UWF の検索結果:

『猪木のためなら死ねる!』

…ク。同年7月に第一次UWFに移籍し、スーパー・タイガー(佐山聡)や前田日明らとUWFスタイルのプロレスをつくり上げる。その後、新生UWFを経て、91年に藤原組を設立。藤原組解散後はフリーランスとして新日本を中心に多団体に参戦。2007年に胃がんの手術をするも無事生還し、今も現役レスラーとして活躍中。 本書の帯 本書のカバー表紙には、アントニオ猪木が鬼の形相で藤原喜明にスリーパーホールドをかけている写真が使われ、帯には「藤原喜明独占告白!」と大書され、「初めて語る猪木との愛憎秘…

『プロレスラー夜明け前』

…。また、ブログ『証言UWF完全崩壊の真実』、 ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』、ブログ『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。本書の帯には、「“何が”彼らをリングに押し上げたのか。名レスラーが生まれる瞬間の“真実”を描く」と書かれています。 本書の帯の裏 帯の裏には、「どんな偉大なレスラーにもリングに上がる『夜明け前』がある。『プロレス鎮魂曲』『さよなら、プロレス』に続く、プロレスラーの『デビュー』をめぐる<真実>の物語」として…

『最後の伝言 勇者たちとの邂逅』

…前田日明、髙田延彦らUWF戦士たちへの技術指導にも携わりました。2019年現在、シュートボクシング協会会長、シーザージム会長。多数のヤクザ映画などに出演し、異色派の俳優としても活動しています。 本書の帯 本書のカバー表紙には、チャンピオンベルトを巻いた著者の雄姿の写真が使われています。また、帯には「日本格闘技界の重鎮が今だから明かせる」「各界カリスマの素顔&勝負の鉄則!!」「アントニオ猪木、千代の富士、岡本太郎、菅原文太、内田裕也、横山やすし、佐山聡、前田日明、RENA、カー…

『格闘家アントニオ猪木』

…紹介されています。「UWFの出現以降、一時期、プロレス技のリアリティが疑われた時期があった。最近でもアルティメットやグレイシー柔術の存在があらためてプロレスに対して疑問を投げかけてきている。だが、単なる繋ぎ役として使われているようなプロレス技でも本当は相手からギブアップを奪えるし、一瞬にして戦闘能力を奪える裏技も無数にあるんだ。では、なぜ試合でそういう技術は使われないのか? 理由は3つある。まず、相手の戦闘力を奪うことばかりに専念しているとお互いの技術の交流がなくなり、最終的…

木戸修、死す!

…84年9月から第1次UWFに参加すると徐々に評価が高まり、木戸の職人肌のグラウンド・テクニックは「いぶし銀」と呼ばれるようになりました。1985年に行なわれたUWF内の格闘技ロード公式リーグ戦では優勝しています。1985年12月に第1次UWFの崩壊に伴い新日本へ復帰すると、キド・クラッチや脇固めを駆使して活躍するようになる。1986年8月、前田日明とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得した。 大技の攻防が日常化していく1990年代以後の新日本の中で一人、地味ながら切れ味鋭いレス…

『証言 橋本真也』

…ロレス退団後に第一次UWFに加入し、格闘技の匂いのするプロレスをつくりあげました。「新日本への“いらだち”から猪木は小川を投入」では、以下のように語っています。「たとえば、ロープに飛ばされてバーンと体当たりする。そこでバーンと体をぶつけます。これは(プロレスの)ナチュラル。しかし、総合格闘技ならば、そもそもロープに投げられるということはありえない。UWFもナチュラルとは少し少し違う。UWFは、お客さんに関節技はこんなふうに決まるんだと理解してもらわなくてならなかった。あれは将…

『プロレス熱写時代』

…ストロングスタイルやUWFの格闘プロレスです。それで、第五章「レジェンドたちの肖像」が面白かったです。 「ジャイアント馬場&アントニオ猪木」の「アントニオ猪木」では、著者は「現役晩年の猪木さんの試合でのシーンで僕の目が釘付けになったシーンがある。1994年1月4日・東京ドーム、アントニオ猪木vs天龍源一郎。天龍さんのパワーボムに3カウントを聞いた猪木さんは、敗れたものの試合後に『1・2・3・ダー』で東京ドーム大会を締め括った。その直後、リングを降りて控室に向かうときに、人目を…

『エンタメビジネス全史』

…。新日本プロレスからUWFなどの『ガチバトル』が分派してK-1が生まれ、PRIDEが登場し、1990年代後半から10年余り、日本は空前の総合格闘技ブームとなった。それまで半世紀の『プロレスが最強』とうたわれていた歴史がベースとなっている」と述べています。 1-3「日本の興行モデルを作り上げた東宝、松竹、吉本」の「利権者を整理しヤクザを排除し、『場所』にブランド価値をつける」では、土地を持つ者が興行を打つというのは100年以上も続く慣習であると指摘し、著者は「なぜ弱小鉄道会社の…

還暦祝いとグリーフケア 

…ーの長州力は、かつてUWFインターナショナルの幹部たちに「おまえらの墓にクソぶっかけてやる!」と言いました。エキサイトしたわたしの様子に動揺している人がいたので、話題を変えて「おかげさまで、10日に還暦を迎えました。60歳といえば、ジンギスカン、コロンブス、ドストエフスキー、ゲイリー・クーパー、日蓮、森鴎外、小津安二郎、手塚治虫、前田利家といった人々が亡くなった年齢です」と言いました。 同い年の有名人について 先日、ノッポさんが亡くなりましたが、彼とは誕生日が同じでした。王貞…

横浜のグリーフケア式典 

…使い、前田日明も新生UWFの旗揚げの挨拶で使いました。あの日、第1期ファシリテーターのみなさんも、同じ思いだったと思います。そして、本日、第2期ファシリテーターの方々が晴れて修了式を迎え、第3期の方々が開講式を迎えます。みなさんは、グリーフケアの時代を拓くパイオニアです。どうか、自身の大いなるミッションを果たされて下さい」と言いました。 プーチン大統領にグリーフケアを学ばせたい! グリーフケアは平和への祈りです! 続けて、わたしは「いま一番、グリーフケアを学んでほしいのは世界…

『証言 武藤敬司』

…氏は「藤原喜明が新生UWFに移籍した時、いちばん欲しかった若手は武藤だった。またメガネスーパーのSWSが旗揚げしようとした時、真っ先に狙いをつけたのが武藤である。しかし、武藤は移籍しなかった。ジャイアント馬場が亡くなったあと、元子夫人が全日本プロレスの社長に迎えたのも武藤。猪木イズムに関係ない武藤はモテモテだったのだ。これらは武藤的不思議現象と言える」と述べます。 さらに海の向こうでNWOブームが起こった時、武藤はちゃっかりペイントレスラー、グレート・ムタとして参戦したことを…

『骨の髄まで』

…に入ったはじめなんてUWFがあったり。そんなのがプロレス内にあったんだから。パンクラスもできちゃったりゴッチャの状態のなかで、いまは淘汰されたからプロレスLOVEのレスラーからしたら居心地いいと思うよ。そういう意味でこのようなプロレス界にした功績はあると思う」と述べます。これを受けて、インタビューも「たしかにあのとき武藤選手が『プロレスLOVE』を掲げなければ、業界からもっと格闘技方向へ流れていた可能性もありますね」と言うのでした。 「プロレスLOVE(後編)」では、インタビ…

『平成マット界 プロレス団体の終焉』

… 1994・3・13UWFインターナショナル 1996・12・27FFF 1997・1・10キングダム 1998・3・20レッスル夢ファクトリー 2001・9・8FMW 2002・2・4WJプロレス 2004・5・27全日本女子プロレス 2005・4・17NEO女子プロレス 2010・12・31IGF 2007・7・16 本書の「目次」は、以下の通りです。「はじめに」 第1章 ジャパン女子プロレス 第2章 SWS 第3章 新格闘プロレス 第4章 W★ING 第5章 FFF 第…

『アントニオ猪木 闘魂の遺伝子』

…らの維新軍、前田らのUWF組が離脱し、なぜアンドレに覆面を被らせる必要があったのか、理解に苦しむ。アフロヘアを振り乱し素顔で暴れてこその大巨人なのに、新日本はアンドレの価値をわかっていない、これほど失望感を抱いたことはなかった。世界一の売れっ子である。『なんで、俺がマスクを被らなければならないのか?』と、アンドレはプロレスラーとしてのプライドをいたく傷つけられたに相違ない。そこで発生するのが86年4月29日、津大会での前田日明とのトラブル(試合放棄事件)だった」 当時のアンド…

『永遠の闘魂』 

…。また、ブログ『証言UWF完全崩壊の真実』、 ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』、ブログ『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。 本書の帯 本書のカバー表紙には目を瞑ったアントニオ猪木の横顔の写真が使われ、帯には「猪木は最後に何を語り、何を伝えたかったのか?」と大書され、「病床の本音、好敵手たちの残光、名勝負の記憶・・・・・・ 稀代のプロレスラーは人生の「ファイナルカウントダウン」に何を残そうとしたのか? 晩年の猪木を取材してきた…

『プロレス喧嘩マッチ伝説』

…。 そんな前田日明がUWF時代に最も危機感を抱いたのが、当時の全日本プロレスで天龍源一郎が輪島大士の顔面に容赦なく蹴りを入れるような激しい攻撃をしていることでした。天龍源一郎vs輪島大士(1987年11月7日)は、ともに大相撲出身である2人が一度だけ後楽園ホールでシングルマッチで対戦した試合です。著者は、「天龍と輪島がタッグマッチで激突すると、毎回感情むき出しの喧嘩マッチとなった。角界時代は格下だった天龍からえげつないチョップ、ラリアット、顔面への蹴りを食らうと、元横綱のプラ…

『俺が戦った 真に強かった男』

…に四天王、高田延彦らUWF勢、北尾光司に小川直也、棚橋弘至に中邑真輔、引退試合で戦ったオカダカズチカなど、あらゆる世代のレスラーと闘ってきた著者がリング上の接点が一切なかった選手です。著者は、「誰と闘ってみたかったですか? こう聞かれたら、唯一名前が浮かぶのが前田日明だ。もしUWFの看板を背負った前田との試合が実現していたらどうなっていただろう。殺し合いじゃないんだけど、ガチガチのものすごい試合になる、そんな予感もある。そう思える選手は前田日明だけかもしれないね。70年を超え…

猪木・前田・未来

…にやっただけです。『UWF』でも『リングス』でも本当にバカ正直にやっただけです。それは『プロは強くないといけない』『プロは誰が見てもこれは凄いなって思われないといけない』『世界の格闘技の一流の選手と試合ができないといけない』っていう教えで、猪木さんから言われたことをそのままやっただけです」と語っています。 続けて、前田は「佐山さんも若手のころ自分に『猪木さんは、こういうことを言っているぞ』ってよく語っていて、そのまま猪木さんの影響を受けていましたから、そういう猪木さんの言葉が…

『純度100%! 有田哲平のプロレス哲学』

…ッション」では、昔のUWFで関節技の取り合いになると会場中が「シーン」となって、みんなが固唾を呑んでリング上の攻防に注目していたことを取り上げ、著者は「その時代に戻れというわけではありません。でも、『サブミッションは一瞬で極まることもある』『関節技が極まったら、時間が早かろうが、それまでの攻防が少なかろうが、否応なく決着がつく』というのも見せてほしいんですよね。ましてや僕たちはPRIDEやRIZINも見ているわけですから。『安心して盛り上がれるプロレス』というのは楽しいのも確…

『闘魂と王道』

…を見た。 新日本vsUWF近親憎悪の闘い1987 『最強タッグ』で実現した 最初で最後の超獣コンビ対決1988 昭和のプロレスの”最終回”だった 8・8藤波vs猪木の60分フルタイム この帯裏の「内容紹介」がそのまま「目次」となるわけではなく、他にも1つの年度に複数の出来事や事件が書かれています。また、本書の冒頭には、「‟燃える闘魂”アントニオ猪木スペシャルインタビュー」が、巻末には「昭和の全日本プロレスの‟流儀”テリー・ファンク&天龍源一郎スペシャル対談」が添えられています…

『新日本プロレス50年物語』

…6年(昭和61年) UWFに始まり、前田に終わる。 「格闘技」というジャンルが派生!●1987年(昭和62年)「初代IWGPヘビー級王者」は3度も決められた!●1988年(昭和63年) 昭和最後の年、藤波が猪木に対して 見せつけた圧倒的な自信 「まえがき」の冒頭に、著者は「これは新日本プロレス書紀の歴史本には違いないのだが、歴史の『座標軸』はあくまで私、流智美である」と書いています。著者が14歳(中学2年)の時に旗揚げした新日本プロレスという団体が、昭和が終わる時期まで、著者…

総合格闘技の歴史動画がすごい!

…の新日本プロレスからUWFへ、そこから派生した佐山聡の修斗、前田日明のリングス、髙田延彦のUWFインターナショナル、船木誠勝のパンクラス、さらにそこからUFC、K-1、PRIDEが生まれ、現在のRIZINへと繋がっていく流れがよくわかります。 ショート版(4分22秒) 「2時間50分は長い!」という人には、4分22秒のショート版も用意されています。その要約ぶりがまた見事で、運営者の編集力には脱帽です!ブログ「最強のロマンを求めて」で紹介した「MMA言語化挑戦中 Vonyage…

『猪木と馬場』

…規軍”対“維新軍” UWF “格闘王”前田日明 “明るく、楽しく、激しいプロレス” 東京ドーム初進出 議員レスラー 引退試合・・・・・・」 カバー前そでには、「昭和のあの頃、金曜夜8時に『男の子』はみんなテレビの前にいた--。アントニオ猪木とジャイアント馬場は力道山門下で同日デビューし、やがて最強タッグ『BI砲』で頂点に上り詰めた。その後、独立してそれぞれの道を歩み、二人は仁義なき興行戦争へと突入していく。プロレスラーとしての闘いからプロデューサーとしての闘いへ。猪木と馬場の…

『アントニオ猪木』

…。また、ブログ『証言UWF完全崩壊の真実』、 ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』、ブログ『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。 本書の帯 本書の帯には「アリ戦の真相、馬場との本当の関係、北朝鮮、イラクでの秘話、波乱の人生・・・・・・」「『魅せる男』の全貌に迫る!」と書かれています。帯の裏には、「●実は判定勝ちだったモハメッド・アリ戦●師の故郷に送った「闘魂」●猪木vs馬場戦に3億円●ジェット・シン「伊勢丹事件」の詳細●巌流島対決…

『ヒクソン・グレイシー自伝』

…の著者の道場に現れたUWFインターナショナルの安生洋二を血祭りにあげました。著者の最強幻想がさらに強くなったところで、翌1995年には第2回VTJに参加します。決勝戦の相手は体重70キロの中井祐樹でした。彼は1回戦でジェラルド・ゴルドーに反則で目をえぐられ(その後、失明)、準決勝で自分より45キロも重いアメリカの巨漢レスラーを苦戦の末に下したものの、満身創痍の状態でした。しかし、中井は「ヒクソン、あなたと戦うために来た!」と言いました。著者は、「中井祐樹は勇者だ。彼の魂の吐露…

上級グリーフケア士の誕生

…使い、前田日明も新生UWFの旗揚げの挨拶で使いました。全国から選び抜かれて集ったファシリテーターのみなさんも、同じ思いではなかったでしょうか」と述べました。 また、わたしは「いま一番、グリーフケアを学んでほしいのはロシアのプーチン大統領です。彼が起こした戦争で、いかに多くの悲嘆が生まれているのかを知ってほしいです。グリーフケアは人間愛の発露であり、幸福へのサポートであり、平和への祈りです。グリーフケアという考え方が広まれば、この世から戦争がなくなるかもしれません。みなさんの今…

姫路のグリーフケア式典 

…使い、前田日明も新生UWFの旗揚げの挨拶で使いました。あの日、全国から選び抜かれて集ったファシリテーターのみなさんも、同じ思いではなかったでしょうか。みなさんは、グリーフケアの時代を拓くパイオニアです。どうか、自身の大いなるミッションを果たされて下さい。いま一番、グリーフケアを学んでほしいのはロシアのプーチン大統領です。彼が起こした戦争で、いかに多くの悲嘆が生まれているのかを知ってほしいです。グリーフケアは人間愛の発露であり、幸福へのサポートであり、平和への祈りです。グリーフ…

『コメントで見る! プロレスベストバウト』

…。また、ブログ『証言UWF完全崩壊の真実』、 ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』、ブログ『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。 本書の「目次」は、以下の構成になっています。「まえがき」第一章 「二十世紀 プロレスが娯楽の王だった」第二章 「二十一世紀 プロレス再建」「プロレス大賞一覧」 本書には昭和・平成・令和の日本におけるプロレス(異種格闘技戦を含む)40試合とそれに関連するコメントが紹介されていますが、最初に登場するのは19…

「全裸監督」

…ロレスを否定して、「UWF」という格闘技色の濃いプロレスを創った前田のように、村西は「前張り」や「モザイク」を否定して、限りなく「本番」に近いAVを作り続けました。もっとも、完全なシュート(「射精」という意味があります)を追求すれば、UFCのようなバーリ・トゥード(なんでもありの真剣勝負の格闘技)になってしまいますが・・・・・・。 UFCといえばグローバルな成功を収めていますが、この「全裸監督」というネットフリックスのドラマは世界190ヵ国で配信されました。「衛星放送を使って…

『ベイダータイム 皇帝戦士の真実』

…ス、全日本プロレス、UWFインターナショナル、プロレスリングNOAH、FMW、ドラディションなど日本マットを席巻した『皇帝戦士』最初で最後の自伝、独占刊行!」「不遇だった不良グループ時代の荒廃した日々、アメフトのトップ選手としての栄光と挫折、AWAでのデビューに始まったプロレスラーとしての壮絶なる半生に徹底的に迫る」「たけしプロレス軍団の刺客として新日本のアントニオ猪木VS長州力戦に乱入、その舞台裏で何があったのか」「スタン・ハンセンとの死闘で眼球が抉り出されて目から飛び出し…