「まつり」

一条真也です。
この記事は、冒頭のYouTubeで曲を流しながらお読み下さい。
ブログ「合同厄除け隣人祭り」で紹介したように、昨夜はカラオケで北島三郎の「まつり」を歌いました。会場が一体となる、本当に日本人の心性に合った素晴らしい歌です。ある程度の年齢以上の日本人で、この歌を嫌いな人はあまりいないのではないでしょうか。まさに、「日本のうた」です!


北島三郎といえば、ちょうど今日のヤフー・ニュースのTOPに「北島三郎 体調『もう大丈夫』」という記事があり、以下のように書かれています。
「演歌歌手、北島三郎(80)が3日、東京・八王子の高尾山薬王院で北島ファミリーの原田悠里(62)ら5人と恒例の豆まきを行った。昨年の豆まきはインフルエンザで欠席しており、2年ぶりの参加。同9月に『頸椎症性脊髄症』の手術を受け、今年に入っても目まいや貧血の症状が続くなど体調面が不安視されていたが、『年のせいもあってね。もう大丈夫です。顔色もよくなりました』。この日は晴天にも恵まれ、元気に『福は内!』と叫ぶなど、『今年はファミリーでスクラムを組んで、ゆっくり歩いていく。今日から出発だ!』と上機嫌だった」
わたしは最近、サブちゃんが自分の本当の親父のような気がして仕方がありません。親父の健康を願うばかりです。昨年末、大晦日の解散が決定していたSMAPに対して、サブちゃんは「最後は紅白に出たほうがいい。そして、有終の美を飾ったほうがいいよ」とアドバイスを送りましたが、これを知ったわたしの親父に対するリスペクトの念はさらに深まりました。


北島三郎記念館の入口の前で

サブちゃんにマジ惚れました!



わたしは、昨年、サブちゃんの世界に目覚めました。
そして、「まつり」を数え切れないほど歌ってきたのでございます。
最初の出逢いは、昨年の5月12日に訪れたブログ「北島三郎記念館」で紹介した北海道・函館の施設でした。北島三郎記念館はフロア構成となっており、1階がエントランスおよびグッズ販売スペース(グッズショップ)、2階には出生から現在にいたるまでのサブちゃんの半生とディスコグラフィ(2013年7月現在、全232曲のジャケットを展示)を歴史別に綴った「ヒストリー・ゾーン」、3階にはサブちゃんの代表曲である「まつり」の特別公演のフィナーレの臨場感を可能な限り機械で再現した「シアター・ゾーン」と等身大の北島のブロンズ像が設置されていました。


「三郎まつり」の始まりだ!!

竜の目が妖しく光る!

あ、人影が出現!

おお、サブちゃん!!

竜の上には七福神、その上にサブちゃん!!

左スクリーンでも熱唱!

右スクリーンでも熱唱!

中央の本物(?)は、ど熱唱!!

もう、すごすぎる!!

終了後、等身大のブロンズ像と握手!



この「まつり」のパフォーマンスは度胆を抜く迫力でした。竜の上に七福神が乗って、さらにその上にサブちゃんが乗る。この三重構造は、まるで古代インドの宇宙論のようで、シュールでした。ディズニーランドでおなじみのオーディオ・アニマトロニクス(動く人形)のサブちゃんが大いに歌い上げます。両側には巨大スクリーンがあり、ライブ映像が流れます。もうこれ以上すごいものはこの世にないというぐらいの迫力でした。じつは、わたしは『まつり』という歌がずっと嫌いでした。会社をおかしくした人物がいつも歌っていたからです。でも、生まれて初めて、この歌を心の底から「いいね!」と思いました。シアターの外に出ると、等身大のブロンズ像があり、わたしは握手をしながら、「ありがとうございました!」と深々と礼をしました。


道後温泉で歌いました♪

山代温泉で歌いました♪

沖縄の忘年会で歌いました♪

小倉のカラオケボックスでも歌いましたよ♪

東京のカラオケスナックでも歌いましたね♪

全国3136人中で1位になりました!



それから「まつり」の魅力に取りつかれたわたしは、全互連の懇親会で、会社の宴会で、それから私的な飲み会で、何度も「まつり」を歌いました♪
ブログ「『儀式論』打ち上げ会」で紹介した昨年11月5日の夜は、「東京の止まり木」こと赤坂見附のカラオケスナック「DAN」で歌合戦をしました。お相手は、『儀式論』の版元である弘文堂の鯉渕友南社長です。サブちゃんが十八番だそうで、「今夜は、一条さんとサブちゃん対決がしたい」とのことでした。ガチンコのカラオケ・デスマッチです! DANはわがホームグラウンドですから、負けるわけにはいきません。わたしは「函館の女」、「兄弟仁義」、そして「まつり」を熱唱しました。鯉渕社長のサブちゃんナンバーは「男の精神(こころ)」、「北の漁場」などで、迫力満点でした。わたしは、そのど真剣な歌声を聴きながら「この人はただ者ではないな」と思いました。ちなみに、わたしが歌った「まつり」は、全国3136人中で1位に輝きました。
そして、ブログ「サンレー創立50周年記念祝賀会」で紹介した運命の2016年11月18日を迎えたのでございます。


騎馬にまたがり、ど派手に入場しました

蛇踊りに続いて、ど派手に入場!

つかみはOK牧場!

野郎ども、用意はいいか?!



この日に行われた「サンレー創立50周年記念祝賀会」ではカラオケ大会がありましたが、最後はわたしの出番でした。「天下布礼」の幟と蛇踊りに続いて、背中に「祭」と書かれた黄金の法被を着たわたしは屈強な3人衆の騎馬にまたがり、ド派手に入場しました。興奮した営業員さんたちが騎馬に殺到して危険な状態となりましたが、なんとか舞台までたどり着きました。
颯爽と舞台に駆け上がったわたしは、わたしは「まつり」を歌いました♪ 
イントロの部分で、「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ。初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。冠婚葬祭のサンレーが50周年を迎えたよ。こりゃあ、めでたいなあ〜。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言うと、早くも会場が熱狂の坩堝と化しました。よし、つかみはOK牧場!


男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪

ど真剣に歌いました♪

1番を歌い終わると客席へ降りました

大盛り上がり! 狂乱のステージ!

祭りだ! 祭りだ! ワッショイ!



わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、大漁旗や巨大団扇を持った男たちが次々に出現しました。1番を歌い終わると、「祭」と書かれたブルーの法被を着た営業所長たちも登場しました。みんなで歌い、踊り、大いに盛り上がりました。


これがサンレーの祭り〜だ〜よ〜♪

フィナーレ!

ああ、生きてて良かった!



最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これがサンレーの祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。歌い終わって、わたしが「50周年、ありがとう〜!」と叫ぶと、50発の巨大クラッカーが鳴らされました。まさに「狂乱のカーニバル」といった感じで、割れんばかりの盛大な拍手が起こり、感激しました。ああ、生きてて良かった!


蛇踊りに続いて・・・・・・

まさに「まつり」でした!

こんな会社、他にあるだろうか?



歌い終わったわたしは、再び騎馬にまたがって退場しました。
途中、多くの営業員さんたちがスマホで撮影し、ハイタッチや握手を求めてきました。いやあ、なんだかアイドルになった気分でした。ちょうどこの日に福岡に来ていたBIGBANとやらも、この華麗なるパフォーマンスには腰を抜かすのではないでしょうか?


北九州新年祝賀会でも「蛇踊り」が登場!

これがサンレー北九州の祭り〜だ〜よ〜♪

大分では「中津祗園」と競演!

これがサンレー大分の祭り〜だ〜よ〜♪

宮崎では「ひょっとこ踊り」と競演!

これがサンレー宮崎の祭り〜だ〜よ〜♪

沖縄ではカチャ―シー隊と競演!

これがサンレー沖縄の祭り〜だ〜よ〜♪

北陸では「御陣乗太鼓」と競演!

これがサンレー北陸の祭り〜だ〜よ〜♪



今年に入ってからも、わたしは各地の新年祝賀会でも「まつり」を歌ってきました。北九州では「蛇踊り」、大分では「中津祇園」、宮崎では「ひょっとこ踊り」、沖縄では「カチャ―シー」、そして北陸では「御陣乗太鼓」と競演し、一連の祭りシリーズはクライマックスを迎えました。各地の互助会の営業員さんたちも大変喜んで下さり、握手やハイタッチもたくさん交わすことができました。最高のコミュニケーションとなりました。



そして、昨夜の「合同厄除け隣人祭り」です。この夜はノー・コラボ、ノー演出、ノー衣裳でした。少し心細かったですが、がんばって歌いました。
最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これが隣人祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。
最後は「厄除け者のみなさん、今日はおめでとうございました!」と叫ぶと、割れんばかりの盛大な拍手をいただきました。


小倉祇園のようす



日本人は、祭りが大好きです。
子どもにとっては、夜遊びのワクワク感をともない、祭りはひたすら楽しいイベントです。大人になるにつれ、命がけのお祭り、勇壮なお祭り、優美な祭りに心を奪われます。どんな祭りにも日常とは違った空気が流れており、そこに惹かれるのかもしれません。小倉っ子であるわたしは、「無法松の一生」で有名な小倉祇園太鼓の季節になると血が騒ぎます。


儀式論

儀式論

では、祭りとは何でしょうか。拙著『儀式論』(弘文堂)の「祭祀と儀式」でも詳しく書きましたが、祭りは自然と人間と神々との間の調和をはかり、その調和に対する感謝を表明する儀式です。「まつり」というやまと言葉の原義は「神に奉(つか)へ仕(つかまつ)る」であることを国学者本居宣長は『古事記伝』で説いています。「まつり」の語源は「たてまつる」の「まつる」、すなわち「供献する」「お供えする」ことに由来するというのです。
たしかに「祭り」のはじまりは「神と人との関係」にありました。でも、現在では「人と人との関係」に重心が移動してきているのではないでしょうか。古来より、日本の祭りは人間関係を良くする機能を大いに果たしてきました。ともに祭りに参加した人間同士の心は交流して、結びつき合うのです。
まつり」は、そんな日本人のためのソウル・ソングであると思います。


サンデー毎日」2016年9月11日号



ブログ「五輪は世界最大の『まつり』」で紹介したように、わたしは「サンデー毎日」に「一条真也の人生の四季」というコラムを連載していますが、同誌に掲載された第45回目のコラムの最後に次のように書きました。
リオ五輪の閉会式では、小池百合子東京都知事五輪旗を引き継いだ後、日本大会をPRする映像が上映され、マリオに扮した安倍首相が登場して場を盛り上げました。4年後の東京五輪の開会式では、ぜひ北島三郎さんに『まつり』を歌ってほしいと思います。なぜなら、オリンピックは世界最大の『まつり』だからです」
サブちゃんが東京五輪の大舞台で「まつり」を歌い上げ、「日本人、ここにあり!」と全世界に感動を与えてくれる日を心から楽しみにしています!
そして、一度でいいから、わたしはサブちゃんに会ってみたい! 
そして、わたしの歌う「まつり」をご本人に聴いていただきたい!
誰か、わたしの願いを叶えてくれる方はいらっしゃいませんでしょうか?



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年2月4日 一条真也