『折れない自分をつくる 闘う心』

折れない自分をつくる 闘う心

 

一条真也です。
『折れない自分をつくる闘う心』村田諒太著(KADOKAWA)を読みました。著者は、日本の元プロボクサー。奈良県奈良市出身。ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト。元WBA世界ミドル級スーパー王者。帝拳ボクシングジム所属。オリンピック金メダルとプロ世界チャンピオンの両方達成した初の日本人ボクサーです。ブログ「村田諒太はいい!」ブログ「村田戦は無効試合にすべし!」ブログ「やったぜ、村田諒太!」ブログ「よくやった、村田!」にも書いたように、わたしはプロボクサー・村田諒太の大ファンでした。本書には、現役時代の著者の葛藤と自問自答が非常に分かりやすく表現されています。特に、最強王者ゴロフキン戦の前後の心情は驚かされるばかりでした。


本書の帯

 

本書のカバー表紙には黒いシャツを着た著者の上半身の写真が使われ、帯には「不器用な自分にできることは限られている。その事実を認めて、心技体で要らないものをそぎ落とした僕は落ち着いていた」「世紀の一戦の舞台裏と心の記録」「プロボクサー引退後、初の著書」とあります。


本書の帯の裏

 

帯の裏には、「コロナ禍、101日遅れてゴングが鳴った」「日本ボクシング史上最大の一戦」「最強王者ゴロフキンとの対戦に至るまでの心の葛藤、半年間にわたるメンタルトレーニングの記録、虚栄や装飾のないありのままの村田諒太を綴る――――――。」「勝利という結果、他者の反応や評価だけを求めてボクシングをやってきた。でも、自分をちゃんと認めてあげることができれば、他者との比較はさして気にならなくなることをゴロフキンとの試合を通して知ることができた」と書かれています。

 

アマゾンより

アマゾン「内容紹介」には、「『強さとは何か』を追い求めてきたボクサー村田諒太の『世紀の一戦』までの半年間を綴ったドキュメンタリー。コロナ禍で7度の中止・延期という紆余曲折を経て、最強王者ゴロフキンとの対戦に至るまでの心の葛藤、スポーツ心理学者の田中ウルヴェ京さんと半年間にわたって続けてきたメンタルトレーニングの記録、虚栄や装飾のないありのままの村田諒太を綴った一冊」「この試合で一番譲れないもの、それは自分を認めることができる試合をすることだった。ゴロフキンに勝つことも大事だが、自分に負けないことはもっと大事だった。それは逃走せずに闘争すること。壮絶な心の戦いの果てに辿り着いた境地とは」「僕がやってきたのは自己肯定感を得るための旅であり、ボクシングはそのための一番のツールだった」とあります。

アマゾンより

アマゾンより

本書の「目次」は、以下のようになっています。
第1章 激闘
2022年4月9日
101日遅れのゴング
ゴロフキンの本領
第2章 挑戦
日本ボクシング史上最大の一戦
田中ウルヴェ京さん
王者の中の王者
ジョハリの窓
第3章 試練
7度目の中止・延期
ミドル級の壁
帝拳ジム・本田会長
消えない雑念/殴りたくない
ポジティブな感情
第4章 恐怖
36歳の誕生日
開き直り
ダメ出しがほしい
自己肯定感
第5章 覚悟
闘争か逃走か
折れない自分をつくる闘う心
恩師の涙
第6章 余韻
不思議な声
証言
スポーツ心理学者・田中ウルヴェ京が語る村田諒太
対談 村田諒太×田中ウルヴェ京

 

「まえがき」の冒頭を、著者は「37年の人生のうち、20年以上もボクシングとともに生きてきた。もし、ボクシングに出会えていなかったら今ごろどんな人生を送っていたのかと考えると、少し怖くもなる。人生を懸けて打ち込めるものを見つけられた自分は幸せだった。オリンピックの金メダルも世界チャンピオンのベルトも誇れる勲章だが、ボクシングを通じて人生を学んだことが最大の財産だ。強い相手、厳しい練習、つらい減量。ボクシングは常に恐怖や苦しみと隣り合わせのスポーツである。己の弱さと甘さを突きつけられ、現実を受け入れたうえで、折れない自分と闘う心をつくり上げる。そんな人間的成長のツールが、僕にとってのボクシングだった」と書きだします。


2022年4月9日、著者は2年4か月ぶりの試合をさいたまスーパーアリーナでIBF世界ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキンと2団体王座統一戦を行いました。序盤はボディを当て相手を下がらせる場面はあったものの、その後はゴロフキンのガードの間を縫う多彩な角度のパンチを受けて徐々に劣勢となり、9回著者の左フックに右のカウンターを合わせられてダウンするとセコンドからタオルが投入され、9回2分11秒TKO負けを喫し、WBAスーパー王座から陥落しました。


第1章「激闘」の「101日遅れのゴング」では、試合後に3ラウンドまで映像を見終えたとき、著者の頭には「勝てる試合だったなあ」という思いが湧いてきたことが紹介されています。著者は、「戦っているときはとにかく必死で、これほどの攻勢は実感できていなかった。もったいない、全然勝てる試合だった・・・・・・。序盤3つのラウンドが勝負、そこは何が何でも取りに行く。そう戦前に決めた作戦は映像を見る限り、十分に実行できていた。いや、想定以上だったかもしれない。試合中、僕はお客さんの声援がほとんど耳に入らないのだが、映像からも会場が熱気を帯びているのが分かった。戦っている当人以上に、観客の皆さんは勝機を感じてくれていたのかもしれない」と述べています。


「ゴロフキンの本領」では、当日のリング上で著者はタオル投入に気づいていなかったことが明かされます。試合終了を告げるゴングがカン、カン、カンと鳴り、青コーナーから駆け込んできた田中繊大トレーナーに抱えられて初めて負けたことを知ったそうです。著者は、「僕は笑っていた。『やっちまった』という苦笑いの感情と、試合が終わった安堵感がかすかにあったように思う。ただ、画面に映し出されたゴロフキン陣営の心底喜んでいるシーンを見て、あの日とは違った感情も湧き上がってくる。向こうもきつかったんだな。自分がこのラウンドを耐えきっていたら、試合の行方は分からなかった。逆転の可能性はあったんじゃないか。試合映像を見終えて、真っ先に湧き起こってきた感情は『悔しい』だった。敗因は一言でいえば、キャリアの差だ。ゴロフキンは休めるときに休んで、試合全体をマネジメントしていた。これまで世界戦を30戦近く戦ってきた中で培われた実戦力といってもいい。あれだけKOを量産してきたのに、12ラウンド戦うことを見越したようにラウンドごとの戦い方にメリハリをつけていた」と述べています。


悔しいと思うのは、著者のボクシングがゴロフキンに通用していたからでした。著者は、「間違いなく通用していた。恥じることのない試合ができたと思う。この経験を生かせば、次はもっといいボクシングができる、もっと強くなれると思った」として、試合前、著者が一番思っていたことは「ビビッて力を出せないことだけは嫌だ」ということだったと明かします。しかし、26分余りに及んだ激闘の最中、著者の心が折れることはありませんでした。最後まで闘う気持ちを失うこともなかったといいます。試合前に感じていた自分の中に潜む弱さは、間違いなく乗り越えられたと思うとして、著者は「21年秋に試合が決まってからの半年間を振り返ったとき、この時間を肯定的にとらえることができる。色々細かい点まで目を向ければ100点ではないかもしれないが、点数に関係なく肯定できる。この自己肯定感は4月9日の試合がくれたものというより、あの一戦に向かっていった過程がくれたものだ。『勝負の世界は結果が全て』というのは事実。だからアスリートは悩み、苦しむ。僕もとても悔しい。映像を見て、また悔しい気持ちがふつふつと湧き上がってきた。その事実に照らせば、敗れた僕は何も自分を認めることができないことになるが、そんなことはない。これまでのどんな試合よりも自己肯定感や充実感を得ることができた。半年間の時間が、この試合の意味を勝ち負けだけで語れないものにしてくれたのだ」と述べるのでした。


第2章「挑戦」の「日本ボクシング史上最大の一戦」では、2021年11月12日、著者は東京・虎ノ門ヒルズの大きなホールにしつらえられた記者会見場にいたことが紹介されます。WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦の発表会見が行われることになっていたのです。会見場のひな壇に上がったとき、詰めかけた報道陣やテレビカメラの数を見て、この試合に対する注目や期待の高さを改めて実感したという著者は、「僕の久々の戦線復帰ということもあっただろうが、それよりも対戦相手がゲンナジー・ゴロフキンカザフスタン)ということが大きかったはずだ。強豪が集うミドル級で世界タイトルマッチに通算22度勝利し、この時点で戦績は41勝(36KO)1敗1分け。勝利を逃した2試合はいずれも宿敵サウル・“カネロ”・アルバレス(メキシコ)との対戦による結果だが、『ゴロフキンが勝っていた』と言う評論家やファンも多い接戦だった」と述べています。


ゴロフキンというボクシング界の世界的ビッグネームの来日という意味では、1988年と90年の2度、東京ドームでタイトル防衛戦を行った当時の統一世界ヘビー級王者、マイク・タイソンアメリカ)以来とされました。記者会見で、著者は「これは歴史の一部だと思います。こんな大きな試合、ミドル級の試合が日本で行われることは、手前味噌だけど今後なかなか難しいと思います。この一大イベントが大成功して、今後のボクシング界、スポーツ界に寄与できれば、我々が戦う意味もより大きくなると思っています」と語りました。全世界にはゴロフキンと複数試合の大型契約を結んでいるDAZN(ダゾーン)が配信。白井義男が日本で初めてのボクシング世界王者になってから約70年、戦後のボクシングの大衆人気を支えてきたテレビ地上波ではなく、インターネットで配信される興行形態もスポーツビジネスの新たな潮流として大きな話題を集めました。ゴロフキンには15億円以上、著者に6億円のファイトマネーが保証されるとメディアは報じ、まさに日本ボクシング史上最大の一戦でした。


「田中ウルヴェ京さん」では、著者のメンタルトレーニングを担当したスポーツ心理学者の田中ウルヴェ京について、著者は「京さんはシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)の名選手だ。1988年ソウル五輪では、小谷実可子さんと組んだデュエットで銅メダルを獲得されている」「僕と京さんは少し前からLINEでもやり取りするようになった。話題は互いの近況報告や東京オリンピック、そのときどきの時事問題のほか、哲学やキリスト教、読書など多岐にわたった」と書きます。



また、著者は「京さんが現役時代にデュエットを組んだ小谷さんはとても華のある人気選手で、マスコミが話を聞きたがるのはいつも小谷さんだったそうだ。その横で京さんは小谷さんに対し、最も信頼するパートナーでありながらも、どこか複雑な感情も抱えていたという。そんな京さんなら僕の思考の癖や感情の揺れを分かってもらえるのではないかと思ったし、メンタルの記録を取ってもらうとしたら京さんしかいないと考えたのである」とも書きます。


著者は、ポジティブ・シンキングやプラス思考のようなものに違和感を覚えたといいます。たしかにトレーニングを受けた日は気分が上がって帰路に着くのですが、気分は文字通りに気分でしかなく、一時的なものに過ぎないとして、著者は「時間がたって冷静になると、僕という人間が根本的に抱えている感情や弱い自分というものは、何ら変わっていないことに気づく。そんな本当の自分にある意味フタをして競技に臨むというのがポジティブ・シンキングだと思う」「むしろ、僕は自己の内面と向き合うリアルシンキングをやりたいと思っていた。テクニカルな方法論に走るよりも、もっと本質を考える哲学のようなイメージだ。自分の強さと弱さ、長所と短所を理解し、課題を整理した上で、よりよいパフォーマンスを発揮できるようになるにはどうしたらいいかを徹底して考える」と述べます。


世界のミドル級の頂点に立つゴロフキンと著者が邂逅したのは、著者がプロデビューした1年後の2014年7月でした。ゴロフキンが拠点とする米国カリフォルニア州ビッグベアレイクのキャンプに参加したのです。その破壊的なパンチ力と並んで、著者がキャンプの印象に残っているのはゴロフキンの紳士的な人柄でした。著者は、「このとき、僕を追いかけてテレビの取材班が日本から現地まで来ていた。当時の僕は五輪金メダリストとはいえ、まだプロで4戦しかしていない駆け出しの新人ボクサーである。世界中で場所と相手を選ばずに戦い、拳ひとつで人生を切り開いてきたゴロフキンにしたら、メディアを引き連れてきた若造に不快な感情を抱いてもおかしくないだろう。だが、ゴロフキンは客人の僕らを快く受け入れてくれた。練習後にインタビュー撮影を受けていると、カメラの近くを通るときに「エクスキューズミー」と頭を下げて通ったりするのだ。お邪魔をさせてもらっているのは僕らの方なのに。リング内の強さだけでなく、リングを下りても素晴らしい人間性の持ち主だった」と述べています。


ビッグベアレイクでのキャンプ参加から3年後、キャリアを重ねた著者は2017年10月22日、プロ14戦目でアッサン・エンダム(フランス)との再選を7回終了TKOで制してWBA世界ミドル級新王者になりました。それから4年の月日が流れて、著者とゴロフキンの対戦はついに実現に至りました。著者は36歳、ゴロフキンは40歳になっていました。18年当時のことを知る人たちからは「あのとき対戦できていたらと思うことはないか」と聞かれたこともあるそうです。著者の答えは100%ノーでした。著者は2018年10月20日にラスベガスでロブ・ブラントに負けていますが、「もし、あのときの僕のボクシングで首尾良く勝ってしまって、そのままゴロフキンとの対戦が決まっていたら、はっきり言って相手にならなかっただろう」と述べています。


ジョハリの窓」では、著者がゴロフキンと対戦したいと思った理由を、彼がリアルなチャンピオンだからだと明かします。ボクシング界にはWBA世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、IBF(国際ボクシング連盟)、WBO(世界ボクシング機構)と4つの世界タイトルが存在します。それゆえに、誰が本当に一番強いのか、分かりにくいと言われています。王座乱立はボクシングの人気が落ちた理由だと批判の対象となることも少なくありません。著者は、「そんな中で、かつてWBOを除く3団体の統一王者でもあったゴロフキンは紛れもなく、ミドル級ナンバーワンの選手だ。彼に勝てば自分が本当のチャンピオンだと胸を張って言える」と述べます。


第3章「試練」の「7度目の中止・延期」では、コロナ禍で1年8ヵ月近く生殺し状態が続き、7度目の延期・中止となったとき、著者の中ではもう、勝つ、負けるは二の次になっていたことが明かされます。著者は、「もちろん一時的な感情だが、このときは1日も早くこの状況から解放されたい気持ちの方が上回っていたのは事実だ。最終的に僕のブランクは約2年4ヵ月に及ぶことになるが、これは歴代の日本の世界チャンピオンの中でも断トツの最長である。世界を見渡しても、これだけ長くリングに上がらなかった(上がれなかった)王者はいないのではないか。ブランクの理由は、ひとえに僕が日本で稀有なミドル級のチャンピオンだというところにあった」と述べます。


「ミドル級の壁」では、著者はこう述べています。
「ミドル級。その名の通り、上限体重160ポンド(72.5キロ)のこの階級はヘビー(重い)級とライト(軽い)級の間にできた階級である。130年を超える歴史があり、これまでも数々の名選手を輩出している。プロボクシングが最も華やいでいた時代の1つ、1980年代はマービン・ハグラ―、シュガー・レイ・レナードトーマス・ハーンズ(いずれもアメリカ)、ロベルト・デュランパナマ)が3つどもえならぬ“4つどもえ”の戦いを演じ、ヘビー級をはるかにしのぐ人気を集めた」


ミドル(中間)という言葉の通り、欧米では平均的な体格で、2階級下のウェルター級などとともに「中量級」と称されます。選手層も厚く、世界の壁は高いです。著者は、「日本からミドル級王者になったのは竹原慎二さん(1995年、WBA)と自分の2人だけだ。日本ではミドル級は中量級ではない。長らく日本ランキングでは一番上の階級だった(今はヘビー級が復活している)。完全な『重量級』である。ボクサーの数もバンタム級以下の『軽量級』、フェザー級からライト級を中心とする『中量級』に比べて圧倒的に少ない。日本ランキングが10位まで埋まることもまずない」と述べます。


「殴りたくない」では、延期発表の直後は、こんなことに負けてたまるかという反骨心や、なぜ俺だけが試合できないんだという怒りの感情がパワーとなって、意外に練習を頑張ることができていたそうです。しかし、1週間から10日ほどたち、試合がなくなったという現実が動かしようのない事実としてのしかかってくると、気持ちも沈みがちになります。練習をしていても、全然楽しくなかったとして、著者は「京さんからアドバイスされた『淡々』が思いのほか難しかった。人を殴るボクシングというスポーツの特性もあるかもしれない。そもそも淡々と人を殴るということは、普通はあり得ないことだ。自分の身を守るため、相手を打ち負かすために人は人を殴る。だから、スパーリングという実戦練習も、ボクサーは1年中のべつまくなしにやっているわけではない」と述べています。


ボクサーというものは、普段はロードワークでスタミナと体重を維持し、ジムではシャドーボクシング、サンドバッグやパンチングボール、ミット打ちなどで攻防の技術を磨きます。スパーリングは試合と相手が決まってから、週2~4回とペースを決めてやっていくものです。著者は、「なのに、僕にはその試合がなかった。いや、正確には『ある』のだが、僕はその試合があることを信じきれていなかった。延期が決まってから約2週間、僕はスパーリングをやるのがつらくなっていた。殴られて痛い思いをすることや、疲れるのが嫌だったのではない。スパーリングパートナーを殴ることに抵抗を感じ始めていたのである。およそ世界タイトルマッチを控えたボクサーが抱く類いの感情ではない」と述べます。


大事な試合を控えながらスパーリングパートナーに同情の念が湧いてしまうほど気持ちはダウンしていたという著者は、「もちろん、それでいいはずがない。しかし、頭では頑張らなければいけないと思っても、心がなかなかついてこない。そういう『頑張れない自分』に、僕は自己嫌悪の感情を抱きつつあった。どこか恋愛感情に似ているなと思った。別れた直後、男は『明日から自由だー』と一瞬ハイになるが、すぐに現実を知って落ち込む。今回も延期が決まった直後は気張ってスパーリングも頑張ってきたが、2週間ほどたって現実に打ちのめされている自分がいた。スパーリングパートナーに無用の情を持ってしまうほど、僕は落ち込んでいた」と述べるのでした。

 

 

当時の著者の感情は、「受容のプロセス」とか「受容の5段階」といわれるものに近かったとか。アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロスが1969年に著した世界的ベストセラー『死ぬ瞬間』で発表したものです。死=深い悲しみを経験した人がたどる心の過程について解説しています。人は何らかの厳しい事実を突きつけられたとき、感情が以下の5つの段階をたどるのだという説です。
第1段階(否認)
現実を否定し、周囲と距離を置こうとする
第2段階(怒り)
現実が否定できないと自覚し、「どうして自分が」と怒りを覚える
第3段階(取引)
現実から逃れるため、何かにすがろうと取引を模索する
第4段階(抑うつ
現実は変えられないと悟り、落ち込む
第5段階(受容)
現実を受け入れ、心に平穏取り戻す

 

 

「ポジティブな感情」では、田中ウルヴェ京から「楽しい」に意識を向けるように言われていたという著者は、「簡単ではなかったが、毎日のささいな出来事にも意識を向けようとすると、少しずつ『楽しい』感情に気づくようになってきた。例えば、僕が好きな読書。この頃はマザー・テレサの本を読んでいた。英隆一朗さんの『黙示録から現代を読み解く』も読了した。知的好奇心や探究心が刺激されるような活動をしているとき、僕は楽しさや充実感を得ていることに気づいた。英語の勉強もその1つだ。そんなふうに考えると、楽しくなかったはずの練習も楽しんでいる自分に少しずつ気づくようになった」と述べています。これを読むと、著者はかなりの読書家のようですね。


読書について、著者は「僕は元来、物欲には乏しい人間なのだが、知識欲はかなり旺盛な方だと思っている。『楽しい』を探しているうちに、自己を発見することができた」と述べています。次にゴロフキンが最後だと心のどこかで思っているのに、まだまだボクシングを楽しむ余地が残されているな、という気持ちにもなっていたそうです。著者は、「体力の部分では年を重ねて低下も感じ始めるころだから、それを埋める意味での探求という欲求がでてくるのかもしれない。僕が尊敬するアスリートの1人である元陸上ハンマー投げ室伏広治さんの求道者のような姿を思い浮かべた。『探究心を情熱と置き換えるなら、今の方が情熱的なのかもしれないです』という僕の言葉に、京さんもうなずいていた」と述べます。


第4章「恐怖」の「自己肯定感」では、ゴロフキン戦の記者会見で、記者から「改めて、ゴロフキンは村田選手にとってどういう存在か。なぜゴロフキンとの対戦を熱望し続けてきたのか」と聞かれ、著者は「ボクシングもエンターテインメントの1つですから、やれ俺はこれだけ強いんだ、これだけ稼いできたんだと外に向けてアピールすることが多いですが、僕の関心は今内に向いています。僕はボクシングを通じて得たかったものは自己肯定感だと思っています。ゴロフキン選手はリング内の強さとともに、(ドーピング違反など)ひきょうなことをしないクリーンな強さがある。単に勝つ、負けるだけではなく、試合に向かうという過程においても、自分にとっての大事なことを再確認させてくれる最高の相手です。この試合で何が得られるのか、どういう景色が見えるのかは終わってみないと分からないですが、今こうした時間を過ごせていることすら僕にとっては大きなこと。そういう状態を作ってくれているゴロフキン選手に感謝します」と述べたと紹介されます。


第6章「余韻」の「不思議な声」では、あれだけ研究したつもりだったゴロフキンは、著者の知らないゴロフキンだったと明かされます。1発いいパンチを当てても、2度目は同じ角度で当てさせてもらえなかったそうです。戦前に映像をたくさん見て印象に残っているのは派手なパンチでしたが、実際にやってみて目を見張らされたのは細かい技術でした。ガードの上から1発でなぎ倒すのかと思っていたら、ガードのわずかな間を通してパンチをクリーンヒットさせてきたといいます。著者は、「パンチ力や単純なスタミナ、スピードという分かりやすいところで勝負すれば勝てるチャンスはあると思っていた。でも、目に見えにくいところの技術で大きな差があった。人間と同じで、ボクシングも見た目だけで判断しちゃダメということだ。全盛期には全階級を通じて最強『パウンド・フォー・パウンド』と称された実力はすごいものがあった」と述べます。


証言「スポーツ心理学者・田中ウルヴェ京が語る村田諒太」では、著者が引退を決意したゴロフキン戦について、田中ウルヴェ京は「最後に告白しますと・・・・・・、今までも諒太さんの試合は観戦したことがありましたが、今回は観戦中とても怖かったです。登場してきたお顔があれだけ『素』だったので、『これは本当にすごい覚悟だ』と思ったから。『mind over matter』(肉体的な困難を気力で乗り越えること)という言葉が頭に浮かんできてしまって。どうしよう、逃げないで闘いすぎちゃったらどうしようって。セッションで逃げるな!なんて言ったことに罪悪感を感じたり。でも、それくらい勇敢で魂のこもったファイトでした」と述べます。


そして、田中ウルヴェ京は「諒太さんからは多くを学びました。人間の『素』の迫力です。自分の弱さを認め、その弱さの奥底にまで自分を問いただし、本当の自分が何を求めているのか。自分の人生は自分に何を求めているのか。ちゃんと悩み、ちゃんと葛藤した先の『素』の力を見せていただいたと思っています」と述べるのでした。本書は、単なる元プロボクサーの半生記でも、人生訓でもありません。アマとプロの両方で世界の頂点を極めた最高のアスリートの心の中の葛藤や不安を克明に描いた「こころ」の書です。ボクシングはおろか、スポーツをも超えて、あらゆる分野で活動する人々の「こころ」の糧になる名著です。

 

 

2024年2月9日  一条真也