よくやった、村田!

一条真也です。
姫路から小倉に戻った9日の夜、「日本ボクシング史上最大・最高のスーパーファイト」と呼ばれる試合をアマゾン・プライムで観戦しました。WBA、IBF世界ミドル級(72・5キロ以下)王座統一戦12回戦で、WBAスーパー王者・村田諒太vsIBF王者ゲンナジー・ゴロフキンさいたまスーパーアリーナ)です。

f:id:shins2m:20220409221926j:plain日本ボクシング史上最大・最高の一戦!

 

残念ながら村田は9回TKOで負けましたが、本当に素晴らしい試合でした! ボクシングの面白さを再認識することができました。ブログ「村田諒太はいい!」ブログ「村田戦は無効試合にすべし!」ブログ「やったぜ、村田諒太!」にも書いたように、わたしは村田選手のファンです。朝倉未来が強いとか、那須川天心が天才だなどと言っても、重量級のボクシング世界王者にはかないません。わたしは、村田諒太こそ日本最強の男だと思います。彼はフィジカルもメンタルも強く、何より闘う姿勢が美しい!


村田選手は、ロンドン五輪ミドル級金メダリスト。奈良県奈良市出身。帝拳ボクシングジム所属。日本人ボクサーとして竹原慎二以来2人目のミドル級世界王者であり、オリンピックメダリストとしては日本人初の世界王者です。憧れのアスリートとして魔裟斗室伏広治をあげています。また「喧嘩をしたら負けると思った」人物として室伏広治朝青龍の二人を挙げています。村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えています。当時、すでにK-1王者だった魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っています。


一方、ゲンナジー・ゴロフキンは、「ミドル級史上最強ボクサー」の異名を持っています。1982年4月8日、カザフ・ソビエト社会主義共和国(現在のカザフスタン)で4人兄弟の1人として生まれる。ロシア人の父親は炭鉱夫、高麗人の母親は実験室のアシスタントをしていました。14歳の時に兄にジムへ連れられていきボクシングを始めました。リング内では圧倒的な強さを誇りますが、リングの外では、ブレーンが制止しようとするのを逆に止めて、ファンや関係者にサインをしたり、人格者との評判を得ています。フロイド・メイウェザー・ジュニアの試合スタイルについて、「メイウェザーのスタイルはコンピューター・ゲームのようだが、私のスタイルは喧嘩のようだ。マイク・タイソンのスタイルみたいにね」と言っています。

f:id:shins2m:20220409210758j:plainまさに、スーパーファイトでした!

 

2021年11月12日、東京都内で開かれた記者会見において、WBA王者の村田諒太とIBF王者のゲンナジー・ゴロフキンとの2団体王座統一戦が12月29日、さいたまスーパーアリーナで開催されることが正式発表されました。しかし、12月3日、新型コロナウイルスの変異株オミクロン株急拡大を受け、政府が外国人の新規入国を禁止する水際対策を実施したことで、村田・ゴロフキン戦が延期になったことが発表。2022年3月からの外国人に対する水際対策の緩和を受けて、4月9日に試合が再設定されたのでした。

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村田は果敢に攻めました

 

試合は壮絶な殴り合いとなり、エキサイティングで素晴らしい内容でした。でも、村田は9回TKOで敗戦。試合後、村田は「みなさん、応援ありがとうございました。想像していたものと違うものを感じた。総合力で上をいかれているなと感じた。見て下さったみなさんが楽しんで下さったかどうかが大事。こうやって拍手をいただけること、すごくうれしい」と話しました。

f:id:shins2m:20220409211844j:plain最強ゴロフキンを追い込みました

 

勝ったゴロフキンは「村田選手はオリンピックチャンピオンというだけではなく、ほんとにスーパー王者、その名にふさわしい戦いを見せてくれた。私も一緒に戦えたこと、ほんとに誇りに思っています。日本のこのような素晴らしいイベントをみなさまにお見せできたこと、戦えたこと、とてもうれしく思っています」と、村田を絶賛しました。

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よくやった、村田!

 

世界王座防衛21度の現役最強ボクサーであるゴロフキンとの一戦は、17年10月、村田がエンダム(フランス)に7回TKO勝ちして世界王座を奪取した時に「自分の上にはゴロフキンしかいない」と話し、熱望していた大一番でした。村田は「プロになって9年。追い求めてきた舞台を用意してもらい、本当に幸せ。彼を倒して強さを証明する」と意気込み臨みましたが、あと一歩及びませんでした。でも、どちらが勝ってもおかしくなかった試合であり、村田には「よくやった!」と拍手を送りたいです。


ミドル級のスーパーファイトといえば、1985年4月15日にラスベガスで行われたWBA、WBC、IBF統一世界ミドル級タイトルマッチのマービン・ハグラーvsトーマス・ハーンズ(シーザーズ・パレス)を思い出します。「ボクシング史上最も危険な一戦」と言われた世紀の激突でした。圧倒的な強さで王座に君臨し"マーベラス"の称号を持つマービン・ハグラー。爆発的なパンチ力でKOの山を築き、"ヒットマン"と恐れられたトーマス・ハーンズ。最強を誇る2人が、統一世界ミドル級王座を賭けて激突したのです。「黄金の中量級」と称された80年代を象徴する戦いの映像からは、想像を超えるとてつもない熱気が伝わってきます。


村田・ゴロフキン戦は、日本プロボクシングの歴史が始まってから101年目にビッグ・ィベントでした。世界屈指の激戦階級・ミドル級の統一戦が国内初開催され、15億円興行と言われた1990年2月11日の世界ヘビー級タイトルマッチであるマイク・タイソンvsジェームズ・ダグラス(東京ドーム)を凌ぐ規模で、世界200以上の国・地域にライブ中継される日本ボクシング史上最大のタイトルマッチとなりました。また、帝拳ジム会長の本田明彦は両者のファイトマネーの合計が「日本ボクシング史上最高額」である事を明かしています。ちなみに、タイソンとダグラスの試合は、「ボクシング界最大級のサプライズ」となりました。絶対王者のタイソンにとってイージーな相手と思われたダグラスが一世一代の出来を披露してダウン応酬の末、10ラウンドKO勝ち。地球に衝撃が走りました。リングサイドには、あのドナルド・トランプもいました。最後に、村田選手の再起を心より期待します!

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村田選手の再起に期待します!

 

2022年4月10日 一条真也