「流浪の月」

一条真也です。
沖縄復帰50年となる15日の日曜日、シネプレックス小倉で日本映画「流浪の月」を観ました。ネットでの評価が高い作品ですが、人間の悲嘆を正面から見つめた傑作でした。死別の悲嘆からの回復を描いたグリーフケア映画というよりも、生きることそのものの悲嘆から魂を救うようなスピリチュアルケア映画でした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『2020年本屋大賞』で大賞を受賞した凪良ゆうの小説を原作にしたドラマ。10歳の少女を自分の部屋に入れたために誘拐罪で逮捕された男が、15年後に成長した彼女と再会する。メガホンを取るのは『ブルーハーツが聴こえる』などの李相日。『一度死んでみた』などの広瀬すず、『空白』などの松坂桃李らが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「雨の公園で、10歳の少女・家内更紗がびしょ濡れになっているのを目にした19歳の大学生・佐伯文。更紗に傘を差し出した文は、引き取られている伯母の家に帰りたくないという彼女の気持ちを知り、自分の部屋に入れる。そのまま更紗は文のもとで2か月を過ごし、そのことで文は誘拐犯として逮捕されてしまう。被害女児、加害者というらく印を押された更紗と文は、15年後に思わぬ再会を果たす」です。

 

 

原作小説はベストセラーになりましたが、アマゾンには「2020年本屋大賞受賞作」として、「愛ではない。けれどそばにいたい新しい人間関係への旅立ちを描いた、息をのむ傑作小説」「あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説」と書かれています。


「流浪の月 エピソード0」のダイジェスト版をYouTubeで観ることができます。この完全版はU-NEXTで独占無料配信中ですが、W主演を務めた広瀬すず松坂桃李の対談を中心に、共演した横浜流星多部未華子、監督・李相日のインタビューを交え、彼らがどのように作品に向きあい、作り上げていったのかをドキュメンタリータッチで紹介。恋人同士を演じた広瀬すず横浜流星の初対面の瞬間や、松坂桃李多部未華子の2人きりのカフェでのオフショットなど、彼らの素顔が垣間見える貴重な映像も紹介しています。


映画「流浪の月」は、観ていて辛くなるような、ひたすら悲しい物語でした。両親と別れた後、叔母の家に引き取られ、そこの中学生の息子から性的虐待を受けていた10歳の少女・更紗。彼女の成長した姿を演じた広瀬すずの演技が素晴らしかったです。彼女が李相日監督の映画に出演するのは、 ブログ「怒り」で紹介した2016年の作品以来です。現場に「怒」という血文字が残った未解決殺人事件から1年後の千葉、東京、沖縄を舞台に3つのストーリーが紡がれる群像劇で、広瀬すずは、米兵にレイプされる沖縄の少女を体当たりで演じました。


その「怒り」に続いて広瀬すずが出演した「流浪の月」には、彼女の濡れ場が登場します。最初は「李相日は、彼女を脱がせたいのか?」とも思いましたが、どうも恋人と抱き合う彼女に悦びは感じられませんでした。素の彼女は明るい性格のようですが、「流浪の月」ではひたすら暗かったです。彼女の恋人役を演じたのは横浜流星。いつもはカッコ良い彼ですが、この映画ではこれ以上ないほどカッコ悪い役でした。ブログ「嘘喰い」で紹介した主演映画などより、この「流浪の月」の方がずっと難しい演技を求められたと思います。役者として一皮剥けたのではないでしょうか。撮影後に広瀬すずがテレビで横浜流星の姿を見ただけでも涙が出てきたというくらい、最低のゲス野郎っぷりが素晴らしかった!


広瀬すずとW主演だった松坂桃李もひたすら暗かったです。引きこもりでロリコンというキャラ設定もあり、本当に「これぞ陰キャ」といった感じでした。ブログ「空白」で紹介した2021年の映画では、万引きした女子中学生を追ううちに車に衝突して死なせてしまったスーパーの店主の役でした。「空白」でも「ロリコン野郎」などと誹謗中傷されていましたので、今回の「流浪の月」の佐伯文に重なります。しかし、「空白」で彼が演じた男性は実際はロリコンではありませんでしたが、「流浪の月」の文は本当にロリコンでした。といっても、少女に性的なことをするわけではなく、女性に対して性的行為をすること自体が苦手なので、大人の女性よりも少女の方が落ち着くという理由からですが。


大人の女性と恋愛ができない、さらに言えば、大人の女とセックスできないがゆえに、少女に安らぎを求める文。そんな彼を世間は「ロリコン」と呼んで蔑みます。しかし、よく考えてみれば、「LGBTQ」といって同性愛などは社会的に認められつつあるのに、少女愛だけがいつまでも「悪」のままというのはどうなのでしょうか。同性愛も少女愛も、子どもを産むという生産性につながらないので歴史において「悪」と見られてきたように思います。しかし、LGBTQに理解は示しても、世間はロリコンの男性のことを「気持ち悪い」と思い、「犯罪者」と決めつけて、迫害します。映画の中で文が泣きながら湖に浮かぶシーンがあるのですが、その姿はこの世のすべての悲しみを一身に背負った死せるオフィーリアのようでした。


ロリコンは正確には「ロリータ・コンプレックス」といいます。ロシア生まれのアメリカ合衆国の作家、ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』(1955年)から生まれた言葉です。少女性愛者ハンバート・ハンバート(1910年生まれ)と、彼が心惹かれた少女ドロレス・ヘイズ(1935年生まれ)との関係を描いた長編で、全体はハンバートの手記の形を取っています。ヒロインの愛称である「ロリータ」は、今日でも「魅惑的な少女」の代名詞として使われており、ロリータ・コンプレックスロリータ・ファッションなど、多くの派生語を生んでいいます。また、世界的なベストセラーになった同書は、1962年にスタンリー・キューブリック監督が、1997年にエイドリアン・ライン監督が、それぞれ映画化しています。


最後に、「流浪の月」には、夜空に月が浮かぶシーンが何度も出てきました。その月は満月ではなく、常に欠けていたのが印象的です。人間の深層心理において、月はよりプリミティブなものと結びつけられています。明らかに、月は人類文明の初期に、その地ならしを完了させているからです。そのため、わたしたちは表層では明晰なる太陽の原理に従っていながらも、その深層では依然として月の支配を受けています。詩、夢、魔法、愛、瞑想、狂気、そして誕生と死。そのすべての神秘性を、月は常に映し続けています。月の古語「ツク」からは「尽く」という言葉も派生しました。「尽く」とは「果て」「極限に達する」という意味です。そして、「底を尽く」というように、その果てにすべては無になります。月に映し出される神秘や謎や不思議とは、われわれの魂の働きを底の底まで尽くした果ての真実にほかなりません。その意味で、「流浪の月」はまさに月の映画でした。月といえば、16日は満月です。「ムーンサルトレター」を書かなければ!


2022年5月16日 一条真也

沖縄復帰50年に思う

一条真也です。
5月15日になりました。
沖縄が日本に復帰して50年を迎えました。


本日の朝刊各紙の一面


本日開催された「沖縄復帰50周年記念式典」では、天皇陛下がオンライン参加され、「 先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり、戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は、日米両国の友好と信頼に基づき、50年前の今日、本土への復帰を果たしました。 大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます。 本土復帰の日、中学1年生であった私は、両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています。そして、復帰から15年を経た昭和62年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても、沖縄は発展を遂げ、県民生活も向上したと伺います。沖縄県民を始めとする、多くの人々の長年にわたるたゆみない努力に深く敬意を表します。 一方で、沖縄には、今なお様々な課題が残されています。今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。 美しい海を始めとする自然に恵まれ、豊かな歴史、伝統、文化を育んできた沖縄は、多くの魅力を有しています。沖縄の一層の発展と人々の幸せを祈り、式典に寄せる言葉といたします」と述べられました。



岸田総理大臣は、沖縄の本土復帰50周年式典出席などのために14日から2日間の日程で沖縄県を訪問。初日の14日は糸満市国立沖縄戦没者墓苑に献花しました。その他、復元中の首里城などを視察し、会見に応じました。同じ14日、「基地のない沖縄」を目指す平和行進が行われました。平和行進は2021年、2020年は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、今年は日程を半日に短縮し、事前登録した人だけで開催され、全国各地からおよそ1000人が参加しました。復帰50年を迎えても、今なお基地問題の深刻さはそのままです。



わたしは、ブログ「シン・ウルトラマン」で紹介した空想特撮映画を観たばかりですが、同作に登場するザラブ星人メフィラス星人、そしてゼットンの物語を書いたのは、名脚本家として知られる金城哲夫です。1938年に沖縄県島尻郡南風原町に生まれた彼は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など第1期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた1人です。彼が手掛けた物語には、壮絶な戦争体験をはじめ沖縄人の想いが溢れていますが。戦後の沖縄を考える上で最重要人物の1人です。


沖縄には今でも米軍基地が存在しますが、ウルトラマン自体が米軍のような存在であったと考えられています。そもそも、ウルトラマンはなぜ、自分の星でもない地球のために戦ってくれたのか? その謎を突き詰めると、どうしても地球=日本、ウルトラマンアメリカという構図が見えてきます。もっとも地球にも科学特捜隊すなわち科特隊(映画では禍特対)が存在しますが、これはまさに自衛隊のような組織であると言えるでしょう。『ウルトラマンの伝言』倉山満著(PHP新書)には、「最終回の脚本はメインライターの金城哲夫である。最初の脚本では、ゾフィーゼットンを倒す予定だったが、地球人の自主防衛の話にした。『ウルトラマン』の最終話が放映されたのは1967年4月7日。折しも小笠原諸島の日本復帰に向けての交渉がなされているときであり、当時の日本政府は沖縄返還も持ち掛けていた」と書かれています。


映画「シン・ウルトラマン」では、禍特対の協力もあったにせよ、ウルトラマンの自己犠牲的な特攻によって最強の敵ゼットンを倒します。しかし、金城哲夫はドラマ「ウルトラマン」の最終回で、ウルトラマンに自己犠牲を強いずに地球人が自主防衛する物語を描いていました。同書には、「金城の、『自分たちが弱いからこんな目に遭うのではないか』との思いが、『ウルトラマン』の終わり方に現れた。『ウルトラマン』が始まる前、岸信介内閣が1960年に締結した日米安全保障条約は、事実として日本の自主防衛を前提にしていた。高い視聴率に乗じて、『ウルトラマン』にそうした政治的メッセージを入れていたのではないかとの見方をする人もいる」とも書かれています。



ウルトラマン」放映時の日本の首相は、岸信介の弟の佐藤栄作でした。彼はニクソン核武装を仄めかしながら、「非核三原則」で答えた人です。ベトナム戦争で苦しむアメリカをあざ笑った格好ですが、佐藤政権は「永遠に日本は敗戦国のままでいる」「二度と自分の力で自分の国を守る国にはならない」と宣言した政権でした。ちなみに、「ウルトラマン」の後継番組は「ウルトラセブン」でした。俗説では、ウルトラセブンとは「アメリカ第七艦隊」の意味だと言われました。本当はウルトラ警備隊の「七番目の隊員」という意味ですが、脚本家の市川森一が「ウルトラセブンは第七艦隊」と広めてしまったようです。のちに、市川はNHKのテレビ番組「私が愛したウルトラセブン」のシナリオを書きましたが、劇中で金城哲夫に「ウルトラセブンは第七艦隊に見える」と言わせています。

 

映画「シン・ウルトラマン」の主題歌は、米津玄師の「M八七」です。このタイトルに違和感をおぼえた人は多いはず。なぜなら、ウルトラマンといえば、M78星雲にある「光の国」から地球に来た宇宙人という設定だからです。しかし、実際に存在するのは「M87」という天体で、おとめ座を指すようです。じつは、TVドラマ「ウルトラマン」では、当初はウルトラマンの故郷は「M87星雲」という設定ではあったものの、台本の誤植により「M78星雲」と表記されてしまい、現在までそのままになっているという経緯があるようです。その意味では、米津は初期設定に戻したことになりますが、じつは、沖縄の人々の間で「M78」は「南の那覇」の意味だという説があるとか。確かに、「光の国」のモデルが陽光降り注ぐ那覇だというのはイメージに合います。そこには、沖縄の人々の平和への祈りも込めれていたのかもしれません。そうなると単なる誤植ではなく、金城哲夫による暗号だった可能性もあるわけで、米津も勝手に改変してはいけませんね。


西日本新聞」2019年7月2日朝刊

 

第二次世界大戦を通して、沖縄の人々は日本で最も激しい地上戦を戦い抜きました。激戦であった沖縄戦において、日米両国、無数の人々が敵味方として殺し合い、そして集団自決するという悲しい事実もあったことを忘れてはなりません。森山良子の名曲「さとうきび畑」の中では「ざわわ、ざわわ」という風の音が66回も繰り返されますが、まさに慰霊と鎮魂の歌です。石垣島をはじめ、沖縄の人々は亡くなると海のかなたの理想郷である「ニライカナイ」へ旅立つという信仰があります。2019年の6月、 石垣紫雲閣の竣工式で主催者あいさつをしたわたしは、最後に「さとうきび ざわわざわわと風に揺れ 青い空には紫の雲」という短歌を披露しました。

毎日新聞」2015年5月1日朝刊

 

わが社は沖縄県でも多くのセレモニーホールを運営し、日々、多くの方々の葬送儀礼のお世話をさせていただいています。わたしは、「セレモニーホール」とは「基地」の反対としての究極の平和施設ではないかと思っています。なぜなら、「死は最大の平等」であり、亡くなった方々は平和な魂の世界へと旅立たれるからです。セレモニーホールとは平和な世界への駅であり港であり空港なのです。


紫の雲ぞ来たれり豊見城 守礼之邦の礼を守らん

 

沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。日本でも最高の「礼」を実現していると思います。今年は、終戦70周年の年。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされました。わたしたちは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っています。戦後70年となる2015年4月4日に行われた豊崎紫雲閣の竣工式の最後に、わたしは「紫の雲ぞ来たれり豊見城 守礼之邦の礼を守らん」という歌を心をこめて詠みました。


沖縄は「守礼之邦」と呼ばれます。もともとは琉球宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったようですが、わたしは「礼」を「人間尊重」という意味でとらえています。沖縄の方々は、高齢者を大切にし、先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。その上、隣人も大切にします。それだけではありません。沖縄には、「いちゃりばちょーでい」という言葉がありますが、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのです。まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり!


沖縄をテーマにした歌には「さとうきび畑」の他にも、THE BOOMの「島唄」やBEGIN「三線の花」など名曲がたくさんあります。でも、わたしが一番好きな沖縄ソングはサザンオールスターズの「神の島遥か国」です。2005年7月、両A面シングル「BOHBO No.5/神の島遥か国」としてリリースされました。サザンにとっては51枚目のシングルです。2005年春、桑田圭祐が石垣島へ旅行に行ったときに着想を得てこの曲を作ったそうです。楽園のような南国の島で身をゆだねる恋人同士の愛を主軸に、沖縄の離島の開放感が歌詞から溢れています。TOYOTA「MORE THAN BEST」のCM曲として使われ、CMには桑田圭祐本人が出演しました。

わたしもカラオケでよく歌いました♪

 

神の島遥か国」は、「チャッ、チャッ、チャッ、チャッチャッ」というニューオリンズサウドのイントロから始まり、Bメロからは沖縄民謡風のリズムです。曲に使われている三線と指笛は、BEGINのギター&コーラス担当・島袋優さんが演奏しています。曲の最後にはニューオリンズサウンドと沖縄民謡が見事に融合。コロナ前にはわたしもカラオケでよく歌いました♪ この歌の歌詞には「カリユシ」「ハスノハギリ」「オリオンビール」「ポークランチョンミート」「マンゴー」「星の砂」「泡盛」「古酒(くーすー)」「島唄」「三線」「ミンサー織り」「マンタ」など、沖縄のシンボルワードが満載でたまりません!

カチャーシーを踊りたくなります♪

 

この歌を聴くだけで、泡盛を飲んでいるような気分になって、カチャーシーが躍りたくなります。そのカチャーシーは、先祖や隣人と共に踊る魂のダンスです。「守礼之邦」は大いなる「有縁社会」です。すべての日本人が幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。今こそ、沖縄の「本土復帰」ではなく、日本の「沖縄復帰」を!


沖縄の「本土復帰」から日本の「沖縄復帰」へ!

 

2022年5月15日 一条真也

サプライズ!

一条真也です。金沢に来ています。
14日、ブログ「大額紫雲閣竣工式」で紹介したように、わが社の新施設の竣工式が行われました。直会は行わず、紫雲閣の経営会議を開いた後、昼食会を行いました。


いただきます!


美味しいお弁当でした


味付けが上品です


昼食会のようす

みんなでお弁当をいただきましたが、わが社の料亭部門である「八寿栄」の特製三段重で、とても美味しかったです。加賀料理らしい薄味の繊細な料理の数々に舌鼓を打ちました。すべて食べ終えてお腹いぱいになった頃、青木部長が「もうお腹いっぱいかもしれませんが、よろしければ・・・」と言いました。わたしが、「えっ、もしかして・・・」と言った瞬間、サプライズのバースデーケーキが運ばれてきました。


サプライズでバースデーケーキが!


これはビックリ!

 

バースデーケーキが前の前に置かれると、東専務が「4日遅れですが、社長、お誕生日おめでとうございます!」と言いました。すると、その場にいた全員から「おめでとうございます!」の声が発せられました。わたしはもう驚いて、胸がいっぱいになりました。

「ハッピー・バースデー」を歌ってくれました♪


マスクを外して火を吹き消しました

 

感動で固まったままのわたしに向かって、そこにいた全員がマスクをしたまま「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」を歌ってくれました♪ 絶対にそんなことをしそうにない東専務や石田執行役員まで手を叩きながら歌っている光景があまりにもシュールだったので、わたしは「もしかすると、これは夢かもしれない」と思いました。その後、マスクを外して、ケーキに立てられた「5」と「9」のロウソクの火を吹き消しました。


素晴らしいバースデーケーキでした


ケーキの美味しかったこと!(好々爺か!)

 

はっきり言って、紫雲閣のスタッフから誕生日を祝われたことなど初めてです。きっと、ブログ「冠婚責任者会議」で紹介した冠婚部門スタッフによるサプライズを見習ったに違いありません。でも、わたしは本当に嬉しさでいっぱいで、ケーキを運んできてくれた2人の女性が天女のように見えました。ケーキを一口食べると、その美味しかったこと! わたしは思い切り相好を崩して、まるで好々爺のような表情になりました。来年は、還暦を迎えます。

 

2022年5月14日 一条真也

大額紫雲閣竣工式

一条真也です。
14日の朝、金沢のホテルで目を覚ましました。
外は雨がしとしと降っています。昨日は電車に乗り過ぎて腰が痛いのですが、毎朝のルーティーンである腹筋&腕立て伏せだをやりました。するとまた腰が痛くなってきたので、ロキソニン湿布を貼りました。もう、トシですね。


今朝の金沢は雨でした


朝食で(ミニ)金沢カレーを食べました

 

ホテルの朝食会場に行くと、ものすごい人の数でした。今日は土曜日なので、観光客が多いのでしょう。これだけ多いと、また感染大爆発するのではないかと少々心配になります。しかも、朝食はバイキングなので、マスクに手袋をしっかりつけて料理をセレクトしました。すると、キャベツの線きり、トンカツ、カレーのコーナーを発見。これは金沢カレーが作れるではないですか! 朝から重いかなとも思いましたが、今日はわが社の新しい施設がオープンすることもあり、「負けてもカツ!」と縁起を担いで、ミニ金沢カレーを作って食べました。昨日のチェックイン時のサービスの悪さを忘れるぐらい、美味しかったです!

大額紫雲閣の外観


雨の大額紫雲閣の前で


モダンデザインの入口

大谷総支配人とともに

この日、ブログ「大額紫雲閣起工式」で紹介した施設が完成し、10時から竣工清祓神事が行われました。 大額紫雲閣の場所は、石川県金沢市大額1丁目421番地です。サンレーグループとしては、金沢市内で9番目、石川県内で16番目、全国で91番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。


ロビーのようす


ロビーには大量の胡蝶蘭が・・・


ブックレット・コーナー


控室のようす


高級ホテルをイメージしました


和室のようす


休憩室のようす

バスルームのようす

 

 大額紫雲閣」は、まるで高級ホテルのスイートルーム、あるいは高級マンションのリビングルームのような、ゆったりとした最新の控室を完備しています。大切な人との最後の時間を心安らかに過ごせるよう、経験豊富なスタッフが真心込めてお手伝いいたします。

さあ、儀式の場へ!

本日の神饌

本日の式次第

神事での一同礼


神事のようす

ソーシャルディスタンスに配慮

竣工神事の進行は、サンレー北陸の総務課の上本さんが担当。竣工神事は、地元を代表する神社である林郷八幡神社の加藤正俊宮司にお願いいたしました。開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。

玉串奉奠しました


柏手を打ちました


玉串奉奠する東専務


柏手を打つサンレー北陸メンバー


加藤宮司の祝辞を拝聴


神酒をいただきました

 

それから、玉串奉奠です。最初に サンレー社長であるわたしが玉串を奉奠。その後、設計を担当していただいた株式会社スイベルの岡本壮生社長、施工を担当していただいた(株)長坂組の長坂慎太郎社長、そしてサンレー北陸の東孝則専務が玉串奉奠し、社員が従いました。その後、撤饌、昇神之儀、神酒拝戴、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。

感謝状贈呈式のようす

感謝状贈呈式のようす

 

それから、感謝状贈呈式を行いました。設計を担当して下さった株式会社スイベルの岡本壮生社長、施工を担当して下さった株式会社長坂組の長坂慎太郎社長に心からの感謝の気持ちと金一封を添えて、感謝状を贈呈させていただきました。

マスク着用で主催者挨拶

 

次は、いよいよ主催者挨拶です。わたしは、マスクを着用したまま次のように挨拶しました。本日、このように立派な施設を建設できて、本当に嬉しく思います。関係者のみなさまに心より感謝いたします。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のケアを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています。


マスクを外して挨拶しました

 

それから、マスクを外したわたしは、「現在わが社には、90のセレモニーホール=コミュニティホールがありますが、新たにこの金沢市大額の地に大額紫雲閣が加わります。歴史的に石川県は信仰心が篤い人が多く、現在でも東本願寺の金沢別院をこころの拠り所にされている人々が多い地域でもあります。大額周辺の『金沢市南部丘陵歴史夢街道』に、四十万(しじま)という地名がありますが、この地名の由来は、百済からの距離が四十万里だったからという説があります。かつて、百済から阿弥陀如来像がこの地に迎えられたという伝承によるものだそうです。この土地の豊かな歴史と文化を感じます」

「大額」の地名について話しました

 

それから、わたしは以下のように述べました。
「大額の『額』はぬかずくこと、すなわち『礼拝』するという意味です。清少納言の『枕草子』には『あはれなるもの』として『うちおこなひたる 暁の額(ぬか)など いみじう あはれなり』という一文があります。『勤行をしている夜明け前の礼拝などは、たいそう しみじみとして 心打たれるものよ』という意味ですが、サンレー紫雲閣を展開する地名として「大額(おおぬか)」はまことに相応しいものと感じられます」


最後に道歌を披露しました

さらに、わたしは「コロナ禍の中にあっても、わが社の施設はオープンし続けました。この仕事は社会的必要性のある仕事なのです。わたしは、セレモニーホールというのは魂の港であると思っています。新しい魂の港から故人を素晴らしい世界へお送りさせていただきたいです。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています」と述べ、最後に以下の道歌を披露いたしました。

 

大いなる ぬかづきの地に 
  のぼりたる紫の雲
     いとあはれなり

 


大谷総支配人の決意を聴きました


力強い決意を受け取りました

 

その後、上級グリーフケア士である大額紫雲閣の大谷総支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛されるコミュニティホールをめざし、グリーフケアの実践に努めますという力強い決意を受け取りました。決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。この日、直会は行われませんでした。その代わりに、わが社の八寿栄謹製のお弁当が参加者にふるまわれました。わたしも持ち帰って食べましたが、とても美味しかったです。


集合写真を撮影しました


ようやく完成して感無量です!


祈りを込めて、スペシウム光線


ウルトラ兄弟たちも参戦!

 

その後、集合写真を撮影しました。コロナ禍で資材不足の中、ようやく新施設が完成して感無量です。ぜひ、この大額紫雲閣のオープンを機に、コロナ禍が終息し、無縁社会も乗り越えて有縁社会を再生したいものです。その祈りを込めて、ブログ「シン・ウルトラマン」で紹介した前日観た映画をヒントにして、スペシウム光線を発射しました。ウルトラ兄弟たちも参戦してくれました。(笑)

北國新聞」2022年5月14日朝刊

 

オープニング見学会は、 令和4年5月27日(金)~29日(日)の3日間を予定していますが、「3密」を避けるため万全の対策を行っています。なお、本日の「北國新聞」朝刊に竣工記念広告が掲載されました。サンレーグループのイメージキャラクターである前川清さんがサンレーマークを手にして、「皆様のまちに、紫雲閣誕生です!!」と微笑んでいます。

論語と冠婚葬祭』(現代書林)

 

今回のプレゼント本は、20日発売の最新刊『論語と冠婚葬祭』(現代書林)です。「儒教研究の第一人者と、礼の求道者による画期的な対談! 葬儀も結婚式も・・・冠婚葬祭の儀式の本質はすべて儒教である。日本人はその歴史的背景、文化的背景を誤解している。皇室儀礼も冠婚葬祭も、日本の儀式は儒教によって生まれた!」との説明文が付いています。同書を抽選で30名様に進呈します。ハガキでご応募下さい!

<応募方法>

郵便ハガキに①郵便番号②住所③氏名④電話番号をご記入の上、下記までお送りください。
〒920-0031金沢市広岡1-4-20サンレー「話題の本」進呈係
*2022年5月31日(火)消印有効

 

2022年5月14日 一条真也

「シン・ウルトラマン」

一条真也です。金沢に来ています。
13日の金曜日の夜、この日から公開されたばかりの日本映画「シン・ウルトラマン」をユナイテッド・シネマ金沢のレイトショーで観ました。まず、わたしは子どもの頃からウルトラマンが大好きで、ブログ「シン・ゴジラ」で紹介した名作のメガホンを取った庵野秀明監督の企画・脚本でもあり、かつ米津玄師が主題歌を歌ったこともあり、結構この映画には期待していたのですが、実際に鑑賞してみると「うーん?」といった感じでした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「1966年の放送開始以来親しまれている特撮ヒーロー『ウルトラマン』を、『シン・ゴジラ』などの庵野秀明が企画・脚本、樋口真嗣が監督を務め新たに映画化。謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ)」が現れ危機に直面した現代の日本を舞台に、未知の存在であるウルトラマンが出現した世界を描く。主人公を『麻雀放浪記2020』などの斎藤工、彼の相棒を『MOTHER マザー』などの長澤まさみ、禍威獣対策組織のメンバーを西島秀俊、有岡大貴、早見あかり田中哲司が演じるほか、山本耕史嶋田久作らが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「謎の巨大生物『禍威獣(カイジュウ)』が次々に現れ、その存在が日常となった日本。通常兵器が全く通用せず事態が長期化する中、政府は禍威獣対策の専従組織・通称『禍特対(カトクタイ)』を設立する。田村君男(西島秀俊)を班長に、さまざまな分野のスペシャリストから成るメンバーが任務に当たる中、銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため、禍特対には分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)と組む」です。


「シン・ウルトラマン」は新型コロナウイルスの感染拡大という不測の事態もあって、非常に製作期間が長かった作品です。脚本検討稿は2019年2月5日に脱稿し、同年8月1日にウルトラシリーズの新作映画として製作が公表され、主要スタッフおよびキャストが同時に公開されました。庵野監督は同時期に ブログ「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で紹介したアニメ映画の製作がありましたが、同作の完成後に「シン・ウルトラマン」をの製作に本格的に取り組む予定であると発表。撮影開始時期は未発表ですが、2019年秋のエキストラ撮影に向けて同年8月20日にエキストラ募集がかけられ、同年11月23日の「第2回熱海怪獣映画祭」において、すでに撮影が終了したことが発表されています。


ようやく完成し、公開された「シン・ウルトラマン」。観終わったわたしは、かつてのTVドラマ「ウルトラマン」のエピソードを詰め込み過ぎているのではないかという印象を受けました。戦後日本最大のヒーロー「ウルトラマン」は、1966年7月17日放送の第1話「ウルトラ作戦第一号」でブラウン管にその姿を現しました。銀色に輝く巨大宇宙人という前代未聞のアイディアにたどり着くまで、金城哲夫をはじめスタッフは文字通り産みの苦しみを味わいました。そして誕生したヒーローの物語は、驚くべき発展を遂げていくのでした。

わが家の「円谷プロ」DVDコーナー

 

わが家の映像ルームには、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」のDVDーBOXをはじめ、円谷プロの特撮ドラマのDVDがほとんど全作品揃っています。シリーズ大作である「ウルトラQ」も全作品が揃っています。「シン・ウルトラマン」のオープニングには、いきなり「ウルトラQ」の第1話に登場した怪獣ゴメスが出てきます。その後も、マンモスフラワーやぺギラやラルゲユウスといった「ウルトラQ」怪獣が次々に日本に出現して退治された後、銀色の巨人であるウルトラマンが地球に到着するという流れになっています。


いわゆる「ウルトラマン」怪獣で登場するのは、ネロンガガボラゼットンなど。宇宙人で登場するのがザラブ星人メフィラス星人などですが、このチョイスもちょっと「?」でしたね。宇宙人ならば、やはりウルトラマンの宿敵であるバルタン星人を出してほしかったし、怪獣ならば、ウルトラマン怪獣の代名詞ともいえるレッドキングを見たかったですね。でも、ザラブ星人メフィラス星人、そしてゼットンの物語を書いたのは、名脚本家として知られる金城哲夫です。1938年に沖縄県島尻郡南風原町に生まれた彼は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など第1期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた1人です。彼が手掛けた物語には、沖縄人の想いが溢れていますが。15日に本土復帰50周年を迎える沖縄の歴史に残る人物です。


沖縄には今でも米軍基地が存在しますが、ウルトラマン自体が米軍のような存在であったと考えられています。そもそも、ウルトラマンはなぜ、自分の星でもない地球のために戦ってくれたのか? その謎を突き詰めると、どうしても地球=日本、ウルトラマンアメリカという構図が見えてきます。もっとも地球にも科学特捜隊すなわち科特隊(映画では禍特対)が存在しますが、これはまさに自衛隊のような組織であると言えるでしょう。『ウルトラマンの伝言』倉山満著(PHP新書)には、「最終回の脚本はメインライターの金城哲夫である。最初の脚本では、ゾフィーゼットンを倒す予定だったが、地球人の自主防衛の話にした。『ウルトラマン』の最終話が放映されたのは1967年4月7日。折しも小笠原諸島の日本復帰に向けての交渉がなされているときであり、当時の日本政府は沖縄返還も持ち掛けていた」と書かれています。


映画「シン・ウルトラマン」では、禍特対の協力もあったにせよ、ウルトラマンの自己犠牲的な特攻によって最強の敵ゼットンを倒します。しかし、金城哲夫はドラマ「ウルトラマン」の最終回で、ウルトラマンに自己犠牲を強いずに地球人が自主防衛する物語を描いていました。同書には、「金城の、『自分たちが弱いからこんな目に遭うのではないか』との思いが、『ウルトラマン』の終わり方に現れた。『ウルトラマン』が始まる前、岸信介内閣が1960年に締結した日米安全保障条約は、事実として日本の自主防衛を前提にしていた。高い視聴率に乗じて、『ウルトラマン』にそうした政治的メッセージを入れていたのではないかとの見方をする人もいる」とも書かれています。


ウルトラマン」放映時の日本の首相は、岸信介の弟の佐藤栄作でした。彼はニクソン核武装を仄めかしながら、「非核三原則」で答えた人です。ベトナム戦争で苦しむアメリカをあざ笑った格好ですが、佐藤政権は「永遠に日本は敗戦国のままでいる」「二度と自分の力で自分の国を守る国にはならない」と宣言した政権でした。ちなみに、「ウルトラマン」の後継番組は「ウルトラセブン」でした。俗説では、ウルトラセブンとは「アメリカ第七艦隊」の意味だと言われました。本当はウルトラ警備隊の「七番目の隊員」という意味ですが、脚本家の市川森一が「ウルトラセブンは第七艦隊」と広めてしまったようです。のちに、市川はNHKのテレビ番組「私が愛したウルトラセブン」のシナリオを書きましたが、劇中で金城哲夫に「ウルトラセブンは第七艦隊に見える」と言わせています。


映画「シン・ウルトラマン」の主題歌は、米津玄師の「M八七」です。このタイトルに違和感をおぼえた人は多いはず。なぜなら、ウルトラマンといえば、M78星雲にある「光の国」から地球に来た宇宙人という設定だからです。しかし、実際に存在するのは「M87」という天体で、おとめ座を指すようです。じつは、TVドラマ「ウルトラマン」では、当初はウルトラマンの故郷は「M87星雲」という設定ではあったものの、台本の誤植により「M78星雲」と表記されてしまい、現在までそのままになっているという経緯があるようです。その意味では、米津は初期設定に戻したことになりますが、じつは、沖縄の人々の間で「M78」は「南の那覇」の意味だという説があるとか。確かに、「光の国」のモデルが陽光降り注ぐ那覇だというのはイメージに合います。そこには、沖縄の人々の平和への祈りも込めれていたのかもしれません。そうなると単なる誤植ではなく、金城哲夫による暗号だった可能性もあるわけで、米津も勝手に改変してはいけませんね。


改変といえば、わたしが子どもの頃に夢中になって観た特撮番組「ウルトラマン」のリメイクでありながら、「シン・ウルトラマン」には重大な相違点があります。カラータイマーがないことです。これまでウルトラマンの胸にはカラータイマーがあり、3分間のリミットが近づくと点滅する設定になってきましたが、「シン・ウルトラマン」では登場しません。それは、初代ウルトラマンのデザインを手がけた故・成田亨のコンセプトを再現するためでした。ウルトラマンの当初のデザイン案には、カラータイマーは存在しませんでした。成田は著書『特撮と怪獣 わが造形美術 増補改訂版』(リットーミュージック)で、ウルトラマンは「宇宙人らしく、もう肌なのか服なのかわからんようにしてしまう」という発想だったと述べています。


しかし、地球上では3分しかエネルギーがもたないウルトラマンの特撮シーンを3分で終わらせなければならない演出上の事情もあって、「ウルトラマン」の企画と脚本を手がけた金城哲夫から、ウルトラマンの「エネルギー切れ」を象徴するものとして、胸にピコピコと点滅する装置をつけて欲しいという依頼があったそうです。ウルトラマンの危機を視覚的に分かりやすく表現する手法を導入したかったのですね。「ピコピコするのはロボットであり、宇宙人が危なくなったらピコピコするのはおかしい」と成田は反対しましたが、最終的には折れました。不本意ながらカラータイマーをつけることになったのでした。ちなみに、ウルトラマンのデザイン・コンセプトは、仏像とギリシャ彫刻のアウフヘーベンだそうです。すなわち、それぞれの要素を取り入れて発展させたのがウルトラマンなのです。


2019年12月14日、円谷プロダクションによるラインナップ発表会「TSUBURAYA CONVENTION 2019」のオープニングセレモニーに主人公役を演じる斎藤工が登壇し、シン・ウルトラマンのデザインやタイトルロゴが発表されました。その壇上にて斎藤は父がかつて「ウルトラマンタロウ」の現場(東北新社)で爆破担当として働いていたことを明かした上で「まさか自分がウルトラマンを演じるとは思っていなかったが、話を頂いてだから自分が演じるのかという気持ちになった」と語りました。その斎藤の演技はすごく良かったと思います。彼のバディ役を演じた長澤まさみも良かったですが、巨大化したり、赤面する身体検査を受けたり、何日も風呂に入っていない体を斎藤工からクンクン嗅がれたり、なんだか過剰な存在感(笑)を示していましたね。彼女のファンにはたまらなかったのではないでしょうか。映画完成披露のレッドカーペットイベントでも目立っていました。

満月交感 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)

 

最後に、わたしは自分のことを「シン・ウルトラマン」だと考えていたことを告白します。わたしは、満月の夜ごとに「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生とWeb上の往復書簡「シンとトニーのムーンサルトレター」を交わしていますが、その第1信から第30信までを収録した『満月交感 ムーンサルトレター(上)』(水曜社)が2011年1月27日に刊行されました。その「あとがき」で、鎌田先生(トニーさん)は、「 一条真也氏は一種の『超人』あるいは『ウルトラマン』である。冠婚葬祭業の大手会社の社長を務めながら、業界の広報委員長の役目を強い使命感を持って果たし、『葬式は、要らない』という論客に対して『葬式は必要!』と果敢に打って出る。経営者の傍ら50冊以上の書物を出版する作家であり、大学の客員教授としても教壇に立つ。並みの人間にできることではない。『ウルトラマン』と言いたくなるのも理解してくださるだろう」と書いて下さいました。

満月交感 ムーンサルトレター(上)』「あとがき」

 

わたしは、この文章を読んで、もう恐縮の至りなどという次元を通り越して、穴が入ったら入りたい心境でした。その旨を鎌田先生にも申し上げたところ、「いいじゃないですか」と笑っておられました。普通は「超人」というと「スーパーマン」が出てくるところですが、なぜ「ウルトラマン」なのか。これには2つの理由があるそうです。1つには、スーパーマンは等身大ですが、ウルトラマンは巨大だから。もう1つは、スーパーマンアメリカ生まれですが、ウルトラマンは日本が生んだヒーローだからだそうです。いやはや、本当に申し訳ないような気持ちでいっぱいです。そして、鎌田先生がこの「あとがき」を書かれてから10年後に「シン・ウルトラマン」(!)というタイトルの映画が作られると知ったとき、わたしは「おいおい、俺のことか?(笑)」と思いました。まさに、シン(!)クロニシティではないですか!(笑)


購入したシン・ウルトラマンのフィギュア(右)の箱

 

その鎌田先生は「シン・ゴジラ」を絶賛されており、ゴジラを駆除すべき怪獣ではなく人類と共生する巨大生物として描くべきであると訴えていました。ならば、怪獣を「禍威獣」などと表現し、忌避する対象とすることに猛反対されるでしょうね。きっと。わたしはといえば、アマゾンで購入した「シン・ウルトラマン」のフィギュアを「ウルトラマン」フィギュアと一緒に書斎に並べてニヤニヤ眺めているのでした。仏像のイメージが入っているだけあって、まるで弥勒菩薩のような表情をしたウルトラマンの顔を見ていると心が落ち着きます。


フィギュアの箱の裏

 

2022年5月14日 一条真也

山口から金沢へ

一条真也です。
12日、ブログ「全互連移動理事会in山口」で紹介した業界の会議に参加し、ブログ「全互連懇親会in湯田温泉」で紹介した宴席で業界の仲間たちと語り合いました。


今朝の湯田温泉は雨でした


朝食をいただきました

13日、宿泊していた「湯田温泉ユウベルホテル松政」で目覚めましたが、外は雨でした。この日は全国的に雨のようですね。ひと風呂浴びたわたしは、朝食会場へと向かいました。「温泉旅館の朝食というのは、どうしてこんなに旨いのか?」と思いながら、モリモリ食べました。その後、ホテルをチェックアウトし、送迎バスでJR新山口駅へと向かいました。

ホテルをチェックアウトしました


送迎バスでJR新山口駅


JR新山口駅に到着


種田山頭火銅像

 

新山口駅には、サンレーグリーフケア推進課の市原課長が待っていました。彼は、日本に10名しかいない上級グリーフケア士です。わたしは、これから山口市から金沢市に向かいます。14日に行われる 大額紫雲閣の竣工式に参加するためですが、市原課長も同行することになったのです。あと、今は詳しくは言えませんが、わが社が北陸を代表する宗教施設の運営に関わる可能性が出てきたため、その打ち合わせにも参加します。


新山口駅のホームで


ホームの待合室でパソコン


さくら546号が入ってきました


さくら546号の車内で


車内では読書しました

 

新山口駅からは、11時18分の新幹線さくら546号に乗りました。車内では、コーヒーを飲みながら読書をしました。この日は、『プーチン習近平 独裁者のサイバー戦争』山田敏弘著(文春新書)を読みました。「第三次世界大戦はすでに始まっている」として、アメリカの覇権をくつがえそうとするロシアと中国の情報戦略に焦点を当てた本です。サイバー技術とスパイを使った戦いが何をもたらすのかについて書かれ、非常に興味深かったです。プーチンといえば、2016年12月15日、安倍晋三元首相のお膝元である山口県で日露首脳会談が行われ、参加したプーチン大統領長門湯元温泉の老舗旅館「大谷山荘」に泊まって、獺祭に舌鼓を打ったことがありましたね。一体、あれは何だったのでしょうか? そういえば、昨夜の懇親会で獺祭をいただきましたが、美味しかったです!


ランチは、クラブサンド&ベーグル

 

同書を読み終えた頃、ランチタイムとなりました。本当は新山口駅で駅弁を買いたかったのですが、なんとコンビニ弁当しか売っていませんでした。これでは駅弁文化が崩壊しますね。その代りに高級そうなベーカリーがあったので、辛味チキンとチーズのクラブハウスサンド&エビとアボガドのモッツァレラベーグルを購入。ホットコーヒーと共に食してランチとしました。クラブサンドはパンが堅かったですが、ベーグルの方は美味しかったです。

新大阪駅に到着


さくら546号をバックに


広い新大阪駅を移動

サンダーバードに乗り換え

サンダーバードの車内で

車内では読書しました

 

新幹線さくら546号は13時28分にJR新大阪駅に到着しました。わたしたちは特急サンダーバード25号に乗り換えました。車内ではアイスコーヒーを飲みながら、またもや読書しました。『プーチン習近平 独裁者のサイバー戦争』はもう読了したので、新たに『増補版 陰謀論はどこまで真実か』ASIOS著(文芸社)を読みました。明治天皇すり替え説・田中上奏文日航機撃墜説・9・11自作自演説・地球温暖化否定説・3・11人工地震説・ダイアナ妃謀殺説などが「どこまで本当か」を調査し、考察しています。さらには、集団ストーカー・ケムトレイル・朝鮮風水破壊説・ブラジル勝ち組・M資金・ロッキード事件謀略説・「アポロが持ち帰った月の石は地球の石」・月面にエイリアン居住説・ロズウェル事件とエリア51・ノーベル賞人種差別説・ホロコースト捏造説・フリーメイソンイルミナティユダヤによる世界支配説などを検証した刺激的な内容の本です。


JR金沢駅に到着しました


JR金沢駅の前で


観光客が多かったです

 

夢中になって読書していたら、16時29分にJR金沢駅に到着しました。ものすごく人が多かったです。金曜日なので観光客が多いのでしょうが、これでは感染再拡大が心配です。駅にはサンレー北陸の東専務と大谷総支配人が迎えに来てくれました。駅に隣接した定宿にチェックインしましたが、忙しいせいか非常にサービスが悪かったので、ここはもう利用したくなくなりました。その後は、明日の大額紫雲閣竣工式について打ち合わせし、夕食を取る予定です。夜は、この日から公開される話題の空想特撮映画「シン・ウルトラマン」を金沢市内のシネコンのレイトショーで鑑賞したいと思います。楽しみです!



2022年5月13日 一条真也

『スタート!』

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第168回分が掲載されています。今回は、『スタート!』中山七里著(光文社文庫)を取り上げました。

サンデー新聞」2022年5月14日号

 

本書は、読書家として知られるゼンリンプリンテックスの大迫益男会長から教えていただいた本です。これまでの例に漏れず非常に面白く、一気読みしました。著者は、1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。作品が映画化されたものに、『さよならドビュッシー』、『ドクター・デスの遺産‐BLACK FILE‐』、『護られなかった者たちへ』があります。

 

本書は、伝説的映画監督の大森が撮る新作「災厄の季節」の映画製作にまつわるミステリーです。若き助監督・宮藤映一も現場に臨みますが、軽薄なプロデューサーや批判を繰り返す外部団体など周囲には難敵ばかりです。軋轢に抗いながらの映画作りが進む中、スタジオで予期せぬ事故が発生。暗雲立ち込める状況で、スタッフとキャストは完成をめざして奮闘するのでした。本書には、いま話題になっている芸能界の「枕営業」とか、映画製作者による「キャスティングを餌にした女優への性加害」などのテーマも込められており、興味深く読みました。2012年に出版されたというから驚きです。

 

『スタート!』を読むと、ストーリー以外の部分でも映画についての蘊蓄が多く、勉強になります。たとえば、脚本について、「脚本は建物に喩えれば設計図だ。施工にどれだけアクセントをつけても出来上がる完成品は設計図から外観が変更することはなく、同様にどれだけ演出に心を砕いても脚本の世界観から大きく逸脱することもない、映画の出来は脚本七割といわれる所以だ」と書かれています。一方、キャスティングは映画の出来の二割を決めるそうです。なるほど。

 

監督の助監督の違いについても、「監督の仕事とは詰まるところ決定の連続だ。キャスティングに始まり、脚本、ロケ地、演技、カット、編集――その諸々について決定を下して1本の作品を完成させていく。だからこそ、その1つ1つの決定に責任がついて回る。一方その補佐役である助監督も激務ではあるが、責任がない。何がしかの失敗があったとしても監督の段階で是正されることがほとんどだからだ」と書かれています。

 

血なまぐさい殺人事件も起こりますが、この小説のラストシーンは、映画への愛情と信頼に満ちた感動的なものでした。これまで、本当にチョイ役ながら2本の映画に出演し、現在は製作準備中のグリーフケア映画の原案者として映画作りに関わっているわたしですが、本作を読んで、より一層、映画が好きになりました。何よりも本書の「映画愛」が強く訴えられているところに感銘を受けました。

 



2022年5月13日 一条真也