「ビニールハウス」

一条真也です。金沢に来ています。
25日の夜、ユナイテッドシネマ金沢で、韓国映画「ビニールハウス」を観ました。「半地下はまだマシ」というのがキャッチコピーですが、確かに、ブログ「パラサイト 半地下の家族」で紹介した2019年の韓国映画を超える大きなインパクトを受けました。後味は非常に悪いです。


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「貧困や孤独や介護といった現代の社会問題をテーマに描くサスペンス。ビニールハウスで暮らす訪問看護師が住む場所を失い、訪問先の老人を事故で死なせてしまう。監督などを手掛けるのはイ・ソルヒ。ドラマ『誰も知らない』などのキム・ソヒョンのほか、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク、ウォン・ミウォンらがキャストに名を連ねる」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「貧困のため、ビニールハウス暮らしをするムンジョン(キム・ソヒョン)は、少年院にいる息子と再び一緒に暮らすことを願っていた。その資金を稼ぐため、彼女は盲目の老人テガンと、その妻で重度の認知症を患うファオクの訪問介護士として働く。ある日、ファオクが突然風呂場で暴れ出し、ムンジョンと揉み合う中で後頭部を床に打ちつけ命を落としてしまう。困ったムンジョンは、同じく認知症を患う自らの母親をファオクの身代わりにする」



「ビニールハウス」が比較される「パラサイト 半地下の家族」ですが、ポン・ジュノが監督を務め、第72回カンヌ映画祭では韓国映画初のパルム・ドール、第92回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞した人間ドラマです。裕福な家族と貧しい家族の出会いから始まる物語を描きます。半地下住宅に住むキム一家は全員失業中で、日々の暮らしに困窮していました。ある日、たまたま長男のギウ(チェ・ウシク)が家庭教師の面接のため、IT企業のCEOを務めるパク氏の豪邸を訪ね、兄に続いて妹のギジョン(パク・ソダム)もその家に足を踏み入れます。

 

映画「ビニールハウス」について詳しく語るとネタバレになるのですが、とにかく後味の悪い物語でした。ミステリーあるいはサスペンスの部類の入るのでしょうが、ほとんどサイコ・ホラーの要素もあります。貧困、孤独、介護といった現代人の誰もが直面する問題の不安や恐怖を見事に描いています。当然ながら、それらの問題は韓国だけにとどまらず、わたしたちが住む日本の問題でもあります。本当にゾッとする話なのですが、イ・ソルヒ監督の演出も怖かったです。何かの正体が明らかになりそうな瞬間を迎えて緊張感がMAXになると、必ず誰かが入ってきて邪魔をするのですが、わたしが気づいただけで3回はそんなシーンがありました。なかなか才能のある監督ですね。


この作品で長編デビューを果たしたイ・ソルヒ監督は今年30歳になる若き俊英ですが、読売新聞のインタビューで「若い俳優が主役の映画が世界的に多い中、50~70代の方が出演していても面白い。そんなスリラーを作りました」と語っています。また、イ・ソルヒ監督は、認知症を患った祖母の介護に苦労する母の様子から、今作の着想を得たそうです。「韓国では両親が老いて病気を患ったら子どもがケアをするか、老人ホームに入れるかの選択肢しかない。つまり、育ててくれた両親を捨てないと楽になれない。悲しい時代になってしまった」と語り、そんな問題意識と憂いを物語に込めたといいます。


韓国での封切り後、「何でこんな不幸を展示するような作品を作るんだ」という声も聞いたそうです。そのれについて、イ・ソルヒ監督は「不快に感じたのであれ、怒ったのであれ・・・・・・。この映画が何らかの感情を呼び起こすのなら、それで良いと思う」と語っています。この映画は、社会問題を鋭くとらえた、まさに「社会派」映画だと言えるでしょう。韓国には、簡易宿所や宿泊業者が運営している客室また仕事場の一部に居住したりする人たちがいます。いわゆる極貧の階級層に当たるのですが、ひどい場合にはビニールハウスに住む人が存在しています。冬になると極寒になる韓国でビニールハウスに住むのですが、当然、夏になれば室内は危険なくらい温度が上昇します。


ソウル近郊にはビニールハウス村やビニールハウス地区というものが存在しており、外観は農家で見かけるビニールハウスのようなものから掘建て小屋をビニールで覆った家が存在します。これを果たして家と呼んで良いものか難しいところですが、これらのビニール住宅は無断で勝手に建設され、火災の危険もあることから社会問題となっています。日本では、バブル崩壊後に職を失った人々がブルーシートで覆う小屋を建て、一時期大問題になったことがありました。しかし韓国では、透明や黒っぽい素材が好まれるようです。本来住宅ではないこのような建物が最近5年間で20%近く場しているといいます。韓国では、貧困者が集まり、スラム化するタブーエリアが拡大しているのです。「ビニールハウス」はそんな社会背景を描いた、この上なく悲しく、不気味な映画でした。


ところで、この映画は金沢で観たわけですが、やはり能登半島地震のことが頭から離れません。このたびの震災で実家が被災した金沢紫雲閣の大谷賢博総支配人によれば、能登半島地震では指定された避難所以外に、農業用のビニールハウスで身を寄せ合い、寝泊まりを続ける人たちがいたそうです。真冬の冷たい風が容赦なくハウスの隙間から入ってくる中で寒さ対策として、居住空間と荷物置き場をブルーシートで囲み、農業用資材や段ボールの上に、皆で持ち寄った布団やカーペットを敷き、ストーブを囲んで暖を取り、ガスコンロで食事を作るのです。過酷な生活でも「知らない人が多い避難所より、家族のような近所な人がいる」という理由からです。


大谷家の入居が決まった仮設住宅

 

能登半島でのビニールハウスは、助け合うコミュニティーそのものでした。そこには、お互いが困難を乗り越えようという想いがありました。もし、そこにいる人達の歯車が少しずつ噛み合わなくなって、それでも自分が幸せ生きるために手段を選ばなくなったら・・・・・・。人は誰かを必要としています。そして、必要とされている人が、自分の意に反し、違う方向に進んでいく怖さというものがあります。映画「ビニールハウス」は、その恐怖を心の最も深い部分に突き刺してくるような衝撃作でした。ちなみに、ずっと避難所で生活をしていた大谷総支配人のご両親ですが、申請していた仮設住宅が抽選に当たり、晴れて入居できるようになったそうです。本当に良かった!

 

2024年3月26日  一条真也

弥生の金沢へ

一条真也です。25日の日の朝、北九州の気温は15度でした。迎えに来てくれた社用車で自宅から福岡空港へ向かいました。そこから飛行機で北陸の小松空港に飛びます。

福岡空港の前で

福岡空港にて

 

今回の北陸出張ですが、今日は各種打ち合わせ、明日はサンレー北陸の本部会議に出席。また、互助会保証の舟町社長の訪問を受けます。このたびの能登半島地震の災害見舞金をわざわざ届けて下さるのです。感謝の念しかありません。明後日は金沢から東京に移動して、冠婚葬祭文化振興財団の会議に出席します。東京では、次回作『ロマンティック・デス』『リメンバー・フェス』のR&Rブックス(オリーブの木)の打ち合わせ、映画君の忘れ方の原案である拙著愛する人を亡くした人へ(現代書林)の文庫化の打ち合わせなども行う予定です。

ANAのラウンジで


ラウンジで青汁を飲みました

 

この日は福岡空港の到着時間が早かったので、ANAのラウンジに入りました。いつものようにキューサイの青汁を飲みながらPCメールのチェックなどをしました。そして、少しだけ読書しました。今日持ってきた本は特別の本です。機内で読むのが楽しみでなりません!

搭乗口からはバスで移動

小さな飛行機に乗りました

 

その後、搭乗口へ。搭乗口からはバスで小さな飛行機へ向かい、11時00分福岡発のANA1234便に搭乗。今日の飛行機は超満席でした。小さな飛行機なので、非常に窮屈です。北陸応援割のせいで観光客が多いのか?

機内のようす


マスクを着けました

 

機内では、マスクを着用しました。ブログ「マスクを楽しむ!」で紹介したように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機では、必ず不織布マスクを着用します。現在、コロナも多くなっている上にインフルエンザも流行していますしね。コロナが5類に移行した後も、わたしはしばらく着用するつもりです。第一、大量のカラフル・マスクのストックがありますから、使わないともったいない!(笑)


著者のサイン本です。主人公の名前は佐久間!

 

機内では、いつものように読書しました。この日は、『夜明けのはざま』町田そのこ著(ポプラ社)を読みました。著者から献本された本です。アマゾンの内容紹介には、「『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞! 3年連続、本屋大賞ノミネート!!」「自分の情けなさに、歯噛みしたことのない人間なんて、いない」「地方都市の寂れた町にある、家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」。仕事のやりがいと結婚の間で揺れ動く中、親友の自死の知らせを受けた葬祭ディレクター、元夫の恋人の葬儀を手伝うことになった花屋、世界で一番会いたくなかった男に再会した葬儀社の新人社員、夫との関係に悩む中、元恋人の訃報を受け取った主婦・・・・・・」「死を見つめることで、自分らしく生きることの葛藤と決意を力強く描き出す、『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した町田そのこ、新たな代表作!」と書かれています。葬儀社で働く主人公の名前はなんと「佐久間」(わたしの本名)!  

著者直筆の贅沢な栞で佐久間の物語を読む

 

本当はサイン本を汚すのは嫌なので、自分で購入した本を読みたかったのですが、17日にアマゾンに注文した本がまだ届かないのです。きっと人気が高くて品薄状態になっているのでしょう(その後、秘書から連絡があり、今日の午後に届いたそうです)。仕方ないのでサイン本を読んでいるわけですが、著者直筆の送付状を栞として使っています。すごく贅沢な気分で、佐久間の物語を読みました。(笑)いつか、町田そのこさんと葬儀とグリーフケアをテーマに対談したいです!

小松空港に到着!


小さな飛行機を降りました

小松空港の出口で

小松空港の前で


野菜250g増量が無料!


野菜ラーメン(味噌)野菜250g増し&おにぎり


いただきます!

 

小松空港には定刻の12時25分に到着。気温は12度でした。空港にはサンレー北陸の郡事業部長と三輪部長が迎えに来てくれました。わたしたちは、昼食を取るべく小松のラーメン店へ向かいました。毎度おなじみ、東専務の行きつけの店です。いつもは味噌ラーメンを注文しますが、今日は野菜ラーメン(味噌味)の野菜250g増量をオーダー。サービスの梅昆布おにぎりを1個付けました。ものすごい量でお腹いっぱいになりましたが、ベースが背油入りの家系ラーメンでなく、シンプルな味噌ラーメンで良かったです。昼食後は、金沢紫雲閣に向かいました。

 

2024年3月25日 一条真也

「ペナルティループ」

一条真也です。
24日の日曜日、日本映画「ペナルティループ」コロナワールドシネマ小倉で観ました。シネコン自体は多くの人で賑わっていたのですが、同作が上映された4番シアターの観客数はわたしを含めて2人。わたしが好きな伊勢谷友介の復帰作ということで観たのですが、内容的にはイマイチでしたね。でも、監督の志の高さは感じました。


ヤフー映画の「解説」には、「恋人を殺害した犯人への復讐を繰り返すタイムループから抜け出せなくなった男を描くサスペンス。メガホンを取ったのは『人数の町』などの荒木伸二。主人公を『街の上で』などの若葉竜也、彼に繰り返し復讐される犯人を『あしたのジョー』などの伊勢谷友介、主人公の恋人を『Ribbon』などの山下リオ、タイムループの謎を握る人物を『ドライブ・マイ・カー』などのジン・デヨンが演じる」と書かれています。

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「素性不明の男・溝口登(伊勢谷友介)に恋人・砂原唯(山下リオ)を殺された岩森淳(若葉竜也)。喪失感にさいなまれる彼は自らの手で犯人に復讐すべく、綿密な計画のもとで犯行を実行するが、翌朝目覚めると周囲の様子は昨日と変わらず、殺したはずの溝口も生きていた。時間が昨日に戻っていることに気付いた淳は、戸惑いながらも再び溝口を殺害するが、何度殺しても同じ日を繰り返すタイムループにはまり込んでしまう」


わたしの専門分野の1つがグリーフケアですが、映画「ペナルティループ」は恋人を殺された主人公のグリーフケアの物語です。その手段は復讐という(負の)グリーフケアですが、彼は、ある会社の「被害者遺族の心情に鑑み、犯人に対して複数回の処刑を行う」サービスに登録します。その方法というのは、まあSF映画ではおなじみのアレなのですが。そのサービスに従って、若葉竜也演じる岩森は、伊勢谷友介演じる溝口という男を何度も殺害するのでした。しかし、その結果、岩森のグリーフがケアされたかどうかは・・・・・・おっと危ない! ネタバレになるので、ここまでです。いずれにしろ、復讐、仇討ち、あるいは憎き犯人の死刑執行などがグリーフケアになりうるかどうかというのは、わたしにとって重要テーマなのです。

 

「ペナルティループ」を観た最大の理由は、伊勢谷友介さんが出演していたからです。わたしは彼のファンだったのですが、ブログ「伊勢谷友介よ!」で紹介したように、2020年9月に大麻取締法違反の疑いで逮捕されたニュースには驚きました。伊勢谷さんは俳優として多くのドラマや映画に出演。2011年第20回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞、2012年にはブルーリボン賞助演男優賞、さらに日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞していますが、わたしは彼に会ったことがあります。もう15年ぐらい前になると思いますが、六本木ヒルズのクラブで開かれたパーティー沢尻エリカ嬢も来てました!)で、彼の知り合いだった友人から紹介されたのです。


パーティーで会った伊勢谷さんはものすごい男前でドキドキしましたが、とても教養が豊かな印象を受けました。英語もベラベラです。友人がわたしのことを「冠婚葬祭会社の社長さんですけど、本をたくさん書かれている作家さんでもあります」と紹介してくれると、彼は「本を書く人って尊敬します。どんな本なんですか?」と言ってくれました。わたしは何冊かの自著を紹介して、「よかったら、今度お送りしますよ」と言うと、すごく喜んでくれました。ハートフル・ソサエティ(三五館)を送りました。



伊勢谷さんとは映画の話もしました。
じつは、わたしは彼が主演した映画CASSHERN(2004年)に感動し、そのことを宗教哲学者の鎌田東二先生との往復書簡であるムーンサルトレターに書きました。すると、鎌田先生も同作を観て、絶賛されていました。わたしが彼に「『CASSHERN』を観ましたが、素晴らしかったです。日本映画の最高傑作の1つだと思いました」と言うと、彼は「本当っすか!」とすごく嬉しそうな顔をしてくれました。その後、しばらく映画談義をしましたが、わたしたちは意気投合したと思います。伊勢谷さんには、本当に「好青年」という印象しか受けませんでした。その彼の復帰作が「ペナルティループ」です。なんと10回も殺される役で、これは長い映画の歴史でも一番多いのではないでしょうか?


「ペナルティループ」には、犯罪被害者の人権問題など、現実社会の課題が反映しています。メガホンを取った荒木監督は、「AERA」のインタビューで、「死刑制度の問題とかももちろん関係しているんだけど、でも何かの答えを聞くことが映画ではない、という強い思いがある。僕はそこからがんばって逃げているんです。見た人の感想をこちらが明示するようなことは絶対にやらないようにしようって。それはたぶん日本映画界ではあんまり歓迎されない流れなのかもしれなくて。いまは映画公開と同時に『正解の解釈』のようなものが発表されている感じがするんですよね。作り手が発表しているのかわからないけど、 そのことに正直、飽き飽きしているし、ムカついているっていうか」と語っています。また、「コロナ禍で娯楽を作る人たちが保守的に」と指摘しています。


荒木監督は1970年、東京生まれ。東京大学教養学部表象文化論科卒業後、広告代理店に入社。CMプランナーとして松本人志が出演する「バイトするならタウンワーク」のCMやミュージックビデオなどの企画制作をしました。本業の傍ら、2012年よりシナリオを本格的に学び、第1回木下グループ新人監督賞の準グランプリに選出された脚本『人数の町』が映画化。2020年9月、監督デビュー作として全国公開されました。映画「人数の町」中村倫也が主演を務めるミステリーです。自由に出入りできるのになぜか離れることができない不思議な町の住人となった青年が、その謎に迫っていく。荒木監督はこの作品でも架空の町を舞台に現代社会の問題を映し出しているそうです。配信で鑑賞できるそうなので、ぜひ観てみたいです。


「CINEMORE」のインタビューで「前作と今作に共通するSFの世界観に引き込まれますが、ご自身の中で意識されているものはありますか」という質問に対して、荒木監督は以下のように答えています。
「僕は70年生まれで、7歳のときに未知との遭遇(77)とスター・ウォーズ(77)に出会ってますから(笑)。60年代の熱狂が完全に終わっていた時代では、UFOとか『ムー』とか、そういう怪しげなものも含めた全てがSFだった気がします。SF的なCGや仕掛けがすごく好きなわけではなく、考えを解放する場所としての“未来”や“装置”などに惹かれるのでしょうね。僕の世代だとそれが最初にセットされているような感覚もあります。勉強でもずっと理数系の方が好きでしたし、文学的なことよりも数学的なものに興味があった。『未来はどうなっていくのだろう』と今もまだ考えていますね」


また、「日本映画でこういった世界観を確立するのは難しいと思いますが、制作にあたり気をつけていることはありますか?」という質問に対して、荒木監督は「片手にSFを持っているので、もう一方では社会性みたいなものを持っているつもりです。“LGBTQ”、“ハラスメント”、“反戦”などを羅列してトピックとして捉えるのではなく、それが自分の人生や価値観にどう絡んでくるか、そういう視点を求めています。SF、社会性と両手にそれぞれ持っているので、トピックとして単体で扱う余裕もないんです。海外はそこが上手ですよね。むしろそれ無しには製作のGOが出ない感じすらある。一方で邦画が言うエンタメって王道という名の使い古された感動話が好きだから、社会性を扱っているようでそれが全く表現に結びついていない。何の問題を描いても、同じような内容で問題がすげ替わっているだけな感じがします」と答えています。


荒木監督の志は高いですが、「ペナルティループ」にもさまざまな想いが込められているのでしょう。タイムループで何回も殺されるというアイデア自体は珍しいものではありません。有名なところでは、クリストファー・ランドン監督の「ハッピー・デス・ディ」(2017年)があります。マスクを被った謎の人物に殺される誕生日を何度もループする女子大生を描いたタイムリープホラーです。毎晩飲んだくれながら、さまざまな男性と関係を持つ大学生のツリー(ジェシカ・ロース)は、誕生日を迎えた朝にカーター(イズラエル・ブルサード)のベッドで目を覚ますが、1日の出来事をすでに経験したような違和感を抱く。そして1日が終わるとき、マスクをかぶった何者かに殺されてしまう。しかし目を覚ますと、ツリーは再びカーターの部屋で誕生日の朝を迎えていたのでした。


また、タイムループを主題にした映画はそれこそ多数作られていますが、最も名作だと思うのは、 ブログ「オール・ユー・ニード・イズ・キル」で紹介した2014年のダグ・リーマン監督のSF映画ですね。2004年に発表された桜坂洋ライトノベルを、トム・クルーズ主演でハリウッド実写化。「ギタイ」と呼ばれる謎の侵略者と人類の戦いが続く近未来が舞台です。再び戦死するとまた同じ時間に巻き戻り、不可解なタイムループから抜け出せなくなったウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)は、同様にタイムループの経験を持つ軍最強の女性兵士リタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)に訓練を施され、次第に戦士として成長していきます。戦いと死を何度も繰り返し、経験を積んで戦闘技術を磨きあげていくケイジは、やがてギタイを滅ぼす方法の糸口をつかみはじめるのでした。

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

オール・ユー・ニード・イズ・キル」は拙著死を乗り越える映画ガイド(現代書林)でも紹介。同書のテーマは「映画で死を乗り越える」ですが、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。「ペナルティループ」の荒木監督は、「映画は時間をいじることができる芸術なので、これまでも『ループもの』は多く作られてきた。その究極を作ってみたかったんです」と語っていますが、まさに映画の本質に挑んだ作品だと言えるでしょう。


2024年3月25日  一条真也

『最高の老後』

最高の老後 「死ぬまで元気」を実現する5つのM

一条真也です。
『最高の老後』山田悠史著(講談社)を読みました。「『死ぬまで元気』を実現する5つのM」と書かれています。著者は、米国老年医学・内科専門医。慶應義塾大学医学部を卒業後、日本全国各地の病院の総合診療科で勤務。2015年からは米国ニューヨークのマウントサイナイ医科大学ベスイスラエル病院の内科で勤務し、現在は同大学老年医学・緩和医療科で高齢者診療に従事しています。


本書の帯

 

本書のカバー前そでには「老化で何が起こるのか。健康で自立した老後のために何ができるか。今から備えれば間に合う!」とあります。帯には、こう書かれています。
Mobility ――――――――――からだ
Mind  ――――――――――――――こころ
Medications ―――――――くすり
Multicomplexity  ―――よぼう
Matters Most to Me ―― いきがい
また、「『老年医学』世界最高峰の病院が掲げる絶対的指針」「事実、高齢者の2割には病気がない」「NY在住の専門医が、最新の科学的エビデンスに基づいて徹底解説」と書かれています。


本書の帯の裏

 

帯の裏には、「今、私たちが何を選びどう生きるかで、この現実は変わる」として、以下のように書かれています。
65歳以上の約10人に1人は車椅子か寝たきり
65歳以上の約5人の1人は認知症
65歳以上の約3人に1人は5種類以上の薬を毎日飲んでいる
65歳の約5人の4人は、少なくとも1つ以上の慢性疾患を持つ
死に直面している人の約10人中7人は自分で意思決定ができない

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
プロローグ
 米国老年医学会が提言する
 健康な老後に不可欠な「5つのM」
 序章 老化とは何か
加齢で体に何が起こっているのか
体が震えた「フレイル」という状態
加齢には、実はメリットもある
第1章 Mobility[からだ]
    身体機能を維持する
老後も身体機能を維持するということ
第2章 Mind[こころ]
    「認知症」にも「うつ」にもならない
認知症アルツハイマー病ではない
第3章 Medications[くすり]
    薬を“最適化”する
「ポリファーマシー」という問題
第4章 Multicomplexity[よぼう]
    病気を防ぐ、上手に付き合う
年とともに、病気は増える
第5章 Matters Most to Me[いきがい]
    自分いとって何が大切かを知っておく
人によって違う、人生のプライオリティ
「エピローグ」
「文献一覧」


「プロローグ」の冒頭を、著者は「日本人は、平均で男性なら約81歳、女性なら約87歳まで生きると報告されています。しかし、多くの人にとって『生きる』に加えてもう1つ大切なことは、『元気に自立して生きる』ということかもしれません。この違いを明確にするため、平均寿命とは別に、健康寿命という言葉が定義されています。これはまさに『元気に自立した生活を送ることのできる期間』を指した言葉です。健康寿命を先の平均寿命と比べてみると、老化の課題が浮き彫りになります」と書きだします。


日本人の健康寿命は、男性なら約72歳、女性なら約75歳と報告されています。これは、日本人が平均的に最後の約10年を、支援や介護を受けて生きているということを意味していますが、できることなら最期まで人の助けを借りずに健康に暮らしたいと思う人が多いでしょう。では、最後の10年も元気に生きるために、何ができるのか。著者は、「考えなければならないことは、実はたくさんあります。この「考えなければならないこと」を5つのコンセプトに整理してくれたのが『5つのM』です。この考え方は、2017年にカナダおよび米国の老年医学会から初めて提唱されました」として、「Mobility」からだ(身体機能)、「Mind」こころ(認知機能、精神状態)、「Medications」くすり(ポリファーマシー)、「Multicomplexity」よぼう(多様な疾患)、「Matters Most to Me」 いきがい(人生の優先順位)といった「5つのM」を紹介しています。


「5つのM」は、現在では米国中の老年医学専門医にその考え方が浸透し、高齢者を診察する基本指針とされています。著者自身も、ニューヨークにある大学病院の米国老年医学専門医として、日々5つのMに沿って高齢者の診療にあたっているといいます日本ではまだ浸透するには至っていませんが、5つのMhaただ高齢者の診療に活用できるだけではなく、より若い世代が上手に歳を重ねる上での指針にもなるのではないかという著者は、「この5つのMに沿って、老化で何が起こるのか、そしてそれを防ぐために、最高の老後を過ごすために何ができるのかを考えていきたいと思います」と述べるのでした。


序章「老化とは何か」の「加齢には、実はメリットもある」の3「アレルギーが改善する」は、幼少期からアトピー性皮膚炎に悩んできたわたしには朗報でした。アレルギー性の疾患に苦しむ人にとって、加齢は味方になってくれるかもしれないとして、著者は「アレルギーのメカニズムを担うプレイヤーの1つに、IgEと呼ばれる抗体があります。この抗体は、感染症などに応じて作られるそのほかの抗体が加齢で減少傾向となるのと同様、年齢とともに減っていくことが知られています。このため、加齢によって、アレルギー反応も軽減してくると考えられています。実際に、アレルギー性疾患のピークは幼少期と20~30歳代の二峰性になると考えられており、それ以降は50~60代にかけて頻度が減ってくることが報告されています」と述べています。確かに、そうかもしれません。


「加齢には、実はメリットもある」の5「受けられるサービスが増える」では、現金な加齢のメリットが紹介されます。高齢者に対しては、入館料が無料になったり、優待券が手に入ったりする観光施設が各地域に数多く存在します。また、シルバーパスと呼ばれるような高齢者向けの低額チケットを発行する公共交通機関もあります。著者は、「このように、財布に優しいサービスが使える工夫が数多く存在しており、生活がしやすくなるかもしれません。また、地方自治体によって、高齢者の外出を支援するような取り組みに力を入れているところも多くあります。歳をとっても安心して暮らせる街づくりを心がけてくださっている自治体があるのは心強いですね」と述べます。

老福論』(成甲書房)

 

「加齢には、実はメリットもある」の6「自由時間を獲得できる」では、「自由時間」の増加というメリットも指摘されます。これは、拙著老福論(成甲書房)でも訴えたことです。現役世代における仕事や子育てが占める時間というのは非常に長く、自由時間を確保するのは難しいという人も多いです。一方、歳をとってくると、仕事が忙しいかった方でも仕事の負担が軽くなったり、子供がいる方なら子供が自分の手を離れたりして、自由時間が増える傾向にあります。とらえ方によっては、これもよい点と言うことができるのではないかとして、著者は「それまでの人生で『やりたいけれど時間がない』と思う何かがあった人にとっては、この歳をとってからのタイミングこそが、自分のやりたいことに没頭できるチャンスかもしれません」と述べています。


「加齢には、実はメリットもある」の7「政治や社会への貢献度が高くなる」では、歳をとるメリットは個人に留まらず、社会に対してももたらされると指摘し、著者は「高齢者が多く住む社会では、政治やボランティア活動に参加する人が多くなるというのもよい点として挙げることができます。国政選挙における投票率は、日本でも米国でも高齢者のほうが若い世代よりも高いことが報告されていますし、ボランティア活動に参加する人の割合も高齢な層でより高くなることが報告されています。加齢というと、とかくその問題点やネガティブな側面に焦点が当たりがちですが、実はこのように、個人としても、また社会としても、挙げていけばキリがないというほど、ポジティブな側面がたくさんあります」と述べるのでした。


第1章「身体機能を維持する」の「老後も身体機能を維持するということ」の「健康な老後を叶えるのは、日々の習慣の見直し」では、65歳以上の約10人に1人は車椅子か寝たきりと考えられるといいます。そのような不自由から、転倒のリスクも高くなります。著者は、「一度転んだ人というのはまた転びやすく、歩くことへの不安を抱えるようになる傾向が知られています。その不安から、歩く頻度が減り、それがさらなる筋力低下を招き、ますます転びやすくなり転倒するという悪循環に入ってしまいます。このため、そうなる前に未然に防ぐことが大切です。このMobilityの視点では、このような体の老化を見直し、予防する方法を考えていきます。そのためには、頭からつま先まで、視力やバランス感覚、筋力や足の健康まで幅広く自分の体を見直す必要があります」と述べます。


「『転倒』が高齢者の人生を狂わせる」では、筋肉量が減り、筋力が衰えてくると、健康被害の1つとして「転ぶこと」が指摘されます。まだ30代、40代の働き盛りの世代の人にとっては、そもそも転ぶこと自体が縁遠かったり、「たかが1回ぐらい転んだところで」と考えたりするかもしれませんが、歳を重ねると、転ぶことは「それ以上」を意味するようになります。転倒は、高齢者の抱えるとても頻度の高い問題の1つであるとして、著者は「過去の報告によると、65歳以上の2~3割の人が1年に1回以上転倒を経験するとされています。また、80歳以上になると転ぶ人の割合がさらに1割増加することも知られています。さらに困るのは、『一度転んだ人はまた転ぶ』という事実です。実際に、少し古い報告ではありますが、過去1年で一度以上転倒した人は、次の年に転ぶ確率が5.9倍高くなるということを試算したものがあります」と述べます。現在88歳のわたしの父もよく転ぶので気をつけないといけません。


「30~50代の経済状況が、老後の健康に大きく関わる」では、重い病気にかからず、身体や認知の機能が維持された状態を「成功した加齢」ととらえ、どういった人がそのような状態を達成できたのかを観察しているものだといいます。すると、最も大きく影響を及ぼしていたのは30代から50代にかけての経済状況だと指摘されます。経済状態のよい人ほど「成功した加齢」と関連していたのです。この研究では、年収が100万円程度の人から2500万円程度の人までが含まれていましたが、年収が一番低いグループと年収が一番高いグループでは大きな差が見られました。また、経済状況の因子を取り除くと、喫煙なし、健康な食生活、運動のほか、女性では程よい飲酒(ビールで1日350mlまで)、男性では職場での上司や同僚からのサポートが「成功した加齢」と関連していました。著者は、「社会経済的な地位と健康との関連は他にもこれまで様々な研究で指摘されてきていますが、経済状況がよいことは生活水準の改善、医療アクセスの向上につながりやすいこと、またより迅速に健康的なライフスタイルを取り入れやすい傾向となることも知られています。こうしたことが積み重なって老化とも密接に関連しているのかもしれません」と述べるのでした。


第2章「『認知症』にも『うつ』にもならない」の「認知症アルツハイマー病ではない」の「認知症は原因の見極めが大切」では、認知症はときに「認知症アルツハイマー病」のようにとらえられてしまうことがあるが大きな誤解だと指摘されます。アルツハイマー病は確かに認知症の最多の原因疾患ではありますが、その他にも認知症には数多くの原因疾患があるそうです。アルツハイマー病は、誤診も多い病気だそうです。なぜならアルツハイマー病を容易に診断してくれるような単一の検査が存在しないからです。一方で、頻度が最も高いという揺るぎのない事実もあります。そんな背景から、高齢な患者さんの認知症を見たときに、すぐさまアルツハイマー病という病名が連想されて誤診されてしまいがちだとして、著者は「それはさながら、喉の痛みが出たときに『風邪かな』と思ってしまうのと同様です。一口に認知症と言っても、実際には様々な原因があり、それぞれで治療法が異なります。このため、すぐに原因を決めつけずに丁寧に原因が何かを考えるという姿勢がとても大切なのです」と述べます。


「老化で脳が縮むと起こること」の「全ての脳の機能が衰えるわけではない」では、脳にはさまざまな能力がありますが、とりわけエピソード記憶や作業記憶、遂行機能は加齢だけで低下しやすいことが指摘されます。これらの機能は60歳以降に低下しはじめ、加齢とともに加速度的に低下することが報告されています。物事の処理能力が低下し、時間がかかるようになるため、話す速度もゆっくりになる傾向があります。そう聞くと納得かもしれないとして、著者は「『遂行機能』というのは、物事を順序立てて実行する機能です。例えば、スマートフォンの操作1つとっても、まず指紋認証や顔認証、パスワードを適切に入力してロックを解除し、必要なアプリケーションを探し出して、その上をタップするというようなプロセスが必要になります。慣れてしまっている人からすれば簡単な作業のように感じられるものの、実際には数多くの工程を一瞬で脳が処理していることがわかります。こういった機能は70歳以降に比較的急速に衰えてくることが知られており、若い人とは異なってスマートフォンの操作が難しくなる場合があるのです」と述べています。


「高齢者に頻発する『せん妄』という問題」では、「せん妄」が取り上げられます。せん妄とは、場所や時間が突然わからなくなったり、興奮、錯乱といった気分の異常が突然起こったりする精神機能の障害を指します。著者は、「せん妄は心身にストレスが重なったときに起こりやすくなります。入院という出来事はまさに、心身ともに大きなストレスのかかる状態です。五感が使いにくくなるような状況でも症状は悪化しやすくなります。例えば、夜の暗い時間帯、日中でも窓にカーテンがかかっている状況、また、普段メガネをかけている人が病院にメガネを持ってくるのを忘れたというような状況でもリスクは高まります。身体的なストレスとしては、痛みや便秘などもせん妄の引き金になりえますし、感染症も原因になりえます。新型コロナウイルスパンデミック下では、多くの高齢者がせん妄の症状をきっかけに新型コロナウイルス感染症と診断されてきたことも報告されています」と述べます。


「『うつ病』は持病を抱えた人がなりやすい」の「うつ病と持病が影響しあって悪化していく」では、年齢を重ねるにつれて喪失感や悲しみを感じるライフイベントというものは増えていく傾向にあることが指摘されます。家族を亡くしたり、仕事を退職したりといったライフイベントは人生の後半にこそ重なる傾向にあるでしょう。配偶者を失い、突然独り身になることだってあります。あるいは退職して社会的な立場や収入を失うことになり、将来への不安を感じるかもしれません。著者は、「このような喪失が悲しみや孤独の感情につながりやすいのは間違いありません。それがうつ症状の引き金になることも確かにあります。しかし、誤解をしてはいけないのは、これだけでうつ病を発症するわけではないということです。実際、喪失体験がありながらも、特に持病などのない健康な高齢者は、むしろ一般成人よりもうつ病の発症頻度は低いことが知られています」と述べるのでした。


「確かな科学的根拠のある認知症の予防法はない」では、認知症の予防はできるのかという問題が取り上げられます。著者は、「結論から述べてしまえば、実際には、認知症の予防には良質な科学的根拠のある介入方法があまりないというのが現状です。これは、もしかすると治療法が見つかっていないことと共通で、アルツハイマー病の原因がまだ完全には明らかになっていないこととも関連するのかもしれません。根っこを摑むことができないと、予防も治療もなかなか難しいのです」「一方、楽観論もあります。複数の先進国から、認知症の発症率が年々減少しているとする報告があるのです。これはもしかすると、私たちが今行っている介入が何らかの形で認知症を減らすことに寄与しているのかもしれません。有効な方法が明らかではないものの、様々な介入を組み合わせることで、認知症が予防できているのかもしれません」と述べています。


「地中海式ダイエットに期待する認知症予防の力」では、地中海ダイエットが紹介されます。これは一般的に、果物、野菜、全粒穀物、豆類、ナッツや種子などの種実類を多く含み、脂肪源としてオリーブオイルを含みます。また、魚、鶏肉、乳製品は少量から中程度の量で、いわゆる赤肉、つまり牛肉や羊肉はほとんどありません。このような食品で成り立つ食事が地中海式ダイエットと呼ばれるものです。この地中海式ダイエットは、食品の構成やバランスがよく、健康への影響が熱心に研究されている食事の1つであるとして、著者は「実際に、ある観察研究で、地中海式ダイエットを守って食事をとっている人は、地中海式ダイエットを摂取していない人と比較して、認知機能の低下が軽いことやアルツハイマー病の発症率が低いことと相関関係があることが示されています」と述べます。


「コーヒー好きはうつ病にならない?」では、コーヒーとうつ病との関係に言及しています。前向き追跡研究と呼ばれるタイプの研究で、さまざまな量のカフェインを摂取しているうつ症状のない女性約5万人を対象に、10年間のカフェイン摂取量やその他の食事摂取の変化を追跡調査しているそうです。著者は、「この10年間の追跡調査の中で、全体で2607人にうつ病発症が確認されました。そこで、うつ病を発症した人たちのカフェインの摂取量の傾向を調べました。すると、週に1杯以下のカフェイン入りのコーヒーを飲む女性と比較して、1日に2~3杯のカフェイン入りのコーヒーを摂取する女性はうつ病のリスクが減少するという関連性が見られました」と述べています。


「睡眠の確保も重要! 不眠症の解決には、生活習慣にもヒントが」では、不眠症は、生活習慣に解決のヒントが隠されている場合があると指摘し、著者は「例えば、夜の飲酒は、入眠にはつながるものの、睡眠の質は悪化すると考えられています。アルコール自体には催眠作用がありますが、アルコールが代謝されると今度は睡眠障害を引き起こすと考えられているからです。また、タバコに含まれるニコチンにも睡眠を妨げる作用があることが知られています」と述べています。確かに、自分自身のことを考えてみても深酒したときは眠りにはつけますが、変な時間に起きてしまったりもしますね。


第3章「薬を“最適化”する」の「『ポリファーマシー』という問題」の「世界中で怒るポリファーマシー」では、著者は、「皆さんは、『ポリファーマシー』という言葉を聞いたことがあるでしょうか。『ファーマシー』という言葉ならご存じの方が多いでしょう。『ファーマシー』は『薬局』『薬学』という意味を持つ言葉です。そして、接頭辞の『ポリ』は『数多くの』という意味を持ちます。この両者をかけ合わせて、『患者さんが数多くの薬を飲んでいる状態』のことを指します」と述べています。実際に、「60歳以上の高齢者の約3人に1人が5種類以上の薬を毎日内服している」というデータがあるそうです。


ジェネリック医薬品は正しく理解し賢く使う」では、オリジナルの薬のコピーであるジェネリック医薬品が取り上げられます。コピーといっても名前や形、色が異なることがあるので信じ難いかもしれません。しかし、有効成分はオリジナルの薬とまったく同じものであり、また一般的にオリジナルの薬よりも安価になります。「ジェネリックのほうが効果は弱い」と言われることがありますが、そんなことはないそうです。著者は、「なぜ、オリジナルのメーカーよりも安価に抑えられるかというと、ジェネリック医薬品のメーカーは、薬の開発や宣伝に費用をかける必要がないためです。新薬の開発や研究には多大なコストがかかります。そのため、新薬の薬価というのは高くなる傾向があります。しかし、すでに研究されている薬の成分をコピーして薬を作れば、一から研究をする必要がなく、コストダウンが期待できるというわけです」と述べます。


第4章「病気を防ぐ、上手に付き合う」の「年とともに、病気は増える」の「生きているだけで病気になることがある」では、人間は年齢を重ねていく中で病気を持つことがあり、特に原因がないという場合も数多くあるとして、「何も原因がなくても、生きているだけで病気になってしまうことがあるのです。普段やっている単純な作業でもミスを起こすことがあるように、あるいはパソコンが突然バグを起こすことがあるように、人間の体も日々生きている中でミスを起こすことがあります。そうやって様々な病気を起こしてしまうことがあるのです」と述べています。


「タバコは老化を加速させる」では、種々の病気の原因となり老化を加速させる要因として、タバコの存在は見逃せないことが指摘されます。加齢に伴う変化の例として、血管の動脈硬化が挙げられますが、タバコで加速することが知られています。著者は、「タバコには、悪玉コレステロールと呼ばれるLDLコレステロールを増加させる作用や、インスリンの効き目を低下させ、血糖値が悪化する作用を持つ可能性が指摘されています。また、交感神経の働きを高め血圧を上昇させる作用も知られています。これら、コレステロールの増加、血糖値の悪化、血圧の上昇は、いずれも動脈硬化の悪化の要因となります」と述べます。


「タバコが引き起こす病気は肺がんだけではない」では、肺がんは、よく知られた喫煙が原因となる病気の1つですが、タバコが引き起こす病気は肺がんに限られたものではないことが紹介されます。それ以外にも、心筋梗塞脳梗塞といった血管の病気、多くの種類のがん、肺気腫と呼ばれる肺の病気、糖尿病、骨粗鬆症不妊白内障と多くの臓器にわたって病気と関連することが知られています。著者は、「早く禁煙すればするほど、このような病気のリスクを下げられることがわかっており、早い段階で禁煙すれば、年月をかけながら、そのリスクは非喫煙者と同じレベルまで低下させられる可能性があることも知られています」と述べています。

 

「限界はあるにせよ、まずは一般健康診断を」の「私たちが毎年受けている『一般健康診断』とは」では、わたしたちが一般的に毎年受けている「一般健康診断」というのは、その実施が法律で義務づけられていることが紹介されます。労働安全衛生法は、「事業者は労働者に対し、医師による健康診断を行わなければならず、労働者は、事業者が行う健康診断を受けなければいけない」としています。一般健康診断でいろいろな検査を受けることで、またその名前からも、なんでもわかるように思われるかもしれませんが、限界があります。著者は、「異常がないかをざっくり知るために使われるのがこの健康診断です。『健康診断正常=健康』でも『健康診断異常=不健康』でもないのです。健康診断とその他の道具もうまく使って、健康の支えの1つにするというぐらいの感覚でいることが必要とされます」と述べています。


第5章「自分にとって何が大切かを知っておく」の「人によって違う、人生のプライオリティ」の「『生きがい』が明確ならば決断できる」では、ある米国の研究では、死に直面した人の約7割は意識が朦朧としているなどの理由で、意思決定能力を失っていると報告されていることが明かされます。そのようなときには、その人をよく理解する家族や友人が代わりに治療方針を決定しなければならないとして、著者は「もちろん、専門的な知見とともに医療チームもサポートをしますが、医療者は意識のない状態で運ばれてきた本人と初対面であることも稀ではなく、対面したことのある医療者でも、家族や友人ほど患者さんを理解できているということはほとんどないでしょう。そのような中で患者さん本人の『生きがい』や価値観は、治療方針を決定していくうえでとても大切な羅針盤となります」と述べています。



「最期のとき、自分で意思決定ができない可能性は大きい」では、「最期を迎える人の約7割が、自分で意思決定ができない」というデータが紹介されます。例えば、感染症で命が奪われそうなとき、血圧が低下してしまって脳への血流が維持できなかったり、人工呼吸器につながれたりすることで、コミュニケーションをとるのが難しくなってしまうことがあります。あるいは、脳卒中が突然に発症、その日を境に意識を失ってしまい、コミュニケーションがとれなくなるということもあります。著者は、「そんなとき、あなたの代わりに意思決定をしてくれるのは、あなたのことを理解する家族、友人、そしてあなたの治療にあたる医療チームということになります。では、そのような中で何を根拠に意思決定をするのかといえば、一番はあなたの気持ちを代弁してくれる家族が、あなたの気持ちになって考えた結果です。先の研究では、代弁をした人の約半数が子供、3割が配偶者、1割がその他の親族と、やはり圧倒的に血縁関係のある家族が意思決定をしていることが報告されています。日本でも、最も多いのはおそらく家族が代弁をするというケースでしょう」と述べます。

 

「医師が重要と思うことと、患者が重要と思うことにはズレがある」では、患者や家族の返答からは、「よい死」を構成する6つの要素が浮かび上がる結果となったことが紹介されます。以下の通りです。
・痛みやその他の症状での苦しみがないこと
・明確な治療方針が決まっていること
・死の直前や死後への準備ができていること
・大切な人と過ごし、人生の振り返りを完了できること
・最期まで他者に貢献できること
・「患者」ではなく全人的な肯定感を持てること

朝日新聞」2023年6月14日(夕刊)

 

「多くの人は、死の事前準備ができていない」では、「人生会議」が取り上げられます。人生会議とは、「もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みのこと」です。米国では「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と呼ばれており、日本でも過去には同じ呼び方をされていましたが、なかなか浸透せず、「人生会議」という愛称が付けられたという経緯があります。ブログ「死生観とウェルビーイング」で紹介したように、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二氏は、「病で死と直面した人に、他人がどんな言葉をかけても、なぐさめになりません。それほど絶望は深いんです。その状況で生きるかてを得るには、人と人の関係性しかないと思います。家族や友人の支えです」と述べた上で、「だからこそ、普段から家族や友人と『人生会議』を持つことです。『死生観カフェ』でもいいですね。死をどう捉えたらいいか、死に向かうときにどう過ごしていくか、死生観を語り合うことです。そういう人間関係をいかに築いておくか。恥ずかしがらず、堂々と死を語り合いましょう」と述べています。


「医療現場も準備不足。日本にはホスピスがあまりにも少ない」では、厚生労働省の過去の調査では、一般の人が末期がんと診断されたとしたら、37.5%が病院で、10.7%が介護施設で、47.4%が自宅で最期を迎えたいと回答をしていることが明かされます。一方、一般の人で重い心臓病が進行したとしたら、48.0%が病院で、17.8%が介護施設で、29.3%が自宅で最期を迎えたいと回答しています。著者は、「この数字がそれぞれ多い、少ないということではなく、人はそれぞれ、安心できる場所が異なるのだと思います。病気になったら最期までずっと入院していなければいけないわけでもなく最期の瞬間は自宅で迎えるべきというわけでもなく、人それぞれ安心できる場所を選べばよいのだと思います」と述べます。



「長生きが大切か、仕事が大切か。人生の究極の選択」では、深刻な病気が生じると、難しい選択を迫られることがあると指摘されます。どちらも捨てられないと思っても、どちらかしか選べないときがあるとして、著者は「もしかすると、人生のいろいろな場面でもそうだったかもしれません。2つの大学に合格したとき、複数の会社に進む選択肢を目の前にしたとき。日本に残って研鑽を積むべきか、海外に渡って自分を磨くか。治療方針の選択にあたって、そのような悩ましい選択をしなければならないとき、参考になるのが『自分にとって大切なものは何か?』の答えです」と述べています。


「あなたにとっての生きがいを大切に」では、内閣府が2020年に行った60歳以上の人に対する調査によると、「生きがい」を多少なりとも感じている人は67.4%で、まったく感じていないと答える人は1.7%にとどまっていることが紹介されます。また、「生きがいを感じるとき」として「家族との団らんのとき」、「おいしいものを食べているとき」という答えが上位に挙がっています。著者は、「多くの人にとって、家族の存在や食事が、生きる喜びにつながっているのをうかがい知ることができます。もし具体的なものが思い浮かばない人でも、家族との時間、食事間などを比較して、その中で優先順位をつけてみるとよいでしょう」と述べています。



5つ目のMである“Matters Most to Me”はもしかすると、5つのMの中で最も大切なものなのかもしれないとして、著者は「科学的な根拠に基づいた健康的に歳を重ねる方法が、たとえ多くの人にプラスと思われても、それらがあなたの『生きがい』を損ねてしまうのであれば、あなたにとってはマイナスである可能性があります。生きがいは、全てのエビデンスをも覆すほど、大きな力のあるものかもしれないのです」と述べます。この「生きがい」という言葉、英語にはピッタリと当てはまる言葉がなく、そのまま“Ikigai”という単語になり、国外の人にも少しずつ親しまれるようになってきているとか。

 

 

日本発の「生きがい」に対する注目度の高さは、エクトル・ガルシア氏とフランセスク・ミラージェス氏の共著『Ikigai』がベストセラーになったところからも見てとれます。日本人の長寿の秘密が、実はこのIkigaiにあるかもしれないと関心を持たれているのです。最後に、著者は「あなたの『生きがい』はなんでしょうか? 残された時間を、あなたはどう生きたいですか? それを考えてみることが、『人生会議』の第一歩でもあります」と述べるのでした。本書は、「老年医学」における世界最高峰の病院が掲げる指針に基づいた内容で、エビデンスもしっかりとしており、非常に説得力がありました。最後に「生きがい」の問題を取り上げているところも深く共感できました。高齢の両親を抱え、わたし自身も老いていく中で、多くの学びを与えられました。

 

 

2024年3月24日 一条真也

「四月になれば彼女は」

一条真也です。
22日の夜、この日から公開された日本映画「四月になれば彼女は」シネプレックス小倉で観ました。なんとなく甘ったるい高校生向けの恋愛映画の予感がして興味はなかったのですが、出演しているのが佐藤健長澤まさみ、森七菜の実力派トリオなので、観ることにしました。結果は轟沈。1ミリも感動できないというか、「変な家」じゃなくて変な話だと思いました。「原作を読みたい!」とは、まったく思いませんでしたね。


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「映画プロデューサーや小説家など多彩に活動する川村元気の恋愛小説を映画化。結婚直前に婚約者が謎の失踪を遂げた精神科医が、ある手紙をきっかけに初恋の記憶や婚約者との日々を回想する。監督は米津玄師らのミュージックビデオなどを手掛けてきた映像作家・山田智和。主人公を川村原作による『世界から猫が消えたなら』などの佐藤健、失踪した婚約者を『MOTHER マザー』などの長澤まさみ、主人公の初恋の相手を『君は放課後インソムニア』などの森七菜が演じる」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「4月のある日、結婚を間近に控えた精神科医・藤代俊(佐藤健)のもとに、かつて交際していた伊予田春(森七菜)から手紙が届く。ボリビア・ウユニ塩湖からの手紙には、10年前の初恋の記憶がつづられていた。そんなとき、俊の婚約者・坂本弥生(長澤まさみ)が謎めいた言葉を残して姿を消す。春はなぜ手紙を書いてきたのか、そして弥生はなぜ失踪したのか。戸惑う俊が愛する人を探し求める中で、二つの謎がつながっていく」

 

 

原作は、川村元気によるベストセラー小説です。
アマゾンの文春文庫版には、「胸をえぐられる、切なさが溢れだす――『世界から猫が消えたなら』『億男』『百花』の著者が描く、究極の恋愛小説。大反響のベストセラーがついに文庫化!」として、「音もなく空気が抜けるように、気づけば「恋」が人生から消えている。そんな時僕らはどうすべきか? 夢中でページをめくった。――新海誠(アニメーション監督)」「こんな物騒で厄介な小説を手放しで褒めていいのか、わたしは身を震わせる。――あさのあつこ(作家)」と書かれています。


また、アマゾンの内容紹介には、「4月、精神科医の藤代のもとに、初めての恋人・ハルから手紙が届いた。“天空の鏡”ウユニ塩湖からの手紙には、瑞々しい恋の記憶が書かれていた。だが藤代は1年後に結婚を決めていた。愛しているのかわからない恋人・弥生と。失った恋に翻弄される12か月がはじまる――なぜ、恋も愛も、やがては過ぎ去ってしまうのか。川村元気が挑む、恋愛なき時代における異形の恋愛小説。“あのときのわたしには、自分よりも大切な人がいた。それが、永遠に続くものだと信じていた。”“私たちは愛することをさぼった。面倒くさがった。”“わたしは愛したときに、はじめて愛された。それはまるで、日食のようでした。”」と書かれています。



「四月になれば君は」の原作小説は未読ですが、大量のレビューを見る限り、多くの読者を感動させてきたようです。しかしながら、映画はまったくピンときませんでしたね。原作のある映画を観て感動したとき、「原作を読みたい」と思うものです。ブログ「52ヘルツのクジラたち」で紹介したグリーフケア映画の名作を観たときは、 ブログ『52ヘルツのクジラたち』で紹介した町田そのこ氏の原作小説を再読したいと思いました。しかし、映画「四月になれば君は」を観て、原作を読みたいとは思いません。


ネタバレを避けるために気をつけて書きますが、「四月になれば彼女は」という物語の核となる部分について「単なる婚約者の元恋人に対するジェラシーでは?」と思ってしまいます。本来、名優である佐藤健長澤まさみ、森七菜も、みんな良いところがありませんでした。というか、話がとてもウソくさくて、リアリティが感じられませんでした。映像は綺麗なのですが、映画全体に血が通っていないのです。山田智和監督の作品だけあって、映画というよりもミュージックビデオのような印象を受けましたね。

 

この映画は、2組のカップルが登場する恋愛物語ですが、その組み合わせが非常にビミョーなのです。主演の佐藤健は現在35歳。学生時代の恋人を演じた森七菜は22歳。その差13歳で、学生同士のカップルを演じるにはちょっと無理があります。どう見ても、年齢の離れた兄と妹にしか思えません。長澤まさみは36歳ですが、身長が169センチ。170センチの佐藤健とほぼ同身長で、並ぶと長澤の方が大きく見えてしまいます。正直言って、このトリオはミスキャストではないでしょうか? それでも、佐藤健の恋人役さえ演じなければ、森七菜はなかなか良かったです。若手女優随一の透明感がありました。


わたしが森七菜という女優を初めて知ったのは、ブログ「ラストレター」で紹介した2019年の岩井俊二監督の映画です。夫と子供と暮らす岸辺野裕里(松たか子)は、姉の未咲の葬儀で未咲の娘・鮎美(広瀬すず)と再会する。鮎美は心の整理がついておらず、母が残した手紙を読むことができませんでした。裕里は未咲の同窓会で姉の死を伝えようとしますが、未咲の同級生たちに未咲本人と勘違いされる。そして裕里は、初恋の相手である小説家の乙坂鏡史郎(福山雅治)と連絡先を交換し、彼に手紙を送ります。森七菜は広瀬すずの妹役を演じました。妹役といえば、広瀬すずのデビュー作はブログ「海街diary」で紹介した2015年の是枝裕信監督作品ですが、長澤まさみとは異母姉妹の関係で、広瀬すずが妹役でした。


また、広瀬すずは「四月になれば彼女は」と同じく「四月」がタイトルに入った映画に主演しています。2016年の新城穀彦監督作品四月は君の嘘です。完全無欠、正確無比、ヒューマンメトロノームと称された天才ピアニスト・有馬公生(山﨑賢人)は、母の死を境にピアノが弾けなくなってしまいます。高校2年生となった4月のある日、公生は幼馴染の澤部 椿(石井杏奈)と渡 亮太(中川大志)に誘われ、ヴァイオリニスト・宮園かをり(広瀬すず)と出会います。勝気で、自由奔放、まるで空に浮かぶ雲のように掴みどころのない性格―そんなかをりの自由で豊かで楽しげな演奏に惹かれていく公生。かをりの強引な誘いをきっかけに公生はピアノと“母との思い出”に再び向き合い始めます。ようやく動き出した公生の時間。だが、かをりの身体は重い病に侵されていたのでした。


「四月になれば彼女は」には「ラストレター」や「四月は君の嘘」の影響もしっかり感じるのですが、最も強い影響を感じる映画はやはり行定勲監督の世界の中心で、愛をさけぶ(2004年)です。長澤まさみが17歳でヒロインを務めました。このときの彼女は本当に可愛かった! この映画の原作は、片山恭一原作の200万部突破の純愛小説です。「十数年前」「高校時代」「最後の目的地に行けなかった思い出」「恋人の死」「初恋の女性を失った青年が抱えてきた喪失感」・・・・・・2004年に公開された「世界の中心で、愛をさけぶ」と「四月になれば君は」の共通点は非常に多いです。おそらく、原作小説を書いた川村元気氏は大ベストセラーになった『世界の中心で、愛をさけぶ』を愛読していたのでしょう。そして、その影響を強く受けているはずです。間違いない!

死ぬまでにやっておきたい50のこと

 

世界の中心で、愛をさけぶ」はオーストラリアのエアーズ・ロック、「四月になれば君は」はウユニ、プラハアイスランド・・・・・・死ぬまでに行きたい旅の映画でもあります。いま挙げた場所は、いずれも絶景です。拙著死ぬまでにやっておきたい50のことイースト・プレス)で、わたしは、24「自然の絶景に触れて『自分の小ささ』を知る」という項目を書きました。わたしたちは、自然の絶景に触れると人間の存在が小さく見えてきて、死ぬことが怖くなくなってくると思います。「死とは自然に還ることにすぎない」と実感できるのではないでしょうか。特に、「一度は行きたい世界の絶景スポット」として、ウユニ塩湖、グランドキャニオン、アンコールワットなどが高い人気を誇っています。世界には想像を超えた絶景がたくさんあることに正直、驚かされます。


「四月になれば彼女は」は、写真の映画でもあります。森七菜演じる伊予田春は写真が趣味でしたが、ある場所で老人たちの写真を撮り続けます。それが遺影となる人も多かったと思いますが、わたしはブログ「おもいで写眞」で紹介した2021年公開の熊澤尚人監督の映画を連想しました。仕事をクビになり失意に沈む音更結子(深川麻衣)は、祖母が亡くなったことを受けて帰郷します。母の代わりに自分を育ててくれた祖母を孤独に死なせてしまったと悔やむ中、幼なじみの星野一郎(高良健吾)から老人を相手にした遺影撮影の仕事に誘われます。当初は老人たちに敬遠されますが、一人で暮らす山岸和子(吉行和子)との出会いを機に、結子は単なる遺影ではなくそれぞれの思い出を写し出す写真を撮るようになっていくのでした。というわけで、「四月になれば彼女」には過去の名作映画の面影をたくさん感じたのですが、どうも監督に思い入れが強過ぎて、消化不良になっているように感じました。



あまりボロクソに書くにも気が引けるのと、わたしは「あらゆる映画を面白く観る」「どんな映画からも学びはある」と考えている人間なので、この映画の良いところも考えてみました。そういえば、弥生のセリフで心に残ったものが2つありました。1つは冒頭の結婚式場を下見するシーンで語った「考えてみれば、自分が主役で、みんなが集まってくれることって、結婚式やお葬式ぐらいしかないよね」という言葉です。もうすぐ4月になって桜が咲きますが、わたしは人生も桜のようなものだと思っています。満開の桜は人生最良の日である「結婚式」であり、散る桜は、次なるステージへと旅立つ「葬儀」を連想させます。かつて、「花は咲き やがて散りぬる 人もまた 婚と葬にて咲いて散りぬる」という道歌を詠んだことがあります。もう1つは、弥生が藤代に対して語った「愛を終わらせない方法は、手に入れないこと」という言葉です。これは恋愛の本質をとらえた名言だと思いました。


それから、映画のエンドロールで流れた主題歌が良かったです。藤井風の「満ちてゆく」という歌です。藤井は、「人生で初めてラブソングというものを書いてみようと意気込んでいました。しかし出来上がったものはこれまでずっと表現していたものの延長線上にありました」コメントしています。音楽評論家の萩原梓氏は、「RealSound」の記事に「これまでの藤井の楽曲を彷彿とさせるような、ピアノとボーカルが美しく絡み合った一曲です。クラシックやジャズの素養に裏打ちされたピアノのタッチは、心に染み渡るようなディープな響きがあり、丁寧かつソウルフルなボーカルは、一音ごとに繊細な変化を見せ、全体的に聴き手の耳をやさしく撫でるような心地よさがある」「歌う内容も深い。特に印象的なのは、サビの締めの〈手を放す、軽くなる、満ちてゆく〉というフレーズだ。曲を通して何度も繰り返されるこの一文は、心が“満ちる”までのある種の行程が順を追って描かれている。“満ち足りない時代を満たす歌”とでも表現すればいいだろうか”」と書き、絶賛しています。わたしも、聴く者の心を優しくする素晴らしいバラードだと感じました。そして、映画世界の中心で、愛をさけぶ」の主題歌だった平井堅瞳をとじてを思い出しました。グリーフケア・ソングの名曲ですね。


2024年3月23日  一条真也

世界水の日

一条真也です。
3月22日は、「世界水の日(World Water Day)」です。淡水の保全と持続可能な淡水資源管理の促進への人々の意識を啓発し、各国の行動につなげるため、1992年12月の国連総会で制定されました。

ユニセフ公式HPより

 

「世界水の日」の制定以降、世界中で毎年3月22日やその前後に、さまざまな催しやキャンペーンなどが行われています。制定の背景には、地球上のすべての経済活動や社会活動は、質の良い淡水とその供給に大きく依存しているにもかかわらず、人口と経済活動の増加により、多くの国が急速に水不足に陥ったり、経済成長に行き詰まったりしている現状への危機感がありました。



今日の「世界水の日」は、2015年9月に採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」の目標6―2030年までに誰もが安全に管理された「水と衛生」を手に入れる―の達成に向けてアクションを取るための日でもあります。しかし、最新のデータによると、世界人口の半数の家には安全に管理された衛生設備がなく、4分の1が安全な飲料水を利用できず、3分の1近くは水とせっけんを備えた手洗い場が自宅にありません。これらは、SDGS目標達成にはほど遠い現状を示しています。



2024年1月1日に震度7地震が発生した能登半島珠洲市をはじめ水道が復旧しておらず、断水状態が続いています。能登半島地震では、珠洲市の下水管被害(1月末時点)が総延長の約94%となり、被災自治体の中で突出していることが分かりました。104.3キロのうち97.9キロが被害を受けたとみられ、下水管とつながるマンホールが道路から突き出た光景があちこちで見られました。市は飲料水確保へ上水道の復旧を急ぎますが、生活排水を流す下水の復旧にはさらに時間がかかる見通しです。


世界をつくった八大聖人』(PHP新書)

拙著世界をつくった八大聖人(PHP新書)では、ブッダソクラテス孔子老子聖徳太子モーセ、イエスムハンマドの8人の「人類の教師」たちのメッセージを集約して、「人類十七条」としてまとめてみました。その第一条は「水を大切にする」です。同書の執筆を通じて、わたしが心から痛感したことでした。人類の理想が「平和」と「平等」なら、人類の存続に関わる最重要問題はつまるところ「戦争」と「環境破壊」に集約されます。そして、その2つは「水を大切にする」という1つの考え方によって、基本的には避けられると考えます。


この世界も生命も、すべて水から生まれました。
戦争を引き起こす心も、環境を破壊する心も、結局は水を大切にしない心に通じます。「世界平和」と「地球環境」の問題は別々の問題ではなく、実は完全につながっているのです。いま、地球上には広島に落とされた原子爆弾の40万個に相当する核兵器が存在するという。また、地球温暖化をはじめとした環境問題は深刻化する一方です。しかし、2つの問題の解決への糸口とは「水を大切にする」という1つ答えではないでしょうか。

コンパッション!』(オリーブの木

 

「人類十七条」の第二条は「思いやりを大切にすること」です。「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。わたしは、まとめて「コンパッション」と呼んでいます。かつて「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないでしょうか。ブログ『星の王子さま』で紹介した世界的名作で、サン=テグジュペリは「水は心にもよい」と書いています。それも、コンパッションのことを指しているように思います。

 

 

興味深いことに、思いやりの心とは、実際に水と関係が深いのです。『大漢和辞典』で有名な漢学者の諸橋徹次は、ブログ『孔子・老子・釈迦三聖会談』で紹介した本で、孔子老子ブッダの思想を比較しました。そこで、孔子の「仁」、老子の「慈」、そしてブッダの「慈悲」という三人の最主要道徳は、いずれも草木に関する文字であるという興味深い指摘がなされています。すなわち、ブッダ老子の「慈」とは草木の滋(し)げることですし、一方、孔子の「仁」には草木の種子の意味があるというのです。そして、三人の着目した根源がいずれも草木を通じて天地化育の姿にあったのではないかと推測しています。儒教の書でありながら道教の香りもする易経には、「天地の大徳を生と謂う」の一句があります。物を育む、それが天地の心だというわけです。

 

 

考えてみると、日本語には、やたらと「め」と発音する言葉が多いことに気づきます。愛することを「めずる」といい、物をほどこして人を喜ばせることを「めぐむ」といい、そうして、そういうことがうまくいったときは「めでたい」といい、そのようなことが生じるたびに「めずらしい」と言って喜ぶ。これらはすべて、芽を育てる、育てるようにすることからの言葉ではないかと諸橋徹次は推測しています。そして、「つめていえば、東洋では、育っていく草木の観察から道を体得したのではありますまいか」と述べています。東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。


人が生きていく上で、一番大切なものは「水」です。そして、水の次に大切なものが「葬儀」だと思います。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったそうです。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。水がなければ、人は生きられません。そして、葬式がなければ、人は旅立てないのです。水を運ぶものは水桶であり、遺体を運ぶものは棺桶です。この人間にとって最も大切なものを示した映画があります。日本映画史上に燦然と輝く名作である新藤兼人監督の「裸の島」(1960年)です。


「裸の島」(1960年)のタイトルバック


耕して天に至る(「裸の島」より)


水桶を運ぶ夫婦(「裸の島」より)


乾いた土に水を与える(「裸の島」より)

 

「裸の島」は、瀬戸内海に浮かぶ小さな孤島に住む4人家族の物語です。島の住人は夫婦と2人の息子たちのみです。島には水がないので、畑を耕すためにも、毎日船で大きな島へ水を汲みに行かなければなりません。子どもたちは隣島の学校に通っているので、彼らを船で送り迎えするのも夫婦の仕事です。会話もなく、変化のない日常が続いていましたが、ある日、長男が高熱を出し、島には病院がないので亡くなってしまいます。夫婦は亡き息子の亡骸を棺に入れて墓地まで運びます。

わが子の棺を運ぶ夫婦(「裸の島」より)


粗末な葬式(「裸の島」より)

 

そう、「裸の島」夫婦が一緒に運んだものは水と息子の亡骸の入った棺でした。二人は、ともに水桶と棺桶を運んだのです。その2つの「桶」こそ、人間にとって最も必要なものを容れる器だったのです。水がなければ、人は生きられません。そして、葬儀がなければ、人は旅立てないのではないでしょうか。悲嘆にくれる母は、息子を失った後、大切な水を畑にぶちまけて号泣します。葬儀をあげなかったら、母親の精神は非常に危険な状態になったでしょう。喉が渇けば、人は水を必要とし、愛する人を亡くして心が渇けば、人は葬儀を必要とするのです。

葬式は必要!』(双葉新書

 

2024年3月22日 一条真也

コロナからココロへ



一条真也です。
これまで多くの言葉を世に送り出してきましたが、この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「コロナからココロへ」です。

心ゆたかな社会』(現代書林)

 

この言葉は、2020年6月に発売された心ゆたかな社会(現代書林)の帯のキャッチコピーとして使われました。100冊目の一条本である同書の帯には、「新型コロナが終息した社会は、人と人が温もりを感じる世界。ホスピタリティ、マインドフルネス、セレモニー、グリーフケア・・・・・・次なる社会のキーワードは、すべて『心ゆたかな社会』へとつながっている。ポスト・パンデミック社会の処方箋――ハートフル・ソサエティの正体がわかった!」とも書かれています。


西日本新聞」2020年4月21日朝刊

 

そう、『心ゆたかな社会』発刊された2020年6月当時はまさにコロナ禍の真っ只中でした。新型コロナウイルスの感染拡大はパンデミック(世界的大流行)に発展しました。日本においても、全国に「緊急事態宣言」が発令され、2020年7月開催予定の東京オリンピックパラリンピック も1年延期が決定しました。言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典です。悲しいことですが、古今東西、人類の歴史は戦争の連続でした。有史以来、世界で戦争がなかった年はわずか十数年との説もあります。



戦争の根本原因は人間の憎悪であり、それに加えて、さまざまな形の欲望や他者に対する恐怖心への対抗などが悲劇を招いてきました。しかし、それでも世界中の人々が平和を希求し、さまざまな手法で模索し続けてきたのもまた事実です。国際連盟国際連合の設立などとともに人類が苦労して生み出した最大の平和装置こそが、近代オリンピックであることは間違いないでしょう。



現在のわたしたちは、深く考えることなく「WHO」や「IOC」などの国際機関の名前を口にしますが、これらは想像を絶する苦労の末に生まれたグローバルな合意の表れなのです。その意味では、国連もWHOもIOCも、すべて人類の叡智の果実なのです。「グローバリズム」とは、地球を1つの共同体と見なす思想ですが、この「正のシンボル」がオリンピックだとしたら、パンデミックは「負のシンボル」だということを知る必要があります。



「何事も陽にとらえる」
これは父から受け継いだわたしの信条ですが、当時のパンデミックを陽にとらえ、前向きに考えるとどうなるか。それは、何と言っても、世界中の人々が国家や民族や宗教の枠を超えて、「宇宙船地球号」の乗組員だと自覚したことに尽きるのではないでしょうか。新型コロナウイルスに人類が翻弄される現状が、わたしには新しい世界が生まれる陣痛のような気がしてなりませんでした。



考えてみれば、新型コロナウイルスパンデミックほど、人類が一体感を得たことがあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国があり、自然災害なら被災国と支援国があります。しかし、コロナ禍は「一蓮托生」です。その意味で、「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じかもしれないと思いました。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にする存在なのです。残念ながら、ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ戦争など、コロナ禍後も世界で戦争は起こっており、現在も続いています。わたしの考えは甘いのかもしれませんが、それでも「パンデミックで人類がワンチームの意識を持った」ことは紛れもない事実であり、この意識を拡大して実体化することを諦めてはなりません。

f:id:shins2m:20200719122320j:plainヤフー・ニュースより  

 

コロナ禍の中、2020年7月19日に「産経新聞」から「コロナ『自粛』で祈り、供養の機会『増えた』 日本香堂調査『大切な故人、心の拠りどころに』」というネット記事が配信されました。記事には、「新型コロナウイルスの感染拡大防止で続いた自粛期間中、親族など身近な故人への祈り、願いごとをする人が増えていることが『日本香堂」の調査で明らかになった。同社は『「社会的距離」を埋め合わすかのように、「心の距離」が緊密化しているのではないか』とみている』と書かれています。調査は自粛による意識や行動の変化を問うもので、6月23、24日に実施。全国の成人男女1036人に回答を得たそうですが、「3密」や「ステイホーム」などに関する質問への回答の他、「供養に関しても、「自分の帰省や、帰省する親族の受け入れを自粛した」(66%)、「法事、法要、葬儀への参列やお墓参りを控えた」(58・1%)と、新型コロナによる影響が鮮明となりました。

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ヤフー・ニュースより 

 

しかし、ここからが重要で、「コロナ前」と比べて、祈り、供養の習慣に変化があったかについては、「前と変わらない」が7割強を占めましたが、24・3%が「ゆかりの深い故人への祈りや願いなど心の中で語りかける機会が増えた」と回答しました。約15%が仏壇、位牌、遺影に手を合わせたり、花や線香を供えたりする機会が「増えた」とし、いずれも「減った」を大きく上回ったといいます。最後に、記事は「祈りや供養の機会が増えたと答えた人の約8割は『今後も維持・継続したい』としており、コロナ禍で先祖との『絆』を求める指向が高まっていることも明らかになった。日本香堂は『未曽有の経験に揺れ動いた心の拠りどころとして、大切な故人に見守られているような、安らぎのひとときという実感を強めているのではないか』と分析している」と結んでいます。


唯葬論』(サンガ文庫)

 

 拙著唯葬論(サンガ文庫)で、わたしは「なぜ人間は死者を想うのか」という問いを立て、人間に「礼欲」という本能がある可能性を指摘しました。人間を「社会的動物」と呼んだのはアリストテレスで、「儀式的存在」と呼んだのはウィトゲンシュタインですが、儀式とは人類の行為の中で最古のもの。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていました。わたしは、祈りや供養や儀式を行うことは人類の本能だと考えます。この本能がなければ、人類は膨大なストレスを抱えて「こころ」を壊し、自死の連鎖によって、とうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。


隣人の時代』(三五館)

 

また、冠婚葬祭とは「祈り」や「供養」の場であるとともに、「集い」や「交流」の場でもあります。人間には集って他人とコミュニケーションしたい欲求があり、これも礼欲の表れであると言えます。冠婚葬祭などに参加しずらいコロナ禍の現状下で、人々は多大なストレスを感じていることを確認できました。拙著隣人の時代(三五館)では、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』に続いて発表した『人間の由来』において、互いに助け合うという「相互扶助」が人間の本能であると主張しました。「社会的存在」である人間は常に「隣人」を必要とします。そして、キリスト教も、進化論も、ともに人類の「隣人性」を肯定しているのです。冠婚葬祭は「死者への想い」と「隣人性」によって支えられていますが、それらは「礼欲」の両輪と言えます。ちなみに、コロナが落ち着いてきた現在、冠婚葬祭業界はjかつてない活況を呈しています。

心ゆたかな読書』(現代書林)

 

他にも、コロナ禍には思わぬ効果がありました。ステーホームを余儀なくされた人々が自宅で本を読む習慣を身につけたのです。キャリアや就職・転職全般に関する研究や各種調査を行う機関「Job総研」を運営するライボは、451人の社会人男女を対象に「2021年 秋の読書実態調査」を実施しました。同調査では読書の頻度や時間およびよく読むジャンルを含め、コロナ禍で増えた自宅時間と読書の関連性などについても調査を行いました。その結果、80.7%が習慣的に読書をしていると回答し、年代別に見ても回答者の全世代それぞれで7割以上が習慣的に読書をしていることがわかりました。拙著心ゆたかな読書(現代書林)に書いたように、読書は「こころの王国」への入口であり、コロナ禍中の読書で多くの人々が心ゆたかになったと思われます。

心ゆたかな映画』(現代書林)

 

さらに、ステイホームは自宅での映画鑑賞を盛んにしました。コロナ禍の間、映画館は観客数を大幅に減らしましたが、NETFLIX、U-NEXT、アマゾンプライムといったサブスクリプションサービスの加入者が増大し、自宅で配信映画を楽しむ習慣を持ちました。日本生産性本部の「レジャー白書」の速報データによると、2022年の余暇時間の過ごし方としては、動画鑑賞(レンタル・配信を含む)が 38.4%、映画(テレビ以外)が 30.7% となっていました。コロナ禍中のサブスク・ブームは、1980年にレンタルビデオ店が流行した頃を思わせるほどの人々の生活の中に映画が入り込んだことを想わせました。拙著心ゆたかな映画(現代書林)にも書いたように、映画鑑賞は読書とともに教養を支えるための両輪であり、観る者の心をゆたかにします。また、日本映画産業統計データによると、コロナ禍で落ち込んでいた映画館入場者数も回復しています。コロナが落ち着いてきた2023年末から2024年初頭は、話題作の公開もあって各地の映画館が盛況となっています。

 

2024年3月22日  一条真也