「やさしい笑い」の時代へ

一条真也です。
松本人志氏の性加害疑惑が世間を騒がせていますが、ブログ「松本人志には『礼』がない」には大量のアクセスが寄せられました。特に、 サンレーグループのみなさんからはこの記事についての感想がLINEで送られてきました。わが社は「礼」を重んじる「礼の社」を目指していますので、みなさん感じるところが多々あったようです。



松本人志氏は、お笑い芸人です。
「礼」の問題も重要ですが、わたしは「笑い」というものについても考えました。というのも、今回の騒動をきっかけに日本のお笑いが大きく変わるのではないかと思うのです。これまでの日本のお笑いには「人間尊重」の精神が著しく欠けていました。というよりも、相手の人間としての尊厳を踏みにじるものでした。誰かをいじって馬鹿にする笑いが主流であり、これが子どもたちに悪影響を与えて、日本中で「いじめ」の問題を生みました。いじめっ子たちの決まり文句は「いじめてないよ。いじっただけ」。この「いじり」は「ハラスメント」に発展し、現代日本社会では容認されないものとなりました。



発端は、2017年9月28日に放送されたフジテレビの「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年スペシャルで、石橋貴明が扮するキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」が登場したことでした。「保毛尾田保毛男」は、青髭にピンク色の頬という派手なメイクを施したキャラクターです。同放送では同性愛をネタに共演者とやりとりをするシーンが流れ、視聴者から同性愛者を揶揄する表現に大きな批判が相次ぎました。最終的にフジテレビの宮内正喜社長が謝罪するに至りました。LGBTQをはじめ、性的マイノリティへの理解が進みつつある昨今、こうした差別的な表現は絶対に許されません。


とんねるずは「パワハラ芸」がウリでしたが、時代に合わなくなりました。現在は、すっかりテレビから姿を消し、石橋貴明はYouTubeに活動の場を移しています。とんねるずは「体育会」もウリにしましたが、日大アメフト部の問題などから、「体育会」的な体質というものに国民が強い嫌悪感を示し始めました。冠婚葬祭も無縁ではありません。これまで日本の結婚披露宴では、「パワハラ」や「体育会」を連想させる暴露ネタなどが流行していた時期もありました。大手の商社でも、若手男性社員が全裸になる余興などが伝統だったそうです。良識ある親族の眉をひそめさせていたものですが、ヤンキー文化が完全に終わりつつある今(市長がド派手衣装を着るヤンキー政令指定都市もありますが)、披露宴の余興も一変しました。



とんねるずの2人はわたしの1学年上で、ダウンタウンの2人はわたしと同学年です。東京、大阪と出身地を異にする両お笑いコンビですが、ともに内輪ネタを得意とし、ハラスメントで笑いを取る芸風は同じ。特に、ダウンタウン浜田雅功は大先輩のベテランタレントに向かって「おまえなぁ」と言い、何度も頭を小突きました。頭を小突く芸は古くからありましたが、相方でもない他のタレント、しかも先輩を小突いたのは浜田が初めてでした。「デイリー新潮」配信の「常識の修正を拒否した松本人志、ダウンタウンに批判的だった横山やすし・・・『天才』2人の歩みは今になって重なる」では、放送コラムニスト・ジャーナリストの高堀冬彦氏が「浜田は敬語も使わない。誰であろうが、遠慮会釈なし。松本の言葉使いも丁寧とは言えなかった。この媚びない姿勢が、新鮮でもあり、ダウンタウンがウケた理由の1つである」と書いています。

 

お笑いは時代と共にあります。お笑い人の常識が時代とズレるのは珍しいことではありません。同記事の「常識を修正した大物芸人たち」では、高堀氏は「萩本欽一(82)はお笑い界の良識人とされるが、60年代から70年代前半のコント55号時代には相方の故・坂上二郎さんをイビリ抜いた。松本のイビリ以上ではないか。観ていた人ならご記憶のはずだが、今では到底できない。いじめと非難されても仕方がない。しかし、萩本はイビリ芸が時代に合わなくなりつつあると気付き、70年代半ばから80年代半ばにかけては、老若男女が安心して観られる笑いの提供者に転じた。笑わせ方を修正した」と書いています。



また、高堀氏は「ビートたけし(77)も変わらないように見えて実は修正している。80年代前半、『赤信号、みんなで渡れば怖くない』や女性の外観の美醜などを題材にした毒ガスギャグを売り物の1つにしたが、かなり早くから口にしないようになった。時代と社会通念の変化も意識したはずである」と書いています。確かに、今でこそビートたけしは「礼」を重んじていますが、当時は弱者や障がい者に対しても差別的なギャグが多く、わたしは大嫌いでした。さらに高堀氏は、やはり良識派タモリ(78)は80年代には名古屋市を見下したり、さだまさし(71)の楽曲を小馬鹿にしたりするギャグをたびたび口にした。今なら相当な反感を買う。しかし、タモリは90年代に入る前にこれらの辛口ギャグを封印した。タモリもやはり修正したのである」と書いています。


一方で、自分が納得することが第一だった松本人志氏は修正しませんでした。むしろ積極的に修正を拒絶しました。高堀氏は、故・横山やすしの名を出して、「やすしさんも最後まで変わらなかった。これによって2人はそれぞれの時代とのズレが大きくなり、松本は支持が低下。やすしさんは淋しい晩年を迎えたと見る。テレビパーソンなら誰でも知るはずだが、松本のレギュラー番組は02年から人気が落ちていたのだ。やすしさんは市井の人とのトラブルや過度な飲酒によって自壊の道を辿った。松本は女性への性加害疑惑によって芸人生活に黄色信号が灯っている」と述べます。松本人気が2002年から落ち始めていたことは初めて知りましたが、少なくとも、わたしはダウンタウンの笑いを面白いと思ったことは一度もありません。

 

 

ブログ『火花』で紹介した又吉直樹氏の小説は「お笑い」をテーマとした内容ですが、ベストセラーとなり、ついには第153回芥川賞を受賞しています。著者の又吉氏は、1980年大阪府生まれ。吉本興業所属のお笑い芸人で、お笑いコンビ「ピース」として活動。ピースは、「キングオブコント2010」で準優勝しています。『火花』の帯の裏には「お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!」「漫才は・・・・・・本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん」という紹介文が書かれています。


『火花』は、板尾創路監督、菅田将暉桐谷健太出演で2017年に映画化されました。初対面で、徳永(菅田)は神谷(桐谷)の弟子になります。その後、2人は顔を合わすたびに、また電話でも、いつもこのときの会話のように「常在戦場」で漫才を始めるのでした。でも、神永が口にした「笑いって、こんなに難しかったっけ?」という言葉をわたしも感じました。劇場でも、お笑い芸人たちは観客とシビアな戦いを繰り広げます。客が笑ったら、芸人の勝ち。笑わなかったら、芸人の負け・・・。まるで格闘技のような殺伐とした笑いには、どうも違和感をおぼえます。笑いとは、本来もっと自由で大らかなものではないでしょうか。わたしは、「笑い塾塾長」こと小ノ上マン太朗さんを思い浮かべました。日本初の「笑い」のNPO法人である“博多笑い塾”の塾長であるマン太朗さんは、「吉本芸人のように劇場で笑いを売る芸人ではなく、老人ホームなどを慰問する芸人を育てたい」と熱く語っていました。

小ノ上マン太朗さんと

 

たしかに、「M−1」に代表されるような劇場での「お笑い」は芸人と観客との戦いです。そこに「癒し」はありません。もともと、「笑い」とは「幸せ」に通じているはずです。わが社は「笑いの会」という組織を運営しており、小ノ上マン太朗さん率いる「博多笑い塾」とコラボを組んでいます。そこで目指すのは「やさしい笑い」です。これには2つの意味があって、1つは「人にやさしい笑い」。誰をも傷つけないコンパッションのある笑いです。もう1つは、「誰にでも理解できるやさしい笑い」。「M-1」や『火花』に登場するような難解な笑いではなく、老若男女が誰でも笑えるユルイ笑い。それには、芸人が一目で笑えるような外見をしている、つまりは道化である必要があります。そう、チャップリンのような笑いですね。


マスクの下は笑顔です!!😊

 

ブログ「『笑いの会』100回!」で紹介したように、2023年12月12日、「笑いの会」は記念すべき100回を迎えました。会場の天道館で主催者挨拶を行ったわたしは、「この会は、『人は老いるほど豊かになる』という『老福』の考えのもとに始まりました。小ノ上マン太朗先生をはじめ、皆様の支えがあってこそ、コロナ禍も乗り越えて100回という道のりを歩むことができました。2020年には『北九州市健康づくり活動表彰』において優秀賞にも選ばれました。本当にありがたいことです。今日の100回記念イベントでは、楽しい時間を過ごし、新しい思い出を作り、更なる素晴らしい未来に向けてエネルギーを充電しましょう!」と述べました。それから、オレンジ色の不織布マスクを外すとき、「マスクの下は・・・笑顔です!」と言って、満面の笑みを見せたところ、大歓声に包まれました。つかみはOK牧場でした!!(笑)

ウェルビーイング?』(オリーブの木

 

小ノ上マン太朗に感謝状を贈呈した後、小ノ上マン太朗、太丸ばあちゃん、涼風歌萌、吉田シュンシュン、山本譲一といった熟練のお笑い芸人たちによって会場は爆笑の渦に巻き込まれました。「笑い」は持続的幸福としてのウェルビーイングにとって非常に重要です。拙著ウェルビーイング?オリーブの木)にも詳しく書きましたが、わが社は40年前から「幸せ」の追求に取り組んできましたが、「笑い」が大きな役割を果たしました。わが社は「落語の会」や「笑いの会」の開催を通して、笑いによる縁としての「笑縁」作りに励んできたのです。これから、わが社は「笑いの会」をベースにして、さらに積極的にお笑いビジネスに進出したいと考えています



さて、わたしがテレビの全国放送に出演するようなプロのお笑い芸人を完全に否定しているのかというと、そうではありません。ブログ「わたしが一番気になる芸人」にも書いたように、わたしが好きなお笑い芸人はコウメ太夫です。1972年、東京都杉並区出身。1995年、梅沢富美男劇団に所属し、明治座などの舞台に立ちました。女形をしていた時期もあるとか。1997年、お笑いに転身。2000年から「赤井貴」名義で外山某とJUMP-2000というコンビを組み、ボケを担当。コンビを解消後は、単独でアマゾネースを名乗りました。2005年、「エンタの神様」(日本テレビ系)に初出演、小梅太夫としてブレイク。同番組には、2008年まで計25回出演。この頃が芸人としてのピークだったとされています。



コウメ太夫の持ちネタは、「コウメ日記」です。着物、白塗り、ゴム製かつらという姿で、女声を模した奇矯な裏声で「チクショー!!」や「ウレチー」などと喚き散らすというキャラクタースタイルを基本としています。「わたくし、狂い咲き小梅太夫と申します。徒然なるままに書き散らした『コウメ日記』、お聴き下され~」の口上で始まります。ネタ冒頭では中村美律子の「島田のブンブン」のイントロが使われています。「小梅日記」以後も多様なキャラクターに扮してネタを披露しましたが、「一発屋」「スベリ芸人」として認知され、「コウメ太夫で笑ったら即芸人引退」なる企画まで実現する始末。ちなみに、わたしがコウメ太夫を知ったのは、まさにその番組でした。最初は「ひどい扱いだな」と同情したものの、その直後、あまりの面白さに衝撃を受けました。

 

コウメ太夫で笑ったら即芸人引退」では、「チクショー1週間」というスケッチブックを用いたネタが披露され、有吉弘之、おぎやはぎ、ロンドンブーツ1号・2号らが爆笑していました。たしかに、これは殺人的に面白かったです。内容は「コウメ日記」のスタイルを踏襲したものでした。フジモン藤本敏史はこのネタを含めコウメが出演した「テベ・コンヒーロ」2012年5月29日放送分を録画したものを自宅で30回見たと「テレビブロス」2012年15号(東京ニュース通信社)で語っています。コウメ太夫の良いところは誰も傷つけず、ひたすら自虐ネタを展開するところです。また、その白塗りの芸者スタイルの外見はまさに道化そのもので、「やさしい笑い」そのものです。わたしは、近い将来、わが社の「笑いの会」にコウメ太夫を招いて、多くの方々とともに爆笑したいです!


「やさしい笑い」のシンボルです!

 

2024年2月12日  一条真也