ハートレス・キーワード

一条真也です。
25日の日曜日、ネットを見ていたら「空気を読むという言葉を流行らせた松本人志の功罪。松本人志の芸能活動休止は芸能界の空気まで変えてしまう?」という記事を見つけました。一読して、わたしは大きな衝撃を受けました。


Media Grooveより

 

記事によれば、今では当たり前のように使用される「空気を読む」という言葉は松本人志が作ったもので、彼が大衆化したそうです。「空気を読む」以外では、「イタイ」「サムイ」「かぶってる」「噛む」「絡みにくい」「KY」「すべる」「ドン引き」「グダグダ」といった言葉も松本人志が発祥だとされているそうです。この事実には驚愕しました。記事には、「人が感じる印象や感情をうまく言葉にすることが松本人志の面白さでもあり、ボキャブラリーの凄さであったりします」と書かれています。


宇野維正氏のXより

 

もともとは、映画・音楽ジャーナリストの宇野維正氏が2019年7月23日にポストしたX(旧Twitter)が出典です。それによれば、「天然」なども松本人志発祥とのこと。宇野氏は「松本人志という天才の功罪。今になってみれば、これらの言葉がどれだけこの国の『空気』を変えてしまったかが身に染みる」と発言しています。



くだんの記事はこれら一連の言葉を生んだ松本を「すごい」としながらも、これらの言葉を流行らせたことの弊害もあると述べています。また、「芸人的なノリの強要」として、「人間がコミュニケーションを取る際には、おもしろいかどうかなど関係ありませんが、彼の番組に出るお笑い芸人以外の人にも、おもしろいことを言わなければいけない。空気を読まなければならない。何がおもしろいかを決めるのはお笑い芸人様といった圧がかかっていました。そのようにして本来はお笑いとは無縁な人が追い込まれていく様子をおもしろがるということは相手が番組に出演することを了承しているからこそ成り立っている関係性でもありますが、ワイドナショーでは週刊誌の報道を、相手の了承もなく全国ネットで大々的に報道して、このような同調圧力でなにかやらかした有名人を上から目線で小馬鹿にするスタンスを取っていました。現在、松本人志が陥っている状況はいわば、自分が作った空気ともいえるでしょう」と書いています。まったく同感ですね!


 

さらに、「相手が誰だろうが、人間は意思表示する権利がある」として、「相手の見た目、性別、職業、年齢にかかわらず、人間は誰しもが相手に対して意思表示する権利を持っています。たとえ、それを言ったら『おもんない』ことであっても関係ありません。まず、松本人志が去ったお笑い界を考えるうえで松本人志が作り出したおもろいかおもんないかを基準とした、芸能界でのヒエラルキーを前提にしたコミュニケーションのあり方自体をどうするか考えていく必要があるでしょう。また、この前提が崩れるとお笑いの各種賞レースのあり方も変わっていかざるを得ません。一昨年のM-1で優勝したウエストランドは過剰に持ち上げられている現在のお笑い界やM-1の大会自体をいじって優勝していますが、そもそもなぜ真剣にお笑いで点数なんか競ってるのかという根本的な疑問に対して、答えを作らないと、松本人志が去った後のお笑い界は、マニア化して廃れていくでしょう」とも書かれています。


わたしは、この記事を読んで、「そうか、なるほど!」と膝を叩きました。ブログ「やさしい笑いの時代へ」にも書きましたが、一連の松本人志の性加害騒動に接し、わたしは「笑い」というものについて考えました。というのも、今回の騒動をきっかけに日本のお笑いが大きく変わるのではないかと思うのです。これまでの日本のお笑いには「人間尊重」の精神が著しく欠けていました。というよりも、相手の人間としての尊厳を踏みにじるものでした。誰かをいじって馬鹿にする笑いが主流であり、これが子どもたちに悪影響を与えて、日本中で「いじめ」の問題を生みました。いじめっ子たちの決まり文句は「いじめてないよ。いじっただけ」。この「いじり」は「ハラスメント」に発展し、現代日本社会では容認されないものとなりました。

小ノ上マン太朗さんと

 

わたしは、M-1を面白いと思ったことがありません。いつも「ギスギスしてるなあ」と思えて苦手でした。客が笑ったら、芸人の勝ち。笑わなかったら、芸人の負け・・・。まるで格闘技のような殺伐とした笑いには、どうも違和感をおぼえます。笑いとは、本来もっと自由で大らかなものではないでしょうか。わたしは、「笑い塾塾長」こと小ノ上マン太朗さんのようなユルイ笑いが好きです。日本初の「笑い」のNPO法人である“博多笑い塾”の塾長であるマン太朗さんは、「吉本芸人のように劇場で笑いを売る芸人ではなく、老人ホームなどを慰問する芸人を育てたい」と熱く語っていました。


「笑い」は「幸せ」に通じているはず!

 

もともと、「笑い」とは「幸せ」に通じているはずです。わが社は「笑いの会」という組織を運営しており、小ノ上マン太朗さん率いる「博多笑い塾」とコラボを組んでいます。そこで目指すのは「やさしい笑い」です。これには2つの意味があって、1つは「人に優しい笑い」。誰をも傷つけないコンパッションのある笑いです。もう1つは、「誰にでも理解できる易しい笑い」。M-1に登場するような難解な笑いではなく、老若男女が誰でも笑えるユルイ笑い。それには、芸人が一目で笑えるような外見をしている、つまりは道化である必要があります。そう、チャップリンのような笑いですね。


ハートフルに遊ぶ』(1988年5月20日刊行)

 

「イタイ」「サムイ」「かぶってる」「噛む」「絡みにくい」「KY」「すべる」「ドン引き」「グダグダ」「天然」「空気を読む」・・・・・・これらの言葉を作った松本人志のコピー・センスは天才的です。しかし、それは人を幸せにする類の言葉ではありません。いわば、「ハートレス・キーワード」です。「ハートレス」の反対語は「ハートフル」ですが、これはわたしの造語です。わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。それを「矢を放つ」と表現しています。新しい言葉(思想)とは一本の矢であり、それが放たれることによって、人々の心に刺さっていきます。そして、世の中は確実に変わり始めます。「言霊」というように、言葉には力があるのです。


多くの言葉の矢を放ってきました

 

ハートフル」をはじめ、「ロマンティック・デス」も、「グランドカルチャー」も、「結婚は最高の平和である」も、「死は最大の平等である」も、「有縁社会」も、「修活」も、「悲縁」も、すべてわたしが放った心の矢です。最近も、「リメンバー・フェス」という矢を放ちました。わたしはもっと多くの言葉を作りましたが、すべては「少しでも世の中が良くなってほしい」という願いを込めました。これらのハートフル・キーワードの数々は当ブログの「KEYWORD」に収められています。興味のある方は、ぜひクリックしてご覧下さい。また、これらの言葉を1冊にまとめた『心ゆたかな言葉~ハートフル・キーワード』という本を現在製作中です。帯の推薦文は、これまで数多くの流行語を作ってきた超大物コピーライターに書いていただく予定です。どうぞ、お楽しみに!

 

2024年2月25日  一条真也