家族葬の罪と罰

一条真也です。
週刊現代」の最新号(9月26日号)が出ました。大特集のタイトルは「ここまで来たあなたの人生を台無しにしないために 人生の最期に間違える人たち」ですが、特集①タイトルが「家族葬罪と罰」です。

f:id:shins2m:20200919120641j:plain週刊現代」2020年9月26日号

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週刊現代」2020年9月26日号

同特集の電話インタビュー取材を受けたわたしのコメントが、以下のように紹介されています。
「煩わしい人間関係を避けつつ、あまりおカネをかけたくない。結局、家族葬を選択する考えの根本にあるのは、『なるべく労力をかけたくない』という本音だ。だが、冠婚葬祭大手サンレー代表取締役社長で、上智大学グリーフケア研究所客員教授も務める 佐久間庸和氏は『葬儀は、面倒だからこそ意味がある』と言う。『よくよく考えてみれば、人が一人この世からいなくなってしまうというのは大変なことです。骨になってしまえば、生の姿を見ることは二度と出来ない。取り消しがつかないからこそ、憂いは残さないほうがいい。億劫という気持ちはいったん脇において、関係のあった多くの人に声をかけ、故人と最後の挨拶を交わす場所を用意してあげるべきです』選択を誤れば、最後を迎える自分自身も無念が残るし、家族にも『罪と罰』という意識だけを抱かせてしまうことになる。一生の終わりに間違いを犯さぬよう、よくよく考えて『去り方』を決めなければならない」

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週刊現代」2020年9月26日号 

 

週刊現代」編集部からの取材依頼では、企画の趣旨は「最後の儀式を家族だけで終えていいのか」ということでした。編集部からのメールには、「ここ数年、『シンプル・イズ・ベスト』ということで、家族葬が流行っています。簡素で安価。それは決して悪いことではないと思います。しかし、葬儀は人生を締めくくる最後の場所。金額以上に、それまでの人間関係の締めくくりとして大きな意味を持ち、あまりにシンプルにしすぎると後で困る人もいるのではないかと考えます。ご多忙のところおそれいりますが、お葬式をすることの意味(そもそもお葬式は何のためにするのか)、家族葬のデメリットについて伺いたくお願い申し上げます。一条真也オフィシャルサイトのコラムを拝読しました。ぜひ勉強したく存じます」と書かれていました。

 

無縁社会 (文春文庫)

無縁社会 (文春文庫)

 

 

編集部の方が読まれたというオフィシャルサイトのコラムは、「有縁社会〜人はみな無縁にあらず人の世を有縁にするはわれらのつとめ」です。2010年に書かれたコラムですが、この年は「無縁社会」という言葉に振り回された1年でした。わたしは、安易に「無縁社会」という言葉を使ってはいけないと述べました。言葉は現実を説明すると同時に、新たな現実をつくりだすからです。言葉には魂が宿ります。いわゆる「言霊(ことだま)」と呼ばれます。

 

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

  • 作者:島田 裕巳
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 新書
 

 

2010年というのは、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』が刊行された年でもあります。当時ぐらいから、葬儀の世界で「家族葬」や「直葬」といった言葉が一般的になってきました。「家族葬」は、もともと「密葬」と呼ばれていたものです。身内だけで葬儀を済ませ、友人・知人や仕事の関係者などには案内を出しません。そんな葬儀が次第に「家族葬」と呼ばれるようになりました。しかしながら、本来、1人の人間は家族や親族だけの所有物ではありません。どんな人でも、多くの人々の「縁」によって支えられている社会的存在であることを忘れてはなりません。

 

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/04/20
  • メディア: 新書
 

 

「密葬」には「秘密葬儀」的なニュアンスがあり、出来ることなら避けたいといった風潮がありました。それが、「家族葬」という言葉を得ると、なんとなく「家族だけで故人を見送るアットホームな葬儀」といったニュアンスに一変し、身内以外の人間が会葬する機会を一気に奪ってしまったのです。「直葬」に至っては、通夜も告別式も行わず、火葬場に直行します。これは、もはや「葬儀」ではなく、「葬法」というべきでしょう。そして、「直葬」などというもったいぶった言い方などせず、「火葬場葬」とか「遺体焼却」という呼び方のほうがふさわしいように思います。

 

隣人の時代―有縁社会のつくり方

隣人の時代―有縁社会のつくり方

 

 

さて、「無縁社会」ですが、もともと「無縁社会」という日本語はおかしいのです。なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味だからです。ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味なのです。「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。人間は社会的存在であり、社会的存在である人間がこの世からいなくなることにどう対処するかというのも、葬儀の大きな役割の1つです。

 

 

葬儀の役割とは、
① 社会的対応
② 遺体への対応
③ 霊魂への対応(宗教)
④ 悲しみへの対応(グリーフケア
⑤ さまざまな感情への対応
   (葬儀をしないことに対して)
などがあげられます。家族葬によって「社会」という「関係性のある人々のネットワーク」に所属してきた方の死を周知しないことによって社会自体の構造が不確かで不安定なものとなる危険性があります。社会を構成しているはずの人がいるのか、いないのかわからないような社会なので当然なことだと思います。

 

 

また、葬儀の役割として、悲しみ(悲嘆)への対応の場であることがあげられます。葬儀を行うことによって、家族だけでなく故人と縁のあった友人や知人と悲しみ(悲嘆)を分かち合う場や時間を得ることが出来ます。そういった場や時間は、人が事実を受け入れ、環境の変化に適応するプロセスにとってとても大切です。大きな悲嘆を1人で抱え込み、分かち合うことが出来なくなることにより、死別で起こる悲嘆への対応ができず、時には不眠や食欲不振あるいは「うつ」につながることが考えられます。このようなことも家族葬罪と罰ではないかと考えることができるでしょう。

 

永遠葬

永遠葬

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2015/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

家族葬には、一般的に以下のデメリットがあります。
・葬儀後の弔問対応
葬儀を家族葬で行ったとしても、お世話になったという方などが葬儀後次々に訪れ、逆に負担が多くなることもある。
・多くの方に理解していただかないといけない
家族葬を理解してくれない方がいたり、「あの家族は寂しい葬儀をした」など言われる場合もある。
・別途、お別れ会を開かないといけない場合も
交際範囲の広い方などの場合は、家族葬だけで終われない場合もあります。
・香典の金額が少ない
葬儀費用には、柩、霊柩車、写真など規模に関わらず準備しなければならない項目と、礼品、料理、祭壇の大きさなど規模に応じて変動する項目があります。家族葬にして香典が入らないと、逆に手出しの金額が多くなります。家族葬コスパは良くありません。
・親しい人との関係性を失う
葬儀に呼ばないことにより、親しい関係性ではなくなっていきます。これほど悲しく、故人にとっても無念なことはないでしょう。故人が生涯をかけて大切にしてきた「縁」や「絆」を切ってしまう権利は家族にはありません。



志村けんさんや岡江久美子さんの例でもわかるように、新型コロナウイルスに感染して亡くなった患者さんは最期に家族にも会えず、亡くなった後も葬儀を開いてもらえません。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。さらに、肺炎で亡くなった方の中には新型コロナウイルス感染が原因と疑われる場合もあるので、参列を断ったり、儀式を簡素化するケースも増えてきています。大変悲しいことです。でも考えてみれば、家族葬も同じことではないでしょうか。故人と縁のあった人々は、最期のお別れもさせてもらえず、荼毘に付された後で「葬儀は近親者のみにて執り行いました」というハガキを受け取るだけなのです。その後に「生前のご厚情に感謝申し上げます」などと言われても虚しいだけではないでしょうか。

 

葬式に迷う日本人

葬式に迷う日本人

 

 

家族葬のメリットとされている点については、
・費用を抑えられる
▶︎確かに会葬者が少なくなることで費用を抑えられる場合もありますが、香典が減り逆に費用がかかることもあります。
・少ない人数でゆっくりとお別れできる
▶︎葬儀の時はゆっくりとできることはあるが、葬儀の前後は逆に負担が大きくなることもあります。
・葬儀内容を自由に変更できる。
▶︎一般的葬儀も変わりません。
・遺族の心身の負担軽減となる
▶︎前述と同様、会葬者の接待など葬儀時の負担は確かに減るが、その前後の負担は逆に大きくなります。
・親戚が嫌な口を挟んでくるのを防げる
▶︎確かに家族だけ進めることができますが、親戚との関係性を失ってくる要因になることもあります。

 

儀式論

儀式論

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: 単行本
 

 

すでにさまざまな関係性が薄れつつある世の中ですが、家族葬が進むと「無縁社会」がさらに進んでいくことは確実です。さらにそれだけにとどまらず、家族葬で他人の死に接しないことが、他人の死を軽視することにつながり、末恐ろしいことにつながらなければ良いと思います。葬儀をはじめとする「儀式」は「かたち」の文化です。「かたち」は形式上のように思われますが、その「かたち」にこそ「ちから」があるのです。いわば、儀式力というものです。これまでの葬儀が形式だけを重んじているように見えるかもしれませんが、その形式には実は先祖が作り上げてきた、奥深い叡智がたくさん盛り込まれているのです。ぜひ、儀式の力、葬儀の役割をよく知っていただき、多くの方々に心ゆたかに人生を卒業していただきたいです。

 

人生の修め方

人生の修め方

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2017/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

本誌の大特集は「人生の最後に間違える人たち」となっていますが、人生は100年という時代を迎えています。その流れの中で、「終活」という言葉が今、高齢者にとって大きなテーマになっています。終活とは、「終末活動」を縮めたものです。つまり「人生の最期をいかにしめくくるか」ということであり、実は人生の後半戦の過ごし方を示した言葉ではないことには、注意が必要です。では、「いかに残りの人生を豊かに過ごすか」ということに目を向けたとき、わたしは人生の修め方としての「修活」という言葉をご提案しています。

 

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 大型本
 

 

誰にでも「老」の次には「死」がやってきます。死を考えないのではなく、「死の準備」をしなければなりません。そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。究極の「修活」とは何か。それは、自分なりの死生観を確立することではないでしょうか。死は万人に等しく訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。そして、それには多くの縁のある人たちから見送られる葬儀の存在が重要であることは言うまでもありません。 最後に幸福な「人生の卒業式」のイメージがあれば、人は不幸なものではなくなるでしょう。

 

週刊現代 2020年9月26日号 [雑誌]

週刊現代 2020年9月26日号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/09/18
  • メディア: Kindle
 

 

2020年9月19日 一条真也