沖縄復帰50年に思う

一条真也です。
5月15日になりました。
沖縄が日本に復帰して50年を迎えました。


本日の朝刊各紙の一面


本日開催された「沖縄復帰50周年記念式典」では、天皇陛下がオンライン参加され、「 先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり、戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は、日米両国の友好と信頼に基づき、50年前の今日、本土への復帰を果たしました。 大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます。 本土復帰の日、中学1年生であった私は、両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています。そして、復帰から15年を経た昭和62年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても、沖縄は発展を遂げ、県民生活も向上したと伺います。沖縄県民を始めとする、多くの人々の長年にわたるたゆみない努力に深く敬意を表します。 一方で、沖縄には、今なお様々な課題が残されています。今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。 美しい海を始めとする自然に恵まれ、豊かな歴史、伝統、文化を育んできた沖縄は、多くの魅力を有しています。沖縄の一層の発展と人々の幸せを祈り、式典に寄せる言葉といたします」と述べられました。



岸田総理大臣は、沖縄の本土復帰50周年式典出席などのために14日から2日間の日程で沖縄県を訪問。初日の14日は糸満市国立沖縄戦没者墓苑に献花しました。その他、復元中の首里城などを視察し、会見に応じました。同じ14日、「基地のない沖縄」を目指す平和行進が行われました。平和行進は2021年、2020年は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、今年は日程を半日に短縮し、事前登録した人だけで開催され、全国各地からおよそ1000人が参加しました。復帰50年を迎えても、今なお基地問題の深刻さはそのままです。



わたしは、ブログ「シン・ウルトラマン」で紹介した空想特撮映画を観たばかりですが、同作に登場するザラブ星人メフィラス星人、そしてゼットンの物語を書いたのは、名脚本家として知られる金城哲夫です。1938年に沖縄県島尻郡南風原町に生まれた彼は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など第1期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた1人です。彼が手掛けた物語には、壮絶な戦争体験をはじめ沖縄人の想いが溢れていますが。戦後の沖縄を考える上で最重要人物の1人です。


沖縄には今でも米軍基地が存在しますが、ウルトラマン自体が米軍のような存在であったと考えられています。そもそも、ウルトラマンはなぜ、自分の星でもない地球のために戦ってくれたのか? その謎を突き詰めると、どうしても地球=日本、ウルトラマンアメリカという構図が見えてきます。もっとも地球にも科学特捜隊すなわち科特隊(映画では禍特対)が存在しますが、これはまさに自衛隊のような組織であると言えるでしょう。『ウルトラマンの伝言』倉山満著(PHP新書)には、「最終回の脚本はメインライターの金城哲夫である。最初の脚本では、ゾフィーゼットンを倒す予定だったが、地球人の自主防衛の話にした。『ウルトラマン』の最終話が放映されたのは1967年4月7日。折しも小笠原諸島の日本復帰に向けての交渉がなされているときであり、当時の日本政府は沖縄返還も持ち掛けていた」と書かれています。


映画「シン・ウルトラマン」では、禍特対の協力もあったにせよ、ウルトラマンの自己犠牲的な特攻によって最強の敵ゼットンを倒します。しかし、金城哲夫はドラマ「ウルトラマン」の最終回で、ウルトラマンに自己犠牲を強いずに地球人が自主防衛する物語を描いていました。同書には、「金城の、『自分たちが弱いからこんな目に遭うのではないか』との思いが、『ウルトラマン』の終わり方に現れた。『ウルトラマン』が始まる前、岸信介内閣が1960年に締結した日米安全保障条約は、事実として日本の自主防衛を前提にしていた。高い視聴率に乗じて、『ウルトラマン』にそうした政治的メッセージを入れていたのではないかとの見方をする人もいる」とも書かれています。



ウルトラマン」放映時の日本の首相は、岸信介の弟の佐藤栄作でした。彼はニクソン核武装を仄めかしながら、「非核三原則」で答えた人です。ベトナム戦争で苦しむアメリカをあざ笑った格好ですが、佐藤政権は「永遠に日本は敗戦国のままでいる」「二度と自分の力で自分の国を守る国にはならない」と宣言した政権でした。ちなみに、「ウルトラマン」の後継番組は「ウルトラセブン」でした。俗説では、ウルトラセブンとは「アメリカ第七艦隊」の意味だと言われました。本当はウルトラ警備隊の「七番目の隊員」という意味ですが、脚本家の市川森一が「ウルトラセブンは第七艦隊」と広めてしまったようです。のちに、市川はNHKのテレビ番組「私が愛したウルトラセブン」のシナリオを書きましたが、劇中で金城哲夫に「ウルトラセブンは第七艦隊に見える」と言わせています。

 

映画「シン・ウルトラマン」の主題歌は、米津玄師の「M八七」です。このタイトルに違和感をおぼえた人は多いはず。なぜなら、ウルトラマンといえば、M78星雲にある「光の国」から地球に来た宇宙人という設定だからです。しかし、実際に存在するのは「M87」という天体で、おとめ座を指すようです。じつは、TVドラマ「ウルトラマン」では、当初はウルトラマンの故郷は「M87星雲」という設定ではあったものの、台本の誤植により「M78星雲」と表記されてしまい、現在までそのままになっているという経緯があるようです。その意味では、米津は初期設定に戻したことになりますが、じつは、沖縄の人々の間で「M78」は「南の那覇」の意味だという説があるとか。確かに、「光の国」のモデルが陽光降り注ぐ那覇だというのはイメージに合います。そこには、沖縄の人々の平和への祈りも込めれていたのかもしれません。そうなると単なる誤植ではなく、金城哲夫による暗号だった可能性もあるわけで、米津も勝手に改変してはいけませんね。


西日本新聞」2019年7月2日朝刊

 

第二次世界大戦を通して、沖縄の人々は日本で最も激しい地上戦を戦い抜きました。激戦であった沖縄戦において、日米両国、無数の人々が敵味方として殺し合い、そして集団自決するという悲しい事実もあったことを忘れてはなりません。森山良子の名曲「さとうきび畑」の中では「ざわわ、ざわわ」という風の音が66回も繰り返されますが、まさに慰霊と鎮魂の歌です。石垣島をはじめ、沖縄の人々は亡くなると海のかなたの理想郷である「ニライカナイ」へ旅立つという信仰があります。2019年の6月、 石垣紫雲閣の竣工式で主催者あいさつをしたわたしは、最後に「さとうきび ざわわざわわと風に揺れ 青い空には紫の雲」という短歌を披露しました。

毎日新聞」2015年5月1日朝刊

 

わが社は沖縄県でも多くのセレモニーホールを運営し、日々、多くの方々の葬送儀礼のお世話をさせていただいています。わたしは、「セレモニーホール」とは「基地」の反対としての究極の平和施設ではないかと思っています。なぜなら、「死は最大の平等」であり、亡くなった方々は平和な魂の世界へと旅立たれるからです。セレモニーホールとは平和な世界への駅であり港であり空港なのです。


紫の雲ぞ来たれり豊見城 守礼之邦の礼を守らん

 

沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。日本でも最高の「礼」を実現していると思います。今年は、終戦70周年の年。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされました。わたしたちは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っています。戦後70年となる2015年4月4日に行われた豊崎紫雲閣の竣工式の最後に、わたしは「紫の雲ぞ来たれり豊見城 守礼之邦の礼を守らん」という歌を心をこめて詠みました。


沖縄は「守礼之邦」と呼ばれます。もともとは琉球宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったようですが、わたしは「礼」を「人間尊重」という意味でとらえています。沖縄の方々は、高齢者を大切にし、先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。その上、隣人も大切にします。それだけではありません。沖縄には、「いちゃりばちょーでい」という言葉がありますが、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのです。まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり!


沖縄をテーマにした歌には「さとうきび畑」の他にも、THE BOOMの「島唄」やBEGIN「三線の花」など名曲がたくさんあります。でも、わたしが一番好きな沖縄ソングはサザンオールスターズの「神の島遥か国」です。2005年7月、両A面シングル「BOHBO No.5/神の島遥か国」としてリリースされました。サザンにとっては51枚目のシングルです。2005年春、桑田圭祐が石垣島へ旅行に行ったときに着想を得てこの曲を作ったそうです。楽園のような南国の島で身をゆだねる恋人同士の愛を主軸に、沖縄の離島の開放感が歌詞から溢れています。TOYOTA「MORE THAN BEST」のCM曲として使われ、CMには桑田圭祐本人が出演しました。

わたしもカラオケでよく歌いました♪

 

神の島遥か国」は、「チャッ、チャッ、チャッ、チャッチャッ」というニューオリンズサウドのイントロから始まり、Bメロからは沖縄民謡風のリズムです。曲に使われている三線と指笛は、BEGINのギター&コーラス担当・島袋優さんが演奏しています。曲の最後にはニューオリンズサウンドと沖縄民謡が見事に融合。コロナ前にはわたしもカラオケでよく歌いました♪ この歌の歌詞には「カリユシ」「ハスノハギリ」「オリオンビール」「ポークランチョンミート」「マンゴー」「星の砂」「泡盛」「古酒(くーすー)」「島唄」「三線」「ミンサー織り」「マンタ」など、沖縄のシンボルワードが満載でたまりません!

カチャーシーを踊りたくなります♪

 

この歌を聴くだけで、泡盛を飲んでいるような気分になって、カチャーシーが躍りたくなります。そのカチャーシーは、先祖や隣人と共に踊る魂のダンスです。「守礼之邦」は大いなる「有縁社会」です。すべての日本人が幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。今こそ、沖縄の「本土復帰」ではなく、日本の「沖縄復帰」を!


沖縄の「本土復帰」から日本の「沖縄復帰」へ!

 

2022年5月15日 一条真也