柴山文夫氏お別れ会 

一条真也です。
24日、東京から福岡に向かいました。福岡空港で迎えの車に乗って、わたしは福岡市博多区美野島にある結婚式場「RITZ5」に向かいました。ここで、(株)ラックの代表取締役社長であった故・柴山文夫氏の「お別れ会」が開かれるのです。柴山氏は昨年12月17日に逝去されました。享年78歳でした。

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会場のRITZ5

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RITZ5の前で

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「お別れの会」の看板

f:id:shins2m:20200124123453j:plain全国から届いた生花の数々

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全国から届いた生花の数々

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入口のようす

 

会場のRITZ5に足を踏み入れたわたしは、度肝を抜かれました。館内をすべて使って、故人の巨大写真や思い出の品、蔵書などが展示されていたからです。わたしも仕事柄、多くの方の「お別れ会」に参列してきましたが、こんな徹底した凄い演出は初めてです。まさに「柴山文夫ミュージアム」がそこに出現していました。

f:id:shins2m:20200124124000j:plain柴山文夫ミュージアムのようす(愛用品)

f:id:shins2m:20200124124300j:plain柴山文夫ミュージアムのようす(盛和塾

f:id:shins2m:20200124124307j:plain柴山文夫ミュージアムのようす(経営理念)

f:id:shins2m:20200124124320j:plain柴山文夫ミュージアムのようす(日用品)

f:id:shins2m:20200124124448j:plain柴山文夫ミュージアムのようす(ゴルフ)

f:id:shins2m:20200124124823j:plain柴山文夫ミュージアムのようす(手帳・メモ帳)

f:id:shins2m:20200124124828j:plain柴山文夫ミュージアムのようす(学生時代)

この「ミュージアム」というコンセプトは、故人がいかにも好まれるアイデアだと思いました。おそらく自らの死を覚悟しておられた故人は、ご自分で「お別れ会」のディティールを構想されたのではないでしょうか。わたしには、そう思えてなりませんでした。館内のようすを熱心にカメラで撮影されていた全互協の広報・渉外委員会の志賀委員長は「これまで柴山社長には多くのことを教えていただきましたが、亡くなられた後も学びを与えられたという感じですね」と語っていました。わたしも同感です。

f:id:shins2m:20200124124423j:plain再現された故人の仕事部屋

f:id:shins2m:20200124124500j:plain思い出の写真の数々

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チャペルの入口で

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チャペルの内部 

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「お別れ会」会場前のホワイエのようす 

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「お別れ会」のようす

f:id:shins2m:20200124125259j:plain赤いバラで飾られた祭壇

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「お別れ会」の式次第

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故人の人生を振り返る動画が流れました 

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故人が愛した「青春の詩」 

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全互協の山下会長による弔辞が読まれました

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「お別れ会」後の会食場のようす

 

柴山氏は、冠婚葬祭互助会業界の大先輩でした。
長い間、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の九州ブロック長を務められ、柴山氏の後をわたしが引き継ぎました。本と映画と旅が大好きな方で、わたしともよく読書談義をしました。

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柴山前ブロック長に感謝状を贈呈しました

 

柴山氏は学究肌の経営者として知られ、(株)冠婚葬祭総合研究所の社長も務められました。互助会保証主宰の「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」を研究所が継承し、韓国、台湾、ベトナムミャンマー、インド、中国への海外視察を行いました。そのすべてに参加したのは、柴山氏とわたしの2人だけです。海外視察では大きな刺激を受け、大変勉強になりました。帰国後のレポート作成に苦労したのも、なつかしい思い出です。視察先では、夜遅くまで柴山氏と現地のウィスキーを飲みながら儀式文化について語り明かしました。今ではなつかしく、良き思い出です。

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ミャンマーバガンにあるアーナンダ寺院の前で

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インドのガンジス河周辺で

 

柴山氏は数年前に最愛のお嬢様を亡くされ、それを機にグリーフケアの重要性を唱えておられました。ブログ「全互協総会in仙台」で紹介した昨年8月22日の業界の会合では、「歴代会長と正副会長の懇談会」に出席され、「互助会こそグリーフケアに取り組むべき」「グリーフケアによって、葬祭スタッフは仕事に誇りを持てる」「早急にグリーフケアの資格認定制度の立ち上げを!」と強く訴えられました。

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故人の遺志を継いで、グリーフケアに取り組みます! 

 

その後、全互協内にグリーフケアPTが発足し、わたしが座長になりました。2021年秋スタートを目指して、資格認定制度も動き始めました。昨年11月25日に行われた互助会保証の取締役会の終了後、そのことを互助会保証の会長に就任されたばかりの柴山氏にお伝えすると、当時かなり衰弱した様子だった氏はニッコリと笑って「それは良かったですね。頑張って下さい!」と言って下さいました。それが、わたしとの最後の会話になりました。その約3週間後に柴山氏は人生を卒業されたのです。わたしは、柴山氏の遺志を継ぎ、必ずや互助会業界にグリーフケアを浸透させたいです。

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故人は 巨大図書館そのものでした!

 

1人の人間、それも人生経験ゆたかな高齢者とは1個の図書館に等しいという考え方があります。それだけの情報や知識や知恵が込められているわけです。多くの本を読み、映画や絵画を鑑賞し、世界中を旅された柴山氏は巨大図書館そのものでした。本当に、いろいろとお世話になりました。思い出は尽きませんが、どうか安らかにお休み下さい。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。

 

柴山文夫 ラックグループ冠婚葬祭物語

柴山文夫 ラックグループ冠婚葬祭物語

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: エムジー・コーポレーション
  • 発売日: 2017/11/09
  • メディア: 単行本
 

 

2020年1月25日 一条真也