「テネット」

一条真也です。
18日から公開されたSF映画「テネット」を観ました。クリストファー・ノーラン監督が驚異のスケールで放つ、極限のタイムサスペンス超大作です。未知なる映像体験の連続に大いに興奮させられました。この映画だけは、絶対に映画館で観たほうがいいです!



ヤフー映画の「解説」には、「『ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が描くサスペンスアクション。『TENET』というキーワードを与えられた主人公が、人類の常識である時間のルールから脱出し、第3次世界大戦を止めるべく奮闘する。主人公を演じるのは『ブラック・クランズマン』などのジョン・デヴィッド・ワシントン。相棒を『トワイライト』シリーズなどのロバート・パティンソンが務め、マイケル・ケインケネス・ブラナーなどが共演する」と書かれています。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
ウクライナでテロ事件が勃発。出動した特殊部隊員の男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、捕らえられて毒を飲まされる。しかし、毒はなぜか鎮静剤にすり替えられていた。その後、未来から「時間の逆行」と呼ばれる装置でやって来た敵と戦うミッションと、未来を変えるという謎のキーワード『TENET(テネット)』を与えられた彼は、第3次世界大戦開戦の阻止に立ち上がる」



この映画、正直言って、1回観ただけでストーリーを把握するのは至難の業です。さまざまなシーンにメッセージが込められているのはわかるのですが、それについて考えて理解する前に、テンポよく次のシーンに移って、どんどん物語が展開されていくので、流れを目で追うだけで必死です。YouTubeには「テネット」を理解するための説明動画や「あらすじ」動画がいくつかアップされています。ふだん、そういった類の動画は一切観ないのですが、今回だけは嫌な予感がして、予習しておきました。結果は大正解でした。予習なしでは、これまで大量のSF映画を観てきたわたしでもチンプンカンプンだったはず。「テネット」という言葉も含め、この映画にはとにかく多くの謎が秘められています。大いなる謎解き映画ですね。



一部では、「テネット」は早くも「映画史上最も難解な作品の1つ」であると言われているそうです。わたしは、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(1968年)を連想しました。あの映画も1回観ただけではなかなか全貌をつかめない難解さで知られましたが、その細部の意味が明らかになるにつれ、「SF映画の金字塔」としての揺るぎない評価を得ました。わたしが中学3年生のときに「2001年」を初めて観たときと同じように、今回の「テネット」鑑賞後には「よくわからないけど、すごい!」と思い、レジェンド作品の風格さえ感じました。「2001年」が宇宙SFの最高傑作なら、「テネット」は時間SFの最高傑作になるかもしれません。



ノーラン監督は、2作目の「メメント」(2000年)でも「時間」をテーマにしています。この映画の脚本は弟のジョナサン・ノーランが書いた短編小説を基にしていますが、この作品で一気に注目されるようになり、各賞を受賞し、アカデミー脚本賞にもノミネートされました。2000年代には新生「バットマン」シリーズの監督に抜擢。「バットマン ビギンズ」(2005年)、「ダークナイト」(2008年)、「ダークナイト ライジング」(2012年)の監督を務め、大成功を収めました。特に、「バットマン」シリーズの最高傑作とされる「ダークナイト」は最終的に全米興行収入歴代2位、世界興行収入歴代4位を記録しています。



さらに、ブログ「インセプション」で紹介した2010年のSF映画、ブログ「インターステラ―」で紹介した2014年のSF映画、ブログ「ダンケルク」で紹介した2017年の戦争映画といった、いわゆる‟ビッグバジェット”と呼ばれる製作費1億ドル超のオリジナル作品がいずれも全米興収1億8000万ドルを超えており、アカデミー賞の複数部門にノミネートされています。現在、作家主義と大作主義の両立に最も成功している1人と評されているのが、クリストファー・ノーランなのです。



ちなみに、ノーランはインターネット嫌いを公言しており、近未来の最新テクノロジーを背景としたSF映画である「インターステラー」にはパソコン、携帯電話などインターネットを想起させるものを一切出しませんでした。その理由として「ネットのせいでみんな本を読まなくなった。書物は知識の歴史的な体系だ。ネットのつまみ食いの知識ではコンテクストが失われてしまう」と語っています。良いことを言いますね!



「テネット」はワーナーブラザーズの作品ですが、同社の時間SF超大作といえば、ブログ「オール・ユー・ニード・イズ・キル」で紹介した2014年のトム・クルーズ主演作が思い出されます。舞台は侵略者から熾烈な襲撃を受けている近未来の地球。対侵略者の決死の任務に就くことになったウィリアム・ケイジ少佐(クルーズ)は戦闘の端緒で一矢を報いることもなく戦死した後、不可思議なタイムループの世界に囚われます。この「タイムループ」というテーマ、SF小説やSF映画、さらにはSFマンガなどで数え切れないほど描かれていますが、じつは矛盾なく描くのは至難の業です。日本が誇るSFマンガ「ドラえもん」をはじめ、多くの作品に“つじつまの合わない”タイムループが散見されます。 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を観て、「?」と思った突っ込み所は正直言って多々あります。



しかし、「テネット」のタイムループには「?」がありませんでした。エントロピーを逆行させることのできる時間逆行マシンというのが登場するのですが、一応、理にかなっているというか、「ああ、その理論なら時間を逆行できるかもしれないな」と観ている者に思わせる不思議な説得力がありました。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)において、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると述べました。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。わたしは同書に「だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう」と書いたのですが、「テネット」の場合は単なるタイムトラベルではありませんでした。まったく新しく「時間」というものをとらえ直した印象でした。



「テネット」にはインドの武器商人の妻であるプリヤという女性が登場しますが、彼女が主人公に過去・現在・未来の時間の流れについて言及し、「未来との交渉はすでに始まっている。Eメールやクレジットカードがそうだ」と言う場面が印象的でした。たしかに、その通りです。そして、時間を逆行する武器を持ったセイターが第3次世界大戦の鍵を握るというのも興味深い設定でした。この映画には、時間を逆行するチームと、時間を順行するチームによる「時間の挟み撃ち」といった前代未聞のアイデアも登場し、時間についての概念が一変されます。


いわば、「テネット」は時間SF映画のイノベーション作品とでも呼ぶべき存在なのです。時間軸のとらえ方が、ドラえもんのタイムマシンと違って、まったく違う視点で描かれています。アルゴリズムに対する考え方も斬新で、「こんなアイデアを思いつく人間は、どういう頭脳をしているのか?」と思ってしまいます。そして、ここがポイントですが、人類の滅亡は時間逆行マシンという究極兵器の存在よりも、セイターの歪んだ死生観によって左右されるのでした。これ以上はネタバレになるので、このへんで。



「テネット」はアクション・シーンの連続で、SF映画というよりもスパイ映画のようでした。「007」シリーズの大ファンであるというノーラン監督による「007」へのオマージュのような印象もありましたが、ボンドガールのような絶世の美女が「テネット」にも登場します。エリザベス・デビッキです。ともにバレエダンサーだったポーランド人の父親とアイルランド系オーストラリア人の母親の間でパリにて生まれたデビッキは191センチという高身長で、2012年12月、ファッション誌「ヴォーグ」の写真撮影の被写体となっています。知性と美貌を兼ね備えたクール・ビューティーです!

 

このデビッキ、メルボルンの東にあるハンティングタワー・スクールを首席で卒業しましたが、クラスの卒業生総代、副生徒会長、音楽委員長、演劇委員長を務め、そしてまた、英語と演劇の2つで申し分のない評点を達成したとか。2010年、メルボルン大学ヴィクトリアン・カレッジ・オブ・ジ・アーツで演劇の学位を取得。2009年8月、教育2年目において優秀な演劇学生のために与えられるリチャード・プラット奨学金を得ています。そんな頭脳明晰な才女であるデビッキですが、「テネット」では世界を破滅させようとするセイターの妻として重要な役割を果たします。じつは、この日、わたしはかなり寝不足の状態で上映時間が150分の「テネット」を観たのですが、何度か眠たくなるたびに、スクリーンに超絶美女である彼女が映って、目が覚めました(笑)。



難解ながらもハラハラドキドキした「テネット」ですが、鑑賞しながらずっと思っていたのは、「時間を逆行することができるのなら、第3次世界大戦を阻止するのもいいけど、新型コロナウイルスの発生を食い止めてほしいなあ」ということです。2019年の武漢ウイルス研究所に時間を遡って潜入し、世界中を混乱に陥れたCOVID-19の発生を防ぐというSF映画がそのうちハリウッドで作られるかもしれません。

f:id:shins2m:20200919163320j:plain黒マスク姿でシネコンへ!

 

そういえば、「テネット」の主人公は、映画の中でさまざまなマスクを着けていました。もちろん、わたしたちが日常で使用するような不織布マスクや布マスクではなく、毒ガスに対応するような重装備のサージカル・マスクです。どうやら、時間を逆行する際には呼吸困難になるようです。わたしは、おニューの黒マスクを小倉のシネコンで装着し、最も広い1番スクリーンの最後列で「テネット」を観ました。黒マスクを着けたのは初めての経験だったので、鏡に映った自分の姿を見て妙な感覚をおぼえました。まるで、SF映画の主人公になったような気分でした(笑)。

 

2020年9月20日 一条真也

老福

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一条真也です。
本日、福岡市東区の田中カ子(かね)さんが117歳261日になり、厚生労働省で確認できる記録では2018年に117歳260日で亡くなった鹿児島県喜界町の田島ナビさんを抜いて国内最長寿記録を更新しました。素晴らしいことですね!
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「老福」という言葉を取り上げることにします。

 

 

この「老福」という言葉は、『老福論』(成甲書房)で初めて提唱しました。わたしたちは何よりもまず、「人は老いるほど豊かになる」ということを知らなければなりません。現代の日本は、工業社会の名残りで「老い」を嫌う「嫌老社会」です。でも、かつての古代エジプトや古代中国や江戸などは「老い」を好む「好老社会」でした。前代未聞の超高齢化社会を迎えるわたしたちに今、もっとも必要なのは「老い」に価値を置く好老社会の思想であることは言うまでもありません。そして、それは具体的な政策として実現されなければなりません。

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 世界に先駆けて超高齢化社会に突入する現代の日本こそ、世界のどこよりも好老社会であることが求められます。日本が嫌老社会で老人を嫌っていたら、何千万人もいる高齢者がそのまま不幸な人々になってしまい、日本はそのまま世界一不幸な国になります。逆に好老社会になれば、世界一幸福な国になれるのです。まさに「天国か地獄か」であり、私たちは天国の道、すなわち人間が老いるほど幸福になるという思想を待たなければならないのです。わが社では、「ともいき倶楽部」の活動を通じて、老福人生の提供に努めています。

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「ともいき倶楽部」の発会式のようす

 

日本の神道は、「老い」というものを神に近づく状態としてとらえています。神への最短距離にいる人間のことを「翁」と呼びます。また七歳以下の子どもは「童」と呼ばれ、神の子とされます。つまり、人生の両端にたる高齢者と子どもが神に近く、それゆえに神に近づく「老い」は価値を持っているのです。だから、高齢者はいつでも尊敬される存在なのです。

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「笑い」で心ゆたかな老後を

 

アイヌの人々は、高齢者の言うことがだんだんとわかりにくくなっても、老人ぼけとか痴呆症などとは決して言いません。高齢者が神の世界に近づいていくので、「神言葉」を話すようになり、そのために一般の人間にはわからなくなるのだと考えるそうです。
これほど、「老い」をめでたい祝いととらえるポジティブな考え方があるでしょうか。人は老いるほど、神に近づいていく、つまり幸福になれるのです!

 

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 大型本
 

 

2020年9月19日 一条真也拝 

家族葬の罪と罰

一条真也です。
週刊現代」の最新号(9月26日号)が出ました。大特集のタイトルは「ここまで来たあなたの人生を台無しにしないために 人生の最期に間違える人たち」ですが、特集①タイトルが「家族葬罪と罰」です。

f:id:shins2m:20200919120641j:plain週刊現代」2020年9月26日号

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週刊現代」2020年9月26日号

同特集の電話インタビュー取材を受けたわたしのコメントが、以下のように紹介されています。
「煩わしい人間関係を避けつつ、あまりおカネをかけたくない。結局、家族葬を選択する考えの根本にあるのは、『なるべく労力をかけたくない』という本音だ。だが、冠婚葬祭大手サンレー代表取締役社長で、上智大学グリーフケア研究所客員教授も務める 佐久間庸和氏は『葬儀は、面倒だからこそ意味がある』と言う。『よくよく考えてみれば、人が一人この世からいなくなってしまうというのは大変なことです。骨になってしまえば、生の姿を見ることは二度と出来ない。取り消しがつかないからこそ、憂いは残さないほうがいい。億劫という気持ちはいったん脇において、関係のあった多くの人に声をかけ、故人と最後の挨拶を交わす場所を用意してあげるべきです』選択を誤れば、最後を迎える自分自身も無念が残るし、家族にも『罪と罰』という意識だけを抱かせてしまうことになる。一生の終わりに間違いを犯さぬよう、よくよく考えて『去り方』を決めなければならない」

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週刊現代」2020年9月26日号 

 

週刊現代」編集部からの取材依頼では、企画の趣旨は「最後の儀式を家族だけで終えていいのか」ということでした。編集部からのメールには、「ここ数年、『シンプル・イズ・ベスト』ということで、家族葬が流行っています。簡素で安価。それは決して悪いことではないと思います。しかし、葬儀は人生を締めくくる最後の場所。金額以上に、それまでの人間関係の締めくくりとして大きな意味を持ち、あまりにシンプルにしすぎると後で困る人もいるのではないかと考えます。ご多忙のところおそれいりますが、お葬式をすることの意味(そもそもお葬式は何のためにするのか)、家族葬のデメリットについて伺いたくお願い申し上げます。一条真也オフィシャルサイトのコラムを拝読しました。ぜひ勉強したく存じます」と書かれていました。

 

無縁社会 (文春文庫)

無縁社会 (文春文庫)

 

 

編集部の方が読まれたというオフィシャルサイトのコラムは、「有縁社会〜人はみな無縁にあらず人の世を有縁にするはわれらのつとめ」です。2010年に書かれたコラムですが、この年は「無縁社会」という言葉に振り回された1年でした。わたしは、安易に「無縁社会」という言葉を使ってはいけないと述べました。言葉は現実を説明すると同時に、新たな現実をつくりだすからです。言葉には魂が宿ります。いわゆる「言霊(ことだま)」と呼ばれます。

 

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

  • 作者:島田 裕巳
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 新書
 

 

2010年というのは、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』が刊行された年でもあります。当時ぐらいから、葬儀の世界で「家族葬」や「直葬」といった言葉が一般的になってきました。「家族葬」は、もともと「密葬」と呼ばれていたものです。身内だけで葬儀を済ませ、友人・知人や仕事の関係者などには案内を出しません。そんな葬儀が次第に「家族葬」と呼ばれるようになりました。しかしながら、本来、1人の人間は家族や親族だけの所有物ではありません。どんな人でも、多くの人々の「縁」によって支えられている社会的存在であることを忘れてはなりません。

 

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/04/20
  • メディア: 新書
 

 

「密葬」には「秘密葬儀」的なニュアンスがあり、出来ることなら避けたいといった風潮がありました。それが、「家族葬」という言葉を得ると、なんとなく「家族だけで故人を見送るアットホームな葬儀」といったニュアンスに一変し、身内以外の人間が会葬する機会を一気に奪ってしまったのです。「直葬」に至っては、通夜も告別式も行わず、火葬場に直行します。これは、もはや「葬儀」ではなく、「葬法」というべきでしょう。そして、「直葬」などというもったいぶった言い方などせず、「火葬場葬」とか「遺体焼却」という呼び方のほうがふさわしいように思います。

 

隣人の時代―有縁社会のつくり方

隣人の時代―有縁社会のつくり方

 

 

さて、「無縁社会」ですが、もともと「無縁社会」という日本語はおかしいのです。なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味だからです。ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味なのです。「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。人間は社会的存在であり、社会的存在である人間がこの世からいなくなることにどう対処するかというのも、葬儀の大きな役割の1つです。

 

 

葬儀の役割とは、
① 社会的対応
② 遺体への対応
③ 霊魂への対応(宗教)
④ 悲しみへの対応(グリーフケア
⑤ さまざまな感情への対応
   (葬儀をしないことに対して)
などがあげられます。家族葬によって「社会」という「関係性のある人々のネットワーク」に所属してきた方の死を周知しないことによって社会自体の構造が不確かで不安定なものとなる危険性があります。社会を構成しているはずの人がいるのか、いないのかわからないような社会なので当然なことだと思います。

 

 

また、葬儀の役割として、悲しみ(悲嘆)への対応の場であることがあげられます。葬儀を行うことによって、家族だけでなく故人と縁のあった友人や知人と悲しみ(悲嘆)を分かち合う場や時間を得ることが出来ます。そういった場や時間は、人が事実を受け入れ、環境の変化に適応するプロセスにとってとても大切です。大きな悲嘆を1人で抱え込み、分かち合うことが出来なくなることにより、死別で起こる悲嘆への対応ができず、時には不眠や食欲不振あるいは「うつ」につながることが考えられます。このようなことも家族葬罪と罰ではないかと考えることができるでしょう。

 

永遠葬

永遠葬

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2015/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

家族葬には、一般的に以下のデメリットがあります。
・葬儀後の弔問対応
葬儀を家族葬で行ったとしても、お世話になったという方などが葬儀後次々に訪れ、逆に負担が多くなることもある。
・多くの方に理解していただかないといけない
家族葬を理解してくれない方がいたり、「あの家族は寂しい葬儀をした」など言われる場合もある。
・別途、お別れ会を開かないといけない場合も
交際範囲の広い方などの場合は、家族葬だけで終われない場合もあります。
・香典の金額が少ない
葬儀費用には、柩、霊柩車、写真など規模に関わらず準備しなければならない項目と、礼品、料理、祭壇の大きさなど規模に応じて変動する項目があります。家族葬にして香典が入らないと、逆に手出しの金額が多くなります。家族葬コスパは良くありません。
・親しい人との関係性を失う
葬儀に呼ばないことにより、親しい関係性ではなくなっていきます。これほど悲しく、故人にとっても無念なことはないでしょう。故人が生涯をかけて大切にしてきた「縁」や「絆」を切ってしまう権利は家族にはありません。



志村けんさんや岡江久美子さんの例でもわかるように、新型コロナウイルスに感染して亡くなった患者さんは最期に家族にも会えず、亡くなった後も葬儀を開いてもらえません。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。さらに、肺炎で亡くなった方の中には新型コロナウイルス感染が原因と疑われる場合もあるので、参列を断ったり、儀式を簡素化するケースも増えてきています。大変悲しいことです。でも考えてみれば、家族葬も同じことではないでしょうか。故人と縁のあった人々は、最期のお別れもさせてもらえず、荼毘に付された後で「葬儀は近親者のみにて執り行いました」というハガキを受け取るだけなのです。その後に「生前のご厚情に感謝申し上げます」などと言われても虚しいだけではないでしょうか。

 

葬式に迷う日本人

葬式に迷う日本人

 

 

家族葬のメリットとされている点については、
・費用を抑えられる
▶︎確かに会葬者が少なくなることで費用を抑えられる場合もありますが、香典が減り逆に費用がかかることもあります。
・少ない人数でゆっくりとお別れできる
▶︎葬儀の時はゆっくりとできることはあるが、葬儀の前後は逆に負担が大きくなることもあります。
・葬儀内容を自由に変更できる。
▶︎一般的葬儀も変わりません。
・遺族の心身の負担軽減となる
▶︎前述と同様、会葬者の接待など葬儀時の負担は確かに減るが、その前後の負担は逆に大きくなります。
・親戚が嫌な口を挟んでくるのを防げる
▶︎確かに家族だけ進めることができますが、親戚との関係性を失ってくる要因になることもあります。

 

儀式論

儀式論

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: 単行本
 

 

すでにさまざまな関係性が薄れつつある世の中ですが、家族葬が進むと「無縁社会」がさらに進んでいくことは確実です。さらにそれだけにとどまらず、家族葬で他人の死に接しないことが、他人の死を軽視することにつながり、末恐ろしいことにつながらなければ良いと思います。葬儀をはじめとする「儀式」は「かたち」の文化です。「かたち」は形式上のように思われますが、その「かたち」にこそ「ちから」があるのです。いわば、儀式力というものです。これまでの葬儀が形式だけを重んじているように見えるかもしれませんが、その形式には実は先祖が作り上げてきた、奥深い叡智がたくさん盛り込まれているのです。ぜひ、儀式の力、葬儀の役割をよく知っていただき、多くの方々に心ゆたかに人生を卒業していただきたいです。

 

人生の修め方

人生の修め方

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2017/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

本誌の大特集は「人生の最後に間違える人たち」となっていますが、人生は100年という時代を迎えています。その流れの中で、「終活」という言葉が今、高齢者にとって大きなテーマになっています。終活とは、「終末活動」を縮めたものです。つまり「人生の最期をいかにしめくくるか」ということであり、実は人生の後半戦の過ごし方を示した言葉ではないことには、注意が必要です。では、「いかに残りの人生を豊かに過ごすか」ということに目を向けたとき、わたしは人生の修め方としての「修活」という言葉をご提案しています。

 

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 大型本
 

 

誰にでも「老」の次には「死」がやってきます。死を考えないのではなく、「死の準備」をしなければなりません。そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。究極の「修活」とは何か。それは、自分なりの死生観を確立することではないでしょうか。死は万人に等しく訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。そして、それには多くの縁のある人たちから見送られる葬儀の存在が重要であることは言うまでもありません。 最後に幸福な「人生の卒業式」のイメージがあれば、人は不幸なものではなくなるでしょう。

 

週刊現代 2020年9月26日号 [雑誌]

週刊現代 2020年9月26日号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/09/18
  • メディア: Kindle
 

 

2020年9月19日 一条真也

死を乗り越える最澄の言葉

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心形久しく労して一生此に窮まれり(最澄

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、最澄(766/767年~822年)の言葉です。最澄は「伝教大師」として知られます。大陸に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建立し、天台宗の開祖となりました。

 

日本人のこころの言葉 最澄

日本人のこころの言葉 最澄

 

 

最澄は、真言宗の開祖である空海を語る際に必ず比較される同時代の偉大な宗教家です。比叡山延暦寺を本山とし、天台宗を広めていきました。最澄の生涯や教えについて書く余裕がありませんが、法然親鸞栄西道元日蓮といった日本仏教史の巨人たちもはじめは天台の僧侶であったことを考えれば、天台宗こそは「日本仏教のゆりかご」であり、最澄が「偉大なる教育者」であったことがよくわかります。一方の空海は「宗教における超天才」であったと思います。

 

最澄と空海(小学館文庫)

最澄と空海(小学館文庫)

  • 作者:梅原 猛
  • 発売日: 2005/05/11
  • メディア: 文庫
 

 

「我が為に仏を作ること勿れ、我が為に経を写すこと勿れ、我が志を述べよ」
最澄大乗仏教の理想追求に生涯を捧げ、その力も尽きようとする死に臨んで、この言葉「心形久しく労して一生此に窮まれり」を遺しました。弟子達に遺した遺誡の一つにあげられています。822年、57歳の生涯を閉じました。

 

最澄と天台教団 (講談社学術文庫)

最澄と天台教団 (講談社学術文庫)

 

 

自ら歩んだ理想追求の道が、これからも弟子たちの手によって受け継がれてゆくことを願った言葉だと思います。わたしは思想を残すことでこそ、その思いは永遠になると思いますし、それゆえに教育者としての最澄の生き方に強い共感を覚えます。年齢を重ねた者はみな「教育者たれ」。それが未来への希望ではないでしょうか。最澄の辞世の言葉は、そんなことを教えてくれています。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年9月19日 一条真也拝  

アップデート・ウィズ・コロナ

一条真也です。
17日の夜、東京から北九州に戻ってきました。
18日、早朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。コロナ後のニューノーマル仕様で、コロナ以前よりも人数を減らしてソーシャルディスタンスに配慮し、マスクを着用した上での神事です。

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拝礼する佐久間会長

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わたしも拝礼しました

f:id:shins2m:20200918081952j:plain神殿での一同礼!

 

月次祭では、皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続き、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。わたしは、会社の発展と社員の健康・幸福、それから新型コロナウイルスの疫病退散を祈念しました。

f:id:shins2m:20200918083152j:plain天道塾のようす

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最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20200918083521j:plain訓話する佐久間会長

 

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。通常と人数は同じですが、会場の広さは3倍です。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は会場を埋め尽くしたマスク姿の人々を前に、新しく首相になられた菅義偉氏が苦労人であることに触れ、「人間、苦労をしないといけない。苦労をしないと人間が弱くなります。苦労は人間の基本です」と述べました。

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政治家との思い出を語る佐久間会長

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熱心に聴く人びと

 

また、佐久間会長は互助会政治連盟の初代会長でもありますが、互助会法制化の際に大変お世話になった中曽根康弘元首相、村上正邦元労働相の思い出を語りました。会長は「村上正邦先生も苦労をされた方でしたが、政治家としてはキレ者でした。タイミングが合えば、首相にもなれた方だと思います」などと述べました。一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の初代会長および全日本冠婚葬祭互助会政治連盟の初代会長を務めた佐久間会長はまさに業界の生き字引であることを再認識しました。ちなみに、わたしは現在、両団体の副会長を務めています。さらには、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の副理事長も務めています。

f:id:shins2m:20200918091137j:plain小倉織マスク姿で登壇しました

 

続いて、わたしが登壇しました。わたしは小倉織のマスクをしたまま、まずはブログ「武田七郎氏お別れの会」で紹介した、昨日参加したセレモニーについて話しました。ホログラフィーによって故人の生前の姿を再現し、ジェントル・ゴースト(優霊)づくりが実現されていた衝撃を語りました。ブログ「柴山文夫氏お別れ会」で紹介したセレモニーにしろ、最近の「お別れ会」は演出が進化しています。わが社も負けずに、最新の演出技術を心がけたいものです。

f:id:shins2m:20200918091238j:plainマスクを外して講話をしました

 

それからマスクを外して、菅首相が誕生したことに触れ、佐久間会長が初代会長を務めた互助会政治連盟から5人の大臣が出たことを紹介しました。菅首相も互助会政治連盟の顧問であり、互助会業界も政治力が以前より格段に強くなってきました。ぜひ、菅首相にお願いしたいことがあります。菅首相は一連のGoToキャンペーンを主導してこられた方です。ブログ「GoToウエディングの実施を!」にも書きましたが、ぜひ、菅新総理には、日本人が結婚式を挙げる政策を立てていただきたいと思います。結婚式の費用とか交通費などを助成する、いわば「GoToウエディング」です。「GoToウエディング」は「GoToトラベル」のように業界救済、つまり経済のためではなく、社会のために行うものです。日本は、いま最大の国難に直面しています。それは新型コロナウイルスの問題でも、中国の領土侵犯の問題でも、北朝鮮のミサイル問題でもありません。より深刻なのが人口減少問題です。

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日本の人口問題について語りました 

 

国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が発表した「日本の将来推計人口」(2017年)によれば、15年には約1億2700万人だった日本の総人口が、40年後には9000万人を下回り、100年も経たないうちに5000万人ほどに減少することが予測されます。ブログ『未来の年表』で紹介したベストセラーの著者である大正大学客員教授の河合雅司氏は、「こんなに急激に人口が減るのは世界史において類例がない。われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生きているのである」と述べています。人口減少を食い止める最大の方法は、言うまでもなく、たくさん子どもを産むことです。そのためには、結婚するカップルがたくさん誕生しなければならないのですが、現代日本には「非婚化・晩婚化」という、「少子化」より手前の問題が潜んでいます。

f:id:shins2m:20200918091710j:plain結婚式は結婚よりも先にあった!

 

わたしは、『儀式論』(弘文堂)において、人間は儀式という「かたち」によって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるのではないかと述べました。儀式とは人間が幸福になるためのテクノロジーであると言えるでしょう。また同書の中で、わたしは「結婚式は結婚よりも先にあった」という自説を展開しています。一般に、多くの人は、結婚をするカップルが先にあって、それから結婚式をするのだと思っているのではないでしょうか。でも、そうではないのです。

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熱心に聴く人びと

 

日本人の神話である『古事記』では、イザナギイザナミはまず儀式をしてから夫婦になっています。つまり、結婚よりも結婚式のほうが優先しているのです。他の民族の神話を見ても、そうでした。すべて、結婚式があって、その後に最初の夫婦が誕生しています。結婚式の存在が結婚という社会制度を誕生させ、結果として夫婦を生んできたのです。結婚式があるから、多くの人は婚約し、結婚するのです。結婚するから、子どもが生まれ、結果として少子化対策となります。

f:id:shins2m:20200918091257j:plain「GoToウエディング」の実施を!
 

結婚がなくなれば、子どもの出生が少なくなり、子どもが成長して大人となり、老いていって次の世代へ繋がることもなくなります。すなわち、結婚は生命のサイクルの起点なのです。観光や外食と違って、結婚式は社会の維持のために絶対に必要です。冠婚業はけっして単なるサービス産業ではありません。日本という国を継続させていくエンジンのような存在です! 菅首相は、自民党総裁に選ばれた直後の挨拶で「私の目指す社会像は、自助・共助・公助、そして絆であります」と述べられました。自助・共助・公助、そして絆の社会とは、まさに相互扶助の互助社会ではありませんか! ぜひ、互助の精神で「GoToウエディング」の実施を切に願うものであります。

f:id:shins2m:20200918092040j:plain葬祭業はエッセンシャル・ワークである! 

 

結婚式も大事ですが、葬儀も重要です。最近、国会議員の先生方とお会いする中で、「葬祭業はエッセンシャル・ワークですね」と言われます。エッセンシャル・ワークとは医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活を送る上で不可欠な仕事ですが、同じように大切な仕事と思われてきた教育はエッセンシャル・ワークではありません。日本中の大学は未だに閉鎖されています。神社や寺院や教会といった宗教もエッセンシャル・ワークではありません。感染が拡大すれば、それらの場所には入れなくなります。

f:id:shins2m:20200918092018j:plain紫雲閣は不滅である!

 

ただし、葬儀はエッセンシャル・ワークです。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。葬儀が必要不可欠のエッセンシャル・ワークなら、わが紫雲閣は不滅です。また、このたびの台風10号では、100人以上の避難者を受け入れました。

f:id:shins2m:20200918093431j:plain紫雲閣スタッフは「地上の星」!

 

非常に強力な台風10号の襲来はマスコミでも過熱報道していましたので、自分の家も心配だったでしょうに、地域のみなさんの命を全力で守った紫雲閣のスタッフには感謝の気持ちでいっぱいです。わたしは、心から誇りに思います。あるお客様からは、「紫雲閣の人は『地上の星』やね」との有難い言葉を頂戴しました。それにしても「魂を送る場所」であった紫雲閣が「命を守る場所」となったことは画期的ではないでしょうか。「セレモニーホール」が「コミュニティホール」へと進化できたように思います。

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冠婚葬祭業は単なるサービス業ではない! 

 

冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる重要な文化装置です。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません。サンレーグループの互助会は、コロナの時代にさらなるアップデートを目指したいと思います。コロナからココロへ。一緒に『心ゆたかな社会』を創造しましょう!」と述べてから、わたしは降壇しました。

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佐久間会長が総括

f:id:shins2m:20200918094841j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

わたしが降壇すると、佐久間会長が再び登壇し、総括を行いました。会長は「社長の話はこれまでで最も良かったと思います。たしかに少子化への最大の対抗策は、結婚式を増やすことです」と述べ、「亡くなられた武田七郎さんもさまざまな御苦労をされた上で大きな成果を収められた人格者でした。わたしが全互協の初代会長で通産省とのやり取りで苦心惨憺しているとき、あの方の一言に救われました」と、故人の思い出を語り、最後に「みなさん、人間には苦労が大切ですよ。そして、我慢が大切です。苦労が力になり、我慢が力になる!」と力強く訴えました。わたし自身、会社が最も厳しい時期に社長に就任し、少しは苦労や我慢をしたように思います。あの経験がなかったら、頭でっかちの評論家で終わっていたかもしれません。これからも「人間尊重」というわが社のミッションを大切に、謙虚さを忘れずに精進したいと思います。

 

2020年9月18日 一条真也

武田七郎氏お別れの会

一条真也です。
16日の東京都の新型コロナウイルス感染者は163名でした。17日の朝、東京の赤坂見附のホテルをチェックアウトしたわたしはJR浜松町駅に向かいました。浜松町駅からは京浜東北線に乗って、JR南浦和駅に向かいました。

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京浜東北線の車内で

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南浦和駅に着きました

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案内の方を発見!

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会場となった「ベルヴィ武蔵野

 

今日は、冠婚葬祭互助会の大手であるアルファクラブ武蔵野の元相談役で、全互協の元会長である武田七郎氏の「お別れの会」に参加するのです。南浦和駅にはアルファクラブの方が案内人として立っておられ、わたしは迎えのバスに乗って、「お別れの会」の会場となる結婚式場「ベルヴィ武蔵野」に向かいました。

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ベルヴィ武蔵野」の前で

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入口に顔なしの礼服が・・・

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ホログラフィーで故人の姿が!

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この部屋でも・・・

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故人の生前の姿が浮かび上がる!

 

ベルヴィ武蔵野」に一歩入ると、顔なしの礼服がありました。すると、そこに等身大の故人の生前の姿が映し出されたではありませんか! しかも立体です。ホログラフィーです。拙著『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)で、わたしは21世紀の葬儀は故人の生前の面影をホログラフィーで再生すべきと提唱しましたが、完全に実現されていました。さらに奥へ進むと、暗くなった部屋のようなスペースがありましたが、覗き込むと、そこにも故人の幽姿が! ジェントル・ゴースト(優しい霊)出現の連続に、わたしは度肝を抜かれました。

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故人が愛したゴルフコースを再現

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会場のあちこちに故人が出現!

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思い出の写真コーナー

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思い出の写真コーナー

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メモリアル・コーナー

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壇蜜さんとのツーショット写真

 

それ以外にも、ゴルフのグリーンにプレーをする故人の幽姿が浮かび上がったり、とにかくSFみたいで、新時代の葬儀テクノロジーをしかと見せられました。また、従来からある「思い出の写真コーナー」や「メモリアル・コーナー」も充実していました。壇蜜さんとのツーショット写真も飾られていて、一瞬、「どういう関係?」と思いましたが、これは故人が校長を務められていた日本ヒューマンセレモニー専門学校で壇蜜さんが学ばれていたことがあるそうです。

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再現された故人の書斎

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故人の書斎を背景に

メモリアル・コーナーには、故人の書斎も再現されていました。故人は大変な読書家で、いつも「一条さん、いつもあなたの本を読んでいますよ」と言って下さいました。それ以外にも、いつも優しく励ましていただき、お世話になった業界の大先輩です。机の上には著書である『縁と絆』も置かれていました。この本はわたしも献本していただき、拝読しました。

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幻想的な廊下

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幻想的な廊下にて

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故人は正六位に叙されました

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「お別れの会」の会場

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供花の数々

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最初は竹内委員長の御挨拶

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心に染みる御挨拶でした

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ムービーが上映されました

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故人の人生が振り返られました

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葬儀の哲学に感銘を受けました

 

幻想的な廊下を渡って、「お別れの会」の会場に入ると、そこはまた別次元のような神秘的な空間になっていました。冒頭、「お別れの会」委員長で、サン・ライフメンバーズ代表取締役会長、学校法人 鶴嶺学園理事長の竹内惠司氏が挨拶をされました。竹内会長はいつもわたしの著書をたくさん御購入いただき、励まし続けて下さる業界の大先輩で、その葬儀に対する考え方と実践に深く尊敬の念を抱いています。竹内会長の御挨拶は聴く者の心に沁みる内容で、故人の魂に必ずや届いたことと思います。 その後、故人の人生を振り返るムービーが上映されました。最後の葬儀の哲学を語られた部分に感銘を受けました。改めて偉大な生涯であったと思いました。

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全互協の山下会長の「お別れの言葉」

f:id:shins2m:20200918144905j:plain献花の前のスクリーンは百花繚乱!

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指名献花のようす

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わたしも指名献花をさせていただきました

 

その後、全互協の山下会長、全冠協の渡邊会長から故人への「お別れの言葉」が贈られました。誠意あふれる山下会長の言葉も、親愛なるユーモアを込めた渡邊会長の言葉も、ともに素晴らしかったです。そして献花となり、わたしは全互協副会長でレクストの金森社長とともに指名献花をさせていただきました。故人の遺影をしっかり見て、「今までお疲れ様でございました。ありがとうございました」と心の中で故人に話しかけ、献花をさせていただきました。全互協の会長経験者の「お別れ会」に参列したのは、ブログ「柴山文夫氏お別れ会」で紹介した、ラック代表取締役社長であった故・柴山文夫氏の「お別れ会」以来です。今年の1月24日でした。ブログ「全互協総会in仙台」で紹介した昨年8月22日の業界の会合では、「歴代会長と正副会長の懇談会」に柴山氏も武田氏も出席されたことが思い出されます。お二人とも、わたしに「グリーフケアは互助会がやるべき分野です。頑張って下さい!」と励まして下さいました。

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昼食に供された玉手箱

f:id:shins2m:20200917124253j:plain箱の中の上段はオードブルでした

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箱の中の下段は花のお寿司でした

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メインのお肉も美味しかったです!

 

献花の後は会食会場へ通され、新型コロナウイルス感染防止に配慮しつつも豪華なランチをいただきました。玉手箱のようなオードブルからメインの肉料理までどれも美しい上に美味しく、「さすがはアルファクラブさん!」と、同社の底力を思い知りました。食事中、喪家である武田家をはじめ、アルファクラブのオーナーである和田家、神田家のお1人お1人から丁重な御挨拶を頂戴し、恐縮いたしました。ハードもソフトもハートもある、本当に凄い会社です! 
昼食をいただいた後は再びバスで南浦和駅へ。そこから京浜東北線で浜松町へ向かい、そこからモノレールで羽田空港へ行き、ANA263便で福岡へ戻りました。帰幽された武田七郎様の御霊が安らかであることを心よりお祈りいたします。

 

2020年9月17日 一条真也

『大切な人を亡くした時』

一条真也です。
新しいブックレットが出ました。わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。

f:id:shins2m:20200916103759j:plain『大切な人を亡くした時』

 

今回のブックレットは、『大切な人を亡くした時』。月刊誌「楽生人」の2009年5月号~2010年3月号に連載されたものをまとめた内容です。内容は、単行本の『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)のエッセンス的な要約版になっています。

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有史以来、人生には多くの辛い出来事がつきものと考えられてきました。わたしは必ずしもそうではないと思っていますが、ともあれ、人生の中で辛く悲しいことは確かにあります。愛する人との死別はその代表的な例といえるでしょう。大切な人を失った、あるいは失うかもしれないという悲しみは「グリーフ」と呼ばれ、それを癒し、普段の生活に戻れるように導くことを「グリーフケア」といいます。このブックレットに掲載したエッセイは、月刊誌「楽生人」に全六回にわたって連載したもので、グリーフに直面して不安を抱いている方のケアのために綴りました。いずれも短く、拙いメッセージではありますが、わずかでもお役に立てれば、これ以上嬉しいことはありません。

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「大切な人を亡くした時」の内容は、以下の通リ。

第一回 別れ

第二回 儀式

第三回 自然

第四回 いのち

第五回 受容

第六回 再会

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2020年9月17日 一条真也拝