内田也哉子の送る言葉

一条真也です。
5日の朝、スターフライヤーで東京に来ました。今日は全互協の儀式継創委員会、明後日の7日(日)には上智大学グリーフケア研究所の公開講座の開講式があり、それらに参加するためです。東京は気温が22度もあって暑いです!

f:id:shins2m:20190405133220j:plainヤフーニュースより 

 

さて、ロックンローラー内田裕也さんが先月17日に享年79歳で亡くなられましたが、そのお別れの会である「Rock‘n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれました。そこで喪主を務めた内田さんの長女・也哉子さんの謝辞が大きな反響を呼んでいるそうです。ヤフーニュースのTOPに「内田也哉子の謝辞が話題『なぜか涙が』『すさまじい』」という見出しの「女性自身」配信のニュースが掲載されていました。その全文は次の通りです。

 


 

 私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。

 

私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

 

けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。

 

そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。

 

母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。

 

もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれでも、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

 

2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

 

Fuckin' Yuya Uchida,

don't rest in peace

just Rock'nRoll!!

 

  


 

「女性自身」の記事には、以下のように書かれています。
「そんな謝辞にTwitterでは感動する声が上がっている。《内田裕也さん 樹木希林さん このお2人の娘さんだからこそ伝えられる、伝わってくるんだろう…… 何故かじんわり涙が流れてくる感じだった》《言葉を仕事にする人に読んで欲しい。詩的であり、論理的であり、当事者的であり、第三者的。締めを別次元に飛ばす感性。才能という言葉でしか説明がつかない言葉選びと言葉運びがただ、すごい》《これはちょっと、すさまじいな。名文ではなかろうか、ロックンロールではなかろうか》自らの心の内をすべて赤裸々に明かした也哉子の言葉。きっと、天国の2人も届いていることだろう」

 

弔辞 劇的な人生を送る言葉 (文春新書)

弔辞 劇的な人生を送る言葉 (文春新書)

 

 

わたしも、この謝辞を読んで、深い感銘を受けました。会葬者への感謝の言葉をきちんと織り込みながら、波乱万丈の人生を卒業してゆく死者への言葉としてもパーフェクトです。ブログ『弔辞 劇的な人生を送る言葉』で紹介した本には、日本を代表する素晴らしい弔辞の数々が紹介されていますが、魂をこめた死者への言葉は必ず届くと思います。なぜなら、言葉というもの自体が、魂の領域に属するからです。

 

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

 

 

也哉子さんの謝辞は、葬儀というものの意義や重要性を思い起こさせてくれました。拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書きましたが、葬儀とは故人にとって人生のグランド・フィナーレなのです。劇的な人生を終えるには、やはり劇的なセレモニーが必要です。

 

也哉子さんの夫である本木雅弘さんはブログ「おくりびと」で紹介した映画で主演の納棺師を演じましたが、「おくりびと」とは納棺師や葬儀スタッフだけではありません。遺族や会葬者をはじめ、故人の旅立ちを見送るすべての人は「おくりびと」なのです。内田裕也さんは、内田也哉子さんという最高の「おくりびと」を得て、本当に幸せな人だと思います。わたしが旅立つとき、娘がこんな謝辞を述べてくれたら、どんなに嬉しいことでしょうか!
「令和」への改元まで、あと26日です。

 

2019年4月5日 一条真也