PHP「私の信条」

一条真也です。
7日、金沢から北九州に戻ります。サンレー本社に「月刊PHP」11月号が届きました。特集は「崖っぷち、逆境、挫折 転んでも立ち上がる!」です。

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「PHP」2020年11月号の表紙

 

ブログ「PHP取材」で紹介したように、今年の8月17日、PHP研究所のPHP制作局の局長で、「PHP」編集長の大谷泰志さんの訪問を受けました。「PHP」本誌の「私の信条」というコーナーでのインタビュー取材でした。さまざまな業界のトップの方が、会社のミッションや自身の信条を語る内容です。そのインタビューの掲載誌が届いたのです。

f:id:shins2m:20201006093107j:plain「PHP」2020年11月号 

 

「私の信条」には、「礼と人間尊重の心を養う」のタイトルで、わたしの談話が紹介されています。
「『不惑』とは、孔子が自身の人生を語る際の『四十にして惑わず』から生まれた言葉です。40歳の異称ともなっていますが、わたくし自身が40歳の時に、惑わなかったかと言えば、そんなことはまったくありません。ちょうど父から弊社の社長を任されたのが、2001年、40歳手前でした。まだまだ右も左もわからない若輩なのに、会社を引き受けて、どうすればいいのか。もし自身が経営判断を誤れば、社員やその家族を路頭に迷わせてしまう。不安で仕方ありませんでした。自身の強みと言えば、子供のころから本が大好きで、読書から学ぶことが習い性になっていたことです。そこで、『不惑』の出典である『論語』を徹底的に読んでみようと思い立ち、40歳の誕生日の40日前から、岩波文庫の『論語』を毎日1回繰り返し読むことにしたのです。それは、まことに不思議な体験でした。読めば読むほど、新米社長になる私に対して孔子がピンポイントで、語り掛けてくれているように思えました。人生や経営の悩みにすべて答えが与えられ、目の前の霧が晴れていったのです。
当時、冠婚葬祭業ではお金儲けに熱心な会社も少なからずありました。そんな風潮に違和感を覚えていた私には、『利によりて行えば怨み多し』という論語の言葉がピタッと来ました。自分の利益のみの追求は弊害を招くという意味ですが、では、弊社は何を第一に追求するのか。冠婚葬祭業で大切なのは礼であり、人間尊重ではないか。いたずらに高額な結婚式や葬儀を提案するのではなく、人と人とのご縁を丁寧に祝い、人の死を厳粛に弔う営みのベースには、礼と人間尊重の心が必要であると思います。
いみじくも弊社の社名サンレーの意味の1つは「讃礼」であり、礼を讃えることを重んじています。『礼』の旧字は『禮』です。この示す偏は心であり、心を豊かにするという説があります。お辞儀をしたり、笑顔を交わしたりする礼も、セレモニーなどの儀礼も、心を豊かにすることにつながります。ホスピタリティーやおもてなしという言葉も、相手を尊重し喜んでもらおうとする心なくしては成り立ちません。
コロナ禍のいま、冠婚葬祭は制約が多く、ままならない部分もあります。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行ないです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行なう時代が必ず来ると思います。そのためにもいま一度、礼と人間尊重の心を養っておかねばと強く思っています」

 

2020年10月6日 一条真也