京都の「お別れの会」

一条真也です。
京都に来ています。30日の14時から、天神川ホールで行われた冠婚葬祭互助会大手のセレマ前社長の故 齋藤武雄氏の「お別れの会」に参列いたしました。共に全互協の副会長として頑張ってきた同志の「お別れ会」です。京都駅からの送迎バスで到着すると、ホールの前は満開の桜で、入り口には花で作られた故人の似顔絵が飾られていました。もう、これだけで胸が熱くなります。

f:id:shins2m:20210405154953j:plainホールの前は満開の桜

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ホール入口の看板

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ホール入口の看板

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花で作られた故人の似顔絵

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ホールに入ると、なつかしい顔が・・・

わたしよりも2歳若い武雄さんが亡くなられたなんて、今でも信じられません。いつもニコニコと笑顔で、温厚な方でした。会議などで全互協や互助会保障を訪れるときは、いつもお土産を忘れない優しい方でした。そして会議では、鋭い意見をバンバン言われる仕事のできる方でした。本当に惜しい方を亡くしました。

f:id:shins2m:20210330135604j:plainメモリアル・コーナーへ!
f:id:shins2m:20210330135613j:plainメモリアル・コーナーのMAP

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メモリアル・コーナーの入口

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まるで齋藤武ミュージアム

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テーマごとに大量の写真を展示

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「武雄」という名前に込めたメッセージ

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生前愛用したスーツ

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社長室が復元されていました

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本当にオシャレな人でした

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身につけるものはすべて本物志向でした

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生前愛用したリラックス・チェア

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海と船を愛した人生でした

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釣りの腕前はプロ級でした

それから、わたしは「TAKEO SAITO MEMORIAL」というメモリアル・コーナーに案内されましたが、まるでデパートの催事、いや博物館の企画展のような本格的な演出に度肝を抜かれました。仕事柄、数えきれないほどのメモリアル・コーナーを見てきましたが、こんな凄いものは初めてです。故人の社長室、自宅、海やゴルフ場での趣味の世界も完全に再現されていました。生前愛用したスーツ、靴、ネクタイ、帽子、アクセサリー・・・・・・さまざまな一流品が並んでいましたが、それを見たわたしは「ああ、武雄さんがこれを身につけた姿を知ってるよ」と思い、目頭が熱くなりました。

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ゴルフ・コーナーには顔出しパネルが・・・

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故人のサービス精神が心に染みました

 

ゴルフ・コーナーには、なんと故人の顔出しパネルがありました。参列者が一緒に撮影して、SNSへのアップもOKだそうです。インスタ風の写真が出来上がる仕組みですいが、「♡いいね」の数が20210330件、つまり2021年3月30日という今日の日付になっているところが泣かせます。わたしは、ここまでサービス精神に溢れた「お別れの会」を知りません。死してなお、わたしたちを驚かせ、楽しませようとする武雄さんはすごいです!

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大好きだったシャンパンの世界

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乾杯したら泣けてきました

 

また、シャンパンがたくさん並べられたコーナーもありました。まるで、本物のBARのようです。昨年12月4日に同じ天神川ホールで通夜式、5日に告別式があり、わたしも参列しました。そのとき、祭壇には笑顔の遺影ととともに故人が生前好きだったシャンパンやワインどが飾られていました。それを見たとき、故人の楽しい思い出が蘇ってきて切なくなるとともに、「わたしの葬儀でも、好きな酒を飾ってほしいな」と思いました。この日はシャンパン・コーナーに顔出しパネルがあって、故人は笑顔でグラスを持っていました。係の方から勧められて、故人の写真と乾杯しました。すると生前一緒に飲んだときの乾杯を思い出して泣けてきて、マスクが濡れました。そこでマスクを外してもう一度乾杯しました。

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「お別れの会」の会場

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散りゆく桜の中に笑顔がありました

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赤いバラで献花式が行われました

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わたしも献花しました

 

14時半から「お別れの会」が開催されました。
政界・財界の方々をはじめ、わが冠婚葬祭互助会業界の仲間たちも全国から集いました。感染対策のために1席づつ空けられていました。「お別れの会」の実行委員長である全冠協の渡邊会長(メモワール社長)、全互協の山下会長(117社長)、故人と師弟関係にあったアルファクラブ静岡の神田社長がそれぞれ挨拶や弔辞を述べられましたが、いずれも心を打つ感動的な内容でした。最後に謝辞を述べられた故人の父上の「まさか息子が先に逝くとは思いませんでした。心に大きな穴が開きました」という言葉には胸が痛みました。そして、献花式が行われました。一般に献花で使われる白いユリの花ではなく、情熱的だった故人らしい赤いバラの花が捧げられました。わたしも、全互協の副会長として指名献花をさせていただきました。故人の遺影を見上げながら、心を込めて献花しました。

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会場を出たら大量の赤いバラが・・・

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ホールを出ると雲間から太陽の陽射しが・・・

すべてを終えてホールを出ると、曇り空でしたが、雲の切れ間から太陽の光が差し込んでいました。わたしは、それを見て、太陽を愛した武雄さんが「来てくれて、ありがとう」と言っているように思えました。思うに、全互協の正副会長というのは「鬼滅の刃」でいう「柱」のようなものではないでしょうか。武雄さんは「コンプライスの呼吸、セレマの型」で、わたしは「儀式継創の呼吸、サンレーの型」で頑張りました。齋藤武雄という偉大な柱を失った今、残った柱たちが力を合わせて大きく開いた穴を埋めないといけません。柱といえば、武雄さんは、ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した映画に登場する煉獄杏寿郎のような人でした。彼のように豪快で、快活で、繊細で、優しくて・・・・・本当に、煉獄杏寿郎にそっくりです。わたしが人生を卒業したときは、あちらで武雄さんと一緒に美味いシャンパンが飲みたいです。故人の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2021年3月26日 一条真也拝  

京都へ!

一条真也です。
30日の朝、JR小倉駅から9時31分発の新幹線のぞみ16号に乗って、京都へ向かいました。冠婚葬祭互助会業界のお仲間の「お別れの会」に参列するためです。夜は、「バク転神道ソングライター」こと京都大学名誉教授の鎌田東二先生とお会いする予定です。

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JR小倉駅の前で

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小倉駅のホームで

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新幹線の車内で

いま、大阪を中心とした関西圏は新型コロナウイルス感染の第4波が到来しているとされます。新幹線内でもピンクの不織布マスクを着けて、感染予防に努めました。春休みとあって、家族連れなどが多かったです。本当は桜が咲いている人出が多い時期は感染リスクが高いのでしょうが、共に全互協の副会長として業界発展のために頑張ってきた同志の「お別れ会」に行かないわけにはいきません!

f:id:shins2m:20210330093412j:plain車内では読書をしました

 

車内では、いつものように読書をしました。読んだのは、『老後レス社会――死ぬまで働かないと生活できない時代』朝日新聞特別取材班(祥伝社新書)という本です。帯には、「『一億総活躍』の過酷な現実と悲惨な未来」と書かれています。今から19年後、日本の人口は65歳以上の高齢者35%を占めると推計されています。社会保障費が増大する一方で、労働力不足は深刻化。それが「2040年問題」です。70歳を過ぎてもハローワークに並ぶ。もはや「悠々自適の老後」はなくなりました。死ぬまで働かなければ生きていけない「老後レス社会」が到来するのです。「老後のなくなった日本の現実」と、避けられない未来をどう生きるかを考えた本です。暗澹たる気分になるとともに、互助会の今後の方向性のヒントを得ました。

f:id:shins2m:20210330120032j:plainJR京都駅に到着

f:id:shins2m:20210330120335j:plain駅構内の蕎麦屋に入りました

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京都名物・にしんそば&しぐれ御飯

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にしんそば、大好物です!

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ホテルのコーヒーラウンジでブログを書く

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黒ネクタイに白マスクを着用しました


JR京都駅には、11時59分に到着しました。まずは駅構内の蕎麦屋で「ニシンそば&しぐれ御飯」の昼食を取りました。にしんそばはわたしの大好物で、京都に限らず、関西に来たときは必ず食べるようにしています。昼食後は、駅に隣接したホテルに荷物を預けて、コーヒーラウンジでこのブログを書きました。それから、黒ネクタイを着けてから京都駅八条口より送迎バスに乗って「お別れ会」の会場である天神川ホールに向かいました。

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送迎バスに乗り込みました

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送迎バス車内のようす

 

2021年3月26日 一条真也

本の縁、人の縁

一条真也です。
29日は満月で、リニューアル2回目となる「ムーンサルトレター第192信」も無事にUPいたしました。50冊目と51冊目の「一条真也による一条本」を紹介したブログ『満月交感 ムーンサルトレター』をUPしたその日、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生の編著である最新刊『身心変容技法シリーズ第3巻 身心変容と医療/表現~近代と伝統―先端科学と古代シャーマニズムを結ぶ身体と心の全体性』(日本能率協会マネジメントセンター)がサンレー本社の社長室に届きました。A5ハードカバー、624ページの大冊です。封を切って手に取ってみたら、その重いこと!

f:id:shins2m:20210329130318j:plain『身心変容技法シリーズ』第3巻が届きました

 

同書は、新型コロナウィルスの感染拡大に苦しむ現在、医療や癒し、臨床にかかわるさまざまなヒントを提供する身心変容技法の論考集です。瞑想の科学と、事例研究の両面を臨床的に統合、総合しようという試みであり、生きる力の源泉に触れ、生の指針を得るための学術成果の集大成となっています。身心変容技法研究は、鎌田先生を研究代表者として、「心の荒廃」が社会問題となり、未来のグランドデザインは描けない現代に向けて、2011年にはじめられた科研費による研究である。2011年といえば、1月に『満月交感 ムーンサルトレター』上下巻が水曜社から刊行され、3月11日に東日本大震災が発生した年ですね。福島第一原発事故も発生しましたが、ちなみに『満月交感』の版元である水曜社は,、事故が起きるまで東京電力の広報誌を制作していました。

f:id:shins2m:20210329143122j:plain『身心変容技法シリーズ』第3巻の帯 

 

身心変容技法とは何か?
「身体と心の状態を当事者にとって望ましいと考えられる理想的な状態に切り替え、変容・転換させる知と技法」であり、古来、宗教や芸術、武道、芸能など諸領域で編み出されてきました。研究は、この時代状況から抜け出ていくための宗教的リソースないしワザ(技術と知恵)として、この「身心変容技法」に着目。具体的には、神秘思想における観想、仏教における止観や禅や密教の瞑想、修験道の奥駆けや峰入り、滝行、合気道や気功や太極拳などの各種武道・芸道等々があり、それらさまざまな「身心変容技法」の諸相(特色)と構造(文法)と可能性(応用性)を、文献研究・フィールド研究・実験研究・臨床研究の手法により総合的に解明しています。そして現代を生きる個人が、自分に合ったワザを見出し、活力を掘り起こしながら、リアルな社会的現実を生き抜いていくことに資する研究成果を社会発信することを目的としています。

f:id:shins2m:20210329143008j:plain『身心変容技法シリーズ』第3巻の序章より

 

この「身心変容技法シリーズ」は、それら研究の成果を、専門家、研究者の枠を超えて、より多くの読者に届けるべく、企画されました。「心と身体の変容の伝統、技術、価値を現在の私たちの生き方に生かしていくこと」「身心変容技法というものが、個人の在り方を根本的に変容する可能性を持つもので、新しい生き方を考える現在に必要な学びであること」「現在が、新しい生き方の要請される人類史的な転換点にあることにあり、そのヒントとなること」といった問題意識が、身心変容技法シリーズにまとめられた学問研究には通底しています。第3巻では、新型コロナウィルスの感染拡大で苦しんでいるさなか、医療や癒し、臨床にかかわるさまざまなヒントを提供する論考を集められています。瞑想の科学と、身心変容技法の事例研究の両面を含み、それらを臨床的に統合、総合する試みです。

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『身心変容技法シリーズ』1巻~3巻

 

 「目次」は、以下のようになっています。
序章
「医療と身心変容技法の原点と展開」鎌田東二
第1章 マインドフルネスと統合医療
「マインドフルネスと認知行動療法」熊野宏昭
統合医療の観点からの負の感情の浄化と霊的暴力」
林紀行
「マインドフルネスの彼方へ」井上ウィマラ
第2章 多様な医療における
    身心変容技法
「未来の医療と身心変容」稲葉俊郎
「日本最古の医書『医心方』に見る身心変容」稲葉俊郎
「体育と教育と医療――オリンピックの可能性」稲葉俊郎
「自律性療法(心身医学)と後期シェリングの神話と啓示の哲学」濱田覚
現代日本手技療法――脊椎操法の実証的研究へ向けて」藤守創
東洋医学治療と音――気滞、お血を動かす音」中田英
「峨眉丹道医薬養生学派の気功と武道における身心変容技法研究」張明亮
第3章 心理療法と精神医学
    と神経科
心理療法における暴力の浄化とその危険――ユングの体験から」河合俊雄
音楽療法における身心変容の諸相――医学・トランス・強度」阪上正巳
「『畏敬の念』は攻撃行動を生ずるのか?」野村理朗
神経科学と身心変容――分子・神経回路から世界史まで」松田和郎
分子生物学的視点からみた外的ストレスと恒常性維持」古谷寛治
第4章 音楽・知覚・演技
    と身心変容技法
「声の力と意識変容体験」町田宗鳳
ヒルデガルトの音楽と言葉――声を発し、記す身体」
柿沼敏江
「ディープ・リスニングと身心変容技法
 ――ポーリン・オリヴェロスの体験を通じて」藤枝守
「記憶・知覚・身体への芸術的アプローチ――
 inter-Score/行為を誘発する装置としての記譜」高橋悟
「俳優からパフォーマーへ――
 グロトフスキの〈否定の道〉」松嶋健
「風聞の身体、名もなき実在論
 ――奄美群島宮澤賢治」今福龍太
「〈あわい〉の身心変容技法」安田登
「無心のケアのために――断片ノート」西平直
現象学から創発学へ――一九九〇年以降フランス哲学における『生ける身体living body』の誕生」ベルナール・アンドリュース
第5章 芸能とシャーマニズム
チベットの宗教と身心変容技法の社会性」小西賢吾
「韓国シャーマニズムの『巫病』に見る身心変容」金香淑
「女性の心の病とアンダイ儀礼」アルタンジョラー
「神事芸能と身心変容技法――
 国風の歌舞(春日大社社伝神楽と神楽歌)」木村はるみ
「「癒しのわざ」の現場から――
 治病・除災儀礼からたどる九州の『行者文化』」
加藤之晴
「社会のなかの仏教と仏教身体技法――
 正法理念から見た仏教の倫理と身体」島薗進
「新たな医療の領域と精神文化に根ざしたケア――
 孤立化の時代における地域文化資源」島薗進

f:id:shins2m:20210329142900j:plain「鬼滅の刃」に学ぶ』が引用されていました! 

 

まさに錚々たるメンバーが揃っていますが、鎌田先生のみならず、島薗進、井上ウィマラ、稲葉俊郎といった日頃から親交のある方々も寄稿されており、興味津々です。まずは、鎌田先生が書かれた序章「医療と身心変容技法の原点と展開」を読みましたが、拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)が引用されていて、驚きました。3「日本神道から見た医療と身心変容技法」の「魔縁を退け静める物語/芸能」には以下のように書かれています。

f:id:shins2m:20201221125540j:plain「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林) 

 

一条真也「鬼滅の刃」に学ぶ――なぜ、コロナ禍の中で大ヒットしたのか』(現代書林、2021年1月刊)には、『鬼滅の刃』のルーツが手塚治虫の『バンパイヤ』『どろろ』『ぼくの孫悟空』の三作で、仏教の「怨親平等」思想との関わりや神道五部書の『倭姫命世記』の「元々本々」の思想とのつながりや『南総里見八犬伝』の「八徳」との関係があることなどについて触れられている。そして、〈「鬼滅の刃」現象とは、コロナ禍の中の「祭り」であり、「祈り」だった〉と結論づけられている。確かに、以下のキャッチフレーズを聞くと、コロナ禍の中で希望が湧いてくるようなポジティブな気持ちが増してくるかもしれない。

 

死闘の果てでも、祈りを。
失意の底でも、感謝を。
絶望の淵でも、笑顔を。
憎悪の先にも、慈悲を。
残酷な世界でも、愛情を。
非情な結末にも、救済を。
重ねた罪にも、抱擁を。
これは、日本一慈しい鬼退治。

一条真也「鬼滅の刃」に学ぶ』170-171頁)
※もとは2017年の『少年ジャンプ』の『鬼滅の刃』コミックスの広告ポスターのコピー

 

「祈り・感謝・笑顔・慈悲・愛情・救済・抱擁・慈しさ」、これらは多くの人の望むものであり、すべての項目が身心変容に関わるものでもある。とりわけ、「医療と身心変容技法」をテーマとした本書の観点から興味深いのは、「日の呼吸」や「水の呼吸」など「全集中の呼吸」という呼吸法や「ヒノカミ神楽」などの神楽が描かれている点である。呼吸法や神楽は、仏教や神道の伝統的な身心変容技法で、日本三大祭りとして知られる祇園祭山鉾巡行祇園囃子感染症の除去という役割を課せられてきた。とはいえ、よく考えなければならないのは、そもそも退治されるべき「鬼」と何者かという根本問題である。
(『身心変容技法シリーズ』第3巻024頁)
以上のように拙著が引用されていましたが、引き続き、「世阿弥の思想」として、『風姿花伝』が取り上げられています。『「鬼滅の刃」に学ぶ』から『風姿花伝』へ!

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シリーズの版元が変更!

 

さて、『身心変容技法シリーズ』は、第1巻および第2巻の版元はサンガですが、第3巻の版元はJMAM(日本能率協会マネジメントセンター)となっています。なぜ版元が変更されたかというと、サンガが倒産したからです。鎌田先生は、メールに「この本の出版に関しては、本年1月27日に再校ゲラが出たその日に、サンガ破産の知らせがあり、その後いろいろと紆余曲折がありました。が、当初発行予定の2月末からは1ヶ月遅れではありますが、さまざまなお助けにより、奇蹟的に、敗者復活戦のように、能率手帳で知られている日本能率協会マネジメントセンターより、3月23日に発売となります。難産苦労の末出版されるので嬉しさもひとしおです」と書かれています。

 

うーん、それは辛く厳しい状況でしたね。再校ゲラが出て来た日に突然倒産を告げられたとは、鎌田先生は開いた口が塞がらない状態で驚かれたことと存じます。絶望的な気分になられたでしょうし、大いなるグリーフも感じられたことでしょう。しかし、すでに錚々たる方々から原稿をお預かりしています。それから、鎌田先生は死に物狂いで次善策を検討し、引き受けてくれる出版社を探し廻り、ようやっと日の目を見るところまで持ってこられたのです。その使命感強さと行動力には心より敬意を表します。

唯葬論』(サンガ文庫)

 

それにしてもサンガが倒産したとは! 
仏教系の出版社として知られ、特にアルボムッレ・スマナサーラ師の著書をはじめとするテーラワーダ仏教の良書をたくさん刊行してきたのに! 
じつは、拙著『唯葬論』もサンガ文庫から出されていました。これも何を隠そう、鎌田先生との御縁でした。『唯葬論』の単行本は、終戦70年の年である2015年の7月に三五館から出版されました。多くの新聞や雑誌の書評に取り上げられ、またアマゾンの哲学書ランキングで1位になるなど、かなりの反響がありました。


サンゴ館からサンガへの転生!

 

しかし、2017年10月に版元の三五館が倒産するという想定外の事態が発生したのです。わたしの執筆活動の集大成と考えていた『唯葬論』ですが、同じく三五館から刊行された17冊の拙著とともに絶版になることが決まりました。当然ながら、わたしは大きなショックを受け、意気消沈していました。それを知った鎌田先生が仏教書出版のニューウェーブとして知られるサンガの編集部に掛けあって下さりサンガ文庫入りすることになったのです。感謝の念でいっぱいでした。

唯葬論』文庫版の帯

 

唯葬論』文庫版の帯には、中央部分に「問われるべきは『死』ではなく『葬』である! 博覧強記の哲人が葬送・儀礼のあり方を考え抜く・・・・・・途方もない思想書がついに文庫化!」というキャッチコピー書かれています。その右には鎌田東二先生が「弔う人間=ホモ・フューネラルについて、宇宙論から文明論・他界論までを含む壮大無比なる探究の末に、前代未聞の葬儀哲学の書が誕生した!」という過分な推薦文を寄せて下さいました。さらに左には、東京大学医学部附属病院循環器内科助教(当時)の稲葉俊郎氏が「人類や自然の営みをすべて俯瞰的に包含したとんでもない本です。世界広しといえども、一条さんしか書けません。時代を超えて読み継がれていくものです」との、これまた過分な推薦文を寄せて下さいました。感謝の念でいっぱいです。ちなみに、稲葉氏は『身心変容技法シリーズ第3巻 身心変容と医療/表現~近代と伝統―先端科学と古代シャーマニズムを結ぶ身体と心の全体性』にも寄稿されています。つくづく御縁を感じます。

唯葬論』文庫版カバー裏表紙

 

唯葬論』のカバー裏表紙には、鎌田先生の「解説」から抜粋された文章が以下のように掲載されています。
「『唯葬論』は、〈宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交霊論/悲嘆論/葬儀論〉全18章の構成。「宇宙論」から「葬儀論」まで、自然学(形而下学)から形而上学までの全領域を網羅した優れた問題提起作である。柳田國男が戦後社会の心と家族と共同体の荒廃を予見し、それを何とか防ぐために警世・警醒にして経世の書である『先祖の話』を出したように、直葬や0葬に向かいつつある世の風潮に、『唯葬論』は、この書を『すきとほつたほんたうのたべもの』としてこの時代にお供えし供養したのである」

 

最後の解説では、鎌田先生「『真球(まきゅう)あるいは『すきとほつたほんたうの食べ物』としての『唯葬論』」のタイトルで、その冒頭に「一条真也の『唯葬論』は、吉本隆明の『共同幻想論』(河出書房新社、1968年)や岸田秀の『唯幻論』(『ものぐさ精神分析青土社、1977年)や養老孟司の『唯脳論』(青土社、1989年)のアンサーブック・カウンターブックとして書かれた、気迫に満ちた壮大な論理構成による理論武装した体系的な著作である。著者が自負する通り、これは一条真也にしか書けない運命・天命の書である」と書かれ、その後もなんと21ページにもわたって解説を書いて下さいました。


解説を書いて下さった鎌田東二先生と

 

鎌田先生は解説の最後に、『儀式論』(弘文堂)とともに『唯葬論』が「『人類の未来のために』捧げられた聖なる供物である」と書かれ、「こころして 心の道に 歩み入る 天地人(あめつちびと)に 捧げる 本書(ふみ)と」、「人として 生まれて死ぬる 道行きを 祈り祭らふ こころと きみと」という2首の歌を詠んで下さいました。何度も書かせていただきますが、鎌田先生には感謝の念でいっぱいです。わたしも、「文庫版あとがき」の最後に、「日の本の こころとかたち 守るため 天下布礼を さらに進めん」、「風吹けど 月は動かず われもまた 志をば 曲げずに行かん」という2首の道歌を詠みました。まことに鎌田先生との御縁に感謝するばかりですが、満月の今夜(30日夜)、京都で鎌田先生にお会いすることになっています。満月の夜のリアル・ムーンサルトトークが楽しみです!

 

 

2021年3月30日 一条真也

『満月交感 ムーンサルトレター』 

一条真也です。
3月29日は満月です。わたしは、満月の夜ごとに「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生とWeb上の往復書簡「シンとトニーのムーンサルトレター」を交わしています。第1信から第30信までが『満月交感 ムーンサルトレター(上)』、第31信から第60信までが『満月交感 ムーンサルトレター(下)』(ともに水曜社)にまとめられています。2011年1月27日に上梓したこの2冊が、50冊目と51冊目の「一条真也による一条本」となります。

満月交感 ムーンサルトレター』上下巻
(2011年1月27日刊行)

 

とにかく本のカバー・デザインがインパクト大でした。満月に向って吠える二匹の狼が描かれているのですが、まるで伝奇小説のようなイメージでした。わたしは上巻の「まえがき」の最後に、「満月に吠える二匹の狼が世直しめざす人に化けたり」という歌を詠みました。上下巻ともに300ページを優に超え、その過密な字組みは業界に衝撃をもたらし、多くの出版社の編集部で回覧されたとか。

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上巻の帯の裏

 

上巻の「目次」は、以下の通りです。
まえがき(一条真也

第1信  ●月狂い  ●未来の風

第2信  ●ドラッカーの死 ●戸隠のムスビ

第3信  ●クリスマスの正体 ●アニメの活力

第4信  ●朝鮮半島からの贈り物 ●神体山・三輪山

第5信  ●高野聖   ●四国遍路

第6信  ●好老社会  ●三島由紀夫吉田松陰

第7信  ●もののあはれ ●ナルニア国物語

第8信  ●主の祈り  ●モノとは何か?

第9信  ●言霊   ●大駱駝鑑

第10信 ●第一次世界大戦 ●ガラス玉演戯

第11信 ●原爆と小倉  ●大物主神

第12信 ●孔子  ●宗像大社

第13信 ●丹波哲郎 ●三橋節子

第14信 ●賢治と妹・トシ  ●久高オデッセイ

第15信 ●心の社会  ●東山修験道

第16信 ●サ神   ●比叡山

第17信 ●千の風になって ●大重潤一郎

第18信 ●前野徹  ●母の死

第19信 ●愛する人を亡くした人へ ●過去を見出す

第20信 ●もの・こころ・たましい ●中沢新一

第21信 ●孟子ヘーゲル ●老荘

第22信 ●ヘーゲル病 ●空海

第23信 ●八大聖人 ●上田秋成

第24信 ●松下幸之助 ●八重山の風

第25信 ●水と火と  ●たましい

第26信 ●聖徳太子  ●人形浄瑠璃

第27信 ●真の富 ●ルナティック・パワー

第28信 ●サンタクロース ●おん祭

第29信 ●人間嫌い  ●食あたり

第30信 ●目に見えないもの ●遍路とほら貝

あとがき(鎌田東二

 

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下巻の帯の裏

 

下巻の「目次」は、以下の通りです。

まえがき(一条真也

第31信 ●ドバイ   ●通勤路

第32信 ●風姿花伝   ●ヒルマン

第33信 ●シュメール ●東山修験道

第34信 ●ワザ―ART ●シュタイナー

第35信 ●秋葉原事件  ●出雲大社

第36信 ●ホグワーツ魔法魔術学校 ●天狗の里

第37信 ●月とファンタジー ●神々と祭り

第38信 ●隣人祭り ●ウラジオストク

第39信 ●がんばれ仏教 ●八ちまた

第40信 ●飼い犬の恨み ●こころの未来

第41信 ●渋沢栄一  ●仲代達矢

第42信 ●ザ・ムーン ●発光ダイオード

第43信 ●悼む人   ●水の心

第44信 ●花は散りぬる ●土地のスピリット

第45信 ●一番小さな海 ●世阿弥のトランス

第46信 ●1Q84  ●不全

第47信 ●思い出ノート ●カマトト文学

第48信 ●ロウソクの灯  ●セロトニン

第49信 ●ドラッカー思考 ●古事記ガタリ

第50信 ●フリーメイソ  ●友愛党員

第51信 ●ハートフル・ファンタジー ●山尾三省

第52信 ●マイケル・ジャクソン ●悲の器

第53信 ●辺境より  ●子規と真淵

第54信 ●沈まぬ太陽  ●解器

第55信 ●匿名の卑怯  ●親鸞

第56信 ●天河   ●神懸り

第57信 ●葬式は必要! ●アースデイ

第58信 ●守礼之邦 ●アブラハムの宗教

第59信 ●グリーフケア  ●解き放つ

第60信 ●妖精を見る  ●来世までも

あとがき(鎌田東二

f:id:shins2m:20210329131112j:plain東京自由大学にて

わたしのレター・ネームの「Shin」というのは鎌田先生がつけて下さいました。もちろん「一条真也」の「真」から取っているのでしょうが、メソポタミア神話の最古の神である月神シンの意味もあるそうです。「Tony」というのは、「東二」の音読みです。また、コメディアンの「トニー谷」をもじってもいるそうですが、「トニー・パリ・カマターニュ」という名のフランス人みたいでカッコいいですね。そういえば、先生が以前パリの街を歩いていたとき、パリを自分の故郷であるように感じられたとか。

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本書の出版記念「隣人祭り」のようす

 

わたしは、いわゆる「往復書簡集」の類が好きで、フロイトユング夏目漱石正岡子規柳田國男南方熊楠の文通などを愛読してきました。そのわたしが、敬愛してやまなかった鎌田先生と21世紀のWeb版往復書簡を交わすなどとは夢にも思いませんでした。ましてや、それが2巻組の単行本になろうなどとは! 2人の間に交わされた膨大なレターを読み返してみて、自分でもあきれました。

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上巻の帯

 

5年の間、いろいろな話を鎌田先生としたものです。お互いの著書のこと、プロジェクトのこと、考えていること。話題も政治や経済、社会から、宗教、哲学、文学、美術、映画、音楽、教育、倫理、さらには広い意味での「世直し」まで。まあ、わたしがある話題に終始すれば、鎌田先生はまったく違う話題に終始するといった具合にあまり噛み合っていないこともありましたが、それもまた良し!(笑)お互いが言いたいことをつれづれなるままに書き、たまにはスウィングしながら、少しでも「楽しい世直し」につながっていけばいいなと思っていました。 

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下巻の帯

 

わたしが商売人の身であるにもかかわらず、文化人や学者の方々とお話しても何とかついて行けるのは、鎌田先生との文通で展開してきた議論のおかげかもしれません。わたしには、「自分は日本を代表する宗教哲学者と文通を続けているのだ」という自負と、「だから誰と対話することになっても怖くない」という自信があります。葬儀の存在意義をめぐって某宗教学者とNHKの番組で討論することになったときも、鎌田先生はアドバイスとして、「冠婚葬祭は形は変わっても絶対に必要です。人類は神話と儀礼を必要としています。それが人間です」との言葉を下さいました。まことに嬉しく、ありがたかったです。わたしが儀礼文化のイノベーションをめざしていく上で、鎌田先生のアドバイスがどれほど心の支えになっていることか!

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パネルディスカッションでの2人

 

本書の上下巻とも、「まえがき」はわたし、「あとがき」は鎌田先生が書いたのですが、上巻の「あとがき」に鎌田先生は次のように書いて下さいました。「一条真也氏は一種の『超人』あるいは『ウルトラマン』である。冠婚葬祭業の大手会社の社長を務めながら、業界の広報委員長の役目を強い使命感を持って果たし、『葬式は、要らない』という論客に対して『葬式は必要!』と果敢に打って出る。経営者の傍ら50冊以上の書物を出版する作家であり、大学の客員教授としても教壇に立つ。並みの人間にできることではない。『ウルトラマン』と言いたくなるのも理解してくださるだろう」



わたしは、この文章を読んで、もう恐縮の至りなどという次元を通り越して、穴が入ったら入りたい心境でした。その旨を鎌田先生にも申し上げたところ、「いいじゃないですか」と笑っておられました。普通は「超人」というと「スーパーマン」が出てくるところですが、なぜ「ウルトラマン」なのか。これには2つの理由があるそうです。1つには、スーパーマンは等身大ですが、ウルトラマンは巨大だから。もう1つは、スーパーマンアメリカ生まれですが、ウルトラマンは日本が生んだヒーローだからだそうです。いやはや、本当に申し訳ないような気持ちでいっぱいです。


それはそうと、「シン・ウルトラマン」(!)という映画が今年公開されるそうですね。おいおい、俺のことか?(笑) まさに、シン(!)クロニシティではないですか!(笑)しかも、ブログ「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ブログ「シン・ゴジラ」で紹介した映画を監督した庵野秀明監督の最新作というから楽しみです! 本当は今年初夏の公開予定でしたが、東宝より「新型コロナウィルス感染症(COVID-19)により、制作スケジュールに影響が出たため、予定していた『2021年初夏公開』ではなく、新たな公開時期へ調整させて頂きます。スタッフ一丸で鋭意制作中です。どうか楽しみにお待ち頂ければと思います」との発表がありました。

f:id:shins2m:20210329124839j:plain京都の北野天満宮にて


また、「まえがき」「あとがき」の最後に2人は短歌を詠んでいます。

満月に吠える二匹の狼が 
  世直しめざす人に化けたり
一条(上巻・まえがき)

満月の夜にいななく虫たちの 
  天地つらぬく越楽の声
鎌田(上巻・あとがき)

人はみな神話と儀礼求むると 
  文を交わせし師に教えられ
一条(下巻・まえがき)

ココと来て月を見上げてしずまりぬ 
  火宅世界に包まるるとも
鎌田(下巻・あとがき)

ココというのは、鎌田家の愛猫です。もう亡くなりましたが・・・・・・これらの短歌にも、2人の個性がよく現れているような気がします。

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鎌田先生の応募完了画面

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わたしの応募完了画面

 

進化論のチャールズ・ダーウィンの祖父にエラズマス・ダーウィンという人がいました。彼は月が大好きだったそうで、18世紀、イギリスのバーミンガムで「ルナー・ソサエティ(月光会)」という月例対話会を開いたといいます。わたしたちは、現代日本のルナー・ソサエティのメンバーなのかもしれません。そして、われらのルナー・ソサエティは、ハートフル・ソサエティをめざしています。そして、ブログ「月旅行に応募しました!」で紹介したように、常人離れした月狂いであるわたしたちは、スタートトゥデイの前澤友作社長が企画する月周回旅行「dearMoonミッション」の同乗者に揃って応募しました。現在、世界249ヵ国で約100万件、日本からは約7.6万件の応募があったそうです。かなり多い数で驚きました。はてさて、どうなることやら?

 

満月交感 ムーンサルトレター 上

満月交感 ムーンサルトレター 上

 
満月交感 ムーンサルトレター 下

満月交感 ムーンサルトレター 下

 

 

 

2021年3月29日 一条真也

『葬送のフリーレン』

葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス)

 

一条真也です。
『葬送のフリーレン』山田鐘人原作、アベツカサ作画(小学館)の第1巻~第4巻を読みました。2021年3月時点で累計発行部数は200万部を突破、「マンガ大賞2021」大賞を受賞したコミックです。「週刊少年サンデー」(小学館)にて、2020年22・23合併号より連載中の話題作で、魔王を倒した勇者一行のその後を描く後日譚(アフター)ファンタジーです。マンガ大賞を受賞した2021年3月現在、原作担当の山田氏と作画担当のアベ氏は一度も会ったことがないとか。いずれにしろ、タイトルに「葬送」とあれば、スルーはできません!

f:id:shins2m:20210322124116j:plainコミックの第1巻~第4巻

 

Wikipedia「葬送のフリーレン」の「あらすじ」には、こう書かれています。
「魔王を倒して王都に凱旋した勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼン、魔法使いフリーレンの勇者パーティ4人。10年間もの旅路を終え、感慨にふける彼らだが、1000年は軽く生きる長命種のエルフであるフリーレンにとっては、その旅はとても短いものであった。そして50年に一度降るという『半世紀エーラ流星』を見た4人は、次回もそれを見る約束をしてパーティを解散する。50年後、すっかり年老いたヒンメルと再会したフリーレンは、ハイターやアイゼンとも連れ立って再び流星群を観賞する。その後にヒンメルは亡くなるも、彼の葬儀でフリーレンは自分がヒンメルについて何も知らず、知ろうともしなかったことに気付いて涙する。その悲しみに困惑した彼女は、人間を“知る”旅に出るのだった」

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コミック第1巻の帯

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コミック第1巻のカバー裏

 

コミック第1巻の帯には、「『このマンガがすごい!2021』(宝島社)【オトコ編】第2位!!!!!!!!」「大人気御礼!!大重版!!!」「勇者の死後も生き続ける、エルフの魔法使い。英雄たちの“生き様”を紡ぐ後日譚ファンタジー!」と書かれています。また、カバー裏表紙には、「魔王を倒した勇者一行の“その後”。魔法使いフリーレンはエルフであり、他の3人と違う部分があります。彼女が“後”の世界で生きること、感じること。そして、残った者たちが紡ぐ、葬送と祈りとは――物語は“冒険の終わり”から始まる。英雄たちの“生き様”を物語る、後日譚ファンタジー!」と書かれています。

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コミック第2巻の帯

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コミック第2巻のカバー裏

 

コミック第2巻の帯には「魔王を倒した功績があるけれど、少しダメエルフ? 面倒をみてくれる弟子のフェルンと、新たな旅路です。英雄たちの“系譜”を紡ぐ後日譚ファンタジー!」「勇者の死後も生き続けるエルフの魔法使い。」と書かれ、カバー裏表紙には「長生きなエルフの魔法使い・フリーレン。弟子の魔法使い・フェルンと歩む旅の目的地は、再び魔王城。勇者たちの魂が眠るとされる地。この旅は、勇者たちとの冒険の足跡を辿ることでもあります。道中、戦士の弟子・シュタルクとの出会いも――物語は、追憶と共に新たな局面へと進む。英雄たちの“系譜”を紡ぐ後日譚ファンタジー!」とあります。

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コミック第3巻の帯

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コミック第3巻の裏

 

コミック第3巻の帯には、「『このマンガがすごい!2021』(宝島社)オトコ編第2位!!!!!!!!」「普段はダメエルフだけど、勇者一行にいた魔法使い。彼女の実力と真価は、悠久の時の中に――英雄たちの“真実”を紡ぐ後日譚ファンタジー!」と書かれています。また、カバー裏表紙には「勇者一行にいた魔法使い・フリーレン。魔王軍の残党で大魔族でもある七崩賢・断頭台のアウラと衝突。その中で、フリーレンの史実が明かされていきます。悠久の時の中で、彼女が抱いた感情とは――物語は、現在と過去が交錯していく。英雄たちの“真実”を紡ぐ後日譚ファンタジー!」と書かれています。

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コミック第4巻の帯 

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コミック第4巻の裏

 

最新刊であるコミック第4巻の帯には「いま一番読みたいマンガ!!」「マンガ対象2021大賞受賞!!」「魔王を倒した勇者の死後。エルフの魔法使いの“生き様”を紡ぐ。ずっと、エンディングが続いているような物語――」と書かれ、カバー裏表紙には「勇者の死後も生き続けるエルフの魔法使い・フリーレン。かつて勇者たちと冒険した旅路を、再び辿ります。昔も今も旅路を彩るのは、かけがえのない出会いと行事(イベント)の数々――物語は、勇者たちとの日常を思い起こしていく。英雄たちの“記憶”が繋がっていく後日譚ファンタジー!」とあります。



基本的には、魔族と戦士たちの戦闘の物語であり、鬼と鬼殺隊が闘いを繰り広げるブログ『鬼滅の刃』で紹介した大人気コミックに通じる部分があります。『鬼滅の刃』に登場する鬼のボス・鬼舞辻無惨は平安時代から1000年以上生きているという設定でしたが、『葬送のフリーレン』の主人公であるエルフの魔法使いのフリーレンも1000年以上生きていることになっています。「エルフ」とは、ゲルマン神話に起源を持つ、北ヨーロッパの民間伝承に登場する種族です。日本語では「妖精」あるいは「小妖精」と訳されることも多いですが、北欧神話における彼らは本来、自然と豊かさを司る小神族でした。



エルフはしばしば、とても美しく若々しい外見を持ち、森や泉、井戸や地下などに住むとされます。また彼らは不死あるいは長命であり、魔法の力を持っているとされます。J・R・R・トールキンの『指輪物語』では、賢明で半神的な種族としての「エルフ」が活躍しました。この作品は大成功し、トールキン風のエルフは現代のファンタジー作品における定番となりました。近年での日本のファンタジー作品では、「森の中で暮らす種族」としてのイメージが強く、漢字表記で「森人」と呼ばれることも多いとか。



1000年以上生きるエルフであるフリーレンは、当然ながら、長生きしても100年しか生きられない人間とは寿命が違います。しかし、その人間と交流し、ともに旅をし、ともに魔族と戦ったフリーレンは今は亡き人間たちに想いを馳せます。わたしは、臨死研究のパイオニアであるキューブラー・ロスの時間についての説を連想しました。ロスは、死および死後の世界においては時間など関係ないと主張しました。「死へのプロセス」を広く世に示した彼女は、晩年、死ぬ瞬間に起こるスピリチュアルな問題にまで立ち入りました。死ぬ瞬間には3つの段階がありますが、その第2段階では、誰も独りぼっちで死ぬことはないということがわかるそうです。そして、肉体から離れたとき、時間はもはやなくなるというのです。時間がなくなるということは、どういうことでしょうか。それは、先立って亡くなり、自分のことを愛し、大事にしてくれた人たちに会えるということです。

 

 

そして、この段階では時間が存在しないために、20歳のときに子どもを亡くした人が99歳で亡くなっても、亡くしたときと同じ年齢のままの子どもに会うことができるのです。ロスの研究では、あの世の1分はこの世の時間100年にも相当するそうです。だから、たとえば夫婦や恋人が死に別れたとして、2人の死に数十年の時差があるとしても、あの世では一瞬のことにすぎません。どういうことかというと、あなたが、愛する人を残して死ぬとします。相手は、あなたの思い出を大切に心に抱いて生き続け、その30年後に亡くなるとします。でも、あなたが死んで、あの世に着いたと思ったら、そのすぐ直後に相手も出現するのです。あの世での再会にタイムラグはないのです。なんと、素晴らしいことでしょうか。ロスの考えが正しく、また人間だけでなくエルフにも通用するとすれば、フリーレンが亡くなった瞬間、なつかしい勇者ヒンメルに会えることになります。

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銅像は何のためにあるのか? 

 

そのヒンメルは自分のことを「イケメン」であると思っており、魔族を倒した町や村の人々から銅像を建立してもらうことを好みます。ブログ「『銅像に学ぶ』開始!」にも書いたように、わたしは大の銅像好きですので、ヒンメルに親近感を抱きました。2巻第13話「解放祭」では、ありし日のヒンメルに向かって、フリーレンが「ヒンメルってよく像作ってもらっているよね」と言います。それに対して、ヒンメルは「皆に覚えていて欲しいと思ってね。僕達は君と違って長く生きるわけじゃないから。後世にしっかりと僕のイケメン振りを残しておかないと」と言うのですが、その後で「でも一番の理由は、君が未来で一人ぼっちにならないようにするためかな」と付け加えます。「何それ?」と問うフリーレンに向かって、ヒンメルは笑顔で「おとぎ話じゃない。僕達は確かに実在したんだ」と言うのでした。遺影や遺品や遺言状などが代表的ですが、後世の人が故人を忘れないためのものがあります。その最たるものが銅像かもしれません。それは、故人が残された人々の心に生き続けるためのメディアなのです。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)に書きましたが、死者のことを思うことが、死者との結びつきを強めます。メーテルリンクの『青い鳥』には「思い出の国」が出てきます。自身が偉大な神秘主義者であったメーテルリンクは、死者を思い出すことによって、生者は死者と会えると主張しています。また、アフリカのある部族では、死者を2通りに分ける風習があるそうです。人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうというのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。

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諸国で魔法を収集するフリーレン

 

『葬送のフリーレン』は魔法使いの物語ですが、彼女は諸国を周りながら、さまざまな魔法をコレクションします。それが、「銅像の錆を落とす魔法」や「カビを消滅させる魔法」や「しつこい油汚れを取る魔法」や「温かいお茶が出てくる魔法」といった科学薬品とか家電製品のような魔法が多いです。中には「花畑を出す魔法」とか「失くした宝飾品を見つける魔法」といったロマンティックな魔法も登場しますが、だいたいフリーレンが収集している魔法は、現代日本ならホームセンターで売っているような魔法が多いのです(笑)。もちろん、魔族を倒すためには、そんな魔法では間に合いません。フリーレンは歴史上、最も多くの魔族を死に至らしめた「葬送のフリーレン」と呼ばれた最強の魔法使いなのであり、戦闘の際にはすさまじい破壊力の魔法を駆使します。

法則の法則』(三五館)

 

拙著『法則の法則』(三五館)で、わたしは魔法について書きました。魔法とは正しくは「魔術」といいます。魔術とは何か。それは、人間の意識つまり心のエネルギーを活用して、現実の世界に変化を及ぼすことです。そして、魔術には二種類あります。心のエネルギーを邪悪な方向に向ける「黒魔術」と、善良な方向に向ける「白魔術」です。そして、「黒魔術」で使われる心のエネルギーは「呪い」と呼ばれ、「白魔術」で使われる心のエネルギーは「祈り」と呼ばれます。4巻の第31話「混沌花」では、旅の仲間である僧侶のザインから「なあ、フリーレン。呪いってなんなんだ」と質問され、フリーレンは「魔物や魔族が使う魔法の中には人を眠らせたり石にしたりすものがあってね、その中でも人類が未だに解明できていない魔法を“呪い”と呼んでいるんだ。人類の魔法技術じゃ原理も解除方法もわからない」と答えています。

 

面白いのは、この物語では、魔法使いの資格認定制度が登場することです。大陸魔法協会という組織があって、魔法使いの一級から五級までの試験を行って資格を認定しているのです。4巻の第37話「一級試験」で、フリーレンの仲間たちへの説明によれば、五級以上の魔法使いの総数は600人。見習いの六~九級を含めると全体で2000人。そのうち、一級は45人。一級試験は3年に一度で、オイサーストの北部支部と聖都シュトラールの本部の2か所で開催。合格者が出ない年も多く、当たり前のように死傷者も出ていると説明されています。一級魔法使いというのは、魔法使いの中でもほんの一握りの熟練者なのです。

f:id:shins2m:20210326001750j:plain「ふくおか経済」2020年12月号

 

魔法使いの資格認定制度のくだりを読んだわたしは、全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)のグリーフケア・プロジェクトチームの座長として現在取り組んでいる「グリーフケア資格認定制度」を連想しました。この資格は一級から三級まであります。考えてみれば、グリーフケア士というのも魔法使いのような存在かもしれません。それは人々の悲嘆に寄り添い、「癒し」や「祈り」と深く関わる「白魔術師」という魔法使いです。そう、魔術の本質とは人間の心に影響を与えて現実を変えることであり、グリーフケアこそは白魔術ではないでしょうか。絵柄も優しく、死者への想いに満ちた『葬送のフリーレン』そのものがグリーフケアの物語であると言えるでしょう。今後の展開を楽しみにしています。それにしても、世の中、グリーフケアに満ちていますね!

 

 

そのように思っていたら、当ブログ記事を読まれた上智大学グリーフケア研究所島薗進所長から、「『葬送のフリーレン』のご紹介、興味深く拝見しました。このコミックも見てみたいです。ご紹介いただいただけでも、たいへん惹かれます。ありがとうございます。『鬼滅の刃』と同様、日本の慰霊の文化との関係がありそうですね。マックス・ウェーバーの『世界の魔術からの解放(脱呪術化)』という概念に対して、1980年代から批判が起こり、『世界の再魔術化(再呪術化)』という概念も定期されています。『魔術からの解放』はドイツ語のEntzauberungを英訳してdisenchantment、『再魔術化』はreenchantment ですが、『魔法の世界、夢の世界』に入っていくことと死の向こう側を感じとることはつながります。再魔術化とグリーフケアを結びつける議論はまだなされていないと思いますが、十分、可能な議論だと思います」という内容のメールが届きました。
「再魔術化とグリーフケアを結びつける議論」、非常に興味があります。島薗所長、素晴らしいヒントを与えていただき、ありがとうございました!

 

葬送のフリーレン 1-4巻セット

葬送のフリーレン 1-4巻セット

  • 作者:山田鐘人
  • 発売日: 2021/03/17
  • メディア: コミック
 

 

2021年3月28日 一条真也

「ノマドランド」  

一条真也です。
26日、小倉の桜が満開となりました。
この日から公開された映画「ノマドランド」を小倉のシネコンのレイトショーで観ました。これまた、もろにグリーフケアが主題の映画だったので驚きました。なぜか最近は、どんな映画を観てもグリーフケアの映画です。ノマドたちが生活する自然の描写が美しかったです。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という芭蕉の『おくのほそ道』の言葉が胸をよぎりました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション小説を原作に、『ノマド遊牧民)』と呼ばれる車上生活者の生きざまを描いたロードムービー金融危機により全てを失いノマドになった女性が、生きる希望を求めて放浪の旅を続ける。オスカー女優フランシスマクドーマンドが主人公を演じ、『グッドナイト&グッドラック』などのデヴィッド・ストラザーンをはじめ、実際にノマドとして生活する人たちが出演。『ザ・ライダー』などのクロエ・ジャオがメガホンを取り、第77回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で金獅子賞を獲得した」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業の倒産で住み慣れた家を失ってしまう。彼女はキャンピングカーに荷物を積み込み、車上生活をしながら過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを余儀なくされる。現代の『ノマド遊牧民)』として一日一日を必死に乗り越え、その過程で出会うノマドたちと苦楽を共にし、ファーンは広大な西部をさすらう」



主演は、ブログ「スリー・ビルボード」で紹介した映画でアカデミー主演女優賞に輝いたフランシス・マクドーマンドですが、彼女の存在感を完全に消し去って、作品あるいは風景に溶け込んだ演技は素晴らしかったです。1957年生まれの彼女は、両親が共にカナダ人。牧師であった父親の都合で各地を転々として育ちます。高校時代にピッツバーグに落ち着き、ウェストバージニア州のベサニー大学で演劇を学びました。さらにイェール大学スクール・オブ・ドラマで学び、その時のルームメイトはホリー・ハンターでした。1980年代初めにホリー・ハンターコーエン兄弟サム・ライミと共に暮らしていたことが縁となって、1984年にコーエン兄弟監督の「ブラッド・シンプル」で映画デビューしました。



フランシス・マクドーマンドは、1989年に出演した「ミシシッピー・バーニング」でアカデミー助演女優賞に初ノミネート。1996年の「ファーゴ」および2017年の「スリー・ビルボード」でアカデミー主演女優賞を獲得。主演女優賞複数回受賞は史上13人目の快挙でした。アカデミー賞では、この他に3回助演女優賞にノミネートされています。その後、映画だけでなくテレビや舞台でも活躍。1988年には舞台「欲望という名の電車」に出演し、トニー賞にもノミネートされました。2011年、「Good People」でトニー賞の主演女優賞 演劇部門)を、2015年「オリーヴ・キタリッジ」では、エミー賞の主演女優賞(リミテッドシリーズ・テレビ映画部門)を受賞しています。そんな押しも押されぬ大女優が、「ノマドランド」では車上生活者を演じました。



ノマド」というと都会を避けて自然の中で生活する人々といった印象があり、ロマンティックなイメージを抱いてしまいますが、ジェシカ・ブルーダー原作の映画化である「ノマドランド」は、そんなロマンとは無縁です。主人公のファーンは61歳の女性ですが、会社の倒産で職を失い、病で夫も亡くしました。生きるために仕方なく、彼女は愛着のあるぽんこつキャラバンに夫との思い出の品を積み、当てのない旅に出ます。生活のため、ところどころで季節労働をします。



彼女が重視した季節労働の1つに、アマゾンの配送センターでの労働がありました。ブログ『amazon』でも紹介したように、アマゾンといえば、世界最先端のIT企業であり、「ビジネスモデル」「キャッシュフロー」「AI技術」「会員サービス」など、ありとあらゆる革命がこの企業には詰まっています。書籍の流通だけではなく、あっという間にさまざまな業界に入り込み、それぞれの大企業を脅かす存在になりました。しかし、その最先端企業の倉庫で働く人々は各地から寄せ集められた困窮した労働者たちであり、悪く言えば「ふきだまり」のような現場の姿がありました。「アマゾンGO」は無人の店舗ですが、これから配送センターもロボット化が進んで無人の職場になるのでしょうか。



マクドーマンド演じるファーンは、ノマドの友人リンダに誘われて、ノマドたちが集まってコミュニケーションを交わすイベント“RTR(Rubber Tramp Rendezvous)”に参加します。最初は不安な表情を浮かべているファーンでしたが、リンダやイベントで出会った新たな友人スワンキーともに交流していく中で、次第に笑顔を見せていきます。アメリカ各地からノマドたちが集まるイベントには大勢のノマドたちが登場します。なんと、プロの俳優は主人公のファーンを演じたマクドーマンドと、デイヴを演じたデヴィッド・ストラザーンのみだそうです。ファーンと親しく会話するリンダ、ギプスをつけて炊き出しに並ぶスワンキー、さらにはイベントの主催者であるボブ・ウェルズをはじめ、全員が一般のノマドたちだそうです。これには驚きました。

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奥田知志氏と 

 

ボブ・ウェルズはいわゆるホームレス支援活動家であり、日本でいえば、「隣人愛の実践者」こと奥田知志氏のような存在です。東八幡キリスト教会の牧師で、NPO法人抱樸の理事長でもある奥田氏は、日本におけるホームレス支援活動の第一人者です。これまでにブログ「隣人対談」ブログ「無縁社会シンポジウム」ブログ「茂木健一郎&奥田知志講演会」ブログ「包摂社会シンポジウム」ブログ「最期の絆シンポジウム」ブログ「支え合いの街づくり」ブログ「荒生田塾講演」などで紹介したとおり、奥田氏とは数多くの対談やシンポジウムでご一緒させていただきました。お互いの活動の場は違っても、ともに有縁社会あるいはハートフル・ソサエティの創造を目指している点では同じであり、同志であると思っています。

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奥田氏とは初対面から意気投合!

 

ノマドライフ」の主人公ファーンは自分の意志でノマド生活をすることを「ホームレスではなくハウスレス」と表現しましが、これは奥田氏がつねに「ハウスレスとホームレスは違います」と発言されているのと同じです。家をなした人はハウスレスだけれども、絆をなくした人はホームレスだというのです。多くの人々が「絆」を取り戻し、「有縁社会」を再生するのが、わたしの願いです。わたしは、もともと、日本人の「孤独死」と「自殺」を減少させたいと考えてきました。それで、「世界一の高齢化都市」である北九州に全国の独居老人を集めて「高齢者福祉特区」にすべきであるという主張を展開し、そのモデルとしてサンレーグランドホールをオープンさせ、「グランドカルチャー教室」や「むすびの会」をスタートさせました。

f:id:shins2m:20111007152141j:plain「ケア・シティ」実現に向け、何度も対談しました

 

また、愛する人を亡くして心神喪失状態にある方々のために「グリーフケア・サポート」の取り組みを進めて、「月あかりの会」や「ムーンギャラリー」を実現してきました。こうなれば、ホームレスや独居老人だけでなく、あらゆる社会的に困っておられる方々、何らかの悩みを抱えている方々に北九州に参集していただき、「とにかく北九州に行けば生きていける」というふうになればいいと思います。すなわち、北九州市を大いなる「社会福祉都市」あるいは「ケア・シティ」にするのです。コロナ時代の社会のテーマは明らかに「相互扶助」であり、それをコンセプトとする互助会の使命とは独居老人やノマドの方々も気軽に立ち寄れる「居場所」づくりだと考えます。そのために、わが社は今後も精力的に取り組んでいくつもりです。

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「軒の教会」でグリーフケアを語る 

 

その奥田氏が理事長を務めるNPO法人抱樸が主催する「荒生田塾」で、わたしは講演したことがあります。会場は、生まれ変わったばかりの「軒の教会」でした。建築家の手塚貴晴氏、脳科学者の茂木健一郎氏、政治学者・作家の姜尚中氏といった錚々たる講師陣に続いて出講させていただいたのですが、そのときの講演テーマが「グリーフケアの時代」でした。わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失いました。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。わたしは、そのようなことを話しました。



映画「ノマドライフ」のメインテーマもまさにグリーフケアでした。「アメリカの奥田知志」とでも呼ぶべきボブ・ウェルズは息子を自死で亡くしており、「悲嘆や喪失感を抱いた多くの人々がここに集まってくる」と言います。ファーンもまた、夫を病で亡くし、深い悲嘆と喪失感を抱いています。それが彼女を放浪の旅に駆り立てたのでした。RTRというハウスレスの共同体は、グリーフケアの共同体でもあったのです。ボブ・ウェルズは、「『さよなら』という言葉は『see you again』と言うだろう。そうなんだ、また会えるんだ。永遠の別れじゃないんだ。わたしも、いつかは亡くなった息子に再会できるんだ」と述べるのでした。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

このボブ・ウェルズの言葉は、わたしが初めて書いたグリーフケアの書『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)に書いた内容と同じです。考えてみれば、世界中の言語における別れの挨拶に「また会いましょう」という再会の約束が込められています。日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうですし、英語の「See you again」もそうです。フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。これは、どういうことでしょうか。古今東西の人間たちは、つらく、さびしい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。でも、こういう見方もできないでしょうか。二度と会えないという本当の別れなど存在せず、必ずまた再会できるということを人類は無意識のうちに知っているのだと。その無意識の底にある真理が、別れの挨拶に再会の約束を重ねさせているのだと。わたしたちは、別れても、必ずまた、愛する人に再会できるのです。



愛する人を亡くした人へ』には大きな反響がありましたが、同書の中から、CD「また会えるから」が生まれました。この歌の作詞は、わたしが手がけました。YouTubeに動画がアップされています。
そのメッセージとは、「愛する人と死に別れることは人間にとって最大の試練です。しかし、試練の先には再会というご褒美が待っています。けっして、絶望することはありません。けっして、あせる必要もありません。 最後には、また会えるのですから。どうしても寂しくて、悲しくて、辛いときは、どうか夜空の月を見上げて下さい。そこには、あなたの愛する人の面影が浮かんでいるはずです。 愛する人は、あなたとの再会を楽しみに、気長に待ってくれることでしょう」というものです。



ボブ・ウェルズのRTRでは、亡くなったメンバーの葬送のセレモニーを重視しています。この映画では、末期がんに冒された末に亡くなったスワンキーという老女のお別れ会のシーンもあります。キャンプファイヤーのような焚火を囲んだメンバーたちが亡きスワンキーを偲び、彼女が好きだった石を火の中に投げ入れるという儀式です。くだんの奥田氏も葬儀を最重要視されており、ある対談で「私は、支援の初めに私の葬式のときに来てくださいねと言います。お葬式の場というのは、ある意味では残った人たちを支える場です。私が死んだときに、野宿のおじさんたちが何百人か来てくれて、嘘でもいいから『あいつはいい奴やった』と言ってくれと」と発言されていました。奥田氏も、わたしと同じく、葬儀への参列が「縁」と「絆」の核心に通じていることに気づいておられるのです。



ノマドランド」は、とても美しい映画であったことを強調しておきたいと思います。夜明けとか夕暮れといった「あわい」のシーンが多かったのですが、まるで絵画のような情景で、うっとりとしました。ノマドの人々は必然的に自然と触れ合う機会が多いですが、そこには生物学者レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と呼んだものが育まれ、かつ強められていきます。それは、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見張り、人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性です。

 

センス・オブ・ワンダー

センス・オブ・ワンダー

 

 

カーソンは、著書『センス・オブ・ワンダー』で、「鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘が隠されています。自然がくりかえすリフレイン―夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ―のなかには、限りなく私たちを癒してくれる何かがあるのです」と述べました。まさに、地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力を保ちつづけることができるのであり、ノマドの人々の生き方にはその可能性を感じます。「ノマドランド」は、コロナ時代の生活や人生を考える上でも、とても興味深い映画でした。

 

2021年3月27日 一条真也

映画監督の卓話

一条真也です。
26日、本当に久しぶりに小倉ロータリークラブの例会に参加しました。リーガロイヤルホテル小倉の例会場に到着すると、NHK北九州放送局の大曾根局長から「今年は北九州で『のど自慢』開催することになりましたから、ぜひ参加されて下さい!」と言われました。スケジュールさえあれば参加して、サブちゃんの「まつり」を歌いたい!

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例会の昼食はカレーでした

 

今日の昼食は、ビーフカレーでした。ブログ「カレーの日」で紹介したように、わたしは「例会の昼食は、もう毎回、カレーでいい」と広言するくらいのカレー好きなのですが、以前はカレーに添えられていた福神漬けやラッキョウが消えていて悲しかった(涙)。

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テーブルの上に「レッド・シューズ」の資料が

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卓話をする雑賀監督

 

わたしが意気消沈してテーブルの上に置かれた書類を見ると、映画「レッド・シューズ」の資料があるではないですか! そう、今日の例会では、ブログ「映画監督、来る!」で紹介した雑賀俊朗監督の卓話があるのです。まったく知らなかったので、驚きました。

f:id:shins2m:20210326125202j:plain雑賀監督は北九州市出身!

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雑賀監督の先祖は雑賀孫市! 

 

雑賀監督の卓話は非常にユーモアに富んで面白かったです。雑賀監督は北九州市の生まれで、皿倉山のふもと八幡東区の帆柱に生まれました。尾倉小学校(廃校)、尾倉中学校、沖田中学校(2年転校)、東筑高校を経て、早稲田大学に進学されました。先祖に雑賀孫市がいるそうです。NHKの「国盗り物語」や司馬遼太郎の『尻啖え孫市』に登場する人物で、織田信長の鉄砲技能集団として名高かった雑賀党を率いた戦国時代の武将です。すごいですね!

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新作映画「レッド シューズ」を紹介

f:id:shins2m:20210326131125j:plainわたしの映画出演発表で会場が騒然!

 

雑賀監督は、これから北九州で撮影する次回作の「レッド・シューズ」のことも話しましたが、なんと「ここにおられるサンレーの佐久間社長も出演される予定です。みなさん、『ウォーリーを探せ!』ではありませんが、ぜひ映画鑑賞の際には佐久間社長の姿を探されて下さい」と言ったので、会場は騒然となりました。わたしは、もう穴があったら入りたかったです。卓話後の松永会長の挨拶でも、司会の伊井SAのトークでもわたしの映画出演の件がいじられました。でも、ロータリーの例会に来ると、多くのお仲間のみなさんにお会いできて元気が貰えます。こうなったら、NHKのど自慢出場も、映画出演も頑張ります!

 

2021年3月26日 一条真也