死生観とウェルビーイング

一条真也です。
14日、金沢から小倉に戻り、リーガロイヤル小倉で開かれた第一交通産業の創業者である故黒土始様の「お別れの会」に参加しました。すると、父から連絡がありました。今日の「朝日新聞」夕刊に京都大学名誉教授の鎌田東二先生のインタビュー記事が掲載されているとの情報でした。

朝日新聞」2023年6月14日(夕刊)

 

記事は「朝日新聞」の「こころのはなし」欄で、「家族・友人と命語り 最後はお任せ」の大見出し、「突然の病、死と向き合うには」の見出しがついています。リード文には、「最近、記者(42)の周りでは病気で手術を受ける人が増えた。30、40代のがんも多く、ひとごととは思えない。突然、死を意識せざるを得ない病が降りかかったとき、どう向き合ったらいいのだろう。心の痛みを対話などで癒やすスピリチュアルケアの専門家で、宗教学者鎌田東二(とうじ)・京都大名誉教授(72)は自身もステージ4のがんが見つかり、治療を続けている。京都の自宅を訪ねた」と書かれています。

鎌田東二先生と

 

鎌田先生から最初にステージ4のがんの報告を受けたとき、わたしはショックを受けました。しかし、ブログ「鎌田東二先生、小倉へ」ブログ「鎌田東二先生との対談」ブログ「鎌田東二先生との対談2日目」で紹介したように、先生と小倉で再会したとき、そのお元気な様子に驚きました。その後も、日本全国を飛び回る精力的な活動を知り、勇気を与えられています。先生は、宗教や死生観を50年近く研究し、普段から死を意識してこられたそうです。そんな先生と、対談本古事記儀礼神道と日本人』(仮題、現代書林)を今秋に上梓する予定です。

鎌田先生との対談のようす

 

記事の中で、鎌田先生は「生きていれば必ず逆境が訪れます。逆境は暗く長いトンネルです。しかし、トンネルは必ず抜けられます。抜けたら、大きな光が与えられ、その人の人間性に強い力が加わります。ただ、信仰心のある人のほうが逆境に強いことは間違いありません」と述べておられます。「どうしてですか?」という記者の質問に対して、先生は「信仰は心の平安に作用するからです。天国に行って神のもとで暮らす、極楽で先祖に会える、何でもいいんです。ただ、本当に天国に行けるのか、極楽があるのか迷います。目まぐるしく心が揺れ動きながらも、信仰があれば、自分を内観できるだけの余裕を持てます。心にやさしい風が吹き、穏やかに自分の心の状態を見つめられます」と答えています。「無宗教の人も多くいます」という質問に対しては、「そういう人たちも自分の生き方に信念を持つことがありますね。自分の死生観を含めた生き方を尊重するには、相手の考え方も尊重しなければなりません。多様な死生観や信仰が交わることで、より生きやすい社会になります」と答えます。まったく同感です!

鎌田先生との対談のようす

 

また、死を前にした人の苦しみに対する回答は思い浮かばないとしながらも、鎌田先生は「病で死と直面した人に、他人がどんな言葉をかけても、なぐさめになりません。それほど絶望は深いんです。その状況で生きるかてを得るには、人と人の関係性しかないと思います。家族や友人の支えです」と述べておられます。記者が「家族や友人も不安を抱えています」と言えば、「だからこそ、普段から家族や友人と『人生会議』を持つことです。『死生観カフェ』でもいいですね。死をどう捉えたらいいか、死に向かうときにどう過ごしていくか、死生観を語り合うことです。そういう人間関係をいかに築いておくか。恥ずかしがらず、堂々と死を語り合いましょう」と述べます。わたしは、これを読んだとき感動して泣けてきました。

鎌田先生との共著の数々

 

さらに、鎌田先生は「若者には古典を読んでほしいと思います。古事記日本書紀プラトンソクラテス論語、仏典、何だって構いません。この世には解決できないこと、答えの出ないことが存在していることを教えてくれます。深く考え、問い続けることで死生観の形成につながります」と述べます。これまた、100%共感いたします。「死の恐怖は克服できますか」という記者の質問に対しては、「病が進行し、体が機能しなくなっても、心のなかで起こることは最後まで生き続けます。その一つが、自分のなかに深く刺さった愛する人の言葉であり、自分の核として残っている言葉です。そういう言葉によって、自分の命を納得させられます」と述べます。

グリーフケアの時代』(弘文堂)

 

そして、死を受け入れることは、「お任せすること」でもあるという鎌田先生は、「私たちは、あらゆることを対象化し、分類します。あの人はだれ、これは何と認識することも分類です。ただ、命は分類できません。丸ごと、そのままの流れにお任せするしかない。何にお任せするか。神でも仏でも自然でも大いなる何かでもいい。重要なのは、苦しみにあっても、心を開いていく道があると考えられることです。それは命を手放すこと、と言えます。命をまっとうできることに感謝し、最後には手放していく。私も第2幕があるかわかりませんが、ありがとうと言って旅立っていきたいと思います」と述べるのでした。鎌田先生とわたしは上智大学グリーフケア研究所で御一緒しました。そのとき、『グリーフケアの時代』(弘文堂)という共著を上梓しましたが、今回の記事の最後に紹介されています。

近刊『ウェルビーイング?』(オリーブの木

 

グリーフケアには「死別の悲嘆を軽くする」ことと「自身の死の不安を乗り越える」ことの二大機能があるとされています。今回の鎌田先生のインタビュー記事は、まさに「自身の死の不安を乗り越える」ための最高の叡智です。記事の中にある『古事記』も『論語』も仏典も、ソクラテスプラトンも「人類の叡智」ですが、鎌田先生の死生観も叡智であると思います。「人生会議」や「死生観カフェ」も素晴らしいアイデアで、ぜひ、わが社のような互助会が取り組むべきプロジェクトだと思いました。何よりも、最後の「ありがとうといって旅立っていきたい」という言葉が心に強く残りました。そして、わたしは、そこに「ウェルビーイング」の真髄を感じました。奇しくも、鎌田先生に御寄稿いただいた拙著『ウェルビーイング?』(オリーブの木)が、この日の夕方ついにアマゾンにUPされました。同書は6月20日発売です。


悲嘆とケアの神話論鎌田東二著(春秋社)

 

鎌田先生とわたしは、「魂の義兄弟」の契りを交わした仲ですが、今回の記事を読んで、魂の義兄への尊敬の念がさらに深まりました。現在わたしたちは15年近くも「ムーンサルトレター」という文通を満月ごとに交わしていますが、死ぬまで、そして死んだ後も続けたいと本気で思っています。最後に、 ブログ『悲嘆とケアの神話論』で紹介した鎌田先生の最新刊には先生の「遺言」ともいうべき魂のメッセージが込められています。多死社会の闇に光を射す「岩戸開き」の書であり、グリーフケアの時代の幕開けを告げる「産霊」の書です。ぜひ、ご一読下さい!

 

2023年6月14日  一条真也