「洗骨」

一条真也です。
6日、東京からスターフライヤーで北九州に戻りましたが、北九州空港にはサンレーの黒木執行役員と市原課長が迎えに来てくれました。わたしたち3人は車で福岡県中間市に向かいました。中間の「ユナイテッドシネマなかま」で上映されている日本映画「洗骨」を観るためです。この映画、話題となったわりには上映館が極端に少なくて苦労しましたが、九州での最終上映日の最終上映にギリギリ間に合いました。「この映画、俺が観なければ、誰が観る!」という強い想いで、ついに鑑賞いたしました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「お笑いコンビ『ガレッジセール』のゴリこと照屋年之監督が手掛けたコメディードラマ。土葬または風葬した遺体の骨を洗い再度埋葬する風習『洗骨』を通じ、バラバラだった家族が再生していく。妻の死を受け入れられない父親を監督としても活動している奥田瑛二、息子を『Breath Less ブレス・レス』などの筒井道隆、娘を河瀬直美監督作『光』などの水崎綾女が演じるほか、筒井真理子、お笑いコンビ『ハイキングウォーキング』の鈴木Q太郎らが共演」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、こうです。
「新城家の長男・剛(筒井道隆)が、4年前に他界した母・恵美子(筒井真理子)の『洗骨』のため故郷の粟国島に戻る。実家に住む父・信綱(奥田瑛二)は母の死後、酒に溺れており生活は荒んでいた。そこへ名古屋で美容師をしている長女・優子(水崎綾女)も帰ってくるが、妊娠している姿に一同言葉をなくす」

 

この映画、予想以上に素晴らしい作品でした。
しっかり感動しました。たくさん泣きました。
吉本興業には小説家の又吉直樹(ピース)、絵本作家の西野亮廣キングコング)など多才な芸人が多いですが、映画監督としての照屋年之ことゴリ(ガレッジセール)も彼らに負けない才能の持ち主だと思いました。少なくとも、吉本の先輩芸人である松本人志などよりはずっと映画監督としてのセンスがあります。

 

俳優陣の演技も素晴らしかったです。
まず、妻に先立たれた父親役を演じた奥田瑛二が良かった。沖縄は男性よりも女性のほうが強い地域として知られますが、「頼りない男」そして「情けない父親」を見事に演じました。今や「安藤サクラの父」として有名な俳優・奥田瑛二といえば、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した「海と毒薬」(86年)や日本アカデミー主演男優賞を受賞した「千利休・本覚坊遺文」などが思い浮かびますが、それらの映画よりも、わたしはTBSのTVドラマ「男女7人夏物語」(86年)で女たらしの軟派男を演じた演技が好きでした。なんだか、あの軟派男と「洗骨」の情けない父親の姿がちょっと重なりましたね。

 

TVドラマといえば、長男役の筒井道隆も、あの有名なフジテレビの「あすなろ白書」(93年)の名演技を思い出しました。なにしろ、あのときは主演男優としてキムタクを圧倒する存在感を示した彼ですが、はかなげで繊細なキャラクターを今回も見事に演じました。
長女役の水崎綾女も良かった。じつは、わたしは伊藤裕子という女優さんが好きだったのですが、彼女の若い頃に似ていると思います。演技力もなかなかで、最後の出産シーンの演技は日本映画史に残るのではと思えるほどの迫力でした。
そして、父親の姉役を演じた大島蓉子が最高に素晴らしかった。「沖縄の強い女」をこれ以上なく表現していました。こんな女性が親戚に1人いたら心強いでしょうね。

 

「洗骨」は家族をテーマにした映画ですが、葬送儀礼を扱うことによって、かつての小津安二郎の映画のような深みを出すことに成功していました。わたしは、小津安二郎の映画が昔から大好きで、ほぼ全作品を観ています。黒澤明と並んで「日本映画最大の巨匠」であった彼の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。その意味で、「洗骨」には小津映画の香りがしました。

 

それにしても、よくぞ「洗骨」などという題材を選んだものです。そのセンスには感嘆するばかりです。照屋監督は沖縄出身ですが、まさか「洗骨」とは! 
わたしは沖縄でも冠婚葬祭業を営んでいますが、洗骨はもはや廃れつつある風習で、沖縄においても一般的ではありません。Wikipedia「洗骨」には、「一度土葬あるいは風葬などを行った後に、死者の骨を海水や酒などで洗い、再度埋葬する葬制である」として、その「概要」が以下のように書かれています。「東南アジアや、日本では沖縄県や鹿児島県奄美群島に、かかる風習が存在するとされる。沖縄諸島では『シンクチ(洗骨)』といい、奄美群島では『カイソウ(改葬)』と称する。かつての沖縄などでは、よく見られる葬制であった。琉球王国の王室は、戦前まで洗骨を経て納骨されていたことが、記録に残っている。沖縄における洗骨の意味は、洗骨されないうちは死者は穢れていて、神仏の前に出られないという信仰があるからとされる」

 

続けて、以下のように書かれています。
「洗骨という儀式において、実際に骨を洗うという行為は親族の女性、特に長男の嫁がすべきものとされた。しかし衛生的に問題があるうえ、肉親の遺体を洗うという過酷な風習であるがゆえに、沖縄県の女性解放運動の一環として火葬場での火葬が推奨され、また保健所の指導により、沖縄本島では戦後消滅したとされる。それでも一部の離島ではまだ現存しており、年配の人の中にはこうした形での葬儀を望む人も多いといわれる」

 

続けて、以下のように書かれています。
「NHK鹿児島放送局は、与論島で行われたある家族の洗骨儀式の模様を密着取材し、2010年(平成22年)6月25日に『九州沖縄スペシャル』で放送した。この番組は洗骨儀式そのものが今日ほとんど見られなくなっていることに加え、NHKによると洗骨儀式は身内以外には決して公開されないだけに、貴重な記録映像となっている.番組によると、与論島で洗骨儀式が始まったのは明治に入ってからで、それまでは共同墓における風葬があたり前とされた。しかし明治に入り、鹿児島県が風葬を禁じ、死体遺棄罪に問うとしたことから、止むなく始められたのが、いったん土葬を経た後の洗骨という形式であったという。番組は、洗骨そのものに限らず、そこに至るまでの様々な過程と関わる家族の思いについても記録した。また、風葬による祖先の骨が多数みられる崖下墓の映像もあった」

 

さらに、Wikipedia「洗骨」には、「世界のなかの洗骨とその理由」として、以下のように書かれています。
「洗骨の文化はアジアのみならず、全世界にみられる。北米先住民にもみられるし、アフリカにもインド洋諸島、東南アジア、オセアニアにも広く分布している。渡邊欣雄によると、その根拠は死者を一時埋葬しただけでは、死霊のままで、これは子孫に役に立たないどころか病や死をもたらす危険な存在であるが、洗骨をして第2の葬儀をすることにより、子孫に幸福と豊穣をもたらす祖霊となると考えるからである」


唯葬論』(サンガ文庫)

 

洗骨は「第二の葬儀」などと呼ばれます。
拙著『唯葬論』(サンガ文庫)にも書きましたが、葬儀というのは、遺体の処理にともなう儀礼です。「ともなう儀礼」というのは、遺体の処理法だけをいうのではないからです。遺体の処理法は、一般に葬法と呼ばれています。葬法とは、文字どおり遺体を葬る方法のことです。人間は呼吸を停止した瞬間から遺体となり、たちまち悪臭を放ちながら腐敗していきます。旧石器時代においてすら、すでに遺体に対して何らかの措置がなされた形跡が見られることからいっても、遺体の処理は人類の発生とともに、残された生者にとって不可欠の処理としてはじまったのでしょう。

 

呪術・科学・宗教・神話

呪術・科学・宗教・神話

 

 

葬法には、その行為からすれば、遺体を棄てる(死体遺棄)、曝す(風葬、林葬、樹上葬、台上葬)、破壊する(火葬、鳥葬)、しまう(土葬)、保存する(ミイラ葬)などの方法があり、また遺体の処理される条件からいって乾燥葬(火葬、風葬、ミイラ葬、樹上葬、台上葬、墓室葬)と湿葬(水葬、土葬)などとも分類されます。洗骨は風葬にともなう風習です。今日のわが国では、土葬、火葬、風葬(墓室葬)の3つが行われていますが、やはり火葬が主流です。
人類学者のマリノフスキーなどが指摘したように、生者が死者に抱く感情には、腐敗していく遺体に対する恐怖や嫌悪感と死者への愛惜の念という、相反する2つの感情が併存しています。この相反する2つの感情が、さまざまな葬法を生みだしてきたのでしょう。

 

通過儀礼 (岩波文庫)

通過儀礼 (岩波文庫)

 

 

 葬法は死の儀礼の出発点です。葬儀は遺体の処理にはじまりますが、遺体との訣別とともに死者と新たな関係を樹立する儀礼ともなっています。葬儀においては、遺体を処理すれば、すべてが終わるというものではありません。特に日本のように霊魂信仰の根強い国では、葬儀の中に霊魂の処理を含むのは当然のことです。名著『通過儀礼』を書いた民族学者のファン・ヘネップは、葬儀が死者を生者の世界から分離し、新しい世界に再生させるための通過儀礼であることを指摘しています。死者の霊魂を、どのような手段で新しい世界に送り込むのか、死者の霊魂をどのように受けとめ、どんな態度で臨むか。すなわち、葬儀とは霊魂のコントロール技術なのです。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

映画「洗骨」で描かれる死者儀礼はとてもリアルであり、きわめて興味深かったです。そして、死後4年の時間を経て行う洗骨とは、死者のための「儀式」というよりも遺された生者のための「グリーフケア」であると感じました。拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書いたように、配偶者を亡くした悲しみが癒えるのに5年はかかると言われています。また、配偶者との死別は「うつ」の最大原因ともされています。「洗骨」で奥田瑛二が演じた父親も最愛の妻に先立たれ、精神的にボロボロになっていました。憔悴しきって日々の生活も送れないほどで、あのままでは彼は自ら命を絶った可能性もあったと思います。

 

かつては「長寿県」として知られた沖縄県ですが、現在はそうではありません。相変わらず沖縄の女性は長寿ですが、男性の自死が増加しているとされています。その最大の原因は配偶者との死別によって「うつ」状態になった男性たちの「自死」だといいます。彼らは妻を失った喪失感と孤独感からアルコール度数の強い泡盛を飲み続け、アルコール依存症となり、それが「うつ」自死」につながる負の連鎖に陥るのです。そのあたりも、「洗骨」にはよく描かれていました。

 

洗骨とは、葬儀の後にもう一度、死者を弔う儀式です。愛する人を亡くしたとき、遺された者は何度でも弔いたいと思うのではないでしょうか。それは、死者を忘れたくない、身近に感じたいという気持ちの表れでもあります。
わたしが四大「葬」イノベーションと考えている海洋葬樹木葬宇宙葬月面葬なども、その背景には「もう一度、死者を弔いたい」という心情があるように思います。
三回忌や七回忌などの年忌法要というのも、死者を何度も思い出し、何度も弔うという側面があります。

 

そして、ネタバレを覚悟で書くと、映画「洗骨」の最後には出産シーンが登場します。これが素晴らしかった。わたしは、「命」を繋ぐのは葬儀と出産であると思いました。葬儀は先祖供養にも通じます。
わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。


ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書

 

拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書きましたが、沖縄には「ファーカンダ」という方言があります。「孫」と「祖父母」をセットでとらえる呼称です。これは、親子、兄弟という密接な人間関係を表わすものと同様、子どもとお年寄りの密接度の重要性を唱えているものと考えられます。超高齢社会に向けて、増え続けるお年寄りたち。逆に減り続け、街から姿が消えつつある子どもたち。その両者を「ファーカンダ」という言葉がつなげている。「ファーカンダ」は、「ファー(葉)」と「カンダ(蔓)」の合成語とされますが、それは、葉と蔓との関係のように、切っても切れない生命の連続性を示しています。それは生命にとって一連の出来事であり事態なのです。

 

沖縄の儀式を描いた映画といえば、ブログ「久高オデッセイ」で紹介した作品が思い起こされます。製作者は「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生で、株式会社サンレーが協賛、わたしも協力者に名を連ねています。わたしは「久高オデッセイ」三部作を観て、まず、「これはサンレーのための映画だ!」と思いました。サンレー沖縄は、沖縄が本土復帰した翌年である1973年(昭和48年)に誕生しました。北九州を本拠地として各地で冠婚葬祭互助会を展開してきたサンレーですが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。サンレーの社名には3つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接に関わっています。

f:id:shins2m:20190125103651j:plain「守礼之社」をめざすサンレー沖縄

 

まず、サンレーとは「SUN‐RAY(太陽の光)」です。沖縄は太陽の島。太陽信仰というのは月信仰とともに世界共通で普遍性がありますが、沖縄にはきわめてユニークな太陽洞窟信仰というものがあります。「東から出づる太陽は、やがて西に傾き沈む。そして久高島にある太陽専用の洞窟(ガマ)を通って、翌朝、再び東に再生する。その繰り返しである」という神話があるのです。おそらく、久高島が首里から見て東の方角にあるため、太陽が生まれる島、つまり神の島とされたのでしょう。そして久高島から昇った太陽は、ニライカナイという海の彼方にある死後の理想郷に沈むといいます。紫雲閣とは魂の港としてのソウル・ポートであり、ここから故人の魂はニライカナイへ旅立っていくのです。

 

次に、サンレーとは「産霊(むすび)」です。生命をよみがえらせるという意味です。産霊といえば何といっても祭りですが、沖縄は祭りの島といわれるほど祭りが多い。特に村落単位で行なわれる伝統的な祭りが多く、本土では神社が舞台ですが、沖縄ではウタキ、神アシャギ、殿(トゥン)といった独特の祭場で行なわれます。司会者はノロやツカサなど女性が多いのですが、八重山アカマタ・クロマタや中部のシヌグなど男性中心の祭りもあります。また、本土のように「みこし」を担ぐ習慣はなく、歌や踊りといった芸能が非常に発達しています。

 

産霊といえば、生命そのものの誕生も意味しますが、沖縄は出生率が日本一です。15歳以下の年少人口率も日本一で、まともな人口構造は日本で沖縄だけと言っても過言ではありません。「久高オデッセイ第三部 風章」でも、久高島に新しい生命が誕生していましたね。わが社の結婚式場「マリエール・オークパイン那覇」での結婚式を見ると、花嫁さんの多くはお腹が大きいです。つまり、「できちゃった結婚」がとても多いわけですが、これは素晴らしいことだと思います。セックスしても子どもは作らないヤマトンチューはバッド! 子どもを作って責任取って結婚式まできちんとするウチナンチューはグッドです。これぞ、人の道!

 

そして、サンレーとは「讃礼」(礼を讃えること)です。言うまでもなく、沖縄は守礼之邦。礼においても最も大事なことは、親の葬儀であり、先祖供養です。沖縄人ほど、先祖を大切にする人たちはいません。
1月には16日(ジュールクニチー)、3月には清明祭(シーミーサイ)。ともに墓参りの祭りですが、最大の墓地地帯である那覇の識名の祭りも壮観ですし、糸満の幸地腹門中墓は沖縄最大の清明祭が行われます。
沖縄の人は、先祖の墓の前で宴会を開きます。先祖と一緒にご飯を食べ、そこは先祖と子孫が交流する空間となります。本当に素晴らしいことです! 
子どもの頃から墓で遊ぶことは、家族意識・共同体意識を育て、縦につながる行事です。これは今の日本人に最も欠けていることで、ぜひ本土でもやるべきだと確信します。


守礼門にて「天下布礼」の旗を掲げる!

 

このように、沖縄はまさにサンレーの理想そのものです。わたしはサンレーが沖縄で45年以上も冠婚葬祭業を続けてこられたことを心の底から誇りに思います。そして、沖縄には本土の人間が忘れた「人の道」があり、それこそ日本人の原点であると確信します。今こそ、本土は「沖縄復帰」すべきではないでしょうか。映画「洗骨」を観て、そんなことを考えました。

 

最後に、映画「洗骨」のエンドロールでは沖縄の心を歌い上げた名曲「童神」が流れました。沖縄を代表する歌手である古謝美佐子(この映画にも売店の女主人役で出演しています)の代表曲として知られます。なんでも、日本の権威的学者や音響研究者の研究発表により、彼女の声は、人を癒したり健康を促進する「高周波」と「ゆらぎ」を同時に持つ希有の存在である、ということが証明されたそうです。作家の五木寛之氏も「いま最も凄い歌手」と絶賛しているとか。この歌のメッセージは、映画「洗骨」のテーマともピッタリでした。そういえば、この日一緒に映画鑑賞したサンレーの黒木執行役員が、以前、那覇のカラオケ店で「童神」を哀愁たっぷりに歌っていたことを思い出しました。
改元まで、あと56日です。

 

2019年3月6日 一条真也

旧友交歓  

一条真也です。
5日の朝、JR金沢駅から北陸新幹線かがやき508号に乗って東京へ。東京には12時20分に到着しました。
わたしは赤坂見附の定宿にチェックインしてから、いくつかの打ち合わせをしました。

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六本木の中華料理店「香妃園」

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ここに来るのも久しぶり!

 

18時からは六本木にある中華料理店「香妃園」に向かいました。わたしは学生時代に六本木に住んでいたのですが、「香妃園」にはよく行ったものです。ラジオで松田聖子ちゃんが「いま、香妃園の鶏の煮込みそばにハマってます!」と発言したのを聴いてから通い始めました。ずいぶん久しぶりの「香妃園」ですが、ここで大学時代の友人たちとの食事会が開かれるのです。

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鈴木登士彦君と

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井上英明君と

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鈴木君、井上君とのスリーショット

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久々に昔の仲間と再会しました

癒す人」こと「せたがや均整院」院長の鈴木登士彦君、「フラワーマーケッター」こと「青山フラワーマーケット」社長の井上英明君をはじめ、昔よく遊んだ仲間たちが久々に集いました。じつは、彼らは2001年にわたしがサンレーの社長に就任したときにお祝いに小倉に駆けつけてくれたことがあります。そのときは、松柏園ホテルで「ふぐ会席」を食べてから鍛治町のクラブ「美松」や紺屋町のスナック「レパード」で飲みました。なつかしい思い出です。

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鶏の煮込みそばが美味しかった!

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楽しい食事会でした

f:id:shins2m:20190306024346j:plain香妃園の入り口で記念撮影

 

井上君とは3年半ほど前に赤坂見附で飲みましたが、その他の仲間たちは本当に久々です。でも、会えばすぐ大学時代に戻って楽しく思い出話に花を咲かせました。みんな、それぞれの分野で頑張っており、「俺も負けていられないぞ!」と思った夜でした。旧友との再会は、ハートフルなタイムトラベルですね。しかも、この夜はサプライズ・ゲストとして、現役の大物国会議員も参加して下さいました。

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二次会のアイリッシュ・パブで

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三次会のカラオケ・スナックで

 

二次会は六本木のアイリッシュ・パブ、三次会は赤坂見附のカラオケ・スナック、さらに四次会が赤坂見附の居酒屋で開かれ、わたしは最後まで参加しました。
いやあ、こんなに遅い時間まで夜遊びしたのは久々です。本当に学生時代に帰ったような気がしましたね。
カラオケでは、わたしは米津玄師の「Lemon」を歌ったのですが、みんなが「この曲、誰の歌?」とか「いつ頃の歌なの?」など、まったく「Lemon」の存在そのものを知らなかったので仰天しました。わたしは「おいおい、みんな原始人か?」と思いましたね。(笑)
改元まで、あと56日です。

 

2019年3月6日 一条真也

金沢から東京へ

一条真也です。
5日の朝、金沢のホテルで目覚めました。
昨日は雨でしたが、今日は見事な晴天です。

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金沢駅に到着した北陸新幹線「かがやき508号」 

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「かがやき508号」の前で


昼食を済ませてからチェックアウトして、JR金沢駅に向かいました。そこから北陸新幹線かがやき508号に乗って東京へ。北陸新幹線に乗るのはずいぶん久しぶりですが、車内ではコーヒーを飲みながら読書をしました。今日は、『洞窟壁画を旅して』布施英利著(論創社)、『霊能者列伝』田中貢太郎著(河出書房新社)の2冊を読みました。

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 「かがやき508号」の車内で

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車内では読書をしました 

洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年

洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年

 
霊能者列伝

霊能者列伝

 

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コーヒーを飲み、赤線を引きながら読みました


もちろん、読書の傍ら、目を休めるために車窓の風景も楽しみました。のどかな田園風景やまだ雪の残っている山々などを眺めていると、リラックスできました。長野を回って大宮を通るのですが、JR大宮駅前が立派になっているので驚きました。昔はこんなに開けていなかったはずです。

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車窓から見た北陸の田園風景 

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雪が残った山々

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太陽光線が眩しかったです

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大宮駅前の発展ぶりに驚きました



ちょうど現在、「翔んで埼玉」という映画が公開されています。けっこう話題になっているみたいですが、わたしは観る気はありません。なぜなら、妻から「頼むから、ああいう映画のブログだけは書かないでほしい」と懇願されているからです。(笑)わたしの映画ブログもなかなか人気のようで、直近のブログ「グリーンブック」ブログ「THE GUILTY/ギルティ」ブログ「ちいさな独裁者」なども多くの方々に読まれているようです。

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東京駅に着きました

 

東京には12時20分に到着しました。かなりの晴天ですが、大量の花粉が空中に漂っているようです。幸い、わたしは花粉症ではありませんが、花粉症の人は辛いでしょうね。わたしは東京駅から赤坂見附に向かい、定宿にチェックインして、『決定版 冠婚葬祭入門』(PHP研究所)の最終チェックなど、いくつかの打ち合わせをしました。夜は大学時代の友人たちと六本木で飲む予定です。
改元まで、あと57日です。

 

2019年3月5日 一条真也

『縄文の思想』

縄文の思想 (講談社現代新書)

 

一条真也です。
金沢に来ています。5日に東京に移動します。
『縄文の思想』瀬川拓郎著(講談社現代新書)を読了。
縄文時代に対する日本人の関心は高く、ブログ「縄文展」で紹介したイベントの成功からもわかるように、そのブームは衰えることがありません。本書は、日本人の原点である縄文時代を知るための最適な一冊です。著者は1958年、札幌市生まれ。考古学者、アイヌ研究者。岡山大学法文学部史学科卒業。2006年「擦文文化からアイヌ文化における交易適応の研究」で総合研究大学院大学より博士(文学)を取得。旭川市博物館館長。

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本書の帯 

 

帯には土偶の写真とともに、「アイヌ・海民・南島・・・。縄文は、生きている!!!」「われわれの内なる『縄文性』に迫る、まったく新しい縄文論」と書かれています。また、帯の裏には「弥生化した列島にも縄文の精神は生き続けていた!」として、「はじめに」から文章が抜粋されています。

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本書の帯の裏 

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

序章  縄文はなぜ・どのように生き残ったか

第一章 海民と縄文――弥生化のなかの縄文

    1 残存する縄文伝統

    2 海民の誕生

第二章 海民とアイヌ――日本列島の縄文ネットワーク

    1 海民のインパク

    2 交差する北の海民・南の海民

    3 離島の墓に眠るのはだれか

    4 謎の洞窟壁画

第三章 神話と伝説――残存する縄文の世界観

    1 共通するモティー

    2 他界の伝説

    3 縄文神話とその変容

    4 伝播した海民伝説

      ――アイヌの日光感情・卵生神話

第四章 縄文の思想
    ――農耕文化・商品経済・国家のなかの縄文

    1 呪能と芸能

    2 贈与と閉じた系

    3 平等と暴力

    4 動的な生へ

「おわりに」

「引用文献」

 

「はじめに」の冒頭には、「生き残る縄文」として、以下のように書かれています。
「海辺や北海道、南島という日本列島の周縁に生きた人びとの、弥生時代以降の歴史から縄文の思想を立体的に浮かびあがらせるのが本書の方法であり、従来にはなかった独自性でもあります。縄文は失われた過去ではなく、周縁の人びとの生を律する思想として、かれらのなかに生き残ってきました。その生の様式をとおして、もうひとつの日本列島人の歴史を描くことが本書の目的です」

 

では、なぜ周縁の人びとなのか。著者は述べます。
「かれらは弥生時代以降、縄文伝統である狩猟漁勝のほか多様な生業に特化することで農耕民との共存を実現し、その結果、縄文の習俗や思想をとどめることになったと私は考えています。周縁の人びとの、弥生時代以降の歴史に注目しようとする理由は、この点にあります」

 

著者は、「周縁・まれびと・修験者」として、以下のように書いています。
「海と山頂を往還する神の世界観、海蝕洞窟を他界の入口とする観念は、南島にも分布しています。この南島の世界観をもとに、往還する神としての『まれびと』論を唱えた国文学者の折口信夫は、このような世界観が古代日本の知識体系と断絶する『前古代』『前日本』の世界観、いわば縄文的な世界観であると考えていました」

 

さらに洞窟を他界の入口とし、山頂を出口とする伝説は、山形県羽黒山など日本列島各地の修験道の中心的道場でも伝えられているとして、著者は述べます。
「この修験者について宗教民俗学者五来重は、各地の道場の縁起に狩猟者との関係が説かれることから、かれらは縄文の信仰をとどめていたのではないかと指摘していました。他界への往還伝説から浮かびあがってきたのは、日本列島を覆う縄文の影にほかならなかったのです。本書は、このような周縁の人びとの世界観・他界観が縄文に起源するものであることを、おもに考古学の成果から論じます」

 

古代の『肥前国風土記』と『出雲国風土記』には、海の神であるワニ(サメのたぐい)が、川をのぼって山の女神のもとへ往還するという海民伝説がありますが、著者は以下のように述べています。
アイヌ伝説にもこれとまったく同じモティーフがあり、そこでは海の神がむかった山は高山と語られます。アイヌにとってこの高山は、地下にある死霊の世界の出口を意味し、その入口は海辺などの洞窟とされているのです。つまり、アイヌの海の神の山中往還譚は、生者である海の神が死者である山の女神を訪ねる、他界への往還伝説とみられるものですが、南島にも海の神と山の神が往還する同じ世界観や伝説があり、それもやはり他界と深くむすびついています」

 

さらに、アイヌは洞窟を他界の入口とみなしていましたが、その観念は海民と南島の人びとにもみられるとして、著者は以下のように述べています。
「『風土記』の伝説は、海民、アイヌ、南島の人びとに共通する、他界往還譚だったと考えられるものなのです。この洞窟を地下の他界の入口とし、山頂をその出口とする伝説は、日本列島各地の修験者のあいだでも伝えられていました。さらに、往還する神の世界観・他界観は、国文学者の折口信夫が指摘した、霊の世界から往還する『まれびと』が基層をなす『前日本』『前古代』の世界観・他界観とも一致します」

 

風土記 (上) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

風土記 (上) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

 

第一章「海民と縄文――弥生化のなかの縄文」の1「残存する縄文伝統」では、著者は抜歯を取り上げ、「抜歯とは、縄文時代前期以降、成人儀礼や婚姻儀礼として日本列島全域でおこなわれていた習俗です。これは弥生時代になってもみられますが、中期はじめには列島全体で衰退します。ただし、古墳時代になっても九州、山口、鳥取、岡山、奈良、徳島など西日本では一部残存します」と述べています。

 

 

2「交差する北の海民・南の海民」では、「古墳社会との交流」として、著者は以下のように述べます。
古墳時代は、3世紀中頃から7世紀まで続きました。弥生時代奈良時代のあいだにあって、日本列島が政治的に大きなまとまりを形成していった激動の時代です。この古墳時代は前期・中期・後期・終末期に分けられています。
3世紀中頃、近畿地方から瀬戸内海沿岸に前方後円墳がつくられるようになります(前期)。5世紀になると、鹿児島県から岩手県まで各地に前方後円墳がつくられ、また墳丘の大きさが400メートルを越す巨大な前方後円墳も登場します(中期)。6世紀になると、巨大な前方後円墳はつくられなくなり、その後半には群集墳とよばれる小型の古墳がまとまって築かれるようになります(後期)。7世紀になると、前方後円墳はみられなくなり、710年の平城京遷都までに古墳は姿を消します(終末期)」

 

 

第二章「海民とアイヌ――日本列島の縄文ネットワーク」の4「謎の洞窟壁画」では、「洞窟と古代の北海道」として、著者は以下のように述べています。
「北海道では、洞窟遺跡はこれまで76ヵ所確認されています。埋葬場や狩猟漁撈のキャンプとして利用され、その時期は縄文時代後期から近世までおよんでいます。そのうち約半数を占める37ヵ所が、日本海側の渡島半島から小樽市のあいだに密集しており、いずれも続縄文時代前期(弥生時代)の恵山文化の土器が出土しています。道南の恵山文化の人びとが本州の海民と深く交流していたことをのべましたが、かれらが海岸の洞窟を活発に利用していたことがわかります」
北海道の洞窟遺跡を概観した菊池徹夫によれば、縄文時代後期から恵山文化にかけて洞窟は埋葬地としても利用されており、その後は獲物の送り場など祭儀的な空間になっていました。著者は「洞窟は他界や神の世界とむすびついた空間であり、そのためそこで埋葬や祭祀がおこなわれていたのです」と述べます。

 

洞窟壁画は、日本海側に密集する洞窟遺跡のうち、小樽市手宮洞窟と余市町フゴッペ洞窟の2つで確認されています。手宮洞窟やフゴッペ洞窟では、頭に角状の突起をもち、腕から羽状の飾りを垂れ下げた人物像が描かれていますが、これが北東アジアのシャーマンの装束をおもわせることもあって、現在では大陸起源説がほぼ定説化しているといいます。

 

第三章「神話と伝説――残存する縄文の世界観」の2「他界の伝説」では、アイヌの他界と高山は深い関係にあるとして、北海道を代表するアイヌ文化の研究者である民俗学者の藤村久和が著書『アイヌ、神々と生きる人々』に書いた以下の言葉を紹介します。
「死んだ者の霊は、天上の『あの世』へまっすぐむかうのではない。里に近い『洞窟』が、『あの世』につながる地中の「準備場所」の入口となっている。死者の霊は、この洞窟から長いトンネルを経て、いったん地中の世界へむかう。海の魚の場合、川をのぼってこの「準備場所」へむかう。地中の世界には、『この世』と同じような村があり、人びとが暮らしている。生死をさまよう者がいくと、その姿は地中の世界の人びとにはみえず、ふたたび現世にもどってくることもある。そのなかには、自分の肉親にあったという者もいる。ただし、地中の世界の食物を食べると『この世』へもどることはできない。人間ばかりでなくすべての霊が、この地中の『準備場所』を経ていちばん高い山の頂へむかう。そして、その山頂から飛びあがり、天空を超えて『あの世』の山の山頂へむかう。『あの世』と『この世』は、まったく相似の世界になっている」

 

サハリンアイヌの伝説で海の神が向かった「高山」とは、死霊と祖霊の世界の境界であり、山の女神はその世界の住人でした。つまり、海の神の山中往還譚は、海の神が亡き女神を訪ねる、他界への往還譚だったのです。著者は「他界の入口としての洞窟」として、以下のように述べています。
「海民もアイヌと同様、海蝕洞窟や崖面の横穴という洞窟の象徴が他界の入口であり、祖霊になるための『準備場所』と認識していたのではないか、とおもわれます。ただし、近世アイヌが洞窟を墓地としていたわけではないように、洞窟を他界の入口とする観念があるからといって、そこがつねに墓地となっていたわけではありません」
また、民俗学者五来重によれば、修験道における山は「死の世界」「死者の世界」として他界と結びついており、とくに出羽三山では、麓で亡くなった人の霊が山頂にとどまるという信仰があり、死者供養が活発に行われています。

 

著者は「洞窟と修験者」として、以下のように述べます。
「九州の場合、その修験道の特色は洞窟信仰にあるとされ、洞窟に籠もって修行をおこなう参籠洞窟、洞窟に入ることで一度死んで生まれ変わる胎内窟、経や遺骨を洞窟に納める納経洞窟や納骨洞窟の信仰がみられます」と五来の説を紹介し、さらには「いずれにしても、山頂と洞窟が地下の死霊の世界をとおしてむすばれており、山頂をその出口とする修験者の認識は、アイヌの他界観とまったく同じ構造をもつものなのです」と述べています。

 

三国遺事―完訳 (1976年)

三国遺事―完訳 (1976年)

 

 

4「伝播した海民伝説――アイヌの日光感情・卵生神話」では、「渡来人の伝説」として、著者はこう述べます。
朝鮮半島の始祖神話では、たとえば高句麗国の始祖である朱蒙の誕生譚の場合、扶余の王が連れ帰った娘を部屋のなかに幽閉していたところ、日光がさして娘が妊娠し、大きな卵を産み、その卵から朱蒙が生まれたとしています(『三国遺事』巻1)。この高句麗の始祖神話は、日光によって娘が妊娠する点、さらに卵を産む(ただしアメノヒホコでは「赤い玉)という点が、アメノヒホコと共通しています。日光によって女が妊娠するというモティーフは、いわゆる『日光感精説話』とよばれるもので、蒙古、鮮卑契丹高句麗など北東アジア諸民族の始祖神話に知られています」

 

 

また、卵を産むというモティーフは、王や支配者の祖先が卵から生まれたという、いわゆる「卵生説話」として知られているものであるとして、「これは台湾、フィリピン、フィジー、インド、ミャンマーなど、おもに南アジアからインドネシアにかけてみられますが、朝鮮半島でも新羅伽耶など古代の王朝の始祖伝承に多くみられます」と、歴史学者で神話学者の三品彰英の説を紹介します。日光感精と卵生というモティーフをもつアメノヒホコ神話は、このような朝鮮半島の始祖神話に由来するものと考えられているといいます。

 

著者は「神話・伝説の歴史性」として、「そもそも洞窟と他界のむすびつきは、縄文時代の日本列島の全域で認められるものです。さらに海民、アイヌ、南島の人びとが、イレズミや抜歯など縄文の習俗や縄文の生業を受け継ぎ、縄文性を強く帯びた人びとであったことをおもいだしていただきたいとおもいます。かれらが共有してきた海と山の神の往還譚が、縄文起源である可能性はきわめて大きいといえるのです」と述べます。

 

第四章「縄文の思想――農耕文化・商品経済・国家のなかの縄文」の1「呪能と芸能」では、「王権と縄文」として、著者は以下のように述べます。
「海民や山民という縄文的な伝統をもつ人びとは、農耕民が多数を占める社会のなかではマイノリティであり、殺生をなりわいとする点でも被差別的な立場にあったとおもわれます。それにもかかわらず、かれらは強い呪能と、それにむすびついた芸能の才をもつと人びとと王権から認識されており、そのため王権は、人智を超えた災いや呪いを振り払うかれらのテクネ(技能)と、芸能による言祝ぎを期待していたのです。平安京の都市構造が、そもそも山人の来訪を織りこんで成立したという指摘からすれば、被差別的な立場にあった縄文的な人びとによる呪術と芸能は、王権の存続に不可欠であったともいえます」

 

 

また、「『蕃人』の思想としての『まれびと』」として、著者は以下のように折口信夫の説を紹介します。
「この縄文性と芸能の問題にかかわって重要なのは、海民、アイヌ、南島の人びとが共有していた、海と山の神が往還する縄文の世界観です。沖縄の海の神の祭りでは、海の彼方のニライカナイからやってきた海の神を山の神が迎え、古い叙事詩を謡いながら海での漁や山での猟の様子を演じます。八重山諸島では、海の彼方から時をさだめてやってくる神々が叙事詩に連れて踊りながら、家の戸口に立って呪言を唱え、祝福します」
折口信夫は、調査におもむいた南島で見聞した、このような往還する神のありかたを理論化し、独自の「まれびと」論を唱えたのです。

 

3「平等と暴力」では、「余りにも古い精神の遺存」として、著者は「縄文時代の社会は暴力と無縁であり、したがって平和もまた縄文の思想だったといえそうです。ただしそれは、縄文時代の社会が外部をもたない、ひとつの巨大な閉じた系だったからにすぎません。弥生時代以降、自由・自治・平和・平等という縄文の思想をもつ人びとは、外部にとっては無法であり、暴力を帯びた存在にほかならなかったのです」と述べています。

 

「おわりに」の冒頭で、著者は「縄文の思想をめぐって、最後にあるエピソードを紹介したいとおもいます。徳島県南部の海辺に、自殺率が低いことで注目されてきた町があります。それは海部川の河口付近に位置する旧海部町(現海陽町)です。「海部」の名が示すとおり、この地域は古代海民の一拠点であったとおもわれます」と書いています。2008年から現地調査をおこなった予防医学者の岡檀によれば、旧海部町には山間の町などとは明らかに異なる気風があるといいます。たとえばこの町には、江戸時代に成立した「朋輩組」とよばれる相互扶助組織がありますが、それは一般に排他的で垂直的な関係が強い、若者組などの類似組織とは対極的な性格をもっているというのです。

 

そして、著者は「季節を定めて海からやってきた神が、山を模したかにみえる超高層の神殿に坐す神のもとへ往還する、古代~中世の出雲大社のきわめて特なありかたもまた、海と山を往還する神という縄文の思想と無縁ではないだろう、と私は考えています。実際、本書でのべたように、出雲は濃密な縄文の思想で彩られてきた世界だったのです」と述べるのでした。本書を読んで、縄文の豊かな世界に魅了されました。これからも縄文について学んでいきたいと思います。
改元まで、あと57日です。

 

縄文の思想 (講談社現代新書)

縄文の思想 (講談社現代新書)

 

 

2019年3月5日 一条真也

北陸総合朝礼

一条真也です。
3日の日曜日、金沢に入りました。
翌4日の10時半からサンレー北陸の総合朝礼を行いました。会場は、マリエールオークパイン金沢です。さまざまな部署から、総勢200名近くが参集しました。

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マリエールオークパイン金沢のロビーで

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入場のようす

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最初は、もちろん一同礼!

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全員で社歌を斉唱

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S2M宣言」を全員で唱和

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わたしも唱和しました


まず、総務課の上本さんによる「開会の辞」に続いて全員で国旗・社旗拝礼の後に社歌を斉唱しました。それから小松営業所の梅田所長によって「経営理念」および「S2M宣言」を全員で唱和しました。みんな大きな声で気合いが入っていました。

f:id:shins2m:20190304103604j:plain社長訓示を行いました


そして、いよいよ「社長訓示」です。
わたしは、以下のような話をしました。
あと58日で平成が終わります。いよいよ新時代が到来しますが、わが社には2ヵ月早く新しい時代が来ました。3月1日付の人事発令で大規模な異動があったのです。最大の変化があったのが北陸本部で、東常務が本部長となり、北九州本部から山下執行役員、青木部長が移動してきました。これは、わが社の大関、関脇、小結が一挙に北九州から北陸に移ったことになり、空前の人事異動と言えます。

f:id:shins2m:20190304103914j:plain金沢の文化について語りました

 

再び北陸の地に戻ってきた東常務の下、冠婚の山下、葬祭の青木、営業の岸という業界でもエース級の3人の部長が勢揃いすることになり、北陸本部のさらなる発展に期待しています。各地で冠婚葬祭事業を展開するサンレーですが、特に縁が深い土地はなんといっても、小倉・金沢・沖縄です。本社のある小倉が「小笠原流礼法」、沖縄が「守礼之邦」なら、金沢ひいては石川県のキーワードは「もてなし文化」と言えるでしょう。キリスト教の隣人愛に基づく「ホスピタリティ」は儒教の「礼」に通じ、いずれも人をもてなす心の基本です。つまり、小倉・金沢・沖縄は「ホスピタリティ・トライアングル」なのです。いずれの地でもサンレーがトップシェアを占めているのは誇りです。 

f:id:shins2m:20190304104439j:plain金沢ほど素晴らしい街はない!

文学・哲学・能・茶道・・・・・・北陸には豊かな精神文化があります。そして冠婚葬祭とは精神文化そのものです。これほど北陸の方々にふさわしいサービス商品はありません。昨年のNHK紅白歌合戦で、わたしの心に強く残った歌が2曲ありました。「まつり」と「勝手にシンドバッド」ではありません。(笑)その2曲はすでに国民的名曲として知られていましたが、初めて聴いた歌が2曲ありました。純烈の「プロポーズ」と米津玄師の「Lemon」です。

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NHK紅白歌合戦の2曲について

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婚活とグリーフケアの時代です! 

 

「プロポーズ」は究極の婚活ソング、「Lemon」は究極のグリーフケア・ソングであると思いました。わが社は、業界の中でも婚活およびグリーフケアに最も積極的に取り組んでいますが、さらに推進していきたいと思います。「かたち」によって「こころ」を豊かにする冠婚葬祭こそは人々を幸福にすることができる文化です。最後に、「どうか、心から誇りを持って、この仕事に取り組んでいただきたいと思います!」と述べてから降壇すると、盛大な拍手を受けて感激しました。

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東常務の挨拶を聴く

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最高のメンバーが北陸に集結!

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和のこえ」で締めました

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最後は、もちろん一同礼!

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退場のようす

それから東常務の新任挨拶がありました。
続いて、各部門長による挨拶です。冠婚事業部の山下部長、紫雲閣事業部の青木部長、営業推進部の岸部長より熱のこもった想いが語られました。
最後は、全員で手をつないでの「和のこえ」です。
音頭を取ったのは金沢紫雲閣の大谷支配人でした。「がんばろー!」の声が響き渡って、サンレー北陸総合朝礼はめでたく終了。全員の心が1つになりました。

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昼食会の冒頭で挨拶をしました

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いただきます!

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美味しいお弁当でした

f:id:shins2m:20190304113337j:plain和気あいあいの楽しい昼食会でした

 

その後、新しい北陸本部会議のメンバーで昼食会を行いました。マリエールオークパイン金沢の美味しいお弁当をいただきながら、和気あいあいと楽しい昼食会でした。本当に最高のメンバーが揃いました。このメンバーなら、きっとやってくれると思います。大いに期待しています!
改元まで、あと58日です。

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ロビーにて(気分はバラの王子?)

 

 2019年3月4日 一条真也

「グリーンブック」

一条真也です。
3月3日は平成最後の「雛祭り」ですが、わたしは金沢に出張です。1日に公開された映画「グリーンブック」を観ました。言わずと知れた、今回の第91回アカデミー賞で「作品賞」を受賞した最高の話題作です。非常に感動しました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「黒人ピアニストと彼に雇われた白人の用心棒兼運転手が、黒人用旅行ガイド『グリーンブック』を手に人種差別が残るアメリカ南部を巡る人間ドラマ。『はじまりへの旅』などのヴィゴ・モーテンセンと、『ムーンライト』などのマハーシャラ・アリが共演。『メリーに首ったけ』などのピーター・ファレリーが監督を務めた。アカデミー賞の前哨戦の一つとされるトロント国際映画祭で、最高賞の観客賞を獲得した」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、クラブの改装が終わるまでの間、黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として働くことになる。シャーリーは人種差別が根強く残る南部への演奏ツアーを計画していて、二人は黒人用旅行ガイド『グリーンブック』を頼りに旅立つ。出自も性格も違う彼らは衝突を繰り返すが、少しずつ打ち解けていく」

 

「グリーンブック」がアカデミー作品賞を受賞したことを知ったとき、正直わたしは「またか!」と思いました。ブログ「ムーンライト」で紹介した人種差別をテーマにした映画が第89回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞に輝いて、まだ2年しか経過していなかったからです。もっとも、「ムーンライト」の場合は人種差別のみならず、売春、麻薬、いじめ、ゲイ・・・それぞれ単独でもじゅうぶんに重いテーマがこれでもかとばかりに波状攻撃のように描かれていましたが。この映画には、「グリーンブック」でドクター・シャーリーを演じたマハーシャ・アリも出演しています。
ちなみに、「ムーンライト」というタイトルは、「月光の下では黒人の少年は青く見える」という老婆の言葉からきているそうです。この「ムーンライト」すなわち月光は「平等」のシンボルと言ってよいでしょう。月光の下では、白人も黒人も黄色人も、ノーマルもゲイも、金持ちも貧乏人も、みんな平等なのです。

 

黒人への人種差別を描いた映画では、最近ではブログ「ゲット・アウト」で紹介したホラー映画が出色でした。ニューヨークで活動している黒人写真家の青年が、週末に恋人の白人女性の実家に招かれます。彼は彼女の家族から歓待を受けるのですが、黒人の使用人がいることに違和感を覚え、さらに庭を走り去る管理人や窓に映った自分を凝視する家政婦に驚かされます。翌日、パーティーに出席した彼は白人ばかりの中で1人の黒人を見つけます。そこから悪夢のような出来事が始まるのでした。後味の悪い、とても嫌な映画でした。また、人種この映画ほど差別という行為そのものの「狂気」を見事に描いた映画はないように思います。

 

さて、「グリーンブック」です。“グリーンブック”とは50年代から60年代、アメリカで人種差別の激しかった南部に旅をする黒人のために作られた施設利用ガイドのことです。1962年、イタリア移民でマフィア御用達のクラブ用心棒だった「トニー・リップ」ことバレロンガはこのガイドを渡され、気が進まないながらも新しい仕事に就くことになります。彼は、カーネギーホールに住む黒人天才ピアニスト、ドン・シャーリーの南部演奏ツアーに運転手兼ボディガートとして同行するのでした。この映画も「ムーンライト」や「ゲット・アウト」のように黒人への人種差別が生々しく描かれていますが、この手の映画にありがちな「重さ」をあまり感じません。

 

もちろん「人種差別」というテーマそのものは重いのですが、この映画そのものは軽やかな作品です。オープニングシーンからラストまで、軽快なリズムで物語が進行し、少しも退屈することなく最後まで観ることができました。それはひとえに、イタリア人トニーの明るい性格によるところが大きいでしょう。ケンタッキーの街で「ケンタッキー・フライドチキン」をバケツごと買い込み、それを車中で平らげながら、雇い主であるドン・シャーリーにも食べさせる場面は観客を幸せな気持ちにさせる名シーンです。トニー・リップとドン・シャーリーは人種も性格もまったく違う二人ですが、行動を共にするにつれ、次第に友情が芽生えていきます。そのあたりは、2011年のフランス映画「最強のふたり」を連想させました。

 

知的な黒人ドン・シャーリーと粗野な白人トニー・リップ。この二人の言動をスクリーンで観ているうちに、わたしの中にはこの二人の性格が共に在ることに気づきました。ただ、わたしはドン・シャーリーのように教養を重んじる人間ではありますが、彼よりもずっと短気です。そのあたりは、わたしはトニー・リップに似ているのでしょう。
まあ、わたしは彼のようにタバコは喫いませんけれど。しかも、彼は走行中の車から火のついたタバコをポイ捨てするのですが、これは観ていて不愉快でした。どちらかというと嫌煙派のわたしですが、この映画でドン・シャーリーを除く登場人物たちがヘビースモーカーであることには呆れました。50~60年前はタバコを喫うことがカッコいいと思われていたのでしょうね。日本で現在の男性のタバコの喫煙率は3割以下ですが、50年前はなんと8割以上もあったそうです。喫煙者が多くいた当時は、街中のいたるところでタバコが吸えたそうです。信じられませんね。

 

それにしても、ドン・シャーリーの「暴力は敗北だ」「品性を保つことこそが勝利だ」という言葉は胸に突き刺さりました。もちろん、わたしもいくら腹が立っても、このトシになって暴力はふるいませんが、ドン・シャーリーのような差別的体験をしたときは、彼のように冷静ではいられないと思います。きっと、言葉の上であっても直情的な反撃に出るでしょう。現在でも、そして日本においても、国籍差別、性差別、職業差別など、さまざまな差別が横行しています。差別的行為を許してはいけないことは当然ですが、そのような理不尽な目に遭ったとしても暴力や言葉の暴力で反撃せず、「どうして、あなたはそのようなことをするのですか?」と堂々と反論する人こそ、真の教養人であり、人間としての勝者であると思います。 

礼を求めて』(三五館)

 

わたしには『礼を求めて』(三五館)という著書がありますが、「グリーンブック」を観て、「礼とは何か」ということを改めて考えさせられました。「礼」には「分をわきまえる」という側面がありますが、それはあくまでも分別であって差別ではありません。「しきたり」についても考えさせられました。白人と黒人を同席させないという「しきたり」を守り続けるレストランが登場しますが、世の中、変えてもいいものと変えてはいけないものとがあることを痛感しました。こんな差別的な「しきたり」など世の中から消し去ったほうがいいです。他にも、窮屈なばかりで意味のない礼儀、いわゆる虚礼などは廃れていくのが当然でしょう。平成が終わって新元号となったとき、それらの虚礼は一気に消え去ります。しかしながら、結婚式や葬儀、七五三や成人式、長寿祝いなどは消えてはならないものです。それらは「こころ」を豊かにする「かたち」だからです。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

「グリーンブック」はロード・ムービーでもあります。つまり、旅の映画です。映画の中で、トニーが妻への手紙の中に「旅に出て、この国の美しさがわかってきた」という言葉が登場しますが、風景だけでなく、人の心の美しさにも言及しているのでしょう。人の心の美しさは「ホスピタリティ」として表現されます。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「ホスピタリティが世界を動かす」にも書きましたが、ホスピタリティを人類の普遍的な文化としてとらえると、その起源は古いです。実に、人類がこの地球上に誕生し、夫婦、家族、そして原始村落共同体を形成する過程で、共同体の外からの来訪者を歓待し、宿舎や食事・衣類を提供する異人歓待という風習にさかのぼります。異邦人を嫌う感覚を「ネオフォビア」といいますが、「ホスピタリティ」はまったくその反対なのです。異邦人や旅人を客人としてもてなす習慣もしくは儀式というものは、社会秩序を保つうえで非常に意義深い伝統的通念でした。これは共同体や家族という集団を通じて形成された義務的性格の強いものであり、社会体制によっては儀礼的な宗教的義務の行為を意味したものもありました。

 

ホスピタリティを具現化する異人歓待の風習は、時代・場所・社会体制のいかんを問わず、あらゆる社会において広く普及していました。そして、異人歓待に付帯する共同体における社会原則がホスピタリティという概念を伝統的に育んできたのです。
その結果、ホスピタリティという基本的な社会倫理が異なる共同体もしくは個人の間で生じる摩擦や誤解を緩和する役割を果たしました。さらに、外部の異人と一緒に飲食したり宿泊したりすることで異文化にふれ、また情報を得る機会が発生し、ホスピタリティ文化を育成してきたのだと言えます。
最後に、『ハートフル・ソサエティ』の新版の出版が決定しました。『ハートフル・ソサエティ2020』として、2020年に弘文堂より刊行されることになりました。差別のない平和な社会を築いていくための新しいヴィジョンを示してみたいと思います。どうぞ、お楽しみに!
改元まで、あと59日です。

 

2019年3月3日 一条真也

営業推進部進発式

一条真也です。
毎日ハード・スケジュールでグロッキー気味です。
2日の夜、松柏園ホテルで開催されたサンレー営業推進部の進発式に参加しました。

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営業推進部進発式のようす

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挨拶する佐久間会長

 

昨日3月1日、玉中常務と小谷部長代理の就任を含む人事異動が発令されました。その直後の進発式ということで、営業推進部全体が異様な熱気に包まれていました。
進発式の冒頭では、佐久間会長が挨拶しました。会長は「会場に入った瞬間、男前ばかりだなと感心しました。これなら、ウチの営業は大丈夫だと安心しました」と満面の笑みを浮かべながら述べました。

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わたしも登壇しました

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社長として挨拶しました

 

続いて、社長であるわたしが登壇し、「改元に先立つこと2カ月、わが社は新時代を迎えました。なんといっても互助会は営業が命です。わが社の営業部隊は全国でもトップクラスと思います。玉中常務、小谷部長代理の誕生を機に、さらに天下布礼に励んでいただきたい!」と述べました。

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挨拶する小谷部長代理

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乾杯の音頭を取る玉中常務

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カンパ~イ!

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ラソン・パフォーマンス

f:id:shins2m:20190302181957j:plainカラオケ・タイム♪

f:id:shins2m:20190302182329j:plainカラオケ・タイム♪

 

その後、小谷部長代理による就任の挨拶があり、続いて玉中常務の発声で乾杯となりました。みなさん営業マンらしく明るい酒で懇親を深めていきました。
それから、余興タイムです。北九州マラソンで好成績を残した小谷部長代理のマラソン・パフォーマンスの後、営業所長によるカラオケ・タイムが続きました。

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わたしがステージに上がりました

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黄金の法被を着せられました

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黄金のハチマキを締められました

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なぜか、黄金の帯まで結ばれました

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今日も、つかみはOK牧場!

f:id:shins2m:20190302184050j:plainそれじゃあ、行くぞ~!!

 

そして最後は、わたしの番が来ました。ステージに上がったわたしは北島三郎の国民的名曲「まつり」を歌いました♪ 
イントロの部分で、「初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。今日はサンレー営業推進部の進発式とあっちゃ、こりゃめでたいなあ〜。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言ってから、歌い出しました。今日も、つかみはOK牧場!(笑)

f:id:shins2m:20190302183029j:plain男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪

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会場を練り歩きながら歌う♪

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みなさん、ご一緒に!

 

わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、大いに盛り上がりました。この歌は、今年の新年祝賀会で全国各地で歌ってきた思い出の曲です。北九州では蛇踊り、大分では中津祇園、宮崎ではひょっとこ踊り、北陸では御陣乗太鼓、そして沖縄ではカチャ―シーで一連の祭りシリーズはクライマックスを迎えました。この日は、じつは少し風邪気味でしたが、声を振り絞って熱唱しました♪

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今日も異常な盛り上がり!

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祭りだ~祭りだ~♪

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せがれ一番、船を漕げ~!!

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ワッショイ!!

 

サビの「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これが営業推進部の祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に。「おまえらは日本最強の営業じゃあ!」と叫ぶと、割れんばかりの盛大な拍手をいただきました。
最後は、サンレー名物「末広がりの五本締め」です。今夜は、小谷部長代理がしっかりと締めてくれました。
明日から、わたしは北陸に出張します。改元まで、あと60日。

 

2019年3月2日 一条真也