本当に東京五輪やるの?

一条真也です。
7月の東京出張のスケジュール策定をしようと思ったら、ホテルが予約できなくて焦りました。東京五輪が理由だそうです。わたしの中では「東京五輪はもう中止」と思い込んでいたので、虚を衝かれました。本当にやるの?

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今日の各紙朝刊 

 

聖火リレーも、福島県をスタートして始まりました。新型コロナウイルスの感染が収まらない中、リレーはおよそ1万人のランナーが参加して121日間をかけて47都道府県を巡ります。リレー初日には、トーチの聖火が、なんと2回も消えたとか。風もなかったのに不思議なことだそうです。おいおい、これはもう、オカルトでは?

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ヤフー・ニュースより

思い返せば、エンブレム選定のときから盗作問題が持ち上がっていました。その後も、新国立競技場の工事費の高額予算が問題になり、スペシャルサポーターとして関わるはずだったSMAPが解散。それを引き継ごうとした嵐が活動休止。福島との関わりが特に深かったTOKIO聖火ランナー辞退と、とにかくケチがつきまくりました。



極めつけは、東京五輪組織委員会の森会長が女性蔑視発言によって辞任したことですが、「これで、もう東京五輪消えたな」と思っていたら、ダメ押しで開会式の演出トップの佐々木氏が渡辺直美さんの容姿侮辱問題で辞任。そんなドツボのような状況の中で、聖火リレーは開始されました。でも、風もないのに2回も聖火が消えるという超常現象が発生しました。これはもう、古代オリンピアゆかりのオリュンポス12神、あるいは、わが国におわす八百万の神々が「やめなさい」と言っているように思えます。


2021年3月26日 一条真也

フロントランナー

一条真也です。
25日の朝、サンレー本社に出社したら、小倉紫雲閣の桜が満開でした。わたしはかつて、「花は咲き やがて散りぬる 人もまた 婚と葬にて咲いて散りぬる」という歌を詠んだことがありますが、桜は日本人の人生観や死生観に大きな影響を与えていますね。

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小倉紫雲閣の桜が満開に!

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「月刊フューネラルビジネス」2021年4月号の表紙

 

その日、冠婚葬祭業界のオピニオンマガジンである「月刊フューネラルビジネス」の最新号が届きました。ブログ「フューネラルビジネス取材」で紹介した2月26日に受けたインタビュー取材の内容が巻頭「フロントランナー」として、4ページにわたって掲載されています。

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記事は「フロントランナー」のタイトルで、「グリーフケアの重要性をいち早く捉え、遺族会「月あかりの会」を2010年に発足させた 佐久間庸和社長。上智大学グリーフケア研究所客員教授を務め、全日本冠婚葬祭互助協会では2019年に発足したグリーフケア・プロジェクトチームの座長を務める。あることがきっかけで『鬼滅の刃』のアニメ全話、コミック全巻、そして映画をわずか数日で制覇し、すぐさま『「鬼滅の刃」に学ぶ』を上梓。グリーフケアの第一人者が認めた、社会現象にもなった『鬼滅の刃』から、グリーフケアの重要性とともに葬儀の現在と今後を語っていただいた」というリード文が書かれ、以下のインタビュー内容が掲載されています。

 

鬼滅の刃」に学ぶグリーフケア
そして日本人の本能にある
「供養」の心

――このコロナ禍に『「鬼滅の刃」を学ぶ』を上梓されました。
佐久間 この1年、コロナによってオリンピックが延期になったほか、明るいニュースがないなかで、唯一明るい出来事として「鬼滅の刃」の大ヒットがあります。私も広告代理店でマーケティングの仕事をしていましたが、コロナ禍でヒット商品が出るはずがないと思っていました。これは何か大きな秘密があるはずだと私は考えました。コロナ禍に関わらず「鬼滅の刃」が社会現象を起こしたのではなく、コロナ禍だからこその現象だと思ったのです。
普段は漫画やアニメはあまり見ないのですが、ある方から「社会現象にまでなったものは、経営者としてスルーしないほうがいい。そこには必ず消費者のニーズやウォンツがあるはずだ」という話をいただきました。伝統文化を守る、儀式の継承といったことはもちろん大事なことですが、そればかり考えていたら見逃していたのではないかと思い、「鬼滅の刃」をいつか見なければならないと思っていたときに不思議なことが起こったのです。
私はいまは亡き愛犬と自宅の庭でフリスビーをするのが楽しみでした。愛犬のことを考えるといまでも涙が出るほどで、本当に孤独な現代人にとってペットの喪失は軽視できません。昨年11月のある朝、その愛犬との思い出がある芝生がめちゃくちゃに荒らされていたのです。専門家に見ていただいたら、糞が見つかり、イノシシの仕業だというのです。非常にショックを受けました。
そこで気分転換にテレビをつけたら、「鬼滅の刃」のアニメが映りました。すると、いきなりイノシシの顔をした男が暴れまわっていたのです。心理学者のカール・グスタフユング(1875~1961年)のいう、意味のある偶然としての「シンクロニシティ」だと思いました。複数の出来事が関連して同時に起きることをいうのですが、まさに庭をイノシシに荒らされたすぐあとに「鬼滅の刃」に出合ったのです。これはこのアニメを見ろということだと思って、すぐにインターネットの定額制動画配信サービスに加入し、そこから26話を1日で見ました。コミックも全巻読み、すぐに映画も観に行きました。そして映画のレビューをブログに書いたのですが、公開から1か月後の投稿にもかかわらず、次の日に私のブログが3位になり、1週間後には1位になり、いまだに1位になっています。その記事を見た編集者から連絡があり、すぐに出版しましょうとなり、20日間で原稿を書き上げ、ちょうど映画が興行収入で日本一になった日に校了になりました。
この「鬼滅の刃」は、1話目から主人公の家族が鬼に惨殺されるという、巨大なグリーフが発生します。ほかにも愛する人を亡くした人たちが集まって鬼殺隊を結成し、復讐するという、グリーフケアを自ら行なう物語です。

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――偶然だったのですね。しかし、よく「鬼滅の刃」がグリーフケアだと気づかれましたね。
佐久間 主人公の竈門炭治郎が非常に心優しい人間で、鬼に殺された人を弔ってやります。仲間の伊之助が「生き物の死骸を埋めて何が面白いんだ」と炭治郎に聞くと、「これは供養といって大事なことなんだよ」と説くのです。私はこのようなアニメを小さいお子さんをはじめ多くの方々が見ているということは素晴らしいことだと思って感動しました。炭治郎は敵である鬼に対して、「この人が今度生まれ変わるときは鬼になんてなりませんように」と、来世の平安を願うのです。この点はとても日本人的な感覚で、炭治郎のなかでは、神道・仏教・儒教が全部一緒なのです。これを子どもから大人まで見るという社会現象になっているというのは、日本は捨てたものじゃないなと思いました。
――社会現象になる要因があったのですね。
佐久間 日本人の本能のなかには「供養」という要素があるのです。それを馬鹿らしいと思ったら誰も見ていないと思うのです。
コミックの最終巻もハッピーエンドで終わります。登場人物の何組かが夫婦になって、子孫を育んで繁栄していくということで、これは供養の大事さと結婚の素晴らしさを描いていて、「冠婚葬祭そのもの」を讃える話だと思いました。そして、日本にはさまざまな「祭り」があります。コロナによって祭礼ができなくなってしまいましたが、日本人には祭りをやりたいという本能があります。それができないところが、爆発的に「鬼滅の刃」に向かったのではないかと思っています。だから「鬼滅の刃」現象というのはコロナ禍における日本人の祈りであり、祭りだったのだといえるでしょう。
――この1年間は自粛続きで、そうした祭事ができなくなってしまいました。
佐久間 盆踊りや花火大会といった祭りは、先祖をもてなす先祖供養と疫病退散という、主として2つの機能をもっています。これを全部ストップさせたということは、鬼が本当に実在するとしたら、彼らの作戦は大成功です。日本中の疫病封じの祭りをストップさせることに成功したのですから。でも人間は、それを1回(1年)できなかったといって、その後もやならくていいとは思わないのです。これが「鬼滅の刃」に向かったのだと思いました。
――そういう意味では夏祭りや花火というのは人間の心の安定をもたらしていたということですね。
佐久間 心とは「ころころ動く」が語源だといわれ、不安定なものであり、それを安定させるのが形、儀式です。儀式文化には冠婚葬祭と年中行事と、祭り(これも大きくいえば年中行事に入りますが)などがあります。形の文化が全部コロナでなくなってしまったというところがありますが、別のところにエネルギーが向かっていくから、ここで噴出したのではないかと思います。

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――高齢の方々は地域の会合がなくなり、行き場所がなくなってしまいました。
佐久間 若い人はSNSなどで人とつながっていますが、その術がない高齢者は人とつながれないことで、一層ストレスを感じることがあります。
このような状況下では映画館にも行かないから、すべての映画が大赤字でハリウッド映画すら公開できないというときに、この「鬼滅の刃」は日本史上最高の興行収入だったというのは奇跡です。これは日本人の心のエネルギーのすさまじさを表わしていると。コロナの光と闇、表裏で「鬼滅の刃」の存在があったと思います。「鬼滅の刃」はグリーフケア儀礼・儀式の重要性を知ることができる最高のテキストといえます。

 

神の道、仏の道、人の道を
まとめるのが冠婚葬祭の役割

――全互協ではグリーフケアの普及に注力されています。
佐久間 グリーフケアの資格認定制度は、コロナ禍のなかにあっても、6月末をメドに進めており、現在はテキスト、問題も作成しています。
当社の遺族会月あかりの会」では落語家を招くことがあります。身近な方が亡くなると、自分を追い詰めることもありますので、気分転換も必要です。笑いというのは、陰気を陽気に一瞬にして変える技術だと思います。上智大学グリーフケア研究所島薗進所長は、「日本のグリーフケアは集いから発展してきたところがある」と著書に書かれています。心の折り合いをつけるというのは、まさに集いだと。
――このコロナ禍で葬儀が小さくなり、越県してまで会葬しなくてもいいという風潮が定着しつつあります。アフターコロナに向けて業界としてどのようにしていけばよろしいでしょうか。
佐久間 私が悲観していないのは、これから葬儀を重んじる時代が来るからです。コロナは、人類が経験したはじめての疫病ではありません。これまで多くのパンデミックを経験しています。古代中国でも、古代ローマでも疫病が大流行しました。
古代中国では、春秋戦国時代に人が交わり、いちばん感染症が多かったとき、孔子という人が現われ、自分は敵ではないと伝えるためにお辞儀という「礼」を発明しました。あれは感染症防止の意味もあり、離れてアイコンタクトで頭を下げ、敵意ではなく、敬意を示しています。この思想がコロナ禍でよみがえっています。なぜ欧米で感染者・死者がふえたのかというと、ハグやキス、握手などをすることが多いからではないでしょうか。一方、東洋的な世界では、自分で掌を合わせ合掌するだけで相手に敬意を示すことができる。このお辞儀の文化がこれからのグローバルスタンダードにならないかなと思います。
過去のさまざまなパンデミックでは、遺体もぞんざいな扱いをされていました。14世紀のペストでは死体に触れないため、穴を掘って放り込み、火をつけたといわれています。葬儀もできず、弔いもできないため、人々は心に傷を負い、感染症の収束後は、葬儀を驚くほど大事にしたのです。過去の疫病の歴史をみると、すべてそうです。したがって、コロナがある程度収まれば、自分の家族、大切な人の葬儀、弔いを十分できなかったことの後悔、悲しみ、罪悪感の反動として、葬儀がきちんと行なわれるようになるはずです。

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――一日葬がふえ、会葬者が減り、葬祭事業者は疲弊しています。
佐久間 「小さなお葬式」とか葬儀に大小があることをいうこと自体が間違っています。葬儀は「行なうか」「行なわないか」の2つしか選択肢がないのです。
そして、現代日本では、仏教が制度疲労を起こしています。葬儀について仏教だけでは論理が破綻するのです。そこに儒教が必要となります。儒教こそが日本の葬儀の本質なのです。仏教であれば本尊があって宗教者とご遺体があれば葬儀は成立しますが、それに対して、人間関係を重んじている儒教においてはそうはいきません。儒教での葬儀は、参列者がいないと成立しないのです。お客様には「縁のあった方々にお声をかけて集まっていただいて」ということをお伝えしたいと思っています。
――儒教の場合は、参列者がいてはじめて葬儀が成立すると。
佐久間 神道・仏教・儒教といいますが、神道は神の道、仏教は仏の道、儒教は人の道なのです。神の道・仏の道・人の道をまとめるものが冠婚葬祭に与えられた1つの役割だと思っています。

 

弔うことの意味、供養の大切さ
生命がつながっていることを
伝える責務

――いつから葬儀が変わったのでしょうか。
佐久間 日本は1975年に自宅で亡くなる方と病院で亡くなる方の数が拮抗し、その後は病院で亡くなる方が大多数を占めるようになりました。おじいちゃん・おばあちゃんが家で亡くなり、みんなで看取り、家で葬儀をあげたという経験がないから、現在の家族葬直葬も疑問に思わなくなってしまいました。そこで、人が亡くなることと、弔うことの意味を伝えていかなければいけません。いま、子どもを葬儀に行かせないという親もいますが、いちばん大事なのは小さなお子さんに伝えていくことです。
先ほども言いましたが、「鬼滅の刃」を小さな子どもが見ているというのが大きなポイントです。いい形で供養の大切さと生命はつながっているということを伝えていけたらいいと思います。それは互助会の使命の1つだと思っています。
――佐久間社長は礼を普及させなければいけないとおっしゃっています。コロナで三密を避け、会話を極力しないようになってしまい、礼が失われていくような気がしますが、この礼を取り戻すためにはどうしていけばよいでしょうか。
佐久間 いちばん大事なことは亡くなった方を弔うことですが、孤独死の場合、弔ってくれる人がいないわけです。孤独死をなくすために「隣人祭り」をずっとやってきましたが、礼というのは人間の本能だと思っています。人間には睡眠欲、性欲、食欲がありますが、それに加えて礼欲があるのです。最初の人類に通じるネアンデルタール人が埋葬をしたというのは事実ですし、そのあとのホモサピエンスも最初から死者を埋葬していました。これは本能であると思います。衛生上や感染症の防止というのもあったと思います。しかしやはり、一緒に生活していて行動していた人間が消えてしまうことへの不安をなくすため、儀式をしていたのだと思うのです。
また、礼欲というのは、コミュニケーション、他人と交流をする欲、集うという欲でもあるのです。この2つは人間の本能だと思います。天下布礼というのは、礼を知らない人に礼を啓蒙するという意味ではありません。もともと本能としてもっているものを呼び起こすということです。
――人を弔うという心を伝えることが重要だと。そのことはすべて『「鬼滅の刃」に学ぶ』に書いてありますね。そしてグリーフケアの資格認定制度も重要になってまいります。本日は、ありがとうございました。

 

 

なお、パシフィコ横浜で開催される「フューネラルビジネスフェア2021」のセミナーに、わたしが一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の副会長・グリーフケアPT座長として出講することが正式決定しました。6月25日13時~14時で、「グリーフケア資格認定制度」をテーマに話します。グリーフケア士を目指す方々をはじめ、興味のある方は、ぜひ奮ってご参加下さい!

 

2021年3月26日 一条真也

「フューネラルビジネス」に『「鬼滅の刃」に学ぶ』が紹介

一条真也です。
25日、冠婚葬祭業界のオピニオン・マガジンである「月刊フューネラルビジネス」4月号(総合ユニコム)が届きました。「NEWS&INFORMATION」の「BOOK」コーナーに、『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)の書評記事が掲載されています。

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「月刊フューネラルビジネス」2021年4月号

 

記事は「一条真也氏『「鬼滅の刃」に学ぶ』を上梓」の見出しで、こう書かれています。
「去る2月、現代書林から『「鬼滅の刃」に学ぶ』が刊行された。著者は、大手互助会(株)サンレー代表取締役社長であり、作家一条真也としても活躍する佐久間庸和氏。本書は、2019年にテレビアニメ化、20年に映画化され、社会現象まで引き起こした『鬼滅の刃』が、コロナ禍における自粛ムードのなかで大ヒットしたメカニズムについて切り込んだもの。広告代理店でマーケッターとしても活躍した経験をもち、 上智大学グリーフケア研究所客員教授も務める著者独自の視点で、『供養』『神道・仏教・儒教』『祭り』などをキーワードに『鬼滅の刃』と日本人の精神性との関連を解き明かす。『鬼滅の刃』はグリーフケアの物語であるとする著者の指摘は、葬祭業に携わる人にとっても“腑に落ちること間違いなし”の1冊」

f:id:shins2m:20210325161058j:plain「月刊フューネラルビジネス」2021年4月号 

f:id:shins2m:20210325161122j:plain「月刊フューネラルビジネス」2021年4月号

 

なお、同誌の巻頭には「フロントランナー」として、『「鬼滅の刃」に学ぶ』の詳しい内容にまで踏み込んだインタビュー記事が4ページにわたって掲載されています。26日0時にアップするブログ記事で、このインタビュー記事を詳しく紹介させていただきます。お楽しみに!

 

 

2021年3月25日 一条真也

『140字でつぶやく哲学』  

一条真也です。
49冊目の「一条真也による一条本」は、『140字でつぶやく哲学』(中経の文庫)です。2010年10月に上梓した監修書です。 

f:id:shins2m:20210125161617j:plain140字でつぶやく哲学
(2010年11月3日刊行)


表紙カバーには、「学くん」が「実存主義って、『ナンバー1よりオンリー1』ってこと??」と問いかけ、プラトンみたいな顔をした「哲さん」が「ぶっちゃけて言うと、そういうこと」と答えています。また、下部には「世界中の哲学者たちのつぶやきが聞こえてくる」「37人の哲学者から、19人の宗教家、日本の近代思想家まで!」と書かれています。

f:id:shins2m:20210321225811j:plain本書のカバー前そで

 

カバー前そでには、LINEトークのようなスタイルで、哲さんが「哲学を知ることで、より人生が生きやすくなります」と語れば、学くんが「本当かな? 僕の人生の役にたつのかな?」と問いかければ、哲さんが「哲学の思想は、人間関係にも、仕事にも、そして人生にも、大きな実りをもたらす要素を持っていますよ」と答えるのでした。 

 

本書の「目次」(Contents)は、以下の通り。
「まえがき」
「本書の使い方」
【第1章】世界も、みんな悩んでいる
1-1-1 現代哲学 実存主義
キルケゴール
ニーチェ
ヤスパース
ハイデッガー
サルトル
1-2-1 現代哲学 現象学ほか
ショーペンハウアー
ベルクソン
フッサール
メルロ=ポンティ
ドゥルーズ
1-3-1 現代哲学 構造主義
レヴィ=ストロース
フロイト
フーコー
ジャック・デリダ
1-4-1 現代哲学 社会主義思想
マルクス主義
プラグマティズム
マルクス
パース
ジェームズ
デューイ
【第2章】中世の西洋人が悩んだこと
2-1-1 西洋近代思想 ルネサンス
モンテーニュ
2-2-1 西洋近代思想 宗教改革
ルター
カルヴァン
2-3-1 西洋近代思想 経験論と合理主義
ベーコン
デカルト
パスカル
スピノザ
ライプニッツ
2-4-1 西洋近代思想 社会契約
ホッブズ
ロック
ルソー
2-5-1 西洋近代思想 啓蒙思想
モンテスキュー
2-6-1 西洋近代思想 思想主義
カント
ヘーゲル
2-7-1 西洋近代思想 イギリス功利主義
ベンサム
ミル
コラム●哲学者の人間観
【第3章】昔の人も悩んでいた
3-1-1 古代ギリシャ哲学 自然哲学
ソクラテス
プラトン
アリストテレス
コラム●自然観の変化
【第4章】宗教って哲学なの?
4-1-1 古代宗教 バラモン教(古代インド思想)
4-2-1 古代宗教 仏教
ブッダ
4-3-1 古代宗教 キリスト教
エス
アウグスティヌス
アクィナス
ユダヤ教
4-4-1 古代宗教 イスラム
ムハンマド
4-5-1 古代中国の哲学 儒家の思想
孔子
孟子
荀子
朱子
王陽明
4-6-1 古代中国の哲学 道家の思想
老子
荘子
コラム●正しい知識の求め方
【第5章】 日本人だって悩んできた
5-1-1 日本の宗教 日本仏教
天台宗
真言宗
5-2-1 日本仏教 末法思想
法然
親鸞
日蓮
道元
5-3-1 日本近代の思想 近代哲学
福沢諭吉
中江兆民
内村鑑三
西田幾多郎
三宅雪嶺
田辺元
和辻哲郎

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本書の使い方

 

本書は、なかなかPOPな装丁に仕上がりました。これなら、多くの読者が哲学に興味を持ってくれるのではないかと大いに期待しました。まさに、念願だった「世界一やさしい哲学の本」が誕生した思いでした。140字とは、もちろんツイッターを意識していますが、じつは哲学を知るのに最適の字数だと思います。ずばり、読みやすいし、語りやすいからです。それから、哲学に必要な対話にも向いています。「つぶやき」という行為そのものが、哲学の本質に関わっていると言えるでしょう。


哲さん、学くんの2人がつぶやきます

 

本書には、哲学者37人と、世界の宗教、日本の近代思想家など19人が登場します。また、従来の哲学ガイドのように、古代ギリシャからスタートするのではなく、逆に現代の哲学者から始まって、古代の哲学者にさかのぼってゆくという「逆さま」スタイルを採用しました。このため、現代の身近な問題から哲学に触れて、そのうち自然に根源的なテーマについて学ぶことができます。古今東西の哲学者のつぶやきに触れるのは、とても刺激的だと思います。世界中の思想に触れて、あなたも、哲学対話を楽しんでいただきたいと思います。


ニーチェのページ

 

「なぜ、一条さんが哲学の本を監修するの?」と何人かの方から質問されましたわたしは「哲学ほどおもしろいものはない」と思っているのですが、大多数の人は本気にしません。それほど、哲学は難解で無用の長物と見なす考え方が世の中では一般化しています。しかし他方で、哲学を求める人々が後を絶たないのも、また事実です。特に、経営者の多くは「哲学」とか「フィロソフィー」という言葉を語りはじめています。

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キルケゴールのページ

 

哲学者キルケゴールの影響を受けたドラッカーなどが、21世紀の社会は知識集約型社会であり、そこでは知識産業が主役になると主張しています。知識集約型社会において、企業が「売るもの」は、知識ワーカーとしての社員に体現された組織の知識や能力、製品やサービスに埋め込まれた知識、顧客の問題を解決するための体系的知識だとされています。顧客は、提供された知識とサービスの価値に対して評価し、支払うことになるのです。

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ヘーゲルのページ

 

一方、企業が質の高い知を創造するのは、事業を高い次元から眺めること、知とは何かを問うこと、つまり哲学が求められます。それは「志の高さ」にもつながるもので、当然トップの課題でもあります。マーケットはそこまでみて企業を評価するようになるといわれています。ビジョンやミッションはもちろん、フィロソフィーまで求められるのが21世紀の企業像なのです。

f:id:shins2m:20210325082641j:plainソクラテスのページ

 

さて、哲学の祖は古代ギリシャソクラテスだとされています。ソクラテスは「哲学とは死の学び」と語り、その弟子であるプラトンは「死」についての哲学的思考を大著『国家』のなかの「エルの物語」にまとめています。なぜ、「哲学」と「死」の問題が分かちがたく結びついているのでしょうか。現代日本を代表する哲学者の中村雄二郎氏によれば、哲学をする上にまずもって大事なことは、経験上でも書物のうえでも、積極的に色々なことと出会って、未知なものやそれまで気づかなかったことを新鮮に受け取り驚くという、好奇心を持ちつづけることであるといいます。したがって「哲学は好奇心である」と言えます。

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プラトンのページ

 

哲学は好奇心であり、知ることへの情熱でもあるならば、そのまなざしは当然ながら「謎」や「不思議」というものに向かいます。アニメ映画「千と千尋の神隠し」の主題歌にも出てくるように、生きている不思議、死んでいく不思議・・・・・この世は不思議に満ちています。まったく赤の他人の男女が知り合って、恋をして、結婚するというのも、考えてみれば実に不思議な話です。でも、人類にとって最大の謎はやはり「死」であるといえます。なぜなら、宇宙と自然の中における人間の位置、人生の意味を考える哲学的思考にとって「死」だけはどうしてもうまくはまらないパズルの最後の一片、トランプのジョーカーのような存在だからです。

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ブッダのページ

 

メメント・モリ(死を想え)」という言葉がありますが、葬儀の時間こそは死を想う時間であるといえるでしょう。セレモニーホールとは死を想う場所なのです。ここにきて、ようやく「哲学とは死の学び」という言葉の意味がわかってきます。哲学とは、牢獄としての肉体を超えて精神を純化させること。哲学の道とは意識的に死ぬ道であり、そこで人々は「死想家」となる。ならば葬祭業者とは葬儀参列のお客様に対して、哲学的な空間と時間を提供しているのかもしれません。

 

140字でつぶやく哲学 (中経の文庫)

140字でつぶやく哲学 (中経の文庫)

  • 発売日: 2013/08/29
  • メディア: Kindle
 

 

 

2021年3月25日 一条真也

『ご先祖さまとのつきあい方』 

一条真也です。
23日は「彼岸明け」でしたね。
みなさん、お墓参りはされましたか?
今年1月末に上梓した『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)がおかげさまで好評ですが、同書では「先祖」という一章を設けて日本人の先祖崇拝について書いたところ、大きな反響がありました。その内容のベースは以前書いた本にありました。その本は、、48冊目の「一条真也による一条本」で取り上げる『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で、「お盆、お彼岸、墓参り、そして無縁社会を乗り越える生き方」というサブタイトルがついています。2010年9月19日に刊行されました。

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(2010年9月19日刊行)

 

本書は、大きな話題を呼んだ『葬式は必要!』(双葉新書)の続編です。帯には、「日本人だから、大切いしたい。」と大書され、「『ご先祖さまに申し訳ない』『ご先祖さまが見ている』――おばあちゃんの言葉に孫たちは生きる指針を見つけた。墓参りの正しいやり方から、日常のすごし方まで、家族の『絆』を結ぶ、昔からのライフスタイルを1冊に」と書かれています。

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本書の帯 

 

カバー前そでに、「『こんなことをすれば、ご先祖さまに対して恥ずかしい』『これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない』こういった先祖や志尊に対する『恥』や『責任』の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。それが今、失われつつあることが、無縁社会を生み出す原因の1つになっています。(著者)」とあります。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
 序文 先祖を忘れた日本人
    背筋が凍る2つの事件
    日本人がおかしい
    屈折した自己表現
    覚醒剤汚染が進行する国
    増加する児童虐待の実態
    大人たちも悩んでいる
    縁とは何か
    中村天風安岡正篤
第1部 先祖を愛してきた日本人
第1章 日本人にとっての先祖とは何か?
    仏教には無縁はない
    お盆が意味するもの
    神道の「先祖祭り」は、仏教の「お盆」へ
    「おかげさま」という日本人の感謝の気持ち
    日本人の「こころ」が、お盆を必要としている
    先祖崇拝という共通項
    柳田国男の『先祖の話』
    子どもこそが先祖である
    七五三とは何か
    子どもと老人はつながっている
    老人と子どもをつなぐ「ファーカンダ」
    翁と童を視野に入れる
    墓参りは必要!
    お盆は休みのためにある?
    仏壇は先祖とつながるメディア
    日本人における「家」の役割
第2章 感謝は先祖を思うことから生まれる
    婆さんで駄目だったら、次はご先祖さま
    動物には死の恐怖がない
    死の恐怖と自我
    感謝のサイクルに入る
    感謝こそ幸福への道
    誕生日に感謝の気持ちが芽生える
    母親の命と引き換えに生まれてくる?
    親こそが先祖
第3章 死なないための方法
    「死」を考える
    「孝」にこめられた意味
    「遺体」と「死体」
    孝から恩へ
    「おかあさん」と「おとうさん」の意味
    死者は二度死ぬ
    沖縄の先祖崇拝に学ぶ
    沖縄の生年祝に学ぶ
    酒と音楽が不可欠
第4章 葬儀と先祖供養
    先祖供養と儒教
    江戸時代につくられた仏教との結びつき
    色濃く残る儒教の影
    儒教では、どう違うのか
    清め塩が意味すること
    骨に現われる日本人の祖霊観
    混ざり合った日本の宗教
    「和」と「分」の文化
    「あれもこれも」の宗教観
第5章 日本人の宗教観
    日本人が実現した三位一体
    カミやホトケよりも祖霊が大切
    聖徳太子はキリスト以上?
    日本はチャンプルー文化
    「vs」ではなく「&」
    先祖供養こそ日本最大の宗教である!
    「先祖まつり」は日本人の信仰の根幹
    仏壇は心のホーム・セキュリティ
    仏壇を大切にする北陸人
    地震が来たら仏壇の前に行け
    先祖の役割とは子孫を守ること
第2部 提案!
    先祖とくらす生活のすすめ
第6章 家系を考える
    先祖を知ることは何を意味している?
    先祖が心を癒してくれる
    「文化装置」としての家系図
    長男以外にも家系図
    戸籍や名前が手掛かりに
    母方のルーツも調べてみよう
    両親は30歳のときに何をしていたのか
    家系図を調べること
第7章 年中行事の中のご先祖さま
    神事・仏事は先祖供養の中にある
    先祖と子孫がつながる人生儀式
    神事が学べる正月
    初詣で学ぶ神事
    仏事の年中行事、お盆
    盆踊りは必要!
    花火は先祖供養
    彼岸という仏事
    墓参りの作法
    月忌法要、年忌法要の意味
    仏壇は「見える化」のシンボル
第8章 その他の年中行事
    自らが「先祖」に近づく長寿祝い
    2つの「死の学び」方
    七五三こそ子孫の祭り
    厄払いも先祖の力を借りて
    結納は必要!
    クリスマスと先祖供養
    サンタクロースの正体
第9章 先祖とくらす14の方法
    給料の明細を神棚や仏壇に飾る
    食事が心を癒す
    掃除で身につく感謝の気持ち
    手元供養の重要性
    言葉の中で生まれる先祖供養
      先祖を想う14の方法
    1 仏壇にお茶をあげて、自分も飲む
    2 仏壇に花をあげて、ながめる
    3 仏壇のロウソクに火をともして、ながめる
    4 仏壇の線香に火をつけて、香りを嗅ぐ
    5 先祖の好物を自分も味わう
    6 先祖が好きだった歌をうたう
    7 先祖が愛読した本を朗読する
    8 先祖が生きた時代背景を調べる
    9 先祖が植えた木に触れる
   10 先祖ゆかりの地に行ってみる
   11 わが家の家系図を調べる
   12 わが家の苗字について調べる
   13 先祖に報告、相談する
   14 月を見上げる
第10章 先祖と隣人を大切にする
    日本人は必ず不幸になる?
    死は不幸な出来事ではない
    先祖、家族、隣人を大切にする
    今こそ、沖縄復帰しよう!
    柳田国男のメッセージ
「生命の輪は廻る~あとがきに代えて」
「参考文献」

 

本書は、「血縁」再生の書です。本書を書いた2010年は、「無縁社会」や「葬式は、要らない」という言葉が生まれた時代でした。わたしは、「『無縁社会』が叫ばれ、血縁が崩壊しつつある今こそ、日本社会のモラルをつくってきたはずの『先祖を敬う』という意識を復権しなければなりません」と書きました。仏壇、お盆、墓参り、先祖供養・・・・・・といった冠婚葬祭的ガイドから、家紋、苗字、系図等の知識、そして心穏やかになる家族の暮らし方まで、一貫して「先祖とともに日々を暮らす」ライフスタイルの哲学を記しています。

 

わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちに他なりません。その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」・・・こんな先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。

 

いま、わたしたちに必要なのは先祖を意識し、先祖とくらす生活です。別に特別なことをすることではありません。日常生活の中で、先祖を意識してほしいということです。本書には、簡単に実行できる先祖を意識する方法がたくさん紹介されています。わたしたちは、先祖とつながっています。ぜひ、それをもう一度意識して生きてみませんか。そんなライフスタイルを提案する本が本書です。

 

村上春樹氏といえば、日本を代表する作家です。ノーベル文学賞に一番近い日本人とも言われています。新作を書くたびに驚異的なベストセラーとなり、ますますそのカリスマ性を高めています。2010年、彼はエルサレム賞を受賞しました。イスラエルガザ地区攻撃で多くのアラブ人が死亡したこともあり、イスラエルには国際的な批判が高まっていました。

 

当然、そんな国の文学賞を受賞した村上氏もいろいろと言われました。多くの人々は「辞退すべきだ」と主張しましたが、彼はあえて受けました。そして、エルサレムに出かけ、二月十五日に英語で受賞スピーチを行い、その中で「高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私は常に卵の側に立とう」と語りました。彼の言葉は、一人の作家の勇気ある平和のメッセージとして有名になりました。言うまでもなく、「壁」とは体制であり、「卵」とは一般民衆をさしています。

 

 

もちろん、この言葉も多くの人々に深い感動を与えた素晴らしいメッセージですが、わたしにはスピーチの中の次のくだりが非常に印象に残りました。英語で語られた言葉を意訳すると、以下のようになります。
「わたしの父は、去年90歳で亡くなりました。父はもと教師でしたが、たまに僧侶の仕事もしていました。京都の大学院にいたときに徴兵された彼は、中国戦線に送られました。わたしは戦後に生まれましたが、父の毎朝の習慣を目にすることがよくありました。彼は、朝食の前に自宅にある小さな仏壇に向かい、長いあいだ深く真剣な祈りを捧げるのです。なぜ、そんなことをするのか。一度、彼に尋ねたことがありますが、そのとき、『すべての人々のために祈っている』と答えました。そして、『味方も敵も関係ない。戦争で亡くなった人全員の冥福を祈っている』と言いました。仏壇の前に座った父の背中をながめながら、父の周囲には死の影が漂っているような気がしました」

 

村上春樹にご用心

村上春樹にご用心

 

 

この村上春樹氏の言葉を聞いたとき、わたしには1つの謎が解けたような気がしました。その謎とは、「なぜ、村上春樹の文学には、つねに死の影が漂っているのか」ということです。実際、彼の作品にはおびただしい「死」が、そして多くの「死者」が出てきます。哲学者の内田樹氏は『村上春樹にご用心』(ARTES)の中で、「およそ文学の世界で歴史的名声を博したものの過半は『死者から受ける影響』を扱っている。文学史はあまり語りたがらないが、これはほんとうのことである」と述べています。そして、近いところでは村上春樹のほぼ全作品が「幽霊」話であるというのです。もっとも村上作品には「幽霊が出る」場合と「人間が消える」場合と二種類ありますが、これは機能的には同じことであるというのです。このような「幽霊」文学を作り続けてゆく村上氏の心には、きっと、すべての死者に対して祈りを捧げていた父上の影響があるのかもしれません。それは、「死者との共生」という意識につながります。

 

決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)
 

 

日本にはもともと祖霊崇拝のような「死者との共生」という強い文化伝統がありますが、どんな民族の歴史意識や民族意識の中にも「死者との共生」や「死者との共闘」という意識が根底にあると思います。2009年に逝去したSFの巨匠アーサー・C・クラークは、名作『2001年宇宙の旅』(ハヤカワ文庫)の「まえがき」に、「今この世にいる人間ひとりひとりの背後には、三0人の幽霊が立っている。それが生者に対する死者の割合である。時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が、地球上に足跡を印した」(伊藤典夫訳)と書きました。クラークがこの作品を刊行したのは1968年ですが、わたしにはこの数字が正しいかどうか知りませんし、また知りたいとも思いません。それよりも問題なのは、わたしたちの傍には数多くの死者たちが存在し、わたしたちは死者に支えられて生きているという事実です。

 

多くの人々が孤独な死を迎えています。亡くなっても長いあいだ誰にも発見されない「孤独死」、葬儀に誰1人として参列者のいない「孤独葬」も増加しています。このような今日、わたしたちに必要なのは死者たちを含めた大きな「魂のエコロジー」とでも呼ぶべき死生観であると思います。病死、餓死、戦死、事故死、自死孤独死、大往生・・・・・・これまで、数え切れない多くの人々が死に続けてきました。わたしたちは常に死者と共生しているのです。絶対に、彼らのことを忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福などありえないと、わたしは心の底から思います。

 

では、死者を忘れないためにはどうすべきか。お盆やお彼岸に先祖供養をするのもよし、毎日、仏壇に向って拝むのもよし。でも、わたしは1つの具体的な方法を提案したいと思います。その「死者を忘れない」方法とは、宗教の枠も民族の壁も超える方法です。それは、月を見るたびに、死者を思い出すことです。わたしは、いつも行なっていますが、実際に夜空の月を見上げながら亡くなった人を想うと、本当に故人の面影がありありとよみがえってきます。わたしは、月こそ「あの世」であり、死者は月へ向かって旅立ってゆくと考えています。

 

 

世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。そして、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えるでしょう。人類において普遍的な信仰といえば、何といっても、太陽信仰と月信仰の2つです。太陽は、いつも丸い。永遠に同じ丸いものです。それに対して月も丸いけれども、満ちて欠けます。この満ち欠け、時間の経過とともに変わる月は、人間の魂のシンボルとされました。つまり、絶対に変わらない神の世界の生命が太陽をシンボルとすれば、人間の生命は月をシンボルとします。

 

人の心は刻々と変化変転します。人の生死もサイクル状に繰り返します。死んで、またよみがえってという、死と再生を繰り返す人間の生命のイメージに月はぴったりなのです。地球上から見るかぎり、月はつねに死に、そしてよみがえる変幻してやまぬ星です。また、潮の満ち引きによって、月は人間の生死をコントロールしているとされています。さらには、月面に降り立った宇宙飛行士の多くは、月面で神の実在を感じたと報告しています。月こそ神のすみかをイメージさせる場所であり、天国や極楽のシンボルともなります。

 

「葬式仏教」という言葉があるくらい、日本人の葬儀や墓、そして死と仏教との関わりは深く、今や切っても切り離せませんが、月と仏教の関係も非常に深いのです。お釈迦さまことブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。わたしは、やわらかな月の光を見ていると、それがまるで「慈悲」そのものではないかと思うことがあります。ブッダとは「めざめた者」という意味ですが、めざめた者には月の重要性がよくわかっていたはずです。「悟り」や「解脱」や「死」とは、重力からの解放に他ならず、それはアポロの宇宙飛行士たちが報告している「コズミック・センス」や「スピリチュアル・ワンネス」といった宇宙空間における神秘的な感覚にも通じます。

 

東南アジアの仏教国では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。ある意味で、仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。太陽の申し子とされた日蓮でさえ、月が最高の法の正体であり、悟りの本当の心であり、無明つまり煩悩や穢土を浄化するものであることを説きました。日蓮は、「本覚のうつつの心の月輪の光は無明の暗を照らし」「心性本覚の月輪」「月の如くなる妙法の心性の月輪」と述べ、法華経について「月こそ心よ、華こそ心よ、と申す法門なり」と記しています。日蓮も月の正体をしっかりと見つめていたのです。

 

仏教のみならず、神道にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。「太陽と死は直視できない」という有名なラ・ロシュフーコーの言葉があるように、人間は太陽を直視することはできません。しかし、月なら夜じっと眺めて瞑想的になることも可能です。あらゆる民族が信仰の対象とした月は、あらゆる宗教のもとは同じという「万教同根」のシンボルなのです。キリスト教イスラム教という一神教同士の対立が最大の問題になっている現代において、このことは限りなく大きな意味を持っています。

 

人類の生命は宇宙から来たと言われています。わたしたちの肉体をつくっている物質の材料は、すべて星のかけらからできています。その材料の供給源は地球だけではありません。はるかかなた昔のビッグバンからはじまるこの宇宙で、数え切れないほどの星々が誕生と死を繰り返してきました。その星々の小さな破片が地球に到達し、空気や水や食べ物を通じて私たちの肉体に入り込み、私たちは「いのち」を営んでいるのです。わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。

 

宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、宇宙の子なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものです。人間も動植物も、すべて星のかけらからできている。その意味で月は、生きとし生ける者すべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもあります。かくして、月に「万教同根」「万類同根」のシンボル・タワーを建立し、レーザー(霊座)光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画を思い立ち、実現をめざして、いろいろな場所で構想を述べ、賛同者を募っています。シンボル・タワーは、そのまま、地球上のすべての人類のお墓ともなります。月に人類共通のお墓があれば、地球上での墓地不足も解消できますし、世界中どこの夜空にも月は浮かびます。それに向かって合掌すれば、あらゆる場所で死者の供養ができます。

 

先祖の話

先祖の話

 

 

柳田国男が名著『先祖の話』に詳しく書いていますが、先祖の魂は近くの山から子孫たちの人生を見守ってくれているというのが日本人の典型的な祖霊観でした。ならば、地球を一番よく見ることができる宇宙空間である月から人類を見守るという設定があってもいいのではないでしょうか。また、遺体や遺骨を地中に埋めることによって、つまり埋葬によって死後の世界に暗い「地下へのまなざし」を持ち、はからずも地獄を連想してしまった生者に、明るい「天上へのまなざし」を与えることができます。そして、人々は月をあの世に見立てることによって、死者の霊魂が天上界に還ってゆくと自然に思い、理想的な死のイメージ・トレーニングが無理なく行えます。

 

世界中の神話や宗教や儀礼に、月こそあの世であるという普遍的なイメージが残っていることは、心理学者ユングが発見した人類の「集合的無意識」の一つであると思います。そして、あなたを天上から見守ってくれるご先祖たちも、かつてはあなたと同じ月を見上げていたはずです。そうです、戦前の、大正の、明治の、江戸の、戦国の、中世の、古代の、それぞれの時代の夜空には同じ月が浮かんでいたのです。先祖と子孫が同じ月を見ている。しかも、月は輪廻転生の中継点であり、月を通って先祖たちは子孫へと生まれ変わってくる。まさに月が、時空を超越して、あなたと先祖の魂をつないでくれているのです。
ぜひ、月を見上げて、想ってみてください。あなたのご先祖は、月にいます。そして、月から愛する子孫であるあなたを見守ってくれています。いつの日か、先祖はあなたの子孫として転生し、子孫であるあなたは先祖となります。

 

魂をデザインする―葬儀とは何か 一条真也対談集

魂をデザインする―葬儀とは何か 一条真也対談集

 

 

月にお墓をつくるアイデアは、宗教哲学者の鎌田東二氏と初めてお会いして対談したときに生まれたものです。1992年に上梓したわたしの対談集『魂をデザインする』(国書刊行会)に鎌田氏との対談も収録されていますが、そのとき、鎌田氏は次の注目すべき発言をされました。
「いままで先祖、先祖と過去のことばかりを考えてきた。魂の世界にいる死者のことばかりを思ってきた。でもね、自分もまた、先祖の一人なのですよ。霊を宿して現世に生きる先祖なのです。だから、先祖供養というのはまた自分の供養、自分の世界を手あつく慈しむことなのですね。そうすることで、先祖が自分たちに生まれ変わってくる魂のサイクルといいますか、連鎖を確認しあう。そのことが、とってもくっきり見えてきた」

 

わたしは、鎌田氏のこの発言をお聞きして、目から鱗が落ちた思いがしました。自分は先祖の生まれ変わりであり、自分もいずれは先祖になる。とすれば、自分は先祖の一人だし、先祖供養は自分供養でもあるということになります。しかも、そう考えると自分の子どもや子孫、自分たちの後を継いで生まれてくる者たちだって、先祖ということになります。とすれば、先祖供養はまた子孫供養でもあります。子どもを慈しみ、大切にすることは、ご先祖様を敬うことでもあるわけです。ですから、教育などを通じて子どもたちの世界を豊かにしてあげることも、子孫のために地球環境を破壊しないように配慮することも、とても大きな先祖供養だと言えるわけです。
ある意味で、本当の先祖とは過去にではなく、未来にいるのかもしれません。先祖は子孫となり、子孫は先祖となる。これぞ、魂のエコロジーです。大いなる生命の輪は、ぐるぐると永遠に廻ってゆくのです。

 

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/09/15
  • メディア: 新書
 

 

 

2021年3月24日 一条真也

『昭和プロレスを語ろう!』

昭和プロレスを語ろう! (廣済堂新書)

 

一条真也です。
『昭和プロレスを語ろう!』小佐野景浩&二宮清純著(廣済堂新書)を読みました。元・週刊ゴングの名編集長・小佐野氏とプロレスファンとしても知られるスポーツジャーナリストの二宮氏が人々を熱狂させた昭和プロレスを数々の名レスラー、名勝負を語りながら懐かしみ、さらにはその本質論、ヒール論にも迫った本です。 

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本書のカバー表紙の下部 

 

本書のカバー表紙には、勝利者トロフィーを持つジャイアント馬場アントニオ猪木のBI砲の雄姿の写真が使われ、「馬場・猪木から、藤波・長州、鶴田・天龍、タイガーマスクまで、裏話満載で贈るファン必読の書!」「●昭和プロレスは‟大人の世界”満載だった!?」「●馬場と猪木の対立よあの日の『もしも・・・』」「新日本・全日本誕生の真相とは?」「●アリ・猪木戦とは何だったのか?」「●本物のヒールは誰だ?」と書かれています。

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本書のカバー裏表紙

 

また、カバー裏表紙には「昭和プロレスの生みの親、力道山。その力道山の急逝で昭和プロレスの遺伝子はジャイアント馬場アントニオ猪木へと受け継がれ、人気は絶頂を迎えるが、団体分裂の中で両雄は対立と挑発を繰り返す。さらには藤波・長州、鶴田・天龍が次の時代を作るべく入り乱れ、タイガーマスクの登場によって終焉に向かう昭和プロレス。あの時代の熱気と舞台裏を、国際プロレスの輝き、ブラッシー、エリック、ブッチャー、シンなど名ヒールも含めて語り尽くした、ファン必読の書」と書かれ、「本書の内容」が紹介されています。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
 序章 昭和プロレスと力道山
第1章 馬場と猪木――もし二人が闘っていたら……
第2章 馬場と猪木――対立と挑発の果てに――
第3章 馬場・猪木の次は誰だ?
    ――藤波・長州・鶴田・天龍の時代
第4章 国際プロレスを語ろう!
    ――第三極の不思議な魅力
第5章 ヒールで語る昭和プロレス
    ――‟最恐”は誰だ?
 終章 タイガーマスクと昭和プロレスの終焉
    ――昭和プロレスが教えてくれたこと

 


サンデー毎日」2017年5月7日・14日合併号

 

「昭和プロレス」といえば、わたしは2017年5月に「サンデー毎日」に連載していた「一条真也の人生の四季」の第78回目で、「昭和といえばプロレスだ!」というコラムを書きました。担当編集者から「『昭和といえばプロレス』というのはおかしい。あまりにも偏っている」と言われましたが、無視しました。わたしは、「『昭和』といえば、あなたは何を思い浮かべますか。戦争の暗い歴史、高度成長の明るい時代を連想する人もいるでしょうが、わたしはなんといってもプロレスです。『昭和プロレス』という言葉がありますが、昭和はプロレスが最も輝いていた黄金期でした。残念ながら、今ではプロレスがリアルファイトでないことは周知の事実です。しかし、わたしが夢中でプロレスを観ていた頃はまだ真剣勝負の幻想がありました」などと書いています。

 

 

さらに、わたしは「村松友視氏のベストセラー『私、プロレスの味方です』(情報センター出版局)を読んでからは、いっそうプロレスが好きでたまらなくなりました。なにしろ、新日本プロレス全日本プロレスも全テレビ放送を10年以上完全録画していたほどです。それも、SONYのベータマックスで! 目をつぶれば、今も猪木、坂口、藤波、長州、初代タイガーマスクアンドレ、ブロディ、ハンセン、ホーガンらの雄姿が瞼に浮かんできます。ああ、あの頃に戻りたい!」とも書きました。とにかく、10代後半から30代前半ぐらいまでプロレスのことばかり考えていたように思います。



本書の序章「昭和プロレスと力道山」では、「『昭和プロレス』の終わりはいつか」として、二宮氏が「僕にとっての唱和プロレスはほとんど馬場と猪木なんですよ。馬場、猪木それから天龍源一郎ジャンボ鶴田長州力藤波辰爾・・・・・・。『昭和プロレス』のメインストリームですね」と語ります。それに対して、小佐野氏が「81年に国際プロレスが倒産するんですけど、その年にタイガーマスクがデビューしています。そして、翌82年のプロレス大賞のMVPを受賞したのが佐山聡タイガーマスクなんです。この年の同賞は1月にスタン・ハンセンとの初対決でベストバウトを演じた馬場が有利と言われていたんですが、初めて馬場と猪木以外の人間が受賞した。それがタイガーマスクだったんですよ」と言えば、二宮氏が「ということは、タイガーマスクの出現あたりまでが『昭和プロレス』の時代ということになりますか?」と言うのでした。



第1章「馬場と猪木――もし二人が闘っていたら……」では、多くのプロレス・ファンが夢見たBI砲の対戦について、二宮氏が「当然、二人とも力道山と木村の試合のことは知っているわけだし、何が起こるかわからないリスクがあることは承知していますよね。そのリスクは猪木よりも馬場の方が高いでしょう」と言えば、小佐野氏が「年齢の違いを考えたらそうでしょうね。でも、もし猪木が何か想定外のことをやってきたら、馬場側のセコンドが乱入して試合を壊してしまうでしょう。それがプロレスの掟です。そんなことになって、せっかくの馬場・猪木戦が変な形で終わってしまったら、二人の問題だけでは済まないでしょう。プロレス界全体がダメになっていたかもしれないし、そういう意味では実現しなくてよかったかもしれないですね。馬場は亡くなってしまったからわからないけど、今となっては猪木もそう考えていると思う。まあ、馬場は初めからやる気はなかったでしょうけど」と言います。



「もし力道山が生きていたら……」という問いも興味深かったです。二宮氏が「力道山が後継者まで考えるということはありえなかったでしょうね。一度、頂点に立つともう降りられない。ボスザルの晩年の悲哀を見るようです」と言えば、小佐野氏は「仮に自分がリングを降りてプロデュースする側に回っても、元々がプレイヤーですから、馬場や猪木が自分より名声を得ることは許さなかったでしょうね。だって、馬場も猪木も力道山が生きている間、脳天チョップは使わなかったわけですからね。ただ、少なくともああいう形で日本プロレスが分裂することはなかったと思いますね。言われているように、当時の幹部たちが本当に堕落していたのかはわからないけど、力道山がいたら組織もビシッとしていたと思いますし。結局、僕らが見てきたのはその後の馬場と猪木の対立の歴史なんですよ。猪木が『実力日本一』を主張すれば、馬場は日本人で初めてNWA世界ヘビー級王者になる。そうしたら、猪木が今度は格闘技世界一だと互いにガンガンやり合ったことが、僕らにとってはたまらなく面白かったわけですから」と言うのでした。まったく同感ですね!



第2章「馬場と猪木――対立と挑発の果てに」では、「馬場から猪木へのしっぺ返し」として、アリ戦の前年に年末に「全日本プロレス・オープン選手権大会」が行われ、それ以降は猪木が馬場を挑発しなくなったことが紹介されます。二宮氏が「75年の12月に全日本プロレスが開催した大会ですね。海外からオールスターメンバーが集まりました」と説明すれば、小佐野氏は「そうです。国内の他団体にも門戸を開いて、国際プロレスからラッシャー木村グレート草津マイティ井上が出場した。そして『猪木が出るなら受け入れる』とぶち上げた。要するにこれは、猪木を潰すための大会だったんですよ。大会にはドン・レオ・ジョナサンやバロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、ハーリー・レイスディック・マードックパット・オコーナーミスター・レスリング(ティム・ウッズ)、デストロイヤーなどガチンコに強いメンバーが参加して、もし猪木が参戦してきたら、彼らを次々とぶつけて潰すつもりだったんです」と言います。



結局、猪木が出てきた場合を想定しての大会だったわけですが、猪木は参戦しませんでした。小佐野氏は、「あのメンバーを揃えたら、出てこないでしょう。『もう俺のことは口に出すなよ』という、馬場からのメッセージが届けばそれでよかったんだと思います。ただ万が一、出てきた場合に備えてマッチメイクは考えていた。馬場、日テレの原プロデューサー、そして馬場のブレーンだった森岡理右氏――当時はベースボールマガジン社顧問でのちに筑波大学教授になるんですけど、この3人で『初めにこいつを当てて、これを突破したら次はこいつを当てる』とかって、決めていたと言っていましたね」と真相を明かします。


第3章「馬場・猪木の次は誰だ?」では、小佐野氏が「猪木の凄いところは、エンターテインメントと闘いのリアルな部分のバランスですよね。今のプロレスは完全にスポーツ・エンターテインメントです。でも、猪木のプロレスは確かに『闘い』なんですよ」と言えば、二宮氏も「馬場は『プロレスはプロレスなんだ』と主張する。猪木は『プロレスは闘いだ』と。その点ではお互いにブレなかった」と言っています。また、二宮氏が「猪木のパフォーマンスは東京ドームの後方から見ていても、しっかりと伝わってくるんですよね。ありていに言えば、カリスマなんでしょうが、本人の中にマグマのような喜怒哀楽が潜んでいるから、それを伝達できるんでしょうね」と言えば、小佐野氏も「馬場はジャンボにそのことを言ったんです。『なんでお前は猪木みたいにできないんだ。猪木のあの表情、あの闘志をなんでお前は出せないんだ』って」と答えるのでした。それを聞いた二宮氏が「それはおもしろい話ですね。それは取りも直さず、馬場が猪木のことをもの凄く認めていたということですよ」と言えば、小野氏は「認めていますね」と即答します。

 

永遠の最強王者 ジャンボ鶴田

永遠の最強王者 ジャンボ鶴田

  • 作者:小佐野 景浩
  • 発売日: 2020/05/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

その鶴田について、「最強だが最高ではなかったジャンボ鶴田」として、以下の対話が展開されています。
小佐野 僕もジャンボの本(『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田ワニブックス)を書きましたけど、最強のレスラーであっても最高のレスラーではないというのが結論ですね。
二宮 全く同感です。タイツの紐を締め直して、なおかつ3カウントぎりぎりで起きてこられた日には、相手だって「おいおい」ってなりませんか。
小佐野 タイツの紐を直すのは馬場が一番嫌っていたことなんです。「自分で直すな。パートナーに直してもらえ」と。馬場はそういう所作にはうるさかったですからね。
二宮 「痛くもかゆくもありません」という余裕が少々嫌味に感じられるところがありました。猪木はああいうことはしなかったですよ。ただし、‟ジャンボ最強論”については意義なしです。

 

終章「タイガーマスクと昭和プロレスの終焉」では、小佐野氏が「平成に入ると新日本やUWF系の団体は、生みの親である猪木の影響もあって総合格闘技と交わるようになったけど、それがプロレス界の低迷を生んだ要因の1つになってしまった。その反省から、今のプロレスは、新日本も含めたどこの団体も、馬場の『プロレスはプロレスだ』という思想でやっていますよね。こういう思想や価値観の対立軸がなくなったのも、昭和のプロレスと今のプロレスの違いなのかもしれません」と語るのでした。わたしも、もう50年以上プロレスを観続けていますし、プロレスに関する本も可能な限り読み続けていますので、本書に書いてある内容のほとんどは知っていましたが、それでも知らないこともありました。輝いていた「昭和プロレス」の思い出は一生の宝物です。


それにしても、昭和プロレスを支えた最大の功労者であるアントニオ猪木が現在は病魔と闘っていることには心が痛みます。YouTubeで入院生活の様子を観ると、さらに心が痛みます。ご本人の「元気ですかー! と言って、大きな声も出せない時代になってしまいしたが この前も応援メッセージを随分 もらったようで本当にありがとうございました。 今後コロナがいずれ収まるだろうし そうなったときにね 俺自身が見たもの聞いたもの そういうテーマがいっぱい出来たんで それに向けて頑張っていきます。 いくぞ! 1・2・3・ダァーッ!」というコメントを読むと、泣けてきます。猪木さんには元気でいてほしいと願っていますし、いつまでも猪木さんを応援しています!

 

昭和プロレスを語ろう! (廣済堂新書)

昭和プロレスを語ろう! (廣済堂新書)

 

 

2021年3月23日 一条真也

営業責任者会議  

一条真也です。
22日の朝、サンレー本社に出社したら、小倉紫雲閣の桜が咲いていました。この日、サンレーグループ全国営業責任者会議が開催され、14時から社長訓話を行いました。全員マスクを着けてのコロナ感染対応スタイルです。

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小倉紫雲閣の桜が開花しました

f:id:shins2m:20210322140155j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210322160345j:plain最初に、営業優績者の表彰をしました

f:id:shins2m:20210322140427j:plain心をこめて表彰いたしました

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春マスクを外しました

 

社長訓示に先立って、営業部門の各種表彰を行いました。わたしは感謝の念を込めて、表彰状や金一封を表彰の対象者の方々にお渡ししました。表彰式が終わると、わたしは60分ほどの社長訓話をしました。ピンクの春マスクにピンクのネクタイ、ポケットチーフをして「ちょっと派手過ぎたかな」と感じたので、最初に「こんにちは、桜の精です!」と言ったところ完全無反応で、シーンとしました(涙)。深いロンリネスを感じたわたしは、今度は「桜仮面で~す!」とおどけてみせましたが、またも無反応(涙)。深いグリーフを感じたので、春マスクを外しました。それにしても、わが社の営業責任者たちもユーモアがわからないようでは困ったものですね(笑)。

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マスクを外して訓話をしました

f:id:shins2m:20210322141329j:plain社長訓示のようす

 

まず、「この会議を開くのは1年以上ぶりですね。昨年、世間では新型コロナウィルスと『鬼滅の刃』の話題で持ちきりでした。『鬼滅の刃』とは、吾峠呼世晴氏の漫画ですが、アニメ化・映画化され大ヒットし、もはや社会現象にまでなっています」と言いました。続いて、以下のような話をしました。「鬼滅の刃」という物語は基本的には戦の話です。一方に、鬼舞辻無惨をリーダーとして、「上弦」たちがトップを占める「鬼」のグループ。他方に、「お館様」こと産屋敷耀哉をリーダーとして、「柱」たちがトップを占める「鬼殺隊」のグループ。この両陣営が死闘を繰り広げる組織vs組織の戦争物語です。

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鬼滅の刃」の経営論を述べました

 

鬼滅の刃」には、マネジメントやリーダーシップの観点からも興味深い点が多々あります。恐怖心で鬼たちを支配する鬼舞辻無惨はハートレス・リーダーであり、鬼殺隊の剣士たちを心から信頼し、リスペクトする産屋敷耀哉はハートフル・リーダーです。両陣営の闘いは「ブラック企業vsホワイト企業」と言ってもいいでしょう。ホワイト企業には志や使命感があることも確認できました。そして、わが社の行き方が間違っていないことも確認できました。

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炭治郎と金次郎について

 

今年1月末に上梓した『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)が好評ですが、その中でも「鬼滅の刃」が日本人の「こころ」の奥底に触れたために社会現象にまで発展する大ブームになったという部分に共感してくれた読者が多かったようです。そして、わたしは「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎には日本人の「こころ」を支える三本柱である神道儒教・仏教の精神が宿り、二宮金次郎のイメージに重なると書いたところ、大きな反響がありました。

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二宮尊徳の偉業を語る

 

妹の禰津子を背負う炭治郎の姿は薪を背負って読書する金次郎の姿を連想させますが、外見的に似ているだけではなく、金次郎もまた神道儒教・仏教の精神を宿した人でした。二宮金次郎は、戦前の国定教科書に勤勉・倹約・孝行・奉仕の模範として載せられ、全国の国民学校の校庭には薪を背負い本を読む銅像が作られました。わたしの書斎には、尊徳の銅像のミニチュアが鎮座しています。金次郎は長じて、尊徳と名乗りました。幕末期に、農民の出身でありながら、荒れ果てた農村や諸藩の再建に見事に成功させた人物として知られます。

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熱心に聴く人びと

 

内村鑑三が名著『代表的日本人』の中で、西郷隆盛上杉鷹山中江藤樹日蓮と並んで二宮尊徳を取り上げていますが、明治以降、近代日本を創り上げていった人々が尊徳を「師」と仰ぎました。渋沢栄一をはじめ、安田善次郎、御木本幸吉、豊田佐吉松下幸之助土光敏夫といった偉大な成功者たちも、みな尊徳を信奉していました。道徳、勤労、積小為大、推譲といった尊徳思想のキーワードについて、『教養として知っておきたい二宮尊徳』を書いた松沢成文氏は、「これらの教えは、日本人の社会規範や道徳としての精神的価値の基盤になっているといっても過言ではない。尊徳ほど、独創的な考え方や創造的な生き方を通じて社会を変革した人はいない」と述べています。

f:id:shins2m:20210322140557j:plain尊徳は日本が世界に誇りうる大思想家だった!

 

尊徳は、600以上の大名旗本の財政再建および農村の復興事業に携わりました。彼は同時代のヘーゲルにも比較しうる弁証法を駆使した哲学者であり、ドラッカーの先達的な経営学者でもありました。そう、二宮尊徳は日本が世界に誇りうる大思想家だったのです。自らの実践を通じて「至誠」「勤労」「分度」「推譲」「積小為大」「一円融合」などの改革理念や思想哲学を生み出し、人々を導いてきました。これらの教えは、日本人の社会規範や道徳としての精神的価値の基盤になっています。

f:id:shins2m:20210322141041j:plain「心学」の流れを語る

 

その尊徳は、石田梅岩が開いた「心学」の流れを受け継ぎました。心学の特徴は、神道儒教・仏教を等しく「こころ」の教えとしていることです。日本には土着の先祖崇拝に基づく神道があり、中国で孔子が開いた儒教、インドでブッダが開いた仏教も日本に入ってきました。しかし心学では、この三つの教えのどれにも偏せず、自分の「心を磨く」ということを重要視しました。

f:id:shins2m:20210322140614j:plain尊徳ほど偉大な人はいない!

 

尊徳は、代表作である『二宮翁夜話』において、「神道は開国の道、儒教は治国の道、仏教は治心の道である」と喝破しました。彼は、いたずらに高尚を尊重せず、また卑近になることを嫌わずに、この三道の正味だけを取ったといいます。正味とは人間界に大事なことを言います。大事なことを取り、大事でないことを捨て、人間界で他にはない最高の教えを立てたわけで、これを「報徳教」と名付けました。また、「神儒仏正味一粒丸」という名前をつけており、「その効用は広大で数えきることができないほどである」と述べてています。

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「天道」とは何か?
 

尊徳は、常に「人道」のみならず「天道」を意識し、大いなる「太陽の徳」を説きました。それは大慈大悲の万物を慈しむ心であり、尊徳の「無利息貸付の法」も、この徳の実践でした。その尊徳の心の中心にあった「天道」の名を冠した研修施設が、北九州市小倉北区上富野の「天道館」です。現在、天道館では、実践礼道小笠原流の礼儀作法を取り入れ、サンレー社員としての基本的なスキルを学ぶ場になっています。また、ご近所の皆様が気軽に集える「公民館」や「市民センター」のような施設として、ご利用いただいています。さらには、高齢者同士が隣近所付き合いを活性化させ、共に支え合う社会を目指す拠点です。

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渋沢栄一と「論語と算盤」

 

「天道」をつねに意識しながら「天下布礼」に励みたいものですが、二宮尊徳は多くの偉人から尊敬されました。その中の1人に渋沢栄一という方がいます。NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、新1万円札の顔になる渋沢栄一です。彼は、約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わった「日本資本主義の父」として知られています。晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補に二度も選ばれています。その彼が生涯、座右の書として愛読したのが『論語』でした。渋沢栄一の思想は、「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。

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熱心に聴く人びと

 

結局、渋沢のめざすところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。第一国立銀行(現在の東京みずほ銀行)を起こしたのをはじめ、日本興業銀行東京銀行(現在の東京三菱)、東京電力東京ガス王子製紙、石川島造船所、東京海上火災東洋紡清水建設麒麟ビール、アサヒビールサッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、東京商工会議所東京証券取引所聖路加国際病院日本赤十字病院、一橋大学日本女子大学東京女学館など、おびただしい数の事業の創立に関わりました。

f:id:shins2m:20210322144239j:plain礼経一致」の系譜について

 

渋沢は、「自分さえ儲かればよい」とする欧米の資本主義の欠陥を見抜いていました。ですから、彼は「社会と調和する健全な資本主義社会をつくる」ことをめざしますが、その拠り所を『論語』に求めました。それは、彼が会社を経営する上で最も必要なのは、倫理上の規範であると知っていたからです。渋沢の思想は、有名な「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、めざすところは「人間尊重」そのもので、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。その影響を受けたわが社の佐久間会長は「礼経一致」を提唱しています。

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論語』の素晴らしさを大いに語る

 

論語』はわたしの座右の書でもありますが、その真価を最も理解した日本人が3人いると思っています。聖徳太子徳川家康渋沢栄一です。聖徳太子は「十七条憲法」や「冠位十二階」に儒教の価値観を入れることによって、日本国の「かたち」を作りました。徳川家康儒教の「敬老」思想を取り入れることによって、徳川幕府に強固な持続性を与えました。そして、渋沢栄一は日本主義の精神として『論語』を基本としたのです。聖徳太子といえば日本そのものを作った人、徳川家康といえば日本史上における政治の最大の成功者、そして渋沢栄一は日本史上における経済の最高の成功者と言えます。

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ぜひ、『論語』を読んで下さい!

 

この偉大な3人がいずれも『論語』を重要視していたということは、『論語』こそは最高最大の成功への指南書であることがわかります。わたしがリスペクトする経営学ピーター・ドラッカーは、著書『マネジメント』上田惇生訳(ダイヤモンド社)で渋沢栄一に言及し、「率直に言って私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物のなかで、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界の誰よりも早く、経営の本質は『責任』に他ならないということを見抜いていたのである」と絶賛しました。

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「相互扶助」がキーワード

 

コロナ禍という前代未聞の国難を経て、社会が大きく変化しています。わたしは関連書をまとめて読みましたが、「資本主義の終焉」とか「ビジネスの役割は終わった」とか「新しいコミュニズムの時代」といったショッキングな論説が多いです。確かに一理ありますが、少し行き過ぎた部分も感じます。しかし、「グレート・リセット」とか「エコノミーにヒューマニティを取り戻す」などのキーワードは的確だと思います。そして、今後の社会においては「相互扶助」が最大のキーワードになっています。

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最後は、もちろん一同礼! 

 

これらのキーワード群を前にしたとき、わたしは「これからの社会は、冠婚葬祭互助会の時代ではないか」という思いがしてなりません。冠婚葬祭業は医療や介護と並んで、社会に必要なエッセンシャル・ワークであると考えています。そして、医療・介護・冠婚葬祭といったエッセンシャル・ワークに従事する人々の待遇がもっともっと高くなる社会でなければならないと思っています。ぜひ、営業責任者のみなさんも、冠婚葬祭互助会の会員を増やすことは世直しであることを知り、「天下布礼」に努めていただきたいと思います。今回は、こんな話をしました。なお、時節を鑑みて懇親会は行われませんでした。

 

2021年3月22日 一条真也