一条真也です。東京に来ています。
昨日は一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助会協会(全互協)の儀式継創委員会の会議に出席、明日は上智大学グリーフケア研究所の人材養成講座の開講式に参列します。
『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』前田日明+藤波辰爾+大谷晋二郎+橋本大地ほか著(宝島社)を読みました。自分でも「さすがに、もうプロレス本はいいかな」と思っていました。しかし、ブログ『証言1・4橋本vs.小川 20年目の真実』が予想外の大反響で、今でも毎日のようにアクセスが集中しています。それで、同書の続篇ともいうべき本書をブログで取り上げることにしました。それにしても、「UWF」のような社会現象にまでなった団体とか、「1・4橋本vs.小川」のような歴史的一戦とかではなく、「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」という1つのテレビ番組をテーマに1冊の本が作られたことは驚きです。ものすごく面白いので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい!
本書の帯
カバー表紙には小川戦に敗れ、ガックリうなだれる坊主頭の橋本真也の写真が使われ、帯には「17人のレスラー、関係者が告白!」「破壊王の『解雇』と『死』」「瞬間最高視聴率24パーセント!『生放送』特番の大罪」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には、以下のレスラー、関係者の言葉が並びます。
藤波辰爾「ノアとの交流は容認できない、だから橋本を切るしかなかった」/前田日明「橋本の死みたいな、悲劇の物語はいらなかった」/永島勝司「橋本の解雇は、藤波が独断で決めたこと」/金村キンタロー「薫さんとの交際が、ZERO-ONEをおかしくした」/大谷晋二郎「悪者にされても・・・・・・なにひとつ後ろめたいことはない」/加地倫三(テレビ朝日)「(特番制作では)新日本との考え方の違いにイライラしました」ほか
カバー前そでには、こう書かれています。
「僕はあの時、橋本を生かすために解雇としたんだよね。あのまま彼を飼い殺しのような形で新日本に繋ぎ止めておいたら、またいろんな衝突が起こっていたと思う」(藤波辰爾)
アマゾンの「内容紹介」は、以下の通りです。
「プロレス『証言』シリーズ第5弾は、昨年末に発売され好評を博した『証言1・4橋本vs.小川 20年目の真実』に続き橋本真也がテーマ。今回は2000年4月7日に東京ドームで行われた小川直也との最後の対戦(テレビ朝日がゴールデンタイムで生放送し、視聴率は15.7%。瞬間最高視聴率は24%)の舞台裏を中心に、橋本の死までのエポックな出来事の『真相』を関係者に徹底取材。『引退特番』成立の裏事情、長州力との“不和”の真相、「OH砲」誕生の謎、三沢・NOAHとの蜜月、『ハッスル』参戦と『ZERO-ONE』の破綻、そして死の真相・・・・・・平成プロレス界の異端児、“破壊王”の虚と実」
本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」ターザン山本
第1章 破壊王の「引退」
「ノアとの交流は容認できない、だから橋本を切るしかなかった」
加地倫三(『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!スペシャル』スタッフ)
「(特番制作では)新日本との考え方の違いに結構イライラしました」
米川 宝(折り鶴兄弟・兄)
折り鶴活動を通じてテレビの力を知り、テレビ朝日に入社
「橋本の死みたいな、悲劇の物語はいらなかった気がするよね」
第2章 破壊王の「解雇」
橋本の解雇は馬場元子さんに対する新日本のケジメ
「橋本が解雇という形になったのは、藤波の独断で決めたこと」
「藤波さんの中で、〝解雇〟と〝退団〟の区別がついてなかった」
藤波からスポンサーを奪い、橋本は新日本を解雇に
第3章 破壊王の「素顔」
勝俣州和(タレント)
「想像以上に世間は冷たくて。心配で、毎日電話をしていました」
「あんなに強い男が病気ごときで死ぬわけがないと思ってました」
「結局はテレビのほうが力関係は上なんです」
第4章 破壊王の「孤独」
「悪者にされても・・・・・・なにひとつ後ろめたいことはありません」
「橋本さんからすれば、団体を潰したことにしたい張本人が僕でした」
第5章 破壊王の「最期」
「薫さんとの交際が、ZERO-ONEをおかしくしたのは間違いない」
X(元DSED、某プロレス団体幹部)
「新日本は、橋本さんの合同葬の運営費を出すことを渋ったんです」
「亡くなって、マスコミが聞くんです。『自殺ですか?』と・・・・・・」
高島宗一郎(福岡市長、元『ワールドプロレスリング』実況アナウンサー)
「橋本さんが亡くなったあと、人間不信で・・・・・・12キロも痩せました」
【改訂版】橋本真也 小川直也 新日本プロレスvsUFO 完全年表
「はじめに」を、ターザン山本はこう書きだしています。
「人は亡くなった人間に対してどんな言葉をかければいいのだろうか? これは非常にデリケートなテーマだ。なぜならその時、死者は完全に沈黙しているからだ。なにも語らない。語れないのだ。だから本来、生き残った者は無力のはずだ。でも現実は違う。逆だ。生き残った者たちはある部分、雄弁である。それは生き残った者たちの特権なのか。彼らには死者に対する負い目はない。もちろん罪悪感とも無縁である。2005年7月11日、橋本真也は亡くなった。享年40。明らかに早すぎた死である。その死は偶然だったのか、それとも必然だったのか」
また、ターザン山本はこうも書いています。
「橋本こそ猪木イズムを丸ごと表現し切ったレスラーだ。猪木イズムとはリミッターを外すことなのだ。それは橋本流の破壊精神と通じるものだった」と言うターザン山本は、「はじめに」の最後にこう述べるのでした。
「それにしても、1人のレスラーがいまでもこれだけ語られるのは橋本が最後だろう。果たして、橋本は時代に狂わされたのか。プロレスに狂ったのか。新日本が狂っていたのか。なにより、橋本は誰よりも無邪気だった。生き残った者たちはそんな橋本真也がみんな大好きだったのだ。やはり、死者には誰も勝てない」
前作『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』と同じく、本書もいろんな選手の発言集(証言集)です。その発言の中から、わたしが知らなかったこと、興味を引かれたこと、「なるほど」と思ったことなどを中心に抜き書き的に紹介していきたいと思います。
今も語る継がれる「1・4事変」
小川直也との「1・4事変」が起こった後、新日本プロレスのレスラー、関係者の中で、橋本真也と最も深く関わりを持ったのは藤波辰爾でした。あの一戦の半年後に新日本の代表取締役社長に就任した藤波は、絶縁状態だった新日本とUFOとの関係改善であり、1・4事変の後処理でした。そのため欠場中だった橋本と何度も個人的に会って話し合い、2000年4・7東京ドームでの「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!スペシャル」の跡は、橋本の引退を翻意させるために奔走しました。01年10・9東京ドームでの橋本復帰戦では自ら相手を務め、最後は橋本のチキンウィング・アームロックで敗れました。橋本の団体内独立への道筋をつけたのも、結果的に橋本を解雇したのも藤波でした。
引退をかけて小川と戦った橋本
小川のSTOに橋本は力尽きる!
小川による掟破りの“セメント暴走”と呼ばれた1・4事変について、藤波は「それを許してしまったのは、橋本に油断と過信があったためだ」ととらえ、こう語っています。
「あの時、橋本にちゃんと気構えができていたら、もし小川が仕掛けてきても咄嗟に自分の身を守ることはできたはずなんですよ。僕らの時代のプロレスはそうだったから。『なにかあったら行っちゃうよ』という感じがあったから、みんなそういう心構えをつくっていたのよ。だから僕が前田(日明)と大阪城ホールでやった時(86年6月12日)もそう。あの時の僕は、『もしかしたらなにかあるな』という思いがあったから、自分自身を守る防御策は、できる範囲で全部やった。まずはコンディションづくりですよね。自分が少しでも怯んでしまったり、動きが鈍くなったら、前田の思う壺でサンドバッグになってしまうから。あとは前田の様子を見ようっていうのがあったんだよね。どいうつもりでこの試合に臨んできたのか、序盤戦で警戒しながら探るというね」(藤波辰爾)
試合後、橋本に声をかける藤波
元祖セメントレスラーといえば、前田日明の名前が浮かびますが、彼は「物語」というキーワードを使って、以下のように語っています。
「闘魂三銃士でいうと、武藤敬司も蝶野正洋もキャラクターで一話完結の物語をつくろうとしたでしょ。使いまわしでボロボロで継ぎ接ぎだらけのキャラクターでさ。橋本も似たようなもんだよ。それで猪木さんが小川を使って『本当の劇場型プロレス、物語を見せなきゃいけない』と思ったんじゃないのかな。はっきり言って物語があったのは俺まででしょう。本来、日本のプロレスというのは、プレイヤー1人ひとりの中に体を張った物語があって、それを紡いでいくもんなんですよ。それは力道山やアントニオ猪木から繋がってきたもんなんだよね。だけど、俺のあとに誰に繋がってるか? 誰にも繋がっていないでしょ」(前田日明)
企画力ということでは、長州力がプロデュ―スした新日本プロレスvsUWFインターナショナルの対抗戦は大ヒットしました。そのメインイベントでUインターのエースであった髙田延彦は新日本の武藤敬司に完敗したわけですが、U戦士として髙田の先輩にあたる前田は、こう述べます。
「もし、俺が武藤とやったらハイハイと言いながらノックアウトするか、アイツが知らない技で足か腕を折ってたよ。なんでUインターは仕掛けなかったのかね? いくらカネがなかったからと言っても、そこからアングルができるじゃん。それでさらに注目をされて応援をしてもらえるよ。やったもん勝ちだよ。『ちゃんと真剣勝負をやったのになんでそれがダメなんだ?』ってさ、わかっていながら言っちゃえばいいんだよ。結局、ファンというか世間がついてきてくれればどうにでもなるんだよ。それは俺自身が経験してることだから。長州さんの顔面を蹴っ飛ばしたことだって、アンドレ戦だってそうでしょ。アンドレの時は向こうから仕掛けてきたからやり返しただけだけどさ、それがプロレスじゃん。その水面下の大きさというか広さがプロレスですよ」(前田日明)
橋本真也にとって親友のような関係であったタレントの勝俣州和は、橋本の生涯をこう総括するのでした。
「いま思うとね。橋本は小川を使って、猪木さんを消そうとしていたんだと思います。『闘魂伝承』を背負い猪木イズム継承者のトップを走っていた橋本が、猪木さんのつくり上げた小川に負ける。つまりそれはプロレスこそキング・オブ・スポーツであると叫び続けた猪木プロレスの終焉を世間に知らしめることになり、猪木の呪縛からプロレス界を解き放つことになったんです。そして橋本の去ったあと、新日本本隊で猪木イズムを声高に言う選手自体がいなくなりました。猪木が語られる機会がまったく新日本の中でもなくなっていきました。新日本での猪木の火が消えたあと、橋本はZERO-ONEという大きな花火を打ち上げたんです。古くは猪木が日本プロレスを飛び出し、長州が新日本を抜け出し、前田もUWFをつくったという、打ち上げ花火的な歴史的ストーリーが起きていたのがプロレス界です。小川によって目を覚ました橋本は、あのアントニオ猪木さえも利用して己の脱皮を計ったんです」(勝俣州和)
勝俣州和というタレントは、あの前田日明も一目置いている存在ですが、彼の発言には説得力があります。そして、橋本への熱い友情を感じて、読んでいてこちらも胸が熱くなってきます。本書は、読む前に思っていたように、単に「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」という1つのテレビ番組をテーマにつくられたわけではなく、橋本真也という1人のプロレスラーの短い人生を通じて、「プロレスとは何か」「人生とは何か」を問う内容でした。
その意味では、ブログ『三沢と橋本はなぜ死ななければならなかったのか』で紹介した本の内容に通じる部分が多かったです。2005年7月11日、多くのファンから愛されたプロレスラー・橋本真也は横浜市内の病院で、脳幹出血で死去しました。あれから、プロレス業界が急激に衰退し、プロレス・ファンたちはかつての熱量を失っていたように思えてなりません。現在、新日本を中心に隆盛をきわめているというエンターテインメント色の強いプロレスを、わたしは観たいとは一切思いません。橋本が活躍していた頃、わたしにとってのプロレスが最後の輝きを放っていました。最後に、橋本真也選手の御冥福を心からお祈りいたします。合掌。
「令和」への改元まで、あと25日です。
2019年4月6日 一条真也拝