一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「書」です。

サンデー新聞」2022年7月2日号

 

わたしは、とにかく毎日、書いています。
何を書くか。まず、原稿を書きます。一時期はコラムなどの連載が新聞・雑誌・ネットを合わせて月に12本ありました。毎月の社内報にも、社員へのメッセージを書きます。そのうえ、新聞社や出版社から単発の原稿依頼も来ます。はした金の原稿料などよりも、当社のミッションやわが志を世の人々に伝えたいので、よほどの理由がない限りは執筆の依頼を断らないようにしています。

書斎に並んだ一条本

 

単行本を執筆する場合は、それこそ寝る間も惜しんで書きまくります。別に早く書く技術を学んだわけでもありませんが、本を書くのは早い方です。およそ30年前に上梓した『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』はハードカバーで440ページもあり、かなり濃度の濃い内容だが、1か月かからないで書き上げましたた。2003年末には『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』と『老福論〜人は老いるほど豊かになる』を2冊同時に上梓しました。わたしとしては実に10年ぶりの単行本の執筆でしたが、それぞれ約2週間ずつで書き、2冊あわせて1か月かかりませんでした。さらに、島田裕巳氏のベストセラー『葬式は、要らない』への反論書『葬式は必要!』は14日間、『「鬼滅の刃」に学ぶ』は20日間で書きました。


ハートフルに遊ぶ』(1988年5月20日刊行)

 

それもパソコンではなく、手書きで書くのです。何を隠そう、築90年におよぶ骨董住宅に住むわたしは、自身も超アナログ人間であり、2006年4月刊の『孔子とドラッカー』が生まれて初めてパソコンを使って書く本でした。その前の『ハートフル・ソサエティ』も、すべて手書きで書きました。わたしは万年筆が好きで、少々集めてもいます。社長に就任したときは、父、友人一同、先輩経営者などから記念にそれぞれ万年筆を贈られました。わたしの宝物です。でも原稿は万年筆では書きませんでした。200字詰めのぺラの原稿用紙にユニボールの黒のサインペンで書くのです。処女作『ハートフルに遊ぶ』からずっと一貫して愛用しており、今でも手帳にメモなどを書き込むときは、このペンです。わたしは筆圧が強くて無理な力が入るため、1冊分の原稿を書いた後は、いつも右手の中指が変形するほど腫れあがっていたものです。そういう意味では、目は疲れるけれども指は痛くないので、パソコンはありがたいですね。


サンレー のオリジナル・ポストカード

 

何を書くか。手紙を書きます。わたしは、毎日のように誰かに手紙を書いています。初めて面会した政治家や経済人や文化人、研修旅行などで同行した人、パーティーで知り合って名詞交換をした人、読んで感動した本の著者、とにかくありとあらゆる人に手紙を書きます。社員や友人に誕生日のカードも書きます。それも結構長文で、ノッてくると便箋で10枚ぐらいは平気で書きます。それによって、ずいぶん多くの方々との縁を深められたのではないでしょうか。現在は、サンレー のオリジナル・ポストカードが何十種類もありますので、それを使って多くの方々にメッセージを書きて送らせていただいています。


きみに読む物語」という映画で、恋人に365通のラブレターを出した男というのが出てきて話題を呼んだことがありますが、はっきり言って、わたしがその気になればキミヨムを軽く超える自信はあります。以前は、絵ハガキもよく書きました。出張が多いので、出張先から家族や友人にさまざまな写真のポストカードを出したものです。わたしの止まり木のような小さなスナックが小倉にあって、そこのマスターに絵ハガキを出すと、とても喜んでくれました。それが嬉しくて、ついつい調子に乗って全国各地から、また海外からも出していたら、気づくと500枚ぐらいになっていました。わたしが出した絵ハガキはすべて店内に飾られていましたが、その店も今はもうありません。マスターも亡くなりました。あの大量の絵ハガキはどうなったのでしょうか?

皇産霊神社に奉納された庸軒道歌

 

何を書くか。筆で自作の短歌を短冊に書きます。わたしは「庸軒」の雅号で、当社の使命やわが志を歌に込めて、社員に披露しています。そんな達筆ではないので本当は恥ずかしいのですが、社長が自らの直筆で書くことが大事と思い、書いた短冊は社員にプレゼントしたり、会社のエレベーター内に展示したりしています。また、皇産霊神社の境内にも奉納されています。

わが筆写ノートの一部

 

何を書くか。大切な本を書き写します。
論語』や吉田松陰の『留魂録』などは筆で書き写しましたが、10年ぐらい前はよくサインペンで司馬遼太郎の主要作品の重要部分を書き写しました。伊東屋で求めた皮製のちょっと贅沢な手帳を使ったものです。ただ読むだけでなく、自分の手で愛読書を書き写すと、内容が強く心のなかに入ってきます。戦国時代や幕末明治を描いた司馬作品はすべて筆写しましたが、人間探求の絶好の勉強となり、『孔子とドラッカー』や『龍馬とカエサル』などの執筆に大いに役立ちました。

ShinとTonyのムーンサルトレター200信!

 

何を書くか。満月の夜にWEBレターを書きます。
毎月、満月の夜ごとに、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生と交わしているWEB文通の「ShinとTonyのムーンサルトレター」を交わしています。2005年10月18日の満月の夜、わたしが第1信を書きはじめました。鎌田先生が20日に返信を書かれて、ついに「ShinとTonyのムーンサルトレター」がスタート。17年後の今では、なんと第208信に達しました。その間、いろいろな話を鎌田先生としました。お互いの著書のこと、プロジェクトのこと、考えていること。話題も政治や経済から、宗教、哲学、文学、美術、映画、音楽、教育、倫理、さらには「世直し」まで。

日本経済新聞」2013年10月18日朝刊

 

わたしが商売人の身であるにもかかわらず、さまざまな文化人や学者の方々とお話しても何とかついて行けるのは、鎌田先生との文通で展開している議論のおかげかもしれません。わたしには、「自分は日本を代表する宗教哲学者と文通を続けているのだ」という自負と、「だから誰と対話することになっても怖くない」という自信があるのです。わたしたちの満月の文通は、「日本経済新聞」2013年10月18日朝刊の「交遊抄」によって広く知られるところとなりました。


ムーンサルトレターは5冊の本に!

 

わたしたちのレターは書籍化もされました。
第1信~第30信が『満月交感 ムーンサルトレター(上)』(水曜社)、第31信~第60信が『満月交感 ムーンサルトレター(下)』(同)、第61信~第90信が『満月交遊 ムーンサルトレター(上)』(同)、第91信~第120信が『満月交遊 ムーンサルトレター(下)』(同)、そして第121信~180信が『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)として単行本化されました。そして満月シリーズ5冊目となるのが『満月交心 ムーンサルトレター』ですが、今回は上下2巻に分けずに1巻にまとめましたので、すごく分厚いです!


一条真也の新ハートフル・ブログ」の第1回

 

何を書くか。毎日ブログを書きます。ブログ「ブログ始めました!」に書いたように、2010年のバレンタインデーに「一条真也のハートフル・ブログ」はスタートしました。それ以来、2000本の記事と番外編を数本書いて、同ブログは終了。2013年のバレンタインデーには「佐久間庸和の天下布礼日記」と「一条真也の新ハートフル・ブログ」の2つのブログを同時にスタート。本名ブログである「天下布礼日記」は2000本をもって終了しましたが、「一条真也の新ハートフル・ブログ」は現在も毎日、書いています。このブログもすでに5000本を超え、3つあわせて9000本以上を書いたことになります。

「財界九州」2021年4月号

 

しかも、わたしのブログは文章量が多いことで有名で、1万字以上はザラ(この記事も1万字以上です)。多いものでは4万字近くあります。完全に時代に逆行している気もしますが、書かなければならないことを書いているという自負があるので、そんなことは気になりません。ブログのテーマは多岐にわたりますが、特に読書感想と映画レビューが人気です。読書ブログや映画ブログは、アーカイブとして『一条真也の読書館』『一条真也の映画館』というサイトに転載しています。なお、「書」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年7月29日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「読」です。

f:id:shins2m:20210205103732j:plain一条真也の読書館

 

わたしは、とにかく毎日、読んでいます。
何を読むか。まず、本を読みます。会社にいるときは、読書は一切しません。もちろん自宅の書斎では読みますが、主に読むのは年間の約3分の1を占める出張の移動時間とホテルの部屋にいる時間です。とにかく読めるときは読みます。昔はテーマパークのアトラクションとかラーメン店などの行列に並んでいるときも本を読んでいるので、人からあきれられました。

 

 

別に速読法などを学んだわけではありませんが、読むのは早い方で、多い時で年間に700冊ぐらい読んでいました。それも定規と赤のボールペンで傍線を引きながら読むのです。最近は読んだ後に書評ブログを書くようになったため、読める冊数が減りました。年間300冊ぐらいしか読めていません。わたしが最も本を読んだ時期の読書法は、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)に詳しく紹介されています。また、書評は『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)、『心ゆたかな読書』(現代書林)の2冊に掲載されています。

 

 

わたしはとにかく読書によって、人生のさまざまな岐路をくぐり抜けて来たように思います。社長に就任してすぐ読んだのは、ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』でした。非常に感銘を受け、『ハートフル・ソサエティ』というアンサー・ブックまで書いたほどですが、その後、ドラッカーの著書はすべて読破しました。40歳になる直前、『論語』を読み、これまた感ずるところ大で、一気に40回も読み返しました。

 

 

あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)の出版を機に、わたしの読書法に興味を持っていただく方も増え、2010年にはテレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」内の「スミスの本棚」で、松岡正剛氏、平野啓一郎氏と並んで「読書の達人」としてご紹介いただきました


スミスの本棚」で「読書の達人」として紹介されました

スミスの本棚」で大いに語りました

 

世界のクロサワの名画に「七人の侍」と「用心棒」という作品がありますが、かつてのわたしには「七人の用心棒」がいました。すなわち、ピーター・ドラッカー、フィリップ・コトラーマイケル・ポーター安岡正篤中村天風松下幸之助稲盛和夫氏の7人です。孔子孟子王陽明といった超大物は別格として、何か経営上で困った問題が発生したら、この7人の本を読めば、たいていの問題は解決するといった時期が長く続きました。



わたしは本を読むときに、その著者が自分ひとりに向かって直接語りかけてくれているように感じながら読むことにしています。高い才能を持った人間が、大変な努力をして勉強をし、ようやく到達した認識を、2人きりで自分に丁寧に話してくれるのです。何という贅沢でしょうか! ですから、わたしは、昔の日本の師弟関係のように、先生の話を正座して1人で聞かせていただくのです。「七人の用心棒」は、「七人の心の師」なのです。


わが書斎の書棚

 

もちろん、「七人の用心棒」以外の本も読みました。もともと哲学や文学には目がありませんし、歴史書や伝記なども努めて読むようにしています。『論語』に心酔してからは、中国の書物を漢文で読むことが多くなりました。幕末維新までのわが国の教育に大きな力となったものは、漢籍素読儒学の教養でした。なかんずく中国の歴史とそれに登場する人物とが、日本人の人間研究に大きく役立ったのです。『史記』『十八史略』『三国志』『資治通鑑』『戦国策』などは当然読むべき教養書でした。



あの福沢諭吉ですら『左伝』15巻を11回も読み通して、その内容はすべて暗誦していたといいます。これが福沢の人間を見る目をつくったのでした。漢籍でまず鍛えられた頭脳で、蘭学や英語をやったから眼光紙背に徹する勢いで、たちまち西洋事情を見抜いてしまったのです。中国は広大な大陸に広がる天下国家で、異民族による抗争の舞台であり、その興亡盛衰における権力闘争は、それ自体が政治のテキストであり、これに登場する人物は、大型、中型、小型、聖人もあれば悪党もあり、そのヴァラエティさは万華鏡の如くです。まさに人間探求、人物研究の好材料を提供してくれるわけで、日本人は中国というお手本によって人間理解の幅を大きく広げ、深めてきたと言えます。


プロイセンの鉄血宰相ビスマルクに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な言葉がありますが、西欧の人々は主にローマ帝国の衰亡史などを参考に人間理解をしてきました。生物のなかで人間のみが、読書によって時間を超越して情報を伝達できるのです。人間は経験のみでは、1つの方法論を体得するのにも数十年かかりますが、読書なら他人の経験を借りて、1日でできます。つまり、読書はタイム・ワープの方法なのです。


社内報の「社長のおススメ本」

 

人生を商売にたとえてみると、すべて仕入れと出荷から成り立っています。そこで問題となるのは仕入れであり、その有力な仕入先が読書です。わたしは、「良い本だな」と思えば、社員にもどんどんその本を紹介します。毎月の社内報でも「仕事に役立つ、社長のおススメ本」というコーナーがありますし、冠婚葬祭互助会の会員情報誌「ハートライフ」でも本の紹介をしています。

 

何を読むか。社内メールをはじめ、各種メールを読みます。日々の実績速報、金融機関の預金状況、社内通達の内容、毎朝届けられる膨大な情報を一気に読みます。そして、会議では業績報告書や財務諸表を読みます。真剣に読めば、会社の未来が読めてきます。友人や知人からの私的なメールは心のオアシスとなります。最近はLINEも読みます。わが社の社員の中には、信じられないほど長文のLINEを送ってくれる人もいます。わたしが発信した情報やメッセージに対する反応が主ですが、その内容は驚くほど濃いです。

 

何を読むか。「お客様アンケート」を読みます。冠婚部門、葬祭部門に分かれて全国から数え切れないほど多くのアンケート・ハガキが社長であるわたしのもとに届きます。すべてのハガキはお客様からわが社へのラブレターととらえ、一枚ずつ一字一句をじっくり読ませていただきます。内容がクレームの場合、お客様に不愉快な思いをさせた申し訳なさと、大事なことを教えていただいた有難さで、ハガキに向かって手を合わせます。逆にお褒めの言葉をいただくこともあります。「サンレーさんにお願いして、本当に良かった」というような言葉に触れると、嬉しくて涙が出ます。

 

グッドコメントにせよバッドコメントにせよ、お客様からのメッセージを読むたびにわが社の使命が思い起こされ、心の底から「もっとお客様のお役に立ちたい」という強い想いが生まれてきます。わたしは、ハガキを通して、お客様の心を読ませていただいていると思っています。なお、「読」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年7月29日 一条真也

『読書塾 第二講』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『読書塾 第二講』(2012年12月刊行)

 

今回は、『読書塾 第二講』をご紹介します。2012年12月に刊行したブックレットです。内容は「アヴァンティ」2011年9月号から2012年12月号の連載書評エッセイ「一条真也の読書塾」をまとめました。このブックレットには、以下の16冊が取り上げられています。

』 白石一文著(光文社)
日本一心を揺るがす新聞の社説』 
 水谷もりひと著(ごま書房新社)
いまだから読みたい本−3・11後の日本』 
 坂本龍一+編纂チーム選(小学館
ジェノサイド』 高野和明著(角川書店
マスカレード・ホテル』 東野圭吾著(集英社
スティーブ・ジョブズ』1・2 
 ウォルターアイザックソン著、井口耕二訳(講談社
本へのとびら』 宮崎駿著(岩波新書
何のために論語を読むのか』 孔健著(致知出版社
降霊会の夜』 浅田次郎著(朝日新聞出版社)
傍聞き』 長岡弘樹著(双葉文庫
なんだかなァ人生』 柳沢きみお著(新潮社)
舟を編む』 三浦しをん著(光文社)
トーチソング・エコロジー』第1巻 
 いくえみ綾著(幻冬舎コミックス
未来国家ブータン』 高野秀行著(集英社
柔らかな犀の角』 山崎努著(文藝春秋
ビブリア古書堂の事件手帖』 
 三上延著(メディアワークス文庫

 

2022年7月29日 一条真也

『読書塾 第一講』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『読書塾 第一講』(2012年11月刊行)

 

今回は、『読書塾 第一講』をご紹介します。2012年11月に刊行したブックレットです。内容は「アヴァンティ」2010年4月号から2011年8月号の連載書評エッセイ「一条真也の読書塾」をまとめたものです。このブックレットには、以下の17冊が取り上げられています。

サヨナライツカ』 辻仁成著(幻冬舎文庫
きみの友だち』 重松清著(新潮文庫
さとしわかるか』 福島令子著(朝日新聞出版)
おひとりさまの老後』 上野千鶴子法研
不機嫌な女子社員とのつき合い方』 
 北山節子著(ポプラ社
アホの壁』 筒井康隆著(新潮文庫
告白』 湊かなえ著(双葉文庫
百年読書会』 重松清編著(朝日新書
悪人』上下巻 吉田修一著(朝日文庫
かたみ歌』 朱川湊人著(新潮文庫
僕を支えた母の言葉』 野口嘉則著(サンマーク出版
情熱思考』 是久昌信著(中経出版
株式会社家族』 
 山田かおり著、山田まき・絵(リトルモア
身につけよう!江戸しぐさ』 
 越川禮子著(KKロングセラーズ
SF魂』 小松左京著(新潮新書
PRAY FOR JAPAN』 
Prayforjapan.jp編(講談社
バタフライ・エファクト 世界を変える力
 アンディ・アンドルーズ著、弓場隆訳
 (ディスカバー・トウェンティワン)


『読書塾 第一講』の目次

 

2022年7月29日 一条真也

「ガイア理論」のジェームズ・ラブロック死去

一条真也です。
ヤフーニュースで「『ガイア理論』の英科学者ラブロック氏死去 103歳」という記事を見つけました。世界的に有名なイギリスの科学者ジェームズ・ラブロック(James Lovelock)は、地球をひとつの生命体と考える「ガイア理論」や、気候変動に関する先駆的な研究で知られましたが、転倒による合併症のため、103歳の誕生日である26日に死去したそうです。


ヤフーニュースより

 

記事には、以下のように書かれています。
「ラブロック氏は1970年代、地球はすべての生物で構成された自己調整機能を持つひとつの生命体だとする『ガイア理論』を考案。この理論は、地球とそこに住む生命の関係に対する科学的視点の見直しに貢献した。温暖化による地球破滅の恐れを訴えたことでも知られ、2006年に出版した『ガイアの復讐(The Revenge of Gaia)』では、人類が温室効果ガスの排出を大幅に削減しなければ深刻な結果になると警鐘を鳴らした。20年のAFP通信のインタビューでは、新型コロナウイルスの大流行への対応を迫られる中で世界は広い視野を失ったと警告。より大きな問題である地球温暖化への対策に注力するべきと述べていた。【翻訳編集】 AFPBB News

 

わたしは、最初にラブロックの『地球生命圏――ガイアの科学』星川淳訳(工作舎)を読んで以来、ガイア仮説に魅了されました。科学的かどうかは別にして、そのロマンティックな考え方に夢中になったのです。ブログ『リゾートの思想』で紹介した1991年2月に上梓した一条本は、人間にとっての理想の土地、すなわち「理想土」について考察した本ですが、その第2章「リゾートのキーワード=20」の14「ネイチャー」でガイア仮説を紹介しました。当時のわたしは1989年10月に設立した(株)ハートピア計画(東京都港区西麻布)の代表取締役として、リゾート開発のコンセプト・プランニングなどの業務を行っていました。

リゾートの思想』(河出書房新社

 

リゾートの思想』の中で、わたしはこう書いています。
「現在、自然環境の問題はリゾートに限らず、また日本に限らず、全地球的なレベルでの最大の問題となっている。酸性雨、砂漠化、フロンガスによるオゾン層の破壊、二酸化炭素による温暖化、森林伐採による熱帯林の減少など、ほころびの目立つ地球環境をめぐって、大きな国際会議がいくつも世界各地で開かれている。1992年には環境開発国連会議も開催される。21世紀のグランド・キーワードは間違いなく『地球』と『神』だろう。ここで、われわれがどうしても知っておかねばならない理論がある。地球全体を一個の生命体ととらえた『ガイア仮説』である。イギリスのフリーの科学者J・E・ラブロックによって唱えられているものだ。新世代(ニュー・エイジ)の地球像は、『宇宙空間から眺めた地球は、文字通り一つの生命体だった』という宇宙飛行士たちの証言に代表される。NASAの字宙計画の共同研究者として火星の生命探査計画に参画したラブロックは、この宇宙飛行士たちの啓示を、大気分析、海洋分析、システム工学などを駆使して実証科学に置き換えた。出発点となった『一つの生命体としての地球』の名前は『ガイア』。ギリシア神話の大地の女神で、天文神ウラノスの母でもあり妻でもあったという初源の神の名である。地理学(ジオグラフィー)や地質学(ジオロジー)の語源ともなっている」

リゾートの思想』より

 

また、わたしは以下のようにも書いています。
「ラブロックは大気分析を通して火星には生命が認められないことを実証した後、改めて地球の大気の特異性に着目した。そして、バクテリアから人間まで、地上の生きとし生けるものはもとより、大気や海などの環境も含めて1つの生命体と見なす『ガイア仮説』を打ち出したのである」
ラブロックは、『地球生命圏』で以下のように述べます。
「母なる大地」という概念や、ギリシア人たちが速い昔<彼女>をガイア(Gaia)と呼んだような考え方は歴史上ひろくみられるものであり、いまなおもろもろの大宗教に説かれるひとつの信条の基盤ともなってきた。自然環境に関する事実の集積と、生態学の進展にともなって、最近、生命圏(バイオスフィア)は土壌や海洋や空中を自然生息地とするありとあらゆる生き物たちの単なる寄せ集め以上のものではないかという推測がなされるようになっている。古来の信条と現代の知識は、宇宙飛行士たちがわが目で、われわれがメディアを介して、宇宙の深い聞に浮かぶまばゆいばかりの美しさに包まれた地球を見たときの驚異の中に融合したといえよう。けれども、この感覚がいかに強いものであれ、それだけで母なる地球が生きているという証拠にはならない。宗教的信条と同様、それは科学的に検証不可能であって、さらなる理論的考察に耐えることができないのである。


さらに、わたしは以下のように述べています。
「宇宙空間への旅は、地球を見る新たな視座を提供するという以上の意味をもっていた。外空間からはまた、地球の大気や表面についての情報が送り返されて、惑星の生物と無機物間のさまざまな相互作用に関する新しい洞察をもたらしてくれたのである。ここからひとつの仮説、モデルが現われた。つまり、地球の生物、大気、海洋、そして地表は単一の有機体とみなしていい複雑なシステムをなし、われわれの惑星を生命にふさわしい場所として保つ能力をそなえているのではないかという仮説である。ラブロックはガイアを、地球の生命圏(バイオスフィア)、大気圏、海洋、そして土壌を含んだ1つの複合体と定義している。つまり、この惑星上において生命に最適な物理化学環境を追求する1つのフィードバック・システム、あるいはサイパネティック・システムをなす総体である。積極的なコントロールによって様々な条件を比較的安定した状態に保つという現象は、<恒常性(ホメオスタシス)>という術語でうまく表現できる」

 

そして、わたしは「もしガイアが存在するとすれば、彼女とその複雑な生命システムの中で最も優勢な動物種である人間との関係、そしてその両者の間で逆転しつつあるとおぼしき「力のバランス」が重大問題となるのは明らかだ。ガイア仮説は自然を、鎮圧され征服されるべき未開の力と見なす悲劇的な見方に対する代案(オルタナティヴ)であり、われわれの惑星を、操縦士も目的もなく永遠に太陽の内軌道をめぐる狂った宇宙船と見る、気の滅入る地球像への代案でもある。われわれはガイアのパートナーとして、汚染によって病んでいる彼女を癒さなければならない。何よりもまず、彼女を愛さなければならない。地球は生きている。そして、われわれは生きた地球の一部としての生きたリゾートをつくるのである。生きたリゾートにおいて、われわれはガイアの息吹や心臓の鼓動を感じるに違いない」と述べるのでした。


いま、『リゾートの思想』を読み返すと、今から30年以上も前に現代社会のキーワードである「SDGs」も、「ウェルビーイング」も、「マインドフルネス」も、すべて視野に入れて、またそれらが新時代のキー・コンセプトであることを自覚して論じていることに、われながら驚きます。この本を書いたのは28歳でしたが、明らかに現在のわたしの考え方がよく示されていることに気づきます。

 

 

ラブロックの遺作は、『ノヴァセン:〈超知能〉が地球を更新する』(NHK出版)です。「ガイア理論」の提唱者として知られる彼が、21世紀に人間の知能をはるかに凌駕する〈超知能〉が出現すると予測した本です。地球は、人類を頂点とする時代(=「人新世」)から、〈超知能〉と人類が共存する時代(=「ノヴァセン」)へと移行すると主張します。〈超知能〉は人類より1万倍速く思考や計算ができ、人間とは異なるコミュニケーション手段を持つといいます。他方で〈超知能〉にとっても地球という環境が生存の条件になるため、人類と共に地球を保護する方向に向かうだろうと断言する。科学的なベースを踏まえながら、地球と生命の未来を大胆に構想した知的興奮の書です。人類史に残る大変な名著であるとの声が多く、情報学者の落合陽一氏なども推薦しています。最後に、偉大なるロマンティック・サイエンティストであったジェームズ・ラブロック氏が母なるガイアのもとに還られて安らかに休まれることを心よりお祈りいたします。

 

2022年7月28日 一条真也

『死ぬまでにやっておきたい50のこと』

一条真也です。
81冊目の「一条真也による一条本」紹介は、『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)です。「人生の後半を後悔しないライフプランのつくり方」というサブタイトルがついています。本書は、2017年1月27日の刊行です。

死ぬまでにやっておきたい50のこと

 

本書の帯には「新しい『終活』と『葬送』の形を提案してきた著者が発見した、『満足のいく人生』を全うするためのヒント」と書かれています。また、私淑する渡部昇一先生が「死への恐怖から解放される最善の法は、『生』を知り、幸福な晩年をイメージすること。一条さんの『死生観』は『教養』そのものだ」という推薦文をお寄せ下さいました。渡部先生には深く感謝しております。


渡部昇一先生の推薦文が記された本書の帯

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「自分の葬儀を具体的にイメージすることは、残りの人生を幸せに生きていくうえで絶大な効果を発揮します。友人や知人が弔辞を読む場面を想像する。そして、その弔辞の内容を具体的に想像してみる。そこには、あなたがどのように世のため、人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。自分の葬儀の場面というのは「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。(本文より)」


本書の帯の裏

 

本書の「目次」は以下のようになっています。
はじめに 「これからの人生を悔いなく生き切るヒント」  
プロローグ  実りある人生をつくる
     「ライフサイクル」の考え方 

●人生の後半を豊かにする「三つの原則」
●「自分の葬儀」をイメージして生きる
●なぜ、日本では「若さ」が重視されるのか
●「老い」が尊重された江戸時代
●「青春」は若者だけのものではない
●老年期を前向きにとらえる
 「ライフサイクル」という考え方
●『論語』に学ぶ古代中国のライフサイクル
●老年期とは「実りの秋」である
ヒンドゥー教に学ぶ「林住期」「遊行期」の考え方

第1章  ライフサイクルづくりに必要な6のこと
01 「第二のライフプラン」を考える
02 何かを犠牲にしてでも好きなことをやり続ける
03 「人生の50のリスト」をつくる
04 人生に「締め切り」を設定する
05 「いつ死んでもいい」という覚悟を持つ
06 残りの人生を「日単位」で考える  

第2章  教養として身につけておきたい16のこと 
07 年齢を意識せず新しい趣味をつくる
08 成功した同級生をライバルと考える
09 学校に再入学する
10 「書斎」を持つ
11 過去に読んだ名著を読み返す
12 「こころの世界遺産」といえる本を読破する
13 地理や歴史を学んでから旅行する
14 観劇や展覧会ではガイドを聞く
15 テレビドラマを人生に重ね合わせて観る
16 目的意識を持って写真を撮る
17 「はひふへほの法則」を実践する
18 価値観の合う仲間に出会う
19 趣味は人を楽しませるためにやる
20 自分は「高齢者のなかでは若手」と考える
21 自分だけの「新しい哲学」を持つ
22 年齢差を障害と考えない  

第3章  最期まで楽しむためにやっておきたい11のこと 
23 ロマンを感じる場所に行く
24 自然の絶景に触れて「自分の小ささ」を知る
25 スポーツ観戦で「強い人間」の迫力に触れる
26 新しい飲食店を開拓する
27 「安倍総理が食べたカツカレー」を食べる
28 洋服は「量より質」で選ぶ
29 何歳になっても恋をし続ける
30 「もういいか」をやめる
31 「恥ずかしい」とは考えない
32 モノに執着しない
33 好きなことを成功するまでやり続ける 

第4章  世の中のためにやっておきたい10のこと 
34 「死に際」にお金を惜しまない
35 「お遍路さん」で日本の心に触れる
36 お墓参りをして「支えられていること」に感謝する
37 先に亡くなった大切な人に手紙を書く
38 個人的成功より社会的貢献をアピールする
39 「伊勢神宮」の荘厳さに触れる
40 「ありがとう」を口ぐせにする
41 お世話になった人に会いに行く
42 子や孫と料理をつくる
43 欧米の大富豪にならって「寄付」をする  

第5章  清々しい最期を迎えるために
    やっておきたい7のこと 

44 自分の葬儀に誰が来ているかを想像する
45 家族に迷惑をかける
46 年を取ることは「神に近づくこと」と考える
47 「長寿祝い」を盛大に行う
48 生前に自分の葬儀の計画を立てる
49 「自然葬」を選択肢に入れる
50 死とは「宇宙に還ること」と考える  
付録「一条真也が死ぬまでにやりたい50のこと   
おわりに
「死ぬまでに『夢をかなえる』ことの本当の意味」



本書では、死ぬまでにやっておきたいことを50個考えることを提案します。死の直前、人は必ず「なぜ、あれをやっておかなかったのか」と後悔します。 さまざまな方々の葬儀のお世話をさせていただくたびに耳にする故人や遺族の後悔の念・・・。そのエピソードを共有していけば、すべての人々の人生が、いまよりもっと充実したものになるのではないかと考えました。


講演で死生観の重要性を訴えました

 

わたしが経営する冠婚葬祭会社は、これまで多くの方々の葬儀のお世話をさせていただいてきました。そして、わたしは「終活」や死生観に関する本を何十冊も執筆してきました。いろいろな方の最期に立ち会い、「生」と「死」に関する古今東西の文献をひもとき、書きとめてきた経験を踏まえ、後悔のない人生を生き、そして「最期の瞬間を清々しく迎えるための50のヒント」をご紹介したいと考え、本書を上梓することにしました。あなたが老後を豊かにするために、やっておきたいことは何ですか?


夢だった映画出演は実現しました

 

わたしの場合、たしかにいろいろやっておきたいことはあります。50では足りないかもしれません。でも、それらはあくまでも「わたし個人がやりたいこと」でしかありません。たとえば、わたしは映画や格闘技が大好きなので、やりたいことには、それらに関するものが多いわけです。でも、そんな、ごく私的な希望を挙げたとしても、果たしてどれだけの共感を得られるか・・・・・・。読者のみなさんも、わたし同様に具体的なテーマをそれぞれにお持ちのことだと思います。わたしは本書では、具体的なことより考え方を語りました。しかし、抽象論に陥るのも避けたいので、できるだけ実例を交えながら語りました。


カツカレーを食べる安倍元首相

 

本書の27番目には、「『安倍総理が食べたカツカレー』を食べる」です。ブログ「安倍首相のカツカレー」で紹介したように、今月8日に亡くなられた安倍元首相の食事といえば、カツカレーが有名でした。2012年9月26日、東京・ホテルニューオータニで行われた安倍晋三自民党総裁選決起集において総裁選に「勝つ」ための験担ぎの食事としてカツカレーを食したのです。3500円のカツカレーでしたが、それをMBSテレビ情報番組「ちちんぷいぷい」が取り上げたために、ネットユーザーの間で注目を集めました。

安倍元首相のカツカレーを食べる

 

その数日後のある日、ニューオータニで打ち合わせがあったわたしはホテル内のレストラン「SATUKI」に入って、安倍首相のカツカレーを注文しました。わたしは、大きな声で「安倍首相が食べたことで有名になった、あのカツカレーをお願いします!」と言いました。注文を受けた男性は動じずに「あのカレーは宴会場で出されたものですが、それと同じものをお持ちいたします」と言いました。当時は、「安倍首相のカツカレーを」という注文が相次いだようですね。


すきやばし次郎本店」で食事する日米両首脳

 

あのブログ記事は2014年4月23日に書かれたものですが、その冒頭には「昨夜、銀座の寿司店すきやばし次郎本店』に安倍晋三首相がオバマ大統領を招待し、至高の寿司に舌鼓を打ったことが各メディアで報道されていますね。『すきやばし次郎本店』は、『ミシュランガイド』(東京版など)において、7年連続三つ星評価を受けた名店です。店主の小野二郎氏(88)は『三つ星の寿司職人』として外国人観光客にも知られています。小野二郎氏はドキュメンタリー映画二郎は鮨の夢を見る』にも出演しています。この映画は世界30カ国以上で公開され、各国から絶賛されました。特にヒットしたのがアメリカで、またたく間に全米で口コミによって評価を広げ、最終的には全米興行収入250万ドル超というドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットとなりました。おそらくは、オバマ大統領も二郎氏のことを知っていたのではないでしょうか。オバマ大統領は寿司好きだそうで、店内ではカウンターで安倍首相と肩を並べて寿司をつまんだそうです。食事終了後、大統領は『おいしい寿司だった』と感想を述べたとか」と書かれています。

すきやばし次郎本店」の前で、小野二郎氏と

 

ブログ「『すきやばし次郎』で鮨を食らう」で紹介したように、昨日2022年7月27日の夕方、わたしは「 すきやばし次郎本店」を訪れ、ついに至高の寿司を心ゆくまで味わいました。96歳になられる店主の小野二郎氏が自ら握って下さり、最後は店の前で記念撮影にも応じて下さいました。「すきやばし次郎本店で寿司を食らう」ことは、わたしの死ぬまでにしたい50のことには入っていませんでしたが、じつは密かな願いでした。近々、あといくつかの願いも叶うような予感がしています。人生、頑張っていれば、たまにはご褒美もあるものですね!



2022年7月28日 一条真也

「すきやばし次郎」で鮨を食らう 

一条真也です。東京に来ています。
27日は午前中から、全互協の正副会長会議および理事会、互助会政治連盟の理事会、冠婚葬祭文化振興財団の理事会に参加しました。その後、17時半から、日本を代表する料理店を訪れました。ミシュラン3つ星を獲得したことで有名な鮨の「すきやばし次郎本店」です。


すきやばし次郎本店」の外観


すきやばし次郎本店」の前で

 

すきやばし次郎本店」は、銀座の数寄屋橋の塚本素山ビル地下に店舗を構えています。客席は10席ほどしかなく、トイレは他店と共同です。クレジットカードは2013年にダイナースカードが使えるようになるまで使用不可でした。ミシュラン史上最高齢の三ツ星シェフである小野二郎氏は、夜のみ握っています。ただし、予約を取れても、必ずしも、二郎氏が握ってくれるとは限りません。長男さんの握りになる可能性も高いです。


小野二郎氏と

すきやばし次郎本店」は、1994年にヘラルド・トリビューン・インターナショナル誌で世界のレストラン第6位に選出。2005年に厚生労働省現代の名工として表彰されました。表彰事由は江戸時代以来のにぎり鮨の伝統を踏まえながら、常に新しい工夫を怠らず、江戸前の握り鮨の型と魂を継承していることでした。2007年に日本で初めて出版されたミシュランガイド東京で3つ星を獲得し、以後2019年版まで毎年3つ星を獲得し続けていましたが、2020年版より「一般客の予約ができなくなったこと」を理由に掲載されなくなりました。


2014年4月、アメリカ合衆国バラク・オバマ大統領(当時)訪日の際、安倍晋三首相(当時)がすきやばし次郎オバマ大統領と会食を行いました。通常は閉店している20時00分以降の開始のため、会食が実現。同年、秋の叙勲で黄綬褒章を受章。じつは、凶弾に倒れられ、「紫雲」の文字が入った戒名を得られた故安倍元首相を追悼する意味もあって、どうしても「すきやばし次郎本店」を訪れたくなったのです。


小野二郎氏は1925年10月27日生まれの96歳です。静岡県天竜市(現・浜松市天竜区)生まれ。7歳で地元静岡県の料理店に奉公へ。その後東京で修業。1951年に鮨職人となる。1965年に独立して、銀座の現在地にすきやばし次郎を開店。70歳で心筋梗塞を患って以降、禁煙しているとか。手の保護のため、外出時は必ず手袋をはめているそうです。2018年1月、二郎氏は同学年のポール・ボキューズの逝去によって単独で世界最高年長の3つ星料理人になり、大きな話題となりました。2019年3月「ミシュラン三ツ星レストランの最高齢料理長(Oldest head chef of a three Michelin star restaurant)」(93歳128日)としてギネス世界記録に認定されました。 同月、「第1回 Men's Beautyアワード/Beautyライフスタイル部門」を受賞しています。

 

すきやばし次郎本店」の公式HPには、「すしは、世界に類を見ないほど極めてシンプルに構成された料理です。 だからこそ、ごまかしが効かず、本物の技のみが光るのです。 そして本物の技にだけ、職人の心が宿る・・・河岸で仕入れた四季折々の旬の物を、すきやばし次郎でご堪能ください」と書かれています。予約でのみ来店可能で、メニューはおまかせの握り寿司のみです。鮨店としては珍しく、つけ台に「本日のおまかせ」という紙のメニューが置かれています(英語併記)。そこには「握られて出来て食いつく鮨の飯(江戸川柳)」と書かれていました。

「本日のおまかせ」

「本日のおまかせ」のメニュー

 

また、「本日のおまかせ」を開くと、この日のメニューが記載されていました。すなわち、かれい、すみいか、しまあじ、ちゅうとろ、おおとろ、こはだ、あわび、あじ、あかがい、あかみ、とりがい、くるまえび、かつお、はまぐり、あじす、うに、ほたて、いくら、あなご、たまごの合計20貫。さすがは至高の鮨でした。ただ、「すきやばし次郎本店」のメニューはこの「本日のおまかせ」のみですが、けっこう大食漢のわたしでも20貫を約30分で食べるとお腹いっぱいになりました。これは、ご婦人やご老人にはちょっと量が多すぎるのではないかと思ってしました。特に、こはだ、あわび、あかがい、あじす、うに、あなごが絶品でした。逆に、たまごなどは甘すぎるようにも感じました。全体的にシャリは柔らかかったです。アルコールはビールのみ。わたしたちはビールの小瓶を1人1本づつ注文しましたが、他のお客さんはお茶だけでした。


小野二郎氏と

 

ブログ「究極の寿司を食べました!」で紹介した小倉の「天寿司 京町店」も名店ですが、やはり日本一の鮨屋と呼ばれているだけのことはあります。本当は、「天寿司 京町店」のブログのように鮨の一点一点を写真で紹介したかったのですが、「すきやばし次郎本店」は店内撮影が一切禁止ですので不可能でした。ちなみに、予約の際には客側が以下の厳しいルールを了承することが必要です

予約についての案内が凄すぎる!

 

これほど厳しいルールを承認しても、「すきやばし次郎本店」の予約はなかなか取れません。わたしも知人を介して数年前から依頼していましたが、無理でした。今回は、コロナ禍ということもありますが、「すきやばし次郎本店」のお隣にある鰻の「五代目 野田岩 銀座」で食事して店を出た際に、小野二郎氏にバッタリ遭遇。そのまま話しかけたら、「すきやばし次郎」の予約係の若い人を紹介されて、来店可能な日をいくつか挙げて、7月27日の17時半を2人ぶん予約することができたのです。はい。


二郎さん、いつまでもお元気で!

 

この日のお客さんは、わたしを含めて全部で6名でしたが、全員が男同士の2人組でした。他の2組は友人同士というよりも仕事仲間、同志といった印象でした。やはり、この店は接待とか同伴とかデートは似合いません。ちなみに、わたしも初老の出版関係者を誘って行きました。その方はオバマ元米国大統領と身長も体重もまったく同じという奇特な方で、わたしの同志です。もちろん男性です。(笑)わたしは生前の安倍元首相に似ていると言われた時期がありましたので、この日は「安倍晋三バラク・オバマINすきやばし次郎」がフェイクながらに再現されたように思えました。最後は、二郎氏とお店の前で記念撮影しました。二郎さん、至高の鮨、美味しかったです。どうか、いつまでもお元気で御活躍下さい! なお、鮨の写真が紹介できないので、代わりに、お隣にある「五代目 野田岩 銀座」の鰻の写真を以下に紹介いたします!


お隣は、鰻の名店「五代目 野田岩 銀座


野田岩うな重(大)

野田岩うな重を食す

このビルの地下にあります!

 

すきやばし次郎本店」も、「五代目 野田岩 銀座」も、ともに数寄屋橋交差点近くの「塚本素山ビルディング」の地下1階にあります。このように日本を代表する料理店で匠の品を味わうのも、わが社の松柏園ホテルの参考にしたいと思っているからです。わたしが言うのも何ですが、松柏園の料理には絶対の自信を持っています。どうぞ、食通の方は小倉の松柏園にお越し下さい!

 

2022年7月27日 一条真也