沖縄総合朝礼  

一条真也です。
9日、沖縄に入りました。10日の午前中、サンレー沖縄の総合朝礼を行いました。会場は、マリエールオークパイン那覇4Fの「ムーンライト」でした。さまざまな部署から、総勢200名近くが参集しました。

f:id:shins2m:20190410102556j:plain入場のようす

f:id:shins2m:20190410102638j:plain一同礼!

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社歌斉唱のようす

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わたしも歌いました♪

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全員で「S2M宣言」を唱和

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わたしも大声で唱和しました

 

司会は、総務課の横木課長が務めました。
まず、浦添営業所の名幸所長による「ふれ太鼓」で開幕。
「開会の辞」に続いて全員で社歌を斉唱し、北部営業所の金城所長によって「経営理念」、「S2M宣言」が読み上げられ、全員で唱和しました。

f:id:shins2m:20190410103411j:plain社長訓示を行いました

 

そして、いよいよ「社長訓示」です。
わたしは、以下のような話をしました。
4月30日で「平成」が終わり、5月1日から「令和」になります。これから大きく社会の様子が変化していくと思われますが、そんな時代だからこそ守っていかなければならないものがあります。それこそ、元号に代表される古代からの伝統であり、冠婚葬祭互助会が業とする儀式です。

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「こころ」と「かたち」について

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。大切なのは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。 

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人生儀礼の意味とは?

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどがあります。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。

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互助会の社会的使命とは?

 

その「かたち」としての儀式を守るのが、わたしたち冠婚葬祭互助会の使命です。とはいえ、冠婚葬祭互助会そのものも変わります。結婚式・葬儀以外のそれらの新型サービスを会員のニーズやウオンツをつかんでそれを形にしたとき、互助会は新しい共同体としての姿を浮き彫りにできる。そのように、わたしは信じています。いま、儀式文化の初期設定に戻りつつも、アップデートの実現が求められています。

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これからの互助会について 

 

無縁社会」が叫ばれ、生涯非婚に孤独死や無縁死などが問題となる中、冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命はますます大きくなります。いまや全国で2000万人を超える互助会員のほとんどは高齢者であり、やはり孤独死をなくすことが互助会の大きなテーマとなっているのです。わが社が行っている「隣人祭り」をはじめとした隣人交流イベント、グリーフケア・サポート、さらには見回りや買い物支援など、そして婚活サポートなども互助会に求められてきます。

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「令和」の時代を拓いてゆこう!

 

将来的に、互助会が進むべき姿は、「互助会4.0」です。これは結婚をプロデュースし、孤独死自死をなくす互助会です。この互助会4.0のめざすところは「結婚は最高の平和である」「死は最大の平等である」というわが社の理念の実現です。「結婚をプロデュースする」とは、いわゆる「婚活」のことですが、もともと、夫婦こそは「世界で一番小さな互助会」であると言えます。これらを実現することこそ、わが社の大きなミッションです。相互扶助の心と人生を肯定する冠婚葬祭は永久に不滅です。新しい「令和」の時代を高い志で拓いてゆきましょう!

f:id:shins2m:20190410105714j:plain表彰のようす

f:id:shins2m:20190410105738j:plain表彰のようす

f:id:shins2m:20190410105805j:plain表彰のようす 

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トロフィーを授与しました

 

その後、各種表彰を行いました。
第一四半期業績発表、そして個人表彰です。
個人表彰は紫雲閣事業部の個人売上第1位、情報営業課募集口数の第1位、情報管理課集金回収率の第1位の方々を表彰させていただきました。さらに、最優秀賞として営業推進部のテレホン営業所にトロフィーをお渡ししました。

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新入社員紹介のようす

f:id:shins2m:20190410110429j:plain和のこえ」を行いました

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「よろしくお願いします!」

f:id:shins2m:20190410110504j:plain退場のようす

 

それから、各部署の新入社員の紹介&自己紹介がありました。これは沖縄の総合朝礼だけで行われているようですが、とても良いことだと思いました。
最後は、全員で「和のこえ」を営業推進部の瀬名波部長が音頭を取り、「がんばろー!」を3回繰り返しました。最後は、社長のわたしが「よろしくお願いします!」と深々と頭を下げました。この日も、サンレー名物の「和のこえ」で全員の心が1つになりました。この後、合同慰霊祭と海洋散骨に参加します。雨が降ってきたけど、船は大丈夫かな?
「令和」への改元まで、あと21日です。

 

2019年4月10日 一条真也

全互協九州ブロック総会  

一条真也です。
12日、副会長を務めている一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助会協会(全互協)の第102回九州ブロック総会に参加するため、小倉から博多の結婚式場「RITZ5」に向かいました。12時40分から九州ブロックの拡大理事会を開催しました。わたしはブロック長を拝命しています。事務局長はわが社の松田哲男取締役です。

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JR小倉駅のホームで

f:id:shins2m:20190408142016j:plain会場の「RITZ5」

f:id:shins2m:20190408142228j:plain「RITZ5」のロビーで

 

続いて、14時00分からは九州ブロック総会を開催しました。メモリード、セルモ、ラック、日本フェニックス、サニーライフ、ユウベルをはじめとする九州の有力互助会のオーナーや社員の方々が一堂に会しました。もちろん、わが社、サンレーも参加しました。冒頭、サンセルモの平田社長によって「開会宣言」が行われました。

f:id:shins2m:20190408155556j:plain全互協九州ブロック総会のようす

 

それから、わたしが登壇し、ブロック長の挨拶を行いました。わたしは、最初に「全互協九州ブロック長の佐久間でございます。本日は、お忙しい中を、九州ブロック総会にこのように多数ご出席いただきまして、誠にありがとうございます。また、ご来賓の皆様におかれましては、ご公務ご多忙中にもかかわりませず、九州ブロック総会のためにわざわざご臨席賜りまして誠にありがとうございます」と言いました。

f:id:shins2m:20190408155806j:plainブロック長として挨拶しました 

 

それから、わたしは以下のように述べました。
「今月30日に今上天皇は御譲位され、5月1日から元号が平成から令和へと変わります。平成最後の時を迎えまして、今まで我が業界は、その時代時代にふさわしいアップデートを繰り返しながら、日本の儀式文化を継承し、日本的よりどころを守って参りました。新時代を迎えるにあたりまして、日本人の精神そのものを守りながら、更には、新たな時代の日本人を幸福にするような儀式を新たに創造することが、新時代にふさわしいアップデートの在り方ではないかと考えております。そのような意味におきましても全互協の儀式継創委員会の担当副会長として、当委員会の活動を積極的に支援推進してまいりたいと考えております」

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全互協の3つのテーマとは?

 

続いて、わたしは以下のようにも述べました。
「さて、昨年8月の総会で山下会長が就任され、全互協の新体制がスタートしました。新しい体制は、3つのテーマを中心に取り組んでいます。1つ目は、生きているうちにも役立つ互助会への昇華として、儀式の継承すべき本質部分を現在に合う形で発信し、消費者とその価値を享受できるようにします。2つ目は、消費者がより安心する互助会へより消費者に近い場面での対応を強化します。全互協は、自主規制への取り組みを強化してまいりました。実効性を持ったコンプライアンス活動を推進し、昨年6月1日に施行された『監督の基本方針』にもしっかりと対応してまいります。3つ目は、情報発信、広報、広聴です。対外的に情報発信・情報交流を行い、消費者により近しい存在としての互助会にしていきます」

f:id:shins2m:20190408155622j:plainブロック長挨拶のようす

続いて、わたしは以下のように述べました。
「本日のブロック会議では、互助会加入者施行支援機構の規約の変更、運用の仕方について、新型一部利用方式の対象の拡大、消費者契約法の改正の動き等について、事務局から説明をさせて頂きます。また、ブロック会議の前に、第7回のコンプライアンス・ブロック別委員会を開催させていただいております。全互協では様々な課題に取り組み、消費者契約法特定商取引法の法改正の動向にも細心の注意を図って参ります。それらを通じ冠婚葬祭互助会業界のますますの地位の向上、消費者からの信頼向上をはかり、全互協ブランドの構築を進めてまいる所存であります」
そして、「本日のブロック総会がみなさまのご協力によりまして滞りなく終了いたしますように、また、九州ブロックが更なる発展に向けて邁進出来ますように、ご期待申し上げまして、わたくしの挨拶とさせていただきます」と述べてから降壇しました。

f:id:shins2m:20190408170649j:plain九州ブロック会議のようす

その後、「ご来賓挨拶」として経済産業省 九州経済産業局 産業部消費経済課の廣重課長、互助会保証株式会社の寺坂社長、日本割賦保証株式会社の小野社長より御挨拶がありました。総会が盛り上がったことは言うまでもありません。
その後、ブロック長であるわたしが議長に選出され、議題が審議されました。すべての議題が承認され、総会は円滑に終了しました。

f:id:shins2m:20190408175916j:plain懇親会が開催されました

 

その後、懇親会が開催され、ここでもブロック長として挨拶しました。わたしは新元号の「令和」に言及し、以下のように述べました。
「新元号となり、あらゆるものが変化します、しかし、世の中には変えてもよいものと変えてはならないものとがあります。大きく社会の様子が変化する時代だからこそ守っていかなければならないものがあります。それこそ、元号に代表される古代からの伝統であり、わたしたちが業とする儀式です」

f:id:shins2m:20190408180031j:plain元号の「令和」に言及しました

 

続いて、わたしは以下のように述べました。
「今回の改元が行われる曲折の中で、情報システム上の問題から、企業の元号離れが進んだと言われています。国際化などが進展する現代において、基準となる西暦以外の紀年法は必要ないのではないかという意見も聞こえました。もちろん、元号不要論の中には、単に西暦と併記することが億劫だからという理由もあるのでしょうが、果たしてそんな理由でこれまでの伝統をなくしてしまって良いのでしょうか。元号であれば、『大化』以降約1400年あまりにわたって受け継がれてきた伝統であり、今回の『令和』に至るまで、『平成』を含めて約250を経ています。これはルーツとなった中国においてもすでに喪われてしまっており、現在は日本固有の文化なのです」

f:id:shins2m:20190408180021j:plain令和は九州の時代になる!

 

続いて、わたしは以下のように述べました。
「それは儀式においても、まったく同様です。そもそも、現代のわたしたちが『改元』や『儀式』を体験できることは、過去のご先祖様たちがわたしたちへ、この文化を繫いできてくれたからです。それをリレーの中継者に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは許されず、また、『おこがましい』としか表現のしようがありません。世の中には意味のない、ムダな作法としての『虚礼』が存在することも事実。このようなものは淘汰されてしかるべきですが、不易と流行の間にある線引きをどこに置くかについて、新時代を迎えた今、わたしたちは慎重の上にも慎重に考えを巡らせなければならなりません。互助会の使命はきわめて大きいのです。新元号の『令和』の元になる和歌は太宰府で詠まれました。令和は九州の時代になるような気がします」

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カンパ~イ!

f:id:shins2m:20190408182127j:plain懇親会のようす

 

その後、ラックの柴山社長の音頭で乾杯が行われました。わたしは、業界の仲間たちとともに儀式やグリーフケアの未来について大いに語り合いました。親睦を深めつつ、ビジネス上のヒントも多く得ることができました。明日からは沖縄に出張し、サンレー沖縄の総合朝礼や合同慰霊祭、海洋散骨などに参加します。沖縄からは東京へそのまま飛び、13日には安倍総理主催の「桜を見る会」に参加します。ハード・スケジュールが続いていますが、「天下布礼」のために頑張ります!
「令和」への改元まで、あと23日です。

 

2019年4月8日 一条真也

グリーフケア人材養成講座開講式

一条真也です。
7日(日)、東京の四谷にある上智大学グリーフケア研究所の人材養成講座の開講式に参列しました。朝、赤坂見附のホテルで桜柄のネクタイを締めて、四谷に向かいました。

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桜柄のネクタイを締めました

f:id:shins2m:20190407093822j:plain四ッ谷駅前のようす

 

四谷に到着すると、駅周辺の桜が満開で見事でした。わたしは上智大学の正門から入って、すぐ左側にある2号館を訪れました。ここの17階が開講式の会場なのです。まずは控室に通され、学校法人 上智学院の佐久間勤理事長、グリーフケア研究所の島薗進所長、髙木慶子特任所長といった方々に御挨拶をさせていただきました。

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上智大学の正門

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会場となった2号館の前で

 

開講式は10時から開催され、80名の新入生が集まっていました。わたしは客員教授として登壇し、最前列に座ったのですが、身の引き締まる思いがしました。
新入生の方々はみなさん真剣な表情をされており、グリーフケアにかける熱意がこちらまで伝わってきました。客員教授らの紹介の後、島薗所長による祝辞がありました。島薗所長はご自身が6歳のときに目の前で親友を交通事故で失った喪失体験などをお話しになられました。続いて、佐久間理事長による祝辞がありました。上智大学神学部教授でもある佐久間理事長は新入生に対して「ソフィア・ファミリー」という言葉を使われ、入学を祝われていました。

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満開の桜が綺麗でした

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新入生を祝福しているようでした

 

開講式の終了後、わたしたちは退場し、再び控室に戻りました。島薗所長が11時から講義があるというのに、わたしと懇談の時間を作って下さり、わたしたちはブログ「グリーフケアと儀式継創のコラボを!」で紹介したプロジェクトについて簡単な打ち合わせをしました。
その後、わたしは歩いて満開の桜を眺めながら、赤坂見附のホテルまで戻りました。それにしても見事な桜でした。島薗所長によれば、東京での開講式は6年目ですが、こんなに桜が満開だったことは初めてだそうです。グリーフケアの道を志す方々の前途を祝福しているようでした。新入生のみなさん、本当におめでとうございます!

 

iPhoneXS Maxでグリーフケアソングの名曲である「デイ・ドリーム・ビリーバー」と「Lemon」を聴きながらホテルに戻ったわたしは、そのままチェックアウトして羽田空港へ。スターフライヤーで北九州に戻ります。なんといっても、今日は統一地方選挙がありますから!
明日8日(月)は、全互協の九州ブロック総会が博多で開かれ、わたしは副会長兼ブロック長として忙しい一日となります。連日かなりのハード・スケジュールが続いていますが、「天下布礼」のために頑張ります!
「令和」への改元まで、あと24日です。


2019年4月7日 一条真也

「デイ・ドリーム・ビリーバー」

一条真也です。東京に来ています。
7日(日)、上智大学グリーフケア研究所の人材養成講座の開講式に参列します。6日(土)の夜、赤坂見附のホテルの客室で珍しくTVを観ていました。フジテレビの「名曲!お宝音楽祭」という4時間番組です。フジテレビが「夜のヒットスタジオ」や「FNS音楽祭」などで秘蔵していたミュージシャンのお宝映像を楽しみました。

f:id:shins2m:20190407000125p:plain忌野清志郎ウルフルズのコラボ

 

その「名曲!お宝音楽祭」のラストでは、忌野清志郎ウルフルズのコラボによる「デイ・ドリーム・ビリーバー」が流れたのですが、缶チューハイを飲みながらその歌を聴いていたわたしの目から涙が溢れ出てきました。じつは、この歌を初めてじっくり聴き、歌詞も知ったのですが、なんという素晴らしい曲でしょうか! 

 

もともと、「デイ・ドリーム・ビリーバー」は、モンキーズが1967年に発売したシングル(原題:“Daydream  Believer”)です。4週週連続全米1位を記録しました。1967年年間ランキングは第6位で、モンキーズにとって「アイム・ア・ビリーヴァー」(“I’m Believer”)に次ぐヒット曲となりました。作詞・作曲は、元キングストン・トリオ(英語版)のジョン・スチュワートです。

 

 日本では、忌野清志郎らによるロックバンド「ザ・タイマーズ」のデビューシングルとして知られます。1989年10月11日に発売され、歌詞は忌野の変名である「ZERRY」名義による日本語詞となっています。「ザ・タイマーズ」は1988年ライブ・イベントに飛び入りでデビューした忌野に似た「ZERRY」が率いる伝説のバンドです。ジェリーこと沢田研二を中心とした「ザ・タイガース」のパロディバンドであり、全員が土木作業用のヘルメットをかぶり、社会に痛烈なメッセージを浴びせました。その風貌は、まさに学生運動を行う新左翼活動家のパロディでした。
エースコック「スーパーカップ」CM曲(1989年)、サントリーサントリーモルツ」CM曲(2006年)、セブンイレブンCM曲(2011年)にも使われました。

 

 

さて、“Daydream  Believer”とは直訳すれば「白昼夢を信じる人」です。「夢見心地で幸せな人」とも言えるでしょう。モンキースの歌詞全体のイメージは、「夢見心地のボクと学園の人気者の彼女が、恋愛して結婚して、幸せな生活を始めたよ。最高に幸せだけど、現実感がない。なんか不安だなあ」といったニュアンスでしょうか。
しかし、忌野清志郎の歌詞は明らかに違います。現実に一緒に暮らしていた人を失った歌になっています。じつは彼は3歳のときに母親を亡くしており、「デイ・ドリーム・ビリーバー」は亡き母親を偲ぶ歌なのでした。つまり、この歌はブログ「Lemon」で紹介した歌と同じく、愛する人を亡くした人のグリーフケアソングだったのです。そういえば、「Lemon]の歌詞の冒頭も「夢」から始まりますね。

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もうすぐ完成します! 

 

メロディーも歌詞も素晴らしい「デイ・ドリーム・ビリーバー」。早速、わたしの耳から離れなくなってしまいました。ぜひ、この名曲を自分でも歌いたいと思いました。じつは、わたしが歌ったラブソング&グリーフケアソングの動画コレクションがファンの方のご厚意によってDVD化される(非売品)のですが、次もこのような機会があれば、ぜひ「デイ・ドリーム・ビリーマー」を歌いたいですね。
「令和」への改元まで、あと24日です。

 

2019年4月7日 一条真也

『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』

証言 「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実


 

一条真也です。東京に来ています。
昨日は一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助会協会(全互協)の儀式継創委員会の会議に出席、明日は上智大学グリーフケア研究所の人材養成講座の開講式に参列します。
『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』前田日明藤波辰爾大谷晋二郎橋本大地ほか著(宝島社)を読みました。自分でも「さすがに、もうプロレス本はいいかな」と思っていました。しかし、ブログ『証言1・4橋本vs.小川 20年目の真実』が予想外の大反響で、今でも毎日のようにアクセスが集中しています。それで、同書の続篇ともいうべき本書をブログで取り上げることにしました。それにしても、「UWF」のような社会現象にまでなった団体とか、「1・4橋本vs.小川」のような歴史的一戦とかではなく、「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」という1つのテレビ番組をテーマに1冊の本が作られたことは驚きです。ものすごく面白いので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい!  

 

f:id:shins2m:20190328143452j:plain本書の帯

 

カバー表紙には小川戦に敗れ、ガックリうなだれる坊主頭の橋本真也の写真が使われ、帯には「17人のレスラー、関係者が告白!」「破壊王の『解雇』と『死』」「瞬間最高視聴率24パーセント!『生放送』特番の大罪」と書かれています。

f:id:shins2m:20190328143529j:plain本書の帯の裏

 

帯の裏には、以下のレスラー、関係者の言葉が並びます。
藤波辰爾「ノアとの交流は容認できない、だから橋本を切るしかなかった」/前田日明「橋本の死みたいな、悲劇の物語はいらなかった」/永島勝司「橋本の解雇は、藤波が独断で決めたこと」/金村キンタロー「薫さんとの交際が、ZERO-ONEをおかしくした」/大谷晋二郎「悪者にされても・・・・・・なにひとつ後ろめたいことはない」/加地倫三テレビ朝日)「(特番制作では)新日本との考え方の違いにイライラしました」ほか

 

カバー前そでには、こう書かれています。
「僕はあの時、橋本を生かすために解雇としたんだよね。あのまま彼を飼い殺しのような形で新日本に繋ぎ止めておいたら、またいろんな衝突が起こっていたと思う」(藤波辰爾

 

アマゾンの「内容紹介」は、以下の通りです。
「プロレス『証言』シリーズ第5弾は、昨年末に発売され好評を博した『証言1・4橋本vs.小川 20年目の真実』に続き橋本真也がテーマ。今回は2000年4月7日に東京ドームで行われた小川直也との最後の対戦(テレビ朝日がゴールデンタイムで生放送し、視聴率は15.7%。瞬間最高視聴率は24%)の舞台裏を中心に、橋本の死までのエポックな出来事の『真相』を関係者に徹底取材。『引退特番』成立の裏事情、長州力との“不和”の真相、「OH砲」誕生の謎、三沢・NOAHとの蜜月、『ハッスル』参戦と『ZERO-ONE』の破綻、そして死の真相・・・・・・平成プロレス界の異端児、“破壊王”の虚と実」

 

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

「はじめに」ターザン山本

第1章 破壊王の「引退」

 藤波辰爾

「ノアとの交流は容認できない、だから橋本を切るしかなかった」

加地倫三(『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!スペシャル』スタッフ)

「(特番制作では)新日本との考え方の違いに結構イライラしました」

米川 宝(折り鶴兄弟・兄)

折り鶴活動を通じてテレビの力を知り、テレビ朝日に入社 

前田日明

「橋本の死みたいな、悲劇の物語はいらなかった気がするよね」

 

第2章 破壊王の「解雇」

 金沢克彦(元『週刊ゴング』編集長)

橋本の解雇は馬場元子さんに対する新日本のケジメ 

永島勝司(元新日本プロレス取締役)

「橋本が解雇という形になったのは、藤波の独断で決めたこと」

 上井文彦(元新日本プロレス取締役)

「藤波さんの中で、〝解雇〟と〝退団〟の区別がついてなかった」

竹村豪氏

 藤波からスポンサーを奪い、橋本は新日本を解雇に

 

第3章 破壊王の「素顔」

 勝俣州和(タレント)

「想像以上に世間は冷たくて。心配で、毎日電話をしていました」

橋本大地

「あんなに強い男が病気ごときで死ぬわけがないと思ってました」

山中秀明(元新日本プロレス代表取締役専務)

「結局はテレビのほうが力関係は上なんです」

 

第4章 破壊王の「孤独」

大谷晋二郎

「悪者にされても・・・・・・なにひとつ後ろめたいことはありません」

中村祥之(元ZERO1代表取締役

「橋本さんからすれば、団体を潰したことにしたい張本人が僕でした」

 

第5章 破壊王の「最期」

金村キンタロー

「薫さんとの交際が、ZERO-ONEをおかしくしたのは間違いない」

X(元DSED、某プロレス団体幹部)

「新日本は、橋本さんの合同葬の運営費を出すことを渋ったんです」

 伊藤博(元橋本真也代理人弁護士)

「亡くなって、マスコミが聞くんです。『自殺ですか?』と・・・・・・」

 高島宗一郎(福岡市長、元『ワールドプロレスリング』実況アナウンサー)

「橋本さんが亡くなったあと、人間不信で・・・・・・12キロも痩せました」

【改訂版】橋本真也 小川直也 新日本プロレスvsUFO 完全年表

 

「はじめに」を、ターザン山本はこう書きだしています。
「人は亡くなった人間に対してどんな言葉をかければいいのだろうか? これは非常にデリケートなテーマだ。なぜならその時、死者は完全に沈黙しているからだ。なにも語らない。語れないのだ。だから本来、生き残った者は無力のはずだ。でも現実は違う。逆だ。生き残った者たちはある部分、雄弁である。それは生き残った者たちの特権なのか。彼らには死者に対する負い目はない。もちろん罪悪感とも無縁である。2005年7月11日、橋本真也は亡くなった。享年40。明らかに早すぎた死である。その死は偶然だったのか、それとも必然だったのか」

 

また、ターザン山本はこうも書いています。
「橋本こそ猪木イズムを丸ごと表現し切ったレスラーだ。猪木イズムとはリミッターを外すことなのだ。それは橋本流の破壊精神と通じるものだった」と言うターザン山本は、「はじめに」の最後にこう述べるのでした。
「それにしても、1人のレスラーがいまでもこれだけ語られるのは橋本が最後だろう。果たして、橋本は時代に狂わされたのか。プロレスに狂ったのか。新日本が狂っていたのか。なにより、橋本は誰よりも無邪気だった。生き残った者たちはそんな橋本真也がみんな大好きだったのだ。やはり、死者には誰も勝てない」

 

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

 

 

前作『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』と同じく、本書もいろんな選手の発言集(証言集)です。その発言の中から、わたしが知らなかったこと、興味を引かれたこと、「なるほど」と思ったことなどを中心に抜き書き的に紹介していきたいと思います。

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今も語る継がれる「1・4事変」

 

小川直也との「1・4事変」が起こった後、新日本プロレスのレスラー、関係者の中で、橋本真也と最も深く関わりを持ったのは藤波辰爾でした。あの一戦の半年後に新日本の代表取締役社長に就任した藤波は、絶縁状態だった新日本とUFOとの関係改善であり、1・4事変の後処理でした。そのため欠場中だった橋本と何度も個人的に会って話し合い、2000年4・7東京ドームでの「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!スペシャル」の跡は、橋本の引退を翻意させるために奔走しました。01年10・9東京ドームでの橋本復帰戦では自ら相手を務め、最後は橋本のチキンウィング・アームロックで敗れました。橋本の団体内独立への道筋をつけたのも、結果的に橋本を解雇したのも藤波でした。

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引退をかけて小川と戦った橋本

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小川のSTOに橋本は力尽きる!

 

小川による掟破りの“セメント暴走”と呼ばれた1・4事変について、藤波は「それを許してしまったのは、橋本に油断と過信があったためだ」ととらえ、こう語っています。
「あの時、橋本にちゃんと気構えができていたら、もし小川が仕掛けてきても咄嗟に自分の身を守ることはできたはずなんですよ。僕らの時代のプロレスはそうだったから。『なにかあったら行っちゃうよ』という感じがあったから、みんなそういう心構えをつくっていたのよ。だから僕が前田(日明)と大阪城ホールでやった時(86年6月12日)もそう。あの時の僕は、『もしかしたらなにかあるな』という思いがあったから、自分自身を守る防御策は、できる範囲で全部やった。まずはコンディションづくりですよね。自分が少しでも怯んでしまったり、動きが鈍くなったら、前田の思う壺でサンドバッグになってしまうから。あとは前田の様子を見ようっていうのがあったんだよね。どいうつもりでこの試合に臨んできたのか、序盤戦で警戒しながら探るというね」(藤波辰爾

f:id:shins2m:20200518125429j:plain試合後、橋本に声をかける藤波

 

元祖セメントレスラーといえば、前田日明の名前が浮かびますが、彼は「物語」というキーワードを使って、以下のように語っています。
闘魂三銃士でいうと、武藤敬司蝶野正洋もキャラクターで一話完結の物語をつくろうとしたでしょ。使いまわしでボロボロで継ぎ接ぎだらけのキャラクターでさ。橋本も似たようなもんだよ。それで猪木さんが小川を使って『本当の劇場型プロレス、物語を見せなきゃいけない』と思ったんじゃないのかな。はっきり言って物語があったのは俺まででしょう。本来、日本のプロレスというのは、プレイヤー1人ひとりの中に体を張った物語があって、それを紡いでいくもんなんですよ。それは力道山アントニオ猪木から繋がってきたもんなんだよね。だけど、俺のあとに誰に繋がってるか? 誰にも繋がっていないでしょ」(前田日明) 

 

企画力ということでは、長州力がプロデュ―スした新日本プロレスvsUWFインターナショナルの対抗戦は大ヒットしました。そのメインイベントでUインターのエースであった髙田延彦は新日本の武藤敬司に完敗したわけですが、U戦士として髙田の先輩にあたる前田は、こう述べます。
「もし、俺が武藤とやったらハイハイと言いながらノックアウトするか、アイツが知らない技で足か腕を折ってたよ。なんでUインターは仕掛けなかったのかね? いくらカネがなかったからと言っても、そこからアングルができるじゃん。それでさらに注目をされて応援をしてもらえるよ。やったもん勝ちだよ。『ちゃんと真剣勝負をやったのになんでそれがダメなんだ?』ってさ、わかっていながら言っちゃえばいいんだよ。結局、ファンというか世間がついてきてくれればどうにでもなるんだよ。それは俺自身が経験してることだから。長州さんの顔面を蹴っ飛ばしたことだって、アンドレ戦だってそうでしょ。アンドレの時は向こうから仕掛けてきたからやり返しただけだけどさ、それがプロレスじゃん。その水面下の大きさというか広さがプロレスですよ」(前田日明

 

 

橋本真也にとって親友のような関係であったタレントの勝俣州和は、橋本の生涯をこう総括するのでした。
「いま思うとね。橋本は小川を使って、猪木さんを消そうとしていたんだと思います。『闘魂伝承』を背負い猪木イズム継承者のトップを走っていた橋本が、猪木さんのつくり上げた小川に負ける。つまりそれはプロレスこそキング・オブ・スポーツであると叫び続けた猪木プロレスの終焉を世間に知らしめることになり、猪木の呪縛からプロレス界を解き放つことになったんです。そして橋本の去ったあと、新日本本隊で猪木イズムを声高に言う選手自体がいなくなりました。猪木が語られる機会がまったく新日本の中でもなくなっていきました。新日本での猪木の火が消えたあと、橋本はZERO-ONEという大きな花火を打ち上げたんです。古くは猪木が日本プロレスを飛び出し、長州が新日本を抜け出し、前田もUWFをつくったという、打ち上げ花火的な歴史的ストーリーが起きていたのがプロレス界です。小川によって目を覚ました橋本は、あのアントニオ猪木さえも利用して己の脱皮を計ったんです」(勝俣州和

 

 

 

勝俣州和というタレントは、あの前田日明も一目置いている存在ですが、彼の発言には説得力があります。そして、橋本への熱い友情を感じて、読んでいてこちらも胸が熱くなってきます。本書は、読む前に思っていたように、単に「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」という1つのテレビ番組をテーマにつくられたわけではなく、橋本真也という1人のプロレスラーの短い人生を通じて、「プロレスとは何か」「人生とは何か」を問う内容でした。

 

三沢と橋本はなぜ死ななければならなかったのか

三沢と橋本はなぜ死ななければならなかったのか

 

 

その意味では、ブログ『三沢と橋本はなぜ死ななければならなかったのか』で紹介した本の内容に通じる部分が多かったです。2005年7月11日、多くのファンから愛されたプロレスラー・橋本真也横浜市内の病院で、脳幹出血で死去しました。あれから、プロレス業界が急激に衰退し、プロレス・ファンたちはかつての熱量を失っていたように思えてなりません。現在、新日本を中心に隆盛をきわめているというエンターテインメント色の強いプロレスを、わたしは観たいとは一切思いません。橋本が活躍していた頃、わたしにとってのプロレスが最後の輝きを放っていました。最後に、橋本真也選手の御冥福を心からお祈りいたします。合掌。
「令和」への改元まで、あと25日です。

 

 

 2019年4月6日 一条真也

『一切なりゆき~樹木希林のことば~』  

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第132回が掲載されています。今回は、『一切なりゆき~樹木希林のことば~』樹木希林著(文春新書)を取り上げました。

f:id:shins2m:20190403212344j:plain「サンデー新聞」2019年4月6日号

 

日本を代表する名女優であった樹木希林さんが、昨年9月15日に75歳で逝去されました。全身をがんに侵されながらも、常に「死ぬ覚悟」を持って生き抜かれた方でした。その生き様は、超高齢社会、多死社会を生きる日本人の1つの模範になりました。本書には、樹木さんの生前の言葉がたくさん集められています。樹木さんの語り口は平明で、いつもユーモアを添えることを忘れていませんが、そのメッセージは非常に深く、人間にとって大切なことを教えてくれます。

 

特に、わたしの心に強く残った言葉を紹介いたします。樹木さんは、全身がんである自分の「死」について、亡くなる前年に次のように語りました。
「今の人たちは死に上手じゃなくなっちゃってるよね、もう、いつまで生きてるの?っていうぐらい、死なないし。生きるのも上手じゃないし。彼岸と此岸っていうじゃない。向こう岸が彼岸、彼の岸ね、こっち岸は此岸、こっち岸って書いて此岸っていう言い方があるじゃない。要するに生きているのも日常、死んでいくのも日常なんですよ。」(2017年1月)

 

また、自身の家族について樹木さんはこう語っています。
「ほんとに笑っちゃうような家庭で、複雑なんだけど、それも面白がるような家族でしたね。あんまり当たり前の感覚はわからないんですが、それでも夫婦が同じお墓に入っているというのは、子孫にとっては安心なんですね。もちろん子どもが離婚したら、当事者よりも親の気持ちのほうが動揺するけれども、それと同じように、子孫から見たら親がちゃんとしているほうがいいかなって。」(2008年7月)

 

さらに、娘さんの也哉子さんが本木雅弘さんと結婚するときのエピソード。
「今回結婚式をしなさいと(娘に)言ったのも『ひとつここで自分を晒しなさい』と言ったのね。世の中に対して『こういうわけで自分たちは結婚します』という意思表示をする。儀式にはそういう意味がありますね。その意思表示をきちんとしておくと、もし、それが壊れても、壊れたことがとてもその人の成長に役に立つんだよと、言ったんですね。」(1995年7月)

 

夫だった内田裕也さんとともに世間に対しては斜に構えている印象が生前の樹木さんにはありました。しかし、誰よりも「死」について考え、「家族」について考えた人でした。哲学書の香りさえする本書は、わたしたちが幸福に生きるためのヒントに溢れています。なお、裕也さんも今年3月17日に79歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。「令和」への改元まで、あと25日です。

 

一切なりゆき 樹木希林のことば (文春新書)
 

 

 

 

 2019年4月6日 一条真也

内田也哉子の送る言葉

一条真也です。
5日の朝、スターフライヤーで東京に来ました。今日は全互協の儀式継創委員会、明後日の7日(日)には上智大学グリーフケア研究所の公開講座の開講式があり、それらに参加するためです。東京は気温が22度もあって暑いです!

f:id:shins2m:20190405133220j:plainヤフーニュースより 

 

さて、ロックンローラー内田裕也さんが先月17日に享年79歳で亡くなられましたが、そのお別れの会である「Rock‘n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれました。そこで喪主を務めた内田さんの長女・也哉子さんの謝辞が大きな反響を呼んでいるそうです。ヤフーニュースのTOPに「内田也哉子の謝辞が話題『なぜか涙が』『すさまじい』」という見出しの「女性自身」配信のニュースが掲載されていました。その全文は次の通りです。

 


 

 私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。

 

私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

 

けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。

 

そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。

 

母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。

 

もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれでも、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

 

2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

 

Fuckin' Yuya Uchida,

don't rest in peace

just Rock'nRoll!!

 

 


 

 

「女性自身」の記事には、以下のように書かれています。
「そんな謝辞にTwitterでは感動する声が上がっている。《内田裕也さん 樹木希林さん このお2人の娘さんだからこそ伝えられる、伝わってくるんだろう…… 何故かじんわり涙が流れてくる感じだった》《言葉を仕事にする人に読んで欲しい。詩的であり、論理的であり、当事者的であり、第三者的。締めを別次元に飛ばす感性。才能という言葉でしか説明がつかない言葉選びと言葉運びがただ、すごい》《これはちょっと、すさまじいな。名文ではなかろうか、ロックンロールではなかろうか》自らの心の内をすべて赤裸々に明かした也哉子の言葉。きっと、天国の2人も届いていることだろう」

 

弔辞 劇的な人生を送る言葉 (文春新書)

弔辞 劇的な人生を送る言葉 (文春新書)

 

 

わたしも、この謝辞を読んで、深い感銘を受けました。会葬者への感謝の言葉をきちんと織り込みながら、波乱万丈の人生を卒業してゆく死者への言葉としてもパーフェクトです。ブログ『弔辞 劇的な人生を送る言葉』で紹介した本には、日本を代表する素晴らしい弔辞の数々が紹介されていますが、魂をこめた死者への言葉は必ず届くと思います。なぜなら、言葉というもの自体が、魂の領域に属するからです。

 

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

 

 

也哉子さんの謝辞は、葬儀というものの意義や重要性を思い起こさせてくれました。拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書きましたが、葬儀とは故人にとって人生のグランド・フィナーレなのです。劇的な人生を終えるには、やはり劇的なセレモニーが必要です。

 

也哉子さんの夫である本木雅弘さんはブログ「おくりびと」で紹介した映画で主演の納棺師を演じましたが、「おくりびと」とは納棺師や葬儀スタッフだけではありません。遺族や会葬者をはじめ、故人の旅立ちを見送るすべての人は「おくりびと」なのです。内田裕也さんは、内田也哉子さんという最高の「おくりびと」を得て、本当に幸せな人だと思います。わたしが旅立つとき、娘がこんな謝辞を述べてくれたら、どんなに嬉しいことでしょうか!
「令和」への改元まで、あと26日です。

 

2019年4月5日 一条真也