「シン・ゴジラ」

一条真也です。東京に来ています。
ブログ「弘文堂訪問」で紹介したように、29日の午後から神田駿河台にある出版社・弘文堂を訪れました。その後は日本橋に移動し、日本を代表する某大手企業の役員の方と面談。その夜はコレド日本橋の「TOHOシネマズ日本橋」で、この日から公開された日本映画「シン・ゴジラ」を観ました。
TCX(TOHO CINEMAS EXTRA LARGE SCREEN)は迫力満点で、子どもの頃に観た東宝スコープがなつかしかったです。


ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『エヴァンゲリオン』シリーズなどの庵野秀明と『進撃の巨人』シリーズなどの樋口真嗣が総監督と監督を務め、日本発のゴジラとしては初めてフルCGで作られた特撮。現代日本に出現したゴジラが、戦車などからの攻撃をものともせずに暴れる姿を活写する。内閣官房副長官役の長谷川博己内閣総理大臣補佐官役の竹野内豊アメリカの大統領特使役の石原さとみほか300名を超えるキャストが豪華集結。不気味に赤く発光するゴジラのビジュアルや、自衛隊の全面協力を得て撮影された迫力あるバトルに期待」



また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
東京湾アクアトンネルが崩落する事故が発生。首相官邸での緊急会議で内閣官房副長官矢口蘭堂長谷川博己)が、海中に潜む謎の生物が事故を起こした可能性を指摘する。その後、海上に巨大不明生物が出現。さらには鎌倉に上陸し、街を破壊しながら突進していく。政府の緊急対策本部は自衛隊に対し防衛出動命令を下し、“ゴジラ”と名付けられた巨大不明生物に立ち向かうが・・・・・・」


シン・ゴジラ」は大変インパクトのある映画でした。
まず、ゴジラの動きが能や狂言のようでした。それもそのはず、ゴジラ役は狂言師野村萬斎が演じたそうです。人の動きをモーションキャプチャーでフルCGゴジラに反映しているとか。そのため、怪獣の動きにこれまでに見たことのないような様式美が表現されていました。
まさに、まったく新しいゴジラ映画としての「新(シン)ゴジラ」でした。


巨大ゴジラ現る!



それから、その動きの美しいゴジラが強過ぎる。
自衛隊の攻撃にもまったくダメージを受けない強靭さは、まさに「完全なる生物」であり、神の化身としての「神(シン)ゴジラ」でした。そのゴジラをとにかく駆除しようとする人間側の理論にも違和感を覚えました。
ブログ「ファインディング・ドリー」でも紹介した『慈経 自由訳』(三五館)には、ブッダによる「慈しみ」の心が述べられています。
ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。「どうして、ゴジラと人間は共生できないのか」と思いましたが、まあそんなことを考えても仕方ないかもしれません。

ゴジラvs自衛隊



それにしても、現代日本に実際に未知の巨大生物が出現したら、どういった事態が現実に起きるのかということが超リアルに描かれていました。その意味で、この映画は「真(シン)ゴジラ」でありました。「これでもか」というほど、政権とか自民党とか官庁などを揶揄していますが、ちょっと「やりすぎ」といった感じで、鼻につきました。でも、怪獣映画でありながら政治映画にもしてしまった制作側の執念には脱帽です。この作品は一種の「怪作」と呼べるのではないでしょうか。それと、どうしても東京に直下型地震が起こったときのパニックぶりを連想してしまいましたね。



ネットのレビューなどを見ると、「エヴァ的なゴジラ映画」とか「エヴァのファンにはたまらない」などと絶賛されているようですね。でも、わたしは「エヴァンゲリオン」については、まったく知りません。観たこともありません。「ガンダム」すら知りません。怪獣は好きですが、ロボットにはあまり興味がないのです。「マジンガーZ」なら知っていますけど。(笑)



もともと、わたしは怪獣映画が大好きです。来月刊行予定の拙著『死を乗り越える映画』(現代書林)にも書きましたが、SF映画で最初に観たのは怪獣映画でした。わたしが4歳か5歳ぐらいのときに、父が小倉の映画館で上映されていた大映の「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」に連れて行ってくれたのです。その後、同作品で監督を務められた湯浅憲明氏が父が経営するサンレー東京の社員になられたときは驚きました。当時、六本木にあった事務所で大映ガメラ・シリーズのビデオ上映会を湯浅監督の解説付きで行った思い出があります。「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」の洗礼を受けて、怪獣映画好きになったわたしは、少年時代に多くの怪獣映画を観ました。大映が倒産して大好きなガメラ映画を観ることはできなくなりましたが、「東宝チャンピオンまつり」のゴジラ映画をほとんど観ました。  


大学生になってから、ビデオで「キングコング」(1933年)や「ゴジラ」(1954年)を観て、その幻想的な魅力に取りつかれました。この二作は観客の無意識に働きかける強い影響力を持った作品で、「キングコング」が上映された年に、作中に登場する首長竜が突如としてスコットランドネス湖で目撃されました。今ではネッシーは「キングコング」から生まれた幻影であるという説は有名です。「ゴジラ」も、日本人の心に多大なインパクトを与えました。わが書斎には、ゴジラの大型フィギュアが置いてありますが、1954年に製作された映画「ゴジラ」は怪獣映画の最高傑作などというより、世界の怪奇映画史に残る最も陰鬱で怖い映画だったと思います。それは、その後に作られた一連の「ゴジラ」シリーズや無数の怪獣映画などとは比較にもならない、人間の深層心理に訴える名作でした。

ゴジラを倒す方法は?

内閣官房副長官役の長谷川博己



ある心理学者によれば、原初の人類を一番悩ませていたのは、飢えでも戦争でもなく、「悪夢」だったそうです。「ゴジラ」の暗い画面と黒く巨大な怪獣は、まさに「悪夢」を造型化したものだったのです。
 東日本大震災での福島第一原発事故の発端となったのは、同発電所の一号機の水素爆発でした。この「水素爆発」という言葉を聞いた瞬間に連想したのも、やはりゴジラでした。なにしろ、映画「ゴジラ」のサブタイトルは「水爆大怪獣映画」だったのです。


総理大臣補佐官を演じた竹之内豊

日本の将来を憂う男たち



この映画が作られた1954年(昭和29年)という年は、日本のマグロ漁船である第五福竜丸が、ビキニ環礁アメリカの水爆実験の犠牲になった年です。当時の日本人には、広島、長崎で原爆を浴びたという生々しい記憶がしっかりと刻まれていました。ゴジラは、人間の水爆実験によって、放射能を自己強化のエキスとして巨大化した太古の恐竜という設定です。世界最初で唯一の被爆国である日本では、多くの観客が放射能怪獣という存在に異様なリアリティをおぼえ、震え上がりました。


米国大統領特使を演じた石原さとみ

未來の日米を担うふたり



そして、ゴジラの正体とは、東京の破壊者です。アメリカを代表する怪獣であるキングコングがニューヨークの破壊者なら、ゴジラは東京を蹂躙する破壊者なのです。映画「ゴジラ」では、東京が炎に包まれ、自衛隊のサーチライトが虚しく照らされます。その光を浴びて、小山のような怪獣のシルエットが、ゆっくりとビル群の向こうに姿を現わします。それはもう「怪獣」などというより、『旧約聖書』に出てくる破壊的な神そのものです。
海からやって来たゴジラは銀座をはじめとする東京の繁華街をのし歩き、次々に堅牢なビルが灰燼に帰してゆくのです。その後には、不気味なほどの静けさが漂っています。


わが東宝特撮DVDコレクション

シン・ゴジラ」の映画パンフレット


でも、「ゴジラ」の怖さは、東京を破壊する怖さではありません。その怖さは、「核」そのものメタファーであるゴジラが東京に近づいてくるという怖さなのです。怪談でいえば、幽霊が登場してからよりも、登場するまでの心理的なストレスこそが怖いのです。そして、「シン・ゴジラ」のゴジラは、原子力発電所のメタファーでもありました。ゴジラが動くたびに東京が放射能汚染されていくのです。まさに移動するメルトダウン


メルトダウン原発が首都をのし歩く!(映画パンフレットより)



やはり、3・11後のゴジラはハンパなく怖いです。
あまり書き過ぎるとネタバレになってしまいますが、地震津波原発事故という「東日本大震災」の三大想定外をすべて体現した、途方もないゴジラでした。そのスクリーンに映る雄姿を呆然として観ながら、次第にゴジラの顔が舛添要一都知事に見えてきました。だって、いま最も東京を破壊したい人といえば、やはり元都知事ではないでしょうか?



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月30日 一条真也