北陸総合朝礼

一条真也です。
5日、金沢に入りました。
6日の11時から、マリエールオークパイン金沢で、サンレー北陸の総合朝礼を行いました。もちろんソーシャルディスタンスに配慮して人数を制限し、マスク着用ですが、じつに久々の北陸の総合朝礼です。

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北陸総合朝礼のようす

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入場しました

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最初は、もちろん一同礼!

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社歌斉唱のようす

f:id:shins2m:20201006111629j:plain「経営理念」および「S2M宣言」の唱和

 

北陸の社員のみなさんの前で話すのは、ブログ「北陸祝賀式典」で紹介した今年1月16日の社長訓示以来です。まず、総務課の上本さんによる「開会の辞」に続いて全員で国旗・社旗拝礼の後に社歌を斉唱しました。それから小松営業所の篠原所長によって「経営理念」および「S2M宣言」を小声で唱和しました。

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黒マスク姿で登壇

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黒マスクを外しました

 

そして、いよいよ「社長訓示」です。
わたしは、以下のような話をしました。
「とにかく、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は想定外の事件でした。わたしを含めて、あらゆる人々がすべての『予定』を奪われました。緊急事態宣言という珍しい経験もすることができました。もっとも、コロナとの付き合いはまだ終わってはいません。ニューノーマルの時代となっても、わたしたちは、人間の『こころ』を安定させる『かたち』としての儀式、冠婚葬祭を守っていかなければなりません!」

f:id:shins2m:20201006113933j:plainコロナ禍の中で菅内閣が誕生!

 

「9月16日、安倍晋三内閣が総辞職し、菅義偉氏が第99代の内閣総理大臣に就任しました。菅首相は、全日本冠婚葬祭互助会政治連盟の最高顧問です。今回は政治連盟から5人の大臣が出ました。素晴らしい快挙であり、互助会業界も政治力が以前より格段に強くなってきました。ちなみに、政治連盟の初代会長はわが社の 佐久間進会長です。佐久間会長は、全互協の初代会長でもあり、互助会事業の法制化を実現しました。わたしは、現在、全互協と政治連盟ともに副会長を拝命しています」

f:id:shins2m:20201006111906j:plainGoToウエディングの実施を!

 

「ぜひ、菅首相にお願いしたいことがあります。菅首相は一連のGoToキャンペーンを主導してこられた方ですが、日本人が結婚式を挙げやすい政策を立てていただきたいと思います。結婚式の費用とか交通費などを助成する『GoToウエディング』です。『GoToウエディング』は『GoToトラベル』のように業界救済、つまり経済のためではなく、社会のために行うものです。日本は、いま最大の国難に直面しています。それは新型コロナウイルスの問題でも、中国の領土侵犯の問題でも、北朝鮮のミサイル問題でもありません。より深刻なのが人口減少問題です」

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互助社会の実現を!

 

「人口減少を食い止める最大の方法は、たくさん子どもを産むことです。そのためには、結婚するカップルがたくさん誕生しなければならないのですが、現代日本には『非婚化・晩婚化』という『少子化』より手前の問題が潜んでいます。菅首相は、自民党総裁に選ばれた直後の挨拶で『私の目指す社会像は、自助・共助・公助、そして絆であります』と述べられました。自助・共助・公助、そして絆の社会とは、まさに相互扶助の互助社会です。互助の精神で『GoToウエディング』の実施を切に願う次第です」

f:id:shins2m:20201006112044j:plainマリエールオークパイン金沢 について

 

「さて、そのように冠婚事業は社会にとっても非常に重要なのですが、わが社のマリエールオークパイン金沢が閉館することになりました。1977年(昭和52年)10月オープンですが、約44年の歴史の幕を閉じます。金沢平安閣からマリエールオークパイン金沢となり、じつに1万組を超えるカップルのお世話をさせていただいてきました。石川県で最も多くの結婚式を行ってきました。昭和・平成・令和と3つの時代を超えて愛されてきた、最高の結婚式場です!」

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熱心に聴く人びと

 

「このたびの閉館は、施設の老朽化を伴うものです。調査をしたところ、主要な設備や配管などに不具合が生じていることが判明しました。100%安全な施設および設備でサービスを提供するのが、わたしたちの務めです。現状ではこれが困難であることがわかりました。お客様のためにも、もちろん社員のみなさんのためにも事故を起こすわけにはいきません。でも、心配しなくていいです。次の結婚式場についても考えています。すでに土地も購入していますが、想定外のコロナ禍でどのような形で新しい施設を作ったらいいのかを現在検討中です。近いうちにビッグニュースを発表しますので、お楽しみに!」

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新しい結婚式場をお楽しみに!

 

「さて、10月の閉館に伴い、施行もこの10月末で終了します。今年の3月末からは新型コロナウイルスによるキャンセルや延期が相次ぎました。全国の結婚式場で『施行0』が続く中で、マリエールスタッフは素晴らしい働きをしてくれました。山下総支配人、山岸支配人以下、コロナ禍においてもプライドを持って、『お客様のために施行を守り続ける』という凛とした姿勢を貫いてくれました。本当に、わたしは社長として心から感謝するとともに、個人としてマリエールスタッフを尊敬いたします」

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冠婚部門はぶっちぎりの1位に! 

 

「この8月から10月までで70件を超える施行を行ってくれました。10月だけでも30件の施行予約をいただいています。コロナ禍にも関わらず、前年の実績を大幅に超えました。想像以上の『絶対的なチーム力』を発揮してくれた結果だと思っています。この数字は石川県では『圧倒的』『ぶっちぎり』の1位。全国的に見ても稼働率はナンバーワンではないでしょうか。年初に掲げた『圧倒的一番店になる』というミッションを、この難しい時期に実現させたスタッフのことを心から誇りに思います。まさに、この施設の44年間の歴史に『有終の美』を飾ってくれた、最高の戦士たちだと思います。心から感謝を申し上げたいと思います。どうか、みなさん、彼らに拍手をしてあげて下さい!」と言うと、会場全体で拍手が起こりました。見ると、山下総支配人や山岸支配人は目をこすっていました。

f:id:shins2m:20201006112822j:plainフォト婚 に力を入れよう!

 

「11月以降の挙式・披露宴施行については、片町きららにある人気結婚式場『アルカンシエル金沢』さんと指定店契約を結びました。石川県でトップを争う結婚式場であり、これまではライバル式場でもありました。会員の皆様に喜んでいただける施設だと思います。スタッフも素晴らしい方々が揃っています。すでにマリエールスタッフとの信頼関係もできつつあります。どうか、安心して送客していただきたい」

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熱心に聴く人びと

 

「また、新たに出雲町に衣裳店とスタジオの機能を1つにした新施設アフロディーテ金沢店をオープンします。ここ数年、『フォト婚』の需要が大きく伸びてきました。コロナ禍ではありますが、本年のフォト婚の獲得数は前年を大きく上回りました。11月・12月の営業があったとしたら軽く前年の倍以上の施行数を獲得したと考えられます。もちろんコロナショックがなければ、さらなる飛躍ができた『新ビジネス』だと捉えています。衣裳と写真のハイブリッドで、まずは新たなスタートを切っていく。小松店にしても七尾店にしても同様に大きな可能性を秘めている。全国サンレーグループの『先駆け』として新たなサービスの誕生に期待したい。必ず、みなさんであればやっていただけると信じています」

f:id:shins2m:20201006112823j:plain葬祭業はエッセンシャルワーク 

 

「さて、葬儀の方ですが、最近、『葬祭業はエッセンシャルワークですね』とよく言われます。エッセンシャルワークとは医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活に不可欠な仕事です。同じように大切な仕事と思われてきた教育はエッセンシャルワークではありません。日本中の大学は未だに閉鎖されています。神社や寺院や教会といった宗教もエッセンシャルワークではありません。コロナ前から『神社崩壊』や『寺院消滅』が叫ばれていたことが思い出されます」

f:id:shins2m:20201006114016j:plain紫雲閣は永久に不滅です! 

 

「しかし、葬儀はエッセンシャルワークです。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。葬儀が必要不可欠のエッセンシャルワークなら、わが 紫雲閣は永久に不滅です! エッセンシャルワークは社会的インフラとなります。このたびの台風10号では、100人以上の避難者の方々を受け入れました。『魂を送る場所』であった紫雲閣が『命を守る場所』となったことは画期的であり、『セレモニーホール』が『コミュニティホール』へと進化しました」

f:id:shins2m:20201006112758j:plainサンレー北陸を日本一の互助会に!

 

そして、「冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる社会インフラとしての文化装置なのです。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません! このコロナ禍の中で、わが社の施設は続々とオープンし続けています。また、日本全国のサービス業の赤字決算が確実視されるコロナ禍の中にあっても、わが社はなんとか今年も黒字で終わる見込みです。前川清さんをイメージキャラクターとする素晴らしいCMも完成しました」

f:id:shins2m:20201006131945j:plainみなさん、本当にありがとうございました!

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盛大な拍手に感激しました!

 

特に、これから楽しみなのが北陸。数年後、サンレー北陸が日本一の冠婚葬祭互助会になっていることも夢ではありません。どうか、みんなで力を合わせて、この素晴らしい礼業を守りましょう。わたしも、みなさんが人生を卒業されるときに『サンレーで働けて幸せだった』と言っていただけるように、社長としてさらに精進いたします」と述べ、最後に「みなさん、本当にありがとうございました!」と言って深々と一礼して降壇しました。すると、盛大な拍手が起こりました。泣いている社員も多く、わたしも感動しました。


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上映後、盛大な拍手が・・・

わたしが降壇した後、新CMを紹介しました。
サンレーグループ篇とセレモニー篇の作品ですが、桑田佳祐福山雅治もリスペクトする国民的歌手の前川清さんがオリジナルソングの「ありがとう」を歌い、最後は「サンレー~♪」とか「紫雲閣~♪」とかのサウンドロゴを歌い上げた圧倒的な事実を前に、みんな感動していました。

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挨拶する東専務

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東専務の挨拶を聴きました

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挨拶する山下部長

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挨拶する岸部長

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挨拶する青木部長

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みんなの話を聴きました

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最後は、もちろん一同礼!

 

それから、北陸本部長である東専務の挨拶がありました。続いて、各部門長による挨拶です。冠婚事業部の山下部長、営業推進部の岸部長、紫雲閣事業部の青木部長より熱のこもった想いが語られました。最後は、全員で手をつないでの「和のこえ」のはずでしたが、コロナ禍とあって、これはスルーしました。それでも、全員の心が1つになりました。総合朝礼の終了後は、北陸本部会議です。コロナ時代にあっても未来を拓くための有意義な会議にしたいと思います。みんなで力を合わせて、コロナ禍を乗り切ろう!

 

2020年10月6日 一条真也

知っとった?

一条真也です。
5日の午後、金沢に入りました。6日は、サンレー北陸の総合朝礼に出ます。出張に出る直前、 小倉ロータリークラブの原田光久会員(日本磁力選鉱会長)からメールがあり、西日本新聞社発行の「てくてく北九州」最新号に小生の記事が出ていると教えて下さいました。原田さん、ありがとうございました。

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「てくてく北九州」2020年10月4日号 

 

記事は「知っとった?」(北九州弁で「知ってましたか?」という意味)のコーナーで、「作家・一条真也氏」のタイトルで、以下のように書かれています。
「多くの人は、1冊の本も著すことなく一生を終えると思います。しかし、地元北九州在住の作家・一条真也さんは、100冊の著書を世に出してきました。その100冊目が今年現代書林から出版された『心ゆたかな社会』(現代書林)(1650円)です。孔子の『論語』とドラッカーの経営論をこよなく愛する著者が、科学技術がどんどん発達する一方、『人と人との縁』が薄くなってしまい、心の無い社会になってしまっていくのではないかという危惧を文章の形にしています。北九州市に全国に先駆けて『高齢者特区』を作り、医療・介護の一層の充実とともに、『老い』の知恵と経験を生かした豊かな縁あるまちづくりを、と提唱します。一条さんのもう一つの顔は、冠婚葬祭業・サンレーの経営者・佐久間庸和社長。二足のわらじならではの視点が興味を引きます」

f:id:shins2m:20200516165530j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

ありがたい記事ですが、最後の「二足のわらじならではの視点」という言葉がちょっと引っ掛かります。というのも、わたしは、自分が二足のわらじを履いているとは思っていないからです。でも、よくそのように言われることは事実で、二足どころか、大学の客員教授も務めていることから「三足のわらじ」、さらにはブロガー活動を加えて「四足のわらじ」などと表現する人もいます。しかし、わたしの本業はあくまでも冠婚葬祭業です。もともと書くことが好きだったのですが、作家業も仕事にすることができました。さらには、大学の客員教授として研究や講義をしたりすることも仕事にできました。ブログも、おかげさまで多くの方々から読まれています。その意味では、わたしは非常に恵まれている人生を歩んでいると思います。

f:id:shins2m:20131003121511j:plainあらゆる本が面白く読める方法』(三五館)

 

拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)の帯には、「経営者、作家、客員教授・・・・・・一人三役を可能にする驚くべき読み方!本邦初公開」と書かれています。でも、わたしは「一人三役」だとは思っていません。経営者、作家、客員教授もそれぞれが分かちがたく結び付き合っていると思っています。どんな本を読んでも、またどんな研究活動をしても、そこで得た知識やヒントやアイデアを必ず本業で活かしたい、また本業のミッションを再確認する一助としたいと考えるのは事実です。

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世界孔子協会の孔健会長と

 

わが社のミッションは「人間尊重」です。そして、2500年前に孔子が説いた「礼」の精神こそ、「人間尊重」そのものだと思います。わたしは「天下布礼」の幟を立てています。かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。しかし、わたしたちは「天下布礼」です。武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」思想で世の中を良くしたいのです。

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冠婚葬祭ほど、人間関係を良くするものはありません。太陽の光が万物に降り注ぐごとく、この世のすべての人々を尊重すること、それが「礼」の究極の精神です。天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがサンレーの使命です。わたしたちは、この世で最も大切な仕事をさせていただいていると思っています。これからも冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをしていきたいものです。

f:id:shins2m:20190313160847j:plain本も書くけど、本業は「礼業」です!

 

また、わたしが大学で教壇に立つのも、講演活動を行うのも、本を書くのも、すべては「天下布礼」の活動の一環であると考えています。ですから、本を書くのも好きな仕事ではありますが、わたしの天職は礼業すなわち冠婚葬祭業であると思っています。


2020年10月6日 一条真也

「フェアウェル」

一条真也です。
映画「フェアウェル」を観ました。
第77回ゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞し、外国語映画賞にノミネートされた話題作です。これまで映画館で何度もこの映画の予告編を見て、人生を修める「修活」がテーマだと知っていましたので、鑑賞を心待ちにしていました。入魂のレビューを書こうと思っていましたが、残念ながら期待外れでした。中国人の現在の死生観を知るという意味では参考になりましたが、内容的にはつまらなかったです。



ヤフー映画の「解説」には、「中国系アメリカ人のルル・ワンが監督を務め、余命わずかな祖母と親戚が過ごす日々を描いた人間ドラマ。『ムーンライト』など数々の話題作を送り出してきたスタジオ『A24』が携っている。祖母思いの孫娘を『クレイジー・リッチ!』などのオークワフィナが演じるほか、ドラマシリーズ『24TWENTY FOUR』などのツィ・マーらが出演」と書かれています。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「末期がんを患う祖母のため、祖国を離れて海外で暮らしていた親戚一同が、従兄弟の結婚式を理由に中国に戻ってくる。ニューヨークで育ったビリー(オークワフィナ)は、祖母が残りの人生を悔いなく過ごせるように病状を本人に明かした方がいいと主張するが、両親を含めたほかの親族たちは、中国では助からない病気は本人に告げない伝統があると反対する」



この映画の最大の欠点はラスト。意外な結末なのですが、腹が立つというか、死生観というのものがまったく描けていません。こんな下らない映画を世界一の超高齢国である日本で公開する必要があったのかと思うくらいです。中国で生まれアメリカで育ったルル・ワン監督が自身の体験に基づき描いた物語だそうですが、ストーリー展開もグダグダしていて、観ていてイライラしました。何より、助からない病は本人に告げないという中国の伝統というのが不愉快でした。中国には「がんの患者は、病気よりも恐怖によって殺される」という言葉があるそうです。



一方、アメリカでは患者に病名を知らせないことは違法です。中国生まれでアメリカ育ちの主人公ビリーは、大好きなおばあちゃんが残り少ない人生を後悔なく過ごせるよう、病状を本人に打ち明けるべきだと主張します。「余命を知らないと、残りの人生でやるべきことができなくなる」というわけですが、わたしもまったく同意見です。映画では、病院が発行する検査結果の書類まで改ざんして、末期がんであることを隠すのですが、強い違和感を抱きました。これは「優しい“嘘”」などという美談では済みません。人間の生き死にのことまで隠す姿勢は、中国という共産主義国家の秘密主義や隠蔽主義に通じていると思います。



実物のルル・ワン監督にそっくりなオークワフィナはニューヨークで暮らしながら、作家を目指しています。博物館の学芸員にもなりたいのですが、なかなか夢がかないません。おばあちゃんっ子である彼女は、祖母が末期がんで余命の少ないことを知り、中国へ飛びます。そこでは、彼女のいとこの男性が日本人女性と結婚する披露宴の準備で盛り上がっていました。この披露宴開催も、家族が祖母に最期の別れをするための口実だったのですが、中国の結婚披露宴のシーンはそれなりに興味深かったです。


「披露宴は小規模でもかまわない」といういとこに対して、祖母は「それはいけない。披露宴は親戚が一同に会するとても大切なもの。できるだけ盛大に祝わなければいけない」と言います。冠婚葬祭業を営むわたしには涙の出るようなセリフですが、実際、映画で描かれた披露宴では多くの親戚が御馳走を食べ、何度も乾杯し、歌い、踊り、舞台でスピーチします。もちろん飛沫は飛びまくりで、「3密」のオンパレードですが、ふだん離れている人々が「こころ」を1つにするには「3密」が必要であることを再認識しました。早く、パンデミックが終息して、世界中で盛大な披露宴が開催されることを願わずにはいられません。



周囲の想いとは異なり、余命わずかな当人の祖母自身はそれほど死を怖れていないようで、大家族を引き連れて亡夫の墓参りをします。そこで、夫の霊にいろいろと願い事をする姿が微笑ましかったです。ちょっと沖縄の墓参りを連想しました。それなのに息子たちのほうが母親(ビリーの祖母のこと)の死を想像するだけで、涙にくれてしまいます。だいたい、老人が先に亡くなるのは自然の摂理です。今回の新型コロナウイルスの感染にしてもそうですが、子どもや若者が重篤化しやすかったり、死にやすいというのなら大問題ですが、その逆ならそれほど騒ぐ必要もないように思うのですが・・・・・・。


愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

わたしは、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書いた中国人の死生観について考えました。2500前の中国に、生命を不滅にするための方法を考えた人がいました。孔子です。彼は、なんと、人間が死なないための方法を考え出したのです。その考えは、「孝」という一文字に集約されます。「孝」とは何か。あらゆる人には祖先および子孫というものがありますが、祖先とは過去であり、子孫とは未来です。その過去と未来をつなぐ中間に現在があり、現在は現実の親子によって表わされます。すなわち、親は将来の祖先であり、子は将来の子孫の出発点です。ですから子の親に対する関係は、子孫の祖先に対する関係でもあるのです。

 

儒教とは何か 増補版 (中公新書)

儒教とは何か 増補版 (中公新書)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2015/11/21
  • メディア: 新書
 

 

私淑する儒教学者の加地伸行先生の一連の著書で知ったことですが、孔子の開いた儒教は、そこで次の3つのことを人間の「つとめ」として打ち出しました。1つ目は、祖先祭祀をすること。仏教でいえば、先祖供養をすることですね。2つ目は、家庭において子が親を愛し、かつ敬うこと。3つ目は、子孫一族が続くこと。そして、この3つの「つとめ」を合わせたものこそが「孝」なのです。「孝」というと、ほとんどの人は、子の親に対する絶対的服従の道徳といった誤解をしています。それは間違いです。死んでも、なつかしいこの世に再び帰ってくる「招魂再生」の死生観と結びついて生まれた観念が「孝」というものの正体なのです。これによって、古代中国の人々は死への恐怖をやわらげました。なぜなら、「孝」があれば、人は死なないからです。

 

沈黙の宗教――儒教 (ちくま学芸文庫)

沈黙の宗教――儒教 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 単行本
 

 

死の観念と結びついた「孝」は、次に死を逆転して「生命の連続」という観念を生み出しました。亡くなった先祖の供養をすること、つまり祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することです。また、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。さらには、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は生き残っていくことになる。だとすると、現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒に共に生きていることになります。わたしたちは個体としての生物ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。これが儒教のいう「孝」であり、それは「生命の連続」を自覚するということなのです。ここにおいて、「死」へのまなざしは「生」へのまなざしへと一気に逆転します。

 

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 

 

この孔子にはじまる死生観は、明らかに生命科学におけるDNAに通じています。とくに、イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスが唱えた「利己的遺伝子」という考え方によく似ています。生物の肉体は一つの乗り物にすぎないのであって、生き残り続けるために、生物の遺伝子はその乗り物を次々に乗り換えていくといった考え方です。なぜなら、個体には死があるので、生殖によってコピーをつくり、次の肉体を残し、そこに乗り移るわけです。子は親のコピーなのです。加地先生によれば、「遺体」とは「死体」という意味ではありません。人間の死んだ体ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」というのが、「遺体」の本当の意味です。つまり遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち「子」なのです。あなたは、あなたの祖先の遺体であり、ご両親の遺体なのです。あなたが、いま生きているということは、祖先やご両親の生命も一緒に生きているのです。



「フェアウェル」という映画から与えられた不快感は、結局のところ、「死は不幸であり、避けるべきもの」というルル・ワン監督の死生観に起因するように思います。わたしは、死を不幸だとは思いません。拙著『ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫)では、人間の幸福について考え抜いたとき、その根底には「死」という問題が厳然として在ることを思い知ったと書きました。そこで、わたしがどうしても気になったのが、日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と人々が言い合うことでした。もし死が不幸な出来事だとしたら、死ぬための存在である私たちの人生そのものも、不幸だということになります。わたしは、最初から「不幸」という結末の見えている負け戦に参加し続けているうちは日本人の幸福などありえず、日本人が真に幸福になるためにはまず「死」を肯定的にとらえ直す必要があることを痛感したのです。

ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫

 

じつは、映画「フェアウェル」を鑑賞した日、アマゾンに『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』の素晴らしいレビューが公開されました。アルファさんという方が、「死を想え(メメント・モリ)」の現代版的幸福論」のタイトルで、「本書に一貫しているのは、『人はどうすれば幸福な人生を送れるのか』という真摯な問いである。著者自身の答えは、『死を詩に変えること』である。正に、『ロマンティック・デス(詩化された死)』。人は、必ず死ぬ。それでは、死は不幸なことなのか? もし死が不幸であれば、あらゆる人は必ず死ぬので全員不幸ということになる。それでは、あまりにも救いがない。死を不幸と捉えるのは、死後の世界が恐ろしいからだ。しかし、もし死後の世界が美しく楽しく素晴らしいものだったらどうだろうか? その観点から、著者は古今東西臨死体験や神秘体験をめぐる知見を網羅的に渉猟する。結論から先に言うと、死後の世界はやはり『天国』のようなものらしい。だから、私達は死者のあの世への旅立ちをむしろ喜んで美しく見送るべきなのだ。そして、アポロ計画宇宙旅行士における神秘体験が典型的なように、月はあの世のシンボルである。その観点から、著者は、月面に聖塔を建て(月面聖塔)、死者の魂を月に送る(月への送魂)、新しい詩的な葬儀のあり方を提唱している」と書いておられます。

ロマンティック・デス』(国書刊行会

 

文庫版だけでなく、 国書刊行会から出版された単行本のアマゾン・レビューも書いて下さったアルファさんは、「もちろん、著者は『死の詩化』を目指しているとはいえ、自死を勧めているのでは全くない。著者は、生の時間が限られているからこそ清く逞しく生きる意志を重視しており、自死した魂は『光の天国』ではなく『暗黒の地獄』を体験することになるので絶対に避けるように強調していることをここで確認しておこう。死が自然の一部であると認識することは、人間が大自然の一部であることを想起することにつながるつまり、死を詩化することは、生を詩化することでもある。また、天上の理想郷を思い描くことは、地上に楽園を実現する活力にもなる。何よりもまず、死を意識することこそ、真に充実した幸福な人生を送るための第一歩なのである。本書は、『死を想え(メメント・モリ)』の現代版的幸福論である」とも書かれています。わたしの言いたいことを見事に要約して下ったアルファさんには心より感謝いたします。

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海の上の満月 

 

アルファさんの言われる「死の詩化」には月が深く関わっています。ブログ「太陽と月」にも書きましたが、古代人たちは「魂のエコロジー」とともに生き、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えます。

f:id:shins2m:20100621113120j:plain月面聖塔の模型の前で

 

その月に建立する全人類共通の墓標が「月面聖塔」です。映画「フェアウェル」では、中国に祖母の墓をつくってもアメリカや日本に住む孫たちが墓参できないので、海に遺灰を撒く散骨が提案されます。でも、月にお墓があれば、アメリカでも中国でも日本でも、世界中で夜空さえ見上げれば故人を供養することができます。墓という「かたち」よりも重要なのは故人を思い出し、冥福を祈るという「こころ」です。コロナ禍で墓参もままならない今こそ、「月面聖塔」のアイデアが現実味を持つような気がしてなりません。

 

2020年10月5日 一条真也

 

『コロナ・ショックは世界をどう変えるか』

コロナ・ショックは世界をどう変えるか-政治・経済・社会を襲う危機 (単行本)

 

一条真也です。
アメリカの大統領選挙が1ヵ月後に迫る中、トランプ大統領新型コロナウイルスに感染し、世界中に衝撃が走っています。来月の大統領選挙に向けたトランプ陣営の選挙対策の幹部も相次いで陽性が確認。政権運営や選挙戦への影響は避けられない見通しです。
『コロナ・ショックは世界をどう変えるか』イワン・クラステフ著、山田文訳(中央公論新社)を読みました。「政治・経済・社会を襲う危機」というサブタイトルがついています。著者は1965年、ブルガリア生まれ。ソフィア大学卒。ヨーロッパとデモクラシーを研究する政治学者です。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙にはエッフェル塔の前にたたずむ警官たちの写真が使われ、「世界を空前の混乱に陥れたCOVID-19」「自由は『中国モデル』に負けたのか」「現代ヨーロッパを代表する知識人の緊急提言、世界12カ国で同時刊行」「特別寄稿=宇野重規細谷雄一、三浦瑠麗」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「恐怖はその激しさの点で他のあらゆる出来事を凌駕する」というモンテーニュの言葉が引用され、「パンデミックは、人類が頼りあい一体になって生きていることを感じさせる危機である。パンデミックは、人類の希望を科学と理性に託す。わたしに未来を悲観させるのは、パンデミックそのものよりも、協力して危機に対応できていない世界の政治指導者たちだ。・・・・・・(本書より)」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
序 ディストピア
 1 グレー・スワン
 2 デジャヴュふたたび
 3 現実問題と考えよ
   ――不可能なことを要求せよ
 4 未解決のものの復活
第1部 国境
 1 ‟うちにいようナショナリズム
 2 ‟うち(ホーム)”はどこか
 3 うちで、別々の部屋
第2部 例外状態
 1 独裁者にとってのCOVID-19
 2 不安から怒りへ
 3 シュミットをひっくり返す
おわりに
「謝辞」
「訳者あとがき」
「原注」
特別寄稿「民主主義と世界の行方」宇野重規
特別寄稿「困難な現実から目を背けずに
     希望を感じること」細谷雄一
特別寄稿「運命の共有」三浦瑠璃

 

序「ディストピア」の1「グレー・スワン」の冒頭を、著者は「空前の社会実験」として、「だれもがどこかの時点で感じたのではないか――想像の世界にずっと存在してきたディストピアで暮らしているようだと。ある種のビッグ・ブラザーに監視されていると感じたり、ある種のマトリックスに覆われていると感じたりしているのではないか」と書きだしています。

 

隔離された社会は、文字通り「閉ざされた社会」だとして、著者は「人は働くのをやめ、友人や親類に会わなくなって、車を運転しなくなる。暮らしが保留状態に置かれる。それでも絶対にやめられないのが、世界を永遠に変えてしまう恐れのあるこのウイルスについて語ることだ。われわれは家に閉じこめられ、不安と退屈と妄想にとりつかれている。善意の(あるいはさほど善意ではない)政府が、われわれがどこへ行ってだれと会うかを逐一確認し、われわれの無謀さとほかの市民たちの無謀さからわれわれを守ろうと躍起になっている」と述べます。

 

さらに、著者は「許可なしで公園を散歩したら罰金を取られ、場合によっては投獄される。人との触れあいは、われわれの存在そのものへの脅威になった。求められていないのに人に触れることは、すなわち裏切りだ。カミュが述べるように疫病は『人間一人ひとりの暮らしの独自性』を消し去った。みんな自分の脆さを痛感し、未来のことを考えられなくなったからだ。流行がおさまったあと、生き残った者はみな生還者だ」と述べます。

 

感染症には、はっきりとした筋(プロット)がない」として、著者は「COVID-19のパンデミックは、典型的な“グレー・スワン”の出来事だった――グレー・スワンとは、起こる可能性がきわめて高く、世界を根底から覆す力がある出来事のことであり、実際にそれが起こると大きな衝撃を与える〔金融危機や自然災害など、予測不可能で大きな影響を与える出来事のことを“ブラック・スワン”という〕」と述べています。

 

2004年、アメリカ国家情報会議は「新しいパンデミックが発生するのは時間の問題だ。世界で推定2000万人が死んだ1918年から1919年にかけてのインフルエンザ・ウイルス〔スペイン風邪のこと〕のようなパンデミックである」と予想していたそうです。また、それが起こると「長期間にわたって世界で移動と貿易が止まり、政府は飽和状態になった医療分野に巨大な財源を割かなければならなくなる」とも論じていました。2015年のTED Talksでビル・ゲイツも、感染力の強いウイルスによる世界規模の感染症の流行が起こると予想したうえで、それに対処する準備が整っていないと警告していた。ハリウッドも映画で「警告」を発していました。

 

1918 - Die Welt im Fieber: Wie die Spanische Grippe die Gesellschaft veraenderte

1918 - Die Welt im Fieber: Wie die Spanische Grippe die Gesellschaft veraenderte

  • 作者:Spinney, Laura
  • 発売日: 2018/01/29
  • メディア: ハードカバー
 

 

イギリスの科学ライター、ローラ・スピニー〔1971~〕は名著『ペール・ライダー』(Pale Rider 未邦訳)に、「スペイン風邪は20世紀で最も悲惨な出来事だったのに、すでにほとんど忘れ去られている」と書きました。今から100年前に、世界人口の3分の1にあたる5億人がこのパンデミックに襲われました。最初の感染例が記録された1918年3月4日から最後の記録が残る1920年3月までの間に、5000万から1億人が亡くなっています。著者は、「ひとつの出来事による死としては、第一次世界大戦(死者1700万人)と第二次世界大戦(死者6000万人)のいずれよりも多い。両大戦の死者数を合わせたのと同じぐらいの人が死んだ可能性もある。それにもかかわらず、スピニーが言うように『20世紀最大の惨事は何だったかと尋ねられて、スペイン風邪と答える人はほとんどいない』。さらに驚くべきことに、歴史家もこの感染症の流行を忘れてしまったようだ」と述べています。

 

 

スピニーの考えでは、大きな理由のひとつは、銃弾によって殺された人の数のほうがウイルスによって死んだ人の数よりも数えやすいからだといいます。著者は、「COVID-19の死亡率をめぐる現在の論争を見ても、スピニーの考えが正しいことがわかる。また、もっと根本的な理由もある。パンデミックは人の興味をひく物語にするのがむずかしいのだ。2015年にセントルイスワシントン大学の心理学者ヘンリー・ローディガーとマグダレナ・アーベルが示したところによると、どのような状況であれ人の記憶に残るのは『少数の際立った出来事』だけである。つまり、『はじめ、転換点、終わり』の出来事だけが記憶に残りがちなのだ」と述べます。

 

 また、「尊厳のない死」として、著者は「感染症の流行を覚えていられない、あるいは記憶しようとしないのは、脈絡のない死と苦しみを嫌がる人間全般の傾向と関係しているのかもしれない。無意味で理不尽な苦しみは耐えがたい。現在の感染症の犠牲者たちが苦しむのは、息ができずに悲惨な死に至るからだけではなく、自分の死の意味をだれもほんとうに説明できないからでもある。戦争は英雄的な勝利の約束とともにやってくる。愛国の物語では、兵士はただ死ぬわけではない――ほかの人たちのために自分の命を犠牲にするのだ。戦争の物語は、普通の人びとがほかの人たちを救うために驚くべき勇気を出し、自分の命を犠牲にする物語だ」と述べています。

 

COVID-19は、無意味な死をもたらすだけではありません。尊厳のない死ももたらすとして、著者は「過去にペストが流行した年の証言を読むと、正式な葬儀なしで人が死んでいったことがわかる。同時代の記録者たちにとってそれが悲劇をいっそう悲しいものにしていた。今回の状態もそれと変わらない。多くの人は感染を恐れて親類の葬儀に参列したがらない。そもそも葬儀が執り行われないことも多い」と述べます。ここは、本書の中でも最重要箇所です。



2「デジャヴュふたたび」では、「国家の能力」として、「COVID-19の広がりを効果的に食い止めた国はすべて、人びとが国の制度に高い信頼を置いている。政府が社会をうまく管理できるか否かは、強制ではなく人びとが自主的に政府に従うか否かにかかっているのだ。中国、シンガポール、韓国の政治体制はそれぞれ大きく異なるが、政府への国民の信頼度はどの国も世界で10位以内に入っている。それに、政府が国民に信頼されていなければ、厄介なロックダウン(都市封鎖)をうまく維持することはできない」と書かれていますが、これは明らかに「?」ですね。どうして、こんなことを平気で書くのでしょうか。理解に苦しみます。



4「未解決のものの復活」では、「ヨーロッパがこうむる影響」として、本書は世界全体について論じたものではなく、ヨーロッパについての本であることが確認されます。そして、著者は「COVID-19は、まさに世界規模の危機だ。おそらく最も大きな打撃を受けるのは、南半球の発展途上国だろう。WFP国連世界食糧計画)の警告では、深刻な食料不足に直面する人びとは2020年の終わりまでに倍増し、2億6500万人に達する。政治紛争と軍事紛争が次々と起こる可能性もある。新しい移民の波が生じることも見こんでおかねばならない。ただ、COVID-19が政治に最も根元的な影響を与えるのはヨーロッパである。このパンデミックはEUの土台を揺るがすからだ。具体的に言うとその土台は、相互依存が安全と繁栄の最も信頼できる源だという考えである」と述べるのでした。



第1部「国境」の1「‟うちにいようナショナリズム”」では、「観光客と難民」として、「観光客はグローバリゼーションのよい面を体現する存在であり、心から歓迎される。観光客は善意の外国人であり、やって来てお金を使い、感心して去っていく。そして、より大きな世界とのつながりをわれわれに感じさせてくれる。問題を押しつけてくることはない。それとは対照的に、難民はグローバリゼーションの恐ろしい性質を象徴する存在である。難民はより大きな世界の苦しみを背負ってやってくる。難民はわれわれのなかにいるが、われわれの一員ではない。われわれの資産を要求し、われわれは連帯の限界に向きあうことを強いられる」と書かれています。わたしは、この文章をブログ「ファヒム パリが見た夢」で引用しました。この実話に基づく映画には、まさに観光客と難民が対照的に描かれているのです。

 

2「‟うち(ホーム)”はどこか」では、「ヨーロッパの別荘はペストの遺産」として、著者は「新型コロナウイルス危機の初期には、“地元民”が外国人を批判するのではなく、田舎に暮らす人たちが別荘に向かう都会人の侵入に怒りを向けた。メディアでは、危機の中心地から逃げて別荘に向かう裕福な都市住民のことが頻繁に報じられた。別荘地は海岸や山に近く、外出制限の窮屈さが和らげられる。それに、まともなインターネット接続さえあれば遠隔の地でも仕事ができる。しかし、彼らがやってきたことで現地の住民は激怒した。病院が少ない地域にウイルスが広がったら、病気の拡散に対処できなくなり、地域の低収入の高齢者が危険にさらされるからだ」と述べています。

 

また、皮肉なことに、ヨーロッパの別荘はそれ自体が疫病の遺産であるとして、著者は「14世紀にペストが発生したとき、ルネサンス期イタリアの都市住民の多くが田舎の屋敷に金を投じるようになった。その目的は、危機のときに安定した食料供給を確保することにもあった。都市住民は徐々に田舎での時間を増やしていって、とりわけペストが最もひどくなる夏季には田舎で過ごすことが多くなり、別荘暮らしが裕福な家族のあいだで盛んになった。今回のパンデミックでも別荘がかつてのようにふたたび安全な避難先になったが、地元住民はそれを快く思っていない」と述べます。

 

 

3「うちで、別々の部屋で」では、新型コロナウイルスは、すべての人を平等に扱うわけではないかもしれないが、われわれはみな同じ世界に生きているという考え(現実はちがうにせよ)を確実に強化したとして、著者は「前回の景気後退のときとは異なり、今回は裕福で権力のある者が金を持って逃げることはできない。空港が閉鎖されて、エリートたちには非常口がないからだ。疫病の時代には、イギリスの評論家デイヴィッド・グッドハートが言う『どこの人でもない人』と『どこかの人』のちがいはなくなる。新型コロナウイルスがすべての人を共通の土台の上に置き、今回は『どこの人でもない人』が自分たちの『どこか』を必死に探している。しかし、同じ世界に暮らしているからといって、共有された世界や公平な社会に暮らしていることにはならない。平常時は、エリートには移動する力がある。COVID-19の時代には、エリートには自宅に留まる力がある」と述べています。



そして、「パンデミックは気候変動に似ている」として、著者は「20世紀の典型的な悪夢では、核戦争によって全人類が同時に殺される恐れがあった。しかし新型コロナウイルスの場合には、パンデミックのさなか愚かにもパーティーに行ったヨーロッパの若者は少しのあいだ体調を崩すリスクを冒すだけで、その親や祖父母のほうが死ぬ可能性が高い。この意味でパンデミックは気候変動に似ている――地球規模の災害だが、われわれすべてに異なるかたちで影響を与えるのだ。テロが不均衡の脅威を与えるのだとするなら、新型コロナウイルスは不均衡の不安を呼び起こす」と述べるのでした。



 「おわりに」では、「真のコスモポリタン」として、著者は「COVID-19の大きな逆説は、EU加盟国間の国境が閉鎖されて人びとが自宅に閉じこめられたことで、われわれがこれまで以上にコスモポリタンになったことにある。おそらく歴史上ではじめて、世界中の人びとが同じ会話をして同じ恐怖を感じている。家にこもって延々とコンピュータやテレビの前で過ごしながら、自分たちに起こっていることと、ほかの場所にいる人たちに起こっていることを比べている。歴史上のこの奇妙な一瞬だけのことかもしれないが、それでもいまわれわれがひとつの世界に暮らしているように感じているのは否定できない」と述べています。

 

永遠平和のために

永遠平和のために

 

 

究極のコスモポリタンであるイマヌエル・カント〔1724~1804〕は、故郷のケーニヒスベルクを離れたことがありませんでした。著者は、「ケーニヒスベルクは、ときの移り変わりとともにさまざまな帝国に属したが、カントはつねにそこに留まった。現在のグローバリゼーション(あるいは脱グローバリゼーション)の逆説は、おそらくカントからはじまった。COVID-19は世界をコスモポリタニズムに感染させたが、同時に国家をグローバリゼーションに背かせてもいるのである」と述べるのでした。

 

「訳者あとがき」では、クラステフは3月18日に「新型コロナウイルスからの7つの初期の教訓」と題した論説文を欧州外交評議会のウェブサイトに発表したことが紹介されます。そこでは、今回の感染拡大によって7つの変化が起こると予想されていました。
(1)大きな政府が復活する。
(2)EU内で国境が意味を取り戻し、国民国家ナショナリズムが力を増す。
(3)専門家への信頼が回復する。
(4)ビッグデータ権威主義がアピールを強める。
(5)政府による危機管理の方法が、危機感をあおり生活様式を変えるよう促すものへと変化する。
(6)世代間のダイナミクスが変化する。
(7)政府は人命と経済をはかりにかけて対応を決めることを迫られる。

 

 訳者の山田文氏は、“7つの逆説”を以下にまとめます。
(1)グローバリゼーションの負の側面が明らかになる一方で、
   人類がひとつにまとまる。

(2)脱グローバリゼーションが加速するが、
   国民国家に回帰することの限界も示される。

(3)国の結束が強まるが、同時に既存の分断も深まる。
(4)民主主義は一時停止されたが、
   権威主義へ向かう動きにも歯止めがかかる。
(5)EUは存在感を示せなかったが、
   EUは今回の危機から大きな影響を受ける。
(6)テロとの戦い、難民危機、金融危機を思いださせたが、
   危機への対応は見なおしを迫られる。

(7)EUはひらかれた世界を守ろうとする一方で、
   みずからの守りをかためる。

 

巻末の特別寄稿「民主主義と世界の行方」では、東京大学社会科学研究所教授の宇野重規氏が「米欧による世界秩序の終焉」として、「COVID-19は、自由民主主義と中国式のいずれが21世紀の要求によりよく合致しているかという問いに答えることはなかったが、中国とアメリカが協力してグローバリゼーションの問題に取り組む可能性を閉ざしてしまった。結果として、現在の状況は1970年代の危機にどこか似ているとクラステフはいう。1970年代、米ソの両超大国は、いずれも国内の混乱に引き裂かれていた。今後、米中の両国が相互に対立しつつ国内問題に忙殺されるという意味では、彼の暗鬱な比較は、あるいは妥当なのかもしれない」と述べています。

 

特別寄稿「困難な現実から目を背けずに希望を感じること」では、慶應義塾大学法学部教授の細谷雄一氏が、「ウイルスひとつで世界がひっくり返った」として、「歴史が繰り返されることはない。ただし、クラステフは幼少時代に共産主義体制国家で育ち、資本主義も民主主義も存在しない社会で成長した。だから、それがどのようなものか、西側世界の知識人の多くとは異なり、自由がなく国家に監視される状況について実体験として理解しているのではないか。長い旅を終えて、もとにいた世界に戻ったような感覚なのだろうか。だが、現代のヨーロッパは1980年代のブルガリアと同じではない。それは新しい世界であり、新しい状況である。だからこそ、クラステフはこれを『新しい日常(ニューノーマル)』と呼び、『古い日常』とは呼ばないのだ」と述べています。

 

そして、特別寄稿「運命の共有」では、国際政治学者の三浦瑠璃氏が、「経済に対するダメージ」として、「死の恐怖が去ると、クラステフが指摘するように混乱が生じる。後に残されるのは、だらだらと続く感染症と、膨大な失業者数、山のように倒産した会社と、膨らんでしまった政府債務。人びとは、コロナ禍を乗り越えたという満足感も得ることができずに、怒りに駆られることになるだろう。各国政府がここまで歳出拡大し、経済に幅広くダメージを与えたあとで、さらに再分配すべき資源を一体どこから見つけてくればよいのだろうか。GAFAなど一部の潤っているIT企業を除けば、本来税負担を負うべき層にも痛みが生じており、格差を縮めることは到底できないだろう」と述べるのでした。

 

巻末に置かれた3人の日本人の特別寄稿によって、本書の内容がよく深く理解できたような気がします。クラステノフという思想家の存在は初めて知りましたが、政治学者というよりは社会学者といった印象を持ちました。「過去にペストが流行した年の証言を読むと、正式な葬儀なしで人が死んでいったことがわかる。同時代の記録者たちにとってそれが悲劇をいっそう悲しいものにしていた。今回の状態もそれと変わらない。多くの人は感染を恐れて親類の葬儀に参列したがらない。そもそも葬儀が執り行われないことも多い」として、人間の尊厳を葬儀と結びつけたくだりが最も心に残りました。葬儀とは、国家や民族や人種を超えた「人の道」であることを再確認できました。

 

 

2020年10月4日 一条真也

『MISSING 失われているもの』

一条真也です。
3日、サンレー大分の営業推進会議に出てから、別府から小倉に戻りました。125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第149回分が掲載されています。取り上げた本は、『MISSING 失われているもの』村上龍著(新潮社)です。

f:id:shins2m:20200929205753j:plainサンデー新聞」2020年10月3日号

 

本当に久しぶりに著者の小説を手に取りましたが、読み終えたとき、本書の直前に読んだ村上春樹氏の新作エッセイである『猫を棄てる』を連想しました。ヒッピー文化の影響を強く受けた作家として、春樹氏と著者は共に時代を代表する作家と目され、「W村上」などと呼ばれてきました。本書は、著者名を知らされずに「これは村上春樹の新作ですよ」と言われても信じてしまうほど、春樹っぽい作品です。よく「春樹は内を向き、龍は外を向く」などと言われますが、この作品は徹底的に人間の内面に向かっています。

 

そして、著者の内面は「母」の記憶と分かちがたく繋がっています。小説なので、すべてが著者自身の人生と合致するわけではないでしょうが、母親が佐世保で教師をしていたことなど、「限りなく自伝に近いノベル」といったところでしょうか。くだんの『猫を棄てる』は春樹氏が自分の父親について語ったエッセイですが、本書は著者が自分の母親についてこれ以上ないほど深く語っています。両者に共通しているのは、父や母について語ることで、自分自身について語っていることです。いずれも「自分探し」を超えた「自分の根っこ探し」でした。

 

著者は幼い頃、旧朝鮮のほぼ南端、馬山の近くの小さな村に家族とともに住んでいました。日本が戦争に負けた日、朝鮮人たちが著者の家に押し寄せ、家族が皆殺しになりそうでしたが、朝鮮人の長老が「ここはいい、ここは襲ってはいけない」と言って、暴徒を押さえました。「ここはいい」というのはどういう意味かというと、著者の両親は雇っている朝鮮人たちに優しかったようです。

 

敗戦後、著者の一家は軍艦で日本に引き揚げたそうです。艦内では食料は支給されませんでした。残り少ない米を甲板で炊いて食べた時には、「両親は、底抜けのお人好しで、米はほとんど残っていなかったのに、食料がなくて飢えていた人たちに握り飯を作って配ったりした。自分たちが飢えるかも知れないのにバカじゃないのかと、わたしは両親に文句を言ったが、それは間違いだときつく言われた」と書かれています。

 

著者の母親はいつも「困っている人を助けると、いつか自分も助けられる」と言っていたそうです。そして、実際、著者の一家は艦内にいた人から助けられたのです。それにしても、自分の親の思い出がこのような高い倫理観に基づく「心ゆたかな言葉」とともに在るとは、なんと幸せなことか。どんな財産を遺すよりも、人生を良き方向に導く「心ゆたかな言葉」をわが子に遺すことこそ、親の最大の役目ではないでしょうか。

 

MISSING 失われているもの (村上龍電子本製作所)
 

 



2020年10月3日 一条真也

太陽と月

一条真也です。
別府に来ています。今朝は、アマネリゾートの客室で窓から降り注ぐ日光の眩しさで目が覚めました。窓の外を見ると、朝日が海上を照らし、一筋の「太陽の道」ができていました。感動したわたしは、「お天道さま!」と言って、思わず手を合わせました。

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今朝の別府の「太陽の道」 

 

わたしは、太陽をサムシング・グレートそのものであり、言い換えれば「神」と思っています。また、同じく月もサムシング・グレートそのものであり、言い換えれば「仏」と思っています。わたしにとって、太陽と月ほど心惹かれ、かつ畏敬する対象はありません。わが社の「サンレー」という社名には、「太陽の光」という意味があります。太陽は、あらゆる生きとし生けるものに生存のためのエネルギーを与えています。

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今朝の別府の朝日

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昨夜の別府の満月

 

わたしは、月にもこよなく心惹かれています。
わが社では、「月の広場」とか「月あかりの会」とか「ムーンギャラリー」といった名称を使っています。さらには、「月への送魂」や「月面聖塔」や「ムーン・ハートピア・プロジェクト」などもあります。



古代人たちは「魂のエコロジー」とともに生き、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えます。



その神と仏が一致する神霊界の一大事件のような現象があります。太陽と月が一致する「皆既日食」や「金環日食」のことです。わたしは、太陽とは神であり、月とは仏ではないかと思います。わたしは、かつて、以下のような歌を詠んだことがあります。

 

ただ直き心のみにて

    見上げれば 

       神は太陽  月は仏よ

 

この世界における最大の謎とは何でしょうか? わたしは、地球から眺めた月と太陽が同じ大きさに見えることだと思っています。人類は長いあいだ、このふたつの天体は同じ大きさだとずっと信じ続けてきました。しかし、月が太陽と同じ大きさに見えるのは、月がちょうどそのような位置にあるからです。月の直径は、3467キロメートル。太陽の直径は、138万3260キロメートル。つまり、月は太陽の400分の1の大きさです。次に距離を見てみると、地球から月までの距離は38万4000キロメートル。また、地球から太陽までの距離は1億5000万キロメートル。この距離も不思議なことに、400分の1なのです。こうした位置関係にあるので、太陽と月は同じ大きさに見えるわけです。それにしても、なんという偶然の一致!



日食とは、太陽と月が重なるために起こることは言うまでもありません。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を「皆既日食(total eclipse) 」といいます、逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを「金環日食」または「金環食(annular eclipse)」といいます。いずれにせよ、 この「あまりにもよくできすぎている偶然の一致」を説明する天文学的理由はどこにもありません。まさに、太陽と月は「サムシング・グレート」そのものなのですね。これからも、わが社は神仏に仕える企業として、つねに太陽と月を視野に入れながら、「人間尊重」のミッションに努めていきたいと思います。そう、太陽と月は万人に対して平等に光を降り注がせます。わが社は、そのような企業を目指したいと思っています。

 

2020年10月3日 一条真也

書肆ゲンシシャ

一条真也です。
別府に来ています。2日の夕方、わたしは以前から行ってみたかった場所を訪れました。 書肆ゲンシシャという古書店です。ゲンシシャは「幻視者」という意味で、全国的に有名なカルト書店です。

f:id:shins2m:20201002150130j:plain書肆ゲンシシャ

f:id:shins2m:20201003000216j:plain 書肆ゲンシシャ の前で

 

この書店の異界っぷりがいかに半端でないかを説明するのは難しいのですが、Wikipedia「書肆ゲンシシャ」には、「大分県別府市青山町7-58にある書店・出版社・カルチャーセンター。2016年2月に開店した」「驚異の部屋をテーマにした空間を展開している。死後写真の展覧会を開催している。また、隠された母の古写真を取り揃えていることでも知られている。死体・奇形・戦争・芸妓・遊郭・LGBT・別府に関する古写真を扱っている。直筆原稿や春画も取り扱っており、店内にて閲覧できる。ロゴは別府在住の99歳の元看板絵師、松尾常巳による。店主は日本マンガ学会に所属しており、知見を活かしマンガ図書館としても運営している」と書かれています。

f:id:shins2m:20201002152857j:plain書肆ゲンシシャの店内で

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店主の藤井慎二さんと

 

わたしは、もともと、たまたま目にした女優でファッションモデルの内田理央さんのYouTube動画でこの場所の存在を知り、興味を抱いたのですが、その後、「なにこの世界・・・未知との遭遇だらけ!驚異の陳列室『書肆ゲンシシャ』」というネット記事を読んで度肝を抜かれました。念願かなって同店を訪れたところ、店主の藤井慎二さんが歓迎して下さいました。東大で表象文化論を学ばれたという藤井さんはブログ「アスタルテ書房」を読まれて、わたしをご存じだったようです。「ここは死に関する、ありとあらゆるものを揃えています!」といきなり言われたので、仰天しました。

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死後写真の数々

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ヨーロッパの死後写真

f:id:shins2m:20201002150654j:plainヨーロッパの死後写真

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わが子の亡骸を抱く女性の写真

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子どもの死後写真

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壁にもたくさん死後写真が・・・・・・

藤井さんは丁寧に1点ずつ説明して下さいました。最初に見せられたのは、店中に展示されている「死後写真」です。その昔、ヨーロッパでは家族が亡くなった後、生きているように見立てて写真を撮る習慣がありました。グリーフケア・アートですね。まるで生きているように、目を開けている写真もあります。わたしは、ニコール・キッドマンが主演した心霊ホラー映画の傑作である「アザーズ」で、死後写真の存在を知りました。その実物がここには大量にあるのです。お値段はダゲレオタイプで撮影したものが1点で数万円、フィルムの写真が数千円とのことでした。アメリカの古い心霊写真も売られていました。

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少女人形の隣には・・・

f:id:shins2m:20201002150911j:plain生き人形が置かれていました

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生き人形の指には指輪が・・・



四谷シモンの弟子が作ったという少女人形の隣には、大きな市松人形が置かれていました。いわゆる「生き人形」です。若くして亡くなった女性の生前の姿を人形として再現し、指輪までつけています。普通は「不気味」とか「怖い」とか感じる人も多いでしょうが、わたしは「ああ、これもグリーフケア・アートだな・・・」と思いました。ヨーロッパの死後写真、アメリカの心霊写真、日本の生き人形・・・・・・世界中の人々が、愛する人を亡くした悲嘆を受け止めるために、さまざまなグリーフケア・アートを追い求めてきたのです。なんだか、人類そのものが愛しくなるような感情が沸き上がってきます。

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驚異の飾り棚

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藤井さんから説明を受けました

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美女の目が動く時計

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人骨で作られたラッパなど

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尼僧のデスマスク

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「人体科学展」で展示された人間の脳

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この写真の裏には、猫のホルマリン漬けが!



それから、藤井さんは大きな飾り棚の中のある驚異の品々について説明して下さいました。たとえば、大正時代の壁掛け時計。鏡の中に時計と美女の顔があります。ゼンマイを巻いて時計を動かすと、時計と一緒に美女の視線が動くのです。また、人間の太ももの骨を使用して作られた人骨ラッパとか、中国の纏足の靴とか、パプアニューギニアの首長族の首輪とか、第一次世界大戦で弾除けに使われた金属製の聖書とか、毒薬入れとか、遺体に身につけさせる死後宝石とか、尼僧のデスマスクとか、悪名高い「人体科学展」で実際に展示された人間の脳とか、女装した赤塚不二夫の写真の裏には猫のホルマリン漬け! もう凄すぎる!

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これが人皮装丁本だ!

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「死」や「怪異」に関するさまざまな本

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藤井さんから本の説明を受けました

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「奇形見世物」の写真を拝見しました

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この日に購入した書籍たち



きわめつけは、人間の皮膚で作られた本です。これは、わたしも初めて見ました。その他にも、藤井さんが棚の下から「死」や「怪異」に関するさまざまな古書を出して下さいましたが、自分でも驚いたのはそれらの多くをすでにわたしが所有していることでした。なんなんだ、俺! もしかして変人? 藤井さんは珍しい絵葉書や写真なども見せて下さいましたが、死体や奇形に関するものが多かったです。もう店ごと買いたいぐらいでしたが、とりあえず、今日のところは洋書の心霊写真集、死体写真集、それに『怖い絵展』の図録を購入しました。 

f:id:shins2m:20201003005026j:plain妖しいゲンシシャのポストカード  

 

親切に説明して下さった藤井さんには拙著を送る約束をしました。この日は満月なので、アスタルテ書房の亡き店主にも献本した『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)、それから『唯葬論』(サンガ文庫)、『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)などをお送りしたいです。藤井さん、これからもよろしくお願いします!

 

2020年10月3日 一条真也