「THE GUILTY/ギルティ」

一条真也です。
1日の夜、タイトなスケジュールの合間を縫って、デンマーク映画「THE GUILTY/ギルティ」を観ました。電話からの声と音だけで誘拐事件を解決するというユニークな物語が評判となり、第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞するなど、数々の映画賞に輝いた話題作です。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「主人公が電話の声と音を通して誘拐事件の解決を図ろうとする異色サスペンス。本作が長編初監督作となるグスタフ・モーラーが、緊急ダイヤルの通話を頼りに誘拐事件と向き合うオペレーターの奮闘を描く。ドラマシリーズ北欧サスペンス『凍てつく楽園』などのヤコブ・セーダーグレンが主人公を演じ、イェシカ・ディナウエ、ヨハン・オルセン、オマール・シャガウィーらが共演している」 

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「警察官のアスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)はある事件を機に現場を離れ、緊急通報司令室のオペレーターとして勤務していた。交通事故の緊急搬送手配などをこなす毎日を送っていたある日、誘拐されている最中の女性から通報を受ける」

 

この映画を観終わって、わたしは「これは、やられた!」と思いました。こんな複雑な感想を抱かせる映画もそうそうありません。ブログ「search/サーチ」で紹介したサスペンス・スリラー映画をちょっと連想しました。「search/サーチ」も「THE GUILTY/ギルティ」もわずかな手掛かりから犯罪者を探し出し、被害者の生命を救おうとする物語ですが、前者が100%パソコンの画面で物語が展開されるのに対して、後者は主人公が電話の声と音を通して誘拐事件の解決を図ろうとします。

 

「映画.com」で映画評論家の高橋諭治氏が「『THE GUILTY/ギルティ』緻密な“音”のスペクタクルが生み出す重層的なサスペンスとドラマ」というタイトルで、「言うまでもなく映画とは、映像と音によって成り立つ表現形態である。しかし俳優の演技や視覚効果といった直接スクリーンに映し出されるものに比べると、その場の状況や登場人物の感情をサポートする役目にとどまりがちな音について語られる機会は格段に少ない。デンマークの新人監督グスタフ・モーラーは、そんな私たちの目には見えない“音”の比重を格段に高め、それ自体が主役と言っても過言ではない斬新なクライム・スリラーを完成させた」と述べています。まさに、その通りというしかありません。

 

“音”に焦点を当てたサスペンスといえば、ブログ「クワイエット・プレイス」で紹介したホラー&SF映画が思い起こされます。音に反応し人間を襲う何かが潜む世界で、“音”を立てずに生き延びようとする一家を映す物語ですが、映画における“音”の存在感というものを最大限に示した作品ということで、本作「THE GUILTY/ギルティ」にも通じるところが多々あります。

 

主人公の警官アスガーは、日本で言うところの110番=緊急通報室のオペレーターです。相手の素性もわからないのに、電話相手の声だけを情報源として、さまざまな問題の解決に取り組んでいきます、わたしは、アスガーが困惑したり、焦燥したりする姿を見て、企業の電話オペレーターのことを考えました。わが社にもテレホン営業のスタッフ、お客様相談室のスタッフなどが日々、電話だけで多くの方々とコミュニケーションを取っていますが、彼らの苦労や悩みなどについて考えました。そして、彼らに対する感謝の念が湧いてきました。

 

それにしても、電話のやりとりだけで、ここまで緊迫したサスペンス・ドラマが作れるとは驚きました。「デンマーク映画、おそるべし!」ですね。声優たちの演技も含め、「THE GUILTY/ギルティ」で緻密に設計された音が生み出すスペクタクルは映画史に残るものではないかと思います。日本語では「有罪」となるタイトルも非常に意味深でした。これ以上はネタバレになるので書けません。悪しからず。
改元まで、あと60日です。

 

2019年3月2日 一条真也

『セゾン 堤清二が見た未来』  

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第131回が掲載されています。今回は、『セゾン 堤清二が見た未来』鈴木哲也著(日経BP社)を取り上げました。

f:id:shins2m:20190228110700j:plain「サンデー新聞」2019年3月2日号 

 

今年の2月末をもって小倉駅前の百貨店「コレット」が閉店しましたが、同施設で高い人気を誇ったのが6階の「小倉ロフト」でした。3月以降も継続して営業するとのことです。
また、馬借のクエスト第二ビル1階にある「無印良品」も北九州を代表する人気店です。この「ロフト」と「無印良品」の生みの親が同じ人物であるとご存知でしたか。それは、「セゾングループ」という名の一大企業集団を築き上げた堤清二という人です。

 

本書の「はじめに」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
無印良品ファミリーマート、パルコ、西武百貨店西友、ロフト、そして外食チェーン吉野家――。いずれも日々の生活でなじみのある企業であり、知名度の高いブランドだ。これらの企業が、かつて同じグループに属していたことを、知らない世代が増えている。コンビニエンスストアの中で、なぜファミリーマートだけが無印良品の化粧品やノートを売っているのか。改めて指摘されなければ、普段の生活では不思議に思わない」

 

これらはいずれも、堤清二がつくったセゾングループを構成していました。同グループは、小売業にとどまらず、クレジットカードや生命保険、損害保険などの金融業、ホテルやレジャー、食品メーカーまで、多様な事業を展開してきました。映画配給のシネセゾンパルコ出版などのメディア関連事業、美術館や劇場といった文化事業を幅広く手がけた異色の企業集団でした。

 

一時はグループ約200社、売上高4兆円以上のコングロマリットを形成したセゾングループ。かつてはスーパーを軸としたダイエーと並んで、二大流通グループとされていました。今日では、ともにバブル経営の象徴とされて表舞台から消えてしまいましたが。
展開する事業の多彩さにおいては、セゾングループを超えるコングロマリットは日本に存在しませんでした。消費文化をリードする先進性を持ち、1970年代から80年代にかけて、セゾングループが手がける事業には、いつも何らかの新しさがありました。話題性に富み、常に時代に先駆ける高感度のセンスを備えていたのです。

 

堤清二は、「商品を売るのではなくライフスタイルを売る」「モノからコトの消費へ」「店をつくるのではなく、街をつくる」などの考え方を全面に打ち出しました。いま、彼のビジョンを知ると、日本の未来を的確に予測していたことに驚かされます。彼は、早過ぎた「未来人」だったのかもしれません。
北九州市は「流通」も「文化」も不毛の地などと言われますが、堤清二の考え方に学ぶところは多いのではないでしょうか。
改元まで、あと60日です。

 

セゾン 堤清二が見た未来

セゾン 堤清二が見た未来

 

 

 

 2019年3月2日 一条真也

明陵同窓会福岡支部幹事会

一条真也です。
3月になりました。1日は朝からサンレー本社で総合朝礼、本部会議、昼食会などの行事ラッシュでした。夕方からは、新幹線で博多まで出掛け、八仙閣本店で開かれた母校の小倉高校の同窓会に参加しました。福岡支部の幹事総会です。今回は60名もの参加者があり、盛会でした。

f:id:shins2m:20190301182329j:plain会場となった八仙閣本店

f:id:shins2m:20190301183955j:plain挨拶する首藤君と司会の鳥本君

 

昨年は高校33期の方々が担当でした。
今年は、わたしたち34期が担当しました。
福岡支部34期幹事長の首藤君が冒頭に挨拶し、司会も同期の鳥本君が務めてくれました。ちなみに、わたしは34期全体の当番幹事長を拝命しています。

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同窓生のみなさんと楽しい時間を過ごしました

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最後の皿うどんが美味しかった!

 

わたしは西鉄の明石先輩の隣席だったのですが、明石先輩はわたしの妻の亡き父親の慶應義塾大学経済学部の同級生です。また観光業界の御縁でわたしの父も親しくさせていただいていました。それで、30年前のわたしたち夫婦の結婚式にもご参列いただいたのですが、そんな思い出話に花が咲きました。八仙閣の料理は、皿うどんが美味しかったです。

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最後は校歌を大合唱♪ 

 

もちろん、同級生たちとの昔話にも大いに花が咲き、青春時代に戻って楽しい時間を過ごせました。最後は応援団出身の先輩の音頭で校歌を大合唱しました。
4月14日(日)14時半からソラリア西鉄ホテルで「明陵同窓会福岡支部総会」が開催されます。なんと、わたしが特別講演の講師を務めさせていただきます。身の引き締まる思いです。同窓生のみなさんはぜひ参加されて下さい!
ということで、改元まで、あと61日です。

f:id:shins2m:20190301130141j:plain総会は4月14日(日)です!

 

2018年3月1日 一条真也

改元カウントダウン・パネル

一条真也です。
平成最後の弥生となる3月1日の朝、サンレー本社では総合朝礼を行いました。今回はグループ全体で大きな人事異動があり、その発表などを行いました。社長訓示では「東日本大震災グリーフケアの時代」について話しました。

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総合朝礼のようす

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大きな人事異動がありました

 

そして今日からサンレー本社には「改元カウントダウン・パネル」が設置されました。5月1日の新天皇即位、新元号開始までのカウントダウンを示す特製パネルです。3月1日現在での改元の日までのカウントダウンは「61日」です。いよいよ新時代の訪れを実感しますね。

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改元カウントダウン・パネル

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改元カウントダウン・パネルと

 

平成には、いろんな出来事がありました。わたしは平成元年に結婚し、平成5年に長女が生まれ、平成11年に次女が生まれました。そして、平成13年に社長に就任しました。その思い出に溢れる平成があと2ヵ月で終わります。

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羽田空港売店で発見!

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ありがとう平成!

f:id:shins2m:20190228162921j:plainまんじゅうは12個入り(流行語しおり付き)

 

昨日、羽田空港売店で「ありがとう平成まんじゅう」というのが売られているのを見つけました。まんじゅうは12個入りで、わたしは「ありがとう平成・・・」と言いながら、新しい役員さんたちや秘書室のみなさんと一緒に食べました。後は、新天皇の御即位をお待ちするばかりです。改元まで、あと61日です。

 

2019年3月1日 一条真也

のこされた あなたへ

一条真也です。
今日から3月です。平成最後の弥生ですね。
WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第8回目がアップしました。タイトルは、「のこされた あなたへ」です。

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「のこされた あなたへ」 

 

今年も「3・11」がやってきます。
東日本大震災の発生から8年目となる今年は、平成最後の「3・11」でもあります。2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日となりました。三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。福島の第1原子力発電所の事故も引き起こしました。亡くなった方は1万5897人、いまだ2534人の行方が分かっていません(平成30年12月10日時点)。さらに5.3万人の方々が今も避難生活を送っておられます。未曾有の大災害は現在進行形で続いています。

 

津波の発生後、しばらくは大量の遺体は発見されず、多くの行方不明者がいました。火葬場も壊れて通常の葬儀をあげることができず、現地では土葬が行われました。海の近くにあった墓も津波の濁流に流されました。葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、東日本大震災のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。

 

現地では毎日、「人間の尊厳」が問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けたのです。「葬式は、要らない」という妄言は、大津波とともに流れ去ってしまいました。
わたしは、東日本大震災愛する人を亡くした人たちのことを考えた。わが社が取り組んできたグリーフケア活動をさらに推進させ、上級心理カウンセラーの資格を多くの社員が取得しました。

 

わたし自身も、さらにグリーフケアについての研究を重ねました。2012年7月には京都大学で「東日本大震災グリーフケアについて」を報告する機会も与えていただきました。わたしにとって、まことに貴重な経験となりました。そして、愛する人を亡くし、生き残った方々は、これからどう生きるべきなのか。そんなことを考えながら、わたしは『のこされた あなたへ』(佼成出版社)を書いたのです。

 

もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、残された方の悲しみが完全に癒えることもありません。しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは心を込めて、ときには涙を流しながら同書を書きました。同書の内容は上智大学グリーフケア研究所の特別講義でも言及し、昨年わたしは同研究所の客員教授に就任しました。これからも、「のこされた あなたへ」の言葉を考え続けたいです。

 

 

2019年3月1日 一条真也拝 

新年賀詞交歓会に250人

一条真也です。
27日、東京に出張し、互助会保証株式会社の監査役会と取締役会に出席しました。夜は赤坂で意見交換会がありました。翌28日、北九州に戻りました。サンレーの社長室に顔を出すと、わが社の記事が掲載された「ふくおか経済」3月号が届いていました。

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「ふくおか経済」2019年3月号 

 

記事は「新年賀詞交歓会に250人」の見出しで以下のように書かれています。
「冠婚葬祭大手(株)サンレー北九州市小倉北区上富野3丁目、佐久間庸和社長)は1月21日、同社運営の松柏園ホテルで新年賀詞交歓会を開催した。冒頭で佐久間社長は、昨年の業績が増収増益で過去最高だったことを報告。あわせて「人間の歴史ではいつの時代も冠婚葬祭があった。その意義を伝えていく使命がある」とあいさつした。当日は取引先ら約250人が来場。参加者同士で親交を深め、終始和やかな雰囲気に包まれた」

 

2019年2月28日 一条真也

世の中に何も迹を残さず、名も残さずに終わりたい(熊沢蕃山)

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一条真也です。
言葉は、人生を変え得る力を持っています。
今回の名言は、江戸時代の陽明学者・熊沢蕃山の言葉です。
彼は、「自分は世の中に何も迹を残さず、名も残さずに終わりたいものだ」と述べました。これは一見、志を持たない者の寂しい人生を示す言葉のように思えます。
しかし、この言葉の持つメッセージを誰よりも理解し、また高く評価した人物がいました。昭和の陽明学者である安岡正篤です。

 

 

何を為すか、何をしたかということと、彼はどういう人間か、如何にあるかということとは別である。運に恵まれなければ、また本人が欲しなければ、本質的に立派な人でも、別に何もしないで終わることもある。そのように考えていた安岡正篤陽明学の先達である蕃山の「自分は世の中に何も迹を残さず、名も残さずに終わりたいものだ」という晩年の言葉に大いに共鳴したそうです。人間はつまらぬ者や、ピントの外れた者から褒められたり、持ち上げられたりしても、少しも嬉しくない。むしろ迷惑である。世間には苦笑いをするような褒め方をする人もよくいるが、かえって嫌なもの。蕃山のような賢人になると、誹られても、褒められても、さぞかしつまらなかったことだろうと、安岡は推測します。「如何に善を為すか」ということは案外当てにならぬものであり、大事なことはやはり「自分はどういう人間であるか」ということなのだというのです。

 

 

それを明らかにすることを「明明徳」(明徳を明らかにする)と言います。蕃山はそれに気がついていました。今まで自分で自分がわからなかった。人生や宇宙というものがまったく暗黒であった。しかし、たまたま学問をすることによって、ちょうど朝の陽光がさして万象が現われてくるのと同じように、蕃山は初めてはっと眼を開いたのです。これが彼の学問の始まりであり、またその追及が彼の生涯の学問でした。

 

すなわち蕃山は明徳の学問を行ったのです。そしてこの明徳の学において、江戸の当時最も活発で、真実・純真なものを陽明学に見出し、またその学問の偉大な人を中江藤樹において発見したのです。中国の明代に生まれた王陽明の学問は、別名「心学」と呼ばれます。あくまでも「知」を求めた朱子学に対して、「知行合一」を高らかに唱えた陽明の学問こそ「智」そのものに向かっていたと言えるでしょう。

 

日本に入ってからは、中江藤樹、熊沢蕃山をはじめ、山鹿素行、「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭長直、大石内蔵助良雄、さらには大塩平八郎、春日潜庵、河井継之助玉木文之進吉田松陰西郷隆盛乃木希典といった巨大な精神の山脈を作りあげていきました。数多くの宰相や大実業家を指導した昭和の碩学安岡正篤もこの山脈に位置します。なお、今回の熊沢蕃山の名言は、『孔子とドラッカー新装版』(三五館)にも登場します。

 

 

2019年2月28日 一条真也