「グリーンブック」

一条真也です。
3月3日は平成最後の「雛祭り」ですが、わたしは金沢に出張です。1日に公開された映画「グリーンブック」を観ました。言わずと知れた、今回の第91回アカデミー賞で「作品賞」を受賞した最高の話題作です。非常に感動しました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「黒人ピアニストと彼に雇われた白人の用心棒兼運転手が、黒人用旅行ガイド『グリーンブック』を手に人種差別が残るアメリカ南部を巡る人間ドラマ。『はじまりへの旅』などのヴィゴ・モーテンセンと、『ムーンライト』などのマハーシャラ・アリが共演。『メリーに首ったけ』などのピーター・ファレリーが監督を務めた。アカデミー賞の前哨戦の一つとされるトロント国際映画祭で、最高賞の観客賞を獲得した」

f:id:shins2m:20190228220852j:plain

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、クラブの改装が終わるまでの間、黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として働くことになる。シャーリーは人種差別が根強く残る南部への演奏ツアーを計画していて、二人は黒人用旅行ガイド『グリーンブック』を頼りに旅立つ。出自も性格も違う彼らは衝突を繰り返すが、少しずつ打ち解けていく」

 

「グリーンブック」がアカデミー作品賞を受賞したことを知ったとき、正直わたしは「またか!」と思いました。ブログ「ムーンライト」で紹介した人種差別をテーマにした映画が第89回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞に輝いて、まだ2年しか経過していなかったからです。もっとも、「ムーンライト」の場合は人種差別のみならず、売春、麻薬、いじめ、ゲイ・・・それぞれ単独でもじゅうぶんに重いテーマがこれでもかとばかりに波状攻撃のように描かれていましたが。この映画には、「グリーンブック」でドクター・シャーリーを演じたマハーシャ・アリも出演しています。
ちなみに、「ムーンライト」というタイトルは、「月光の下では黒人の少年は青く見える」という老婆の言葉からきているそうです。この「ムーンライト」すなわち月光は「平等」のシンボルと言ってよいでしょう。月光の下では、白人も黒人も黄色人も、ノーマルもゲイも、金持ちも貧乏人も、みんな平等なのです。

 

黒人への人種差別を描いた映画では、最近ではブログ「ゲット・アウト」で紹介したホラー映画が出色でした。ニューヨークで活動している黒人写真家の青年が、週末に恋人の白人女性の実家に招かれます。彼は彼女の家族から歓待を受けるのですが、黒人の使用人がいることに違和感を覚え、さらに庭を走り去る管理人や窓に映った自分を凝視する家政婦に驚かされます。翌日、パーティーに出席した彼は白人ばかりの中で1人の黒人を見つけます。そこから悪夢のような出来事が始まるのでした。後味の悪い、とても嫌な映画でした。また、人種この映画ほど差別という行為そのものの「狂気」を見事に描いた映画はないように思います。

 

さて、「グリーンブック」です。“グリーンブック”とは50年代から60年代、アメリカで人種差別の激しかった南部に旅をする黒人のために作られた施設利用ガイドのことです。1962年、イタリア移民でマフィア御用達のクラブ用心棒だった「トニー・リップ」ことバレロンガはこのガイドを渡され、気が進まないながらも新しい仕事に就くことになります。彼は、カーネギーホールに住む黒人天才ピアニスト、ドン・シャーリーの南部演奏ツアーに運転手兼ボディガートとして同行するのでした。この映画も「ムーンライト」や「ゲット・アウト」のように黒人への人種差別が生々しく描かれていますが、この手の映画にありがちな「重さ」をあまり感じません。

 

もちろん「人種差別」というテーマそのものは重いのですが、この映画そのものは軽やかな作品です。オープニングシーンからラストまで、軽快なリズムで物語が進行し、少しも退屈することなく最後まで観ることができました。それはひとえに、イタリア人トニーの明るい性格によるところが大きいでしょう。ケンタッキーの街で「ケンタッキー・フライドチキン」をバケツごと買い込み、それを車中で平らげながら、雇い主であるドン・シャーリーにも食べさせる場面は観客を幸せな気持ちにさせる名シーンです。トニー・リップとドン・シャーリーは人種も性格もまったく違う二人ですが、行動を共にするにつれ、次第に友情が芽生えていきます。そのあたりは、2011年のフランス映画「最強のふたり」を連想させました。

 

知的な黒人ドン・シャーリーと粗野な白人トニー・リップ。この二人の言動をスクリーンで観ているうちに、わたしの中にはこの二人の性格が共に在ることに気づきました。ただ、わたしはドン・シャーリーのように教養を重んじる人間ではありますが、彼よりもずっと短気です。そのあたりは、わたしはトニー・リップに似ているのでしょう。
まあ、わたしは彼のようにタバコは喫いませんけれど。しかも、彼は走行中の車から火のついたタバコをポイ捨てするのですが、これは観ていて不愉快でした。どちらかというと嫌煙派のわたしですが、この映画でドン・シャーリーを除く登場人物たちがヘビースモーカーであることには呆れました。50~60年前はタバコを喫うことがカッコいいと思われていたのでしょうね。日本で現在の男性のタバコの喫煙率は3割以下ですが、50年前はなんと8割以上もあったそうです。喫煙者が多くいた当時は、街中のいたるところでタバコが吸えたそうです。信じられませんね。

 

それにしても、ドン・シャーリーの「暴力は敗北だ」「品性を保つことこそが勝利だ」という言葉は胸に突き刺さりました。もちろん、わたしもいくら腹が立っても、このトシになって暴力はふるいませんが、ドン・シャーリーのような差別的体験をしたときは、彼のように冷静ではいられないと思います。きっと、言葉の上であっても直情的な反撃に出るでしょう。現在でも、そして日本においても、国籍差別、性差別、職業差別など、さまざまな差別が横行しています。差別的行為を許してはいけないことは当然ですが、そのような理不尽な目に遭ったとしても暴力や言葉の暴力で反撃せず、「どうして、あなたはそのようなことをするのですか?」と堂々と反論する人こそ、真の教養人であり、人間としての勝者であると思います。 

礼を求めて』(三五館)

 

わたしには『礼を求めて』(三五館)という著書がありますが、「グリーンブック」を観て、「礼とは何か」ということを改めて考えさせられました。「礼」には「分をわきまえる」という側面がありますが、それはあくまでも分別であって差別ではありません。「しきたり」についても考えさせられました。白人と黒人を同席させないという「しきたり」を守り続けるレストランが登場しますが、世の中、変えてもいいものと変えてはいけないものとがあることを痛感しました。こんな差別的な「しきたり」など世の中から消し去ったほうがいいです。他にも、窮屈なばかりで意味のない礼儀、いわゆる虚礼などは廃れていくのが当然でしょう。平成が終わって新元号となったとき、それらの虚礼は一気に消え去ります。しかしながら、結婚式や葬儀、七五三や成人式、長寿祝いなどは消えてはならないものです。それらは「こころ」を豊かにする「かたち」だからです。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

「グリーンブック」はロード・ムービーでもあります。つまり、旅の映画です。映画の中で、トニーが妻への手紙の中に「旅に出て、この国の美しさがわかってきた」という言葉が登場しますが、風景だけでなく、人の心の美しさにも言及しているのでしょう。人の心の美しさは「ホスピタリティ」として表現されます。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「ホスピタリティが世界を動かす」にも書きましたが、ホスピタリティを人類の普遍的な文化としてとらえると、その起源は古いです。実に、人類がこの地球上に誕生し、夫婦、家族、そして原始村落共同体を形成する過程で、共同体の外からの来訪者を歓待し、宿舎や食事・衣類を提供する異人歓待という風習にさかのぼります。異邦人を嫌う感覚を「ネオフォビア」といいますが、「ホスピタリティ」はまったくその反対なのです。異邦人や旅人を客人としてもてなす習慣もしくは儀式というものは、社会秩序を保つうえで非常に意義深い伝統的通念でした。これは共同体や家族という集団を通じて形成された義務的性格の強いものであり、社会体制によっては儀礼的な宗教的義務の行為を意味したものもありました。

 

ホスピタリティを具現化する異人歓待の風習は、時代・場所・社会体制のいかんを問わず、あらゆる社会において広く普及していました。そして、異人歓待に付帯する共同体における社会原則がホスピタリティという概念を伝統的に育んできたのです。
その結果、ホスピタリティという基本的な社会倫理が異なる共同体もしくは個人の間で生じる摩擦や誤解を緩和する役割を果たしました。さらに、外部の異人と一緒に飲食したり宿泊したりすることで異文化にふれ、また情報を得る機会が発生し、ホスピタリティ文化を育成してきたのだと言えます。
最後に、『ハートフル・ソサエティ』の新版の出版が決定しました。『ハートフル・ソサエティ2020』として、2020年に弘文堂より刊行されることになりました。差別のない平和な社会を築いていくための新しいヴィジョンを示してみたいと思います。どうぞ、お楽しみに!
改元まで、あと59日です。

 

2019年3月3日 一条真也