き

第168信
元号「令和」   Oリングテスト

第169信
映画でキリスト教を考える  
「ヘレーネ・クリムトの肖像」

第170信
函館夫婦旅    ベトナムラオス

第171信
石垣島    『夢通分娩』

第172信
令和最初の「終戦の日」   老年哲学国際会議

第173信
グリーフケアの時代』  『熊楠と賢治』

第174信    
クアラルンプール   「中空土偶

第175信   
即位の礼   天空教室

第176信   
大嘗宮の儀  『新論』

第177信    
サムライの歌    聖詩

第178信  
互助会とグリーフケア  祖母の思い出

第179信  
グリーフケアVR  新型コロナウイルス

第180信  
パンデミックとオリンピック  
ハレー彗星インパク

「あとがき」鎌田東二

f:id:shins2m:20201008002731j:plain満月交感』と『満月交遊

 

満月交感 ムーンサルトレター(上)』『満月交感 ムーンサルトレター(下)』『満月交遊 ムーンサルトレター(上)』『満月交遊 ムーンサルトレター(下)』(いずれも水曜社)の続編で、満月シリーズ5冊目となります。今回は上下2巻に分けずに1巻としました。ですから、すごく分厚いです!

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満月シリーズが勢揃い!

 

本書に収められたレターは、じつにさまざまなテーマが縦横無尽に語られていますが、あえてメインテーマを挙げるとしたら「儀礼・儀式」と「グリーフケア」ではないでしょうか。鎌田先生は、宗教の三要素として、「神話・儀礼・聖地」の重要性を力説されておられます。その中で、儀礼とは、神話に基づき、神話と連携しながら、神や霊などの超越的な存在世界との接触を果たし、この世界で生きていく活力や癒しを得る身体的技法と表現であるといいます。『満月交感 ムーンサルトレター(下)』の「まえがき」の最後に、わたしは「人はみな神話と儀礼求むると 文を交わせし師に教えられ」という歌を詠みましたが、わたしは、儀礼とはほとんど文化の同義語であると考えています。そして、儀礼の核を成すものが儀式です。儀式とは、ずばり「かたち」のことです。

 

儀式論

儀式論

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: 単行本
 

 

ついに、「人生100年時代」などと言われるようになりました。その長い人生を幸福なものにするのも、不幸なものにしてしまうのも、その人の「こころ」ひとつです。もともと、「こころ」は不安定なもので、「ころころ」と絶え間なく動き続け、落ち着きません。そんな「こころ」を安定させることができるのは、冠婚葬祭や年中行事といった「かたち」の文化です。「かたち」には「ちから」があります。そんな考えを、これまで、わたしは『儀式論』(弘文堂)や『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)や『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版社)をはじめ、一連の著書に書いてきました。

 

 

また、現代日本では、大切な人を失った悲嘆に寄り添い、支える「グリーフケア」の重要性が高まっています。わたしは、経営する冠婚葬祭互助会で2010年からグリーフケア・サポートの活動を開始し、2018年からは上智大学グリーフケア研究所JGCI)の客員教授に就任し、「グリーフケアと儀式」「グリーフケアと互助会」「グリーフケアと読書」「グリーフケアと映画鑑賞」などをテーマに講義を行なってきました。同研究所の島薗進所長、特任教授の鎌田先生とともに共著『グリーフケアの時代』(弘文堂)も上梓することができました。

f:id:shins2m:20201007160125j:plain満月シリーズの背表紙! 『交心』の厚さを見よ!

 

現在、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の副会長として、わたしは全互協の儀式継創委員会を担当し、全互協とJGCIのコラボであるグリーフケア・プロジェクト・チームの座長を務めています。2021年度にスタート予定のグリーフケア資格認定制度の立ち上げを準備していますが、本書でわたしたち二人が語り合った「儀礼・儀式」および「グリーフケア」についての諸発言は、冠婚葬祭の現場で働かれる方々や、グリーフケアの資格取得を目指す方々にとっても大いに参考になると思います。

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「明るい世直し」を目指す二人

 

21世紀になってから、むごい事件、災害が頻発し、人々は気の休まる暇もありません。アメリカの同時多発テロ、世界各国に起きた大規模地震、とりわけ東日本大震災、世界中で起こっている水害、大規模火災。そして、今回の新型コロナウイルスパンデミックは世界中を疲弊させ、大きな不安と深い悲しみをもたらした。今ほど、不安定な「こころ」を安定させる「かたち」としての儀式、悲しみに対処するグリーフケアが求められる時代はありません。ウィズコロナ、アフターコロナ、ポストコロナ、そしてビヨンドコロナを生き抜くヒントを本書から読み取っていただければ幸いです。満月の夜に「こころ」を交わすわたしたちは、ともに「明るい世直し」を目指しています!



本書のテーマソングは桑田佳祐の「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」だと自分で勝手に思っています。まあ、わたしたちは「聖者」ではなく「変人」かもしれませんが(笑)。しかし、15年以上もの間、「ムーンサルトレター」を続けている鎌田先生との御縁に心から感謝しています。こうなったら、もう死ぬまで、いや死んだ後も文通を続けたいものです。本書のカバーの背の色は鎌田先生のイメージ・カラーであるグリーンです。もしも、第6弾が出版される暁には、今度のカバーの背の色は、わたしのイメージ・カラーであるパープルにしていただきたい!
満月交心 ムーンサルトレター』は、10月28日に全国の書店およびネット書店で販売されます。どうか、ご一読下さいますよう、お願いいたします。

 

満月交心 ムーンサルトレター

満月交心 ムーンサルトレター

 

 

2020年10月8日 一条真也

PHP「私の信条」

一条真也です。
7日、金沢から北九州に戻ります。サンレー本社に「月刊PHP」11月号が届きました。特集は「崖っぷち、逆境、挫折 転んでも立ち上がる!」です。

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「PHP」2020年11月号の表紙

 

ブログ「PHP取材」で紹介したように、今年の8月17日、PHP研究所のPHP制作局の局長で、「PHP」編集長の大谷泰志さんの訪問を受けました。「PHP」本誌の「私の信条」というコーナーでのインタビュー取材でした。さまざまな業界のトップの方が、会社のミッションや自身の信条を語る内容です。そのインタビューの掲載誌が届いたのです。

f:id:shins2m:20201006093107j:plain「PHP」2020年11月号 

 

「私の信条」には、「礼と人間尊重の心を養う」のタイトルで、わたしの談話が紹介されています。
「『不惑』とは、孔子が自身の人生を語る際の『四十にして惑わず』から生まれた言葉です。40歳の異称ともなっていますが、わたくし自身が40歳の時に、惑わなかったかと言えば、そんなことはまったくありません。ちょうど父から弊社の社長を任されたのが、2001年、40歳手前でした。まだまだ右も左もわからない若輩なのに、会社を引き受けて、どうすればいいのか。もし自身が経営判断を誤れば、社員やその家族を路頭に迷わせてしまう。不安で仕方ありませんでした。自身の強みと言えば、子供のころから本が大好きで、読書から学ぶことが習い性になっていたことです。そこで、『不惑』の出典である『論語』を徹底的に読んでみようと思い立ち、40歳の誕生日の40日前から、岩波文庫の『論語』を毎日1回繰り返し読むことにしたのです。それは、まことに不思議な体験でした。読めば読むほど、新米社長になる私に対して孔子がピンポイントで、語り掛けてくれているように思えました。人生や経営の悩みにすべて答えが与えられ、目の前の霧が晴れていったのです。
当時、冠婚葬祭業ではお金儲けに熱心な会社も少なからずありました。そんな風潮に違和感を覚えていた私には、『利によりて行えば怨み多し』という論語の言葉がピタッと来ました。自分の利益のみの追求は弊害を招くという意味ですが、では、弊社は何を第一に追求するのか。冠婚葬祭業で大切なのは礼であり、人間尊重ではないか。いたずらに高額な結婚式や葬儀を提案するのではなく、人と人とのご縁を丁寧に祝い、人の死を厳粛に弔う営みのベースには、礼と人間尊重の心が必要であると思います。
いみじくも弊社の社名サンレーの意味の1つは「讃礼」であり、礼を讃えることを重んじています。『礼』の旧字は『禮』です。この示す偏は心であり、心を豊かにするという説があります。お辞儀をしたり、笑顔を交わしたりする礼も、セレモニーなどの儀礼も、心を豊かにすることにつながります。ホスピタリティーやおもてなしという言葉も、相手を尊重し喜んでもらおうとする心なくしては成り立ちません。
コロナ禍のいま、冠婚葬祭は制約が多く、ままならない部分もあります。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行ないです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行なう時代が必ず来ると思います。そのためにもいま一度、礼と人間尊重の心を養っておかねばと強く思っています」

 

2020年10月6日 一条真也

金沢カレーで勝つ!

一条真也です。
金沢に来ています。ブログ「北陸総合朝礼」で紹介したように、コロナ禍の中にあっても、サンレー北陸は素晴らしい業績をあげました。もちろん黒字を確保し、特に10月末で閉店の決まったマリエールオークパイン金沢稼働率日本一とも思える好業績で、総合朝礼は異様な盛り上がりとなりました。

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いただきます!

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これが金沢カレーだ!!

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これは、うまい!

 

総合朝礼の終了後は、北陸本部会議です。その前に本部会議出席メンバーによる昼食会が行われました。メニューは金沢名物の「金沢カレー」です。冒頭、わたしは「コロナ禍の中、みなさん、本当に良く頑張ってくれました。みなさんは勝者です。これからも、勝つことを期して、カツの入った金沢カレーを一緒に食べましょう!」と言ってから、みんなで「いただきます!」と手を合わせました。

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笑みがこぼれる美味しさ!

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黙々と食べる人びと

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デザートは金沢フルーツでした

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ごちそうさまでした!

 

日本一の結婚式場になったマリエールオークパイン金沢特製の金沢カレーは本当に美味しかったです。わたしは、ブログ「安倍首相のカツカレー」で紹介したホテルニューオータニ東京のレストラン「SATUSKI」のカツカレーを連想しました。安倍晋三前首相がこよなく愛したカレーです。菅新首相は「パンケーキ好き」で知られていますが、菅首相の好物も「SATUKI」のパンケーキです。わたしは、「ああ、パンケーキをデザートにすれば、さらに縁起が良かったかな」と思いましたが、カレーだけでもお腹いっぱいになりました。デザートは美味しい金沢フルーツです。その後の会議が充実したのは言うまでもありません。

 

2020年10月6日 一条真也