『平成マット界 プロレス団体の終焉』

平成マット界 プロレス団体の終焉

 

一条真也です。
『平成マット界 プロレス団体の終焉』高崎計三著(双葉社)を読みました。著者は1970年、福岡生まれ。ライター、編集者。大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。まんだらけを経て、2002年より有限会社ソリタリオ代表。プロレス、格闘技、音楽などのジャンルを中心に多方面で活躍中だとか。本書は、ムック「俺たちのプロレス」誌上の連載に新たな取材を重ねて加筆のうえ再構成したものです。


本書の帯

 

本書の帯には、「猪木・新日本と馬場・全日本の2団体時代を経て、百花繚乱が彩った平成のマット界。その終焉、幕引きには必ずドラマがあった!」「13団体の関係者が語った内情と舞台裏」と書かれています。


本書の帯の裏

 

帯の裏には「現在の多団体時代につながる源流を再検証」として、以下の各団体名と最後の日付が書かれています。
ジャパン女子プロレス 1992・1・26
SWS 1992・6・19
新格闘プロレス 1994・11・16
W★ING 1994・3・13
UWFインターナショナル 1996・12・27
FFF 1997・1・10
キングダム 1998・3・20
レッスル夢ファクトリー 2001・9・8
FMW 2002・2・4
WJプロレス 2004・5・27
日本女子プロレス 2005・4・17
NEO女子プロレス 2010・12・31
IGF 2007・7・16



本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
 第1章 ジャパン女子プロレス
 第2章 SWS
 第3章 新格闘プロレス
 第4章 W★ING
 第5章 FFF
 第6章 UWFインターナショナル
     キングダム
 第7章 レッスル夢ファクトリー
 第8章 FMW
 第9章 WJプロレス
第10章 全日本女子プロレス
第11章 NEO女子プロレス
第12章 IGF
「おわりに」


「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「平成とは、プロレス団体が増え続けた時代でもある。昭和の事実上最後の年、1988年にはプロレス団体は全日本女子プロレス新日本プロレス全日本プロレスジャパン女子プロレス、UWF(設立順)の5つしかなかった。同年に旗揚げしたUWFは1991(平成3)年に3つに分裂し、90(平成2)年から92(平成4)年の短い命だったSWSの解体以後は、たんぽぽの綿毛が飛び散ってあちこちで新たに芽吹き始めるように新団体が生まれ、多団体時代が加速していった」


第2章「SWS」では、「設立にあたっての予算は60~70億円 前代未聞の規模で動き出した新団体」として、「1990年、メガネスーパーによるプロレス団体設立はマット界にとてつもなく大きな衝撃を呼んだ。新団体『SWS』のスタートに伴い、全日本プロレスからは天龍源一郎をはじめ計10選手とレフェリー、スタッフが大量離脱。これに新日本プロレスを退団したジョージ高野佐野直喜(現・巧真)の2選手、さらにフリー選手らも加わり、SWSはいきなり大所帯で始動することとなった。この陣容が集まった背景にあったのは、もちろんメガネスーパーの豊富な資金力である。5月10日の設立会見でメガネスーパーの故・田中八郎社長は、設立にあたっての予算を『60~70億円』と発言。日本のプロレス界では想像もつかないほどの金額であった」と書かれています。


第5章「FFF」では、90年代のマット界の状況について、「新日本、全日本の二強と並ぶ『第三勢力』を狙った動き」として、「一時期、社会現象ともいえる人気を博した新生UWFはわずかな期間で解散し、3団体に分裂。藤原組はそこからさらに分裂を繰り返し、UWFインターナショナルは新日本プロレスとの“禁断の対抗戦”に着手したが、この時期にはそれももう下火になってしまっていた。また、メガネスーパーの資金力を背景に『企業プロレス』として華々しく旗揚げしたSWSも短命で崩壊。一方『インディー』の概念を作り出し、電流爆破などの新機軸で快進撃をみせたFMWは、95年の大仁田厚引退によって規模縮小を余儀なくされていた。誰もが新日本、全日本に続く『第三の勢力』になることを夢見ながら、その牙城にはなかなか迫れずにいたのである」と書かれています。


第6章「UWFインターナショナル キングダム」では、「他流に後れを取りながらもマット界に旋風を巻き起こす」として、「UWFインターナショナルが打ち出したのは、『かつてのプロレスへの回帰』でもあった。ルー・テーズビル・ロビンソンを最高顧問として招き、テーズの持っていたベルトを掲げて『プロレスリング世界ヘビー級王座』も制定。北尾光司やスーパー・ベイダー、ジョン・テンタなど、プロレスのリングで活躍したビッグネームも続々参戦。髙田らとの対戦は従来のプロレスの枠を拡大するようなスケールの大きさを感じさせた。他団体に対して挑発的な仕掛けを連発したことも、団体のイメージに強烈な色をつけた。そもそも北尾やベイダーの参戦により、ファンは自然と彼らが過去に参戦した団体と比較していったし、蝶野正洋への対戦要求や5団体のトップ選手に参戦を呼びかけた『1億円トーナメント』事件など直接的な挑発も次々に行っていった」と書かれています。


第9章「WJプロレス」の冒頭は、「選手の高額なギャラ、設備投資・・・・・・最後の最後まで響いた『感覚のズレ』」として、「新日本プロレスを離脱した長州力らが2002年に設立したWJプロレス(正式な会社名は『株式会社ファイティング・オブ・ワールド・ジャパン』)。『ど真ん中のプロレス』を標榜し、翌03年3月1日の旗揚げ戦から長州vs天龍源一郎のシングル6連戦を発表するなど話題を呼んだが、さまざまなトラブルやアクシデントに見舞われ、04年夏にはその短い歴史を閉じることとなった。所属選手は長州、佐々木健介越中詩郎鈴木健想ら元新日本勢を中心に、ノアを退団した大森隆男も参加するなど有名選手も揃っていたが、団体は迷走を重ね、成功には至らなかった」と書かれています。


団体の崩壊や解散をテーマにしているだけあって、本書の内容は暗いです。また、正直あまり興味深い情報は書かれておらず、ブログに紹介するのも躊躇しました。しかし、「せっかくプロレス本を網羅してきたのだから読むか」「せっかく読んだのだからブログで紹介するか」といった感じでした。それでも、ニッチな情報を得ることはできました。なつかしい団体も、いろいろ思い出しました。よく興行にも行きました。テレビ放送があれば、必ず録画しました。販売されたビデオソフトも買いました。それにしても、わたしの人生に占めるプロレスの割合の大きさを思うと、自分でも呆然としてしまいます。

 

 

2023年4月10日 一条真也