コロナからココロへ



一条真也です。
これまで多くの言葉を世に送り出してきましたが、この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「コロナからココロへ」です。

心ゆたかな社会』(現代書林)

 

この言葉は、2020年6月に発売された心ゆたかな社会(現代書林)の帯のキャッチコピーとして使われました。100冊目の一条本である同書の帯には、「新型コロナが終息した社会は、人と人が温もりを感じる世界。ホスピタリティ、マインドフルネス、セレモニー、グリーフケア・・・・・・次なる社会のキーワードは、すべて『心ゆたかな社会』へとつながっている。ポスト・パンデミック社会の処方箋――ハートフル・ソサエティの正体がわかった!」とも書かれています。


西日本新聞」2020年4月21日朝刊

 

そう、『心ゆたかな社会』発刊された2020年6月当時はまさにコロナ禍の真っ只中でした。新型コロナウイルスの感染拡大はパンデミック(世界的大流行)に発展しました。日本においても、全国に「緊急事態宣言」が発令され、2020年7月開催予定の東京オリンピックパラリンピック も1年延期が決定しました。言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典です。悲しいことですが、古今東西、人類の歴史は戦争の連続でした。有史以来、世界で戦争がなかった年はわずか十数年との説もあります。



戦争の根本原因は人間の憎悪であり、それに加えて、さまざまな形の欲望や他者に対する恐怖心への対抗などが悲劇を招いてきました。しかし、それでも世界中の人々が平和を希求し、さまざまな手法で模索し続けてきたのもまた事実です。国際連盟国際連合の設立などとともに人類が苦労して生み出した最大の平和装置こそが、近代オリンピックであることは間違いないでしょう。



現在のわたしたちは、深く考えることなく「WHO」や「IOC」などの国際機関の名前を口にしますが、これらは想像を絶する苦労の末に生まれたグローバルな合意の表れなのです。その意味では、国連もWHOもIOCも、すべて人類の叡智の果実なのです。「グローバリズム」とは、地球を1つの共同体と見なす思想ですが、この「正のシンボル」がオリンピックだとしたら、パンデミックは「負のシンボル」だということを知る必要があります。



「何事も陽にとらえる」
これは父から受け継いだわたしの信条ですが、当時のパンデミックを陽にとらえ、前向きに考えるとどうなるか。それは、何と言っても、世界中の人々が国家や民族や宗教の枠を超えて、「宇宙船地球号」の乗組員だと自覚したことに尽きるのではないでしょうか。新型コロナウイルスに人類が翻弄される現状が、わたしには新しい世界が生まれる陣痛のような気がしてなりませんでした。



考えてみれば、新型コロナウイルスパンデミックほど、人類が一体感を得たことがあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国があり、自然災害なら被災国と支援国があります。しかし、コロナ禍は「一蓮托生」です。その意味で、「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じかもしれないと思いました。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にする存在なのです。残念ながら、ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ戦争など、コロナ禍後も世界で戦争は起こっており、現在も続いています。わたしの考えは甘いのかもしれませんが、それでも「パンデミックで人類がワンチームの意識を持った」ことは紛れもない事実であり、この意識を拡大して実体化することを諦めてはなりません。

f:id:shins2m:20200719122320j:plainヤフー・ニュースより  

 

コロナ禍の中、2020年7月19日に「産経新聞」から「コロナ『自粛』で祈り、供養の機会『増えた』 日本香堂調査『大切な故人、心の拠りどころに』」というネット記事が配信されました。記事には、「新型コロナウイルスの感染拡大防止で続いた自粛期間中、親族など身近な故人への祈り、願いごとをする人が増えていることが『日本香堂」の調査で明らかになった。同社は『「社会的距離」を埋め合わすかのように、「心の距離」が緊密化しているのではないか』とみている』と書かれています。調査は自粛による意識や行動の変化を問うもので、6月23、24日に実施。全国の成人男女1036人に回答を得たそうですが、「3密」や「ステイホーム」などに関する質問への回答の他、「供養に関しても、「自分の帰省や、帰省する親族の受け入れを自粛した」(66%)、「法事、法要、葬儀への参列やお墓参りを控えた」(58・1%)と、新型コロナによる影響が鮮明となりました。

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ヤフー・ニュースより 

 

しかし、ここからが重要で、「コロナ前」と比べて、祈り、供養の習慣に変化があったかについては、「前と変わらない」が7割強を占めましたが、24・3%が「ゆかりの深い故人への祈りや願いなど心の中で語りかける機会が増えた」と回答しました。約15%が仏壇、位牌、遺影に手を合わせたり、花や線香を供えたりする機会が「増えた」とし、いずれも「減った」を大きく上回ったといいます。最後に、記事は「祈りや供養の機会が増えたと答えた人の約8割は『今後も維持・継続したい』としており、コロナ禍で先祖との『絆』を求める指向が高まっていることも明らかになった。日本香堂は『未曽有の経験に揺れ動いた心の拠りどころとして、大切な故人に見守られているような、安らぎのひとときという実感を強めているのではないか』と分析している」と結んでいます。


唯葬論』(サンガ文庫)

 

 拙著唯葬論(サンガ文庫)で、わたしは「なぜ人間は死者を想うのか」という問いを立て、人間に「礼欲」という本能がある可能性を指摘しました。人間を「社会的動物」と呼んだのはアリストテレスで、「儀式的存在」と呼んだのはウィトゲンシュタインですが、儀式とは人類の行為の中で最古のもの。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていました。わたしは、祈りや供養や儀式を行うことは人類の本能だと考えます。この本能がなければ、人類は膨大なストレスを抱えて「こころ」を壊し、自死の連鎖によって、とうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。


隣人の時代』(三五館)

 

また、冠婚葬祭とは「祈り」や「供養」の場であるとともに、「集い」や「交流」の場でもあります。人間には集って他人とコミュニケーションしたい欲求があり、これも礼欲の表れであると言えます。冠婚葬祭などに参加しずらいコロナ禍の現状下で、人々は多大なストレスを感じていることを確認できました。拙著隣人の時代(三五館)では、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』に続いて発表した『人間の由来』において、互いに助け合うという「相互扶助」が人間の本能であると主張しました。「社会的存在」である人間は常に「隣人」を必要とします。そして、キリスト教も、進化論も、ともに人類の「隣人性」を肯定しているのです。冠婚葬祭は「死者への想い」と「隣人性」によって支えられていますが、それらは「礼欲」の両輪と言えます。ちなみに、コロナが落ち着いてきた現在、冠婚葬祭業界はjかつてない活況を呈しています。

心ゆたかな読書』(現代書林)

 

他にも、コロナ禍には思わぬ効果がありました。ステーホームを余儀なくされた人々が自宅で本を読む習慣を身につけたのです。キャリアや就職・転職全般に関する研究や各種調査を行う機関「Job総研」を運営するライボは、451人の社会人男女を対象に「2021年 秋の読書実態調査」を実施しました。同調査では読書の頻度や時間およびよく読むジャンルを含め、コロナ禍で増えた自宅時間と読書の関連性などについても調査を行いました。その結果、80.7%が習慣的に読書をしていると回答し、年代別に見ても回答者の全世代それぞれで7割以上が習慣的に読書をしていることがわかりました。拙著心ゆたかな読書(現代書林)に書いたように、読書は「こころの王国」への入口であり、コロナ禍中の読書で多くの人々が心ゆたかになったと思われます。

心ゆたかな映画』(現代書林)

 

さらに、ステイホームは自宅での映画鑑賞を盛んにしました。コロナ禍の間、映画館は観客数を大幅に減らしましたが、NETFLIX、U-NEXT、アマゾンプライムといったサブスクリプションサービスの加入者が増大し、自宅で配信映画を楽しむ習慣を持ちました。日本生産性本部の「レジャー白書」の速報データによると、2022年の余暇時間の過ごし方としては、動画鑑賞(レンタル・配信を含む)が 38.4%、映画(テレビ以外)が 30.7% となっていました。コロナ禍中のサブスク・ブームは、1980年にレンタルビデオ店が流行した頃を思わせるほどの人々の生活の中に映画が入り込んだことを想わせました。拙著心ゆたかな映画(現代書林)にも書いたように、映画鑑賞は読書とともに教養を支えるための両輪であり、観る者の心をゆたかにします。また、日本映画産業統計データによると、コロナ禍で落ち込んでいた映画館入場者数も回復しています。コロナが落ち着いてきた2023年末から2024年初頭は、話題作の公開もあって各地の映画館が盛況となっています。

 

2024年3月22日  一条真也