京都の「お別れの会」

一条真也です。
京都に来ています。30日の14時から、天神川ホールで行われた冠婚葬祭互助会大手のセレマ前社長の故 齋藤武雄氏の「お別れの会」に参列いたしました。共に全互協の副会長として頑張ってきた同志の「お別れ会」です。京都駅からの送迎バスで到着すると、ホールの前は満開の桜で、入り口には花で作られた故人の似顔絵が飾られていました。もう、これだけで胸が熱くなります。

f:id:shins2m:20210405154953j:plainホールの前は満開の桜

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ホール入口の看板

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ホール入口の看板

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花で作られた故人の似顔絵

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ホールに入ると、なつかしい顔が・・・

わたしよりも2歳若い武雄さんが亡くなられたなんて、今でも信じられません。いつもニコニコと笑顔で、温厚な方でした。会議などで全互協や互助会保障を訪れるときは、いつもお土産を忘れない優しい方でした。そして会議では、鋭い意見をバンバン言われる仕事のできる方でした。本当に惜しい方を亡くしました。

f:id:shins2m:20210330135604j:plainメモリアル・コーナーへ!
f:id:shins2m:20210330135613j:plainメモリアル・コーナーのMAP

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メモリアル・コーナーの入口

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まるで齋藤武ミュージアム

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テーマごとに大量の写真を展示

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「武雄」という名前に込めたメッセージ

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生前愛用したスーツ

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社長室が復元されていました

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本当にオシャレな人でした

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身につけるものはすべて本物志向でした

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生前愛用したリラックス・チェア

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海と船を愛した人生でした

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釣りの腕前はプロ級でした

それから、わたしは「TAKEO SAITO MEMORIAL」というメモリアル・コーナーに案内されましたが、まるでデパートの催事、いや博物館の企画展のような本格的な演出に度肝を抜かれました。仕事柄、数えきれないほどのメモリアル・コーナーを見てきましたが、こんな凄いものは初めてです。故人の社長室、自宅、海やゴルフ場での趣味の世界も完全に再現されていました。生前愛用したスーツ、靴、ネクタイ、帽子、アクセサリー・・・・・・さまざまな一流品が並んでいましたが、それを見たわたしは「ああ、武雄さんがこれを身につけた姿を知ってるよ」と思い、目頭が熱くなりました。

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ゴルフ・コーナーには顔出しパネルが・・・

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故人のサービス精神が心に染みました

 

ゴルフ・コーナーには、なんと故人の顔出しパネルがありました。参列者が一緒に撮影して、SNSへのアップもOKだそうです。インスタ風の写真が出来上がる仕組みですいが、「♡いいね」の数が20210330件、つまり2021年3月30日という今日の日付になっているところが泣かせます。わたしは、ここまでサービス精神に溢れた「お別れの会」を知りません。死してなお、わたしたちを驚かせ、楽しませようとする武雄さんはすごいです!

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大好きだったシャンパンの世界

f:id:shins2m:20210331232233j:plainここにも顔出しパネルが・・・

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乾杯したら泣けてきました

 

また、シャンパンがたくさん並べられたコーナーもありました。まるで、本物のBARのようです。昨年12月4日に同じ天神川ホールで通夜式、5日に告別式があり、わたしも参列しました。そのとき、祭壇には笑顔の遺影ととともに故人が生前好きだったシャンパンやワインどが飾られていました。それを見たとき、故人の楽しい思い出が蘇ってきて切なくなるとともに、「わたしの葬儀でも、好きな酒を飾ってほしいな」と思いました。この日はシャンパン・コーナーに顔出しパネルがあって、故人は笑顔でグラスを持っていました。係の方から勧められて、故人の写真と乾杯しました。すると生前一緒に飲んだときの乾杯を思い出して泣けてきて、マスクが濡れました。そこでマスクを外してもう一度乾杯しました。

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「お別れの会」の会場

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散りゆく桜の中に笑顔がありました

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赤いバラで献花式が行われました

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わたしも献花しました

 

14時半から「お別れの会」が開催されました。
政界・財界の方々をはじめ、わが冠婚葬祭互助会業界の仲間たちも全国から集いました。感染対策のために1席づつ空けられていました。「お別れの会」の実行委員長である全冠協の渡邊会長(メモワール社長)、全互協の山下会長(117社長)、故人と師弟関係にあったアルファクラブ静岡の神田社長がそれぞれ挨拶や弔辞を述べられましたが、いずれも心を打つ感動的な内容でした。最後に謝辞を述べられた故人の父上の「まさか息子が先に逝くとは思いませんでした。心に大きな穴が開きました」という言葉には胸が痛みました。そして、献花式が行われました。一般に献花で使われる白いユリの花ではなく、情熱的だった故人らしい赤いバラの花が捧げられました。わたしも、全互協の副会長として指名献花をさせていただきました。故人の遺影を見上げながら、心を込めて献花しました。

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会場を出たら大量の赤いバラが・・・

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ホールを出ると雲間から太陽の陽射しが・・・

すべてを終えてホールを出ると、曇り空でしたが、雲の切れ間から太陽の光が差し込んでいました。わたしは、それを見て、太陽を愛した武雄さんが「来てくれて、ありがとう」と言っているように思えました。思うに、全互協の正副会長というのは「鬼滅の刃」でいう「柱」のようなものではないでしょうか。武雄さんは「コンプライスの呼吸、セレマの型」で、わたしは「儀式継創の呼吸、サンレーの型」で頑張りました。齋藤武雄という偉大な柱を失った今、残った柱たちが力を合わせて大きく開いた穴を埋めないといけません。柱といえば、武雄さんは、ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した映画に登場する煉獄杏寿郎のような人でした。彼のように豪快で、快活で、繊細で、優しくて・・・・・本当に、煉獄杏寿郎にそっくりです。わたしが人生を卒業したときは、あちらで武雄さんと一緒に美味いシャンパンが飲みたいです。故人の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2021年3月26日 一条真也拝