『証言 1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

 

一条真也です。
『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』前田日明佐山聡武藤敬司村上和成ほか著(宝島社)を読みました。1999年1月4日の東京ドームで行われた新日本プロレス橋本真也とUFOの小川直也の一戦は「セメントマッチ」として大きな話題となりましたが、その真相や舞台裏を語る証言集です。ものすごく面白いので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい! 

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本書の帯

 

表紙カバーには、寝た状態の橋本に容赦なくパンチを叩きこむ小川の写真が使われています。帯には「『破壊王』を破滅に追い込んだプロレス史上最大の事件」「ついに明かされる黒幕の正体!」と書かれています。 

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本書の帯の裏

 

帯の裏には以下のように書かれています。
佐山聡『猪木さんは新幹線の中で“指示”を出したんだと思う』/前田日明『俺が新日本にいたら絶対に小川をシバいてる』/武藤敬司『あの試合は、俺や長州さん、健介、藤波さんが辞めた原因の一つ』/大仁田厚『1・4の橋本vs小川戦は、猪木さんの俺への当てつけ』/村上和成『絶対に譲れない猪木さんの思想が、小川さんを暴走させた』/ジェラルド・ゴルドー『猪木さんとの約束がなければ小川を殺していた』ほか」

 

カバー前そでには、こう書かれています。
「猪木の闘魂を継承し、猪木に才能を認められた男は、猪木が新日本へ送り込んだ刺客の相手に選ばれた。1999年1月4日、東京ドーム。橋本は誰と闘っていたのか――」

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「1990年代以降のプロレス界、“最大の謎”がいま解き明かされる! 1999年1月4日、新日本プロレス・東京ドーム大会で行われた橋本真也vs小川直也の“シュートマッチ”。試合開始直後から橋本を殴る、蹴るなどの“暴挙"に出る小川。これは「プロレス」ではない――。騒然とする観客とリングサイドの新日本勢。結果、橋本は大観衆の前で醜態を晒すことになった。試合は『無効試合』判定となったが、試合後、長州力佐山聡らがリングに上がり新日本、UFO勢が乱闘騒ぎに発展、遺恨を残した。小川はなぜ“暴走”したのか。そして橋本はなぜ反撃しなかったのか――。現在もプロレスファンの間で語り継がれる“疑惑の試合”。20年を経た今、当事者、関係者がその深層を告白する」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」ターザン山本

第1章 小川を「取り巻いた」男たち

佐山聡
「猪木さんが大阪からの新幹線で小川に“指示”を出したと聞いた」

村上和成

「絶対に譲れない猪木さんの思想が、小川さんを暴走させた」

ジェラルド・ゴルドー

「ミスター猪木との約束がなければ、小川をぶちのめし、殺していた」

X(元猪木事務所・UFOスタッフ)

「小川さんのことが好きな人は誰もいなかった」

 

第2章 橋本を「守った」男たち

山崎一夫

橋本の控室で、猪木を罵倒し続けた長州に感じた違和感

藤田和之

「1・4は、試合後の乱闘も含めてプロレスだと思っていました」

安田忠夫

猪木にとって1・4の小川の相手は、話題になれば誰でもよかった

加地倫三

「引退特番に関わった僕が、橋本さんのケツを拭かないといけない」

 

第3章 橋本を「見守った」レスラーたち

前田日明

「次、小川をスパナでカチ食らわせ」と橋本に電話した前田

武藤敬司

 「あの試合は、俺や長州さん、健介、藤波さんが辞めた原因の1つ」

大仁田厚

「1・4の橋本vs小川戦は、猪木さんの俺への当てつけ」

 

第4章 橋本vs小川「至近距離」の目撃者たち

金沢克彦

“シュート指令”を出した猪木の想定を超えてしまった小川の暴走

辻よしなり

「橋本は小川を『自分の人生を懸けて闘うにふさわしい男だった』と」

田中ケロ

「はしごを外され、裏切られ、橋本は解雇されたんだと思います」

上井文彦

1・4後に橋本の年俸は3800万円から3000万円に

中村祥之(元新日本プロレス営業)

橋本vs小川は、猪木の「魔性のプロデュース」が生んだ悲劇

永島勝司

試合後、電話で「ガチに見えるプロレスをやっただけ」と主張した小川

橋本かずみ

「なにかあったらラーメン屋をやりたい」と言っていた橋本

橋本真也 小川直也 完全年表」

 

「はじめに」の冒頭で、ターザン山本はこう書いています。
「1999年1月4日、橋本真也vs小川直也戦。すべての証言者の言葉の端々、言外には呪いの感情が透けて見えてくる。なぜか? これは第二の『舌出し事件』である。決して普通のプロレスにはしない。断じてしない。それがアントニオ猪木の執念、怨念なのだ。 やってはいけない。してはいけない。あってはいけない。その原則を根底からぶち壊す猪木流の罠と落とし穴。仕掛け。そのことでレスラー、マスコミ、関係者、ファンまでが過剰に反応し狂っていく。それを見てひとりせせら笑う。してやったり。ざまあみろ。影でアカンベーをする猪木。作・演出の猪木劇場の完成だ」

  

ブログ『証言UWF完全崩壊の真実』で紹介した本と同じく、本書もいろんな選手や関係者の証言集です。その発言の中から、わたしが知らなかったこと、興味を引かれたこと、「なるほど」と思ったことなどを中心に抜き書き的に紹介していきたいと思います。当時、UFOの代表として小川のセコンドを務めていた佐山聡は、新日本プロレス退団後に第一次UWFに加入し、格闘技の匂いのするプロレスをつくりあげました。「たとえば、ロープに飛ばされてバーンと体当たりする。そこでバーンと体をぶつけます。これは(プロレスの)ナチュラル。しかし、総合格闘技ならば、そもそもロープに投げられるということはありえない。UWFもナチュラルとは少し少し違う。UWFは、お客さんに関節技はこんなふうに決まるんだと理解してもらわなくてならなかった。あれは将来、格闘技をやるための過程。繰り返しやってはならない。プロレスのナチュラルと格闘技は別物です。ただ、これは僕の解釈。猪木さんがどんなふうに考えていたのかはわかりません。猪木さんには昔のストロングタイルでやりたいという気持ちはあったはず。ただ、自分が動けるわけではないので、もどかしいというか。それで小川を使ったんでしょう」(佐山聡

 

この後、再び新日本との縁が切れたUFOは、99年3月14日に単独で横浜アリーナ大会を開催しましたが、試合後の打ち上げパーティでどんでもない事件が起こりました。佐山が猪木に向かって「殺すぞ」とフォークを突き立てたのです。それを元猪木事務所・UFOスタッフのXなる人物が目撃していました。
「佐山さんが猪木さんに『オラーッ!』ってフォークを持ちながらすごんだっていうのは、嘘でもなんでもなく、本当のことです。そのまま佐山さんは、怒って帰っちゃいましたから。猪木さんと佐山さんの間になにがあったのか、本当のところは当人同士にしかわかりません。ただあの時、UFOを猪木事務所と切り離して、別会社にするという話があったんですよ。UFOの代表は佐山さんだったんで、猪木さんからしたら、もうスポンサーも付けたし、『これ以上、俺を頼るな』って感じだったと思うんですけど、佐山さんのほうは、猪木さんにはしごを外されたと感じたんじゃないですかね」(X) 

 

この頃の猪木には、小川を使って新日本を格闘技色に染めようという思惑がありました。それは「プロレスLOVE」を標榜する武藤敬司とは真逆の方向性でした。
「猪木さんは好きなんだよ、格闘技が。格闘技ファンなんだよ。だから、猪木さんは新日本をどんどん格闘技っぽくしてほしかったんだと思うよ。それが、いままでの猪木さん自身の試合すべてを肯定することになるから。自分たちの弟子に格闘技の試合をさせて、過去の自分の試合も肯定したかったんだよ。正直な話、坂口さんや長州さん、マサ(斎藤)さんとかアマチュアイズムを追求した人は絶対に強さを追求するというか、そういう発想にならないじゃん。どれだけしんどいことかっていうのがわかってるからさ」(武藤敬司

 

本書には1・4事変に関する多くの関係者の証言が集められていますが、元「週刊ゴング」編集長の金沢克彦が明かした新事実には驚きました。
「あの1・4の10日後くらいに業界関係者の重鎮のパーティの席で、竹内宏介さん、池孝さん、門馬忠雄さんらマスコミの大御所の人たちのところに佐山さんが来て、『このたびはご迷惑をおかけしてすみませんでした。小川に興奮剤を飲ませたら効きすぎちゃったみたいで』と言ってきたらしいです」(金沢克彦
もっとも、これは佐山流のジョークで、興奮剤の正体は単なる健康食品だったそうですが・・・・・・。

 

新日本プロレスのリングアナウンサーだった田中ケロは、この1・4事変の後、橋本vs小川の遺恨対決がドーム興行に欠かせないドル箱カードに化けたことを指摘します。
「結局、あの1・4があったことで、橋本vs小川というカードが多くの人に注目されるようになって、また試合自体、緊迫感のあるいい試合になったんですよね。だから、もしかしたら猪木会長の狙いどおりだったのかもしれない。ああいう“事件”がなければ、橋本vs小川がここまで注目されたりすることはなかったと思いますからね。
だから藤波さんと長州さんが名勝負数え唄を展開していて、それがややマンネリ化してきた頃、藤原さんが“テロリスト”として乱入したことがあったじゃないですか(84年2月3日・札幌中島体育センター)。あの時と構図は一緒なんじゃないかと思うんですよ。あれも猪木会長が藤原さんに対してけしかけたと言われていますけど、その真偽はともかく、あの乱入があったからこそ、新しい展開が生まれて、新しい熱を生むこととなった。橋本と小川の一件についても、結局はそうなったんじゃないかと思います」(田中ケロ)

 

新日本プロレス取締役の永島勝司の証言もリアリティ満点です。いつもと違う緊張感は漂っていたものの、試合そのものは通常のプロレスルール。この試合の「ブック」は最初から「無効試合」に決まっていたそうです。
「それまでの流れもあったから、この試合は勝敗をつけないことにしたんだ。橋本と小川には、当日に『無効試合で』って伝えた。(レフェリーの)タイガー服部には俺から伝えてないから、ちゃんと理解していたかどうかわからないけど、少なくとも関係者の間ではそれで話はついていた。
でも、反則してレフェリーが不在になってるのに、なかなか試合が終わらないんだよな(笑)。すぐ反則を取っちゃうと試合時間が短くなりすぎるから、誰かが試合を止めさせなかったのかもしれない。それで小川がガンガンやってるし、橋本がぜんぜん動かねぇし、周りも騒ぎ出したから、これでやっと無効試合だなと。俺はダグアウトで長州と2人で観てたんだけど、試合が終わって乱闘が始まったから、『光雄(長州)、行け!』って言って背中を叩いて、アイツがドドドってリングに向かっていったんだよ。そこから騒動がもっと大きくなっちゃったんだけどな」(永島勝司

 

それにしても、20年も前の試合が今でも語られ続け、こんな340ページもの書籍になるとは驚きです。そんな試合、力道山vs木村政彦アントニオ猪木vsモハメド・アリ、髙田延彦vsヒクソン・グレイシーぐらいしかないのではないでしょうか。1・4事変とは、プロレスと格闘技が最も交差した時代の「まぼろし」だったように思います。最後に、今は亡き橋本真也選手の御冥福をお祈りいたします。合掌。

 

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

 

 

2019年2月7日 一条真也