大御神社

一条真也です。
この記事は、当ブログ800本目の記事となります。
ブログ「日向北紫雲閣竣工式」に書いたように、28日はサンレーグループ58番目となる紫雲閣の竣工式が行われました。地元を代表する神社である大御神社の新名光明宮司が神事を執り行って下さいましたが、直会で乾杯の音頭をお願いしたところ、たくさんの驚くべきお話をお伺いしました。


大御神社の看板

大御神社の入口で

大御神社の入口で佐久間会長と

陽光きらめく海を望む場所にありました



それで、すでに昨日参拝を済ませている佐久間会長とともに、わたしは竣工式の後で大御神社を参拝することにしました。
陽光きらめく日向の海を望む場所に、大御神社は鎮座していました。


大御神社

「日向のお伊勢さま」の由来

まずは手を清めました

境内で海をバックに・・・

新名宮司、佐久間会長と

新名宮司から説明を受ける佐久間会長



大御神社の公式HPの「由緒・沿革」には次のように書かれています。
大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる『神明記』その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されたと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、皇大御神を奉斎する御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。
その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神徳を慕って県内外の参拝者が激増している。大御神社の社名は、天照皇大御神の大御をいただいて社名とした、と伝えられているが、本殿に残る天保安政年間より大正5年までの祈願木札には天照皇大神宮と記されている。


社殿の前で佐久間会長と

社殿奥のようす

社殿に参拝しました

社殿は岸壁の上に建っています



公式HPの「由緒・沿革」には次のように社殿についての説明もあります。
「現在の社殿は、昭和13年(1938)10月に全面改築されたものであり、建物全体が直線形の木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造りが特徴。本殿裏の波打つ柱状岩と相まって独特の雰囲気を醸し出し、特に海岸より観る姿は実に美しい。
設計施工は当時全国的に活躍していた宮大工・谷山武義(四国出身)で、建築資材は高千穂地方の神社の境内木(杉材)が使われている。
その後は改築もほとんどされておらず、当時の関係者の日記に立案から落成までの経緯が克明に記録されており、設計図も原本のまま、又建設中の写真も保存されている」


岩だらけの海をバックに

ここには温泉も湧いています

大御神社周辺のさざれ石

新名宮司から説明を受けました



そして、有名な日本一のさざれ石群を見学しました。
今から約2000万年前、この辺りは広範囲にわたり浅い海岸平野で、大陸から流れる大量の礫(石ころ)が、その河口附近にたまって、粘土・砂などにまじり、長い年月の間に大きな固まりとなりました。これが神社周辺の「さざれ石」です。それが非常に広範囲に渡っている「さざれ石群」となっていました。わたしたちは新名宮司から直々に説明を受けながら、呆然としてさざれ石群を見つめていました。


「さざれ石群」の説明板

無数の小さな石が集まって固まっています

この山全体が、さざれ石?



公式HPの「さざれ石・神座」には、以下のような新名宮司自身の文章が掲載されています。
「平成15年の9月。境内西側の拡張造成工事が始まった。
そもそも、社殿のすぐ西側脇に神門があり、境内地を二分していた。
その神門に白蟻が入り破損がひどく、さてどうしたものか、新たに建替えようかとも考えたが、せっかく境内は山(ボウズ山)の際までが神社有地だからこの機に拡げてみようということになった。幅30m、奥行き100mの造成である。立ちこめる木、竹藪を切り開いて進むと、山際の前に今まで見たこともない珍しい岩を発見。表面がツブツブ・ザラザラとしており、まるで生コンクリートを捨てて固まったかのような石(岩)である。
早速、門川町在住の日本地質学会員でもある足立富男先生に見ていただくと、なんともあっさり
宮司さん、これは礫岩、”さざれ石”ですよ』
『えっーっあの”君が代”のですか・・・』
まさか、大御神社の境内に『さざれ石』が、しかもその規模たるや・・・
"神座(カミクラ)"と名付けしその巨石、境内西側(通称ボウズ山)の岩肌を見下ろす海岸の岩群、そして塩見川河口(ウドノセ)に至るまでの周辺一帯は圧倒的スケールの日本一であることが後日に判明いたしました。
私は『君が代』を歌うたびに疑問を持っていた。それは『さざれ石の巌となりて』の文言である。小さな石がどうやってくっつき固まって大きな巌となるのか、セメントやボンドがある訳でもないし。この歌詞はいわば、非科学的ではないかといつも考えていた。(実際は、私があまりにも地質学に無知であるがため、ただそれだけのことである。)しかし、こうして圧倒的スケールの"さざれ石"群を目の前にするとうれしさに涙が込み上げてきた。そして何といっても境内地に在ることが有難い。
今では、この大御神社が、『さざれ石』が宮崎県の観光指定コースとなり、観光バスは勿論の事多くの方が訪れるようになった。神社としてもできうる限りの対応をすべく宮司自ら『さざれ石』又、『君が代』の説明をしている。
そして、悠久の時を経て巌となりし日本一の『さざれ石』を称えて、その都度『君が代』斉唱することにした。
どこまでも澄みわたる青空、広がる水平線ここちよい潮騒を背にうけながら声高らかの『君が代』の斉唱は、また格別なものがある」


大御神社の「神座」

巨大な神座をバックに

新名宮司、佐久間会長と

みんなで神座の前で記念撮影



それから、わたしたちは「神座(かみくら)」と呼ばれる巨石を見ました。
御社殿前を過ぎ境内西側奥にある「神座」は、天孫降臨として知られる天照皇大御神の孫にあたる瓊々杵尊ニニギノミコト)が当地を遊幸された折、お立ちになって絶景の大海原を眺望されたと伝えられる岩です。
公式HPの「さざれ石・神座」には、癒しの霊気(エネルギー)吹き出す神座」として、新名宮司の以下の文章が掲載されています。
「造成の折、竹藪を切り開いて進むと先ず忽然と現れたのがこの巨石(神座)だった。周囲30m・高さ4mと大きい。大御神社いわれの中に、天孫降臨として知られる天照大御神の子孫にあたる瓊瓊杵尊ニニギノミコト)が当地を遊幸されたとき、大きな岩に立たれ絶景の大海原を眺望されたと記してあった。私は30年余り、いつも心に留めつつ周囲の岩を眺めては探していた。神さまが立たれた岩だから格別の岩であると筈と考えていた。そこにこの巨石(さざれ石)の出現である。見た途端すぐにこの巌だと確信した。そしてその巌に神座(カミクラ)と命名し注連縄を張り廻らした」


龍神の霊(玉)」の説明板

神座前の水窪

あれが、龍玉ですよ!

あー、あれですか!

これが龍玉(ドラゴンボール)だ!!



さざれ石の次は、「龍神の霊(玉)」です。
神座前の水窪周辺は、今から5000年前(縄文時代)の人々が龍神信仰していた古代遺跡だそうです。古代の人々は、岩を渦状に刻み、龍を現したといいます。そして底には生命の源である龍玉を納め、それを守るように山水を注ぎました。当時の人々は、龍玉を抱え守る龍神の姿に日々の安寧と守護を祈り、後々の世まで続く幸福を願ったのかもしれません。


これが龍の尾です

古代人が彫ったとされています



龍玉の発見以来、大御神社は『ドラゴンボール神社』の名で有名になっているそうです。また、龍玉の沈む水窪を頭部として、ずっと龍の体のような岩が尾まで続いています。宮司によれば、これは古代人が龍神を岩に刻んだ跡なのだとか。うーん、ロマンがありますね!


「龍宮」への案内板



なんとも驚くべき龍神信仰の形跡ですが、わたしたちはこの後、さらに奇跡的な龍神の姿を目にすることになります。神社の鳥居を外に出たところに、「龍宮(鵜戸神社)」「ここから歩いて三分の所にあります」と書かれた案内板がありました。「龍宮」とはまた気になる表現ですが、さらに「五〇〇〇年前、城門時代の人々が龍神信仰をしていたと思われる岩窟であることが解りました。奥にある御社の前に立ち、入口の方を振り返ると天に昇る白龍がご覧いただけます」と書かれていました。これは行かなければ!


龍宮とされる岩窟の前で

岩窟の入口に鳥居が・・・・・・

岩窟の奥にある龍宮(鵜戸神社)



岩窟を囲むけっこうデンジャラスな石の階段を降りると、巨大な岩窟の前に着きました。岩窟の入口には赤い鳥居があります。それを潜り抜けて無数の岩を踏みながら奥へ進むと、案内板の通りに小さな御社がありました。これこそ鵜戸神社です。千古の神秘を湛える洞窟に鎮座まします鵜戸神社は、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)、彦火瓊々杵命(ヒコホノニニギノミコト)、彦火々出見命ヒコホホデミノミコト)、豊玉姫命トヨタマヒメノミコト)、塩筒大神(シオツツノオオカミ)を御祭神としています。


ここより昇り龍が見られます

おおおおおおおっ!! 昇り龍だ!!

まさに神秘体験でした

岩窟の外は海です



洞窟の奥に鎮座まします鵜戸神社の前には「ここより入口をご覧下さい。昇り龍が見られます。」と書かれています。
その通りに実行してみると、おおおおおおおっ!!
わたしの眼前に、一頭の白い昇り龍が出現したのでした。感動しました。


大怪獣ガメラのような亀岩

「三代の亀岩」の説明板



昇り龍を目撃した感動の醒めやらぬまま、外に出て歩いていると、今度は佐久間会長たちが「あそこに亀がいるぞ!」と海の方を指さします。見ると、本当に大怪獣ガメラみたいな亀岩がありました。これは正式には「三代の亀岩(親・子・孫)」というのだそうです。今から約100万年から200万年前のこと。神社の沖にある海底火山の活動によりこの海岸一帯は多量の火砕流が押し寄せ堆積しました。そして長い年月をかけて固まったのが柱状節理(溶結凝灰岩)です。長寿を象徴とするめでたい亀。ここには、悠久の時を経て大自然がもたらした3匹の亀岩が見られます。



わたしは、もう放心状態でした。さざれ石、神座、龍玉、岩窟の昇り龍、三代の亀岩・・・・・・もう、凄すぎる。どれか1つでもじゅうぶんに凄いのに「これでもか、これでもか」と波状攻撃で来る凄さ。なんという贅沢な神社でしょうか! これは相当強力なパワースポットに違いありません。



大御神社は明治以前までは「天照皇大神宮」という名でした。非常に古い由来があります。じつは、伊勢神宮の元社ではないかという研究者の方も多く、大御神社の御祭神である天照皇大御神が伊勢にお移りになったのではないかという説もあるのです。宮司は「わたしが宮司になってから、大発見が相次いでいます。これは何かの意味があるのだと考えます。もうすぐ、大変な出来事が起こって、歴史が変わりますよ!」と言われました。



いやあ、大御神社も凄いけど、新名光明宮司も凄い!
というか、新名宮司は一種の宗教的天才であると思います。
これからも大御神社からは目が離せません。
わたしも機会を見つけて、ときどき参拝したいと思います。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年10月28日 一条真也