荒生田塾講演

一条真也です。
16日の15時から、ブログ「荒生田塾講演のお知らせ」で紹介した講演を行いました。場所はブログ「東八幡キリスト教会献堂式」で紹介した「軒の教会」で、講演テーマは「グリーフケアの時代〜別れを生きるとは」でした。


講演会のようす

テーマは「グリーフケアの時代」でした



荒生田塾とは「人は何のために生きるのか」という問いを共に考え、その答えを悩みつつも見つけるための私塾です。塾名は東八幡キリスト教会の所在地名にあやかって命名されたとか。荒生田塾では、これまでに建築家の手塚貴晴氏 脳科学者の茂木健一郎氏 政治学者・作家の姜尚中氏を講師として招聘し、講演後に奥田知志牧師との対談を行っています。


星降る教会で語りました


この講演会に先立って、4月25日夜、東八幡キリスト教会内ホールにおいて「第2回荒生田塾語り場 一条真也氏読書会」が開催されました。内容は拙著『のこされた あなたへ〜3・11その悲しみを乗り越えるために』(佼成出版社)を参加者で輪読し、わたし一条が著書でテーマとしている ”grief care(深い悲しみのケア)”から「生きることの意味」を語り会われたとか。
この講演においても、『のこされた あなたへ』(佼成出版社)の内容に基づいてお話しました。今日は、200名以上の方々が来場して下さいました。


グリーフケアについて語りました

みなさん、真剣に聴いて下さいました



わたしは、2011年末に同書を書きました。 サブタイトルは「3・11 その悲しみを乗り越えるために」です。そう、東日本大震災愛する人を亡くした方に向けて書いた本です。 同書の帯には、「死別はとてもつらく悲しい。けれど、決して不幸な『出来事』ではありません。」と大きく書かれています。また、「グリーフケアの入門書にして決定版」というコピーが赤く囲まれています。そして、「大切な人を突然失ったとき、どうやって立ち直ればよいのか。」とも書かれています。 わたしにとっては、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)に次ぐグリーフケアの著書となりました。わたしの持てるすべてを駆使して書き上げました。その後、東日本大震災の被災者の方向けに書いた本が『のこされた あなたへ』です。


葬儀の4つの役割について

愛する人を亡くす苦悩を語りました



キリスト教会が会場でしたが、わたしはブッダの話をしました。
釈尊」ことブッダは、「生老病死」を4つの苦悩としました。
わたしは、人間にとっての最大の苦悩は、愛する人を亡くすことだと思っています。老病死の苦悩は、結局は自分自身の問題でしょう。
でも、愛する者を失うことはそれらに勝る大きな苦しみではないでしょうか。
配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかると言われています。
幼い子どもを亡くした人は10年かかるとされています。
こんな苦しみが、この世に他にあるでしょうか。一般に「生老病死」のうち、「生」はもはや苦悩ではないと思われています。
しかし、ブッダが本当に「生」の苦悩としたかったのは、誕生という「生まれること」ではなくて、愛する人を亡くして「生き残ること」ではなかったかと、わたしは思うのです。


愛する人を亡くした人は何を失うのか




それでは、ブッダが苦悩と認定したものを、おまえごときが癒せるはずなどないではないかという声が聞こえてきそうです。たしかに、そうかもしれません。でも、日々、涙を流して悲しむ方々を見るうちに、「なんとか、この方たちの心を少しでも軽くすることはできないか」と思いました。
ユダヤ教のラビでアメリカのグリーフ・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をもとに、わたしは次のようにアレンジしました。
 

親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。

 

それぞれ大切なものを失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、わが社の使命ではないかと思うようになったのです。そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を書きました。さらに2010年6月21日、愛する人を亡くした人たちの会「月あかりの会」を発足させました。


のこされた あなたへ』について



のこされた あなたへ』では、「葬儀ができなかったあなたへ」「遺体が見つからないあなたへ」「お墓がないあなたへ」「遺品がないあなたへ」「それでも気持ちのやり場がないあなたへ」と、具体的な「あなた」へのメッセージを綴り、最後に「別れの言葉は再会の約束」という文章を書きました。
葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」というものが問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けていたのです。


東日本大震災」の被災の様子について



この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで2メートル半も東に押しやられたそうです。それほど巨大な力が、いったい何のためにふるわれ、多くの人命を奪い、町を壊滅させたのでしょうか。 あの地震津波原発事故にはどのような意味があったのでしょうか。 そして、愛する人を亡くし、生き残った人は、これからどう生きるべきなのでしょうか。 そんなことを考えながら、残された方々へのメッセージを書き綴ってみました。
もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、その悲しみが完全に癒えることもありません。
しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて『のこされた あなたへ』を書きました。
時には、涙を流しながら書きました。


「また会えるから」のPVを流しました


愛する人と死に別れることは人間にとって最大の試練です。
しかし、試練の先には再会というご褒美が待っています。
けっして、絶望することはありません。
けっして、あせる必要もありません。
最後には、また会えるのですから。
どうしても寂しくて、悲しくて、辛いときは、どうか夜空の月を見上げて下さい。 そこには、あなたの愛する人の面影が浮かんでいるはずです。
愛する人は、あなたとの再会を楽しみに、気長に待ってくれることでしょう。 今日は、そんなことをお話してみました。


東日本大震災後の複雑性悲嘆

グリーフケアとは



わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。
愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。


「ボランティア」から「グリーフケア」へ



1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれます。
16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。


「隣」とは何か

盛大な拍手を頂戴しました


グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。
今日は、「月あかりの会」で実際に取り組んできた事例を中心に報告しました。終了後、盛大な拍手を頂戴し、感激するとともに安堵しました。


講演後は奥田牧師と対談しました

対談のようす

笑いも出ました

フランクに語り合いました


講演後は、第二部として、「隣人愛の実践者」こと奥田知志牧師と対談させていただきました。これまでにブログ「隣人対談」ブログ「無縁社会シンポジウム」ブログ「茂木健一郎&奥田知志講演会」ブログ「包摂社会シンポジウム」ブログ「最期の絆シンポジウム」ブログ「支え合いの街づくり」などで紹介したとおり、奥田牧師とは数多くの対談やシンポジウムでご一緒させていただきました。


さまざまな話題について語り合いました

奥田牧師の話を聴く



対談の冒頭で、奥田牧師は「一条さんは、多くの本を書かれています。わたしも大ファンです。ブログも凄くて、愛読しているんですよ」と紹介して下さいました。それから東八幡キリスト教会を建て替えるときに代わりとなる礼拝場が見つからずに、ほとほと困っていたとき、わたしのブログを読まれたという話をされました。ちょうどブログ「レ・ミゼラブル」の記事を読まれたとき、ジャン・バルジャンを救った老司教の姿が奥田牧師の姿に重なったというくだりが出てきて、「そうだ、一条さんに相談してみよう」と思われたとか。それでわたしのケータイに「なんとか助けていただけませんか?」と電話をされたのです。奥田牧師から電話を貰ったとき、わたしは即座に「わかりました。いいですよ」とお答えしました。なぜなら、東八幡キリスト教会さんと東山紫雲閣とは隣人同士ですから、助け合うのは当たり前だからです。また、サンレーは互助会です。「相互扶助」をコンセプトとする会社です。助け合うのは当たり前ではないですか!


わたしも語りました

かなりスイングしました

フランクに語り合いました

笑いの絶えない対談でもありました



この日は久々に対談したわたしたちは、「自己紹介及びお互いの出会いとこれまでの関わりについて」、「今日における『絆』とは何か?」、「『弔う』ということの意味とは?」、「『家族』とは何か?」、「どのような地域社会を目指していくか」などについて、司会者なしで大いに語り合いました。奥田牧師は同い年ということもあり、お互いに無縁社会の克服を目指す「同志」であると思っています。


食事の前にお祈りをしました

奥田牧師の隣で祈りました

カンパ〜イ!

車座で語り合いました


対談後には懇親会が開かれ、わたしも参加させていただきました。車座になって、教会の職員の方々や信者の方々も加わり、さらにはお子さんたちも参加してくれました。料理はみなさん手作りの御馳走で、サラダ、ポテトサラダ、鳥の唐揚げ、ロフテー、ちらしずしがテーブルに並びました。
食事の前に、全員でお祈りをしました。わたしも両手を組んでお祈りをしました。その後、乾杯して楽しい懇親会がスタートしました。
わたしは缶ビールを紙コップについてもらいながら、御馳走を食べました。どれも大変美味しかったです。車座になって、話も弾みました。わたしは「ああ、これが本当の隣人祭りだなあ」としみじみと思いました。


飲みながら語り合いました

石橋牧師の感想を聴きました

講演の感想は非常に参考になりました

荒生田塾の塾長さんの感想を聴く


わたしはビールを飲みながら、奥田理事長をはじめ、多くのみなさんとお話しました。最後に、この日の講演の感想が述べられました。最初は東八幡キリスト教会の石橋誠一牧師で、最後は荒生田塾の塾長さんでした。どの方の感想も大変参考になるものばかりで、今後の講演活動に活かしていきたいと思います。最後に、わたしは立ち上がって「みなさん、今日はとても楽しかったです。ありがとうございました。みなさん、またお会いしましょう!」と挨拶しました。


書籍販売コーナーを設けました

けっこう買っていただきました

帰り際、著書にサインをしました

サイン本を持って石橋牧師と



ところで、この日は東八幡キリスト教会さんのご好意で、わたしの著書を販売しました。おかげさまで、多くの方々にお買い上げいただきました。ありがたいことです。帰り際、本にサインを求められ、出口のところでサインしていたら、「わたしもお願いします」という方が次々に現われました。みなさんの本にサインをさせていただいた後、わたしは奥田牧師ご夫妻と握手を交わして、教会を後にしました。本当に良い思い出になりました。
奥田牧師をはじめ、東八幡キリスト教会のみなさん、これからもよろしくお願いいたします。また、お会いしましょう!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年5月17日 一条真也