一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「書」です。

サンデー新聞」2022年7月2日号

 

わたしは、とにかく毎日、書いています。
何を書くか。まず、原稿を書きます。一時期はコラムなどの連載が新聞・雑誌・ネットを合わせて月に12本ありました。毎月の社内報にも、社員へのメッセージを書きます。そのうえ、新聞社や出版社から単発の原稿依頼も来ます。はした金の原稿料などよりも、当社のミッションやわが志を世の人々に伝えたいので、よほどの理由がない限りは執筆の依頼を断らないようにしています。

書斎に並んだ一条本

 

単行本を執筆する場合は、それこそ寝る間も惜しんで書きまくります。別に早く書く技術を学んだわけでもありませんが、本を書くのは早い方です。およそ30年前に上梓した『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』はハードカバーで440ページもあり、かなり濃度の濃い内容だが、1か月かからないで書き上げましたた。2003年末には『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』と『老福論〜人は老いるほど豊かになる』を2冊同時に上梓しました。わたしとしては実に10年ぶりの単行本の執筆でしたが、それぞれ約2週間ずつで書き、2冊あわせて1か月かかりませんでした。さらに、島田裕巳氏のベストセラー『葬式は、要らない』への反論書『葬式は必要!』は14日間、『「鬼滅の刃」に学ぶ』は20日間で書きました。


ハートフルに遊ぶ』(1988年5月20日刊行)

 

それもパソコンではなく、手書きで書くのです。何を隠そう、築90年におよぶ骨董住宅に住むわたしは、自身も超アナログ人間であり、2006年4月刊の『孔子とドラッカー』が生まれて初めてパソコンを使って書く本でした。その前の『ハートフル・ソサエティ』も、すべて手書きで書きました。わたしは万年筆が好きで、少々集めてもいます。社長に就任したときは、父、友人一同、先輩経営者などから記念にそれぞれ万年筆を贈られました。わたしの宝物です。でも原稿は万年筆では書きませんでした。200字詰めのぺラの原稿用紙にユニボールの黒のサインペンで書くのです。処女作『ハートフルに遊ぶ』からずっと一貫して愛用しており、今でも手帳にメモなどを書き込むときは、このペンです。わたしは筆圧が強くて無理な力が入るため、1冊分の原稿を書いた後は、いつも右手の中指が変形するほど腫れあがっていたものです。そういう意味では、目は疲れるけれども指は痛くないので、パソコンはありがたいですね。


サンレー のオリジナル・ポストカード

 

何を書くか。手紙を書きます。わたしは、毎日のように誰かに手紙を書いています。初めて面会した政治家や経済人や文化人、研修旅行などで同行した人、パーティーで知り合って名詞交換をした人、読んで感動した本の著者、とにかくありとあらゆる人に手紙を書きます。社員や友人に誕生日のカードも書きます。それも結構長文で、ノッてくると便箋で10枚ぐらいは平気で書きます。それによって、ずいぶん多くの方々との縁を深められたのではないでしょうか。現在は、サンレー のオリジナル・ポストカードが何十種類もありますので、それを使って多くの方々にメッセージを書きて送らせていただいています。


きみに読む物語」という映画で、恋人に365通のラブレターを出した男というのが出てきて話題を呼んだことがありますが、はっきり言って、わたしがその気になればキミヨムを軽く超える自信はあります。以前は、絵ハガキもよく書きました。出張が多いので、出張先から家族や友人にさまざまな写真のポストカードを出したものです。わたしの止まり木のような小さなスナックが小倉にあって、そこのマスターに絵ハガキを出すと、とても喜んでくれました。それが嬉しくて、ついつい調子に乗って全国各地から、また海外からも出していたら、気づくと500枚ぐらいになっていました。わたしが出した絵ハガキはすべて店内に飾られていましたが、その店も今はもうありません。マスターも亡くなりました。あの大量の絵ハガキはどうなったのでしょうか?

皇産霊神社に奉納された庸軒道歌

 

何を書くか。筆で自作の短歌を短冊に書きます。わたしは「庸軒」の雅号で、当社の使命やわが志を歌に込めて、社員に披露しています。そんな達筆ではないので本当は恥ずかしいのですが、社長が自らの直筆で書くことが大事と思い、書いた短冊は社員にプレゼントしたり、会社のエレベーター内に展示したりしています。また、皇産霊神社の境内にも奉納されています。

わが筆写ノートの一部

 

何を書くか。大切な本を書き写します。
論語』や吉田松陰の『留魂録』などは筆で書き写しましたが、10年ぐらい前はよくサインペンで司馬遼太郎の主要作品の重要部分を書き写しました。伊東屋で求めた皮製のちょっと贅沢な手帳を使ったものです。ただ読むだけでなく、自分の手で愛読書を書き写すと、内容が強く心のなかに入ってきます。戦国時代や幕末明治を描いた司馬作品はすべて筆写しましたが、人間探求の絶好の勉強となり、『孔子とドラッカー』や『龍馬とカエサル』などの執筆に大いに役立ちました。

ShinとTonyのムーンサルトレター200信!

 

何を書くか。満月の夜にWEBレターを書きます。
毎月、満月の夜ごとに、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生と交わしているWEB文通の「ShinとTonyのムーンサルトレター」を交わしています。2005年10月18日の満月の夜、わたしが第1信を書きはじめました。鎌田先生が20日に返信を書かれて、ついに「ShinとTonyのムーンサルトレター」がスタート。17年後の今では、なんと第208信に達しました。その間、いろいろな話を鎌田先生としました。お互いの著書のこと、プロジェクトのこと、考えていること。話題も政治や経済から、宗教、哲学、文学、美術、映画、音楽、教育、倫理、さらには「世直し」まで。

日本経済新聞」2013年10月18日朝刊

 

わたしが商売人の身であるにもかかわらず、さまざまな文化人や学者の方々とお話しても何とかついて行けるのは、鎌田先生との文通で展開している議論のおかげかもしれません。わたしには、「自分は日本を代表する宗教哲学者と文通を続けているのだ」という自負と、「だから誰と対話することになっても怖くない」という自信があるのです。わたしたちの満月の文通は、「日本経済新聞」2013年10月18日朝刊の「交遊抄」によって広く知られるところとなりました。


ムーンサルトレターは5冊の本に!

 

わたしたちのレターは書籍化もされました。
第1信~第30信が『満月交感 ムーンサルトレター(上)』(水曜社)、第31信~第60信が『満月交感 ムーンサルトレター(下)』(同)、第61信~第90信が『満月交遊 ムーンサルトレター(上)』(同)、第91信~第120信が『満月交遊 ムーンサルトレター(下)』(同)、そして第121信~180信が『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)として単行本化されました。そして満月シリーズ5冊目となるのが『満月交心 ムーンサルトレター』ですが、今回は上下2巻に分けずに1巻にまとめましたので、すごく分厚いです!


一条真也の新ハートフル・ブログ」の第1回

 

何を書くか。毎日ブログを書きます。ブログ「ブログ始めました!」に書いたように、2010年のバレンタインデーに「一条真也のハートフル・ブログ」はスタートしました。それ以来、2000本の記事と番外編を数本書いて、同ブログは終了。2013年のバレンタインデーには「佐久間庸和の天下布礼日記」と「一条真也の新ハートフル・ブログ」の2つのブログを同時にスタート。本名ブログである「天下布礼日記」は2000本をもって終了しましたが、「一条真也の新ハートフル・ブログ」は現在も毎日、書いています。このブログもすでに5000本を超え、3つあわせて9000本以上を書いたことになります。

「財界九州」2021年4月号

 

しかも、わたしのブログは文章量が多いことで有名で、1万字以上はザラ(この記事も1万字以上です)。多いものでは4万字近くあります。完全に時代に逆行している気もしますが、書かなければならないことを書いているという自負があるので、そんなことは気になりません。ブログのテーマは多岐にわたりますが、特に読書感想と映画レビューが人気です。読書ブログや映画ブログは、アーカイブとして『一条真也の読書館』『一条真也の映画館』というサイトに転載しています。なお、「書」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年7月29日 一条真也