隣人祭り・秋の観月会

一条真也です。
11日(金)の夜、北九州市八幡西区折尾のサンレーグランドホテルで、毎年恒例のイベントが盛大に開催されました。そうです、「隣人祭り・秋の観月会」です。おかげさまで、今年も300名を超える多くの方々が月見を楽しみました。

f:id:shins2m:20191011170255j:plainサンレーグランドホテルの前で

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今年も始まります!

 「無縁社会」という言葉が時代のキーワードになって久しいですね。わたしたちは無縁社会にどう向き合えばよいのか。さらに言うなら、どうすれば無縁社会を乗り越えられるのか。わたしは、その最大の方策の1つが「隣人祭り」であると思います。それは、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会に暮らす隣人たちが年に数回、顔を合わせます。

f:id:shins2m:20191011180906j:plain隣人祭り・秋の観月会」の受付で

f:id:shins2m:20191011170421j:plain一条本新刊コーナー

 

隣人祭りのキーワードは「助け合い」や「相互扶助」です。ならば、多くの人は日本に存在する某組織のことを思い浮かべるのではないでしょうか。そう、互助会です。正しくは、冠婚葬祭互助会といいます。「互助」とは「相互扶助」を略したものなのです。わたしはフランスを中心にヨーロッパで起こった隣人祭りと日本の互助会の精神は非常に似ていると思っています。サンレーはまさに互助会です。

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今年のキャンドル・アート 

 

無縁社会」が叫ばれ、生涯非婚に孤独死や無縁死などが問題となる中、冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命はますます大きくなると思っています。いまや全国で2000万人を超える互助会員のほとんどは高齢者であり、やはり孤独死をなくすことが互助会の大きなテーマとなっているのです。早速、互助会のわが社では、2008年10月15日にサンレーグランドホテルにおいて開催された隣人祭りのサポートをさせていただきました。サンレーグランドホテルの恒例行事である「秋の観月会」とタイアップして行われたのですが、これが九州では最初の隣人祭りとなりました。日本の政令指定都市の中では最も高齢化が進行し、孤独死も増えていた北九州市での隣人祭り開催とあって、マスコミの取材もたくさん受け、予想以上の大きな話題となりました。

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隣人祭り」のようす
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観月会のようす
 

その後も、わが社はNPO法人ハートウエル21と連動し、隣人祭り日本支部公認のオーソドックスな「隣人祭り」の他、わが社オリジナルの「隣人むすび祭り」のお手伝いを各地で行っています。その後、年々回数を増やし、今年も700回以上の開催を予定しています。「隣人祭り」と「隣人むすび祭り」などを合わせれば、わが社は日本で地域の隣人が集う「隣人交流イベント」あるいは「地縁再生イベント」の開催を最もサポートしている組織だと思います。いや、世界でも5本の指に入るのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20191011182157j:plain今宵の月が上りました

 

本家のフランスをはじめ、欧米諸国の隣人祭りは地域住民がパンやワインなどを持ち寄る食事会ですが、そのままでは日本に定着させるのは難しいと考え、わが社がサポートする「隣人交流イベント」では、季節の年中行事などを取り入れています。たとえば、花見を取り入れた「隣人さくら祭り」、雛祭りを取り入れた「隣人ひな祭り」、節分を取り入れた「隣人節分祭り」、七夕を取り入れた「隣人たなばた祭り」、秋の月見を取り入れた「隣人祭り 秋の観月会」、クリスマスを取り入れた「隣人クリスマス祭り」といった具合です。おかげさまで、大変好評を得ています。

f:id:shins2m:20191011180327j:plain隣人祭り」はサンレーの代名詞になりました

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隣人祭り」のようす


今宵の月は厚い雲に隠れており、ヒヤヒヤしました。
日本には「月見」の文化があります。日本人は月が好きです。日本文化を考えるうえでのキーワードは「自然」ですが、松尾芭蕉は、自然を「造化(ぞうか)」と呼びました。「造」はつくりだすこと、「化」は形を変えることです。英語の「ネイチュア」と見事に一致していますね。すなわち、ネイチュアとは、物ではなく運動なのです。そして日本の自然において、「雪月花(せつげつか)」がそのシンボルとなります。つまり、雪は季節の移り変わり、時間の流れを表わし、月は宇宙、空間の広がりを表わします。花は時空にしたがって表われる、さまざまな現象そのもののシンボルといえるでしょう。

f:id:shins2m:20191011181247j:plain月は上空へ移動しました

 

「造化」の三大要素の1つが「月」である意味はとても大きいと思います。日本では、明治の初めまで暦は中国にならって太陰暦を使っていました。いうまでもなく、太陰暦というのは月を基本にした暦であり、農耕のプランもそれによって決められていました。当然、日本人の生活全体にわたって月が深く関わってきたことがわかります。今夜、見事な月を見上げながら、わたしは古代日本人たちの「こころ」を、まるでテレパシーのように感じたような気がしました。

f:id:shins2m:20191011191234j:plainフラダンスショーが行われました

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フラには月がよく似合う

 

この日も、フラダンンスショーが行われました。総合芸術であると同時に宗教的な行為でもあるハワイの伝統的な歌舞音曲「フラ」の魅力を堪能しました。月あかりの下で繰り広げられるフラダンスは、まるで天女の舞のようでした。

f:id:shins2m:20191011194047j:plain比嘉いつき君のソプラノステージ

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月下に響き渡るソプラノ


それから、今年6月にCDデビューした小学4年生の比嘉いつき君のソプラノステージがありました。天才ソプラノ少年として話題の比嘉君は、「マイ・ウェイ」「千の風になって」「愛の讃歌」などを月下で歌い上げました。この夜は、多くの方々が月を愛でる「隣人祭り・秋の観月会」となりました。そして、いよいよ「月への送魂」が行われます。

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2019年10月12日 一条真也

営業推進部総合朝礼  

一条真也です。
急に明け方が寒くなったせいか、風邪を引きました。もともと扁桃腺が弱くて喉を傷めてしまいましたが、11日の朝は松柏園ホテルで開催されたサンレー営業推進部の総合朝礼に参加しました。令和になって2回目の営業の総合朝礼です。この日も、300人以上が集まりました。

f:id:shins2m:20191011114339j:plain入場のようす

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勇壮なふれ太鼓

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全員で社歌を斉唱

f:id:shins2m:20191011110717j:plain全員で経営理念を唱和

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わたしが登壇しました

 

わたしが入場すると、武田課長による勇壮なふれ太鼓が鳴り響きました。それから「開会の辞」があり、社歌斉唱を行いました。その後、徳力営業所の小松所長のリードで経営理念を唱和してから、わたしが登壇して社長訓話を行いました。わたしは最初に、次のような話をしました。昨日、 日向西紫雲閣の竣工式が行われました。わが社の80番目のセレモニーホールであり、コミュニティセンターです。現在も複数の施設を作っていますので、100を数える日も近いことでしょう。

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社長訓示を行いました

 
宮崎に行くと、日本が神の国であることを痛感します。
一昨日は、高千穂神社天岩戸神社を参拝し、会社の発展と社員のみなさんの健康を祈願しました。どちらも素晴らしいパワースポットとして有名ですが、最近は 日向西紫雲閣の竣工神事を執り行って下さった大御神社が大変な話題になっています。先日、ラグビーの日本代表が大御神社を参拝しました。さざれ石を見たことで、日本人の心、大和魂を学んだ選手が多かったようです。参拝後、日本チームが破竹の快進撃を続けていることはご存知かと思います。

f:id:shins2m:20191011111150j:plainワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン !

 

いま、日本列島はラグビーの話題で持ち切りですね。ラグビーという競技は、「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」という思想に支えられています。「一人は全員のために、全員は一人のために」という意味です。由来は古代ゲルマン人の言い伝えなど諸説あるそうですが、この言葉は、相互扶助の思想として社会にも影響を与えました。「相互扶助」という考え方は、多くの人々が少額を出し合って万一に備える保険業や、冠婚葬祭互助会業の根本理念にもなっています。そもそも互助会の「互助」とは「相互扶助」を縮めたものなのです。

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時代は、互助社会へ!
 

そして、時代は、互助会から互助社会へ!
互助社会とは、共生社会であり、思いやり社会でもあります。ラグビーチームのような社会が本当にこの地球上に実現したら、これ以上に素晴らしいことはありません。北九州市サンレーの間で「災害時における施設の使用に関する協定」を結びました。協定の締結は「NHKニュース」のトップでの報道をはじめ、ほとんどの全国紙でも大きく扱われました。北九州市民の方々の反響と期待も想像以上に大きいです。
「葬儀をする施設」から「葬儀もする施設」へ。セレモニーホールからコミュニティセンターへ。互助会の理念である『相互扶助』の実現をめざして、そして地域に不可欠な施設としてこれからも地域に貢献させていただきたいと願っています。

f:id:shins2m:20191011111607j:plain中村天風の言葉を紹介しました

 

最後に、みなさんに素晴らしい言葉を贈りました。
9月に開催された営業責任者会議の社長訓話で、わたしは「新しい計画の成就はただ不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」という言葉を紹介しました。これは、インドでヨガの修行をして悟りをひらき、日本でその思想と実践に基づく生き方を伝えた哲人・中村天風の言葉です。天風は、生涯数え切れないほどの多くの講演で「心」の持つ力の偉大さそして信念の大事さを説き続けました。

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稲盛和夫氏の哲学について語りました 

 

天風の影響を強く受けた経営者に、稲盛和夫氏がいます。
稲盛氏は、日本航空の会長に就任した際、すべての従業員に向けて、「新しき計画の成就は、ただ不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」という天風の言葉を紹介しました。これは、かつて成長を続けていた京セラにおいて掲げたスローガンでもありました。稲盛氏は、この言葉をあらためて、日本航空の全社員に向けて紹介したのです。

 

心。

心。

 

 

この天風の言葉の中でも大切なのは、「気高く」という言葉であるとして、稲盛氏は最新の著書『心。』(サンマーク出版)で、「気高い心を根幹にもっているからこそ、ひたすらに強く揺るぎのない『思い』をもつことができる。何が何でも成し遂げるという強烈な思い、どんな苦境にも負けずに進もうという揺るぎない意志が、事を貫徹するためには必要です。そういう思いのもと、かかわる人たちが一丸となって最大限の努力をなしたときに、事は成就する」と述べています。

f:id:shins2m:20191011111839j:plain気高く強く一筋に! 

 

稲盛氏は「心がすべてを決めている」と断言します。人生で起こってくるあらゆる出来事は自らの心が引き寄せたものであり、すべては心が描いたものの反映であると断言します。それを、この世を動かす絶対法則だというのです。ですから、どんな心で生きるか、心に何を抱くかが、人生を大きく変えるのです。それは人生に幸せをもたらす鍵であるとともに、物事を成功へと導く極意でもあると訴えます。

f:id:shins2m:20191011120052j:plainただ想へ 気高く強く一筋に 天下布礼の日々の務めを

 

つねに経営の第一線を歩きつづけた稲盛氏が、心のありようと、人としてのあるべき姿に、わたしも経営者として深い感銘を受けました。みなさんは、それぞれ高い目標があり、果たすべき計画があります。ぜひ、「気高く、強く、一筋に」の精神で頑張っていただきたい。最後に「ただ想へ 気高く強く一筋に 天下布礼の日々の務めを」という道歌を披露して、わたしは降壇しました。

f:id:shins2m:20191011112122j:plain決意表明のようす

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トライ!

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サインはV!!

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エイエイオー!

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ラグビー・パフォーマンス!

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団交ではありません(笑)

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他の営業所に挑戦状を叩きつける!

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鳴り物も登場!

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祭軍団が立ち上がる!

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祭りだ、ワッショイ!

社長訓話の後は、各営業所長およびブロック長による決意表明が行われました。北九州だけで3ブロック・12営業所および研修センターがあるのですが、それぞれに趣向を凝らした決意表明でした。営業所長の音頭に合わせて、営業員さんたちが声を揃えたり、拳を突き出したり、「達成」などと書かれた団扇を振ったり、歌を歌ったりしました。みなさん、まことにユニークで楽しい決意表明を見せてくれました。

f:id:shins2m:20191011115040j:plainみなさんなら、必ず、やれます!

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頑張って下さい! ペコリ!

すべての決意表明が終わった後、わたしは「素晴らしい決意表明でした。なによりも明るいのがいい。営業に限らず、仕事というのは『嫌だ』『面倒臭い』『やりたくない』などとネガティブに考えると、どんどん悪い方向に転がるものですが、何事も陽にとらえて、前向きに明るくしていれば必ず好転します。みなさんは明るくて素晴らしい!みなさんなら、必ず、やれます!」と講評しました。

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黄金の衣装で再登場、「まつり」を歌うことに・・・

f:id:shins2m:20191011115719j:plainつかみはOK牧場!



その後、みなさんへのリクエストで、わたしも何か歌うことになりました。風邪で喉が痛かったので断ろうかとも思いましたが、強い要望で「まつり」を歌うことになりました。黄金の法被に黄金のハチマキ姿のわたしが舞台に登場し、「祭」の巨大団扇や「天下布礼」の幟も後に続きました。イントロで、わたしは「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ。初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。今日はサンレー 営業推進部総合朝礼とあっちゃ、こりゃめでたいなあ〜。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言ってから、歌い出しました。つかみはOK牧場!(笑)

f:id:shins2m:20191011124107j:plain男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪

f:id:shins2m:20191011115824j:plain祭りだ~、祭りだ~!

 

わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、大いに盛り上がりました。ブログ「まつり」にも書きましたが、この歌は会場が一体となる、本当に日本人の心性に合った素晴らしい歌です。ある程度の年齢以上の日本人で、この歌を嫌いな人はあまりいないのではないでしょうか。まさに、「日本のうた」です!

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これが営業祭りだ~よ~♪

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ワッショイ! イエ~イ!

 

最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これがサンレー営業~祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。営業の総合朝礼で歌ったのは初めてですが、楽しくなければ営業ではないので、まあ景気づけにいいでしょう。孔子も「礼楽」を唱えましたし・・・・・・。

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アンコールでイエモンを歌うことに・・・



「まつり」を歌い終わると、アンコールが鳴り響きました。
わたしは無視しようとしましたが、いつまでも鳴りやまないので、仕方なくもう1曲歌うことにしました。ブログ「下呂温泉の大宴会」ブログ「平戸温泉の大宴会」で紹介した社員旅行の宴会と同じく、THE YELLOW MONKYの「太陽が燃えている」を歌うことにしました。ちょっと冒頭のダンスを張り切り過ぎて、息切れしてしまいました。トホホ、もうトシですね。でも、みなさんが非常に盛り上がってくれたので良かったです。

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エアギターが冴えわたる!

f:id:shins2m:20191011120543j:plainサンレーが燃えている!

 

「太陽が燃えている」はジャパニーズ・ロックの名曲ですが、黄金のコスチュームともバッチリ合って、大いに盛り上げりました。風邪を引いていて、あまり声が出ませんでしたが、その代わりに渾身の力でエアギターのパフォーマンスを繰り広げました。最後は「太陽が燃えている」の歌詞を「サンレーが燃えている」に替えて歌い上げると、またもや興奮が最高潮に達しました。あまりの熱気に顔をクシャクシャにして泣いているように見える営業員さんもいました。

f:id:shins2m:20191011120733j:plain和のこえ」を行いました

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最後は、もちろん一同礼!

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拍手の中を退場しました

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ああ、ちかれたび~!

その後は、小谷部長代理の音頭で「和のこえ」を行いました。わたしたちは、手をつないで「ガンバロー!」と3回唱和しました。わたしは、「この勢いがあれば、令和の時代になってさらに大きく飛躍できる!」と思いました。わたしは非常に疲れて、「ああ、ちかれたび~」とつぶやきましたが、営業推進部のみなさんの活躍に期待しています!
今夜は、サンレーグランドホテルで「隣人祭り・秋の観月会」および「月への送魂」が行われることになっており、わたしも参加します。「天下布礼」に休みなし!

 

2019年10月11日 一条真也

日向西紫雲閣竣工式

一条真也です。宮崎に来ています。
10月10日は旧「体育の日」ですが、延岡のホテルで目覚めました。延岡は旭化成の街ですが、同社の研究者である吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞して、喜びに沸き立っています。この日、わが社の日向西紫雲閣の竣工式が行われました。場所は、宮崎県日向市財光寺3160-2です。

f:id:shins2m:20191010104433j:plain完成した日向西紫雲閣

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 日向西紫雲閣の前で

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村河支配人と

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ロビーにて

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控室のようす

f:id:shins2m:20191010104628j:plainベッドルームのようす

f:id:shins2m:20191010104648j:plainバスルームのようす


サンレーグループとしては、日向西紫雲閣は宮崎県内で9番目、全国で80番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティセンター)です。まるで自宅のリビングルームのような、ゆったりいとした最新控室を完備しています。一日一式のみご葬儀をお受けし、大切な人との最後の時間を心安らかに過ごせるよう、経験豊富なスタッフが真心込めてお手伝いいたします。

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本日の神饌

f:id:shins2m:20191010104838j:plain本日の式次第

f:id:shins2m:20191010105647j:plainさあ、儀式の場へ!

f:id:shins2m:20191010105904j:plain一同礼!

f:id:shins2m:20191010110108j:plain竣工神事のようす

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低頭しました

f:id:shins2m:20191010111557j:plain清祓之儀のようす
 

神事の進行は、サンレー宮崎事業部管理課の松本さんが担当。竣工神事はブログ「大御神社」で紹介した有名神社(最近、ラグビーW杯日本代表が参拝したことが話題になりました)の新名光明宮司にお願いしました。 開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。

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玉串奉奠をしました

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拝礼するサンレー関係者

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最後は、もちろん一同礼!

 

それから、玉串奉奠です。祭主に続いて、最初に株式会社サンレー社長であるわたしが玉串を奉奠しました。それから、戸田将徳建築研究所の戸田所長、川口建設株式会社の土居社長、サンレーの尾崎取締役宮崎事業部長が次々に玉串を奉奠しました。その後、撤饌、昇神之儀、神酒拝戴、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。

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感謝状贈呈のようす

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感謝状贈呈のようす

 

それから、感謝状の贈呈が行われました。
わたしは、設計を担当された戸田将徳建築研究所の戸田所長、施工を担当された川口建設株式会社の土居社長に心を込めて、金一封を添えて感謝状を贈呈させていただきました。

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主催者挨拶のようす

 

それから、いよいよ主催者挨拶です。
わたしは、次のように挨拶しました。
本日、このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。関係者のみなさまに心より感謝いたします。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています。

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日向市について述べました

 

また、わたしは次のようにも述べました。
日向市は、宮崎県の北部に位置する人口6万人の都市です。温暖で日照時間は全国でもトップクラス。細島港を中心とした県内有数の工業地帯です。この日照時間が全国トップクラスというのが素晴らしいですね。なぜなら、わが社の「サンレー」という社名は「太陽光線」という意味だからです。わが社は、太陽の会社なのです。

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日向について話しました 

 

さらに、わたしは次のようにも述べました。
日向市の南部に位置する美々津は神武天皇が東征の際に船出した地とされています。神武天皇が東征の際に率いた水軍が日本最初の海軍といわれているため、海軍発祥の地ともされています。またこの一帯には「伊勢」「五十鈴」「日向」の地名がありますが、同様の地名が三重県の伊勢地域にもあります。神武天皇の東征に参加した猿田彦一族の後裔が地名を移植したといわれているそうです。

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温かき日向の西の良き土地に 龍は昇りて紫雲たなびく

 

そして、市内にある「日向のお伊勢様」として知られる大御神社に言及し、「国歌にも歌われたさざれ石群がありますが、国内最大規模と言われています。また『昇り龍』や『ドラゴンボール』といった有名なパワースポットもあります。こんな素晴らしい場所に、新しい紫雲閣をオープンできて、本当に嬉しく思います」と述べてから、最後に以下の道歌を披露いたしました。

 

温かき日向の西の良き土地に

  龍は昇りて紫雲たなびく(庸軒)

 

f:id:shins2m:20191010113305j:plain決意表明のようす

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集合写真を撮影しました

 

その後、村河支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。 

f:id:shins2m:20191010113800j:plain直会で挨拶しました

 

それから直会が開かれました。神事に続いて、わたしが主催者挨拶をしました。わたしは、「宮崎に来ると、日本が神の国であることを痛感します。昨日は、高千穂神社天岩戸神社を参拝いたしました。どちらも素晴らしいパワースポットとして有名ですが、最近は何といっても大御神社さんが大変な話題になっています」と述べ、「先日、ラグビーの日本代表が大御神社さんを参拝されました。さざれ石を見たことで、日本人の心、大和魂を学んだ選手が多かったようです。いま、日本列島はラグビーの話題で持ち切りですね」と言いました。

f:id:shins2m:20191010113905j:plainラグビーと相互扶助について話しました

 

それから、わたしは次のようにも述べました。
ラグビーという競技は、「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」という思想に支えられています。「一人は全員のために、全員は一人のために」という意味です。由来は古代ゲルマン人の言い伝えなど諸説あるそうですが、この言葉は、相互扶助の思想として社会にも影響を与えました。「相互扶助」という考え方は、多くの人々が少額を出し合って万一に備える保険業や、冠婚葬祭互助会業の根本理念にもなっています。そもそも、互助会の「互助」とは「相互扶助」を縮めたものなのです。

f:id:shins2m:20191010113848j:plainコミュニティセンターで互助社会の実現を!

 

そして、わたしは「時代は、互助会から互助社会へと向かっています。互助社会とは、共生社会であり、思いやり社会でもあります。ラグビーチームのような社会が本当にこの地球上に実現したら、これ以上に素晴らしいことはありません。紫雲閣グループでは、いま、「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」をスローガンにしていますが、この日向の地に新しく完成したコミュニティセンターで、互助社会が実現することを願っています」と述べました。

f:id:shins2m:20191010114124j:plain乾杯の挨拶をする新名宮司

f:id:shins2m:20191010114450j:plain新名宮司の発声で乾杯!

f:id:shins2m:20191010114511j:plain大御神社の新名宮司

 

その後、大御神社の新名宮司が乾杯の挨拶をされました。新名宮司は、竣工式でわたしが詠んだ道歌に触れられ、「社長さんの歌には大変感動しました。昇り龍と紫雲が並ぶとは、本当に素晴らしいです。じつは、わたしは実際に紫雲を見たことがあります。うちの神社の洞窟で行者が気を入れたところ、雲ひとつなかった空に逆さ虹が出て、紫雲が出現したのです。信じられないかもしれませんが、本当の話です。6人が目撃しています。わたしたち神主というのは見えない世界、神や霊と関わりが深いので、いろいろ不思議な経験をします」と、驚くべきお話をされました。まったく、この宮司さんには毎回驚かされます。その後、新名宮司のご発声で乾杯となりました。

f:id:shins2m:20191010114641j:plain直会のようす

f:id:shins2m:20191010114617j:plain本日の料理

f:id:shins2m:20191010114826j:plain新名宮司と歓談しました

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直会のようす

f:id:shins2m:20191010120345j:plain最後は「末広がりの五本締め」で

 

直会では、マリエールオークパイン延岡の美味しいお弁当をいただきながら、大いに盛り上がりました。わたしは、お隣りの新名宮司と近況報告をしながら、これからの日本の未来について語り合いました。最後は、尾崎事業部長がサンレー恒例の「末広がりの五本締め」を行いました。

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宮崎県は歓喜の日でした

f:id:shins2m:20191008132843j:plain宮崎日日新聞」2019年10月10日朝刊

 

9日の「夕刊デイリー」、10日の「宮崎日日新聞」に竣工広告が掲載されました。今回は、『修活読本』(現代書林)を抽選で30名様にプレゼントいたします。みなさま、どうぞ、ふるってご応募下さい! オープニング見学会ですが、令和元年10月12日(土)・13日(日)に行われます。開業は令和元年10月14日(月)です。

 

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

 

 

直会の終了後、にちりん14号に乗って大分へ、そこからソニック42号に乗り換えて小倉へ戻りました。
翌11日は、朝から営業推進部の総合朝礼、小倉ロータリークラブの例会、さらには「隣人祭り 秋の観月会2019」に参加します。ハードな毎日ですが、「天下布礼」のために頑張ります!

 

2019年10月10日 一条真也

天岩戸神社   

一条真也です。
ブログ「高千穂神社」で紹介したパワースポットを後にしたわたしたちは、さらなる超パワースポットとして知られる天岩戸神社を訪れました。宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社で、岩戸川を挟んで東本宮と西本宮にわかれています。

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天岩戸神社の鳥居の前で

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天岩戸神社の案内図

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神楽像と



西本宮は大日孁尊(おおひるめのみこと=天照大神の別名)を、東本宮は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ=天照大神の別名)をお祭りしており、社名はその天照大神が身を隠し、当社の西本宮から拝する天岩戸に由来します。

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手水場で

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ベリー・キュート!(´。•ㅅ•。`)♡

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参拝入口にて

 

西本宮の創建年代は不詳ですが、岩窟(天岩戸)を神体とするという祭祀の姿から、奈良県大神神社などと同じく古い信仰の形態をのこしているといわれ、今日でも通常の神社にはある本殿はなく、そのかわりとして「天岩戸遥拝所」が設けられています。

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西本宮の社殿

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西本宮の社殿の前で

 

西本宮は天岩戸の故事を偲んだ瓊瓊杵尊ニニギノミコト)がその古跡に社を鎮祭したのが起源で、一方の東本宮は、思兼神が天岩戸より出御した天照皇大神に、現在の東本宮の地に造営した社殿への鎮座を願ったことにはじまるとされます。どちらも詳細な創建年代は不詳ですが、皇室や朝廷ではなく、在地住民からの信仰を主としている今日に続いています。現在社務所がおかれ、賑わっているのは西本宮ですが、本来は東本宮に信仰の中心があったという指摘もあります。

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参拝しました

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超パワースポットでした!

 

天岩戸神社の大きなお祭りとしては春祭りである西本宮祭と、これに対応する秋祭りの東本宮祭のほか、11月には全33番の天岩戸神楽が周辺の住民によって奉納されるなど、地域における信仰の中心になっているお宮であるといえるでしょう。神社周辺には天安河原天の浮橋といった神話に登場する史跡もあり、神々の伝承の息吹が今なお感じられる場所です。

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天安河原入口

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天安河原へ向かって

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天安河原へ向かって

f:id:shins2m:20191009164510j:plain風光明媚な場所でした

f:id:shins2m:20191009164635j:plain風光明媚な場所でした

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天安河原宮の前で

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天安河原

f:id:shins2m:20191009165228j:plain天安河原宮の前に広がる河原で

 

わたしはグリーフケアの研究と実践を行っていますが、グリーフケアとは暗闇を太陽の光で照らすことであると考えています。つまり、岩戸開きとはグリーフケアを象徴する行為なのです。その岩戸開きの神話に由来する天岩戸神社で、わたしは「愛する人を亡くした人たちの心が救われますように・・・」と祈願いたしました。翌10日は、日向西紫雲閣の竣工式に、主催者として参加いたします。


開運! パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)

 

2019年10月10日 一条真也

高千穂神社   

一条真也です。
ブログ「椎葉村」で紹介した日本民俗学発祥地を後にしたわたしたちは、パワースポットとして有名な高千穂神社を訪れました。宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する、六国史にもみえる古社(国史見在社)ですが、久々の参拝です。

f:id:shins2m:20191009155802j:plain高千穂神社の鳥居の前で


高千穂神社の創建は約1900年前に遡り、明治以前には「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などの名称で呼ばれていたそうですが、明治4(1871)年に三田井神社へ改称し、同28年(1895)年には現社名である「高千穂神社」に改称したそうです。

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高千穂神社の境内で

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久々に訪れました

 

ご祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神です。どちらも他のお社にはみえない神様です。前者の高千穂皇神は、高千穂の地に降臨された瓊々杵尊をはじめとする日向三代の神とその妻神の総称であり、後者の十社大明神は、初代神武天皇の兄にあたる三毛入野命とその一族の総称で、高千穂神社はこれらの神々をお祭りし、高千穂郷八十八社の総社として崇敬を集めてきました。

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社殿を背にして

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参拝しました

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「令和」の賽銭箱

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秩父杉が茂っていました

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思い切り深呼吸をしました

 

高千穂神社は、歴代の権力者からも篤い崇敬を受けてきました。安永7(1778)年に造営され、高千穂神社社伝に関連する精緻な彫刻が施された五間社流造の社殿と、所蔵品である鉄製の狛犬一対は国の重要文化財に指定されるなど、往時の信仰の強さを知ることが出来るものとなっています。また、境内には樹齢800年といわれる御神木「秩父杉」が茂り、神社の荘厳さを際立たせています。

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やはり、パワースポットでした!

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楽殿の前で

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御大礼のポスターと

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次は、天岩戸神社へ!

 

高千穂神社は、天孫降臨伝承に加えて在地の信仰、そして熊野修験が集合された多層的な信仰空間が形づくられていますが、重要無形民俗文化財に指定されている高千穂の夜神楽は特に有名です。平日も観光客向けに「手力雄の舞」「鈿女の舞」「戸取の舞」「御神体の舞」といった有名な4番が奉納されていますが、毎年11月におこなわれる「神話の高千穂夜神楽まつり」では、高千穂神社楽殿において、夜を徹して33番におよぶ神楽が奉納され、五穀豊穣や夫婦円満・子孫繁栄が祈願されます。


開運! パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)

 

2019年10月9日 一条真也

椎葉村  

一条真也です。
9日の朝、小倉駅から九州新幹線さくら543号で熊本へ。
熊本駅サンレー宮崎の尾崎事業部長と合流し、車で宮崎県の椎葉村に向かいました。

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椎葉の手打ち蕎麦店の前で

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すべて美味しかったです!

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いただきます!

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食後は、カー子を買いました

 

椎葉村は、以前からずっと訪れたかった場所です。なぜなら、椎葉村は「日本民俗学発祥の地」だからです。到着すると昼時だったので、名物の手打ち蕎麦を食べました。かけ蕎麦に、トウモロコシのおにぎり、自家製の漬物、椎茸茶・・・・・・すべて美味しかったです。食後は隣の雑貨店で、烏除けの「カー子」を買いました。定価1500円でしたが、消費税は取られませんでした。ラッキー! このカー子は日夜、庭仕事に励んでいる妻へのお土産にしたいと思います。

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厳島神社の鳥居の前で

 

椎葉村は宮崎県の北部、九州山地中央部に位置し、村の全体が九州山標高1000mから1700m級の山々に囲まれた、「風光明媚」という言葉を画に描いたような場所です。現在、村としては日本第5位の広大な面積を有してはいますが、その反面、村域のほとんどは厳しい山々であり、山の中に点々と集落が存在しているかたちになっています。

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絶対に見逃しません!(with尾崎)

 

これよって他の地域から閉ざされたために村内には、近代まで独自の文化が息づいていました。今日も日本で唯一現存している焼き畑農業はその代表であり、このほかに村内の26地区で国の重要無形民俗文化財である椎葉神楽が伝承されています。椎葉村はその地理的特徴・民俗的特徴から、白川郷岐阜県)・祖谷(徳島県)とともに、日本三大秘境の1つにも数えられています。

f:id:shins2m:20191009131500j:plain椎葉民俗芸能博物館の前で

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椎葉は「民俗学発祥の地」です

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民俗文化の里・椎葉

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猪が吊るされていました

 

椎葉には上の民俗芸能の他にも、春の的射、秋の臼太鼓などやひえつき節をはじめとする多種多様な民俗音楽が伝わっています。これらを椎葉の四季折々の暮らしぶりと共に紹介するのが「椎葉民俗芸能博物館」です。当館は平成9年4月にオープン。地上4階、地下1階で昔の村の民家風の造りをしています。展示総数はおよそ500点で、臼太鼓踊の展示室では、九州各県及びアジアの太鼓踊に使用される太鼓を展示。神楽のコーナーでは全国の神楽の紹介も行っています。

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精霊棚

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大宝

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太鼓踊りを背景に

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神楽面と

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柳田国男の肖像と

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楽殿の前で瀬津神職

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土俵もありました!

 

椎葉民俗芸能博物館では椎葉の民俗芸能を九州、アジアの民俗芸能と比較し、地域的・歴史的な位置づけを行うというテーマのもとで貴重な文物を見学することが出来ます。椎葉に伝わる民俗芸能の用具と、日本民俗学にも大きな影響を与えた椎葉の生業の用具も展示されていて、古い日本の姿を考える際の貴重な参考資料にもなります。

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博物館に隣接した厳島神社

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厳島神社を参拝しました


椎葉村九州山地の奥深くに位置しますが、そのルーツは、平家の落人が隠れ住んだことに求められるといいます。治承・寿永の乱源平合戦)によって都を追われ、平家の残党はこの地に落ち延びて住み着きますが、彼らを追討するため、源氏の追っ手として那須大八郎宗久(那須与一の弟とされる)がこの地を訪れます。

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山深い椎葉村にて

 

しかし、平家には既に戦意がないものと判断した宗久は自らも3年間当地に逗留し、平清盛の縁者であるとされる鶴富姫と愛を育んだと伝えられるそうです。これが椎葉を治めた那須氏の発祥といわれており、椎葉村には今でも「那須」姓が多いそうです。かつて日本の覇権をかけて争った源氏と平家が結ばれた場所と考えると、椎葉というのは、ひとつの「ムスビ」のスポットなのかも知れません。

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那須宗久と鶴富姫の像

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ちょっと、お邪魔します!

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鶴富屋敷にて

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鶴富屋敷の中で

 

那須宗久と鶴富姫の伝承の舞台となった場所は、鶴富屋敷(那須家住宅)として今日に姿をとどめています。正確には、しかし、この建物は当時のものではなく、およそ300年前に建てられたものだとされています。平地が少ない椎葉村で、傾斜をうまく利用するために、部屋を並列に配置する細長いデザインが採用され、小屋組みは又首を組み合わせ、屋根は寄棟づくりで棟飾りとして九本の千木が組まれ、寝殿造りの形式をのこしたものともいわれています。往時は茅葺きでしたが、昭和38年から火災防止のため銅板葺きに変更されています。

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柳田国男ゆかりの地へ

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日本民俗学発祥の地で

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草に覆われた説明板

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民俗学発祥之地」の石碑

 

さて、平家の落人に関する伝説は最初に挙げた徳島県の祖谷や富山県五箇山など、周辺地域と隔絶された場所に発生することが少なくありません。椎葉はその典型で、そうした環境的な要因により、周辺とは異なった文化が醸成されていたようです。そこに目をつけたのが、日本民俗学の祖・柳田国男でした。

 

 

柳田は明治41(1908)年、法制局参事官として奉職していた折、阿蘇を訪れた後に南郷神門より椎葉を訪れ、当地へ一週間滞在しています。その間、当時の村長だった中瀬淳とともに村内でフィールドワークを実施し、その成果として、日本民俗学初の出版物と言われる『後狩詞記(のちのかりことばのき)』を明治43(1910)年に出版しています。 同書は伝統的山村で行われていた狩猟伝承の実態を記しており、狩で用いることばや、狩の作法のほか、「狩之巻」を付録として収載しています。

 

日本民族の源流を探る―柳田國男『後狩詞記』再考

日本民族の源流を探る―柳田國男『後狩詞記』再考

 

 

同地でも近代に入ると鉄砲が普及し、狩猟の姿は従前から一変しますが、それ以前の時代の狩猟の姿や古伝を口頭と文献によって聞き出し、貴重な資料集にまとめたものです。同書は、近代以前の日本の山村の実情を鮮明に書き記したものであり、柳田によってほぼ同時期に記された『石神問答(いしがみもんどう)』や『遠野物語』と共に、黎明期の民俗学における名著として、今日でも読み継がれています。

 

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

 

 

中瀬村長は後年、この時の交流が「今日ではこれが日本民俗学の出発点のようにいわれている」と自負していたそうで、彼の生家には「日本民俗学発祥の地」の碑が建立されています。柳田を民俗学へむかわせた彼の功績を思えば、先のことばも言い過ぎではないに思えます。また、わが社・サンレーが日本民俗学の事業化を期して創立されたことや、冠婚葬祭互助会そのものが日本民俗学と不離であることを思えば、椎葉村サンレー、ひいては全国の冠婚葬祭互助会のルーツといえるかもしれません。

國學院大學での特別講義のようす

 

ブログ「國學院大學オープンカレッジ特別講座」で紹介したように、わたしは2014年11月11日に國學院大學の教壇に立ちましたが、冒頭、「今日は國學院大學の教壇に立て、感無量です」と述べ、國學院との御縁を話しました。わたしの父で、サンレーグループの創業者である佐久間進会長が國學院の出身であり、日本民俗学が誕生した昭和10年にこの世に生を受けています。また、佐久間会長は亥年ですが、ともに國學院の教授を務めた日本民俗学の二大巨人・柳田国男折口信夫の2人も一回り違う亥年です。佐久間会長が國學院で学び、日本民俗学のまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業としたことに何か運命的なものを感じます。わたし自身は、佐久間会長から思想と事業を受け継いでおり、幼少の頃から日本民俗学の香りに触れてきました。

國學院大學と私」

 

國學院」の「国学」とは、「日本人とは何か」を追求した学問で、契沖、賀茂真淵本居宣長平田篤胤らが活躍しました。わたしの実家の書庫には彼らの全集がすべて揃っており、わたしは高校時代から読み耽っていました。そして、「日本人とは何か」という国学の問題意識を継承したのが、「新国学」としての日本民俗学です。実科の書庫には、柳田国男折口信夫の全集も当然にように並んでいました。
わたしは、「無縁社会」とか「葬式は、要らない」などの言葉が流行したとき、日本人の原点を見直す意味でも日本民俗学の再評価が必要であると思いました。いま、わたしは「冠婚葬祭互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることだと思っています。この互助会のミッションは日本民俗学からそのまま受け継いだものであることは言うまでもありません。ちなみに、佐久間会長は、互助会の初の全国団体である一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会の初代会長も務めました。



わたしが椎葉村に興味を持ったのは、ブログ「しゃぼん玉」で紹介した日本映画を観てからです。直木賞作家である乃南アサの小説を基にしたヒューマンドラマです。強盗や傷害を重ねて逃亡中の青年が、ある老人と彼女が暮らす村の人々と触れ合ううちに再起を決意するさまが描かれます。監督はテレビドラマ「相棒」シリーズなどの東伸児で、キャストには、林遣都藤井美菜綿引勝彦市原悦子らが顔を揃えました。人と人の絆の尊さを見つめた物語に加え、ロケを敢行した宮崎県の美しい風景も見どころです。

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「椎葉平家まつり」のポスター



映画「しゃぼん玉」には「椎葉平家祭り」という祭りが登場し、非常に重要な役割を果たします。「グルネット宮崎」の「椎葉平家まつり」には、「椎葉に残る鶴富姫と那須大八郎の伝説を現代に甦らせたイベント。毎年11月、紅葉の美しい時期に行われます。鶴富姫を供養する『法楽祭』から始まり、当時の様子が再現される華麗な時代絵巻『大和絵巻武者行列』は圧巻」と説明されています。また、「鶴富姫と那須大八郎の伝説」として、こう書かれています。
「およそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たち。追っ手を逃れて、各地のふところの深い山奥へ。古文書『椎葉山由来記』は次のように伝えています・・・道なき道を逃げ、平家の残党がようやくたどりついたのが山深き椎葉だった。しかし、この隠れ里も源氏の総大将頼朝に知れ、那須与一宗高が追討に向かうよう命令されるが、病気のため、代わって弟の那須大八郎宗久が追討の命を・・・こうして椎葉に向かった大八郎、険しい道を越え、やっとのことで隠れ住んでいた落人を発見。だが、かつての栄華もよそに、ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て、哀れに思い追討を断念。幕府には討伐を果たした旨を報告した。普通ならここで鎌倉に戻るところだろうが、大八郎は屋敷を構え、この地にとどまったのです。そればかりか、平家の守り神である厳島神社を建てたり、農耕の法を教えるなど彼らを助け、協力し合いながら暮らしたという。やがて、平清盛の末裔である鶴富姫との出会いが待っていました」

 

さらに、「鶴富姫恋物語」として、こう書かれています。
「いつしか姫と大八郎にはロマンスが芽生えました。『ひえつき節』にもあるように、姫の屋敷の山椒の木に鈴をかけ、その音を合図に逢瀬を重ねるような・・・

庭の山椒の木鳴る鈴かけて

鈴の鳴るときゃ出ておじゃれ

鈴の鳴るときゃ何というて出ましょ

駒に水くりょというて出ましょ

大八郎は永住の決心を固め、村中から祝福されます。ところが、やがて幕府から、『すぐに兵をまとめて帰れ』という命令が届き、夢ははかな・・・

和様平家の公達流れ

おどま追討の那須の末よ

那須の大八鶴富おいて

椎葉立つときゃ目に涙よ

このとき鶴富姫はすでに身ごもっていました。
しかし、仇敵平家の姫を連れていくわけにもいかず、分かれの印に名刀<天国丸>を与え、「生まれた子が男子ならわが故郷下野(しもつけ)の国へ、女ならこの地で育てよ。」と言い残し、後ろ髪を引かれる思いで椎葉を後にするのです。生まれたのはかわいい女の子。姫は大八郎の面影を抱きながらいつくしみ育てました。後に、婿を迎え、那須下野守と愛する人の名前を名乗らせたそうです」

 

隣人の時代―有縁社会のつくり方

隣人の時代―有縁社会のつくり方

 

 

拙著『隣人の時代』(三五館)にも書いたように、祭りは血縁と地縁を強化する文化装置です。そのような本質をもつ祭りに触れ、伊豆見の心は明らかに変化していきます。また、伊豆見と美知の関係が大八郎と鶴富姫のイメージに重なっていくという構図も見られました。取り返しのつかない罪を犯した若者は、平家の落人集落という伝説の場所で、伝説と一体化していくのでした。神話の国・宮崎の伝説の里で・・・・・・。神話も伝説も物語です。「しゃぼん玉」という映画は、人間が物語を必要とする動物であることを示しているように思いました。とても興味深い、素晴らしい映画でした。実際に椎葉村を訪れて、もう一度観たくなりました。

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椎葉村の鉄橋にて

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鉄橋の下は川が流れています

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椎葉ダム

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椎葉ダムにて

 

2019年10月9日 一条真也

熊本駅にて

一条真也です。
昨夜は、久々に小倉の繁華街で痛飲しました。
9日の朝、小倉駅から九州新幹線さくら543号で熊本へ。

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JR熊本駅前で


翌10日に日向西紫雲閣の竣工式が行われますが、その前に土地の視察で宮崎県の椎葉村高千穂神社天岩戸神社に寄ることになりました。皇産霊神社の瀬津神職も一緒です。現地には宮崎よりも熊本から車で入ったほうがいいのです。さくら543号のわたしの席に着くと、ゴミが散らかっていて驚きました。後で車掌さんが来て、片付けながら、「外国人のお客さんで、ラグビーですよ。申し訳ございません」と謝っていました。ワールドカップで盛り上がるのはいいですが、マナーの悪い外国人は困りますね。

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f:id:shins2m:20191009115835j:plainおもてもやんと

 

熊本駅では、くまモンおてもやんに会いました。
また、サンレー宮崎の尾崎事業部長と合流しました。
今から、尾崎事業部長の運転で「日本民俗学発祥の地」である椎葉村に向かいます。

 

2019年10月9日 一条真也